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(1)

Ormondにおける隠蔽と解放

著者 本合 陽

雑誌名 人文論集

44

1

ページ A63‑A82

発行年 1993‑07‑30

出版者 静岡大学人文学部

URL http://doi.org/10.14945/00008878

(2)

Or屁oんJにおける隠蔽 と解放

The study of conceallnent is,in all cases, fruitloss or hurtfull.

― Brown, Orttο ttd.

Ormο 潤 の語 り手

Sophiaは

、作品 の題 に もな ってい る登場人物

OrmOndを

、 次 のよ うに紹介 す る。

I know nO task more arduous than a iust delineation of the char̲

acter of Ormond. To scrutinize and ascertain our own principles are abundantly difficult, To exhibit those principles to the world wlth absolute sincerity can scarcely be expectedo We are pronlpted to conceal and to fein by a thousand motives; but truly to por̲

tray the motives and relate the actions of another appears ut‐

terly impossible. The attempt, however, if made wlth fidelity and diligence, is not wlthout its use.

To comprehend the whOle truth, wlth regard to the character and conduct of another, may be denled to any human belng, but different observers w11l have, in their pictures, a greater or less portion of this trutho No representation w11l be wholly false, and

some, though not perfectly, may yet be considerably, exempt

from error。 (92)1)

長 い引用 に な って しま ったが 、 この作 品 が現 代 の読 者 の 目に も興 味 あ る もの

と映るのは、ここに述べられていることと大いに関係があるだろう。

‑63‑

(3)

この作品には "To I.E.Rosenberg"と 題する序文があり、その申で語 り手 ソフィアはこう述べている。ローゼンバーグは、「 Constantia Dudleyの 経歴 を知 りたがっていて

(3)」

、その「 動機は重々承知 しているし、それ故興味を 持つのも当然」である。また彼女は、コンスタンシアのこれまでの人生を、

「 忠実な伝記作家」として彼に伝えることが、この物語の目的であるとも述べ ている。このように、作品の視点を設定 し、前の引用に述べられている、人間 には真実は知 りえないとする一種の不可知論を持ち込むことにより、語 りの方 法へと読者の興味は引き付けられる。その中心になるのが、「 矛盾 し、また不 可解に思われる」と序文においてすでに述べられるオーモンドである。上の引 用に、「無数の動機によって隠蔽 し偽装するよう駆 り立てられている

(92)」

あった。この「隠蔽する」という語は、物語の冒頭より何度も用いられている。

動機を隠すことにより、サスペンスが生 じる仕掛けになっている。だが この

「 隠蔽」は、ただプロットに寄与するのみではない。オーモンドという人物を 謎めかす働きもある。そして、この神秘化によって、一人オーモンドに限らず、

この物語自体 も謎めいたものに見えて くる。

この作品には、曖味な点、矛盾する所などが多 く存在する。作者BrOwnが この作品執筆に費やした時間は一月 もないようだか ら、

2)不

整合な点など十分 に見なおしてから出版する時間はなかったのだろう。実際、明 らかに作者の ミ スとしか思えない箇所 も多々ある。いくつか例を示そう。ソフィアが、コンス タンシアの情報を、「途絶えることのない手紙のやりとり

(22)」

か ら得たと初 めのほうで述べているが、後半、語 り手ソフィア自身が物語に登場する少 し前 に、「二人

[ソ

フィアとコンスタンシア]が四年前に別れて以来、彼女 [ソフィ ]はこの女性から何の報せ も受 けていなかった

(156)」

とあり矛盾 してい る。また、昔、父の経営する商店の使用人であり、後売 り上げを横領 し逃げて いた

Craigと

思われる人物に、コンスタンシアがオーモンド邸で面会を申し込 むとき、それを陰から観察 していたクレイグが思ったこと、また彼の言った言 葉等は、全知の視点でなければ知 り得ないことであり、設定された視点 と矛盾 する。

3)

この視点に関 しては、ヘンリー

0ジ

ェイムズ以降の作家のように、厳密なも のと考えることはできないかもしれない。視点はソフィアに限 らないという指 摘 も何度かなされている。

4)ま

た、この作品の曖昧 さについて、「 混乱 した記 述と、混舌

Lに

関わる記述の間に区別がない」

5)と

ぃぅ指摘 もある。だが、 プラ ウンが、ある面で意識的に、ある種の曖昧さをこの作品に持ち込んでいるのは

‑64‑

(4)

事実である。それ故、十分な時間をかけてない駄作であると決め付けて しまう には、この作品の持つ魅力はあまりに大 きい。これまでから様々な解釈が生み 出されているのも、その証であろう。

この曖昧性をめぐる議論の中で、二つの対立する要素を作家の想像力の問題 と考え、そこに、ブラウンの「 自意識」を見いだす議論があることは、ここで 紹介する価値がある。

6)ブ

ラウンは、現在ではフィクションであると考え られ ている

Henrietta G。

にあてて書いた手紙に、次のように書いている。

I think it may safely be asserted that of all the virtues mankind is IIlost universally deficient in sincerity,..・  HOw IIlany lnotives are there for cOncealing Our real sentilnent, for counterfeiting ap…

probation and cOnviction? And how many occasions are there, On which, if its immediate and temporary effects only be cOnsidered, sincerity is crinlinal, and when a strict adherence to it wOuld be, not only an infraction Of politeness but a deviatiOn from recti‐

tude?7)

真摯であることはいかに難 しいかが、 ここで説かれている。 「 多 くの動機 に よつて、本当の感情 は隠蔽 される」のであり、冒頭にかかげたソフィアの言葉 と重 なって くる。 ブラウンは、先行す る作品のエピソー ドやモチーフを、後の 作品に使 っているとの指摘 もある。 3)し か し、 「 真摯 であ ること」 と「 隠蔽」

との間に横 たわる溝に、彼が意識 しないではいられなかったことは事実なのだ。

つまり、発表の意図 もない習作の段階か ら尾を引いている主題なのであり、な らば彼の創作の動機 とも不可分であると言 って もいいだろう。さらに、彼がこ の「 隠蔽」に、こだわ らないではいられない事情 もあったと考えていいのでは ないか。

ブラウンには、法律を学 びなが らも作家 を目指 していた時期、大 きな影響 を与えて くれた友人が二人いたが、不幸 な ことに二人 とも若死 に している。

そ の 一 人 、

Elihu Hubbard Smithは

Dr.Benjamin Rushの

も と で 医 学 を

おさめていた。 ラッシュは・、女性の教育に関心を持 っていて、当時 Mary

WollstOnecraftに

負けないほどの論戦をはっていた。ス ミスはその影響 もあ り、William GodⅢnら を含む当時の進歩思想に傾倒 していて、9)Rousseau にかぶれていたブラウンを、ゴ ドウィンやウルス トンクラフトヘと向かわせた

(5)

のである。またブラウンの処女出版作となったスた れ,partl,Ⅱ の出版を手 懸けもした。O

ブラウンは、時々憂欝症にかられたらしいが、落ち込んでいるプラウンに、

17%年

5月 7日

、スミスは次の引用を含む長い手紙を書 き送っている。

You know too that racJ/r"法

a10ne have the courage to point Out the faults of others boldly to themselves.... You are well aware of the value of sincerity;.¨

This is a solemn strain, you mll say, a melancholy and

gTave preface. It is‐ ‐ and indeed, my Charles, the occasion requires

ito Why do you so much delight in mystery? Is it the disease

Of宙

11?or of habit? Do you,of choice,give to the simplest cir‐

cumstances the air of fiction or have you been so long accus…

tomed to deal in visionary scenes, to intert宙 ne the real wlth the

imaginary, and to enwrap yourself in the mantle of ambiguous

seeming, that your pen involuntarily borrows the phraseology of fancy, and by the spell of magic words still diffuses round you the rrlist of obscuring uncertainty? The man of Truth, Charles!

the pupil of lReason has no mysterieso He knows that former errors do not constitute hiln guilty now;he has nothing to conceal. He seeks only to know his duty and perform it, and he has no occa‐

sion for disguise.¨ 。

11)

この真摯な愛情あふれる手紙に、プラウンが即座に書 き送った返事は失われ て今はない。しかし、それに答えて、スミスが出した返事の草稿から判断すれ ば、プラウンの返答が、スミスの求めるような明快なものでなかったことは明

らかだろう。0

ブラウンは、友人スミスに、一体何を「隠蔽」 しようとしていたのか。そし て、彼の実生活にまで根をおろしていた「隠蔽」を主題に持つ『 オーモンド』

で、ブラウンは何を描 こうとしていたのだろうか。ブラウンが小説を発表 して いた時期、小説を読むことは、特に女性にとって堕落であるという論議が盛ん であった。。 そのような時代に、小説、しかも女性の誘惑の主題 を扱 う作品を 描 くのであれば、

Michael David Bellの

ように、「 プラウンを魅力的にしてい

(6)

るのは、お決まりの虚構の恐怖を、虚構作品の中心的関心事 とする彼の自意識 である。」の という側面から論 じることも可能だろう。 しか しそこには個人的 な事情に関わる問題が隠されてはいないか。ブラウンは、スミスの影響でゴ ド ウィン、ウルス トンクラフト等の思想に傾倒 していったが、心の底では信 じき れず、『 オーモンド』では、結局女としての逃れられない宿命を描 き、最終的 にはルソーに戻 っていった。このように考えるRobert Rigby Hareに従えば

。所詮スミスとは思想的に相容れることはなく、それ故スミスの忠告がいか に真摯であろうと本心からは応えることはできず、当然彼は自分の心情を「隠 蔽」 しないではいられなかったと考えることもできる。 しか しブラウンが「 ヘ ンリエッタとの手紙」を構想 していた時期は、クラークによれば1790Tか

17 93年

であるらしく、③ 弓1用 したス ミスの手紙が書かれた時期からすれば、3年 以上 も前のことになるし、さらに、ブラウンが『 オーモンド』を執筆 したのは ス ミスの死後であるから、すでにいない友人との思想の違いをわざわざ隠蔽 し てみせる必要があったとも思えない。思想の問題 とは別の所に、何か潜んでい

ると考えるほうがいいだろう。

私はこの論文で、ブラウンの「隠蔽」が、作品の中でどのような位置付けを 与えられており、何を「隠蔽」 しようとしているのかを探 ってみたいと思 って いる。

The themo of the novel(deception) is also thO form of the novel (narrative unreliability)。

― ―

James Ro Russo

この作品で、まず注 目される人物 は、序文で「 矛盾 し難解な存在 (3)」 と 述べ られ るオーモ ンドであろう。そ して、彼の哲学的発言 と、ソフィアによる 人物紹介、分析 とをあわせ ると、ソフィアでな くて も、 「 一貫 した語 りか ら生 じる利点 はほとんどない (3)」 と、開 き直 りた くな るの も無理 はない。。 し か し、 ここで注 目すべきなのは、オーモ ンドについて述べる際、次のようにあ ることだ。

That in which he chiefly placed his boast was his sincerity. To

(7)

this he refused no sacrificeo ln consequence of this, his deport̲

ment was disgusting to weak minds, by a certain air of ferosity and haughty negligence. He was unthout the attractions of can‐

dor, because he regarded not the happiness of others but in subser̲

vience to his sincerity. Hence it was natural to suppose that the character of this man was easily understood. He affected to con¨

ceal nothing。 (94)

これまで述べてきた「真摯さ」と「隠蔽」の主題が、ここでも繰 り返されて いる。そして、ソフィアによって「矛盾 し難解な存在」と定義されるオーモン ド自身が、自分は「真摯」であると述べている。このように、オーモンドをめ ぐる記述をみていくと、矛盾 し錯綜 した出日の無い世界に入ってしまう。それ 故、コンスタンシアの「伝記」であるというソフィアの言葉をとにか く信 じる ことにしよう。コンスタンシアをめぐる物語において、彼がどのような役割を 担 っているか、彼の矛盾、錯綜はいかなるものであるか。そのためには、まず 一番の問題 となる、二つの殺人について考えねばならない。

オーモンドがコンスタンシアに惹かれていくのを知 り、愛人 Helenaが 自殺 したあと、コンスタンシアは、Martinette(以 前、Ursula Monroseと して登 場 していて、後にオ ーモンドの妹と判明する人物)や、公然 と近づいて くる ようになったオーモンドとの交際から様々なことを学び、「 オーモン ドの物語

(narratives)は

彼女

[コ

ンスタンシア]をミシシッピ河を越え、 シベ リアの 砂漠へと連れていった。

(中

)彼女の新 しい友達

[マ

ーティネット]は、彼 女を文明世界へと連れ戻 し、残 り半分の人種を描 きだ した。野蛮と洗練の二つ の様式にある人間をこれら観察者は吟味 し、一方の描写で足 りない分はもう一 方がたっぷりと補 った。」(170)の だ。ここに来て、オーモ ンドのコンスタン

シアヘの影響は相当なものとなる。ちょうどその頃、父ダ ドリー氏は、若かっ た頃彼の心を引き付けて離さなかったヨーロッパヘと、娘と共にわたることを 計画する。 しか し「 それは彼女に新 しい知識への道を開 くだろうし、オーモン ドの忌まわ しい追跡から彼女を引き離 してくれるだろう」(174)と いう目的に もかなうものなのである。コンスタンシアは迷ったあげく、離れ離れになって いた旧友ソフィアとの再会を思い、父の提案に同意する決心がつ く。そして次 の朝、その決意を告げに父の寝室へと向かうが、父は死んでいた。

この場面を描写するソフィアは、多分に感傷的で、コンスタンシアの逃れら

(8)

れない「宿命」が強調される。この殺人の顛末は、後にオーモンドによって説 明される。「 あなたを貧困から救い、あなたの父の視力を取 り戻 してあげたの

(231)」

、彼女に対する「愛」のためであったのだ。ところが、愛の成就の

障害となったためダ ドリー氏を殺害 した。 しかし、それも迫 りくる様々な苦 し みから彼を解 き放つ「善意」からのことなのだ。それ故、自分の罪

(ダ

ドリー 氏の財産横領の罪)の露見を恐れるクレイグを焚き付けて、氏を殺害させたの である。

オーモンドは、「女性 との交際において、自分が愛 と呼ばれるものに魅惑 さ れることなどありえないと思 っていた

(97)」

とあるように、結婚を否定 し、

恋愛感情などに左右されないと述べられている。だが、「―Aの女の愛情

(231)」

のために殺害まで考えてしまうのである。つまり、オーモンドの思想的一貫性 から生 じる人物設定に目をつぶるのでなければ、この動機説明は、十分に納得 できるものではない。それに、そもそも「善意」による殺人というのも納得で きない。また、知識を広げるという点に関 し、まるでダ ドリー氏とオーモンド はコンスタンシアを奪い合っているかのようだ。

第二の殺害は、ォーモンドによるクレイグ殺害である。父が死に、駆け付け て くれたソフィアとョーロッパに旅立つ前、田舎の屋敷

(も

ともとはダ ドリー 氏のものであったが、事業に失敗 して手放 し、後、オーモンドがヘレナに買い 与え、ヘ レナの死後ョンスタンシアのものとなっていた)に一人でいると、突 然彼女の前に現われたオーモンドは、怯える彼女の前に、「 血のあとも傷痕 も

ない

(226)」

「埃にまみれた」クレイグの死体を引きずって くる。説明を求め

るコンスタンシアに、「 オーモンドは、自分自身とあなたのために復讐す るも のであると言わなかったか。あなたにとっても私にとっても彼l麟だ。

(230)」

と言 う。

クレイグは、「 幼い頃より悪知恵と略奪になれ親 しんだ男

(230)」

であり、

「 極度の貧困、迫害の恐怖、絞首台で死ぬ恐怖に急き立てられれば、殺人をも 辞さないのではないか」とォーモンドは言 う。しか し、父の敵ということで、

コンスタンシアが復讐するのは納得できるとして も、オーモンドにとって、復

讐 とは一体何を意味す るのだろうか。その点 に関 して、テキス トか らは何 も情

報を得 ることができない。クレイグを焚 き付 けてダ ドリー氏殺人に向かわせた

張本人がオーモ ン ドなのである。その彼にとって も復讐であるのならば、オー

モ ンドが、愛する女性 と同化 し、彼女になりかわって復讐 したとしか、考えよ

うがない。 「 あなたのためにな ら、彼 [ク レイグ

]の

命を奪 って もいいと思 え

(9)

るほどの恩恵を私 はあなたか らもらってきただろうか (230)」 と言 うオーモ ン ドに、コンスタンシアは「 私か らどんな恩恵を受けていようと、それによって こんな行為が正当化 されることはない」 と即座に否定 していて、 この殺人を正 当化す る動機 は、少な くとも彼女の側にはない。 とすれば、彼に殺人を正当化 して くれる動機 は、彼の頭の中に しかないことになる。 もしも別の動機を考え るとすれば、ダ ドリー氏殺害の罪の、贖罪 とで も考えるしかないのだろうが、

それを暗示す る言葉 は見つか らない。

0ま

た、この殺害に関 し、慣用的 な表現 とはいえ、 「 血を もって罪 の贖いをさせる (230)」 どあるが、死体 には「 血 の あ とも傷痕 もなかった」のであるか ら、ほんの数ページしか離れていない記述 に しては、説得力に欠ける。

Dオ

ーモ ンドの偽装や、コンスタンシアの家 のな かの情報を得 る手口に関 し、それなりの説明があることと比べれば、 この記述 は随分 と謎めいている。

第二 の殺人 は、コンスタンシアによるオーモ ンド殺害である。第 284、 最後 にコンスタンシアに会いにきたオーモ ンドは、クレイグの遺体を投 げ出 し、殺 害 の動機 を説明 したあと、 「 あなたは私が二枚舌だ と責め、私 の行 いがおろか な、 もしくは犯罪的なものだと思 う。私 は隠蔽す る理由を述べてきた。だがそ れで もあなたは納得 しなかったようだ。さあ、 これで疑いも晴れるだろう。あ らゆる曖昧 さは消えるだろう。 (227)」 と述べ、障害 とな るダ ドリー氏殺害 を 教唆 し、共通の敵

(?)と

なったクレイグに復讐す るまで至 ったのは、 「 愛 ゆ えだった」 と説明す る。 しか し彼女が これを理解 しようとしないのを見て取 る と、彼女の殺害 もしくは強姦、ついには死姦 さえをもほのめかす。 「 曖昧 さ」

が消えると、彼 は単なる暴行魔にす ぎなかったというのか。 つ

''Ah, Constantia, this indeed, is merely prelude to a scene that is to ternlinate my influence over thy fateo When this is past l have sworn to part uth thee forever. Art thou still dubi¨

ous of my purpose? Art thou not a woman? And have l not en‐

treated for thy love and been rejected?

"Canst thou imagine that l ailn at thy life? My avowals of love were sincere; my passion was vehement and undisguised. It gave dignity and value to a gift in thy power, as a woman, to be‐

stow. This has been denied. That gift has lost none of its value

in my eyes, What thou refusedst to bestow it is in my power

‑70‑

(10)

to extort. I came for that end. When this end is accomplished,

I \ivill restore thee to liberty." (ZSg)

彼の「真摯な」愛の情熱によって「威厳 と価値を」 もっていた「女 として与 えることができる贈 り物」一 つまり彼女の体一―は、今だに価値がある。彼女 が拒否 しようが奪い去ると彼は言 うのである。手にもっていた「懐刀

(a pen̲

knife)」

で彼 と対決 しようにも、「彼女の武器は弱々 しい手か ら容易にもぎ取

られるであろう

(234)」

。それ故、彼女は自害を決意する。 しか し、彼 は「 命 より想像上の名誉」を重ん じる彼女の行為を嘲笑い、「 自殺の罪を背負い、臆 病者 と記憶に烙印を押され死ぬか、いつまでも至福を感 じ称賛されて生きるか。

どちらかを選びなさい。

(中

)生きていようと死んでいようと、私の目にう つる獲物は私のものだ。

(235)」

と、彼女が自殺 した後でも、彼女の肉体 をも のにするには変わりがないと言わんばかりの言葉を口にする。ここまでくれば、

彼の「真摯な」愛情とは単なる肉欲と支配欲にすぎない。a)

ソフィアに救けだされてから、懐刀で「 やけくそにめったやたらに

(240)」

切 りつけ、それがオーモンドの心臓を貫 き、彼が死んで しまった経緯が語 られ る。だが、前に述べたように、狂人と化 しているとしか思えないオーモンドを、

果たして「弱々しい手」によって殺害す ることは可能だろうか。死ぬ直前、

「彼はひどく咎めるような顔つきをしてみせたが、何 もしゃべりはしなかった」 この記述に、彼の狂気は感 じられない。むしろ、死ぬべくして死んでいったと いう印象を受ける。

さて、長々と二つの殺人をめぐって述べてきたが、 これ ら殺人の個々の動 機および方法に関 し、十分に納得のいく説明が、 ソフィア、ひいては作者に よって与えられていないことが確認できたはずだ。「理性的」であると再三述 べ られ、「女の愚かさ

(106)」

故にヘレナを馬鹿にしていたオーモ ンドが、 コ ンスタンシアと出会い、彼女 は「 女性には持ち得ないと思 っていた精神構造

(moral constitution)の

証」を持つとわかり、「女性の中傷者から熱烈な賛美 者に突然変わり

(131)」

、ところがその愛が報いられないとわかると、一転 し て強姦魔に変身するというのでは、メイル・ ショウビニストの末路を暗示する カリカチュアと考えることはできても、それ以外に、彼の「理性」と狂気の間 の溝をうめる説明を見い出すのは難 しい。しいて言えば、オーモンドが、コン スタンシアになりかわり、善意で彼女の父を殺害させ、犯人を自らの手で処罰 し、それ らの罰 として自らの死を甘ん じて受け入れた、という筋書 きが浮かび

(11)

上がる。

しか し、動機および方法が明確にされないのならば、この二つの殺人事件が 起 こったという事実のほうが重要であったのだと仮定することはできる。その ことと関連すると思われるので、オーモンドが結果としてコンスタンシアに貢 献 した、彼女の財産の行方について触れておこう。

ダ ドリー氏の財産は、クレイグの詐欺によって奪われることになるが、それ を結果としてコンスタンシアの手に戻 してやる役割を果たすのがオーモンドな のである。オーモンドは、ヘレナと愛人の関係を持つにあたって、その「契約

の条項に

(143)」

「 自発的に」「 この町の一軒の家と家具の独占権」を与え、

さらには、

Perth¨

Amboyの近 くの田舎の隠居所

(後

、クレイグとオーモ ンド の殺害が行なわれることになった所)をも買い与えてやったのであった。これ

らがもとはダ ドリー氏の所有物であり、彼が自ら施 した調度 もてつかずのまま オーモンドの、さらにはヘレナの所有するところとなったのだ。そして、この 二つの家は、ヘレナの死後、彼女の遺言で、親 しい友人となっていたコンスタ

ンシアに譲 られたのである

(144)。

つまり、殺人は、

ダ ドリー氏 ←

(ク

レイグ)← オーモンド ‐ コンスタンシア

の順になっており、財産は、

ダ ドリー氏 →

(あ

る人)→ オーモンド →

(ヘ

レナ)→ コンスタンシア

の順で動いている。殺人の動機、方法が明確でないのと同様、この財産の動 き に関 しても、かなり無理な設定であると思われる。ならば、ここでも、財産が コンスタンシアの手に渡ることが問題であったと仮定できるだろう。

コンスタンシアは、ソフィアによると、「 おそらく他の人だ った ら、彼女の 父の存在はただ障害 と困惑を生み出す もとであったにすぎず、これまでも自分 の知恵で生 きてきたのだか ら、これからも自分で道を選び行動するのに何 ら困 難 も障害 もないと思っただろう

(178)」

が、実際には、「 父の存在 は彼女の存 在と入 り交 じっているように思え」、父の死によって、「彼女の存在の虚 しさと 化 しさが、堪え難いほどに膨 らんだ」と言えるほど、父に精神的に負ぶさって いたのだとされる。ところが、またソフィアによると、コンスタンシアは「不 屈の精神」を持つと繰 り返され、色々と悩むことはあっても、一旦心を決める

(12)

と迷 うことなく行動する女性として、終始―貫描かれている。ここに、矛盾は ないだろうか。

この作品で、障訓馴 の主題は様々な形で提出され、また議論されているが、

コンスタンシアに関 して見てみると次のようになる。不幸が一家を襲 う前、

「結婚 とは永遠の愛情と服従の誓いを含む。それは一生続 く誓約である。双方 の人格がわかり形成されるに十分な時間もかけず、あまりに若 く結婚 し結ばれ ることは、向こうみずの証にすぎず、有害で恥曝 しである。

(18)」

と彼女は考 えていて、当時好意を持 っていた若者が同 じ考えでないことを知 り、親に反対 されたこともあって、結婚をあきらめている。母の死後、彼女は父の「慰め手

(17)」

の役を引き継 ぐことになる。ところが、彼女の母が経済的には夫に庇護

されつつその役を演 じていたのとは違い、彼女の場合経済的な意味も有する。

そこで彼女は、親の「偏見

(21)」

を退け、「働 く女性」となることを選ぶ。貧 困に喘 ぐ時期、偶然知合った男が求婚 してくる。彼は謹厳実直な人物で、生活 にも困っていない。 しか し彼は、彼女の「時間と金と労力の見事な節約

(68)」

が、「妻に備わっているべき資質」である点のみを評価 し、彼女の知性や精神 性など問題 としない。彼女には、「妻は結婚すれば豊かになるのはわかるが、

この人との場合、結婚に付随する条件はなんと屈辱的なことか

(69)」

としか 思えない。「娘の稼 ぎで暮 らすことに耐えられない

(70)」

という「男としての」

欠点を持つダ ドリー氏に、「結婚の誓いなど形式だけで意味などない

(70)」

だか ら結婚 して しまうほうがいいとすすめられる。 しかし彼女は、「 他人の所 有物」になり、「個人の自由」を奪われるくらいなら、「少なくとも自分自身の 労働によって」生 きていくほうが潔いと考え、父に逆 らい、男の申し出を断る。

彼女の結婚観は、この時点でもかなり自覚的なものへと変化 しているが、さら に、「家財道具を選ぶように妻を選ぶ

(104)」

従来の結婚観に照 らせば進歩的 なオーモンドの考えにも刺激され、結婚における両性の「平等

(129)」

を強 く 確信するにいたる。

コンスタンシアは、母の死後、ダ ドリー氏が「堕落 した欲望にとらわれ、下 品にも酒色に耽 り、酔いが与える幸福にしがみつき

(22)」

「 酔 って発作 をお こし大騒ぎし、暴力をふるい、卑劣な恥辱の胸はりさけるような場面」を演 じ た際 も、「慰め手」として堪え忍んだわけだが、そのコンスタンシア像 と、今 述べてきたような結婚観を形成 し、オーモンドに「女性には持てるはずのない と思 っていた精神構造の証」を認められる女性像とに、十分な整合性は認めら れない。む しろ、「 このような者

[コ

ンスタンシア]が父の奉公人の レベルに

(13)

まで身を落 とし、自分の名誉をあのような哀れな男のために犠牲にするなどあ りえようか

(112)」

というオーモンドの言葉を信 じたくなる。父を捨てられな い「天使のような慰め手

(50)」

としての側面と、父ゆずりの「 知識欲」 と向 上心という側面が、対立 しているとしか言いようがないのだ。

「革命期の作家は、父権的支配に対置 し、社会的政治的関係の共和国的雛型 として、愛 し合 う男女の関係を持ちあげた」の と考える者 もあるが、当時の状 況が、劇的に変化 し、旧弊な因習がなくなったとは思えない。男女関係の新 し い雛型は提出されたかもしれないが、女性の所有 していた財産 も結婚 して しま えば全て夫の管理するものとなり、妻の権利は失われ、「 妻の財産を夫が支配 する力は『結婚による家族の強い絆』である」とさえ考えられていた。また、

娘は父の所有物であると思われていて、故に「共和国の理論家」にとっても、

娘が家族の意向に従わなかったり、妻が夫に逆 らうことは「不自然」であった のだ。の実際、この作品にも、貧困の時期、コンスタンシア達の家主であった 男が死に、彼の財産である家作は、財産復帰権

(reversion)に

よって、未亡 人ではなく甥のものとなったという記述がある

(41)。

また、 コンスタンシア が、一時期非常に親 しくするマーティネットの父の死に際 して、「 父が死んで うれ しい。父の悲 しみはこれで終わりになるのだから

(173)」

ともある。この 作品は、コンスタンシアの視点はほとんど入 りこまないため、彼女の真意をつ かむことは不可能だが、今述べた時代背景や作品に書き込まれている記述を考 えれば、彼女は父の「慰め手」であることに、ソフィアが語るように満足 して いたとは思えなくなる。彼女は父からの解放を願 ってはいなかっただろうか。

殺人、財産といったコンスタンシアをめぐる様々な問題には、矛盾、対立が つきまとう。 しか し矛盾、対立はこの作品の構造であると言うことすらできる。

「人間の心においてあらゆるものは進歩する

(121)」

という考えや、知識の広 がりを肯定する考えに支えられ、コンスタンシアの世界が広がっていくという 教養小説的側面と、「不吉な宿命があなたの人生が終わるまでつ きまとうだろ

(30)」

と父が、また同様の予言をオーモンドも述べる (214‑5)コ ンスタ

ンシアをめぐる宿命論。このように、対立 し矛盾する要素は、ソフィアの語 り につきまとっているのである。そして、そのソフィアは、冒頭序文からオーモ ンドの「矛盾 し不可解な存在」であることを、「一貫 した意図か ら生 じる利点 をほとんど持たない(3)」 ことを強調 し、読者の興味を、オーモンドという人 物の「謎」へ引き付けようとしているようだ。つまり、この作品において、 ンスタンシアの存在の二重性は、ソフィアの語 りによって増幅され、矯正され、

(14)

オーモンドという不可思議な存在の中に吸収されていくように、作品が構成さ れていると言える。

長々と分析を行なってきたが、それによって、語 りに内在する対立、矛盾は、

ダ ドリー氏の死 と、コンスタンシアの財産相続 という単純な事実をわかりにく くする効果があることがわかるだろう。最終章、コンスタンシアを救いにきた ソフィアの耳にした言葉は、「私はこの忌まわ しい牢獄か ら解放 されることは

ないのか

?(238)」

というコンスタンシアの言葉だった。これは、コンスタン

シアの手によるオーモンド殺害の直前の場面であるが、彼女 は「 ある悪魔が 扉を閉鎖 してしまった」ので、「閉 じこめられてしまった

(imprisOned)」

のだ という。彼女はこの場面となる田舎の避難所へ、「 父の努力 と工夫の結実を、

よその情け容赦のない人の手に引き渡す ことは、罰あたりなことだ と思 った

(220)」

ために、一人やってきて、そこでオーモンドと対決することになった

のである。ならば、「 ある悪魔」と、作者が彼女に叫ばせる意図は明 らかだろ う。

コンスタンシアの人生を考えてみると、自分の意志を通すべきところは通 し ながらも、父が酒に酔い暴力をふるうのにも「天使のような慰め手」として対 応 し、やっとその役から解放されると、今度はオーモンドにつきまとわれ、強 姦までされそうになる。この彼女の人生を時代背景に照 らして考えれば、彼女 にとっての「牢獄」とは、父であり、オーモンドであったはずだ。そして、結 果 として、彼女はその牢獄から逃れ、財産 も手に入れるという大団円を迎える のである。このような結末を願 っていたという彼女の心理は描かれていないが、

しか し彼女の物語は力強 くその方向を目指 し進んでいく。

IH

You have been a  Ч

ritness.

Brown,Ormο

d

『 オ ー モ ン ド』 を論 じる際 、主題 の共 通 す る スたしれ へ の言 及 は多 い 。 しか し十 分 な論 議 が な され て い る とは言 え な い。多 くは、 アル クイ ンと

Mrs.Car̲

terの 論戦 と考え、カーター夫人の進歩思想に潜む保守性を指摘するものであ る。の それに対 し、対話形式の導入によって、表明される思想が議論 され深め られるというより、む しろ彼の真意がつかめなくなっているという指摘がある が、わ そのほうが私の考えに近い。『 アルクイン』で、「 私 は講師は嫌い。

(中

(15)

)同様論議 も嫌い。」それ故「対話

(conversation)」

がいいと、わざわざア ルクインに言わせた上で、ブラウンは対話形式を用い記述 している。対話をす る二人それぞれに、革新性 と保守性を持たせ、それぞれが相手の保守性を攻撃 する形式なのだ。それ故、読者はそれぞれの人物に感情移入 して読むため、結 果として、それぞれの人物にそって しかこの作品を読めなくなる。だが、人物 の枠を外せば、この作品は、実は当時の進歩思想の紹介にすぎないと言 っても 過言ではない。私には、『 オーモンド』におけるコンスタンシアの解放の物語

と、この『 アルクイン』の構造が同一であると思えてならない。

Paul Witheringtonが

、 陽 滋潤 につ いて論 じな が ら、次 の よ う に述 べ て い る。

It may be argued that Clara and Edgar are personae, not mouth‐

pieces for Brown himself, and perhaps this is true at the outset of each novel. But as the "invasions" of complexity are repelled, so the distance shrinks between author and character, indicating that Brown began to regard the mask of fiction itself as an inva‐

sion。

(178)

Mimicry, Carwln's other talent, represents the artist's ability to copy reality. Together‐ ‐ CarЧ an never separates them‐ ¨

they form

the artist's paradox of distance(the "thrown" voice)and involve‐

ment(mimesis).27p

彼の引き出す結論に異論はあるが、の ここに述べられている作者 と登場人物 の「距離」、EEMと感情移入の矛盾」に注目したい。『 アルクイ ン』 を、作者 の対話を好むという言葉に惑わされず、個々の人物に同化することなく読めば、

当時の進歩思想の紹介と読めると述べた。つまり、作者は、「 対話」 という虚 構化の装置を持ち込むことによって、彼個人がひとつの思想に肩入れすること なく、様々な思想を紹介 してみせたことになり、思想の紹介という観点に立て ば、ブラウンは作品と十分に「距離」をとっていると言えるのだ。同様『 オー モンド』は、財産は確保 したうえで父や男の支配から自由になるコンスタンシ アの物語であると仮定すれば、作者はその物語を十分に描 ききっている。つ そ して、この作品を振 り返 って眺めれば、コンスタンシアが父から自由になると

(16)

い う事実 は、オーモ ンドによって、 ソフィアの語 りによって隠 し続けられてき たことになる。 これこそが、冒頭に論 じた「 隠蔽」であると言えるだろう。

『 ウィーランド』の終盤、語 り手

Claraの

Wielandは

、悲劇 の最後 を 遂 げる少 し前、 この物語の「 悪役」たる腹話術師

Car宙nの

ことを さ して妹 に、 「 あの不幸 な男に対 して も公正でなければいけない。あの男 の媒介 と して の仕事 は終わ った。(The instrument has done its wOrk。 )」 。 と述べてい る。カーウィン同様、オーモ ン ドも「媒介」 として機能 してはいないか。っま り、オーモ ン ドをこの物語 に持 ち込む ことで、コンスタンシアの解放の物語が、

父 の復讐の物語 という「 偽装」のもと「 隠蔽」されて提出されたと、考えるこ とができるのだ。■

)

ブラウンのよ く知 られた言葉、 「 物語作者である道徳家 に とって、合衆国 は 新 しくまだ踏み固め られていない土地である。」を含 む、習作 Sty″ α滋 への 公告の中に、プラウンのフィクションにたいする考えが見 られる。

The popular tales have merit, but there is One thing in which they are deficient. They are generally adapted to one class of readers only.... The world is governed not by the simpltOn, but

by the man of soaring passions and intellectual energy¨" A

contexture of facts capable of suspending the faculties of every soul in curiosity may be joined with depth of views into human nature and all the subtleties of reasOning

.。0

コンスタンシアの解放 という「事実」が、それを隠蔽 しようとして働 く人間 の心を照 らしだす ことを も意味すると考えるのはうがちす ぎか。こう考えると、

この作品の副題 "The secret Witness"も 、作品の視点か らはうかがい知 るこ とのない秘密 をのぞ く読者を意味するか もしれない。

物語を、 「 明快 さと作法へ と」向か う

FfЪ

提示 のプロセス」と、随 へ、

秘密を隠蔽す る歪曲へ と」向か う「話の漸進的解釈のプロセス」 という「 二つ

のか らみ合 ったプロセスの所産」 と考えてもいいと、フランク・ カーモウ ドは

記 している。

0そ

れにな らえば、プラウンは「 オープン」な「 話の提示」 であ

るコンスタンシアの解放 というス トー リーを語 る際、意識的に「 隠蔽」するこ

とで、二つのプロセスの断絶を示 したことにもなる。この意識的なス トー リー

(17)

と語 りの断絶に、ブラウンの秘めたる強烈なメッセージを私 は感 じないではい られない。

そのメッセージとは何だったのだろうか。 ブラウンは、何故 コンスタンシア の解放の物語 を「 隠蔽」 したうえで提 出 したのか。 まだまだ疑間 は残 ってい る。 コンスタンシアとソフィアの間の同性愛的友情 を指摘 したの は Leslie A.

Fiedlerで あるが、 の 実はプラウン自身、同性愛の問題で悩んでいたのか もし れないのだ。作家 として立つ前、法律の勉強を していたが、彼 はどうして も打 ち込む ことができず、 しか もそれを家族 にも友人にも理解 されないという状況 にあつたとき、親友の

Wilkinsに

あてて書いた手紙にある一節 は、何 を意味 す るのだろうか。

In the soft bosom of domestic peace, in the worship of the house‐

hold deities, true wlsdom and genuine piety consist. A wlfe and children, though my destiny deny me those inestimable blessings,

may they be the portion of my friend. Friendship cannot form

a more affectionate wlsh。

 )

ブラウンが、後結婚することになる女性

Elizabeth Lynnと

出会 ったのは

1800Tll月

であり、180Fに結婚 している。0そして、ブラウンがイヽ説家 とし

て最後の作品となった め屁θ

bοιを出版 したのが

1801年 12月

のこと。未完

Car″

λo Bjιο9じおιも

1803か

1805に

雑誌掲載 している。小説家 とし て筆を折 った時期が、ちようど恋愛、結婚の時期 と重なっていることになる。

現時点でこのことを十分に論 じる準備はないが、ブラウンが、コンスタンシア の解放の物語を、「隠蔽」 して描かないではいられなかった背景には、以上の ような事情があったように思えてならない。

(1)テ

キ ス トに は

Ernest Marchandの

編 集 に よ る Charles Brockden Brown, Oraoπ

d(New York and London:Hafner,1937)を

用 い た。 この作 品 か

らの引用 は、全 て この版 によ る。

(2)Sydney Jo Krause, "Ormο

πご

:How Rapidly and How Well 'Com―

pOsed,Arranged and Del市 ered,'"E″ Zyス ″ι θだ cα tt Lう ι

arα

ι zre,13(1978‑

79), p.240。

(18)

(3)こ

れに対 し、

James Ro Russoは

、 コンスタンシアとク レイグが恋人 だ った と 考えてお り、それが正 しければ、 コンスタンシア経由で情報が入 ったことになる。

彼の説 は非常 に刺激的である。 ブラウンの「 視点、スタイル、試み」 に もっと注 目すべ きだ というPaul WitheringtOnの 言葉を受 け、プラウンが故意 に「 信頼 で きない語 り」を用い、 「 半ば本当のような嘘の豊かな生地 に、真実 をぼか した」

ことを証明 しようとす るものである。ただ し、彼の論証は力業にす ぎない き らい があ り、また納得できない箇所 も多々あるの も事実である。

(James R.Russo,

"The Tanglod Web of]Deception and lmposture in Charles BrOckden Brown's Ormο 厖ご

,"Eぼ

Jy Aれ ar,cの LJι

erα

ι ι ra,14(1979),pp.205‐ 27.) また、この作品の欠陥 につ いては、 Krause,'Or"oれ d,"pp.144‑7;Paul C.

Rodgers Jr.,"Brown's Ormo厖 ご:Tho Fruits of lmprOvisatiOn,"̀Aれ ο rj―

Cの

tterJy,26(1974),p.18等

を参照のこと。

(4)Russol Bo Nyo, "Historical Essay," in Charlos Brockden BrOwn,

Or′ れο ttd, or  ι λο 【 発 creι

 

″じ ι π s(Kent Stato Un市 ersity Press, 1982),

p。 313;Paul Witherington,"Benevolence and the'Utinost Stretch':Char―

los Brockdon Brown's Narrat市 e Dilemma,'Crjι たおれ ,14(1972),p.176;

William Hedges, "Charles Brockdon Brown and the Culturo of COn―

tradictions,"E″ Jyス れ

erjcα

π

 Ljι

erdじ r¢ ,9(1974),pp.107‑42等 。 (5)Witherington, "Benevolonce," p.177.

(6)ブ

ラウ ンの "narrative method"に は一貫性 があ り、 "the satiric Manichaen mock― heroic"が 彼 の語 りの特徴 で あ ると考 え、その結果、曖昧 さの仕 掛 け に よ り、哲学 的熱狂者 の狭 くて抑圧的 な感性 の起訴状 にな る と考 え る Carl Wo Nel―

son(Carl wo Nelson,"Brown's Manichaean Mock̲Heroic:The lronic Self in a Hyperbolic World,""セ sι

 

И な jπJα  ttι υ

.昴

jJο Jogjcα

J」

̲ ρο rs,20(1973),pp.27‐ 8;"A Just Reading of Charles Brockden Brown's Orれοπご

,"]″

″ スれarjCa"Ljι

erα

ι ιre,p.8(1973),170。 )や 、芸術、想像力 といった作家 としてのブラウンの問題 と、宗教上などのモラリス トとしての問題 を、共 に全能の視点を持つオーモンドとソフィアに重ね合わせ、その葛藤を描 く 作 品で あ ると考 え る Witherington、 「 隠蔽」 とい う言葉 に注 目 しつつ論 じる Boll(Michael Davitt Bon, "'The Doublo― Tongued Deceiver': Sincority

and Duplicity in the Novels of Charles BrOckden Brown," Eげ

Jy スれerjc∽

Ljιarα

ι re,9(1974),pp.143‐ 52;̀助 e Dθ υοJOpれ θ

ttι O/4腕

erj‐

π

 rottα

π

c●

The Sacrttc.。 J Rο

ι

̀π

joπ

(ChicagO and London: U. Of

(19)

Chicago P。 ,1980),pp.52‑61)。 この二人 は、 この葛藤のなか に、 プラウ ンの

「 自意識」を見いだ し、それをアメ リカ文学の特徴 と結 びつけてい く点興味深 い。

なお、彼 らの論文か ら大いに啓発されたことを記 しておかねばな らない。 また、

WoB.Berthoff, "'A Lesson on Concealment': Brockden Brown's

Mothod in Fiction,"Pん jJο Jο

gicα J Qし

″ ι erJy,37,No。  1(January 1958), pp.45‑57か らも学ぶ ところが多か ったことを記 してお く。

(7)Da宙

d.Lee Clark,Cん

α

rJω  Brocた dθ

tt Brο″π′』

%ο

π

Oθ r 7oう ce o/ス

ar―

う cα

(New York:AMS,1966),p。 102.

(8)例

えば Robert Rigby Hare,"Charles Brockden Brown's Ormο れ法

The

lnfluence of Rousseau, Godη rin, and Mary Wollstonecraft," E)iss. U。

of Maryland,1967,pp.32‑3.彼 の論文は、二人の思想家の影響を丹念 に読 み込 んだ労作で、私 も少なか らず恩恵をこうむっている。

(9)こ

の辺 りの事情 につ いて は

Harry Ro Warfel,0物

河ω Brocた &π

 Brow″

4れ

erjc Gο ι ん jc Noυ ο

Jう

sι ,(Gainesvillo:U.of Florida P。 ,1949),p.42;

Linda Ko Kerber,脆

れο

2oJ 

ι んθ  Rα ル

bJjcr lttι

OZJθ cι

 

απ」 Zθ OJogy  ι 厖 Rο υο J ι jο πα

ryス

″ι

ericα(Chapel Hill,V.:U.of North Carolina P。,

1980),pp.210‑21参 照。

(10)Charles Brockden Brown,ス

Jc

π

=ス Diα

Jogし

c attd」

Иθれοう

rs or sta̲

pん οル

Jυ arι (Kent State University Press,1987).

Warfel, p.58.

Ibid。 , pp.60‑1。

Cathy N.Davidson,Rθ

υ

oJ tioπ

dιんθ  ttor♂ 動 ο  Risθ  o/ιんθ  NOυ ο J

jπ  Aれ ericc(New York;Oxford:Oxford UoP。 ,1986),pp.45‑7;Herbert

Ross Brown, 3Lθ &れ

ι れθ

ttι

α J Noυ θ

J jπ Aれ

οだ cc 1789‑186a(New York:Pageant Books,1959),pp.4‐ 8参照。

Boll, "'The lDoublo― Tongued Deceiver,'" p.151。

Hare, pp.243‑6.

Clark,p.54.

ここで私 は、オーモ ン ドの思想 の分析 および、思想的背景 につ いて は考察 しない。

これ らに関 して は、 前 出 の

Hareな

らび に

Robort S.Levine,Con″

り απ d Rο れα

ttcer St

djθ

s jル

Brο cλ αοπ  Browπ , Oooper, 15o ι んο ο ,α π

d Maυ

jJJ。 (cambridge:Cambridge UoP。 ,1989),pp.15‑57等 参照 。なお 、オ ー モ ン ドを中心 に考 えて、この物語 の結末 に不満 を述 べ る批 評家 も多 い。

Donald

(11) (12) (13)

(14)

(15)

(16)

(17)

(20)

Ao Ringe,Cん α rι ο s Brο cλ

da″

Brο ″厖

=Rο υ おθ d Ettι ι ο

2(Boston:Twayne,

1991),p.43;Warfel,p.138等 。

(18)こ こで、 この作品に繰 り返 し登場する「 類似 (resemblance)」 について述 べて おいて もいいだろう。例えば、

Hareが

、主要な女性登場人物四人― コンス タ ン シア、 ソフィア、マーティネット、ヘ レナー は、同一人物の様々な側面を表 し ている (Hare,p.178)と 述べているが、登場人物間に「類似」 があるとい う記 述が多 く目につ く。 これはオーモンドとコンスタンシアに も当て はめ られ、「 し か しコンスタンシアは二人の美徳 と義務の理屈に十分な類似があるのを見 いだ し

(130)」

とある。 この辺 りに、彼女になりかわって復讐する根拠 を見 いだす こ

ともできるか もしれない。

(19)そ れ故、

Russoの

ように、薬屋をやっていた男の娘であるか ら、 コンスタ ンシ アが、実 は毒殺 したのだという大胆な推測 も生 じうる。(Russo,pp.218‑20。

)

(20)"Ormond pursues Constantia out of sOme dark need tO symbOlize in her宙 olation his attempt over the female principle;"と Fiedlerは 述べ て いる。 (Leslie A. Fiedler,LOυ θ

 

α 2d Dθαι λ

 Jπ 

ι λθ スれ arj 脇 ハ西 ουθ J

(Penguin,1984),p.102.)

(21)オ ーモ ンドの "his super― male― chauvinism"を 指摘 した

Hedgesは

、 この文 脈では的をえている (Hedges,p.117。 )。

(22)Marchandも

"a cOmplotely rounded personality"へ の成長説を とってい る  (Oraο れd,poxxx)。

(23)」 an Lewis, "The Republican Wife:Virtue and Seduction in the Early Republic," zJJJα

れ ″

2dル

̀α

̀レ

α

″り

,44(1987),p.689.

(24)Kerber,pp.120‑40.

(25)Hare,pp.143‑63;Nye,"Historical Essay,"pp.281‑7.

(26)Cathy No Davidson, "The Matter and Manner Of Charlos BrockdOn Brown'sス

Jcじ じ れ ,"in Bernard Rosenthal,ed。 ,Criι jcα J Essays Ott Cん の

Jο s Brο cλ ごοπ  Brο ″ 2(Boston:Go Ko Hall,1981),p.82。

(27)Witherington, pp.178‐

9.

(28)彼 は プラウ ンが登場人物 との距離が とれな くな り、 「 虚 構 の仮 面 」 を「 侵 害 」 と 感 じだ した と述 べて い るが、それ は、彼が作者 と語 り手 との距離 を問題 と して い るか らだ ろ う。私 は、む しろ作者 と主人公 コ ンス タ ンシアとの距離 で測 らね ばな らない と考 えている。

(29)こ こで

zん

θ

&″

Jθ ι  Lο ι ι arの 例 を持 ち出 して もいいだ ろ う。 Hesteiは 、進歩的

(21)

な思想を口にはするが、その行動に関 して言えば、最終的には当時 の女性 の枠 を 乗 り越えてはいない。む しろ、作者が乗 り越えるのを拒んだような印象 が あ る。

詳 しくは拙論参照。 (本 合陽、 「 『 女』があかす二人の作家」、岡山大学教養部紀要、

25号

(1989.2)、

87‑97頁 。 )

(30)Charles Brockden Brown, 

И θJ d,  ο

r T%a Trα

2s/OrJれ αι

'oれ

 

スπ A″ι aric̀"1し Jο

,

αル

̀θ

れοjrs orCげ″ι ルr劉し θ 3う ι ο

9

Jst(Kent State Uni―

versity Press,1977),p.225。 なお、訳語 は志村正雄訳 (図 書刊行会、昭和 51年

)

を使わせていただいた。

(31)感 傷小説 には、普段女性 には参加す ることのできない政治等 に関す る議論 が持 ち 込まれていて、それを読む ことで読者である女性 が知識を得 る とい う、教育的側 面 もあ った らしいが (Da宙 dson,Rcυ

oJ

ι う οπ″だ ι λ e Wora pp。

123‑5)、 

ういった考え方 も私の説 に味方 して くれるだろう。

(32)Clark,p.160.

(33)フ ランク 0カ ーモウ ド、 「 秘密 と物語の シークエ ンス」、

WoJ.T.ミ

ッチ ェル編 、 海老根宏他訳、 『 物語 について』 (東 京 :平凡社、

1987)、

143‑4頁 。

(34)Fiedlor,pp.103‑4.

(35)Clark, p.35。

(36)Ibid。 , p.197.

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