海老坂武先生を送る
著者
中谷 拓士
雑誌名
年報・フランス研究
号
36
ページ
1-4
発行年
2002-12-25
URL
http://hdl.handle.net/10236/9588
中谷 拓士 阪急芦屋川の駅前 に小 さな書店がある。新刊書の店で も、何 を売るかは本 屋の選択眼 しだいだが、狭い場所 に読みた くなるような本 をいろいろ揃 えて いた。芦屋在住の折 りは、電車 を降 りるとよく立ち寄ったものだ。戦争体験 記で第一回の大宅壮一ノンフィクシ ョン賞 を受賞 された本学高等部の尾川正 三先生の姿 も時々ここで見かけた。 もう何年前 になるのか、海老坂武著 「シングル・ライフ」 という書物 を手 にとつてパ ラパ ラめ くったの もこの書店でのことだった。独身の仏文学者で 料理 もする人、なぜかそれだけで青 白いインテリという印象が頭 にインプッ トされて しまった。だか ら、七年前、 ともに文学部の同僚 となって、四月に は じめて挨拶 をかわ したときには、驚いて しまった。がっしりとした体格、 太 くよく通る声、 こちらの思いこみがいっぺんに吹 き飛んで しまったか らで ある。 さい しょのうちこそ海老坂先生 と言 っていたわた しだが、気がついたら、 いつのまにか「さん」づけで呼んでいた。 どうも「先生」 という呼称が海老 坂 さんを矮小化 して しまう気が したらしい。 ところで、わた しのイメージをくつがえして しまったこの海老坂 さんが、 往年の東京六大学野球の名選手であることを知 ったのはその後の ことであ る。 しか も、その当時の詳細 は、最新刊の「〈戦後 〉が若かった頃
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頂戴 して読んでは じめて知った。そこには長嶋、杉浦、本屋敷 をは じめ、以後の 日本 プロ野球界 を代表する選手たちが勢揃い してお り、海老坂 さんは彼 らと 同 じグラン ドに立 って闘っていたのである。シーズンによっては長嶋茂雄 よ海老坂武先生 を送る りも打率が よかったともい う。 この書物の野球談義がめっぽうお もしろいのは、これが外から見たルポラ イターの手 になるものではないか らである。 もちろん、選手 自身が語る単 に ノスタルジック回想なので もな く、仏文学者の知性が語る青春が、時代の匂 いをともないつつ よみがえって くるからである。 r〈戦後 〉が若かった頃
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読んでいると、データの多 さに感心 して しま う。野球に関 してはもちろんのこと、映画や芝居のプログラムやパ ンフレッ トが きちんと保存 されているのである。それ どころか、当時の 日記やメモの 類がふんだんに出て くる。 どう考えて も整理整頓には無頓着そうな海老坂 さ んだけに、これにもわた しの勝手 な思 い込みはみ ごとに裏切 られて しまっ た。 しか し、卒業論文や修士論文などへの対応からすれば思いあたるふ しも ある。全体 をまるごと把握する見方 と、細部へのこだわ りとが同居 している のである。海老坂 さんにおいては豪快 さと級密 さが表裏 をなしているのだ。 文学 と政治 とスポーツが共存 じうる精神 と肉体がひとつになった存在だとい っていいのである。 食べ物 について も、記憶 とメモの量はすごいが、これは自ら料理 を作 る人 だか らとい うより、海老坂 さんがいわゆる欠食児童の世代 だか らかもしれな い。兄弟が多かったので、食べるのも競争だつたとご本人の口から聞いたこ とがある。いちど芦屋のマ ンシ ョンで仏文の教員が手料理 をごちそうになっ たことがあった。料理について語る言葉 をもたないわた しだが、比喩的に言 わせてもらえば、芯のある味つけだった。 これなら料理 について一家言あつ て も不思議はない と思つた。 さて、七年 とい う年月が流れてお別れの時が来た。けっ して長い とはいえ ない関西学院での生活だった。せめてあ と数年 とい うのは、われわれ誰 しも の思いである。 しか し、海老坂 さんの七年間は、本学にとっては貴重なもの だった。一時期、わた しが大学執行部 にいたときのこと、わた しの机 にはまい にち関西学院 に関す る新 聞の切 り抜 きが コピー されて配布 された。そのな かにしば し│ゴ「関西学院大学教授、海老坂武」 という署名 を目にした。新聞 での広報はきわめて高 くつ く。宣伝記事 な どはめったに打 てない。それゆ え、海老坂 さんのさまざまな記事は関西学院の広報 にとつてはずいぶん大 き な貢献 をしたことになる。あるとき気づいたことだが、名刺 も関西学院製の ものを使 つてお られた。おそらく数多 くの講演会で も、本学の名が使われた にちがいない。大学の広報 にたず さわつたことのあるわた しとしては、この 点で も感謝にたえない。 もちろんフランス文学科ではす ぐれた学生 を育成 された。業績 に見 られる ように数多 くの著作 をものにされ、サル トル研究家 として も名高い海老坂 さ んであれば当然のことである。海老坂 さんに教 えを受けた学部生、大学院生 たちは、その人生にかけがえない時間を持ちえたと思 う。その意味で も、海 老坂 さんは多 くの恵みをフランス文学科 に与えて去 られることになる。 うき世の何丁 目何番地 ひもじい風 につ られて 蚤め もなにか 歌 うらしい あわれ本郷の古 き屋根の下 ポケ ッ トには電車の釣銭が鳴る 海老坂 さんの記憶 に刻 まれたイデオローグとしての谷川雁。 ここでは詩人 としての彼の詩 を引用する。「本郷」 とい う詩の冒頭である。海老坂 さんよ りも十あまり年上の詩人だが、時代のスピー ドはいまほど速 くない。おそ ら く海老坂 さんも、こんな本郷 を青春の生活風景 として くぐり抜けて、学生か ら教師への道を歩んで来 られた気がする。野球 とフランス文学 と政治、そ し てシャンソン。そんな本郷の季節か ら研究者の道へ、そ して本学でのご退
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海老坂武先生 を送る職。 もう教壇には立たれない とのこと。沖縄での生活 も視野 に入れてお られ るとか。フランス文学科全員の感謝をこめて、海老坂 さんのあたらしい生活 への出発を心 より祝福 しつつお送 りしたい。