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ケニアからみたソマリア問題 (特集 不安定化する「サヘル・アフリカ」)

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ケニアからみたソマリア問題 (特集 不安定化する

「サヘル・アフリカ」)

著者

津田 みわ

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

205

ページ

30-32

発行年

2012-10

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00003855

(2)

  二〇一一年一〇月半ば、ケニア は国軍によるソマリア領内への越 境攻撃を開始した。攻撃の目標は ﹁アッシャバーブ ︵ Al-Shabaab ︶ の掃討﹂とされた。反ソマリア暫 定連邦政府側の武装勢力である アッシャバーブはこれに対抗し 、 ケニアへの報復を宣言した。 以後、 今年にかけて、ケニア国内ではテ ロとみられる小規模な爆弾事件が 相次いでいる 。以下 、本稿では 、 越境攻撃の背景となったケニア北 東部の治安悪化を振り返り、その 後激増した爆弾事件の特徴を整理 する。ケニアではただし、 この ﹁越 境攻撃﹂ ﹁爆弾事件の激増﹂は政 治問題化せず、これまでのところ 周縁的なものにとどまっている 。 最後にその背景を分析し展望を述 べたい。

ケニア北東部の治安悪化

  近年のケニアでは、ソマリア由 来の﹁海賊﹂によって、とくに沿 岸州の治安が悪化している ︵﹁ 海 賊﹂については本特集遠藤論文を 参照︶ 。加えて二〇一一年には 、 歴史的な旱 魃 がアフリカ大陸東部 で発生した。これにソマリア国内 の治安の悪さが加わって、ケニア 側に大量のソマリア人難民が流入 する事態になっている。ソマリア に近いケニア北東部州の難民収容 施設︵ダダーブ難民キャンプ︶へ の流入数は、二〇一一年には毎日 平均で一三〇〇人に膨れ上がり 、 キャンプは約四〇万人を収容する に至った。 これは首都ナイロビ ︵人 口約三〇〇万人︶ 、沿岸州のモン バサ︵同、 九〇万人︶に続く、 ﹁ 第 三の都市﹂の規模であり、ケニア 側の負担は重い 。ダダーブ難民 キャンプは、このほか武器流入問 題も抱えている。また、キャンプ 内の食糧事情が国際援助などによ り比較的安定しているのに対し て、キャンプ周辺に住むケニア人 住民は食糧不足に苦しむなど、双 方の軋轢が頻繁に報告される︵参 考文献① 、 ②︶ 。ソマリアの治安 悪化は、近年ケニアの国内問題と なりつつある。   加え て 二 〇 一 一 年 二 月 、 ア ッ シ ャ バー ブ は ﹁ ソ マ リ ア 暫 定 連 邦 政 府 を支援する ケ ニ ア に 対 し テ ロ 攻 撃 を行う ﹂ と宣 言 し た 。 それ が 実 行 に移された か の よ う に 発 生 した の が、 連 続 外 国 人 誘 拐 事 件 で あ っ た ︵年表 参 照︶ 。 冒 頭 で 述 べ た ケ ニ ア 軍による 越 境 攻 撃 は 、 そ の 連 続 誘 拐事件 が 発生 し た 直後 の タ イ ミ ン グで 開 始 さ れ た も の で あ っ た 。 初 期段階 か ら ソ マ リ ア暫定連邦政府 の 合 意を得た こ の 作戦 で は 、 ケ ニ ア 軍 約二 〇〇〇 人 が ソ マ リア 暫 定 連邦政府側諸勢力 と 共 同 し つ つ 、 ソマ リ ア 南 部 の 地 方 都 市 を 徐 々 に 支配下 に治め 、 二 〇 一 二 年九月 の 時点 で は 枢軸都市 の ひ と つ ア フ マ ドゥを 過 ぎ 、 ア ッ シ ャ バ ー ブの 最 重要 拠 点 とされるキ ス マ ヨ に向 かって 掃 討 作 戦 を 展 開 し つ つ あ る 。 なお 、 二 〇 一 二 年 六月からは 、 ケ ニア 陸 軍 は ア フ リ カ 連 合 ソ マ リ ア ・ ミ ッ シ ョ ン AMISOM に 正 式 合 流し て現 在 に 至 っ て い る。

ケニア国内での爆弾事件激増   前述したように、このケニアの 越境攻撃開始に対して、翌二〇一 一年一〇月、アッシャバーブ側は 報復を宣言した。以後、ケニアの ナイロビ、北東部州の主要都市と ダダーブ難民キャンプ、沿岸州の ソマリ ミジケンダ カンバ カレンジン キクユ ルイヤ ルオ 南スーダン ウガンダ エチオピア タンザニア ソマリア モガディシュ 北東部州 沿岸州 東部州 中央州 ニャンザ州 西部州 リフトバレー州 ダダーブ 難民キャンプ アフマドゥ キスム キスマヨ ガリッサ ナイロビ ラム モンバサ タンザニア ニャンザ州:州名 メル  : 国名 : 民族名 ケニアの州、地名、および主要民族の主な居住地域 (出所)筆者作成。

特 集

不安定化する

「サヘル・アフリカ」

ケニ

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モンバサで、小規模な爆弾事件が 連続して発生し、テロとの関連が 強く疑われている。   振り返るとケニアでは、一九六 三年の独立からこの二〇一一年の 越境攻撃開始までの期間では爆弾 事件はむしろ珍しく、五〇年弱で 一〇件程度にとどまっていた。こ れに対して一〇月の越境攻撃から 二〇一二年七月末までの一年にも 満たない期間で、すでに二〇件以 上の爆弾事件が起こっており、そ の激増ぶりは明らかである。   数だけではなく、質にも変化が みられる。これまでの爆弾事件で は、世界のイスラーム主義運動に 巻き込まれた形、すなわち、ター ゲットにされたとみられるイスラ エル人、アメリカ人に対する事件 に巻き込まれて、ケニア人に大き な被害が出るというパターンが あった ︵年表参照︶ 。こうした ﹁ま きこまれ﹂型とは異なり、二〇一 一年の越境攻撃以後の爆弾事件 は 、都市部の下町を中心とする 、 基本的に外国人観光客が少ない場 所で発生している。ケニア国民は ﹁ ま き こ ま れ ﹂ て い る の で な く ﹁ターゲット﹂そのものになった とみてよい。

ケニアにおけるソマリア問

題の周縁性

  ただし、こうした数の変化、質 の変化をよそに、ケニアにおける ソマリア由来の問題︵以下、ソマ リア問題︶は、二〇一一年来ほと んど政治問題をひきおこすことな く、もっぱら治安問題として処理 されている。ケニア政府側は、越 境攻撃とあわせ、①二〇一二年度 の軍事 ・ 治安関連の予算額増大 ︵二 〇一一年の一・五倍。日本円で約 八三〇億円︶ 、②北東部州の警察 官増員計画、③ソマリ系ケニア人 を国防大臣に留任させる一方で新 たに治安担当国務大臣代行も兼務 させるという人事措置など、様々 な対策を打ち出してきた。ソマリ 系ケニア人は、ソマリア人と民族 語︵ソマリ語︶を共有する。右に 挙げた人事措置は、ソマリ語を母 語とするアッシャバーブ取り締ま りへの奏功が期待されるものであ る一方で 、﹁テロ容疑者﹂とされ がちなソマリ系ケニア人の社会的 取り込みの効果も期待できる、両 にらみの方策とみてよい。   ソマリア問題が治安問題として 処理され、ケニア国内での大きな 論争点となってこない 、歴史的 、 経済的 、そして社会的な背景は 、 次のように整理できる。   一九九〇年代以後のケニアでは ほぼ順調に複数政党制化が進んで きたが、二〇〇七年総選挙で不正 疑惑があり、現職のキバキ大統領 を再選とした﹁結果﹂を不服とし て全国で暴動が発生した。これと あわせ、キバキ大統領が帰属する キクユという民族に属する人びと を標的とする組織的な襲撃事件 が、とくに農村部を中心に多発し た。翌二〇〇八年にかけて死者は 一〇〇〇人を越え、数十万人が国 内避難民と化した。ケニア初の大 規模な国内紛争であった ︵以下 、 ﹁二〇〇七/八年紛争﹂ ︶。   紛争は国際調停が入らねば終わ らず、二〇〇八年に調停による連 立政権が発足して現在に至ってい る。二〇一〇年にはその調停での 合意を反映して抜本的な新憲法が 制定されたが、その内容を完全に 政治体制に反映するのは、来年二 〇一三年三月までに実施すること になっている、次回総選挙の結果 を経てからである。   また、この﹁二〇〇七/八年紛 争﹂については、国際刑事裁判所 ︵ICC︶が 、現職の副首相ら四 人を ﹁人道に対する罪を首謀した﹂ として裁判にかけることをすでに 決定している。しかもこの四人の うち二人が、次回大統領選挙の有 力候補であり 、﹁ 被告﹂の立候補 ケニアにおけるソマリア問題:関連主要事項年表 1963 ケニア独立。旧宗主国はイギリス 1963-67 ケニア北東部で、分離独立を求めるソマリ系ケニ ア人が分離独立運動を展開 1980 ナイロビのノーフォーク・ホテルで爆弾事件が発 生。20人が死亡、80人が負傷 1998 ナイロビのアメリカ大使館が手榴弾と爆弾で攻撃 される。隣接するビルが倒壊する。250人以上が死 亡(うちアメリカ人12人)。5000人以上が負傷(う ちアメリカ人13人) 2002 モンバサの観光ホテルで爆弾事件が発生。15人が 死亡(うちイスラエル人観光客3人)。同時にイス ラエル民間航空機に対する撃墜未遂事件が発生 2011.2. アッシャバーブ広報官が「ソマリア暫定連邦政府 を支援するケニアにテロ攻撃を行う」旨を宣言 2011.9.11 ラム県で、リゾートホテル滞在中のイギリス人夫 妻が襲撃される。犯人は、金品強奪の上、夫を射殺。 妻を誘拐しソマリア側へ連れ去った 2011.10.1 ラム県で、リゾート地に立地する自宅からフラン ス人女性が武装集団に誘拐され、ソマリア側へ連 れ去られる。女性は拘束中に死亡 2011.10.13 ダダーブ難民キャンプにおいて、国際NGO「国境 なき医師団」で働く外国人援助従事者の乗った車 が襲撃され、スペイン人2人が誘拐される 2011.10.半ば ケニア軍がアッシャバーブ掃討のためソマリア領 内 に 越 境 攻 撃 を 開 始( 国 防 作 戦Operation Linda Nchi)。防衛相による攻撃開始予告は15日 2011.10.17 アッシャバーブ広報官が、報復のためのテロ攻撃 を行う旨を宣言。「ケニアの高層ビルは破壊され、 観光は消滅することになる」などと述べる 2011.10.24 ナイロビのクラブで手榴弾が爆発し、14人負傷。 同日、ナイロビのバス停で手榴弾が爆発し、2人死 亡。同じナイロビの中心街近くのバーでも手榴弾 が爆発し、数人が負傷 2011.10 ∼2012.8 ナイロビ、モンバサ、北東部州の主要都市とダダー ブ難民キャンプにおいて、小規模な爆弾事件が多 発。主な発生場所は、飲食店、タクシー・バス乗 り場、教会、警察署など治安維持施設 2012.6.2 ケニアが、ケニア軍のアフリカ連合ソマリア・ミッ ションAMISOMへの合流を記した覚書に署名 (出所)筆者作成。

ケニアからみたソマリア問題

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が法的に可能であるのかどうかを 含め、 その行方が注目されている。   つまり、現在のケニアは、この 紛争後初の総選挙実施の直前、と いう局面にある。紛争後の和解と 国家建設という、ケニアの歴史始 まって以来の重要イシューを前 に、ソマリア問題は早期対処すべ き治安問題ではあっても、そこに 政治的対立が入り込むには至って いないのが現状だと整理できるだ ろう。もちろん、爆弾事件のため に次回総選挙実施が危ぶまれるよ うなことがあれば大変な問題にな る。しかし、事件の続発が総選挙 実施の阻害要因になるという議論 も、現在のところ見受けられない し、ソマリア問題は、総選挙の争 点にもなっていない ︵参考文献 ②︶ 。   これとあわせ、ソマリア問題の 周縁化をもたらしている経済、社 会的背景としては、第一に、ケニ アの北東部州が農耕に不利な乾燥 地域に位置するため、相対的な経 済的重要性が低いという点があろ う︵結果、 北 東部州の全選挙区で、 貧困者の人口は五割を上回る。ケ ニアには八州あるが、すべての選 挙区で貧困者人口が半数を超える のは、北東部州のみである[参考 文献③] ︶。   第二に、ソマリ系ケニア人の人 口規模も、ケニア総人口︵約三八 〇〇万人︶ の六% ︵約二四〇万人︶ という、数の上での周縁性もある ︵キクユなど五大民族で人口の六 割強を占める︶ 。加えて 、前述し たように大臣に登用されるような ソマリ系ケニア人の層がある一方 で 、アッシャバーブによるリク ルートのターゲットになるような 貧困な青年層があり、ソマリ系ケ ニア人の内部もまた鋭く分断され ている。   第三に、ケニアでは、全国でク リスチャンが八三%にのぼる一方 でムスリムは一一%︵約四三〇万 人︶と少数派のうえ、 その半分が、 ソマリ系ケニア人ではない 4 4 人びと であり、一体性も低い。実はケニ アでは 、この ﹁ソマリ系でない 4 4 4 ﹂ ムスリムを多く含む、沿岸州住民 の扱いが、むしろ大きな政治問題 と化しつつある。沿岸州では、 ﹁モ ンバサ共和制評議会﹂ ︵MRC︶ という団体が分離独立運動を現在 率いており 、次回総選挙のボイ コットを宣言しているほか、ケニ ア政府による非合法化措置を不服 として、その解除および沿岸地域 独立を問う住民投票実施を求め 、 訴訟を起こしている。政府は、非 合法化は取り下げないとしつつ も、首相、副大統領らがこぞって 対話姿勢を表明し、懐柔をはかる 姿勢をみせている。

●今後みるべきポイント

  多様な背景を前に周縁化してい るソマリア問題であるが、今後み るべきポイントのひとつは、おそ らくこのMRCのような分離独立 が掲げられるかどうかであろう 。 ソマリ系ケニア人の間では、一九 六〇年代に一度 、﹁大ソマリア主 義﹂にもとづいた分離独立運動が 展開され、総選挙のボイコットも 行われた 。﹁大ソマリア﹂とは 、 ソマリアにケニア、ジブチ、エチ オピアのソマリ系居住地域を加え た領域概念である。ケニア政府側 は 、当時これを徹底的に弾圧し 、 運動は一九六〇年代のうちに終息 を余儀なくされた 。この ﹁平定﹂ 過程では、多数の死傷者と多くの 人権侵害があったといわれ、今も 調査が続いている。もしソマリ系 ケニア人の間で再び﹁大ソマリア 主義、分離独立﹂の動きが出るよ うなことがあれば、周縁性を特徴 としてきた﹁ケニアからみたソマ リア問題﹂は一挙にケニアの中心 的政治問題になりうる。   これまでのところ、ソマリ系ケ ニア人のなかに ﹁大ソマリア主義、 分離独立﹂の動き有りという情報 はみあたらないが、アッシャバー ブが﹁大ソマリア主義﹂を唱えて いるという報告もある。現状では 治安問題として処理されているソ マリア問題だが、ケニアとソマリ ア両国の国家建設の進捗、世界の イスラーム主義運動の動向のなか で、その性質も位置づけも大きく 変わりうるものであり、今後の行 方が引き続き注目される。 ︵つだ   みわ/アジア経済研究所ア フリカ研究グループ︶ ︽参考文献︾ ① W arner , Lesley Anne 2012. ‘In Somalia, K e n ya Risks Death by a Thousand Cuts ’, , 3(3). ② 紙各号。次回総選挙 実施の遅れの可能性を技術面から 指摘した記事としては 、たとえば 以 下 を 参 照。 Namunane, Ber -nard and Isaac Ong iri, ‘Fresh row over Sh3.9bn voter kits ’, 31 July 2012, ③ Central Bureau of Statistics 2005. , Government Printer .

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参照

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