井上円了と夏目漱石 : 裸足のソクラテス
著者名(日)
山崎 甲一
雑誌名
井上円了センター年報
号
15
ページ
3-19
発行年
2006-09-20
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00002765/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja井上円了と夏目漱石
裸足のソクラテス山崎甲一
yamazaki koichi 一 接点 井上円了(一八五八ー一九一九)と夏目漱石(一八六七ー一九一六)との間に、現実的な交渉や直接的な言及と いう様なものは無い。唯、二人の生きた時代が、明治維新の前から大正の中期までということで、略重なり合う ということ。又、一方は哲学者にして教育者、他方は教育者にして作家という大まかな輪郭に、通底するものら しき接点があること。さらに双方とも、大学という組織人から在野に身を置いて本懐を遂げていること、等々の 側面がある。「井上円了とその時代」という今期の私の研究テーマに一つの具体的な形を与えるべく、両者の間 に通底する側面や接点を中心にして考察をしたい。 尚、円了の思想や事跡については既に、東洋大学井上円了研究会による以下の公刊が成されている。『井上円 了の学理思想』(第一部会 平1)、『井上円了と西洋思想』(第二部会 昭63)、『井上円了の思想と行動』(第三部会 昭62)。 これらの詳細な研究成果に、付加すべき何ものかが果してこの小論にあるかどうか、甚だ心許ない。が、円了 と福沢諭吉などを始めとした、関係比較論は数種あるようであるが、円了と漱石を組み合わせにした比較論は未 3 井上円了と夏目漱石だ見当らないようである。小論に新味があるとすればその辺りであろうが、 両者の比較論が素描できればと思う。 まずはそこを意として、私の言葉で 4 二 立志と栄達 論に入る前に、その前提として私には次の様な問題意識が控えている。それは、コンラート・ローレンツ、野 田良之、羽鳥徹哉の三氏の提言に簡潔に要約されているような、現代の文明社会の空気に潜む、或る著しい傾向 である。 「(工学や薬学などの進歩のために)人間は、不快に対する不寛容さをまして1快の誘引力も低下してーき たために、あとにならなければ快を得られそうもない仕事にはげめなくなっている。そこで人間は、芽ばえた ばかりのあらゆる望みをただちに満足させようとするようになる。今や残念ながら、生産者や商業的企業はイ ンスタントな喜びに対する欲求をあらゆる方法で促しており、しかも消費者たちは奇妙なことに、彼らが「お 得な」分割払いによっていかに奴隷になっているかを見ぬけないでいる。(中略)今日たえず増大しつつある 不快に対する不寛容性は、人生の自然な起伏を人工的にならされた平原に変える。それは大きな波の山と谷を 目立たぬ振動に変え、光と影を単調な灰色にしてしまう。要するにそれは、死のような倦怠をうみだすのであ る。 こうした「感性の衰滅」は、いまや特殊なやり方で、私たちの社会的な関係、夫婦や子供、両親や友人に対 する私たちの結びつきから必然的に生じる喜びや悲しみをおびやかしているようだ。」 (ローレンツ『文明化した人間の八つの大罪』昭48 日高・大羽訳、傍点原著)
「「ヒュブリス、すなわちご⇒∋①ロ(無限度)、思い上り(QD①一ひ切{己ぴ6『庁Oげ已田oq)は『傲慢』(己σ6「日葺)の単なる ﹃比喩﹄︵≧一①ぬ9。︶ではなく、ものを歪曲し、本質を破壊する力である︰自分自身を越出る者[思い上る者] は自己の本質を逸脱するもので、自分が現にあるもの以上の他の者になりたいと思う。自分の純正な存在を不 純正な仮象によって否定する。ヒュブリスはあらゆる本質存在(乏。ω雪)を非本質存在(ご白≦①切窪)に転化す る。ヒュブリスのなかには反抗と謀反への傾向が支配している‥神々への不服従へ、あるいは運命の諸力の無 視へと導くのはヒュブリスである。ヒュブリスは人間をGooま留ぴq①「①○宮ぴq内①=(独善)へ、自己英雄視へ、そ して遂には自己神格化へと誘う。」(国.綱o芦○ユΦ∩9ω∩言゜。零○宮ぴ。△Φ呉opo。△」二巴P°n’㎝O)このような性格をも つヒュブリスをギリシャ人は最大の悪徳として警戒した。(中略)自然界においても、人間界においても前代 未聞の事象が次々と現れてくるのに、その現象面の対症療法を求めるに汲々として、真の原因がヒュブリスに あることを悟ろうとしない。政界において、財界において、芸能界において、そして芸術や学問の世界におい てすら、人は何と平然として、ソロンが強く却けた支配欲-権勢欲、金銭欲、名声欲にうつつをぬかしている ことか。(中略)私にとって最も身近な学問の世界においても、ノオベル賞だ、アカデミィ賞だ、文化勲章だ といったことがヒュブリスの助長になるのではないかと心配だが、自分の属する領域だけに杞憂であることを 切に祈る。古代ギリシャではソクラテスは一年中裸足でアテナイを歩き廻り、無知の知を説いて、知に驕る者 のヒュブリスを粉砕してやまなかった為に刑死をもって報いられた。私が人類の歴史のなかで最大の哲学者と 畏敬するプラトンも何らの表彰も受けてはいない。アリストテレスまた然り。」 (野田良之『栄誉考』昭61・5「ヒュブリスについて」) 「(前田愛氏の「明治立身出世主義の系譜 『西国立志編』から『帰省』まで」(昭40・4「文学」)の論文は)結果 5 井上円了と夏目漱石
的には、「福沢(諭吉)や中村(正直)等が鼓吹した立身出世・王義思想」というように、もともと『西国立志 編』や『学問のす〉め』そのものが、立身出世主義を喧伝する書物であったかのごとく言ってしまった。それ は後人に受け継がれて、森下公夫氏も『西国立志編』や『学問のす〉め』について、「学問による立身出世を 奨励、鼓舞した」と述べ(「明治期に於る立身出世主義の系譜 マスコミの果した役割 」『近代日本形成過程の 研究』昭53・5)、竹内洋氏も、「立身出世の焚きつけ読本」と評している(『日本人の出世観』昭53・1他)。(中 略)『西国立志編』を、立身出世を鼓吹した本というわけにはいかない。「立志」と「顕達、栄達」(立身)と は、はっきり区別して使われ、「立志」つまり、世のため人のため尽くそうとする志は推奨されても、決して 個人的な栄達など推奨されていなかった。(中略)諭吉の場合(『学問のすxめ』)、個人的な立身出世というこ とに論点があるのではない。国をどうするかということに関心の中心がある。これからは個々人が独立し、国 が独立しなくてはならぬ。(中略)当時の立身出世が、すなわち官途に就くことを意味したような風潮を、大 いに批判している。(中略)「貧苦を忍び銀難を冒す」事を説いた諭吉は、やはり安易な出世など否定してい た。(中略)明治の「浮雲」から、平成の「ねじまき鳥クロニクル」に至るまで、近代の日本文学の根底に、 反立身出世・王義、反俗物・王義、反権力主義は、貫く棒の如きものとして存在し続けた。」 (羽鳥徹哉『作家の魂』平18・4「日本の近代文学」) やや引用が長くなったが、右三氏の指摘する交差点に、私の、円了と漱石二人を眺める基本的な視点が控えてい る。 即ち、引用順序の逆から述べると。福沢諭吉や中村正直などの著した当時の代表的な啓蒙書というものが、実 は「立身出世主義を喧伝(した)書物」などといわれるものではなく、あくまでも「立志」、つまり「世のため 6
は世界銀行と日本なのです。私も見てびっくりしたのですが、日本の負担として、年に一〇億円近く注ぎ込んで いるのです。そのくせ、学者がたった四人で、しかも学生のような学者です。その中で大塚先生という方から私 達は色々と説明していただきました。「確かに施設を作るのに日本はものすごく出してくれたし、世界銀行も出 してくれた。ところが、年間の研究費が約一億ドル近く要るけれども、日本は持分が非常に少ない」「どこが多 いのか」と聞いたら、やっぱりアメリカなのです。ですから、アメリカに頼って研究していることになってい る。「おかしいじゃないか。なぜ、日本にもっと言ってくれないのだ」と言うと、「日本はこういう面には一銭も お金を出してくれない。あなたのところの財務省が一番渋っている」と。それで省に聞いてみたら「いや、全然 要求が出て来ないから、主計局のほうで計算しようがありません」と。 つまり、もので見えるものには日本はお金を出した。「病院を建てろ、学校を建てろ。」しかし、そのような 学術の研究費、世界的に活躍している研究所の研究費には金を出さない。こんな変なことをやっているのです。 やはり、どこかボタンを掛け違っているところがあります。 今度、交渉いたしまして、日本のほうからいいテーマを出しています。日本からIRRI研究所に出している テーマは「あまり水を使わないで稲を育てていく技術を開発する」ということです。世界的に稲作をしていると ころには水が足りない。水の豊富な日本の稲作りは水稲ですが、この技術は世界には通用しません。すると、水 はあまり使わないけれども立派な、おいしい米を作る。この一番の原型となる研究が最も進んでいるのはカリフ ォルニアなのです。 そこで、日本とカリフォルニアとの共同で「これには日本はお金も沢山出しましょう。そして、その成果を東 南アジアや中東の地域に普及してもらいたい」ということを伝えました。すると、あちらからもこちらからも、 7 日本の国際貢献と学術交流
要するに「学術のソフト面で応援してほしい」と言ってくるものがずいぶん出てきました。「日本はそんなもの に金を出さない」と思っていたのはやはり違っていた。 やはり日本は「知識」に金を出すということをしてこなかったのです。「知識」に金を出そうという運動をし なければ、いかに「国際貢献と学術の交流」を言ってみても始まらない。そこで私は今「良かったな」と思うこ とが一つあります。それは、平成一六年度から適用されているのですが、一五年度に成立した試験研究費の大幅 な増額です。この増額のときに問題になったのは、実は大学のあり方なのです。今まで国・公立の大学の教授 は、教育公務員特例法に縛られて、先生の意志を尊重するばかりで、先生に対して文教政策に協力させる方法が なかったのです。 ところが、国立大学が文部科学省の管理から離れ、独立大学法人になった。そのときに大学側で二つに意見が 分かれました。「大学が独立行政法人になるのはいいけれども、やはり文部科学省の管轄下に置いておいてもら わないと、月給が保証されない」そんな先生方がいる一方、「いや、教育公務員の特例法に縛られないで、おれ 達が自由に活動できるように身分の束縛を解いて欲しい」という先生、この二つがありました。優秀な先生ほど 後者のほうであります。ところが、いち早く東大と京大、阪大に東北大が、「教育公務員の特例法を撤廃してく れ」と言って、今はそうなっています。ところが、義務教育の先生方はこの特例法撤廃又は改正に反対していま す。撤廃できないなら、先生の異動とか人事権というものを教育委員会がしっかりと握れるようにしようという のが、今、知事が言っている「義務教育を一般財源に換えてくれ」ということです。 大学のほうは将来の展望に自信があるから「おれ達の自由にやらせてくれ」と言ってきましたが、「その代わ り、金は満足に付くか、付かないか分からないそ、更に、試験研究費をもっと増額してくれ」という要望でし 8
戒」をしてみたところで、陥穽は至る所で待っているものであろう。先程の三反主義が個人レベルでの自己満足 の域を出ない傾きを有していたように、そういう主義自体は、現実では至って無力なものでしかない。その三反 主義に筋金が入るとしたら、やはり福沢や中村言うところの、「自分にて自分の身を支配し、他に依りすがる心 なきを云ふ」その「独立の気力」(前掲『学問のすXめ』)、或は又、「能ク自主独立シテ、他人の力に僑ザル事」 の「自助」(『西国立志編』)無くしてはむつかしいことであろう。野田氏言うところの「自己の本質存在」とか 「自分の純正な存在」と、「独立の気力」や「自助」とは恐らく根本的なところで通底しているように思われる。 真の「独立の気力」や「自助」というものがあってそこから、自ずと三反主義も生じてくるので、その逆では ない。ヒュブリスを「助長」させうる諸「欲」への「真の」「警戒」を生じさせうるのも、いわば「裸足で歩く」 ということの実践からでしかないのである。本当に大地を、自己の道を「裸で歩く」人間に、「独善」や諸「欲」 は無用であろうし、「知に驕る」必要も、また、「何らの表彰も」必要ではないからである。 こんな風に見てくれば、遠く福沢や中村が強調した、「個人的な栄達」とは峻別された「立志」、 「自助」、 二身(の)独立」、 「独立の気力」は、野田氏言うところの「裸足で歩く」思想へと息づいていることにな る。従って、この真の意味での「自助」「独立」の実践こそが、ヒュブリスに陥らない現実的な「力」となりう ることを、野田論文は示唆する。 円了も漱石も野田氏同様に、種々の「名声欲」(支配欲)や「表彰」というものから、明確な距離を置いた人 物であった。円了が、就職に際し石黒忠恵の勧めた文部省への採用を断わり、後に政府から叙勲の議を二度固辞 したことは周知の事実である。漱石もまた、帝大教授の椅子を蹴って朝日新聞に再就職し、学位辞退他その種の 表彰を受けることを潔しとしなかった。この点は後述するが、両者のそうした行動の根底に、如上の意味での 9 井t円了と夏目漱石
「独立」の精神を認めることが可能なのである。 最後に、K・ローレンツの論。「あとにならなければ快を得られそうもない仕事」とは、引用箇所前後で言う 「不快回避によって達せられなくなる喜び」のこと。「インスタントな喜び」、1「享楽」に囚われているかぎ り、決して得ることの不可能な真の「喜び」を指している。「享楽はおそらく、きびしい労働という形の不快を 代価として支払わないでも手に入れられるが、すばらしい神のたまもの、喜びは、それなしには得られない」と 言う。「きびしい労働」こそが、「人生の自然な起伏」をそのままに感得でき、「大きな波の山と谷(の)振動」 を体感でき、「光と影」の両面を味わいうる「喜び」に通ずるという思想は、機械化された、便利な現代の文明 社会においては既に忘却された価値観ですらあるといってよい。だが、その「厳しい労働」、 「不快に対する 寛容さ」こそ、現代人の危機として広がっている「感性の衰滅」を防ぐ、最も有効な力となりうることを、ロー レンツは指摘している。 「あとにならなければ快を得られそうもない仕事にはげむ」ということ、1「きびしい労働という形の不快」 に自ら・王体的に係わっていくという姿勢、いわば、インスタントな喜びを求めたがる生身の自己をといったもの を「きびしく」律してゆく精神の態度なくして、自身の「感性の衰滅」は免れ難いとしたら、そういう、あるべ き実存の仕方を如実に示しているのが、円了の教育者としての生き方であり、又、漱石の作家としての生き方で はなかったかと思われるのである。 10 二」自己の心を耕すこと 円了言うところの「独立自活の精神」 (明36・9「広く同窓諸氏に告ぐ」)や「知徳兼全の人」(明22・1哲学館移転
式での演説)を求めた彼の「哲学」の根底には既述の如く、福沢や中村ら啓蒙思想家の、「自分にて自分の身を 支配し、他に依りすがる心なきを云ふ」コ身独立」の精神態度や、「能ク自主独立シテ、他人ノカニ椅ザル事」 という「自助ノ精神」が濃厚に息づいていた。それは、一身「独立の気力なきときは一国独立の権義を伸ぶるこ と能はず」、「能ク自主独立」無き所に「ソノ邦国(の)元気(は)充実シ」ないからであったが、円了の強調す る「独立自活の精神」も、イギリスを始めとする欧米先進諸国と肩を並べるための必須の要件、 その精神を 最も欠如している現下の日本人が、日本人として、是非とも有すべき条件として位置づけられたものであった。 また「知徳兼全の人」の要請も、福沢の言う「文明とは結局、人の智徳の進歩と云て可なり」(明8『文明論之 概略)の定義とよく響き合うものであった。知育だけでなく徳育も併存していなければ、真に人間性の向上は望 めないとするものであった。形態上、表面上の進化だけで、内面上の深化が伴わずして本当の文明の進歩とはい ナショナリズム えないからである。従って、所謂円了の「日本主義」は、偏狭で反動的な国粋主義とは一線を画している。 「文化の語源となったラテン語のクルトゥラはもとは耕作の意味」、「丙巳已「は、ただ良い地だけではだめで、 耕すこと、つまりおのが心を耕すことを怠らないようにすることが大切であるという意味」と野田氏(前掲書) は言う。ということであれば、「独立自活の精神」ー「知徳兼全の人」とは、端的に言えば、絶えず「おのが心を 耕す」人ということにもなる。ローレンツが、文明の機械化に伴う「感性の衰滅」を憂慮していたゆえんであ る。智識(知育)は進化し得ても、徳育(感性、人間性)の非深化は、常に文明の進歩に伴う、避けられない宿 命といってよいからである。 「人の智徳の進歩」と「知徳兼全の人」が増えていかなければ、「文明」の本当の進歩というものは有り得な い。進化と深化の併有した文明の進歩が期されなければ、「目に見える現実だけが現実であると思う人たちがふ 11 井]円了と夏目漱石
え」て、「この世をふかく、ゆたかに生きたい。」というような希いも、何処かに置き去りにされていく。そうい う人々に対して「ほんとうの現実を開示してみせる。それが文学のはたらきである。」と荒川洋治氏は言う(『忘 れられる過去』平15・7)。また、「今、日本人が持たなければならない知的教養とは、「見えないものを見る眼」 なのだ」と柳田邦男氏も現代に警鐘を鳴らしつづけている(『壊れる日本人』平17・3)。「人間が人間らしく生き る上で大事なもの」(同)、それが「見えないものを見る眼」としての「知的教養」なのだと氏は言う。智識の み、 「目に見える現実」の「進化」だけが文明の進歩と「思う人たちがふえ」ている現代にあって、「人の智 徳の進歩」ということを、或は、「知徳兼全の人」の要請に心を砕いた、福沢や円了の、「人間が人間らしく」、 「この世をふかく、ゆたかに生き」る上での「クルトゥラ」、 一般世間の立身出世の価値観とは異にする、い わば、「おのが心を耕すことを怠らないようにすること(の)大切」さを説いた、その進歩的な燗眼というもの に改めて注目せざるを得ないのである。 その点は漱石にも同様である。「日本の紳士が徳育、体育、美育の点に於て非常に欠之して居ると云ふ事が気 にか〉る。其紳士が如何に平気な顔をして得意であるか、彼等が如何に浮華であるか、彼等が如何に空虚である か、彼等が如何に現在の日本に満足して己等が一般の国民を堕落の淵に誘ひつ〉あるかを知らざる程近視眼であ るか杯といふ様な色々な不平」を、「人間が鷹場で勤勉」な英国紳士と対比して述べている(「倫敦消息」明34・ すいか 4)し、「人を観ばその肺肝を見よ。それが出来ずば手を下す事勿れ。水瓜の善悪は叩いて知る。人の高下は胸 まつぶたつ 裏の利刀を揮つて真二に割つて知れ。叩いた位で知れると思ふと、飛んだ怪我をする。……理想は見識より出 づ、見識は学問より生ず。学問をして人間が上等にならぬ位なら、初から無学でゐる方がよし。」(「愚見数則」明 28 E11)などとも言っている。漱石の要請するところもいわば、「人の智徳の進歩」、或は「知徳兼全の人」たり 12
得るための「おのが心を耕すこと」、であったと言ってよいのである。 上述のように、円了の言う「独立自活の精神」や「知徳兼全の人」の要請は、仕事の分野や立場を異にする漱 石においても同様に認めうる、「人間」認識の仕方であった。「人の高下」や「人間(の)上等」下等を分けるの は、やはり、「独立自活の精神」の有無や、「知徳兼全の人」たりうるか否かに係っている。 次にその具体相を、両者の事跡に照して述べたい。ただし、両者の共通面や相違点を、その事跡に即していち いち取り上げて行けば際限もない次第になろうから、小論では、それらが凝縮された或る局面を取り上げること で、その形の一端を窺うことにしたい。 四 筋金入リの衿侍、志の丈高さ 円了は二度、叙勲を辞退している(大正1・9、同4・10)。そのことについて、終生円了の強力な支援者であっ た石黒忠恵は次のように述べている。「博士が悟淡の性は決して功績を誇る様な声は無く、名利の念極めて薄か つた。為に種々の形式に於て世に表彰されることを好まぬ、先年も其功労に対して位勲授与の恩典に与り得る手 続きの幾らも為し得ることを私からも話さぬでもなかつたが、博士は決して喜ばなかつた。それは権勢位階等を 敢て軽視する意味ではなかつた事は明かで、凡そ世に事を成す上に於て、位階勲等の大にあつかつて力ある事位 は諒してゐたのだが、博士は外に見る所があつて自ら之を受くる事を喜ばなかつたのである(『井上円了先生』東 洋大学校友会 大8.9)。「権勢位階」等「種々の形式に於て世に表彰されること」を「決して喜ばなかった」円 了の真意とは、どの様なものであったのだろう。これについて述べたある記事の解釈にはこうある。「井上円了 は、何故このような「無位無官」主義を貫き通したのだろうか。それは、その生き方と直接関わるものであっ 13 井ヒ円了と夏目漱石
た。井上が理想としたのは、自ら考えて行動し、物事を切り開いていく独立自活の精神であり、権威を笠に着た り、これに安易に依存することを極度に嫌ったのである。そして、井上にはそうしたものに頼らなくても事業を 進めていける自信もまた充分にあったということができよう。」(東洋大学校友会報第二二三号 平17.5 「無位 無官の人」無署名)。簡にして要を得た、的確な解釈といえるのではないかと思われる。 それは、既述の意味での「独立自活の精神」が、如実に発現された行動という風に私にも映るからである。 「個人的な栄達」とは峻別された「個々人(の)独立」意識、即ち「自主独立」の気概としての「立志」こそが、 この「国の独立」を支える極めて重要な基盤であることを、諭吉や正直と同様に円了も認識していたことは上述 の通りである。明治近代の日本人一人一人が、まず「自ら考えて行動し、物事を切り開いてい」ける「独立自活 の精神」こそ、自他共に共有し、実行しなくてはならない信念であったからである。この「独立自活の精神」態 度に筋金が入れば、虎の威を借りる必要性など、微塵も無かった。それ程に「自信」、ー1自分自身を侍む覚悟、 衿侍というものが背後にしっかりと控えていたと見るべきであろう。「知徳兼全の人」たらんとする信念とその 実行力というものが、腹の底に座っていたと見てよいのだろうと思う。 円了のその種の行動の具体的な表われ方はまた、哲学館事件への対応の仕方や哲学館大学長を辞する際の弁な どにも、如実に伺うことのできるものである。 倫理学の卒業試験答案に端を発した哲学館事件に対して、洋行中の円了は可能なかぎり誠意ある対応を為して いるが、私の目を引くのは、答案を書いた本人の加藤三雄が、帰国した円了の自宅を訪ねてこの事件の謝罪をし た際に、円了からの答めは一切なかったという点である。こういうところに、円了の円了たる器の大きさがよく 現われているように思われる。「独立自活の精神」、「知徳兼全の人」を正に地で行く、太っ腹の人物というだけ 14
に止まらない。志の丈高さというものが、無言の裡によく伝わってくるのである。そしてそこには、学生との 「対話」を通して人間性の育成を期した「茶会」(明22・11より始まる)での、自分の考え方を決して強制するこ とのない円了の精神が控えている。当の本人の人格や主体性というものを重んじた円了の姿がある。漱石もま た、「私の個人主義」(大4・3)で他者の「自由」を尊重し、家に出入りする若い人に助言はしても、抑圧を加 えるようなことは決してしなかった。さらに、この事件で今回不合格となった学生に文部省が未解決な態度でい る限り、今後教員免許の特典が再び文部省から与えられることになったとしても徹頭徹尾断る方針も表明してい る。個人的な体面などからではなく、「世のため人のために尽くそうとする志」、その「立志」は、円了の精神に 筋金入りで納っていたと見るべきであろう。哲学館事件で教育免許の特典を取り消されたことも円了にとって は、「かえって独立の精神を発揮し、実用の教育を施す一大好機」と映っていた(「広く同窓諸氏に告ぐ」)。 小我を捨てて大道に就く円了の「独立自活」、「知徳兼全」の精神態度が最も端的に窺える局面が、哲学館大学 長、京北中学校を辞す際の理由書(明39・2)である。第一から第四までの詳細な理由が述べられてあるなかで、 私の目を引くのは次の点である。円了のこれまで略二十年に渡る学校経営の事業というものが「けっして私の一 身一家の為めにはじめたものではない事」。「これまで独力で学校を経営してきたのは、私が社会国家に対する一 つの事業として、どの位の力が自分にあるかを試してみようという目的から出たもの」故、退引するに当って は、「自分からその位置を他人にゆずり、他人にそっくり相続させる道を開く」ことが、「学校は決して一身一家 のものではなく、社会国家の共有物だという事」の証明ともなる、という見解である。 何事も言うは易く、行なうは難いものである。そこを決然と実行できるところに、小我を捨てて大道を重んず る円了の、丈高い人物たるゆえんがあろう。円了という人物にとって、「独立自活の精神」を発揮し、「この精神 15 井上円rと夏目漱石
を養成することを主眼とする」二広く同窓諸氏に告ぐ」)好機は、絶えず自分自身の手によって主体的に捉えられ ていたとみてよい。「知徳兼全の人」を求める円了の生活態度は何処までも、「独立自活の精神」を筋金入りに鍛 え上げることを要請して止まないからである。この知行合一は、漱石も同じく望む所であった(愚見数則)。 16 五 自律的人格への問い 漱石の方はどうか。学位辞退事件にその一端を見てみよう。「小生は今日迄たぶの夏目なにがしとして世を渡 つて参りましたし、是から先も矢張たぶの夏目なにがしで暮したい希望を持つて居ります。従つて私は博士の学 位を頂きたくないのであります。」(専門学務局長福原錬次郎宛書簡∀。 「たぶの夏目なにがしで暮したい希望」とは、換言すれば、「自ら考えて行動し、物事を切り開いていく独立自 活の精神」(前掲「無位無官の人」)であり、「従つて私は学位を頂きたくない」とは、「権威を笠に着たり、これ に安易に依存することを嫌う」(同)「知徳兼全の人」を指す。 漱石自身の言葉で言えば、 牛は超然と押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではあり ません。是から湯に入ります。 (大5・8・24芥川龍之介.久米正雄宛書簡) ということになる。ともすれば、「文士を押」したがり、「人間を押す」ことを失念しがちになる生身の人間の常 態。「是から湯に入ります」という比喩に表現されているところの、裸一貫で事を成すことが苦手な日本人。或 は、人間一般の通弊。そういう生身の身体を持つが故に不安定になる心、1脆弱な精神の己自身と常に向き合 って生きた人間が、夏目漱石という人であった。
「自活自営の立場に立つて見渡した世の中は悉く敵である。自然は公平で冷酷な敵である。社会は不正で人情 のある敵である。もし彼対我の観を極端に引延ばすならば、朋友もある意味に於て敵である。妻子もある意味に 於て敵である。そう思ふ自分さへ日に何度となく自分の敵になりつxある。疲れても已め得ぬ戦ひを持続しなが みじめ ら、螢然として独り其間に老ゆるものは、見惨と評するより他に評しやうがない。」(明44・4「思ひ出す事など」) というような、自己批評の厳しさ。いわゆる「ヒュブリス」を凝視する眼なくして、本当の意味での「独立自活 の精神」や「知徳兼全な人」など本来望むべくもないことであろう。 その意味で円了も漱石もそれぞれ携わった分野や仕事、その立場は異にするものの、「自分さへ日に何度とな く自分の敵になりつ〉ある」自己内部の敵と、「疲れても已め得ぬ戦ひを持続しながら」、いわば「文士を押」し たがる自分自身に鞭って、何処までも「人間を押す」ことに専心努力を傾けた、裸一貫の人生を本懐とした人 物、という点で通底していたと見ることができよう。 教育者と作家という立場の違いはありえても、何時、何処でも、何処までも、「人間を押す」ことをその中枢 に据えた「独立自活の精神」と「知徳兼全の人」という要請は、限られた時代を超えて、本来の「文明の進歩」、 ー外面の進化と内面の深化双方の健全なる併存を期す上で、自他共に必須の要件として自覚・認識された、両 者の人間「哲学」であったと言ってよいのだろうと私には思われる。 現代の機械化された日常性、その効率主義の傾斜化によって急速に失われつつある人間性と、そこからの疎外 感。「目に見える現実だけが現実である」と錯覚し、「人間が人間らしく生きるうえで大事なもの」がどんどん見 失われていく現代文明において、その危機意識を予見するかのように、何処までも「人間」性を支柱にして「押 し」つづけ、自律的な人格性を問いつづけるところから強調されたのが、円了や漱石に認められる「独立自活の 17 井f円了と夏目漱石
精神」と「知徳兼全の人」という人生「哲学」であったことが了解されるのである。 「この世をふかく、ゆたかに生き」るために、両者のその人生哲学、人間哲学というものが単なる教育上の知 識や情報として受け取られるのではなく、真の対話を通してそれらの哲学が受容されるべき事態というものを、 「インスタントな喜び」で横溢している現代の文明社会がその底で抱えている、ということであるのだろうと思 われる。「今日たえず増大しつつある不快に対する不寛容性」というものが、「人生の自然の起伏を人工的になら された平原に変え」、そして益々「死のような倦怠うみだす」ものであるとしたら、円了と漱石それぞれが心血 ヘ へ を注ぐなかから会得した人間哲学・人生哲学の、その要語との真の対話は、この現代の不可解な文明社会に、「人 間が人間らしく生きる」上での知恵として、なお有効であろうと思われる。 「文士」でなく「人間を押す」、その意味での「独立自活の精神」や「知徳兼全の人」たり得ようとした実存の 系譜は、漱石と身近な人物で言えば、「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス……墓ハ森林太郎墓ノ外一字モ ホル可ラス……宮内省陸軍省ノ栄典ハ絶対二取リヤメヲ謂フ」と遺言(大11・7・6)に刻印させた鴎外の生き方 や、「虚名をあてにしてはいけません自分のほんとうの価値をあてにするのです自分の人格をたのみにするので す」(大5(推定)塚本文宛龍之介書簡)ということを信条とした、漱・鴎直系の芥川の姿などに認めることができ る。 司馬遼太郎に、「漱石という人は、明治時代という立身出世の時代に、立身出世のカードを全部持ってた人で、 それを全部捨てた人」(「漱石の悲しみ」平3・10・22講演録)という言葉がある。明治という日本の近代国家建設の 草創期は、期せずして、「知徳」を兼備し、自助「独立」を実践する有為の人々に、小我を捨てて大道に就かさ しむるこの時代独特の空気というものを、濃厚に持っていた時代ということができる。 18
(付記) 稿を成すに当り、とくに以下の三点を参照した。 『伝円了』平野威馬雄 昭49・7 『井上円了の教育理念』(改訂第六版)高木宏夫・三浦節夫 『ショート ヒストリー 東洋大学』三浦節夫 平12・6 記して感謝申し上げる。 平15・3 19 井上円了と夏目漱石