アメリヵ互恵通商協定政策の研究
木
魯目
榮作
︼︑
二︑
三︑ 目次
互吏心通商協定一政一策への繭⁝換背昆尽'
互惑通商協定法の本質とその適用
互惑通商協定政策の實蹟乏その國民経濟的意義
/一︑互恵通商協定政策への韓換背景
アメリカ合衆國は世界稀に見る廣域と豊富なる生産資源に恵まれつ︑も︑その建國の事情よりして之等資源
め開獲資本は殆ど総て之を奮世界だる漱洲に仰がざるを得す︑第一次世界大職に到る迄の約百五十年闇は實に
國際資本輸入の歴史を辿つたのであつた︒
≒一七八三年條約Lにより初めてアメリカ合衆國は..h器⑦︑8<窪鉱σΩp9巳ぎα⑦需巳・暮︒︒侍器ω.︑の列に加はρ︑
アメリカ互惑通商協定政策の研究(太曾)三一九
三二〇
蝕に漸く猫立國家として登場すること玉なつたが︑ヒの當時未だ猫立載争の経濟的員捲は去ちす九百二十萬弗
の外債を員ふてゐた︒一八四三年には既に二億二千五百萬弗に達し︑第一次緻洲大⁝戦勃嚢當時に於ては七十二︑
億弗の封外員債の持主とはなつてゐた︒他面︑その國富も第一同國勢調査施行年度たる}八五〇年には七十}
億弗と獲表せられたが︑一九一四年には實に二千百二十億弗と算定せらる玉に到り︑六十四ヶ年間に於て三十
め倍の増加を示してゐる︒然し︑米國への海外資本の流入増大もその投資に封する利子支梯及元金償還を前提と
︑するものであるから︑この元利支彿資金をその投資産業より生する利潤によつて総てを支辮し得ない限り︑何
塵かに之を求めなければならない︒米國は之を輸出超過の方法に侯つたのである︒然るに米國産業が漸次ぞの
獲展過程を辿るに俘ぴ先進資本主義國との経濟的競争に樹抗するの必要に迫られ︑その輸出貿易促進の要求は
愈々切實となるに到つた︒鼓に於て米國貿易政策は典型的保護貿易主義の一色に塗りつぶされること玉なり︑
この動向は第一表によつてよくうかfはれるであらう︒
次表に見る如く︑一九一〇年より一九三三年に亘る約四孚世紀間に於て︑關税率の改定は四度に及んだが︑
年亭均從債牽は二割七分と五割二分六厘とを結ぶ高率關視主義が竪持せられてゐたのである︒曰く﹁内外生産
費差額の均等化關視﹂︑曰く﹁競孚的關税﹂叉曰く﹁伸縮關視﹂乃至は﹁科學的關税﹂等とその名を異にする
も︑何れも}貫せる保護貿易主義の顯現であり︑この政策の韓換は常に米國の産業資本家︑農業経螢者及勢働
者の執拗なる反封の聲にさへぎられてゐたのであつた︒一九二九年以後の世界経濟不況時代にあつてすら︑關
(第≒ 表)米 國 平 均 輸 入 從 債 税 率 比 較2) (自191(〉年 至Ig33年)1
亭 均 輸 入 從 債 視i率
、
法税
關
41.5%
41.2%
40.1%
40.o%
4e;7%
%
%%%%%%%%%%ゆ6︒4〃﹄﹂4弓4'4812730744169833ら︑)2222123
36.2%
36・5%
37.6%
39.3%
38.8%
38.8%
40.1%
44.6%
38.5%
44.8%
53・.2%
59.豆%
53.5%
52.6%
Payne‑AldrichAct
幅
UnderwoodAct' 1914年 1915年 Ig置6年 Ig冒7年 1918年
i918,rp(6月 一i2月 》 191g年
Ig20年 Ig21年 1922年 年 平 均 Fordnev‑McCulnberAct
(!月1日 一6月17日)
年年年年均y年年年年年年年年均oU珍弓亭23243526η282930亭19191919年19191919191919り年辮り鱒1919年
HfeY‑SmootAct
30年(6月18日 一12月3工 日)
3【年 32年
33年 ・
亭 均
税率引下に封する輿論の全幅的支持を見出すことを得なかつたが︑之には次の一般的及特殊的事情の存在を前
提走してゐるものと考へられる︒
即ち︑過去に於て屡女米國に見らるx事實な景氣循環過程に於て所謂閃68ωω凶︒昌に入るや︑關視桝上の運動
が活濃となつたことであるが︑之は経濟不況に基因する物償下落が必然的に}経濟軍位内に於ける商品の販費
債格と生産費との相關々係を棄すといふ因果關係に結びつけて考へられなければならぬ︒之は米國の工業にと
つては二つの結果を招來する︒その}は生産制限︑從つて生産諸要素の使用減少となり︑之が更に貨幣所得額
アメリカ互悪通商協定・政﹂策の研究(・木曾)三二一
暫'・︑三二二
を減じ︑物債下落の度を釜々深からしめ途に生産制限強化に到ら七あることであり︑その二は景氣の下降的傾
向が減退しつ曳ある購買力吸牧に封する生産者側の競箏を激化せしめることである︒かくして︑同一商品内及
異種商品聞の競宰は愈々深刻化する︒か﹂る場合に於て︑輸入商品がこの聞に介在してこの競争の本源となる
ときは︑或政治塗力が政府に及びその封策を要請し︑關視引上運動が表面化すること玉なる︒
ノ'米國の●農業部面に於ても略々同様の事實が見られる︒即ち︑維濟不況の結果として農産物債格が下落傾向を
辿りつ︑あるにも拘らす︑一定額の貨幣所得を維持せんとする意圖の下に農産物の生産増加が行はれる︒然る
に︑需要は飽和監に達したるに供給量は増加しつ﹂あるため︑農産物債下落は促進せられ︑こ墨にも工業の場
合と等しく︑何等かの保護政策が要請せられるに到る︒高度の工業化過程にある米國は︑一大農業國の他面を
持つてゐるのであるから︑か玉る産業界不振の情勢下に於ては農・工爾部面共に同檬の影響を受けるのは蓋し
當然であらう︒・︑
之に加ふるに︑外的事惰として諸外國の平債切下の影響が米國の輸出貿易に及び︑之に樹抗せんがために
﹁補整附加税し(O︒ヨ℃窪︒︒簿写σq︒︒巽冨×)賦課法案の提出を見ること曳なり︑か︑る外的要素に基因して保護貿易
政策が釜々強化せられ︑更に︑﹁産業復興法﹂(Z註︒昌巴H巳器鼠巴閑・8︿︒奨︾nけ)及﹁農業調整法﹂(︾㎎言三言H﹄
︾&ロ︒︒§・再︾∩け)の國民経濟的含蓄が︑國内産業復興計劃の途行を容易ならしむるために︑國内経濟を外的経
濟要素より隔絶せんとする所にあつたことは︑米國の貿易政策の保護主義的色彩を濃化せしむる促進的役割を
演じたことは明らかである︒之等の諸要因に加ふるに︑世界的國家風潮とも云ふべき自給自足維濟政策の進展
は︑國際分業に封する一大障碍となり︑之もまた米國貿易政策輻換の上に浩極的要素となつたことは否み得な
い︒
以上によつて︑明らかなる如く一九二九年以後の経濟不況時代の︑米國の経濟獲展過程に於ては︑國内経濟
的利害關係が支配的な力を持つてゐたものである︒換言すれば︑米國の繧濟政策は主としてその豊富なる生産
の資源の開嚢と製造工業組織の獲展にその基調を置いてゐたもので︑この意味に於ては米國民は..U葺げ§苧
8昌ω︒一︒鐸︒︒..よりはむしろ.︑津︒曾鼠︒昌‑8蕊q8︒︒︑︑であつたと一写ひ得べく︑これがその経濟政策に張く反映して
のゐたのである︒之が最も端的にしかも最も彊く具現せられたのは︑一九三〇年に共和窯政府により議會に上程
せしめられた出︑乱・ギ︒︒ヨ︒9日︑櫛N謹︾9であり︑之は既に示した如く︑年平均從債税率五二・六%といふ一九
一〇年以來の最高關税率を賦課して︑米國農業を世界経濟不況より救ひ︑以て諸他の産業の獲展を圖り︑米國
勢働者の生活安定を期せんとしたのであつた︒本關税法案の上程せらる﹂や︑今迄に見られざる反封蓮動が内
外より起り︑先づ四十六州の百七十九大學の経濟學教授千飴人が﹁本法案大統領署名反封請願書﹂(国8ぎ菖︒・冨
男︒貯莚︒昌鈴σΩ坦両昌︒︒け島︒︒︒黄三謁︒h夢o国9乱︒鴇あヨ︒9目豊ゑ︾9)を提出し︑次の如く米國の國民経濟的見地より
この法案通過に彊硬なる反封的態度を示したのであ勧︒
ω﹁本肇の意圖するが如き關馨引上はまさに誤謬である・何となれば・之は國内消費者轟の便讐
アメリカ互悪涌商協定政策の研究(木曾)三二三
.・・三二四
引上げることκ外ならす︑ヨリ高き生産費による生産を漿働し︑從つて消費者め浪費と非能率的産業を助成す
ること︑なり︑ヨリ安き生産費による生産業者を一暦擁護して︑ヨリ高率の利潤を牧めしめ之を消費者に轄嫁
すること︑なる︒﹂
ゴ.﹁かくて︑本法は國民大多激の生活費を引上げてその生活に累を及ぼす結果を生すべく︑か玉る關税法(
改定により利釜を得るはまことに一部少数の國民に止まる︒﹂
ぬダヨ︑﹁農民の大多数もまた損失を蒙るべく︑彼等の生産する棉花・豚肉・豚脂及小萎は何れも輸出向生産口剛く
であり・之等は國内市場に於ては激しき馨もなく︑從て養は彼等の萱らんとする生産晶及び買はんとする︑
製造品一般への關税率増加によつて二重の打撃を受けるものである︒﹂・●
四・﹁米國の輸出貿易は輸入關視引上によつて悪影響を受くることムなる︒何となれば︑諸外國よりの輸入く
を阻止すれば︑彼等もまた米國よりの輸入品を制限すべく︑我等の輸入阻止の度が加重するに從つて彼等も釜
の々之に報復すること﹂なるべく︑銅・自動車及農業用機械類の輸出も農産回悶と同じく不振となるであらう︒﹂
却﹁我等は︑アメリカ合衆國の製造業者と雄もまた關税引上を必要とするものとは信℃得ない︒﹁大統領く
任命米國最近経濟攣遷調査委員報告書﹂角冨男趨︒旨oh昏︒男器︒・乙︒9.︒・O︒旨ヨ窪8︒口国8︒暮国︒︒まヨ一︒O匿昌σΩ︒︑)
に於ても︑世界大職後︑米國の生産能率は増加し︑生産費は低下し︑利潤は驚異的迅速度迦以て増大七り﹂あ
りと報告してゐる︒米國の製造工場は國民の溝費製造品の九六%を供給し︑製造業者はその機械生産力の増大
による︑ヨリ多くの生産品の販路を海外に求めんとしてゐるものである︒か︑る秋に於ける通商への障碍は決︑
して策の得たるものでぱない︒﹂
萄﹁米國民申外國企業への投資者も多数に上る︒米國商工省は︑欧洲大職々債を除外しても.一九二九年(
一月一日現在に於てその額は百二十五億五千五百萬弗乃至百四十五億五千五百萬弗に達すると概算してゐる
が︑之等の封外投資者もまた關税引上により外國債務者が自國輸出貿易不振のため利子支佛に困難を感するこ
と玉なるを以て︑結局打撃を蒙らざるを得ない℃﹂
殉.﹁米國は今や失業問題に直面してゐる︒關視引上支持者は之により︑'失業者に職を與へるものと主張し︑
,‑曳,
てゐるが︑之は安當ではない︒﹂̀し︑
匂﹁最後に︑か玉る高牽關税政策が國際關係に及ぼす影響について︑政府の愼重なる考慮を要請するもの(,
である︒アメリカ合衆國は一九二七年國際聯盟主催の世界経濟會議に於て主導的役割を演じたが﹂同會議は
﹁今や世界ほ關税引上に絡焉を告げ︑正に反封方向に行動すべき時期に到達したしとの決議案を採揮したので
あつたつ今政府が提案したる關税改革案は右の協定にも反し︑他の諸國を七て競ふて貿易障碍を高めしむるこ
と﹂なり︑かくで關税戦は世界亭和促進を妨ぐること︑なる︒L
之と呼鷹して︑米國産業界の闘將フ.オードも七百五十種に上る自動車工業原料品の關視引上に反封するに到
り︑更に米國への輸出國三十三ヶ國も本法制定に反封して米國政府に抗議するに及んだのである︒我日本もま
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