駒 澤 短 期 大 學佛教 論集第
7
號2001
年10
月 (1
)貧
女
の
一灯 物
語
「小
善
成 仏
」の
背
景 (
2
)
袴
谷
憲
昭
「ル カ伝 」の 引 用 を もっ て解 題 を一 応は閉じ たつ も りに なっ た以上、 そ ろ そ ろ翻 訳に
着手 しなけ
れ ばな らな
い と思 う
が、若干気
づ い た こ とが でて きたの で、着
手す
る前
に それ らの件につ き簡
単に触 れて お くこ とに したい 。先
に 、私は 、真の 「福 田 」た るこ とを讃美
する諸
種の 文献
に共通す
る同
一頌 につ い て 、 その 知 りえたサン ス ク リッ ト文 を『根 本 説一切有部律
』のSahghabhedavczstu
(破僧 事)に よっ て示 した が 、 こ の事
実その もの は 既 に榎 本 文 雄 氏によっ て報告 さ れ てい る1)の で、 こ こ に 、 その報
告 を見 落 し た不明 をお 詫 び し、 これ を知 っ た こ と に よ る補
足 をい さ さか加
えてお く 。榎本
氏の関
心 は、 これ ら共通の 頌 を比較 す るこ とに よっ て、 『 別 訳雑
阿含
』 が根本
説一切有
部に極
め て近い 部 派に属
してい たこ と を証 する一助 とす る こ と にある の で ある が 、 私の 目下の 関 心か らすれ ば 、同 じ 『根 本有
部律』 の 間で も、 “ijyatAm
varab (供 犠 され る もの た ちの 中の 最 勝 な り)” とす
るサン ス ク リッ ト本
に対
してチベ ッ ト訳が “smra
ba
’i
mchog (’vadatarp varaり
、語 るもの たちの 中の最勝 な り)” とする違い 2)の方に注 意が向か ざ るを え ず、 こ の 点 か ら、注 意 を、榎 本 氏に よっ て指 摘 さ れた 『五分
律
』 の その 箇所に留め れ ば 、厂福
田為 最
3)」 となっ てい るこ と に強い興 味を覚
える。 個 人的
に い えば、 私 は、 こ の箇 所 をvadat (語 るもの )と読 もう
と したチベ ッ ト訳 をこ そ ヒ ン ドゥー的な通f
谷性に 諍っ た仏教 的な解
釈 と して採用 し たい ところ なの で あ るが 、他の文献
はその読
み を全 く支 持 しない の で、 vadat とするのは無 理でijyat
(供犠 され る もの )とあっ た とす る方が 自然だ とす れ ば、あた か も、バ ラモ ン に対す
る報
酬で あるdak
§i
ロa
に因
ん だdak
§i
ロiya
が 「福
田」 と漢
訳 さ れ た 4) の と同
じよう
に、 『 五分律
』 にお い て は、 こ のijyat
な る語が 「福
田」と訳 さ れ たこ とに な る が、 そ れは おか しい ど ころか全 く 適 切でさ えあ
るか らであ
る。か く して、
我
々 は、pupya
−k
§etra だ けが 「福
田」 と漢
訳 さ れた の で は な くdak
§iPiya
もijyat
も
「福
田」 と漢
訳 さ れて い たこ とを知 りえたわけであるが、か か(
2
)貧 女の 一灯 物 語 (袴谷) る 「
福
田」 に相 応 しい 人 に対
して向
け られ る一種バ ター ン化 さ れた四連 語 を私 は 「崇敬の四連 語 」 と呼ぷ こ とに して、 その連 語の 『法 華 経』 や 『無 量 寿 経』 に おけ る用例 を中
心 とした考 察の 一端は既に公に したこ とがある5)。 私 は、 この 「崇 敬 の 四連語
」 が、伝
統的
仏教教 団内
に完全
に定着 す
るよう
に なっ た 「 作善 主義
」の (ロ)と して の 「福
田」に直結
して用い ら れ るべ く儀 式 と して成立 した時に 、所 謂 大 乗 仏 教 が伝統 的仏 教 教 団 内に確
立 された と見做 して もよい と思っ てい るの であるが 、 そ れに先
立 っ て、 い か なる人が真
の 「福
田」た りう
る か という
こ と につ い て は、伝 統
的仏教 教 団 内で もい ろい ろ議
論が あっ た よう
で ある。 その 種の問
題がサ ー リプ ッ タ (Sariputta
、舎 利弗) とマ ハ ー モ ッ ガ ラーナ (Mahamoggallana
、 大 目健 連) と の 間で論 じ られ てい る興 味 深 い パ ー リ経典
を 、 我々 はAnahgana
−sutta (『無 垢経 』) と して知 っ て い る。 そのう
ちか ら、前者
が後者
に語 りか けてい る 一節6} を、 片 山 一 良 氏の 訳 によっ て示せ ば、次の とお りで ある。 友 よ、 ちょ うどその ように 、い ずれの 比丘 であ れ 、か れに は これ ら悪 し き不 善 の欲 求 領 域 (
papaka
akusalaicch
含vacara)
が断た れ てい る、 と見 ら れ、 聞か れ るな
らば、 た とえか れ が 村 辺 に住 む 者 (
gamanta
−viharin )
、 招 待 食 を 受 け る 者
(nemanta ロ
ika
)、 居士 衣者 (gahapati
・civara −dhara
)に なっ て も、 その 場 合 、 同 梵行 者 (sabrahmacarin )た ちはか れ を尊敬 した り(sakkaronti )、尊重 し た り(
garukar
− onti )、 崇 拝し た り(
manenti)
、 供養した り (pUjenti
)し ます。 そ れ は なぜ か。 その尊者に は そ れ ら悪 し き不善の 欲 求領域が断た れ てい る、 と見 ら れ、聞か れ る か らで す。
こ の引用か ら
も
分る よう
に、 「崇敬
の 四連 語」 で対処 され るに値 す る 「福
田」 で あ るた めの 要件
とは、 なにを置い て もまず
「悪 しき不善の 欲 求 領 域 」を断 っ てい る こ となの である。 しか も、 こ の 「悪 し き不善
の 欲 求領
域」 こ そ、本
経典
の 否定対象
で ある 「 垢 (ahga ロa)」 に ほ か な らず、 その 「垢」 は ま た 「怒
り (kopa
)」 であ り 「不 満 (appaccaya)
」である とも本
経典
で は 言われてい る 7) 。 しか るに、 これ を極
め て卑
近 な教 団 運 営の実 際的 レ ヴェ ル か らい え ば、 「福
田」の集
りた るべ き教 団に「怒 り」や 「不 満」が渦 巻 くよ うなこ とが あっ て は な ら ない わけで ある か ら、最
も私 憤 の 搦みやす
い食
住に関
して教 団 内の 比丘 の 手 配 を しなけれ ば な らない 役 職の 人の 苦 労は、 任務が重か っ たゆえに、 大変
な もの だっ たよう
で ある。 か か る任 務 を帯
びた 「管理 人」 の 比 丘 (vaiyavPtyakaro
bhik
$uh )で、教 団
の 比較的初期
か らあっ たと
考
え られ る役 職 が 、「寝
臥具
手 配人 (senasana −pafifiapaka
)」 や 「食 事
分 配人貧女の 一灯 物語 (袴 谷)
(
3
)(
bhattuddesaka
)」 であ
るが 、 その両役
職 を一 手に 引
受
けた名管
理 人としてダッ バ
=マ
ッ ププ ッ タ (
Dabba
・Mallaputta
,Dravya
−Mallaputra
、実 力子)が知 られてい る8)
。
その名 管 理 人が嫉み を買っ て事 実 無根 (amUla )の 罪に
着
せ ら れ た こと を記録 したもの が、 い
ず
れの 広律
に も認 め られ る「
僧 残 (samghadisesa , samghava §e§a)法」
第
8
条
の 「無
根 謗学
処」 で ある9)。一
方
、教 団
の食
住の管
理 を規定
した教 団規 則
が パ ー り律
のSenzasanafekhandha
や 『根本有部律
』 のStyanaSanavastu
な どで ある が 、 その 両律
を含む全て の 広 律に おい て 、教 団運 営 を円 滑に な ら しめ るため に採 用 され た とされ る方 法が 、有 名
な 「年功 序 列 (yatha
・vuddham ,yatha
・vrddham )」に ほ かな らない 1°) 。 しかも
、 こ の方
法
を採 用 させ る た め に持
ち出
され るの が、 これ また有名
なパ ー リの7
翔 勿ゴ
σ如 肋 (「鷓鴣本生」)と共 通の物
語 なの であ
る。 こ の物 語は 、まずパ ー リの ジ ャー タカ11)を 中心に紹 介 すれば 、昔 ヒマ ラヤ 山の 中腹の 大きなニ グロ ー ダ (nigrodha )樹の 側で 仲良
く暮
してい たシ ャ コ(
tittira
)と猿 (
makkata)
と象
(hatthin
)
との 三匹 の動物が、 あ る 日、 だ れが
年
長者
(mahallaka )である か を決め よう
として、 その ニ グ ロ ー ダ樹 をだれが最 も古 くか ら知 っ て い た か の 順 に従
っ て 「年 功 序 列」 をシャ コ ー猿一象
の 順に決
め 、 後者
が前者
に対
し て順次 に 「崇
敬の 四連語
」の礼
を取
っ た と い うも
の である。 こ の物語
は、 いず
れの広律
にお い て もその綱格
を等
し くして い る の である が、 『根 本 有 部律
』に な る と他 と明 確に異る特 徴 を示 すに 至 る。 『根 本有部
律
』 の それ12 )は、 樹はnigrodha か らvata (vrkSa )に変わ り、 シャ コ も同種 では ありなが ら
tittira
か ちkapifijala
に変わ り、更に動物 も兔
(§a§a )が増えて四 匹 となる 。 しか し、 こ の物語
を踏 まえた その 趣旨
が、 厂 比丘 たち よ、 諸氏
に よ りて年功
を積 ん だ もの が 尊 敬 さ れ 尊重 さ れ崇 拝 さ れ 供 養 され るべ きで ある (vrddhatarakoyu
寧mfibhirbhik
$avab satkartavyogurukartavyo
manayitavyahpUjayitavyah
)」とい
う点
にあるこ とは他律
とも変
わ らない の であ
る。 ただ し、 シャ コ 、猿
、象
の三匹の 動 物が、 順次 に、 現在の
Buddha
、 サ ー リプッ タ、モ ッ ガ ラー ナに配 当さ れてい たの に対 し、一 匹増 えた 『根 本 有 部 律
』 の そ れ で は 、
kap
輔 ala 、兔、猿、象
の四匹は 、順 次に、
Buddha
、§
ariputra
、Maudgalyayana
、
Ananda
に 配 当さ れ..
「崇 敬の 四
連語
」 が向
けられ る対 象
も、 王族
出身
の 出家者 (
k
§atriyabpravraj
itah
)や vinaya ・
dhara
、dharmakathika
な どの列挙
は他 と似た よう
な状 況に あ りながら、
ara
ロyaka
、pamsukulika
、pipdapatika
など頭陀行 者の 列挙
が新た に 多 く加え られる傾 向にあるこ とが注 目 され る。 しか るに、
先
に指摘
した他律
と異
る特 徴
や(
4
) 貧女の 一灯 物 語 (袴谷) 今指摘
した新
た に加
え られ たよう
な傾 向
は、 こ れ を私は 、最
も新
しい 『根本有部律
』 が時代
の進展
を反映
した結果
にほ かな らず、 当然 そ こに は大 乗 仏教
の展 開
の 跡 も 明瞭
に辿 られ るはず
だ と考 えて い るの である13) 。 その 意 味で、こ の物語
が また 『大
智度
論』中
で も言 及 さ れて い るこ とに留 意さ れ なけれ ば ならない 。 その事
実その も の は既にLamotte
教授
に よっ て詳 細 な諸 資 料の 提 示 と共に指 摘 されて お り 14) 、 私 ご ときが付 け加 えるよう
なこ とは な にも
ない が 、 『大
智度
論』 で言 及 され る その 物 語は、 必ず
し も詳
し くは な くしかも動物
は 三 匹 なの で 一見
す れば 『根 本有
部律
』よ りも他律
に近い感
じを与
える が、最
も重要
な他 律
の シャ コ に相 当す
るも
のが 『大
智度論
』 で は 『根 本有 部律
』 と同 じkapifijala
(迦頻 闍羅)であ り、 しか も、 それが 「法身菩薩
」 と されて 「福
田」 思 想の 下 に 「供養
恭 敬 施」 との 関連で述べ られ て い るこ とを知れ ば、 『大 智 度論 』 の示唆す
る その物
語は、 『根 本有
部律
』の そ れに最 も 近い よう
に少 な くとも私 に は考 え られるの であ
る。 そし
て 、 私 な らず
とも
、 『大 智
度
論』の 当該 箇 所 との 比較 を通 して 『根本有部律
』の そ れを読
む なら ば、後者
に は、 前 者で 述べ られ てい る よう
な 「福田」 を中心 と した 「作 善 主 義 」 が完全に 滲透 して い た様
が読み取れ るの で は ない か とも
思う
。 しか も、 私が、 以下 に、 「貧
女の 一灯 物 語」 を 「小善成
仏」 の 一環 と して 『根本有部律薬事
』 よ り訳出 し
て 示す
のも
、 か か る様
子 をで きる だけ容 易に読み 取っ て頂き たい と願 う
か ら に ほ か な ら ない の で ある。 なお、 パ ー リ律
のSenaSandekhandha
の 以 上に触
れ た物 語に関係 す
る箇所
の 直 前に も、 見 よう
に よっ て は 、 「小 善成 仏 」 の 萌芽 の ご と き もの を認 めう
る 15)こ とも
、 蛇 足 なが ら書
き加
えてお きたい 。 翻 訳さて、 世
尊
は、 コ ーサ ラ(
Kosala
)地方
(janapada
)を巡 回 なさ りなが ら(carik 聊 caran )、 シュ ラー ヴ
ァ ス テ ィー (
§
ravasti ) 〔の 都 城〕に到 着 なさ り、 シュ ラー ヴァス ティーの ジ ェ ー タ林 (
Jetavana
)
にある アナー タピン ダ ダ (Anathapi
如
ada )の園
林
(arama
)に滞 在 して い らっ しゃ っ た。〔
そ こ で、〕
アナ ー タピ ン ダ ダ居
士 (grhapati
)は 、世 尊が コ ーサラ地 方 を巡 回 なさ りなが らシュ ラー ヴァ ス ティー 〔の 都 城 〕に到着
な さ りシュ ラー ヴ ァ ス テ ィーの ジェ ー タ林の ほ かなら ぬ 自分の 園林 に滞 在 してい らっ しゃ る という
こ とをお聞
きになっ た。 そ して、 お聞
きになっ た 後、 〔彼は〕
更に、 世尊の い らっ しゃ る とこ ろへ 近づ き、 近づ い て か ら、 世尊
の 両 足 を頭で拝 して一 方に坐 っ た。 一 方に坐 っ た アナー タピ ン ダ ダ居
士 に対 して、 世 尊 一303
一貧女の 一灯物 語 (袴 谷 )
(
5
)は、 法に適っ た お
話
に よっ て (dharmyayai6
}
kathaya
, chos
dang
ldan
pa
’
i
gtam
gyis)
、説
示 な さ り(
saTpdar §ayati ,yang
dag
par
stonpar
mdzad)
、受持す
る よう
に な さ り (samadapayati , yang
dag
Par ’dzin
du
’jug
par mdzad )、 奨励 な さ り
(samuttejayati ,
yang
dag
par
gzengs
stodpar
mdzad )、 という
よ り、喜ばれて沈黙 な された (sarppraharSya
taS
ロim
,
yang
dag
par
rabtu
dga
’bar
mdzad nas cangmi
gsung
ngo )、 という
に至る ま で は前 述の ごと くである17)。 か く して、 アナ ー タ ピン ダ ダ居
士は席
よ り立っ て 、前述の ご と く18)、世尊
の い ちっ しゃ る とこ ろ に合掌
をな して (afijalirpprapamya )
、世尊
に次 の こ とを申
し上 げた。 「 明 日、 屋敷 内
(antar ・帥
a)での食事
に関
し、比丘教 団
と共に 、世尊
がい らっ しゃ っ て下 さるよう
、私に 同意 して 下 さい 。 」と。 〔そ して 、〕前 述の ご とく 19)、浄 らか(§uci )で妙 なる (praPtta
)主 食と副 食 (
khadaniya
・bhojaniya
)を準備 して (samupaniya )、 まさに その 早 朝に(
kalyam
eva )起 きて、 坐
席
(asanaka
)を手 配 し (prajfiapya
)、 水の容 器 (udaka−
ma り
i2
°), nor
bu
’i
chu snod ) を設 置 して (prati
§thapya
, stagon
byas
nas )、 世尊に
使 者 (
data
, spyan’
dren
) を介 して、 「お 時 間 (samaya )で ご ざい ます、大 徳
(
bhadanta
) よ。 食事
の 用 意が で きま した (sajjarpbhaktam
)。今
や、 その 時であり ますこ とを、世
尊
は どう
か 御考慮
下 さい ませ 。」と〔招 待の 〕時
を知 らせ た (kalam
arocayati
,2’}
dus
tshod
gsol pa )。〔
一方
、〕
門衛の 人22》(dauvarika
・puru§a, sgo srungs
kyi
mi )には〔
次の よう
に〕
告 げた。
「
ね え、 お
前
さ ん (bhob
puru
§a,kye
nang rje)、と にか く仏 を上 首 とす る比丘教 団が 食 事 を終 え ない 限 りは、 他 の 外 道 (anya ・
tirthya
,gzhan
mu stegspa
)た ちに入る 〔機 会 〕 を与 えるよう
なこ とがあっ て はな り ませ ん よ。 そ れ か ら後で
外
道 (tirthyaka
, mu stegspa
)た ちに は 私 が与
え ますか らね 。」 と。
「御 主人
様
、 その と お りにい た し ま
す
(evamarya
,jo
bo
bka
’
bzhin
retた{1} ’tsha1
)。 」 と、 門衛
の 人は ア ナ ー タ ピン ダ ダ居
士の お っ しゃ っ たこ とに従
っ た。 かくして 、世 尊は、午
前
中に (pOrvahpe
)、裳 を着 け (nivasya )、鉢 と衣 (patra
・civara )を お取 り に なっ て 、比丘 の
集
り(bhikSu
−gapa
,dge
slonggi
tshogs )に取 り巻
か れ、比 丘
教 団 (
bhikSu
−sarPgha ,dge
slonggi
dge
’dun
)
に拝顔
されて(
puraskrta
, mdunゆ
gyis
bltas
nas ) 〔、 ない し、
前
述 の ご と く、 世尊が食
後、〕
手 を洗い (dhauta
−
hasta
)鉢 を洗 浄 した (apanita −
patra
) 〔の を知 っ て か ら、 アナー タピン ダ ダ居士 は、〕よ り低い 席 (nicataram asanam )を取 っ て、 世 尊の 御 前で法 を聞 く (
dharma
−§rava ロa)た め に 坐 っ た23)。
一方、 マ ハ ー カ ー シャ パ (
Mahaka
§yapa
) 氏24)
(
ayu
§mat ,tshe
dang
ldan
pa
)(
6
) 貧女 の 一灯物語(
袴
谷)は、 ある森 林 (ara 町 aka )にある寝 臥具 処 (§ayanasana )よ り、長い 髪 と髭 (
dirgha
−ke
§a−Sma
§ru)と見
窄 ら しい 衣 (IUha
−civara )の ま まで 、 ジェ ー タ林に行っ た。 〔そこで、
〕
彼はジ ェー タ林が 空
っ ぽ (§Unya )に なっ てい るの を
見
て 、彼が寺
内管
理 職 25)(upadhivarika ,
dge
skos )に 、「仏 を上 首 とす る比丘教 団は どこ にい るの か。」 と尋 ね る と、
彼
は 「ア ナ ー タ ピン ダ ダ居
士に招待
なさ れ たの で ご ざい ます。」 と説明 し た。 か 〔の マ ハ ー カー シ ャ パ 氏〕は、 「 私 もその 同 じ とこ ろで施 食
(pi
ロdapata
) を 受 け、 そ して 、仏 を上 首 とする比丘教 団に奉仕 す る26 )こ とに し よ う (paryupasi
§ye
,bsnyen
bkur
bya
)。 」 と思い 、彼は ア ナ ー タピン ダ ダ居
士 の住居
(nive§ana)
に行 った。
〔
す
る と、〕
門衛 (dauvarika
)が 「聖人 (arya
)よ、 お 入 りにな っ て はい けま せ ん。」と言っ た。 「 どう
して です
か(
kasyarthaya
)。」〔
と問 う
と、門衛
は、〕
「アナー タピン ダ ダ居士が お命 じに なっ たの です
。 とに か く仏を上 首 とす
る 比丘教
団が食
事 をな さっ て い る限 りは 、外 道たちに入 る〔機 会 〕を与 えて は い け ませ ん よ。 その 後で外道
た ちには私が与
え ます
か らね。 と、 こう
いう
わ け なの です
。」〔
か く言わ れ て、〕マ ハ ー カー シ ャパ 氏 は 思 っ た 。「お よ そバ ラモ ンや 居士 た ち が 私 を沙 門シャ ーキャの 弟 子 (§ramarPa −§
akyaputriya
,dge
sbyong shakya
’i
sras
kyi
)で ある と認知しない よ
う
な、 その よ うな こ とを私が 経 験 したこ と (labha
, rnyedpa
)は よい 経験だ っ た27 ) (sulabdha ,
legs
par
rnyedkyis
song )の で はない か。 私は、 貧 し き人e(3) H
(
krpapa
・jana
, skyebo
bkren
pa
)の ため に哀 愍 (anuka 加pa
) を垂 れ より。」 と知 って
(
▽iditva
, snyamdu
bsams
te28))、〔
彼は〕
公薗
(udyana, skyed mos tshal)に
はくり
行
っ て、彼
は 「 今や私は だれの た め に支援
をなす
べ きであ
ろう
か 。」 と思
っ た。 そ うこ うする間に 、ハ ン セ ン病に罹 り (kuSthabhibhata
, mdzesthebs
pa
)苦 痛に傷めつ け られ (sarujarta ,
lus
zhigs29)
)
爛
れ た身体
を し た (pakva
−gatra
,Ius
las
rnagkhrag
’dzag
pa3
°)) ある都会
の清掃婦
(nagaravalambika3i },grong
Phyi
nyug ma)
が、施 し物 を求め て彷 徨 っ て い た (
bhikSam
a;ati, slong mola
rgyu zhing’
dug
)。 彼は彼 女の 前に近づ い た。そ して、彼 女の施 し物の中に は米 湯 (acama32
) , ’bras
khu
) が得ら れた(sarppanna , rnyed33 )) 。 彼 女は、 マ ハ ー カー シ ャ パ 氏が、 寂静
なる威 儀(§
anta
−iryapatha
−, spyodlam
zhiba
)に よっ て、 身 体 が 透 明 と な り (kaya
・prasadika
)心が澄 浄 となっ た (citta−prasadika
)の を見
て 、彼 女は 、「きっ と(nanam ,nges
par
)、 私 は こ の よう
な福 田34 )(dakSi
ロiya
,yon
gnas
)に対 して敬 うこ と(kara
)reth(5 ) をな さなか っ た た め に、 私は この よ
う
な状況
(samavastha )に なっ て しまっ たの だ わ。 も し もマ ハ ー カー シ ャ パ 聖 人 (arya
)が 私 の 傍 で35 〕哀 愍 の た め に (anu 一 301 一貧女の 一灯物語 (袴谷) (
7
)kampam
upadaya )米 湯 を受領 して下さ るなら ば (pratigrhpiyat36 ))私 は彼に施
したい の よ。」と思っ た。 そ こ で、マ ハ
ー カー シ
ャ パ 氏 は
彼
女の 心 を意に よっ て知 り、「御
婦
人 (bhagini
)よ、 も しも
あな た が棄
捨 をなす な らば、 それ をこ の鉢に お 入 れなさい (
diyatam
,1ugs
shig )。」 とい っ て、 鉢 を差 し出 した。 そ こ で 、彼女は 心 を
澄 浄に して (abhiprasadya )その 鉢に入 れる
(
datta
,blugs
pa
)と蜂 (
mak §ika
, sbrangma ) も 〔一緒に〕落ちて しまっ た。 彼女は そ れ を
摘
み出そう
と した が、 彼女の 指 もその 米湯の中
に着
い て し まっ た。 彼 女は、 「で も 、 聖者
は、 私の 心 を守 るため に捨
て た りは しない わ。け
れ ども
、〔
聖者
は〕
や は り召 し上るべ きで は ない の よ。」 と 思っ た。 マ ハ ー カー シ ャ パ 氏は 彼女
の 心を意
に よっ て知
り、 まさに彼女
の 面前
で 、 とある壁 の 下 (kudya
・mala )に しゃが んで召 し上 っ て しまわ れた。 彼 女は、 「 や は り3η、聖者
は、 私の心 を守 る た め に召 し上 っ て し まわれたけれ ども、 こ の食
べ物
(
ahara
)によっ て は食べ 物の働 き (ahara −k
;tya, zaskyi
go
chod pa ) を果 したことに は なら ない で しょうよ。」 と思っ た。
〔
そ こ で、〕
マ ハ ー カー シャ パ 氏は 、 彼 女 の心 を意に よっ て知 り、か の都 会 の 清 掃婦 に次の こ とを語っ た 。 「御 婦人 よ、 私 は歓
喜 (pramodya
) を生 じま した よ。 私はあ なた が与
えて下 さっ た食
べ物
に よっ て 一昼夜 を
過 すで しょう
。」と。〔
す
る と、〕
彼女
は強い感
激(
ativaudvilya ,lhag
par
dga
’ba
)を生 じた 。 「私 の与
え た施食
(pipdapata
)をマ ハ ー カー シャ パ 聖 者が受 領 して 下 さっ たわ 3s〕 (pratigrhita)
。」 とて、 〔彼女は〕マ ハ ー カー シ ャ パ 氏に対して 心 を澄浄
に して (cittam abhiprasadya, sems
dang
ba
bskyed
nas39)
)亡 くな り(
kala
・gata )
、トゥ シタ天 衆 (
Tupite
deva
−nikaye )に生まれ た。神
々 の 主 (devendra
)シ ャ クラ(
Sakra
)は 、彼女 が〔
マ ハ ー カー シャ パ 氏に〕米 湯 を与 え 〔心 を澄 浄に して (semsmngon
par
dad
par
byas
nas4 °1)
、〕
そ して亡 くなっ た こ とは見たけれ ども、 しかし、 ど こへ 生 まれ たか とい
う
こ とは見なか っ た。 彼は 、 地獄 (naraka )を観察
したけ れ ど も 〔彼 女 を〕 見か け なか っ た し、畜 生 (
tiryaffc
‘ ’〕)や 餓鬼
(preta ) や 人(manu $ya )や 四
大
天 王 (caturmaharajikandevan
)や三 十 三 〔天〕 (trayastrim
§a)を
〔
観察
したけれ ども彼女
を〕
見かけ な か っ た。 とい うの も、 神 々 の 知 見 (jfiana
−dar
§ana )は 下の 方には その よう
に働 くが上 の 方に は働かない か らで ある。 か く し て、 神々 の主シ ャ ク ラは、 世 尊のい らっ しゃ る とこ ろへ 近づ き、近づ い て か ら、 世 尊に対
して 、頌の 誦 唱 (gathabhigita
)に よっ て質問 を
発 した。「
実
に、偉 大
な霊魂 も
て る(
mahatman)
カ ー シ ャ パ に施 食
を行 い しも
、カー シ ャ パ に 米湯 与 えしか の女 性は、一体い ずこ にて歓 喜せ りや。 」 一
300
一(
8
)貧女の 一 灯 物 語
(
袴谷)
世 尊はおっ しゃ っ た。 「 ト ユ シ タと名づ け られ しか の 天は 、 全ての 快 楽 を増 大せ しむ る と こ ろなり。カー シャ パ に米 湯 与 え しか の 女 性は 、 そこ に て歓 喜せ り。」 と。
か くして 、神々 の 主シ ャ クラに は次の よ
う
な考 えが浮んだ。 「とにか く 、 こ れ らの 人々 は 、
福徳
(pupya
)を 目の あた りに見
な く (a・pratyak
§a−dar
§in
>と も、布施
を
与
え福徳
を作す
(danani
dadati
pupyani
kurvanti42
))が、 私 は
福徳
をま さ に 目の あた りに
見
つ つ (pratyakSa
−dargy
eva )自らの福徳
の果
に おい て確
立 さ れて い るretl/{6)
(
svepurpya
・phale
vyavasthitah )の だ か ら、 そ れゆえに 、あるい は布
施 を与
え、 あるい は
福
徳を作
すべ きであろう
。 こ こな るマ ハー カー シ
ャ パ 聖 人は 、み じめ (
dina
)で寄 る辺 な き (anatha )貧 しい (
krPa
ロa)物 貰い (vanipaka )を哀愍 す るもの である が、 な ら ば こ そ、 私 は こ の もの に施
食
を恵んだ方
が よい。 」 と知 っ て 、貧 し き もの の 街 (
krpapa
−vithi)
に屋敷 (
g
;ha
) を化作 し
た。〔
彼
は また、〕
明 白に漏 出
した全 く耐え 難 い ほ どの あ る もの を化
作
して、自分 自身
は 、乱 れ た髪
をし大 麻の 布の 下着 を身に
着
け手足 に は罅割
れ の生 じた機
織 り (kuvinda
,thag
pa
)として現わ れ、布 を織 り
始
め た43〕。 シャ チ ー (Sacl
)という 〔
シャ ク ラ〕
神 の 妃 も機
織 りの姿
(
kuvinda
・bhava
−ve $a)を取 っ て織 り物 (tasarika
)を作
り始め た 。 そ し て 、彼の 側(
par
§va )に は神
々 しい (divya
)美汁
(sudha )が置か れ て あっ た(
sajji・k
τta
ti
§thati
)。一 方
、 マ
ハ ー カー シ
ャ バ 氏は、
貧
しい寄
る 辺 な き物 貰
い の 人 (krpapanatha
・
vanipaka ・
jana
)に対 す
る哀愍 を もっ て、順 次に (anupUrverpa ) その屋敷
にや っ てき た。 「 こ の もの は苦 悩に充ち た もの で ある (
duhkhitaka
)。 」 と考 え なが ら (iti
krtva
)、門
の とこ ろに立 っ て鉢を差
し出す
(prasarita
)と、神
々 の 主シ ャ ク ラは神
々 しい美
汁で鉢 を充
た した。 か くして、 マ ハ ー カー シ ャ パ氏
に次の よう
な考
えが浮
ん だ。 「しか し 、 こ の もの の 〔差 し 出 した〕 神々 しい 美 汁 と こ の 屋 敷 の 大 きさ (9Tha
・vistara )と は全
く齟 齬 して い る ぞ。 か く知 りて、私の 心に は疑惑
が生 じたわ い 44)。」 と。実
に、注意 を向け な
け れば(
asamanvahrtya)阿羅漢
にも知 見
は生
じな い 、 という
この こ とが決 ま り(dharmata
)という
もの であ る。 〔そ こ で、 〕彼は注 意 を向けるべ く働か せ て 、 よ うや く神々 の 主シ ャ ク ラを見た 。 彼は言っ た。 「カウ シ ヵ (Kau
§ika
)よ、 お よ そ お ま え45 }が 人 に関 し また その 状 況に関し長 夜に 亘 っ て懐い て きた (
dirgha
−ratranugata )疑義
や疑 惑の刺 痛 (vicikitsa −katharPkatha
−Salya
) が如 来 応供正等覚
者に よっ て根 こ そ ぎ (samala >取 り除
か れ た (aVTdha
)という
のに、
一体な ん でお ま え は その よ
う
な 苦 悩に充
ち た 人の 邪魔
(antaraya ) を なす
の貧女の 一 灯物 語 (袴 谷)
(
9
)
か 。」と。 〔そこ で 、 シャ ク ラ神は答え た 。〕 厂 マ ハ ー カー シャ パ 聖者
よ 、 一 体 なん で 私が苦悩
に充
ち た 人の 邪魔
を なす
の か とい えば 、と に か く、これ らの 人々 は 、福徳
を 目のあ
た りに見
て い な くと も、布施
を与え福 徳 を作
すが 、 私 は福徳
を 目の あた り に見っ っ〔
自らの福徳
の果
に お い て確
立さ れ てい る46〕の だ か ら〕
一体
どう
してある い は布
施 を与 えず あるい は福 徳 を作
さ ない こ とが あ りえ ま しょう
か。 世 尊 もまた お っ しゃ っ てい るで は ありませ ん か。福徳
が な さ るべ し。 げに、福
徳 な さ ざる もの に は苦 あれ ば な り。福徳
なせ し もの たち は 、 この 世 に て も また か の 世に て も歓 喜せ り。 という
よう
に 。」それ 以 降、 マ ハ ー カー シ ャ パ 氏は 、種 族 (
kula
)に 注意を向けて (samanvahrtya ) 乞 食に趣 くよ うになっ た47 )。 一 方、神 々 の主 シャ ク ラ は 、 まる で虚 空に住
してい る かの ご と くしなが ら、神々 しい 美 汁でマ ハ ー カー シ ャ パ 氏の鉢 を充
た し たが 、 マ ハ ー カー シャ パ 氏は ま た 、 〔その 〕鉢 を 引っ 繰 り返 して (avaft ・mukharp
karoti
)、食べ
物 も
飲み物 も蹴散
ら して しまっ た(
choryate )。 こ の状 況 (prakarapa
)を比丘 た ち は 世尊に 申し上 げ た 。 〔する と、〕世 尊は お っ しゃ っ た。 「それ ゆえに 、 施食
に覆
い をつ けるよう
にすべ きこ と (pipd6paghatam
dharayitavyam
)を私 は正式
に 認 め る (anuj 亘n巨mi )。 」 と。ある都 会の 清 掃 婦が マ ハ ー カー シャ パ 聖
者
に米湯 (
acama
, ’bras
khu
) を恵み 、 そ して彼 女 は トゥ シ タ 天衆
に生 まれ た という
噂 (§abda )は 周 ね く広
ま り、 そ れを
コ ーサ ラ (
Kosala
) 国王 (rajan )プ ラセー ナジ ッ ト (Prasenajit
)が聞 き48)、 聞い て か ら、 更に 、 世尊の い らっ しゃ る とこ ろへ 近づ き、近づ い てか ら、世
尊
の 両 足 を 頭 で拝 して一方に坐 っ た。 そ して、か の世尊
が、 一方
に坐 っ た コ ーサラ国
王 プ ラ !e
−一ナジ ッ トに対 して 、法に適っ た話に よっ て 説 示 し、 という
よ り、 沈 黙 して お喜 び に なっ た 、 という
に至るまでは前
述の ごと くである49)。か くして、 コ ーサ ラ
国
王プ ラセーナジ ッ トは席 よ り立っ て、 上 衣 を 〔左 〕肩
にかけ (ekarpsam uttarasarpgarp
krtva
)50 )、 世 尊の い らっ しゃ る とこ ろに合 掌 をな して (afij alim
pra
ロamya )、世 尊に 次の こ とを申 し上げ た。「51) マ ハ ー カ ー シ ャ パ 聖
者
52) の名
義
で (uddi §ya53
〕 )七 日間にわたっ て〔
行
わ れ る〕食事 (
bhakta
) 〔
へ の 御 参加〕
を世尊
は 私 に 同意
して 下 さい (adhivasayatu me ) 。」 と。 世尊
は コ ーサ ラ国
王プ ラセー ナジ ッ トに沈 黙の 状 態 (tu
頭 m −bhava
)で同 意 した。 か くして 、 コ ーサ ラ国
王プ ラセーナジ ッ トは、 世 尊が沈 黙の 状 態で同意 なさっ たこ と を知 り、世尊の 一298
一(
10
) 貧 女の 一 灯 物 語 (袴 谷)両
足 を頭で拝
して、 世尊
の傍
より退出
した。 か く して、 コー サ ラ
国
王プ ラセ ーナジッ トは 、 その 同 じ 日の 夜に (tam eva ratrim )、浄らか (§uci )で妙 な る (prapita )
主 食と副食 (
khadaniya
−bhojaniya
) を準備 して (samupaniya , stagon
byas
nas )、ま さに その
早
朝に (kalyam
eva )起 きて 、坐 席 を手 配 し (asanakaniprajfiapya
)、
水の容器
(
udaka −mapi)
を設置 して、 世
尊
に使 者 (data
)を介
して時
を知 らせ た、とい
う
よ り、 自 らの手で (sva −hastam
)召 し上が らせ(
santarpayati )歓 待
した(sampravarayati )、とい
う
に至 る まで は前
述 の ごと くである5‘)。 そ して、 ある乞 食
tL{7)
(
kotta
−mallaka55 〕, mu
lto
ba
)が、老い て死にそう
な もの の 集 る場 所 (vrddhanta ,rgan gral
logs
)に 立 ち、 「こ の 王は 、福 徳 (pupya
) を まさ に 目の 当 りに見つ つ 自らの
福徳
の 果 (pupya
−phala
)に確立 さ れ てい る (prati
§thita
)の で、〔
そ れ らの 〕福 徳
に よっ ては満足せ ずに、布
施(
dana
)を与
え、福徳
(pupya
>をなす
の である。」 〔と思 い 、 王 に対し て〕 心 を澄浄に な し た。か くして、 コ ー サ ラ 国王 プ ラ セー ナ ジ ッ トは 、
多
くの 観 点に よっ て (aneka −pary
巨ye
ロa)
、仏
を上 首 とす
る比 丘教
団 を、 浄 らかで妙
な る主食
と副食
に よっ て、 自 らの 手で召 し上が らせ歓 待 し た後で 、 食べ 終 っ た世尊
が 手 を洗 い (dhauta
−hasta
)鉢 を洗 浄 した (apanita −
patra
)の を知 っ て、 より低い席
(nicataramasanam
) を取 り、 世
尊
の御前
で法
を聞
く(
dharma
−
9ravapa
)ため に坐っ た。 そ れ か ら、世
尊
は、「王 よ
、 私は だ れの
名前
で (kasya
namn2 )布施
の 功徳
(dakslpa56
) ) を
指名
し よう
か(
adigami
)。 汝の〔
名前〕
で か、 それ とも、汝の傍で (tavantikat
) よ り多
く の (prabhatatara
)福徳
を生 じた もの にか 。」 とお っ しゃ っ た 。 王 が思う
に、 「 世尊 は私の施 食
(pi
颯apata ) をお取 りに な ち れ たの だ。 一体、他
の だ れが 、 私 の傍
で よ り多
くの福徳 を
生 じる であ
ろう
か。」 と知 っ てか ら 5η 、〔
王 は〕語
っ た。 厂 世尊
よ、 お よそ だ れ で あ れ、 私 の傍
で よ り多
くの福
徳 を生 じ た という
、 その 人の名 前
で(
tasya
namna ) 世 尊は布施
の 功徳
を指名
して下 さい ませ (bhagavan
dakSi
ロamadigatu
)。」 と。す
る と、 世 尊は、 〔先
の 〕乞 食
の名前
で (kotta
−mallakasya namna
)
布 施の 功
徳
を指 名 した(dak
$ipa
adi
§tasS
〕)。 こ の よう
に して、 つ い に六 日 に及ん だ。六 日 目の 日に 、王は 、 「世 尊は私の 施 食 をお 取 りに な られ た の に、 〔あの 〕 乞 食
(
ko
#a・malla59 ))の
名
前で布 施の 功徳
を指名
な されて しまわれ た。」 と、手に頬 を着け て
物
思 い に 耽 っ て 佇 ん で い た (kare
kapolarp
dattva
cint 巨.parovyavasthitah6 °〕 )。 大 臣た ち はそ 〔の 王の 落胆の姿
〕
を見て、 「 大 君 (deva
) よ、 な に ゆえに、 手に頬 を着 けて物思
い に耽っ て佇ん で い らっ しゃ るの ですか 。」 と彼 ら 一297
一貧女の 一灯物語 (袴谷)
(
11
) が尋
ね る と、 王は語
っ た。 「卿 ち よ 、 一体
どう
して私 は物思
い に耽 っ て佇 まず
にい ら れ よう
か。 世 尊は私の施
食 をお取 りにな られたの に、 なん と今や 、 〔あの 〕乞 食 の名
前で布
施の 功徳
を指名
な されて しまわ れたの です
そ。」 と。 そこ で、 一 人の老
大臣 が語 っ た 。 「大
君 よ、 あま り御案
じ な さい ます
な (alp6tsukobhavati
)。 明 日、 世尊が大君 だけ の 名前
で布施
の功 徳 を指 名 なさ るよ うに、 その よ うに私 どもがなす
であ りま しょう
か ら。」 と、 彼は下 僕 (pauruSeya
, zho shas ’tsho
ba
) た ち に命
令
を下 した。 「明 日 、 お前
た ち は、 よ り 一層妙
に してかつ多
くの 食事
を準備 し 、 最 初の 半分 は 比丘 た ちの 鉢 に、 〔後の 〕半 分は地上に落 ちるよ う、 その よう
にな すべ きで ある。 」 と。 〔そこ で 、〕彼 らに よっ て 61) 、 その 日に 、多
くの かつ妙
なる食事
が 準備 された。 それか ら、安
楽 に坐っ てい る仏 を上 首 とする比丘教 団
に給仕
し よう
と した彼 ら (pariveSitum
arabdhah)
は 、最初
の半
分 を比丘 た ちの 鉢に、 〔後の 〕 半 分 を地 上 に落 と した。す
る と、乞 食
た ち は走っ て 「地 上に落ちた もの を私た ちは拾お
う
」 とい っ た が、彼
ら は給
仕 (parive
§aka )たちに よっ て制
止 された (nivarita )。そこ で、 か の
乞
食は 語っ た。 「 も し も、 こ の 王 に多
くの充
分 な (sampad )財
宝 (svapateya )があ り、 また私 たちの ご とき苦 悩に充ちた (duhkhitaka
)他の もの た ちが い るなら ば 、お よ そだれで あれ欲 しが る もの た ちに対して、 なに ゆえに与 えら れない で あり ま しょう
か 。 一体
この食
べも
の が放
捨 された こ と に なん の 益が ある という
の で しょう
か 62)。」 と。 その乞 食に は心の 散 乱 (citta ・vik §epa )が 生 じ、彼は以 前の よ うな ま まに心 を澄 浄にす るこ とがで きなか っ た。 そ れ か ら、 王 は
仏
を上首とする比丘教 団に
食事
を差 し上 げた後で 、「世尊
は 私の名前
で布施
の 功徳
を指名
な され ない (na mamabhagavan
namnadak
$ipam
adi§ati)
。」 と知っ て い たの で、 布施の 功徳 を全 く
聞
くこ と な く屋敷
に 立 ち去 られ た63) 。 そ こ で、 世 尊は、 コ ーサ ラ国
王 プ ラセーナ ジ ッ トの名 前
で 、 次 の よう
に、 布 施 の 功 徳 を 指 名 な さっ た (dak
§i
耳adi
嘆a
)。「
象
と馬 と車 と歩 兵に乗 りて享
受せ る もの の 、市民 を伴
い し都 城
は 、実に 、荒い 無 塩の 粥の 施
食
の 力な り と汝 は見ん64)。 」 と。か く して 、 アーナ ン ダ (
Ananda
)氏 (ayu $mat )は世 尊に次 の こ と を申 し上 げた。 「 大
徳
(bhadanta
)
よ、 世 尊 は コ ー サ ラ国
王プ ラセ ーナジ ッ トの 住居
(nive §ana ) に て多
くの 食事 を召 し上 られた後、 〔彼の 〕名
前で布
施の 功徳
を指名
な さ れ ま し た 〔が 、 しか し、〕私は、 この よう
な類の 以前に指名
な さ れ た布施
の 功徳
の こ とを 一時 も正式
に伺
っ たこ と はあ りませ ん。」と。 世尊
は おっ しゃ っ た。 「ア ー ナン ダよ 、 お 一296
一(
12
) 貧女の 一灯物 語 (袴谷)前
は、 コー サ ラ 国王 プ ラセ ーナ ジ ッ トの無
塩の 粥の施 食
に 依 拠 した行 為の 連 鎖 (karma
・ploti
)につ い て聞 きたい と願う
の か 。」〔と。 アー ナ ン ダは申
し上
げた。〕 「今 や、世尊
が 、コ ーサ ラ国
王プ ラセ ーナジ ッ トの 無塩の 粥の 施 食に依 拠 した行 為の 連 鎖につ い て お話に な ら るべ き、 その 時であ り、世尊
よ、 その 折でご ざい ます、善逝 よ。 世 尊の お っ しゃ る こ とを聞い て比 丘 たちは 〔その こ とを〕
保持す
るで あ り ま しょう
。 」 と。 そこ で 、 世尊
は、 比 丘 たち に告 げた。厂比丘 たち よ 。 大
昔 (
bhitta
−pttrvam )
、あ
る 山里(
karvataka
)
に居
士(
9r
.ha
−pati)
が住ん で い た。 彼は同種の家
系 (kula
)よ り妻 (kalatra
)を娶る と、彼は彼 女 と 一 緒に戯れ楽 しみ生 活を共 に したの である。 彼が戯
れ楽 しみ生 活 を共に し て い るう
ちに、 子供 (
putra
>が 誕生 し た 、 という
よ り、 〔彼は〕成 長 し(unita )強 く(vardhita )逞 し く (mahat )なっ た、 とい
う
に至る ま で は前
述の ご と くである65)
。 そ
う
こうす
る うち 、か の居
士 は連れ合い (patni
)に告 げた。厂ね え、 お ま え (bhadre
)、 私 た ちに は 、借
金
を引 き受 け (;pa
−hara
)、かつ 財 産 を引 き継 ぐもの (dhana
・hara
)が で き た。 私は産 物 (papya
) を持っ て別 な地 方へ 行 くこ と にす る。」 と。 彼 女は、 「旦那 様 (arya66
) )、 その よ うに なさっ て下さい 。」 と語っ た。 彼は産 物 を持 っ て別 な地 方 へ行
っ た。 そ して、彼
は、 ま さにそ こ に おい て、不 幸
なこ とに災害
が降
りか か っ て 亡 くなっ て しまっ た。〔
一方
、〕彼
の屋敷
で は、富
ん でい た財 産 (
dhana
−jata
)も尽
きて しまっ た67>。 彼の その 子 供は苦 悩に充
た されるよう
に なっ た。 〔とこ ろ で 、〕その
居
士 に は隣人 (vayasyaka , stengrogs
)がい て 、彼は そ 〔の 子供 〕に 〔次 の よう
は たけ に
〕
言っ た。 「 お前
は私に とっ て も子供
であ
る 68) 。 私の 田(
k
$etra)
を守
るが よい 。 me (s] 私はお前
に食事 (bhakta
)で支 援 (yog6dvahana69
) ) をなそう
。」と。 そ 〔の隣 人〕 は そ 〔の 子供 〕に 田の 労 働 (vyapara ) をなす よう
に させ 、彼は また彼に食事
で支 援 を な した。 そう
こうす
るう
ちに、 別 な折に、節
日祭 (parvan
,dus
ston7°) )が催 さ れて、 その
息
子の 母は思っ た。 「今や 、 〔その 隣 人の 〕居士 の奥
さ ん(grhapati
−patni
)は、 友 人 (suh ;
d
)や関 係 者 (salpbandhi )や親 族 (bandhava
)や 沙 門 (§ramapa )やバ ラモ ン た ちに食事 を持て成 す こ とで忙 殺 され る よ
う
に な るだろデ
1 〕。 前祝の集
り (s2nukala72 ) , snga ’tshogs
)に行っ てその 息 子の食事
を用意
して や ろう
。」 と。 彼女 は前祝の集
りに行 っ て居
士 の奥
さん にその 目的
を知 ち しめ た。〔
す る と、〕
そ 〔の奥
さ ん〕
は憤 慨 して (rusita )語 っ た。 「最
初に 、沙 門 やバ ラモ ン た ちや 親 類 (jfiati
) たちに 与 えて もい ない の に、 その 間に、 下僕 (pre
§ya
)に与
え るという
の かい 。 今 は しば ら く立 っ てい るが い い わ。 明 日私は二倍
の もの を与
える でしょう
よ。」 と。 一295
一貧女の 一灯物語 (袴谷) (
13
) それか ら、 その息
子の母は考 えた。 「どう
か息
子が飢
えて しまう
こ とがあり ませ ん よ うに。 〔その ため に〕私は こ の 無塩の (alavapika )粥の施 食
(kulmasa
−pipdika
) は た けを 〔
息 子に〕
用意
してや ろう
。」 と。 彼女
はそれ を取っ て 田 に行 っ た。 その 息 子 は 彼女 を遠 か ら ざ る とこ ろ か ら見て 、彼は 「お 母 さ ん 、美 味 しい もの (zhimpo
)は なに もない の で すか。 」 と言っ た。 彼 女は答
えた。 「 、冒、子 よ、 今 日は (de
ring ni)普
通の食
べ 物 (zan nar ma ) と な る よう
な もの はなに もない わ。」 「お母 さん、 一体
どう
して で しょう
か。」彼女
は息 子に居
士 の奥
さん が述べ たこ とを全て詳 しく説明 して (
akhyaya
,bsnyad
nas )、 「この 私 の 無塩 の 粥の
施
食 を私 は 用意
して き ま し た よ。 お前はこ れ を食べ な さい 。」と語っ た73)。 彼は 「置い て い っ て 下さい 。」と語っ た。 彼 女は置い て退 出 した。 〔さて 、 74 》 〕仏た ちが生 まれるこ とが ない ときに は独 覚 (pratyekabuddha
)た ちが 、劣
っ た もの (hina
)や貧
しい もの (dina
)に対 する哀愍 を もっ て、
遠
くの 辺 境で寝
臥具 を享
受せ る(pranta
−§ayanasana −
bhakta
)、世 間の人々 の (
10kasya
)唯一 の布 施
の 功徳
に値 す
るも
の (eka −dak
$iniya75
), yon gnas gcigpu
)た ち と して、 世 間に生
まれ る。 そう
こうす
るう
ち に、あ
る独覚
が その 地 域(
prade
§a)に到 着 した。 〔そ して、〕その身
体が透明であ り (kaya
−
prasadika
)心 が澄浄で あり (citta−
prasadika
)寂静
なる威儀
を有
した (§anteryapatha −vartin ) 〔独覚〕
をか〔
の息
子〕
が見
て、彼
は思
っ た。「つ
く
づく感
じるこ とだ が(
nanam ,gdon
mi za
bar
)、私は 、この よう
な類の真実 最 勝の布施
の功徳 に値 す るもの (sad −bhUta
−dak
§i
ロiya76
), yon gnas yangdag
pa
)に対 し なすべ きこ と (崇敬 ) を なさなか った (
kara
nakrta
)の で 、 そ れゆ えに、 私は こ の よう
な状 況 (samavastha )に なってい るの だ。
も
しも
こ の方
が私か ら (mamfintikat )こ の 無塩の 粥の 施 食 を受領 して 下 さ る な ら ば (
pratig
τhplyat77
),bzhes
na )、 私 は こ れ を彼の ために与 えるこ とにしよ
う
。 」 と。 そ れ か ら、〔
その〕
独覚
は、 か の貧
乏人 (daridra
・puru
§a)の 心 を意 に よっ て知 り、 鉢 を差
し出 して (prasaritavat
)、 「旦那様
(bzhin
bzangs78
))
、も
しあ
なたが放捨 を
なす
な らば、 こ の 鉢 に与
えて下 さい 。」と 〔言 っ た。〕そ れか ら、 〔彼 は79)〕
極め て (tivra
)澄浄 (prasada
) となっ て 、 その 無塩の 粥の 施 食 を独 覚に恵 ん だ (pratip
盃dita
)。比丘 たち よ、 一 体こ の こ とをお ま えたちは ど
う思 う
で あろう
か 。あ
の時 あ
の折
に おけ る、あの 貧 乏人 なる もの 、こ れ こ そが か の コー サ ラ国王 プ ラセー ナ ジ ッ トだ っ たの である。 〔その 時 8°) 、〕この もの に よっ て独覚に無
塩の粥の施食
が恵
まれ た という
、 その行為
に よっ て〔
彼は〕
、 六度
も (Sat
・