1.はじめに−展示に至る経緯と概要− そもそも,福山市秘書課では,福山市に所縁のあ る 農 学 者 ・ 磯 永 吉 に つ い て , そ の 功 績 を 広 く 市 民 に 知 っ て も ら う た め に , 市 内 に お い て 磯 永 吉 に ク ローズアップした特別展示ができないか検討を進め ていた.そうした中で,学生や教職員だけでなく, 市民にも広く利用されている福山市立大学附属図書 館を会場にしたらどうかと,秘書課から附属図書館 へ打診があり,今回の特別展示の開催に至った次第 である. 特別展では,福山市出身の偉大な農学者である磯 永吉の功績を紹介するとともに,台湾及び日本の歴 史をより深く理解できる展示とすることを目的とし た.展示にあたっては,御遺族の好意によって,多 数の遺品を福山市に貸与して頂くことができた.残 念ながら,展示スペースや資料の管理といった制約 上,遺品のすべてを展示することが不可能であった ため,秘書課職員とともに図書館職員が協議・確認 した上で,著書や研究論文,写真等を中心とした展 示資料の選定を行った. な お , 特 別 展 示 【 台 湾 蓬 莱 米 の 父 磯 永 吉 】 の 概要については,以下の通りである. 日程:2020年7月13日(月)∼31日(金) 会場:福山市立大学附属図書館・展示コーナー 展示:紛失や汚破損に配慮してアクリル展示ケー スに収容した.映像資料(DVD)をノート パソコンで上映し,関連資料として台湾農 業等の図書館蔵書を併せて展示した. 備考:期間中は,新型コロナウイルス感染拡大防 止のため市民の入館を制限する措置をとっ ていたため,学生及び教職員のみが観覧す ることとなった. 2.磯 永吉の生涯とその功績 まずは,農学者・磯 永吉(1886∼1972)の略 歴 に つ い て , 整 理 し て お き た い . 磯 永 吉 は , 元 福 八 幡 浩 二 辻 水 衣 鈴 木 悦 美 要旨 磯 永吉(1886−1972)は,戦前の台湾において稲の品種改良に従事し,試行錯誤の末に台湾の気候風土に 最も適した品種「蓬莱米」の開発に成功した農学者である.蓬莱米の開発は,台湾の農業を大きく発展させた だけでなく,当時食糧不足に陥っていた日本の危機を救う等,多大な貢献に寄与した. さて,磯 永吉が広島県福山市の出身という縁から,2020年7月13日から31日までの期間,福山市立大学附 属図書館において,特別展示【台湾蓬莱米の父 磯 永吉】が開催された.そこでは,御遺族から貸与頂いた磯 永吉の著書や写真をはじめとする多数の貴重な資料が展示された.しかしながら,特別展は短期間に加えて, コロナ禍という状況下であったこともあってか,広く周知されるまでには至らなかった.一過性のものに終わ らせないためにも,本稿では展示資料を中心として,磯 永吉の生涯とその功績について,改めて論述しておき たい. キーワード:磯 永吉,農学者,台湾,稲,品種改良,蓬莱米,特別展,展示資料
台湾蓬莱米の父・磯 永吉の生涯とその功績
-展示資料を中心に-
山 藩 士 で あ っ た 父 其 三 郎 と 母 ヨ シ の 二 男 と し て , 1 8 8 6 年 ( 明 治 1 9 ) 1 1 月 2 3 日 , 広 島県深津郡福山町字西 町五〇九番屋敷(現, 福山市霞町二丁目乙四 三六番地)に生まれた. 磯家は代々福山藩阿部 家に仕えていたが,廃 藩置県の後に府中へ移 り住んだ.福山の尋常 小学校高等科を終えると,1900年(明治33)双三 郡吉舎村(現,三次市吉舎町)の私立日彰館中学校 (現,広島県立日彰館高等学校)に入学した.5年 間在学した後,1905年(明治38)には札幌農学校 に 入 学 し , 農 科 大 学 予 科 を 経 て , 1 9 1 1 年 ( 明 治 4 4 ) 7 月 に は 東 北 帝 国 大 学 農 科 大 学 ( 現 , 北 海 道 大学農学部)を卒業した. そ の , 副 手 と し て 南 鷹 次 郎 教 授 の 指 導 を 受 け , 1912年(明治45)3月には,人生の大きな岐路と なる台湾総督府農事試験場の技手として,新妻のた つを伴って台北に赴任した.その目的は,台湾の農 作 物 の 品 種 改 良 , 特 に 稲 の 品 種 改 良 で あ っ た . 1914年(大正3)には技師に昇任し,その翌年2 月には台中庁技師となり,台中農事試験場へ移った. この間,遺伝学を応用して純系分離,交配等の育種 法を施し,技師として大いに成功を収めた.1919 年(大正8)から1921年(大正10)まで,欧米各 国に留学し,帰国後は台北の中央研究所農業部に勤 務 し た . 1 9 2 8 年 ( 昭 和 3 ) 8 月 ,『 台 湾 稲 ノ 育 種 学的研究』で,北海道帝国大学(現,北海道大学) より農学博士の学位を授与される.また,同年3月 に設立された台北帝国大学(現,国立台湾大学)理 農学部農学科の作物学教室の助教授に任ぜられ,総 督府技師を兼任した.なお,同大学は南方研究が特 色で,理農学部では農学,熱帯農学研究が重視され た . 1 9 3 0 年 ( 昭 和 5 ) に は 同 大 学 教 授 に 昇 進 し , 農学,熱帯農学第三講座を担当するとともに,農業 試 験 所 技 師 を 兼 任 し た . さ ら に , 1 9 4 2 年 ( 昭 和 1 7 ) 6 月 に は 農 業 試 験 所 長 を 拝 命 し , こ れ も 兼 任 した.また,台湾滞在中の1937年(昭和12)には 中華民国福建省,1938年(昭和13)2月にはフィ リ ピ ン , 1 9 4 1 年 ( 昭 和 1 6 ) 2 月 と 1 9 4 2 年 ( 昭 和 1 7 ) 7 月 に は 海 南 島 , 1 9 4 3 年 ( 昭 和 1 8 ) に は 再 びフィリピン,終戦後も1951年(昭和26)1月に はタイ,1953年(昭和28)5月から6月はアメリ カ,1957年(昭和32)2月には琉球へと各地域に 出張し,精力的に調査指導を行った. そ し て , 1 9 4 5 年 ( 昭 和 2 0 ) 8 月 1 5 日 , 日 本 が 敗戦を迎えた後も,中華民国政府の要請により,農 林庁技術顧問として,引き続き台湾の農業開発に従 事するとともに,台湾大学農芸学部で教鞭をとった. なお,その間の1950年(昭和25)には,妻のたつ が祖国への望郷の念に駆られながら,台湾の地にて 病死している. その後,留用を解かれて1957年(昭和32)8月, 日 本 に 帰 国 し た . そ れ は 古 稀 を 迎 え た 御 年 7 0 歳 の こ と で あ っ た . 1 9 1 2 年 か ら 1 9 5 7 年 ま で の 4 5 年 間 を台湾の地で過ごした人生は,まさに台湾の農業発 展に捧げたものといっても過言ではないであろう. 帰国に際して,蔣介石総統は「特種領綬景星勲章」 と一時金$5,000を贈るとともに,台湾省議会も臨 時議会にて議長の任にあった黄朝琴の臨時動議によ り , 生 涯 年 金 と し て 毎 年 「 蓬 莱 米 」 2 0 俵 ( 1 , 2 0 0 ㎏)を終生贈り続けることを決議し,長年の功労に 報いている.余談ながら,日本へ送付された報恩米 は,食糧管理法に触れるため,食糧庁がこれを買い 上げた上で,その代金が手渡されたという. 帰国後は,縁あって山口県防府市に一時居を構え, その間には山口県農業試験場の顧問を務め,山口大 学でも教鞭をとった.1959年(昭和34)夏には, 後妻のひめ子とともに新居を売却して,神奈川県横 浜市井土ケ谷(現,同市南区)に転居した.当地で ひめ子は発病し,岡山市の病院に入院することとな り,共に付き添うが,献身の看護も虚しく亡くなっ てしまう.その2年後の1963年(昭和38)には, 岡山大学の川口四郎教授(生物学)に嫁していた長 女の愛子の許に引き取られた.岡山での晩年は,か つての教え子や知人の応対や,講演会の依頼を務め 磯 永吉(1886 ∼ 1972)
1886 年(明治 19)11 ⽉ 23 ⽇ 広島県深津郡福⼭町字⻄町 509 番屋敷に⽣れる(現在の福⼭市霞町⼆丁⽬⼄ 436 番地) 1900 年(明治 33) 私⽴⽇彰館中学(現在の広島県⽴⽇彰館⾼等学校)⼊学 1905 年(明治 38) 札幌農学校(現在の北海道⼤学)⼊学 1911 年(明治 44) 東北帝国⼤学農科⼤学(現在の北海道⼤学)卒業 1912 年(明治 45) 台湾総督府農事試験場技⼿として台北に赴任 る 移 に 場 験 試 事 農 中 台 て っ な と 師 技 庁 中 台 ) 4 正 ⼤ ( 年 5 1 9 1 1919 年(⼤正8)〜1921 年(⼤正 10) 欧⽶諸国に留学,帰国後は中央研究所農業部(台北)に勤務 る れ さ 名 命 と 」 ⽶ 莱 蓬 「 が ⽶ 種 品 新 た し 発 開 に も と と 仁 永 末 ) 元 和 昭 ( 年 6 2 9 1 る な に と こ る せ さ 展 進 く き ⼤ を 業 農 の 湾 台 , 功 成 に 発 開 の 」 号 5 6 中 台 「 ) 2 和 昭 ( 年 7 2 9 1 任 兼 を 師 技 府 督 総 , れ ら ぜ 任 に 授 教 助 ⼤ 帝 北 台 ) 3 和 昭 ( 年 8 2 9 1 1928 年(昭和3)〜1930 年(昭和5) 英⽶独留学,帰国後教授に昇進,農業試験場技師を兼任 表 発 を 」 究 研 的 学 種 育 ノ 稲 湾 台 「 ⽂ 論 ⼠ 博 学 農 学 ⼤ 道 海 北 ) 3 和 昭 ( 年 8 2 9 1 任 就 に 授 教 学 ⼤ 国 帝 北 台 ) 5 和 昭 ( 年 0 3 9 1 る れ さ 与 授 が 賞 学 農 ら か 会 協 学 農 本 ⽇ ) 7 和 昭 ( 年 2 3 9 1 る れ さ 与 授 が 賞 ⺠ 富 て し 対 に 績 実 の ⽶ 莱 蓬 ら か 会 協 ⺠ 富 ) 7 和 昭 ( 年 2 3 9 1 る れ さ 与 授 が 章 効 有 緩 ⽩ 紅 ら か 会 農 本 ⽇ ⼤ ) 8 和 昭 ( 年 3 3 9 1 1941 年(昭和 16) 勲⼆等瑞宝章が授与される 1945 年(昭和 20) ⽇本敗戦。磯は請われて台湾に残り,中華⺠国農林庁顧問として蓬莱⽶の普及にあたる 1957 年(昭和 32) 中華⺠国総統から特種領綬景星勲章が授与される 1957 年(昭和 32) 帰国 1961 年(昭和 36) ⽇本学⼠院賞が授与される 1966 年(昭和 41) 勲⼆等旭⽇重光章が授与される 1972 年(昭和 47)1⽉ 21 ⽇ 逝去 2012 年(平成 24) 磯と末永 仁(台中農事試験場⻑)の胸像が台湾⼤学に設置される
磯 永吉 略年譜
る 等 , 穏 や か に 過 ご し た . そ し て , 4 5 年 と い う 約 半世紀にわたって,台湾農業の振興と発展に注力し た 功 績 は , 国 内 外 か ら 高 い 評 価 を 受 け , 1 9 6 1 年 ( 昭 和 3 6 ) に は 日 本 学 士 院 賞 , 1 9 6 6 年 ( 昭 和 41)には勲二等旭日重光章が授与されている. 1967年(昭和42)5月,稲作指導のため,台湾 へ出発する直前に発病し,直ぐに川崎病院(現,川 崎医科大学総合医療センター)に入院した.生前, 「私の一生は米作りに捧げたのだから,米寿までは 生きる」と口にしていたが,残念なことに4年9ヶ 月 に 亘 る 療 養 中 の 1 9 7 2 年 ( 昭 和 4 7 ) 1 月 2 1 日 に 永眠した. 次 に , 磯 永 吉 の 代 名 詞 と も い え る 「 蓬 莱 米 」 に ついて,言及してみたい. 1895年(明治28)の台湾領有後,日本国内の食 糧の需要を満たすとともに,台湾における経済発展 の必要性から農作物の品種改良に取り組んだ.その 中でも最も力を注いだのが水稲育種の研究であった. 元来,台湾の在来米は,粘りが少なくパラパラとし た食感の長粒米(インディカ種)であり,日本人の 口に合わなかった.そのため,植民地時代の台湾に おいては,日本人好みの粘りのある短粒米(ジャポ ニカ種)の栽培が大きな課題となっていた. そうした中で,磯 永吉は台湾の在来米を採取し, 形態産量から栽培時の肥料用量や各種の異なる苗齢 の種苗を取って実験を行い,若い短い種苗に優れた 収穫力がある(産量が高い)ことを発見し,台湾稲 の優良品種350品種を選抜した. また,当初はインディカ米などの台湾在来種の品 種改良に重点が置かれていたが,磯 永吉は同僚で, 蓬莱米の母 と呼ばれる末永 仁(1886∼1939) 等とともに,従来は至難の業と考えられていた日本 種(ジャポニカ米)と台湾在来種(インディカ米) の1,000種以上の交配を繰り返し試み,新たな品種 (蓬莱種)の稲を育成し,粒形・大きさ・味は日本 産米とほぼ同じくすることに成功した. 磯 永吉等が栽培した新型水稲については,1926 年 ( 大 正 1 5 ) 台 北 鉄 道 ホ テ ル で 開 催 さ れ た 『 大 日 本米穀会 第19大会』にて,新台米・新高米・蓬莱 米 の 三 つ の 候 補 名 か ら , 第 1 0 代 台 湾 総 督 の 伊 澤 多 喜男(1869∼1949)により選ばれ,「蓬莱米」と 命名された.ちなみに,蓬莱とは古代中国における 仙人が住むといわれていた五神山の一つで,東の海 上(海中)にある仙境のことであり,台湾を蓬莱仙 島とする見方もある. 台湾米は,当時食料不足であった日本へも多量に 移出されていたが,蓬莱米の誕生により,先述した 日本人の嗜好性の問題は克服された.その後も,蓬 莱 米 は 改 良 が 行 わ れ ,「 嘉 南 2 号 」 や 「 嘉 南 8 号 」 等といった100種もの後継種に繋がった.その中で も1927年(昭和2)に育成された「台中65号」は, 人口に膾炙する高品質かつ台湾での生産に適した品 種であり,台湾稲作史上に最も重要な品種である. 「 台 中 6 5 号 」 は 全 島 に 普 及 し , こ れ に よ り 台 湾 に おける蓬莱米の生産は急速に拡大した.収穫量の高 い蓬莱米によって,米作農家は経済的に豊かになり, 台湾の農業を大きく進展させるとともに,台湾人の 食生活にまで大きな影響を及ぼすこととなった. 現在,台湾で栽培されている蓬莱米の新品種には, 「 台 中 6 5 号 」 の 遺 伝 子 が 脈 々 と 受 け 継 が れ て い る が,そこに 蓬莱米の父 と称される磯 永吉という 日本人農学者の存在があったという事実を忘れては ならない.現代において,日本と台湾の両国間には, 戦前から戦中にかけての日本の植民地支配という負 の歴史があったことは紛れもない事実である.しか し , そ う し た 中 で , 磯 永 吉 を は じ め 当 地 の 発 展 に 尽 力 し た 多 数 の 日 本 人 が 存 在 し た 事 実 に つ い て , 我々はただ誇るだけでなく,それをもっと知る・学 ぶ・考えるべきであろう. 3.資料解説 本展示の資料に関しては,冒頭で述べたように, 御遺族である川口昭彦氏から福山市へ貸与,及び一 部 を 御 提 供 頂 い た も の で あ る . 資 料 名 は 2 9 項 目 か らなり,そのうち今回展示したのは,展示スペース の制約から13項目である. 以 下 , 磯 永 吉 関 連 の 資 料 解 説 , 及 び 補 足 説 明 を 行ってみたい.なお,※を付した番号が実際に展示 した資料である. めぐむ
※1.『磯 永吉 追想録』(図版1) 磯 永 吉 の 没 後 , 氏 の 研 究 業 績 と 遺 稿 , ま た 氏 を追想した縁者による文集である. B 6 判 , 2 4 8 頁 , 私 家 版 ( 1 9 7 4 年 1 1 月 2 3 日 刊). ※2.『磯 永吉』DVD(図版2−上) タイトル:『異人的足跡系列 奠基台灣稻米育種 研究的學者 磯 永吉』 本編:30min,華語・英語・日語. 発行元:国史館(231台北縣新店市北宜路2段 406號). 発行年月:2009年7月. ※3.『磯 永吉』小冊子(図版2−下) タイトル:『異人的足跡書系 奠基台灣稻米育種 研究的學者 磯 永吉』 A4判,39頁. 発行元:国史館(231台北縣新店市北宜路2段 406號). 発行年月:2009年7月. なお,上記のDVDとセットの冊子である. 4.「磯 永吉小屋」関連ウェブページ 以下,2件のウェブページの案内メモである. ・磯 永吉小屋‐國立臺灣大学 http://iso-house.agron.ntu.edu.tw/index. html ・ 台 湾 大 学 の 「 磯 小 屋 」 へ 出 か け て み ま せ ん か:日本李登輝友の会 https://twoffice.exblog.jp/18409946/ ※5.磯 永吉の写真(図版3) 3枚の写真からなり,そのうち1枚の縁側に坐 し た 家 族 写 真 の 裏 面 に は 「 1 9 2 6 , 9 , 2 4 」 の 記 載が見受けられる. 6.「大學住宅組合地割図」(縮尺千弐百分之壱, 土地所在 臺北市大安字龍安坡) A 4 判 コ ピ ー ( 1 枚 ) で あ る が , 往 時 を 窺 い 知 る上で,貴重な資料である. 昭和4年10月30日作成(平成17年7月10日複 製). こ こ に は 「 四 六 二 ノ 三 三 磯 永 吉 〇 ・ 〇七〇三」の記載がみられる(註:姓名ノ右側 数字ハ番地ヲ記シ左側数字ハ甲数ヲ示ス). 7 .「 台 北 市 「 温 州 街 」 旧 大 学 官 舎 位 置 図 ( 旧 昭 和町・大安龍安坡)」 A 4 判 コ ピ ー ( 1 枚 ) で あ る が , 往 時 を 窺 い 知 る上で,貴重な資料である. 2005年10月,作成:内藤(桑田)朗子. 8.「台北市「青田街」旧日本人住宅位置図」 A 3 判 コ ピ ー ( 1 枚 ) で あ る が , 往 時 を 窺 い 知 る上で,貴重な資料である. 2013年6月9日修正. 本図の東側に和平東路一段一八三巷,南側に青 田 街 9 巷 ( 旧 昭 和 町 2 条 通 り ) に 接 す る 地 に 「磯 永吉(台大作物)」の記載がみられる. なお,本図には以下のような,注が記されてい る. ① こ の 図 面 は , 昭 和 初 期 ( 1 9 2 0 年 代 ) か ら 戦 後の内地引揚げまでの間,台北市「青田街」 (旧昭和町・大安字龍安挋)一帯に居住され た 多 く の 方 々 の , 6 0 年 前 の ご 記 憶 に 基 づ く 情報を集録して作成したものです.従って, 記憶の個人差により一部に誤りもあったかと 存じますが,その後の皆様のご協力により, かなり正確なものになりました.今後も皆様 からの情報を期待しております. ②道路は,多少カーブがあった部分も直線に省 略し,各戸の区画の広さも地区別に概ね画一 化してあります. ③居住者の異動があった場合は,〇番号で居住 順に記入してありますが,一部欠落している ものもあると思います. ④お名前の下の( )書きの当時のご勤務先の なかで,「台大」は台北帝大,「台高」は台北 高校の略称です.台北帝大の場合は,学部名
の場合と担任講座名の場合とまちまちになっ て お り ま す . な お ,「 温 州 街 」 の 旧 大 学 官 舎 は,一部だけになっております. ⑤各戸別に太線で囲んである住宅は,台北市文 化 局 の 資 料 ( 2 0 0 5 . 5 月 ) に よ り , 現 存 し ているとされる住宅です.ただし,文化局の 図面と,この図面との位置関係が明確でない 部分もあり,必ずしも正確には特定しかねま すが,その旨をご了承ください. ≪ 情 報 集 録 : 濱 口 淑 子 ( 旧 姓 三 宅 ) ・ 厚 東洋子(足立)・濱口昭子(三宅) 印字・印刷:力丸研二≫ 9.「人名録」 A4判コピー(1枚). 昭 和 1 8 年 に 臺 灣 総 督 府 が 編 集 し た 人 名 録 で あ り,以下のような記載がみられる. 「 磯 永 吉 正 四 位 勲 二 等 農 学 博 士 臺 北 帝國大學理農學部教授 臺灣農事試験所長 【經歴】明治十九年十一月二十三日廣島縣深安 郡ニ生ル 明治四十四年七月東北帝大農學科ヲ 卒業スルヤ翌年三月臺灣總督府農事試験場技手 ニ任ゼラル 大正三年四月任農事試験場技師 同八年植物品種改良ニ關スル調査ノ爲一年六ヶ 月歐米各國ヘ留學ヲ命ゼラレ 大正十四年南支 那 英領香港 佛印 シャム 馬來聯邦乃英領 印度乃爪哇ヘ出張ヲ命ゼラル 歸朝後臺大助教 授 府中央研究所技師ニ任ズ 昭和三年農博ノ 學位ヲ授ケラル 同五年臺大教授ニ任ゼラレ今 日ニ至ル 同十六年七月ヨリ一時海軍省事務 海南警備府事務ヲ嘱託サレ 同十七年府農事試 験所長 府食料局米穀課勤務ヲ命ゼラル 趣味 ハ蓬莱米基礎研究 【家庭】父甚三郎(文久 三) 母ヨシ(明四) 妻たつ(明十八) 長 女愛子(大四)東京女子大卒 三女百合子(大 八)同上 妹清江(明三七)」 10.「日治時期名人録」 A4判コピー(1枚). 住宅保存運動を進めた「青田社区発展協会」の 游 雲 霞 女 史 が 編 集 さ れ た 図 書 『 青 田 行 走 』 の 「日治時期名人録」からで,そこには以下のよ うな記載(原文のママ)がみられる. 「 1 2 . 磯 永 吉 台 灣 米 本 來 只 有 原 住 民 引 的 型 品 系 ・ 和 漢 移 民 引 的秈稻 ( 在 來 米 ). 日 本米種(粳稻)引入後,農民和技術人員取台灣 稻與日本稻配種,產生了少新品種,由700多個 品 種 中 挑 出 最 合 臺 灣 的 品 系 , 1 9 2 1 ( 大 正 1 0 年 ) 臺 北 廳 農 務 主 任 平 澤 龜 一 郎 及 技 師 鈴 田 巖,磯永吉在竹子湖試種「中村種」,1923(大 正 1 2 ) 年 在 竹 子 湖 設 置 了 原 種 田 , 致 力 於 生 產 優良原種,以分配給各地農民種 ,所以竹子湖 素 有 蓬 萊 米 的 發 祥 之 稻 . 1 9 2 6 ( 昭 和 元 年 ) 試 種 成 功 的 粳 稻 , 獲 日 本 米 谷 會 第 1 9 次 大 會 之 臺 灣稻米改良競賽第一名,磯永吉博士提出蓬萊米, 新 高 米 ( 新 高 山 即 玉 山 ), 新 台 米 , 來 稱 呼 台 灣 所 種 的 日 本 米 ( 中 村 種 ), 後 來 總 督 伊 澤 多 喜 男 定蓬萊米之稱,蓋指臺灣乃一仙島之意也.好 的稻米在高 中成長,低 時成熟,而竹子湖的 稻米是一期稻,清明時播種,中秋時収割(九月 的 竹 子 湖 巳 入 秋 ), 所 以 稻 種 滿 , 這 種 米 最 好 吃 . 磯 永 吉 被 尊 稱 為 「 臺 灣 蓬 萊 米 之 父 」, 居 臺 的 4 7 年 歳 月 , 致 力 於 臺 灣 農 業 研 究 和 稻 米 品 種 改良,為臺灣農業貢獻良多,因為 到蓬萊米在 竹子湖試種成功後,台灣才有粳稻品種,大大地 提高了稻米的収成.由於蓬萊米可以銷日又有較 好 的 價 錢 , 1 9 3 5 ( 昭 和 1 0 年 ), 蓬 萊 米 種 面 積首次超越秈稻,成為台灣主要的稻作,但臺灣 農民自己卻以甘藷果腹或由海外輸入較便宜的米 糧食用.二次大戰後臺灣稻米不再銷在日本,蓬 萊米才真正成為臺灣人日常的主食.太平洋戰爭 結束後,磯永吉是少數獲准繼續留臺的日本人, 1 9 5 7 年 告 老 回 國 時 , 中 華 民 國 政 府 為 了 酬 謝 他 對臺灣農業的貢獻,特別贈與他三餐足用的蓬萊 米,一 到他辭世為止.」 11.『台北昭和町の思い出』 A4判コピー(9枚). 台北昭和町会(2006年6月18日刊). 本 誌 は 目 次 に よ る と , 計 1 6 本 の 原 稿 で 構 成 さ ママ
れるが,そのうちの7本である. 「4 昭和町(青田街)の思い出」 濱口淑子 (三宅)…9−10頁. 「5 記憶をたどって(水牛・蛍)」 浜口昭 子(三宅)…11−12頁. 「6 台北昭和町の三宅家の庭の思い出」 高 山玲子(三宅)…13・14頁. 「8 往年の青田街(1930−1943)」 伊藤 英覚…17−18頁. 「9 青蝉の脱皮」 伊藤猷顕…19−20頁. 「 1 5 「 蓬 莱 米 の 父 」 磯 永 吉 先 生 の こ と 」 力丸研二…33−34頁. 「 1 6 「 昭 和 町 」 か ら 「 青 田 街 」 と な っ て も」 力丸研二…35−38頁. 12.「國家圖書館出版品預行編目資料」 A4判コピー(5枚). 何 鳳 嬌 編 『 日 治 時 期 臺 灣 高 等 官 履 歴 ( 三 )』 (國史館,2006年6月刊)458−465頁. 1 3 . 磯 永 吉 学 会 理 事 長 廖 振 鐸 氏 か ら 川 口 昭 彦 氏 宛への私信 A4判コピー(3枚). 2015年11月16日付で,磯永吉学会理事長廖振 鐸 氏 ( 國 立 台 灣 大 學 農 藝 學 系 教 授 ) か ら 磯 永 吉の孫である川口昭彦氏(東京大学名誉教授, 当 時 ・ 独 立 行 政 法 人 大 学 評 価 ・ 学 位 授 与 機 構)に宛てた私信である.その内容は,現在同 大学総合図書館に保管されている磯永吉文庫の 文献の複写,及び引用の許可を依頼したもので あ る . な お , 同 年 1 2 月 1 0 日 付 で , 川 口 氏 よ り 国立台湾大学農学部農芸学科,及び国立台湾大 学磯永吉学会へ国立台湾大学図書館に対しての 委任状が発信されている. ※14.新聞記事等 『北海道新聞』切抜(コピー含む)(7枚),及 び北海道新聞社連絡先,同新聞社記者(佐藤千 歳)名刺,『産経新聞』記事コピー(1枚). 『北海道新聞』の記事は,以下の通りである. ・「植民地・台湾へ① 蓬莱米の父と札幌系 500人」(2007年8月1日付). ・「植民地・台湾へ② 蓬莱米の父と札幌系 500人」(2007年8月2日付). ・「植民地・台湾へ③ 蓬莱米の父と札幌系 500人」(2007年8月3日付). ・「植民地・台湾へ④ 蓬莱米の父と札幌系 500人」(2007年8月4日付). ・「植民地・台湾へ⑤ 蓬莱米の父と札幌系 500人」(2007年8月5日付). 『産経新聞』の記事は,以下の通りである. ・「コメ品種改良に貢献 日本人農学者・技 師の胸像設置」(2012年3月9日付). 15.中日文化經濟協會から贈られた刺繍絵(額装) 額縁縦63.5×横43cm,刺繍絵縦50×横30cm. 中国伝統工芸品である所謂「松鶴延年」の構図 である. 図とともに「高鳴常向月 善舞不 人 磯永吉 先 生 惠 存 中 日 文 化 經 濟 協 會 會 長 何 應 欽 贈 」 の墨書が記されている. ※16.『増補 水稲耕種法講演』(図版4−上) A5判,本文417頁+図表29頁. 以下,本書の奥付は以下の通りである. ・昭和十九年三月十日印刷,昭和十九年三月 十五日發行. ・定価 参圓,送料 参拾五銭. ・著者:磯 永吉(臺北市昭和町462−26). ・発行者:小野勇五郎(臺北市東門町158). ・印刷者:平川政雄(臺北市大和町3−2). ・印刷所:臺北印刷株式會社(臺北市大和町 3−2). ・ 發 行 所 : 臺 灣 農 曾 ( 臺 北 市 本 町 4 − 1 5 ) 振替口座臺灣七五五二番. ・出版番號第七一號,會員番號第二十號,出 版部數参千部.
※17.『RICE AND CROPS IN ITS ROTATION IN SUBTROPICAL ZONES』(図版4−下)
B5判,611頁,JAPAN FAO ASSOCIATION TOKYO 1954. 18.『國立臺灣大學農藝學系名誉教授 賴光隆博 士 論文集』 國立臺灣大學農藝學系名誉教授・國立臺灣大學 農 藝 學 系 磯 永 吉 學 會 名 誉 理 事 長 の 賴 光 隆 博 士 ( 1 9 3 1 ∼ ) の 業 績 を ま と め た 論 文 集 で ,『( 上 冊 ) 臺 灣 農 藝 作 物 栽 培 學 上 的 研 究 』 と 『( 下 冊)臺灣農藝作物組織細胞培養之研究與應用』 の二分冊からなる. B5判,上冊463頁,下冊359頁. 発行元:國立臺灣大學磯永吉學會(非賣品). 発行年月:2019年8月. 19.勲記(勲二等旭日重光章)(図版5−上) 1 9 6 6 年 ( 昭 和 4 1 ) 1 1 月 3 日 に 叙 勲 を 受 け た 「 勲 二 等 旭 日 重 光 章 」 の 勲 記 ( 横 5 9 . 4 × 縦 42cm)である. ※20.勲章(勲二等旭日重光章)(図版5−下) 1 9 6 6 年 ( 昭 和 4 1 ) 1 1 月 3 日 に 叙 勲 を 受 け た 「勲二等旭日重光章」の勲章で,胸に付ける正 章,及び首から下げる副章からなる.なお,略 綬については不明である. 21.証明書(日印地域工芸展) ガンヂー翁生誕105年記念日印地域工芸展に出 品 し た 『 磯 永 吉 博 士 寫 眞 並 び 本 壱 式 』 に 対 し て , 1 9 7 4 年 1 0 月 2 日 付 で 磯 永 吉 博 士 御 遺 族 ( 川 口 愛 子 氏 ) に 交 付 さ れ た 証 明 書 ( 縦 36.5×横25cm)である. 証明書には「貴方は上記の品目のものを,ガン ヂー翁生誕105記念日印地域工芸展に出品され ました.これらの品目のものは,インドの国民 生活と産業の技術向上のため,永久にガンヂー 翁生誕百年祭記念博物館,または手工芸博物館 に保管展示されることになったことを証明しま す.」とある. ※22.日本学士院賞賞牌(図版6−上) 第51回(1961年(昭和36)5月12日)に『亜 熱帯における稲の育種に関する研究』で受賞し た日本学士院賞の賞牌(メダル)である.また, 賞牌の裏面には「昭和三十六年綬 農学博士 磯 永吉」の銘がみられる. ※ 2 3 . 特 殊 領 綬 景 星 勲 章 ( 図 版 6 − 下 ), 及 び 磯 永吉から嚴主席宛への私信(図版7) 1957年(昭和32)日本への帰国に際して,中 華民国総統より贈られた特殊領綬景星勲章であ り,略綬3点が付属している.また,勲章を入 れた箱には「287 章勳星景綬領種特」と記載 されている. 同 じ く , 帰 国 に 際 し て , 磯 永 吉 か ら 台 湾 省 主 席の嚴家淦(1905∼1993)に宛てた私信であ る . 私 信 は , 同 年 8 月 1 4 日 付 で , 何 れ も タ イ プライターにて作成されており,同内容でそれ ぞ れ 日 文 版 A 4 判 ( 2 枚 ) と 華 文 版 A 1 判 (1枚)がある. 24.受賞歴メモ A4判コピー(1枚). そこに記された受賞歴は,以下の通りである. ・ 昭 和 七 年 四 月 農 学 賞 ( 稲 の 育 種 学 的 研 究) 日本農学会長. ・昭和七年十月 富民賞(蓬莱米の研究,生 産,移出) 富民協会理事長. ・昭和八年三月 紅白綬有功章(種芸研究, 蓬莱米の生産,移出) 大日本農会. ・昭和十年十月 表彰記念盃(蓬莱米の研究, 生産,移出) 大日本米穀会々頭. ・昭和三十二年三月 表彰状記念品(蓬莱種 普及による生産米増加) 琉球政府主席. ・昭和三十二年八月 特殊領綬景星勲章 中 華民国総統. ・昭和三十二年九月 記念花瓶 中華民国外 務大臣. ・昭和三十六年五月 日本学士院賞. ママ ママ
※25.『故 磯 永吉 畧歴と面影』(図版8−上) A6判,16頁. 付箋:葬儀のあとに配布したもの. 本 冊 子 は , 磯 永 吉 の 畧 歴 ( 1 ∼ 4 頁 ) に 加 え て,以下の4本の寄書で構成される. ・ 「 先 生 の 一 面 」 加 茂 巌 ( 元 台 湾 総 督 府 農 業試験所技師,元静岡大学教授,現静岡英 和女学院,同短大学長)(5∼8頁). ・ 「 お や ぢ 」 林 四 郎 ( 元 台 湾 総 督 府 農 業 試 験 所 技 師 , 元 千 葉 大 学 農 学 部 長 ) ( 8 ∼ 12頁). ・「磯先生の面影」西村昌造(元山口県農業 試験場長)(13∼14頁). ・「裏口よりの教訓」松尾浩気(元台北帝大 農 学 部 助 手 , 元 神 戸 大 学 農 学 部 教 授 ) (15∼16頁). ※ 2 6 .『 亜 熱 帯 に お け る 稲 の 育 種 に 関 す る 研 究 要 旨』(図版8−下) A5判,10頁. 付箋:学士院賞 受賞研究要旨. 本冊子の構成は,以下の通りである. 1.台湾稲の育種学的研究 2.日本稲の育種学的研究 3.台湾稲と日本稲の交雑育種 4.日本稲品種間の交雑育種 5.稲の品種間並びに品種の純系内の諸形質 の相関,各品質の感光,感温,熟性の研 究 6.稲品種の生理遺伝学的分析 7.蓬莱米の完成 8.水田輪作体型の研究 27.「磯 永吉 農学博士著 亜熱帯における稲と その輪作作物」 B5判,四つ折り. 付箋:出版については追想録pp49∼53. 資料番号17の『RICE AND CROPS IN ITS ROTATION IN SUBTROPICAL ZONES』国際食 糧農業協会(FAO協会)(昭和29年10月出版) の刊行案内リーフレットである. ※28.磯 永吉の写真(図版9・10) 8枚の写真からなり,そのうち図版9の写真3 枚の裏面には「may12, 61」の記載があること から,日本学士院賞の受賞日であることがわか る . そ の 他 に も , 図 版 1 0 の 単 身 無 帽 の 写 真 裏 面には「24 April 1920 Ithaca NY. USA」, ま た 単 身 有 帽 の 写 真 裏 面 に は 「 昭 和 十 二 年 二 月 」, そ し て 四 人 で 写 っ て い る 写 真 の 裏 面 に は 「nov.3 62(showa37)taken by Mr. Hayase」 の記載がそれぞれ見受けられる. 29.磯 永吉のアルバム アルバムは計6冊あり,その概要は以下の通り である. ① 表 紙 「 中 国 新 聞 社 」 : ア ル バ ム 縦 2 9 × 横 2 4 c m , 台 紙 縦 2 0 . 5 × 横 1 9 . 5 c m , 所 収 写 真138点. ② 表紙「朝日新聞社旗 Album」:アルバム 縦 33.5×横28cm, 台 紙 縦 32.5×20.5cm, 所収写真397点. ③ 表 紙 「 楽 し い 思 い 出 」 : ア ル バ ム 縦 29.5×横26cm,台紙縦28.5×横21cm, 所収写真186点. ④ 表 紙 「 風 景 画 A L B U M 」 : ア ル バ ム 縦 24×横19.5cm,台紙縦23×横15cm,所 収写真118点. ⑤ 表紙「蒸気船 Photo Album」:アルバ ム縦19×横26cm,台紙縦18×24cm,所 収写真10点. ⑥ 表紙「鴛鴦 ALBUM」:アルバム縦14× 横21.5cm,台紙縦14×横18cm,所収写 真23点. 4.結びにかえて 先述したように,今回の特別展示【台湾蓬莱米の 父 磯 永 吉 】 で は , 御 遺 族 か ら 数 多 の 貴 重 な 資 料 を貸与して頂いたにもかかわらず,2020年7月13
日 か ら 3 1 日 と い う 短 期 間 の 開 催 に 加 え , コ ロ ナ 禍 という状況も重なって,多くの方々に観覧してもら うことは叶わなかった.そのため,福山に所縁のあ る 磯 永 吉 と い う 人 物 と , そ の 功 績 に つ い て 広 く 市 民に知ってもらうという当初の目的も未達のままで 終わってしまったことは誠に残念でならない. そこで,一般的に博物館で開催される企画展・特 別展では,その展示図録が作成・刊行される状況を 踏 ま え て , 本 学 附 属 図 書 館 で 開 催 さ れ た 特 別 展 示 『 台 湾 蓬 莱 米 の 父 磯 永 吉 』 も 一 過 性 に 終 わ ら せ ないためにも,何か展示図録的なものとして遺して おきたいと思い至り,いささか泥縄式ではあるが, 起稿した次第である. なお,展示期間中には,多くの学内関係者(学生 や教職員)が熱心に観覧する姿を見受けられた.稿 を閉じるにあたって,以下に観覧者から寄せられた コメントを幾つか掲載しておきたい. ・学校の授業で,自分たちで旅行プランを立てて プレゼンするというものがあり,私たちのグル ープは台湾を旅行先に選びました.台湾と日本 の関係を知りたいなと思っているところ,偶然, 磯 永 吉 さ ん に つ い て の 特 集 が さ れ て い た の で とても運命的な何かを感じました.私は今まで 台湾と日本の関係について,表面的なことしか 知りませんでした.例えば,台湾が「親日」で いてくれているということ,日本が台湾を過去 に統治していたということです.どうして台湾 は日本に思いを寄せてくれているのか,日本は 統治時代にどのようなことをしていたかについ て,今回のことをきっかけに具体的に考えるよ うになりました.統治という行為を良い悪いと 単純に決めつけるのではなく,その時代の中で 当時の人々は何を考え,実際に何をしてきたの か,そして,それは後世に何を伝えてくれるの か,そのようなことを考えることが必要である と思いました.台湾と日本のつながりを作った 人 と し て , 磯 永 吉 さ ん が い た と い う こ と を 知 れて本当に良かったと思いました.同じ日本人 として,とても誇らしかったです.(教育学部 2年) ・小麦などに比べると,私は主食に米を食べるこ とが圧倒的に多いです.米を育て愛することに 人生をかけてこられた磯さんの姿勢に,勇気を 感じました.台湾という異国の地で,農業の分 野においてさらなる発展を遂げられたうえに, 日本の農業発展にも尽力されたこと,本当に素 晴らしいと思います.そして,このような貴重 な機会を与えて下さったご遺族の方にも感謝申 し上げます.(教育学部1年) ・磯さんが100年近く前に台湾の地で日本人の舌 に合うお米を改良したということを知り,自分 が普段食べているお米がおいしいのも磯さんの 功績の影響によるものなのだなと実感しました. (教育学部1年) ・ 恥 ず か し な が ら , 展 示 が あ る ま で 磯 永 吉 さ ん を存じあげませんでした.貴重な品々を目にし て , 磯 永 吉 さ ん が 台 湾 で す ば ら し い 功 績 を 上 げられたことを知ることができ,とても感動し ました.福山市民として大変誇らしく思います. そして,この展示をとおして台湾の歴史に興味 を持ちました.(教職員) ・磯 永吉さんの遺稿から,「農業は道徳をも育て る」と,説かれる教育者でもあったことを知り ました.また,追想録からは,多くの同僚や後 輩から慕われ,尊敬されるお人柄だったことも 知りました.磯さんは今から約115年前に福山 を旅立って北海道の札幌農学校に入学されてい ます.先日,福山駅で,もしかしたら磯さんは 出発前にたくさんの夢と希望をもってこの福山 城を見上げてから列車に乗られたのかもしれな い・・・と偉大な福山の先人の旅立ちの日に思 いを馳せました.(教職員)
「付記」 本稿を作成するにあたって,以下の諸氏・諸機関 に御高配頂きました.末筆ながら,記して感謝申し あげます(敬称略,五十音順). 今川直美,今津 海,岡安麻里,川口昭彦,久保正敬, 園尾 裕,藤井祐輔,米田 博,福山市秘書課,福山 市文化振興課,福山市立大学附属図書館. 参考文献 磯 永吉(1965)『増補 蓬莱米談話』雨読会. 杉原 茂(1985)『府中人物伝』上巻,府中市民タ イムス社,82−87. 古川勝三(2013)『日本人に知ってほしい「台湾 の歴史」』創風社出版. 渡辺利夫(2020)『台湾を築いた明治の日本人』 産経新聞出版.
Mr.EIKICHI ISO: The Father of Taiwan Hourai Rice-Breed
Koji YAHATA,Sui TSUJI,Etsumi SUZUKI
Mr. Eikichi ISO (1886-1972), a Japanese aguriculturalist, was engaegd in rice-breed improvement in Taiwan, and was, through trials and errors, successful in giving birth to a new rice-breed Hourai that came to fit the Taiwanese climate. The improved rice-breed Hourai contributed not only to the development of Taiwan s agriculture but also to the rice provision to the Japanese people during their food shortage period.
As Mr. ISO s hometown was Fukuyama, Hiroshima prefecture, the Fukuyama City University Library held a special display titled Mr.Eikichi ISO: The Father of Taiwan Hourai Rice-Breed from July 13 to 31, 2020. This display was made possible by his bereaved family provided the library with a lot of his valuable materials including writings and photo-graphs. As the display period was short and took place during the current worldwide epidemic of New Corona Virus (COVID-19) as well, most people unfortunately missed it.
This paper therefore, aims once again to discuss Mr. ISO s life and accomplishments as are told through the many display materials.
Keywords : Eikichi ISO, aguriculturalist, Taiwan, rice-breed, breed improvement, Hourai Rice-breed, special display, display materials
図
図版1
資料① 『磯 永吉 追想録』
図版2
資料③ 『磯 永吉』小冊子 資料② 『磯 永吉』DVD
図版3
資料⑤ 磯 永吉の写真
図版4
資料⑰ 『RICE AND CROPS IN ITS ROTATION IN SUBTROPICAL ZONES』 資料⑯ 『増補 水稲耕種法講演』
図版5
資料⑳ 勲章(勲二等旭日重光章) 資料⑲ 勲記(勲二等旭日重光章)
図版6
資料㉓ 特殊領綬景星勲章 資料㉒ 日本学士院賞賞牌
図版7
資料㉓ 磯 永吉から嚴主席宛への私信
図版8
資料㉖ 『亜熱帯における稲の育種に関する研究要旨』 資料㉕ 『故 磯 永吉 畧歴と面影』
図版9
資料㉘ 磯 永吉の写真