二つの再考察 ティツィアーノ、ゴーキー 【 翻 訳 】
クレメント・グリーンバーグ 翻訳・解題/森田義之・筒井宏樹
二度目、三度目、そして四度目のメトロポリタン美術館で開催されたウィーン美術史美術館展の鑑賞は、初回の鑑賞後に前号の﹃パー
ティザン・レヴュー﹄に書いた印象を、ある重要な点で修正させることになった。ティツィアーノに不当に低い評価を与えていたことがそ
れである︵ブリューゲルの小品︽東方三博士の礼拝︾を過剰に称賛したり、ロレンツォ・ロットの︽聖母子と聖カタリナと聖ヤコブ︾に注
目しなかったことも修正すべき点である︶。二度目にじっくりと鑑賞してみると
人はまず出品作品の数の多さやそれらの絵のすばらし
さに強烈な印象を受けたあと、ようやくそれらの作品になじんでゆくのだが
、最初に一番大きな直接的印象を与えた作品がどんな場合
でも必ずしも優れた作品であるわけではないことが分かってきた。というわけで、ティツィアーノからティントレットの作品に目を移す
と、後者の瞬時にひらめくような効果的な明暗配置や、より素早く自由な筆致によって生み出された誰もが気づくような絵画的特質は、以
前と同じような新鮮な驚きをもたらさなくなる。今回、私はずっと時間をかけてティツィアーノを見たが、ティントレットは反対にやや
薄っぺらい紙のように見えてきた。ティントレットの絵具の塗りは、画面に厚く塗られすぎているため、脆弱な一層塗りとして容易に剥が
れそうに見える。ティツィアーノと比較すると、ウィーン展に出品された他のすべての画家たちも、おそらくベラスケスを除いて、同じよ
うに薄っぺらく見え始めた。 ティツィアーノの偉大で特別な長所は、カンヴァスを色 マッス塊とヴォ
リュームのイリュージョンに完璧に変形するその能力にあると私は見ている。これはルネサンス以来の西洋絵画の中心的な関心であり、そ れこそがティツィアーノをこの五世紀における中心的で、おそらくは最高の画家にしているものなのだ。ある画家たちはより彫刻的な表現
を好み、また別の画家たちは深遠な空間を強調する表現に傾いたが、三次元空間でありながら画面全体が均質で説得力に富み、充実し、統
合されたイリュージョンの表現を達成した人物は誰もいなかった。こうしたイリュージョンのためにこれほど完全に平坦な表面を保持し、
さらに正確に言うなら
そうした表面のためにこれほどわずかにしかイリュージョンを放棄しなかった画家は誰もいなかった。ティ
ツィアーノは絵画面のインテグリティ︵全体性︶と呼ばれるものを侵すことがない。彼の絵には﹁穴 ホール﹂がほとんどないし、前方への突起感 もほとんどない。ティツィアーノにはトロンプ
=
ルイユ︵目だまし︶という問題意識がない。彼は、自然主義的な描写を完全なものとするために、つまり自然を単純に模倣するために肉づけしたり彩色したりすることがない。彼のイリュージョンは独創的で、調和に富んだもの
であり、それ自体が意味をもつ何ものかなのだ。それは絵具を巧緻にカンヴァスに塗りつけることで強い説得力をもって表現された三次元
的世界のイリュージョンなのである。 彼の芸術における主たるファクターは色彩である
その色彩は平
坦な色面にヴォリュームのイリュージョンを与えるのに最も適した明暗の度合の図式にしたがって調整されている。ティツィアーノの色彩
は実在感のある織物であり、それが画布の上に広げられた薄塗りの色層の重なりの産物であることを想像するのは難しい。人は無限の現実
空間から形態が湧き出てきたような印象を抱く
あたかもカンヴァスのこちら側とむこう側が彩色によって入れかわってしまったかの
ように見える。あるいは織物の糸そのものが絵具のなかに溶け込んでしまって、画面が支持体なしに絵具だけでつくられているように見え
る。しかし
これは絵画に本質的に内在する矛盾であるが
現にそこにある支持体の表面がその平面性を否定するわけではない。そこ
には支持体の表面が存在しないというイリュージョンをまったく感じることなく、我々はその平面性を感知しているのである。
その一方で、こうしたことすべてにもかかわらず、ウィーン展の何度かの鑑賞によっても、私はティツィアーノの人物画の大作の最終的
な真価を少しも了解することができなかった。それらの大作にはいまだに釈然としないものがあり、彼の画家としての真価への理解が増せ
ば増すほど、もどかしさと失望は募るばかりである。それは当初考えたような絵の汚れのせいでも、ありうべき加 リタッチ筆のせいでもない。大型
の人物画のどれもがどこかしら構図が狂っているように見えるのだ。これらの作品はティツィアーノの人物構図の特別な能力を
画面の
統一性では優れた
その肖像画よりもはっきり示しているから、もどかしさはさらに募る。おそらく色彩のモデリングによって形態を創
り出すというティツィアーノのやり方が、確固たる形をもつ絵画面と平行して正面向きに配置することへのこだわりと合致していないので
ある。このことが裸体人物像の量感表現におけるある種の冗漫さや、動勢と多様な彫塑的表現の欠如を説明している。つまり雰 アトモスフェリック・ペインティング囲気絵画
においては、画面の大部分が眼を一様に近づけて見ることになるために、画面の左右の隅に逃げ場を見出そうとしても、絵具が隅々まで塗
られているため息抜きができないのだ。 しかし、どう説明するにせよ、構図の領分ではティントレットの斬 新さがティツィアーノに優っているのは明らかである。ティントレットは画家および実作者としては彼と同等ではないが、しばしば構想力
では優っている。彼の︽スザンナと長老たち︾[図1]はティツィアーノの実在感や深さを欠いているが、それはティツィアーノの人物構図
に見られるものより卓抜で処理の難しい統一性を備えている。二度目に見たとき、︽スザンナと長老たち︾の絵には欠けていると思ってい
た最終的な均衡が元々そこにあったことを私は感じ始めていた。問題は、私が先月書いたように、︽スザンナと長老たち︾のくねくねと湾
曲したシルエットが背景に張りついているように見えるそのやり方にあるのではない。問題はカンヴァスの中央左を横切って画面の奥へと
斜めに走る、生け垣にある。私が推測するに、この生け垣は経年によって黒ずんでしまい、現在では多かれ少なかれ空 ブランクホール洞の穴のように見 えているが、元来は微妙な褐色の陰影を帯びたより生彩に富む移 パッセージ行部をなしていたことだろう。ティツィアーノならばこうした経年変化に
対してもう少し巧く対処していたに違いないのである。 しかし、比較はこれで十分だろう。ウィーン展に出品されたティ
ツィアーノとティントレットのわずかな数の作品によって比較するのは危険なことである。ヴェネツィアを訪れれば、私は自分の判断を見
直すことになるかもしれない
そしてその結果は今回よりもっと当惑するものになるかもしれない。
同時代の画家の作品の場合、我々の最初の注意は、主として、ある
いはもっぱら、他の画家たちの作品と共通点があるかどうかという点に行きがちである。その結果、我々はそれらの画家を非独創的で、外
部からの影響に依存しすぎる者たちと見なし、彼らを重要ではない模倣者の一群に分類してしまう。次いで、彼らの作品になじんでゆくに
つれて、それまで大きな部分を占めていた類似性が
どういうわけだか
幾分小さくなり、その範囲と重要さを失ってゆく。
そして疑問であった主な問題点がその作品に固有のものであることがしだいに明らかになってゆくのだ。このことが、類似点よりもむしろ
現在の我々が言いうるすべてである。 晩年のアーシル・ゴーキー︵一九四八年夏に死去︶は、不運にもこ
の部類に分類されたアーティストであった。彼は革新者ではなかったが、その生来の才能によって少なくとも独創的なものをもっていた。
その才能はこの国の他のどの画家たちとも同じものではなかった。彼はまた独自のテンペラメント︵気質︶を持っており、それは感じ取る
のに時間を要するものであった。特に画家自身がその気質に自信を失ったように思えてからはそうであった。多くの点でゴーキーは、ピ
カソやミロのような、彼が根本的な影響を受けた画家の誰よりも筆さばきや賦彩の巧みな画家であった。またマッタからヒントを得て描い
た作品によって、彼は、実際にそうであった以上に可能性を秘めた、ずっと深みのある画家と見なされるようになった。
ゴーキーが独創性をもつ画家だということを、私は、彼の晩年の数年間に制作された十四点の油彩画を展示した四月のコーツ・ギャラ
リーでの展覧会で指摘した。あえて言うのだが、それはこれまでに見たアメリカの画家のうちでも最もすばらしい一貫性のあるものであっ
た。今ではゴーキーをライダー、エイキンズ、ホーマー、コール、オルストン、ホイッスラー、あるいは名を挙げうる他のどんなアメリカ 画家より優れた画家だと考えている。 筆者はかつてゴーキーを影響の奴隷と見なす過ちを犯したことがあ
る
最初はピカソとミロの影響、次いでカンディンスキーとマッタの影響である。たしかに彼らの影響はあった。しかし誤りは、それら
の影響を同化や変形と見なすのではなく、それへの従属と見ていたことである。一九四六年のジュリアン・レヴィ・ギャラリーにおける
彼の二度目の個展は、私の考えを改めさせはじめ、その二年後の同ギャラリーでの三度目の個展は私の考えを決定的に変えることになっ
た。しかし、コーツ・ギャラリーでのこの最後の展覧会ほど私にはっきりと誤りを納得させ、その衝撃を完膚なきまでに見せつけたものは
なかった。私はこれまで彼の全作品を見てきたが、それらの大半を見たこの二年間に、初めは他の画家の影響によるものと見えていたどん
なものとも無関係の別種な豊かさとして彼の作品は開花していったようだ。それらは今やずっとまとまりをもった存在として、誰からの借
りものでもない技巧と感覚を結びつけた優れた独自性をもつものとして、私に衝撃を与えたのである。
ゴーキーが辿った道を強い関心をもって追ってきた我々の多くは、彼の大きな才能を常に理解してはきたが、そうした関心にもかかわ
らず、我々は彼が生涯の最後の四年間に達成した成果の豊かさを十分に理解することができなかった。いまや私はゴーキーの達成が晩年よ
りもずっと前に遡るものであることを確信している。我々が見る眼を持っていたならばそのことを理解することができただろう。我々は
ゴーキーのことをもっと早く理解すべきだったし、彼から趣味を学ぶべきだった。彼は自力で自己形成をとげた画家の一人だったし、自分
が正しく理解されるより前に我々の感受性を拡大した画家の一人であった。そして我々はいまやゴーキーがこれを為したことを知ってい
る。でなければ、彼がいま唐突に我々に解き明かされることをどうやって説明できるだろうか。彼が素描家としての卓越した技巧と色彩家と
しての趣味と誠実さによって生みだした成果の豊かさと完全さは、あらゆる作品にはっきりと示されている。
︽誘惑者の日記︾︵一九四五年︶[図8]、︽風景のテーブル︾︵一九四五年︶[図9]、︽始源︾︵一九四七年︶のような絵によって、ゴーキーは
彼の時代の最も偉大な画家の一人であり、同じ世代で最大の人物であることを示した。このことは当然、彼がこの世にいないことをいっそ
う悲劇的なものにしている。いま生きていてもゴーキーは四十五歳になったばかりである。その正当な評価を受けるためにも彼は生きてい
るべきだったのである。﹃パーティザン・レヴュー﹄、一九五〇年五月
―
六月解 題 筒井宏樹
本稿は、以下の全訳である。
C lem en t G re en be rg
―
主にティツィアーノとアーシル・ゴーキー︵一九〇四一九四八年︶, v ol. 17 , N o.5 , M ay -Ju ne 19 50 , p p. 51 0-5 13 . Par tisan Review , “T w o R ec on sid era tio ns ”
という二人の画家について再考察した本稿の原題は、﹁二つの再考察︵T w o R ec on sid er ati on s
︶﹂である。誰についての再考察であるのかが分かるように、訳文のタイトルは﹁二つの再考察
ティツィアーノ、ゴーキー﹂とした。 本稿は、前号の﹃パーティザン・レヴュー﹄一九五〇年四月号に掲載された論文﹁ヴェネツィア絵画の系譜 ︵1︶﹂を引き継ぐ形で、メトロポ
リタン美術館で開催されたウィーン美術史美術館展についての展覧会評の補論として書かれ、ウィーン展に出品されたティツィアーノの
作品を、再考察することでその評価を修正することに主眼がおかれている。同時に本稿は、ちょうどこの時期に展覧会が開催された抽象表
現主義の画家ゴーキーについても再考察がなされている。このときすでに故人であったゴーキーについて、グリーンバーグは一九四五年の
ジュリアン・レヴィ・ギャラリーにおける個展以来、展覧会評のなかでたびたび言及していた。つまり、本稿はウィーン美術史美術館展と
ゴーキー展という性格の異なる二つの対象を論じたものであるが、グリーンバーグが初見の認識を改めたという点において共通性をもって
いる。 ところで、グリーンバーグのこれらの﹁再考察﹂は、彼に代表され
るモダニズムの瞬時性の美学を念頭において読むと興味深いと言える。なぜならば、モダニズムの美学において絵画的特質というのは、
本来的に理想的な観者に瞬時に把握されるべきものと考えられているからである。事実、﹁抽象芸術の場合﹂︵一九五九年︶でグリーンバー
グは次のように記述している。﹁絵画の全体性は、理想的には一瞥で受け取られるべきである。というのは、絵画の統一性は即時的に明示
されるべきであり、絵画の至高の質、つまり視覚的想像力を働かせ、制御するというその力の最も優れた尺度は、絵画の統一性のうちに備
わっているべきなのだ。そしてこれは時間のこれ以上分節できない一瞬のみで把握されるようなものなのだ ︵2︶﹂。
グリーンバーグのこのような瞬時性の美学は、レッシングのジャンル弁別論を踏まえてそれをさらに推し進めた﹁さらに新たなるラオ
コオンに向かって﹂︵一九四〇年︶ですでにその萌芽を見ることができる。そこで彼は、諸芸術の問題をまずミディアム︵媒体︶の問題と
し、﹁それ以上単純化できない経験の要素をより強い即時的な感覚 ︵3︶﹂によって表現することを重視した。その後先ほど引用した﹁抽象芸術
の場合﹂等を経て、六〇年代になると彼は瞬時性の美学をより明確にしていった。モダニズムの瞬時性の美学は、グリーンバーグの理論を
引き継いだ美術批評家マイケル・フリードにおいて、いっそう強調されることになる ︵4︶。それは、視覚が高められたとき、瞬間へと凝縮され ることで、物理的な前提から遊離し、純粋で無時間的な抽象状態が獲得されるという、視覚の自律性へと洗練されていくのである ︵5︶。
グリーンバーグがウィーン展を幾度も再訪し、﹁再考察﹂の末に初見後に執筆した﹁ヴェネツィア絵画の系譜﹂の見解を訂正したこと
は、彼に代表されるモダニズムの瞬時性の美学からすると意外なことと言えるだろう。なぜグリーンバーグは、何度もウィーン展を再訪し
なければならなかったのだろうか。あるいは、何がグリーンバーグをウィーン展に何度も足を運ぶように駆り立てたのだろうか。
それでは、﹁ヴェネツィア絵画の系譜﹂から﹁二つの再考察﹂において、グリーンバーグは何をどのように﹁再考察﹂したのか、具体的
に確認していきたい。﹁ヴェネツィア絵画の系譜﹂では、グリーンバーグは四人のヴェネツィア派の巨匠のうちティントレットが一番目をひ
くと述べ、それは大作︽スザンナと長老たち︾[図1]が出品されていることが大きな要因であるとともに、﹁ティントレットの肖像画が、 全体としてティツィアーノの肖像画よりも優れている﹂からだとの見解を示していた。それに対して、﹁二つの再考察﹂では﹁ティツィアー
ノに不当にも低い評価を与えていた﹂と率直に述べたうえで、さらに﹁今回、私はずっと時間をかけてティツィアーノを見たが、ティント
レットは反対にやや薄っぺらい紙のように見えてきた﹂とまで述べている。つまりグリーンバーグは、﹁再考察﹂によってティントレット
とティツィアーノに対する評価を逆転させているのである。 グリーンバーグは、初見後に﹁ティントレットやリュベンス、ベラ
スケスの明滅し、ゆらめく筆触﹂は、﹁絵 ペインタリネス画的なるもの﹂の理念に向かって否応なく引っ張られる﹁ヴェネツィア絵画の系譜﹂であると述
べていた。しかしながら彼は、何度も見直すことによって﹁瞬時にひらめくような効果的な明暗配置﹂や、﹁より素早く自由な筆致によっ
て生み出された誰もが気づくような絵画的特質﹂といったようなティントレットの絵画の即時的にわかる特徴は﹁新鮮な驚きをもたらさな
いようになる﹂とさえ言っている。 また、それはティントレットだけを見ての判断なのではなく、ティ
ツィアーノとの相対的な比較によってもたらされた判断の変化であるということが重要な点であるだろう。ウィーン展で展示された比較的
少ない作品を、グリーンバーグは何度も見直し、またティツィアーノの作品を、時間をかけて見直すことで至った判断なのである。
作品目録によると、展覧会に出品されたティツィアーノの作品は以下の十二点であったことが確認できる。︽イザベッラ・デステの肖像︾
︵一五三四~三六年︶、︽毛皮を着た女性︾︵一五三八年︶、︽教皇パウルス三世の肖像︾︵一五四六年︶、︽皇帝ヨーハン・フリードリヒの肖像︾
︵一五五〇~五一年︶[図2]、︽ベネデット・ヴァルキの肖像︾︵一五四〇年︶、︽ダナエ︾︵一五五五~六五年︶[図3]、︽ファブリツィオ・サル
ヴァレジオの肖像︾︵一五五八年︶、︽ティツィアーノの娘ラヴィニアの肖像︾︵一五六五年頃︶、︽ディアナとカリスト︾︵一五六〇~六五年︶
[図5]、︽ヤコポ・ストラーダの肖像︾︵一五六七年︶、︽ニンフと羊飼い︾︵一五七〇年/一五七五年頃︶[図7]、︽タルクィニウスとルクレ
ティア︾︵一五七〇年代 ︵6︶︶。 出品作のうち肖像画が八点で、グリーンバーグが初見で﹁作品の質
においてまったく不均等であるが、おそらくそれらが彼の発展の異なる段階を表しているからなのだろう﹂と指摘していたように、制作年
代は初期作品から晩年のものまで幅広い。グリーンバーグは、特に︽皇帝ヨーハン・フリードリヒの肖像︾[図2]を挙げ、﹁豪奢ではあ
るが確かな客観性﹂を備えていると述べていた。出品作のうち物語画は四点であるが、グリーンバーグは初見で、﹁どれも多かれ少なかれ
成功している﹂がいずれも曖昧模糊としており、﹁洗浄が必要﹂なほど表面が汚れているか﹁多くの加筆﹂が施されている、と指摘をして
いた。さもなければ、それらの作品が達成していたはずの統一性が見られない理由を説明することが難しくなると述べ、その例として特に
晩年の作品︽ニンフと羊飼い︾[図7]に言及していた。 それではグリーンバーグは﹁再考察﹂によってどのような見解を導
き出したのだろうか。彼がティツィアーノの作品について指摘した具体的な特徴は、その﹁イリュージョン﹂と﹁色彩﹂である。彼によれ
ば、ティツィアーノは他の誰よりも統一的で調和したイリュージョンを成し遂げた。また、そのようなイリュージョンを作る基本要素とし て﹁色彩﹂がある、としている。ティツィアーノの﹁色彩﹂は、﹁実在感﹂をもっており、絵具だけで成り立っているかのような空間を作
り出した。グリーンバーグは、幾度も、そして長時間にわたってティツィアーノを見た末の結論として、ごくベーシックな見解に辿り着い
たようにも思われる。しかし、ここで述べられる特徴こそが、グリーンバーグの﹁絵 ペインタリネス画的なるもの﹂の内実であり、ティツィアーノという
ヴェネツィア派の巨匠の作品群からこうした特徴に辿り着いたことに大いなる意義があるのではないだろうか。
グリーンバーグのティツィアーノに対する﹁再考察﹂において、もう一つ注目すべき点は、彼が﹁ティツィアーノの人物画の大作の最終
的な真価を少しも了解することができなかった﹂と述べていることである。また、彼は﹁それらの大作にはいまだに釈然としないものがあ
り、彼の画家としての真価への理解が増せば増すほど、もどかしさと失望は募るばかりである﹂、﹁それは当初考えたような絵の汚れのせ
いでも、ありうべき加 リタッチ筆のせいでもない。大型の人物画のどれもがどこかしら構図が狂っているように見えるのだ﹂とまで述べている。グ
リーンバーグは長時間の観察の末、特にティツィアーノの物語画に対して最後まで釈然としない印象を抱いたのである。
しかし、ここで注意すべきなのは、グリーンバーグのティツィアーノ観察には、現代の美術史研究では常識に属する﹁工房問題﹂の認識
が欠落していることである。グリーンバーグが疑問を感じた人物画大作のうち、︽ダナエ︾[図3]と︽ディアナとカリスト︾[図5]は工
房作である ︵7︶。真作は、ナポリのカーポディモンテ国立美術館蔵の︽ダナエ︾[図4]、エジンバラのスコットランド国立美術館蔵の︽ディア
ナとカリスト︾[図6]であると考えられている。ウィーン展の図録にそうした情報の記載がないことからも、グリーンバーグは当時いず
れもティツィアーノ自身による真作であることを前提に鑑賞していたと考えられるのだ。グリーンバーグのティツィアーノ評価に内在する
葛藤は、むしろ批評家としての彼の審美眼を証するものとして興味深いと言えるのではないだろうか。
グリーンバーグは、ウィーン展について次のように締めくくっている。﹁ヴェネツィアを訪れれば、私は自分の判断を見直すことになる
かもしれない
そしてその結果は今回よりもっと当惑するものになるかもしれない﹂。彼はウィーン展について、初見でティントレット
やベラスケスを起点にした﹁ヴェネツィア絵画の系譜﹂というヴェルフリン的な循環的歴史観をすでに打ち立てていた。にもかかわらず、
その後何度も展覧会に通い、ティツィアーノの価値を見直すなど、﹁当惑﹂しながらも自身の見解を﹁再考﹂したのである。
グリーンバーグは、一九三九年に批評活動をはじめた時から、自身のモダニズムの立場を主張してきた。しかし、その信条は一貫してい
るものの、他方で﹁美術作品﹂は彼にとって必ずしも自明なものではなかった。美術作品を前にして﹁当惑﹂し、自身の見解を﹁再考﹂す
るグリーンバーグは、彼のモダニストとしての顔とは別の側面を垣間見せたと言えるのではないだろうか。自身の内で概念化された批評基
準、つまりモダニズムの立場をいったん括弧に入れて美術作品とともに思考することで、﹁他の批評基準﹂で﹁再考﹂する。ここで作動す
る﹁他の批評基準﹂はまだ明確な概念にまで至っていないかもしれないが、こうしたモダニズムの美学の外部を含めてこそ、グリーンバー グの美術批評は機能し得たのではないだろうか ︵8︶。 一九四〇年一月、グリーンバーグは、ハラルド・ローゼンバーグと
ライオネル・エイベルに誘われ、メアリー・マッカーシーが抜けた後任として﹃パーティザン・レヴュー﹄の編集委員となる一方、翌年に
はマーガレット・マーシャルから依頼を受け、﹃ネーション﹄に美術批評を寄稿するようになった。﹃パーティザン・レヴュー﹄では、﹁ア
ヴァンギャルドとキッチュ﹂︵一九三九年︶、﹁さらに新たなるラオコオンに向かって﹂︵一九四〇年︶など、彼のモダニズムの理論的立場
を表明した芸術論を発表していたが、彼がポロックやゴーキーといった個々の同時代作家について批評するようになったのは、﹃ネーショ
ン﹄で美術時評を担当するようになってからである ︵9︶。 グリーンバーグは、先述のように、一九四五年三月ジュリアン・レ
ヴィ・ギャラリーの個展について展覧会評を書いて以来、ゴーキーについて一九四六年三月、一九四八年三月と、展覧会が開催される度に
﹃ネーション﹄に執筆した。彼は当初ゴーキーについて﹁他からの影響に堕した﹂作家として位置づけた。ゴーキーは﹁ピカソとミロの影
響の下でもがいていた﹂が、次いで初期のカンディンスキーやマッタのシュルレアリスムから色濃い影響を受けたことをグリーンバーグは
指摘し、それを堕落と評したのである。シュルレアリスムは当時の彼にとって批判の対象であった。
しかし、グリーンバーグはこの﹁二つの再考察﹂において﹁かつてゴーキーを影響の奴隷と見なす過ちを犯したことがある﹂と率直に認
めたうえで、その後いかにゴーキーの作品とともに﹁再考﹂し、当初の考えを改めたのか、ということを述べているのである。ここでティ
ツィアーノとゴーキーをあえて結びつけて論じることはしなかったが、グリーンバーグの念頭では、﹁絵 ペインタリネス画的なるもの﹂を重視した﹁ヴェ
ネツィア絵画の系譜﹂の延長に位置する存在としてゴーキーのことを考えていただろう。ゴーキーについての浩瀚な伝記を執筆したハイド
ン・ヘレーラは、﹁グリーンバーグは、ゴーキーをシュルレアリストの魅力によって誘惑されたと誤認していたが、二年後にゴーキーを同
世代に比肩する画家はない才能と判断した﹂と批判している ︶10
︵。初見から数週間で再考したティツィアーノとは異なり、こうしたグリーン
バーグの数年間かけてのゴーキーへの評価の反転は、ゴーキー側の立場からすれば批判されて当然かもしれない。しかし、グリーンバーグ
の批評そのものの側に立って考えれば、彼のモダニズムの一貫性の背後に見え隠れするこうした率直な﹁再考﹂の契機こそが注目に値する
のではないだろうか。
注︵1︶クレメント・グリーンバーグ﹁ヴェネツィア絵画の系譜﹂︵翻
訳・解題/森田義之・筒井宏樹︶﹃愛知県立芸術大学紀要﹄、四十一号、二〇一二年三月、一七九
―
一九〇頁。︵2︶
C le m en t G re en be rg , T he C oll ec te d E ss ay s an d C rit ic ism : Moder nism with a Vengeance 1957-1969 , E dit ed b y J oh n O ’B ria n, vo l.4 , T he U niv er sit y o f C hic ag o P re ss , 1 99 3, p .80 .
︵3︶クレメント・グリーンバーグ﹁さらに新たなるラオコオンに向かって﹂﹃グリーンバーグ批評選集﹄︵藤枝晃雄編訳︶、勁草書房、二〇〇五年、三六頁。 ︵4︶マイケル・フリード﹁芸術と客体性﹂︵川田都樹子・藤枝晃雄訳︶﹃批評空間臨時増刊号 モダニズムのハード・コア 現
代美術批評の地平﹄太田出版、一九九五年。また、グリーンバーグの瞬時性の美学について批判的に検証を加え、さらにフ
リードと区別した論文として以下参照。
K en ji K ajiy a, Defer red In sta nta ne ity ; C lem en t G re en be rg ’s T im e P ro ble m , T he Ja pa ne se Jo ur na l o f A m er ica n S tu die s, N o.1 6, 2 00 5, p p.2 03 -21 8.
︵5︶フリードのモダニズムの視覚の自律性を説明したものとしては以下を参照。ロザリンド・クラウス﹁見る衝動/見させるパルス﹂﹃視覚論﹄︵ハル・フォスター編、榑沼範久訳︶、平凡社、
二〇〇七年︵6︶
A rt T re as ur es fro m th e V ien na C oll ec tio ns . L en t b y t he A us tri an Gover nment , Ar t T reasures fr om the V ienna Collection : lent by the
Austrian Gover nment , F eb ru ar y 1 95 0.
︵7︶ティツィアーノの作品、特に私的な注文になる神話画は当時から非常に人気が高く、スペイン王フェリーペ二世のような最有力パトロンしか画家自身の手になる自筆作品を受け取ることができず、それ以外の顧客は助手の協力を得て制作されたレプリ
カや工房作で満足しなければならなくなかった。チャールズ・ホープ﹁ティツィアーノとそのパトロンたち﹂︵森田義之・平
松直訳︶﹃五浦論叢﹄第二十一号、一六〇
―
一八四頁。ティツィアーノとパトロンとの関係は以下が詳しい。森田義之﹁ヴェネツィアの覇者から皇帝の画家へ ﹁画家たちの王者﹂ティツィアーノとパトロンたち﹂﹃ティツィアーノ アサヒグラフ別
冊西洋編
C ha rle s H op e
ナエ︾の工房作の問題に関しては以下を参照。21 ―
﹄、朝日新聞社、一九九二年、七五八一頁。︽ダ& Je nn ife r F le tc he r & Ji ll D un ke rto n, T iti an , N ati on al G all er y Lo nd on , 2 00 3.
︽ディアナとカリスト︾の工房作問題に関して は以下参照。H ug h B rig sto ck e, Italian and Spanish Paintings in th e N ati on al G all er y o f S co tla nd , N ati on al G all er ie s o f S co tla nd , 19 93 , p p.1 83 -4.
︵8︶L eo S te in be rg , O th er C rit er ia : C on fro nta tio ns w ith T w en tie th - Centur y Ar t , O xfo rd U niv er sit y P re ss , 1 97 5
︵レオ・スタインバーグ﹁他の批評基準﹂︵林卓行訳︶﹃美術手帖﹄一九九七年一月―
三月︶︵9︶F lo re nc e R ub en fe ld , C lem en t G re en be rg : A L ife , U niv er sit y o f M in ne so ta P re ss , M in ne ap oli s, 1 99 7.
︵Pu bli sh in g P LC , 2 00 3, p .4. 10 H ay de n H er re ra , B lo om sb ur y Arshile Gorky: His Life and W ork,
︶︵もりた よしゆき/客員所員・愛知県立芸術大学名誉教授︶︵つつい ひろき/鳥取大学地域学部専任講師︶