通 商 政 策 と 通 商 條 約
前 特 命 全 權 公 使 川 島 信 太 郎
日 次
一︑通商政策の意義 六七
二︑自由貿易と保護貿易 六八
三︑渕舛通商政策の黎軌 其一国民 六九
四︑同 英二貨物 七二
五︑日 其三船舶 .七二六︑通商性約の補助的等批 七三七︑二国間倹約と多数国間使約 七四
八︑通商後納のl主酷及通用区域 七七
九︑通商性的の主鰹に親する沿革 八〇
十︑日本に於けろ主撞着の呼び方 八三
十一︑王政複古以後に於けろ主擢者の呼び方 八五十二︑日本国名の呼び方 八七
十三︑通滴性的の内容 八九
﹁通商政策の意義
通商政朱と通商條約六七
商 業 と 経 済
六八
通商攻策とは如何なることかと云へば.通商と云ふ人類の活動を其の所属図家の利盆の鍔めに如何に調節す
べきかと云ふことである︒印ち図家の領土内に於ける内外図民の泌尚行匁に封する一つの攻策である︒それが岡
内の通商に封する場合に於ては封内通尚攻策となり︑閣外の通商に封する場合に於ては封外活尚攻策となる︒本
邦風一・界に於ては一般に﹁商業政策﹂と云うて︑山氏業政策︑工業攻策と封立せしめて居るが︑自分は此の﹁業﹂と云ふ
字を使用することを好まない︒﹁業﹂と云ふと何にか活尚在営む主位ーにる個人の経営を標的として研究するものh
様に見える︒併し針外通商攻策の標的とするところは野外通商に関する事項殊に商品の輸出入︑関税︑航海︑企
業︑入園等の問題の外︑克に浩一んで外岡匁替︑図際牧支等の一般問題をも岡家の立場より研究し︑外岡貿易なる
個人の企業其の者を標的とするものではない︒それで向業攻策と云は宇遁商攻策と云った方が誤解を坐じないで
あらう︒外岡誌でも軍にの
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一園の図境を出る時には一般に税関叉は険疫及旋券険査所があって貨物︑船舶︑図民の往来を取締って居る︒
此の図境にある障壁を通過すると否とにより外図通商と内図通商との厄別が生宇るのである︒如何なる自由通商
主義闘の場合に於ても︑印ち輪出入貨物に関税の賦課なきが如き場合に於ても園外と圏内との聞には少くとも街
生︑公安上の必要から降壁が設けてある︒此の障壁の外に出るもの︑叉は障壁の外から入って来る通商活動は野外
通商で︑降壁内のそれならば封内通商である︒
然らぱ自由貿易固と保護貿易困又は制限貿易圏との間に如何なる差異があるかと云へば︑園境に存在する関税
共の他の障壁が股しいのが保護制限闘で降壁の少ないものが自由貿易闘である︒併し一般に保護制限図と云へば
総入貨物に封する関税卒がおく叉牧入制川町川等の程々の制限があるのであザ心︒関税の賦諜なきか︑或は賦課関税率
の甚花低きものが自由泌尚闘である︒併し如何なる自由通商岡と雄Eも全然貨物の輸入に自由を許して居る場合
はない︒少くとも税関の検査な受けなければならぬ︒自由貿易と云ふことは関税障壁の無いと云ふことで︑全然
園境にある障壁線を取去ってしまうことではない︒叉財政上の目的を以て少'詐の輸入貨物に関税を課することが
ある︒例へば大述︑香港等の自由貿易港でも姑舶︑貨物の出入の際は一応税関の検査を受けねばならぬ︒それが
園内貿易と凶外貨必と非常に迩ふ所である︒克も二同叉は数凶間に関税同盟なるもの在結ぶと︑蛍該二図叉は数
園間に存在する関税障壁在取ってしまふこととなる︒日本と朝鮮との聞には明治四十三年八月の日韓併合後に於
ても大正九年八月迄依然関税陪疫を存して居にが︑共の後朝鮮にも本邦関税定卒法を施行し内鮮聞には朝鮮側
に少詐の移出入税在存する外一切関税障壁を撤去してしまつに︒併しこれは関税同盟ではない︒関税同盟は今日
白耳設と﹁ルクサンプルグ﹂との聞に存在するが︑日本と満洲との問にも日満関税同盟設定の必要が治々唱へらる
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︑封外逼商政策の客躍││主二国民
辿肉政策と通商除約
六九
商 業 と 経 済
七O
失に針外通商攻策の封象物印ち客地胞は何であるかと云へば第一に図民である︒第二に貨物印ち商品である︒
第三に加舶である︒
一同通商政策の客慌たる岡民は日本︑英士口利︑伊太利等の如︑き君主因では之れを臣民
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加合衆園︑備前西共和岡山町寸の如きでは之れ在人民
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H ﹀と呼ぶ︒それで︑日米間の傑約を見れば日米雨締約
闘の園民を現すに︑つ雨締約岡ノ一方ノ陀民叉ハ人民﹂と云ふが如く使ひ分けてある︒斯くては煩雑であるから日
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と一去ふ文字を用ひて臣民と人民とを包含せしむることにして居る︒元来CEB
と云へば封等の観念である︒プルlタスは羅応の首長たるシlずlに封して︿
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と云った︒姥・馬は初め
は共和図であつにが︑後に問︒
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何百立おとなり一般国民は
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の資格なき多数外来民族叉は隷属の民族があったのであるが︑ロ疋等︑か一様に臣民となった︒
一因の封外通商活動は封手闘との図際約束に依って規律せられて居るのが一般の例である︒右の如き二岡叉は
数園間に存する封外通尚に関する図際約束が通商佼約である︒通商傑約を見れば岱該関係闘の遇尚攻策を知るこ
とJが出来る︒通商傑約の第一の客慌たる図民に付ては一般に.迦尚傑約の労到に規定してある︒・即ち日英通商傑約
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先づ此の傑文中にある百ちと云ふ一字は雨締約図自身が威張って特に附加したものである︒傑約文中には空
威張りの習慣が多い︒井︑の園名を記するに自分の凶名の方を先きに記すことにする︒従って二通の傑約に調印す
る場合には図名のところ︑たけは二者を相兵せしめ調印者は自身が持ち腕る傑約正文の方には自国名在先きにする
が如きである︒
抹第一傑によれば︑雨締約凶は其の一方の臣民が他方の版同内に入国し︑膝行し︑又は居住することに付き完全
なる自由を右することになるのである︒新う云ふ傑項が日米傑約中に這入って居れば︑移民問題は起らなかった
筈である︒斯る傑項を各図と締結の通商傑約中に一一押入せしむる符に︑日本蛍局は常に甚だしく苦心して居るので
ある︒斯る傑項があらゆる諸岡とのい辿肉傑約中に押入せしむることが出来るならば︑日本図民は大手を振って世
同介主る所に居住往来することが出来吋心のである︒併し此の伐羽は白山一辿山主義守採用する諸国との傑約中には規
定され得たが︑米岡非︑の他日本移民の向はんとする諸国との活向傑約中には採用せしむることが出来ぬ︒英帝図
領土中にでも英本固との通商傑約は香港・新嘉一坂等の直帖杭民地に丈け遁用す万こととなって居て︑印度及涼
洲︑ニュージーランド︑南阿聯邦等の自治領には遁用しないことになって居る︒蓋し英本図等は日本より努働者
が行く諜がないから入国自由が約束されて居るが︑英自治旬︑は日本労働者の入園舎好まぬから︑新る規定の挿入
されて居る遁尚傑約には今日に至る迄絡封的に加入しないのである︒ふんも加奈陀には本傑約を適用することとな
通商政策と通商除約
七
商 業 と 経 済
七
って居るが︑同時につルミユ
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協定と云ふものにより︑一定数以外日本より一労働者を加奈陀に詮らぬこととなっ
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回︑封外逼商政策の容龍
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主三貨物
本論に立ち戻り針外通商政策第二の客睦は︑物・印ち貨物又は尚口問である︒此の第二の客般にる尚品は活向傑約
規定の眼目︑にと思ってよい︒一章し通耐とは国際間に相互製底物の交換をすることであるから︑針外活尚政策の日
的物として一番重要なるものは貨物印ち尚品であることは間違ない︒殊に今日の如く労働者の入閣は原則として
不可能なる時代になると︑述内傑約の目的物は︑主として貨物向品となった︒目以氾の通尚傑約半}見ると日本の傑
約攻策には反するが︑商品の輸出入及関税待遇等のことのみを規定し︑一般国民の待池のことは何等規定せられ
ぎる場合が多い︒日本の一般傑約攻策としては活尚傑約中には尚品のことのみならす︑一般同民に封し入園居住
等の椛利をも規定せしむるに在るが︑列闘は之れを好まざる鍔め其の目的を法せぎる場合もある︒例へば明治コ一
十七年八月二十九日調印の日印通商傑約は関税のことのみが規定せられ居り︑同様之れを受けたる昭和九年七月
十二日倫敦調印の第一十九日印通商協定︑及去る四月十二日ニュ1デリイに於て仮調印を匁したる第二次日印遁尚
協定も︑関税及棉花︑綿布の輪出入量に闘し規定し居る花けである︒昭和三年七月二十四日附公文交換の口木︑
ニュージーランド間暫定取極も関税及航海に闘し規定せられて居るのみである︒
五︑逼商政策の客臆
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其三船舶
封外通商攻策の第三の客般は艦船である︒日本は海洋固として通商傑約上自図舶舶に封し充分なる保障を規定
することは甚花肝要である︒殊に通尚傑約上の沿革から云ふと︑姑舶に関する保院が︑主︿の最も重要なるもので
あつに︒十八世紀時代には図際問に於ける国民の往来は常に白図船舶による商品の総出入を以て其の主要目的と
して居たから︑此の時代に於ける通商傑約の客臨は主として舵舶であった︒此の畑舶を主たる針象物とする通商
傑約は﹁宮式傑約﹂と栴せらるλものである︒米図が各図との聞に締結し居る通商傑約は殆んど全部右奮式傑約で
ある︒明治四十四年二月二十一日調印の現行日米傑約も寧ろ右書式傑約に近いものである︒之れに反し十九世紀
に至り獄抱一図民の海外活動の影響な受け︑獄迩が他国と締結せる諸通商傑約は︑濁漁一図民の入園︑居住其他海外
活動に閲する保障が充分規定せらゐ﹄こととなった︒此程純然たる通商航海に関する事項の外一般図民の入国居
住企業等の保障に付き規定せるものを新式通尚佼約﹂と云はれるのである︒明治四十四年四月三日調印の日英語
商傑約は右新式通商傑約に砧するものである︒
六︑温商傍約の補助的容健
通商傑約中には上記封外通商攻策の三主要客際大る人︑物︑般の外附属的容能として外交官及領事官の特椛︑
並びに﹁人﹂の集合とも兄るべき合祉︑組合︑商業合議所等に関する規定がある︒殊に領事官に関しては其の職務
の執行に闘し綿密なる規定な設くるが匁別に領事職務係約といふのが締結せらる﹄ことがある︒
尚一般活尚航海傑約以外に補助的針外経演活動を規定せんが匁め︑財政︑外因鍔替︑街生︑工業所有権︑航
︑通商政策と諮問倹約
七
商 業 と 経 済
七四
室︑銭道︑電力等に闘し園際傑約が存在することも知らねばならぬ︒日本の如き島図では電力の自由交通が図際傑
約の目的となることは一寸心付かぬであらうが︑是れは欧洲諸国間では甚だ重要なる問題である︒例へば伊太利
の如︑ぎは隣接固たる瑞西叉は悌繭西より電力を引張って来て居る︒此の屯カのの
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を自由にするか
せぬかは伊大利に取り大問題である︒それで険羅巴では電力の通過自由に閲する図際保約が岡際聯問主催の図際
合議の議題となり傑約が出来上ったことがある︒日本は依り関係がないから右様閥際傑約には加盟しなかったが
全然関係のない問題ではない︒八官て満洲に於て張作森︑か巾を利して居大時代︑日本人が安東燃に於て作った大き
な電力を満洲では充分の需要がないからそれを鴨緑江冶横切って新設州の方へ持って来ようとしたとき張攻様
が之れを邪魔にしたから大問題となったことがあった︒役は電力に封して高い使用料叉は冥加金の如きを納付す
べしと主張せるが︑結局電力料を汗債し之れに封し従償五分の輪出税守支排ふことに掘った︒それは其頃支那で
は輪出貨物に封し従債五分の税卒を協定して居たからである︒
七︑ニ園間保約と多数国間候約
上記の如く通商傑約とは一闘の封外通商攻策を賀行するの目的を以て他の一図叉は数ナ岡との聞に鴛すところ
の約束である︒普通は二ナ図聞の約束(回目
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である︒先に述べた日英通商傑約︑
日米通商航海傑約の如きは其の例である︒之れに封し多数図間傑約(一般傑約又は高図傑約)(昌喜一
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なって尚議の上締結するところの園際約束である︒大正九年図際聯盟が出来てから其の主宰の下に其のメムパl
印ち川間際聯盟国大る椛成員の間に一般傑約が締結せられ︑之れに・聯県外の図も参加せしむるの例が始まった︒例
へば大正十年四月二十日の﹁通過の自由﹂に関する傑約︑大正十二年十二月九日の﹁海港の図際制度﹂に関する傑
約︑昭和二年十一月八日輪出入禁止制限の撤廃に閲する傑約等がある︒日本としては過去に於て図民の入園︑企
菜︑活向の完全なる自由に悶し米図︑山珠洲︑支那等との間に二図傑約を締結せんことを幾度か計書したのである
が︑日記等の諸闘は制限攻策を採って居る匁め右様﹁通商自由﹂の原則に則れるこ図傑約は到底成立せしむることが
出来ない︒そこで図際聯服を通じ其の主宰の下に抑記﹁通商自由﹂の原則の下に遁商︑交通︑移民︑関税︑企業︑並
びに一件び此一頃陸凶し出した原料品供給の自由と一千円か如︑き諸案件を解決する一般傑約を成立せしめ様と努力身綾
けたのであ・る︒凶際聯出闘の中には英本園︑和的︑白耳誌︑丁抹︑瑞典︑諮成︑フィンランド︑濁逸︑伊太利の
如く丸山時比校的﹁活向自由しのな兄に傾き︑日本の主艇を支持しにが︑是等通商自由主義諸図の一国に封抗して︑
仰附西︑ルーマニア︑ポーランド︑希脳︑北米合衆園︑南米諸国︑加奈陀︑濠洲︑支那等保護制限園の一国は之
れに同なしない︒日本としては上記活尚︑航海︑入閥︑居住︑関税等に付き図際交通に関する一般準則を定めし
め.右一般能別な包含する闘際傑約に上記米国︑支那︑山珠洲等をして加出せしめ︑間接に日本の野外経法議展に
関する主艇を武倣せんとするにあったのである︒殊に欧洲大戦後支那等が一般文明闘の様に法典及裁判制度の完
備も
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Jら宇.叉内地開放も賀行せ宇︑m単純に領事裁判椛の拙妓を呼枕するに至ったから︑先づ図際聯盟主宰・の下
辿向政策と通尚倹約
七 五
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? 府 主 と 結 訊
七六
に文明闘の園際交通を律する一般傑約を定め︑支那等にして封等の椛利を主張する以上先づ右一般傑約に加盟す
べきを主張せんとしたのである︒併し此の日本の方針は充分には成功せ歩︑折角上記﹁羽一向自由﹂の原則の下に一
般傑約を作つでも之れに加入する以上記英古利︑猫逸︑伊太利︑白耳義︑丁抹︑和問︑瑞典︑詰成︑瑞西等所前
自由通商主義国と云はるL闘にけで︑之れに反し保護制限主義を採って居る米閥︑仰関西︑英領印度︑加奈陀︑
漆洲︑露西泊︑支那非︑の他欧米の所間新興国と稀せらるL闘は之れに参加しない︒叉之れに参加せしめんとする
鍔めには殆んE通商白山の原則を筏却するものと匁さねばならぬ︒印ち日本としては欧洲大戦後図際聯
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して︑共ω力に依って通商自由を百行しようと云ふ政策は充分成功在見るに至らなかった︒
日本の現欣の加く毎年百一向人も人口が昨日加するに拘ら示︑比校的領土も狭小に天然資源も充分ならざる図家に
在りでは結局通商自由主義に依り世界の各方面に経済殻展を貴行するの外生きる逢がない︒世界商業史にも見る
如く図家も一個人と等しく未だ克分に護法せぎるとき︑叉は老境に入ると保護制限主義が叫ばれる︒米岡でも︑
濁逸でも其の目以初別である農業時代を過ぎると︑・次いで保護主義となったが更に充分経済朕態が後展し所前向工
立闘の時代となると封外登展の必要上通尚自由主義が遁蛍のこととなる︒千八百六十年以後に於ける英図は此
の意味に於ての
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の傑約に依り白岡の関税障壁をなくしたのである︒園民が臨準期に入り海外への
膨脹を必要とするに至ると勢ひ自由通尚主義を可とするに至る︒封外通尚攻策の目的たる入︑物︑胞に付て自由
愛肢の係地を求めねばならぬ︒日本は率問上に於て自由主義可なりや︑保護主義可なりやと云ふ時代は既に過ぎ
去つに︒目前の問題は斯る隠・道的人口増加を見る同家は否でも感でも所謂﹁遁商自由﹂により封外経済委展を鍔さ
ねばならぬ︒此の意味により口本は全然別の環境に在る獄︑伊︑米の統制経済を旦似てはならぬ︒併し吾人は強
ち日満聞の所市﹁aフロック﹂経済の形成を不可とせぬ︒右に付ては別に論中るところもあらう︒迭では日本の封外
通尚攻策殊に欧洲大戦後に於ける日本の封外活向攻策は自由一過尚︑門戸開放︑機命日均等を世界各闘に蹟けたいと
云ふことが其の根祇であったが︑今後に於ても右娘棋は動かすべきものでないことを主張するに止める︒
八︑逼商候約の主題及遁用匡域
さて前述の如く通尚政策の宜行に閲する二園叉は数ク凶聞の約束が通商傑約であるから︑通商傑約の主位は園
家である︒而して通商傑約の客位は凶氏︑貨物︑船舶とあって︑此の容鰹を主睦たる図家の附属機関として︑図
家を代表し岡家の名の下に活向傑約の規定に準践し保護助長の任に蛍るものが外交官︑旬︑事官である︒外交官︑
領事官の特椛及川帆務椛限も一般に一週尚傑約中に規定して居る︒支に浦一尚傑約中に之れに包含する傑約規定がどの
範囲まで適用せらる?か︑印ち傑約の適用回域に付きても規定が設けてある︒民共に蓮べた日英通商航海傑約第一
保の入園自由に閲する規定などが英常国全領土に適用せらる﹄ことになり居らば︑淘に結椛であるが︑同傑約第
二十六傑に依れば傑約の適用回域は英本闘に限ると書いてある︑印ち
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と書いて居る︒従って英領印度︑加奈陀︑山珠洲等の自治領︑香港︑新嘉波等の植民地︑其の他局地保護領には本傑
約調印後二ク年以内に本傑約に加入したいと云ふ通告を在来京の英吉利大使より日本政府に迭さない限り本傑約
轄植民地(の5
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を適用せざることとなって居る︒本傑約は原則として英本閥のみに適用することとなって居る︒立︑の結果日下直
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邦︑サイプラス等には適用あるが(大正二年四月二十九日外務作告示第三披)之れに反して自治領の中では加奈陀
だけが這入って来大o
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1ランド︑市阿聯邦等は所前ホワイト︑ォlストレイリヤ叉は排亜細昭一人
法の存在の鍔め︑自由主義の下に締結して居る日英傑約には加入して来ぬ︒更に直・時植民地たる一出向如利加の﹁ナ
イジリア﹂﹁ゴールド・コースト﹂︑﹁ガンピヤ﹂及﹁シエラ︑リオニ﹂は一旦加入の後本邦商品の浸入を防止する鍔
め︑昭和八年五月十六日付公文を以て脱退密通告して来た︒
序に自治領(口︒
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とは如何なるものかと一一一一日へば︑特別の立法議合︑関税制度等を有すると共に英図皇
宥より任命せられたる総督の下に統治せられて居るもので︑国際聯取の一員ともなって居る︒斯く自治領は内攻
に閲しては自治楳在持って居るが︑外玖に閲しては英本図の外交機関に委ねて居る︒みんも加奈陀︑南阿聯邦の如
く木図の了解を得て主要貿易図との間に公伎の交換を録して居るものもある︒英領印度は未克己
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ではならぬが︑長沼自治議合も聞け所前巴
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と云ふことになって居る︒︒g
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と云へば前惑の直
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とは普通局館と諒して居るが︑未記文化低く﹁直轄植民地﹂の程
皮に迄行政組織が護法せざる領土である︒一出向山利加に在る英吉利の民館︑には此の程度のものが多い︒所謂C式委
任統治地も可
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‑ ‑ と呼ばれることがある︒惑に所謂可52♀
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とは正式の﹁保護園﹂をι
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例へば出船利加の﹁ニアず一フンド﹂保護旬︑の如く其の土地ι土人の王様があって名義上には内攻上主植を未亡保
持心て居るが︑事買は英本図より汲遣の顧問叉は高級事務官が攻治在して居るものである︒
英士
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とには別々の王様があったが︑長い間戦争の結果一絡になって白昼三百ロ包
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5与になって居るが︑此の傑約が出来た明治四十四年頃は
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と一緒になって居ったのである︒印ち英本図は
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凶であったのである︒何れにしても此の聯合王国は百ロな
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22ではなく同一口問である︒英図々王は只此の大貌利頴聯合王図の﹁キング﹂であると同時に何百匂
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週前政錠と担防総約
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商 業 と 経 済
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である︒印度は人口三億もある大帝国であるが此の帝図の中には英本図の直轄領地たる国
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山の土人図とがあるのである︒之れを総合したるものが印皮市闘である︒それで全英帝問主椛者の名前は
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と得されたのである︒印ち今日英帝国とは英本国及直轄植民地の外自治領
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た聯合図家(司え
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ZZ乙であって︑之れを開門一江任︒
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とも務して居る︒其の聯合の中心
が英同皇帝である︒全英聯合同家の主椛者である︒英同皇帝に依って外交と閲防とは総べて統一されて居るので
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九︑混商慌約の主慢に関する沼草
‑常岡政府に於ては昭和十一年四月の頃雨人1述内傑約の締結に常りでは其の主慌を去すに﹁天皇﹂なる御稀械を使
用申上ぐることに決定した︒之れに付きて一寸説明して泣かう︒従来帝図攻府が通尚傑約半}外国と締結する場合
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本図
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22七え]ロ司自と稽して居たが︑一前後は﹁日本同天皇陛下﹂即ち
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叶280こ与包と御記載申上ぐることに定めに︒之れは同位明徴の観念から一五ふも通部の措置
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O片山円︒円から出て居るので︑作品の起販は色々の岱族を総局市民に代
って統一支配するところの役柄である︒日本の﹁天皇﹂とは全然意味︑か遠ふ︒支那の﹁皇帝﹂と云ふのも武力を以て
支那民族を統一せる権力者に附奥する稽披であって﹁天皇﹂と云ふが如く民族の中心︑宗家の元首と云ふが如︑き観
念ではない︒羅ぬのシiずーが一般市民に推されて皇帝となったのとは根本的相違がある︒シlずlは一市民か
ら皇帝に出世したのである︒シャーレマンが神聖疑応帝国の皇帝となつにのも︑羅馬法王より耶蘇救保護の総司
令長官と云ふな味で北の稲吹を貰ったのである︒良市w
は鼠
γろ征夫大路軍の如きものである︒然るに日本の﹁天皇﹂
はさう示ふ一般人民と封等的のものではなく︑又一利を代表する雑応法王の如きものから下附せられた稀披ではな
く︑直接紳を代表するものである︒日本民族が一点天原から下って来て以来民族の中心︑宗家の首長として高世一
系︑﹁紳﹂を代表して居るものである︒﹁神﹂印ち﹁人﹂である︒納入合一の観念の下に立って居るのである︒日本民
族は右一品天版から﹁天皇!一な中心として降つに一族の子孫が失第に殖えたものである︒部ち皆天孫民族である︒
新う云ふ様な同家概念に似にものは古代に外にもあった︒古代希般に於ても之れに似た観念の下に図家が出来
て居丈︒希股民族は治初天上から﹁オリンパス﹂の山に降った一柳の一族とせられた︒其の一族の子孫が段々擦まつ
て出来た所前﹁家族同家﹂であった︒それで古代希股の各﹁王﹂の先・岨は皆﹁オリムパス﹂山に降った﹁ゼウス﹂と云ふ
神様である︒それで古代希騰の﹁王﹂様は一族の首長として玖治上の主椛者であると共に︑右先組なる亦尖たる﹁ゼ
クス﹂を祭り得る唯一の祭主であつに︒郎ち古代希除も政敬一致の闘であった︒従って希脱王宮の側には必宇右
先祖
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矢張﹁紳﹂の子孫であっ大︒所前﹁君民一家﹂の凶家であつにο従って共の﹁パジリオス﹂と云ふのは﹁家族国家﹂の首
辺肉政策と通商依約
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商 業 と 経 持
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叉は皇帝と云ふ観念とは其の根抵を兵にした︒
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℃22と云へば征服に依る支配を示すも
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5︒叶が包括色白ロ怒の意味に伎はる与も之れが匁めである︒王に王たる者が皇帝であり︑﹁叉﹂
の命に依り人民を治むるのが皇帝である︒日本の﹁天皇﹂や泊代希般の﹁パジリオス﹂とは全く異なった観念で
ある
支那の皇帝は天道守受けた人間が天の怠忠で他の人聞を治むるもので︑一岬聖一維応帝図の﹁皇帝﹂叉は膏露西原市川 ︒
図の
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l﹂乃至は波斯の﹁シヤl﹂と一疋ふと大館同一観念である︒天の意思に背かぬ限り皇帝となって居て宜し
いが天の意思に反する場合に於ては皇帝大る資絡がなくなっても差支ない︒支郊では﹁易世﹂と云ふことは差して
不都合でもない︒漢の高祖が天立を受けて皇帝となれば︑非︑の前の奈の皇帝は天のな尽に背くことになったのだ
から亡一除されても差支ない︒皇統は連綿でなくても宜しい︒清朝の宰・相変世凱も皇帝となって差支ない︒天のな
思ならば哀皇帝が出来ても差支ない︒所で日本の方では之れは大逆無道で︑抑も日本図が出来た以来﹁天皇﹂は吾
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先祖
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5 円叉は皇帝の観念と兵り異民族を征服し其上に君臨すると云ふが如き観念で
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歴史
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て閥王となつにのとは根本的に相違する︒従って日本では﹁人民主楳﹂とか﹁天皇主樺﹂と云ふ様な同別はない︒
天皇と園民とは合一不可分のものとなって居る︒之れに反し外国では所前君民一家の間柄ではない︒それで人民
の楳力が強くなると皇帝と人民との間の約束で﹁マグナ・カルタ﹂と云ふ様なものが出来るのである︒英吉利窓法
は皇帝と人民との約束の如きものである︒従って外図の白石叉は何日目
)R R
の観念は日本の﹁天皇﹂と云ふ観念
とは根本に於て相呉があるのである︒誌に古代希臓の﹁パジリオス﹂に付きて説明した如く欧羅巴の古代には稿︑︑
日本の﹁天皇﹂に近きものがあった.か︑それは其の後に於ける外来民族叉は外来宗教に依る征服叉は統一に依り全
部滅亡するに至ったのである︒
十︑日本に於ける主権者の呼び方
叙上の事情により日本が各図と締結する傑約の主位そ現すには他の君主図に於けるが加く百ロ
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百勺
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等の文字を使用せ守︑爾後││︑
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と書くことに定めたのは遁蛍の措置である︒4んも他に波
斯に於ても其の主椛者を呼ぶに
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句︒EUと云ふが如き例もあるが︑此の﹁シゲ
ー﹂と﹁天皇﹂とは全然別のものなるは回よりである︒
日本の主椛者を﹁天皇﹂と呼ぶことを可とする歴史上の理由が向外にもある︒近代日本が始めて外園と締結した
る傑約はな加永七年(安政元年)三月三日調印の日米間の所謂神奈川傑約であるが同傑約にては日本の主樺者を呼ぶ
に英文にては︑目︒﹀
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O﹃]名古と云ひ︑日本文には躍に﹁日本君主﹂去して居るが︑・次いで安攻五
年六月十九日調印の日米聞の江戸傑約では英文にては呂田冒と
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本文
では
﹁市川凶大日本大君﹂と記して居る︒右﹁大君﹂とは闘より賂軍を示すものであって之れには
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披を付するのは人ーより見れば可笑しいが︑米凶の全椛﹁ハリス﹂は事質賂軍を日本の主椛者と思うて居たことであ
通商政策と通認候約
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商 業 と 経 涛
八四
り︑叉日本側の全模委員井上信浪守︑岩瀬肥後守も将軍に卦し此の如き敬稿を受くることは別に差支なきことと
思ったのであらう︒
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天皇陛下は般に京都にいらしったけれども︑外国と交渉の全椛を江戸に在る征夷大将軍に任されて居た
ものと見てよからう︒併しさう見ても傑約文の書き方が正蛍でない︒事賀支攻五年の江戸諸傑約は大老井伊直弼
が外岡の歴迫により確にる勅許守得?に調印したものであった︒強いて云へば傑約調印の全舵(司巳
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な
くして調印せられたものなるに付き無放のものなりと主張し得べきものであった︒悶より京都方も止︑の後の明治
攻府も之れを理由として無放を主張するの勇気もなかったが︑事貨安攻傑約は京都方の反封に依り全部の・百施は
延期を重ね皮感三年四月十三日に至り漸く勅詐を得て兵庫開港が賀行せられたのである︒
さて皮感コ一年十二月十五日に王攻復古が宣言せられたが︑明治新攻府は傑約締結の主慌を斯一千山陵昧の朕態に
捨て置く誇に行かぬので︑附民感四年苔正月十五日(二月八日)参興策外岡辛料取調係束久惟(遇税)前少時を兵成に
差遣
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徴士
山石
下位
共右
衛門
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作腕
俊介
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宗則
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山明
白に
‑封し左の如き﹁王攻復十日布告図書﹂を交付せしめたのである︒
﹁日本因天皇予一各固帝王及其巨人4
務者
︒勝
軍慶
喜強
制
v蹄
ニ攻
防附
刊制
允
v之︒内外攻事続二裁之刊乃日従前傑約雌
v用‑一大君名栴刊自今而後︒活三換以ニ天皇稽刊而各岡交際之峨︒事命ニ有司等刊各国公使︒諒ニ知斯旨寸
鹿腔四年戊長正月十日