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数学 Mathematics 神 田 茂 雄 Shigeo KANDA

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Academic year: 2021

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─ 37 ─

(  )

東医大誌 75(1)

: 37

-

40, 2017

最 終 講 義

数学 Mathematics

神 田 茂 雄 Shigeo KANDA

東京医科大学数学教室

Department of Mathematics, Tokyo Medical University

1 1.  数学の印象

私にとって数学とはとても不思議な学問です。問 題を考えていても、わからないときは全くわからな いのに、わかるときは突然わかるのです。そしてな ぜわかったのかも全く不明です。1 つの問題ばかり 考えていても大抵は解けないので、いくつか問題を 探してなるべく易しい問題から手をつけるのです が、易しいと思っていた問題が難しいこともよくあ ります。とにかく、一筋縄では行きません。他の人 の講演を聞いていてもほとんどわかりません。中に は他人の話を聞いてすぐに理解できる人もいるよう ですが、どうも私は愚鈍なせいか、自分で考え、手 を動かさないと理解できません。色々な数学者の勉 強の仕方を本で読んだことがありますが、皆それぞ れ違った勉強法で勉強しているようです。勉強の仕 方の本を読んでわかったのは、結局、自分に合った 勉強法は、自分で見つけるしかないということです。

2.  数学者の印象

数学者は何でも一般化して考える傾向が見受けら れます。たとえば、空間ということばがあります。

たいていの人はたぶん、空間というと 3 次元ユーク リッド空間を思い浮かべるのではないかと思いま

す。しかし、数学者は空間ということばをもっとずっ と一般的に使います。まず、n 次元ユークリッド空 間(n=1, 2, 3, …)というふうに一般化します。さ らに、ヒルベルト空間、バナッハ空間、線形空間、

関数空間、距離空間、位相空間、測度空間など数え 上げたらきりがないほど、いろいろな空間がありま す。一般に、集合に何らかの構造が入っていればそ れを空間と呼びます。

数学は抽象的で分かりづらいのですが、ことばだ けでも空間という聞き慣れたことばを使うことによ り少しは分かったような気になるのかもしれませ ん。

3.  私の独断・偏見・期待

わからなくても、分かったような気になることは 精神的には良いことであり、大切なことです。しか し、これには本当にはわかっていないのに、わかっ た気になってしまうという悪い側面もあります。

現在は数十年前と比べて格段に「見える化」が進 みました。ものが見えると人間はわかっていなくて もわかっているように錯覚してしまうのではないか と危惧しています。さらに、見える化が進むことに より、人間の想像力は退化する傾向にあるような気 がしてなりません。太古の人たちが、隣り合った星

*本論文は平成

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日に行われた最終講義の要旨である。

キーワード

:

数学、勉強法、授業、研究

(別冊請求先

:

160

-

8402 東京都新宿区新宿 6

-

1

-

1 東京医科大学数学教室)

TEL : 03

-

3351

-

6141 内線 204 E

-

mail : [email protected]

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東 京 医 科 大 学 雑 誌

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─ 第

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巻 第

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(  ) を結んで神や動物やものなどを想像したようなこと は現在では考えられないでしょう。もちろん、優れ た人たちは見える化が進めば進むほどさらなる想像 力を働かせて人類の進歩に貢献することでしょう。

しかし、そのような人たちはごく限られた人たちだ けのような気がします。見える化が進みすぎると、

大多数の人たちは、想像力の欠如した知識の奴隷に なるというのが私の予想です。数学は難しい学問で すが、想像力を働かせるにはとても有益な学問であ ると私は考えています。知識の奴隷にならないため にも多くの人たちが数学を楽しんでくれることを希 望します。

4.  私の数学勉強法

私は内容が具体的すぎる問題も、逆に、抽象的す ぎる問題も理解するのが苦手です。私に合った問題 は、ある程度具体的イメージが描けて、しかも単純 な抽象性を持った問題です。従って、問題が具体的 すぎるときには、単純化して抽象論に持ち込んで考 え、逆に、問題が抽象的すぎるときには、具体例を 考えて、イメージをつかんでから抽象的に考えます。

私は、単純な人間なので、ある程度抽象的でないと 頭がよく働かないのですが、さりとて、抽象的すぎ てイメージがつかめなければ、やはり頭が働きませ ん。結局、問題を、自分の頭がよく働くように変形 して、解くことになります。問題がうまく変形でき ないときには、諦めて、別の問題を探すしかありま せん。

ここで、私が先生や先輩から教えていただいた勉 強法を紹介させていただきます。まず、最初に教わっ たのは、電車の中で勉強するのはいい方法であると いうことです。特に、私のように長時間電車に乗っ ている人にはよいとのことです。このことは複数の 先生から教えていただきました。電車の中では孤独 になれるので思考を働かせるのにとても有効である というのがその理由です。私も実行してみたのです が、電車の中ではつい、うとうとしてしまうことが 多いので、すごく有効とまではいきませんでした。

しかし頭がクリアなときには確かに有効でした。も う 1 つは、定理を証明する方法に関するものです。

それは定理の内容を小さなユニットに分割してその 一つ一つを証明し、それらを組み合わせて 1 つの定 理の証明とするというものです。こうすれば、やさ しいユニットは簡単に証明でき、難しいユニットが

浮き彫りになります。その難しいユニットを集中的 に攻撃すれば良いわけです。さらに、この方法のも う 1 つの利点は定理の証明に使われたユニットが別 の定理の証明に使える場合があるということです。

この方法を聞いたとき、確かにその通りだと納得し ました。この方法なら、難しい問題は分割してどん どんやさしくできるので、私のような単純な人間に とってはとても有効です。従って、現在、私はこの 方法を大いに活用しています。

この方法を私は次のように解釈しています。1 つ の工業製品は多くの部品を組み合わせてできていま す。従って、1 つの工業製品を作るために必要な部 品は何かを考え、既存の部品で使えるものがあれば それを利用し、使える部品がない場合には自分で部 品を作り、それらの部品を組み合わせて 1 つの製品 を作る。このことと同じような方法が数学の定理を 証明するのに役立つのです。私はこの方法を教えて くれた人にはとても感謝しています。

5.  数学の授業

私は東京医大だけでなく、いろいろな大学で数学 を担当してきましたが、どこでも共通して言えるこ とは、数学を教えることはとても難しいということ です。少しでもわかりやすくするために、私は授業 では、なるべくたくさん図を描くようにしています。

そうすることによって、学生さんに授業内容のイ メージを持っていただきたいからです。私は平面図 形ならば平均的な人と同程度に描けますが、立体的 な図を描くのは苦手で、多分、平均以下だと思いま す。私が下手な立体の図を描いても、図を描くのが 得意な学生さんはそれを修正してうまく描いてくれ るでしょうから、あまり気にしないことにしていま す。

数学では、その内容のイメージを持つことがとて

も大切です。イメージを持たず、論理だけで進める

こともある程度は可能なのかもしれませんが、論理

だけでは、どうもよくわかったような気にならない

のです。数学の定理の証明を読んでいても、論理だ

けでなく、イメージをつかみながら進まないと途中

で沈没してしまいます。ですから、授業では、学生

さんが落ちこぼれないように図を描くようにしてい

るわけです。それでも、落ちこぼれる人はかなりい

ます。数学という学問はできる人とできない人で

はっきり分かれます。どうしてこうもできる人とで

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神田 : 数学 ─

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(  ) きない人との差が大きいのかとても不思議です。た とえば、スポーツで 100 メートル走らせたら、大抵 の人は 10 秒から 20 秒の間に走り切ると思います。

でも数学の問題を解かせると同じ問題を 5 分で解け る人もいれば、1 時間かかっても解けない人もいま す。数学嫌いが多いのも仕方のないことなのかもし れません。

6.  一番印象に残った「数学」の授業アンケート 本学における「数学」の授業アンケートで一番印 象に残っているのは「数学は嫌われています。でも、

隠れ数学ファンがいます。」という意見です。

これを見たとき、私が感じたのは「東京医大にも 数学の好きな人はいる。でも数学が好きな人は隠れ ていなければならないのか。」ということです。 100 年後には、数学ファンが学内を大手を振って歩ける ようになってほしいというのが私のささやかな願い です。

7.  数学と私の人生

私が東京医科大学に助教授として勤務を始めたの は 1995 年 4 月からです。年齢は 43 歳のときです。

それまではいろいろな中学、高校、大学で非常勤を してきました。

ここでは、私の人生を決定づけた時期である、大 学 3 年生のときから東京医大に就職するまでの期間 について語らせていただきます。大学 3 年のとき、

ゼミが始まりました。担当教員は皆川多喜造先生と いう幾何の先生ですが、ゼミの教材は現代的な微積 分の本でした。数学のゼミでは学生が黒板の前に出 てゆき、板書しながら先生や他の学生に教科書の内 容を解説するのが普通です。皆川先生はなるべく教 科書を見ないでゼミをするようにと指示されたの で、黒板に出て発表するときには教科書の内容を覚 えてゼミにのぞまなければなりません。記憶力の悪 い私としましては大変苦労しました。ただ、はじめ のうちは 90 分の授業で 1 ページ進むだけでもよい と言ってくれたので、なんとかゼミをこなすことが できました。2 年間、皆川先生のゼミで数学の基礎 をみっちり叩き込まれました。

4 年生になって、大学院に行きたいと皆川先生に 申し出ましたら、宮寺先生のゼミに入るように指示 されました。宮寺先生も了解され、修士課程では宮 寺先生に指導していただきました。修士課程までは

割りと順調でしたが、博士課程で落ちこぼれてしま いました。博士課程に 6 年間、さらに研究生として 4 年間在籍しました。学部 4 年間、修士課程 2 年間 と合わせると合計 16 年間早稲田大学に在籍したこ とになります。その間、 1980 年代の後半だと思い ますが、私を指導してくれていた宮寺功先生が、私 を指導しきれないと考えたらしく、ある会合で、御 茶ノ水女子大学の高村幸男先生にそのことを話した ところ、高村先生が「私が面倒見ましょう」と言っ てくれたということを、お茶大から早稲田に移って きた友人から聞きました。そしてその友人から、お 茶大の高村先生のところに行くようにと指示されま した。そんなわけで、私は早稲田からお茶大の高村 先生のところに指導を受けに通うようになりまし た。どんな指導をするかというと、こんな問題があ りますといって問題を出してくれるわけです。まっ たくの個人指導です。その問題を何ヶ月あるいは何 年かかけて解いてそれを論文にまとめるのです。ど うしてもわからないときは、ヒントをくれるときも あります。私は何事もやることがのろいものですか らとにかく時間がかかります。高村先生の指導を受 け始めてから、学位が取れるまで 7、8 年かかりま した。よくもまあ私のような愚鈍な人間を忍耐強く 指導してくれたものだとつくづく頭が下がります。

自分自身では指導しきれないと考え、他の人に指導 を託すことは数学の世界ではよくあることです。宮 寺先生が高村先生に私の指導を託してくれたことは 私にとってとても幸運でした。高村先生の大学院生 に対する授業にはとても感動しました。先生ご自身 で考えてきたことを講義するのですが、私には全く 理解できません。しかし、眠くならないのです。わ からない話を聞いていると、眠くなって寝てしまう というのが私の常です。わからないのに眠くならな いのは、私の心のどこかに訴える何かがあったのだ としか思えません。半年間講義をした後、また翌年 講義があるのですが、翌年の講義のとき、「去年、

お話ししたことは間違っていました。」と言って、

またやり直すのです。私は、このように自分自身で 考えてきたことを話し、間違っていたと気づいて、

翌年やり直すというような講義は、早稲田大学では

一度もお目にかかっていません。内容はよくわから

ないものの、数学とはこのように自分で考え、自分

で組み立てていくものなのだということを学んだ気

がします。このようなすぐれた師に出会えたことが

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東 京 医 科 大 学 雑 誌

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巻 第

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(  ) 私自身の教育・研究活動の原動力となりました。

8.  エピソード

ところで、1990 年には次のようなことがありま した。1990 年には日本で初めて、京都において国 際数学者会議が開かれました。開会式の日に私は会 議場行きのバスの中でたまたま高村幸男先生の奥様 である多賀子先生の隣の席になりました。黙ってい るのも気がひけるので、「ご主人は ?」とお聞きし たら、「体調を崩して、ホテルで寝ています。」との こと。私はつい、「ぼくは数学の話を聞いてもわか らないので、明日帰ります。」と口を滑らせました。

そしたら、「わからないのを聞くのも修養のうちで す。」とおしかりを受けました。その後、1994 年に 友人の紹介により東京女子大学で非常勤講師をする ことになりました。授業が始まる前日、多賀子先生 から家に電話があり、「授業が終わったあと、私の 研究室にお立ち寄りください。」といわれました。

私は、またお説教されるのかなと恐る恐る多賀子先 生の研究室を訪ねました。そしたら、先生はご自身 の数学の著書を出し、「これは私が子育ての大変な 時期に書いた著書です。」といって、私にください ました。子育てをしながら、数学の専門書を書くな どというは、生来の怠け者である私には正直信じら れません。やはり、勤勉な人は違うなあとつくづく 感じ入った次第です。

9.  研   究

最後に、私が、現在考えている数学について、お 話しいたします。私は、現在は無限次元空間におけ る幾何学に興味を持っており、特に、角の研究をし

ています。そもそも、角に興味を持つようになった のは、小平邦彦 : 『解析入門』、岩波基礎数学選書、

1991 を眺めていて

sin θ、cos θ の定義を明確に述べようと試みる

とき、最大の困難となるのが角の定義である。

高校数学における角の概念は小学校以来自然に 体得されたものであって、これを分析して明確 に述べるのは容易でない(角の厳密な取り扱い については、彌永昌吉 “幾何学序説” 参照)。

という文章に出会ったことがきっかけです。この文 章を見て、私は今まで角の定義がわかっていなかっ たということに気づきました。いままで教育により 小さいときから、角というものはこういうものだ、

と刷り込まれてきたため角の定義がわかっていると 思い込んでいたにすぎなかっただけです。そこで、

なんとか自分自身にとってわかりやすい角の定義を 見つけたいという欲求にかられました。そして、角 がみたすであろう条件を抽出して、角の定義としま した。現在は、それをノルム空間という空間に適用 して、三角形の内角和を評価するという仕事に取り 組んでいます。

謝   辞

このような最終講義をする機会をお与えくださっ た鈴木衞学長に感謝申し上げます。また、講義の司 会をご快諾いただいた持田澄子教授に深謝いたしま す。さらに、わがままな私にさまざまなアドバイス をして助けてくれた多くの皆様、ありがとうござい ました。

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参照

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