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『賦光源氏物語詩』を詠む(八) ―

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(1)

論   文

『賦光源氏物語詩』を詠む(八)

 御幸・蘭・柀柱・梅枝・藤裏葉 

Reading the “Fu Hikaru Genji Monogatari Shi” (eight)

 Miyuki · Fujibakama · Makihashira · Umegae · Fujiuraba 

【要旨】   中世前期に編纂された『賦光源氏物語詩』の解釈・注釈稿の第八稿。そ れぞれの巻を詠む漢詩(七律)が、どのように物語の内容と連関している か明らかにする。 【キイワード】 源氏物語   漢詩   翻案物 二十九   御幸〈玉鬘并之七〉

小塩山麓大原野 小

しほ

さん

ろく

  大

おお

はら

諸衛韋 韝 奉帝皇 諸

の 韋

かう

  帝皇を奉ず 万乗幸西鷹猟路 万乗 西

にし

のかたに 幸

いでま

す   鷹

よう

れふ

の 路

みち

三台以下扈従場 三台以下   扈

じゆう

の 場

女王微志紫衣贈 女王が微志   紫衣の 贈

おくりもの

公主懇懐玉櫛箱 公

こう

しゆ

が 懇

こん

くわい

  玉

たま

ぐし

の箱 裳着結腰初見父 裳

に腰に結ばれて   初めて父に 見

まみ

え 父成賓礼幾巡觴 父   賓礼成って   幾たびか 觴

さかつき

を 巡

めぐ

らせる 〈七律。皇・場・箱・觴(下平声陽韻) 〉

  巻名は第三句に「幸」として詠込まれている。この巻は、師走に大原野行幸が行 われたことに始まる。見物する玉鬘は一行の中に父の姿を認め、冷泉帝の比類なき めでたさに心動かされて、光源氏が勧めた出仕にも前向きになる。光源氏はその前 に彼女の裳着をすませるべく、翌二月と決めて父の内大臣に腰結役を依頼する。一 旦は辞退されたものの、母の大宮を見舞って内大臣へのとりなしを頼み、彼も事の 次第を知って承諾する。裳着の十九日には方々から御祝いの品々が届けられて、腰 結役の内大臣は心のこもった光源氏の配慮に感謝して和歌を贈答し合う。続く巻の 末では、常夏の巻で人々の笑いの対象となっていた近江君が再び登場。玉鬘への羨 望と対抗意識から尚侍の職を所望するなど軽はずみな言動をして人々を呆れさせる。 と同時に、その娘の近江の君をからかい愚弄する内大臣に対して、読者はみじめな 人だという思いを禁じえないのではあるまいか。もっとも、漢詩の内容自体は、近 江の君の登場前で詠みさしており、シニカルな場面は避けられている。因みに聯毎 に分けて訳せば以下のようになろう。

  ( 十 二 月 に ) 小 塩 山 の 麓 の 大 原 野( に 行 幸 と い う こ と で )、 多 く の 護 衛 の 者

本 間 洋 一

同志社女子大学

表象文化学部・日本語日本文学科 教授

Yoichi Honma

Department of Japanese Language and Literature,

Faculty of Culture and Representation, Doshisha Women’s College of Liberal Arts,

Professor

(2)

が弓射や武具をととのえ、帝にお仕え申し上げるのでございました。

  帝

みかど

は鷹狩の地への道を西へとお出かけになられ、 (大臣はじめ公   卿)以下 (多くの方々)がつき従ったのでございます。

  (光源氏様は玉鬘様の裳着を二月十六日に行われまして、その時様々な贈物 がございましたが)常陸宮の御方(末摘花)はささやかな思いをこめ(青鈍色 の細長や袷の袴一揃えと)紫の白けてみえる霰模様の小袿などを(立派な衣装 箱 に 入 れ て ) 贈 ら れ ま し た し、 ( 内 大 臣 の 母、 玉 鬘 様 の 祖 母 で、 桐 壺 院 の 妹 君 の)大宮様にはねんごろな思いのこもった美しい御櫛の箱をお届け戴いたので ございました。

  (内大臣様が)裳着の当日 腰

こし

ゆい

の役をつとめられ、玉鬘様は初めて実の父上 と顔を合わせなさったのでございましたが、父上様は賓客としてもてなされま して、 (お喜びで)どれ程杯をくみかわされたことでございましょう。

  首・頷聯は、巻頭あたりの、

その十二月に、 大原野の行幸

000000

とて、世に残る人なく見騒ぐを……今日は 親

た ち、上達部も、みな心ことに、御馬、鞍をととのへ……装束を飾りたまうつつ、 めづらかにをかし。 左右大臣

0000

、 内大臣

000

、 納言より下

00000

、 はた

00

、 まして残らず仕う

00000000

まつりたまへり

0000000

。……親王たち、上達部なども、 鷹にかかづらひたまへるは

000000000000

、 めづらしき狩の御装ひどもを設けたまふ

000000000000000000

。 近衛の鷹飼ども

0000000

は、まして世に目馴 れぬ 摺

すり

ごろも

を乱れ着つつ、気色ことなり……。 (③

289 頁

9行~

290 頁

10行)

と あ る 部 分 を ふ ま え る。 「 小 塩 山 」 の こ と は 物 語 本 文 に は 見 え な い が、 有 名 な 業 平 歌「 大 原

00

や 小 塩 の 山

0000

も 今 日 こ そ は 神 代 の こ と も 思 ひ 出 づ ら め 」( 『 古 今 集 』 八 七 一 「 二 条 の 后 の、 ま だ 東 宮 の 御 息 所 と 申 し け る 時 に、 大 原 野 に ま う で た ま ひ け る 日

0000000000000

よ め る 」) や、 貫 之 歌「 大 原

00

や 小 塩 の 山

0000

の 小 松 原 は や 木 高 か れ 千 代 の 影 見 む 」( 『 後 撰 集 』 一 三 七 三「 左 大 臣 の 家 の 男 子 女 子、 冠 し、 裳 着 侍 け る に 」) で も 大 原 野( 神 社 名 で も あ る ) と 密 接 な こ と が 知 ら れ、 詩 句 に 取 入 れ ら れ た も の で あ ろ う。 「 諸 衛 」 は宮中の守護や行幸の警護を行う六衛府(の武官)を指す。小学館本の物語本文は 「 近 衛 」 に な っ て い る が、 古 注 が 準 拠 し た 本 文 は「 諸 衛 」 と あ り、 先 例 の 延 長 六 年 ( 九 二 八 ) 十 二 月 の 大 原 野 行 幸 を 引 用 し た『 李 部 王 記 』 の 記 事 に「 諸 衛

00

鷹 飼 親 王 公 卿摺布衣」 、『西宮抄』に「公卿以下 諸衛

00

及鷹飼等……」と見えている。他に「儒士 任

諸 衛

00

当 職

遷 任 例 」( 三 善 道 統「 請

特 蒙

恩 恤

准 先 例

達 弁 官 右 衛 門 権 佐 闕

状 」『 本 朝 文 粋 』 巻 六・

二・ 169 ) や 三 善 清 行「 意 見 十 二 箇 条 」( 同 上 巻

㆒㆘㆓㆒㆗㆖

里 」 と あ り、 三 善 清 行「 意 見 十 二 箇 条〈 応 消 水 旱 求 豊 穣 事 〉」 に も「 帝 皇

00 ㆒㆓㆒㆓

号于 帝皇 」、左思「蜀都賦」 (同上巻四)にも「崤函有 帝皇 之宅 、河洛為 王者之

0000

え 押 韻 す る 為 に 顚 倒 さ せ て 用 い た。 張 衡「 西 京 賦 」( 『 文 選 』 巻 二 ) に「 聖 上 同 天 袖 」 な ど と 見 え て い る。 「 帝 皇 」 は「 皇 帝 」 に 同 じ く 天 皇 を 指 す。 こ こ は 平 仄 を 整

みかど ㆒㆓㆒㆑㆑㆑

韝 以 縛 左 右 手 、 以 於 事 便 也 」、 張 銑 注 に は「 韋、 皮 也。 韝 、 衣 袖 …… 以 皮 為

と あ り、 李 善 注 に「 説 文 曰、 韝 、 臂 衣 也。 漢 書 董 君 緑 幘 伝、 韝 注 曰、 韝 形 如 射

㆒㆓㆒㆓㆒

武 書 」( 『 文 選 』 巻 四 一 )」 に「 韋 韝 毳 幕、 以 禦 風 雨 、 羶 肉 酪 漿、 以 充 飢 渇 」

00

も の で、 ゆ ご て と も 言 う。 「 韋 」 は な め し 皮 製 で あ っ た こ と に よ る。 李 陵「 答 蘇

000

67) に も 見 出 せ る 語。 「 韝 」 は「 鞲 」 に も 作 り、 弓 を 射 る 時 に 左 の 臂 に 着 け る

ひじ

之誠、依

禅僧

而易

感」と見えている。

  頷 聯 の「 万 乗 」 は 天 子・ 天 皇 を 指 す。 『 文 選 』 に は よ く 見 え る 語 で、 張 衡「 東 京 賦 」( 『 文 選 』 巻 三 ) に「 雖

万 乗

00

之 無

㆒㆑

懼、 猶 怵

惕 於 一 夫

」 と あ り、 薛 綜 注 に 「万乗、天子也」と記され、 「 万乗

00

威加新海内、数行涙落故郷情」 (「読

史記

竟読

史 得

高 祖

」『 田 氏 家 集 』 巻 上・

粋』巻八・ 37)、

㆓㆒

菅 原 淳 茂「 月 影 満 秋 池 詩 序 」( 『 本 朝 文

若 経 願 文 」『 本 朝 文 粋 』 巻 一 三・

㆓㆒㆓

公之象也」と見え、 「 三台 九棘、百辟千僚」 (三善道統「為 空也上人 供 養金字般

00

履 道 是 鍾 」( 曹 植「 王 仲 宣 誄 」『 文 選 』 巻 五 六 ) と あ る 呂 向 注 に「 三 台、 星 名、 三

朝 で は 大 臣( 太 政 大 臣・ 左 右 大 臣・ 内 大 臣 ) の 唐 名 と 考 え て よ い。 「 三 台 樹 位、

00

は 記 さ れ な い。 「 三 台 」 は 人 臣 で あ る 三 公( 太 尉・ 司 空・ 司 徒 ) の 位 を 指 す が、 本 筵 」( 「 貧 女 吟 」) と 記 す よ う に、 猟 に は 犬 も 重 要 な 役 割 を 担 う の だ が、 物 語 文 中 に

㆓㆒㆑

放 っ て 走 ら せ る 意。 「 競 狩 記 」) 、 紀 長 谷 雄 が「 肥 馬 軽 裘 与 鷹 犬 、 毎 日 群 遊 俠 客

00 ㆓㆒

『 嵯 峨 野 物 語 』『 養 鷹 記 』) と も 伝 え ら れ る。 菅 原 道 真 が「 放 鷂 獦 馳 」( 鷹 犬 を

00

え、 自 ら 漢 詩( 『 凌 雲 集 』) に も 詠 ん で、 『 新 修 鷹 経 』 を 撰 さ せ た( 弘 仁 二 年 と 云 う。 武天皇も鷹を愛されたというが、嵯峨天皇は鷹狩を好んで畋猟の記事が史書にも見

流 」 な ど と 用 い ら れ て い る。 「 鷹 猟 」 は 鷹 を 使 い 猟 を す る こ と で 鷹 狩 に 同 じ。 桓 209

㆘㆓㆒㆗㆖㆑㆓

)にも「太上法皇、雖 入 三蜜之道 出 万乗 之家 、猶未 捨 此地風

00

㆓㆒

君也」と見え、 「 扈 従 吉野宮 」( 『懐風藻』

00 ㆓㆒㆑

出 乎四校之中 」(司馬相如「上林賦」 『文選』巻八)とある呂延済注に「大衆従 の 光 源 氏 は 行 幸 に 参 加 し て い な い。 「 扈 従 」 は 天 子 に つ き 従 う こ と。 「 扈 従 横 行、

00

409 ) と 用 い ら れ て い る。 猶、 物 語 で は 太 政 大 臣 73紀男人の詩題)などよく見える語。

  頸聯は、玉鬘の裳着に際して祝いの品々が届けられる場面を背景とする。第五句 の「 女 王 」 は こ こ で は 常 陸 宮 親 王 の 女 で あ る 末 摘 花 を 指 し、 「 常 陸 の 宮

0000

の 御 方、 あ

(3)

やしうものうるはしう、さるべきことのをり過ぐさぬ古代の御心にて…… 青

あを

にび

の細 長一襲、落栗とかや、何とかや、昔の人のめでたうしける袷の袴一具、 紫のしらき

00000

り見ゆる霰地の御小袿

0000000000

と、よき衣箱に入れて、つつみいとうるはしうて奉れたまへ り。 …… こ れ、 い と あ や し け れ ど、 人 に も 賜 せ よ 」( ③

313 頁

15行 ~

314 頁

ど も い と き よ ら に 」( ③ 母 ) を 指 し、 「 三 条 宮 よ り 忍 び や か に 御 使 あ り。 御 櫛 の 箱 な ど、 に は か な れ ど、 事

0000000

と 贈 物 し た 部 分 に よ る。 第 六 句 の「 公 主 」 は 大 宮( 桐 壺 の 妹、 葵 の 上 や 内 大 臣 の 10行 ) な ど 粋 』 巻 二・

㆓㆒

大 宝 元 年 七 月 二 一 日 条 )「 充 華 山 法 皇 外 祖 母 恵 子 女 王 封 戸 年 官 年 爵 勅 」( 『 本 朝 文

00

者 ) の 意 で 用 い る の は 和 習 か。 「 皇 大 妃 内 親 王 及 女 王 嬪 封 各 有 差 」( 『 続 日 本 紀 』

00

だ 歌 が 届 け ら れ た こ と を ふ ま え て い る。 「 女 王 」 を 皇 室 の 女 子( で 内 親 王 で な い 312 頁 1 ~ 3 行 ) 仕 立 て た 品 と「 玉 匣 」( 玉 櫛 笥 ) を 詠 込 ん

たまくしげ

㆒㆑㆖

佳 遊 境 、 微 志 所 之 憖 詠 吟 」( 藤 原 明 衡「 初 冬 書 懐 」『 無 題 詩 』 巻 五・

00 ㆓㆒㆓㆒㆘㆑㆓

「願陛下矜 愍愚誠 、聴 臣 微志 」(李密「陳情表」 『文選』巻三七) 「斯須 得 接

00

さ さ や か な 気 持 ち( ば か り の 品 ) の 意( 恐 ら く 末 摘 花 の 謙 辞 を 込 め て 用 い る か )。 50慶 滋 保 胤 作。 恵 子 は 代 明 親 王 女 ) な ど と 見 え る。 「 微 志 」 は こ こ で は

清行「意見十二箇条」 『本朝文粋』巻二・ 巻 一 〇・ 公 主 )、 「 宮 殿 楼 閣、 百 官 曹 庁、 親 王 公 主 之 第 宅、 后 妃 嬪 御 之 宮 館 」( 三 善

00 ㆓㆒㆓㆒㆓㆒

李 斯 男 皆 尚 秦 公 主 、 是 也。 漢 制、 帝 女 為 公 主 、 帝 姉 妹 為 長 公 主 」( 『 初 学 記 』

00000 ㆒㆑㆓㆒㆑㆓㆒㆑㆓㆒

主 婚、 必 使 諸 侯 同 姓 者 主 之。 始 謂 之 公 主 。 秦 代 因 之 亦 曰 公 主 。 史 記 云、

㆓㆒㆓㆒㆓

その語例。 「公主」は天子の娘。 「至 周中葉 、天子嫁 女于諸侯 。天子至尊、不 自 316 ) な ど は 67)などとある。

「懇懐」はまごころのこ もった思い、ねんごろな心。

  尾 聯 は、 玉 鬘 の 裳 着 の 日( 二 月 一 六 日 )、 父 の 内 大 臣 が 腰 結( 裳 の ひ も を 腰 に 結 ぶ)役をつとめる次の場面を背景とする。

内大臣は、さしも急がれたまふまじき御心なれど、めづらかに聞きたまうし後 は、 いつしかと御心にかかり

00000000000

たれば、とく参りたまへり。…… 亥

の刻にて、入 れたてまつりたまふ。例の御設けをばさるものにて、内の御座いと二なくしつ らはせたまうて、 御肴まゐらせたまふ

000000000

。…… いみじうゆかしう思ひ

0000000000

きこえたま へど、今宵はいとゆくりかなべければ、 ひき結びたまふ

0000000

ほど、え忍びたまはぬ 気 色 な り。 主 の 大 臣、 「 今 宵 は い に し へ ざ ま の こ と は か け は べ ら ね ば、 何 の あ や め も 分 か せ た ま ふ ま じ く な む。 心 知 ら ぬ 人 目 を 飾 り て、 な ほ 世 の 常 の 作 法 に」と聞こえたまふ。 「げに、さらに聞こえさせやるべき方はべらずなむ」 。 御

0

0

かはらけ

0

まゐる

000

……。 (③

316 頁

3行~

317 頁

3行)

  早く娘に会いたいと思いつつ六条院に参上した内大臣は御簾の中に招かれて酒肴 のもてなしを受け、娘の腰紐を結び、光源氏の心配りに感謝しつつ和歌の贈答をす ることになる。第七句「初見父」と玉鬘の視点で詩を詠んでいるのが、物語本文と は異なる点であろうか。末句、内大臣が六条院の来賓としての礼を尽くすとは、光 源氏の懇切な配慮に改めて礼を述べ、和歌を交わす展開の含意であろう。物語本文 では大いに杯を傾けたという描写は必ずしもないが、内大臣が「御土器まゐ」り、 「今までかく忍びこめさせたまひける恨みも、いかが添へはべらざらむ」 (③

「 賓 礼 」 は 客 人 と し て も て な さ れ る こ と。 「 賓 礼 毎 進 以 譲 」( 『 礼 記 』 坊 記 )「 賓 礼

0000

~6行)と、光源氏に絡んでいるように漢詩作者は受けとっているのかも知れない。 317 頁5 来 時 懐

土 雁、 旅 人 帰 処 泣

珠 蛟 」( 「 客 館 書

懐 寄

渤 海 副 使 大 夫

」『 菅 家 文 草 』 巻 五 ) と 見 え る。 「 巡 觴 」 は 酒 杯 を め ぐ ら す。 「 素 壁 聯

題 分

韻 句

、 紅 炉 巡

0

飲 暖

寒 杯

」( 「 花 楼 望

雪 命

宴 賦

詩 」『 白 氏 文 集 』 巻 二 〇 ) や「 花 間 酌

酒 幾 催

0

、 酣 暢難

堪欲

暮春」 (橘正通「酒従

花裏

酌」 『善秀才宅詩合』 )などという類。

三十   蘭〈同八〉

尚侍須聞吾教誨 尚侍須らく聞くべし   吾が教誨 女唯三従又無望 女は唯だ三従あるのみ   又望むこと無かれ 妍姿相映対明月 妍姿相 映

えて   明月に 対

むか

ひ 浮命纔懸惜季商 浮命 纔

わづ

かに 懸

けて   季商を惜しむ 詞顕紫蘭花結露 詞に顕はる   紫蘭の花に結ぶ露 契残玉篠葉分霜 契りに残る   玉

きよく

せう

の葉分けの霜 冬初参内期徐近 冬の初めの参内   期 徐

やうや

く近く 書札競来筆不遑 書札競ひ来りて   筆 遑

いとまあ

らず 〈七律。望・商・霜・遑(下平声陽韻) 〉

  「蘭」は「兼名苑云、蘭一名蕙〈闌、恵二音。和名本草云、 布知波賀万

00000

。新撰万 葉 集、 別 用

藤 袴

00

二 字

〉」 (『 和 名 抄 』 巻 二 〇 )、 『 和 漢 朗 詠 集 』( 巻 上・ 蘭

0

らの思いをかき口説く。その後、父に復命した彼は、玉鬘に対する父の存念を問い 霧が訪れて、尚侍任命の帝意を伝えると共に蘭(藤袴)を差入れ歌を詠みかけ、自 自分のありように孤り苦悩する玉鬘の様子に始まる。そのもとへ光源氏の使いで夕 えるように藤袴を指し、巻名は第五句に「紫蘭」として詠込まれている。この巻は 「ぬし知らぬ香こそにほへれ秋の野に誰がぬぎかけし ふじばかま ぞも」 (素性)と見

00000

290 ) に

(4)

詰めるが、父への疑念は晴れない。玉鬘が大宮逝去による喪服を脱ぎ、十月に出仕 と決まるや、彼女に懸想していた人達は皆がっくりする。父の使いで訪れた柏木も 伝 言 を 語 り な が ら 怨

うらみ

ごと

を 述 べ、 歌 の 贈 答 を し て 退 く が、 彼 を 通 し て 玉 鬘 に 並 々 な らぬ思いを抱いていた鬚黒大将は熱心に縁組みを求め、他にも蛍兵部卿宮や左兵衛 督等多くの手紙や歌が彼女のもとにもたらされる。唯一返歌した宮への歌はその気 持ちを汲む思いをにじませたものであった。以下聯毎に訳してみたい。

  尚

ないし

のかみ

(の玉鬘さま)よ、よくお聞き召されよ、この私(詩作者)の教えを。 (光源氏様が仰っておられるように)女性にはただ三従ある   のみで、 (他に) 望んではなりませぬ。

  月 に 向 か っ て 居 り ま す と、 ( 柏 木 様 の ) 美 し い 姿 は 照 り 映 え る よ う で ご ざ い ま す が、 ま た、 ( 玉 鬘 様 に 文

ふみ

を 寄 せ ら れ た ) 鬚 黒 様 も( 彼 女 の 出 仕 は な い も の と) 生

いのち

命 をかけて頼みにしておられたのですが、それも今ははかないと晩秋の あわれを感じておられるのでした。

  野 辺 の 藤 袴 の 花 に 結 ぶ 露 を、 ( 訪 れ た 夕 霧 様 の ) 和 歌 は 表 現 し て お り ま し た (が、それは彼の玉鬘様への思いを訴えたものでございました)し、 (蛍兵部卿 宮様の)お贈りになった歌も玉笹の葉毎に降りた霜のような(御自身の)思い だけでもせめて知ってもらいたいという思いを込めたものでございました。

  (玉鬘様の御出仕は)冬の初め(十月)ということになり、その参内の時期 も次第に近付いて参りましたところ、多くのお手紙が競うように届けられたの でございましたが、 (彼女は)御返書なさる 暇

いとま

もなかったのでございました。

  首聯は、物語の冒頭、尚侍の宮仕えをめぐって悩む玉鬘(③

333 頁

11行目では「尚 侍の君」と表記されている)を念頭に置きつつも、夕霧が父と玉鬘との関係を問い 質 し た 時、 光 源 氏 が 答 え た 言 葉、 「 方 々 い と 似 げ な き こ と か な。 な ほ、 宮 仕 を も 何 ごとをも、御心ゆるして、かくなんと思されんさまにぞ従ふべき。 女は三つに従ふ

0000000

ものにこそ

00000

あなれど、ついでを違へて、 おのが心に任せんことはあるまじきこと

000000000000000000

な り」 (③

336 頁

10~

13行)をふまえながら詠むものである。

「教誨」は教えさとす、教 訓。 「 譲

三 老 孝 悌

、 以

教 誨

00

之 過

」( 司 馬 相 如「 喩

巴 蜀

檄 」『 文 選 』 巻 四 四 )「 吾 加

教 誨

00

、 宜

之 」( 『 続 日 本 紀 』 天 平 宝 字 元 年 七 月 二 日 ) は そ の 先 例。 「 三 従 」 は 古 注 に 指 摘 さ れ て い る よ う に「 礼 記 郊 特 牲 云、 婦 人 従

人 者 也〈 幼 従

父 兄

、 嫁 従

夫、 夫 死 従

子 〉」 (『 紫 明 抄 』 巻 六・ ふ ち は か ま ) に よ り、 「 有

0

0

之 道

。 在

家 従

父 兄

、 適

人 従

夫、 夫 死 従

子 」( 『 孔 子 家 語 』 本 命 解 ) と も 見 え、 本 朝 で は『 世 俗 諺 文 』( 巻 上・

ていよう。

㆑㆑㆑㆓㆒

父、 出 家 従 夫、 夫 死 従 子〈 謂 之 三 従 〉」 (『 口 遊 』 人 倫 門 ) と あ る の も 知 ら れ 81「

㆑㆑

三 従 」。 『 礼 記 』 所 引 ) の 他 に、 「 在 家 従   頷聯は、柏木が姉弟の関係にある玉鬘のもとを訪れ、父内大臣の言葉を伝えると 共に自ら怨み言を述べたて、和歌を贈答し合った後、

月隈なくさし上がりて

0000000000

、空のけしきも艶なるに、 いとあてやかにきよげなる容

0000000000000

貌して

000

、 御直衣の姿

00000

、 好ましく華やかにていとをかし

00000000000000

。宰相中将(夕霧)のけ はひありさまには、え並びたまはねど、これもをかしかめるは、いかでかかる 御仲らひなりけむと、若き人々は、例の、さるまじきことをもとりたてめであ へり。 (③

342 頁2~7行)

という場面を背景にしていよう。第四句は、

九 月

00

に も な り ぬ。 …… 持 て 参 る 御 文 ど も を …… 大 将 殿 の に は、 「 な ほ 頼 み 来 し も、過ぎゆく空のけしきこそ、心づくしに、

  (鬚黒)数ならばいとひもせまし 長月

00

に 命をかくるほどぞはかなき

000000000000

」…… (③

344 頁1~8行)

と 嘆 く 鬚 黒 の 心 情 に 関 わ る も の で あ ろ う。 「 妍 姿 」 は あ で や か な 美 し い( 柏 木 の ) 姿。 こ の 語 は「 縦 令 妍 婆

00

艶 質 化 為

土、 此 恨 長 在 無

銷 期

」( 「 李 夫 人 」『 白 氏 文 集 』 巻 四 )「 芳 意 浅 深 応

誘 引

、 妍 婆

00

多 少 作

良 媒

」( 一 条 天 皇「 春 色 伴

花 来 」 『 類 聚 句 題 抄 』

㆓㆒

原 在 良「 冬 日 遊 円 融 寺 」『 無 題 詩 』 巻 一 〇・

㆓㆒

の 句 の 二 字 目 は 仄 声 字 が 求 め ら れ る )。 「 浮 命 八 旬 何 震 有、 往 生 九 品 任 南 無 」( 菅

00

命」ははかない命。浮生に殆ど同意で用いているだろう(命は仄声、生は平声、こ 166 ) な ど の よ う に 女 性 や 花( の 美 し さ ) に 用 い る の が 一 般 か。 「 浮

事」 『無題詩』巻一〇・

㆑㆑㆑

巻 三・ 秋 ) と あ り、 「 季 商 景 趣 雖 揺 意、 此 処 幽 閑 興 不 堪 」( 輔 仁 親 王「 山 寺 即

00 ㆓㆒

の こ と。 「 梁 元 帝 纂 要 曰 …… 九 月 季 秋、 亦 曰 暮 秋 末 秋 暮 商 季 商 杪 秋 」( 『 初 学 記 』

00

681 ) と 見 え る。 「 季 商 」 は 晩 秋 九 月

729 )と用いられている。

  頸聯の第五句は、頷聯の前の場面に戻り、夕霧の詠んだ「おなじ野の 露

0

にやつる る 藤袴

00

あはれかけよかごとばかりも」と、玉鬘の返し「たづぬるにはるけき野辺の 露

0

な ら ば う す 紫

0

や か ご と な ら ま し 」( ③

332 頁 7 ~

12行 ) を 念 頭 に 作 ら れ た も の で あ

(5)

るが、第六句は頷聯の柏木・鬚黒の件の後に見える蛍兵部卿宮の和歌「朝日さす光 を 見 て も 玉 笹

00

の 葉 分

00

の 霜

0

を 消 た ず も あ ら な む 」( ③

344 頁

巻上・秋興

㆑㆓㆒㆑㆓㆒

「 踏 露 路 迷 紅 葉 色 、 迎 風 衣 染 紫 蘭 香 」( 藤 原 為 時「 嵯 峨 秋 望 」『 新 撰 朗 詠 集 』

00 ㆓㆒

子 発 於 言 歎 ……」 『 白 氏 文 集 』 巻 五 六 ) な ど と あ る が、 こ こ で は 藤 袴 の こ と。

㆓㆒㆑

其 二『 文 選 』 巻 三 四 )「 秋 月 晩 生 丹 桂 実、 春 風 新 長 紫 蘭 芽 」( 「 予 与 微 之 老 而 無

00

る場面と関わるものである。 「紫蘭」は「 紫蘭 丹椒、施和必節」 (曹植「七啓八首」

00

である。一部前後するが、いずれも出仕の決まった玉鬘に懸想人が手紙を届けてく 11行 ) を 背 景 に 詠 じ た も の

同じ。 207 )と見える。 「玉篠」は美しい笹、 矢 竹 といった竹の類。 「篠」は筱に

やだけ

  尾聯は、玉鬘の出仕の時期が「月立たばなほ参りたまはむこと 忌

いみ

あるべし。 十月

00

ば か り に 」( ③

躬桑 」『菅家文草』巻一)などの例がある。

㆒㆑㆑㆑㆓

李 少 府 曹 長 官 舎 見 贈 」『 白 氏 文 集 』 巻 九 )「 候 節 時 無 誤、 斎 心 採 不 遑 」( 「 賦 得

00 ㆑㆑㆑㆑二

と あ る。 「 不 遑 」 は 余 裕 や ひ ま が な い 意。 「 低 腰 復 斂 手、 心 体 不 遑 安 」( 「 酬

00

(「 古 詩 十 九 首 」 其 一 七『 文 選 』 巻 二 九 ) と 見 え る 張 銑 注 に「 札、 筆 也。 謂 書 也 」

㆓㆒㆓㆒

だ け に は し て い る が )。 「 書 札 」 は 手 紙 の こ と。 「 客 従 遠 方 来、 遺 我 一 書 札 」

00

云う「筆不遑」どころか、殆ど返事をするつもりなどなかったのである(兵部卿宮 彼女自身は読む意志もなく、ただ女房が読むのを聞き流すという状態だから、詩に うに懸想人達の手紙が競うように彼女のもとに寄せられて来た場面を受ける。だが、 338 頁 1 ~ 3 行 ) と 決 め ら れ た こ と と 関 わ り、 既 に 前 聯 で も 触 れ た よ 三十一   柀

まきはしら

柱 〈同九〉

人心反覆眼前在 人心の反覆   眼前に在り 間旧愛新兼不図 旧を 間

へだ

て新を愛すること   兼ねて 図

はか

らず 縦出華亭雖従母 縦

たと

ひ華亭を出で   母に従ふと雖も 断当柀柱勿忘吾 断じて当に 柀

まきばしら

柱 よ   吾を忘るること 勿

なか

るべし 雲霄仙客歌声曙 雲

うんせう

霄 の仙客   歌

うた

ごゑ

の曙 羅綺佳人袖色殊 羅綺の佳人   袖の色の殊なり 井手山吹今已盛 井手の 山

やま

ぶき

  今し已に盛りに 何為濃艶隔中途 何

なん

れぞ濃艶   中途を隔つる 〈七律。図・吾・殊・途(上平声虞韻) 〉

  巻 名 は 第 四 句 に「 柀

まき

はしら

」( 『 紫 明 抄 』 や『 河 海 抄 』 と い っ た 古 注 の 表 記 は こ れ ) として詠まれている。柀は珍しい表記かも知れないが「玉篇云、柀〈音彼。日本紀 私 記 云、 末 木。 今 案、 又 杉 一 名 也。 見

爾 雅 注

〉 木 名。 作

柱 埋

之、 能 不

腐 者 也」 (『和名抄』巻二〇)とあり、杉のこと。この巻は、先ず玉鬘を得て有頂天の鬚 黒 に 対 し( 光 源 氏 や 内 大 臣 の 思 い も 綴 ら れ て は い る が )、 心 を 病 む 彼 の 妻 北 の 方 の 苛立ちと苦悩が描かれる。鬚黒が玉鬘のもとへ出かけようとするや、彼に火取りの 灰をかける場面は殊に印象的なものであろう。彼が北の方を避けるようになり、彼 女の父式部卿宮(紫の上の父でもある)が娘と孫娘を引きとることになる。巻名は その時詠まれた鬚黒の娘(と妻北の方)の歌に見えることによる。宮は光源氏を罵 り、鬚黒にも冷たく対した。鬚黒は玉鬘を出仕させ、彼女の局は清涼殿に近い承香 殿の東面に設けられたが、彼は気がかりでならず、男踏歌の折に退出を促す。その 一方で、蛍兵部卿宮・帝の玉鬘に寄せる思いが描かれ、光源氏も彼女への思いにく れる。そして、話は玉鬘の鬚黒の子出産へと展開している。聯毎に訳すと次のよう になろうか。

  人 の 心 は 手 の ひ ら を 返 す よ う に 変 わ る も の で、 眼 の 前( の こ の 物 語 の 巻 の 中)にございます。古くから連れ添った北の方様に距離を置き、新たな 女

ひと

(玉 鬘)を愛することとなりましたのは以前から意図してのことではございません でしたが……。

  たとえ(これ迄住まわれていた)邸宅を母君に従って出てゆくにいたしまし ても、家の真木柱よ、いつも寄りかかっていた私のことは決して忘れないでね、 とお嬢様(鬚黒の女)は歌にお詠みになり(書きつけ柱の割れ目に押込んだの でござい)ました。

  (男踏歌の時)雲居におられます仙人とも思われます君達、殿上人御一行様 が、 ( 諸 処 を 巡

めぐ

ら れ「 竹 河 」 を ) 謡

うた

わ れ る 明 け 方( の 風 情 は ま こ と に 素 晴 ら し い も の ) で ご ざ い ま す。 ( ど ち ら で も そ う で す が、 殊 に 玉 鬘 様 の と こ ろ で は ) 誰 も が 美 し い 薄 絹 の 衣 の 袖 の 色 重 ね、 そ の 出

いだし

ぎぬ

の 美 し さ は 格 別 な も の が ご ざ いました。

  (光源氏様は三月の山吹が美しく咲いている夕映えの中、歌を玉鬘様にお届 けになりましたが)井手の山吹は已に今を盛りと咲いておりますものの、一体 どうしたことでしょう、その美しい花(のようなあなた)は(私と井手の)中 道により隔てられていることでございます(という内容なのでございました) 。

  首聯は鬚黒大将の寵愛が北の方(式部卿宮女)から玉鬘に移ったというこの巻全

(6)

体 の あ り よ う を 示 し て い よ う。 「 人 心 」 は 人 の 情

こころ

。 白 詩 に も 多 く 見 え、 「 太 行 之 路 能 摧

車、 若 比

人 心

00

是 坦 途 」( 「 太 行 路 」『 白 氏 文 集 』 巻 三 ) と あ り、 「 花 心 不

人心

00

、一落応

再尋

」( 「落花」 『菅家文草』巻五) 「色見えでうつろふ ものは世の中の 人の心

000

の花にぞありける」 (『古今集』

ればそれは国語の用法で、和習表現になろう。 こ こ で は 恐 ら く「 予 」( さ き に、 あ ら か じ め ) の 意 で 用 い ら れ て い る よ う で、 と す

㆓㆒㆓㆒

国「 秋 日 登 天 台 過 故 康 上 人 旧 房 」『 本 朝 麗 簿 』 巻 下 ) は そ の 例。 猶、 「 兼 」 は

㆓㆒㆓㆒㆑

楽 之 至 於 斯 也 」( 『 論 語 』 述 而 )「 此 処 徘 徊 思 往 事 、 不 図 君 去 我 孤 留 」( 藤 原 有

00 ㆑㆓㆒㆑㆓㆒㆑㆑

よ ら な い、 考 え 及 ば な い 意。 「 子 在 斉 聞 韶 楽 、 三 月 不 知 肉 味 。 曰、 不 図 為

00

で、 首 聯 に は 白 詩 新 楽 府 の 表 現 が 大 い に と り 入 れ ら れ て い よ う。 「 不 図 」 は 思 い も

㆑㆑㆔㆓㆒

旧 未 足 悲、 悲 在 君 家 留 両 児 」( 「 母 別 子 」『 白 氏 文 集 』 巻 四 ) を 利 用 し た も の

0 ㆑㆑

ら の 妻 を「 旧 」、 新 し い 妻 を「 新 」 と 詠 む の も、 「 新 人 迎 来 旧 人 棄、 …… 迎 新 棄

00000 ㆓㆒

倹 者 安、 一 凶 一 吉 在 眼 前 」( 「 草 茫 々」 『 白 氏 文 集 』 巻 四 ) と 見 え て い る。 古 く か

000

定まらぬこと、ころころ変わる意。 「眼前」はすぐ眼の前にあることで、 「奢者狼藉

「 反 覆 何 遺 恨、 辛 酸 是 宿 縁 」( 「 叙 意 一 百 韻 」『 菅 家 後 集 』) な ど と あ っ て、 変 化 し

00 ㆑㆑㆑㆑㆓㆒

る。 「反覆」も「行路難、不 在 水、不 在 山、只在 人情反覆 間 」( 「太行路」 )

0000

797 小野小町)などと用いられ   頷聯は、北の方が子らを連れて鬚黒のもとを去ることになった時、娘(真木柱) が日頃身を寄りかけていた家の 東

ひがし

おもて

の柱に巻名にもなる歌を詠む次の条が背景と なっている。

姫 君 は、 殿 い と か な し う し た て ま つ り た ま ふ な ら ひ に、 「 見 た て ま つ ら で は い かでかあらむ、いまなども聞こえで、また逢ひ見ぬやうもこそあれ」と思ほす に、 う つ ぶ し 臥 し て、 え 渡 る ま じ と 思 ほ し た る を、 「 か く 思 し た る な ん、 い と 心憂き」などこしらへきこえたまふ。ただ今も渡りたまはなんと待ちきこえた まへど、かく暮れなむに、まさに動きたまひなんや。常に寄りゐたまふ東面の 柱を人に譲る心地したまふもあはれにて、姫君、桧皮色の紙の重ね、ただいさ さかに書きて、柱の 乾

れたるはさまに、 笄

かうがい

の先して押し入れたまふ。

  (姫)今はとて 宿

0

0

れぬとも

0000

馴れきつる 真木の柱はわれを忘るな

000000000000

えも書きやらで泣きたまふ。 (③

373 頁

1~

13行)

  「華亭」は故郷の家という程の意。晋の陸機が処刑される時に、昔栖んでいた郷 里の華亭(呉の松江県の西方)の地を懐かしく想起し、あの鶴の鳴き声ももう聞け な い の だ な と 嘆 い た 故 事 に よ る。 「 辞

郷 遠 隔 華 亭

00

水、 逐

我 来 棲 緱 嶺 雲 」( 「 有

双 鶴

留 在

洛 中

忽 見

劉 郎 中

依 然 鳴 顧 ……」 『 白 氏 文 集 』 巻 五 五 )「 欲

豊 嶺 鐘 声

否、 其

奈 華 亭

00

鶴 警

何 」( 兼 明 親 王「 夜 月 似

秋 霜

」『 和 漢 朗 詠 集 』 巻 上・ 月

今六帖』三五九五)は「忘吾」の類型パターン。 覧」 『万葉集』巻一七) 「紅のあさはののだに刈る草のつかの間も 我を忘るな 」( 『古

00000 ㆑㆑㆓㆒㆔㆓㆒

文 集 』 巻 六 二 )「 縦 酔 陶 心 忘 彼 我 、 酩 酊 無 処 不 淹 留 」( 大 伴 池 主「 晩 春 遊

000 ㆑㆑㆑㆑㆓㆒

の意。 「世若未 忘 我 、雖 退身難 蔵」 (「詠興五首」其三「池上有 小舟 」『白氏

00

256 ) な ど よ く 用 い ら れ る 故 事。 「 断 当 」 は 和 習 表 現 で、 決 し て ~ す べ き で は な い ぞ、

  頸聯は次の男踏歌の場面を詠んだものである。

踏歌は方々に里人参り、さまことにけににぎははしき見物なれば、 誰も誰もき

00000

よらを尽くし

000000

、 袖口の重なりこちたくめでたくととのへたまふ

000000000000000000000

。……朱雀院よ り帰り参りて、春宮の御方々めぐるほどに夜明けぬ。 ほのぼのとをかしき 朝ぼらけ

0000

、いたく酔ひ乱れたるさまして、 竹河うたひける

0000000

ほどを見れば、内の大殿の 君達

00

は四五人ばかり、 殿上人

000

の中に 声すぐれ

0000

、 容

かたち

貌 きよげにうちつづきたまへる、いとめでたし。……やむごとなくまじらひ馴れ たまへる御方々よりも、 この御局の袖口

0000000

、 おほかたのけはひいまめかしう

00000000000000

、 同

0

じものの色あひ重なりなれど

0000000000000

、 ものよりことに

0000000

はなやかなり。 (③

382 頁

5行~

383 頁

6行)

  猶、 男 踏 歌 の 描 写 は 初 音 巻( ③

158 頁

5行 ~

160 頁

㆒㆓㆒㆑

巷 隔 恩 光 」( 藤 原 茂 明「 八 月 十 五 夜 翫 月 」『 無 題 詩 』 巻 三・

㆓㆒㆓㆒㆓㆒㆓

摧 」( 「 酬 盧 秘 書 二 十 韻 」『 白 氏 文 集 』 巻 一 五 )「 昔 侍 雲 霄 携 冷 影 、 今 沈 塵

00

は 雲 居 の 空。 こ こ で は 宮 中( や 高 貴 の 人 ) を 暗 に 指 す。 「 雲 霄 高 暫 致、 毛 羽 弱 先

00

2行 ) に も 見 え て い る。 「 雲 霄 」

㆑㆓

転 じ て 高 位 高 官 の 人 を 指 す。 貴 公 子 を 婿 に 迎 え た 父 母 が 彼 を「 父 母 敬 之 如 神

00 ㆑㆓㆒

謡 」( 「 呉 秘 監 毎 有 美 酒 独 酌 独 酔 ……」 『 白 氏 文 集 』 巻 六 六 ) と あ り、 仙 界 の 人、

㆓㆒㆑

に 昇 る 意 や 宮 中 に 在 る こ と を 言 う。 「 仙 客 」 は「 蓬 山 仙 客 下 煙 霄 、 対 酒 唯 吟 独 酌

00

136 ) は、 高 位 高 官 仙

0

」( 紀 長 谷 雄「 貧 女 吟 」『 本 朝 文 粋 』 巻 一・

㆑㆑㆓

(「霓裳羽衣歌」 『白氏文集』巻五一) 「管絃声裏啼求 友、 羅綺 花間入得 群」 (「賦

00 ㆑㆑㆓㆒㆓㆒

綺 」 は 薄 物 の あ や ぎ ぬ。 綺 羅 に 同 じ。 「 娉 婷 似 不 任 羅 綺 、 顧 聴 楽 懸 行 復 止 」

00

こ で は 催 馬 楽 の 謡 物 で あ る「 竹 河 」 を 唱 う 声 で あ る こ と は 前 掲 本 文 の 通 り。 「 羅 掲 文 の よ う に、 男 踏 歌 で 貴 公 子 達 が 諸 所 を 巡 る 様 子 を 表 現 し て い る。 「 歌 声 」 は こ 見かけが世俗には存在しえないような素晴らしさだったからである。ここでは、前 18) に も て な し た と い う 例 も あ る。

(7)

鴬 出

㆒㆑

谷 」『 菅 家 文 草 』 巻 六 ) な ど 美 女 の 装 い に 用 い る。 「 佳 人 」 は「 昔 教

紅 袖 佳

0

0

、 今 遣

青 衫 司 馬 愁

」( 「 微 之 到

通 州

日 授

館 未

安 ……」 『 白 氏 文 集 』 巻 一 五 )「 妖 艶 佳 人

00

望 已 断、 為 因

聖 主

水 亭 傍 」( 良 岑 安 世「 九 月 九 日 侍

宴 神 泉 苑

……」 『 凌 雲 集 』) な ど と あ り、 美 女 を 指 し、 「 袖 色 」 は そ の 衣 装 の 袖 の 色 重 ね を 言 う。

  尾聯は、巻の終盤に近く、光源氏が玉鬘に手紙を認めた時の和歌「思はずに 井手

00

の な か 道

0000

へ だ つ と も い は で ぞ 恋 ふ る 山 吹 の 花

0000

」( ③

394 頁

7~

の 木 津 川( 昔 は 泉 川 と 言 っ た ) 方 面 に 眺 め や ら れ る 対 岸 の 地 で、 「 か は づ 鳴 く 井 手

00

の京都府綴喜郡井手町あたりとされる。同志社女子大学京田辺キャンパスから東方 に 仕 立 て た も の で あ り、 そ の 返 歌 は 鬚 黒 が 詠 み 代 筆 し た の で あ っ た。 「 井 手 」 は 今 8行 ) に 関 わ っ て 詩 句 の山吹

000

散りにけり花のさかりにあはましものを」 (『古今集』

㆓㆒

原 文 時「 花 光 浮 水 上 詩 序 」『 和 漢 朗 詠 集 』 巻 上・ 花

㆑㆑

や や か で 美 し い 様、 こ ま や か な 美 し い 色。 「 誰 謂 水 無 心、 濃 艶 臨 兮 波 変 色 」( 菅

00 ㆑㆑㆑

何 為 寸 歩 出 門 行 」( 「 不 出 門 」『 菅 家 後 集 』) な ど の 例 が あ る。 「 濃 艶 」 は 花 の つ

00 ㆑㆑㆔㆓㆒

気、 鬱 々 不 得 舒 」( 「 続 古 詩 十 首 」 其 八『 白 氏 文 集 』 巻 二 )「 此 地 雖 身 無 検 繋 、 山吹花」 (『和名抄』巻二〇)とある。 「何為」は一体どうしてか、の意。 「 何為 腸中

00

欵 冬、 一 名 虎 鬚〈 一 本 冬 作 東 也。 和 名、 夜 末 不 々 木。 一 云、 夜 末 布 木 〉 万 葉 集 云、   ら 詠 わ れ、 山 吹 の 名 所 と し て 知 ら れ て い た。 「 山 吹 」 は 和 名 表 記 で「 欵 冬 本 草 云、 125 読人不知)と古くか から、和習的表現と言うべきか。 れ る。 「 中 途 」 は 歌 の「 井 手 の な か 道 」 を ふ ま え る が、 仲 を 隔 て る 道 の 意 で も あ る

000

117 ) な ど 本 朝 で は よ く 用 い ら 三十二   梅枝

百歩侍従焼厥香 百

ひやく

  侍従   厥

の香を 焼

く 浅深互論挍芬芳 浅深   互ひに論じて   芬芳を 挍

くら

ぶ 梅花東対春薫物 梅花は   東

ひんがし

の対の春の 薫

たき

もの

荷葉本来夏御方 荷葉は   本

もと

より

  夏の御方 延喜撰歌添玉色 延喜の撰歌   玉の色を添へ 弘仁宸筆耀燈光 弘仁の宸筆   燈光に 耀

かがや

かす 兎園手跡三行字 兎園の手跡   三行の字 感涙忽零心更傷 感涙   忽

には

かに零ちて   心更に傷む 〈七律。香・芳・方・光・傷(下平声陽韻) 〉   第 一 句 に も 押 韻 す る。 巻 名 は 薫 物 合 せ 後 の 月 下 の 宴 で、 「 弁 少 将 拍 子 と り て、 梅

0

が 枝

00

出 だ し た る ほ ど、 い と を か し 」( ③

410 頁

14~

きほど」 (③ 梅花香を指している。薫物合せ当日は「御前近き紅梅盛りに、色も香も似るものな ら採ったものである。漢詩には第三句に「梅花」として詠込まれているが、それは 15行 ) と あ り、 催 馬 楽 の 詞 章 名 か

405 頁

7~

8行)で、

「前斎院(朝顔の姫君)よりとて、散りすきたる梅 の 枝 に つ け た る 御 文 」( ③

405 頁

12~

の書美論を反映したものとなっている。聯毎に訳を付してみたい。 の巻へのつながりをもたせるものである。猶、漢詩は前半が薫物合せ、後半が仮名 書美論を開陳しているのが注目される。その後の夕霧と雲居の雁の章は次の藤裏葉 入内を前に光源氏がその調度品を準備する条となり、多くの仮名書の論評が窺え、 翌日の明石の姫君の裳着、二十余日の東宮の元服へと続く。そして、四月の姫君の る花は梅なので、この表記を用いたのであろう。この巻は、二月十日の薫物合せと 13行 ) も 届 け ら れ て お り、 こ の 場 面 で 基 調 と な   (光源氏様により薫物合せが行われ)百歩や侍従といった香を 薫

きまして、 そ の 味 わ い の 深 さ 浅 さ を 互 い に と り 挙 げ、 ( 蛍 兵 部 卿 宮 様 は ) 香 り を く ら べ あ れこれ評価なさったのでございます。

  梅花香は東の対(にお住まいの紫の上様)の春にふさわしい香りでございま したし、夏の御方(の花散里様)はもとより夏にふさわしい荷葉香を調合され た(のですがそれはしめやかな香りで懐かしいも)のでございました。

  (光源氏様はまた、明石の姫君の入内の準備を進める中で、仮名の手本など 様 々 に お 選 び に な り ま し た が ) 蛍 兵 部 卿 宮 様 が お と り よ せ に な っ た 延 喜 の 帝 ( 醍 醐 帝 ) の『 古 今 和 歌 集 』 の 玉 の 軸 に 添 え て、 弘 仁 の 帝( 嵯 峨 帝 ) の( 古 万 葉集の)御自筆も加え、お二人は明るい燈火の下に御覧になるのでございまし た。

  親王(蛍兵部卿宮)様のお書きになられた書は(古歌を選んで一首毎に)三 行 に 書 い た も の で ご ざ い ま し た が、 ( 光 源 氏 様 の 書 も す ば ら し い も の で、 宮 様 が ) に わ か に 感 涙 を 落 と さ れ、 ( 物 語 を 読 む 者 も ) 一 入 し み じ み と 感 動 さ せ ら れるのでございました。

  首 聯 は、 光 源 氏 が 蛍 兵 部 卿 宮 に 薫 物 合 せ の 判 定 役 を 依 頼 し て、 「 人 々 の 心 々 に 合 は せ た ま へ る、 深 さ 浅 さ を 嗅 ぎ 合 は せ た ま へ る

00000000000000

に、 い と 興 あ る こ と 多 か り 」( ③

408

14~

15行 ) と 多 く の 方 々 の 調 合 し た 香 を あ れ こ れ 論 評 す る 条 を 背 景 と し、 「 侍 従

00

は、大臣の 御

おほむ

は、すぐれてなまめかしうなつかしき香なりと定めたまふ」 (③

409 頁

(8)

2~

3行)や、明石の君のところでは「

百歩

00

の方など思ひえて、世に似ずなまめか しさをとり集め」 (③

409 頁

13~

14行)とある表現がふまえられている。従って、

「百 歩 」 と「 侍 従 」 は 香 名 で あ る。 ま た、 「 浅 深 」 は こ こ で は 嗅 覚 に 関 わ る 語 で あ る。 一 般 に は「 花 含

春 意

分 別

、 物 感

人 情

浅 深

00

」( 「 西 省 対

花 ……」 『 白 氏 文 集 』 巻 一 九 )「 煙 霞 遠 近 応

同 戸

、 桃 李 浅 深

00

盃 」( 菅 原 道 真「 花 時 天 似

酔 」『 和 漢 朗 詠 集 』 巻 上・ 三 月 三 日 付 桃

㆓㆒㆑㆓㆒㆑

非 唯 織 色 織 芬 芳 」( 源 英 明「 落 花 散 如 錦 」『 和 漢 朗 詠 集 』 巻 上・ 花

00 ㆓㆒㆑㆓㆒

争 芬 芳 、 採 菊 競 葳 蕤 」( 鮑 照「 夢 還 詩 」『 玉 台 新 詠 』 巻 四 )「 始 識 春 風 機 上 巧、

00

い る 意 を 込 め よ う と し た も の か も 知 れ な い。 「 芬 芳 」 は か お り の こ と で、 「 刈 蘭 一人が判定役で論評している。或は「互」にはあれこれと香をいろいろ採り挙げて 覚 的 な 色 彩 の 濃 淡 に 用 い る 例 が 多 い。 「 互 論 」 と あ る が、 物 語 で は 実 質 蛍 兵 部 卿 宮 40) な ど と あ る よ う に、 人 の 心 の 深 浅 や 視

とある。 121 ) な ど

  頷聯も首聯とほぼ同じ場面を背景とし、 「対の上の 御

おほむ

は、三種ある中に、 梅花

00

は な や か に い ま め か し う、 す こ し は や き 心 し ら ひ を 添 へ て、 め づ ら し き 薫 り 加 は れ り」 (③

409 頁

3~

5行)とある紫の上の春の梅花香と、

「夏の御方には……ただ 荷葉

00

を 一 種 合 は せ た ま へ り 」( ③

409 頁

7~

条を詩句に詠んだもの。 9行 ) と 花 散 里 の 夏 向 き の 荷 葉 香 を 採 挙 げ た   頸 聯 は、 仮 名 手 本 の 書 美 論 を 展 開 す る 条 で、 蛍 兵 部 卿 宮 に よ り 提 供 さ れ た、 「 嵯

0

峨 帝

00

の、 古 万 葉 集 を 選 び 書 か せ た ま へ る 四 巻、 延 喜 帝

000

の、 古 今 和 歌 集 を、 唐 の 浅

あさ

はなだ

の 紙 を 継 ぎ て、 同 じ 色 の 濃 き 紋 の 綺 の 表 紙、 同 じ き 玉 の 軸

000

、 緂

だん

の 唐 組 の 紐 な ど なまめかしうて、巻ごとに御手の筋を変へつつ、いみじう書き尽くさせたまへる、 大 殿 油 み じ か く ま ゐ り て 御 覧 ず る

000000000000000

に 」( ③

421 頁

9~

む。 「宸筆」は天皇御直筆の意。 14行 ) と あ る 部 分 を ふ ま え て 詠   尾聯は、頸聯の背景の少し前に戻り、蛍兵部卿宮の書を光源氏が御覧になる場面、 「 い と い た う 筆 澄 み た る け し き あ り て、 書 き な し た ま へ り。 歌 も こ と さ ら め き、 側 み た る 古 言 ど も を 選 り て、 た だ 三

くだり

ば か り に、 文 字 少 な に 好 ま し く ぞ 書 き た ま へ る、 大 臣 御 覧 じ 驚 き ぬ 」( ③

419 頁

4~

見 た ま ふ 人 の 涙 さ へ 水 茎 に 流 れ そ ふ 心 地 し て、 飽 く 世 あ る ま じ き に 」( ③

0

「 お ほ ど か な る 女 手 の、 う る は し う 心 と ど め て 書 き た ま へ る、 た と ふ べ き 方 な し。 7行 ) と、 逆 に 宮 が 光 源 氏 の 見 事 な 書 を 見 て

420 頁

1~

也 」 と 見 え る よ う に、 梁 の 孝 王 の 宴 遊 の 場 で あ る。 彼 は 漢 の 文 帝 の 子、 即 ち 皇 子

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に「漢書曰、梁孝王、文帝子也。西京雑記曰、梁孝王好 宮室苑囿之楽 、築 兎園

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王不 悦、游 於 兎園 、廼置 旨酒 、命 賓友 召 鄒生 延 枚叟 」とあり、李善注

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3行 ) と 思 っ た 条 を ふ ま え る。 「 兎 園 」 は 謝 恵 連「 雪 賦 」( 『 文 選 』 巻 一 三 ) に「 梁 文粋』巻八・

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鶏籠之山欲 曙」 (紀斉名「仲秋陪 中書大王 書閣 同賦 望 月遠情多 詩序」 『本朝

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( 親 王 ) で あ っ た こ と か ら、 本 朝 で は「 酒 軍 在 座、 兎 園 之 露 未 晞、 僕 夫 待 衢、

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205 『新撰朗詠集』巻下・酒

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の で 用 い ら れ て い る わ け で あ る。 「 手 跡 」 は 筆 跡 の こ と。 「 至 今 鉄 鉢 在、 当 底 手

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る。蛍兵部卿宮(宮・親王とも記される)は桐壺院の子(光源氏とは兄弟)になる 443 )のように、親王やその邸宅の意で用い 跡

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穿 」( 「 遊

悟 真 寺

」『 白 氏 文 集 』 巻 六 ) は 文 字 通 り 手 の あ と だ が、 「 以

手 跡

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方国

者、皆一札十行、細書成

文」 (『後漢書』巻七六・循吏列伝序分)ともあ り、 書 か れ た も の で も あ る。 「 感 涙 」 は 感 動 の あ ま り 流 す 涙。 「 初 逢

魚 水

恩 波 濁、 共見

駿河

感涙

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流」 (「桜島忠信落書」 『本朝文粋』巻一二・

388 )は一例。

  こ の 詩 は 物 語 本 文 の 用 字 を よ く 取 込 ん で 和 習 的 で あ る が、 「 兎 園 」 を 親 王 と 結 び つけて表現している『本朝文粋』の用法、即ち平安朝詩文の措辞を継承していると ころなどは興味深い(もっともこの詩のみのことではないが) 。

三十三   藤裏葉 極楽寺中蕭索地 極楽寺の 中

うち

  蕭索たる地 斎筵只見欲消霞 斎筵には 只

だ見る   消えんとする霞 藤招嘉客黄昏艶 藤は嘉賓を招く   黄昏の艶 菊喩貴臣玉律花 菊は貴臣を喩ふ   玉律の花 二葉松陰蘿始合 二

ふた

の松の陰に   蘿

つた

始めて合ひ 一村薄下草猶加 一

ひと

むら

の 薄

すすき

の下に   草猶し加ふ 金鑾促処舟浮水 金鑾促す処   舟もて水に浮かべ 奏賀王恩日漸斜 賀王恩を奏すれば   日も漸く斜めなり 〈七律。霞・花・加・斜(下平声麻韻) 〉

  巻 名 は 第 三・ 五 句 に「 藤 」「 葉 」 と し て 詠 込 ま れ て い る。 こ の 巻 は、 夕 霧 と 雲 居 雁とその父内大臣の拗れた関係が修復され、二人の結婚が成立する過程から、明石 の姫君の入内へと展開し、光源氏の四十賀の準備や、彼の准太上天皇、内大臣の太 政大臣、夕霧の中納言への昇進が語られ、十月下旬には冷泉帝が朱雀院と共に光源 氏の六条院に行幸されて宴が催されるという、光源氏の栄華の極みが描かれ、物語 第一部の掉尾を飾るものとなっている。聯毎に訳すと以下のようになるだろうか。

  (三月二十日、内大臣の母故大宮の一周忌が営まれました)極楽寺は(法会

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