台湾における英文ジャーナル論文中心主義の興隆と
その影響 -- 「日本留学組」の苦悩 (特集「英語の
世紀」の地域研究)
著者
劉 仁傑
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
178
ページ
14-17
発行年
2010-07
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00004461
本
留
学
組
﹂
を
と
り
ま
く
の 歴 史 は 長 い。 「 台 湾 の 教 われている。さらに二〇〇三年秋 に台湾の学界をゆるがすある出来 事が起きてからは、英文ジャーナ ル論文中心主義の傾向が顕著にな り、日本留学組は昇進や研究資金 の獲得のうえで非常に不利な状況 に置かれるようになっている。●英
文
ジ
ャ
ー
ナ
ル
論
文
中
心
主
義の台頭
理工系の研究領域では、言語の 壁が低いため、研究水準を評価す る 基 準 が 国 際 的 に 共 有 さ れ や す く、業績をはかる適切な尺度をめ ぐってのコンセンサスがほぼ確立 している。二〇〇〇年頃から、台 湾では、政府の教育部による大学 の評価づけ( 「大学評鑑」 )に際し て、 ク ロ ー バ ル 化 の 風 潮 を 受 け、 理工系をモデルとして、研究者に 対する規律付けを厳しくしていく べきだという主張が出始めた。 その先頭を走っているのが、台 湾学術界の頂点にある中央研究院 である。二〇〇一年に客員研究員 として中央研究院社会学研究所に 在籍していた佐藤幸人氏は、一定 期間内にある本数以上の学術雑誌 への掲載論文を書かなければいけ ないこと、その際の評価の対象は I S I( Inst itute for Scient ific Informat ion ) の SSCI ( Social Science Citat
ion Index ) 対象ジャーナル等の格付けの高い 雑誌に掲載された論文に限られる こと、この条件を満たさない場合 には、最悪、解雇されることもあ り得るが、他方で条件を超過達成 した場合には、昇給などのインセ ンティブが与えられることなどを 指 摘 し て い る( 参 考 文 献 ① )。 こ の当時は、少なくとも社会科学の 分野においてこのようなシステム を採るところは、中央研究院以外 にはほとんどなかった。しかしそ の後、グローバル化の潮流や学術 研究の促進を目的として、こうし た方向性を提唱する声が強まった (参考文献②) 。 二〇〇三年一〇月二〇日に、教 育 部 は、 台 湾 の 各 大 学 の S C I ( Science Citat ion Index )、 S S C I 、 EI ( Eng ineering Index )に よる論文総数のランキングを公表 した。その際、英語での成果発表 が定着している理工系の業績を S CI と EI の論文数で評価すると ともに、社会科学分野についても SSCI の対象ジャーナルの掲載 論文数のみで評価した結果を発表 したため、文系の学部の評価は軒 並み低いものとなり、特に文科系 や社会科学系のトップ大学の一つ である政治大学は、業績数が少な いという批判にさらされ、大きな ダメージを受けた。学界では、使 用言語をめぐる状況が大きく異な る理工系と社会科学系を同一指標 で 単 純 に 評 価 す る こ と に 対 し て、 批判の声があがった。政治大学の 関係者が、デモまで行って教育部 へ抗議をする騒ぎとなり、この件 は台湾の学界に大きな衝撃を与え た(参考文献③) 。 結果的に、教育部は、理工系と 社会科学系を同一視することにつ い て の 誤 り を 認 め た が、 S C I 、S SCI と EI の論文総数を重視す ることは国際化のルールを守るた めであり、その方針自体に間違い はないと主張した (参考文献④) 。 これまでの経緯を振返ってみる と、二〇〇三年のこの事件が、台
に
お
け
る
英文ジ
ャ
ー
ナ
ル
論文中
心主義
の
と
そ
の
影響
―﹁
日本留学組
﹂の
苦悩―
劉
仁
傑
台湾における英文ジャーナル論文中心主義の興隆とその影響
―「日本留学組」の苦悩― 湾の学界が英文ジャーナル論文一 辺倒に向かうきっかけになったと 思 わ れ る。 大 学 の ラ ン キ ン グ が、 英文の著名ジャーナルの掲載数で 測られるようになったため、台湾 の 大 学 で は、 S C I 、 S S C I や EI へ論文を一本掲載すれば数万 から十数万の台湾ドルの奨励金を 出すというシステムが広く採用さ れるようになった。また、その後 五年間、こうしたランキングへの 貢献度が高い一〇〇人程度の学者 が台湾大学や政治大学などの名門 校に引き抜かれた。 このような英文論文中心主義が もたらした影響は、大学間の競争 だけに止まらず、台湾の学術研究 の発展にまで及んでいる。さらに は、個々の研究者の日々の研究の あり方にまでも、英文ジャーナル 中心主義の影響が深く浸透するよ うになっている。以下では、これ がもたらした三つの影響や反応を 見る。●
中
国
語
ジ
ャ
ー
ナ
ル
論
文
の
格
付けの試み
まず、前述のような英文ジャー ナル中心主義的な制度がもたらす 弊害をめぐる議論と、その是正の 試みをとりあげたい。 ISI 中心 主義の弊害については、台湾でも 活 発 に 議 論 さ れ て い る。 例 え ば、 米国の関心に沿った研究ばかりが 行われるようになること、研究者 が自国の切実な問題に無関心とな ることなどが指摘されており、現 在の評価制度は「米国主流の学界 版 『委託加工』 をもたらすものだ」 と い う 批 判 が 盛 ん に な っ て い る。 そ の 是 正 の た め の 行 動 の 一 つ に、 台 湾 版 So cial Science Citat ion Index ( TS S C I ) データーベー スの構築の動きが挙げられる。 T S S C I で は、 引 用 件 数 に よ っ て 格 が 決 ま る と い う S S C I の格付け原理を使って、台湾内の 学術研究誌の格付けを行う。台湾 の内閣に所属する「国家科学委員 会」 (「国科会」と略称)は社会科 学研究センター(社科中心)に委 託 し、 一 九 九 九 年 に T S S C I データーベースの構築を始め、二 〇〇二年に初期的な結果を公表し た。これは、台湾国内における社 会科学関連文献の影響力と研究者 の研究業績の指標として使われて いる。 国科会は人文社会科学を、人類 学、社会学、教育学、心理学、法 学、政治学、経済学、経営学、地 域研究と地理学の九分野に分けて いる。日本経営関連学会協議会 S S C I 問 題 委 員 会 の 嘱 託 で、 筆 者 と張書文氏が行った調査 (未公表) によれば、 二〇〇九年一二月現在、 経営学関連の分野で、台湾で発行 さ れ て い る 論 文 誌 は 約 八 六 種 あ る。 そ の 中 で T S S C I 文 献 に 認 定 さ れ た 論 文 誌 は 一 四 種 類 で あ り 、 全 体 の 一 六 ・ 三 % を 占 め て い る 。 大学等が研究者の業績を評価す る に あ た り、 T S S C I ジ ャ ー ナ ル へ の 掲 載 論 文 の 格 を S S C I ジャーナル掲載論文に対してどの ように位置付けているかは様々で あり、その運用は評価する組織が 決めているようである。 要するに、 米国の単一基準だけによらず、台 湾で分野や組織が重要と考えるな らば、その研究は一定程度、評価 されるわけである。こうした取り 組みによって、ジャーナルの統合 や廃止の動きが起こったり、ロー カ ル な 産 業 や 社 会 に 関 す る 研 究 (「 本 土 研 究 」) が 維 持 さ れ た り し ている。 T S S C I の デ ー タ ー ベ ー ス は、作られた当初はさほど注目さ れていなかった。しかし、前述の 二〇〇三年の事件以降、これがラ ンキングのベースの一つとして扱 わ れ る 可 能 性 が 出 て き た こ と か ら、研究者の関心を集めるように な っ て い る。 一 方 で、 T S S C I による業績評価を重視するレベル はさまざまであり、 認めはしても、 S S C I に 比 べ て 一 段 低 く 評 価 す るケースが多い。また、後にも触 れ る が、T S S C I を あ ま り 相 手 としていない大学や学部もある。●
科
研
費
の
獲
得
に
お
け
る
日
本
留学組の不利な環境
台湾では教育行政を担当する教 育部と、科学を振興する国科会が 組織的に分かれており、後者が科 研費の提供を通じて学術研究の振 興を行っている。また、科研費以 外にも、業績が優れた研究者に研 究資金を付加的に支給したり、業 績に応じて研究を奨励したりする システムも採っている。また、国 科会の審査を通ったプロジェクト の数が大学や学部の評価やランキ ングを左右する。 このように科研費の取得は研究 者にとってはきわめて重要である が、科研費の獲得にあたって、 T S S C I で の 業 績 は、 S S C I に 比べて一段低く評価されているよ うである。 私が属している経営学の分野で は、 約 七 割 の 研 究 者 が 毎 年 プ ロ ジ ェ ク ト の 申 請 書 を 提 出 し て い る。そのうち、五割弱が通過する そうである。その審査は二人のレ フェリーによって行われ、過去五 年間の研究業績とプロジェクトの 内容を中心として点数が決められ る。二〇〇〇年まではレフェリー による評価が中心であったが、二 〇〇〇年以降は審査にあたっての 評価ルールが設けられるようにな り、特に二〇〇五年以降は、 IS I のインパクトファクター、 TS心 と し て 格 付 け さ れ た 1のよ 」一本以上、 」 以上二本、 「一級 (中 表 さ れ て い る (参考文献⑤) 。 研究業績評価 の ウ ェ イ ト は、 プロジェクトの 評価にあたって 五割を占めるた め、定められた ジャーナルリス トに掲載論文を 有さない学者は 科研費をほぼ得 られない状況に なっている。特 に、このジャー ナルリストには日本語の学術雑誌 が入っていないため、日本留学組 はきわめて不利な状況におかれて い る。 『 日 本 経 営 学 会 誌 』 や『 組 織科学』といった日本で最高レベ ルのジャーナルに成果を発表した 実 績 を 持 っ て い る 研 究 者 の プ ロ ジェクト申請に対しても、レフェ リーがこれらの雑誌を知っている かどうか、あるいは提案者が行う 自己の業績に関する具体的な説明 をレフェリーが認めるかどうかで 評価が決まるわけであり、有利な 評 価 は あ ま り 期 待 さ れ な い だ ろ う 。 このような評価のあり方がもた ら し て い る 影 響 を 確 認 す る た め、 日本留学組が在籍している経営学 関連の三一大学五二学科について の 最 近 三 年 間 の デ ー タ を 集 め た (表 2)。調査の対象は日本を本拠 地とした工業経営研究学会国際大 会準備委員会の資料によるもので ある。ちなみに この会議は二〇 一〇年八月に台 中で開催される 予定で、日本留 学組の経営学関 連の学者との連 絡 を 強 め て い る。 こ れ に よ れ ば、日本留学組 は全スタッフの 八・八 % を占めている。年平均の 科 研 費 獲 得 率 は 〇・ 二 三 で あ り、 全 学 者 の 平 均 獲 得 率( 〇・ 三 七 ) や非日本留学組(〇・三八)に比 べ て は る か に 低 い こ と が 分 か っ た。日本に留学し、日本の学術雑 誌 に 成 果 を 発 表 し て き た 研 究 者 が、 二 〇 〇 〇 年 代 以 降 の 英 文 ジャーナル論文中心主義の最大の 犠牲者になっていると思われる。
●
研 究 者 の キ ャ リ ア 形 成 へ の 影 響― 日本留学組B氏 の ケ ー ス 台湾の大学教師は講師、助理教 授、 副 教 授、 教 授 に 分 け ら れ る。 博 士 号 を 取 得 し た 若 手 研 究 者 は、 一般的に、採用されるとまず助理 教授になる。 台湾では、 英文ジャー ナル論文中心主義への傾斜とほぼ 同じ時期に、大学教員の雇用、昇 進に関する評価システムにもポイ ント制が導入された。新しく職を 得た学者については、六〜八年の 間に内部で昇進できない場合には 解雇するシステムを導入する大学 も多くなっている。台湾の大学法 では以前から評価システムをつく るべきむねを規定しており(大学 法 第 二 十 一 条 )、 ポ イ ン ト 制 の 導 入に従って、その重要性が一斉に 高まっている。 こうしたポイント制の詳細は内 部資料として扱われているが、本 稿の執筆のため、関係者の協力を 得て三大学の学科の詳細な資料を 集めた。各大学とも共通するとこ ろ が 多 い た め、 そ の 一 例 と し て、 A学科とここに在籍している B 氏 のケースを紹介する。 A学科は理工系の学部で有名な 大学にある経営学科である。この 学科では、二〇〇三年頃に昇進な ど に 関 し て 詳 細 な 規 定 を 作 っ た。 入手したのはその最新版(二〇〇 八年六月)であり、昇進に関する 規 定 を 表 3と し て ま と め て い る。 一級(中文) 9 管理學報 (出所)http://www.nsc.gov.tw/hum. 表2 2007―2009年科研費の獲得率 申請者の類型 人数 申請件数(3年計) (件/人・年)獲得率 日本留学組 57 39 0.23 非日本留学組 589 671 0.38 合計 646 710 0.37 (出所)31大学52学科の名簿と国科会の検索により筆者作成。 表3 A学科の昇進に関する規定 研究成果の掲載誌 ポイント数 研究成果に関する基本要求 ISI impact factor 1.0以上 81. 過去5年間の業績を評価の対象とし、教授12ポ イント、副教授8ポイト、代表作はISI 1本以 上を含むなどが申請の最低条件であること。 2. 共著の計算数式 [(N-K+1)/(1+2+3…+N)]×100% N:共著者数 K:申請者の順 (記:指導された学生は共著者数として計算さ れない。)
ISI impact factor 0.6-1未満 5 ISI impact factor 0.4-0.6未満 4 ISI impact factor 0.2-0.4未満 3 そ の 他 のISI、ABI、Econ Lit、 FLI、Westlaw、ILP、EI、TSSC 2 その他の教授会で決められ
た学術誌 1