員宗連合撃曾研究紀要
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輪袈裟の成立とその変遷:
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親驚聖人の聖徳太子観
||聖徳太子奉讃・和讃を中心にして||塚
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沙弥教信説話について
・:佐々木令信︵六九︶
﹃阿弥陀経集註﹄における﹃称讃浄土経﹄
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親驚の二諦思想について
ー l l ﹁弥陀仏ハ自然ノヤウヲシラセンレウナリ﹂をめぐって||・ ・ ・ 徳
親驚の大行観について
・ ・ ・ 土 口
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﹃正信念仏侮﹄の﹁憶念弥陀﹂以下の四句について・:浜田耕
道元における宗教経験の構造
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﹃ 教 行 信 証 ﹄ の 後 序 、 ﹃ 親 驚 聖 人 血 脈 文 集 ﹄ ﹃歎兵抄﹄の註記に見られるように、親驚は流罪以後いつの頃からか、 自らを愚禿釈親驚と名告ったようである。 流罪の地、越後での七年間、親驚がどのような生活をしていたかは、愚禿釈親驚という名告りの外に何の資料もな く 、 ま っ た く わ か ら な い 。 しかし、都人であった親驚にとって雪深い越後の国での生活は、決して楽なものではなか ったであろう。妻恵信尼と建暦一年に生まれた信蓮房とを両手に引き、冬の寒さに震え、雪の重さに文字通り押し潰 されそうになりながら、大地を這うように生きたに違いない。そこで親驚が生活を共にした人々は う み ・ か わ に 、 あ み を ひ き 、 つりをして世をわたるものも、野ゃまにし L を か り と り を と り て 、 ① 田 畠 を つ く り て す ぐ る ひ と 、 い の ち を つ ぐ と も が ら も 、 あ き な ゐ を し 、 と言われる﹁あさましき愚痴きわまりなき﹂いなかの生活者達であった。 ﹃ 人 間 成 就 ﹄﹃ 人 間 成 就 ﹄ 士口水時代法然の下で確かに額いた本願の信が、越後での苛酷な現実の批判によって鍛えられ、その厳しい葛藤の中 で、裸の生活者親驚として、自らの信仰を改めて師教に聞い直し、その信仰が限りなく広く深まりを持っていったこ と で あ ろ う 。 社会の上層部に生きる人々から、常に人格を踏みにじられ、生命をも奪われて生きる苛酷な現実の中で、限をふせ 耳 を ふ さ ぎ 、 石のように心を閉ざすことによって、 かろうじて生きる不安や苦しみを耐えてきた最下層の人々を、親 鷺は﹁いし か わ ら 、 つぶてのごとくなるわれらなり﹂と言う。越後の生活の中で、自らをその人々と共に生きる群 萌 と し て 見 い 出 す と き 、 シ テ ヲ グ テ 斯 経 大 意 者 弥 陀 超 三 発 於 ニ 誓 一 広 開 三 法 蔵 一 致 工 手 一 凡 小 一 選 施 申 功 徳 之 宝 主 釈 迦 出 三 興 於 一 一 世 一 光 一 聞 道 教 一 欲 下 謹 一 群 蔚 一 恵 以 中 真 実 之 利 リ という﹃大無量寿経﹄の、如来の出世本懐と群萌の救済の必然性に改めて深く領き、親驚自身の信仰の主観性が限り なく破られて、個人の救いを超え、群頂の願に生きるまでに、その信仰が深められ広がりを持っていったのであろう。 そこでは、僧であることなどはるかに超え、群蔚の大地に帰ってしかも自信に溢れた生活者親驚の面影を見ることが できる。この群萌の自覚の名告りこそ、愚禿という名告りに違いなかろう。 また親驚という名告りが、天親、曇驚に依るものであることは、後に親驚が取り組んだ主著﹃教行信証﹄で、 二 廻 向四法の綱格はもちろん、その重要な部分のほとんどが、 ﹃論﹄寸論註﹄で占められていることによって考えられる ことである。とりわけ、親驚の信仰を決定した、師法然の﹁ただ念仏﹂の教えを、 ﹁ 行 巻 ﹂ で は 、 不廻向の行として 受 け 、 不廻向の意義を他力廻向とし、更に、 ﹁他力と言ふは、如来の本願力なり﹂と、念仏が本願力廻向の行である ことを﹃論註﹄によって明らかにしている。そして、その念仏の法こそ、
大乗は二乗・三乗有ること無し。二乗・三乗は一乗に入らしめんとなり、 ③ 一 仏 乗 な り 。 一乗は即ち第一義乗なり。唯是れ誓願 と、われわれの現実にまさしく大乗の仏道を実現することが説かれている。 法 然 の 下 に 居 た 頃 、 ほとんど善導教学に依って自らの信仰を確かめていた親驚が、群萌として生きた越後の生活の 中 で 、 ﹃ 論 ﹄ 、 ﹃論註﹄を自らの信仰の血肉になるまで読み込んで、 そ の 信 仰 が 、 煩悩具足の身のままに資格なくし て大乗を担う者という自覚にまで深められ、 ﹃教行信証﹄へと結実していったに違いない。 ﹃ 教 行 信 証 ﹄ は ﹃選択集﹄に説かれるように、選択本願の念仏を法とする念仏往生の仏道をそのまま継承しなが らも、親驚という名告りがよく示すように、天親、曇驚の指南に依りながら、それをより根源化し、本願の名号を行 信する願生浄土の仏道として開顕されたところに、親驚の独自性が窺がえる。その願生浄土の仏道が持つ最も積極的 な意味は、誓願一仏乗という主張によく象徴されるように、本願の名号に帰する時、如来の誓願に支えられて成就す る群萌の一乗とも言える人々を朋として、そこに無上仏道というに値する仏教の内実が成就され、行証されていくと い う こ と で あ ろ う 。 このような、親驚が﹃教行信証﹄で開顕される仏道の、最も積極的な独自性に注目する時、それが結実される思想 的 背 景 と な っ た ﹃ 論 ﹄ 、 ﹃ 論 註 ﹄ を 、 どうしても尋ねなければならない。 ここでは、親驚の信仰の核心とも言える 願転入と深く呼応していると思われる﹃論註﹄の八番問答、特に唯除の問題を中心に、人間成就という視点で尋ねて み た い 。 ﹃ 人 間 成 就 ﹄
﹃ 人 間 成 就 ﹄ 四 周知のように﹃論註﹄八番問答は、 ﹃浄土論﹄の廻向章の﹁普共諸衆生﹂に注目し、そこから聞かれて、内に向か つては宗教的な罪の問題を明らかにすると同時に、外に向かっては浄土教があらゆるものを包む大乗の仏道たりうる のかという仏道の真理性に関わる問題を明らかにする場所として、 ﹃論註﹄の中でも特に重要な箇所と言える。特に その八番の問答のうち、第一問答から第五問答までが五逆と語法の問題に費されていることにより、その核心になる 問題が五逆と詩法の問題であると言うことができよう。 ま ず 第 一 問 答 で は 、 ﹃大経﹄第十七、第十八願成就文の﹁諸有衆生﹂に注目し、 ﹃ 観 経 ﹄ 下 々 品 の 文 を 引 用 し て 、 天親が共と言われる衆生が、下々品の悪凡夫であることを明らかにしている。したがって八番問答として展開される 第 一 の 間 い 即 ち 、 問 日 ・ 天 親 菩 薩 廻 九 竜 点 一 言 ペ ル ハ 普 共 諸 衆 生 往 生 安 楽 田 町 一 比 払 − つ 丸 一 一 何 瞳 一 勺 衆 色 一 耶 と い う 耳 、 こ 土 、 F r l
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V あ M Y V 一応答えたことになる。ところが曇驚は、この第一問答で明らかにするように、下々品の悪凡夫こ そが第十七、第十八願が成就すべき本願の機であるということの内面的意義を論証する為に、更に第二問答から第八 同容を設ける。第二問答から第五問答までは、 五逆と詩法に注目して唯除の機を聞い、第一問答の悪凡夫の内面的な 意義を明らかにすると同時に、本願の機を明確にしている。そして、第六問答から第八問答までは十念念仏の上に本 願の真実が全現しており、自己の罪障の深さに執われて仏智の不思議を疑惑しではならないことが述べられている。 さ て 第 二 問 答 で は 、 五逆誘法という﹃大経﹄の重罪と、 五逆十悪という﹃観経﹄の単罪との不摂が述べられ、第三 問答では、救済における罪の問題を、重罪単罪という量の問題から質の問題にまで確めて、 ﹁必ず生を得じ﹂と誘法の者の不生を徹底して明らかにしている。更に語法不生を論証する為に、 ﹃智度論﹄によって﹃大品般若経﹄を取意 し、詩法罪の者の出地獄の時節のないことを経証し、人間の欲望の延長としての為楽願生の否定を理証している。こ こでは、語法不生が徹底して論じられ、 ﹃歎異抄﹄の﹁地獄一定﹂という言葉を訪併させるものがある。次に第四問 答では、語法罪の罪相を明かし、第五問答では、 五 逆 罪 の 根 底 に 語 法 罪 が あ り 、 五逆よりも詩法罪の方が人間の根源 的な罪であることを明し、先の五逆と語法との摂不の論拠を明らかにするのである。 曇 驚 は 、 われわれの具体的な生活である五逆十悪の根源に詩法罪があることを述べ、徹底して語法の不生を論じて い る 。 第 五 問 答 で は 、 五逆十悪と語法罪とが世間、出世間の罪として語られていることから、語法罪が第一義諦に対 する罪として語られるのに対して、 五 逆 罪 は 、 ﹁仁義礼智信﹂を破る倫理的罪と言うことができよう。 し た が っ て 、 五逆罪とは自我の立場に立って、その立場自身を問うことはなく、 ただ行なわれた行為の善悪に対する反省の域を出 ないものと言える。語法罪が出世間の罪であり、自我的存在そのものに対する根源的機悔を通してのみ知られるのに 対 し て 、 五逆罪とは、どこまでも自我の執心に立って善悪の心が外に向い、外なる現実世界を対象化し、差別の現実 世界として実体化するところに必ず起る罪である。それは上巻妙色功徳釈に 優劣不同 E ・ 町 一 一 不 同 一 札 高 下 以 形 J 高 下 既 形 づ 是 非 以 ・ 起 是 非 ・ 既 起 、 長 論 一 三 有 サ と 言 わ れ る よ う に 、 ただ不同であるという事実の世界を自我心によって、 まったく起るはずのない是非の世界として 実体化する時、必ず世間の善悪の世界へ埋没する。この善悪の世界しか持たない者は、必ず自我心を根拠にして一切 のものを裁き、互いに生きる為に生命を奪い合い、人格の尊厳を奪い合わざるをえないが故に、そこでなされる生活 の 全 て が 、 五逆十悪の罪とならざるをえないのである。このような現事実の実体化によって、内に向つては必ず空過 のむなしさを引き起こし、外に向つてはそこでなされる具体的な生活の一つひとつが、必ず五逆十悪の罪となる。 ﹃ 人 間 成 就 ﹄ 五
﹃ 人 間 成 就 ﹄ ム ノ、 このように五逆罪の根源には、必ず自らを良しとする自我の執心がある。この自我心こそが自らの生きる世界を実 体化し、本願の世界を必ず局分するという、人間存在の最も根源的な罪、即ち語法罪として明かされているものであ ろ う 。 したがってこの語法罪は、人聞が﹁さるべき業縁のもよおせば、 いかなるふるまいもすべし﹂という業縁存在 こそが、自己の根拠であるという、厳しい存在の事実を忘却し、どこまでも自我心に立つことに由来する。第五問答 で 曇 鷺 が 、 五逆十悪の根源に諺本罪があり、語法罪が重罪であることを徹底して説くのは、語法罪という憤悔を通す こと以外に、人聞が業縁存在の事実に触れることがないからにちがいない。 し か し 、 われわれは具体的生活において、空過のむなしさや、他人を傷つけ自らも傷ついていくという五逆十悪の 痛みはあっても、語法なる者という罪は知る術もない。語法罪が人間存在そのものの罪であり、人間の意識を支えて いるもの自体の罪であるが故に、人間の意識によって人間の方から問題とすることはできないのではなろかうか。曇 驚は、誇法罪を﹁仏無さず仏の法無し、菩薩無さず菩薩の法無し、と言わん﹂と、積極的に仏法を否定する相として 語 る 。 しかし、逆に言えば誘法罪は、仏法に遇ったからこそ知らされる罪である。 仏法に遇うことによって、世間の善悪にしか価値を見い出し得なかった邪見の我が知らされ、仏道に生きる決心を せ し め ら れ る 。 しかし、邪見の我が知らされたことを無意識の内に自らの手柄とし、仏法を信守するという相を取って、 そこに露呈してくる我こそ自大の我である。 この自大の我が必然的に間わざるを得ない問いを、曇鴛は、 ﹁然るに、名を称し憶念することなれども、無明由存 して所願を満てざるはいかん﹂と問う。 したがってこの聞いは、どこまでも名を称するという、仏道の実践によって
起こる聞いである。それはまた、その聞いを問う主体の純不純が、称名念仏によってどこまでも間われていることに 外 な ら な い 。 善知識の教えによって、有限なる衆生が永遠普遍なる世界に初めて自己を見い出した、その感動の表現こそが称名 念仏であった。それがいつの間にか、称名念仏を手段とし、破闇満願という救済を要請し続けることになったその根 源へと聞いが深まっていく、そこでは、称名憶念により閣が破られ所願が満たされるものであると予想し、それを要 請し続けるものが、自我欲求の他にはないことが知らされる。念仏を称することによって、ここに初めて問題とさせ られるものが、仏道を信事するという相を取った自我心であり、それこそ自大の我である。曇驚はこれを二不知三不信 と言い、親驚は仏智疑惑の罪と言う。 曇驚は、詩法罪が人間の存在そのものに属する第一義の罪であり、人間の意識を超えた問題であるが故に、人閉そ れ自体が問題とすることはできない。それは仏法の中において初めて問題とせしめられ、本願の唯除を通して、自我 存在そのものの罪が自覚せしめられることをここで明らかにする。それは、親驚が三願転入で、 ﹁ 本 願 の 嘉 号 を 以 て 己が善根とする﹂二十願の機が、本願の唯除を通して存在そのものの罪を自覚せしめられ、本願の世界への転入を語 ることと深く呼応する。曇驚がこの八番問答で明らかにしようとする語法なる者は、本願の世界にいながら、 ﹁ 自 ら 虚妄顛倒の見に依止し﹂仏智を疑う者であり、端的に、親驚が二十願の機として明らかにしている者と言えよう。 そ れ は ﹁無尋光如来の光明無量にして、十方国土を照したもうに障尋する所無し﹂という世界にいながら、 ﹁ 尋 は衆生に属す﹂と言われるように、衆生の自我存在そのものが自ら碍を作っていることを意味する。本願の唯除によ って自大なる我が言い当てられ ﹁唯除というはた立のぞくということば也﹂と救済の要請が徹底して否定される。 それは、救済を要請する自我存在そのものを否定することである。そして、 ﹁五逆のつみびとをきらい、誹語のおも ﹃ 人 間 成 就 ﹄ 七
﹃ 人 間 成 就 ﹄ }\ きとがをしらせむと也﹂と言うように、本願の世界にいながら、衆生の自我存在こそが、自らを本願の世界から唯除 しているという誹詩の罪を、深い横悔の中に知らしめるものである。換言すれば、救済の要請の否定を通して、救済 の要請こそが仏智疑惑の証拠であり、自我存在の象徴であることを徹底して知らしめるのである。 ﹁ 唯 除 五 逆 誹 諒 正 法﹂とは、誹詩的存在として、即ち自我的存在としてしか有り様のない人間の存在構造を言い当てた大悲の教言であ り、同時にまた、唯除の機のままで本願の内にいることを信知せしめる最後的な手だてでもある。 このような人間存在に対する徹底した自覚は、唯除の機という深い悲歎とともに、確かに本願の世界にいるという、 法の真実なることを信知することでもある。しかし、その信知は、仏に背くという人間存在の中にあるべくもない。 そ れ は 、 ﹁浬繋経﹄で﹁無根の信と阿閣世が感激をもって語っているものである。 ﹁無根とは、我初より如来を恭敬 することも知らず、法、僧を信ぜず、これを無根と名づく﹂と言うように、それは、資格のないままに、法の真実を 信知せしめられたという深い感激の外にはないのではなかろうか。 それはまた、自大の我という徹底した額きの上に、 か え っ て そ の 自 大 の 我 を 包 み 、 ﹁衆生を摂して、畢意浄に入ら しむる﹂という本願の働きとして、仏の大悲を確信せしめられることであろう。なぜなら、唯除による自我存在とし ての自覚の中には、自我存在を忘れ果てていたが故に互いに人格を傷つけ合い、命を奪い合って生きてきたという深 い悲しみが湛えられている。その悲しみの故に、自我を根拠としていた我が、自己の根源から限りなく自我心を否定 してくる力こそを、自らの生きる力とする決心をせしめられる。それは、本願の働きに呼び覚まされて獲得された自 我存在なる我への信頼と一如の形で、本願への絶対の信頼が成就していることを意味する。換言すれば、自我心を存 在の根拠としていた我から、人間の依るべき宗が転依せられ﹁仏願に乗ずるを我が命と為す﹂という流布の我の誕生 とも言うことができよう。それは、 しかし自大の我の当体が流布の我に代わるというのではなく、むしろ自大の我が
自大の我と徹底して知らされるところに起こってくる出来事である。
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さ て 、 第 六 問 答 で は 、 五逆十悪の罪が宿業の問題として提出される。そこでは﹃観経﹄下々品の文と本願成就文と を取意し、十念念仏によって業道自然が超えられていくことを明らかにして、 ﹁重き者先ず牽く﹂と説く業道経との 矛 盾 を 問 う て い る 。 この﹁先ず牽くの義﹂に合わせて、﹁繋業の義﹂を聞い、それに答えて、 答 日 ・ 汝 ・ 請 五 逆 十 思 繋 業 等 丸 ニ 重 一 比 一 一 下 下 品 ん 十 念 一 為 ニ 軽 一 応 下 為 一 一 罪 一 所 ニ 葦 一 先 息 ニ 地 獄 − 繋1
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三 国 ? 者 今 当 下 川 町 ニ ヲ ⑤ 義 一 投 申 量 軽 重 之 義 主 更に 、 と 言 い 、 次に有名な三在釈が も ニ ふ 一 あ 一 一 品 一 ち ニ 決 忠 一 一 仇 三 あ ニ 時 飢 久 近 多 札 一 一 勧 と説かれ、在心には千歳の暗室の誓、在縁には滅除薬の鼓の壁、在決定には十念念仏が無後心・無間心に依止するこ とが説かれ、量の問題から質の問題にまで深められて、十念の方が重いが故に業道経と﹃観経﹄とは矛盾しないこと が 説 か れ て い る 。 語法罪が唯除の文を通して、その罪を人間存在そのものの上に知らされる時、その一念の中に、決して逃れること の で き な い そ の 罪 の 重 さ が 、 かえって人間存在の重さと深さとして実感されてくる。それは、救済さるべき者という 自負心を徹底的に打ち砕き、自らの力ではどうにもならない存在の重さと、仏に背き続けてきた歴史性こそが、わが 身の血肉であるという自身の自覚と別のものではなかろう。それは前節でも尋ねたように、有限なる人聞が有限なる 人聞になるという徹底した一人の領きの中に、 しかも共に同じく仏に背き続けてきたという、共なる悲しみを内に湛 ﹃ 人 間 成 就 ﹄ 九﹃ 人 間 成 就 ﹄
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え た も の で も あ る 。 したがってそれは、特殊な人の特殊なあり方ではなく、共に宿業に瑞ぐ人々として﹁いし・かわ ら・つぶてのごとくなるわれら﹂の世界を聞くものである。そこは、自らが生きる為に他を傷つけ、人間の尊厳をも 互いに奪い合って生きるより仕方のない共業の世界と言﹀えよう。 し か し 、 こ の 共 業 の 自 覚 は 、 ﹁ 彼 の 造 罪 の 人 は 、 自 ら虚妄顛倒の見に依止して生ず。此の十念は、善知識、方便安慰して、実相の法を聞くに依って生ず﹂と説かれるよ うに、人間の依るべき依止が、 ﹁ 虚 妄 顛 倒 の 見 ﹂ か ら ﹁実相の法を聞く﹂ということに転依せられることによって 生 ず る と 言 え よ う 。 したがって、この共業の自覚は、本願に遇うという実存的な領きの中に起こってきた出来事であ り、その限り﹁一は実なり、 一は虚なり。畳に相い比ることを得んや﹂と言われるように、業を量的に実体的にとら えそての重さを考えるべきものではない。その子細が千歳の暗室の警でみごとに語られる。 そこでは、千歳の暗室にも壁画えらるべき無始時来の虚妄願倒の自我心が、普知識の教えに依って、白目の下に照ら し出されるという光と闇との警えで、念仏と宿業との質の違いを明らかにする。それは、本願に遇うことによって、 無始時来の罪が消えるということでは決してない。むしろ闘が閣の暗さを徹底して知らされる外に、光の働きはない ことを警職的に語るものである。それは、閣の暗さの実存的額きであり、閣の暗さが自覚となるが故に、その閣の暗 さを主体的に引き受けて生きる力が与えられる。念仏によって限りなく閣を知らされ、その額きの中に自らの生命を 生き尽すことは、そのままが光を生きるという意味を持つのではなかろうか。それは、傍観者として宿業を量的、運 命的にとらえ、自らの生命を具縛する如き実体観が一切払われて、自我意識をはるかに超えた地平、即ち﹁さるべき 業縁のもよおししこそを、生命の事実として生きることである。このように、宿業といわれる自然・必然のうながし を生命の内実とせしめられる時、閣を闇として生き、闇を闇と知るところにはあたかも闇夜に光が照らす如く、そこ には何の具縛もありょうがないことを告げるものであろう。次 の 在 縁 釈 で は 、 比 十 念 主 依 一 一
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無 L μ 信 心 一 品 − 一 阿 弥 陥 如 来 方 便 荘 蹴 ・ 真 実 清 浄 ・ 無 量 功 低 名 号 一 生 @ と明し、この名号の働きが滅除薬の鼓の警として説かれる。即ち、 ﹁鼓の声を聞けば、箭出で毒除こるが如し﹂と警 えられるのである。それは本願の名号を間信することによって、無始時来の宿業の身が宿業の身なるが故にかえって、 本願の働きを受け本願を行ずるものへと転ぜられることを警えたものであろう。 それは、自らの暗さを忘れ果てて生き続けてきたが故に、互いに生きる為に生命を奪い合ってきたという深い悲し みだけが、その閣の暗さを知らしめられ、その暗さに徹するところに、 むしろその闇を解放し本願の世界を行じるべ き者へ転成せしめる仏の大悲を、確信することができるのではなかろうか。そこでは、無始時来の迷いが、この時を 成就する為に一切無駄でなかったという感激と共に、 ﹁さるべき業縁のもよおし﹂を生命の事実と知らしめ、 一 切 の 具縛から解放せしめた本願を行じていく使命ある身として、宿業の身のままに絶対の意味が蘇る。それは、 われわれ の意識をはるかに超えた、自己の生命の尊厳性への額きと言えよう。 それは、宿業の身が、誰とも肩代りできない一人として、自らの尊厳性を額いているが故に、宿業の大地に晴ぐ一 切の人々の独自性、尊厳性も、 また確かに額かれていると言えよう。不同の事実を生きる者が、 不同を羨むことなく 誇 る こ と な く 、 不同のままに各々の尊厳性を額く。それは、法蔵菩薩の本願に喚び覚まされて獲得された自己の信頼 と一如の形で、その本願に無条件に信頼されているという確信があるように、宿業に瑞ぐ一切の人々の根源に働く法 蔵菩薩の本願への絶対の信頼と一如である。逆に言えば、宿業の自覚とは、 ﹁共報の用﹂として働く平等の願心によ っ て 聞 か れ た ﹁ 別 報 の 鉢 ﹂ の 自 覚 で は な か ろ う か 。 このように、平等の願心に支えられた現実を生きることとなった者は、それぞれの分の責任において、 その本願の ﹃ 人 間 成 就 ﹄﹃ 人 間 成 就 ﹄ 世界を証しする者となる。それは、宿業の身なるが故に、互いに傷つけ合い、人間であることを否定し合って生きて き た と い う 重 い 責 任 が 、 かえって宿業の身を支え、その責任を知らしめた本願を行じる使命ある身へと転ぜしめられ る。それは、此土に於ける宿業の身のままに、宿業の身なればこそ、如来の正覚に支えられて如来の使命を生きる者 へと転ぜしめられることでもある。換言すれば、存在の根源から、自我存在を生きるわれわれを限りなく批判し続け、 平等の世界に生きることを願い続ける法蔵の願心が、 われわれの自我心を突き破って発起する時、無始時来の自我存 在が造ってきた重い責任が知らされ、その責任の故に、法蔵の願心に生きることが自己に於いて決定的に選び取られ、 その願心の働きによって、平等の世界を証しする使命ある者、即ち願生者と決定せしめられるのではなかろうか。 曇驚は、宿業の身を生きるが放に、平等の本願の世界を証しする使命ある者として決定せしめられることが、十念 念仏を領受する一念の出来事であることを次の在決定釈で明らかにする。そこでは、 ﹁ 此 の 十 念 は 、 無後心無間心に 依止する﹂と説かれるように、 ﹁いづれの行もおよびがたき身﹂が﹁た X 念仏﹂せしめられる﹁た立﹂を明らかにす る 箇 所 と 言 え よ う 。 以 上 の よ う に 尋 ね て 来 る 時 、 ﹁唯除﹂とは有限なる人聞が一点の暖昧さも留めずに有限なる人聞に成り切り、他の 何者にもなる必要のない絶対満足の世界を聞く大悲の教言であると言えるのではなかろうか。そして、そこにのみ本 願に支えられて、宿業の身であるという人間の分宏信知せしめられ、宿業の身なるが故に同一に念仏する朋なる衆生 が与えられ、宿業の生命のままに本願を証しする使命ある生命と見直されていくという人間の成就があることが思わ れ る 。 ︵ 大 谷 大 学 ︶ 註 ① 親 全 四 巻 ② 親 全 一 巻 九 ③ 親 全 一 巻 七 六
⑥ ⑤ ④ 人z司 親全親全親全 /¥ /¥ J¥ 間 巻 巻 巻 成 ムノ、 一ー一・
ー
ノ、 就 L国 五 二 O ⑦ 親 全 八 巻 ③ 親 全 八 巻 六 五 六 六一
一
真 門 に お け る ﹁ 行 ﹂ ・ ﹁ 信 ﹂ の 意 義 四
真門における
﹁
行
﹂
・
﹁
信
﹂
の意義
固
た
代
上
俊
t
孝
;
は じ め に 親驚教学において、真門とは言うまでもなく、第二十願によって聞かれた世界であり、文字どおり、 ﹁ 我 が 名 号 を 聞きて、我国を係念して、諸の徳本を植えて心を至し廻向して我国に生まれんと欲はん﹂とするものである。親驚に テ ノ カ ウ ヲ ス ル カ オ ノ ν カ ト ① ﹁ 以 一 一 本 願 嘉 号 一 為 ニ 己 善 根 こ よるならば、それは正しく ︵ 化 巻 ︶ と い わ れ る 如 く 、 心底に根ざした抜き難い定散 心によるところの自力念仏の行者さえも、遂に果し遂げずにはおかないという世界である。 つまり、真門二十願は ﹁ 果 遂 の 誓 ﹂ と し て 、 第十八願に対して転入する必然的意義を持つものである。 それ故、親驚は自らの救いを﹁化 巻 ﹂ に 次 の 如 く 述 べ ら れ る 。 テ 、 ヲ タ ナ ル ﹁ 是 以 愚 禿 釈 驚 仰 コ 論 主 解 義 一 依 一 一 宗 師 勧 化 一 久 出 ニ 万 行 諸 善 之 仮 門 一 永 離 ニ 双 樹 林 下 之 往 生 一 回 一 一 入 善 本 徳 本 真 門 一 偏 − 弘 一 難 思 往 生 之 、 い 一 然 今 配 : 比 一 方 低 、 真 岡 山 一 転 − 3 川 U 選 札 願 弘 一 息 − − 肱 一 難 思 往 色 、 い 一 川 町 一 一 也 勺 難 思 議 往ι
一 果 遂 之 誓 ル 畠 へ ② 良 有 一 一 由 一 哉 ﹂と こ ろ で 、 こ の 表 現 は 、 いかにも、親驚自身が自らの救いの歴程を時間的、もしくは年次的に記録あるいは、回顧 せられている如くである。従って、古来、先学の聞においてはそれを親驚の生涯に配当し、その年次をめぐって、区 々まちまちに論ぜられて来た。 しかし、それを年次的に配当しても、その前後に矛盾を生じることは周知のとおりである。すなわち、ここでは、 ル ニ マ マ ヨ ト ニ テ 、 ノ ヲ − 4 5 3 ﹁ 然 今 特 出 ニ 方 便 真 門 − 転 一 一 入 選 択 願 海 一 ﹂ つは筆者︶ ; 、 、 、 ? 〆 、 、 巴 旬 、 U 建 仁 ま 辛とた 酉
4
後 暦L序
古キで ず2
は 雑 行ヲ 分テ 帰ス 本 願エ ー @ Lー と L、
「 う さ ぬ と き こ と ろ 申 が と こ 恵 ろ 信 に 尼 て ⑤ 文 」 書 は のほかにはなにごとのふそくにて、 ﹁すざうりやくのためにとて﹂三部経の千部読請をおもいたち、それを﹁みやうがう かならずきゃうをよまんとする何﹂ ︵ 一 部 取 意 ﹀ とあり、自ら自力に堕していることを内省しておられる。 しかるに、他の先学は、この矛盾を説明するために、上掲の引文の﹁今﹂や﹁久﹂に着目し、 さまざまな論義を重 ね て 来 た 。 もとより、これらの諸説は いずれも、親驚の救い つまり従仮入真を歴史的、時間的なプロセスとして、見ると ころに自ずと限界があり、上述の矛盾を突破することができない。 つ ま り 、 一 一 一 願 に よ る 要 ・ 真 ・ 弘 の 三 門 を 各 々 、 時 間的プロセスにおける段階的なものとして見るところに問題があるのであり、そうでないが故に、矛盾が生ずるので ある。されば、それはいかに領解せられるであろうか今、特にその中核をなすところの真門における﹁行﹂と﹁信﹂ の意義を考えることにおいて、その課題に答えてみたい。 真 門 に お け る ﹁ 行 ﹂ ・ ﹁ 信 ﹂ の 意 義 一 五真 門 に お け る ﹁ 行 ﹂ ・ ﹁ 信 ﹂ の 意 義 一 六 さ て 、 ﹁化巻﹂には第十九願とともに ﹁ 阿 弥 陀 経 之 意 也 至 心 回 向 之 員 不 定 索 機 ⑦ 層 難 思 往 生 ﹂ と第二十願が標挙され、本文中﹃大﹄﹃観﹄二経の詳細な真仮批判の後、真門の行信について、 テ ノ = リ リ p p ハ h y や ハ 品 ﹁ 今 就 ニ 方 便 真 門 誓 願 一 有 一 一 行 一 有 − 一 信 一 亦 有 一 一 真 実 一 有 ニ 方 便 一 願 者 即 植 諸 徳 本 之 願 是 也 、 行 者 此 有 ニ 二 種 二 者 善 本 二 者 ③ 徳本也信者即至心回向欲生之心是也﹂ と述べる。即ち、行は﹁善本・徳本﹂、信は﹁至心廻向欲生之心﹂と教示される。 ところで、この二十願の行と規定される善本・徳本とはいかなるものであろうか。願文に、 キ テ ガ ヲ ケ テ ヲ ガ 品 エ テ ノ ヲ シ ヲ Y ハ ν ν ソ ト ガ 品 宅 セ ラ ⑤ ﹁ 十 方 衆 生 、 聞 ニ 我 名 号 ﹁ 係 一 一 念 我 国 一 植 一 一 諸 徳 本 一 至 レ 心 廻 向 欲 レ 生 ニ 我 国 ﹁ 不 一 一 果 遂 一 者 不 レ 取 一 一 正 覚 ご とあることよりすれば、善本徳本とは﹁植諸徳本﹂の名号である。善本徳本を仏の名号とする他経の例は、支婁迦識 訳の﹃阿閑仏国経﹄にあることが慧琳あるいは深励によってすでに指摘せられてい加。誠に親驚の領解の確かさがう なづかれるのである。即ち﹃化巻﹄には ﹁善本者如来嘉名此嘉名者万善円備一切善法之本故日ニ善本一也、 満 衆 禍 皆 転 十 方 三 世 徳 号 之 本 故 日 一 一 徳 本 一 向 ﹂ ノ ナ リ ノ ハ ス ル 品 徳本者如来徳号此徳号者一声称念至徳成 と 釈 さ れ る 。 また、言うまでもなく﹃大経和讃﹄には﹁善本徳本﹂に左訓が施され、
⑫ ﹁いんゐをせんほんといふくわゐのをとくほんといふ﹂ と訓じられる。また﹃唯信紗文意﹄には ⑬ ﹁号は仏になりたまふてのちの御なをまふす、名はいまだ仏になりたまはぬときの御名をまふすなり。﹂ と釈される。このように親驚の領解は ﹁ 善 本 ﹂ と は 因 位 の 嘉 名 、 ﹁徳本﹂とは果位の徳号とされるもので、因果の 上に善本徳本は、名号として、領解され ﹁この仏の御なはよろづの如来の名号にすぐれたまへり、これすなわち誓願なるがゆへな
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。 ﹂ ︵ ﹃ 唯 信 紗 文 意 ﹄ ︶ と仰がれるのである。 しかるに、真門においては方便の機に対し、真実の法として、名号が強調せられ、 ﹁ 名 号 の 真 門 ﹂ ︵ ﹃ 大 経 和 讃 ﹄ ︶ と い わ れ る の で あ る 。 ところで、この善本徳本が真実の名号であるならば、それは﹁行巻﹂に説かれる第十七願成就の﹁称我名者﹂の名 τ主 -7 と 「 同 斯ノじ 行,、で 即 な 是 け 摂νれ
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こ 親驚は﹁行巻﹂に と述べ、十七願の行が同じく、善本徳本を摂具することを教示しておられる。すなわち、第二十願所説の善本徳本の ⑮ 名号は、第十七願所説の大行の中に摂具され、ともに﹁あんらくしゃうとにいたるまことのおしへ﹂なのである。 故 第二十願は ト ⑫ ﹁教者頓而根者漸機行者専市心者間雑故日=雑心こ といわれるのである。誠に﹁名号の真門﹂においては、行は真実であるといえども、信は疑蓋間雑の雑心である。 今、これを﹁化巻﹂に述べられる﹃小経﹄准知隠顕の釈から確かめてみると、 真 門 に お け る ﹁ 行 ﹂ ・ ﹁ 信 ﹂ の 意 義 七真 門 に お け る ﹁ 行 ﹂ ・ ﹁ 信 ﹂ の 意 義 /¥ コ 一 一 一 口 一 一 顕 一 者 経 家 嫌 一 一 足 一 切 諸 行 少 善 一 間 一 一 示 善 本 徳 本 真 門 一 励 ニ 自 利 一 心 一 勧 一 一 難 思 往 生 一 実 難 信 之 法 一 斯 乃 光 一 一 闇 不 可 思 議 願 海 一 欲 目 令 三 帰 ニ 無 辱 大 信 心 海 サ ﹂ ︵ 中 略 ︶ 一 言 ニ 彰 一 者 彰 一 一 真 と説かれる。上に確かめた如く、 ﹁ 真 実 難 信 之 法 ﹂ で あ り 、 の立場に﹁白利一心﹂を説くところである。それ故本来﹁堅牢﹂ ﹁顕﹂における﹁善本徳本﹂とは、仏のみ名である。従ってそれは﹁彰﹂における ﹁ 不 可 思 議 願 海 ﹂ に 内 具 す る も の で あ る 。 ﹁ 不 移 転 ﹂ し か し 、 機 に つ い て み れ ば 、 ﹃ 小 経 ﹄ は 、 ﹁ 顕 ﹂ ⑮ ﹁元一ごの真実信心を意味 ﹁ 不 散 不 失 ﹂ す る ﹁ 執 持 名 号 ﹂ ﹁一心不乱﹂の経文も、定散自力の心を顕わす言となるのである。本来、弘願真実を説き彰す﹃小 経 ﹄ を 、 か く の 如 く 領 解 す る の も 、 不 真 実 の 機 た る が 故 で あ る 。 思うに、我々は真実の法を仰ぎつつも、その真実に帰し難く、疑蓋間雑し、自利の一心を励まんとするのである。 正 し 「 く 以テ 助 正 間 雑ノ 心ヲ 称 念ス
名
号ヲ ー @ といわれる立場である。﹁化巻﹂には ﹁ ん 大 小 聖 人 一 切 善 人 比 二 本 風 嘉 号 一 為 ニ 日 カ 善 札 一 故 T何 回 也 三 生 一 信 一 不 三 ア け 一 一 仏 知 町 一 T h 五 位 回 了 三 知 ル7
建 ニ 立 ル ト 彼 因 一 札 キ ヨ ト ニ @ 元 三 入 ニ 報 土 一 也 ﹂ と述べられる。真門においては名号は真実であるがその真実の名号を己れの善根として、我がはからいのもとに信ず さ と る。即ち、名号の善本徳本たるところにのみとらわれ、仏智を了らぬのである。換言すれば、自己の功利と打算にと らわれ、仏の本願を本願として仰がないが故にまことの信が生起しないのである。 つまり、名号に顕れた本願を信ず るのではなく、善本徳本で示される因果の徳、即ち功能を得る方法のみを信ずるのである。故にこの信はいうまでも なく雑心であり、真実の信ではない。存覚師がすでに﹃六要紗﹄で﹁ 比 包 是 指 ニ 小 野 孔 顕 乱 者 只 乱 ニ 善 本 徳 本 功 払 一 不 レ 措 − 一 山 一 於 利 他 願 力 一 励 − 一 自 力 、 仏 ﹁ 約 一 一 比 分 斉 吋 ﹂ と教示するごとくである。ざれば、名号は、善本徳本をその所具として、広大智慧の名号といわれるが、我々は功徳 を求めず、仏智に目を向けて、名号の願力に全託すればこそ弘願の行者となるのである。名号は確かに因果の徳を備 、 . ズー
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﹁ 万 徳 の 所 帰 ﹂ で あ る 。 しかし、その徳は愚んで自ら利するものではない。仏智を了って初めて本願により、利 せ ら れ る も の で あ る 。 然るに、我々は、名号の勝れていることを聞けば聞くほど、あるいは名号の徳多きことを聞けば聞くほどその勝徳 を求め、その勝徳を得るために、遍数を重ね、そして、その遍数を信じざるを得ない。 かくて、名号の功徳に対する功利と打算におぼれる我々は、如来に照らされつつも、自らその仏智を覆い、その名 号の勝徳を聞けば聞くほど、自力の執心にとらわれ、選択の本願に帰すどころか、その功徳を恵み、あるいはその遍 数のみを数えるのである。従って、現実にはただちに弘願に帰すことができない。誠に定散の機たるが故である。我 々は自らの救いを可称、可説、可思議の幻想の中に描く。そして、念仏の嘉名を以って、自力念仏行として自己の上 に 実 現 せ ん と し 、 また、自らの力において、信心を立てんとする。正しく我々は、名号︵行︶について立信するので はなく、功能について立信し、あるいは遍数について立信するのである。そこには、根源的ともいうべきただ執劫な る自力の執心があるのみである。 しかも、それがいかに執劫であるかは、親驚における寛喜の内省によっても明らかである。 かくの如き﹁自利一心﹂の我々がいかに劣機であろうとも、真実の法即ち名号を称え廻向願生す @ るのであれば、その往生を﹁ついにはたしとげむ﹂と領解せられるのである。 し か し 、 宗 祖 は 、 然るに、それは次の如く讃ぜられる。 真 門 に お け る ﹁ 行 ﹂ ・ ﹁ 信 ﹂ の 意 義 九真 門 に お け る ﹁ 行 ﹂ ・ ﹁ 信 ﹂ の 意 義 二
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﹁ 至 心 廻 向 欲 生 と 十方衆生を方便し @ 名号の真門ひらきてぞ不果遂者と願じける﹂ ﹁果遂の願によりてこそ 釈迦は善本徳本を 弥陀経にあらわして @ 一 乗 の 機 を す L め け る ﹂ む ろ ん 、 こ の こ と は 、 ﹁定散自力の称名は果遂のちかひに帰してこそ ﹁ 似 一 μ h u 払ニ無島中大信心札一﹂という﹃小経﹄そのものの核心を見定めた経典理解に基くもので をしえざれども自然に @ 真如の門に転入する﹂ あることは言を待たない。 されば、この本能的ともいうべきぬぐいさることができない極めて執劫な自力の執心が強ければ強いほど、逆に第 二十願果遂の誓に顕れた仏の大悲心がいっそう深く仰がれてくるのである。 すなわち、自力の執心との対決は、それが真剣であればあるほど、逆に、人をして自力の不成就に導き、その能力 の 限 界 、 つまり、自力無功を信知せしめ、自己の疑蓋間雑する現実をありのままに知らせるよりほかにないのである。 人は、ここから自力廻向心をひるがえして、弘願他力の純一信心の世界に転入せざるを得ないのであって、そこに、 自らを真実に帰せしめた如来の大悲心がいっそう深く仰がれてくるのである。 テ ユ シ テ ィ マ ス @ ﹁既而有ニ悲願こと言われたゆえんがここにあるのである。 ﹁ 化 巻 ﹂ に お い て 、 この第二十願を さ ら に 、 三願転入の結釈の文を見るならば ル 白 へ 2 、 品 シ タ テ エ グ ν リ ヲ @ ﹁ 果 遂 之 誓 良 有 − 一 由 − 哉 愛 久 入 ニ 願 海 一 深 知 ニ 仏 恩 こ の文を以って、願海転入と大悲感得の喜びを示している。 存 「 覚 果 師 遂 ト は 等 者 如, 此ノ 展 転ν テ 従p レ 仮 入ル レ 真品 それを釈して ヂ 、 ノ ヲ レ ノ 孟 ノ ノ ズ ル @ 出 一 一 一 方 便 門 一 入 ニ 真 実 門 一 即 果 遂 願 之 所 レ 成 也 ﹂ という。真門行信の意義は ﹁ 仮 ﹂ の 我 々 を し て 、 ﹁ 仮 ﹂ に 気 づ か し め ﹁教えざれども自然に﹂弘願真実に展転して入らしめることにあるのである。真門行信とは、真実の法に照らされつつも、自らの抜き難き定散心、 つ ま り 功 利 と打算から抜けきれない我々、 1 1 即ち、本願の嘉号を以って己が善根と為す故に信を生ずること能はざる我々|| をして、そのまま、所修の行、即ち弘願真実に帰せしめ、逆にそのことによって、信心を純化せしめるという﹁信﹂ の 批 判 を 意 図 す る の で あ る 。 つ ま り 、 真 門 と は 、 ﹁行﹂と﹁信﹂が不一致であるということを出発点として、逆に ﹁ 信 ﹂ を 純 化 し ﹁ 行 ﹂ ﹁ 信 ﹂ 一致せしめんとする中で、如来の大悲心に気づかしめる世界である。即ち、それは﹁行﹂ が真実として仰がれる故に我々の雑心は批判され、本質的にそれが真実へと転成せしめられるのである。 そ れ 故 、 ﹁をしえざれども自然に真如の門に転入﹂せしめられるのである。 @ ざれば、すでに先学が示す如く、二十願果遂のちかいと十八願若不生者のちかひは、基本的には、方便と真実であ るが、共に念仏往生ということを一つの軸として、両願の極めて近い相応が成り立ち、むしろ、果遂のちかひこそ、 より定散心の間雑する我々の現実に即した、 より具体的な悲顕であるとさえいえよう。 と こ ろ で 、 親 驚 は 、 ﹁ 化 巻 ﹂ に お い て 真 門 を 結 釈 す る に あ た り 、 ﹃往生礼讃﹄の文を引く。即ち、善導は﹁礼讃﹄ 雑 「 修 又 十 不 ル 三
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報セを 彼ノ述 仏 ベ 恩ヲそ :;:,,,し はγ て Y ヲ@ 心 生 一 一 軽 慢 こ と い う 。 そ れ を 親 驚 は 取 意 し て 、 ﹁ 瓦 払 専 伝 一 郎 雑 心 ル ー ハ 一 仇 三 粧 品 ニ 大 慶 喜 、 い 一 札 宗 風 一 L h 純 一 − 一 念 一 一 払 ル コ ト 彼 仏 関 酌 一 雄 一 弘 一 業 私 一 、 仏ι
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一 一 名 利 一 相 応 ル ス ル 方 ノ ヲ ユ ト @ 故 人 我 自 覆 不 三 親 − 一 近 同 行 善 知 識 一 故 楽 近 一 一 雑 縁 一 白 ニ 郭 郭 z 他 往 生 正 行 一 故 主 ﹂ 真 門 に お け る ﹁ 行 ﹂ ・ ﹁ 信 ﹂ の 意 義真 門 に お け る ﹁ 行 ﹂ ・ ﹁ 信 ﹂ の 意 義 と述べる。ここに、善導の言を以って真門そのものの本質が示されているのである。それは ﹁助正ならべて修するをば すなわち雑修となづけたり 一心をえざるひとなれば 千 中 元 一 仏 と 恩 き 報 ら ず t工 る る こ -'-c -' -」 ろ な し L ﹁仏号むねと修すれども 現世をいのる行者おば これも雑修となづけてぞ と讃ぜられる。真門の信とは、 正しく我々の本能的ともいうべき極めて執劫な執心であり、離れざるものである。だ が、そこに果遂の警がある。 しかし、それ故、以って本願の正機となって救われるといえども、それは決して真実で はなく、あくまで方便である。 しかるに今、雑修となづけられ、千中無一ときらはれるのであり、また、大慶喜心を 得ずといい仏恩報ずる心なしといわれるのである。従ってそこには、強い仰止に通じた如来の大悲心が仰がれるので あ る 。 されば、この大悲心に照らされつつ、現実には、悲歎と漸塊によって、真如の門に転入せられていくのである。 そ れ 故 、 親驚は真門の本質ともいうべき四失に次いで、 ﹁ 悲 哉 垢 郭 凡 愚 白 ニ 従 元 際 一 巳 来 助 正 問 雑 定 散 心 雑 故 出 離 元 一 一 其 期 一 白 度 一 一 流 転 輪 回 一 超 一 一 過 徴 塵 劫 一 巨 三 帰 − 一 仏 マ エ シ シ ヤ ウ ザ ス タ シ ス @ 願 力 一 巨 三 入 ニ 大 信 海 一 良 可 ニ 傷 嵯 一 深 可 − 一 悲 歎 こ と、自ら深い悲歎述壊の言を記すのである。そこには、先の真門の本質に対して自己自身が照らし出され、現実の自 己が千中無一ときらわれる存在以外の何物でもないことが深い悲しみを以って告白されるのである。もとより、 、 ー の 一一の文が善導の疏文を紡梯させることはいうまでもない。 ﹁ 出 離 其 後 元 し ﹂ ﹁ 仏 願 力 に 帰 し 巨 く ﹂ ﹁ 大 信 海 に 入 り 巨 し ﹂ ﹁ 良 に 傷 墜 す ベ し ﹂ ﹁ 深 く 悲 歎 す ベ
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﹂とは自らの救われ巨い絶望的現実を自覚した厳しい痛傷のことばにほ かならないのである。 ところで、今ここで想起されるのは、善導の﹃般舟讃﹄のことばである。常ュ念 壊
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称 漸 名ν 塊ヲ常Z2
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イ ム @ 恩ヲ 一 ⑮ 即ち、常に漸慌の念を懐いて、常に称名を称え仏恩を謝せよとのことである。正しく、それは、 @ 称名念仏はげむべし﹂ ﹁ 信 心 の 人 に お と ら じ と 疑心自力の行者も 如来大悲の恩をしり のよりどころとなるものである。それは自我が否定され、絶望的現実にある悲しむべき痛むべき二十願の機に対し、 果遂のちかいから発せられた大悲の勧励である。 しかるに、それは、必ず真如の門に転入せしむという必然的意義を 有 す る も の で あ る 。 かくて、真門においては常に定散心間雑する自らを断塊し、常に仰いで如来の仏思を謝し、称名念仏に励むべきで あるという実践的意義が明らかにせられたのである。 さ て 、 次 に 、 上掲の﹁相続して彼の仏思を念報する﹂とはいかなることであろうか。特に﹁相続﹂ということばに 着 目 し て み た い 。 親驚が真門結釈段で﹁常に名利と相応する﹂といい﹁人我自ずから覆ほて﹂といい、 さらに﹁楽みて雑縁に近づき て﹂という如く、執劫に生ずる雑心に対しては、機慌の心もまた常に起こされるべきであり、称名念仏もまた常に称 えられるべきである。それ故に称名行が相続せられるのである。 しかるに、真門とは弘願に転入するための時間的、前段階的なプロセスではなく、我々に執劫な自力の執心が存す る 限 り いつでもどこでも生起するものである。 しかし、それは常に深い憤慌の思いを懐いて称名念仏することによ って、自然に真如の門に帰せられていくのである。 今、そのことを親驚の足跡に問うならば 真 門 に お け る ﹁ 行 ﹂ ・ ﹁ 信 ﹂ の 意 義真 門 に お け る ﹁ 行 ﹂ ・ ﹁ 信 ﹂ の 意 義 四 h v y イウノ ν 辛 ス テ ヲ テ ス ユ 硝 ﹁ 建 仁 辛 酉 暦 棄 一 発 行 一 分 帰 二 本 願 こ と示される如く、建仁元年に真実の法に値遇した、もちろん、それが一たびの廻心といわれるものであり、それ故に、 称名念仏即ち、真実の行に帰すことができたのである。
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かし、執劫なる自力の執心は絶えることなく、常に湧き起 こったであろう。しかるに、それが、寛喜の内省として告白されることとなったのである。同じく﹃歎異抄﹄でも、 唯円とともに @ ﹁念仏まふしさふらへども踊躍歓喜のこ L ろ お ろ そ か に さ ふ ら ふ ﹂ ︵ 九 ﹀ と自力執心の愚身を自覚されたのである。 つまり、親驚においては、雑行を棄てて、本願に帰したといえども、 や t工 り臨終の一念に至るまで常に、自力執心への憤恨の念と、弘願転入の歓喜の念とが相互に生じたことと思われる。そ れは否めないことである。それ故、ことさら果遂のちかひか︸以って良に由あるものとして仰いでおられるのである。 思うに、人は教頓機漸の真門から、如来の大悲心によって、弘願真実に転入するといえども、やはり、 また常に生 ずる執劫な自力の執心によって、疑蓋を雑え、そこから再び自力に堕すであろう。その時、人はただ厳しくわが身の 不真実を悲痛し、機恨の念を持って称名念仏するより外に道はない。その念仏こそ、真実なるが故に、再び自然に真 如の門に転入し、この上ない歓喜の心を得るのである。煩悩尽き難きが故に常にこれをくりかえし、常にまた弘願真 実に帰すことができる。そこに不退転としての立場があるのである。親驚の﹁称名念仏はげむべし﹂との歓励も、こ @ こにその意義があるのである。すでに存覚師が﹁不行市行﹂といわれる如く、信心の相続も機悦、慶喜、即ち間断、 持続あいまって、相続せられていくものである。 ざれば﹁をしえざれども自然に 真如の門に転入する﹂とは、逆に自らが自力の執心によって真門にあるという事 を反顕しているのであり、同時にそれをも摂めて捨てじという如来の大悲心を表現しているのである。きれば、人は真門から弘願に転入するといえども、時間的あるいは段階的に隔てて入るものではなく、常に雑から 純、仮から真、漸から頓という信心浄化の作用として、臨終の一念に至るまで限りなく続けるのである。なぜなら、 我々の雑心が臨終の一念に至るまで限りなく生じ、とどまることを知らないが故にである。臨終の一念まで自力執心 の悲歎がある以上、常に定散自力の心に根ざした根源的矛盾を苧みつつ、同時にその必然的意義から常に獲信の喜び を 感 得 す る の で あ る 。 かくて、我々は真実の行を仰ぐが故に常に憤恨の念を生じ、同時に、行が真実なる故に常に獲信の喜びを獲るので あ る 。 慨 憐 、 歓 喜 、 交 々 に 生 じ 来 っ て 、 ﹁ を し え ざ れ ど も 自 然 に ﹂ 信の純化が完うされるのである。 ここに真門の ﹁ 戸 汀 ﹂ ﹁ 信 ﹂ の 意 義 が う か が え る の で あ る 。
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以上、真門における﹁行﹂ ﹁信﹂の意義をたどり、井せて、それを、歴史的、段階的なプロセスとして論じること の 誤 謬 を 考 察 し て 来 た 。 ところで、宗祖は、﹁信巻﹂で真実信を顕す中で、 ﹁ 真 由 一 万 信 、 い 必 丸 一 一 名 予 名 示 ルZ
一 仇 三 百 戸 一 願 払 信 、 い サ 也 ﹂ と 述 べ ら れ る 。 ︵弘願︶真実の信心はそのまま名号を信楽する信である。故に真実信心は必ず名号を具す。 し か し 、 名号には必ずしも願力信心は具せられない。なぜなら、真実の名号を聞きつつも、自力の執心を以って立信するが故 であり、そこには、弘願真実の信心は立信されていない。ここに、我々は、因果成就の真実の名号に遇いつつも、自 己の功利と打算にとらわれ、真門に堕している自己を知らされるのである。我々は、この深い憤憐と、それに対する 真 門 に お け る ﹁ 行 ﹂ ・ ﹁ 信 ﹂ の 意 義 二 五真 門 に お け る ﹁ 行 ﹂ ・ ﹁ 信 ﹂ の 意 義 如来選択の願心を仰ぎ、必ず真如の門に転入せられ、間断、持続あいまって、真実行信を相続していくのである。 一 一 六 されば、真門とは獲信の過程における単なる時間的、段階的なプロセスではない。従って、決して、年次的に親驚 の生涯に配当できうるものでもない。それは、あくまで真実行を仰ぐことによって、疑蓋雑わる雑心を純化し真実に 転じていく苦闘そのものであり、従仮入真の原理となるものである。方便とは常に真実から出て、真実に導き、常に 真実に帰するものである。真門﹁行﹂ な ら な い 。 ﹁信﹂もまた常に真実から出て、真実に導き、常に真実に帰すものであらねば 以上、小論においては、特に真門﹁行﹂ ﹁信﹂に主眼をおいて考察して来たが、これに関連して、末だ数多の問題 ︵ 同 朋 学 園 仏 教 文 化 研 究 所 ︶ が残されている。本稿の不備とあわせて、別の機会に改めて考えてみたい。 ⑩ ⑨ ⑧ ⑦ ⑥ ⑤ ④ ③ ② ① 註 ﹃ 親 驚 聖 人 全 集 ﹄ ︵ 以 下 ﹃ 親 驚 全 ﹄ と 略 す ︶ 一
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三O
九 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 一l
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九 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 一 | 一 一 一O
九 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 一l
三 一 八 一 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 一 二 、 書 簡 篇 | 一 九 六 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 三 、 書 簡 篇 一 九 五 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 一i
二 六 八 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 一 二 九 二 一 。 ﹃ 真 宗 聖 教 全 書 ﹄ ︵ 以 下 ﹃ 聖 全 ﹄ と 略 す ︶ 一 | 一C
。 ﹃ 仏 説 無 量 寿 経 講 義 ﹄ で 、 深 励 が 慧 琳 の 所 説 と し て 紹 介 し て い る 。 ︵ ﹃ 仏 教 大 系 ﹄ 一 七 六 一 ︶ 。 ﹃ 親 鷲 全 ﹄ 一 | 二 九 五 。 ⑪ @ @ @ @ @ ⑬ ⑬ ⑤ ⑬ ⑬ ⑬ ⑬ ⑫ ﹃ 親 驚 全 ﹄ 二 和 讃 篇 | 四 一 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 一 一 一 和 文 篇 一 五 六 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 一 一 一 和 文 篇 | 一 五 六 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 一 l i 一 七 。 顕 智 本 ﹃ 浄 土 和 讃 ﹄ 第 十 四 首 左 訓 。 ﹃ 親 驚 全 一 ﹄ 二 九 五 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 一l
二 九 三 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 一 e o − − 二 九 コ 一 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 一l
二 九 五 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 一i
一 一 一O
九 。 ﹃聖全﹄二四CC
。 国 宝 本 ﹃ 浄 土 和 讃 ﹂ 第 十 五 首 左 訓 ﹃ 親 鷺 全 ﹂ 二 、 和 讃 篇 | 四O
。@ @ @ @ @ ③ ② @ @
﹃ 親 驚 全 ﹄ 二 、 和 讃 篇l
四 一 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 二 、 和 讃 篇l
四 一 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 一 ー ー 二 九 五 。 ﹃ 親 鷺 全 ﹄ 一l
一 一 一O
九 。 ﹃ 聖 全 ﹄ 一 一 1 l 四O
七 。 藤原幸章師﹁呆遂のちかい﹂︵﹃大谷学報﹄五九l
四 ﹀ 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 九 、 加 点 篇 同l
一 六 二 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 一 ー ー 三O
八 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 二 、 和 讃 篇 | 一 一0 0
真 門 に お け る ﹁ 行 ﹂ ・ ﹁ 信 ﹂ の 意 義@ ⑬ ⑨ ③ ⑧ ⑧ @ @
﹃ 親 驚 全 ﹄ 一 l l 三O
八 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 九 、 加 点 篇 白l
二 五 九 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 九 、 加 点 篇 り | 二 八 七 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 二 、 和 讃 篇l
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﹃ 親 驚 全 ﹄ 一 1 三 八 一 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 四 言 行 篇 口l
二 。 ﹃ 聖 全 ﹄ 二 | 二 八 二 。 ﹃ 親 驚 全 ﹄ 一l
一 一 一 一 一 一 。 二 七伝 教 大 師 最 澄 の 往 生 思 想 に つ い て /¥
伝教大師最澄の往生思想について
||龍山発願文を中心として||浅
5
田
だ
正3
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宗祖が二十年もの長きにわたって修行したと伝えられる比叡山・天台宗の祖師、伝教大師最澄︵七六七 J 八 一 一 一 一 ︶ に ① は、西方極楽世界願生の往生思想を有していなかったとする学説が今日まで一般的であった。それは、師の著作の上 いずれも断片的文献である為、あるいは後世の加筆とか、あ ② るいは偽作とか考えられて決定的資料とは成りえなかったからである。しかるに数年前、叡山学院の小寺文頴教授に に幾点かの往生思想と認められる資料がありながらも、 よって、最澄の真筆とされる﹃龍山発願文﹄なる一文献が実導仁空︵二ニO
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一 三 八 八 ︶ に よ っ て そ の 著 作 中 に 引 用 ③ されていることが紹介された。その願文中には最澄にとって明らかに往生思想を有していたことが明記されていたの である。もしこの﹃龍山発願文﹄なるものが最澄の真筆本に誤りなしとするならば、最澄における往生思想の確定的 資料となると云わねばならない。そこで小論においては、 ﹃龍山発願文﹄と内容的に類似する消息文を提示し、両者 の 相 違 点 を 論 じ る 中 に お い て 、 最澄の弥陀信仰と弥勤信仰との関係を追究し、 往 生 思 想 の 意 義 に ま で 及 び 、 も っ て﹃発願文﹄の真偽に追ってゆきたいと考える。記して御叱正を乞う。 最初に小寺教授の学説を紹介することからはじめなければならない。これは教授がいたって地道な、そして周到な @ 研績を続けられた成果と云えるであろう。その内容は、仁空に﹃党網経義記聞書﹄なる十三巻の著述があるが、その 精読を通して、本文中に数カ所にわたって最澄の﹃龍山発願文﹄の供文が引用されていることを発見されたのである。 永徳元年︵一三八一︶より五年間にわたって開講された議録であ ﹃ 党 網 経 聞 書 ﹄ tま ﹃ 永 徳 記 ﹄ と も 略 称 さ れ る 如 く 、 る。時に仁空七十三歳から七十七歳に至る高齢であったという。ここに引文された﹃龍山発願文﹄の断片を総合する と、最澄教学研究上、極めて重要な学術的意義をもっていることが判明したとしている。中でも次の四点が中心とな る 。 ①最澄に十二年龍山の事実があったと見られること。 ②弘仁九年暮春に小乗戒棄捨の宣言を行なうが、その前年の十二月一日にすでに小戒棄捨の決意がなされていたと見 ら れ る こ と 。 ③二百五十戒に代わる円戒の内容が四安楽行と三種深戒とであったと見られること。 ④最澄に西方願生の往生思想があったと見られること。 さらに教授は以上の四点が﹁史実と著じるしく矛盾するところはなく﹂ ﹁叡山大師伝の記事と一脈通じている﹂こ と を 論 証 し た 後 、 従来全く知られていなかったことが記されており、もし真撰と認めるならば、その学的資料価値は高い 伝 教 大 師 最 澄 の 往 生 思 想 に つ い て 二 九
伝 教 大 師 最 澄 の 往 生 思 想 に つ い て
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と 結 ん で お ら れ る 。 しかし積極的な真撰論証がなされていないのが残念である。 そこで小寺教授とは呉った立場から﹃龍山発願文﹄の再検討を試みることにする。 まず仁空以外にこの発願文を引用している資料を処々調査してみたが残念ながら発見するに至らなかった。今後の 研究に待たねばならない。他方、 ﹁、水徳記﹄以外における仁空の著述書の中に﹃発願文﹄が引用されているかどうか の調査においては、叢書に収められている外の二著に﹃永徳記﹄と同内容の文を検出することができた。 最初に﹃新学菩薩行要抄﹄である。 至 ニ 弘 仁 八 年 一 著 一 一 願 文 一 云 。 自今以後永拾三一百五十小乗戒 仰 ニ 望 四 安 楽 行 三 種 深 戒 二 云 一 去 ︵ 大 正 七 回 ・ 七 八 五 C 、 、J とあって、弘仁八年に願文を製したこと、小戒を棄捨し四安楽行・三種深戒を仰ぐこと、等々が記されている。 第二の資料は ﹃ 観 経 四 帖 疏 弘 深 抄 ﹄ で あ る 。 伝教大師:::サレバ顕密御化導大略事終弘仁八年任一一年来之御本意一始ニ十二年之龍山一給時御発願文、 0 セ ン ト ペ ヘ リ 白 未 レ 定 ニ 六 道 一 為 ニ 往 生 因 一 帰 レ 山 念 仏 述 玉 。 御 筆 正 文 章 有 レ 之 敗 。 生 年 半 ︵ 西 山 全 書 別 巻 一 ・ 三 六 九 ︶ とあって発願文の内容は﹃永徳記﹄と全く異ならないが、最澄にとって十二年龍山は﹁年来の御本意﹂であったこと、 そして弘仁八年までに化導︵教化︶がほぼ終ったこと、 などが記されているところにこの引文の特色があろう。 し 台、 も﹁御筆の正文章これ有りか﹂として真筆本の存在をにおわせている。このことに関して寸永徳記﹂には 御 自 筆 正 本 親 所 レ 及 − 一 拝 見 一 也 。 ︵ 天 台 宗 全 書 一 五 ・ 五 四 七 ︶とあって仁空自身、親しく真筆本を拝見している文章のある点が注目される。 以上の如く、仁空は処々で﹃龍山発願文﹄を引用しており、また実際に最澄の真筆本を閲覧したと語っている。仁 空のこれ程まで明確な記述を信用するならば、 なぜ﹃龍山発願文﹂なるものが最澄の伝記に現われてこないのであろ うか。否、最澄にとっての十二年龍山そのものがどうして正史に記されていないのであろうかという素朴な疑問が提 出されてくる。今仮りに実導仁空に信を置いて考えるならば次の推測が可能となりはしないだろうか。 弘仁八年十二月一日をもって龍山に入ったと仮定すると、最澄の示寂した弘仁十三年六月四日は寵山六年目に当る。 彼は﹃山家学生向﹄において一期十二年龍山を規定している。しからば最澄は龍山の中半で挫折したことになるので ある。自らの規定を守ることなく志の中半で逝ったことを師の弟子達は記録に留めようとするであろうか。師の龍山 の事実を葬ろうと考えるのは師を尊奉するあまりの当然の仕業であったかも知れない。 しかしながら師の真筆本であ る﹃龍山発願文﹄を焼却することはさすがに出来ず経蔵深く秘蔵したのであろう。それを五百数十年余の後に出た仁 空によって発見されたという推察がなせる。もしこの推測が正しいとするならば、最澄の著述書や消息文中にわずか ながらもその一端が見出せるであろうとの確信をもって、慎重に研究を進めていく必要がある。以下如上の推論を実 証 し て い こ う 。 まず最澄の上に龍山そのものを本願と呼んだ例の有無から検討を進めていかねばならない。 ﹁龍山発願文﹄と称す るからには、最澄自身において十二年龍山を﹁願﹂もしくは﹁本願﹂、 あるいはこれと同内容の用語で龍山を説明し ている部分が当然認められなければならないからである。 最初に﹁本願﹂の使用例を掲げて内容の検討を進めていくと ①弘仁七年五月一日付の泰範宛消息文中に次の如き例が認められる。 伝 教 大 師 最 澄 の 往 生 思 想 に つ い て
伝 教 大 師 最 澄 の 往 生 思 想 に つ い て 又 、 高 雄 濯 頂 同 レ 志 求 レ 道 倶 期 ニ 仏 恵 ﹃ 何 図 閣 梨 永 背 一 一 本 願 一 久 住 − 一 別 所 引 ︵ 伝 全 五 ・ 四 六 九 ︶ 泰範が本願、に背いて別所︵高野山︶に住しているというのである。前後の文脈から推するにこの本願とは比叡山に住 することを意味していることになる。同内容の使用例が次にも見当る。 ②四月廿一日付の消息文には 伏 乞 。 照 ニ 察 本 願 一 蓮 留 一 一 此 院 一 早 帰 − 一 幣 室 − 倶 期 一 一 仏 恵 ↓ ︵ 伝 全 五 ・ 四 七