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野田秀樹『キル』にみる二つの悲劇 : メタシアター的登場人物による悲劇の可能性

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Academic year: 2021

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野田秀樹『キル』にみる二つの悲劇 : メタシアタ

ー的登場人物による悲劇の可能性

著者

坂本 涼平

雑誌名

人文論究

61

4

ページ

127-141

発行年

2012-02-10

URL

http://hdl.handle.net/10236/9917

(2)

野田秀樹『キル』にみる二つの悲劇

──メタシアター的登場人物による悲劇の可能性──

坂 本 涼 平

『キル』は,野田秀樹が劇団・夢の遊眠社を解散してから,ロンドン留学を へて,帰国後,最初に上演した作品である。ジンギスカンによる大陸征服の逸 話を,ファッション戦争という初演時(1)の時代背景に重ね合わせた作品であ り,初演より十五年以上を経たいま,新奇性を持っているとは言いがたい。 しかしながら,1997 年,2007 年と再演を重ねているという事実をみるに, 『キル』には時代性に依らない普遍的な面白さが備わっていると考えられる。 本稿ではその普遍的な面白さを演劇としての構造に求めていく。 『キル』はその演劇としての物語の構造に着目すれば,オーソドックスな悲 劇構造を持つと言える。それは主人公テムジンが体現する英雄譚としてのもの である。しかし,本稿ではもう一人,結髪(けっぱつ)というテムジンと対照 的な登場人物を,戯曲構造上の重要な要素として指摘する。結髪は,作品中た だ一人,コトバを操る人物として他人に影響を及ぼし,自らと他者をいわば 「演出」し得る人間として描かれる。演劇の中で他者を演じ,演出し得ると言 う点で,結髪は,ライオネル・エイベルの言うところの,悲劇構造から逃れ得 る,メタシアター的登場人物であるとも言える。しかし,果たしてこの結髪 も,メタシアター的な登場人物であるということこそを理由に,悲劇という抗 いがたい構造に取り込まれてしまう。 本稿では,テムジンと結髪という二人の対照的な人物,言い換えれば,悲劇 的登場人物からの視点とメタシアター的登場人物からの視点両方から分析し, 『キル』が,その凡庸ならざる特徴として,オーソドックスな悲劇構造を持つ 127

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物語と,本来悲劇と対になるものとして想定されたメタシアターの特徴を持つ 登場人物による悲劇の物語をも含んでいることを明らかにする。

第一章 「蒼き狼」たろうとする

テムジンの悲劇の物語としての『キル』

まず,『キル』がテムジンの物語として,単純な悲劇構造を持つという点を 確認する。ここでいう悲劇とは,木下順二が「そのネガティブな──悲劇的な という言葉で置きかえてもいい──性格を煎じ詰めると,ある願望に近づいて 行こうとすると,その行為の中に願望から遠ざかるを得ない要素がつくり出さ れてくるということ。」(2)と述べるような,願望を強く持てば持つほどその願 望から遠ざからざるを得ないという演劇における物語の構造のことである。 また,悲劇を,後に取り上げるメタシアターとの関連の上で述べるならば, メタシアターという用語を初めて用いたライオネル・エイベルが以下のように 説明している物語のことだと言える。つまり,「悲劇の主人公は,別の,(デー モンたらんと欲し,自ら進んで破滅に身をさらすのではなく:括弧内筆者)も っと人間的な目的を達成しようと望んでいる。ただ彼は,自分が不死身である フィクション かのごとく振る舞ってしまう。この〈かのごとく〉という虚構が彼を破滅へと 導くのだ。」(3)とエイベルが指摘する,自らに本来備わっていない力を,あた かもその正統な所有者のように用いてしまう人間の物語のことである。 木下,エイベルの両者の悲劇観に共通するのは,悲劇の中心になる登場人物 が抗いがたい大きな存在によって破滅に至るような道筋を強いられる,という ことである。このことを木下は,ギリシャ悲劇と運命の問題について触れて, 「人間の上にあって人間の力が及ばないけれども,しかし人間と無関係ではな い力」が運命として登場人物を支配していると述べている。(4)また,エイベル は,「悲劇は,人間存在が運命の前で脆弱なことを示すことによって,人間存 在を活性化する。」(5)と表現している。 さて,『キル』において,そのような悲劇構造のただ中にいる第一の人物は, 128 野田秀樹『キル』にみる二つの悲劇

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もちろん主人公テムジンである。 彼は,母親が敵対する一族に孕まされ産まれたという出自から,自分の存在 を肯定するために,血は繋がっていなくとも,伝説の「蒼き狼」の末裔たろう と願う。そのことは,以下の引用部分に示されている。 テムジン (略)でも,あの蒼き狼の話を聞くと,なんか,体の底からう おーっ! って声が出てくる。ひとつきりなんだ,俺の物語は。それも 飛びきり素敵な天からやってきた蒼き狼だ。そしてその血が俺の体に流 れている。それだけが,俺の誇りなんだ。そんな血が,狼の血が,俺に は流れているはずだったのに,俺があの親爺の血をひいていなければ, 蒼き狼はどこをさまよっているんだ。(6) テムジン (略)父さん,一つだけ教えてくれ,俺はあんたの子なのか。 俺は,蒼き狼の末裔なのか。 イマダ 世界に制服を着せるのだ。その時,お前は蒼き狼なんだ。(7) そして,父の今際の際の言葉に従い,自らのブランドの「制服」を世界中に 着せて「征服」すれば,その願いが叶うと信じ,モンゴルの羊を捨て絹に手を 出し,麻に手を出し,版図を広げ,まさに英雄的な行動を一途に続けるのであ る。 しかし,その覇業は,途中で立ちゆかなくなる。敵対する偽ブランド,「蒼 い狼」の台頭によってである。後に自らの鏡写しの存在であると知ることにな る「蒼い狼」は,鏡写しであるからこそ,テムジンが「蒼き狼」であろうとす ればするほど,「蒼き狼」そっくりに,強大になる。 「蒼き狼」の血を引いていないのにかかわらず,「蒼き狼」である〈かのごと く〉振る舞ってしまう虚構。そして,「蒼き狼」であろうと願い,自らのブラ ンドを強くすればするほど,鏡写しの偽ブランドも強くなり,「蒼き狼」とし ての「征服」から遠ざかってしまう構造。これは最も根本的な悲劇の姿である と言える。 結果として,テムジンは,「蒼き狼」としての覇業を完成させるために,「蒼 い狼」を倒さねばならず,鏡写しの「蒼い狼」を倒すということは,自分が倒 129 野田秀樹『キル』にみる二つの悲劇

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れるということにほかならない。テムジンは,「蒼き狼」であろうと願うあま り,「蒼き狼」にはなれず,以下に挙げる場面において,死という破滅を迎え てしまう。 テムジン けれど俺の左の胸にあるものが右の胸にありやがる。何もかも がそっくりなのに心臓だけが違ってる。お前は俺の鏡なのだ。俺を超え ることはない。けれど俺の作る制服に劣ることもない。気付いてはいた のだ,とうの昔に。多分,蒼い狼,あなたが現れた時から。あなたは父 さんですね。あなたも世界に制服を着せることばかりを考えてきたので しょう。だから俺が,俺の征服心が,俺の蒼き狼が,この胸から消える 時にしかあなたも消えないことを。蒼い狼,俺とそっくりの征服心を, 俺のハサミで,今,あなたを葬りますよ。 テムジン,はさみを手に自分の胸の心臓にある 蒼き狼のブランドを切り始める。 兵士ポロロン テムジンが蒼き狼にはさみを入れた。 兵士 JJ ハヤリ病に冒されているんだ。 兵士フリフリ 作った服を台無しにしている。 兵士ガイド 今度のモードの評判を聞いたか。 兵士 4 人 空前絶後の悪評だ。 蒼き狼の制服と蒼い狼の制服が次々に捨てられる。 兵士 JJ 扇のように広がった蒼き狼の服が,そのモードが,そのブーム が扇のように閉じていく。 兵士フリフリ この世から蒼き狼が消えていく。 兵士ガイド そして蒼い狼までが消えていく。(8) 130 野田秀樹『キル』にみる二つの悲劇

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このテムジンの物語には,「ある願望に近づいて行こうとすると,その行為 の中に願望から遠ざかるを得ない要素がつくり出されてくるということ。」と いう木下が挙げた悲劇の特徴が,「蒼き狼」となる過程に自らの死によってで しか打倒できない障害が現れる,という形で現れている。 また,「悲劇の主人公は,別の,もっと人間的な目的を達成しようと望んで いる。ただ彼は,自分が不死身であるかのごとく振る舞ってしまう。この〈か フィクション のごとく〉という虚構が彼を破滅へと導くのだ。」というエイベルの論に照ら し合わせるなら,テムジンの最初の願いは,自己の確立であったはずである。 しかし,この人間的な目的の達成のためには,伝説の「蒼き狼」の血を引いて いないのにもかかわらず,「蒼き狼」である〈かのごとく〉振る舞わねばなら ない。それはやはり偽りであり,自分こそが「蒼き狼」であるという思いこみ は,偽ブランド「蒼い狼」との対決へ,テムジンを追いやるのである。 テムジン 俺の作るものを作るな。 蒼い狼(イマダ) 俺の作るものを作るな。 テムジン 真似はやめろ。 蒼い狼 真似はやめろ。 テムジン ニセモノめ。 蒼い狼 ニセモノめ。 兵士 9 蒼い狼の奴がニセモノ呼ばわり始めた。 兵士ガイド 蒼き狼の奴がニセモノ呼ばわり始めた。 兵士人形 やつらは自分のブランドを本物と信じているんですよ。 兵士フリフリ やつらは自分のブランドを本物と信じているんですよ。 テムジン ええい,迷うな。奴らがニセモノだ。踏んで踏んで踏み続け ろ。奴らがついてこれぬほどミシンを速く踏めばよい。それだけのこと だ!(9) このように,『キル』がテムジンの物語として,悲劇と呼ぶに十分な構造を 持っていることは明らかである。しかし,この作品には,もう一人,悲劇の担 い手たり得る登場人物を見出すことが出来る。その登場人物とはテムジンの傍 131 野田秀樹『キル』にみる二つの悲劇

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らにありながら,物語の上で対照的な役割を与えられた結髪である。次章で は,結髪の物語としての『キル』を分析していく。

第二章 ただ一人,コトバを操ることの

できる登場人物としての結髪

結髪は,テムジンの父,イマダに仕えたデザイナーで,イマダが敵対するブ ランドに破れた際,「共に死にます。」(10)と宣言しながらも,敵に捉えられ,ヘ アメイクとして生きながらえる裏切りの道を選択する。テムジンが「いつの日 かあのモンゴル蒼い空を取り戻すぞ!」(11)と復讐を誓うのとは対照的である。 また,後にテムジンが敵対するブランドを倒した際は,手土産をもってテムジ ンのもとに帰ってこようとする。その手土産とは,モデル・シルクとコトバで ある。シルクと恋仲になりたがるテムジンに対し,結髪はコトバを教えようと する。しかし,無学ゆえコトバを容易には操れないテムジンに代わり,結髪は シルクに手紙を書く。一方,モデルであるシルクにも字は書けず,結髪はシル クからテムジンへの手紙も代筆することになる。 結髪が手紙を書き,シルクが読む。 また結髪が手紙を書き,テムジンが読む。 手紙は箱のようにそこに積まれていく。 夥しい数の箱となる。 シルク 『あなたから返ってくる手紙の待ち遠しさ,そしてその永遠。あ なたの手紙を読む時のせつなさ,そしてその刹那。永遠と刹那がモンゴ ルの草原の地の果てで溶け合う。』 テムジン 『いただいた,あなたの手紙への私の返事,その返事に答えて 下さるあなたのお返事,それに返す私のコトバ,それを拾って返して下 さるあなたのお返事,まるでお城の一つずつの石のように,堆く積まれ 132 野田秀樹『キル』にみる二つの悲劇

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ていきます。』 シルク 『その二人のコトバは,万里の城のように地の果てに続いていく のでしょう。あなたが永遠で,私が刹那なのか。』 テムジン 『あなたが刹那で,私が永遠なのか』 シルク 『あなたが空で,私が草原の大地なのか』 テムジン 『あなたが草原の大地で,私が空なのか』 シルク 『私にそれはわからないけれど,確かに二人は,地の果てで溶け 合う。万里の城を越えた地の果てでいつか溶け合う。』(以下略)(12) ここに挙げたやり取りの中で,最初はテムジンに対しつれなかったシルク は,テムジンに心をひらく。実際にシルクが気に入ったテムジンのコトバは, 結髪が紡いだものであるのにもかかわらずである。 ここに,コトバを用いて架空の愛情を捏造する,結髪という登場人物の特徴 が現れる。 メタシアターという名称を初めて用いたライオネル・エイベルによれば,メ タシアター的人物の特徴は「他の登場人物を演出=演劇化」(13)しようとすると ころにある。結髪は,コトバを用いてテムジンとシルク二人の人物を演出する ことに成功する。以下のシーンは,そのことを端的に表している。 結髪 結婚しましょう。 シルク あなたにプロポーズされても仕方ないのよ。 結髪 いえ,これはテムジンからの手紙ですよ。 シルク え,本当なの? 結髪 私が『結婚しましょう』と書いて,『喜んで』と書けば,すぐにも そういうことになるんです。(14) この時点において,結髪は,テムジンとシルク二人の人間を,自らのコトバ によって支配下に置いている。 また,テムジンが敵対する偽ブランド,「蒼い狼」を討伐するために,息子 ・バンリを西方へと送ってのち,結髪はもうひとつ,コトバによる支配力を発 揮する。シルクを慰めるために書いたバンリを装った手紙が,どうしてかシル 133 野田秀樹『キル』にみる二つの悲劇

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クの手元に届かないことを不審に思った結髪は,手紙を送り続けることで,手 紙を握りつぶしている張本人=「蒼い狼」に通じている裏切り者をあぶり出そ うとするのである。以下に挙げるシーンは,バンリから届いた手紙に,この手 紙を手にしている者こそが「蒼い狼」であるとか言ってあったことが判明した 直後の場面である。 結髪 テムジン,この手紙は俺が書いたのだ。 テムジン バカを言え。 結髪 俺が代わりに書いた。 テムジン 俺がシルクに手紙を送ったようにか。 結髪 シルク様の心を慰めるため,初めはただそれだけのため。だが送る 度に手紙は届かぬ。じきに俺は,蒼い狼が手紙を焼いていることに気付 いた。そして七度手紙を書いて,今日やっと蒼い狼が俺の手にかかった というのに。 テムジン その舌(べろ)に欺されてきた。(15) 結果的に,結髪は蒼い狼の手の者に,逆に濡れ衣を着せられテムジンに信じ てはもらえない。しかし,ここにおいても,コトバ=手紙を用いて裏切り者を あぶり出すことには成功している。 このように,このテムジンの悲劇『キル』において,結髪はメタシアターの 登場人物のような影響力を発揮する。これはどういうことか。 メタシアターという形式,考え方は,その出自から言って,悲劇に対する概 念である。ここで,メタシアターについて整理しておく。 メタシアターとは,ライオネル・エイベルによって名付けられた演劇形式で ある。それは,シェイクスピアの『ハムレット』によって,「舞台化され演劇 化されるとは,どういう意味なのかを鋭く意識した最初の舞台上の人物」(16) 出現したことを契機とする,「す!で!に!演!劇!化!さ!れ!て!い!る!も!の!と!し!て!人!生!を!扱!う! 演!劇!」(17)である。エイベルは,この形式を,『ハムレット』という演劇が「劇 全体を通じて,ほとんどどの場面でも,この劇中劇の場面と同じように,ある 登場人物が,他の登場人物を演出=演劇化しようと試みている。」(13)ことに見 134 野田秀樹『キル』にみる二つの悲劇

(10)

出した。 エイベルは,メタシアターを悲劇との比較において,以下のように説明して いる。 悲劇は,人間存在が運命の前で脆弱なことを示すことによって,人間存 在を活性化する。メタシアターは,運命を克服できることを示すことによ って,人間存在を夢幻的なものに変える。(18) これは,第一章で触れた木下順二の悲劇観にある「人間の上にあって人間の 力が及ばないけれども,しかし人間と無関係ではない力」,つまり運命と人間 の関係において,悲劇とメタシアターが対になる存在であることを示したもの である。つまり,悲劇において,人間と運命は一対一の関係で語られ,その作 品世界は,堅固な構造を持つ究極的な構造であり得たのだろう。しかし,メタ シアターにおいては,世界は人間の意識にによって包含され,客体化される, 可変的で相対的なものであるとされている。 メタシアターは,ハムレットが演劇史上初めて「自分が悲劇の中にいる人物 である」と発見したことで,いわば,脱悲劇の演劇としてに誕生している。メ タシアターでは,他者の行動や運命は劇中の登場人物によって変更が可能であ り,また,劇中の他の登場人物に対して,そのような影響力を発揮できる登場 人物はメタシアター的な特質を備えていると言える。 『キル』において,結髪は,己の運命を変更するためにコトバを行使する。 エイベルの言うところの演劇史上初のメタシアター的登場人物・ハムレットに 比べれば,たわいのない影響力ではあるが,結髪のコトバは手紙という形で, テムジンとシルクが愛し合う筋書きとなる。結髪がバンリを名乗って書いた偽 の手紙は,「蒼い狼」の内通者をあぶり出すための狂言となる。 では,『キル』における結髪の物語は,メタシアターなのであろうか。結髪 の演出によって,テムジンとシルクはその後睦まじく過ごし得たか。罠に掛け た「蒼い狼」を断罪することが出来たか。結果は否である。結髪は,シルクと の間に子をもうけ,そのことが遠因となり,「蒼い狼」の罠にはまり処刑され る。ここに,結髪という登場人物の,あるいは結髪の物語としての『キル』の 135 野田秀樹『キル』にみる二つの悲劇

(11)

面白みがあると考えられる。それは,メタシアター的な特質を持った登場人物 による悲劇という,本来的には対になる概念が同居する,一見矛盾した物語の 面白さである。

第三章 結髪の物語は悲劇たり得るか

他者を演出し,世界を変更し得る特質,つまり,登場人物中唯一コトバを操 れるという特質にもかかわらず,結髪は,その影響力を逆手にとられ,テムジ ン,シルク,そして敵対する「蒼い狼」に,逆に演出されてしまう。テムジン にとっての「シルクを口説き落とせる自分」としてであり,シルクにとっての 「テムジンの手紙にふさわしい返事を書ける自分」としてである。 結髪もまた,シルクに恋をするが,その思いを伝えようにも,以下のやり取 りのように, 結髪 あぁなりたい。嫌いになりたい。俺の知性が,お前のような馬鹿な 女に惚れるわけがないんだ。それがどうしてだろう,お前に惹かれてし まう。狂った磁石のようだ。愛の力は磁場をも変える。知性が教えるコ リオリの力など,何の役にも立たない。苦しいくらいにもう心が枯れ て,コトの葉が散った。 間。 シルク そこで終わってるの? 結髪 ん? シルク 今までのどの手紙よりも好きよ,今の手紙。テムジン。なんて切 ないの。喉の奥,胸につながる少し手前,ここのところが詰まったみた いに苦しい。誰もが恋に落ちるとこうなるの,テムジン? 結髪 いや,今のは手紙じゃない,俺の・・ シルク (聞いてない)そうね,手紙とは言えないわ。今のコトバは,あ 136 野田秀樹『キル』にみる二つの悲劇

(12)

たしにはセックスそのものだったわ。(19) そのコトバは,テムジンのものとして受け取られてしまう。ここにいたって, 結髪はコトバによってテムジンを演出しているのではなく,代筆,という行為 によってテムジンを演じさせられ,テムジンに演出されてしまっている。 そして,テムジンの側に入り込んでいた「蒼い狼」が主張するところの「た だ一人コトバを操れるが故に最後には必ずバンリの手紙を手にすることになる 謀反人」であるかのようにも,結髪は演出されてしまう。 結髪 テムジン,どうか俺を信じて下さい。俺はこの耳でその男の企みを 聞き,この目でこの手紙を読んだのです。 兵士イマダ どうか私を信じて下さい。バンリ様は知っていました,手紙 を読めるのは結髪,この男だけだと。最後は必ず結髪の手で手紙が読ま れることを知っていたのです。だからその手紙を読む手を蒼い狼と呼ん だのです。(20) このように,『キル』において,他人を演劇化できるはずの演出力=コトバ を用いることの出来る唯一の登場人物は,そのことをこそ理由に破滅=死に追 いやられる。なぜなら,他者を演出し得るという状況を演劇の中で想定するな らば,自分もまた,他者によって演出されうるのだ,ということを受け入れね ばならないからである。結髪はコトバによって他人になりすまし,他の人間を 演出し,コントロールすることが出来るただ一人の登場人物ではあるが,それ は,他人を演出し得る人間が結髪だけであるということを意味しない。『キル』 という作品の中でメタシアター的な特質を特権的に備えているかのごとく思わ れた結髪は,一転,その特質によって破滅に瀕するという,悲劇的な構造に捕 らわれる。 このことは,メタシアターという「脱悲劇」を出発点とした演劇形式にとっ て皮肉であるとともに,メタシアターによる悲劇という一見矛盾する構造の可 能性をほのめかす。 結髪は,テムジンとシルク,お互いの手紙を代筆することで,テムジンであ る〈かのごとく〉,シルクである〈かのごとく〉振る舞った時から,あるいは, 137 野田秀樹『キル』にみる二つの悲劇

(13)

偽の手紙を書くことでバンリである〈かのごとく〉振る舞い「蒼い狼」を見つ け出そうとしたその時から,悲劇の構造の中に自らを置いてしまっているので ある。 そして,結髪は「願望を強く持てば持つほどその願望から遠ざからざるを得 ないという構造」にも陥る。 結髪はなぜコトバを得たか。それは第一に生き残るためであった。結髪は, 生き残るために敵対する一族に降り,また再びテムジンに仕える際には,シル クを口説き落とすための美しいコトバが使えると言うことを売り込んで命を存 える。そして,生き残った先の,結髪の願いはなんであったか。公的には,己 の主人・テムジンの覇業の成就であり,敵対する「蒼い狼」の打倒である。そ しての私的にははシルクと結ばれることである。要するに,結髪の望みとは, 英雄的個性を持つテムジンとは対照的な世俗的な幸福にほかならない。 しかし,そのために行使する力は,この劇中世界にあっては無二の力であ る。他人を演出するかのごとき力,まるで誰か他の人間であるかのごとく振る 舞える力,コトバである。そのコトバによって,テムジンのためにシルクを口 説けるということを担保に生きながらえた結髪は, 結髪 俺はあなたがカルダンで,トップモデルをやっていた頃からあなた を見てきた。舞台のあなたを,楽屋の口からそっと見てきた。あなたは 他のモデルと違って輝いていた。あなたがステージを歩くと,蘭の花が 咲き誇るようだった。何よりあなたの瞳の色は,無垢な色をしてい た。(21) と,思いを募らせていたシルクと結ばれる道を失う。それゆえ後に,「あたし はあの人(テムジン:括弧内筆者)にではない,手紙に恋をしたのね。」(22) 言うシルクに対し, 結髪 思い切って打ち明けます。 シルク 改まってどうしたの? 結髪 まず,この醜い顔にその手を。それから肩へ,そして私の手に触れ てください。 138 野田秀樹『キル』にみる二つの悲劇

(14)

テムジン現れる。二人のただならぬ様子を見ている。 結髪 何かお感じになりませんか? シルク 骨太ね。 結髪 それだけですか? シルク え?待って,あ,何か感じる。(23) と,自らがシルクが恋した手紙の書き手であることを明かし,シルクと密通し てしまう。結果シルクとの仲は深まるが,テムジンの不信を招き,結髪こそが 「蒼い狼」出はないかとの疑いを掛けられた時,ついに処刑されてしまう。 結髪の生き残りたいという願いが,恋愛の成就を妨げ,その恋愛を進展させ れば,敵に付け入る隙を与え,最初の生き残りたいという願望を果たせなくし てしまう。世俗的な幸福を願った結髪は,そのことこそを理由に,幸福から遠 ざかる,まさに悲劇の構造に捕らわれている。 ここには,幸福を得る,という願望を満たすために,メタシアター的な力, すなわち他者を演出し得る影響力を行使したが故に,他人からの演出を受けざ るを得なくなった人物の悲劇が描かれている。

終 わ り に

以上のように,『キル』には二つの物語が含まれている。それは,まず第一 に,テムジンの悲劇である。テムジンが伝説のファッションブランドの担い手 「蒼き狼」であろうと願い,本来その血筋ではないのにもかかわらず「蒼き狼」 として振る舞ったことで,「蒼い狼」とともに破滅せざるを得ないという悲劇 である。 そして,実に英雄的なテムジンと対照的な個性を与えられた結髪の物語も, この作品には含まれている。それは,生き残るためにコトバという他者を演出 し得る力を得た,一見メタシアター的な登場人物による物語である。しかし, 世俗的な幸福を願ったが故にメタシアター的な演出力を行使することは,自ら 139 野田秀樹『キル』にみる二つの悲劇

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の物語をメタシアターとすることであり,人間を大きく超えた運命を想定せ ず,どこまでも変更可能な世界に組み入るということである。その物語の中で は,自らも他の登場人物の演出力に晒されるということを受け入れるざるを得 ない。 そうのような道筋を結髪が踏んだ時,自らをメタシアター的演出力を持った 登場人物〈かのごとく〉振る舞わせようとすることが,結髪の物語を悲劇とし て構築する落とし穴となるのである。メタシアター的な力を求めることこそが 悲劇構造を作るという,まさに矛盾をはらんだ構造が,『キル』のもうひとつ の悲劇の面白さであり,それが,オーソドックスな悲劇構造を持つテムジンの 物語と一つの作品内で同居しているところに,『キル』という演劇の普遍的な 面白さとして,凡庸ならざる側面が現れていると考えられる。 注 ⑴ 『キル』の初演は NODA・MAP 第一回公演として 1994 年。なお,再演は NODA ・MAP 第四回公演として 1997 年。再再演は NODA・MAP 第 13 回公演として 2007年であり,NODA・MAP で唯一,三回上演されている演目である。(海外 公演や,日本語以外のバージョンでの上演を除く)しかし,その劇構造,演出論 に踏み込んだ本格的な論評・分析はいまだなされていない。 ⑵ 木下順二,加藤周一(対談),「演劇のなかの運命と個人−ギリシャ悲劇を中心 に」,『世界』通号 390,岩波書店,1978 年,260 頁 ⑶ ライオネル・エイベル,『メタシアター』,高橋康也訳,朝日出版社,1980 年,14 頁 ⑷ 木下順二,加藤周一(対談),前掲書,259 頁 ⑸ ライオネル・エイベル,前掲書,252 頁 ⑹ 野田秀樹,「キル」,『解散後全劇作』,新潮社,1998 年,17 頁 ⑺ 同上,18 頁 ⑻ 同上,77−78 頁 ⑼ 同上,76 頁 ⑽ 同上,18 頁 ⑾ 同上,21 頁 ⑿ 同上,30−31 頁 ⒀ ライオネル・エイベル,前掲書,101 頁 140 野田秀樹『キル』にみる二つの悲劇

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⒁ 野田秀樹,前掲書,33 頁 ⒂ 同上,73 頁 ⒃ ライオネル・エイベル,前掲書,127 頁 ⒄ 同上,133 頁 ⒅ 同上,252 頁 ⒆ 野田秀樹,前掲書,31−32 頁 ⒇ 同上,71 頁 同上,31 頁 同上,50 頁 同上,50−51 頁 ──大学院文学研究科博士課程後期課程── 141 野田秀樹『キル』にみる二つの悲劇

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