特集 教育学科開設50周年を記念して
雑誌名
東洋大学文学部紀要. 教育学科編
号
40
ページ
6-14
発行年
2014
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00007335/
「東洋大学文学部紀要
J
第6
8
集 教育学科編XL (
2
0
1
4
年度)特 集 教 育 学 科 開 設
5
0
周年を記念して
東洋大学文学部教育学科は、2
0
1
4
年に開設5
0
周年を迎えることができました。これ を記念して、学科では、 11月9日(日)に名誉教授の志摩陽伍先生、 西村誠先生、ネ1(1回 道子先生、比嘉佑典先生、松本恒之先生のご列席をn
易り、記念行事を挙行致しました。 同時に 『教育学科5
0
年の歩み』を刊行しました。さらに3名の名誉教授の先生に 「私 の教育学」についてご執筆頂き、本紀要に掲載させていただきました。教育学科
5
0
周年記念行事
斎藤里美教授を総合司会として、開催された公開講演会では、元学長の神田道子先生 より「私にとってキャリアとは一転機を活かして、きり拓く 」と題する講演を頂きま した。先生は平成2
5
年瑞宝重光章を受章されました。東洋大学文学部教授を経て、平 成5
年 平成7年まで東洋大学文学部長、平成1
2
年9
月 平成1
5
年9
月まで東洋大学 学長を歴任されました。その後平成1
6
年4
月 平成2
3
年6
月まで独立行政法人国立女 性教育会館理事長の大役を果たされました。平成1
6
年4月より、東洋大学名誉教授、 お茶の水女子大学名誉博士です。現在は国立女性教育会館客員研究員としてご指導に当 たられておられます。主な著書には 『現代における婦人の地位と役割一職業と家庭の両 立 を め ぐ っ て -j (光正館、1
9
7
2
年)、『女たちのゆくえj(勤草書房、19
8
2
年)等があ ります。 講演会は1
2
5
記念ホールで開催されましたが、1
5
0
名を超える参加があり、 j市ーが足り なくなるほどでした。ネ111回先生の力強く道を切り拓いていらしたお話に、卒業生も在学 生も共に励まされました。なお、式典では杉山憲司副学長より祝辞を頂きました。 その後、 白山校舎8号館地下食堂を会場として、懇親会が行われました。大熊康一常 務理事、中山尚夫文学部長による祝辞を頂戴し、また卒業生として上田幸夫先生を始め として多くの方々が楽しいエピソードを披露して下さいました。当日は会場係やキャン パス案内役としてたくさんの学科学生もお手伝いをしてくれ、共に素晴らしい時間を過 ごすことができました。『
教育学科
5
0
年の歩み
J
の刊行
第1部 「教育学科三O年の歩み」、第2音1
1
r
教育学科その後の二O年の歩み」とし、 最後に詳細な「教育学科 年譜J
を掲載しました。第l音1
1
は1
9
6
4
年 例年までの記録で、3
0
周年記念事業として刊行された冊子を、当時の執筆責任者の西村 誠先生の了解を 得て転載しました。第2
部は主に緒方登士雄教授が執筆を担当し、須田将司准教授が協 力を致しました。これからの5
0
年を見据えた教育学科の貴重な資料集が誕生しました。 (編集担当)7
現代の青年・学生に薦める三人の著書
十一月一三日の今朝、目覚てみると澄みわたっ た晴天である。しかし朝刊を見ると突風のよう に議会の解散風が吹き荒れている。それは、激 動の戦前・戦中・戦後を生きてきた私の史眼か らすると安倍長期政権の没落の予兆のようにみ える。今すぐではないにしても、徐々に、しか も確実に健全な市民による歴史の審判は下され るであろう。自由で自律した人格の成長を阻害 するいまはやりの「道徳」の国家主義化も、や がて衰えるのは例外ではない。 そういう視点に立って、未来を創る若い人た ちに対して三人の方の著書をおすすめしたい。 いずれも読破するにはかなりの難物だが、たと えその中のどれか一つを選んで一年かけて精読 されたとしても、その後の人生や考え方に資す ることが大きいことは間違いない思われる。 一人目は、ハンナ・アーレントの『全体主義 の 起 源 j(全3
冊、みすず書房、原著、1
9
5
1)、 彼女は先年亡くなった著名な政治哲学者だが、 最近では第二次大戦中のナチスのホロコースト を扱った「エルサレムのアイヒマン」という映 画が日本でも公開されたので見た人があるかも しれない。 要するに人類史の最暗部、そして第二次世界 大戦の中に潜む差別と選別の構造を総的につか むのに不可欠の書である。子どもの聞の 「し、じ めの構造」の問題も無関係ではない。これを深 く読みこなせる人はひとかどの哲学者・そして 教育家になりうる力量を備えることになるだろつ
。
三人目は、前世紀最高の文明史家ともいえる ル イ ス ・ マ ン フ ォ ー ド のValue for Survival (生き残る価値)、原著1
9
4
4
、という論文である。 この本は、大戦末期に発刊されたため日本では 未翻訳で、国会図書館にも所蔵されていない。 先年アメリカで探索した挙旬、その教養論の重 要な部分を近年「あらためて問う教養、教養教 育とは何かJ
(東海高等教育研究所編『大学を変名誉教授
志
摩
陽
伍
える j2010年大学教育出版)、という本の中で、 紹介しておいた。またこのマンフォードの論文 集の中には、 The Corruption of Liberalism(自 由主義の崩壊)、1
9
4
0
年という論文が収録されて いる。この 10月アメリカの友人から届いた便り では、ニューヨークタイムズ紙上でマンフォー ドの業績の再評価の機運が高まっているという。 これは政治・文化・教育の各分野で新自由主義 的政策の問題点や批判が高まったことと軌をー にしている。この論文は1
9
3
0
年代にナチズムの 制覇と自由主義の危機、さらにアーレントと同 様(ソビエトを含む)全体主義の危険性を警告 して書かれた。その後ますます実利主義、効率 主義に傾斜していくリベラリズムの弱点を別扶 していて余すところがない。まさに日本のリベ ラリズムの現代的問題点、そして世界のリベラ リズムの目指すべき方向を示唆するものといえ よう。 三 つ め は 不 破 哲三の著書 『ス タ ー リ ン 秘 史 巨悪の成立と展開j(全六巻、新日本出版社)で ある。不破氏をまず政治家としてみるのが常識 だろうが、ここで私が注目するのは、 20世紀の 戦争と平和の歴史をその深部の構造でとらえる 基本資料の読み取りとその独創性、オリジナル 性である。 一例をあげれば1
9
3
0
年代から4
0
年 代へかけてのフランスやスペイン、そして日本 ので反ファシズムの人民戦線や統一戦線の動き を理解するにはその旗手でもあったデイミトロ フの役割をつかむことは欠かせなしミ。この著作 ではソビエト崩壊後に日の目を見ることになっ た新資料を駆使して初めて当時の真相が体系的 に分析されつつあるといえよう。それは第二次 大戦史、 20世紀世界史を書き換える仕事に重要 な礎石を置くことになると思われる。 以上の三つの著作は一見別々の主題を扱って おり、接近の方法も異なっている。しかしそれ らの根底に共通の精神が流れていると私に思わ8 「東洋大学文学部紀要」第
6
8
集 教育学科編XL
(
2
0
1
4
年度) れる。それは一言でいえば、人間の自由と責任 主体としての人格の自律、そして社会 ・文化・ 教育に通底する民主主義を求める科学的精神で あり、私自身はこう読み取るがゆえに、そのど れか一つに限ると しても時代を担う若い方々に 精読していただきたいと思う。(
2
0
1
4
年1
1
月1
3
日)私の教育学
-1
海洋シニア大学校」を設立して-生涯現役と生涯学習7
0
歳の定年退職後、2
年間は故郷の地でのん びり した後に、平成2
4
年から2
年間、公立大学 法人・名桜大学(学生数2
0
0
0
名余)の理事長に 任命された。退任後は、 のんびり過ごす予定で したが、今度は医療法人タピック・グループの 顧問に就任することになった。条件は、タピック・ クループの所有する「株式会社・ 屋我地ビーチ センターJ
内に、 「海洋シニア大学校j を設立す る条件で、顧問(兼学長)を引き受けた。タピック・ グループは、沖縄リハビリテーションセンター 病院の他に、宮里病院、介護老人保健施設、サー ビス付き高齢者住宅、名護市スポーツリハビリ テーションセンター (委嘱)、ユインチホテル南 城、東南植物楽園、固から引き継いだ国民休暇村、 カルチャーセンター(
2
0
0
余講座)、幸寿大学校 等を経営する、医療 ・福祉・文化・スポーツの 総合企業である。 このたび名護市から屋我地ビーチを譲り受け、 そこを拠点に海洋療法、海洋文化の新たな発信 地として、高齢者向け「海洋シニア大学校」 を 開設する運びとなったのである。わが現住所は そのビーチの近辺に所在しているので、なにか と便利である。大学在職時代に、社会教育・生 涯学習を専攻していたことが、老後に役立つこ とになり正に私の生涯学習・社会教育学の実践 である。その概略とカリキュウラムを、紹介し よう。 海洋シニア大学校開設の趣旨 今日沖縄県では、まちから村に至るまで生涯 学習が展開されている。全市町村で、高齢者向 けの長寿大学が開校され、世をあげて高齢者の 生涯学習ブームである。しかし、屋我地ビーチ センターでは「海洋文化J
に注目し、特色ある名誉教授
l
t
嘉 佑
典
海洋文化専攻・オーシャンカレッジを開設し、 海洋文化を探求し挑戦する大学校を開校した。 開校の目的ー楽しみながら学ぶ6
0
歳以上の高齢者(アクテイブシニア)を対 象に、海洋文化の学修活動 (アクティブ ・ラー ニング)を通して、健全なマリン・スピリット を体現し、充実した自己実現および社会的貢献 を積極的に展開し、未来へ挑戦していくたくま しいシニアパワー・人材の育成をめざし、平和 で心豊かな社会性および国際性のi
画養をめざす ことを目的としている。 学修の目標 1.心身の健康 ・長寿の増進と自立を目指す。2
学修活動を通してコミュニケーションを活性 化し仲間づくりを目指す。 3.学修を通じて社会参加意識とボランテイア活 動・地域貢献を促進する。 4.新たな教養、専門的知識の啓発と生きがいを 創り出す。 回遊式移動大学校による移動教室方式 海洋シニア大学校は、遊学・旅の学問として 学修活動を展開する。海洋の歴史・文化に乗り 出す航海士のごとく「海洋遊学」の精神に則り、 回遊魚のごとく群れを成して渡り歩く、回遊式 移動大学校を展開し、遊学の原点に返り、楽し みながら海洋文化をたずね歩く「旅の学問」を 展開する。 大学校の年間カリキュウラム一覧 カリキュウラムについて、紹介しよう。私の教育学 「海洋シニア大学校」を設立して 9 平成
2
7
年度 海洋シニア大学校年間カリキュウラム一覧 月 日 曜日 午 剛 (1 0 : 3 O~ 12 : 00)(講義中心) 午後 (13:30~16:00) (主に自由研究・倶楽部活動) 14 火 入学式 (生涯現役宣言) 学長 (比嘉佑典) 21 火 アクテイブシニアが学ぶことの意味 ホームルーム 事務局 28 火 ホームルーム(各委員選出) 海・癒しと心の健康管理 12 火 マリンレンヤについて ピーチ ・レクリエ シヨ J 19 火 マリンスポ_':;について ゼミ研究・倶楽部活動 (自由) 5月 26 火 特別活動 マリンスポーツ球技大会 2 火 海洋文化史 海 の 生 物 珊 瑚j 9 火 海洋民族とサハニー ゼミ研究・倶楽部活動 (自EEI) 16 火 海と文学(老人と海) ゼミ研究・倶楽部活動 (自由) 6月 23 火 大航海史 海人父流会(屋我地 羽地漁業組合) 29 火 航海安全祈願と民俗誌 世界遺産今帰仁城見学実習 7 火 特別活動 羽地内海サパニークル ズ実習&i1ii難事故と救急法実ilii(名護市消防署) 14 火 海の食生活・海の栄養学 ゼミ研究・倶楽部活動 (自由) 7月 21 火 スポーツとリハビリテーション ゼミ研究・倶楽部活動 (自由) 28 火 特別活動 屋我地の揃閃 塩田の起源 嵐III実習体験学修 (我部の庖旧) 4 火 シニア&リトルの手普い教室 小学生との交流会 11 火 海神祭りとハーリー ビーチパーティー 8月 18 火 シニア&リトルのいかだ遊び マリンレジヤ(水泳) 25 火 フラーダンス講1司会 ゼミ研究・倶楽部活動 (自由) l 火 世界の海!被たち ゼミ研'先・倶楽部活動 (自由) 8 火 水泳と健康法 i1~ì芋療法とリハビリテーション 9月 15 火 夏 休 み 休 講 夏 休 み 休 講 29 火 名絞大看護学科提唱する・ケアリング ゼミ研究・倶楽部活動 (自由) 6 火 健康長寿体操 あなたの健康チェック 13 火 老人看護・介護 老人介護施設見学 1 0月 20 火 沖縄の海外移民一南米編 沖縄の海外移民ーハワイ編 27 火 特 別 活 動 伊江島のシニア交流の旅 iJl江島見学と伊江島のシニアとの交流懇親会(伊江島) 10 火 島宇宙伝説とニライカナイ ゼミ研究・倶楽部活動 1 1月 17 火 屋我地の古代遺跡群j ゼミ研究・倶楽部活動 24 火 留学生との交流会 留学生グループ ゼミ研究・倶楽部活動 (白iJl) I 火 海浜環境美化活動 E M団子作戦 E M研究機構 (ビーチ) ピーチの清掃(ピーチ) 8 火 中国語ABC 留学生グループ ゼミ研究・倶楽部活動 1 2月 15 火 シニアのボランティア活動の在り方 ゼミ研究・倶楽部活動 (自由) 22 火 シニア&ヤング交流会 名桜大学人間健康学部学生 クリスマス会 レクリエーション 29 火 冬 休 み 休 講 冬 休 み 休 講 6 火 新年会(舞踊) 研究発表会準備 13 火 研究成果発表(自由研究) 合同討論会 研究成果発表(自由研究) 合同討論会 1月 IJ柴田て弘l~Iシニア ミニカレソジ(ブc'jtlJをつくろう。そ叫判方、周菊の仕方を斜計 20 火 27 火 文化祭の準備 文化祭準備 3 火 海洋文化祭と学習発表会 午 後 か た づ け 10 火 特別記念講演 年間学修活動のビデオドキメンタリー鑑 賞会 2月 17 火 卒業記念植樹 懇親会 24 火 卒業式 謝恩会11
「特別支援教育」という用語は
何時から使われ始めたのか
一「特殊教育
J
から「特別支援教育
J
への転換
はじめに 「特別支援教育元年」という と平成19年度を 指すということは、特別支援教育業界では極め て一般的に語られている。但し、このことは、 学校教育法上に位置づけられた「第6章特殊教育」 が「第6章特別支援教育 j に改正・施行された のが平成19年 4月 l日からという法制度上での 整備がされたことを示しているに過ぎない。 確かに、法律が変わるということは極めて大 きな転換であることは事実であるにしても、い きなり平成19年度から「特別支援教育」という 用語使用が開始され、制度設計が始まったので はなし、。ここ 20年近く、特殊教育から特別支援 教育への転換の渦中に身を置いてきた者として、 「特別支援教育」という用語はどのように使われ 始めたのか、制度設計はどのように整備され始 めたかを検証してみたい。 「特別支援教育j という用語は何時から使われ始 めたのか 21世紀を迎え障害者教育等の世界的な動向を 踏まえる中で、日本の特殊教育の在り方につい ては、課題が山積していたことは間違いない事 実であった。その様な認識の下、平成12年5月 12日付けの文部事務次官裁定で 121世紀の特殊 教育の在り方に関する調査研究について」とい う調査協力者会議の設置が決まった。 この検討の趣旨には、「我が国では、障害者の 自立と社会参加の一層の促進を図るため、平成5
年12
月に障害者基本法が制定され、教育、 福祉、労働など各分野にわたって、中長期的な 観点から、ノーマライゼーションの理念を実現 す る た め の 取 り 組 み が 進 め ら れ て い る。また、 特殊教育においては、近年、児童生徒の障害の 重度・重複化や多様化、より軽度の障害のある 名 誉 教 授 宮崎
英 憲
児童生徒への対応や早期からの教育的対応に閑 するニーズの高まり、高等部への進学率の上昇、 卒業後の進路の多様化などが進んでいる。こう した特殊教育を取り巻く最近の動向を踏まえ、 21世紀の特殊教育の在り方について幅広く調査、 研究を行う。」と記されている。また、調査研究 事項として挙げられたものは、1
(1)我が国の特 殊教育の今後の基本的な方向について、(
2
)
就学t 指導の在り方の改善について、 (3)これからの伺 別支援教育の在り方について、 (4)特殊教育の改 善・充実のための条件整備について、 (5)その他」 とされている。※[1 調査研究協力者会議は、第l回目が平成12年6
月6
日に開催され、最終報告のとりまとめまで に7回の会議が実施され、各回とも極めて活発 な論議がされた。この調査協力者会議は、裁定 の趣旨と調査研究事項から明らかのように、 事 実上の特別支援教育についての検討が開始され たといってよい。特 別 支 援 教 育 を 巡 る 論 議 は、 第l回目と第2回目で集中的にされているので、 その概要を会議録から引用してみたL、。 第1回目(平成 12年 6月 6日)の会議で審議さ れたこと 初会合に当たり、まず、佐藤禎一文部事務次 官から挨拶の後、出席者紹介がされた。推薦に より河合隼雄氏(国際日本文化研究センター所 長)を座長に決定している。 事務局から「我が国の特殊教育の現状と課題 について」及び中野善達氏(佐野国際情報短期 大学教授)から 「特殊教育の国際的動向と国際 的にみた我が国の特殊教育の課題」について説 明の後、フリートーキングが行われた。特殊教 育から特別支援教育への転換に関する主な意見 は以下のようなものであった。1
2
「東洋大学文学部紀要J
第6
8
集 教育学科編XL
(
2
0
1
4
年度)o
r
特殊教育jという用語に違和感がある。また、 特別な配慮を必要とする子どもたちに特別な 場を設けて教育を行わなくてはならないのだ ろうか。0
例えばアメ リカでは、年令の低いときには特 別な場を必要とせず、 年令が高くなるにつれ て特別な場が必要となるといった意見もある ようで、各国によって犠々な見解があると思 われる。 0アメリカやイギリスでは全体の 10~20% の特別な教育ニーズを持つ子供に対応してい る。今後、一人一人にあった適切な教育の支 援の在り方が問われてきていると思う。0
ノーマライゼーションの実現は望ましいが、 そのために必要な施設設備や教員など具体的 な方策をよく考える必要がある。0
特殊教育の名称の問題、交流教育とインクルー ジョンとの関係、重度 ・重複の概念規定と医 療的ケアの関係等解決しなくてはならない課 題がある。0
特別なニーズのある子どもの教育を考えるこ とは、そうでない子どもたちにとっても大変 良い影響を与えるという発想も重要である。 また、特別な配慮が必要な子どもを特別の場 で隔離して行うのではなく、地域社会の一員 として当たり前に暮らせる方向性を探るとい う視点から考えることが必要である。0
特殊教育の現状をもどかしく感じている人は 多いと思うが、2
0
年のスパンで考えると大 きく変わってきている。0
教育の問題は国の政治 ・経済と密接に関連し ており、ヨーロッパ等の教育システムが直ち に日本で適用することは考えられないと思う。O
子どもの一生涯を考えると卒業後のことも重 要である。社会に出た時に学校での教育がど う活かされるかが大切である。0
理念の問題も大切であるが、基本は一人一人 の子どもにとって何が幸せで、あるかというこ とだと思う。最終的にその子どもが自立でき るために一番適した教育という方向で考える ことが重要であり、 年令が上がるに従い一般 の人達との交流を深めて社会に参加していく という方向性が大事である。0
各国の特殊教育の状況を見ると、理念、解釈 には相当な違いがある。また、我が国の特殊 教育についても誤解を受けている部分もある。 笑態を調べて検討する必要がある。0
最終的に問われることは教員の資質であると 思う。また、通常学級に在籍する障害児への 対応については、市町村によって扱いに差が 出ているのが現状である。0
盲・聾・養護学校は地域の特殊教育のセンター 的役割が必要である。※2) 第2
回目(平成1
2
年7
月4
日)の会議で審議さ れたこと この日は先ず、高為重委員 (国立特殊教育総 合研究所長)より資料に基づき「世界の特殊教 育について」、事務局より 「特殊教育と特別支 援教育の関係」についてそれぞれ説明の後、フ リートーキングが行われた。事務局から、特殊 教育から特別支援教育への転換を示唆する説明 があったことを受けて、突っ込んだ意見が交わ されている。主な意見を以下に記したい。0
現在の通級による指導は自立活動を中心とし た指導であり、特殊教育という範時に含まれ ている。一方、LD
やADHD
の場合は、教科 の補充指導に重点をおく新しい形態と考えら れ、特殊教育と特別支援教育の中間に位置づ けられるのではないか。0
特別支援教育に名称を変更するということは、 特殊教育そのものが特別なニーズに対応する 教育へ更に拡充するものであり、学校教育法 上の 「特殊教育」の用語について変更しない と整理がつかないのではないか。 通級による 指導については最近次第に自間の子どもが増 えている。また、知的障害養護学校の中で白 間の子どもを教育することでいいのかという 不安もある。白間の子どもが増えてきている ことも含め、特別なニーズに対応する教育が 形態とか場ではなく、実態を追認する形で拡 充する方向で進めていく必要があるのではな し、ヵ、。0
学校教育法上の「特殊教育」は、 盲・聾・養 護学校と特殊学級における教育とされている が、通常の学級にも障害児や、特別な教育的 支援が必要な子どもがいるという実態を踏ま え、特殊教育課では、特殊教育のノウハウを 活用できる教育を積極的に推進していくこと として特別支援教育課に名称変更する予定で「特別支援教育」という用語は何時から使われ始めたのか ある。あくまで組織上整理をしたものである。