Title
沖縄県伊平屋島におけるブルーツーリズム型観光地の形
成
Author(s)
福薗, 宜子
Citation
史料編集室紀要(27): 187-208
Issue Date
2002-03-26
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/7703
Rights
沖縄県教育委員会
史 料 編 集 室 紀 要 第27号 (2002)
沖縄県伊平屋島におけるブルーツー リズム型観光地の形成
福薗
宜子
Ⅰ は じめに Ⅳ 「ソフ トな観光化」が地域に及ぼす影響 Ⅲ 「新 しい観光」 としてのブルーツー リズム Ⅴ ブルーツー リズム型観光地の形成要因 Ⅲ 伊平屋島におけるブルーツー リズムの実態Ⅵ
おわ りにⅠ
は じめに
1) 近年 、新 しい観 光 の考 え方 として注 目され てい る旅行形態 に、エ コツー リズムがあ る。 エ コツー リズム を直訳すれ ば 「環境観 光」 で あ り、 「環境 にや さ しい観 光」 とも表現 され る。 沖縄 県 内におい ては西表 島がエ コツー リズムの先進地域 として知 られ てお り、観 光業 関係者 は もちろん、地域振興 の観 点か らは 自治体や地域住民か らも高 い関心 を集 めてい る。 あ る種 ブー ムの よ うに捉 え られ がちなェ コツー リズムであるが、その文脈 で捉 え られ なが らも他 とは異 な る形 態 を もってい るのが、伊 平屋 島 「海 の学校」 にお けるブル ー ツー リズ 2) 3) ム で ある。 「海 の学校 」 の特色 は、漁業者 が主体的 に遊漁 に関わ り、漁 業 と遊 漁 の共存 共栄 を 目指 しなが ら、漁村 の活性化 を も視野 に入れ た取 り組み を行 なってい る点 にある。 また、ダイ ビングに代表 され るよ うな沿岸域 にお ける観 光活動 をめ ぐ り、ダイバー と漁業 者 の間で トラブル が発生す るな ど、 これ まで対立構造 として捉 え られ る ことの多かった漁 業 と観 光業 が結 びつ いた事例 として も注 目され てい る。本論 では この、伊平屋 島にお ける 「海 の学校」 の取 り組み を研 究対象 として取 り上 げ る。FUKUZONOYoslliko:TheDevelopmentof"BlueTourism"inIheyaIsland,Okinawa.
1)渡久地 (2000)によれば、エコツー リズムとは 「エコロジー (生態学)とツー リズム (観光)が 合成 された言葉」である。また、山極 (1996)は 『観光人類学』のなかで、「原初的な体験学習 を志向する、最も人間的な観光」 と述べている。 2)沖縄県漁港講習会 (2000年2月)資料には、「ブルーツー リズムとは、マ リンツー リズムに一次産 業の漁業が加えられた漁村滞在型観光を意味する。 日本的な造語で、英語にはない。農林業の代 表カラーは植物のグリーン (緑色)。漁業の代表カラーは海の (青色)。このブルーからブルーツ ー リズムとい うネー ミングが生まれた。」 とある。 3)伊平屋漁協では、観光漁業を指 して遊漁 と呼んでいる。
史 料 編 集 室 紀 要 第27号 (2002) 沖縄県 にお ける観光地理学的研究 としては、中山 (1986)による与論 島にお ける研究 を は じめい くつかの先行研 究があるが、それ らは リゾー ト型、あるいは民宿 ・ダイ ビング型 の観光地 を対象 とした ものであ り、エ コツー リズム型 の 「ソフ トな観光化」 による観光地 の形成過程や地域へのイ ンパ ク トを扱 った研究は少ない。 そ こで本稿 では、沖縄県の島喚地域 における観光地理学的研究の蓄積 のひ とつ となるこ とを 目指 して、 「ソフ トな観 光化 」である伊平屋 島 「海 の学校」 にお けるブルー ツー リズ ムを研究対象 とし、第1にブルー ツー リズム型観光地の形成過程 を捉 え、形成の要因を分 析す ること、第2にブルー ツー リズム型 の観光化 による地域-の影響 を明 らかにす ること を 目的 とす る。 上記 の 目的 を達成す るための方 法 と し て 、は じめ に対象 地域 とな る伊 平屋 島の 自然 的 ・社会 的条 件 を概観 し、つ ぎにブ ル ー ツ- リズムを提供 す る 「海 の学校 」 が 開設 され た経緯 を明 らか に しなが ら、 開設 に必要 な要素 を とらえ る。 また、ブ ル ー ツー リズム型 の観 光化 に よる地域 -の影響 を、観 光産 業従事者 、漁 業者 、行 政 官 、地域住 民へ の面接 。聞 き取 り調査 によって とらえ、ブルー ツー リズム型 の 粟国島 (フ 久米島 Q 渡名喜孟 座間味島 GOooet/渡比敷島 葺 : I,〝 ] 早 . c l
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図1 研 究 対 象 地 域 「ソフ トな観 光化」が地域 に どの よ うな影響 を及ぼすのかを明 らかにす る。Ⅱ
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新 しい観光」としてのブルーツー リズム
1.エコツ- リズムの定義 自然環境-の関心の高ま りや観 光客の志 向 ・余暇活動の多様化 な どを背景 とし、近年 は さま ざまな場面でエ コツー リズム とい う言葉が用い られてい る。世界遺産委員会 をは じめ、 日本 自然保護協会 も定義づ けを行 ってい るが、各機関によって若干の違いがあ り、渡久地 (2000,p。55)は 「比較的新 しい用語 であるエ コツー リズムに関 して広 く共有 された定義 はな く、使用す る人によって内容 に幅があるとい うのが現状である」 と述べてい る。 日本 自然保護協会では、 「旅行者 が、生態系や地域文化 に悪影響 を及 ぼす ことな く、 自 然環境 を理解 し、鑑賞 し、楽 しむ ことができるよ う、環境 に配慮 した施設 お よび環境教育 が提供 され、地域 の 自然 と文化 の保護 ・地域経済に貢献す ることを 目的 とした旅行形態」 と定義づ けてい る。 ここでは、マス ・ツー リズム とほぼ同義の 「ハー ドツー リズム」に対す る 「ソフ トツー史 料 編集 室 紀 要 第27号 (2002) リズム」 とい う概念 を用いて、エ コツー リズムやブルー ツー リズムな どの新 しい観光の考 え方 を指す用語 の定義 を整理 したい。ハー ドツー リズム とは、人工的な大型 の施設 を利用 して休養 ・保養す る観光 を指 し、 リゾー ト型の観光が これ にあたる。一方 ソフ トツ- リズ ムは地域的なフ レーム ワー クのなかで計画 。運営 を し、意思決定に住民が参加 し、経済的 側面だけでは図れ ない地域文化 の育成や景観 の良い未 開発地域 の保全な どを視野 に入れた 取 り組み を行 う観光 を指す。 本稿 で対象 とす る 「海 の学校」の事業は、地域住民が主体性 をもって関わっている点や、 自然環境 に対 して低イ ンパ ク トの観光である点な どか らソフ トツー リズム的性格 をもって い る。 「海 の学校」では学校 の開設 当時か ら、他 と区別す る意味をこめて、 「海 の学校」で 行 われ る観光 をェ コツー リズムではな くブルーツー リズム と呼んでい る。 当時は耳慣れな い言葉であったブルー ツー リズム も次第 に知 られ るよ うにな り、現在では国土交通省 で も 漁村の活性化 を促す方策 としてブルー ツー リズムを紹介 している。 「ブルー ・ツー リズ ム とは、島や沿海部 の漁村 に滞在 し、 魅力的で充実 した海辺 での 生活体験 を通 じて、 心 と体 を リフ レッシュさせ る余暇活動 の総称。 海辺 の資源 を活用 し たマ リン レジャーや漁業体験 、 トレッキングな ど様 々な体験 メニュー を来訪者 自らが選 択 し、 オ リジナルの ツー リズムを創 り上げてい くことができる。」 上記のよ うにエ コツー リズムの定義 は末 だ定ま らない状況であるが、 ここでは 「海 の学 校」で行われてい る観 光 をブルーツー リズム として捉 え、エ コツー リズム もブルーツー リ ズム もソフ トツー リズムに含 まれ るもの として として扱 ってい く。 2.日本におけるエ コツー リズムの現状 渡久地 (2000,p.56)によれ ば、 日本 においてエ コツー リズム-の取 り組 みが盛 んにな ったのは1980年代末以降の ことである とい う。1990年 に環境庁が国立公園の新 たな利用方 策 としてエ コツー リズムに着 目した ことによる とい う。 この とき知床 、立 山、奥 日光、八 丈島、屋久島、西表島をエ コツー リズムのモデル地区 として推進調査 を実施 している。そ の後、 日本旅行業協会 が 「地域 に優 しい旅人宣言」 を行 な うな ど、旅行業界 において も環 境 に配慮 した旅行 -の取 り組みが行 なわれ、 さらに 日本 自然保護協会では 「エ コツー リズ ムガイ ドライ ン」 を発行す るな ど活発 な動 きがみ られてきた。1996年 には 日本初 のエ コツ ー リズム協会 とな る 「西表エ コツー リズム協会」が発足 し、その2年後の1998年 には 「日 本エ コツー リズム推進 協議会」が設立 され 、その記念 シンポジ ウムが沖縄 で開催 され てい る。 上記 のよ うに、 日本 にお け るエ コツー リズムの歴 史 は十数年 と浅いが、近年 は環境 問
史料 編 集 室紀 要 第 27号 (2002) 題-の社会的関心 の高ま り、旅行者 の意識 の変化 な どを背景 として、その認知度 も高まっ てきてい る。 また、エ コツー リズムに対 して様 々な分野か らの関心 ・アプ ローチがあ り、 中で も自然 の豊かな農 山村地域か らは地域振興 とい う点での期待感 も強い。また、 自然保 護や環境教育分野か らの関心だけでな く、観光業界 において も新たな 「商品」 としてのエ コツー リズムに高い関心が寄せ られてい る0 3.沖縄におけるエコツー リズムの現状 沖縄県内でエ コツアーが提供 されている地域 としては、主に西表島、座 間味島、沖縄本 島北部があげ られ る。 また、ブルーツー リズムに関 しては八重 山漁協による 「サバニ クル ーズ」や 、伊平屋 島にお ける 「海 の学校」の取 り組みがあげ られ る。 西表 島は亜熱帯 の 自然 を観光資源 とす る観光地域で、環境庁や運輸省 のエ コツー リズム の振興方策 を検討す るためのモデル地区 となるな ど、 日本 国内において もエ コツー リズム 4) の先進地域 である。西表 島への1997年度の年 間入域観光客数 は275,645人で、浦内川での カヌーや トレッキ ングが行 なわれてい る。県内で もいち早 く、1996年5月 にエ コツー リズ ム推進協議会 を設立 してい る。 座 間味島は1980年代 に入 る とダイ ビングによって栄 え、1990年代 には冬場のホエール ウ オ ッチ ングで注 目を浴びた地域 である。 1991年 3月にはホエール ウオ ッチ ング協会が設立 5) されてい る。座 間味島-の1997年度 の年間入域観光客数は年 間52,279人である。 1998年6月 に発 足 した 「エ コネ ッ ト美 (ち ゆら)」 は、沖縄本 島北部東海岸 (名護市久 義)の海 ・山 ・州 の 自然 に人々を案 内す る地域住民が主体 となったェ コツアーガイ ド団体 である。季節 によって様 々なェ コツアーが設定 されてい るが、例 えば iジ ュゴン 。シュノ ーケ リング」 「サ ンゴ礁 ・海 中散歩」 「ハイ キング 。昔人の足あ と」 「ウオー キング 。マ ン グローブ とシオマネ キ」な どと銘 打った コ一一スが用意 されてい る。 上記エ コツアー のメニュー とは異な り、漁業者が主体 となって観光サー ビスを提供 して いるのが伊平屋 島の 「海 の学校」 と石垣 島 。八重 山漁協の 「サバニクルーズ」の取 り組み であるO太 田 (1992)によれ ば、石垣市の八重 山漁業協同組合では青壮年部が中心にな り 「ウミンチ ュ体験 コース」 を企画 し、 日本でエ コツー リズム とい う言葉が一般化す る以前 の1991年か らその取 り組み を開始 してお り、地域経済活性化 を促す方途のひ とつ として観 光に着 目してきた沖縄県の八重 山漁協が実施 した ものであるとい う。その内容 としては、 漁師 (ウミンチ ュ)が実際に漁 を してい る場面 を観光客に見て もらい、昼食 には船上で と 4)沖縄県企画開発部統計課 (2000)『離島関係資料』による0 5)沖縄県企画開発部統計課 (2000)『離島関係資料』による。
史 料 編集 室 紀 要 第27号 (2002) れ たての新鮮 な海 の幸を提供す るとい うものである。現在は 「サバニクルーズ」 とい う、 沖縄 の伝 統的な漁船サバニに乗って、観光客 に漁の現場 を体験 してもらうエ コツアー を7 6) 月 か ら9月 のオ ン 。シー ズンに行 な ってい るとい う。 ここでの漁業体験 は伝統的な漁法 の紹介 だけでな く、エ コツアーの一環 として赤土汚染の現状 も参加者 に認識 して もらうと い う、環境学習的な側面 をもっている。 先進地域である西表島や座 間味島は、沖縄観光においてエ コツー リズムが注 目され る以 前 か ら観 光客 を受 け入れ てきた、観光化 の進 んだ地域 である。 「エ コツアー」 とい う比較 的新 しい言葉 が使 われ るよ うになる前か ら、 自然体験型 の観光が行われていた地域であ り、 それ らに追加 す るよ うな形 でエ コツアーが充実 して きてい るO-方伊平屋 島の 「海 の学 校」 については、交通 の不便 さか ら観光ルー トか らはずれ、 これ まで大がか りな観光開発 7) が行 なわれ なかった地域 である。その点 において、年 間約60万人の観光客が訪れ る石垣 島にお ける八重 山漁協のサバニクルーズ とも条件が異なっている。その伊平屋 島で どのよ うな経緯 か ら 「海 の学校」が開設 されたのであろ うか。
Ⅲ伊平屋村 におけるブルーツー リズムの実態
1.伊平屋村 の概観 伊平屋村 は沖縄 の最北端 、北緯27度2分、東経127度58分 に位置 し、県都那覇市 よ り117 km、今帰仁村運天港か ら41.1km の距離 にある。また、東 には鹿児 島県最南端 の与論 島が あ り、伊平屋村か ら南 に12.6km 隔てた ところには隣村 の伊是名村がある。 同村 は伊平屋 島 と野甫 島の2島か らな り、主島である伊 平屋村 は周 囲が約34km、面積 が20.57km 2で、 東 北端の 田名 岬か ら西南の米崎まで南西方 向に細 く伸びた島である。一方、野甫島は周 囲 が約4.8km、面積 が1.13km2の台形状 を した島である。両島は昭和54年 に、全長680m の野 甫大橋 で結 ばれ た。集落 は北か ら田名 、前 泊、我喜屋 、島尻、野甫の5つの行政 区か らな ってい るが、 田名以外 は島の東側海岸 に沿 って散在 してい る。 伊平屋村 の人 口 ・世帯数 の推移 をみてい くと2000年 の住民登録人 口は1,667人であ り、 10年前の1990年 の人 口と比較す る と211人増加 してお り、わずかなが ら増加傾 向で推移 し てい ることがわか る。 また、平成7年 の国勢調査人 口にもとづ く年齢階級別人 口の構成比 については、0- 14歳が27.3%で最 も多 く、ついで65歳以上の23.9%、45-64歳 が21.3%、 30-44歳 が20.3%、 15-29歳 が7.0%の順 となってい る。その特徴 として、 15-29歳 の若 6)沖縄タイムス2000年7月4日朝刊の記事より 7)沖縄県観光 リゾー ト局 (2000)『観光要覧』(平成11年版)p.78による。史料 編 集 室 紀 要 第 27号 (2002) 年人 口が極 めて少 ない ことと、高齢化率が23.9% と県平均11.7%の 2倍以上 と極 めて高 く なってい ることがあげ られ る。 伊平屋村 の平成7年の就業人 口は635人 で、産業別にみ ると第3次産業が203人で最 も多 く、 ついで第 1次産業 の183人、第2次産業の168人 の順 となってい る。第2次産業 の内訳は建設 業が153人、製造業が15人 と建設業従事者 が多 くを占めることが分 か る。構成比 をみ ると 第3次産業が44.7%、第 2次産業が28.8%、第 1次産業が26.5%である。 以上 の よ うに若年人 口は少な く、高齢化率が高 く、また第2次産業 に占める建設業の割 合 が高いのが伊平屋村の特徴で、典型的な離島地域 ・過疎地域 の特徴 を示 してい る。 2.伊平屋村の水産業 伊平屋村 の1998年 にお ける漁業経営体数 は70経営体で、その うち専業経営 は11経営体で、 残 り58経営体は兼業経営 となってい る。 また、漁業経営体数 は減少傾 向で推移 してお り、 1998年 は1988年 の85経営体か ら70経営体- と17.6%の減少 を示 してい る。 「営漁5カ年計画」によると、1999年の伊平 屋村 の漁業就業者 数 は97人である。 5年 前 にあ た る1994年 と比 べ る と、 わず か に増加 してい る。 同村 の漁業従事者 の経営組織 は、専業漁家 が少 な く全体 の27%で、漁業が従 の兼 業漁家 が 半数以上 の57% と、兼業漁家の 占める割合 が高 い状態で推移 してい る (図2)0 また、漁業者 の年齢構成 をみ る と、15-29歳 の就 業者 の割合 が2.5% と極 めて少 な く、逆 に60歳以上 の割合が36% と、伊平屋村 も沖縄 県全体 と同様 に高齢化の傾 向にある。 伊 平屋村 の1999年 の主 とす る漁業種類別 の漁業経営体 をみ ると、一本釣 が41経営体で全 体の42% と最 も多 く、次いでホ コ突採貝が39経営体 (40%) となってお り、 これ らで全体 の82% を占めてい る。 なお、1994年以降の動 きをみ ると、ホ コ突 き採 貝が29経営体か ら39 経営体 と増加 し、 ほかに一本釣 り、はえ縄 。曳 き縄 は増加 となったが、追 い込み 。その他 の漁業 は19経営体 か ら1経営体 と大幅に減少 し、刺 し網 、海 面養殖 もそれ ぞれ減少 となっ てい る。漁船 の動 向については、経営体の大幅 な減少 を反映 して、1990年 の126隻 が1997 年 には49隻 と、半分以下- と大幅に減少 してい る。また、漁船のほ とん どが3t未満 の零細 な規模 となってい る。漁獲高については90年の714tか ら1,036t- と、45%の大幅な増加 と なってい る。
史料 編 集 室 紀 要 第 27号 (2002) 伊平屋村 の1999年、漁船漁業の漁獲量は30tで、1996年 に比べ9tの増加 となった。 また、 1999年 の漁業 日数 をみ る と、漁船漁業は173日で1996年 とあま り変わ りはな く、遊漁業 に ついては1994年 の68日か ら1999年 には71日とわずかに増加 してい る。漁船漁業 は1999年 で 漁獲量が30t、漁獲金額 は約2千万円であるが、近年 は追い込み、刺 し網 、一本釣な どの落 ち込みによって生産量及び生産額 は昭和55年 を ピー クに減少傾 向にある. 一方 、昭和59年 よ り導入 され た もず く養殖 は、1999年 には水揚高749t、生産額2.6億 円 であ り、有望品 目として伊平屋漁協の主力 になってい る。 また、ハ タ、 ヒラメ、黒真珠 な どの試験養殖 も進 め られてい る。生産基盤 の整備 については、 これ まで伊平屋漁港におい て製氷冷凍施設 、給油施設 、荷捌施設 、 もず く加 工場等が整備 されてい る。 3.伊平屋村の観光資源 自然観光資源 とは海岸や 島、動植物 な ど観光対象 となる自然その ものを さす が、伊平屋 村 の 自然観光資源 として主なものは図3に示す とお りである。 観 光対象施設 として は伊 平屋 キ ヤ ン プ 場 、 クマ ヤ ー ビー チ キ ャ ン プ 場 、米 崎 キ ャンプ場や 、虎頭岩森林 公 園 、腰 岳森 林公 園 、米崎海 浜公 園 な どが あげ られ る。 また、民俗 芸能 としては旧暦 の8月17日にお こなわれ る田名 の ウンジャ ミ (海神祭)、十五 夜 まつ りで披露 され る女性 の輸踊 り ウシデー クが あげ られ る。 特 に 田名 の ウ ン ジ ャ ミの 際 に 歌 わ れ る神 歌 は、伊 平屋 と伊 是名 だ けに伝 わ る貴 重 な文化 遺産 だ とい うこ とで、村 勢 要覧 に よれ ば、島外 か らも見学者 が や っ て く る とい うこ とで あ る。 ま た、イベ ン トとしては伊 平屋 まつ り や 、伊 平屋 島の地域性 を活 か した10 月 の ムー ンライ トマ ラ ソンが あげ ら れ る。 図3 観光資漁分布図
史 料 編 集 室 紀 要 第27号 (2002) 3.「海 の学校」開設 の経緯 と現状 経緯 「海 の学校」事業は、伊平屋 島出身である西銘仁正氏 と㈱ ライ フスタイル研究所の今井 輝光氏の出会いか ら始 まった。西銘組合長 は都会でサ ラ リーマ ン生活 を してい る時期 もあ ったが、や は り島が好 きだ とい うことで 「村お こし」の夢 を胸 に島-戻 った。そ して、サ ンゴ礁 の海 の恵み で 「村お こ し」 を しよ うと、1979 (昭和54)年 に漁業協 同組合 を設立 し た。海洋資源 の枯渇や後継者不足 な どの厳 しい現実 を背景 に、西銘組合長 は将来の漁業の あ り方 を考 えるなかで、 「育て る漁業」 を経営ベース とし、漁船漁業や陸での仕事 をプラ スす る 「業態の複合化」 を図ってきた。 また、1987 (昭和62)年頃か らは関西の消費者 グ ループに対 し、モ ズクの販売 を通 して 「伊平屋の生産現場 を親子でみ よ うツアー」を企画 し産地間交流 を行 なってきた。 その よ うな実践 を経て、西銘組合長が漁業の分野か らの村お こ しを考 えた結果、マ リン ビジネスがひ とつ の答 え として浮かび上がってきたO しか し、県 内各地で漁業者 とダイバ ー との間で トラブルが生まれてい る事態 を思 うと、既存のダイ ビングサー ビスの ビジネス では漁業 との整合性 ははかれ ない と考 えていた。そ こで、漁業 との整合性 をはかれ るマ リ ンビジネスを一緒 にやれ るパー トナーはいないのか、 と探 してい る時に今井氏 と出会 うこ とになる。 東京 に企画会社 を持つ今井氏 は、仕事 としてマ リンスポーツの会員制 クラブの運営 に関 わった。 ところがそ こで業界人や旅行者 の内実が見 えて くるにつれて、ポ リシー を持たな い指導者や身勝手 な参加者 、ダイ ビングサー ビス と漁協 との小競 り合いを 目の当た りに し、 疑 問を抱 くよ うになっていたo また一方 では、15年間の仕事の経験のなかで、都会の人々 に必要なのは 自然体験 なのでは と思い、それが可能な地域 を探 していた。 1995年、東京 で二人は顔 を合わせ 「漁業 と遊漁が一致す る条件整備 をす ること」 とい う 基本理念が一致 し、お互い をパー トナー としてマ リンビジネス と村お こ しに向けての取 り 組 み を開始 した。 1999年 には 自治省 の外郭団体 よ り 「ふ るさとス ピリッ ト賞」 を受賞する な ど、県内外の観 光 ・漁業分野か らも注 目されている。 さらに2001年 11月 には伊平屋村漁 協が、2001年度 の農林水産大 臣賞 をむ らづ くり部門において受賞 してい る。 現状 「海 の学校」では伊平屋漁協組合員 である漁師が先生 とな り、漁師 としての技 を活か し なが ら、主 に本土か らの参加者 に講義す る形式 を とってい る。講義の種類 としては基本的 に7つの教室が用意 されてお り、 4泊5日の滞在 の中で、参加者 の レベルや好みに合わせ て教室 は臨機応変 に組み合 わ され る。教室の運営 は漁協内の遊漁部が担 当 し、そ こに在籍
史 料 編 集 室 紀 要 第27号 (2002) す る15人 の部会員 が ローテー シ ョンを組みなが ら講師 を務 めてい る0 表1 伊平屋本校で提供される教室 基本教室 特別教室 海洋スポーツ教室 永住希望者体験教室 体験漁業教室 写真教室 海鮮料理教室 亜熱帯の森林・銘木観察教室 海洋生物観察教室 島遊び教室 ブックコレクション教室 漁師育成教室 琉球民俗文化芸能教室 絵画教室 海の学校メモリアル教室 海洋性気候浴教室 資料 :今井輝光(1999)『海の学校のんびリズム伊平屋島2』p.160. 参加者 「海 の学校 」 ツアー には これ まで6歳か ら77歳 までの幅広い年齢 の男女が参加 してい るが、 女性 がそ の85%を 占めてい る。 また、 リピー ター率が非常 に高 く、参加者 の8割 か ら9割 8) が リピー ター で ある。 表 2 海の学校年間参加者数の推移 (1993-1999) 単位 :人 年 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 注 :数値は伊平屋漁協遊漁部担 当者への聞き取 り調査による 指導者 について 「海 の学校 」 の先 生 は村漁協組合員 の現役 の漁師で ある。 1997年 当時は7名 の漁師が先 生 を してお り、 2001年5月時点ではその数 は12人 と増 えてい る。漁業体験教室では現役 の 漁 師が先生 と して指導 にあた るが、他 の教室 の指導者 について も、年 々地域住民 との関わ りが増 えて きてい るよ うである。例 えば今年修学旅行 の団体客 を受 け入れ た際には、伊平 屋村青年会 の指導 に よるエイサー教室や 、村漁協婦人部 の指導 による琉球舞踊教室が開か れ てい る。 また、三線 の師匠や追い込み漁 の名 手が 「海 の学校」の応援 に加 わ るな ど、講 師陣や教室 の内容 に も厚 みが出て きた とい うことである。学校側 もオープ ンな体制 で、海 の学校 の出版 物 『海 の学校沖縄 のんび リズム伊平屋 島2』のなかで も農業 、絵画 、陶芸 、 染色、生物 、動植 物 、気象分野な どの指導協力者 を募集 してい る。
Ⅳ ソフ トな観光化 が地域 に及ぼす影響
1.観光関連業者 への経済 的影響 観 光産 業 とは一般 的 に、観 光行 動 を構成す る要素 を もとに旅 行業 、宿 泊業 、その他 関 連産業 に分類 され る。 ここでは輸送業、宿泊業、小売業、ダイ ビングシ ョップ を観光 関連 8)(有)沖縄地域ネ ットワーク社 『魚まち』 (1998)19号p,27史料 編集 室 紀 要 第 27号 (2002) 産業 として とらえ、 「海 の学校」でブルー ツー リズムが開始 されて以後 、 これ ら関連分野 9) に も 「海 の学校 」 が何 らかの影響 を及 ぼ してい るのかを聞き取 り調査 の結果 をもとに述 べてい く。 ①輸送業 沖縄本 島か ら伊 平屋 島への交通手段 としては、2000年 11月現在、船舶 のみである。平成 7年 に新 しい村営 フェ リー 「フェ リーい-や」が就航 し、今帰仁村運天港 と伊平屋村前泊 港 との間を約1時間20分で結んでいる。 これ までは1日1往復 (金 ・土 ・日は 2往復)であ ったが、2000年か らは通年で1日2往復 してい る。以前か ら往復回数 の増加 が望まれ ていた とうこ とであるが、運航 回数 の増加 に伴い、利用者数 も増 えてい る。 図4はフェ リーい-や の旅客数 の推移 である。 1989(平成元)年 が39,656人、1998(平成 10)年 が64,907人で あ り、 この間に旅 客数が伸びてきてい ることが分か る。旅客数 には観光 目的の旅客だけで な く、伊平屋村 の住民が利用す る場合や 、仕事で島を訪れ る人の数 も含 まれ るため、 「海 の学校」 との直接 的な関係 を示す ことはできない。 しか し 「海 の学校」開設後、視察のた めに島を訪れ る人 も増 えた とい う話があ り、また2000年か らは修学旅行の団体受 け入れが 開始 された ことな どもあって、それ らが旅客数の増加 につながってい る。 9)2000年 9月 5日∼ 8日にかけて、筆者が現地で行った。
史料 編 集 室 紀 要 第27号 (2002) (卦宿泊業 伊平屋村 には2000年10月現在7軒の宿泊施設があ り、その内分 けは伊平屋 島に 6軒、野 甫 島に1軒で全体の収容人数 は221人 となってい る。 「海 の学校」 には専用の宿泊施設がな いため、既存 の宿泊施設 と提携す るよ うなかたちを とってい る。 よって学校 の参加者 は民 宿 に宿泊す ることになる。基本的 には前泊港の近 くに位置す る民宿 を優先的に利用 してお り、修学旅行 な どの団体客で収容能力 を超 える場合 には、同 じ集落内にある2件 の民宿 に 分散 して宿泊す る体制 をとってい る。海 の学校 関係者 の話 による と、前述の優先的に利用 されてい る民宿 について、海 にむかった庭 のある平屋 で、決 して大 き くはない けれ どもい かに も島の民宿 とい った風情 をもってお り、島で とれ た魚や貝を使 って食事 を提供 してい る点 な どを評価 してい るとい うこ とであった。 「海 の学校」 開設 による宿泊客数-の影響 についてその民宿で尋ねた ところ、それ ほ ど大 きな変化 はな く宿泊客が増 えた と感 じるよ うにな るのは これか ら先の ことだろ う、 とい う話であった。 ただ、 これ までは県内客の利 用 がほ とん どだったが、県外か らの宿泊客が増 えた とい う点 については 「海 の学校」が開 設 され てか らの変化 ではないか とい うことであった。他 の民宿については、海 の学校 が修 学旅行 の受 け入れ を した際に、前述の民宿一軒では収容できなかった ことか らグループに 分 かれ た学生 を受 け入れた ところもあったが、はっき りと認識す るほ どの客数-の影響 は ない とい う話 であった。 ③ 商店 商店 については観 光業 との直接 の関係 はないが、島を訪れ る人が増 えれ ば利 用者 も増 え るで あろ うと考 え、 「海 の学校」 の教室 (講義)が行 なわれ る拠点 となってい る島尻集落 にあ る1軒の小売店 に聞き取 り調査 を した。 「海 の学校」開設以後 、買い物 の利用者数が 増 えた とい う印象 は とくにない とい うことであったが、 「海 の学校」でバーベ キュー をす る際に必要 となる野菜や 肉な どの食材や木炭 な どのま とまった注文がある とい うことであ った。 ① ダイ ビングシ ョップ 伊平屋村の海洋 レジャーは釣 り舟 と渡 し舟がそれぞれ1軒、ダイ ビングシ ョップは 3軒 である。ひ とつは伊平屋漁協が行 なっているダイ ビングサー ビスであ り、 も うひ とつは漁 協のダイ ビングサー ビスを したのちに店 を開いた元漁業者 によるものである。残 りの1軒 について も店長 は漁協 の組 合員であ り、座 間味島な どの島外 出身者 が店長 であ る場合の多 い地域 と比べ、伊平屋 島については島出身者 によってダイ ビングサー ビスが行 なわれてい る とい える。 聞き取 り調査 による と、「海 の学校」開設 によ りシ ョップの利用者 が増 えた とい う印象 はないが、新 聞報道な どで伊平屋 島の ことが とりあげ られ るこ とに よ り、 コマ
史 料 編集 室 紀 要 第27号 (2002) -シャル効果が あると思 うとい う話が聞かれた。 2地 域住民への影響 「海 の学校」 の取 り組みは、 ソフ ト・ツー リズム と言い換 えることも可能であ り、島の 既存 の資源 を発掘 し、それ を うま く活用 してい るところに成功の秘訣がある。また、観光 行動 自体 もマス ・ツー リズム と異 なる性格 をもってお り、従来の海浜 リゾー トの よ うに囲 い込 まれ た リゾー ト空 間だ けで観光行動 が完結す るのではな く、観 光者 が地域 との 「交 流」 を求 めるため地域 に入 り込んでい くことになる。そ うす るとある面においては、まず 地域住民 と観光 関連業者 、つ ぎに観光者 との良好 な関係 がなけれ ば、運営 してい くことが 難 しい観光形態 ともいえるのである。 そ こで事業 に直接 関わっている漁業者 だけでな く、地域住民が どの よ うに して 「海 の学 校」の取 り組み を捉 えてい るのか を調べ るため、35人 に対 して面接調査 を試みた。 当初 は 伊平屋村 にある
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つの集落それぞれ についてアンケー ト調査 をす る予定で あったが、試験 的に前泊集 落5軒 で調査 を した ところ 「海 の学校」 についての認識 が低か った (5人 中、 その存在 を知 ってい るのは1人であった)。そのため最終的にはダイ ビングサー ビスがあ り 「海 の学校」 の拠点 となってい る事務所のある島尻集落の住民 を対象 に調査を行なった。 は じめに被調査者 の職業構成 をみ る と、農林漁業の6名 が最 も多 く、次いで主婦の5名、 以下建設業や商業、サー ビス業、無職 が4名 である。各家 を訪 問す る面接調査であったた めに、被調査者 には家に居 る可能性 の高い主婦や高齢者の割合が高 くなっている。年代別 構成 については、50代 ・60代がわずかに他 よ り高い割合 を示 してい る。 次 に、 「海 の学校 」で行 なわれ る漁業体験 の認知度 については、 「知 ってい る」 と答 え たのが71% と、7割 が集 落前 のダイ ビングサー ビスでの取 り組み を知 っていた。次 に、地 域住民 に対 して 「海 の学校」 の魅力 と思われ るものを訪ねた ところ、 「島の人 とのふれ あ い」 と 「自然体験」?割合 が 「漁業体験」や 「ダイ ビング」 よ りもわずか に高かった。 ま た、島に とって観光化 は必要か とい う問いに対 しては、 8割が必要だ と思 うと答 えている。 今後希望す る観 光地発展策 としては 「年間を通 じての観光地にす る」が もっとも高 く、 次 に 「民宿 を増やす」、そ の次 に 「観光漁業 を盛 んにす る」な どの割合 が高かった。その 中で も 「伊平屋 島 らしい観 光化 であれ ばいい」
「島にあった観光化 でなけれ ば必要ない」 な どの声 もきかれ た。 また、村政-の要望 を訪 ねた ところ、 「自然保護」 を上げた人が も っ とも多 く、35人 中20名 が 「自然保護」 と答 えている。他 には-部で未舗装の箇所 のある 「道路整備」が上 げ られていた。史 料 編集 室 紀 要 第27号 (2002) 3.村行政の地域振興 策 との関係 伊平屋村 は これ まで観光の側 面か らは県内で もあま り認識 されてお らず、 「海 の学校」 の取 り組みが始 まる以前は、10月に行 なわれ る 「ムー ンライ トマ ラソン」が県 内でも最 も よく知 られたイベ ン トであった。それが、 「海 の学校」開設後 は、「海 の学校」が伊平屋 島 を印象付 けるキー ワー ドになってきてい る。沖縄県内で も観光分野だけでな く、水産業の 分野か らも注 目され てお り、今井氏 も1998年 3月の沖縄水産研究会、同年 11月 の地域漁業 学会 シンポジ ウム、2000年 2月 の県漁港講習会や同年 11月、石垣 島で行なわれ た島お こし 研修交流会な どで も度 々講演 を行なってい る。平成10年版 の伊平屋村勢要覧 に も体験漁業 の様子が とりあげ られてい る。 また、『伊平屋村 ・伊是名村 の地域活性化報告書』の中で も 「伊平屋村の 「海 の学校」は海 で遊ぶだけでな く、漁業 を実体験 させ 、学習 させ ること で多 くの評価 を得 てい る。 この成功事例か ら学ぶ ことは多い。」 として紹介 され てい る。 当初 は 「海の学校」-の村行政側 の認識 は低 く、伊平屋 島の外 で先 に注 目を された とい う。最初 に筆者 が島 を訪 ねた1999年 9月は、 「海の学校」 についての資料な どを求 めて も 役場職員の対応 も鈍 かったが、翌年2000年7月 に再訪 した時は関連資料 を提供 してもらえ るな ど、認識が深 まってい る とい う印象 をもった。聞き取 り調査 のなかで聞いた話による と、 「海 の学校」 の こ とは島で生活 してい ると分か らないが、新 聞やテ レビで取 り上げ ら れ た り、島か ら外 に出た時 に関係者か ら声 をかけ られた りす ることによって認識が深 まる、 とい うことがあるそ うだ。 これ まで2冊 出版 された 「海 の学校」の本 には、村長 か らのメ ッセー ジが寄せ られ てい る。現在 の村長 で あ る西銘村長 に もお話 を伺 った際には、 「海 の学校」 に とどま らず、最 終的には 「島の学校」 を 目指 していきたい との話があった。 また、行政側か らの支援策 に ついて尋ねた ところ、直接的に どうこ うとい うことはないが、基盤整備 をすす めることに よって、間接的に 「海 の学校」 の支援 を していきたい、 と話 されていた。 また、西銘村長 が 「公共事業 に頼 らない村 を」 とい うタイ トル で、官庁速報 に寄せ た文 10) 章 がある。 「漁業 では観光 関連型漁業養殖場 を今年度か ら5カ年計画で整備 し、 ヒラメ な どを特産 品に育ててい く。 同養殖場 は巨大 タンカーの よ うな浮 き消波堤型 の ものを沖合 に造 ることで、え さの食 い残 しによる海洋汚染 を防 ぐとともに、漁業体験 ・見学な ど観光 資源 にも利用す る。漁協な ど民間事業者主導で始 めてい る漁業 とマ リン レジャー を融合 さ せ た 「海 の学校」事業 も、強力 にバ ックア ップ してい く。観光客や修学旅行生 にモズクの 収穫や魚介類の薫製作 りな どを体験 して もらい、島の魅力 をよ り深 く味わって もらうのが 10)官庁速報.平成12年4月12日.時事通信社
史料 編 集 室紀 要 第 27号 (2002) 狙いだ。農業面では、観光客が農業 を体験できる 「農業体験学習館」 を今年度設 ける。 さ らに、海水 をア トピー治療 な どに生かす タラソテ ラピー (海洋療法)施設 の建設 も計画o 海 の学校、体験農業の拡充 と併せ、都会の人が長期滞在 して リフ レッシュす る 「アイ ラン ドセ ラピー」の村づ くりに10カ年計画で取 り組む」 とい うものである。 「海 の学校」 とい う言葉が文 中で使われてお り、また農業体験の方向性 に して も 「海 の 学校」の実践 と重 な る部分 がある。 「海 の学校」が島の将来の方 向性 を先 に示 して事業化 した ことで、また、 この事業が様 々な分野か ら注 目された ことで、伊平屋村 の行政側 も地 域振興策 を考 える上で気づか された部分が多 くあった もの と思われ る0 4.漁業者への影響 ここでは 「海 の学校」の事業に漁業者が先生 として関わることによ りどのよ うな変化が あったのか、聞き取 り調査 の結果 を中心に述べていきたい。 これまで沖縄観 光の課題 のひ とつ として、第1次産業の農業や水産分野 と観光が有機 的 に結びつ くことが指摘 され てきていた。 「海 の学校」でのブルー ツー リズムは、漁協組合 員である現役 の漁 師が観 光分野に関わるところが、エ コツー リズム とも異 なった珍 しい特 徴 となってい るO観光 と漁業、それ は一般的には利害関係 が衝突す るもの として捉 え られ ている。沖縄県内では過去 にダイバー と漁業者間の トラブルが起 きてい ることもあって、 両者 の結びつ きはイ メー ジ しに くい ところがある。 今井氏 は 「漁師 と表面的な付 き合 い しか知 らない人た ちは一様 に声 を揃 えて 『漁師 は 馬鹿 で、頭 が固 くて話 しにな らない』 とい うが、決 してそ うではない。漁師の人格 を無視 す る形で物事 を進 めよ うとす るか ら話が複雑 になった り、喧嘩になった りす るのではない ll) だろ うか。」 と述 べてい る。 また、それ に続いて、 「シンポジ ウムや酒席 で伊平屋 の漁師 は漁師の中で も別格だ、 と言われ るが、彼等 も人間。意に染 まぬ ことを言 われた り要求 さ れれ ば腹 を立て、意地 もはる し、-そ も曲げる。事実、伊平屋の商工会で も漁師 にダメな 人種 とい うレッテル を貼 って特別視 してい る。」 との記述 もある。一般 的 に漁師 に対 して は 「海 の男 は荒 っぽい」 「無 口」 とい うよ うなイ メー ジが もたれ てい る。 その漁師がサー ビス業であ り接客業である観光 に関わ るとい うこ とが、お よそかけ離れた印象 を与 える。 本来であれ ば黙 って海- 出て魚や貝 をな どの 自然 を相手 に してい る漁師が、初対面の参加 者 にサー ビスを提供す る とい う不慣れな ことをす ることに、抵抗 はなかったのだろ うか。 その点について漁師に話 をき くと、や は り当初 は 「先生」 と呼ばれ ることや、わか りや ll)今井輝光 『海の学校沖縄のんび リズム伊平屋島・2』p.91
史料 編集 室 紀 要 第27号 (2002) す く伝 えることについて苦労があった よ うである。今井氏 によれ ば、 rさま ざまな関心 を 持つ複数 の参加者 を相手 にす るため、当初 、現場で教壇 に立つ漁師の先生方 は大変負担 に 12) 感 じたはずだ。精神的 にきつ くなってや めてい く漁師 さん もいた」 とい うことである。 また、漁師か ら 「なぜ俺たちが こんなことをや らない とい けないのか」 とい う苦情があげ られた り、組合員 同士が仲たがい して しま うこともあった とい う。 人相手 のサー ビス、接 客の難 しさには伊 平屋 の方言 が関係 してい る面 も考 え られ る。 現 時点 において、参加者 の多 くは県外 出身者 である。会話 をす るに して も使い慣れ た方言 ではな く、標準語 で コ ミュニケーシ ョンを図 らねばな らない ところで、漁師の側 にも都会 か らの参加者 に とって も若干 のや りに くさはあるだろ う。 ところが、数 回の受 け入れ を経 て、漁 師 自身 が 「かま えるこ とな く、そのまま をみせ れ ばいい」 とい うことに次第 に気づ き、それか らは楽 になった、 とい う話 をきいた。 また、 か まえて特別 な ものを見せ る必要はな く、参加者 も 「作 られた もの」ではな く、む しろそ のままの生活 をみたいのだ とうい ことに気 がついてか らは、ふ っきれた とい う話 もあった。 その よ うに気持 ちに変化 があった とい う場合 もあれ ば、や は り慣れてい くこと、回を重ね る ことによ り接客への抵抗感 がな くなってきた とい う話 もあった。 また、先生 として指導 にあた るに して も 「どの よ うにすれば参加者 に とってわか りやすいか」 と工夫 をす るな ど、 漁 師 自身が考 えて仕事 に取 り組 む よ うになった とい う。組合長 の話 で も、 「海 の学校」で 様 々な未知の ことに挑戦す ることによって、 ウミンチュたちが変わ り、成長 してきた とい う話が きかれた。 意識面 の変化 に関連 して、漁 師 に聞き取 りをす るなかで度 々聞かれたのが 「再認識」 「気づ か され た」 とい うよ うな言葉 であった。 島に生活 してい る と気づかない 「島の魅 力」 を、参加者 の驚 きの声や表情 をみ ることによって 「気づか された」 とい うのである。 人 は生活 してい る場 をなかなか客観 的 にみ ることはで きない。 日常の中に埋没 して、 自分 を取 りま く環境 に も鈍感 になって しま うよ うな ところがある。 ところが都会か ら来た 人 に してみれ ば観光の舞台 となる伊平屋 島は非 日常の空間であ り、生活 の場で ある都会 と は、その人 を取 りま く環境 が大 き く異なってい る。今井氏 も 「都市 といなかでのエネル ギ ー の交換」 とい うこ とばを使 ってい るが、ま さに、都市生活者 と島の人間が 「交流」す る こ とによって、双方 向的に何 らかの影響 (刺激) を受 けてい るよ うである。伊平屋 島を舞 台 に、参加者 である都会 に疲れた人たちは癒 され 、漁師である先生は 自己の再確認、島の 再認識 をす る。 この よ うな面 において、 「交流」が もた らす、経済的側面か らは図れ ない 12)(有)沖縄地域ネットワーク社 『魚まち』(1998年)19号 p.28
史料 編集 室 紀 要 第27号 (2002) 影響 が、島の活性化 に貢献 してい るこ とを知 ることができる。 しか し、必ず しもすべてが うま くいってい るわ けではない。先生である漁師に話 を伺 う なかで、悩み としては 「海 の学校」で時間の制約 を受 けることによって、本 当な らば漁 に 出たい時 に出 られず本業である漁業 に支障がでることがあげ られていた。本業 に専念 した い、 とい う理 由で 「海 の学校」での講師 をお りる漁師 もでたそ うである。現状では基本的 に協力体制 が とれ てお り、修学旅行 な どの団体を受 け入れ るに して も組合員 の協力 によっ て対処 で きた とい う話がある一方 で、別 の ところでは遊漁部の一部の漁師 に、仕事の負担 がかかってい る とい う話 もきかれ た。 また組合長 の話 によれば、報酬の面 に して も、副収 入 とい うにはまだ充分な段階ではな く、 ビジネス としてはまだ充分ではない とい うことで あった。 組合長 に よれ ば、伊平屋漁協 の組 合員 は、物事 を決 める時 に も繰 り返 し議論 を してき てい る とい う。 「海 の学校」の取 り組 み を始 める際 に も漁業者 との間で話 し合いがあった そ うである。新 しい ことを始 めるには負担が伴 うことが多い。 また、島 とい う小 さな社会 であるがゆえの利 害関係 の絡みな どもあるだろ う。 これ まで伊平屋漁協では この事業 を始 めてか らも、話 し合いを しなが らさま ざまな壁 を乗 り越 えてきた とい うこ とであ り、参加 者 だ けでな く漁師 自身 に とって も 「海 の学校」が 自己を磨 く場 になってい る。 これ までみて きた よ うに 「海 の学校」 に よる漁業者 への影響 は、現時点か らす る と経 済面 よ りも意識面-の影響が強い よ うである。漁師が 自分 自身が持 ってい る技術や知識 を 自己確認 す る、また、島が もってい る魅力 を再認識す る、 とい うのは大変意義深い ことで ある。 究極 的にい えば、そ こに住 んでい る人が、生活 の場 に誇 りや愛着 をもつ ことか ら、 「島お こ し」や 「村お こし」は始 まると思 う。 このよ うに地域住民に 「気づ くきっかけを 与 える」 ことがで きるの も、また、参加者や漁師が一緒 になって成長できるのも、対象 と なる地域 、そ して住民 とも深 い関係 を結ぶ、ブルーツー リズム、 ソフ ト・ツー リズムな ら ではだ とい えよ う。
Ⅴブルー ツー リズム型観光地の形成要因分析
1.地理的位置 13) 沖縄 県 には39の有人離島があるが、それ らの島々は沖縄本 島か らの距離や交通体系の 整備状況、または面積や人 口規模 によ りそれぞれ の特徴 を有 している。例 えば沖縄本 島に 近接 した古宇利 島のよ うな周辺離 島 と、与那 国島のよ うに遠 く離れた島では様 々な条件が 13)沖縄県企画開発部.平成13年1月 『離島関係資料』p.6 平成7年国勢調査時点の数字である。史 料 編 集 室 紀 要 第27号 (2002) 異 なって くる。 ここでは伊平屋 島の地理的位置 を相対的にみ るために、 「沖縄 におけるモ 14) デル離 島による振興 開発調査報告書」による離島の分類 を参考 にす る0 前掲報告書 によれ ば、離島の類型 は、航路1時間県内の離島 とそれ以外 の離 島 と大 きく 二つに分かれ る。航路1時間圏内 としては、古宇利 島、伊江島な ど6島で構成 され、沖縄 本 島に近いために将来架橋建設 の可能性 もあ り、古宇利 島についてはすでに架橋建設 中で ある。 これ に対 して1時間以上の島は、群 島型 と孤立型 に分かれ る。表 3によれ ば、伊平 屋 島は孤立型群 島 と分類 されてい る。 これ は伊 平屋 島か ら南 に12.6km隔てた ところに伊 是名 島があるが、お互いの関係 は弱 く、それぞれが沖縄本島 と結びついてい るためである。 ダイ ビングスポ ッ トとして発展 した座間味島 ・渡嘉敷 島については、空港のある那覇か ら の近接性 (アクセシ ビリテ ィ)が高いために観光化が進んだ地域である といえる。観光化 を考 える上で、近接性 の高 さは重要な要素 となる。 表3 離島の分類 項 目 島名 沖縄本島近接型 古宇利島、伊江島、水納島、久高島、浜比嘉島、津堅島 群島型離島 匡亘空重
覇
伊平屋島、伊是名島 ◎は群島主島 匿 亘匝重要国 渡嘉敷島、前島、阿嘉島、慶留間島、座間味島 匡亘亘亘:] 宮古島、下地島、池間島、大神島、来間島、伊良部島 匹垂 [重囲 石垣島、竹富島、黒島、小浜島、嘉弥間島、新城島 (下地、上地)、西表島、由布島、鳩間島、外離島 孤立型離島 孤立大型 久米島 孤立小型 粟国島、渡名喜島、多良間島、波照間島、与那国島、北大東島、 注)平成 2年の有人離島。野甫島は伊平屋 島に含むOオーハ島、奥武島は久米島に含むo水納島は多良間島に 含む。資料 :地域計画研究所 (平成 7年)『沖縄 におけるモデル離島による振興開発調査報告書』p.15より引用 1972年の本土復帰以前、離 島の宿泊施設 とい えば民宿がその主体であったが、本土資本 の リゾ← トホテルが立地 をは じめた1980年代後半、本 島以外 に も石垣 島をは じめ久米 島、 15) 小浜島にも リゾー トホテルが建設 され た。尾方 (2000)は沖縄県の離 島観光地域 の基本 的な形成要 因は①観光需要の増大、② 自然観光資源の存在、③観光拠点都市か らの近接性 、 の3点にあると述べてい る。前掲の離 島の類型 (表3)をみ ると、座 間味島や渡嘉敷島は 阿嘉 島な どと並び慶良問群 島 として分類 され、交通拠点 としての那覇- も近い。他方、沖 縄本 島か ら遠 く離れた石垣 島や宮古島はある程度独立 した中心性 を持 ってお り、両島を中 14)地域計画研究所.平成7年 3月 『沖縄におけるモデル離島による振興開発調査報告書』 15)尾方隆幸(2000):沖縄の離島における観光地域の構造-座間味島と小浜島の比較研究-.沖縄地 理.第5号,pp.99-155史 料 編 集 室 紀 要 第27号 (2002) 心 とした群 島ネ ッ トワー クが形成 されアクセスの良い拠点都市 となってい る。孤立型群島 で ある伊平屋 島- のア クセスは、那覇空港か ら運天港 まで高速 を利用 して車で約2時間、 そ こか ら航路で1時間30分かかって島へた どり着 くことになる。那覇空港か ら伊平屋 島ま での移動だけで も相 当の時間を必要 とす るため、非常に不便 であるが、そのよ うな理 由で リゾー ト型観光地 としての伊平屋 島の評価 は低かった もの と思われ る0 ところが、いわゆる リゾー トブーム期のホテル 開発 を免れ たために、伊平屋 島には美 し い海や豊かな植物生態 といった 自然観光資源 が比較的 よく残 されてい る。前述の尾方 によ る形成条件 にあてはめる と、② 自然観光資源 の存在は満 た してい ることになる。エ コツー リズムや ブルーツー リズム といった 自然志 向型観光が求め られ る現在 にいたって、手つか ず の 自然環境が逆 にその価値 を増 してい る。 ただ、環境 の改変 を行 な うものが観光だけで はない、 とい うこ とを忘れてはな らない。現に島を歩 けば、道路工事や ダム建設な ど、公 共事業 によって 自然が形 を変 えてい く様があちこちで見受 け られ る。 しか し、沖縄本島 と 比べれ ば、伊平屋村 はまだ 自然観光資源 の優位性 を保 ってお り、エ コツー リズム的観点か らい うな らば、伊平屋 島のポテ ンシャルは高い といえよ う。 2.漁業を取 り巻 く現状への危機感 伊平屋 島のみな らず 、沖縄県全体、ひいては 日本全体で第1次産業の衰退が言われて久 しい。水産業につ いて言 えば、近年 の漁業環境 は、200海里漁業規制 、漁業資源 の減少傾 向、魚価 の低迷 、漁業就業者 の減少 と高齢化 な ど厳 しさを増 してい る。それ らを受 けて国 や県においては、沿岸域お よび資源 の効率的利用 を図るため、栽培 ・養殖技術 の研究開発 並びに資源管理型漁業の推進 を図ってい る。 沖縄県 においては、 このマ リノベーシ ョン構想 のもと、昭和63年度 に糸満地域について の基本計画 を策定 し、平成3年度 には 「ふれ あい漁港漁村整備計画」 を策定 して関連事業 を推進 している。 また、新構想推進地域 として宮古地域が新たに指定 され 、平成 6年度 に は両地域 について 「新マ リノベー シ ョン地域基本計画」 を策定 してい る。両地域は漁業従 事者 が多 く、歴史的に も漁業が盛 んな地域 であるが、伊平屋漁協においてはこのよ うな県 による整備計画がな くとも、水産業の新たな展開を求 めた観光漁業-の取 り組みが進 め ら れ てきた点が特筆 され よ う。 次の項 で詳 しく述べ るが、伊平屋 島においては組合長 が先見の明をもち、漁業経営の多 角化 に も早 くか ら取 り組 み を始 めていた
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「育 て る漁業」 の観 点か らモズ ク養殖 に力 を入 れ、また、県内で も珍 しい遊漁部 を漁協 内につ くったの も、漁業分野か ら 「島お こし」 を 考 える西銘組合長 である。現実 として横 たわっている漁業資源 の減少や漁業就業者 の減少、史 料 編 集 室紀 要 第 27号 (2002) そ して高齢化 といった問題 か らくる漁業の将来 に対す る危機感 がなけれ ば、新 たな分野に 事業 を展開 してい く可能性 は低いだろ う。つま り、水産業 ・漁業 を とりま く現状-の危機 感 があった ことが、観 光漁業 (ブルー ツー リズム)への取 り組み を早 めた、 とい う見方が できるだろ う。 また、漁港講習会 な どの漁業関係者 の集 ま りに参加す るなかで、伊平屋村 は農村的性格 の強い半農 半漁 の村 であるために、 「ウミンチ ュ」 の気質 として も、抵抗感 な くマ リン ビ ジネスの世界 に参入 できたのではないか、 とい う話 もきかれた。 前述 のよ うに、 「伊平屋 の ウミンチ ュは (ウミンチュのなかで も)別格」 とい うことが言 われ るそ うである。 これ が例 えば 「ウ ミンチ ュ」 の代名詞 ともい える糸満漁師であったな らば、「ウミンチ ュ」 と してのプ ライ ドが邪魔 を して、サ- ビス業-の参入 は難 しかったのでは とい う声 もきかれ た。
3.
鍵 となる「人」の存在 本稿 Ⅲ章3節 では 「海 の学校」 の開設 に至 る経緯 を述べたが、そのなかで島で生まれ育 った西銘組合長 と東京 に拠点を置いてい る今井氏が、キーパー ソンとなって 「海 の学校」 が成立 した ことが明 らかになった。二人の出会いがなけれ ば、 この事業は成 り立たなかっ た可能性 がある。 また、 どち らかが一人で構想 を実現 させ るに して も、一方の協力が欠 け ることによ り、事業化 に至 るまでに相 当の時間を要 しただろ う。それぞれが持 ってい る人 的ネ ッ トワー クや ノ ウハ ウを生かす ことができたか らこそ、「海 の学校」 は一定の成功 を みたのだ と思 われ る。 ここでは、その二人に焦点 をあてなが ら、 「海 の学校」 の展開をみ てい く。 西銘組合長 には 「島お こ し」の夢があ り、そのために一度 は県外-出た ものの、島に帰 ってきて漁業協同組合 を立 ち上げた。漁協 を立 ち上げてか らも、厳 しい水産業 の現状 に対 して新 しい展 開ができないか、 とい うことを 日々考 えていたそ うである。その中か ら有望 だ と考 えたのがマ リン ビジネスであった。 西銘組合長 は漁協 を立 ち上げた当時か ら、物事 を進 める際には組合員 と話 し合 うことを 大事 に し、議論 を繰 り返 しなが らやってきた とい う。今回の 「海 の学校」事業 について も、 組合員 との間に充分 な議論 を経てきた とい うことであった。お さえつ けになるよ うなや り 方 であれ ば、長続 きは しないであろ う。役場 で職員 に対 して 「なぜ伊平屋 で観光漁業の取 り組みがい ち早 く行 なわれた と思いますか」 とい う質問を した ことがあったが、その時に も 「組合員 の教育が されてい るか らじゃないですか」 とい う答 えがかえってきた。西銘組 合長が漁協 を立ち上げた当初か ら時間をかけて議論ができる とい う土壌 をつ くってきた と史 料 編集 室紀 要 第27号 (2002) いえるだ ろ う。 また、関西 の消費者 グル ープに対 しモズ クの販売 を通 して、 「伊平屋 の生産現場 を親子 でみ よ うツアー」 なるものを企画 し、産地間交流 を行 なってきた。 このツアーでは参加者 自身がモズ クの収穫 の手伝いをす るな ど、現在 の 「海 の学校」の原型 となるメニュー も組 み込 まれ ていた。 これ は漁師が参加者 (来訪者) を受 け入れ る機会 であ り、 「海 の学校」 が成立す る素地 になっていた もの と思われ る。 また、西銘組合長 は、島外か らきた今井氏 と漁協組合員 とをつな ぐ役 目も、ある面では もっていただ ろ う。 島に未来 を描 きたい、 とい う西銘組合長 の切 なる想い、そ して哲学が あった こ とが伊 平屋側 の背景を考 える際の、重要なポイ ン トになっている といえる。 今井氏 には、 「島外 か らの 目
」
「情報発信 の方法」
「人的ネ ッ トワー ク」があった とい う ことが指摘で きるだろ う。漁業者 に対す るイ ンパ ク トを述べ る際にもでてきた 「再認識」 とい う言葉 が あるが、 「再認識」 を促す ものはや は り外部か らの 目なのである。都会で生 活 を してい る今井氏が伊平屋 島を見た ときに、魅力的だ と感 じるものが、漁師をは じめ島 の生活者 にはそれ が あま り意識 され ていない とい う。今井氏に してみれば、 「沖縄 の人た ちは この 自然 の美 しさを十分 に生か しきってい るのか」 とい う疑問が湧いて くるのだ とい 16) う。そ の今井氏 の外 か らの視点が あったか らこそ、都会 の人 に とって魅力的なものが何 なのか、伊平屋 島の魅力は何 なのか とい うことも明 らかになるのである。 今井氏の話 によれ ば、島の 自然だけでない、島での生活その ものが観光資源 にな りうる とい うことであった。例 えば竹 か ごを編むのが うまい とか、ルアーな どの漁具 をつ くるこ とが うまい とい うよ うな 日常や っていること、 これ らも 「商品化」できる とい う考 えは、 島の住 民か らは出て こない発想 であろ う。 「外部 の 目」 とい うことに関 しては今井氏 自身 も講演会 な どでふれ てお り、 「成功す るプランを創 るためには、その土地の人だ けで考 え るのではな くよそ者 の考 えも聞き、組織 に加 えることが必要 となる」 と述べている。 次 に情報発信 の方法 についてであるが、 これ までの今井氏のキャ リアがあれば こそのパ ブ リシテ ィの使 い方 も含 め、情報発信 の方法 の妙 が あ る。 「海 の学校 」 の参加 者 は、東 京 ・大阪な どの都 市生活者 の参加 が主になる。観光客 を呼び込むためには遊客プロモーシ ョンや広告が必要であ り、そのためには、 どのよ うな場所 に向けて どのよ うな媒体で情報 を流 してい くか、 とい うこ とが問題 になって くる。 「海 の学校」 についていえば、今井氏 の事務所 (新宿分校)が東京 にあ り、 これ までの仕事の蓄積 か ら情報発信 のノウハ ウを開 校 当時か ら持 っていた。今井氏の ノウハ ウな くして、伊平屋漁協のみで観 光分野-のゼ ロ 16)(有)沖縄地域ネ ットワーク社 『魚まち』(1998年)20号p.28史 料 編集 室 紀 要 第27号 (2002) か らのス ター トであったな らば、現在 のよ うな認知度 は得 られていなかっただろ う。 また、 1997年7月 に海 の学校 の体験記 『のんび リズム伊平屋 島』 を出版 し、1999年7月 には2冊 目 を出版 した点 も、ブルーツー リズムを理解 して もらう点で重要なことである。 また、パブ リシテ ィの使 い方 も効果的であ り、沖縄県内の地元紙 で も度 々 とりあげ られてお り、沖縄 タイムスについては1998年1月1日か ら2000年 12月31日の間に18回、記事 として掲載 されて い る。県 内に住む人の多 くは、 これ らの記事 を通 して 「海 の学校」の取 り組み を知 ること になる。 Ⅵ おわ りに 本稿 では沖縄県伊 平屋 島における 「海 の学校」の取 り組み を対象 とし、エ コツー リズム 型観 光地 の形成過程 を とらえ、その形成要因 を明 らか に した。 また、 この事例 を通 じて 「ソフ トな観光化」が地域 に及ぼす影響 を検討 してきた。 「ソフ トな観 光化」が地域 に及 ぼす影響 としては、 「海 の学校」が島の居住者 に対 して、 生活空間である島を 「再認識」す るきっかけを与 えていることがあげ られ る。 この取 り組 みか ら、島を 「再認識」す るとい う波紋が、漁師 を中心 としてゆっ くりと地元住民- もひ ろがってい ることが確認 された。 「海 の学校」 では漁業体験 だけでな く、島あそび教室や三線教室、琉球舞 踊教室 もあ り、島の文化 に触れ ることも重要な要素 になってい る。普段 の生活 では忘れ られ てい くよ うな、 ソテ ツを使 ったか ご作 りな どの手仕事や 、方言 といった民俗知識や文化 が、 「海の 学校 」 での学びや体験 の対象 とな るこ とで残 され てい く可能性がある0「海 の学校」 を舞 台 に、記録 として残 され る、語 り継 がれ る、 とい う作業 を通 じて、何 もなけれ ば失われて い くだけであった島の文化 に光があて られ ている。伝統的な漁法について も同様 である。 今後 、 「海 の学校」で提供す る教室の内容 も充実 し、かかわる講師陣 も増 えるな らば、 「海 の学校」が島の民俗知識や文化 を保存 し、語 り継 いでい く、ひ とつの装置 に成 りえるだろ う。 現在 は新 しい沖縄観光 の展 開 として注 目され てい るエ コツー リズムだが、それが沖縄 観光 のメイ ンになることはないであろ うし、本来的な持続可能な観光 としての意義 を考 え るな らば、環境容量な どの点か らも不可能でそ うなるべ きではない。 また、エ コツー リズ ムは 自然 に分 け入 ってい く形態だけに、ブーム的な表面的理解 でそれ を導入す るのは、非 常 に危険で ある。観光 の全体的な多様化傾 向のなかで、旅行者 の観光行動 の幅 を広げるも の として、ブルー ツー リズムは今後 の沖縄観光 を豊かに してい くもの と思われ る。
史料 編 集 室 紀 要 第27号 (2002) 参考文献 渡久地健 (2000)民俗 の知識 と技術 サ ンゴ礁地域 にお けるエ コツー リズムのた めに.沖縄 にお ける独 自の技術に関す る基礎調査.pp.55-74.(財)沖縄協会 尾方 隆幸 (2000)沖縄の離 島にお ける観光地域の構造一座 間味島 と小浜島の比較研 究 -.沖縄地理, #5%.pp.99-155. 宮 内久光 (1998)島喚地域 にお けるダイ ビング観 光地の形成 と人 口現象 一沖縄県座 間味村 を事例 と して-.琉球大学人 間科学科紀要,創刊号.pp.299-335, 中山満 (1986)与論 島にお ける リゾー ト型観光地の形成 について.沖縄地理,1号.pp.39-52. 太 田好信 (1992)沖縄 ・八重 山の 「ウミンチュ」体験 コース考. 中央公論,第1285号,pp.333-339. 淡野明彦 (1986)沿岸域 における リゾ一一ト型観光地域の形成.人文地理,38-1 淡野 明彦 (1985)沿岸域 における民宿型観光地域の形成.地理学評論,58 沖縄県観光 リゾー ト局 『観光要覧』2000年版 沖縄県企画開発部統計課 『離島関係資料』2000年版 沖縄県総合事務局運輸部 『運輸要覧』2000年版 沖縄県企画開発部統計課 『漁業セ ンサス』 伊平屋村 『第2次伊平屋村総合計画』平成8度 伊平屋村 『伊平屋 ・伊是名地域島お こし計画』平成 10年度 伊平屋村漁業協 同組合 「漁協地域営漁5カ年計画書」 沖縄県農林水産部 『沖縄の水産業』平成 12年版 (有)沖縄地域ネ ッ トワー ク社 『魚まち』 (1994)4号, (1998) 19号.20号 伊平屋村 『村勢要覧』平成 10年版 今井輝 光 ・伊平屋漁業協同組合 (1999)『海 の学校沖縄のんび りズム伊平屋 島 ・2』三心堂 長谷政弘編著 (1997)『観光学辞典』 同文館