――目次――
1,
英雄崇拝の宗教,その既成型と当来型,姉崎正治,Masaharu ANEZAKI,pp.1-16.
2,
三世実有論の研究,特に体滅用滅両論の批判,西義雄,Yoshio NISHI,pp.17-40.
3,
我民族の霊魂観念,和魂荒魂考,松岡静雄,Shizuo MATSUOKA,pp.41-62.
4,
真諦三蔵に関する二三の問題,宇井伯寿,Hakuzyu UI,pp.63-78.
5,
自在黒年代考,特に頻闍訶婆娑との関係について,山本快龍,Kairyū YAMAMOTO,pp.89-105.
6,
古代日本の社会関係と仏教の世界観,日本古代仏教史の一齣,細川亀市,Kameichi
HOSOKAWA,pp.106-120.
7,
仏陀の初期伝道生活における三宣言文について,特にマハーヴァスツに留意して,平等通昭,Tsūshō
BY
ŌDŌ,pp.121-132.
8,
独逸における宗教社会学の一指向について,林恵海,Keikai HAYASHI,pp.133-147.
9,
宗教的改革とドイツ観念論,山崎謙,Ken YAMAZAKI,pp.148-176.
10,
現代における「カトリックへの転向」の意義,吉満義彦,Yoshihiko YOSHIMITSU,pp.159-176.
11,
新刊紹介,pp.177-191.
Posted in 1931
(昭和6)年
\/ペ、?−L
先に特棉耽で﹁現代的と㌫数的Lといふ小論文で、椰想H仰といふ鮎に就きを都いて宗教的の一
時栗■で教へた。そこには理想化仰の性蛮については説かす、概括に留めたが、此の問題の内容を
明にするのは、或る意味では㌫致の井命公膿む説明することにもなるから、何
れにしても一畢で 果し得ない。そこで今こ∼には、その説糊の一端として英雄豊邦を租然して見る。大衆的とか中民約とかいふ恥骨気風が勢力む加へるに従ひ、世は中等になつて英雄は少く㍍る
といふのも一軌察であるが、基は恥璽の字面に過音ない。桝珊⋮る大衆的気風と機運とが螢通し
て、人が並く超人にでもなれば、敦高の意味での中等が野現する詣でめらうが、然しその時には又
又その超人の水中を披く祖々人が侶て英雄になる郡は決してないと、何人が保和し符やう。一婿
功成って萌冊触るといふ柁な職場の英雄は、〓る横倉が覧くなつても、満人の希塁㍊想を轡窮し
大成して、一婿功成ると共l二、その人のカに依って仰靭人が漸な住命を符一心といふ獅の基経があつて㌦らぬといふ鞘があ・hうか。英雄の紺血豆、今までの人類脛史にも随分椰難が多く又唾遷して
其胡川パ仰の宗敬
一英雄崇拝の宗教
その既成型と常楽聖
治
J.う水た。封雄軋骨で見た如き類の英雄が現れる機骨がへ仏くなつたからとて、今後め人効に英雄は出
ハ甘い、又出てならぬといふのは、人間円らを知らね知見ではなからうか。
但し、英雄が何かの意味で何かの似きを人佳に寸るとしても、人間が
之を盟卸するや否や、即
ち英雄盤邦が今後に続くや否やといふことは、やはり問題にな∴。但し此の問題も、英雄の種類
と刷様に、祭邦といふきーiの内容l二も㈲係す一じ問超であつて、今までにも出“井に柿々の別があつた如く、今後も必しもー柁たること一里要せす、而して如何なる椰如の整邦が今後の人文に滋も和カ
にならうかといふ和も亦大朝の関越として考慮丁べき輿でぁる。而して濁り英雄蟄邦に限らや、
盤邦といふ串の意義内容に慶漣があり、その正眼凱が㌫政文化の特質に腺じて鵜色一望撃坪寸る所
に宗教山珪命が現れる詣でみるから、英雄費祥に於ても、如何なる英雄が如何なろ戚汲を意逸し、
如何なる意味の崇拝を受けるかといふ凱に於て、↓での宗政文化史上の意義が伺はれら次第である。
さて英雄崇拝の起源について、天神や地産との聯紡などいふ隼は一切邪略する。︵但し、此等の 鮎も今後の宗故に無関係といふ謬には行かぬが︶。而して一般に㌫致が超自然上端盲一で躍く抜に進むで華たに対して、現郵の人間同志の仲間の中に英雄を蓉東し、殆ど紳小駁の位翫に之ノア奇祭す
一じといふ恥賓を以て、英雄出“邦を観察す乙端納Jで闘いて見やう。即ち豊押といヰ瑚の中に人間的要素が韮きをなすに至ったのが英椎柴邦の一つの‖じるしであ㌫が、その人間的要素の中でも亦
英雄崇拝の宗教 イ6階級や職務の功徳に基いての人間骨張でな︿、恥別な人格に萩盲・竺躍き、その人栴の何れかの肺
葉に超人的要素の螢現を認め、その人Jで榊小⋮芋川格ド年嵩し告知寸る、此が英雄盟知で一項り、帥ち一般に云はゞ宗教信仰に於ける人格瑠韮の発露である。
それ故、若し御釜を幾邦するのが㍍放たと定義し、而して人と榊とを峻別する㍍らば、英雄鷺
邦は宗教ではないことになる。又或る郁独の英雄磐井は、革質その鹿畔如はれた紳㌫偏禿の宗教
に封抗して起った場合もあ云∴彿敢の興起の如きは:ハラモンの紳小⋮姦に対して彿陀の人格を策動 にした新宗教であトト。〆ノ竜ン等から見れば、俳従は無紳従︵又虚無論者︶でぁつたりキリスト教ロマ人から見れば、伸雄の紳小鼓を否定して、奇妙な十字架上の人物を盟邦すろ無翻政であ
でも、
って、通常の意味での英雄豊邦でなくとも、今までの紳嘉と趣扇鹿王すを現賢人物の人格を中心
とする宗教でぁつた。この二大宗教共に、その後の謄建はどうあつたにしても、その興起に際し
ては、超絶御室に射して︵或は封抗、或は対立、或は対照︶、人桁本位の信仰、一定の典醗的人格に射す一〇戚激、令敬、渇仰、折伏、信頼、乃至腫邦、盟邦を葎命としたものである。即ち人格鶉
兼といふ購い正味での英雄盟邦の宗数が極めて特別な人格に鉱申し、J−の人格の扶命とそれに対
する信仰とが特殊の様式内容を取って人雄の大勢力王∵つたもSであろ。
彿敢やキリスト教にも、人格骨箱の先駆のめつた粥は、今邪略して、二敢共に、その信仰の成
英雄珪押の㌶秋 イ㌻長植熟と北ハに、その小心人格が捜々現書からかけ経れて、人川中超絶した榊嘉の車ムの上に祭り上
げられると共に、その信仰には又々人間的要素の必要を戚じ、現宮基醗的の人格に信仰イピ結び附
ける努力が、時代毎に柿々の形で珪じた。印姥彿故に於けろ数多いがサツの費井、〓本体故に於
け争闘山肌師の川“邦、又キリスト教での繋舟や雅ポ、若くは改革ポやリノイメリストの令黒など、
何れも紳嘉の天上に飛び去るのを多少とも地上人川に引留めようとする人格−い心の︰小数運動であった。此等については、後に桐ほ少し粗暴しやうが、兎に列、此の二大㍍放の小に起った此等の
運動は、宗教信仰が、一方天土超絶の霊界ぉ目指して飛掬しやうとすると北ハに、他力此分地上人
界に結び若けて、切賓に我々人糊自らの中に紳定む認戻しやうとする努力の抑えないしるしであ
り、而して此の縁者が∬ハ醗的に現れろのが英雄川パ邦の㌫放であ一〇。
英雄相加邦は必しも右に云ふ如き沌大な㌫数的忠率で以てのみ現れるものでなく、締めて陣後な
意味での英雄、極めて二世的の喘釆尊敬に終ることも少くない。畔に日本には古来、かういふ咋
使な英雄鷺邦が時々塵々に現れ、何々の如ほなどいふ鶉が明くの川だけ人気者になつて、後は泥
土に委せられ陀者が多い。それはその﹁紳撲﹂がやくざであろと北ハに、それを刷ほとかつぐ比衆も
軽洒な超で、特に近年の大衆向の英雄と凍ては、あはれはかないもので、殆ど基経とも盤如とも
名ける偶のないものが多い。それにしても、所謂一〇大衆趣味の世の中にも、帖々いくらかの英雄
英雄雄押の宗教 四 Jβがかつがれる串のあるのは、人間の精神に何か成心すべきものがみれば、それに戚動し、少しで
も秀でた新、勝れたと思はれる者があれば、小理論や小我執七棄て∼、二岬でもそれを律盗して
かつぐといムー椰の戚倣性のめるしるしであるP如何にデモクラチクでも、又如何にブリレクリ
ヤ気風でも、その小に北ぶべき者を敬見して之をかつがうとする英雄貼ポ邦、㌫数倍仰の一師けが
そり申に亡びないといふことを和明するものであろ。先に﹁現代的と宗教的Lの中に指摘した如
く、現代気風は絶ての別に於て反宗教的であるかの如く見えても、その.中に㌫数的要求が却て初 野になりつ∼あるものがめり、而して現代の大衆向基経黒如︵大小色々あるが︶の如きも、そのしるしの一つであらう。
そこで先つ英雄の種類について軌一心に、締着大別して、串功の英雄と性徳の基経とに別け得る。
勿論、雨着如跨った新や、境界線の明でない新が多いに泣ないが、英雄と仰がれ乙ヰなる苅服飾
には二つい大別をなし得る。然し甚に此の二つJで帖別して見る山に、その差別を指摘す一〇よhソ・。、二者の聯紡一箪考へて鬼ら満であム。即もネくの場介に、カ而り如何に附せす、一般人が英雄を螢
見するのは、その串功を讃嘆するに始まる一で常と守る。兵隼、政泊、鱈某などり基経といふのは、
その事功S見るべきものがあるといふ串を緋れてu殆r意味イでなさハ甘い ︵悲劇の英雄といふもの も、その悲劇の前に串功がある︶。然し、それに対して、燕彿、徳H、爪仰ハ廿どのカ面では、ラーi功 英椰拙祁邦の宗教 五 イク英雄浅井の宗教
は必しも英雄たる必至要件でハ甘いかの如く思はれる場合もめらが、それは通常世俗的意味での成
功でないといふにけの串で、暇令ひその時には失敗であつても、その人の串功が段々に光イで放っ
て、後世を戚化すちといふ様な意味での串功はやはり性祇の英雄にも必然の要素である。
此等の瓢について一々の好例なぃじは略して、兎に角、公然何等かS串功なLの英雄といふもい
はない。然るに、如何に粥功の燦爛たる成功に飾られた英雄でも、その人の性徳に何か串功に伍
する勝れた鮎があると静めら、れなければ、英雄にはなれへ甘い。暇令ひ、如何なろ他の映鮎がある
にしても、その串功に舶成した何か性徳の美瓢、長所、又ほカ晶、気宇の見ろべきものがある、
又はあると信せられて、始めて英雄となィ0。糾うでの鹿徳の長所といふのが必しも所謂る斐人で
なくとも、又場合によつては通常の遺徳とかけ経れた超人的気宇であるにしても、串功と北ハに性
徳に何物か英傑的herOieなものを必要とする。如何なる器が︼−害ieと卑られろかといふ内容は、場合によつて千喜茂別を呈すろが、人間の性紙として而かも常人の企て及ばない踏な何物かを要
一一 やlとする。 そこで英雄は一人自で英雄であるのでなく︵各日のn信抱負とい÷−とほ円く別し﹂して︶、何かの意味で之を仰ぐ人がふ∵ク、此の如く仰がれる人としての英雄が珪れム。此はわか♭切った準を
述べるに似てゐるが、英雄が人問に珪れて氷るとい∴雄−準塞よhソ←b、基経があれば之■ざ糾仰し豊邦 伽する人川があb、此の糾仰の心、黒井の熱が人珪の一大事華たることを指摘したい承に云ふので
ある。石の小に玉がある如く、米債の人々が同じ様な酢踵夢死を維返す問に、帖々に人小稀々の
英傑が現れるといふきIiは、人間にとつてS光でふ∵りカであり、又希望と戚劫とい源泉でぁる。如何な云大衆文化の他にへuつても、大衆の中にやはり英雄が出て凍る、大衆はやは︰何かの形で英
雄に引卒せられて効く。モッブのデモにでもやはり粥導の英雄がゐる、況や代々に互るべき文化
の大運劫に、先達なしに人類が効くものでない。人珪に於ける英雄の意義、城化力はカーライル
の英雄盟邦論位で撥き一山ものでない。文化り大運勒で、英雄のインスビレーションに負はないも
のはなく、宗教信仰の城化に於ては、英雄、即ち預一∵りポ、頚者、改革者ほ、異に紳盛と人間とを
連ね一ん︸fI三命の楯であ∵り、血の脈絡である。但し英雄が此の如き役自を痕じ得るのは、一面英雄自らの成化カに費源す㌫が、他面その戚化
に絆し、英雄を英雄として祭押す一り多故の一民衆があるに依る。約して云はゞ、英雄はえらい人に
連ひないが、そのえらいのを認め、之を黒井してそこにカを得る人数全焼五亦えらい。太陽の光
は無塩で業はしいが、之を反射して光彩を放つ牢気山川草木萌物も非業はしいに違ひない。英雄
を太陽とすれば、之を捗⋮押する人間は太陽の光彩を反射して莱粗を虫する荷物でぁる。ラヂオの
電波は大容を脹ふて蔽ってゐるが、それを捕へて膏波に現はす受訴器の如何によつて結果が速
英雌頚邦の宗敦 七 βJふ。同じ英雄でも、その出小郡新の抑動によつて、野際の戚化に差述を′−ミヤろ。非雉は人間の許で
ぁる。然しその鴛を猫に小判にするか、拝命の雄として浦川すろかほ、人間公醗の問揖である。
威化の敵動力が㍍けれは入関ほ戚動し㌧い、然し成功の嘉男が∩山に教執しハ仏ければ、析列の折
動力も無忠為に終る。此に於て英雄出バ邦について考へ乙常には、貴邦とい・意義輿警品還して
見る要がある。
出弄には勿論色々の和銅がJのる。利光叫小邦といひながー㌧それは小⋮瓜に封寸ろ㍍仰む要件とはし ないなどいふ様な、円木r‖巨▼川代道徳論新の形式的附膵でも、やにり裡小郡とい′二端には梱れてゐる。その反対の梅たるセム的畔︼紳数で、出“邦といへば、出川敬、靭仰、信勅、それ等と全然獅を異に
し、唯一の叔上輌に射すろ紙柿の如月1i碓井の外にあるべからすとするのほ、盟邦といふことを駿栴にし過ぎて、却て人情に速かったものである。その小関、盟邦の程腔内容は色々になるが、大
別すれば、心に昧ふのと身に術ふのと二つの櫨度にな一㌔此の∴つとも、その沌深には郁々の程
.度があ♭、軽少一峠の成月−i椎他にも幾分英雄出吊邦の端を認め得るが、それ等は問題外として、多少とも身心哲打込むでの英雄川“邦について軋察寸れば、眞畢熱誠のこもるだけそれだけ㌫数的性
栗を珊びるといふ串は経である。即ち英雄の郎功な諏歎し、その性徳の勝れたに戚如して、之を
心に昧ふことが深くなるに徒ひ、その人に射する揖甚パは段々に柿脚的交池の奥に進む。精細的交
英雄崇拝の㌫軟 八 き2池といふのは、つまり桐人的差別︵肺葉に於ても又品位に於ても︶はあつても、それを越えて任命
の一聯紡む戚持し、この聯紡を冊験する矩に依って、弱小な個人珪命を深沌購大ぢ丑命に結びつけ
る。而して蛍卸の的たる英雄は、此の場合には、此の如き大丑命の一表現として、具慨的感化の
源泉となる。此の窓味での楠紳交通即ち珪命の聯紡は即ち㌫数的嶽井の変動であつて、その梯的
が超絶の紳麗たると具膿的の入関英雄たるとに依って、根本性質を共にするものでない。
心に昧ふ、戚化を受ける、渦仰の誠を注ぐ、珪命の聯紡を概廃する、此は柴邦の静的方而、彿
敦でいふ軌心の方而り属する。然し此の静的柴邦は、その概喩の深さ強さを加へると共に、生命
の動力と打Tり、動的方面に迂るを常とする。動的といふのは珪命の行動に現れること、頚邦の熱
誠をどれだけかでも身に術ふことで、小枝倣に始まり、佳死を油じての努力翳わに及ぶ。心に味
ふ押軌と相井んで、此は戚窓力扁の一雄術でぁるが、弊行でも必しも一々の細部を模倣するのでな
く、将帥の聯紡を生命のき1i華に現はすにふツり、盟邦の心を身に椚祝するにある。似し、多くの英雄州⋮邦に於て、その英雄の心む身に毎ふといふ串が、外形末節の模倣に走り、却て精神の元を没
却する膵な場介も少くない。時に串功一でまとした英雄鷺邦、政柄や武功の英雄セ㍑邦する場合に
は、この弊が多く、英雄盟邦が英雄のカリケチエ︰アを作るに止享ヤーともJのる。又性偲の英雄に封しても、その精油一宮汲むことのほい均分には、同様の紡異に終ることも少くない。而して今ま
英雑用紆の宗秋 九 5∂■
一
英雄崇押の崇敬でり用語惜例でも、英雄磐井といへば、寧ろ此の如き外面的英雄柴邦を指し、之に反Lて精神の
奥に入乙岩井にウ∼を英雄祭邦と呼ばないで、或は空新の盤敬とか救まの鷺郵といふ様に別の名一でつけることもある。然し本務の暫貿から云にゞ、豊新も人界の経であり、件数で悠鱒陀を世雄性
令と呼むでゐる油ト、人身を塞けた姉別の生前、常人に勝れて紳憲を醐現す一句人格としては、英
雄であり、而して之ヤ岩井する所以の根株に於ては別種のも山ではないのである。〓ハ此の如きカ
リケチエγ的英雄費邦が世に多いのは、党葬する側の一般人頗が、英雄の縮闘を再現寸るにだに
力が及ばないで、局部外形の模倣、カリケチユアに走るに外㍍らね。目し、暇命ひ、カリケチJ
アでも、欣求の心はぁ∵り、崇敬の誠は存在守るので、つまり泉の崇邦の初歩入門と見るべく、そ
の初歩に於て踏みはづす者の少′∴㌧いのは、狗り英雄黒井たけでなく、人ホ薔端に多く現れる人 間の窮鮎に外ならね。暇命ひ出凍損や、滑稽、誇張、軽薄の混交が時に依って珪す乙にしても、英雄費井は、その本
性に於ては、天上の露光を地上に澄見す一り人心の自然の要求から出る。﹁天の如く高いが、地面
からも層き得る﹂といつたのは、英雄に閥してカーライルの明言であるっチャプリンやググに封す
一三稲の英雄紫輝から、桃太郎、曾我兄弟、清正公と段々に天階一で上っては聖者乃至救まに封す
る令信楽拝も、弘い意味での英雄盈卸の天宮を飾る。先に述べた如く、法よりも彿陀の人格を中
占ヰ心とする宗教としての偶数、天上の父よらも泥接に十字架上の﹁人の子Lに信仰を基申するキリ
スト教、此等は英雄渋井の最高階段で又甚深の根樵から出た宗教である。つまり﹁我等と同じく
人間である、而かも我等凡人の企て及ばぬ定性一ざ僚揮した人格﹂として英傑、世碓、壮令、蟄者、
救まに倍新し、それに対する信仰に依って我等自らの中にも同棲の麗性を澄挿せうと守ろ欣求、
此が英雄紫邦の宗教である。科挙の澄遽で如何に世界観が鼻化しても、経紡鼻勒で如何に軋骨叫
情が樽慶しても、如何に草民約の世になって、張族気風が磨徹しても、又如何に今までの宗教が
人生に無意義になつたにしても、此の如く人間が入明自らの中に発く浮く、強く輝くものを澄見
して、その人林を盟邦する郎によつて、各自臼らの北さと強さとをn発するといふ一郎は、人間
の存在する限り並盲る事はハ甘い。英雄磐井は埋の信仰でなくてき拝の宗教であト一、超絶の敢でなく
て現耳のカである。
但し、此の視野のカが如何にして井久的に戚化を及ばし、又波及費漣を蒔けて成長するや否や
といふ問題になると、一紳の論断を容れないものがめり、法則又ほ煙準を立て符ない。それは丁
度英雄そのもの∼糾現と同じで、いつ如何山号る犠遇には英雄が必や起るといlふ原則を立て得ないと刷じである。叉如川なる椰如叉程度の英雄が出れば、その川パ邦が必す祥久的戚化力む及ば寸と
我々
いふ標準を定め待ないことも同様でや0。此等は常芋抽入珪の原造的勢力文串賓である。
英雄豊押の完動 占占の、研究や考慮は串彼の認識をな寸カはあつても、矩前の濠晰を容れない。
勿論、知識、特に科邸的知識は或程度の預測一ですろといふ事をその職能の一としてゐるのであ
るから、入関に閻寸る知識の進歩に依って、此等信仰の串賓についてもどれだけか辣測し得るに
違ひない、#今口でも宗教畢の範囲で幾分は侶凍てゐる。然し如何なる科草でち紙括的法血の上
に立つ概縮約敦測むなすもので、その紙革的法則の要件が機械的に軒一な場令には、珠洲が機械■∵.ド的に適用出水ろのみである。即ち物理的謙科単に於てほ此の具醗的池川が比較的朋称に出水る
が、生物準に至ってはそう行かない。珪物畢では生命の慶蓮澄娃については、法則的に総括した
辣晰が出来るが、一々の場合を具櫓的に隷師は出来ない。例へば追伸の法lIリが明になるに徒ひ、貌と子との㈲係について、総括独断の範囲は弘くなるが、如何に追伸邸が完全になつても、太郎
の次に次郎が珪まれるか、お花になるかお蝶になるか、又は太郎の日は父に似て次郎の目は必ず
母に似るといふ様な具慨的辣晰は出水ない。ヌ生物の進化合冊についても、進化の跡を郎後に明
にし得ても、此次の時代にほ脊椎動物に此々の漸榔、民政に此々の漸榔が山水るといふきーi前の定則はどうしても成立たない。心椰的軌骨的諦科挙についても亦同様であるが、今一々詳論しない。
一派の敢骨科挙説が﹁過程Lといふ軌念に基いて全知仝傭の科挙の如く自ら考へてゐィり如きほ、或種郵紋の螢珪期に於ける幼稚な自己過信に外ならね。況やその恥骨率説は、入関の井折を鮮軒串 お
英雄揉押の宗教傍、敢骨環境の産物に外ならすとする機械的︵此を彼等自らは﹁科学的しと捕する︶観念に基いて、
肝心の人間その物を逸して軌察してゐるのであるから、﹁過程﹂は幾分明にすることは出水ても、
その過程のま人公はどこかにおき去りになつてしまつてゐるに於て哲や。
今技に強めて言ふのは、今後どこにどの様な英雄が出て凍て、その英雄盟邦が如何なる詮議扇
して如何なる宗教になるかといふ串を辣断し得ないといふ一郎にある。此等は一々具慨的に疎断
出水ない。然し、今後といへども人間には英雄が出て凍る、又英雄川叫邦が行はれる、又その或者
は宗教的隆運を遂げる、此等の難は総柄的に漁師し得る串で、それは人間の宗教心を研究し、今
までの部署を観測する中から出て氷る自然の推論である。人川の天性が全然埠吏しない限り、人
雄には境遇に誰鼻輔があつても、人間が人間の中に現はれる基いものを得盟し、それと己れの生
命一曾聯紡して生命のカにする焉の英雄盟邦の宗教は断じて消滅しない。をれが在寮の英雄の復活
である塀介もあらうし、新澄見もあらうし、又薪英雄の出現となることもあらう。
そこで最後に一つ嘲れておく問題がある。即ち、英雄地心邦は過去の英雄、即ち串功効果の顕は
れた英雄に向つて敬端するのみであるや再やといふ問題。云ひ換ふれば、既成の英雄に対する盟
邦と共に、脾成の英雄に対する盟邦又は快傑といふものが存しないか。此の隊題は一見して奇問
に似て、恍に現はれた英雄字Jそ川⋮邦すれ、まだ出ない英雄をどうして盟邦糊凍るかと問ひ得る。 箕郷黒井の宗秋ァ唾
然し、他の事で見ても、人間は父母として既に出水空丁哲可変がろのは勿諭のき1iながら、何れの 男女も措成3訂n−iPlの父確として肺成来生の子を可愛がってゐ一品である。知識に於ても、義術
に於ても、又経折その他の活動に於ても、人間は既成の成果を牛苅し、をこに幸痛の材料を有し
てゐるが、此と同校に、又場合によつては基以上に、牌成号e已P言1 に対する愛着、怯橿、欣
求、希望、確信の小に車軸の源泉む射してゐ一心。過去のもの、恢成のカは、現在に二も躍動してゐ
るが、時間の経過と共に泣かり去る力である。之に反して撒水はま仁兄えす、つかめハ与いながら
に、別々に泣き凍るカであり、その歩遊の近よりを賂々として成じ得る活き′1と押寄せつヽJり
る生命の波動である。
此の如き意味での措成官e邑已の英雄紫邦は、賓は今までの宗教にもいつも大勢力であつたの
である。簡翠に云へば、ヘブライの預言者等は彼等自らが英雄であつた︵目し督時には豊邦せら
itない、又追啓を受けだ︶が、又同時に購雑出現の救草で欣求し疎音し経信した購成約英雄渋井
着であつて、その川“丼の熱誠ほ、眈成の英雄に射するより・も造に蛾烈であつた。而し/﹂此等撃..‖ の大成者、︼さすーtiplityの郵税者とへ与つたキリスト自らは、その信従からして一種時加な英雄磐井の的になり、その信仰が一大宗教になつた。然るに此の宗教は過去に十字架上に過ぎ逝いた救詫
英雄を晩成の経として盟邦するだけでなく、世界の終末には天の一カに現れて一切人間を審判す
英雄崇拝の宗教 つ9る大男の判官として祭邦した一、いで、此鮎に於てはキリスト教も、ペルシャ放とーiilじく婿成約英雄
黒井であつて、キリスト再臨といふ強烈な信朋を右してゐん。
彿故に於ては、澤食餌現り放言王面癒でハて、叉紐牢謳現り信仰も稀薄である。然し、沸教は
澤令中心の宗教たると共に又豆サツた井の宗教、ぷサツ迫の賓行を目標とする宗忽である。而し
てその▲ボナツは皆指成の仰陀壮語でふアり、その中には、泣い婿凍ながら出現の撃一誓の乙ミロクポ
サツの如きもあろが、それよ・りも一切の彿従署嘉サツた乙べき一柑の
む、近代に定るに従って∴jI;致は既成同定の紳麗に射。、
婿成英雄余罪の戚故に活き
て亦た。此の如き購成約英雄に脚する撃一ij的熱情が奇妙な形で現れたのは、賓に法華経に於け↓。地涌のボナツでぁる罪塔品の二彿は過去の彿而してそれに続く涌出品の地桶ポサツは質に未
箔の彿。此の購死の勇衷、末法の弘法者に封す定信仰が口述上人の一生に於て血肉の和栗と定っ
て現れたが、〓逆上人の㌫放では、口述自身が地涌ボナツの最後でなくて、その先駆であり、無
数の血涌ポサツは‖泣に頂いて目視すべき奮聞のⅤ禦ハでJ山一〇。目迎上人の∴∵=訣には、此の如き未殊に対する信仰が到る桝lこ躍動してゐるか、その㌫数は、此の意味での購成約英雄碧邦たる汲云
的信仰である。
此等は既に現はれた野例一二一軍ホ寸に過ぎへ甘いが、規模の・犬小、熱信の渡深は色々あ一りにして
すじ信仰主共に、又はそれ以上に、肺成常
菜種豊押の憲政 うり凍の紳登を人間の中に求め一り、又尊兄して之に信明し、之が戚奮に涌きえといふ方面に向つて米
た。理想を過去に躍き、信仰ぉ園足した宗教は、過去の宗教と仁つて如くに対して、過去とは経線
しないま∼に、而かも結氷溝成の︻さt2nti已iti現に苅鮎を置く㌫教は、現代と基に溝水を支配する カにならう。即ち決定的に既知︵大の啓示でも教骨の宗義でも︶の異理に信仰Jで安立するのは既成型の宗教といふペく、之に封して開拓的に描成の展理に欣求戚政の性命を費排するのは節水型の
宗教である。その常雄が最後審判になろか地涌ボナツの出現になるか、何れにしても㌫敢の珪命
は葛訂註已iti謡に充満してゐる。人類の澗雑は、鱈に此の如き無数の肺成的基経の中に潜在し、凡 、人も平民も慣此の如き英雄の竹臓一ピ仰いで、その告知に依って、n分自らにも覚知せすにゐるカ
を蓉推すペき天職に活きてゐるのでなからうか。
英甜菜押の宗教 ¢ 甜根本彿.数ヌは原始彿政の研究は、少くとも軍術的俳敬研究のアル7丁でぁると共に、或る意味に ーl ‘
於てはオ′オでも㊦ると考へらる∼が故に
●謙諭の出教鮎として、寵妾威さるべき‖心想中、最も注意すべきものヽ一つは、部派係数の随一な
る眈一切有哲郎の根本ま覗たる一切法賓有諭であるといつて池言でない。俳数々埋の螢展経過を、
痕えて輝絆静的に見鑑さんとするのでなくとも、此の一切法れの思想が、凡ゆる大小衆論軍の■
蹄み菅な↓∵日常断となつ化ことは、年はれない虹鱈であるからである。北〓雄、支那、日本の
、−、 働き大勢の廃油拘に放ても、ネ思想の研究が、決して守旧にされなかったのみならや、寧ろ一般 .ヽ l故知邸者の粁討とし又は基礎蝉とLて必輩欠くべからざりしものなることも、亦、多ヤ=を要しな
ヽ .■︼ ︳ ﹂一・ヽ い桝でゐ鼻徒.つで此の・法石風貌の研兜成果には可なりに経口すべきものがある。我が岡に於け 一 三葺有毒の研光三世貨有論の 研究
−⊥将に醗城用滅両論の批判!−
. 1 −t ユー 一 −■ ヽ−■▼ l ′ 一■▼ ●−■l /﹁本研究の問罵の所在
義
一入
三世‡有論の研究
る、甫寺北寺雨悌の論年と、旭雅師垢の快食名所雑記中の渥應師の三世磐石認印倣の如きは、澱
も著しきものである。それにも拘らす、私の見る所を以てすれば、本思想の考察は、未だ必ずし
︵一︶も充仝に達した♭とは云ひ難いと恩ふ。新邸に於ける専門準者の聞に、今仰、三世野市論に就さ
て濃淡か用淡かの如き論軍の放り返される所以がそこに祈ると共に、こは亦、一申Jの研究の困
難なぇこと一宮も物語ぅものである。
然らば、如何なる鮎に於て、此の困難は存在するのであ・らうか?。 さて改一切布部宗︵以下、単に布部宗と略耕す︶に於ける、一朝法の分如には種々ある中、政和畢上、特に理論的考察に於て最も多く使用されるものは、有名、郵袋の二分茹である。和栗︵等
︵二︶−竃k甘︶の法とは、その語意の示す通り、又婆沙椚七十六幕に定義するが如く、法の因緩和合作
用に依度し、生有り波布り、因有ら、発布る有馬舶︵生、什、典、淡︶を碍し、洗博し、三世︵過去未凍現在︶に堕するもの等と表現せらるるもの二般の組榊にして、之れに対する無燭︵蔓壱?
k甘︶ の法とは、足れ等凡ての條件と反し相違するものヽ紙桝である。元務、石部宗としては、その宗名たるS宅急邑adP︵一切布なりとのま張︶の語義か示す如く、
此の有馬奴鰯一切の法︵勿論、こ∼に一切と云ふも、見るもの間くものそのま∼凡ての窓ではな
∈〇 い︶が質有すると言ふに有るけれども、俳も近時一般に政和準上の術語としては、この石部宗の 〝か︵円︶ 法有説を、特に三世賓有法健恒有諭と通糾す一〇に至って居る。併し斯く呼糾する限り、それは、
和名無筆一法中の有馬法のみの賓有に限られたるものな一?主を注意しなければならぬ。何んと
︵菰︶なれば、こゝに三世といふは即
惟常任と耕すべき性質のものであるからである。卸ち石部㍍の法石諭の特徴は、有馬なる法が、
ハ六︶ 三世に賓宥にして、其の法憶は恒有なりとする別にある。然るに一利耶に雄、什、典、滅の同和を具するとまで主張さるゝ宥璃法の、その三世なるものが、如何にして野市すと言ひ、亦、法醗
は恒有なりとま張し栂るや、換言せば、珪石り滅有り、輔慶し麗流するといふが如き有頒といふ
語の持つ現象論的意義と、﹁野市すL、﹁冊、恒に和行り﹂と云ふが如き野在諭的な声音義と、果
して能く矛盾すること塞きを得るや否やは付人にも正ちに起る疑問であらう。併しこれ吐なら
ば、問題は甚だ限定されるのであるが、石部宗は、石基扶を分別して、法の標、又は自性自照
︵drPj:一r買註F腎P︶と、その法の作用︵k冒itrエ又は位︵︰∋賢笹︶等の状鰻柁柵をも論じ、更に その憶と作用等との雨着に於て別々に井波ありと説く。即−ち或る握には、利用法の偶に珪滅ありと説き、又他の腱には和焉の法偲は恒右にしてその一作川等にのみ葎滅あトと説くのである。石部
宗の教養中、特に三世欝有法槽恒有諭研究の根本的発料として第一に韓ぐペきは大比婆沙諭なる
へ七︶ こと、既に放水村泰祭教授に依bても睦∴几明にされた桝でJのるが、此論.1.に於て以上の如圭一 二伸粁有給の研究 ● ◆ 〝β三傭賞ね盆面研究
ヽ二〇
掠の明文が幾多存するのであ一¢。此に依・りて先の疑問は、右調法そのもの、醗に生滅あら乍らは
憤は恒宥ならとするが布部再ポの異音なるか、措、作川の生滅はあるが俄に珪滅なしと説くのが其
晃恵の存する所なるかといふ鮎に移されてくる。然も、彿放たる限り、教諭︵S萱lハh﹃エ学派が 鼻異︵日露す︶としての自性︵守乱b剛11ヂっrPr計宣︶を輔建無常とは捕するも、その倍に生滅な しと主張するのにも陥らす、勝諭︵ゴたe音戸︶単板が、合︵s竃yOgp︶維︵きh首︶ とは説くも耳憬︵d⊇耳p︶に生滅みらとは説かないのとも典なり、それかとて、亦、三世欝宥法醸恒有とい
ふ布部宗自憶の根本ま張にも抵触せざる範陶に於て、e−1ちこの限界内に於て問題は僻挿せられなければならねのでぁる。
〓 本問題に対する古本よりの典解に就きて
本桐過に就きては、噂沙諭申已にその疑問を騒げ、且つ綿々に曾通せんとの努力の痕跡の存す
る桐威は四五に止らないが、此の瓢を揃解して鋭く有部数養お難詰したのは、世親の快食諭琴一
十巻である。併し、我が閥に於ける布部研究の興味の中心は、寧ろ、布部宗の立場に立ちて、こ
切開庖に何れかの決定を興へんとした越にウQと思ふ。総じて我が同党隼のこの問題に射する研
究成果は、これを大憤三伏に分けて見ることが出水る。第一、請父有馬法︶は無常なbとは彿敢 ヽ
の根本怯印の一なるが故に、叉、橋と用とは不即不離なるが故に、用の如く法悦にも津城有らと
β4重鎮する所謂る慨滅家︵これは北苛の倦︶と、第二、有兼法の偲には珪減無ぐ、桂城は作用の上に のみこれ至芸ふとま駁する桝謂用滅家︵これは南寺の倍︶と、第三、此の両説の詔文を食通せんと
する渥應師の如、き諒とである。以下且らく醗滅用城南家の北総が一般に、とりて以てそのま張諭
ヽヽ 披なb得ペしとせる澄文と、その鞘山根械ト≠りとする氾埋の弐なるものとを摘記して見やう。 回憬強請者の詮文 ︵以下評文小、描線を附せろは.意を閃かにせん偶めに祁へるもの︶。 ︵第一︶撃喩希と分別論者とは是の如き証左伸す.﹁ヨ肝の酔狂是れ常なるも.釣行の恰は無常なり:⋮Lと。閻矧 笥う絶叫の鑑を止め、世と行とは、催に差別無きことを期さんが弱めなり、聞く、枇は即ち行.行は 1′l 帥ち足れ聴なるが故に﹂と。︵以上の文中の泄は、一切の石鯛法を‖−怖とす︶。︵婆七古ハ、三九三真土︶ ︵第二︶復次に、有馬法は、唯.榔発し隈紬するも、而も砕に根城無しと執するむ止め、†掟、未森仕損じ.現在 は誠すと就くが故に。即ち、右娼法は、但だ、輔要するのみに非ゃして、耐も禦に根誠有ることを耕さんが岱 めの故に、斯の論を作せり。︵婆、一八三.九一九頁、下︶ ︵第三︶問ふ。話の色・心等町甜仕、何故忙常に非ざるや。芥ふ∵誹抽は輯努して恒に非す。韮に足れ常任ならん や。閏ふ、邸ぞ樽獲は隠誠に山らすと知りJ面も牝矧の法腫に牝滅ありと執するや。サ肴≠友足の如き説を作 す、﹁若し姐御の樽強が、但lだ随拗にのみ巾るとせば.則ち脈戯に脱すると切抜と童ナと少と小と毛との位は、 常應に頓超すぺけん。然も筍m蒜l樹漸次にして起るなり.。故に知る柑焚の備忙根城有ることを。⋮⋮︵婆. 二首巻二〇〇三−囲頁︶ 二伸贋祈論の研究 6βヽ■/ ︵第囲︶ イ間ふ、請の右璃法の圧する畔、忙推すろ法たろが故に咋すと靖んや、咋拙と合するが故に坐すと靖ん ′ll や・⋮・。没し締らば何の失ありやといふに、苦し附‖足れ畑する扶なるが故に畑ずとせば、里州比州ち腔忙瀬川 ヽlヽ となるべく.若し里親と合するが故に脱すとせば、則ち無娼法も牝相と合すろが故に、亦、腰に可牝なるぺけ ん。答ふ、應に是の詑を作†べし∵酷はn足れ坐すろ法なるが故に隼ずLL。冊ふ.若し銅らば、牝糾は則ち無用王 なるべけん。答ふ、鰹は走れ生する法たり.と排も.若し叛州と<‖すろこと無くんば、則ち牝す可からず⋮︰。 ︶ い間ふ、訪の有馬法の滅する畔、忙は乱れ無常の法なるが故に滅すと矯んや、無常打と合するが故に滅すL一 宿んや。詑し︰⋮・。答、か、應に是の茂み−作すべし、拾は〓疋れ無帝の法なろが故に滅す土。川ふ、若し術らば、 無常租は則ち無mとなるべけん。答ふ、算は〓足れ無常法定けL・−錐も−苦し無常刷上合†ろこと無くんば、則ち 滅すべからす⋮︰・。︵婆、∴九、二〇二真下−∴〇三貞上︶ ︵節五︶石偏法の酔は恒存すと挑も、而も位の差別には賂異中りむ以ての故に。此の位の差別は練より牝すろをも て、一利那の後には必ず任すること有ること漉し。此に‖りて法酷も亦、足れ無常なり。差別と醍と果無きを 以ての故に。要す法有るに於て班輿成ずべきも、無の巾に於ては、攣輿石るべきに非ざるなり、︵晰止群論蛮五 十二、大正即山ハ三三頁上︶。 回次に棺減家がその坪山根はとする純なる道理に就きて越ぶれば、 ︵第一︶若し有岱の法酷に生滅なしとせば、法は如何にして有馬の川相と介し糾るか。訳し人=しなければ即ち有盛 ヽ﹂▼ の位は無超法と同一となり、有満と弼することは不可絶とならう。若し法にして有璃なる法に兢すと云ふなら 三世封宥詮の研究 ︳ ●一一 ∴ βヴ
ば、何故に醍に生滅有りと許し得ないか。許さざるを得ないではないか。 ︵第二︶掃滅論者は生じ滅すといふと、有り無しと云ふとは同意語なりとの佗定の下に、損とは本撫今有なるをい ひ.汝とは有已還無なるをいふと解し.この上に尭諭して、﹁若し有馬法の股に壁誠有りとせば.紘位は木︵本 来︶無きものが今︵現在︶壁じ存在するも、暫てそは再び滅して撫となると音ふ我となるを以て、三世鞋有とは 云ひ難い﹂と論鎌するに封し、生滅と有無とは根本的に異つてねるから、何等差支へないのみならず、牝減と 有無と同一とせば反って、﹁未来に液相あり、過去に鋸相あり﹂等といふ論文を解し符ないであらう。 といひ、更に哩沙第七十六谷に、﹁作用と冊と定んで一行7りとも異ならとも説くべからすLとの碓 丈を援用して、 ︵第三︶仲川に生滅ありと許せば.仲川と膝とは不異とも説く吋きを以て.備にも胱誠有りと許し得べきであらう。
と云ふ。以上の符文に依りて機械家は﹁右翁の法醗に生滅有りとするが石部宗の鼎悪なbLとの
説を地元し、又、迫理に依りて﹁髄は不珪城なトLといふ川滅家の説を破斥するのでぁる。
之に対する用滅家の和文は甚だ多いけれども、論述土必要なるを以て、析を撤はすその韮なる
もの一室邸げて見やう。光づ、 回︵第一︶和名なる婆沖節七十七怨初頭の.石部山大論仰の三世の典別に㈲する併説の中、何れも三状の話法は、夫 て類ハb罫丁且、相︵匡雀卓モ位︵・■旦罫︶、待ハ蔓雷︶に依りて、鴨宮宣蔓丁巴づ︶ありとするも.然も法の ▲V 三世‡有論の軒先 〝7鰐には異無し︵き・訂Y首lリ・已賢‡︶とするが如きは、m誠家に取りて苦き紆文なり得る。 ︵妨二︶⋮:然も法の位と忙とは非餌非離なれげ、麓は恒右なりと挑も、而も位は恒に非ず⋮⋮︵同斯、過行両国 の通報は有るも、未来は無なる郡山としての一説︶︵婆一七、八七貞.小︶。 ︵節三︶許の因は作糊を以て巣と作す鼠別の賢醗を以て葉と作さす。請の某は、作用を以て閃と作すも、腎陀を以 て囚と伸さす。諸法の蜜僚は侶にして、樽橙無し、囚共に非ざるが故に⋮⋮。︵婆.∴一、一〇五貞.下︶ ︵節豊新行の自性には椿姫有ることなきなゎ。咄引因縁有るが故に柑建無く.囚投石云が故に輪礎石りと説く。 内払有るが故に坪鰹無しとは、一切法が、各々n防、〓我、目的、‖作、〓和に化すろときに拍夏無きをいひ. 因縁祈るが故忙椿姫右・−′とは、有馬法が、勢力を得し畔損じ、勢を失せし畔漉し⋮:・、和A‖の畔損じ、離散の 時滅するを謂ふ。︵婆、三九、二〇〇貞、上︶ ヽl一一.︶ヽ1. ︵節五︶︵肺帯川の穣文を要記せば︶、持場に種々の二綿布り。↑Ⅵ鰐柑鯉と作Ⅲ柑壁.后棺輪廻と功柁柑攣三 ︵ 物轍雄と雅称経となり。此の中、日限又は物轍壁に依れげ、肝に試行には轍建無しと∴・.=ふべし。枇の自推に改 ︶ 易無きを以ての故に。仲川・功能・伸輔登忙依れば、前行にも轍粟射りと言ふべし。一法の未来なるは未だ作川 ︵ ︶ 有らサ、若し現在に至れば使ち件用あり、若し過去に入れば作m已に息むが故に。二弦は兼仰に壁等の功脂 ′l ︶ 有り、現在世に汝等の功硝石り、過去に輿晃年の功能有るが故に。ニ或は未来.現在・過去と改易布るが故に、 ′l 樽欒有わ・⋮・・。 ︵弟六︶牒忙是の詑を作すべし、絃壊の故に及び轍壁の故に、異相と名くるに非す。然も詔行の作mを旧放し、作 腑 三世鷺有給の研究
糊と放牧にし、作mを温渦にし、作用を衰挿にし、仲川む慢窮ならしむるが故に.囁月lと名くと。和るが是の 諒恕伸す・﹃樽雄せしむるが故にー異相と名く。・⋮:綽燈外道が﹁訪わは相鎖すろ畔は、前作減せすして輪鰹して 後と漏る﹂と執すると笥、今は誹行が銅銭して輸するpl㌢、前佃滅し後付根じて轍姫有ると説くなり.開く和 栗法の損する時は勢撼にしてー⋮⋮仲川む得し、・:⋮未熟と名け、又、誠する畔は勢滋へ、⋮⋮作用を失し. ⋮・・已熱と名くるが故に畔地と名くればなり㌧と︵婆.三九、二〇一、下︶ ︵算七︶新和は作Ⅲを以ての故に、ニ融の別む立つ⋮・︰。訊く、市場法の未だ仲川和らざるを未来と名け、正に仲川 布るを現在と名け、仲川已に滅せしを過去と名く。:⋮・︵婆.七六、三九〓、下︶
11t
︵婚八︶酢嘲の隈.襟に恒右にして柑無く、減無し。但だ、作用に依りてのみ、或は有と説き、或は無と説く。 ⋮⋮︵婆、七六、三九五、下︶ ︵第九︶⋮︰・新馬法の僻は佃和なりと挑も、而もmは非常たり。︵入阿良雄聯論.谷下、大正二八、九八七.下︶ ︵節十︶仲川に約して三肛の融に興和りと立つ。開く、一切の行の、未だ作Ⅲ有らざるを名づけて未来と馬し、仲 用布も畔む名づけて和布と購し、作m已に滅するを名づけて過去と窮すも、冊に殊り和るに非ず︵正群、室﹁ 大正二九.六三一、中︶ ︵節十一︶和が執す、﹁⋮⋮講の鴨鍋因は草す過去に入るとき、カに非の共を爪ハふ。渦去は已滅なるが故に自照無し ⋮⋮﹂と。欣光邪は執す、﹁訪の異糾問は、黒岩し未だ熟せずんげ、北総恒有なるも、彼の英知し己れば、其の 節、伐ち壌†るなり︰︰・﹂し√一。此⋮井の執を過し.鴨灘川は、基已に熱すと挑も.其の酷桁有ることを損さんが ∴世†有給の和衷 β9茄めに⋮︰斯の論を作す。︵婆、一九、丸山ハ員、中.婆.一閃四、七川一頁、中︶ ︵算十二︶右偶法は自性恒有なるも−生相に申品故に作用の起る有り、滅相に由るが故に撃作用無し。こl山釘 名づけて取壊.破淫、亡過と悠す。︵婆.≡∵一六一員、上︺ 両次にm減家の理由的根はとしての多くの道理の中、良も注意す.へきものを撃ぐれば
、
法の生じ波するといふと.有b無しといふはー全く同一義なるを以ての故に、苦し、麓に隼滅あゎとせば、一 法に就きていへば、週末無位なりと言はぎるを得ぎるべく、又、相栢に就きていへば、酷に去来有ることゝな りて∵婆沙評豪の正義とする世友の諸行に去来なしとの所説と迎ふこと1なるであらっJといふ。以上の詑文に伏卜七、用滅家は、﹁法憶は恒有にして作用にの一け桂城有りとするが、石
部宗の奥意打7り﹂との説を建立し、亦、道理を似て、倍は不生不滅なりとし、慨にも生滅有りと
は許可からやとて、健滅家のま張を破斥せんとするのでJの一つ。 三 冊滅用城南諒の批判先.つ醗滅家のま張に就きて検討しやう。燈油家の引許する詮文は、稚かに、有馬法に生滅有b
と云ひ符ることを示すものであつて、此に由って、教諭又は勝諭の学説と根本的の初速を鱒ポし、
構って布部の思想も亦、根本彿数以東の諸行無常︵S已︶訂空色−k腎到−1i邑︶ を鵜承してゐることを 立記して除ゎある。 三世賞有給の研究 7β然し凍って考ふるに、唯、かく憾も蕉滅すといへば、石部宗の特設たる三世筋石法憶恒有のま
張を如何なる意味に於て建立せんとするかは明かでれ号い。詳しく云へば、膿滅家の立瘍から、︵第 一︶汝の作用と健との駆係を如何に理解すべきなのであ了?っか。之に射して第三の道理を使用して、他用不興門から之を骨通し得るかも知れぬ。併し準抄第七十六谷には、﹁鰭と用とは定んで一
なトとも説くべからす、亦異なりとも説く可からやLと言ってゐるのでJりるから、慣用不一汁アリとの立言も同時に可能であ一〇。即ち惜滅家が不異門に約しての解椰なり食油ならば畢覚相対的立言
に過ぎざるを以て、反対説の詰問を食通し得るとしても、彼のま張を破斥し狩一′?ものではない。恨命、一歩渡って慨と川との不典門に立ちて用滅家の誰文なり道理なりを食通した所で、自ら用
の生滅と櫓の亘滅との脚係を如何に解辞せんとするか、即ち用は機と異ならなければ用の生滅は
、、、、、
■t一、11、 即ち憬の珪滅となろでめらう。然らば未だ法の作用有らざ乙を未来の利矧甜と名け、正に作用有ヽヽヽヽヽ
るを現在矧と名け、作川已に滅せし↓で過去と名く︵用滅家の第七詭文︶上いふが如き婆沙の到る桝に澄見し得る作用︵又は因果︶の本無今宥石已遠無の説明法に於て、その中の作用の言を憶と撒
き換へることも論理土可能であノウう■。若し然らば、有用洩の健も亦、本無今村、右已遠無となる
べしとり所謂世親沈の難問にnら逢着するのでめ一〇。ヌ、訳し桝らば、週末の法は賓布なりとの
ま破七如何にして建立し得るかり又、冊と用との別を韮んじないと寸れば彼の四大諭師の三世別
三11−僻有論の研究 ㌻J二八
二糖賞有論の研究
泡などは、全く従串に過ぎないではないか。若し又、作用と惟との不一門に立つとせば、法髄の
珪滅は法の作用を離れて狗立に起ると需はぎるを待まい。結局、醗に対して作用を特没するが如
きは、この漬場に立つ限b無用と考へぎるを縛ないと思はる∼。︵第二︶横波家の第二の法理の如
さは、用滅家が珪滅と有無と同一打アりといヰ耳冨を預想しての細雨であるから、租極的の意味は
︵九︶存しない。唯、こ∼に注意すべきは、過去未来に四舶あbといふ文意に就きてゞあろ。即ち﹁過
去は已淡にしで、未凍は未珪なb﹂とは用滅家のよく川ひる言であるが、それかとて過去に生和
あb未殊に滅相あトといふこととは、何等矛盾するものではない。生和といひ滅加と十ふは、不
和康行法中の有馬法としての意味内界一で和すろので、生じ滅すといひ、未だ費ゃす已に滅すとい
ふの忠とは、大の四祁、小の閤如とさえ院別する石部宗に取りては非常に建った内容を有するので
ある。一
存する桝によりて丁節することを得るであらう。叔後に︵節三︶櫓滅家が、第一の道理とする、﹁有乗法の醗に生滅なしとせば、如何にして四舶と令するか、若し合Lなければ東鶉法と冊ぶ研がな
からう﹂といふ。この道理の諭披は、醗滅家の餌四許文に韮くのであらう。併し、第四諏文にて
有馬法の冊は走れ生やる法又は東常なる法なるが故に、生じ又は滅すといふ場合は、こ∼と同じ
く無賃法と有馬洩の憶との和違に親鮎を沿いてゐること哲注意すべきである。この無名怯と射す
7βる場合の有須法ほ、有須法内にて分別すべき醸と作用との院別を決Lて念頭に置いてゐないので 指
あつて、前述の布焉無照の分赦に際して有馬法とは生ぁり滅ぁり⋮・⋮ふゃりと云へる時の有馬と糊
完P。位のものと骨姐し狩るのでぁる。即ち若しこの概と用との精別がその親野の中にあるなら
ば、白から典りたる衷現がなされなければならぬであらう。このことほ何れ後に諭やる筈である
が、有馬法のみに於て、その法の慨と川とを院別せる立場からその憶にほ珪滅なしと言ったから
とて、作用等を全く論じない無釆法と鑑ちに同じなりと断やるは軽率なる断定来るを免れない。
︵範囲︶況して或る慨滅論者の如く過去兼務の有馬法の髄が、愈々遮洗の影替を蒙りて柏結し、その相拇には前後差別が自然に存在すると言ふが如き常識的三世賓有諭の説明は、決して布部の眞
意に過ふものとは考へられない。少くとも、漫々永々たる兼務にも前後が有るなどと言ふは、有
部宗が、未本に同茹、遍行雨因も丑です、等無閃線も有りと許さゞる所以に就きての理解の欠乏
に師岡する鐸解であらう。
華蒐するに櫓城論者が、用地家の引紀文の意味・で考艦せゃして、遽二些一に惜滅をま張する限
りに於ては禰々不可決の難問に、遭遇せぎるを柑ないであらう。
次に川滅家の弐張に就きて考へやう。その引祀する和文を見るに、三世野有又は法醗桓有の思
想は、退城なき迄に、衣示さる∼と共に、石部の隼者が如何に口説を織成せしむる璃めに努力し
三世‡有詮の研究三〇
三世f有卦の研究 たかゞ此に依り看取される。︵第こ、然し慨淡家の棟臓たる﹁石基法の俄に珪沸石りLとヤ︰ふを、用滅家のま張すろ如くに正而より否定するに足る明文としての﹁和栗法の膿に珪滅なしLとの紆文
は之れを澄見すろを行ない。昂言せば因緩和合とか作用とかに悌説せすして、棋だ﹁有馬法の髄
は恒有なbLとの澄文は存しないのである。︵野一︶、暇りに、﹁醗は恒和なりLとの意味ほ﹁醍に生滅無し﹂といふと同意なりと説き得とせば、珪滅祈りと†る用と、恒石なる概とが不一不異なb
とか、.又は怖と位とが不即不離ならと縦ひて惟と用との脚係を曖昧ならしむるが如き立言は必要 ないの.ではなからうか。︵箪ニ︶その温翔なヰ、壁滅と有搬とは同意なりとすろ耳∵=に於て、若し井波といふも有無と言ふも、凡て一義のみより布せゃして而も同一に∵りとの紆明が成就するならば、
ヽヽヽヽヽヽヽ㊦ こは正に横波家にとりでは致命的な道理たりうるであらう。俄に生滅あれば法醗恒有と言へない
∧U からである。然し、F和♭﹂といふに、名有、華有、和合有、加持有等あトとするが如く、これに、、
◎ 対する無にも亦、多哉ある鷺であるが、技に用沸家が意味せんとする有無は、鱈有賓如の意に取
らねば、その意義が無からう。次に生滅といふ語鶉もー必ずしも決して一義的で有るとは云ひ難
い。特に憬と川との不一なる一で以て髄の恒布にして生滅杖き義を童麗せんと用減家の旗揚として
は、一概に生滅といつたからとて、所謂健としての生注油法と、用としての蕉滅との二義を許さ
︵︰一︶C ゞるを得ないであらう。而して憶としての死滅二法は、生細波加の如く又已佳にして珪や﹂の已 7rl0 生の如く三世質有なるべき不和應行蕊中の二法たるべく、これ等に射しT生ほ右なら滅は無とは
簸じ柑ない管である。若し爾らざれば、過去に庄和有り未殊に滅相有りとの文意を通する一で得な
いであらうし、自己子爵に偶人るからである。かく諭し雑れば終に作川の生と黒有の右と、作用
の滅と質無の無と等しいといはぎるを得覧くなるであらう。
要之、この用波家のま張も、亦、憶滅家の引経文の意義を考慮せす、一向に低減の埋のある所
をも否定せんとするが故に、綿々の難問を珪するのではなからうか。
甲海應師の立場とその所説の批判
論者の中にほ、名閉経記︵第四谷︶巾の海應仰の所説は、倍滅相を詐取せるものと右傾す人もあるが、私ほ必ゃしも左様ではないと解する。剋雅和仰の戯言は、成程慣用根城■で取ってゐるが、
海應価は、概用の不一不興門を提げて、﹁若し卑溜が、この不一不英二門一で了知せば、緋を労して
謙譲前後の加速を食油す一?哲用ひす。噂沙等の中た、不一不興二門を建託するは、前後の細道を
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食通せんが凋め行丁り。畢者、多分に此の鶉′で了せす、妄りに用滅に執す、豊に教理に解せんや。
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又、偏に慨滅を執して、達文を顧みす、亦、不可なりと栗すLと言ってゐるからである。勿論、
又、﹁近水の講抄、多く川滅の訪文に迷ひ、未だ惜滅の論文を考へす云云Lとも言ってゐるが、こ
は必ずしも醗滅を詐取した意味ではない。多く何れかの立場を威せば、その執するを戒める、は
三世英和音り研究 7占三相粟有茄の研究
三一
詐家本務の立場であ・り。これ私が先に我が囲の北軍の研究成来生二様に分け持ると説いた所以で
かく︵バつに丈では唯、畢に﹁何ルが阿れし智頭㍊せんとするも、倶に一片・りあ。併し、海應帥も、
に偏マ﹂との消極的批評にのみ繕鮪して、決してこの問題lニ附すろ柏極的、解緑′で掴へ托こと∼ ︵二.︶はならぬ。そこで海底帥は、法冊常住と法醗惰力と∽両句中、常と桓と霊山義⋮融通に留意して、
問題レ︶展開を試みてハ∵る。彼に従へば、﹁常右の常とは、法が因紹に従はぎるに言ひ、法は囚線に従ふも始終異存らざる・・の忠一ど法値幅石といふと言ふ﹂にや匂。この常恒二語り郁別の諭捕は法非玄
︵一三︶ 義銅入下︵骨本芝b︶り常無鹿恒非恒門に於ける註紀にあるのである。この恒と常との暗別は、入阿毘漣腱諭下に、﹁法の生田に二椰有り、一に内二に外、内とは珪州にして、外とは六因同線なb﹂
文に照らして見ても、又、一方政論等の常住説に倒する沸教の組惜的立場といふ描からも頗る意
︵一茶︶ 深味きものあらと考へられる。又、斯く雨語を解すろに依りて、慨滅家の詮文第三中の常と恒と係らす、醗城川減両文の令油に明か写解決を輿
の使ひ別け等も明かと行アると‖心ふ。然しそれにも
へ得たかと言ふ鮎となれば、然りと糊するに、仰、絹賭せざるむ得ない。殊に川滅家の箪二拾四
の証文及び、噂沙第七十六谷の﹁一切汰は已に自性有ら。本来各々自膿胸に化するが故に。已に
位有るが故に説きて已珪と名く。囚維に徒ひて自惜一ざ隼するに非ざるが故にLの如きを、この恒
二﹁︶ といひ、又、快食諭窮五に﹁珪伽の能く色心等の所仕訪坤で焦するは国縫を糀る∼に非すL等の話
7¢と常の別から如何に解せんとするかも明かでない。亦、些細の問題ではあるが、堰沙、倶介等の
︵−六︶ 評語の上から見ても、恒と常とが、毎もか∼一志芸首附して薄されてゐるとは立推し得へ㌧いし亦、 ︵一七︶噂沙中にても常と恒との柘別む必すしも、何握でも擢密に精別して用ひたりとも考へられぬ。併
しかかる就拍義はともかくとして、似りに、この渥應の提唱に依りて、多少本問題に食油の契機を
見出し得るとしても、榊、隔靴描控の哩あるは、敢えて私濁りのみではなからうと‖心ふ。
五 本問題に封する私の丑場と解群
以上に於て私は、此の三世鱈右盆串の鰹城川城南他に於て諭絆された所の中心問題には略々閥
証し得たと倍やる。而して本間遇検討の結果として櫓滅用波面倦ま張の難鮎は、自己の露文を楯
に、他の詑文の志の存する桝を常客せやして、あくまで他説を排して、自説を固執せんとする所
に在ることを指摘し、これ等に対する渥應師の不一不典門を携げての提言には、根命、何等稿極的
証明を求め得ない迄も、少くとも其の態度としては、批評的のもののあること一で認めたのである。
然らば私自身、是等の呉線文を如何に取扱はんとするかを述するに先ち、次の如き疑問から説
き超したいと思ふ。
第一、若し南紀文が、冊城川波面家のま張する如く、同等の肝利を以て、全然矛宿する意味内
容をま萌せんとす・0に在りとせば、何が故に、惜と川との不一小異、又は、経と位との不即不離
三世耳有脊の研究 二﹂:一 l・■ 77三世‡有論の研究 等を説けるや、その理由は如何であらうか。
第一﹁四大諭師は何が故に、三世法の別を苦労して説明せんとし、嬰沙評家は、世友の位説を
採用するに至ったか。
箪二、緻密な法相迄も婆抄争一面穿首尾一班せるを諮らんとする程、論理的なる婆沙垢輯者達
が、自己の根本的ま張たる三世繁用法憶恒有の法の解滞に限‘て、その態度を三にし、食油の造
無き程の手落ちをしてゐると解する理由があらうか。
第囲、果して是れ等の許文は、全く和才爪せる意味のものであり、その底意に於ても和独すろ
能はぎるが如きものであらうか?。以上の中、第一第二の疑問は、前歴々述べた所であるが。第三の疑問に就きてほ、少くとも婆
沙諭上に於ては、法相の意味ぉ庭に依わ七二三するが如きことは有り得ない筈であるとの確信を、
私は最近準沙諭の通諌と、逐字的図繹との終隙から得たのである。勿論、他宗の立場から見れば、
不合理もあるし、説明不足の所、思索不充分なる鮎等のある主は、世親の供公論上に於て、已に
詰問せられる研から、又唯識始め諸大乗経論の所蔵と成ってゐる主からも否定し縛ないが、併し
少くも婆沙許家の立場からは、般密に思想の一軍で期せんとしたものなることが推論され得ると
思ふ。又、この典籍文に就きての重心をなす、倍といふ評語上の考察も、こ∼にして見なければ m
なるまい。即ち前引の玄炎謬供介諭頚︵証記第十六参照︶に於て決櫻と云ふはヨbrぎ性はb−−㌣