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時 代 と の 戦 い -

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シュテ ィフ タ 一 に つ い て

時 代 と の 戦 い ‑

武 田 智 孝

1) 三 月革命 とシ ュテ ィフクー

ウ ィ‑ ンで革命 のあ った 1 8 48 年を境に して, シ ュテ ィフグ ‑に感ぜ られ る最 も大 きな変化は,批判精神 の芽生え と,使命感 の 目覚 め とい う事であろ う。 革 命以前の ‑ I /ユテ ィフク ーも,作家 であ る以上は, 自分を と りま く世 界 に十 分 満足 していたはずはな く,特 にその手紙等で, 同時代 の作家達 の傾 向に対 して 激 しく非難を浴びせ,様 々の不満や悩みを うったえてい る 。 しか し,特 に世 の 中を悪 しきもの と観 , 時代 を危機的 な もの と感 じた速 は , その時期 の作 品や手紙 には見当 らない よ うである 。 個人的 な悩みや思い出 , 創作 にあた っての苦 しみ , 時 には 自己の信条 の告 白等 もあるが,総 じて普通 の 日常的個人的 な喜びや哀 し みを伝 えた ものが当時 の手紙 のほ とん どの内容 をな してい る 。 作 品において も そ こで描かれ てい る ものは,常に この世が続 くか ぎ り,絶 え る事 のない,人間 の 自然 な姿や感情 の ドラマであ る。後期 の作 品におけ るよ うに, ことさ ら,世 間を批判 し,それに対 して理想を書 き示す, と云 った態度は見 られ ない。彼 の 作品は,発表当時,世 間か らは喝釆 を もって迎え られ,文壇か らも好意 あ る批 評 を受け る事が出来た。彼 は意を強 くし,人 々の期待を裏切 らない よ うに,一 層完壁 な作 品を 目指 して,努力 した のであ った。 そ こでは,周囲の世界 と彼 自 身 との問に何の断絶 もな く,幸福 な共 同体が形造 られ ていた と云え る。

ただ ここで,後年 の変化を理解す るた めに,注意 しておかね ばな らないのは この時期 の シ ュテ ィフグ‑が,何 よ りも先ず彼 自身の浄 化 とい う課題を背負 っ

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ていて, 「習作集」 の作品群を通 して, とも角,曲 りな りに もこの課題の解決 に成功 した, と云 う事であ る。 暗い激 しい情熱 の爆発,その結 果 として当人及 び当人を と りま く幾人かの人達 の不幸 と混迷,それに続 く当人の後悔 と自責 , そ してそ こか ら立上 ろ うとす るきび しい努力 と精進,最後に, よ り高い澄んだ 心の状 態 と人 々 との和解,幸福 と云 っ7 こ変化をた どる物語が,い くつか 「習作 集」 の中には見 られ るが,そ うい う作品 と,彼 自身の内部 で進行 しつつ あ った 事,あ るいは彼が成就 したい と頗 っていた事, との間には, 内面的 なつ なが り が あ る

若い頃 の乱脈 と無謀, ファニ ー ・グライプルに対す る失恋か ら来 る絶 望的 な苦 しみや味気無 さ. そ うい うものを克服 し放 けだす事が, そ して何 よ り

も,彼 自身の中にあ って, しじゅ う彼をおびやか しっずけた暗い激 しい情熱か らの 自由 とい う事が,彼 の課題だ った のであ り, 「習作集」 の幾つかの物語 り ほそれに照応 してい るのであ る。又 . 「原 ・習作集」 か ら 「習作集」への書 き かえの仕事におい て も,主観的 で熱を帯びた状 態か ら,客観的で冷静 な状態へ 移行せん とす る努力が感 じ坂 られ る。 「原 ・習作集」 においては,作者の感情や 主観が対象をのみ こみ,主体 と客体 との問に距離が感ぜ られ ないのに対 して, 書 きかえ られた後の作品では,主観的 な判断や形容 は出来 るだ け差 し控 え られ て,事物を もっとそれ 自体に即 して見つめ よ うとす る態度が現われ てい る

こ うい う努力 を通 して, シュテ ィフクーも或 る程度は,内面的 な平静を得 ,周 囲 の事象に対 して も, 自らに対 して も,幾 らかの距離を置いて観 る目をかち得 た

と云 え る

この よ うな過程 をす でに経 ていた のでなければ,三月革命に対 した 時 シ ュテ ィフクーは,ただいたず らに,興奮 と混迷 の中に浮沈す るばか りで, それを批判 し, 自己の行 くべ き道を見出す事は出来 なか った であろ う

三月革命が起 り,最初 の興奮か ら醒 めた時,大 きな驚 きと恐怖が彼 を とらえ た。 そ こに彼が見た ものは まさ しくこの節度 と自由が失われ,低劣 な情熱 の暴 れ まわ る世 の様 であ った. シ′ユテ ィフグーの悲嘆は,上述 の事か ら想像は され るが,手紙に読み とる事 の出来 るその感情 の激 しさは, どの よ うな想像を も上 廻 るものであ る

「事件が どの よ うな進路を とるかを見た時,人間性に就 いての最 も深刻 な暗

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うつ な打 ちのめ された気持が私を とらえ ま した。私は 自分 自身が持 ってい ると 想像 さえ しなか った程 の注意 と感 動を持 って,事件 を迫 った のです

背 理 と空 々 しい熱狂 と,それか ら下劣 と空虚 と,そ して最後には犯罪す らが我物顔 に拡 が り,世界を 占領 した時,私 の心臓 はほ とん ど文字通 り張 り裂けんばか りで し た 。」 ( 1 84 9.9.4. ‑ ツケンアス ト宛書簡)

「この状 態を見,混乱 と下劣 とを放任 しておかねば な らないのは.云い よ う もない苦痛 です。 私は この年に以前は露ほ ども知 らなか った感情 を知 った ので した。すべ ての偉大な もの,美 しい もの,人間的 な ものは消えき り,心情 はか き乱 され,詩は失われ ま した 。 」 (同上)

そ して.

「私は節度 と自由の人間です

‑ 今では残念なが ら, この二つ とも危機 に ひ ん してい ます。 ‑‑‑ 自由を渇望 した あんなに も多 くの人達が今や 自 ら専制 欲 の と りこにな ってい るのを見 るのは悲 しい事 です 。 」 ( 1 84 9.5.2 5. ‑ ツケン アス ト宛書簡)

「理性 と人間 らし等‑ 今やほ とん ど世 の中か ら姿を消 したかに見え るこの 二つ の ものが再び勝利 を占め ます よ うに 。 」 ( 1 84 8・ 1 0・ 2. ‑ ツケンアス ト宛書簡) この よ うな言葉 は, 当時 の彼 の手紙か らまだ幾 らで も拾い出す事が出来 る

シ ュテ ィフクーの云 う節度 とは,低 い 自我や情熱 をい ま しめ,常に よ り高い 自 己に就か ん とす るた めの態度 であ り,その よ うな悪 しき我慾か らの解放 と, よ り高い 自己へ の喜ば しい附従 とが ,彼 の意味 での 自由であ る

この長年 自分が 理想 として来た美徳が眼前で空 しく消えて行 くのを見 る事が彼に とって,非常 な悲 しみであ り,彼がそれ らの徳 の価値を よく知 っていただけに,その事が世 の中についての憂い と嘆 きを彼 に もた らした事は よ く理解 され るであろ う。

だが,革命が彼 に驚 きを もた らした のはただそ こで節度 と自由が崩壊す るの を見たためだけだ った ろ うか ?

三 月革命は周知 の よ うに.ナポ レオ ン戦争後,その後 の方針 として フラ ンス 大革命以前の旧状へ の複層を板 りきめた ウ ィ‑ ン会議 での方針通 りに, メ ッテ ルニ ヒを 中心 とす る復古反動の風潮が ヨーロ ッパ全体を支配 して,一旦 目覚 め

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かけた人間の 自由 と権利 を抑圧 した事に対す る,それ らの 自己主張 の結果であ った 。外的には フラ ンスの二月革命に触発 されて起 った ものであ ったが , その徹 しほす でに十分 ドイツ国内において も見 られ, ドイ ツ統一 とい う国家的 問題 と も結合 して,早晩起 るべ き運命にあ った。 そ して この 自由主義運動が本来,人 間の精神的活動の 自由を抑庄す る圧政に対す る反抗 であ り,当然 の権利 の主張 であ る限 りは,作家や学者 の多 くがその運動に参加 し,その指導的役割をおび た事は当然であ った。作家 では,ハ イネ,グッコウな ど 「若 き ドイツ派」 と呼 ばれ る人達が,その代表者であ る

又,変 った所 では ワグナ ー等 もその運動に 参加 してい る し,学者では,圧政か ら直接被害を受けた, ゲ ッテ ィンゲ ン大学 の七人 の教授等 (グ リム兄弟等) もやは りそ うであ る

しか し知識人 の中には その よ うな直 接 政 治 的 な行動や文筆活動に賛成出来 ない人達 も幾人か居た。

アイ ヒ ェン ドル 7,メ‑ リケ ,グ リル/ミ ル ツアー. シュテ ィフクー等 であ る. こ れ らの人 々 とて も圧政を好 ま しい もの と思 っていたわけではないが,外的 な制 圧か ら受け る自由の束縛 を振 り除 こ うとす るよ りは,そ うい う状 況の中にあ っ て もなお抹殺 され得 ない精神の 自由 と人 間的 な価値 を見出 し,守 ろ うとす る傾 向を持 っていた。 この内面性尊重 の態度は一般に ドイ ツ文学におけ る伝統的 な 傾 向であ って, それが今 日,政治 の貧困を生 んだ原因 として,幾 らか の批判 の 対 象にな っていないわけではない。 しか し, この人達 の態度 は,単に貧 しい外 的現実 の世界か ら内面へ逃避す る, とい った消極的 な ものを意味 してい る とは 考え られない。又,内面 を豊かにす ることに よっては じめて世界 を正 しい もの にす る事が出来 る, とい った確信に基いた態度だ とばか りも思われない。勿論 彼等が.人間の其 の意味 での進歩が,常に人間の心におい て しか ,或いはそ こ を中心 として しか起 り得 ない事を感 じていた事は確かであろ う

しか し私は こ こで, 少 くともシュテ ィフクーに関 しては感ぜ られ る事であ るが,そ こにいわ ゆ る自由主義的進歩派 よ りも,む しろ保守的反動主義 と呼ばれ る傾 向に よ り近 い側面が在 った事に注意 したい。つ ま りS /ユテ ィフグ‑には,末だ,王権へ の 忠誠 の念 とか,階級的社会制度や教会 の権威 に対す る尊重 の気持 とかが存在 し てい るのである

彼が革命に恐怖 した重大 な理 由の一つは, この よ うな旧 くか

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らの社会秩序が崩壊す る危険をそ こに見た事にあ る

だが私 の主眼 とす る所は そ こではない。

云 うまで もない事であ るが, シ ュテ ィフクーの上述 の よ うな気持 も含 めて, これ らの人達 が 自由主義運動に参加せず,む しろそれに対 して批判的で さえあ った と云 う理 由で,彼等を簡単に反動的 であ るとか,保守派であ った とか決め て しま うのは誤 りであ る

一般に歴史へ の参加形式を,一方には革新的進歩派 他方には反動的保守派 とい う,二つ の態度に図式化 して しま うや り方は,今 日

まるで常識みたいに され てい るが,あま りに も単純 と云わねばな らない. ,た と え人間が未来 の よ り完全 な状態に向 って一歩ずつ前進すべ きものであ って も, 何が前進 であ り,何が退歩 を意味す るか とい う事は,簡単には決 め られ ない問 題 であ る。 それに又, 自由主義的革新運動 の 目指 していた方 向が,はた して進 歩だ ったか ど うかは,今 日か ら見 る と大いに疑 問の余地 あ る所 なのだ。現に運 動を推進 したいた人達 や.当時 の大衆一般か らほ,勿論 それは前進 と見 なされ ていた であろ う。彼等は,人鞍 の無限の進歩を信 じ, あ らゆ る非合理的 な制度 や秩序 を除去す る事に よって,合理的な社会,万人の平等や人権 の尊重 され る 良 き社会 の出現を信 じ期待 していたか らであ る。 だか らその民主主義社会 とい うものを 視 点 として考 え るな らは. その運 動は概 して進歩 と考え られ るであ ろ う。 しか しそれを見 るのに も う一つ の視点が在 る。 即ち,か っての中世 キ リ ス ト教 文化を中心に見 る立場が それであ る

そ こを起点に 1 8 ‑1 9 世紀の 自由主 義運動を見 るな らは, それはか って存在 した文化的 な統一 と秩序 との破壊 を意 味 し,進歩 とは逆 の動 きを示す もので しか ない。 しか も, その後に出現 した現 代 の衰弱 し荒廃 した文明 と中世 キ リス ト教文化 とのいずれが本質的に秀れた文 化であ るか , 何人た りとも簡単には判断 しえないであろ う。む しろ, 何 らの霊的 な統一原理を もその根底に持たず, その事 に よって 日増 しに精神的 な混乱 と無 力化 の一途 をた どってい る現代 の文明が兵に健 康な文化 とは云えず , これに反 して,様 々の不合理な要素を含 んでいたにせ よ, キ リス ト教信仰 とい う地盤 の 上に築かれ ていた 中世 文化 の方が,た とえ物質面においていかな るひげを とろ うとも,兵 の意味 での文化を具現 していた と考え られ るのであ る。 もしその よ

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うな見方が許 され るな らば, 自由主義的革新運動は.当時す でに大方 の精神的 根底 を失いつつ も,未だ残存 していた 中世 キ リス ト教文化 の形式的遺産 まで も 打 ち くだ き,完全に世俗的 な文化 の建立へ と一歩 前進す ると同時 に,過去 の有 機的 な精神的統一体 の破壊 をほ とん ど完成 の域 に まで達せ しむ る. マイナスの 働 きを した もの とも云 え るのであ る

自由主義を生んだ ものは.云 うまで もな くル ネ ッサ ンスを生み ,宗教改革を 生み,啓蒙主義を生 んだ合理的 ・批判的精神 であ る

この精神が, 中世 に含 ま れ ていた非合理的 で , 野蛮で , 滑稽 とさえ見えた様 々の権威や風習や秩序 を, そ の健全 な市民的常識 で もって批判 し破壊 していた間は,確かに或 る程度 の有意 義 な働 きをな した と云 え よ う

しか しこの傾 向は必然的に二つ の悪 を伴 ってい た。第一 には,す でに述 べた よ うに, これが 同時に,中世世界 の根底をな した キ リス ト教信仰 とい う共通 の精神的基盤を打 ち崩 し,その後に地上的人間的 な 世俗文化を植 え附 けて行 った事 であ る

中世 の超 国民的 な神権政治 は国家を基 礎 とした絶対君主制へ と分裂解体 して行 く

か っての神 と云 う絶対 な るものへ の信 仰は人間の理性 と人間性 とい う相対的 な ものへ の信頼 に降下 して行 くので あ る

しか しまだ そ こに 中世的原理が残存 して, この崩壊 の動 きに ブレーキを か けていた間は よか った。だがその力 の弱 まる頃には,人間の 自己 自身 の能力 へ の信,つ ま りヒューマニズ ムは,やが て 自己を超 え るいか なる原理を も認 め ない無神論へ と発展 して行 く。 合理的 ・批判的精神はただ非合理 と見 なされ る 既 成 の権威や秩序 のみにその矛先を向け るに とどま らず,終には全ゆ る権威 や 理想を も一片 の幻影 として否定 し去 るニ ヒ リズ ムへ と進展せねは止 まぬ。 それ が絶対的 な ものへ の信 仰の裏付けを欠いた近代合理主義精神 の行 きつ く終局 の 地点 であ る

ニ ヒ リズ ムは消極的 な形では,没理想の無気力 な風潮 ともなれば 積極的 な形では,破壊的 な悪魔 主義 とも化す る。神 を失い, もはや相対的 な価 値 の もの しか存在 しない世界 では,抑圧 された人間の宗教本能は, もしいか な る絶対 の価値 を も認め得ず,全ゆ る ものに不信 の念を示す場合は,無力 な否定 精神か,懐疑主義に陥 る( , もしそ こで.神 とい う正 しい絶対に従 う代 りに,悪 しき絶対 に 自己を措け るな らは,それは悪魔主義に走 る。 いずれにせ よ, もは

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やいか な る ものに も確固 とした価値 の認 め られ ない精神的無秩序が生 じ,兵 の 無 政府状 態 を招 く。 これが第二 の悪 である

この よ うな状 況はす でに 1 9 世紀 に おい て始 ま っていた。最 も精神的 で鋭敏 な人達 がそれ を感 じと り. それ故 に苦 しまなか ったはずは ない。 我 々はそ こに,光輝 あ るル ネ ッサ ンスを生 んだ ヒ ュ ーマニズムの精神が,人 間に よる人間 の地上王 国を築か ん として, 中世的 な多 くの不合理 と見え,悪 と見 えた ものを批判 し破壊 し,つ いには 自己 自身 を支 え ていた精神的峯 礎 を崩壊せ しめ るに至 る, 皮 肉な過程 を見 るのであ る。

ともか く,以上 の よ うな光に照 して見 る時 シ ュテ ィフク ーの態度が単に進歩 主義 とか反 動 主 義 とか の 狭 い対立 の枠 を超 えて, もっと本質的 な ものに結 び つい ていた事に気 付 くであろ う。彼 は,古 い ヨーロ ッパ の文化的遺 産 を当時 と

してはめず らしいほ ど多分 に受 け継 ぎ,それ に対 して常 に忠実 であ った のだ っ たO 自由主義運 動や三 月革命 に対す るシ ュテ ィフク ーの批判 の 中には.古 い ヨ ーロ ッパ の精神的伝統 の断絶崩壊を憂 え る気特 と, その後に出現す るであろ う 精神的混乱 に対す る暗い予感が隠 され ていた のであ る。 この事 を理解 しないで は, シ ュテ ィフク ーと云 う作家 の本 当の意 義は掴 め ない のでは ないか と思 う。

勿論彼 は キ ェ/ レケ ゴールや ニ ーチ ェではない。 シ′ ユテ ィフグ ーはただ 中世 の カ トリック的 キ リス ト教 と近世 の人文主義 との善 き遺産相続 人 として, それ らの 古 き良 き ヨーロ ッパ世界 の精神的遺 産 を,忠実 に守 り続 け る努力 をな した にす ぎない。 しか しその事が ,彼 の生 きた時代 では,す でにひ どく困難 な,勇気 と 忍耐 を要す る仕事だ った のであ る

それにつ い ては,後 の第三章 におい て シ ュ テ ィフクーの意味 と位置 に関 して論 ず る際 , も う一度ふ りか え って考えて見た い と思 う。 又 シ ュテ ィフグ ‑もル ネ ッサ ンスの子 であ り,彼 の 中に も理性 と人 間性 を信ず る ヒ ュ‑マニズ ムの血が流れ てい る事は云 うまで もない。 それにつ いては,又,改 めていつか考えてみた い。

三 月革命 とシ ュテ ィフク ーの関係につ い て. さ らに, 革命 におい て現われた 人間性 の暗い獣的 な面に触れた 事が. 自然 なままに美 しい人 間像 の理想 を夢 み ない で もなか った従 来 の彼 に,一つ の鞭 とな った事 も,彼 の驚 きの原 因の一つ であ る事 を付け加え てお きたい。 「造物主が清 らかに作 り上 げた人 間の魂 は限

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りな く貴重 であ る

従 って この よ うな魂が, けが されずに,周囲に蘇 ってい る 邪悪 な ものを夢 に も知 らぬ時, それはあ らゆ る力をつ くして無理に成 しとげた 改善 よ りほ,我 々に とって, は るかに筆紙 につ くし難 く神聖 なのであ る」 と彼 は 「喬木林」 の中で書い てい る

従来 の彼には この よ うな要素 もあ ったわけで あ る

以上三 月革命に対す るシ ュテ ィフグーの反榛 と, その基点 としての彼 の精神 的立場 と本性に関 して,見て来たわけであ るが, それ らについての彼 自身に よ る自覚や認識 はむ しろ革命後に起 った もので , それ以前の シ ュテ ィフグ ーは , 必 ず しも十分 自己 自身に 目覚 めていたわけではない。革命に よって,彼 の眼前で 彼 自身 の世界が崩壊す る様 を見た時 ,は じめて彼は 自己の特質 と位置 とを明確 に意識 した のであ る 。 「私は節 度 と自由の人 です」 と云い, 「倫理的に偉大 な

ものな しには人 間は生 きられ ませ ん 」 ( 1 8 4 8.9.8. ‑ 、 ソケンアス ト宛書簡)

「道徳 も神聖 も芸術 も神的な もの も, もはや何物 で もな くな った よ うな生 よ り はむ しろ死 の方が ま しです 」 ( 1 8 4 9.3.6. ‑ ツケンアス ト宛書簡) と云 った言 葉 の中にその苦悩 の激 しさ と同時に彼 の生 き方,考え方 の本質につい ての彼 自 身の強 い 自覚がか くされ てはい ないだ ろ うか。

三 月革命におい て, シ ュテ ィフグーに関 して起 った事は確かに,一言 で云 え は,彼 自身 の世界 の外的世界におけ る崩壊 と拒否であ った。彼 の内部に生 きて いた世界 とは,既 に述べ て来た よ うに,節 度 と自由であ り, キ リス ト教的,人 文主義的 な理想国であ り,本質 におい て明 る く自然 な罪 の積れを知 らぬ世界 で あ る

その よ うな世界 の諸 々の価値 と特質が今や周 囲の世界か ら消滅 した のを シ ュテ ィフグーは見た のであ る

彼 は ど うすべ きか。 行 くべ き道は二つ しか な い よ うに思われ る

一つ は,彼が, 自己の中に生 き, 自らが理想 として来た世 界を疑 い,否定す る事であ る

世 の混乱 と悪 に身を晒す事に よって,過去 の世 界を拒否 し,苦悩 の中か ら別 の新 しい生 き方を求め,切拓 く道がそれ であ る

今一つは,周 囲の悪 しき世界に対 して,あ くまで も自己の世界 の正 しさを確信 し,それを守 る事 であ る

そ してその よ うな 自らの世界 の秩序を,再 び周 囲の 世界にお し広げ よ うとす る道 であ る。彼は第二 の道を選ぶ。 しか しシ ュテ ィ7

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メ‑が第一 の道 を知 らなか ったわけではない 。1 8 4 8 年以後,数年にわた る作家 としての沈黙 と,何 よ りもその手紙 に語 られた絶望 と苦 しみ の激 しさが.第一 の道 の可能性を我 々に示 してい る

しか し実際にそち らを選ぶには,彼 の中に はあ ま りに も強 く彼 自身の世界が存在 していた。 そのためには良 くも悪 くも彼 が も う少 し近代 の子 であ る必要が あ った。 彼 の中には古い ヨーロ ッ/くの精神的 遺産があま りに も強 く受け継がれ ていた のである 。 だが もLyュテ ィフクーが 第一 の道をた どって行 った な ら,彼 の作品は どの よ うな ものにな っていただ ろ うか。 ドス T ‑エ フスキ‑や メル ビルの世界が,又 ,ニ ‑チ ェの哲学がその よ う な場合の例を提供 して くれ る

これ らの人達 はその釦敏 な近代的感覚 で もって 近代世界 の悪 と混 迷を逸 はや く感 じと り,その前に もはや過去 の明 る く疑いを 知 らぬ世界の可能性を否定 して,苦 しみ の中か ら新 しい道の獲得を 目指 し進 ん で行 った のだ った。 しか しとにか く, それは シュテ ィフクーの道ではなか った.

彼は彼 自身に忠実 であ らん とすれば, ど うして も第二 の道を歩む よ り他 なか っ た のであ る

それが シュテ ィフタ‑の定めであ った。 しか しこれがために,何か シュテ ィ フタ‑を近代以前 の人間,末だ近代 の苦悩を知 らず,それ以前の美 しい 田園的 な ロマ ンスの世界を夢み る人間 と解釈す る事はあや ま りである。三 月革命を経 る事に よって彼は彼 な りに近代 の苦悩を嘗 め,彼 の立場か ら近代 の超克に乗 り 出 してい った のだ った。従来 の彼がいかに芸術家 としての良心を保 っていた と は云 え,半 は戯れに書 き,時には幾分甘美 とも見 える憂愁にひた り,又.時に は 自己の本質 を逸脱 しなが ら創作 した事 もあ った とすれば,それ以後 の彼はあ くまで も本来 の 自己を見つめ,それに忠実 に従 い,それ を守 る事 に よって,近 代 の世界に対 した のだ った。 そ こでは決 して過去 の自己がそのままに肯定 され たわけでは な く,それに対す る批判 と反省は充分 なされ,そ こに見出 され る非 本質的 な要素は捨 て去 られ,その上 で 自己の世界が,守 られ主張 された のであ

る 。

三 月革命を契機 に して シ ュテ ィフタ‑に生 じた最 も大 きな変 化が批判精神 の 芽生え と使命感 の目覚めであ る事は,既 に この論 の冒頭 で述べた。彼が兵 の 白

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己に 目覚め,その自らの世界 の正 しさを 自覚 し.周囲の悪 しき世界に対 してそ れを守 り広 め る義務を感 じた時, この よ うな変 化は当然 の結果であろ う。 この 変 化については さらに,その直接的 な現われを教 育に対す る彼 の熱意 と, 芸術

の意味についての新 しい 自覚 の中に見て とる事が出来 る

「‑年来,民衆 と青年を高め教 化 したい とい う憧れが,私 のJ bで,支配的な 熱烈 な感情 とな った ので した。私が世 の中に対す る喜びを失 ってはな らず,塞 穴を良 き平安な る憩い の場 と見 てはな らないのであれば,そ うす る他道はない のです。 何故 な ら, 自分が愛す る事 の出来 ない場所 で私は生 きた くないか らで す 。」 ( 1 84 9.9.4. ‑ ツケンアス ト宛書簡)

「自由の理念は , 今後永 きにわた って滅ぼ され ま した。 倫理的に 自由である者 は国家的に も自由です。 いや常に 自由です 。 それ以外の者は地上 の全ゆ る力 を もって して も自由にす る事は出来 ません

それをなす事の出来 る力は唯一つ : 教養 ( Bi l dung) です。 それ故私の中には,本当に病的 なほ どの憧れが生 じて

『幼い者達 を私の所 に よこして くれ』 と呼んでい るのです

なぜ な ら,国家が その子供達 を教育 し人間な らしむ る仕事を,教 養 ある人達 の 手 に 委ね るな ら ば,その子供達 を通 してのみ,理性す なわち 自由が築かれ るか らです

それ以 外 のや り方では決 して出来 ないで し ょう 。 」 ( 1 84 9. 3. 6. ‑ ツケンアス ト宛書簡)

「哀れ な教 育制度。 二千年来 の罪 の椅子。 ‑‑‑‑ 放任 された民衆が鉄 の よ うな証拠に よって数 え られ るまでには, 革命を耐 え,幾千倍 もの よけいな犠 牲を要 し,笠紙 につ くしがたい流血 と悲惨 とを招来す る市民戦を戦わねはな り

ません

少年時代 な らば,言葉に よっては るかに容易に数 え こむ事が出来た で しょ うのに。 ‑‑‑教育は国家第一 の神聖 な義務です

何故 な ら,我 々は国家 の内において人間た らん として,国家を持つ のですか ら 。」 ( 1 84 9.4.26. チ エル ク宛書簡)

1 8 4 8 年か ら 4 9 年にかけての手紙は,教育 の必要を訴 え る言葉 で満ちてい る

教育 とい うものがはた して シュテ ィフグーの考えていた程力 を持つ ものであ る か ど うか,私にはわか らないが, この頃 の彼 の手紙 を読む と,そ うい う理屈 と は別把,何か切 々 と心を打 って来 るものがあ る

一般 に シュテ ィフグーの手紙

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ほ彼 の作 品中,た くまず して最高 の もの とな ってい るが.特 に この時代 よ り後 の手紙 は読む者を して深 く心動か さずにはおかぬ ものがあ る

世 の中の事を本 当に憂 え,心か ら苦 しんでい る真面 目な人間の気持が,何 の飾 りもな くあ らわ され てい るか らであ る

シ ュテ ィフクーは間 もな く,自ら進 んで上部 オ ース 十リアの国民学校( Vo l ks ‑ s c hul e ) の硯学官 とな り, 山地 の学 校を 視察 し, 自ら教科書 を編 算 し,不 向 き な事務に勤勉にたず さわ る

しか しこの面についての観察は これで止 めて次 に 芸術 の使命についての彼 の意見を聞 こ う 。1 8 4 9 年 の手紙 では久 しぶ りにその事 に触れ てい る

「私は再び美的 な ものに携 さわ りたい気持 で‑はいです

過去 の荒廃 と野蛮 に よって心を曇 らされた人達 もやは り同 じ気持 で し ょう。‑‑‑ しば しば , 私は まるで深い夢か らで もさめた よ うな気が します 。」 ( 1 8 4 9.9.4. ‑ ツケンアス

ト宛書簡)

「芸術 は時代 の真剣 さ と重大 さに対 して無意義 であ り,年がたつ うちに人間 は こ うい う児戯に等 しい ものを相手に しな くな るだ ろ う, と云 う人達 が多 くい ます

私はそれに対 して答 え ま した。芸術 は全 ての政治的事件 よ りもは るかに 高いはか りでな く,宗教 とともに最高 の ものであ る

その尊厳 と偉大 さに比べ れば,今起 ってい る事件 なぞは愚か な潮 合 いにす ぎない。 もし人がすべ ての 冒 己の感情 を失わ なければ,間 もな く悲惨 な渦 中か ら離れ て,再び この静か な単 純 な,だが 同時に神聖 で倫理的 な女神を崇 め るであろ うと。 ‑‑人 間の有す る 最 も美 しい地上 の ものた る芸術か ら浄 化が現れ よ うとしてい ます。」

( 1 8 4 9.1 0・1 3. ‑ ツケンアス ト宛書簡)

「私 の著書 は,単に詩作ではな く (この よ うな もの としてほ,それは短 く一 時的 な価値を持つ もので しか あ りませ ん)道徳的啓示 として , 峻烈 な厳 しさを以 って保たれた人間の尊厳 として詩的価値 よ りも永 く残 る価値 を持 ってい ます

この意味 で, それは時代へ の一つ の善行 なのです 。 」 ( 1 8 5 0.2.2 2. テユルク宛 書簡)

「 『習作集』 の中には, 暖い感情 と道義性 と 人間的に永続す るものが あ りま

‑1 0 3 ‑

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す 。 ( 1 8 5 0・4・2 2. ‑ 、 ソケンアス ト宛書簡)

「 『習作集』には数 々の欠陥が あ って.その事は誰 よ りも私 自身が一番 よく知 ってい ますが,それで もこれ らの作品はその単純 さ と自然 さにおいて存続す る で し ょう 。」 ( 同上)

「私は詩人ではあ りませ ん。詩人 とは も っと高 くすは らしい存在 です。 ‑・ ‑ 私 はただ晴 らかな もの高貴 な ものを敬 う人間です。 それは私達 を現にあ る以上 へ と高めて くれ る故に,又,大 きな喜びへ導 いて もくれ ます。 この尊敬 の気持 は私 の書 くものの中に反映 してい るで し ょう 。 」 ( 1 8 5 1. 9. 2 6. メルネル宛書簡)

「善 き人 々に楽 しい時間を供す る事 ,‑‑‑‑そ して清 らか な るもの. 単純な も の,美 しい ものの国,それは今 日しば しは文学 の世界か ら消えてい るのみな ら ず,生活 の面か らも姿を消 してい ますが,それを広め,な るた け美 しい姿 で読 者 の前に歩み出させ る事, この事が私が創作において願 った所 であ り,又,顔

う所 で もあ るのです 。」 ( 1 8 5 2・3・2 3・ ルイ‑ゼ ・アイヒエン ドルフ宛書簡) これ らよ りず っと後 の手紙 では さ らに,

「私に と って. この人生におけ る最 も高 く,最 もすぼ らしく,最 も願わ しい 事は,人間 の理性 の尊厳が人間 の倫理 と学 問 と芸術において永続 し,尊 敬 され 最 も純粋 な支配を司 ることです。 これは決 して滅す るものではあ りませ ん

そ れを築 く助けをな し, これを広め る事 こそ,私に とって不死 の生活 であ り幸福 な生活なのです。私は こ うい う生活に向 って努力 したい と思い ます。」

( 1 8 5 8.7.2 9. ‑ ツケンアス ト宛書簡)

も う私が何かを付け加えた り説 明 した りす る必要は少 しもないであろ う。

シュテ ィフクーは この よ うに,教育 と芸術に情熱 をかけ る事に よ って,同時 代 の堕落 と額廃に対 した のだ った。彼がそ こに属 してお り,又,彼 自身 の中に 生 きていた 中世 キ リス ト教 と近世人文主義 の世界か らの遺産を明確に 自覚 し, その立場か ら彼は同時代を批判 し,それに向 って,人間 と世界 との正 しい在 り 方を書 き示 した のであ る。 そ うして生れた作品が, 「晩夏」 であ り 「ヴ ィテ ィ コ ‑」 であ った。次章 においてはその 「晩夏」 について,そ こに見 られ る時代 批判 と人間の理想像を考察 して見たい。

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2) 「晩夏」 における時代批判 と理想

「晩夏」 は 1 8 5 7 年,三 月革命か ら 1 0 年程後発表 された シュテ ィフグ一に と っ て初めての長編小説 であ り, 「ヴ ィルヘル ム ・マイスター」 の流れを くむ教養 小説 の一つ であ る

も っとも,その 「修業時代」 よ りは, 「遍歴時代」 の方に 近い と考え られてい る

この作品の特徴 の少 くとも一つが,反時代的性格にあ る とい う事は,既に述 べた事情か ら明 らかであろ う

実際に この作品を読 んでみ て も,それはは っき りと感 じられ る

シ′ ユテ ィフグー自身 もその手紙 で, 「私が この作品を書いた のは, この世 の政治状態やその道徳生活や文芸 の中に,幾つか の例外を除いて は,一般的に支配 してい る劣恵 のた め と云 え るで しょう。私は,偉大な,単純 な. 倫理的 な力を, その情けない堕落に 対置 しよ うとした のです 。」 ( 1 8 5 8.

2・l l. ‑ ツケンアス ト宛書簡) と述べ てい る

勿論読む 側が作者 の意図にその まま従 う必要はない。確かに , 「晩夏」にはそ うい う意図 とは無関係に,美 しい 叙情的要素 もあれは,美事 な 自然描写 もあ る。 色あせた こち こちの斗争的作品 な どでは毛頭 ない。だか らこの物語 りを も っと自由な気特 で,静かに楽 しみ な が ら読む と云 う人が居た って少 しも不思議 ではない。研 究の対象 として見た場 合 も,その反時代性 とい う面 の他に も,考察すべ き多 くの問題がそ こには含 ま れ てい る。 しか しこの論 の 目的が本来 ,1 9 世紀 とい う時代 の混迷 と額廃 の中で 深い苦 しみを味 あわねは な らなか った幾人か の兵に偉大であ った詩人や作家 の 一人 として, シ ュテ ィフグ ‑が どの よ うな態度 でその時代 と対 し.又,その戦 いが今 日いか な る意味 を帯び てい るか,それ を考 え る事であ ったか ら, ここで は特に章題 として掲げた もののみを対象 とす る。

「晩夏」 におけ る時代批判は主に三つ の面か らなされ てい る。

①芸術 の堕落 と衰微。芸術に対す る愛 と直観力 の喪失 。 (これ と関連 して, 物質万能 の時代におけ る精神的価値 の下落が批判 され てい る。 これは,又

② とも結びつ

く 。 )

② 自己抑制 の徳 の衰微。節度 と自由の額廃。下位 の情熱 の奔放 な発散。

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③生命力 の衰弱現象。

これ らは勿論 ,内的に互いに関達 しあ ってい る 。 又,批判は理想 とは表裏 を なす ものであ るか ら, これ ら批判 の内容は人間の理想像 の考案 に もつなが って 来 る

特 に② と③は後者に関係が あ る。 そ こで一応① と②について批判 の内容 を検討 し,②の途 中か ら理想像の考察に移 りたい。

① :これについては, この作品 中最 も多 くの例が挙げ られ,最 もて きび しい 批判がなされ てい る 。 先ずその例 を三つばか り紹介 したい。

アスパ ‑ホ ープの階段 の踊 り場には, ギ リシャ時代に由来す る大理石 の美 し い女性像が立 っていて,今 日ではそ こを訪れ る人 々の讃嘆 の的にな ってい る 。

この彫像は この作品では重要 な意味 と役割 を帯び てい て,若い主人公の精神的 発展過程においては,彼には じめて芸術的 な ものへ の 目を開かせ る契機 となる

ものであ る。しか しそれは決 して初めか らここに立 っていたわけではなか ったo この像はか って クーメとい うイタ リーのあ る町 の遊び場 の よ うな所に置かれ て いた のであ る 。 そばでは球戯が なされ,その球が しじゅ う飛んで来 るので,そ れ を防 ぐために,下半身 の部分は木材や板 で 囲 わ れ ていた。 リーザノ、は,梶 の途 中そ こに立ち寄 った時,その像の美 しさを感 じ.早速 買い取 って, 自分 の 館であ るアスパ ーホ ープへ と送 らせた。 しか しど うもそれが石膏像であ り, さ ほ ど大 きくはないに もかかわ らず,重みがひ どす ぎるのであ る 。 不思議に感 じ て調べ てみ ると,石膏 と見えた ものは単に大理石 の蓑に披せ された表皮にす ぎ なか った。 その石膏 を洗 い落す と現在 のあの美 しい大理石 の彫像が出て来た の であ る

これ は多分他 国か らの侵略に具えて,略奪をまぬがれ さすためになさ れた カム フラージュのせいであ り,後 の住民達がその事情 を知 らない まま今 日 に至 っていた らしい と云 う。 いずれにせ よ.その よ うな秀れた美術品の前で.

それに何の関心 も払 う事 な く,いやそれ どころか これを惨 めな状態 に放置 した まま,球戯を した り,ダ ンスを して平気 でおれ るのが現代人 とい う事になるo 第 2 の例 もアスパ ーホ ープにあ る最 も秀れた美術品の一つについてである

それは幼児 キ リス トを抱 く聖母 の姿を描いた イタ リー ・ル ネ ッサ ンス期 の絵画 である。 この絵は,か ってあ る百姓家の屋板裏に投げ上 げ られ ていた。 画縁 も

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な く, ま るで布 の よ うに折 りた ゝまれ て,塵 の中に放 り出 され ていた のであ る。 それ を ローラ ン トが おぼ ろげな予感か ら貢い とって アスパ ‑ホ ー フへ持 ち 帰 って来た。 よ く見 る と,実 に傷 んではい るが,本来 は美 しい桧 であ った らし い事が うかがわれ る。 リ‑ザノ可まオイスタハ の助けをか りて, 汚 れ は板 りの ぞ き,色 のはげ落 ちた部分 には原画を想像 しなが ら新た に色を付け加 え.様 々 な骨折 りを重ね て復元 してい った。 その結果 ,今ハ イ ン リヒが一番愛 してい る 現在 のマ リア像 とな った のであ る。だ が,その よ うな桧 が屋根裏 なぞに投 げ捨 て られ ていた理 由は,か ってその家か らイタ リーへ 出征 していた 兵士が,或 る 時 それ に洗 濯物 を包んで送 って来た のを,家 人がその まま放置 しておいたた め と云 う。絵 は包み物 をす るのに都合 の よい よ うにい くらか の部分が切 り板 られ て しま っていた のであ る。

第三 の例 は アス/i‑ホ ー フか らか な り遠方に あ る教 会 につい てであ る。 その 教 会は 1 4 世 紀 に成 った もので,古代 ドイ ツ的 な様 式 と理念に おい て建 て られ て い る。 ところが 1 8 世 紀 にな ってか ら,その建築は色 々な点 で損 なわれ て しま っ た。 窓は壁 に閉がれ ,壁轟か らほ石像が坂 り除かれ て代 りに渡金 と彩 色をほ ど こ した 木像が置かれた。 その上 ,後か ら置 かれた その木像 の方が,以 前の石像 よ りも大 きか った ので壁轟 は大 き く穿たれ .その天蓋 の部分は その飼 りととも に坂 り去 られ て しま った。 さ らに教 会 の内側は様 々の色で塗 りた て られ る。だ が再び これ らが傷み,修理 の必要が生 じたた めに,芸術 品 の保護 で よ く知 られ ていた リーザハ が そ の仕 事 を頼 まれ る。一つには誰 もそのた めに金 を出す者 がい ないか らであ る。彼 は 1 8 世 紀 の歪 め られた姿 にではな く,本来 の中世 建築 の姿 に復元 したい と思い, 自分 の計画 を全 て受 け入れ て くれ る とい う条件 の下 に,その仕事 を引受 け る。

以上 の よ うな例 は まだ他 に幾 らで も見 られ る

こ うい う現象に対面 した あ る 時 , リーザノ\ほ 嘆 息 して云 う。 「か っては今 日よ りもは るか に芸術的感 覚 の 優れた時代 が あ った。 それ ばか りでは な く,当時芸術 はず っ と下層 の民衆 に ま で及ぶ よ り広 い階層 に よって理解 され ていた に違 いない。 でなければ, ど うし てケルベル クの よ うな辺境 の村 に. あの よ うに芸術的 な作 品が見 出 され よ う。

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又.そ うでなけれ ば, よ く岡の上 なぞに ポ ッ ンと建 っていた り,森におおわれ た 山か らその四壁 をち ょっぴ りのぞかせ ていた りす る高 山地帯 の小ぽけな教会 や礼拝堂 の中に さえ,そ うした美術品が あ る事,又,古い時代に建 て られた小 さなお寺や野 の御堂や路傍の柱像 ・記念碑の類に至 るまで秀れた手工 の芸術 品 が見出され る事,そ う し た事 の説 明がつか ないではないか。 それにひ きか え, 今 日では芸術への愛や理解力 の衰えはか な り高い層に まで も及んでい る

その 証拠に上流 の人 々が教会や お墓等神聖 な場所 に,微塵 な祈 りの気持を促す よ り は,む しろ損 うよ うな厭 うべ き様 々の像を置かせた り,のみな らず,その憤 向 は身辺に まで及んで,富裕 な領 主の館 な どに実に しば しば無 力 ( な 1 ) 時代 の空疎 な

魂 の抜けた作品が引 き寄せ られた りしてい る 。」 (N.1.7. )

こ うい う現象は単 に美的感覚 の衰え とい う意味 において嘆かわ しいのみ な ら ず, シュテ ィフグ r jに とっては しば しば引用 され るよ うに, 「美 は魅力 とい う 衣を まとった神的 な ものの現れ」 であ るが故 に,‑ そ う嘆かわ しい のであ る 。

美は シュテ ィフグ ーにあ っては,今 日普通考え られ てい るよ うに,倫理的 な も のに矛盾す るのではな く,神的 なもの とい う至高 の概念においてそれ らは統一 され てい る 。 神的 な ものへ の接近 の道は唯芸術だけではない。 市民 として正 し い生活を営むの もそ うであ り,宗教 におけ る祈 りは最 も直接的にそ うであ る 。 美 に感応す る能力 の衰えはその まま神的 な ものを直覚 し.認識す る力 の衰 えな

のであ る . それは宗教的倫理的 な面での頚廃につ なが ってい る . 聖母 マ リ7 と キ リス トの描かれた桧 に,汚れ物を包んで送 るとい った行為 は,その絵画の美 しきを認 め る事が出来 なか った事 とその深みにおいてはつ なが ってい るのであ る 。

もっとも今 日. 「美は魅力 とい う衣につつ まれた神的 な ものの現われ」 であ る とい った シュテ ィフグ‑の言葉を.古 くきい とか単純 とかい って笑 う人 も居 よ う。確かに今 日流行の複雑怪奇 な美学を持 ってすれば. こ うい う言葉を単純 とか馬鹿げてい る とかい った名の下に非難す る位.たやすい ことであ る 。 だが む しろ こ うした単純素朴 な言葉 の中に,今 日我 々が失 って しまい,それに照合 して 自らを反省すべ き正 しい考え方が読み とれ るのではあ るまいか。宗教 との

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結びつ きを失 くして孤立 した芸術は,すでに1 9 世紀において,その行 きつ く所 まで行 きつ くした感がある。現代はむ しろ,ル ネ ッサ ンス以来芸術がた どって 来た道を反省 し,芸術に再び神を求めてい る時代ではなか ろ うか。 この事につ いては も う少 し後で再び考えたい。

リーザ/、 が こ うい う現 象 を嘆 く理 由を も う少 し見てお こ う。彼 の考えに よ ると,物を求め願 うのに, 二つ の感情, もしくは態度, が ある。 一つは情熱 ( Le i d e n s c h a f t ) と呼ばれ る心の動 きで, それは人間の肉体的 な もの, 獣的な ものにかかわ り,他の全 ての ものを放 り出 し,欲望 の満足 のみを,あ くことな く追求す る低い次 元の感情 である。 これに対 して, よ り高い対象を求める心の 動 きがある。 リ‑ザハ はそれを愛 ( Li e b e ) と呼ぶ。 我 々が 無 条 件 の帰 依の 心を持 って敬愛す る事が出来 るのは,神的な もの, もしくは神だけである。 し か し神は地上的な感情 の と うてい達 し得ない高みに在 る故神への愛は祈 りとな る他ない。だが神は我 々の愛の対象 として,地上的な様 々の形姿の中に,神的 な ものを幾 らかずつ与え置かれた。我 々はそれを愛す る事が 出来 る。 そ こに肉 親や友人,夫婦等の愛情が生れ る。祖 国 とか芸術,学問, 自然等への愛 もそ う である。老人が花を植え育てて喜ぶの も, そ うい う愛の一つ である。人間であ る以上,誰れ もそ うい う愛の対象を持 って̲ ‑ t\るし,又,持つべ きである。 それ のない人間はほ とん ど生 きてい るとは云えない し,地上に存在す る神的な もの を認識 しないのだか ら,直接神に祈 る事 もないであろ う。時代が堕落す ると,

「愛」が消 え て厭 わ しい 「 情 熱」 の支酉己 す る世 の中 とな る。 リ‑ザノ、ほ続け て, 「 我 々が今訪れた よ うな教会が建 て られた時代は, この点に関 しては,戟 々の時代 よ りもは るかに偉大であ った。 その時代 の人 々の努力は, よ り高い も の,つ ま り神殿で神を讃 え る事に向け られていたのだ。 これにひ きかえ,今 日 我 々が主眼 としてい る所 と云えは. もっぱ ら物質的な板引であ り,物質の生産

と消費である。 こ うした事は決 してそれ 自体で価値を持 った営みではな く, よ り高い思想がその板底に在 る場合にのみ,相対的な価値が あるとい った もので しか ない 」 (N.3.2) とい う。 こ うして この 現 象は1 9 世 紀の人達 の物 質的 な ものへの強 い執着 とそ こにおけ る 「金銭のあ くことな き支配 」( d i eTy r a n n e i

‑ 1 0 9‑

(18)

de sGe l de s ) とい う現象につ なが って来 るのであ る。 人 々の関心が唯,物質や 金銭にのみ 向かい,精神的な ものの価値が見失 なわれ て行 く時.それが文化の 存続 に関 して非常に危険 な意味を持 ってい る事は云 うまで もない。 そ こではか って全ゆ る面にわた る人間の営みを支 え裏ずけていた精神的根底が崩れ去 り, もはや どの よ うな物を も意味ずけ,価値 あ らしめ る取元的 な基準が消失す るの であ る。 こ うして我 々は徒 らに繁栄を極 め る物質文明 と,精神的な死を持つ事 にな る。 「しか し遺憾 なが ら‑‑‑・ 二三 の尊敬すべ き努力 を除けば,芸術に対 す る感覚は全体 として低下 してい る。た とえ雷 のあ との稲妻 の よ うに,個 々の 偉大 な ものが現われ るに して も,偉大に対す る感情 は衰覆 してい る。 しか も, 日毎 に激 しくな る。 『それが ど うした のか』 とか の噺笑者が訊ね る。 我 々は彼 に向 って答 え る。 『民族が堕落す る時,必ず第一 にその民族 を見す て るものは 芸術 であ る。 ギ リシャ人が奴隷 の境界に よってけが され る前に,その芸術は逃 げ去 った。 それ故 , この愛すべ き創造物 の逃亡は多 くの更に重大 な悲 しむべ き 事 の始 ま りではないであろ うか 』 『ではお まえの言葉が それを防 ぐのか』 とた ずね られ る。私 の言葉 ではない。恐 らく多 くの人間の言葉 で もないであろ う。

2)

しか しそれに も拘 らず, この言葉を語 る事は私 の義務 なのであ る」 と晩年 の シ ュテ ィフグーはある論 文において述べ てい る

.

第一章 で既 に書いた よ うに, こ れが三 月革命後 の シュテ ィフグーの時代 に対 す る態 度であ り決 意 であ った。

「晩夏」 においては リーザハが, しだいに忘れ去 られ,打捨 て られ,朽 ちて行 く美術品を,その破滅か ら救い復 元す る仕事にたず さわ ってい る。 それは彼が それ らの芸術品を愛す るた めはか りではない。人 々の 目が,か っての優れた作 品にふれ る事 に よって,浄化 され,高 め られ る事を密かに願 うか らで もある

. それはその まま, シュテ ィフク ーが 自己の芸術において望 んだ所 で もあ った。

以上 は一般民衆 の芸術 に対す る理解力 の衰え とい う現象についてであ ったが 現代におけ る芸術作 品の堕落 とい う事態に関 して も, シュテ ィフクーは批判 の 目を向けてい るか ら,今 度 は この 事 につい て考えて見たい。 リーザハ は ギ l j シャ芸術 と現代 ( 1 8‑1 9 世紀) のそれ とを比較 した個所 で,次 の よ うに云 う。

「それ ら (ギ リシャ芸術)はその 単純 さ と清 らか さに よって見 る者 の心情 を満

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(19)

し,人が しだいに年 とってい って も,心を とらえな くなる どころか,その落着 と偉大 さで もって,見 る者 のJ Lを広やかに し, 目立た ない節度 あ る姿 で,見 る 度に ます ます大 きな感嘆へ とJ Lを誘 う 。 それにひ きか え,最近 では しば しば効 果をね ら う落着のない努力が見 られ る。 そんな ものは人の心を とらえ る どころ か真実 でない もの として背かせ るだけだ .」 (N . 2.2) リーザハが感嘆す る のは ギ リシャ芸術はか りではない. 「中世に由来す る彫像 の中に もこの上 な く 愛 らしい ものが ある。写実に誤 りが な く感覚的 な確か さが現われ てい る場合は 大抵 ギ リシャ美術 よ りも暖かい 。」 (N .3.2) リーザ ッハほそ こに内面性, か ざ らない素朴 さ,信仰心,暖い心情等を認 めて愛す るのであ る。

それに くらべ て, 「後 の時代は芸術 の手法 につい ては よ く知 ってい るが,真 実味 のない軽眺な衣服を まとって,誇張 ある身振 りを した空疎 な像を描 き出 し た。 そ こには熱意や内面性が少 しもない。 芸術家にそれが ないた めだ。 そ こに は精神が表れ ていない。 それは,芸術家が精神を持 ってではな く,現在流行の 芸術観 に気 を使いなが ら制作 したた めであ る

感情面 において欠け る所をその 不安 と激動に よって補 お うと努めたのだ 。」 (N . )

リーザハ,つ ま りシュテ ィフクーが芸術に求 めてい るのは,芸術家 の其 の魂 であ り,清 らか さ,単純 さ,落着 き,内面性,節度等であ る 。 現代芸術にはそ れ らが欠けてお り,その代 り,不安,激動.情熱 ,意図,外的 な魅力等が現れ てい る 。

ギ リシャと中世 の芸術 の他に,彼が幾つか の個所 で賞讃 してい るのほ,画家 では,ル ネ ッサ ンスか ら 1 7 世 紀半頃 までの人達 に限 られ てい る。音楽家 では, バ ッハ ,ヘ ンデル,ハ イ ドン,モ ーツ7ル 十の四人だけ,詩 人について も,ル ネ ッサ ンス以後では, シェイ クス ピ7か らゲーテ, シラー, フ ンポル 十兄弟等

ドイツ古典主義 の人達 までであ る。

この よ うな シュテ ィフタ‑の意見は偏狭 であ り,柔軟性に欠 けた ものであ る と考え る人が多いであろ う

.

だが私は シュテ ィフク ーの よ うな人か ら公平無私 な見解を期待 しよ うとは思わない。上 に見た よ うな考えは先 に述べた彼 の芸術 観 「美 とは魅力 とい う衣を まとった神的 な ものの現れ」 であ る, との信条か ら

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当然出て来 て然 るべ きものであ る し, ギ リシャ芸術に対す る敬意 も彼 の「節度 と 自由」 を尊重す る気 風か ら考えて,やは り当 り前の事 であ る。いずれにせ よ, シュテ ィフクーの芸術観か らほ ,1 8 世紀 1 9 世紀 の絵画 .1 9 世紀 の音楽や文学に 対す る共感はあ ま り期待 出来 ないであろ う。 ここで も矢張 り. この作家 の 1 9 世 紀におけ る特殊 な位置 とその意味 とが 問題にな る。彼 の政治や一般 の時代傾 向 に対す る態度が この芸術 の面に も現れ てい るのであ る。だか らここで,彼 を時 代後れ の頑固な人間 と考え る前に,一見その よ うに映 る彼 の見解 の中に潜 んで い る正 しい面を見落 さない よ う注意 しなければな らない。彼は古 くて話が分 ら ないのではな く,す でに今 日では失われ て しま った正 しさを持つ過去 の時代 の 精神的立場か ら物 を言 ってい るのであ る

勿論 ,今の場合,彼 の正 しさを説 明 す る事は非常に困難 であ る

とい うのは,問題が宗教 と芸術 の関係にかかわ っ てい るか らであ り, この間題を論ず る事は,一般的に云 って困難であ るばか り ではな く,少 くとも今の私にはほ とん ど不可能だか ら。 しか し.宗教 と芸術 の 発 生か ら説 き起す まで もな く. この二つ の ものが深い緊密な関係にあ る事,莱 の中か ら,単に地上的 な楽 しみの要 素を超 えた もの,つ ま り 「神的 な もの」が 失われ る時,葉は既 に死滅 し,芙 な らざるものに変 るとい う事,は認 め られ て もよいであろ う。 中世においては,芸術活動はその まま宗教 的 な祈 りの行為に 結びついていた。 芸術は宗教か ら題材を受け とったはか りでな く,それに よっ て霊感 を与 え られた。宗教 も芸術か ら うるおい と豊 さを附加 された。厳 粛な祈 りと芸術的 な葉 との高次 な調和 と一致 こそ中世芸術 の特徴 である

だが前に も 一寸触れた よ うに,ル ネ ッサ ンス以後芸術は宗教 との結び付 きを離れ て孤立 し 独 自の道を歩み始めた。芸術はそ こで,人間的 自然的 な息吹を吹 き込 まれ る事 に よって力強 く蘇生 し,華 々 しい発展を遂 げ るか に思われた。

しか し,その事は 同時に,それ まで芸術活動 の精神的基盤 として芸術家 を支 え,創造に向わ しめていた信仰が失われ,彼 に霊感を注いでいた讃美 と祈 りの 対象が消え去 る事 で もあ った。確かに,初めの中は中世的要素が残存す る事に ょって,新たに付け加 った人間的 ・ 近代的要素 もその基礎 を得た のであるが , そ れはせいぜい美術 では 1 7 世紀 までの事 であ る

その時期が過 ぎる と,人間的要

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素 のみ孤立 して残 り,それ を超 え る要素は しだいに失われ て行 く

人間の力に よって意識的に美 を作 り出そ うとす る試みは,す でに/ レネ ッサ ンスの頃, レオ ナル ド・ダ・ヴ ィンチに よって行われ てい るが,その よ うな試みが一般的 とな り やが て印象派 の誕生にな る

勿論 この傾 向が一概 に非難 され るべ きではない し 文化の進展に伴 って この方 向への動 きは不可欠 の ものであ る

だが,人間的 ・ 意識的 ・理論的な要素だけで美や芸術が充足す る事は当然考え られ ない。最後 的にはやは り人間を支 え統一す る超人間的 な要素が必要 とな って来 る。 その条 件が満 され ない時いかに美事 な色彩や技術 も何か物足 りぬ もの, として感ぜ ら れ るであろ う 。1 9 世紀 の終 りにおけ る, ゴ ッホ, ゴーギ ャ ン, セザ ンヌ等 の苦 斗ほ決 して この事情 と無関係ではあるまい。人間的 であ り,意識的であ り,哩 論的 であ り,又,そ うあ らざるを得 ない芸術家 として生 きなが ら,なお もそれ をの り超 えて 自己を統一 し,支 えて くれ る原型を求 め苦 しんだ人達 で この人達 はなか った ろ うか。彼 らの苦 しみには,個 性の違 いを超 えて共通 の刻印,近代 の芸術家に負わ された宿命 の よ うな ものが彫 りつけ られ てい る

さて, この よ うに考えて来 る時 ,シ ュテ ィフクーの芸術観が素朴 であ るが , 正 しい面を持 ってい る事に気ず くであろ う

彼が怖れた のは芸術作 品か ら人間的 な ものを超え る要素,人間的 な意識や努力を包み,統一 し,支 え る要素.つ ま り 「神的 な もの」が失われ る事 であ った。 シ/ユテ ィフク ーがはた して近代芸術 の辿 るべ き運命を予知 していたか ど うか は分 らぬ。 しか し, もしそれが失われ るな らは芸術が芸術 として成立 な くなるよ うなそ うい う要素が, しだいに近代 の芸術か ら消え去 って行 く事には気が付いていた のであ る

現代 の芸術に熱意 や内面性が ない と云い,それに芸術家 の魂が表れ てい ない と云 う時, シュテ ィ フグ ‑が怖れ ていた のは上述 の よ うな事実 であ った と思われ る。彼は近代の芸 術家 として, 同 じ近代 の芸術家, ゴ ッホや セザ ンヌが落込 んでいた苦悩やデ ィ

レンマほ知 らなか った であろ うが,彼等が希求 した の と同 じ方 向を,彼 も又, 志 向 していた のであ る

以上至 らない所 もあ るが一応 シュテ ィフタ ‑の芸術に関 しての時代批判 を見 終 り次に②の面に関す る批判 を検討 して行 くことにす る

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す でに第一章において もシュテ ィフグーの節度を理想 とす る態度について幾 らか述べた し, この章において も以上 の考察 の中で,美術 の顧み られ な くな っ た事情が物欲や金銭欲 に潰かれた時代風潮 と関係 してい る事を述べた時,下位

の情熱 の厚顔 な発散 を批判す る面がそ こに含 まれ てい る事にはふれた。 自己主 張 を嫌いあ くまで も自己の感情や 情熱 を抑制 し, よ り高い調和を求め る傾 向は 彼 の美術についての噂好 の中に も読み とれ るが,それは同時に彼の生 き方 の本 質的 な面 で もあ った. この 「節度 と自由」 の テ‑マは初期 の幾つか の短編 にお いて と同様 この 「晩夏」 におい て も重要 な位置 を しめてい る 。 そ こには生 き方 の理想につ なが って来 る面 と時代批判 に関係 して来 る面 とが あ るが,先ず後者 の方か ら見て行 きたい。

リーザノ\は この よ うな 自己主張 の時代風潮が発生 した原因について,次の よ うに述べ てい る 。

「唯,戦い と劫掠にのみ諸力を行使 し,人間の魂 の よ り深い傾向を板 こぎに して しまった粗野 な時代が我 々の祖 国の上にや って来た。 それ らの時代が過 ぎ 去 った時,人は美 の概 念を失い.その代 り自己 自身以外は何一つ美 しい と思わ ず ,それ故 に又,その適不適 を問 う事 な く, 自分を至 る所 に主張 して止 まない 空疎 な時代傾向が生 じたのだ 。」 (N.3.2) この よ うな説明がはた して正 し いか ど うかは分 らないが,その よ うな時代傾 向を シュテ ィフグ ‑が憎み蔑す ん でいた事は この文章か らよ く分 る 。 又,別 の所 では人間の本来 占め るべ き位置 についての一般 の人達 の思い上 りを指摘 し,それを次 の よ うに皮 肉 ってい る

「我 々の本当の姿は,前に も一度云 った通 り,情熱や我欲に よっておおい隠 され るか,少 くとも曇 らされ る

大方 の人 々は,人間が被造物 の長 であ り,万 物 に捗 ってい る,いやあの神に さえ勝 ってい ると信 じてい るのではないか。 そ して 自分 の 自我か ら一歩 も外へ歩み出す事の出来 ない よ うな連 中が,全 ては唯 自我 の活躍す る舞台に過 ぎず,永遠 の空間の数 しれぬ世界す らその よ うな舞台 の一つに考えてい るのではないだ ろ うか。だが事実はそれ とは全 く逆か も知れ ぬ のだ 。」 (N.1.6)

又,それ よ り少 し前の所 では,

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「人 々が 自らを不幸 にす るのは,彼等が唯一つ の事だ けを欲 し,賞讃 す るか らであ り, 自己の欲 求を満すた めに,一面的 な ものへ と投入 して行 くた めであ る. もし我 々が心 の中に秩序 を得 てい るな らば,我 々は この世 の諸 々の事物 に ず っと多 くの喜び を感ず るであ ろ う。 しか し, も し望 みや欲 求が過度 に我 々の 中に存在す るな らば,我 々は唯 それ に のみ心を奪われ ,我 々の外にあ る事物 の 純粋無垢 な姿 を見失 な うであろ う」 (N.1.6) と云 ってい る。

S /ユテ ィフグ ーは この点 に関 しては,① の場 合 と違 って,具体的 な例 はほ と ん ど挙 げず ,専 ら上 に見た よ うな一般的 な論説 で批判 してい る

ところで この よ うな彼 の時代批判が単 に彼 の個人的 な人生態度 に のみ 由来す る ものか ,それ とももっと一般的 な妥 当性 と意味 とを持 った ものか は考 えて見 るだ けの価値が あ る。

上 の よ うな シュテ ィフグ ‑の時代批判 で直 ぐ思 い出す のは キ ェル ケ ゴール の それ であろ う. キ ェル ケ ゴ‑j L , が その 「現代 の批判」 に おい て.その時代 を,

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「本 質的 に分別 の時代 ,反省 の時代 ,情熱 のない時代 で.た まに感激 に燃 えた

● ●●●●●●● ●●●● ●●●● ●●●●● ●●●● ●●●●●● ●3 ) つ ことが あ って も,如才 な く,す ぐに も との無感動状 態 におちつ い て しま う」

時代 と規 定 してい る事 は よ く知 られ てい る。 これ は一見 して シュテ ィフク ーの 批判 とは正反対 の内容 を な してい るか の よ うに思われ る。 シ/ ユテ ィフク ーはす でに何度 も述べ て来た よ うに, その時代 の,悪 しき情熱 に悪かれ .節 度 を失い 低 い 自我 を主張 して止 まない風潮 に批判 の矢 を 向けてい るか らであ る。 だが先 に結論か ら云 って しまえば, これ ら両者 の批判 は決 し一 て外見ほ どには隔た って い ない, ま してや正反対 の ものな どでは さ らにない.第一 シュテ ィフク ーは分 別 の人間,情 熱 のない人間,感激 に燃 えたつ ことのない人 間.如才 ない人 間等 を理想 とは考 えてい ない。彼 はむ しろそ うい う人 間を軽蔑す る。彼が又.所詮 分別 を持たず,情熱 に燃 えた人だ った事はその教 育や芸術 に対す る熱 意か ら う かが う事が 出来 る。彼 が望 んだ事は,物欲 , 金銭欲 , 情欲等,低 い情熱か らの浄 化 と, よ り高い事物に対す る関心 と愛情 の 中に生 きる調和 のあ る生活へ の参入 であ った。 暗い破壊的 な情熱 を抑制 しそれ を昇華 して高い明澄 な節 度 あ る生活 を送 る事が彼 の理想 であ った。 この事 は別段 キ ェル ケ ゴール とは矛盾 しないで

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あろ う。キ ェルケ ゴールは反省その ものを憩 と認 めた のではない。反省 の中には ま りこんでい る事,反省が人 を半永久的に決断へ と保留す る事を恐れた のであ る。 よ りよい決断へ の前提 としての反省は彼 もむ しろ必要であ る事を認 めてい る。 キ ェルケ ゴール もシュテ ィフグー的 な人生態度を肯定す るのであ る。 さて 現代 とい う時代が本質的に分別 の時代 であ り情熱 のない時代 であ る, とい うキ ェ/ I ,ケ ゴールの批判 は,ヤスパ ースの評言に待つ まで もな く,我 々の時代にそ の ままあては まる程新 しく,正 しい。 シュテ ィフグーの批判 に比べ て も,それ はは るかに我 々の胸を鋭 く刺す力を持 ってい る 。 それは我 々の虚点を正 しくつ いてい る。 それでは シュテ ィフク ーの時代批判 はt 無意味 な的は ずれ であろ う か。単に彼 自身 の特殊 な人生態度にのみ帰せ らるべ き批判 であろ うか。 しか し 改 めて観察す るまで もな く,我 々の時代が物欲や金銭欲 な ど,下 らない ものに は熱意を示すが, よ り高い ものには さ しで情熱 を持 と うとしない人 間の多い時 代だ とい う事 も又,正 しいであろ う

o

Lか もそ うい う連 中が我物裸にの し歩い てい る世 の中であ る。 自己の上 に 自己を超 え る何者を も認 め よ うとしない人 間 が多い。 今 日人間は倣鰻 で 自己中心的 であ る。 これ は全 て確か な事 なのだ。 シ/

ユテ ィフク ーはそ うい う風潮 に対 して,人間が本来 しめ るべ き位置 を 自覚 し, 白己を超 え る存在を認 め,その前に最後には従順に従 う事を要求す る 。 そ こに は何の的はずれ もない し,間違い もない。両者 の批判がいずれ も正 しく,そ こ に矛盾がないに もかかわ らず. この よ うに違 った形を とった のは,二人 の個性 と人生態度 の相異に由来す るのであろ う 。 思 うに この二人 の相異は 「あれか, これか」 の中の A , B 両者 の相異 ではあ るまいか。少 くともそれ に近いであろ

う。

さて この辺 で予定通 りシュテ ィフクーの人間に関す る理想像 の考察に進 まね はな らない。 「晩夏」 におけ る理想性は主に人間について と,人間の生 きる環 境 としての家について と, この二点に しぼ られ るであろ う。先ず前者か ら見 て 行 きたい。

理想的 な人間像 と云 って も,勿論血 の通 った人 間であ るか ら,型 として存在 す るわけではない。 シ′ ユテ ィフグーはそ うい う気 の抜 けた理想像は描いてい な

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参照

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