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外国人労働者受け入れの「国際的責任論」再考
藤 村 博 之
1.はじめに一国際的責任論の根拠を問う この小論の目的は,わが国の外国人労働者受け入れ賛成派が主張する「国際 的責任論」を再検討することにある。わが国で働く外国人の数は,ここ数年で 急速に増加した。正規の在留資格を取得して働いている人々はもちろんのこと, 在留資格なしで不法に就労している人も多い。 1990年6月に施行された改正入国管理法によって,わが国で働くことのでき る外国人の資格要件が明らかになった。新法では「技術」や「人文知識・国際 業務」という在留資格が新たに設けられ,わが国で就労できる外国人の枠は, 事実上,大幅に広がった。しかし,そこで認められているのは,高等教育を受 けたホワイトカラー職種であって,いわゆる単純労働者は認められていない。 昨今の人手不足を背景に,未熟練職種にも外国人の就労を認めるべきだとい う主張がある。彼らは,単純労働者受け入れの根拠として,経済大国としての 国際的責任を強調する。わが国は世界第2の経済大国になったのだから,アジ ア諸国から労働者を受け入れるのは当然の責務である,というものである。労 働力の供給過剰に悩む国々から労働者を受け入れることは,送り出し国にとっ て,①所得の送金が国際収支の赤字を軽減する,②失業者が減少する,③より 高い技術・技能を習得した帰国者が産業の中核を担うようになる,という3つ のメリットがあり,経済発展に寄与することを根拠とする。この論は,頭脳流 出の問題と残された家族の問題という2っのデメリットも指摘するが,さした る論拠もなくメリットの方が大きいとする。 メリットとしてあげられている3点のう’ち,国際収支の赤字軽減は異論のな36 彦根論叢 第272号 いところであるが,②と③は必ずしも明らかでない。外国に出ていった分だけ 失業者が減るのは当然だが,別のメカニズムを引き起こしてかえって失業者が 増えるという研究がある。また,帰国者を経済発展の担い手として位置づける には,それなりのシステムが必要である。一見,説得力があるかにみえる「国 際的責任論」も,その根拠はあいまいである。国際的責任論の現実性が問われ なければならない。 その際,次の3点が検討課題となる。 (7)出稼ぎ労働者かちの送金は,その国の国際収支にどの程度の影響を与えてい るか。 (イ)労働力の海外流出によって,送り出し国の失業問題は軽減されたか。 (ヴ)出稼ぎ労働者は,帰国後どのような職についているか。 国際的責任論の検討は,同時に,外国人労働力受け入れ国としてとるべき政 策を考えることにもなる。冒頭に述べたように,わが国で働く外国人の数は着 実に増えている。わが国で働く外国人の多くは,アジアの発展途上国出身者で ある。わが国は,ODAによってそれらの国の経済発展を支援する政策を展開し ているが,帰国者をその中に含めることによって,より幅のある支援策が打ち 出せるかもしれない。帰国者の実態を知ることは,この面からも重要だと考え る。 2.これまでの研究 出稼ぎ労働者が送り出し国の経済に与える影響については,後藤[1990]が 理論的な分析を試みている。経営者に対する影響と消費者の利益を,一般均衡 モデルを使って考えようという研究である。後藤自身が開発したモデルによる 分析とともに,他国の研究もいくつか参考にし,次のような結論を導き出した。 (7)労働力の送り出しによって国内資本の利子率が低下し,資本所得が減少する ため,資本所有者の利益代表たる経営者は損失を被る。 (イ)貿易制限の存在を仮定すると,労働力を海外に送り出すことによって,貿易 制限による歪みの減少と海外送金という2つのメリットが生まれ,消費者は
外国人労働者受け入れの「国際的責任論」再考 37 利益を受ける。 (ウ濃村に滞留する過剰人口が,外国での雇用についての情報を求めて都市に流 れ込み,結果として失業問題が深刻化する可能性がある。 (エ)労働力送り出しによる経済効果は,国際資本移動や貿易の自由化といった人 の移動をともなわない方法によっても実現できる。 これらの結論はなんら新しいものではないが,国際的責任論の主張するメリッ トを正面から扱った点で評価できる。ただ,帰国者が送り出し国の経済発展に 寄与するか否かという問題の考察はなされていない。 帰国労働者が送り出し国の経済発展にどのような影響を持っているかについ ては,これまでほとんど研究がなされてこなかった。それは,送り出し国の政 府の態度によるところが大きいと思われる。送り出し国は,出すときには熱心 だが帰ってきた人たちについて調べようとしないからである。フィリピンの出 稼ぎ労働者について述べた桑原[1990]も,この点を指摘している。送り出し 国の状況について比較的詳しく述べている論文として,ここでは,桑原論文と 真瀬論文[1987]をとりあげる。 桑原論文は,フィリピン労働省が1983年に実施した出稼ぎ労働者実態調査(海 外での雇用経験があり,再び海外に出かけようとしている800人を対象)を主と して用い,①海外出稼ぎ労働者のプロフィール,②帰国後の消費貯蓄への影響, ③フィリピン国内の労働市場への影響,④出稼ぎを決定する動機と論理,⑤海 外送金の影響,の5点を分析している。その結果,次の点が明らかになった。 (7)出稼ぎ者は,教育水準,熟練度の高い働き盛りの労働者が中心である。 (イ)個人の住宅や土地といった生産力とは直接結びつかない資産の保有意欲が強 い。 ㈲産業間の所得格差のために,出稼ぎ先で身につけた熟練が活かされない仕事 につく場合が多い。 (X)海外への労働力の流出は,国内労働市場の失業を減少させるどころか,農村 から都市への労働力移動を活発にし,結果として失業者を増大させる傾向を 持つ。
38 彦根論叢 第272号 (t)わが国の経済的影響力の高まりが,アジア諸国から労働者を引きつける決定 的な要因となっている。 (ヵ)出稼ぎ労働者の送金は国際収支の赤字を緩和する効果があるが,為替政策に よって送金量は変化する。 この論文は,フィリピン人出稼ぎ労働者の実態を明らかにした点で貴重であ る。しかし,十分な資料がないために,帰国後の生活がどう営まれているのか, 出稼ぎ先での経験が帰国後ほんとうに役に立っているのか,といった点につい ては何も述べられていない。 真瀬論文は,ドイツに対する最大の労働力供給国であるトルコの実態を分析 している。トルコについても,帰国者の実態を示す資料は乏しい。この論文は, 少ない資料を駆使して,次の2点を明らかにした。 (7)トルコからドイツへの労働力移動は,国の問の移動というよりも,トルコの 農村部の過剰人口がトルコの都市を経てドイツの都市へ流れ込むという,農 村から都市への移動としてとらえるべきである。 (イ)ドイツから帰国した労働者は,農村へ帰るのではなく,出稼ぎで蓄えた金を 資本にして,トルコの都市で自営業を始める場合が多い。 労働力の海外流出は,失業者を減らすどころか農村から都市への労働移動を促 し,かえって失業を顕在化させてしまうという指摘は,桑原論文と同じである。 これら2つの論文のほかに,出稼ぎ労働者の出身国の状況を報告するルポル タージュもいくつか出ている。しかし,それらは,送り出し国の生活の悲惨さ やわが国の労働現場での劣悪な労働条件ばかりを強調し,全体を見据えた議論 が展開されない場合が多い。この章の目的のためには,出稼ぎ労働者の帰国後 の生活についての資料を持っている国を研究対象としなければならない。 3.資 料 外国入労働者の送り出し国として,ユーゴスラビアをとりあげる。ユーゴは, 1968年に西ドイツ(当時)との間に職業紹介協定を結んで以来,西ヨーuッパ 諸国に多数の労働者を送り出してきた。その数は,もっとも多いときで86万人
外国人労働者受け入れの「国際的責任論」再考 39 (1973年)を数えた。その後,2度のオイルショックを経て出稼ぎ労働者の数 は減少し,現在では60数万人になっている。当然のことながら帰国者も多く, 帰国者に関する研究も他の国に比べて進んでいる。 この小論で主として使用する資料は,おもに2つある。ユーゴのザグレブ大 学移民研究所(lnstitut za migracije i narodnosti)が1977年におこなったア ンケート調査とクロアチア共和国職業安定局年次報告である。1977年のアンケ ート調査は,出稼ぎ労働者の多い3つの共和国(クロアチア,セルビア,ボス ニア・ヘルツェゴビナ)において,①外国への出稼ぎ者がいる家族1410,②帰 国者のいる家族822,③出稼ぎ者のまったくいない家族813の計3045家族からア ンケート形式で詳細なデータを集めた。筆者の手元にはアンケート結果そのも のはなく,この調査結果を使って書かれた論文が3本あるだけである。独自の 分析は無理だが,この小論で意図する目的に合った情報を得ることができる。 もうひとつの資料,クロアチア共和国職業安定局年次報告資料は,帰国者の うち失業登録をした人々についてのものである。ユーゴの6つの共和国のうち, 比較的経済レベルの高いクロアチア共和国に限って,1985年以降の状況を知る ことができる。一般に,帰国者のうち失業登録をするのは全体の3分の1にす ぎないといわれているので,帰国者すべての状態を示す資料ではないという制 約がある点に注意されたい。 ユーゴにおいても,帰国者に関する資料はたいへん少ない。特に経済の分野 では,ここで使う2つの資料に限られると言っても過言ではない。帰国者の問 題は,決して無視されてはいないが,興味の対象がやや異なっているためであ る。通常,もっとも問題となるのは,2世の教育問題である。たとえば,ドイ ツで生まれ育った子供が両親の帰国にともなってユーゴに戻った場合,学校側 はどういう対応をすべきかという点がよく議論される。このことは,帰国者は ユーゴの国民経済にたいした影響を与えていないことを示唆しているのかもし れない。
単位・千 人 彦根論叢 第272号 図1 ユーゴの失業者と出稼ぎ労働者の推移 ! ’ ノ ’
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t ’ t ,イ㍉、 ノ ! 、、 !, 、、、 ノ の ! 一一’“”一・・一一一へ ノ 、、 ノ 、 / ’ ’ ’ ’ 1965 1967 1969 1971 1973 1975 1977 1979 1981 1983 1985 1987 1966 1968 1970 1972 1974 1976 1978 1980 1982 1984 1986 1988 年 失業者数 ……出稼ぎ労働者数 コか み 出所:失業者はSavezni zavQd za statistik, Sta tis ti c’ ki goゴ3s学習S厭y(ユーゴ統計年 鑑),出稼ぎ労働者はInstitut za migracije i narodnostiの資料によっている。 4.ユーゴの出稼ぎ労働者の特徴 4−1 出稼ぎの動向 すでに述べたように,ユーゴからの出稼ぎの流れは,ドイツとの間に職業紹 介協定が締結された1968年以降急速になる。図1は,ユーゴの失業者と出稼ぎ 労働者の推移を表したものである。失業者数はユーゴ連邦統計局の『統計年鑑』 に,出稼ぎ労働者数はCentar za istrazivanje migracija−Zagreb(現在のザグ レブ大学移民研究所)の資料によっている。 失業者数は公式統計で毎月とらえられるが,出稼ぎ労働者数に関する公式統 計は,10年に一度行われる国勢調査だけである。それゆえ,ユーゴ国内の研究 機関や個々の研究者がさまざまな推計をおこなっている。推計の方法によって 数字が上下するが,基本的な傾向はどれも同じである。73年までの急上昇と74 年以降の下落である。ここでは,移民研究についてもっとも信頼性の高いザグ外国人労働者受け入れの「国際的責任論」再考 41 レブ大学移民研究所の数字をとった。なお,82年以降の数字は,残念ながら手 に入れることができなかった。 この図から明らかなように,69年から73年まで毎年大量のユーゴ人が国境を 超えて働きに出た。この流れは,第1次オイルショックによってぴたりと止ま り,75年からは多くのユーゴ人が帰国した。ユーゴの出稼ぎ成長時代は,わず か6年しか続かなかった。海外出稼ぎ労働者は,70年代半ばから80年代はじめ にかけて大幅に減少したが,80年代半ばになると減少のスピードが弱まった。 ユーゴ全体の数字が手元にないのではっきりしたことはいえないが,クロアチ ア共和国のデータでみる限り,85年以降,帰国者の数は減っている。(後に述べ るように,81年の国勢調査時点で海外で働いていたユーゴ人625,00Q人のうち, クロアチア共和国出身者は24.3%を占めていた) クロアチア共和国職業安定局の係官によると,70年代後半の帰国者と80年代 後半の帰国者は性格が大きく異なるという。70年代後半の帰国者は,本当は帰 りたくないにもかかわらず不況で職がないために帰らざるをえない人たちであ った(失意の帰国者)。他方,80年代後半の帰国者は,十分に蓄えもでき自分の 意志で帰ってくる人たち(成功した帰国者)が多くなっている。 送り出し国政府が頭を痛めたのは,70年代後半から80年代はじめにかけての 失意の帰国者をどう助けるかであった。彼らは出稼ぎに出て日が浅いために十 分置蓄えを持っていない。ユーゴ国内で職を得ようにも,70万から80万人の失 業者を抱える経済には雇用吸収力はない。「西ドイツをはじめとする西ヨーロッ パ諸国は,自分たちの問題をわれわれに押しつけてきた」一職業安定局の係 官は,当時をふりかえってこのように述べた。 確かに,70年代後半から80年代にかけてのユーゴ経済は,年々増加する失業 者の対策に苦慮していた。しかし,職がなかったのでは決してない。熟練工, エンジニア,経営管理者といった職種には常に求人があった。もし,出稼ぎ労 働者が海外での仕事を通してより高い技術・技能を身につけて帰国したならば, ユーゴ国内での雇用機会は広がったかもしれない。この点は,後に詳しく検討 する。
42 彦根論叢 第272号 図2 共和国別出稼ぎ労働者構成比(1971年) モンテネグロ(1.2%) コソボ(3.6%) スロベニア(7.2%} マケドニア(8.1%) ボイボデナ(9,0%) クロアチア(33.4%) セルビア(17.1%) ボスニアーヘルツェゴビナ(20.4%) 図3 共和国別出稼ぎ労働者構成比(1981年) モンテネグロ(1.6%) ボ(4.6%) スロベニア(6.7%)
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クロアチア マケドニア(9,3%) {イボデナ(7.7%) セルビア(24.4%) ボスニアこ ボスニア=ヘルツェゴビナ(21.4%) 4−2 出稼ぎ労働者の出身地 図2と3は,出稼ぎ労働者の出身共和国別構成比である。また,図4は1981 年の共和国別労働者構成比を表している。出所は,いずれも連邦統計局の『ユ ーゴ統計年鑑』である。ユーゴには6つの共和国と2つの自治州があり,共和 国間の経済発展度が大きく異なる。北部の先進地域であるスロベニアとクVア チアは西ヨーUッパに比較的近い水準であるが,マケドニア,モンテネグロ, コソボといった南部の後進地域では,ひとりあたりGNPが2000ドルを大きく 下回っている。コソボ(3.8%) 外国人労働者受け入れの「国際的責任論」再考 図4 共和国別労働者構成比(1981年) モンテネグロ(2,0%) マケドニア(8ユ%) ボイボデナ(9.1%) クロアチア(21.3%) 43 ボスニア=ヘルツェゴビナ(16.2%〉 セルビア(29.9%) これら3つの図から,次の点を読みとることができる。 (7)71年,81年ともに,クロアチア,ボスニア=ヘルツェゴビナ,セルビアの3共 和国で全体の7割を占める。これは,共和国別の労働者構成比とほぼ対応し ている。ただし,3つの共和国のウェイトは10年間で大きく変化した。 (イ)出稼ぎ開始直後は,クロアチア出身者が全体の3分の1を占めたが,81年に なるとセルビア出身者の割合が増加し,クロアチア出身者と同じ比率になつ た。 (ウ)71年と81年を比べると,北部地域出身者の割合が低下し,中・南部出身者の 割’合が増加した。 出稼ぎ労働者たちの出身地が都市部か農村かという点も,出稼ぎと失業の顕 在化を考える上で重要な論点である。しかし,筆者の手元にある資料では,こ 1) の問題を詳しく論じることはできない。今後の課題としておきたい。 1>ただ,筆老がユーゴ滞在中に得た印象では,必ずしも都市出身者に片寄っていないよう に思われた。ユーゴの出稼ぎは,公的な職業紹介機関を通して行われてきた。もちろん, 私的なコネによる出稼ぎもあったが,受け入れ国の労働ビザの関係から,公的機関を通す ことが一般的だったと言われている。職業紹介所は農村部にもあり,都市部と同じ情報が 流されていた。それゆえ,ユーゴの場合,農村から都市を経由して外国へ働きにでるとい う図式は,あまり見られなかったように思われる。
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図5 出稼ぎ労働者の年齢給構成 ……==二 13.5c/灘
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x 、 、 唱、 、 、 、 、 、 、 38.3 18.9 1971 年 國19歳以下 囲20∼29歳 鰯30∼39歳 圏40∼49歳 出所:Leti6[1989]p.44、 1981 SS 5e 一一 59歳 團60歳以上と不明 4−3 出稼ぎ労働者の属性 性別構成 通常の海外出稼ぎは,まず男性(夫)がさきに出かけて生活基盤を整えた上 で,女性(妻)を呼ぶという形がとられることが多い。ユーゴの場合も例外で はない。71年の国勢調査時点で海外で働いているユーゴ人の75.0パーセントは 男性であった。それが81年の国勢調査では,64.9パーセントに低下している。 依然として過半数が男性であるが,女子の出稼ぎも確実に増えている。 年齢別構成 出稼ぎ労働者の年齢別構成については,クロアチア共和国の資料が手元にあ る。すでに述べたように,出稼ぎ労働者にはクロアチア出身者が比較的多いの で,この資料からユーゴ全体の傾向を類推できよう。 図5は,出稼ぎ労働者の年齢別構成を1971年と81年で比べたものである。71 年には,20歳代が43.8%,30歳代が30.6%と比較的若い層が中心であった。こ れは,桑原論文が報告しているフィリピンの状況とよく似ている。それが81年外国人労働者受け入れの「国際的責任論」再考 45 表1 出稼ぎ労働者の教育水準別構成(クロアチア共和国) (%) 1971年 全 体 出稼ぎ者 1981年 全 体 出稼ぎ者 就学年数0−3年 就学年数4−7年 義務教育8年終了 就学年数9−12年 就学年数13年以上 不 明 17.6 43.6 14.8 20.4 3.6 注(1) 7.4 43.2 19.5 26.0 2.0 1.9 14.2 31.9 19.2 28.3 6.3 注(1》 7.5 31.6 24.0 27.3 3.8 5.8 計 100.0 100.0 注(1)不明は就学日数O−3年に含まれている。 ロひ ロリ(出所)Leti6[1989]p.45, S嬬ゴ諺。短804多sηブ読SFRJ になると,30宮代38.3%,40歳代24.2%と中堅層の比率が高くなった。これは, 第1次オイルショック以降の受け入れ国の政策が影響していると思われる。西 ヨーロッパ諸国は,70年代半ば以降,外国人労働者の入国を厳しく制限するよ うになった。一度ユーゴへ帰ってしまうと,再び出稼ぎに行くのは不可能に近 い。それゆえ,出稼ぎの目的を達成するまではなんとしても残るように人々が 行動するようになった。その結果,滞在期間が長期化し,年齢構成もほぼ10年 高くなったのであろう。 教育水準別構成 表1は,クロアチア共和国出身の出稼ぎ労働者の教育水準とクロアチアの労 働者の教育水準を比較したものである。この表からわかるように,出稼ぎ労働 者の教育水準は他の労働者の教育水準とほとんど同じである。強いて言うなら ば,71年は中等教育終了者(就学年数9−12年)の割合がやや高く,81年は義 務教育終了者の割合が比較的高くなっている。フィリピンのように,高学歴者 が出稼ぎにでるという状況はユーゴではみられない。 出稼ぎの目的と評価 1977年に行われたアンケート調査では,帰国者に対して,出稼ぎの目的とそ の評価について調べている。表2,3,4はそれぞれ,出稼ぎの目的,出稼ぎ のよい点,悪い点をまとめたものである。これらの表から次のことがわかる。
46 彦根論叢第272号 表3 外国で働くことのよい点 高い所得が得られること 貯蓄ができること(住宅資金,子供の学資など) 労働経験が得られること 別の世界を知り,いろいろな人と知り合いになれること 外国語を習得できること よい結婚相手が見つかること 別にない 65.2 (O/.) 16.8 3.5 8.0 1.0 1.1 4.4 計 100.0 ソ (出所)Nejasmi6[1981]p.42. 表2 出稼ぎの目的 とにかくお金を貯めること 住宅建設費や子供の学資を稼ぐこと 自営業開始・拡大のための資金づくり 外国でまともな職につくこと 外国を知り新しい知識を吸収すること その他(別になし,無回等など) 63.o (o/.) 25.1 0.6 0.5 1.9 8.4 計 100.0 (出所) Nejasmi6[1981]p.40. ㈲出稼ぎのいちばんの動機はお金を貯めることであって,貯めたお金はおもに 消費にまわすことを予定している。 (イ)外国で働くのはよいことであると考えている人が約7割を占める。よいと考 える理由は,高い所得に関連するものが圧倒的である。 (ウ)外国で働くことには問題があると考えている理由は,労災や病気といった健 康に関するものと,家族の不安定さに集中している。 5.ユーゴの出稼ぎと国際的責任論の妥当性 5−1 出稼ぎ労働者の送金と国際収支 前節でユーゴの出稼ぎ労働者の特徴を概観したが,この第5節では,冒頭に 述べた国際的責任論の主張がユーゴの実態にどの程度あてはまるかを考えてみ
外国人労働者受け入れの「国際的責任論」再考 表4 外国で働くことの問題点 労災,病気,障害者になる危険 家族と離れて暮らすこと,子供の問題 離 婚 近所から冷たい目でみられること 子供が転校しなければならないこと ユーゴでの雇用にともなう権利の放棄 45.3 (O/.) 40.0 5.3 4.7 3.5 1.2 47 問題ありとする帰国者計 100.0 問題なしとする帰国者 どちらとも言えない,無回答 25.9 (O/.) 68.0 6.1 総 計 100.0 図6 ユーゴの経常収支と出稼ぎ者の送金
4
3
2
1
10 億 O s D 一1R
−2
−3
−4
−5
1968 1970 1972 1974 1976 1978 1980 1982 1984 1986 1969 1971 1973 1975 1977 1979 1981 1983 1985 1987 年 ■経常収支 魍貿易収支 團貿易外収支 閣海外からの送金 出所:IMF, Balance of Payments Yearbook たい。 国際的責任論の第一の主張は,出稼ぎ労働者の送金による国際収支の赤字改 善である。図6は,ユ「ゴが本格的に出稼ぎ労働者を出すようになった1968年 以降の経常収支,貿易収支,貿易外収支,海外送金の動きを表したものである。48 彦根論叢第272号 この表からわかるように,出稼ぎ労働者の送金はユーゴの経常収支改善に大幅 に寄与している。特に83年以降は,送金によって経常収支が黒字になっている。 海外からの送金が国際収支を改善する,という国際的責任論の主張は,ユーゴ にも明白にあてはまることが確認された。 ただ,ここで送金の不安定性についてひと言述べておきたい。後藤[1990] は,受け入れ国の景気によって送金額が変化し,送り出し国の掩乱要因になる 2) 点を指摘している。確かに,ユーゴもこの問題を抱えている。ドイツの景気後 退はユーゴ人の送金に影響を与えずにはおかない。しかし,図6を見る限りで はその影響はさほど大きくないようである。それは,2度のオイルショック後 の落ち込みがほとんど見られないことから類推される。 送金額が大きく落ち込むのは83年である。これは,出稼ぎ先の事情よりもユ ーゴの為替政策の変化によって説明できる。ユーゴでは60年代半ばから,一般 市民の外貨預金が認められてきた。ユーゴ人ならば誰でも外貨預金口座を持ち, 外貨を自由に出し入れすることができた。しかし,対外債務の返済に多額の外 貨を必要とするようになった連邦政府は,1983年に外貨預金の引き出し制限を 実施した。83年以降の落ち込みは,ユーゴ国内で外貨を自由に引き出せなくな ったことによっている。出稼ぎ労働者たちは,稼いだ金を全部ユーゴに送るの ではなく,出稼ぎ先の銀行に預金しておき,必要なときだけ送金するようにな った。 以上のような不安定要因があるとはいえ,出稼ぎ労働者の送金が国際収支の 改善に役立っていることは歴然としている。では,失業者を減少させる効果は どうであろうか。 5−2 労働力輸出と失業者数の関係 図1には,出稼ぎ労働者の推移とともに失業者の動向もあらわしてある。こ の図から次の2点を読みとることができる。 (ア)出稼ぎ労働者が失業者の減少に貢献したと思われるのは,69年から71年の3 2)後藤[1990]p.133.
外国人労働者受け入れの「国際的責任論」再考 49 年間である二 (イ)出稼ぎ労働者数の減少が始まった74年以降は,失業者も大幅に増加している。 つまり,出稼ぎ労働者数と失業者数がともに増加しているのは72年と73年の2 年間だけであって,ここでみることのできる範囲では,両者はおおむね予想に あった動きをしていることがわかる。 ユーゴの失業者は,ユーゴ経済の高い成長率にもかかわらず,70年代に大き く増加した。外国への出稼ぎがその誘因となったと主張できる十分な証拠はい まのところない。確認できる事実は,農業部門の人口が大幅に減少したことで ある。71年から81年の10年間で,農業従事者は176万人減り,労働力人口は98万 入増加した。単純に計算すると,非農業部門は274万人の雇用圧力を受けたこと になる。これは,71年当時の雇用労働者数の約7パーセントにあたる。 農業部門からの離脱がなぜこれほど急速におこったかについては,さまざま な要因が考えられる。桑原や真瀬が指摘する出稼ぎの効果はもちろんあるだろ うが,それだけで説明するには無理がある。6つの共和国の首都への人口集中 は,71年の16.37パーセントから81年の18.35パーセントへと約2ポイント上昇 したにすぎない。地方都市の雇用機会の伸びが農村の余剰人口を引きつけたと 考えた方が,実態に近いかもしれない。この点は,今後検討すべき課題である。 5−3帰国者の経済発展への寄与 国際的責任論の第3の主張は,出稼ぎ労働者が受け入れ国で高い技能や知識 を習得し,帰国後の経済発展に役立つというものである。ある種の経済協力と して外国人労働者の受け入れをとらえようとしている。この主張が説得力を持 つには,次の2つの条件が満たされていなければならない。 (ア)受け入れ国で,高い技能や知識を習得できる仕事につくこと。 (イ)帰国後,その技能や知識を活かせる仕事につくこと。 ユーゴの帰国者に対するアンケートから,この問題を考える。 出稼ぎ先での仕事 外国へ働きに出る際の動機がもっぱら貯蓄にあることはすでに述べた。動機
50 彦根論叢 第272号 表5 外国で従事していた作業の種類 作業の種類 建:設現場の補助作業 建設現場の熟練作業 大工作業手伝い 金属製造現場の補助作業 木材加工熟練作業
飲食業
製造業ライン作業その他
22.9 (O/.) 5.4 11.3 7.2 8.1 12.1 15.0 9.8 計 100.0 ソ 出所:Nejasmi6[1981]p,96. が何であれ,技能や知識を高める仕事についていれば,結果的に第1の条件を 満たすことになる。表5は,出稼ぎ先でついていた仕事の種類を表している。 この表かち,①建設関係の仕事に従事した者が全体の4割を占めること,②特 別の技能や知識を必要としない仕事(補助作業,飲食業)に53.5パーセントの 人がついていたことがわかる。一般に,ユーゴの出稼ぎ労働者たちは,未熟練 か半熟練の職種についていたといって差し支えないだろう。 ただ,帰国者の出稼ぎ経験年数に注意する必要がある。この77年アンケート 調査に答えた822人の滞在期間別構成は,次のようになっている。0−2年12. 6%,3 4年25.9%,5−6年31.9%,7−8年17.7%,9−10年7.3%, 11年以上4.9%。77年はユーゴが本格的に労働力の輸出をはじめて約10年を経 過した頃にあたる。アンケート回答者は,出稼ぎ期間6年以内の者が全体の7 割を占めている。最初は補助作業からはじめたとしても,滞在期間が長くなれ ば少しずつ難しい仕事を経験し,技能や知識を高められるかもしれない。比較 的短期問で戻ってきたことによって,そのような機会を逃している可能性があ ることに留意しておこう。 出稼ぎ先での仕事と技能・知識の向上は,表6と7からも考えることができ る。表6は,ユーゴで受けた教育と出稼ぎ先での仕事の関係を見たものである。外国人労働者受け入れの「国際的責任論」再考 51 表6 出身国で受けた教育と出稼ぎ先での職種 (%) 出稼ぎ先での @ 職種 ウ育水準 計 未熟練
E種
半熟練E種
熟練E種
現場 ヌ理者 事務職 専門職 その他 初等教育(8年)以下 C了者門門教育なし){成訓練終了者
i初等8年+2∼4年) ?剳£ハ教育終了者 i初等8年+4年)s刹ウ育終了者
i中年+2∼4年) 100.0 P00.0 P00.0 P00.0 52.1 P1.5 Q2.0@
26.5 V.4 Q2.0 X.1 17.2 V7.9 Q0.0 P8.2 1.8 O.8 Q.0@一
P4.0 Q7.3 0.6 O.8 W.0 R6.4 1.8 P.6 P2.0 X.0 出所:Nejasmi6[1981]p.98. 表7 外国での就労と技能・専門知識の向上 (o/o) 技能・専門知識の向上に 計 役立った 影響なし 悪化した 初等教育(8年)以下修了者 100.0 44.5 養i成訓練修了者(初等8年+2∼4年) 100。0 66.4 中等普通教育終了者(初等8年+4年) 100.0 42.6 高等教育修了者(中等+2∼4年) 100.0 72.7 55.5 31.8 51.0 9.1 1.8 6.4 18.2 出所:Nejasmi6[1981]p.101. 学歴と職種に緩やかな正の相関があることがわかる。これは,桑原の指摘する フィリピンの状況と大きく異なっている。フィリピン人出稼ぎ者は,高学歴で あるにもかかわらず未熟練職種で働く場合が多いからである。 ユーゴ人が学歴にほぼ見合った職についているのは,出稼ぎが公的職業紹介 機関を通して行われているためだと考えられる。政府間の協定に基づいて職が 斡旋されるので,ユーゴでの学歴が考慮されやすいのだろう。もちろん,出稼 ぎ労働者の6割が初等教育修了者かそれ以下なので,全体としては未熟練や半 熟練職種で働く人の割合が高くなっている。 表7は,外国で働いたことが技能・専門知識の向上に役だっているか否かを あらわしている。中等普通教育修了者を除いて,学歴が高いほど技能や専門知52 彦根論叢 第272号 表8 出稼ぎの前と後の職業 出稼ぎ前
帰国後
一般企業 個人企業(5人以下)自営業
個人農
主 婦 生徒・学生 年金生活者失業者
不 明 41.80/0 6.2 1.6 33.3 6.3 1.6 7.9 1.3 40.40/. 2.2 5.8 18.8 2.2 1.3 28.6 0.7 計 100.0 100.0 ソ (出所)Nejasmi6[1981]p.60. 識が向上したとする者の割合が高くなることがわかる。中等普通教育修了者は, 表6にもあるように,学歴に見合った仕事についている割合が低いために,こ のような結果になったのだと思われる。 以上の考察から,出稼ぎと技能・技術の向上について次のように結論できよ う。 (7)ユーゴの労働者の約6割は未熟練または半熟練の仕事についており,仕事を 通して技能や知識が高まったとは必ずしも考えていない。 (イ)しかし,学歴の高い一部の労働者は,外国で働くことによって技能や専門知 識が向上したと考えている。 帰国後の仕事 出稼ぎ先で得た技能や知識を帰国後に活かすには,それに見合った仕事につ くことが必要である。帰国後にまず問題となるのは,職探しである。表8は, 出稼ぎにいく前と帰国後の勤め先を示したものである。帰国後自営業を始める 人は,通常いわれていることとは反対に,わずか5.8パーセントと低い。帰国者 の4割は,一般企業に就職している。ただこの点は,前にも述べた帰国者の外外国人労働者受け入れの「国際的責任論」再考 53 表9 帰国後の問題 すぐに仕事がみつからない 長期の失業状態 自営業の開業許可がなかなかおりない 外国よりも生活が苦しい 出稼ぎ先でかかった病気 隣人との関係 その他(子供の教育,住居など) 47.5 (O/.) 22.2 3.6 9.7 4.3 3.0 9.7 計 100.0 国滞在年数の短さが影響していることも考えられる。 この表から読み取れるもうひとつの特徴は,帰国者に失業者が多いことであ る。実に,28.6パーセントの人が失業状態にある。帰国後,ちゃんとした職に つくのは相当難しいことをこの結果は示唆している。この点をより詳しく知る ために,表9をみよう。 この表は,出稼ぎ労働者が帰国後どのような問題に直面したかをあらわした ものである。なお,帰国者のうち4割が深刻な問題に直面したと回答している。 ここから,仕事がみつからないことが最も大きな問題になっていることがわか る。実に7割の人が失業状態を深刻に受けとめている。帰国しても適当な仕事 がないのでは,外国で仕入れた技能や知識を活かしようがない。帰国者を上手 に使っていくしくみが必要である。 最:近の帰国者 これまでの考察は,77年のアンケート調査を基にした帰国者像であった。そ こで描かれた姿は,外国滞在期間の比較的短い人たちのものであった。その当 時からすでに10数年が経過し,帰国者の様相も変わってきた。そこで,最後に, クロアチア共和国職業安定局年次報告と係官へのききとり調査を使って,最近 の帰国者について簡単に述べておきたい。 最近の帰国者には,経済的な問題を抱えた人が少なくなった。これは,いわ ゆる「失意の帰国者」が減って,「成功した帰国者」が増えたことを意味する。 出稼ぎ期間が長期化し,帰国者はまとまったお金を持って帰ってくるからであ
彦根論叢 第272号 表10就職者と失業者の失業期間構成(1987年)
実数
(o/o)けた人の失業期間
87N中に職を見つ
失業期間 87N末の登録者の
計 6ヵ月未満 6ヵ月以上9ヵ月未満 9ヵ月以上12ヵ月未満 1年以上3年未満 3年以上5年未満 5年以上8年未満 8年以上 537 233 82 40 134 31 14 3 100.0 43.4 15.3 7.5 24.9 5.7 2.6 0.6 計 6ヵ月未満 6ヵ月以上9ヵ月未満 9ヵ月以上12ヵ月未満 1年以上3年未満 3年以上5年未満 5年以上8年未満 8年以上 2,650 504 158 130 609 462 378 409 100.0 19.0 6.0 4.9 23.0 17.4 14.3 15.4 出所二Ferk−Dai6[1989]p.119. る。また,スイスで季節工として年間9カ月程度働き,残り3カ月間をユーゴ で失業者として過ごすことを当たり前とする人々も出てきている。 他方,便宜上失業登録をする人々もいる。職業紹介所に登録することは,健 康保険をもらえるという大きなメリットを伴う。また,ドイツからの帰国者に は,登録によって失業給付金を受け取ることができるというメリットが加わる。 帰国者のある部分は,本当に仕事を探しているのではなく,このような便益の ために失業登録をする。表10に示された,帰国後5年以上失業状態にある人が 全体の3割を占めること,表11にあるように,ある期間を過ぎると自分から登 録を取り消す人が帰国者全体の8割を占めるという2つの事実は,この説を裏 付けているといえよう。外国人労働者受け入れの「国際的責任論」再考 55 表11 失業登録取消理由別構成 (%) 登録取消理由 1985年 1987年 年金受給 病気などですぐに働けない 他の共和国へ移住 職探しをやめた 決まった時期に登録に来なかった
その他
6.9L4
3.8 83.1 2.1 2.7 5.9 2.9 3.1 83.4 2.5 2.2 計 100.0 100.0 注:登録取消者数は85年1,313人,87年966人。 出所:Ferk−Dai6[1986]p.407.同じ[1989]p.115より作成。 6.まとめにかえて この小論では,ユーゴの出稼ぎ労働者の実態を通して,単純労働者受け入れ 賛成派が主張する「国際的責任論」の妥当性を考えてきた。その結果,次の点 が明らかになった。 (7)出稼ぎ労働者の送金は,送り出し国の国際収支の改善に確実に寄与する。し かし,送金が安定的に行われるかは,受け入れ国の景気と送り出し国の為替 政策に大きく影響される。ユーゴの場合,為替政策の変化が送金の減少を引 き起こした。 (イ)海外への労働力の流出は,国内労働市場の失業を減少させるどころか,農村 から都市への労働力移動を活発にし,結果として失業者を増大させる傾向を 持つことが先行する研究によって指摘されている。ユーゴにおいても,はっ きりとした形ではないにせよ,同様の傾向が認められた。ただし,ごく短期 間に限定すれば,出稼ぎが失業を減少させることも確認できた。 (ウ〉ユーゴの場合,出稼ぎによって高い技能や知識を習得した人が一部にみられ たが,大半は①出稼ぎ先で技能や知識を高めるような仕事につくことはなく, ②帰国後も職をなかなか見つけられない状態にあった。国際的責任論が主張 する,高い技能・知識を身につけた帰国者が送り出し国の経済発展に役立つ彦根論叢第272号 という図式を完成させるには,受け入れ国が帰国後の就職先も含めて面倒を 見なければならない。 〈参 考 文 献> Ferk−Dai6, Davorka [1986] ”Struktura i zapogljavanje nagih povratnika iz inozemstva” (海外からの帰国者の構成と雇用)Zの誌面。α卿i udra:eni rad,10−3, pp.397−410. [1989]”Povratnici iz inozemstva uユ987, godini”(1987年の海外からの帰国者),Zapo gijavanje i udmZeni rad, 14−1, pp. 105−120, 後藤純一[1990]『外国人労働の経済学』,東洋経済新報社。 桑原靖夫[1990]「アジアにおける国際労働力移動の一断面」『日本労働研究雑誌』373号,11 月,pp.28−48。 Leti6, Franj o[1989]D翔細θ%’寒ivot vanisleih migranata(海外出稼ぎ労働者の生活), NIRO RadnicVke novine, Zagreb. 真瀬勝康[1987]「西欧における外国人労働者とその送り出しの構造」(森田桐郎編『国際労働 力移動』,東大出版会,pp.249−274) Mihaljevi6, Marijan[1983]”Ugovorne organizacije udru>enog rada u SR Hrvatskol”(ク ロアチア共和国における共同出資会社),Rasprave o migracijama br.85, Centar za istra Eivanje migracija zagreb. Nejagmie, lvica [1979] ”Ukljugivanje vanjskih migranata u gospodarski i drugtveni razvoj SR Hrvatske”(海外出稼ぎ労働者とクロアチア共和国経済の発展),Rasprave o migracil’ama br. 54, Centar za istra}ivanje migracija Zagreb. [1981] ”Povratak jugoslavenskih vanjskih migranata i njihovo ukljuEivanje u gospodarski i druζtveniΣivot zemlje”(ユーゴ出稼ぎ労働者の帰国と国民経済の発展), RtzsPrave o migraci/ama br. 73, Centar za jstrazivanje migracija Zagreb. [1982]”Koristenje uζtede steとenih radom u inozemstvu”(海外貯蓄の利用〉, Ras− Prave o migracil’ama br. 80, Centar za istrazivanje migracija Zagreb. Savez SIZ za zapoζUavanje Hrvatske(クロアチア共和国職業安定局)[1985−89]2砂05− lenost, zaPogliavanie iみθ1α’ηos’SIZ za吻臨画θα7卿(職業安定局年次報告書〉,Za− greb. Savezni zavod za statisitiku(連邦統計局)[1981]1%伽stanovnisVtvα, domaSinstava i stanova u 1981、 godini(1981年国勢調査) Svob, Melita&Karmen Brとi6[1985]”Povratak migrantica”(女子帰国者)M忽πzc加々θ teme 1−2, pp. 15−21. Vedrig, Mladen [1978] ”lnvestment of Migrant workers’ Savings into the Social Sector of Economy”, Centar za istrazivanje migracija.