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新中国における華僑問題研究

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特別寄稿*

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新中国における華僑問題研究

?

 1.20世紀前半期における華僑問題研究についての回想      一

 華僑は悠久の歴史をもっています。唐代の末から現在まで既に千年以上の歴史がありま す。しかし封建時代には海外へ移住して生計をはかる中国人は支配者からは祖先を裏切り,

       かがい中華を放棄したものと見なされ,「流民」とか「頽民」とか「化外の民」などとよばれ、

そして軽蔑もされ、甚だしきに至っては感情的に敵視されるまでになりました。そういう 状況のもとでは華僑の歴史を研究することは言うまでもなく華僑の歴史あるいは華僑の活 動を専門に記録した本があるはずがありません。

 1840年のアヘン戦争以後,外国資本主義の進出によって国内の封建経済がさらに解体さ れ,破産した農民や手工業者が数多く由てきました。またヨーロッパの植民者が植民地を 開拓するため大量の中国人労働力を招致するようになり,さらに1860年に清国政府が従来 の海外移住禁止という政策を変えてから中国人の海外への移住は急激に増加しました。彼 らはアジアばかりでなく世界各地にも移住しました。その足跡が世界に行きわたったと言 えます。清朝末期には海外華僑は既に5〜600万人を越えていました。清朝の支配に反対 する革命運動が発展するにつれて海外華僑は革命の大きな影響を受けて民族意識と国家観 念がますます強くなってきて祖国との連繋も多くなりました。が,1870年代以来,華僑排 斥事件や追い出し事件などがたびたび起ったので,彼らの叫び聲とアピールにより華僑の 運命が社会から注目されるようになりました。一方多くの華僑は海外で生計のために奮闘 しているうちに貧富のひらきがでてきました。少数の華僑は富豪になり,あるものは清末 からもう国内に投資したり,あるいは清朝の官吏になった人もいました。だから華僑の活 動や境遇がますます注目され,清末から華僑に関する報道や華僑の情況に関する記述がで はじめました。

 華僑問題に最も早く注意を払いそしてそれを研究し始めた人々は進歩的な思想を持ち,

制度や法律を変えることを主張したインテリゲンチア,即ちいわゆるブルジョア改革派で した。例えばイエズス会が上海でつくった広学会は自らが編輯している『萬国公報』の中

※ 本稿は1984年7月12日,長崎大学経済学部にて開催された長崎大学東南アジア研究所講演会の講演原 稿に加筆訂正したものである。

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で新法を実施して革新を計るという思想を宣伝したり,西洋文化を紹介するとともに広範 な海外華僑労働者に関心をよせ,彼らが海外で虐待され,圧迫されている状況をわずかな がら報道していました。もちろんまだ研究といえるほどではありません。

 20世紀に入ってからアメリカ,オーストラリア,南アフリカなどでは華僑労働者を制限 するいろいろの苛酷な法令が公布され,排華事件が続いて起きていたため国内の人々も海 外華僑に強い関心をよせるようになり,ある有識者は海外華僑の正当な権益をどのように して保護するかという問題をもちだし,研究するようになりました。当時の有名な雑誌,

例えば『新民青報』,『東方雑誌』,『外交報』などにたびたび華僑問題に関する報道がのせ られるようになりました。その後『新民叢報』(1905年第63号)に梁敢超先生の「中国植民 八大偉人伝」が掲載されました。これは華僑歴史研究の最初の論文と言えましょう。1910 年に入ってわが国最初の華僑歴史の著作,義皇正胤の「南洋華僑奪略」が『民報』という 雑誌(1910年)に発表されました。1912年9月と1913年10月の『東方雑誌』には当時の内 務省が調査集計した華僑人口がそれぞれのせられ,これは政府が発表した最初の華僑人口 の数字でした。

 1920〜30年代に入ってから華僑史に関する研究には新たな進展がありました。まず華僑 問題を研究する専門の出版物がでるようになり,そのための研究機関も設立されました。

例えば広州琴南大学附設の華僑学校が1923年に編輯し始めた『南大と華僑』という雑誌は 10余年も刊行し続け,数多くの資料をのこしました。また調整後の国民党の中央執行委員 会の海外部は『海外周刊』や『革命華僑』などを編集しました。とくに注目すべきことは 上海の蟹南大学(1927年に南京に成立した)が南洋文化事業部(一時は南洋・アメリカ文 化事業部と改称していた)を設立し『南洋研究』,『南洋情報』,『南洋叢書』を出版したこ

とでした。その中には南洋華僑に関する専門著作と文章が少なくあり.ません。また同事業 部は高い水準を持つ華僑史研究者を多く養成しました。たとえば劉士木,李長傳などです。

劉士木は「蘭領筆工惨状記」,李長傳は「南洋華僑概況」や「南洋華僑史」などそれぞれ 執筆しました。その後,手長傳は「南洋華僑史」を改訂補充し,「中国植民史」という重 要な著作を出しました。聲南大学のほかにも2〜30年代に華僑史に関する専門著作が何冊

も出版され,そのうち温雄飛の「南洋華僑通史」;張相州の「華僑の中心である南洋」,劉 継起・束世激の「中華民族の南洋拓殖史」などはみな相当な学術価値を有しいまだによく

引用されています。1938年に出版された「南洋華僑と閾卑社会」は清華大学の陳達教授が 大量の調査資料に基づいて書いたもので独特な研究方法をもち,その当時の華僑問題研究 の代表作として最高のレベルに達しました。

 40年代に入って国内状勢が大きく変化し中国人民の抗日戦争がもっとも深まった段階に 入り,華僑研究の中心も当時日本侵略軍に占領されていなかったシンガポールに移りまし た。1940年,郁達夫,張禮千,許云樵,劉黒木,銚楠,里長傳などの学者は中国南洋学会 を創立し,シンガポールで『南洋学報』を出版しました。この『南洋学報』は東南アジア

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 新中国における華僑問題研究      .      ・      93

華僑研究の重要な定期刊行物でした。戦後も『南洋学報』は出版を続け,既に40巻も刊 行されました。また南洋学会は24種類のシリーズを編集,出版し,・華僑問題研究に大きな 貢献をしました。当時,南洋学会を創立した学者のなかでは眺楠先生一人だけがなお健在 で,今は上海訳文出版社に勤務しております。

 1946年から49年にかけては一般に華僑問題の研究があまり進展していなかったが,華僑 問題を専門的に検討する地方刊行物がいくつか出版されました。例えば広州の『馬下』,

『大漢華僑』, 『南方雑誌』や,福建省の『南僑通訊社・乙種稿』などが華僑に関する直接 調査の史料を提供しています。だから中国国内から言えば20世紀前半における華僑問題研 究は四期に分けられます。すなわち,20世紀の始めは華僑研究の萌芽期,2〜30年代は華 僑研究の発展期,40年代は華僑研究の停滞期と回復期。50年代に入って新中国における華 僑研究は新たな発展期をむかえることになります。

2.新中国における華僑問題研究

 (1)華僑問題研究機関および出版物

 解放後中国共産党と政府は華僑問題を重視していたが,建国の初期には経済回復に重点 をおいたため,華僑問題の研究機関を設立するまでにはいきませんでした。1956年に営門 大学に南洋研究所が設立されました。この南洋研究所は東南アジア諸国の華僑および経済

・歴史の専門研究を行なってきました。南洋研究所は成立後,直ちに資料の収集を開始し,

華僑問題研究のためにいろいろなことをやってきました。とくに華僑の郷里や資金につい ての調査, インドネシア華僑に関する研究および外国学者の華僑関係の名著を翻訳,紹介 することに力を入れ,国内では大きな影響があります。1958年に成立した中国科学院中南層 分院東南アジア研究所(広州の賢南大学内)および広州中山大学歴史学部の東南アジア歴 史研究室もみな華僑歴史などの問題に関する研究を行ない,重要な文章を数多く発表して きました。要するに60年代の中頃以前は国内の華僑史などの問題に関する研究が盛んに起 り,大きな成果をおさめました。しかし,1966年以後,プロレタリア文化大革命による10 年間の動乱のため学術活動を行なうどころか研究機関さえも解散させられました。厘門大 学の南洋研究所は1972年の末に回復に手をつけ,ほかの研究所はそれよりもっと遅くなっ て回復されたのです。中国共産党第11回の第3次中央早牛会大会(1978年12月開催)の後,

あらゆる仕事は正しい方針のもとで軌道にのり,華僑歴史の研究も盛んに展開されてきま

した。

 第一に,専門的兼職的研究機関がいくつも設立されました。例えば,広州の畳南大学華 僑研究所,中山大学東南アジア歴史研究所の華僑研究室,福建省にある厘門大学南洋研究 所の華僑研究室,華僑大学(泉州)の華僑史研究室,福建師範大学歴史学部の華僑史研究 室,上海華東師範大学中国史学研究所の華僑史研究室など,こんなに多くの研究機関が華

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僑問題研究に従事していることは半世紀あまりの学術研究史上では空前の出来事だと言え

ます。

 第二に,華僑研究に関する論文集などが出版されました。例えば賢南大学華僑研究所が 出版した『華僑史論文集』は朱傑勤教授たちの約20篇の論文および調査報告,訪問録など を集録し,あわせて3冊,80万字近くもあります。気門大学南洋研究所が出版した『南洋 文叢』(第1集)は華僑歴史を研究する論文を集録し10余万字もあります。また華東師範 大学華僑史研究室は『華僑史論文集』,福建三民出版社も韓振華教授が主になって編輯し ている『華僑史論文集(→』を出版しようとしているところです。そのほか国内の主な学術 刊行物,例えば『歴史研究』や『世界史研究』.など,および各省の学術刊行物,例えば広 東省の『学術研究』,福建省の『福建論壇』などにも華僑史関係の論文がのせられてきま した。新聞をみれば『華回報』,『広東弘報』,『福建僑郷報』にも時々華僑研究の文章がの せられます。

 (2)各地華僑歴史学会の成立

 近年末,社会の力を三章して華僑史料の収集作業と学術の交流活動を幅広く展開してき ました。1980年以来,全国の帰国華僑聯合会と各省市の帰国華僑聯合会を中心として多.く の華僑歴史学会が設立されました。1981年に全国華僑歴史学会が北京に設立されました。

これと前後して広東省の華僑歴史学会,上海市の華僑歴史学会,福建省の華僑歴史学会も あいついで成立し,広東・福建両省のおもな華僑の郷里(僑郷),例えば晋江,佛山など の地域にも華僑史学会が成立しました。翫江省の温州と吉林省の北辺にまで華僑史研究グ ループが成立しました。華僑歴史学会は社会の力を動員することにおおいに役に立ち,専 門研究者,僑務担当者,帰国華僑および華僑史に興味を持っている人々をよりょく動員す ることができるだけでなく,国内外における学術交流にも非常に貢献しています。これら の学会は成立以来,華僑の資料収集と整理を充分に重視し『華僑研究通信』という刊行物 をいくつか出版しました。これと同時に学術討論会を不定期に行ない,ある問題について 意見を交換し研究の成果を交流してきました。

 例えば,全国華僑歴史学会は成立の時から現在まで既に2回全国的学術討論会を開催し,

省と地域の華僑史学会も特定の項目についての学術討論会を幾度か開き,華僑史などの問 題に関する研究を直接推し進めてきました。

 (3)華僑研究の概要

 1.新中国成立後の華僑史研究においては,華僑の郷里や帰国華僑を訪問,調査して,

直接に資料を入手することが非常に重視されてきました。いくつかの項目についての調査 が成果をあげました。

 ①契約華僑労働者についての調査

 1962年と1963年に慶門大学南洋研究所と中山大学東南アジア歴史研究室は連合調査グル ープを結成して広東省陽江県の織管農場,海南島,興隆華僑農場および福建省の雲香華僑

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農場へ行って19世紀の末と20世紀前半にスマトラ,がンカ(Bangka)およびビリトン

(Billiton)にかどわかされた「日曝」という華僑労働者を対象として調査を行ないまし た。陽江県では身売ワをされて「猪仔」になった44人の古い契約華僑労働者を訪問しまし た。かれらは1900年から1940年にかけてあいついでインドネシアのスマトラ東部のプラン テーションとバンカの錫鉱場に身売りされたものです。調査によってかれらがどのように して身売りされ,「猪仔」という苦力になったのかといういきさつ,「黙劇」労働,生活,

闘争などの情況およびそこからのがれた後の生活などについて詳細に聞きとり,大量の資 料を収集して,訪問記録を44篇,調査総合報告を1篇かき出しました。調査報告の題目は

鮪e。華僑労働者の血涙史」で,1978年第4,5号の『中山大学学報』に発表されまし した。当時調査をうけた古い華僑労働者は今ほとんどこの世を去ってしまいましたので,こ の調査報告は非常に貴重な資料です。

 ②おもな僑郷の華僑史についての調査

 1956年から57年にかけて厘門大学南洋研究所は研究者を福建省の有名な僑郷  晋江地 区に派遣し,そこの16県であいついで調査を行ないました。かれらは大量の面接をし華僑 家庭の家系図,墓誌銘(碑文)およびその他の資料を調べ,その地区の華僑史の基本的な 輪廓を明らかにしました。晋江地区は当時福建省の七つの地区の一つで華僑と華僑家族が もっとも多いところです。調査当時,全地区の人口は約500万人,そのうち華僑と華僑家 族が300万人を占め,典型的な意味をもっていました。彼らは近代(アヘン戦争以後)以 来,聖明の華僑が出国した時期,場所,原因,経路,生活および祖国との関係,華僑人口 などの問題をほとんど明らかにし「福建型押地区華僑史の調査報告」として,『開門大学 学報』(195:8年第1号,社会科学報)に掲載しました。

 ③近代以来の華僑の本国企業に対する投資状況の調査

 この調査は厘門大学南洋研究所が1958年から59年にかけて広東省の広州,汕頭,三山,

海幸,潮陽など25の市と県,福建省の福州,度門,泉州,晋江など23の市と県および上海 市で調査を実施しました。この調査では1862年から1949年にかけての海外華僑の本国の工 業,商業,交通運輸業,金融業,サービス業,農業,鉱産,家屋などに対する投資の基本 的な状況をくわしく調べ,160万字の資料集にして,3巻にわけて今回版で印刷しました。

第一巻は上海部分,第二巻は広東部分,第三巻は福建部分です。当時,調査に参加した荘 刀磯教授,林金枝助手たちはそれによって綜合研究を行ない,「近代華僑の国内企業に対 する投資のいくつかの間題」という論文を執筆し,1963年に開かれた福建省東南アジア学 会の討論会で報告しました。後にこの論文は1980年第1号と第2号の「近代史研究』に発 表されました。

 ④ 華僑の新寧*鉄道敷設に対する投資についての専門調査

※ 民国以前,広東省の台山県は新寧とよばれた。

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 新型鉄道は主にアメリカに滞在していた華僑が投資して敷設したもので,ほとんど華僑 の資本,華僑の技術によって建設され,経営されていました。この鉄道はあわせて137キ ロメートルで1906年に施行し始め,1920年に完成しました。そして日本帝国主義が対中国 侵略戦争を起した後,新守鉄道はよぎなくとりこわされ,廃棄されました。1979年掛おい て中山大学東南アジア研究所とアメリカのカリフォルニア州立大学ロスアンジェルス分校 の陳露西教授は一緒に新型鉄道について調査を行ない「華僑,新寧鉄道と台山」という論 文を執筆し,1980年第4号の『中山大学学報』(哲学社会科学版)に掲載しました。この 論文は新寧鉄道敷設の時代背景,敷設計画および敷設のいきさつ,経営状況,新切鉄道が 台山県の社会と経済に与えた影響などについて深く研究を行なっており,近代における国 民経済史,華僑史を研究するための重要な資料であるといえましょう。

 ⑤ 華僑が国内で学校を設立する状況についての調査。

 1982年において畳南大学華僑研究所は研究者を広東省の三山地区へ派遣し,11の県と市 の華僑の学校経営史および現状を調査させ,その調査報告を甲南大学の出版物『華僑史論 文集』にのせました。

 2.史料の発見と整理

 ①華僑の辛亥革命との関係についての史料、

 華僑は辛亥革命に大きな貢献をしました。孫中山先生は「華僑は革命の母である一」と言 われました。これは華僑が革命を支持していたことに対する高い評価だと言えます。解放 後,辛亥革命に参加した古い同盟会貝はあいついで華僑が辛亥革命を支持した回想録をか きました。これと同時に中国社会科学院の近代史研究所は『華僑と辛亥革命』という史料特 集を編集・出版し,また人民出版社は洪無無が主になって編集した『華僑と辛亥革命』と いう本を出版し資料の整理を行いました。そのほかに『孫中山と辛亥革命の史料専輯』と いう本が1981年に広東人民出版社によって出版されました。同専輯は25万字の史料を収録

しました。

 ②契約華僑労働者(華工)史料の調査と整理

 国際問題専門家の陳書笙先生を始めとして,隠文迫,陳沢憲,彰家禮などの専門家がこ       とうあん

の調査と整理を行ないました。彼らは大量の国内と国外の豊富な棺案,文献を調べ,10余年 間もかかって約200万字の『華工出国史料』を10冊編纂しました。現在,既に中華書局がその中 の3冊を出版しました。これは今までに出た最も詳細で,最も全面的な華僑労働者の資料集です。

 ③華僑歴史人物資料の収集と整理。

 この面でわりによくできているのは有名な華僑・陳嘉庚先生に関する資料の収集と整理 です。卸町庚先生が1961年8月に三世した後,全国帰国華僑聯合会は1962年6月に『陳嘉 庚先生紀念冊』を出版しました。そのなかには陳嘉庚先生の生涯の活動および陳嘉庚を追 悼する行事などの写真を126枚,いろいろな文章と資料を40余勢収録しました。これは塁 塞庚先生の思想と生涯を研究するものにとっては貴重な資料であると言えます。近年来,

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 新中国における華僑問題研究      97 陳嘉庚の主要年譜をつけた「平鮒庚伝」が整理,出版されました (1981年9月,福建人 民出版社)。同年,「陳嘉庚下学記」という本も出版されました。また1983年9月,集美学 校校史の「集美学校70年」も出版されました。目下,集美の陳慕庚昏昏紀念室では陳嘉庚 先生の書簡集などの資料を整理しています。もちろん,このほかの華僑歴史人物の研究も おこなわれています。例えば「万金油大王」といわれた神文虎についての研究もすすめら れています。

 ④清朝末期の華僑史に関する資料

 福建師範大学歴史学部の郭舜平副教授が主になって編輯した『晩清海外筆記選』は海洋 出版社によって出版されました。この本はあわせて20万字もあります。同書は晩清官吏が 海外でとったノートのなかから華僑に関する史料を選んでわりに価値のある部分を収録し て説明を加えてまいりました。これらの資料は19世紀60〜80年代の海外華僑を直接に記述

したものです。

 ⑤華僑史に関する図書目録の見出しおよび論文資料の見出し

 1956年南洋研究所は華僑問題に関する国内外の図書目録と論文の索引を編輯し,謄写版 で印刷して研究所および大学間の交流に使っていますが,これらの見出しはあまり完備し ていないと思います。

 1982年に中山大学東南アジア歴史研究所と中山大学図書館が一緒に編輯した  『1895−

1980年華僑史論文資料索引』が出版されました。これは新中国が成立して以来華僑史研究 に関するもっとも全面的な目録と見出しだと言えます。同目録の内容はあわせて約15万字 で,この時期の華僑歴史と現状に関する専門著作,論文,訳文を収録し,そのうち資料見 出しが約5,500条,国内外の四文定期刊行物を356種引用し,収録範囲は40余りの国家と地 域にわたっており,なかでも東南アジア諸国のものが一番多く,台湾と香港にある学術機 関がここ30年来出版した刊行物もその中に収録されています。

 最近,全国華僑歴史学会はまた研究者を集め,40余りの主な図書館にある下文,外文の 華僑歴史に関する書籍と雑誌の目録を3,000条あまり収録し,参考書として出版しようと

しています。

 3.通史などの専門書の編纂

 前にのべた著作を除いてまたいく冊かの大規模な華僑通史類の著作が出版され,修訂さ れているところです。厘門大学南洋研究所の藥仁竜氏などが書いた「インドネシア華僑史」

は約38万字,図版が100枚あまり,海洋出版社によって出版される予定です。以南大学の        タ

常足勤教授が主になって編輯した「南洋華僑史」はもう大部分かきあげられています。こ のほか中国人民大学の李春輝教授と天津大学の楊子茂教授による「アメリカ華僑史」は約 50万字で目下編集中です。全国帰国華僑聯合会宣伝部と厘門大学南洋研究所華僑研究室な

どが協力して編輯した「華僑史綱要」という著作も修訂が進んでいるところです。

 4.外国学者の華僑に関する著作の翻訳紹介

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 50年代において厘門大学南洋研究所はVictor Purcellの華僑史名著「東南アジアの華 僑」,G. W. Skinnerの名著「タイの華僑社会,分析的歴史」, W. J. Catorの「中国人 のオランダ領東インドにおける経済地位」などを翻訳しました。日本学者の華僑関係の著 作も翻訳されました。例えば成田節男,福田省三,須山卓,游仲勲,市川信愛,三国郷お よび和田久徳,斯波義信,可児弘明などの著作が一周分訳されました。須山卓教授と市川 信愛教授の共著「華僑社会の特質と耕派  その歴史的変容過程の研究  」(1976年長 崎大学東南アジア研究所刊)の一部も全文に訳されました。そのほかアメリカの華僑,華 人を紹介した本,例えば「ニューヨーク唐人町  労働者と政治(1930−1950)」(CHIHA TOWN NEW YORK)も中学に訳され出版されました。まだほかの著作もありますが

ここではいちいちあげないことにします。

 (4)華僑史のいくつかの問題についての検討  1.華僑史の時期区分け問題

 これについては中国の華僑史研究者にはいろいろな意見がありますがまだ定論がないよ うです。しかし,私達は華僑史を研究するには中国歴史と世界歴史を無視したり,逆に華 僑自身の特徴を抹殺して簡単に中国歴史あるいは世界歴史の型にはめて行なうということ

であってはならないと考えています。だから華僑史の時期区分け問題を考えるにあたって は,中国と世界の政治経済の発展の特徴,また華僑自身の発展の特徴を考えなければ合理 的に区分けできないでしょう。建国以来比較的代表的な見方は里門大学の陳碧笙教授が提 起した四つの時期による区分け方です。彼は次のように考えています。第一期は紀元960 年北宋王朝の建立から16世紀後半,明代の海外貿易禁止法解除までの中国歴史では封建経 済が高まった時期で,華僑史では華僑が現われ始め,広汎に分布した時期でした。第二期 は明代の海外貿易禁止法解除からアヘン戦争までの時期です。これは中国史上で資本主義 の萌芽的要素が現われ,また,ヨーロッパ植民者があいついで東洋へきた時期で,華僑史 では出国華僑が急増し,華僑居留国の社会経済基礎が次第に確立した時期です。第三期は 1840年アヘン戦争から1949年中華人民共和国成立までの時期です。これは中国史では半封 建半植民地の時期で華僑の歴史では大量の華僑労働者が出国し,華僑の民族意識がますま す高まり,かつ現地民族として形成し始めた時期です,第四期は1949年から現在までで,

国際的にも国内的にも情勢が大きく変わりました。とくに東南アジア諸国があいついで独 立し,華僑の居留国における政治・経済的地位も深刻に変化し,華僑がほとんど居留国の 国籍に入り,本格的な現地民族になりました。国内からみれば大量の労働人民の出国史が 基本的に終りました。

 ところで,一部の研究者は華僑史が純一から始まると主張しています。なぜなら,中国 と外国の歴史の記録によると陸路では西アジアまで,海路では東南アジアまで国外に居留 していた華人がいるからと言うわけです。

 復旦大学の田汝康教授は近代華僑史の時期区分けについて次のように考えています。華

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 新中国における華僑問題研究      99

耳蝉を研究するには近代部分を主とするべきです。近代華僑史は17世紀の初めにイギリ ス,オランダの独占会社がアジアで成立した時から偉大な十月社会主義革命までの時期を も含んでいます。その時期はまた二つの段階に分けられます。第一の段階は17世紀の初め からアヘン戦争まで,すなわちヨーロッパの植民者が東南アジアに侵入した時から1840年 のアヘン戦争までの時期です。第二の段階はアヘン戦争から十月社会主義革命までの時期 です(「厘門大学学報」1958年第1号)。

 2. 「華僑」という言葉の出所に関する問題

 日本の学者,成田節男氏は『華僑史』(1941年)という本の中で清代墜緒24年(1898年)

に日本の横浜で華僑学校が設立されではじめて「華僑」という言葉が本格的に現われ,使 用されるようになったと言っています。つまり「華僑」という言葉が最初使われるように なったのは1898年です。中国の学者朱傑勤,陳碧笙などはみんなこの説を採用し,また日 本の学者須山卓氏も「華僑経済史」の中でこれを踏襲しています。

 近年,中国の研究者はこの問題について異なった考え方を出しました。福建漢方医学院 の陳広存氏は『清史稿』 という書物の中で一番初めに「華僑」という言葉を使われたと主 張しています。かれは「清史稿」によると黄遵冤が1882年にサンフランシスコの総領事に なった時「アメリカの官吏が衛生を口実として華僑を牢獄に投じた」と述べています。そ の時もう「華僑」の二字が出てきたということをあげました。南洋研究所の荘国土氏は「

清史稿」は1914−1927年の間に書かれたのであり,1882年における史籍,甲案,個人著作 のなかには「華僑」の二字が見られないので「華僑」という言葉が「清史稿」を書いた人 に使われ,当時こんな記録があったわけではないと言って,「華僑」という言葉は一番始め に鄭観応の上申書の中に現われたのであると主張しています。1883年鄭観応が李鴻章に提 出した「北洋通商大臣昼鳶相を招商局として恰和,太古と契約を結ぶ」という上申書のな かに「華僑の一番多い南洋の各港町に次第に配置し,船舶を住来させる」とのべています

(鄭観応「盛世危言後編」,10巻,船務)。その後,鄭観応はこのほかの著作の中で何回も

「華僑」という言葉を使いました。そのほか「清実録」の中にも光緒10年(1884年)6月 の朝廷の命令,すなわち「以神霊感応美妙金山華僑昭一公所関帝廟地平日義海域早世僑居 商民急公界義傳挙世奨」ということがのせられています(「清光蘭留實録」188巻)。これ はすなわち鄭観応の上申書より一年遅れて,官庁の文章にも「華僑」という言葉が使われ

るようになったということです。もちろん「華僑」という言葉が20世紀の初めから広く使 われるよっになったことはいつまでもありません。

 3.契約華僑労働者についての研究  ①出国手工の人数にりいて

 三沢憲の研究によると1801〜1850年の間に出国した華僑が32万人,1851〜1875年の間に は128万人,1876〜1900年の間には75万人,1901〜1925年の間には65万人で,あわせて300 万人です(「歴史研究」1963年第1号)。

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 彰家禮の研究によると1881〜1930年に海峡植民地に到着した華人だけでも契約苦力が 600万人近くもいました(『世界歴史』1980年冬1号)。

 玉翰笙の研究によると19世紀後半には700万人もの無口が出国したとのことです(『百科 知識』1979年第5号)。

 連貫の考え方では不完全な統計によると1845年から1875年号かけてだまされて,身売り させられた「契約華僑労働者」があわせて50万人にものぼり,第一次世界大戦の間にはイギリ ス,フランス,ロシアの三国が中国から募集した華僑労働者があわせて23万人もいて合計 約70万人にのぼりました(「人民日報」1978年4月13日)。どうして出国契約革僑労働者の 人数についての推計数字にこんなに大きな差があるのでしょうか。その原因の一つは「契 約労働者」の定義と「厚層」の定義に対して違った見方があるからです。もう一つは推算 方法が違い,ある数字がパーセンテージによって推計されたからです。

 ②「猪子」と「契約華僑労働者」の区別

 福建師範大学歴史学部の草岡民氏は次のように考えています。契約華僑労働者をみな

「平野」とよんではいけません。厳格に言えば「猪仔」売りは契約華僑労働者の形式の一 つで,言わば「猪仔」は契約華僑の一部分です。「猪仔」売りは契約華僑労働者制度が一 定の時期まで発展してきた産物で,さらに誘拐とつかまえることによって華僑労働者を募 集してきたことを物語っています。アヘン戦争以後「猪仔」制度がすみやかに発展し,契 約華僑労働者の主な形式になりました。

 ③契約華僑労働者制度が1870年代から日に日に衰えて行った原因について

 これについてさまざまな解釈と意見があります。ある人はヨーロッパの政府および殖民 官吏が人道主義の立場からかどわかされた華僑労働者に同情したからであると言っていま す。ある人はその原因は世界の与論の力,すなわち「猪仔」売りが世界人民の義憤を買っ たからだと主張しています。ある人はそれは清国政府が外人と交渉した結果で,例えば高 官陳彬彬がキューバに派遣され,調査報告を発表したのでスペイン政府は中国との交渉を 余儀なくされ,キューバの「猪仔」制を終らせることになったと考えています。ある人は 国外ではもう労働力が必要ではなかったからであると解釈し:ています。

 王県民氏はこれについて違った見解をだし,上述の原因がみな根本的な原因にふれてい ないと考えています。かれは次のように主張しています。契約華僑労働者の反抗的闘争

(現地人民と連合して闘争を行なうことも含む)および国内の沿岸地域の人民の「猪仔」

制度に対する長期にわたる闘争は無視できないきわめて重要な要素の一つです。契約華僑 労働者は種々の反抗を行ったので雇主が思うようにかれらを搾取し,抑圧することができ なくなって,場合によっては華僑契約労働者を使っても自由労働を雇用するよりももっと 高い利潤が得られなくなり,それにある地域では経済事情の変化,労働力の需給事情の変 化および産品販売市場の変化が起り,したがって契約華僑労働者制度が全面的に衰微して 行ったわけです。

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 新中国における華僑問題研究      101  4.華僑と辛亥革命との関係についての研究

 新中国の建国以後,華僑の辛亥革命との関係についての研究がますます進展し,文章と 論文が多く出てきました。これらの文章と論文は主に次のような面にふれています。

A

B C D E F

華僑の辛亥革命に対する寄与および史実

各階層の華僑が辛亥革命の運動の中で果たした役割 華僑のなかでの資産階級革命派と改良派との闘争

華僑会党(例えば洪門組織)が辛亥革命の中で果たした役割 孫中山と華僑

辛亥革命に重要な貢献をした華僑人物の研究

 このうち比較的に代表性をもつ論文は1981年第4号の『埋門大学学報』に発表された早 立氏などが書いた「華僑と辛亥革命」という文章です。この論文はつぎのようにのべてい ます。辛亥革命は資産階級の民主革命であり,その革命の中では中国資産階級が革命の指 導者であって,華僑資産階級が当時特定の歴史条件ともとで中国資産階級の一部分として 革命のなかで重要な地位を占めていました。華僑資産階級は中小資本家を主とするもので 国内の一般の資産階級よりも急進的でした。それは孫中山先生の革命思想をわりに早くう けたからで,中国資産階級のなかではわりあい急進的で革命性に富んだ一部分でした。華 僑資産階級はこのような特徴をもっていたので辛亥革命の中で中堅的な力になったのです が,華僑労働者は革命の同盟軍でした。かれらの一番目立った貢献は寄付金をだして軍事 費を補ったことで,当時この面ではかれらをこえた階級あるいは階層は一つもありません でした。少数の華僑富豪が革命に冷淡な態度を取ったことだけで「辛亥革命を本当に支持 していたガは下層労働者,店員などである」と断言するのはまちがいであり,少なくとも 一方的な見解だと言えます。

 5.華僑の居留国における経済地位と役割についての研究

 建国以来,華僑史研究者は多くの国家,地域の華僑および華人の経済地位に対して深く 研究を行ないました。これらの研究は華僑および華人の当地の経済開発,生産発展に対す

る寄与を検討することを主として客観的に華僑の果たした役割を評価しています。そのう ちには華僑経済の性質を検討する論文もあります。例えば厘門大学南洋研究所の注慕恒副 教授は「19世紀末から20世紀初めにか1けてのインドネシア民族工業および華僑工業の発生

と発展」というインドネシア華僑の経済問題を検討する論文を書きました。この論文はイ,

ンドネシアの華僑工業が民族工業と同じ経済地位にあり,同じ機能を発揮し,当地の民族 経済の発展させるのに同じ役割を果たしていたのだからインドネシアの華僑工業は実質的 にインドネシア民族工業の一部分であると主張しています。そしてこれによって東南アジ アの華僑経済は実際当地の民族経済の構成部分の一つであると推論しています。

 中山大学の郭威容教授は「マラヤ華人の居留地経済発展における役割」という論文め中 でマラヤ華人の初期の現地資源開発と居留地社会経済の発展における役割,居留地経済の

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二大支柱一錫とゴムにおける役割および現地のそのほかの業種(例えば農業,漁業,畜 牧業および商業など)における役割を検討し,イギリス植民者のマラヤを開発する華僑労 働者に対しての抑圧と毒害を考察してから,イギリスの植民者とその代言者はマラヤ華人 がマラヤ社会経済を開発するのに果した役割を否定しなかったが,わざと華人の経済力を 大袈裟に言って華人をマラヤの経済侵略者と称しました。事実はマラヤの資源を開発する 初期にはその資本と労働力はほとんど華人が出したのであり,『当地の社会経済を発展させ

るのにも華入が主な役割を果しました。マラヤ華人の経済活動はもうマラヤ経済生活の有 機的な構成部分になってしまっており,イギリス独占資本による植民主義経済性質とはま ったく違っています。

 6.華僑と祖国の経済との関係についての研究

 これについてわりに代表的な研究は「近代華僑の国内企業に対する投資のいくつかの管 鑓」という論文です。この論文では華僑の国内企業に対する投資は1862年から1949年まで 五つの段階に分けられます。すなわち,1862〜1919年は初期で,1919〜1927年は発展期,

1927〜1937年越高潮期から低潮期になる時期,1937〜1945年は低潮期と破壊の時期,1945

〜1949年置回復と崩壊の時期です。調査によれば1862年から1949年にかけて華僑の国内企 業に対する投資総額は約7億元(人民幣)で,戦前の銀貨に換算すれば3億に達していま せん(戦前の銀貨1元=1955年の人民幣2.45元)。一年当りの投資額は約7〜8百万元でそ んなに多くもなかったのです。華僑投資の業種構成については土地,家屋業が一番多くて 42.24%も占め,次いでは商業とサービス業で,さらに生産面での投資(工業,農業およ び鉱業をさす)で18.6%占めたのです。ところで旧中国における華僑の投資総額は華僑送 金の中で一体どのくらいの比重を占めたのでしょうか。各方面の推計を綜合して見ると,

旧中国の華僑の国内企業に対する投資額は旧中国における例年の華僑送金総額の中で3.56

%を占め,4%にも達しませんでした。華僑送金の主な使い道は国内にいる家族を養う生 活費でした。華僑の国内に対する投資額を過大評価し,華僑が海外で金をもうけて大量に 送金して中国国内に対する投資にしたというのは上述の詳しい調査および研究からみれば 根拠のないことであるとわかります。

 附 記

 本稿ができあがるについては厘門大学外文学部の曽仁寿先隼と南洋研究所の劉暁民先生 にご協力をいただきました。ここに両先生にあつくお礼申し上げます。また本稿の発表に ついて長崎大学東南アジア研究所のご好意に対して心から謝意を表します。

参照

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