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特集 教育学科開設50周年を記念して 利用統計を見る

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(1)

特集 教育学科開設50周年を記念して

雑誌名

東洋大学文学部紀要. 教育学科編

40

ページ

6-14

発行年

2014

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00007335/

(2)

「東洋大学文学部紀要

J

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集 教育学科編

XL (

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年度)

特 集 教 育 学 科 開 設

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周年を記念して

東洋大学文学部教育学科は、

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年に開設

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周年を迎えることができました。これ を記念して、学科では、 11月9日(日)に名誉教授の志摩陽伍先生、 西村誠先生、ネ1(1回 道子先生、比嘉佑典先生、松本恒之先生のご列席を

n

易り、記念行事を挙行致しました。 同時に 『教育学科

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年の歩み』を刊行しました。さらに3名の名誉教授の先生に 「私 の教育学」についてご執筆頂き、本紀要に掲載させていただきました。

教育学科

5

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周年記念行事

斎藤里美教授を総合司会として、開催された公開講演会では、元学長の神田道子先生 より「私にとってキャリアとは一転機を活かして、きり拓く 」と題する講演を頂きま した。先生は平成

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年瑞宝重光章を受章されました。東洋大学文学部教授を経て、平 成

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年 平成7年まで東洋大学文学部長、平成

1

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月 平成

1

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月まで東洋大学 学長を歴任されました。その後平成

1

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月 平成

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月まで独立行政法人国立女 性教育会館理事長の大役を果たされました。平成

1

6

年4月より、東洋大学名誉教授、 お茶の水女子大学名誉博士です。現在は国立女性教育会館客員研究員としてご指導に当 たられておられます。主な著書には 『現代における婦人の地位と役割一職業と家庭の両 立 を め ぐ っ て -j (光正館、

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年)、『女たちのゆくえj(勤草書房、1

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年)等があ ります。 講演会は

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記念ホールで開催されましたが、

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名を超える参加があり、 j市ーが足り なくなるほどでした。ネ111回先生の力強く道を切り拓いていらしたお話に、卒業生も在学 生も共に励まされました。なお、式典では杉山憲司副学長より祝辞を頂きました。 その後、 白山校舎8号館地下食堂を会場として、懇親会が行われました。大熊康一常 務理事、中山尚夫文学部長による祝辞を頂戴し、また卒業生として上田幸夫先生を始め として多くの方々が楽しいエピソードを披露して下さいました。当日は会場係やキャン パス案内役としてたくさんの学科学生もお手伝いをしてくれ、共に素晴らしい時間を過 ごすことができました。

教育学科

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年の歩み

J

の刊行

第1部 「教育学科三O年の歩み」、第2音

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教育学科その後の二O年の歩み」とし、 最後に詳細な「教育学科 年譜

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を掲載しました。第l音

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年 例年までの記録で、

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周年記念事業として刊行された冊子を、当時の執筆責任者の西村 誠先生の了解を 得て転載しました。第

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部は主に緒方登士雄教授が執筆を担当し、須田将司准教授が協 力を致しました。これからの

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年を見据えた教育学科の貴重な資料集が誕生しました。 (編集担当)

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7

現代の青年・学生に薦める三人の著書

十一月一三日の今朝、目覚てみると澄みわたっ た晴天である。しかし朝刊を見ると突風のよう に議会の解散風が吹き荒れている。それは、激 動の戦前・戦中・戦後を生きてきた私の史眼か らすると安倍長期政権の没落の予兆のようにみ える。今すぐではないにしても、徐々に、しか も確実に健全な市民による歴史の審判は下され るであろう。自由で自律した人格の成長を阻害 するいまはやりの「道徳」の国家主義化も、や がて衰えるのは例外ではない。 そういう視点に立って、未来を創る若い人た ちに対して三人の方の著書をおすすめしたい。 いずれも読破するにはかなりの難物だが、たと えその中のどれか一つを選んで一年かけて精読 されたとしても、その後の人生や考え方に資す ることが大きいことは間違いない思われる。 一人目は、ハンナ・アーレントの『全体主義 の 起 源 j(全

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冊、みすず書房、原著、

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1)、 彼女は先年亡くなった著名な政治哲学者だが、 最近では第二次大戦中のナチスのホロコースト を扱った「エルサレムのアイヒマン」という映 画が日本でも公開されたので見た人があるかも しれない。 要するに人類史の最暗部、そして第二次世界 大戦の中に潜む差別と選別の構造を総的につか むのに不可欠の書である。子どもの聞の 「し、じ めの構造」の問題も無関係ではない。これを深 く読みこなせる人はひとかどの哲学者・そして 教育家になりうる力量を備えることになるだろ

三人目は、前世紀最高の文明史家ともいえる ル イ ス ・ マ ン フ ォ ー ド のValue for Survival (生き残る価値)、原著

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、という論文である。 この本は、大戦末期に発刊されたため日本では 未翻訳で、国会図書館にも所蔵されていない。 先年アメリカで探索した挙旬、その教養論の重 要な部分を近年「あらためて問う教養、教養教 育とは何か

J

(東海高等教育研究所編『大学を変

名誉教授

える j2010年大学教育出版)、という本の中で、 紹介しておいた。またこのマンフォードの論文 集の中には、 The Corruption of Liberalism(自 由主義の崩壊)、

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0

年という論文が収録されて いる。この 10月アメリカの友人から届いた便り では、ニューヨークタイムズ紙上でマンフォー ドの業績の再評価の機運が高まっているという。 これは政治・文化・教育の各分野で新自由主義 的政策の問題点や批判が高まったことと軌をー にしている。この論文は

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年代にナチズムの 制覇と自由主義の危機、さらにアーレントと同 様(ソビエトを含む)全体主義の危険性を警告 して書かれた。その後ますます実利主義、効率 主義に傾斜していくリベラリズムの弱点を別扶 していて余すところがない。まさに日本のリベ ラリズムの現代的問題点、そして世界のリベラ リズムの目指すべき方向を示唆するものといえ よう。 三 つ め は 不 破 哲三の著書 『ス タ ー リ ン 秘 史 巨悪の成立と展開j(全六巻、新日本出版社)で ある。不破氏をまず政治家としてみるのが常識 だろうが、ここで私が注目するのは、 20世紀の 戦争と平和の歴史をその深部の構造でとらえる 基本資料の読み取りとその独創性、オリジナル 性である。 一例をあげれば

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年代から

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年 代へかけてのフランスやスペイン、そして日本 ので反ファシズムの人民戦線や統一戦線の動き を理解するにはその旗手でもあったデイミトロ フの役割をつかむことは欠かせなしミ。この著作 ではソビエト崩壊後に日の目を見ることになっ た新資料を駆使して初めて当時の真相が体系的 に分析されつつあるといえよう。それは第二次 大戦史、 20世紀世界史を書き換える仕事に重要 な礎石を置くことになると思われる。 以上の三つの著作は一見別々の主題を扱って おり、接近の方法も異なっている。しかしそれ らの根底に共通の精神が流れていると私に思わ

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8 「東洋大学文学部紀要」第

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集 教育学科編

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年度) れる。それは一言でいえば、人間の自由と責任 主体としての人格の自律、そして社会 ・文化・ 教育に通底する民主主義を求める科学的精神で あり、私自身はこう読み取るがゆえに、そのど れか一つに限ると しても時代を担う若い方々に 精読していただきたいと思う。

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日)

私の教育学

-1

海洋シニア大学校」を設立して-生涯現役と生涯学習

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歳の定年退職後、

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年間は故郷の地でのん びり した後に、平成

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年から

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年間、公立大学 法人・名桜大学(学生数

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名余)の理事長に 任命された。退任後は、 のんびり過ごす予定で したが、今度は医療法人タピック・グループの 顧問に就任することになった。条件は、タピック・ クループの所有する「株式会社・ 屋我地ビーチ センター

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内に、 「海洋シニア大学校j を設立す る条件で、顧問(兼学長)を引き受けた。タピック・ グループは、沖縄リハビリテーションセンター 病院の他に、宮里病院、介護老人保健施設、サー ビス付き高齢者住宅、名護市スポーツリハビリ テーションセンター (委嘱)、ユインチホテル南 城、東南植物楽園、固から引き継いだ国民休暇村、 カルチャーセンター

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余講座)、幸寿大学校 等を経営する、医療 ・福祉・文化・スポーツの 総合企業である。 このたび名護市から屋我地ビーチを譲り受け、 そこを拠点に海洋療法、海洋文化の新たな発信 地として、高齢者向け「海洋シニア大学校」 を 開設する運びとなったのである。わが現住所は そのビーチの近辺に所在しているので、なにか と便利である。大学在職時代に、社会教育・生 涯学習を専攻していたことが、老後に役立つこ とになり正に私の生涯学習・社会教育学の実践 である。その概略とカリキュウラムを、紹介し よう。 海洋シニア大学校開設の趣旨 今日沖縄県では、まちから村に至るまで生涯 学習が展開されている。全市町村で、高齢者向 けの長寿大学が開校され、世をあげて高齢者の 生涯学習ブームである。しかし、屋我地ビーチ センターでは「海洋文化

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に注目し、特色ある

名誉教授

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嘉 佑

海洋文化専攻・オーシャンカレッジを開設し、 海洋文化を探求し挑戦する大学校を開校した。 開校の目的ー楽しみながら学ぶ

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歳以上の高齢者(アクテイブシニア)を対 象に、海洋文化の学修活動 (アクティブ ・ラー ニング)を通して、健全なマリン・スピリット を体現し、充実した自己実現および社会的貢献 を積極的に展開し、未来へ挑戦していくたくま しいシニアパワー・人材の育成をめざし、平和 で心豊かな社会性および国際性の

i

画養をめざす ことを目的としている。 学修の目標 1.心身の健康 ・長寿の増進と自立を目指す。

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学修活動を通してコミュニケーションを活性 化し仲間づくりを目指す。 3.学修を通じて社会参加意識とボランテイア活 動・地域貢献を促進する。 4.新たな教養、専門的知識の啓発と生きがいを 創り出す。 回遊式移動大学校による移動教室方式 海洋シニア大学校は、遊学・旅の学問として 学修活動を展開する。海洋の歴史・文化に乗り 出す航海士のごとく「海洋遊学」の精神に則り、 回遊魚のごとく群れを成して渡り歩く、回遊式 移動大学校を展開し、遊学の原点に返り、楽し みながら海洋文化をたずね歩く「旅の学問」を 展開する。 大学校の年間カリキュウラム一覧 カリキュウラムについて、紹介しよう。

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私の教育学 「海洋シニア大学校」を設立して 9 平成

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年度 海洋シニア大学校年間カリキュウラム一覧 月 日 曜日 午 剛 (1 0 : 3 O~ 12 : 00)(講義中心) 午後 (13:30~16:00) (主に自由研究・倶楽部活動) 14 火 入学式 (生涯現役宣言) 学長 (比嘉佑典) 21 火 アクテイブシニアが学ぶことの意味 ホームルーム 事務局 28 火 ホームルーム(各委員選出) 海・癒しと心の健康管理 12 火 マリンレンヤについて ピーチ ・レクリエ シヨ J 19 火 マリンスポ_':;について ゼミ研究・倶楽部活動 (自由) 5月 26 火 特別活動 マリンスポーツ球技大会 2 火 海洋文化史 海 の 生 物 珊 瑚j 9 火 海洋民族とサハニー ゼミ研究・倶楽部活動 (自EEI) 16 火 海と文学(老人と海) ゼミ研究・倶楽部活動 (自由) 6月 23 火 大航海史 海人父流会(屋我地 羽地漁業組合) 29 火 航海安全祈願と民俗誌 世界遺産今帰仁城見学実習 7 火 特別活動 羽地内海サパニークル ズ実習&i1ii難事故と救急法実ilii(名護市消防署) 14 火 海の食生活・海の栄養学 ゼミ研究・倶楽部活動 (自由) 7月 21 火 スポーツとリハビリテーション ゼミ研究・倶楽部活動 (自由) 28 火 特別活動 屋我地の揃閃 塩田の起源 嵐III実習体験学修 (我部の庖旧) 4 火 シニア&リトルの手普い教室 小学生との交流会 11 火 海神祭りとハーリー ビーチパーティー 8月 18 火 シニア&リトルのいかだ遊び マリンレジヤ(水泳) 25 火 フラーダンス講1司会 ゼミ研究・倶楽部活動 (自由) l 火 世界の海!被たち ゼミ研'先・倶楽部活動 (自由) 8 火 水泳と健康法 i1~ì芋療法とリハビリテーション 9月 15 火 夏 休 み 休 講 夏 休 み 休 講 29 火 名絞大看護学科提唱する・ケアリング ゼミ研究・倶楽部活動 (自由) 6 火 健康長寿体操 あなたの健康チェック 13 火 老人看護・介護 老人介護施設見学 1 0月 20 火 沖縄の海外移民一南米編 沖縄の海外移民ーハワイ編 27 火 特 別 活 動 伊江島のシニア交流の旅 iJl江島見学と伊江島のシニアとの交流懇親会(伊江島) 10 火 島宇宙伝説とニライカナイ ゼミ研究・倶楽部活動 1 1月 17 火 屋我地の古代遺跡群j ゼミ研究・倶楽部活動 24 火 留学生との交流会 留学生グループ ゼミ研究・倶楽部活動 (白iJl) I 火 海浜環境美化活動 E M団子作戦 E M研究機構 (ビーチ) ピーチの清掃(ピーチ) 8 火 中国語ABC 留学生グループ ゼミ研究・倶楽部活動 1 2月 15 火 シニアのボランティア活動の在り方 ゼミ研究・倶楽部活動 (自由) 22 火 シニア&ヤング交流会 名桜大学人間健康学部学生 クリスマス会 レクリエーション 29 火 冬 休 み 休 講 冬 休 み 休 講 6 火 新年会(舞踊) 研究発表会準備 13 火 研究成果発表(自由研究) 合同討論会 研究成果発表(自由研究) 合同討論会 1月 IJ柴田て弘l~Iシニア ミニカレソジ(ブc'jtlJをつくろう。そ叫判方、周菊の仕方を斜計 20 火 27 火 文化祭の準備 文化祭準備 3 火 海洋文化祭と学習発表会 午 後 か た づ け 10 火 特別記念講演 年間学修活動のビデオドキメンタリー鑑 賞会 2月 17 火 卒業記念植樹 懇親会 24 火 卒業式 謝恩会

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「特別支援教育」という用語は

何時から使われ始めたのか

一「特殊教育

J

から「特別支援教育

J

への転換

はじめに 「特別支援教育元年」という と平成19年度を 指すということは、特別支援教育業界では極め て一般的に語られている。但し、このことは、 学校教育法上に位置づけられた「第6章特殊教育」 が「第6章特別支援教育 j に改正・施行された のが平成19年 4月 l日からという法制度上での 整備がされたことを示しているに過ぎない。 確かに、法律が変わるということは極めて大 きな転換であることは事実であるにしても、い きなり平成19年度から「特別支援教育」という 用語使用が開始され、制度設計が始まったので はなし、。ここ 20年近く、特殊教育から特別支援 教育への転換の渦中に身を置いてきた者として、 「特別支援教育」という用語はどのように使われ 始めたのか、制度設計はどのように整備され始 めたかを検証してみたい。 「特別支援教育j という用語は何時から使われ始 めたのか 21世紀を迎え障害者教育等の世界的な動向を 踏まえる中で、日本の特殊教育の在り方につい ては、課題が山積していたことは間違いない事 実であった。その様な認識の下、平成12年5月 12日付けの文部事務次官裁定で 121世紀の特殊 教育の在り方に関する調査研究について」とい う調査協力者会議の設置が決まった。 この検討の趣旨には、「我が国では、障害者の 自立と社会参加の一層の促進を図るため、平成

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月に障害者基本法が制定され、教育、 福祉、労働など各分野にわたって、中長期的な 観点から、ノーマライゼーションの理念を実現 す る た め の 取 り 組 み が 進 め ら れ て い る。また、 特殊教育においては、近年、児童生徒の障害の 重度・重複化や多様化、より軽度の障害のある 名 誉 教 授 宮

英 憲

児童生徒への対応や早期からの教育的対応に閑 するニーズの高まり、高等部への進学率の上昇、 卒業後の進路の多様化などが進んでいる。こう した特殊教育を取り巻く最近の動向を踏まえ、 21世紀の特殊教育の在り方について幅広く調査、 研究を行う。」と記されている。また、調査研究 事項として挙げられたものは、

1

(1)我が国の特 殊教育の今後の基本的な方向について、

(

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)

就学t 指導の在り方の改善について、 (3)これからの伺 別支援教育の在り方について、 (4)特殊教育の改 善・充実のための条件整備について、 (5)その他」 とされている。※[1 調査研究協力者会議は、第l回目が平成12年

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6

日に開催され、最終報告のとりまとめまで に7回の会議が実施され、各回とも極めて活発 な論議がされた。この調査協力者会議は、裁定 の趣旨と調査研究事項から明らかのように、 事 実上の特別支援教育についての検討が開始され たといってよい。特 別 支 援 教 育 を 巡 る 論 議 は、 第l回目と第2回目で集中的にされているので、 その概要を会議録から引用してみたL、。 第1回目(平成 12年 6月 6日)の会議で審議さ れたこと 初会合に当たり、まず、佐藤禎一文部事務次 官から挨拶の後、出席者紹介がされた。推薦に より河合隼雄氏(国際日本文化研究センター所 長)を座長に決定している。 事務局から「我が国の特殊教育の現状と課題 について」及び中野善達氏(佐野国際情報短期 大学教授)から 「特殊教育の国際的動向と国際 的にみた我が国の特殊教育の課題」について説 明の後、フリートーキングが行われた。特殊教 育から特別支援教育への転換に関する主な意見 は以下のようなものであった。

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年度)

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特殊教育jという用語に違和感がある。また、 特別な配慮を必要とする子どもたちに特別な 場を設けて教育を行わなくてはならないのだ ろうか。

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例えばアメ リカでは、年令の低いときには特 別な場を必要とせず、 年令が高くなるにつれ て特別な場が必要となるといった意見もある ようで、各国によって犠々な見解があると思 われる。 0アメリカやイギリスでは全体の 10~20% の特別な教育ニーズを持つ子供に対応してい る。今後、一人一人にあった適切な教育の支 援の在り方が問われてきていると思う。

0

ノーマライゼーションの実現は望ましいが、 そのために必要な施設設備や教員など具体的 な方策をよく考える必要がある。

0

特殊教育の名称の問題、交流教育とインクルー ジョンとの関係、重度 ・重複の概念規定と医 療的ケアの関係等解決しなくてはならない課 題がある。

0

特別なニーズのある子どもの教育を考えるこ とは、そうでない子どもたちにとっても大変 良い影響を与えるという発想も重要である。 また、特別な配慮が必要な子どもを特別の場 で隔離して行うのではなく、地域社会の一員 として当たり前に暮らせる方向性を探るとい う視点から考えることが必要である。

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特殊教育の現状をもどかしく感じている人は 多いと思うが、

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年のスパンで考えると大 きく変わってきている。

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教育の問題は国の政治 ・経済と密接に関連し ており、ヨーロッパ等の教育システムが直ち に日本で適用することは考えられないと思う。

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子どもの一生涯を考えると卒業後のことも重 要である。社会に出た時に学校での教育がど う活かされるかが大切である。

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理念の問題も大切であるが、基本は一人一人 の子どもにとって何が幸せで、あるかというこ とだと思う。最終的にその子どもが自立でき るために一番適した教育という方向で考える ことが重要であり、 年令が上がるに従い一般 の人達との交流を深めて社会に参加していく という方向性が大事である。

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各国の特殊教育の状況を見ると、理念、解釈 には相当な違いがある。また、我が国の特殊 教育についても誤解を受けている部分もある。 笑態を調べて検討する必要がある。

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最終的に問われることは教員の資質であると 思う。また、通常学級に在籍する障害児への 対応については、市町村によって扱いに差が 出ているのが現状である。

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盲・聾・養護学校は地域の特殊教育のセンター 的役割が必要である。※2) 第

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回目(平成

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日)の会議で審議さ れたこと この日は先ず、高為重委員 (国立特殊教育総 合研究所長)より資料に基づき「世界の特殊教 育について」、事務局より 「特殊教育と特別支 援教育の関係」についてそれぞれ説明の後、フ リートーキングが行われた。事務局から、特殊 教育から特別支援教育への転換を示唆する説明 があったことを受けて、突っ込んだ意見が交わ されている。主な意見を以下に記したい。

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現在の通級による指導は自立活動を中心とし た指導であり、特殊教育という範時に含まれ ている。一方、

LD

ADHD

の場合は、教科 の補充指導に重点をおく新しい形態と考えら れ、特殊教育と特別支援教育の中間に位置づ けられるのではないか。

0

特別支援教育に名称を変更するということは、 特殊教育そのものが特別なニーズに対応する 教育へ更に拡充するものであり、学校教育法 上の 「特殊教育」の用語について変更しない と整理がつかないのではないか。 通級による 指導については最近次第に自間の子どもが増 えている。また、知的障害養護学校の中で白 間の子どもを教育することでいいのかという 不安もある。白間の子どもが増えてきている ことも含め、特別なニーズに対応する教育が 形態とか場ではなく、実態を追認する形で拡 充する方向で進めていく必要があるのではな し、ヵ、。

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学校教育法上の「特殊教育」は、 盲・聾・養 護学校と特殊学級における教育とされている が、通常の学級にも障害児や、特別な教育的 支援が必要な子どもがいるという実態を踏ま え、特殊教育課では、特殊教育のノウハウを 活用できる教育を積極的に推進していくこと として特別支援教育課に名称変更する予定で

(8)

「特別支援教育」という用語は何時から使われ始めたのか ある。あくまで組織上整理をしたものである。

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特 殊 教育」 という言葉には抵抗はないが、 「特殊」という言葉に特別なニュアンスを感じ ている方は多し、 特別支援教育課に変わると いうことが、教育的ニーズにまで対象を拡げ るということは、大変望ましい変更だと思う。 しかし、 「特殊教育」という言葉そのものをそ ろそろ考え直した方がいいのではないかと

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校長会でも「特殊教育」という

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訪の検討に ついての意見は出ている。現状の中でも養護 学校の院内分教室で

ADHD

の子を指導してい る現状がある。特別支援教育の対象には、通 常の学級に在籍する様々な障害を抱えた子ど もたちへの対応と理解をしている。学校教育 法施行規則に、通級による指導が平成

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年に 付 加 さ れ た わ け で あ る が 、 現 状 を考えると、 学校教育法の考え方も少し拡げて考える必要 性が出てくると考える。

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現行法を整理すると事務局で整理したとおり であるが、現状は現行法にそぐわなくなって いる。盲 ・聾・養護学校は組織として残す必 要があるが、 小・中学校の特殊学級の概念に ついては検討 していく必要があるのではない か。 。事務局で整理した「特殊教育」と 「特別支援 教育」の関係については、現行のi!JIJ度を踏ま えたものと思う。しかしこのような{本制が長 期間続くことは疑問がある。例えば、通級指 導教室が盲・聾・養護学校の中にある場合が あるが、通級による指導が「特殊教育」に入 らないと現場は混乱すると思う。 。外国人なども特別な支援を必要とする子とも であるが、あくまで特別支援教育とは心身上 の隙害があるものが対象と考えるのか。 。特別支援教育課の対象とするものは、 心身上 の何らかの理由により特別な教育的支援を必 要とするものである。これは、特殊教育のこ れまでのノウハウを生かせる範囲に限定した。 外国人子女や帰国子女への教育については、 今後、国際教育課が対応していくこととなっ ている。※31 13 21世紀の特殊教育の在り方について(最終報告) 平成 13年1月15日 調査協力者会議の最終報告では、結果的には 「特別支援教育」への転換については今後の課題 とされた。 しかし、 r~一人一人のニーズに応じ た特別な支援の在り方について~

J

というサフ タイトルを付して提出されている。今後の課題 とされた点の記述は、最終報告書の 「はじめにー で、以下のように記述されている。 『なお、本報告で提言された制度の見直しゃ施策 の改善・充実の成果を踏まえ、今後とも、障害 種別の枠を超えた盲学校、聾学校、養護学校の 在り方や小学校、中学校等における特別支援教 育の在り方等について引き続き検討を行ってい くことが必要である。 また、 学校教育法に規定 されている「特殊教育」ゃ「特殊学級」等の名 称や文言について見直すべきであるとの意見が あるが、今後 仁記の検討と併せて、例えば 「特 別支援教育」等「特殊教育」に代わるべき適切 な名称について、特殊教育関係団体や広く一般 の意見を聞きながら検討することが望まれるc さらに、寮母の名称については、近年、男性の 寮母が噌えてきている状況等を踏まえ、男女女A共 同参画の矧点カか、ら見直すことが必必、要である』。 文音部│日:科学学:省は、 この最終報告を基に、特殊教 育から特別支援教育に大きく舵を切ることにな る。まず、手始めが平成13年1月の文部科学省 の再編に際して、 「特殊教育課」の名称を 「特別 支援教育諜」に変更している。その後、平成 13 年

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月には、「特別支援教育の在り方に関する 調査研究について」検討する調査協力者会議が 招集され、特別支援教育についての教育現場で の具体的教育のあり様も含めた検討が開始され た。この最終報告書「今後の特別支援教育の在 り方について」は、平成15年3月に提出され、 この報告書を基に特別支援教育体制整備事業等 が推進されるに至った。更に、平成

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月、 学校教育法が改正・ 施行され 「第6章特別支援 教育」となったのである。 結びに 文部省が、何故「特別支援教育」という用語 を採用したかという点については、いまひとつ 定かではなし、。しかし、当初 「特別支援教育」 の英訳が..

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“が当 てられていたことから類推すると国際的な教育

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「東洋大学文学部紀要」第

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集 教育学科編

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年度) 動向が念頭に置かれたことは間違いないところ であろう。まず、諸外国の中でイギリスの動き があげられる。イギリ スでは、

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年のウォー ノック報告を受けて

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年に、「特別な教育的 ニーズ」という障害の概念にとらわれない広い 概念を導入した

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年教育法」を制定してい る。この法律の研究・検討が相当程度されたこ とは事実のようである。また、特殊教育に関す る国際会議の動向なども注視してきたことも挙 げられるであろう。

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年に特殊教育に関する 国際会議ISEC(InternationalSpecial Education Congress)は、イギリス・マンチェスター大学 で開催された。そして、

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年にス コットラン ド・ グラスゴーで開催された特殊教育に関する 国際会議ISECは、従来 と 頭 文字はISECで同 じ で は あ る も の の (Inclusiveand Supportive EducationCongress) にと大きく変化した国際 会議となった。現在、「特別支援教育」の英訳は、 SpecialNeeds Educationが当てられているが、 当に、ヨーロッパ等で用いられている「特別ニー ズ教育」そのものであり、 方向性もほぼ同様で あると解せられる。※5) 〈引用・参考文献〉

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21jll紀の特殊教育の在1)方について (最終報告)平成13 年1)-J 15日Jp66 問'21位紀の特殊教育の在り方に関する調査研究協力者会議(第 1 1司)訴事要旨 様1121111紀の特殊教育の在り方に関する調査研究協力者会議(第 21司)訴事要旨 務11

r

211日紀の特殊教育の在り方について (最終報告) 平成 13年1)J15I:IJp2 楽町特殊教育に│却する国際会議の動向は、山口1在者 「特別支援 教育の展開J(文教資料協会)の記述を参考にした。

参照

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