は じ め に
国家による権利侵害の合憲性審査は、日本に おいてもドイツにおいても、問題となっている 利益がそもそも権利として保障されているのか という審査、いわゆる保護領域の審査から始ま る。本稿は日本国憲法(以下、憲法)13条、ま たボン基本法(以下、基本法)2条1項などの いわゆる「包括的基本権条項」の適用場面につ いて検討するものである。個別の基本権の保護 領域の審査を行うのか、憲法13条や基本法2条 1項の保護領域の審査を行うのかという問題に ついて検討する。以下ではまず、これまでの3 段階審査ではなく、 4
段階でのより細かい審査 を行うべきとの議論と、基本法2条1項の補充 的適用に関する議論とを、ベッケンフェルデ、
ヴァール、カールの議論を紹介することで簡単 に概観する。そして、包括的基本権条項の適用 場面に関する日独両国の議論を参照した後に、
若干の考察を行いたい。
1. 3段階審査から4段階審査へ?
これまでドイツでは3段階で基本権審査が行 われていると理解されているが、近年ではそれ
をさらに細分化すべきとの主張がある。基本法 2条1項の補充的な適用とも密接に関連する問 題であり、以下ではこの点に関するヴァールと 近年のベッケンフェルデの議論を簡単に見てお きたい。
ベッケンフェルデは1)、ドイツの通説的な立 場が主張する広い保護領域論を批判する。その 理論の欠点として、自由の利用が衝突を導くこ と、法律の留保のない基本権の場合、立法者に よる解決にとって困難が生じること、などを挙 げる2)。このような批判をした上でベッケン フェルデは、通説的に保護領域と侵害という形 で二分的に考えるのではなく、①事実・生活領 域、②保障内容、③基本権の侵害・制約という 三分的に考えるべきとしている3)。このような 構造に基づき、信教の自由、学問・研究の自由 について、いずれもその保障内容を発生史的な 観点から狭く捉えるべきと主張している4)。
また、ヴァールはそれ以前に、この点に関す る論文を発表している。そこにおいてヴァール もベッケンフェルデと同様に二分的な審査方法 を否定し、三分的な分析が必要であるとしてい る。そこでは基本権の対象領域と保障内容とが
憲法13条の適用場面について
實 原 隆 志
要 旨
ベッケンフェルデは2003年に執筆した論文において、基本権の「保護領域」の審査をより詳しく行う べきと述べている。ベッケンフェルデとヴァールは基本権の保護領域を詳しく審査し、保護領域から排 除されたものは基本法2条1項によって保障すべきと述べる。これに対しカールはそれぞれの基本権の 保護領域を広く捉え、基本法2条1項を適用せずに問題を処理すべきと述べている。本稿では彼らの議論 を中心に、ドイツの議論を参照しながら、基本権の保護領域の問題に限らず様々な問題について検討する。
キーワード
基本権、保障内容、人格の自由な発展
区別され、違憲審査を①基本権の対象領域の確 定、②基本権の保障内容の確定、③基本権の制 約、という三段階で行うべきとされている。こ のような区別に基づいて、芸術の自由や学問の 自由の保障内容を発生史的な観点からより限定 的に理解すべきと主張している5)。ベッケン フェルデが2003年論文において頻繁にヴァール の議論を紹介していること、またヴァールがこ の論文の注部分において、「長い間のベッケン フェルデとの議論で刺激を受けた」としている ことなどから6)、この点のヴァールの議論は ベッケンフェルデの議論と密接に関連している ことが分かる。
上で見たベッケンフェルデとヴァールの主張 は、基本法4条以下で個別に列挙されている、
いわゆる「特別の基本権」の登場場面をできる だけ少なくしようとするものと言ってよいだろ う。国による処分や立法の合憲性を審査する際 に、事実・生活領域への侵害を簡単に基本権の
「保障内容」への侵害とするのではなく、その保 障内容を、特に歴史的意義の観点から慎重に吟 味し、その上ではじめて保障内容への侵害の有 無以降の審査に進むべきだと主張するのであ る。ベッケンフェルデはこのような審査を「三 分的」としているが、ドイツにおける合憲性審 査が、
保護領域に含まれるかどうか、基本 権への侵害があるかどうか、その侵害の正当 化、という3段階で行われてきたことからすれ ば、ここで提唱されている審査は、保護領域 に含まれるかどうかの審査をさらに二つに分け ているという点で、4段階審査と考えることが できる7)。
2. 基本法2条1項の補充的適用
ベッケンフェルデやヴァールはこのように基 本権の保障内容を限定的に理解しているが、
ベッケンフェルデ自身、個別の基本権の保障内 容に該当しない事例が増えるという批判を、同 じ論文内においてあらかじめ予想し、それに対 する返答を行っている。筆者が以前から基本法
2条1項について研究してきたという個人的な 事情からではあるが、以下ではベッケンフェル デが予想される批判に対する返答として挙げる 三つの論点のうち、基本法2条1項の補充的な 適用について見ていくことにしたい。また、
ベッケンフェルデがあらかじめ行った返答に対 しては、カールが強く批判している。以下では この点に関するベッケンフェルデとカールの主 張を簡単に見ておきたい。
ベッケンフェルデは自身の議論への批判とし て三つのものを予想しているが、そのうち三つ 目が、保障内容に含まれないとされた自由の領 域・活動が基本権保護から完全に排除されるの ではないか、という批判である。しかし、個別 の基本権の保障内容に含まれない行為態様や自 由 の 領 域 が 全 く 保 護 さ れ な く な る わ け で は なく、この場合には「受け止め(る)基本権
(Auffangsgrundrecht)」という意味での基本 法2条1項、一般的行為自由が力になると反論 している8)。
このようにベッケンフェルデは個別の基本権 の「保障内容」の範囲を限定的に捉え、個別の 基本権の「保障内容」に含まれない部分につい ては基本法2条1項を補充的に適用すること で、予想される批判に対処しようとするのだ が、このいわゆる「基本法2条1項の補充機能
((Schutz )Erg
nzungsfunktion)」の問題に ついては、それ以前にもカールが詳しく論じて いる。
カールは2000年論文において、簡単に基本法 2条1項を適用してしまうと基本権の「均質 化」を生じること9)、また広い制約可能性の下に ある基本法2条1項の権利は「弱い」自由権で あることなどから、基本法2条1項の補充的な 適用が可能な場面を限定的に理解すべきとして いる10)。そして、基本法2条1項を適用できる 条件を厳しくした上で、基本法2条1項を適用 する場合には一般的行為自由として広く理解す べきとしている。その後のベッケンフェルデの 2003年論文に対しては、その後の論文におい
て11)、基本法2条1項のような一般規範が酷使 されるのではないか、と批判している12)。
このようにしてカールは、特別の基本権の保 護領域13) を広く捉え、基本法2条1項の適用場 面をできるだけ限定し、基本法2条1項を適用 する場合には、その保護領域を広く理解すべき とするのである。
3. 包括的基本権条項の適用場面に関する議論
ここまではベッケンフェルデ、ヴァール、カールの議論を個別に見てきたが、彼らの議論 は権利侵害について適用すべきなのは特別の基 本権なのか、それとも基本法2条1項なのか、
という点に関するものと見ることができるだろ う。ここからは合憲性審査の際に、個別の基本 権と憲法13条や基本法2条1項といった「包括 的基本権条項」のどちらに関する審査として主 張すればよいかについて、ドイツ、日本の順で もう少し一般的な視点から見ていく。
ドイツの議論
基本法2条1項は 「人格の自由な発展の権 利」を保障するものとして日本でも広く知られ るに至っているが、ドイツにおいてはこの基本 法2条1項が適用されるのは個別の自由権の適 用が不可能な場合のみであるという点で、学説 はほぼ一致している14)15)。しかし、基本法2条 1項を適用すべきかどうかが争われることは少 なくない。基本法2条1項を適用すべきとされ ているものとして、契約の自由16)、公法上の社 団への強制加入からの自由17)、外国旅行の自 由18) を挙げることができるが、他方で特別の基 本権の保護領域が広く捉えられている(=基本 法2条1項の適用が否定されている)ものとし て基本法8条1項や同9条3項、「住居の秘密」
に関する基本法13条19)を挙げることができる。
名誉権との関係でその保護の強さについての議 論が行われているものの20)、拡張的に解釈され るのが一般的な基本法5条1項(意見表明の自 由)の場合の「意見」も21)、そのようなものに
含めることができるだろう。このように見る と、ドイツにおいては特別の基本権の保障内容 をどの程度広く捉えるかについては、はっきり とした傾向がないように思われる。
また基本法2条1項については、「一般的行 為自由」として広い意味で解釈すべきとするの が判例・通説である22)。
日本の議論
日本においても、憲法13条は個別の人権が妥 当しない場合に限って適用されると説明される ことが多い(補充的保障説)23)。憲法13条につい ては狭い意味で理解する立場が有力であるが24)、 個別の権利の保護領域についてはドイツと比べ ると広く理解される傾向が強いように思われ る。そのようなものとして結社の自由25)、外国 旅行の自由26) を挙げることができる。また、契 約の自由に関しては、選択された職業を遂行す る「営業の自由」としての職業選択の自由27)、 財産権の保障28) を挙げることができる。
他方、憲法13条に関わる問題とされたものと して、丸刈り校則に関する「髪型の自由」があ る29)。さらに、憲法13条を適用すべきとするの が少数説にとどまっているものとして、行政上 の適正手続を受ける権利30)、外国旅行の自由、
表現活動を目的とせず個人間の交流を目的とす る結社31) などを挙げることができるが32)、日本 においては、違憲審査の際にはできるだけ個別 の権利規定を適用しようとするのが一般的であ ると言えるだろう。
このような個別の権利規定の解釈や憲法13条 の解釈などからは、日本においては問題に対し てできるだけ個別の権利規定を適用することで 対処し、個別の権利規定以外での救済はあくま で例外的なものと考えられるのが一般的である ように思われる。
小括以上のことから、日本とドイツの学説を比較 してみると、まず、ドイツにおいては違憲審査
の際に個別の基本権規定を適用するのか、基本 法2条1項を適用するのかについての基準があ いまいなように思われるが、日本においてはで きるだけ個別の権利規定を適用しようとする傾 向が強いという点にドイツにおける議論との違 いを見ることができる。しかし両国の議論は、
基本法2条1項や憲法13条は個別の基本権規定 が適用されない場合にはじめて適用されるとし ている点では共通している。
4. 若干の検討
これまで述べてきたことから思いつくいくつ かのことについて言及しておきたい。
保護領域の細分化
本稿ではこの点について深く追求できなかっ たが、簡単な言及を行っておきたい。ドイツに おいて合憲性の審査は①基本権の保護領域該当 性、②基本権の侵害の有無、③その侵害の正当 性、という三段階で行うとされるのが一般的で ある33)。本稿で紹介したベッケンフェルデらの 議論はこのうち第一段階の審査に関するもので あり、そこでの審査をより詳細に行うべきとす るものであった。この第一段階の審査を「規律 領域」と「保護領域」の審査に分けるべきであ るという主張も他にあり34)、この点に関する議 論は最近でも新たな展開を見せている35)。ま た、これまで基本権の保護領域該当性の審査と されてきた段階をさらに区別するかどうかは別 にしても、第一段階の審査をより限定的に行う べきではないかという問題は、ドイツにおいて は「基本権構成要件」の問題として扱われてき た分野であり36)、日本においても「質的限定論」
と「量的拡張論」の争いとして扱われてきた問 題である37)。このように考えると、本稿で紹介 したベッケンフェルデの議論は、これまで行わ れてきた議論の延長線上にあり、現在でも意義 のあるものと考えられる38)。しかし、この点に ついての検討は次の課題としたい。
基本権の「均質化」の問題〜カールの批
判について上で見たように、個別の基本権の保障内容に 含まれない行為・利益を基本法2条1項で受け 止めようとするベッケンフェルデの議論に対し て、基本法2条1項を簡単に適用すべきではな いとするのがカールの批判であった。ここでは このカールの批判について検討する。
カールのように、基本法2条1項を簡単に適 用すべきではないと主張する者は少なくない が39)、カールが批判するようにベッケンフェル デが、多くの問題を基本法2条1項を(簡単に)
適用することで解決すべきと主張しているのか が問題になる。
ベッケンフェルデは憲法を「枠秩序」と理解 し、抽象的な基本権規定から何らかの結論を導 く際には、「自由主義的基本権理論」を前提とす べきであるとしている40)。そして「基本権の価 値理論」に対して強い批判を行う一方で41)、立 法者の法形成機能を重視し、裁判所が積極的に 問題解決に乗り出すことには批判的である。
このように、ベッケンフェルデが裁判所によ る「決断主義」的な問題解決に批判的であるこ とを考えると、ベッケンフェルデは基本法2条 1項を簡単に適用しようとしていると推測する のには少し無理があるように思われる。という のも、基本法2条1項の適用範囲を広く理解す れば、憲法裁判所の裁判官による解釈・適用と いう作業の重要性が高まり、その結果連邦憲法 裁判所裁判官の事実上の権限は拡張するはずだ からである。裁判所の事実上の権限に関する ベッケンフェルデの理論が基本法2条1項につ いて直接言及するものではないとしても、基本 法2条1項を簡単に適用することで予想される このような状況は、ベッケンフェルデの「自由 主義的基本権理論」とは整合しがたいように思 われる。以上のように考えると、カールによる ベッケンフェルデ批判は「空振り」に終わる可 能性が高いのではないだろうか。
個別の基本権の保障内容と「受け止める
基本権」の保障内容の関係ベッケンフェルデが個別の基本権の保障内容 を限定的に理解し、その上で基本法2条1項の 保障内容も限定的に理解するのではないかと想 定した場合、個別の基本権保障の内容と包括的 基本権の保障内容の関係について、大きく2つ の立場に分けることができ、さらにそれぞれに ついて二つの立場に分けることができるのでは ないだろうか。以下ではこの点について検討す る。
まず①個別の基本権の保障内容と包括的基本 権の保障内容を対応させる立場がある。この立 場はさらに
両者の保障内容をともに広く理解 する立場と、両者の保障内容をともに狭く理 解する立場とに分けることができる。前者の立 場としてカールやエリクセンを挙げることがで き、ベッケンフェルデはおそらく後者の立場に 立つのではないか。他方で、②両者を対応させ ない立場もある。この立場も個別の基本権の 保障内容を広く理解しながら、包括的基本権の 保障内容は狭く理解する立場と、個別の基本 権の保障内容を狭く理解する一方で、包括的基 本権の保障内容は広く理解する立場、とがあり うる。前者の立場にはヘッセを含めることがで きると思われる42)。そして、ドイツにおいては「一般的行為自由説」が通説となっていること から、後者の立場が主張されてもそれほど不自 然ではないはずだが、後者の立場に立つとする 論者は筆者の見るところいない。
他方、日本においては、憲法13条の幸福追求 権の保護領域を狭く理解する立場が有力であ り、個別の権利については広く理解される傾向 があるという学説状況から、上での分類の中で は、②両者を対応させず、個別の権利の保障 内容を広く捉え、包括的基本権の保障内容は狭 く捉える立場が一般的であると整理できると思 われる。他方で、両者を対応させる立場もあ る。「およそ表現とみなしうるものであればな んでも憲法上の『表現』だとする立場と、表現
の自由を保障する意義などを理由として、憲法 上の『表現』に一定の限定を加える立場があり うる。第一三条について人格的利益説を採るの であれば、当然に後者でなければならない」と の立場がそれである43)。
まず両者の対応関係について検討すると一般 的な理解に従って、個別の権利は歴史的に特に 危機にさらされてきたものを保障したものであ り、包括的基本権は社会の変化に対応するため に保障されたものと理解した場合44)、一方の保 障内容を広く(狭く)理解したからといって、
他方の保障内容も広く(狭く)理解すべきとい うのは、決して必然的ではないだろう。両者の 権利には異なる意義があるとすれば、その保障 内容の広さが異なるということは考えられる。
以下では、それぞれの立場の利点と欠点につい て簡単に検討したい。
まず①の
の立場、つまり両者の基本権の保 護領域をともに広く理解する場合には、様々な 基本権の侵害の可能性を広く認めることによっ て、基本権の侵害が主張しやすくなるという利 点があると思われる。他方で、個別の基本権の 保護領域を広く理解する場合には、補充的に包 括的基本権を援用すべき場面がどれほど残るの かという疑問がありうる。個別の基本権の保障 内容から漏れてしまい、なおかつ救済の必要が ある場合には躊躇なく包括的基本権を援用すべ きと主張するのだとしても、このような主張は 一般的な「一般的(行為)自由説」とは異なる ものではないか。また、複数の基本権を同時に 援用することも考えられるが、それが必ずしも その保護の拡大を意味するとは限らないことに も注意が必要だろう45)。次に①の
の立場、つまり両者の基本権の保 障内容をともに狭く理解する場合には、新しい「人権」侵害に対応するのは個別の基本権でも、
包括的基本権でもないということになる。そこ で重要な役割を担うのは裁判所ではなく、議会 ということになるだろう。ベッケンフェルデは このような立場に立つのではないだろうか。し
かしこの場合、民主的正当性という点では優れ ているが、議会による立法がない、もしくはそ の立法が不十分な場合の救済をどうするのかと いう問題が生じるだろう。
そして、②のの立場、つまり個別の基本権 の保障内容を広く理解し、包括的基本権の保障 内容は狭く理解する場合には、「新しい人権」と して主張される権利を何らかの個別の基本権に 該当するものとして理解することになる。包括 的基本権を広く理解する立場に対しては、「打 ち出の小槌」という批判があるが、この立場に おいてはその批判を回避することができるかも しれない。しかし、この立場にあっては個別の 基本権の保障内容が非常に拡張的になり、それ によって特別に規定された基本権の歴史的な意 義があいまいにされる恐れがある。さらに、
様々な権利が表現の自由の一部として理解され ることによって、かえって表現の自由の「優越 的地位」が疑わしいものになる恐れもある。
他方で、②の
の立場、つまり、個別の基本 権の保障内容を狭く理解した上で、包括的基本 権の保障内容は広く理解する場合には、まさに 上で述べたような「打ち出の小槌」という批判 にさらされることになるだろう。しかし、この 立場にあっては個別の基本権の保障内容につい ては厳格に理解することになり、先に述べた「二重の基準」論との関係で言えば、表現の自由 の保障内容については固定的・限定的に理解す ることになるので、二重の基準論との両立性と いう点では優れているのかもしれない。しかし 他方で、「打ち出の小槌」の批判と関連して、
包括的基本権について、改めて体系的で詳細な 説明をする必要が出てくるだろう。
このような試論的な試みを行ったが、ここで は、それぞれの議論の考えられる長所と短所を 挙げるにとどめ、詳細な検討は後の研究の課題 としたい。しかし、どの立場に立つにしても、
憲法13条を解釈する際には個別の基本権の保護 領域との兼ね合いで検討する必要があることは 確かではないだろうか。
5. 残された課題
これまで何人かの論者を中心に、包括的基本 権の適用場面について検討してきたが、多くの 点を論じられなかった。思いつくだけでも、基 本権の保護領域(保障内容)の問題、保護領域 を限定的に理解すべきであるとしても、発生史 的な限定の仕方でよいのか、日独の制約規定の 違いも考慮した上での慎重な検討などがあり、
これらの点は今後の研究課題としたい。さらに 最近では、ドイツ連邦憲法裁判所の審査方法が 変わっているのではないかという議論もある。
他にも様々な点について検討が不十分と思われ るが、今後の研究によって検討していきたいと 思う。
*本稿は2004年11月13日に九州大学で行われ た九州公法判例研究会における報告「憲法13条 の適用場面について」に大幅な修正を加えたも のである。当日の参加者の方々に感謝を申し上 げたい。
注
1)この議論については先行業績として,小貫幸浩
「基本権が『保障するもの』は何か」岡法学15 巻1・2号(2004年)225頁以下があり,そこでは ベッケンフェルデの議論が詳細に紹介されてい る.
2)Ernst Wolfgang B ckenf rde,, Schutzbere- ich, Eingriff, verfassungsimmanente Schran- ken, Der Staat 2003,, S. 167ff..
3)Ders., a.a.O., S. 174.
4)Ders., a.a.O., S. 175ff..
5)Rainer Wahl, Forschung und Anwendungs- kontrolle technischem Fortschritts als Staa- tsaufgabe ?, UTR Band 14, 1991, S. 33ff..
6)Ders., a.a.O., S. 33, Fu n. 79.
7)Wolfgang Kahl, Vom weiten Schutzbereich zum engen Gew hrleistungsgehalt, Der Staat 2004, S. 177 は依然として審査は3段階であると
するが,これまでの通説的な理解と異なっている ことを念頭に置けば,4
段階審査と考えた方がそ の違いが明らかになるだろう.なお,審査の更な る分割だけがベッケンフェルデのここでの提案
の 目 的 で は な い と 指 摘 す る も の と し て,Jan Henrik Klement, Der Vorbehalt des Gesetzes f r das Unvorhersehbare, D V 2005, S. 508, Fu n. 7.
8)B ckenf rde, a.a.O.(Anm. 2), S. 188ff..
9)Wolfgang Kahl, Die Schutzerg nzungsfunk- tion von Art. 2 Abs. 1 Grundgesetz, 2000, S. 20.
10)Ders., a.a.O., S. 45ff..
11)カールの批判を詳しく紹介するものとして,小 貫幸浩「基本権が『保障するもの』は何か・続」
岡法学16巻1・2号(2005年)4頁以下.
12)Kahl, a.a.O.(Anm. 7), S. 188.
13)カールも基本権の「生活領域」と「保護領域」
を区分しており(Kahl, a.a.O.(Anm. 7), S. 169), この点ではベッケンフェルデやヴァールと同様で あるといえる.
14)他方で,連邦憲法裁判所は補充性を常に守って いるわけではないという指摘もある.Joachim Lege, Die allgemeine Handlungsfreiheit gem Art. 2 I GG, Jura 2002, S. 756, Kahl, a.a.O.
(Anm. 9), Fu n. 10.
15)基本法上の特別の基本権と基本法2条1項のこ のような関係は「不真性競合」の関係といわれる ことがある.この点について詳しく述べるものの 一つとして Klaus Stern, Das Staatsrecht der Bundesrepublik Deutschland Band Ⅲ/2, 1994, S. 1373.また,基本権の競合を詳しく扱うものと し て Reinhold He , Grundrechtskonkurrenzen, 2000. 特に個別の基本権と基本法2条1項の関 係について S. 59ff.
16)von M nch/Kunig(Hrsg.), Grundgesetz Kommentar Band, 5. Aufl., 2000, S. 132(Kunig), Alfred Katz, Staatsrecht 15. Aufl., 2002, S.
332, Ingo von M nch, Staatsrecht Ⅱ 5. Aufl., 2002, S. 185, Peter Badura, Staatsrecht 3. Aufl., 2003, S. 215f., Jarass/Pieroth, Grundgesetz f r die Bundesrepublik Deutschland 7. Aufl.,
2004, S. 62(Jarass), Pieroth/Schlink, Grund- rechte Staatsrecht Ⅱ 20. Aufl., 2004 S. 87. な お,契約の自由を2条1項に含めることに反対は しないものの慎重な姿勢を示しているものとし て,Detlef Merten, Das Recht auf freie Entfal- tung der Pers nlichkeikeit, JuS 1976, S. 348, Hans Uwe Erichsen, Das Grundrecht aus Art.
2 Abs. 1 GG, Jura 1987, S. 370, Christoph Degenhart, Die allgemeine Handlungsfreiheit
des Art. 2 Ⅰ GG, JuS 1990, S. 165f.. さらに,契 約の自由を私法上の問題であるとして,憲法上の 基本権としては間接的な効力しか有しないとする ものとして Lege, a.a.O.(Anm. 14), S. 759.
17)Merten, a.a.O., S. 349f., Degenhart, a.a.O., S. 166, von M nch/Kunig, a.a.O., S. 619f.
(Wolfgang L wer), von M nch, a.a.O., S. 185, Badura, a.a.O., S. 179, Jarass/Pieroth, a.a.O, S.
63(Jarass). なお,J rn Ipsen, Staatrecht Ⅱ 7.
Aulf., 2004, S. 170 が公法上の団体への強制加入 は基本法2条1項の問題とする結論では同じも のの,基本法9条1項は基本的には消極的結社 の 自 由 ま で は 含 ま な い と し た り,HansUwe
Erichsen, Allgemeine Handlungsfreiheit, Han- dbuch des Staatsrechts VI, Isensee/Kirchhoff
(Hrsg.), 1989, S. 1215 が,公法上の法人への強制 加入の問題が9条1個の問題になる場合もあると するなど,結論は同じであっても細かい部分で意 見が異なる場合もある.また,基本法9条1項 で保障されるとするものとして Konrad Hesse,
Grundz ge des Verfassungsrechts der Bund- esrepublik Deutschland, 20. Aufl., 1999, S. 179, Pieroth/Schlink, a.a.O., S. 185.
18)Merten, a.a.O., S. 349, von M nch/Kunig, a.a.O., S. 736(Kunig), Katz, a.a.O.(Anm. 16), S. 332, von M nch, a.a.O., S. 184, Badura, a.a.O.(Anm. 16), S. 229, Jarass/Pieroth, a.a.O.
(Anm. 16), S. 64(Jarass), Ipsen, a.a.O., S. 178, Pieroth/Schlink, a.a.O., S. 202. なお,基本法11 条1項は外国旅行の自由も保障するとするものと して Hesse, a.a.O., S. 164.
19)M nch/Kunig, a.a.O., S. 852(Kunig) , Katz, a.a.O., S. 394, von M nch, a.a.O., S. 301, Badura, a.a.O., S. 132f., Ipsen, a.a.O., S. 81, Pieroth/Schlink, a.a.O., S. 223.
20)いわゆる「萎縮効果論」との関係で,表現の自 由と名誉権に関する最近のドイツの議論を紹介す るものとして,毛利透「表現の自由,結社の自由 と公共」『法律から考える公共性』(長谷部恭男,
金泰昌編・2004年)255頁以下,同「ドイツの表 現の自由判例における萎縮効果論― 1980年代ま で」『日独憲法学の創造力―栗城壽夫先生古稀記念
(上巻)』(樋口,上村,戸波編・2003年)573頁以 下,同「ドイツの表現の自由判例における萎縮効 果論― 90年代」法学論叢153巻1号(2003年)1頁 以下,拙稿「名誉保護の強化の試みについて,
・完」早稲田大学大学院法研論集103号31頁以 下,104号(共に2002年)85頁以下.
21)von M nch/Kunig, a.a.O.(Anm. 16) , S. 387ff.
(Wendt), Katz, a.a.O.(Anm. 16), S. 725ff., von M nch, a.a.O.(Anm. 16), S. 216ff., Badura, a.a.O.(Anm. 16), S. 170f., Jarass/Pieroth, a.a.O.(Anm. 16), S. 192ff.(Jarass), Ipsen, a.a.O.(Anm. 17), S. 122ff., Pieroth/Schlink, a.a.O.(Anm. 16), S. 138ff..
22)ドイツにおける基本法2条1項に関する議論を 紹介する文献は多くある.田口精一「ボン基本法 における人格の自由な発展の権利について」法学 研究36巻11号(1961年)1175頁以下,赤坂正浩 「人格の自由な発展の権利」法学50巻7号(1987
年)50頁以下,阿部照哉「個人の尊厳と幸福追求 権」『人権保障の生成と展開―世界人権宣言40周 年記念論文集』(法務省人権擁護局内人権実務研究 会編・1990年)155頁以下,小山剛「一般的行為 自由説をめぐる諸問題」『法と正義』(比較憲法学 会編・1993年)673頁以下,戸波江二「自己決定 権の意義と射程」『現代立憲主義の展開 ―芦部信上 喜先生古稀祝賀 』(樋口陽一編・1993年)325頁上 以下,根森健「憲法上の人格権」公法研究58号
(1996年)66頁以下,丸山敦裕「包括的基本権条 項から導かれる権利の射程」阪大法学48巻6号
(1999年)163頁以下,拙稿「人格的利益の自己決 定,・完」早稲田大学大学院法研論集99号55 頁以下,100号(共に2001年)117頁以下など.
23)佐藤幸治『憲法(第三版)』(1995年)448頁,
芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法(第三版)』(2002 年)115頁,長谷部恭男『憲法(第3版)』(2004 年)157頁など.
24)いわゆる幸福追求権に関する日本の議論を概観 するものとして,松井茂記「自己決定権について ・完」阪大法学45巻5号(1995年)717頁以下,
同「自己決定権」『リーディングス現代の憲法』
(長谷部恭男編・1995年)57頁以下,竹中勲「自 己決定権の意義」公法研究58号(1996年)28頁以 下,同「自己決定権と自己統合希求的利益説」産 大法学32巻2号(1998年)1頁以下,戸波江二 「幸福追求権の構造」公法研究58号(1996年)1 頁以下,中村睦男「『新しい人権』と憲法一三条 の幸福追求権」『二一世紀の立憲主義』(杉原泰雄 先生古稀記念論文集刊行会編・2000年)307頁以 下など.
25)佐藤,前掲注 23)550頁,阪本昌成『憲法2
(第二版)』(2002年)159頁以下.
26)外国への移住の自由に含まれるとするものとし て,佐藤,前掲555頁.居住・移転の自由に含ま れるとするものとして,阪本,前掲177頁,長谷 部,前掲注 23)254頁.なお高橋和之『立憲主義 と日本国憲法』(2001年)150頁は,22条1項の問 題か2項の問題かという議論には実益がないとす る.
27)長谷部,前掲237頁,佐藤,前掲557頁など.
28)阪本,前掲注 25)194頁.
29)戸波江二「丸刈り拘束と自己決定の自由」法律 時報58巻4号(1986年)93頁,佐藤,前掲注 23)
461頁,芦部,前掲注 23)116頁など.
30)佐藤,前掲445頁,高橋,前掲注 26)78頁.
31)長谷部,前掲注 23)227頁.
32)この他に,一連の「予防接種禍訴訟」におい て,正当な補償を求める権利の根拠の一つとして 説いている点に注目するものとして,森英樹「包 括的基本権」『憲法の基本問題』(芦部信喜編・1988 年)191頁.
33)合憲性審査の枠組みについて詳細に述べるもの として,松本和彦『基本権保障の憲法理論』(2001 年).
34)Erichsen, Allgemeine Handlungsfreiheit, a.a.O.(Anm. 17), S. 1198. また,この点につい てのエリクセンの議論を紹介する邦語文献とし て,工藤達朗「幸福追求権の保護領域」法学新報 103巻2・3号(1997年)197頁以下.
35)たとえば Uwe Volkmann, Ver nderungen der Grundrechtsdogmatik, JZ 2005, S. 265ff.. また,
基本権についてメタ理論的に「還元的縮減」を行 い,いわば自然状態での「自由」と基本法上の自 由 を 区 別 す る リ ン ド ナ ー の 議 論(Josef Franz Lindner, Theorie der Grundrechtsdogmatik, 2005)もそのようなものと理解できるだろう.ま
た,日本において「保障内容」に関するベッケン フェルデの議論を懐疑的に見るものとして,小山 剛『基本権の内容形成』(2004年)142頁.
36)基本権の構成要件論をめぐるドイツの議論を紹 介するものとして,中野雅紀「ドイツにおける狭 義の基本権構成要件理論」法学新報102巻9号
(1996年)143頁以下.
37)「量的拡張」と「質的限定」という用語につい ては,内野正幸「国益は人権の制約を正当化する」
『リーディングス現代の憲法』(長谷部恭男編・
1995年)39頁以下,樋口陽一『憲法(改訂版)』
(2004年)155頁以下など.
38)ベッケンフェルデの議論の主眼もこの点にあっ たと思われるが,本稿では筆者の問題関心に引き 寄せてベッケンフェルデの議論を参照することに した.
39)た と え ば Erichsen, Das Grundrecht aus Art.
2 Abs. 1 GG, a.a.O.(Anm. 16), S. 369f..
40)ここでは「前提とすべき」と記述したが,ベッ ケンフェルデは基本権理論は論者自身が選択する 性質のものではなく,憲法自体があらかじめ前提 としているものであり,憲法の合理的な解釈を 通じて発見すべきとしている(ErnstWolfgang
B ckenf rde, Grundrechtstheorie und Grun- drechtsinterpretation:Staat, Verfassung, De- mokratie, 1991, S. 142(邦 訳 と し て,ベ ッ ケ ン フェルデ『現代国家と憲法・自由・民主制』(初 宿 正 典 編 訳・1999年)299頁).な お,ベ ッ ケ ン フェルデの憲法解釈方法論について詳しい検討を 行うものとして,渡辺康行「『憲法』と『憲法理 論』の対話」国家学会雑誌113巻5・6号391頁 以下.
41)B ckenf rde, a.a.O., S. 129ff.(ベッケンフェ
ルデ,前掲290頁以下).
42)たとえば,Hesse, a.a.O.(Anm. 17), S. 179 (基本法9条1項について), S. 183ff.(基本法2条 1項について).なお,ヘッセの解釈方法論につ いて,渡辺康行「『憲法』と『憲法理論』の対話
」国家学会雑誌112巻7・8号(1999年)78頁,
特に注2).
43)工藤達朗「内在的制約説の解釈論上の意義」法 学新報108巻3号(2001年)11頁.同様の指摘と して,戸波江二「自己決定権の意義と範囲」法学 教 室158号(1993年)38頁.な お,工 藤,前 掲12 頁注10)は,憲法13条について一般的行為自由説 に立つ場合にはそうとも限らないとしている.
44)少なくとも日本国憲法の起草者意思は,個別の 基本権的人権は例示列挙であり,その後の解釈に ゆだねるとするものだった,と推論するものとし て,土井真一「憲法解釈における憲法制定者意思 の意義・完」法学論叢131巻6号(1992年)14 頁.
45)たとえば,Christoph Spielmann, Die Ver- st rkungswirkung der Grundrechte, JuS 2004,
S. 373f..