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『宗教研究』第2年第8号(*8号)

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(1)

――目次―― 1,勝論正理両学派と吠陀竝に声常住論との関係,宇井伯寿,Hakuzyu UI,pp.1-98. 2,神聖観念論,赤松智城,Chizyō AKAMATSU,pp.99-152. 3,スタイン氏蒐集 燉煌地方出古写仏典ロートグラフ解説目録(完結),矢吹慶輝,Keiki YABUKI,pp.153-172. 4,霊仙三蔵と常暁律師,高楠順次郎,Zyunzirō TAKAKUSU,pp.172-184. 5,新刊紹介,pp.184-187. 6,学会彙報,pp.187-190. Posted in 1918(大正7)年

(2)

係閥のと沸任骨蒔に井陀吠と汲寧画趣正論勝 問題托純粋印蛙的で叫般にほ興味がないかも知れぬが、印鑑でl‡相應に喧しく論ぜられ た談論でぁるから本誌り性質上こんなものも遵支もちるよいと信じて、一触蝕めたい伍わ に之を草すろこととLた。予の雄琴憲閲なる丑についての先人り研究の多くあるを知ら ず、叉十分爪∵材姐∵も光二直に二得られなかつたのと庇絞的短時間の悶lニ凄上げナ∵りとで、此諺¢ 有する意式み十分に論述することtl出水なかつ㌔り 叉今いふ評で初めほ 星l︰⋮賢言 に連 べろつもりでぁつ㍗のが中途でそうも行かなくなつた。随分誤解謬論も多いであらうゎ 切に斯道串者の示教み請う。 一、勝誇串浜の池原濃珪大要一11正理嬰次の起原資珪大葬・− 印度思収の二潮流−−・膝 諒痙及其龍繹音1−正理経及其誹葦意 二、膵諭畢浄の二方甫∵1−映陀の地政蔓延理車扱に於ける吠陀の地倣 − 勝論嬰浪這

勝諭正理再挙振と吠陀好に馨常住論との踊係

字 井

伯 藩

・− I −

(3)

甥八軒 中二妨 究軒数琉  ̄ヽ′、■−二√1∴−ニーーーーーー■、一へ、 吠陀取1とど︼註乳 沢の吠陀天助甘訟・−1勝紛草根の吠陀天啓教育定及基板抜−−映 陀搬の内容−−成典l堺統の吹陀軌 1吹柁り介朔及吹陀勉の内容 三.・叉血理路∵1−︰巳巨岩眉二旨斉蔓らうー− 文典絶とヒi−旨か軌 − 文典絶と砂防塀携 J∼文外政と 愉珊瑚り 即、勝愉即決の畔如冊愉 − 曜甘化貌膏兄 − ヒi三動か乳妖¢卑無骨鎗否定 −琴脅也論 − 開放の踊係及批肝 − ↓edぎ旨二派及文机派の野甘親衛貌1陀現夢枕の嘩無骨貌1 畢常任諭香定。 五−己i−賢㌫次の賢㌻乏−1コ錮係諭−隻︰吠陀天啓設及箪常任論の椒竣 − ぺed勘−吉沢文典耽 の筈︵l︰l三t−;隣保論−1肪論畢姦㌫=客l⋮邑lP 臨係論−1吠陀敢及琴無常諭との関 係 − 正理野沢の 仇︰一b㌻ま11a 関係論 六−正規嘩沢のppふr賢諭 −異説1買n−試s;・浜の冨1乱rニーニ弼−宗一賢長の筈d宣−2 諭1・−文肌ハ派の召軒こlMl論1肪諭撃拭りマ乙賢ll。論 七・写m設訂㌢拭の文字班化空・−文此ハ次の旺換詭Ⅰ−正迎撃派の折衷設−文此ハ派曾号官 紀 − 旦lO官設の野塩及其忠義。 所謂六派哲撃の起原及成立等の間退を膵史的に定むることは非常な難事であるが、然し勝治 正埋雨畢漁の如きは比校的に之を明にすることが出家る。予の見る朗によれば、一学派を歴史 −一 望 −・−

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係偶のと論相計輝tニ非陀吠と汲嬰耐規正諭膳 的に了解し叙述せむには少くとも、共学涯の思想の退き起床、近き起原、一挙蔽としての成立、 雛の編纂成立、並に其後に於ける発達等について年代的に定めつゝ研究するにあらざれば、其眞 を得ることは出水得ない。社家多くは耗の成立の一項のみで、共起原も、撃朕としての成立も. 乃至は其他殆んど凡ての事を解群し去らむとしたが、此の如きは決して十分なものではない。 学派としての成立と雛の成立とは、時には同時なることもあら得るが、多くの場合には其年代 を異にする。又粒の成立のみから凡てを諭すると、思想の起原、殊には其近き起原、即ち聾疲 としての成立や経の編纂成立やを促がす直接の動機気運を顧みすに終ることが多い。今此等の 項を膵諭正理耐学派に配常して見ると、大鰹に於て之を年代的に定むることが可能であると息 ふ。勿論之を断定する迄には詳細な研究を奉げねば瑞断に摺るのであるが、共は本論文の趣意 ではないし、又†に於て英一部分史けには解る∼こともあるから、唯其結果淡けをいへば、膵 諭暫畢の蓮き起原は紀元前五六世紀即ち繹隼時代の六欄外造の睡代、近き起原は紀元前二百五 十年よむ甘五十年迄頃、即ち文典家の︵吊監竃y已−⋮lCir−虻誓声P︶よちぎt晶已i︵乱r●−雪阿仁・︶ の時代、叉一撃派としての成立は紀元前一世紀の年頃、而して紀元第一位紀及其以後は巳に硯立 の盛況として特殊の学説を有することが謎められ、他撃派の人々に引用され叉攻撃もせられて _ β −■−_●

(5)

眈八祈 年二郎 究 軒数完ミ ナ.、_ 、、′一一ヽ−′−■一・一−−−−′−一一←− 一 八 へ一一一一一一 −■一−】一一一仙一■一ノーh■一一■′→一一一一−−一′■■

居る。叉勝諭綬の成立は紀元五十年よ♭百五十年の問、即ち馬場よら鶴樹の活動期に至る間で

ぁる。⋮其後の発達は大路に於て、空ハ世紀に其鎗全線がヲ蚤s−萱計によつて持寄に組織的に

纏められ、同時に多少の麺化を蒙ったが、仝鰹としては元来のまゝに停はり、十世紀頃に叉少

しく憂化して総務の六句義が七句義となhl十五六世紀頃には正理撃派と融合した。尤も此融 命は古くからあつた事で、正理経が巳に膵諭経を取入れ、其後の証繹潜も膵諭樫を邑h弓iマ

と見て居るが、然し此昔時は融合は唯正理畢次の方面にのみあつたので、膵論学派の方では多

少其に影響せらるゝに過ぎなかったのである。

又之を正理撃狐について見るに、此撃派の詭は大健二方南に掛って見るが便宜である。即ち

其自然哲嬰の方面と論理学の方面とである。前者は多少の麺化こそあれ、殆んど全部膵諭学派

の説を塘承したむので、其多くの鹿要な詭でも、勝倫詭を像想しなければ、慮理経の上のみで

は了解が出凍ない程である。其上正理経の或ものほ明に勝論廠の引用である。従って正理聾派

の成立は腱諭撃沫の成立以前に遡ることは不可能であるのみ掟らす、己に膠諭聾汲の詭が駿東

さるゝ限りは、共が撃派として相鷹に謎められた以後に相違あるまいから、正理学涯は紀元前

一世触の宰よりも鎗課以後、撃汲として成立したもの・であるといはなければならぬ。のみなら

・・一− 、才 一ーー・

(6)

休閑のと諭任常軌こ丼陀吠と統率翻理正論勝 す予の見る所では正理撃派の成立は膵諭経の編纂年時以後に屈するから苦−−芸A・D・よ♭

も速いことになる。巳に正理撃派の一方向の訣が膠諭学派のそれを塘承したとすれば、此方両で

は正埋草汲に関して遠き近き起原を尋ぬる要はないことになる。然し正理撃派の主とする所は

審ろ其論理轟あ方面にあるから、此方面より起原成立等を求むペきである。印度に於ける論理

畢の起源は紀元前五六世紀頃であるが、︰岩干−茎鱒C・の間に若しく推論々詮が行はれ、誓声C・

頃に膵諭撃扱が之を騰用して其撃詭の基礎とし、常時よら紀元第一世紀の初頭にかけて恐らく

停まつた論理審が書かれたであらうと推測さる∼が、現今では此種のものは見付かつて居な い。現存の書でいへば、紀元一世紀頃にC罵已ハ琶巨︼it笹に載せらるゝ論理畢あ♭、次で方便心

諭の如きあら弘樹捉婆は此方前の達人として盛に賓際に應用して居る。正理畢振は此等の設を

集成したのであるが、基経まつたのは龍樹よら捉婆の時代で、対梨扱摩の時には巳に畢派とし

て成立して居る。即ち正粗餐痕は勝諭置成立以後其れよh二日然哲学を取ら、一方に於ては此闘 に論理学詭を纏めて遂に一学派として成立したので、年時は㌫宇誓CLこ︶・である。然し経の 編纂は少しく後れて旨0トrヒ・頃にある。其後の螢蓬の大鰹は件数論理単著陳郡の虐めに£訂 Ⅵ薫l賀−の証理経江藤が経と共に攻撃せられたので六世紀に ULd言辞k琶pが ノ、笹尊号巴−寧 の ・− ぶ ・・●−−・・・

(7)

滅入誇 中二解 党 餅敦浣 眉眉青畳きb冨笥P に誌辞して締護し、此時膀論撃放との融合は略完成し花。⋮十二世紙には有 名栓二軒昂習計が出て裁に上代正理撃派と近世正理畢演と昇れるやうになつ柁が、然し此八によ って正理学渡は感となつた詳である。但し其研究は正理経の一部分太けで鼻腔には及ばなかっ た。此後は此畢風が続いたが、十六七億紀には又証理経選者を研究する風となつたり膵諭畢派 も正埋草汲も現今も滑其専門の∴芽え誉 があるが、微々化るもので到底教諭派ノ1つ参一ぎ派若し くは喩伽派の専門尊者の勢力には及ばない。 印度哲孝一般の傾向は、例へばくっ︷ざ一首涯及び教諭派の如く、英世界観に於て目的静的見解 な取るにあるが、膵諭正理両壁滅ほ之と興って今然磯城硯を取る。勝論辱仮に於て殊にそうで ある。従って吋成安納話的迷信的解繹を捨てゝ合理的解澤をなし、現代語にていへば、頗る科 畢的である。此黙は古代印度に於て一柏毛色の壁ったものであるが、其鏑係上仝鰭の思想が唯 物論的のであか、利己主義であり、時には極端な自利主義である。叉其組識諭としては殆んど 素朴的賓在諭である。此の如きは亡︼︶⋮甘︵︼あだむり詭とは非常なる相違であるが、南畢波の人 人も此相違を自覚して居って、<冨叫考Pコa何 の如きは正埋草派の詭を以て亡p岩甘dの如き Adh甘tm雪id嵩と区別すべきであるとなし、勝諭鰹の註繹者も膵諭故に関して之をいうて居る。 − げ −

(8)

係馳のと鯨任骨翠に粁陀吠と統率耐難正論膀 かゝる一躍毛色の縫った思想に似たものは、最も古い時代には、繹奇骨時の六師外道の詭中に 螢見される。殊に省邪教の詭に於て著しい一致を見る。此が勝治督畢の遠き起原を六師外道常 時に求めむとする所以である。 印度思想は非常に複凍であるから、後世の思想の源を営口l︶昌甘ユ等に求めむとする如きは、 到底偏見たるを免れない。便宜上U︼宣一すこ や其他のもの及之を春する人々り間の思想を正統 思想と稗し得べくむば、此外に澄時非宜統思想が一般赴骨に存在した。勿論此樺非正統思想は 其よりも古くから存したのであるが、Up⋮i朝空一食時は印度仝鰹の社食の状態土盛となつて居 ったので、U琶意已時代︵ciり・竺岩﹁⊥岩豆−ビロ︶以後は正統思想よりも此非正統思想の方が邁に 勢力を持って居る。征衣の聾者、殊に吠陀学者は、吠陀に衷はれた思想で印度思想の登鰭、随 分後世に及ぶまでをも、解輝し去らむとする傾向があるが、此態度は一部の学者の承徹しない拘 通り、決して正しい態度ということは出来ぬ。吠陀は思想の方面から見れば.下級民及一般政 令には及むで屑ない。今之を勝諭正理南畢派の起原に関係せしめて見ると、其塩原は、予の見 る限り、所謂非正統思想中に求める外はない。勿論勝諭畢派は、次項に遊ぶる通ト、大饅二部 分になつて、一方面は六句義の哲畢、他の方面は吠陀に関係する畢詭及修行に分れるから、後 ー 7 −・−.

(9)

耽八節 中二解 党軒故殺

者の方面は吠陀に踊するが、前者即勝諭撃振としての重要な根本思想は所謂正統思想中には見

出されないといふ意味である。正理学放でも其自然薯撃の方面は非jE統思想中に系統を引いて

居る筈であるし、又論理単にしても、共起原敬達北ハに正統思想中には存すること少なく、正統

思想では寧ろ諭華撃者を甚だしく卑しみ攣フたが、後者の勢力が感になつた結果紀元二百年頃抑

に漸く之を謎め、相昏の地を許したに過ぎない葦であるから、同じく非正統思想の系統である。

然し正理撃派も、詳論撃痕と同じく、他の一部分に於て吠陀に闊係する方面を有するから、此

方面で正統思想と関係して居る。此両壁派は吠陀に封して必らすしも同一の態度ではないが、

然し同じく非正統思想系統に出で柁此両壁脱が、正統思想の醇なるものに封して如何なる闊係

にあるかを述べむとするのが本論文の趣意である。似し試論の基く所は凡て各派の雛及信也し

得べき証辞書にあるから、膵倫正埋両恕蔽の盛典の事丈けを、先に述べて置く必要があると息

ふ。︵但し以下用ゆる粒は何れでも謬本あるものは勿論謬本を愛娘する︶。

膠論経の製作は其撃派成立より年月を経て居るのと、又其製作後今日までの年代が長いのと

で、其間に椰々の担化のあつたことほ碓貨に知らる㌧が、妖⋮し或経が滅せられ又は或鰹中の文

字が一二失はれたといふ外には、の樫が増加せられたといふ明な諾接が凝見せられない。然し

.・・・.・− β 岬

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係胸のと諭諭佳僚野に井陀吠と統率両班正論膠 夢腎已イ各月tt監−岸盲の疲妄けは特別であるから、此書に於ける慶化は他の註揮菩に於ける鮮 を批評するの標準とはなし難い。そして此註澤番は十九世紀のものであるから、串にして其以 前に出凍たものを挺する搬の影響を及ぼすことはなかった。此の一如き事情甘あるの一と、又他の 比較的確賓な記録とから見て、現形の跡論紆は割合によく撃晩成立常時の思想を俸へて居ると 侶せられる。基後の捷化した撃詭、又は異説なども小.駐中には数人することはなかったらし ヽ 0 −ヽ 膵諭脛の証辞書として現今吾々の手に入るものは ー.賢訂重き富もp芝キ賢■I−︵にib山■Il己■︼00巴︶■ ド Jぢ芦買官壱こどkぢ邑c抑l三−”−ノブづ三︵ごi声l已・−纂ご・ ∽● Ja訝g云11莞p R雪山l・蔓︼Ml内彗㌻仙骨︸⊆−キ乙ヂ.㌢′士こb忘顎︰1︵C㌔C已ぎ蒜違︺一 ふ・C芸子已;IニtpT苧︼︷巴=色ハ許p︼出志笥臼︵ハ︺已c三ぎl琵可・﹂ ㌢賢罵琵忌已nは忘芝A.P頃の人で、父を学芸巴l賢訂巨iぎーといふ。帥承の閥係はノ1訝ud? ノ1pS腎ヨb訂βmp曇・R品hun賢hp㌢Cmぎi占︷乳h告ぎ覧″Pぎrk葛昇許−詳g︼、−udeさ星yギ賢覧賢p ・−㌢賢罵琵忌min冊 であるから、近世㌢富3.kPである。其q︼︸ま訂rpは私められた勝静観証 揮菩ではあ畠が、曲酢に富み、近世思想を附脅した難が多く、到底勝諭置の眞意を得て居ると ニ 〟 ∴

(11)

枕八姉 隼二第 究 耶数分; はいひ難い。寛際六振り経典の註樺寄巾認められたものの中で、此れ瑞よくh甘い書は他に例が ない。少し注意して苛むで見れば此串は何人にも首肯せらる∼であらう。 ・㌻︶彗竿号宅はぷ︶箸訂⋮・・二当量i とを合せ更に自己が膵諭雛の趣意を績めた計告誉已亨 邑思苫訂拍を添えて出版し、父正理経をも出版した人であるから萎ご・Gひには丑存して層化の である。︵㌻le蔓芦安考r⋮Jさー︹沈21乱息CC〓e讐の印度哲聾の致授をなし柁、近世㌢i盲箋︷p の 一人である。基ノぎ宣は主としてじち洛腎Pを⊥喜一i−r毒したもので、同じく除り信用の措 けない菩である。出し五河群盲1ノ1・S・ごーーごー∵ニ冥こド ︼−︼芯、付こいっこ一ヱl才芸k芳↑ の誤解を指摘して居る︹− ︵山P露堅喜Pは十九世紀に層化嘗窟で岩己≡ などの放置や辟書などに註をかいて居る人であ る。丑ハ寧腎叫乙ノ1督ノ一号i茅音では⊆−首已息芸貰iに証した如く見㈹ゆる名ではあるが、そうで はなくして、大腰に教諭、喩伽、正理畢派の説で膵諭総を解僻し、経も十八ほど斬らしきもの を加へ、七十六ほど在森のものを省いて居る如き書である。 C買一rユkぎ.七日も同じく十九世紀の終、極最近の人で、C已壬−†どのⅥ⋮S首什C︹−〓品っの教授を勤め たり㌢i箋息k⊇である。基声音篭は時に簡単に失し、又和合句義の説明等に於で誤って居るが ・・・・−・・一−J〟 −−

(12)

緒開のと論仕骨単に井陀吠と敗軍雨理正論膳 然し勝諭経証帝書中の最も優れたもので、確に経の眞意を得たと息はれる合理的の註渾が多い。 其優れた勲はlPつCbi曲数授の推賞を臨ち得た程である。Uて乳ハ≒l p−ノ1i眉tiと望意琶とでは鰹 の分解の仕方が選り、又或鰹は一字位文字を異にするものがあるが、大鰹に於て経は同じもの といふて差支ない。 勝諭経の証は以上の外猶ホくー野点小↑の学者一三︼苧ぎd鼻声の︶メ苫芯のあつたことは請書に いふて居ることから知られるが、現今では得られない。後者は官1一罵謡の一国書館に其ms●が 存するらしい。叩此外猶少くとも閤種位は存するが、凡て出版もせられす、叉大抵は新らしいら しい。之によつて見るに膵諭鮮の謹繹苫の完令なもので十五世紀以前のものは他に出て層な い。恐らく鎗り研究が盛で.なかった焉め一であらニノが、此間には倖承的解辟も失はれ、従って q−︶P洛管掌の如き不合理な解療が出るやうになつたのであらう。終し串にして勝沿革派には五大 世紀のPr乱J賢盲lPの作った通稀Pr乳邑ぢ註邑−思.⊇といふ書が障って居る。名はl︸︼息り・幹で も決して勝諭経の註療ではなくして、勝論経に述べられた思想を極めて組織的に据めた濁丑の 蕃である。膵諭衝撃研究には故くべからざる良書で、之を見すしては勝倫督轟は諭せられない といふてもよい轟である。本名は一夏芝︼1峯−琶m琵身r已1pといふので、孝ぞ声k巴・d已i︵百㌢・ ーJノ ー

(13)

娩八郷 中二節 米 軒数窟 ︵lh書・諾−A・D・︶といふ託と共に出版せられて居る。其他にも十句麓紛︵麓月作黒岩︻警石A.︼エ ーb打琶思邑i︵すUdP箋︸Pも芝Lr芦︶︸茸︶首邑賢︼−二百㌢宣言こ蔓工事毎旦−藍d1−ど7 訂日uk訂言文bヽ≦恥く巴−竪臼こ亭ご′・ヒ・︶等はよき苦にて穿r訂彗臣讐已一エーJ∵rlll臥b訂菅こゴ︼了 彗t・︶−≠r粁已ハ呂m各︵by rJ呂g賢普i家計1・P︶㌫垂︰室−t・︶よりも優れで居る。加之後者の如き は其論理撃を顔く部の如きは正理撃沢の説を採用して膵諭学派の原意に背いて居る。 正理経の誰将書としては r T軌訂官等llJ“巨−紬豊・p︵望r一一H〓d◆−監ひ︶● じ・ノJ恥⊇一己訂,ゴE︵−︸ib︼.S旨巴㍗−琵00︶■ く諒y抑竃・Pは四世紀若しくほ五世紀の人であるが、俸記も師承も明でない。堅忍lさの誰に qdd篭訂k罵pのぞ萱lart弄又望bl﹂−1テjぎ⋮S芽F哲卦エのあることは前にいふたが、此 れには又眉善ち罫まi訂堅琶童阜訂︵すノ一㌢記−已i2i瞥さ.く㌻㌻111宅1⋮l芽t・Seri且なる証があ ら、更に此誅が甥官y雪覧.巨ハま賢l︶駕篭l︶罵iぎー己㌻︵q︵㌻箋き、︼学l﹂−乙・但し一部分︶によつて 証せられた。何れも由版せられて居るが、正理経を解するにはく賢耽官㌻1i㌢の計までは必要 である。B訂琶〆は最も侮れたよい証辞書であるが、然し五支の詭明に於て鮭の意味する併よら ・一 丁∼ −−−

(14)

係開のと諭位常軌こ丼陀吠と統率両理正論膵

も進歩した詭をなして居る。

ま喜賢Pはノ卓賢1訝の子で、管主亘⋮の弟子のR各≡1賢︸;㌢−眉iの弟子と

もいはれるが、ノ官iをば一望A・Pに書いて居るから年代が合はぬ。然し近世詳i箋ik芦の

一人であることば疑ない。づ嘗は必らすしも、冨い舐ではないけれども、到底堅忍⊇には

及ばない。

正埋草沢では十二世親頃に有名な論理学者㌘首㌢が出てT註喜i孟旨鼠なる尤然たる審

を作ったが、然し其諭する所は正理鰹の一部、即ち現畳、比盈、嘗喩畳、聖教魔の四魔のこと丈

けで、其他.の哲聾詭には及ばなかった。又五支の定義などに於て、正理経のいふ所は精密なら

すとして、之を塵じ頗る煩塊なものとなし花。故に正理撃派は此人によつて盛とほなつたが、

大に趣を異にして凍た。此人以後ほ骨此妄tノJlei孟m鼠に誰し、少くとも十六種も存するが、 基中でも一宮︼喜蟄訂笹ぎ薫風が一A⋮m賢Å此量︶の部に託したせid家が最良のものと耕せ

らるゝ。然し此等の註に猶註あか、更に又英誌あつて、焼墳に煩墳を重ねて、正軍歴の意味な

どは重く忘却せられ、叉閑却せられてしまつた。此がG乱ge㌢以後謬m邑−賢P又は許r苧 ‡室呂旨の捌いねぎ享茎家賃こ貫を音孟蒜である。近藤二芽i善一ぎは主として此涯以 −J∫ −

(15)

♯入館 中二霹 先折敦鑓 後をいふのでぁる。此汲の㌢鼠i↑は技真にわみ奔って殆んど文字の遊戯に耽るともいふべき 証郡者の弊を遺憾なく凝滞したもので、大抵は正理経及英世F帥望↑などを持っても屑ないし、敬 って之を蔑みもしなかった。故に此間に正理経と⊆一息レーー1とが混じて何れを配とし又邑−勘唱撃 とすべきか、人によつて意見を異にする轟、其研究は閑却され、件承的解坪は失はれたのであ る。㈱試に崇bl・Ill㌢本の正理経とくi㌻−1義−・三一1芽t・苧1・i誌本とを比枚すると、齢が互に符命 しないことが一見して到る。然し粒が失はれたのではなくして空1茸竃と混じたのであるから、 之を分ち得れば、lざ超11p時代の雛は殆んど其俵見ることが出凍る評である。串にしてく勘昏眉宇 什im瞥pが00竺A●Pに正理経の経本文のみを抜出し、其諭する問題によつて分類したりざギ亮子 乱nib呂dl一Å望bl・Ⅰ已・︶なる書が残って居る。ノ1寧.︵監p註己i㌢pは勝諭学派以外の五派㈹について 或は鮮に証し又は証に註し或は要領を述べた吾を作ってる常時の大証辞者で、而かも共著はよ く其畢汲々々の停故に基き、決して他派の設にて解梓をしなかつたと認められて居る尊者であ る。故に吾々は其旦首豪家=ib賀l訂によつて大腰尤づ挺と証とを分ちて見ることが出家るぐ く︼きi の経の分斬の如きは殆んど全く之に従ったものである。但しく苫iほ八節税を省き二三 の薪耗を加へ、叉同一粒中にも他の文字を附加したものがある。 ・−・−・・∫J−

(16)

係偶のと譲位常軌こ丼陀吠と沢嬰耐理正論闊 正埋草涯は経の証に更に荘を重ぬるといふ風と、又︵㌢身許によつて鍵化せしめられ絶つで 鍵を研究するものがなかったとで、正理経にある畢詭の仝鰹を解し易く改いた書に乏しい。 ぞ穏岩鼻邑︵首∴首竃已ヂ︼≡一丁に迂−きーt・︶の如きは正理学振の百科全書と解せらる\が、故 に瞞してのみ詳しい。然し寿旨ik賀1︼思︵−qノ訂⊇計已曾一;1〓こ1垂−こ︶ぎr︼ハ邑−箪.巻︵す内e. 計≦mi㌢寧こ望宇〓≡ン・︼︶︺などは筒明である。叉古菅l一ハ乱År︶、望−i≡欝筆でき息註ik宅︶野寺 bらき蒜琵︶なる審が一山る。山芋rr芦に初めて出家たものであるが、其名め示す迫−り齢番で、 主として膵論正埋痘痕の術語軒順次に畢げて、膵諭経正理経及其等の証辞書又は他の有名な沓 より、其本文を其僅引凍りて編纂し、編者自身の考は除り入れて屑ない。甚だ便利な吾である が、凡てが梵文の本文のみであるから、決して容易い昔とはいはれない。 然し膵諭置にしても正理解にしても、ノ・、ed誉t急変rヂ呂im乳訂訝彗星とは興って、動態すれば 大抵の朗までは、証を離れて雛のみで意味を了解することが招魂るから、証を指摘としつ∼も 之を離れて解しなければ粒作者の眞意は得られす、従って許の詭を批評することも出水す、唯 正に盲従するに終るに過ぎない。 此は研究者としては大に響戒すべき串であるから、以†の論 に於でも、必らすしも註の読にのみは依らないことにする。 −■・−■−●Jき・・・・・・・・−・・−

(17)

祝八節 年二節 究耶改宗 ︵こ 以上諭ぜる寄及其他の各完ごトいう=とよ大要は不完全ながら下の薄に論述せられ又 1.e雷3eeS も骨視げられて居るハ T訂⊥㌻罫凰ぎp茎家○冨﹃罠○乙il︼閑lCt訂ロaap乳ぎ訂冨trP︵L〇已室こ芝ヾ︶ ︵柏︶ JgObニA一呂訂丁訂モア︵詳邑l︼瑠、字c笠。−Jediが。へR畏告11呂d望lic仏︸S.こ. ︵ヱ一=呂き・DieAぎゴ⋮s賢一一eGr一⋮≧薫de・Vニ鼠kMもEl号音。︵p・諾︶に臍諭串沢11其解紳に於て は唯物論セリとい へど應碕にl‡唯物論にほちらず。唯物論的なのでぁるn ︵ヱ ぞ考ab︼・鼻;2−声Ⅵ﹂∴■︼いぎ蓉叫山k鞋息yp。−−メS・︼﹂ A”学ざ乙£等量茅音声亭け苧宰 −、い︶ C−∵字でロ鼓彦−㌢乙LF訂ナ︼−1︿詳−弓望子持岸L許−1erm昌n氏が〇−denberg教授の︼ど宣hp初版を 計ぜる言申rトも此志あり、苧苫−1袖−碧−質。−1S。rI−1宗を熱誠するも此意味み児則すむ相 見膵粛軍派と省郵政とにつきてほ字書d弓k弓−Rep一︺rt。−:一lのS芸C−1雷穿t●ヨ打.及J弓つざ S●声声ヨ一HL< ﹂?見ま。 ︵ヱ 穿pk訂−The㌘邑EpiQ。rI邑p◆p■00の弟 茅ぎ印篭写up㌔iこ▲:ii.g己ぎl一こ1.讐二三こ〓 ︵ご ㌘各s菖£≧−茸軍事$−冒こ芦此番ほGe見ぎ呈lPJ訂教授が勺a急ご誌にて英渾L㌔Jpぎ の第六分裂の紀串にR。︸−式ut訂が勝誇級を作れりとちるが並は信ぜられね。其侍詑は 却つて膵論紐小の詑がgel−己莞なろの一護となり柑るのでぁるひ ︵巴 Cpl已つ習eOへヲごl乙ePr≡乙筐ee乞Pppぺリー芦︵C旨1−卓−苫芦7喜ぞ音声kO軌ゴーー︻一己g︼一芳一pp.チ↓ 前者ほC已cll芳の二彗︼lぎ已岩︸賀1嵩箋穿r−野鼠d野tr⋮の好意にエつて知るみ舘こ㌧ ︵ご∴比藩古くC已2t︷aにて単行本としても出版ぜられた。 一 封ブノ二」

(18)

係閣のと前任甘孝一ニ井陀吠と派母榊珊正論膵 古○︶ J・C﹂しぎt訂争≡1乙u完P〓買に聖賢Pd良男苫iに証して 学則−乙く盈岩意ib京哺苫成る如くい へど 洪克り、若者ほC呂ニr募賢一抑に従卒ぜろ人。 ︵−亡 J呂Ob⋮︶H已ぎ訂L・亘k︵〇芝山=g罵声e訂ieごeコーp蔓・Est︶R一●−冨−︶−p.会P 恵一Pま邑ぢ巴邑︼忍きbl⋮lmikp.,p﹂沌⋮同ご・詣抑邑Hゝ︶−ぎi㌫−PJ用いヂ誉鞋鞋−糾明ヨb︼串=i㌫.p.ご一打・ 旨pr蔓−勘︵B邑1≡邑tr蔓芳m≡葱宇野≡b蔓−苫¢︶l︸・金−こぞ首−k。ぎ⊂p。竜一賢−p・払いAu冒ellt− ︵ぎ乙童︼SC旨百ヨヨーニi︼p・︼岸i︼p・≡升ヨ賢乳一軒民芸d賢:﹂呂㌢PGu⋮.De寄与ぎC旨l︹r .ぺ=♪i⋮ニ㌘・諾ど吊訂︰訂r−︼こ訂p呈︸当2岸ち・〇篭2rターを∽∵i︸勇P︼芝︼.ぞ抑宣ま一にほ字訓r管 L鼻Pの−ヨtiほ£d3邑ぎ∋の作とも∵って居る。此ほ≡d句ま・1k⋮が竺ぎd鼻鯵姓なる蔑 めにかく∵っのであるから確でぁるか明でセい。確であるとすれば正理畢沢敬達ぬ 上非常に面白い。 ︵−∽︶ 欝11ぎけ首聖h恩恵こ諌き﹂ざ急ふ許己が特lこ予の蔑めlこ夢・弓謡の二Sh喜首㌻に開合はぜて 免れ其わ木村龍克君が報知して免れ㍗のである。謹むで盛ね々々の好意に感謝Lよ す。 ︵−ヱ J。=r・已呂d冒胃e註1︼qq⋮ニ訂A㌢t∵凱−︹iそ〇=い賃gL−ne名望i畠㌔。一﹂︼︵l警ジフ望ひ.r.凡て人 々の年代托共著蕃山版者の校琵ぜるもの或ほ其沓の e〇︼旦⋮11の自記にエる。人並下 の1bの÷な臼几たり。 ヲd讃︸ H−1ぎハどcti。−:。At訂︼l&払2iti。−⋮ごheゴrk堅忍r已1六甲⋮bう︼霊卓此文ほ初め‘1JO宇 コ已乏.言e苧邑ぶこぎ喜−=干苧こ茸旦A∽ぎ訂ヂei号にdlてたろわ樽蝕ぜるもりでわ 一−−・・J7・−・

(19)

携八終 年二筋 光析敬余 る︶㌢cこbi−1ロ夏cheどgik−C言−・㌻ J〇ur邑 昌dP−・烹elliコg≡ニー岩Aキ一t訂SOCぎ叫。へ要一g二︼コ箋Se−・ie止−邑・ま︵豆つ∵7讐加・ T邑︰一首a、ぞ帥三賢こkらl一弓ヱi㌫÷云二義︼︵rぎ≡Sこ冨︶・ w吉d∽一Y・牽仏盲e⋮−−P=一号=1一−rCd∴C⋮birdgむ−苧芦︰≡い≡已仏改授の∵っ帥は前審に て巳にいほれてゐる︶。 wどt雪.Nを告さd∼1P=−つ︼1e−=︷磨邑賢dlをeニG乱l邑皇一己・呂︵衰芦p・記二︵此所に SJp已和己−二りょい掬課があるJ き言Jl三r・己0ご訂苧−−b責∴ど⋮喜一・−=h2苧邑A・i山1−訂賢i量︼乙・HMlニpp・寧軍空風ご︼ 2一ひ、=︻H−−HH〓● 賢一官h−Ar訂一ldl−1竜一︰訂r日中1隻c訂1−こ邑−scll昌dcr W訂羞e一一さ竺GE竜nも墓Lを・声 望.耳写.ひ︵︼買︶・此所にこ≠r訂‖ニ茸邑⋮のェい狗碍がある。 L意急くp︼i︵−ぎ芸人芳・S⋮寅﹂ざ喜eエー0000芦ノ宣二訂ぞ首巨kl⋮.1芸︶眉宇YO−・Xヱ・ g盲琶詳thi︵5賢誓聖ゴ⋮賢r許ri註︼匡占雲盃−︼S冨︶・ siddlきt書∵k曽巳i︵冒≡宗一−望ご︶.︵字思考.弓ぎ∵eユ“〆の誰で、両塞とL二間人の手−こなるじ づ≒︼ハ⋮一k己ヨl乙二戸≡bplつ穿t・S彗訂−ぎ≡b︰1ソ︼冨亭 ぞ首m一長一ri︵つ訂㌻ニ遥r三一芳一・Se−・訂,冒三eSこ∞冨︶・ T弐k壷−卸岬糾︵川︼ニ⊃ココ一−沃こy︵典抹のT=望一氏が数年前に英課した︶ T聖ハ討つr註乳︵P月晶子二才一−弓eデー笠りソ ..・・−・一Jβ −

(20)

係触りと論イよ常軌二拝陀吠と汲邸雨理正論脾

膵諭紆は十巷甘茸より成り、基中に膠論哲学の仝鰹を述べて屠る。一見甚だ乱雑の楼である

が、然し賓は耽拝も粕鷹に紫然として、脈絡を保ちつゝ一々を説いて居る。其筋一巻筋一章第

一雛︵−﹂−こには勝諭経の仝鰹即ち膵論説凡てをき与・−pの一語に包括せしめて、華与り聖亨 rmPを就くとなしーニーににd︼亘mPとは昇天︵Pbざ11dい↑箋︶と最上蕃︵皇㌢e旬竪︶即ち解脱︵巨? 粁且とを成就せしむる原因なり■と定義して居る。但し此意味のd訂r亡−芦は徳を廿四椰となす時 のきa.r冒とは少しく意味を異にして居る。而してーンいにはt巳ざ⋮旨監二旨−鳶.芦唱箪l畠mギ. ︰根後わ七雄‖け此等の−出版小鼓良のトニりで此れの序.文叉l‡c=首ぎ11に年代み知る議論及 材料もみろ・ こひ︶ 匡昌一寧b字義r与1−ごP・讐⋮ノノ、雪d仏−ぺ。gP童告ご一︶intrOd:宇HHごく抑e宣℃2.邑腎トが膀諭畢繰に脱して 幸一せ作らないの圧︰ぞき空曽t芳芦tp.tpPr?苫和 が巳に勝論邸狭の籠ね出して居るからであ ろとm心はれ−0、故に五択む知ろ︰と圧ふハ派一せ知つて居㍗=とになる︰とにかく ぺ勘c学 一三in︼㌫三 ほ巳lこ此六沢み一群と見、硫安なLのとなサ意見でみつたと思ほれる=.嘲凰・ 、lまll;なる語ほ非常に新らしい・む一りでほむ∴∵ 唯何れの撃決を六とす.へきかヾ十分 定よらなかつトトのである。 ーー・・一 丁ク ー

(21)

枕八終 年二筋 兜折故完ミ 竃払︵薫れの言なるが故に吠陀は譜樺を有す︶と説いて居る。ぎ註︶責が吠陀の意味でぁること は写監酔夢・s蔓pニー沌﹀ニーー且こ等にも用ひられ居ることから疑ない。叶鼓を已−乳替pも<.r 宣iも紳の意に解すれども題は曲解である。勝論難には紳な説くことなく、勝諭哲学史上紳を説 くに至ったのは㌘臥邑名監Pが最初である⋮。t芦dの意味は後に敦く所で自ら明となつて凍る。 次にーこ∴−にはき喜白雪歩増長−■a温監dヨ1等雪盲k弓−喜・各島n︶守鼓eで琶ゴ雪t彗.賢註p乳賢一 ■ヽ tl−ぎ阿訃弘︵lll弓⊇︶守∃idl−弓−5t⊇lb︼一志払 t註ノ・忌賢賢 Ⅰ羞腎2篭重臣︵一部の己1弓ヨPより生じだる ︹眞知、即ち︺貸、徳、韮、同、輿、和合の︹六︺句玉の同法兵法に闘する眞知よゎ最上蕃︹生ず︺︶とあ る。d−︼Pr2弓i腎肇は≡l e誓ellつ1−t三⋮■ヨ↑ の意が必らゃしもないといふ謬ではないが、梵語の 池常の讃方では此の如き場合にはこハご乙。≡l一弓︼きPeert註=l㌻1.︼ゴP或はヱ一弓tぎl弓dl︼軍コ己巨

の意味に見る方が常用である。玄能は此の如き場合には普通﹁法差別﹂と繹す雫抜に特に﹁一部

のd−1弓mごとした理由は下のことから判って凍る。此一部のdl−弓−きより生じたるものは眞知

であつて、詳しくいへば六句義又は其中に含まるゝ物相互の北ハ通性、特異性を如蟹に了僻した

知である。此眞知よりは唯最上書化る離脱が托するのみである。して見ると妻弓−nPの托する 卦天は此中に含まれて屈指い。膵論拒はご︼こふの四嚢中に私論をなし√−︼ひ以下は共通 ・−・・gβ −

(22)

係榊のと諭仙骨軌:井陀吠と派邸粥規正論勝 性特異性の詮明に入るので凍るから、︼﹂−ふが特﹁h船腹の生するもとを説くならば、囲挺中 に昇天を雄花すもとも亦説かれて鹿禿ければならないと考へられる。之を西経中に求めると ーこ.∵いが即ち基昇天に閻する典椎卑小しにjbりでなければならぬことになる。かく解すると ︼、−−㌻ふは凡て明瞭に而かも合致的に了解される。虚心平泉に蔑めば何人も恐らく 此解滞に疑 義を抑まないであらう。して見ると、六句丑に封する英知がき弓ヨpエ賢.mpであるから、卦天を 凍たすものも亦常然≧⋮・ヒJ買軒習でなければなら氾。撚らぎればー一−−にに於けるき重言きの 定義が意義をなさぬ。此二方南の碧2・⋮弓軒登が集まつて叫︼−二にいう二り≒喜m〒を成す のであるから、≧寅≡琶軒登は﹁∴部の己−≡J⋮﹂と解し詳して差支はあるまいと恩ふ。♭r百〒 阜苛む、ロてaSl′・賢−▼はーニニ化の下に於て、gtく且賢=叉最知︶と同一と解して居るが、此は無理 な解呼である。︵い一代−∵り許では切に卦天の意に糾し⋮u−讐︵天︶として居る。ヒーざu音盲の文 字通の意味は太陽の上ること、もの\初め、車両等で亭寧己i=貧の齢詩によれは妄己阿計訝乏rヂ n−ヂーでは新一の意味に用ひられて潜る。印度り普通の∴−点管も現世の撃㈲、繁琴の意であ るといふて居る。然し勝説経でほん1いうたqpP監︵賢pでも、基他の三結滞書でも、又は轟いノ、嘗i でも凡て天又は天に於ける車両︵⋮l︷訂︶上根して居る。此昇天り典推せなるものは即ち吠陀で −− ごJ −−−・−

(23)

♯八弟 年二解 党 桝敦競 ある。故に勝論孝派め鼻腔ほ六句義の学説と吠陀の命する修行との二部に分れて居ると見なけ ればならぬ。此事は守乱最tぢ已n字忍七↑の本名句乳莞.t︼一号旨琶ヨざ夢浄写ぎといふ名稀にも未 はれて層る。勝説経の組織の上でい・フと、−︸︼−ひ以下で六句義の共通性特異性を説きー○−柏∵” に追及・び、共闘には第六食第一第二章で吠陀及昇天に閲することを説いて周るが、−○り柑︶∽に はの一帖︼−と殆んど同様の経を繰返し最後の 声♪りで︼一−一コを共催繰返して侶る。G乱g覧h弓P の艶では き沌︸℃にのみ此鰹が存して ︼−︼︶いに省かれて居るが、此はむしろ︼、−−∽にある べきである。他の証の範には何れも両所にある。此組織によつて見ると鮭作者は鮭を首尾︼賞 せしめ、而かも最後に繰返す勲は如何にも昇天に閲する方面を究竜的のものと見、従って六句 義の畢説よりも亜く見たかの戚を起さしめる。即ち吠陀至上主義を抱懐するのではないかと疑 はるゝかも知れねが、其は必らすしもさうではない。勝諭寧派は正統派のいう意味で吠陀至上 主義をばとつて居らぬ。経の組織でいへば︼﹂一ン以下第一尊重鰹で六句義の典通性特異性の 大漁を終り、第二牽より細論に人ら賓句義を主題として、共に親係して社業句義を説明し第五 番の終に於て之を粧むで居る、足れで一鹿茸要なものを終ったから第六尊重鰹で吠陀及鼻天に 補することぉ萩いたのである。以上で三羞・mpの二方面が一應終る意である。次で更に第七巷 ー ゴβ −

(24)

係紬の七輪佳常軌こ井陀吠と紙型繭規正論謄

以後には徳句義を主題として細論し、和合句義は之を説くが、菜、同、異句読は巳に十分説いた

から弦では説かす、而して全腔を第十巷第一章の絡までヾ結末としで居る。第十巷第二章で特

に因果槻係を説明して最後に二経で吠陀及昇天に関することを繰返したのである。故に此最後

の二樫は丁庇、いはゞ第六雀登膿が第五悠以前と閥係すると同じ閥係で第七巷以後に関係すと

見るべきである。加之、膵論畢派でも、他の学派と同じやうに、解脱を究菟最上の目的とする

から、界天の方が是よりも重要なとは考へられない。此事は吠陀に謝する此撃沢の見方からも

知られる所である。

以上述べた所で、尤づ膵諭畢沢に於ける吠陀の地位並に是に封する態度の一斑が明となつ柁

が、此の如き地位を有する吠陀が如何に見られ如何に扱はる∼かは、次に詳細に説くであらう。 吏に一腰正埋草派について以上の如き事を述べて置かねばならぬ。正理撃況は十六諦︵蔓き且

を以て其畢読会濃を轟くすのであるが、貸際十大論の卦類ほ蹴る粗嫌なもので、如何にも他に

説かれであつたものを少し欒じて集成しだといふ威を輿へるが、然し共立とする所からいへば、

大隠能豊新先の二諦に包括せらると見てよいであらう。ノ、巴甥考Pn寧も此の如きことをいうて居

るし、経としても此二諦を特に詳詭して居る。此中能量諦に、前にいうた、現、此、嘗喩、聖教の

ー ・・・−

(25)

戟八節 句ミニ飾 究折軟鏡

凶畳を聞き、所畢帝に我、鰹、租、境、登、意、龍韓、三毒、再生、果、苫、解脱の十二を含ましめる。

前者は主として論理撃的方面、後者

は自然薯撃や法政倫理観やに闘係する。後者に於ける再生

の下に於て多くの他の撃詭を破して屠るが、註滞者によれば、其中にq︼窒i登l等に踊係する

ものがあるというが、然し吠陀に闘して主とし説かるゝのは、前者の中の蟄敦盛を説く所であ

る。聖教畳︵恥Pbdエは正埋脛にては信組し得べき人︵ぞ且の指数︵u琶一瓢エにて、其ほ叉可見的の もの︵d再思rニーp︶に関すると不可見的のもの︵Pd温習さエに闇するとの二となるが、信頼し得べき 人︵考且も、ノ・.賢∽盲竃1Pによれば、亦㌢竃と呂eed−pとの里人︵鼠︶の二となる。L㌢箋は上流 階級叉ほ本国人種を指し、茎ec〇一1日は下級民︵−1i且賢i︶又は外閑人抑︵殊に野欒人と放しめらるゝ︶ むいうのである⋮。かく分数する土から鬼子こ吠陀に禦9る邦字∫ ・pと言争・t・窟との方面か

蛍であると老へられる。故に証印学派に於ける味陀の弛棉ほ、肪諭撃況に於けるが如く、学説

又は組織上必然頚要なものとは考へられない。加之、躍密に理論的にいへば、豊敢盤を燭立の

一見と見るのが巳に論理的ではなく、肪諭学派及恍那困りいう如く、此敦中に入れるのが正し

いのであるから、正埋撃派の吠陀に典うる地位は厳密でない串になる。然し叉、此論理的なら

ざる黙をも其伍にして、望数量を五つる勲が簿説的の考に捕はれて屑るのであると見れば、其

鵬岬 24 −

(26)

係姐のと諭住常軌こ井陀映と汎嬰村税正論膠 吠陀観は大に異って来ることになる。奉賛正埋草派の吠陀観は頗る妙なことになつて居る。 ︵−︶ Tl−¢くじ許噌i訂phi−宏Opすーpp・︼率土昏p象き息旨bl−糾竃p−pp・i−怠−¢,㌘−・ ︵8一室ltliugk﹀S巴lSk芋W守te旨1邑−︼uHdつ1ま㌧明・二 十旬我諭に群鵠差別、故習差別等の育ちり。S訃掌㌣ t?盗用明−Orぎ璧lptヲよe明P及び 臼ぎ苫仏・・よJ笑01E−勘′・呂㌣く許でならむ。固明に於ける﹁法産別﹂も 舛ヨ︼糾ri㌻にょればd訂5さ孟e肇の葦である︵賢㌻ノ′・賢芽∴∋一ご︼警.︸ll莞i邑−けLぎ↓.芦︶然L此ほ勿論 意味和典にする。 ︵書▼ Hどゃ苫br凱哺ヽ箪ニ;声仇−−−−−ァ00い♪︼、ひG・タ、抑y旨︵賢二=−訂=−︼訂cc一:C︹ソ︻i2芦訃告aぎこ一山√;● ︵♪▼ ﹂∋放ぷi訂瓦ざき∴㌣柑∵ガm因州二比和 門前 膵諭撃沫は九世紀の試買ib訂drpの晋思罵獣n琵2u宣環㍍では㌢11dd−き詳言萱kきS阿訃k11箋− Jpi冒二㌻ぎiniypと共に計tik写巳pとせられ、冥訝已k箪のーーC訂yitÅC腎忌kエと相対せしめられ て居る。但し試料者によれば計tik寧の意妹は蛋魂︵.亨エ、他世︵p弓已Okエ、蕃︵葛篭エ、悪︵l﹀者p︶ 等の存在︵邑i冒P︶を説くことをいふのであるが、とにかく巳に他の正統派等と並拳せられて居 る。又十三世紀のJillpl㌻ttpの甘写註≡§i昏あでは正埋草派と共に㌢召の名の下に一招 せられてJ臥n⋮√ソFiE巴㌢芦kp︶出彗宣ba−J乱︻k︼−¥︼甥訝tilハ叉C腎邑且と北ハに述べられて居る。此 六恢は巳Fribh邑r晶意見を採用し勉承したものであるし又㌢iヨというのもH乳bll乙⊇の言 二:一5

(27)

披八鮮 卑二弟 宛研政窮 であるが、此難がぽ意すべきである。此両畢汲は早くから㌢・P派と閥係があることは㌘乱写 訂官dpが共著に於て㌢⊇派の詭を採用し、qdd盲已ハ昌↑が七瞥︼已苧琵r竃用といはるゝにも 知らる\。かく後世ではをl i訂又は㌢ヨといはる∼が、然し㌢賢⋮⋮は膵葡畢涯を準虚撫 諭︵Ard−.雪㌢獣ikエと解し、醗しく攻撃して居るし、膵諭紆の中には紳を説くことが全然ない

から、正統派からほ随分と嫌はれたものであるけれども勝論経では吠陀を以て数々自涯畢詭の

典披1こはすか、或は自派撃詭が吠陀に反せざることをいうて屠る。 霊・−可と揖∴♪加とに同一文にて訂−旨︵l者⋮ご︷⋮︵故に吠陀に1㌻りて知らる︶というがあ

る。此は反封者が勝論者に対して、風又は我の如きものゝ存在を諾すべき可見的花に不可見的

場櫨︵−i身ヱが存在しないから、吠陀によりて知る外はないというたものである︵柏−ニー㌣±ご比−膵− ヂ00︶。之に封して腱諭置は、然らす共布在は十分挺協約隼諾明し待と説いて摺る︵沌︶︼忘⊥¢芸︸ 持︶¢︶。之によると勝諭経では吠陀を謹典lなさぬ如く見ゆるが、扶⋮し経の通例としては、一旦

粒瀞的に澄明した事を更に吠陀に訴へ、其が吠陀の詭に違はすとし、若しくは吠陀を典接とす

る。∽一帖︶巴に獣賢守琶ビ腎昔莞.CPとあり。訂tr芦はAg書芦と北ハに吠陀を指すことは、買・ B乱費芳p∴︶沌一∽∽こ∵︼︶のこ−∽−ご等にも存して疑ない。故に此経は﹁叉吠陀︵の詭︶にも追う ・−・2〟・−−一

(28)

係織りと詮任常軌こ非陀吠と派単調規正諭鯵 が故に﹂の意である。此耗は前引用の二鍵中後者に紹く一であるが、経作者は我︵賢m書︶は樫 凝的に澄明せらる∼ことを論じ︵∽㌔︶ヱ、其我は各人の自意識即ち﹁予﹂己1三三なる代名詞の本 捜をなすものとし︵“忘こ干︼00︶、輯じて我は本務唯一なれど︵∽−柏こ¢︶、事情の異に従ひ多くの個 人我としては視るるものと説き︵∽︼♪川岩︶、更に此に吠陀の説にも適うが故に︵00︶柑、巴︶と結論し 凍たものである。β家訂rP・従って5宣iは之を多我存在の竃と見、字思yPは唯一我存在の

典撮を求めたものとして居る。何れにしても吠陀に訴へて見るのは同一である。又♪は︼竿〓

には撃≡・k︼1盲bl−賢覧l 望︵叉名稀有するが故に︶、空風欝︵⋮⊥已ぎ賢︵想は︹無︺始より#する ものなるが故に︶、筆lt■︶一声︶■10鼻音︵胎丑ならざる者存す︶、′・乙a−i身晋.旦女吠陀が基寵なるが故に︶

とある。此は勝諭撃滅にては人類及び人灘以上と以下にして一椰の身冊を有すものをレさ真二胎

生︶とPリ・〇=昔︵非胎生︶とに介つが、基中め後者の存在することを諾するものであるっ﹁胎生なら ざるもの存す﹂が結論であるから、裁に一旦明に澄明が終ったのである。英次に∵壷一己i厨腎き

といふから、其結論を吏に吠陀に訴へたものでぁる。然し此雛は二様に解押せられ得る。即ち

吠陀中に其澄たるべきものが説かる∼が故にとも、又は吠陀基ものゝ有するは此の如き量蔓菅 む党人︵徴︶め存する意なるが故にとも見られ得る。何れも膵論説に一致するものなることは − g7 −

(29)

溌八妨 年二節 究 耶政論 後に詭く併で知らるゝであらうが、今は前の解を耽る。初の蛋m抑E忠は名栴又は艶人の姓名 の意味で、s鼻骨も名の意味であるが前の■と並ぶから明に栖念といふに督たる。膵諭畢派、有 印度哲畢一般に、名節は概念に常るものを其言顕はさる1方南より考つけたものである。故に 名辞は同時に概念の意味にもなる。禦阜官財も名称の意味になり得るが、基本凍の意味及彗宣l・ ︼ハー一首と並解せらる闘係から、特に糾合を指すし﹂見るべきである。Lに或物の概念を有し名辞が

あるとすれば、此に鵬する賓在物が存在しなければならぬというの・が第一匪の意味である。此

勲に勝治畢疲の重要な考が衷ほれて屠る。勝諭学派では其素朴的賓在ぬの上に立ちて、概念の

存する朗必らす之に封應する貨在物が存在すると見るっ即ち内外は精密に並行しで層るとな

す。此考に基くから六句義凡てが同じやうに賢花物と説かれ得るのである。琴一粒に箸旦許は

昌乳it≦l 又は乳㌻さの故にという文字の異は許辞者及び其出版者によつて基阿れをか取って 居るが、監it⊇は知始にして初めより存在するの義、昌巴i旨rは初めよ︰′存し中途作られたる

ものにあらすの義、何れにても通する。膵諭撃派は純粋に粒激論に立つから、凡ての概念ほ擬騎

よむ凍ると見るが、然し経脇は自己一代の一身にの■みは限らない。無始以凍存する風光並に

童呂菅の人々の艶齢が今迄樽はるから、現今としては本有税念なるかの税あるが、封際は経段

.___クβ −・−・・・・

(30)

係組のと諭任常軌二丼陀吠と釈尊耐理正論肪 よb凍らざるものなしと見る。此詭から、失政に概念のある併必らず其に封漉する貨在物がな ければならぬと説くのである。此樫僚諭的の考も重要なもので、察2註ぎ・派ノ1eをlぎ派の放

とは全然凝って居るし、是によつて正統派の吹陀麗を批評することを得、跡諭聾派特有の吠陀

観を立てるのである。以上孝吉管存在を謹明したのであるが、py。息すは必らすしも人鵜以上

の優れたものとは限らないが、今は吠陀の諭に摘係していうから凡て人瓶以上のものと解して

置く。そして此寧竃音の考は明に是者邦致ぶ及扱く芹M↑︵夢k打l−乙iGes巴ヱの呂imistiOの考の 系統を引くものである。叉已p芸k巴さが、概念名稀が梵天の胸中に初よゎ存することを鍵の意

味として居るが、是は後世の吠檀多風の文典家の詭を賞に附曹し塞たに過ぎない。此文此豪の

事は後に論述する。猶一つ∫持∵;∴にJ−鞋ニハ邑︷ゴなる経がある。此は水の氷鮨し又は溶解す

るのほ水が火との結合の如何によつて佳することで、水と火との純分する二とは客車の㍍鴫に

ょむて澄明せらると一度経應的に竃して後、吏に﹁叉吠陀の育も存す﹂という柁ものである。

以上り例によつて見るに、勝倫鰹作者は明に一度匿廟約に論諾し昼事を克た吠陀に訴へて成

ることが判る。是は其訣の最後の典櫨を吠陀に求むるという意味であるか、或は聖し旺盛が吠

柁にも反せないとなす意味であるか。之を決するには膵論撃沈の吠陀観を見竃ければならぬ。

・−・・d・−一 gβ・−−

(31)

♯八集 中二燐 光群故鏡 吠陀を黎する正統派では、吠陀は常任の天啓弥1・1斉で決して人の作ったもの︵警⋮訂つー・且⋮で はないとなす。買︼ゴ2.軒昏繁r⋮√−こ︼彗1琵 に具さに之を証明して居る。今英姿胃をいへば.吠

陀の各部は個人的作者の名によ′つて名づけられ、又常任ならぎる事も述べらろゝから、人の作

としなければならぬというものがあるが、璽の廃位琴−とは巳に諭諾した通ゎ一であるから︵︼、 −こr誌︶、吠陀も常伴でなければならぬもの、又人名の存するのは求人が作ったという意味では なくして、英人が其部を稗し′\研究したことを示すにあるか、或は凱に泡常の名と単音の似通

ひたるのみで、驚は人名でないか、何れかである。又吠陀中には﹁樹木が犠牲を捧げ柁ち﹂﹁牛

が祭壊に坐したら﹂等の言があるが、是も亦撃喩的に祭式犠牲の禽ぶべく術ふべきものなるこ

とは樹木年寄にてすら之を渇仰するといふ意味に外ならぬから、結局吠陀は人類の作ならすと

いうを妨げない。此詮の最後の狽接となる朗は、懸って拳骨任諭に賜ることは一読して卯であ

るが、萄常任諭の最初の反動者は膵諭撃蔽であるから、吠陀を人の作と主張する此反勤番は又

恐らく膵論者であらうとの扱想がつく。

害im抑訃乱派は此の如く吠陀の天啓なることを主張するが、此吠陀は叉 害1吉払敦,狐のいう dr罵声″を知るの唯一源泉で、共︵l訂r2pは現畳を超越し、従って此畳等をも超越するから、吠 .・− g〃 −−−

(32)

係崩¢と辞任常孝lこ丼陀吠と晩翠酎理正論勝 陀は決して人の作たる能はすとも見る。而して呂ヨ担計笹沢の閑親といはる∼Jを已niの紳のは 存在を承離せす、我︵賢1n呂︶の認識すら業に勤しては補充的鯛係に立つに過ぎすとなす轟である から、吠陀其者が凡てのもの∼最後の葦柿で吠陀自らが自らの澄明となつて居る常任のもの、 そして吠陀は自ら自らを天啓して入獄に現示するとなすのである。<edぎ七戸派の閑租謬d弓ぎ・ y眉pは塞要な政義に於てJpin一illiと意見を異にするが、吠陀枇に於ては凡て相同する。勘所が膵 諭況は之に封して︼︶u宣Ep官爵忌k箋打宣︼・<ede︵の一二︶と反封する。此意味は吠陀に於で文帝

の成立し居ることは即ち人類若しくは人瓶以上のものにせよをれの知に基くものである、知な

くして吠陀が文を成す主ほあり得ないというにある。此はン叫ぎ笹訃箪.派及<ed賢訂派の詮を摸 さむとするものである。此れの護として出き巴l喜官許鼻骨・打arヨ芦Sid彗i﹂訂習旦ここ︸虻︶を怒 げて居る。即吠陀中の寧邑ぎ壷甥書中に人或は祭の名す旦ロ.ヱあら、又人の宥劣或は祭式の行

事を詭き、基焉すべきこと及其れの果報の串を述べて居るのは、見知によりて作られたことの

澄枝であると諭するのである。故にとにかく人の作と見なければならぬ。吏に適切法例をとれ

ば、昇天を願うものは牛を犠牲とすべし︵Sく琵琶ハ賢l。魯訃㌻d盲t︶と命じて居るのは、犠牲の 果報が成就することを知って詭いたものと見なければならぬ︵ぎldl阜箸⊇㌻d註す、︷ご︶︰︼︶。叉 −− gJ ■・・・・−一

(33)

班八鮮 卑二筋 兜研改宗 之と同じく他よゎ施を受ぐることを規定する︵t蔓ごニ■乱雲言︶王立のも亦施者の果報に関

係するから、之を考へ、之を望むべきを知らて居て説いたものである、べきである。琴らざれば

此等の事は一切無意義とならなければならぬ。故に吠陀ほ人の作と見る外はない。

以上の雨読を比成して見れば、成案に文字まで一致することほないけれども、其諭脈は互に

一致し、互に他を目標として説いて居ることは何人も否定する能はぎる程である。そして叉吠

陀に封して此の如き事を説いて居る鰹を宿する撃派は他に存在しないから、此難からも買m註・ 路乳trpの相手は勝論畢痕であることが知られるのである。

然し乍ら膵諭撃滅で吠陀を作った主与す人とは如何なる柁頻の人であるか。之を述ぶるとき、

裁に膵倫綬が度々基詮を吠陀に訴うる所以が解せられる。前に俳論経では通常人以上に蔓︼音

のもりを認むる∵1とをいふたが、此は人類以上ではあるけれども、人頻と同じく身性を有し其

身髄は又同じく地の一元素より成り、原子り結合わ上に形を耽るものである。原子というても

時間室岡の制限を受けない種類のもので、此が結合して身濃をなすのは一種吼功徳に由るので

ぁる︵♪柑−ヂご。此は主として喩伽に閲するのであるが、此の如きものは常人とは重く反し、常

人の現是以上に超結し、常人が塊豊にて解し得ざることをも僻し、比義によもて知ることをも

ーーー・ ノjノ・一一

(34)

係開のと論仕甘揮lこ井舵吠と統率耐理正論膠 現盈に︸丁りて知る能力な持って居る。つヰチリ何物でも現量にて直接に知む得る如き優れたもの である︵¢・−−=⊥莞故に英知を音叉里人知︶又ほ乳dd邑弓恥⋮︵完金知︶と解す︵雲こ00︶。此

の如きもの、存在することは前にいうた蓬壷官有泰の琵明で知む得るが、然し一役には、邑チ

j寧訂ヨニづ琵m乳・法曹l旨−i首浄及び℃rそ惹苧prP宣g邑夢見翠粁≒m旨ふ︵ごこ≡3 に††りて許するのである。此雨粒の悪疫は大要下の如し。前に]P色−巨唱に於ける名稀及発と

いへるに同じく、人或は祭式の名、又は英行事及果報等の説かれ居るは即ち吾人通常人より呉

れ.ろ超人の存在する謹である。名稀概念の存在する所必らす其れに應ずる欝在物が寿すべきで

あるからである。而して勝諭嬰派は前いう泊り、概念等は凡て現蒐よむ凍るものと見るから、

此の如き名辞及業も亦何人かの現畳より凍なければならぬ。然るに薔々普通のものは祭式及其

果報等について之を現畳にて知ることは出家へ仏い。失政に是れは吾人以上のものが現急にで特

化るものを薔々に停へたに外ならな.いと見なければならぬ。従って超人的の聖人、喩伽の生静 的完成者等︵琶ヨ巴−itぎ富kp2思廿︶i・e・up琵巨−昔s茎l堅1p箋写が存在しなけれ・ばならない。吠

陀にあることは此の如き聖人等の現塵より得詭るものを記し留めたもの、即ち此の如き聖人等

の知によつて作られたものである。此熱が即ち膵諭畢派の吠陀を窓掛となす狽披である。従つ

− J∫・・・・−

(35)

披八節 句ミニ霹 究軒数宗 で膵静車扱では自認を一度経顔的に立護して後更に吠陀に訴へるのは自説が吠陀に違はねこと を主張するの意味で、必らすしも吠陀が最後の在樺だとのみなすのでほない。尤も達はぬとな すのも最後の澄樺となすと見るのも勝諭撃派の意味では耗局同じ串で、経巌的に立謹せらるゝ 串が吠陀に違うべき筈はないのであるから、吠陀に訴へて居る事ほ同時に吠陀が戚意の経駁外 のものでないことを明にするもの・とも見らるゝ。吠陀が最後の澄樺となる場合は普通人の知に て立記せられ難いやうな時太けである。膵諭撃派の此吠陀観ぉ岩︸n註乱及くe計n訂の正統派 のに此すると大に異なる。正統派では前いうた泊り準備任諭を其収接とする。然し此拳骨任諭 にほ数珠い一の根接があつて其れが又肪論説と興って屠るが、今迄論じた所では兜づ人の作で あるないという勲、即吠陀は知︵buddごこに基くというと、螢の常任性に基くといふとの黙で重 く異って居る。 但し弦に一言して置かねばならぬは、今いうた沌−−こ竿︼¢は其よら前の粒の続きでいへば 風に関するといふことである。綬作者は風賓の存在は吠陀による外ないといふ反封者の設に封 して、経鹸的に諭謹せられ得ると此ごー一宇−りにいうたものであるから、直接にいへば、名辞 及発というのは風なる名稀、及風に勤し又は風に律せらる菜が苧巴一m莞葛等吠陀に存在するの − gヰ ー

(36)

係組のと論任甘畢に丼陀吠と浜学閥理正論勝 ほ、.吾人より異った超人の存する葦であるとなしたのである。然し之を一般にいへば以上の如 く解して差支はない。d−︶諾k賢仲l︶従ってノぎ富も此二置を特に紳の存在の記明となすが、是は

大なる牽強附骨である。此附骨の食めに︹ここひ⊥可を非常な無理を以て解辞して居る。鼓に︼

一真髄解を指摘するの要はないが、讃者試に沌−一−−㌣−りを∽−ほ一千¢及び訊こ一帖と此晩し、其 前後の粒の静脈を見よ。註砕薯の曲解は直に明となる。従って以上の凝滞が正皆で、此がpでn菅 澄明の00昌註−嵩b訂畠t−S鼻許︵買・︶監it鼻汁に錮係し、勝論畢波が経験論的に概念の成立を

説き叉其が無始に停はると見る詭を解し得るであらう。吠陀も賓に此の如くにして成立し、此

の如くにして俸はり、此の如くにして音椎を有するのである。. 勝諭撃痕は吠陀を此の如し見るとするも、邑−レ・udpypを生するもとというに陶係せしむれば どうなるか。弦に吠陀観の内容が衷はれ、膵諭学派としては此がd1−彗㌢pの一方而であるか宣

重要なのである。膵諭畢汲は純粋の自利主義であるから自ら街はなければ果はないとなし、狙

向とか恩寵とかを組むる事は絶封にない。吠陀を人の作であることは澄明した後修行のこ上を

説くに督って尤づ巴m賢t賀車患家眉セm琵琶紆腎蔓t邑︵ヱ立というて居る。即ち甲の人

のなした串は乙の人には没交渉であるといふ意味である。然し前にいうた通り祭及施の串が吠

ー さき −

(37)

沸入館 年二姐’兜鞘政宗

陀に存するから之に封して終に規定が説かれて屠る。第一に施をなし供養をなすに骨つて施物

が不浄でほならぬ。不浄とは教生︵罫が且に踊する呈でぁる。又同時に供養の封者をも考へ、供

茸に腰じ得る丈けの人に供養し総ければ弦ら氾。殊に自分よりも優れて居る人になすべきであ

る。同等若しくは劣ったものにも不浄ならざるものを供養し施さなければなら田︵或は、同等若

しくは劣るものにはし往くてもよいと見る方が前後の関係からは合理的である。それには姪の

芳ヨe l一ごle芸l︶更,貰ぶをノ・芦こ︼一ゴ三貰i甘と見なければならぬ︶︵P︼︸㌣lこ。此啓はぇ傍伺劣の 人より施を受くa廃準とむ柱る︵ミニ時︶。此な説明する食めに証樺濱は㌢一tiの言として訝l・ 訪印夢pt蔓e邑葦註d乱昌e忍冬茸藍︼−註e乱乱e訂巴⋮名誉ワr思Pヨ敦Pで を引用して居る。此

意味は自己著しくほ家族が食を得ずして餞俄に瀕する場合には、食を得ぎるよも七日目ならば

酋陀髄液よ¢食な盗み食︸も宜ろしい。十日目なら飽食族より、十五日目ならば刺帝刹族より

盗みても罪とならない。又生命に関する場合は婆躍椚族より盗みで差支ないというにある。此

弥蔓・iは何であるか明でないが、成賓諭朝では枇法鮭︵≒宅m邑trエ︵世故経とは彿数以外の世間 的の法鮭ぬ意である︶にあるといぅて居る。史に驚くべき事は戸︼一︼㌘︼ヂには妨lなるものは

殺しても差支ない。食を盗むに際して所有者が之を妨ぐるならば、所有者若し自己より劣るもの

− ∫β −

(38)

係帥のと論位常軌二井陀吠と汲車両規正浣腸 ならば英雄撃,べく、同等のものなちば個貌或は他殺何れかなすべく、叉若し擾れたるものな らば自殺しなければなら鋸とあることである。此は成賓諭叫に梵志雛︵即ち婆凝門の或笹︶の中

に説くとして引用せられて桝ち梵志経ほ恕らく此膠論粒を意味するのであちうが、質に棒貌な

故で、後位では順位外道ですら此の如き畢はいはない。苧巴1m名品音中には人身御供の.術はれ た痕跡があるし、dp邑哺已即事では虚言するも壁昌にあらす、盗むも可なち、父母を殺すも可 なちともあるが、人身御供は昔あつた丈けであるし、Up巳li肇dでは超道徳的に高潮して説くの であるが、捗諭軽の此は賓に無造徳裁である。恐らく此は六軒外遊中の空言号︸訂華写﹂す ︼︷量︼芦ぎe︷・ギ名声等のA訂i箋多一p又は已C。︼1乙弓已品よち凍たものであらう。とにかく此の如

き極端なことをいふと共に勝諭匪は他方でほ殊勝なことをも説いて居る。叩見的の果報を望む

動磯よも凍る行と不可見約のを望む動機のとが区別さる∼が其ゅでは後者を優れた葛のーとな し、此が即ち吠托に命せらるゝ行に瀾孫するとなして居る︵雲ここ○︶慧︶。此ほ允竺に圭一 族殊に婆羅門族の田崎動を守ること︵象雲鼠r差等︶が必要であるが、順序としてなすペきこ とは、離禦を一骨髪且、噺食、或は聖火を黙すること︵u琶忌且、帝渾空b邑毒芦ご宅呈、佃家に丑 任することす邑旦急且、森林に任すること︵多l宅邑−エ、祭式犠牲︵首里、布施︵をlエ、供 ー J7′ −一

(39)

娩八・終 年二路 究軒数歳 物︵pr。首鼠、祭式に閲し方位を定むること︵d㌫︶、又同じく盈宿々知ること︵n惹賢p︶、.祭の時 を選ぶこと盲−エ、讃歌を捧ぐる=と︵夏ntrミ正規の府禦せ昌p︶をなすこtである。空般

に婆羅門のなすべき事であるが祭式に関して随分詳密に五

を凍たすものである。飴し此等を唯軍に濫すに行う丈けでは足jない。精神的方南でい二ば信

∵ 仰の有無によつて善意の相違を束ねすし、物質的方面でいへば命せをれた清浄のものを用ひな

ければならぬ。然し清浄のものを用ひても放くる朗あれば不評となるから﹂此黙を注意しなけ

ればならぬ。故に結局は自制︵竃且奥行︵与2且を基とすべきである︵のーご・り︶。かくの如く

勝論畢蔽では一方に精紳的方面を重要視するのであるが、かくして行うとき堂に初めてをざ孝

dP竃の果を得るとなすのである。 以上説いた研が一のd−1弓m乳首pの金鰹であるが、韮に望思すべき事は前凋の行事中、詳細 なるに拘らす、四時期の第四期遊行期︵撃n盲i一lも弓i点嘗p︶b︼1ik芋y昆を溌心て屑ないこ

とである。此は甚だ奇なこ†とであるが恐らく次の意味で解群が出凍るであらう。即ち第四期に

遁世してからは他の一のd︼l≡弓i首即六句義哲学の研究を其任務となすから、昇属に関する

方南Ⅵ中に述べないのである。故に第四期に入って六句義菅撃を研究して、是によつて解脱を

・−・・一一 βg・−−

(40)

係欄のと論佳骨租こ丼陀吠と汲単調規正論闊 得るので、此方が主要なものとの意味が裁にも衷はれて居る謬である。前三時期に行すること は宣i日脚酔夢.派のd一−宅巨Pと異る所はないが、第四時期に研究することは勝論嘩扱が自ら試i・ m賢汲に優るとするもので、同時に正統派婆雄門が其第四時期に研究する□琶n官d又は つ2d旨訂詭と異るとなすものである。故に膵諭派は試im押掛s阿派とは密接な関係があり互に影響 し合ひ、殊に已im抑針路派が勝論説を取入れる勒に至った程であるが、亡p巴1首ゝ又は<乱賢tp 詭とは比較的に関係の少ない所以も了解せらる∼。 ︵こ 罠b︼●Il乙■本又は11●−L・2.一e氏が伯版ぜるものGi︵勇已ed告PS︵一Ciel㌢鼓邑ea il己ぎーヂ︼塾笥−言こ p72tヨ●HHlr≡−邑rPの年代は帝都敦の倦説でほら¢A■D由でぁるが︼﹂e2責m︼uJaeさi両教授 ほ冨−A.D■頃死†となす、ND軍属∴言−■誓−pl宕∽いヨ√会︸p,lO︰r ︵柑︶ 出訂己琶打弓︼ 討epOr二言叶訂SePre㌻訂rSk︻.芝率dlまl︼gtl岩︶・earS︼00巴⊥︼pp・会00ム缶・巳erut〓身Pにも Sふdp昏ロaま争pありと諸蕃に見ゆ、Jぎ乙ヒ旨と同人か異人か、叉両者ほ同一か典本か、切に誠 者の示敦を辞う。 ︵ご ぞ馴句p卦ttikP︵巨b−﹂nd−︶︼eO︼OphOn”望P己罵訂Jノ、意望ま彗昌d賢ユ讐二J・亡ソ ︵ご On t訂くed糾nl試巴ra柑︼ ♪−00・ ︵警 J呂○霹JP㌢訂m︵冒邑ing∽.夢岩ⅥC10苫di⋮10へRel直呂呂︵−Ethi象︶S・■・︶ ︵三 芳旨.ヨ数等Pには此辛が用ひらる。背通ほ葛Purコ明eypである。 ー βク ー

(41)

鱗八節 句ミニ弟 莞解散舜 へご 旨gi訃執品富−相−−︶−SJ謡い王監督t宗望−ご︼∴㌫∵已−柑i臼−柏−巻﹂寧ど宵月pとの粕邁は此扱及び︰√ナ 一山ダーこ由む且〓−∽こ?言ニーふ−㌣りニーAここuを参照せ上。曾やlま≦P無言≡Cβ声く・宗 盲︶ つ見ぎtぶ聖rウ︼r♪諾占P ︵三 蔵牧二、彗P−b・ ︵−0︶ 民芸㌢宕︼d−汐塾1日苫PS Oご訂く已ps−写●畠−票● ︵〓︶ Lr芦卸r.n⋮︼−い一計R2−功一已lr恒√1. ︵−は︶ 嘉字書ikざ√雲ニ・Ⅰ・宇い㌍ご去声︵l宗lノこ︶宅∑小数絞り滞エリと字ニー訂数枚¢葦のガがエい︶ ︵lい︶ 岩島訃払拭が非常に他訟一付取入れろ法でちる=とほ巴0ぎY腎三kリを訊むで∼り・⊥く刈る。 次に事々は正埋撃浜の吠陀槻を諭せねばならぬが、此派では叔本の考に於て膵諭撃汲の詭を 踏饗したものに過ぎぬ。然L其論理嬰も聾派としての成立以前に巳に正統派に怨められた位で あるから.吠陀覿に於ても正統派に近い所があゎ、膵諭畢派と異る併がある。正理船主は吠陀 の串をいう前に語︵㌢Eエと其れの衷はすもの︵星︼1エとの調係を論じ、曲順序及藤疫が 巳i↓ m乳訂訝誉rPのそれと同一であるが此は後に設くから今ほ省いて置く。正理経ではⅦこ︸雲川に 首l蔓苔孟宅寧日雲叫t苧ノ1箋掌副訂・l己21rlllハtミ訂等bざ与とあ♭。吠陀は迂磁あるものにあらす、不 其、矛盾、重語の過失あればなちの意であろ。輿論畢派にてほ吠陀の三失を論いて、祀法不評 ︵弓i瞥己−ヱ無常︵−ぷ3盲︶勝負︵致せ箋︶相故、是以應捨やというが2−苫︶く箋g︼l賢一ニ≡1−蔦ukt芦に ーー .1ク ーー

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