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駒澤短期大學佛教論集 7 009袴谷 憲昭「貧女の一灯物語 : 「小善成仏」の背景(2)」

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全文

(1)

駒 澤 短 期 大 學佛教 論集第

7

號 

2001

10

月 (

1

  

灯 物

成 仏

景 (

2

 

」の 引 用 を もっ て解 題 を一 応は閉じ たつ も りに なっ た以上、 そ ろ そ ろ翻 訳に

着手 しなけ

れ ば

な らな

い と

思 う

が、

若干気

づ い た こ とが でて きたの で、

に それ らの件につ

に触 れて お くこ とに したい

 先

に 、私は 、真の 「 」た るこ とを

讃美

する

種の 文

に共

通す

一頌 につ い て 、 その 知 りえたサン ス ク リッ ト文 を『根 本 説一切

有部律

』の

Sahghabhedavczstu

(破僧 事)に よっ て示 した が こ の

実その もの は 既 に榎 本 文 雄 氏によっ て報告 さ れ てい る1)の で、 こ こ に 、 その

告 を見 落 し た不明 をお 詫 び し、 これ を知 っ た こ と に よ る

足 をい さ さか

お く

榎本

氏の

心 は、 これ ら共通の 頌 を比較 す るこ とに よっ て、 『 別 訳

』 が根

説一切

部に

め て近い 部 派に

してい たこ と を証 する一助 とす る こ と にある の で ある が 、 私の 目下の 関 心か らすれ ば 、同 じ 『

部律』 の 間で も、 “

ijyatAm

 varab (供 犠 れ る もの た ちの 中の 最 勝 な り)” と

るサン ス ク リッ ト

してチベ ッ ト訳が “

smra  

ba

i

 mchog ’vadatarp  vara

語 るもの たちの 勝 な り)” とする違い 2)の方に注 意が向か ざ るを え ず、 こ の 点 か ら、注 意 を、榎 本 氏に よっ て指 摘 さ れた 『五分

の その 箇所に留め れ ば 、厂

為 最

3)」 となっ てい るこ と に強い興 味

を覚

える。 個 人

に い えば、 私 は、 こ の箇 所 をvadat るもの 読 も

と したチベ ッ ト訳 をこ そ ヒ ン ドゥー的な通

f

谷性に 諍っ た仏教 的な

釈 と して採用 し たい ところ なの で あ るが 、他の文

はその

み を全 く支 持 しない の で、 vadat とするのは無 理で

ijyat

(供犠 され る もの )とあっ た とす る方が 自然だ とす れ ば、あた か も、バ

対す

dak

§

i

a

ん だ

dak

§

i

iya

が 「

田」 と

訳 さ れ た 4) の と

じよ

に、 『 五

分律

』 にお い て は、 こ の

ijyat

な る語が 「

田」と訳 さ れ たこ とに な る が、 そ れは おか しい ど ころか全 く 適 切でさ え

るか らで

る。

 

か く して、

々 は、

pupya

k

§etra だ

田」 と

訳 さ れた の で は な く

dak

§

iPiya

ijyat

訳 さ れて い たこ とを知 りえたわけであるが、か か

(2)

2

      

貧 女の 一灯 物 語 (袴谷) る 「

田」 に相 応 しい 人 に

して

け られ る一種バ ター ン化 さ れた四連 語 を私 は 「崇敬四連 語 」 と呼ぷ こ とに して、 その連 語の 『法 華 経』 や 『無 量 寿 経』 に おけ る用例 を

心 とした考 察の 一端は既に公に したこ とがある5)。 私 は、 この 「崇 敬 の 四

連語

」 が、

教教 団内

完全

定着 す

るよ

に なっ た 「 作善 主

」の (ロ)と して の 「

田」に

直結

して用い ら れ るべ く儀 式 と して成立 した時に 、所 謂 大 乗 仏 教 が伝統 的仏 教 教 団 内に

立 された と見做 して もよい っ てい るの であるが 、 そ れに

立 っ て、 い か なる人が

の 「

田」た り

る か とい

こ と につ い て は、

伝 統

的仏教 教 団 内で もい ろい ろ

論が あっ た よ

で ある。 その 種の

題がサ ー リプ ッ タ (

Sariputta

、舎 利弗) とマ ハ ー ガ ラーナ (

Mahamoggallana

、 大 目健 連) と の で論 じ られ てい る興 味 深 い パ ー リ経

、 我々 は

Anahgana

sutta 無 垢経 』) と して知 っ て い る。 その

ちか ら、

前者

が後

に語 りか けてい る 一6 を、 片 山 一 良 氏の 訳 によっ て示せ ば、次の とお りで ある。   友 よ、 ちょ うどその ように 、い ずの 比丘 であ れ 、か れに は これ ら悪 し き不 善 の

欲 求 領 域 (

papaka

 akusala  

icch

含vacara

た れ て

、 と見 ら れ、 聞か れ るな

 らば、 た とえか れ が 村 辺 に住 む 者 (

gamanta

viharin

、 招 待 食 を 受 け る 者

 

(nemanta

ika

、 居士 衣者 (

gahapati

・civara −

dhara

)に なっ て も、 その 場 合 、 同 梵

行 者 (sabrahmacarin )た ちはか れ を尊敬 した り(sakkaronti )、尊重 し た り(

garukar

− onti 、 崇 拝し た り

manenti

、 供養した り (

pUjenti

)し ます。 そ れ は なぜ か。 その

尊者に は そ れ ら悪 し き不善の 欲 求領域が断た れ てい ら れか れ る か らで す。

 

こ の引用か ら

分る よ

に、 「

崇敬

の 四連 語」 で対処 され るに値 す る 「

田」 で あ るた めの

とは、 なにを置い て もま

悪 しき不善 欲 求 領 域 」を断 っ てい る こ となの である。 しか も、 こ の 「悪 し き

不善

の 欲 求

域」 こ そ、

の 否

定対象

で ある 「 垢 (ahga a)」 に ほ か な らず、 その 「垢」 は ま た 「

り (

kopa

)」 であ り 「不 満 (appaccaya

」である とも

で は 言われてい る 7) 。 しか るに、 これ を

め て

近 な教 団 運 営の実 際的 レ ヴェ ル か らい え ば、 「

田」の

りた るべ き教 団に「怒 り」や 「不 満」が渦 巻 くよ うなこ とが あっ て は な ら ない わけで ある か ら、

も私 憤 の みや

して教 団 内の 比丘 の 手 配 を しなけれ ば な らない 役 職の 苦 労は、 任務が重か っ たゆえに、 大

な もの だっ たよ

で ある。 か か る任 務 を

た 「管理 人」 の 比 丘 (vaiyavPtyakaro  

bhik

$uh )で、

教 団

比較

的初期

か らあっ た

え られ る役 職 が 、「

手 配人 (senasana −

pafifiapaka

)」 や 「

食 事

分 配人

(3)

      

貧女の 一灯 物語 (袴 谷)

       

3

bhattuddesaka

)」 で

るが 、 その両

職 を

名管

ッ バ

ッ ププ ッ タ (

Dabba

Mallaputta

, 

Dravya

Mallaputra

、実 力子)が知 られてい る

8)

その名 管 理 人が嫉み を買っ て事 実 無根 (amUla )の 罪に

せ ら れ た こと を記録 した

もの が、 い

れの 広

に も認 め られ る

僧 残 (samghadisesa , samghava §e§a)法

8

の 「

根 謗

で ある9)。

 

教 団

住の

理 を規

した

教 団規 則

が パ ー

Senzasanafekhandha

や 『

本有部律

』 の

StyanaSanavastu

な どで ある が 、 その 両

を含む全て の 広 律に おい て 、教 団運 営 を円 滑に な ら しめ るため に採 用 され た とされ る方 法が 、

有 名

な 「年功 序 列 (

yatha

vuddham , 

yatha

・vrddham )」に ほ かな らない 1°) 。 しか

、 こ の

を採 用 させ る た め に

され るの が、 これ また

有名

なパ ー

7

翔 勿

σ如 肋 (「鷓鴣本生」)と共 通の

語 なの で

る。 こ の物 語は 、まずパ ー ャー タカ11)を 中心に紹 介 すれば 、昔 ヒマ の 中腹の 大きなニ グロ ー ダ nigrodha )樹の で 仲

してい たシ ャ コ

tittira

猿 (

makkata

hatthin

匹 の

物が、 あ る 日、 だ れが

(mahallaka )である か を決め よ

として、 その ニ グ ロ ー ダ樹 をだれが最 も古 くか ら知 っ て い た か の 順 に

っ て 「年 功 序 列 をシャ コ ー

、 後

が前

し て順次 に 「

敬の 四

連語

」の

っ た と い

の である。 こ の

物語

は、 い

れの

広律

にお い て もその綱

し くして い る の である が、 『根 本 有 部

』に な る と他 と明 確に異る特 徴 を示 すに 至 る。 『根 本

有部

』 の それ12 )は、 樹はnigrodha か らvata (vrkSa )に変わ り、 シャ コ も同種 では あ

りなが ら

tittira

か ち

kapifijala

に変わ り、更に動

物 も兔

(§a§a 四 匹 と 。 しか 、 こ の

物語

を踏 まえた その 趣

が、 厂 比丘 たち よ、 諸

に よ りて年

を積 ん だ もの が 尊 敬 さ れ 尊重 さ れ崇 拝 さ れ 供 養 され るべ で ある (vrddhatarako

yu

寧mfibhir  

bhik

$avab  satkartavyo  

gurukartavyo

 manayitavyah  

pUjayitavyah

とい

う点

とは

他律

も変

わ らない の で

る。 ただ し、 シャ コ 、

の三

匹の 動 物が、 順次 に、 現在の

Buddha

、 サ ー リプッ タ、モ ッ ガ ラー ナに配 当さ れて

い たの に対 し、一 匹増 えた 『根 本 有 部 律

』 の そ れ で は 、

kap

輔 ala 、兔、猿、

四匹は 、順 次に、

Buddha

§

ariputra

、 

Maudgalyayana

 

Ananda

に 配 さ れ.

崇 敬

連語

」 が

けられ る

対 象

も、 王

の 出

家者 (

k

§atriyab  

pravraj

 

itah

や vinaya ・

dhara

、 

dharmakathika

な どの列

は他 と似た よ

な状 況に あ りなが

ら、

ara

yaka

、 

pamsukulika

、 

pipdapatika

など頭陀行 者の 列

が新た に 多 く加

え られる傾 向にあるこ とが注 目 され る。 しか るに、

指摘

した

他律

特 徴

(4)

4

) 貧女の 一灯 物 語 (袴谷) 今

指摘

した

た に

え られ たよ

傾 向

は、 こ れ を私は 、

しい 『

根本有部律

』 が

時代

進展

を反

した

結果

にほ かな らず、 当然 そ こに は大 乗 仏

展 開

の 跡 も 明

に辿 られ るは

だ と考 えて い の である13) 。 その 意 味で、こ の

物語

が また 『

論』

で も言 及 さ れて い るこ とに留 意さ れ なけれ ば ならない 。 その

実その も の は既に

Lamotte

教授

に よっ て詳 細 な諸 資 料の 提 示 と共に指 摘 されて お り 14 、 私 ご ときが付 け加 えるよ

なこ とは な に

ない が 、 『

論』 で言 及 され る その 物 語は、 必

し も

し くは な くしか

も動物

は 三 匹 なの で 一

す れ根 本

』よ りも

他律

に近い

じを

る が、

も重

他 律

の シャ コ に相 当

のが 『

度論

』 で は 『根 本

有 部律

』 と同 じ

kapifijala

(迦頻 闍羅)であ り、 しか も、 それが 「

法身菩薩

」 と されて 「

田」 思 想の 下 に 「供

恭 敬 施」 との 関連で述べ られ て い るこ とを知れ ば、 『大 智 度論 』 の示

唆す

る その

語は、 『根 本

』の そ れに最 も 近い

少 な く私 に は考 え られの で

る。 そ

て 、 私 な ら

、 『

大 智

論』の 当該 箇 所 との 比較 を通 して 『根

本有部律

』の そ れ

を読

む なら ば、

後者

に は、 前 者で 述べ られ てる よ

中心 と した 「作 善 主 義 」 が完全に 滲透 して い た

が読み取れ るの で は ない か と

。 しか も、 私が、 以下 に、 「

女の 一 物 語」 を 「小

善成

仏」 の 一環 と して 『根

本有部律薬事

』 よ り訳

出 し

て 示

、 か か る

子 をで きる だけ容 易に読み 取っ て頂き たい と

願 う

か ら に ほ か な ら ない の で ある。 なお、 パ ー リ

SenaSandekhandha

の 以 上に

れ た物 語に

関係 す

箇所

の 直 前に も、 見 よ

に よっ て は 、 「小 善成 仏 」 の 萌芽 の ご と き もの を認 め

る 15)

、 蛇 足 なが ら

えてお きたい 。 翻    訳

 

さて、 世

は、 コ ーサ ラ

Kosala

)地

janapada

)を巡 回 なさ りなが ら(carik caran )、 シュ ラ

ァ ス テ ィー (

§

ravasti ) 〔の 都 城〕に到 着 なさ り、 シュ ラー ヴァ

ス ティーの ジ ェ ー タ林 (

Jetavana

にある アナー タピン ダ ダ (

Anathapi

ada )の

arama

)に滞 在 して い っ しゃ っ た。

そ こ で、

アナ ー ダ ダ

grhapati

)は 、世 尊が コ ーサ地 方 を巡 回 なさ りなュ ラー ヴァ ス ティー 〔の 都 城 〕に到

な さ りシュ ラー ヴ ァ ス テ ィーの ジェ ー タ林の ほ かなら ぬ 自分の 園林 に滞 在 してい っ し る とい

こ とをお

きになっ た。 そ して、 お

きになっ た 後、 〔彼は

更に、 世尊の い らっ しゃ る とこ ろへ 近づ き、 近づ い て か ら、 世

の 両 足 を頭で拝 して一 方に坐 っ た。 一 方に坐 っ た アナー タピ ン ダ ダ

士 に対 して、 世 尊 一

303

(5)

      

貧女の 一灯物 語 (袴 谷 )

       

5

は、 法に適っ た お

に よっ て (

dharmyayai6

kathaya

, chos  

dang

 

ldan

 

pa

i

 

gtam

gyis)

示 な さ り

saTpdar §ayati , 

yang

 

dag

 

par

 ston  

par

 mdzad

受持す

る よ

に な さ り (samadapayati , yang  

dag

 Par ’

dzin

 

du

jug

 par mdzad )

、 奨励 な さ り

(samuttejayati , 

yang

 

dag

 

par

 

gzengs

 stod  

par

 mdzad )、 とい

よ り、喜ばれて沈

黙 な された (sarppraharSya  

taS

im

, 

yang

 

dag

 

par

 rab  

tu

 

dga

bar

 mdzad  nas  cang

mi  

gsung

 ngo )、 と

に至る ま で は前 述の ごと くである17)。 か く して、 アナ ー ピン ダ ダ

士は

よ り立っ て 、前述の ご と く18)、世

の い ちっ し る とこ ろ に

合掌

をな して (afijalirp 

prapamya )

、世

に次 の こ とを

し上 げた。 「 明 日、 屋

敷 内

(antar ・

a

食事

し、比丘

教 団

と共に 、世

がい っ し っ て下 さるよ

、私に 同意 して 下 さい 。 」と。 〔そ して 、〕前 述の ご とく 19) らか§uci 妙 な

praPtta

主 食と副 食 (

khadaniya

bhojaniya

)を準備 して (samupaniya )、 まさに その 早 朝に

kalyam

 eva )起 き

、 坐

asanaka

)を手 配 し (

prajfiapya

)、 水の容 器 (udaka

ma

i2

°

, nor  

bu

i

 chu  snod ) を設 置 し

prati

§

thapya

, sta 

gon

 

byas

 nas )

、 世尊に

使 者 (

data

,  spyan

dren

) を介 して、 「お 時 間 (samaya で ご ざい ます大 徳

bhadanta

) よ。 食

の 用 意が で きま した (sajjarp  

bhaktam

)。

や、 その 時であ

り ますこ とを、世

は ど

か 御

考慮

下 さい せ 。」と〔招 待の 〕

を知 らせ た (

kalam

arocayati

2’} 

dus

 

tshod

 gsol pa

門衛の 人22》

dauvarika

puru

§a, sgo  srungs

kyi

 mi

告 げ

ね え、 お

さ ん (

bhob

 

puru

§a, 

kye

 nang  rje)、

と にか く仏 を上 首 とす る比丘教 団が 食 事 を終 え ない 限 り の 外 道 (anya ・

tirthya

, 

gzhan

 mu  stegs  

pa

)た ちに入る 〔機 会 〕 を与 えるよ

なこ とがあっ て は

な り ませ ん よ。 そ れ か ら後で

道 (

tirthyaka

, mu  stegs 

pa

)た ちに は 私 が

え ます

か らね 。」 と。

御 主

、 その と お りにい た し ま

(evam  

arya

, 

jo

 

bo

 

bka

bzhin

      retた{1} ’

tsha1

。 」 と、 門

の 人は ア ナ ー ピン ダ ダ

士の お っ しゃ っ たこ とに

っ た。 か

くして 、世 尊は、午

中に (

pOrvahpe

)、裳 を着 け (nivasya と衣 (

patra

・civara

を お取 り に なっ て 、比丘 の

り(

bhikSu

gapa

, 

dge

 slong  

gi

 tshogs )に取 り

か れ、

比 丘

教 団 (

bhikSu

−sarPgha , 

dge

 slong  

gi

 

dge

dun

拝顔

されて

puraskrta

, mdun

      ゆ

gyis

 

bltas

 nas ) 〔

、 ない し、

述 の ご と く、 世尊が

後、

手 を洗い (

dhauta

hasta

鉢 を洗 浄 した (apanita −

patra

) 〔の を知 っ て か ら、 アナー タピン ダ ダ居士 は、〕よ り

低い 席 (nicataram  asanam )を取 っ て、 世 尊の 御 前で法 を聞 く (

dharma

−§rava ロa)

た め に 坐 っ た23)。

 

一方、 マ ハ ー カ ー シャ パ (

Mahaka

§

yapa

) 氏

24)

ayu

§mat , 

tshe

 

dang

 

ldan

 

pa

(6)

6

) 貧女 の 一灯物語

谷)

は、 ある森 林 (ara 町 aka )にある寝 臥具 処 (§ayanasana )よ り、長い 髭 (

dirgha

ke

§a−

Sma

§ru

窄 ら し衣 (

IUha

−civara の ま まで 、 ジェ ー タ林に行っ た。 〔そ

こで、

彼はジ ェ

っ ぽ (§Unya )に なっ てい るの を

て 、彼が

理 職 25)

(upadhivarika , 

dge

 skos )に 、

仏 を上 首 とす る比丘教 団は どこ にい の か。」 と尋 ね る と、

は 「ア ナ ー タ ピン ダ ダ

士に招

なさ れ たの で ご ざい ます。」 と説明 し た。 か 〔の マ ハ ー カー シ ャ パ 氏〕は、 「 私 もその じ とこ ろで

施 食

pi

dapata

) を 受 け、 そ して 、仏 を上 首 とする比丘教 団に奉仕 す る26 )こ とに し よ う (

paryupasi

§

ye

bsnyen

 

bkur

 

bya

と思い は ア ナ ー タピン ダ ダ

士 の

住居

nive§ana

に行 っ

た。

る と、

門衛 (

dauvarika

)が 「

arya

よ、 お 入 りに っ て はい けま せ ん。」と言っ た。 「 ど

して で

kasyarthaya

)。」

問 う

と、

門衛

は、

ー タピン ダ ダ居士が お命 じに なっ たの で

。 とに か く仏を上 首 と

る 比丘

団が

事 をな さっ て い る限 りは 、外 道たちに入 る〔機 会 〕を与 えて は い け ませ ん よ。 その 後で外

た ちには私が

え ま

か らね。 と、 こ

わ け なの で

。」

か く言わ れ て、〕マ ハ ー カー ャパ 氏 は 思 っ た 。「お よ そバ ラモ ンや 居士 た ち が 私 を沙 門シャ ー

キャの 弟 子 (§ramarPa −§

akyaputriya

, 

dge

 sbyong  sha  

kya

i

 sras  

kyi

る と認

しない

、 その よ うな こ とを私が 経 験 したこ と (

labha

, rnyed  

pa

)は よい 経験

だ っ た27 ) (sulabdha , 

legs

 

par

 rnyed  

kyis

 song )の で はない か。 私は、 貧 し き人

       e(3)       H

krpapa

jana

, skye  

bo

 

bkren

 

pa

)の ため に哀 愍 (anuka 加

pa

) を垂 れ より。」 と知 っ

iditva

 snyam  

du

 

bsams

 te28)

udyana

, skyed  mos  tshal)に

      はくり

っ て、

は 「 今や私は だれの た め に

支援

をな

。」 と

っ た。 そ うこ うする間に 、ハ 罹 り (

kuSthabhibhata

, mdzes  

thebs

 

pa

)苦 痛に傷

めつ け られ (sarujarta , 

lus

 zhigs29

れ た

身体

を し た (

pakva

gatra

, 

Ius

 

las

 rnag

khrag

 ’

dzag

 

pa3

°)) あ

の清

掃婦

(nagaravalambika3i }, 

grong

 

Phyi

 nyug  ma

が、施 し物 を求め て彷 徨 っ て い た (

bhikSam

 a;ati, slong  mo  

la

 rgyu  zhing

dug

)。 彼は彼 女の 前に近づ い た。そ して、彼 女の施 し物の中に は米 湯 (

acama32

) , ’

bras

 

khu

が得ら れた(sarppanna , rnyed33 ) 。 彼 女は、 マ ハ ー ャ パ 氏が、 寂

なる威 儀

(§

anta

iryapatha

 spyod  

lam

 zhi 

ba

)に よ 身 体 が 透 明 と な り (

kaya

prasadika

)心が澄 浄 となっ た (citta−

prasadika

)の を

て 、彼 女は 、「きっ と(nanam ,

nges  

par

、 私 は こ の よ

な福 田34 )(

dakSi

iya

, 

yon

 

gnas

)に対 して敬 うこ と(

kara

      reth(5 ) をな さなか っ た た め に、 私は この よ

な状

(samavastha )に なっ て しまっ たの だ わ。 も し もマ ハ ー ャ パ 聖 人 (

arya

)が 私 の 傍 で35 〕哀 愍 の た め に (anu 一 301 一

(7)

貧女の 一灯物語 (袴谷)

7

kampam

 upadaya )米 湯 を受領 しさ るら ば (pratigrhpiyat36 ))私 は

たい の よ。」と思っ た。 そ こ で、マ ハ

ャ パ 氏 は

女の 心 を意に よっ て知 り、

人 (

bhagini

)よ、 も し

あな た が

捨 をなす な らば、 それ をこ の鉢に お 入 れ

なさい

diyatam

1ugs

 shig

、 鉢 を差 し出 した。 そ こ で 、彼女は 心 を

澄 浄に して (abhiprasadya )そに入 れる

datta

, 

blugs

 

pa

)と

蜂 (

mak §

ika

, sbrang

ma ) も 〔〕落て しまっ た。 彼女は そ れ を

み出そ

と した が、 彼女の 指 もその 米湯の

い て し まっ た。 彼 女は、 「 、 聖

は、 私の 心 を守 るため に

て た りは しない わ。

れ ど

聖者

や は り召 し上るべ きで は ない の よ。」 と 思っ た。 マ ハ ー ャ パ 氏は 彼

の 心

を意

に よっ て

り、 まさに

彼女

の 面

で 、 とある壁 の 下 (

kudya

・mala )に しゃが んで召 し上 っ て しまわ れた。 彼 女は、 「 や は り3η、聖

は、 私の心 を守 る た め に召 し上 っ て し まわれたけれ ども、 こ の

ahara

)によっ て は食べ 物の働 き (ahara −

k

;tya, zas  

kyi

 

go

 chod  pa ) を果 したこ

とに は なら ない で しょうよ。」 と思っ た。

そ こ で、

マ ハ ー 、 彼 女 の心 を意に よっ て知 り、か の都 会 の 清 掃婦 に次の こ とを語っ た 。 「御 婦人 よ、 私 は

喜 (

pramodya

) を生 じま した よ。 私はあ なた が

えて下 さっ た

に よっ て 一

夜 を

過 すで しょ

。」と。

る と、

彼女

は強い

ativaudvilya , 

lhag

 

par

 

dga

ba

を生 じた 。 「

え た施

pipdapata

)をマ ハ ー カー シャ パ 聖 者が受 領 して 下 さっ たわ 3s〕 (

pratigrhita)

。」 とて、 〔彼女は〕マ ハ ー ャ パ 氏に対して 心 を澄

に して (cittam  abhiprasadya

, sems  

dang

 

ba

 

bskyed

 nas39

)亡 くな り(

kala

gata )

トゥ シタ天 衆 (

Tupite

 

deva

−nikaye )まれ

々 の 主 (

devendra

シ ャ クラ

Sakra

)は 、彼女 が

マ ハ ー 〕米 湯 を与 え 〔 を澄 浄 sems

mngon  

par

 

dad

 

par

 

byas

 nas4 °1

そ して亡 くなっ た こ とは見たけれ ども、 しか

し、 ど こへ 生 まれ た とい

こ とは見なか っ た。 彼は 、 地獄 (naraka )を観

した

け れ ど も 〔彼 女 を〕 見か け なか っ た し、畜 生 (

tiryaffc

‘ ’〕)や 餓

(preta ) や 人

(manu ya や 四

王 (caturmaharajikan  

devan

)や三 十 三 〕 (

trayastrim

§a

したけれ ども彼

見かけ な か っ た。 とい うの も、 神 々 の 知 見 (

jfiana

dar

§ana )は 下の には その よ

に働 くが上 の に は働かない か らで ある。 か く し て、 神々 の主シ ャ ク ラは、 世 尊のい らっ しゃ る とこ ろへ 近づ き、近づ い て か ら、 世 尊に

して 、頌の 誦 唱 (

gathabhigita

)に よっ て

質問 を

発 した。

  

に、

偉 大

霊魂 も

て る

mahatman

カ ー ャ パ に

施 食

を行 い し

   

カー シ ャ パ に 米湯 与 えしか の女 性は、一体い ずこ にて歓 喜せ りや。 」 一

300

(8)

8

      

貧女の 一 灯 物 語

世 尊はおっ しゃ っ た。     「 ユ シ タと名づ け られ しか の 天は 全ての 快 楽 を増 大せ しむ る と こ ろなり

  

カー シャ パ に米 湯 与 え しか の 女 性は 、 そこ に て歓 喜せ り。」 と。

 

か くして 、神々 の シ ャ クラに は次の よ

な考 えが浮んだ。 「 、 こ れ ら

の 人々 は 、

福徳

pupya

)を 目の あた りに

な く (a・

pratyak

§a

dar

§

in

と も、布

福徳

作す

danani

 

dadati

 

pupyani

 

kurvanti42

))

、 私 は

福徳

をま さ に 目

た りに

つ つ

pratyakSa

dargy

 eva )自ら

福徳

おい

立 さ れ

      retl/{6)

sve  

purpya

phale

 vyavasthitah )の だ か ら、 そ れゆえに 、あるい

施 を

るい は

徳を

すべ きで

。 こ こな るマ ハ

ャ パ 聖 人は 、み じめ (

dina

で寄 る辺 な き (anatha )貧 し

krPa

a)物 貰vanipaka )を哀愍 す の であ

る が、 な ら ば こ そ、 私 は こ の もの に施

を恵んだ

が よい。 」 と知 っ て 、貧 し き も

の の 街 (

krpapa

−vithi

屋敷 (

g

ha

) を化作 し

た。

は また、

明 白に

漏 出

した

全 く耐え 難 い ほ どの あ る もの を化

して、自分 自

は 、乱 れ た

をし大 麻の の 下

着 を身に

け手足 に は罅

れ の生 じた

織 り (

kuvinda

, 

thag

 

pa

)として現わ れ、

布 を織 り

め た43〕。 シャ チ ー (

Sacl

)とい

う 〔

シャ ク ラ

神 の 妃 も

織 りの

姿

kuvinda

bhava

−ve $a)を取

tasarika

め た 。 そ し て 、

par

§va )に は

々 しい

divya

)美汁

sudha )が置か れ て あっ た

sajji・

k

τ

ta

 

ti

§

thati

、 マ

ハ ー カー

ャ バ 氏は、

しい

る 辺 な き

物 貰

い の 人 (

krpapanatha

vanipaka ・

jana

対 す

る哀愍 を もっ て、順 次に (anupUrverpa ) その屋

にや っ て

き た。 「 こ の もの は苦 悩に充ち た もの で ある (

duhkhitaka

)。 」 と考 え なが ら (

iti

krtva

の とこ ろに立 っ て鉢

を差

出す

prasarita

)と、

々 の 主シ ャ ク ラは

々 しい

で鉢 を

た した。 か くして、 マ ハ ー ャ パ

に次の よ

えが

ん だ。 「 、 こ の もの の 〔差 し 出 した〕 神々 しい 美 汁 と こ の 屋 敷 の 大 きさ (

9Tha

・vistara と は

く齟 齬 して い る ぞ。 か く知 りて、私の 心に は疑

が生 じたわ い 44)。」 と。

に、

注意 を向け な

け れば

asamanvahrtya

)阿羅漢

も知 見

じな い とい

この こ とが決 ま り(

dharmata

)とい

もの であ る。 〔そ こ で、 〕彼は注 意 を向けるべ く働か せ て よ う く神々 の ク ラを見 。 彼は言っ た。 「ウ シ ヵ (

Kau

§

ika

よ そ お ま え45 }が 人 に関 し また の 状 況に関し長 夜に 亘 っ て懐

い て きた (

dirgha

−ratranugata )疑

疑 惑の刺 痛 (vicikitsa −

katharPkatha

Salya

が如 来 応供正等

者に よっ て根 こ そ ぎ (samala >取 り

か れ た (

aVTdha

)とい

に、

な ん お ま え は そ

な 苦

ち た 人

antaraya ) を な

(9)

貧女の 一 灯物 語 (袴 谷)

9

か 。」と。 〔そこ で 、 シャ ク ラ神は答え た 。〕 厂 マ ハ ー ャ パ

よ 、 一 体 なん で 私が苦

ち た 人の

を な

の か とい ば 、と に か く、これ らの 人々 は 、

福徳

を 目の

た りに

て い な くと も、

布施

を与え福 徳 を

すが 、 私 は

福徳

を 目の あた り に見っ っ

自らの

福徳

に お い て

立さ れ てい 46〕の だ か ら

してある い は

施 を与 えず あるい 福 徳 を

さ ない こ とが あ りえ ま しょ

か。 世 尊 もまた お っ しゃ っ てい るで は ありませ ん か。

 

福徳

が な さ るべ

徳 な さ ざ の に は苦 あれ ば な り。

  福徳

なせ し もの たち は 、 この 世 に て も また か の に て も歓 喜せ り。 とい

。」

 

それ 以 降、 マ ハ ー ャ パ 氏は 、種 族 (

kula

)に 注意を向けて (samanvahrtya 乞 食に趣 くよ うになっ た47 )。 一 方、神 々 の シャ ク ラ は 、 まる で虚 空に

してい かの ご と くしなが ら、神々 しい 美 汁マ ハ ー カー ャ パ 氏の鉢 を

た し たが 、 マ ハ ー

ャ パ 氏は ま た 、 〔その 〕鉢 を 引っ 繰 り返 して (avaft ・mukharp  

karoti

食べ

物 も

物 も蹴

ら し しま

choryate 。 こ の状 況 (

prakarapa

)を比丘 た ち は 世尊に 申し上 げ た 。 〔する と、〕世 尊は お っ しゃ っ た。 「れ ゆ 、 施

るよ

にすべ

pipd6paghatam

 

dharayitavyam

は正

に 認 め る (anuj 亘n巨mi 。 」 と。

 

ある都 会の 清 掃 婦が マ ハ ー

湯 (

acama

, ’

bras

 

khu

) を恵み 、 そ して彼 女 は トゥ シ タ 天

に生 まれ た とい

噂 (§abda )は 周 ね く

ま り、 そ れ

コ ー ラ (

Kosala

) 国王 (rajan ト (

Prasenajit

48)

、 聞い て か ら、 更に 、 世尊の い らっ しゃ る とこ ろへ 近づ き、近づ い てか ら、世

の 両 足 を 頭 で拝 して一方に坐 っ た。 そ して、か の世

が、 一

に坐 っ た コ ーサラ

王 プ ラ !

e

−一ナジ ッ トに対 して 、法に適っ た話に よっ て 説 示 し、 とい

よ り、 沈 黙 して お喜 び に なっ た 、 とい

に至るまでは

述の ごと くである49)。

 

くして、 コ ーサ ラ

プ ラ ッ トは席 よ り立っ て、 上 衣 を 〔左 〕

にか

け (ekarpsam  uttarasarpgarp  

krtva

)50 ) 世 尊の い っ しゃ る とこ ろに合 掌 をな し

て (afij alim  

pra

amya )世 尊に 次の こ とを申 し上げ た。

「51) マ ハ ー カ ー ャ パ

52) の

で (uddi §

ya53

〕 )七 日間にわたっ て

わ れ る

〕食事 (

bhakta

) 〔

へ の 御 参加

を世

は 私 に 同

して 下 さい adhivasayatu  me ) 。」 と。 世

は コ ーサ ラ

王プ ラセー ナジ ッ トに沈 黙の 状 態 (

tu

頭 m −

bhava

)で同 意 した。 か くして 、 コ ー

王プ ラセーナジ ッ トは、 世 尊が沈 黙の 状 態で同意 なさっ たこ と を知 り、世尊の 一

298

(10)

10

) 貧 女の 一 灯 物 語 袴 谷)

足 を頭で

して、 世

より退

した。 か く して、 コ

プ ラ

ジッ トは 、 その 同 じ 日の 夜に (tam  eva  ratrim )、浄らか (§uci )で妙 な る (prapita )

主 食と副食 (

khadaniya

bhojaniya

) を準備 して (samupaniya , sta 

gon

 

byas

 nas )、

ま さに その

に (

kalyam

 eva )起 きて 、坐 席 を手 配 し (asanakani  

prajfiapya

水の

udaka −mapi

を設置 して

、 世

に使 者 (

data

)を

して

を知 らせ た、

とい

よ り 自 らの手で (sva −

hastam

召 し上が らせ

santarpayati

歓 待

(sampravarayati とい

に至 る まで は

述 の ごと くである5‘)。 そ して、 ある

乞 食

       tL{7)

kotta

−mallaka55 〕

, mu  

lto

 

ba

)が、老い て死にそ

な もの の 集 る場 所 (vrddhanta ,

rgan  gral 

logs

に 立 ち、 「こ の は 、福 徳 (

pupya

) を まさ に 目の りに見つ つ 自

らの

福徳

pupya

phala

)に確立 さ れ てい る (

prati

§

thita

)の で、

そ れ らの 〕

福 徳

に よっ ては満足せ ずに

dana

)を

え、

福徳

pupya

>をな

の である。」 〔と思 い 、 王 に対し て〕 心 を澄浄に な し た。

 

か くして、 コ ー サ ラ 国王 プ ラ セー ナ ジ ッ トは 、

くの 観 点に よっ て (aneka −

pary

ye

a

を上 首 と

る比 丘

団 を、 浄 らかで

な る主

と副

に よっ て、 自 らの で召 し上が らせ歓 待 し た後で 、 食べ 終 っ た世

が 手 を洗 い (

dhauta

hasta

鉢 を洗 浄 した (apanita −

patra

の を知 っ て、 より低い

(nicataram  

asanam

) を

取 り、 世

御前

dharma

9ravapa

め に

っ た。 そ れ か ら、世

は、

王 よ

、 私は だ れの

名前

で (

kasya

 namn2 )

布施

の 功

dakslpa56

) ) を

指名

し よ

adigami

)。 汝の

名前〕

で か、 それ とも、汝の傍で (

tavantikat

) よ り

く の (

prabhatatara

福徳

を生 じた もの にか 。」 とお っ しゃ っ た 。 王 が思

に、 「 世尊 は私の

施 食

pi

颯apata ) をお取 りに な ち れ たの だ。 一

だ れ 、 私 の

で よ り

くの

福徳 を

生 じる で

か。」 と知 っ てか ら 5η 、

王 は

〕語

っ た。 厂 世

よ、 お よそ だ れ で あ れ、 私 の

で よ り

くの

徳 を生 じ た とい

、 その 人の

名 前

tasya

  namna ) 世

の 功

を指

して下 さい

bhagavan

 

dakSi

am

adigatu

。」 と。

る と、 世 尊は、 〔

の 〕

乞 食

名前

で (

kotta

mallakasya  namna

布 施の 功

を指 名 した(

dak

ipa

 

adi

§

tasS

。 こ の よ

に して、 つ い に六 日 に及ん だ。

六 日 目の 日に 、王は 、 「世 尊は私の 施 食 をお 取 りに な られ た の に、 〔あの 〕 乞 食

ko

#a・malla59 )

)の

前で布 施の 功

を指

な されて しまわれ た。」 と、手に頬 を着

け て

思 い に 耽 っ て 佇 ん で い た (

kare

 

kapolarp

 

dattva

  cint 巨.paro

vyavasthitah6 °〕 )。 大 臣た ち はそ 〔の 王の 落胆の姿

を見て、 「 大 君 (

deva

) よ、 な に ゆえに、 手に頬 を着 けて物

い に耽っ て佇ん で い らっ しゃ るの ですか 。」 と彼 ら 一

297

(11)

      

貧女の 一灯物語 (袴谷)

       

11

) が

ね る と、 王は

っ た。 「 ち よ 、 一

物思

っ て佇 ま

にい ら れ よ

か。 世 尊は私の

食 をお取 りにな られたの に、 なん と今や 、 〔あの 〕乞 食 の

前で

施の 功

を指

な されて しまわ れたの で

そ。」 と。 そこ で、 一 人の

大臣 が語 っ た 。 「

君 よ、 あま り御

じ な さい ま

な (alp6tsuko  

bhavati

)。 明 日、 世尊が大君 だけ の

で布

の功 徳 を指 名 なさ るよ うに、 その よ うに私 どもがな

であ りま しょ

か ら。」 と、 彼は下 僕 (

pauruSeya

, zho  shas ’

tsho

 

ba

) た ち に

を下 した。 「 、 お

た ち は、 よ り 一

層妙

を準備 し 、 最 初の 分 は 比丘 た ちの に、 〔後の 〕半 分は地上に落 ちるよ う、 その よ

にな すべ きで ある。 」 と。 〔そこ で 、〕彼 らに よっ て 61) 、 その 日に 、

くの かつ

なる

食事

が 準備 された。 それか ら、

楽 に坐っ てい る仏 を上 首 とする比丘

教 団

に給

し よ

と した彼 ら (

pariveSitum

 arabdhah

最初

分 を比丘 た ちの 鉢に、 〔後の 〕 半 分 を地 上 に落 と した。

る と、

乞 食

た ち は走っ て 「 上に落ちた もの を私た ちは拾

」 とい っ た が、

ら は

仕 (

parive

§aka )たちに よっ て

止 された (nivarita )。

そこ で、 か の

食は 語っ た。 「 も し も、 こ の 王 に

くの

分 な (sampad )

宝 (svapateya があ り、 また私 たちの ご とき苦 悩に充ちた (

duhkhitaka

)他の もの た ちが い ら ば 、お よ そだれで あれ欲 しが る もの た ちに対して、 なに ゆえに与 えら れない り ま し

。 一

の が

た こ と に の 益が ある とい

の で しょ

か 62)。」 と。 その乞 食に は心の 散 乱 (citta ・vik §epa )が 生 じ、彼は

以 前の よ うな ま まに心 を澄 浄にす るこ とがで きなか っ た。 そ れ か ら、 王 は

を上首

とする比丘教 団に

食事

を差 し上 げた後で 、「世

は 私の

名前

布施

指名

な され ない na  mama  

bhagavan

 namna  

dak

ipam

 adi§ati

。」 と知っ て い たの で、 布施の 功徳 を全 く

くこ と な く屋

に 立 ち去 られ た63) 。 そ こ で、 世 尊は、 コ ーサ ラ

王 プ ラセーナ ジ ッ トの

名 前

で 、 次 の よ

に、 布 施 の 功 徳 を 指 名 な さっ た (

dak

§

i

adi

a

)。

  

と馬 と車 と歩 兵に乗 りて

受せ る もの の

市民 を伴

都 城

 

実に 、荒い 無 塩の 粥の 施

の 力な り と汝 は見ん64)。 」 と。

 

か く して 、 アーナ ン

Ananda

)氏 ayu mat の こ を申 し上 げ

。 「 大

bhadanta

よ、 世 尊 は コ ー サ ラ

王プ ラセ ーナジ ッ トの 住

(nive §ana ) に て

くの 食事 を召 し上 られた後、 〔彼の 〕

前で

施の 功

を指

な さ れ ま し た 〔が 、 しか し、〕私は、 この よ

な類の 以前に指

な さ れ た布

の 功

の こ とを 一 も正

っ たこ と はあ りませ ん。」と。 世

は おっ しゃ っ た。 「ア ー ナ 、 お 一

296

(12)

12

) 貧女の 一灯物 語 (袴谷)

は、 コー サ ラ 国王 プ ラセ ー ッ トの

塩の 粥の

施 食

に 依 拠 した行 為の 連 鎖 (

karma

ploti

)につ い て聞 きたい と願

の か 。」〔と。 アー ナ ン ダは

げた。〕 「 や、世

が 、コ ーサ

王プ ラセ ーナジ ッ トの 無塩の 粥の 施 食に依 拠 した行 為の 連 鎖につ い て お話に な ら るべ き、 そであ り、世

よ、 その でご ざい 善逝 よ。 世 尊の お っ しゃ る こ とを聞い て比 丘 たちは 〔その こ とを

持す

るで あ り ま しょ

。 」 と。 そこ で 、 世

は、 比 丘 たち に告 げた。

 

ち よ 。 大

昔 (

bhitta

pttrvam )

る 山里

karvataka

9r

. 

ha

pati)

が住ん で い た。 彼は同種の

系 (

kula

)よ り妻 (

kalatra

)を娶る と、彼は彼 女 と 一 緒に戯れ楽 しみ生 活を共 に したの である。 彼が

れ楽 しみ生 活 を共に し て い る

ちに、 子供 (

putra

>が 誕生 し た 、 とい

よ り、 〔彼〕成 長 し(unita )強 く(vardhita

逞 し く (mahat っ た、 とい

に至る ま で は

述の ご と くである

65)

。 そ

うす

る うち 、か の

士 は連れ合い

patni

告 げた。厂ね え、 お ま え

bhadre

、 私 た ち

に は 、借

を引 き受 け (;

pa

hara

)、かつ 財 産 を引 き継 ぐもの (

dhana

hara

)が で き た。 私は産 物 (

papya

) を持っ て別 な地 方へ 行 くこ と にす る。」 と。 彼 女は、 「 様 (

arya66

) )、 その よ うに なさっ て下さい 。」 と語っ た。 彼は産 物 を持 っ て別 な地 方 へ

っ た。 そ して、

は、 ま さにそ こ に おい て、

不 幸

なこ とに

災害

りか か っ て 亡 くなっ て しまっ た。

〕彼

屋敷

で は、

ん でい た

財 産 (

dhana

jata

)も尽

きて しまっ た67>。 彼の その 子 供は苦 悩に

た されるよ

に なっ た。 〔とこ ろ で 、〕そ

士 に は隣人 (vayasyaka , sten 

grogs

)がい て 、彼は そ 〔の 子供 〕に 〔次 の よ

      は たけ に

言っ た。 「 お

は私に とっ て も子

る 68) 。 私の 田

k

$etra

るが よい 。       me  (s] 私はお

に食事 (

bhakta

)で支 援 (

yog6dvahana69

) ) をなそ

。」と。 そ 〔の隣 人〕 は そ 〔の 子供 〕に 田の 労 働 (vyapara ) をなす

に させ 、彼は また彼に

食事

で支 援 を な した。 そ

うす

ちに、 別 な折に、

日祭 (

parvan

, 

dus

 ston7

° )が催 さ れて、 その

子の 母は思っ た。 「 、 〔その 隣 人の 〕居士 の

さ ん(

grhapati

patni

は、 友 人 (suh ;

d

)や関 係 者 (salpbandhi )や親 族 (

bandhava

)や 沙 門 (§ramapa )

やバ ン た ちに食事 を持て成 す こ とで忙 殺 され る よ

に な るだろ

1 〕。 前祝の

り (s2nukala72 ) , snga  ’

tshogs

の 息 子の

食事

して や ろ

。」 と。 彼女 は前祝の

りに行 っ て

士 の

さん にその 目

を知 ち しめ た。

す る と、

そ 〔の

さ ん

は憤 慨 して (rusita )語 っ た。 「

初に 、沙 門 やバ モ ン た ちや 親 類 (

jfiati

たちに 与 えて もい い の に、 その 間に、 下僕 (

pre

§

ya

)に

え るとい

の かい 。 今 は しば ら く立 っ てい るが い い わ。 明 日私は二

の もの を

える でしょ

よ。」 と。 一

295

(13)

貧女の 一物語 (谷) (

13

) それか ら、 その

子の母は考 えた。 「

子が

えて しま

こ とがあり ませ ん よ うに。 〔その ため に〕私は こ の 無塩の (alavapika )粥の

施 食

kulmasa

pipdika

      は た け

を 〔

息 子に

してや ろ

。」 と。 彼

はそれ を取っ て 田 に行 っ た。 その 息 子 は 彼女 を遠 か ら ざ る とこ ろ か ら見て 、彼は 「お 母 さ ん 、美 味 zhim  

po

なに もない の で すか。 」 と言っ た。 彼 女は

えた。 「 、冒、子 よ、 今 日は (

de

 ring ni)

通の

物 (zan  nar  ma と な る よ

な も もな母 さん、 一

して で しょ

か。」彼

は息 子に

士 の

さん が述べ たこ とを全て詳 しく説

明 して (

akhyaya

, 

bsnyad

  nas

、 「

食 を私 は 用

して き ま し た よ。 お前はこ れ を食べ な さっ た73)。 彼は 「 っ て 下さい 。」と語っ た。 彼 女は置い て退 出 した。 〔さて 、 74 〕仏た ちが生 まれるこ が ない ときに は独 覚 (

pratyekabuddha

)た ちが 、

っ た もの (

hina

)や

しい もの (

dina

)に対 する哀

愍 を もっ て、

くの 辺 境で

具 を享

受せ る(

pranta

§ayanasana

bhakta

世 間

人々 の

10kasya

)唯一 の

布 施

の 功

値 す

の (eka −

dak

iniya75

 yon  gnas  gcig

pu

)た ち と して、 世 間に

まれ る。 そ

うす

ち に、

る独

が その 地 域

prade

§aに到 着 した。 〔そ して、〕その

体が透明であ り (

kaya

prasadika

)心 が

澄浄で あり (citta−

prasadika

寂静

なる威

した (§anteryapatha −vartin ) 〔

覚〕

をか

て、

っ た。

く感

じるこ とだ が

nanam , 

gdon

mi za  

bar

は 、

な類真実 最 勝

功徳 値 す sad −

bhUta

dak

§

i

iya76

), yon  gnas  yang  

dag

 

pa

)に対 し なすべ きこ と (崇敬 ) を なさなか っ

た (

kara

 na  

krta

)の で 、 そ れゆ えに、 私は こ の よ

な状 況 (samavastha )に なっ

てい るの だ。

こ の

が私か ら (mamfintikat )こ の 無塩の 粥の 施 食 を受領 し

て 下 さ る な ら ば (

pratig

τ

hplyat77

), 

bzhes

 na )、 私 は こ れ を彼の ために与 えるこ とに

しよ

。 」 と。 そ れ か ら、

その

は、 か の

乏人 (

daridra

puru

§a 心 を意 に よっ て知 り、 鉢 を

し出 して (

prasaritavat

)、 「

bzhin

 

bzangs78

なたが

放捨 を

な らば、 こ の

えて下 さい 。」と 〔言 っ た。〕そ れか ら、 〔彼 は79)

極め て (

tivra

)澄浄 (

prasada

) となっ て 、 その 無塩の 粥の 施 食 を独 覚に恵 ん だ (

pratip

dita

 

比丘 たち よ、 一 こ の こ とをお ま え

う思 う

時 あ

に おけ る、あの 貧 乏人 なる もの 、こ れ こ そが か の コー サ ラ王 プ ラセー ナ ジ ッ トだ っ たの である。 〔その 時 8°) 、〕この もの に よっ て独覚に

塩の粥の

施食

まれ た とい

、 その

行為

に よっ て

彼は

、 六

も (

Sat

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天 (

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参照

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