◎論説
中 華 元 典 精 神 と 中 国 近 代 化 運 動 天 喩
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十九世紀中期以後︑ある特殊な国際‑国内環境にあって︑
中国は世界的な近代化の過程に巻きこまれることを開始し
た︒その動力メカニズムは内と外の二つの方面に由来す
る︒
中国の近代化運動をうながした観念性の要因について論
ずれば︑一つは︑ヨーロッパの近代学説︑たとえば進化論︑
民約論︑民権論︑民族国家思想︑君主立憲論︑民主共和思
想などの輸入であり︑二つは︑中国伝統文化に蓄積された
活力に富む精神である︒この二つの要因の統合と融合があ
ってはじめて︑複雑に錯綜した中国近代文化に特有の姿が
形成されたのだ︒
中国の近代化運動に対するヨーロッパ学の影響について
は︑これまで多くの論述があり︑今は詳述しないが︑中国 近代化運動が中国の伝統文化からどれだけの精神的な啓示
をえたかについては︑詳しく論ぜられないで今にいたって
いる︒というのも︑この問題は関連する側面が広すぎるか
らである︒本論文も全面的にそれを展開することはできな
い︒ただ︑﹁元典精神﹂の中国近代化運動への感化影響と︑
中国近代化運動の﹁元典精神﹂への促進発動について︑私
見をのべてみたい︒
﹁元典精神﹂とは︑民族の﹁文化元典﹂が集中的に体現
しているオリジナルな精神のことである︒
ある民族が文明段階(金属道具と文字の発明・使用を基
中華元典精神 と中国近代化運動 77
準とする)に入ってから︑幾世代かの文化の蓄積を経て︑
いわゆる﹁中軸時代﹂(紀元前六世紀前後の何百年にあたる)
に突入すると︑哲学者は現実を直観したものを映すだけで
は満足しなくなり︑世界の本質と規律に対する深い思索を
開始する︒それは宇宙・社会・人生についての観察と思考
に関するもので︑数世紀の継承・整理・解釈を経て︑つい
には﹁文化元典﹂と称すべき︑諸文明民族の第一期の重要
な経典をつくりだしたのである︒インドの﹃ヴェーダ﹄﹃仏典﹄︑ペルシャの﹁アヴェスタ﹄︑プラトン︑アリスト
テレスなどギリシャの諸先哲の論著︑ユダヤ教とキリスト
教の﹃聖書﹄(﹃旧約﹄と﹃新約﹄)︒これらはすべて当該民
族が﹁聖典﹂あるいは﹁元典﹂と考えるものである︒中華
文化システムにあって﹁元典﹂の名に堪えるのは︑﹁易﹄﹃詩﹄﹃書﹄﹃礼﹄﹃楽﹄﹃春秋﹄の﹁六経﹂であり︑熊十力がのべ
たように﹁六経は中国文化と学術思想の根源﹂なのである︒﹃楽﹄が散逸したため︑中華元典はじっさいには﹁五経﹂
であるが︑これと関連して﹃論語﹄﹃孟子﹄﹁老子﹄﹁荘子﹄
ムヨ などの先秦典籍も﹁元典﹂の性質をおびている︒
文化元典はある時代︑ある地域の産物であって︑歴史文
献とみるべきもので︑﹁六経皆史﹂とはこの意味である︒
しかし同時に︑元典の何らかの基本精神は悠久の歳月を照
らしだすことができ︑後の世代の反復再考に耐え︑当該民
族の価値傾向・行動様式・審美感情・思惟方式に対して︑ 深くて新しい影響をあたえてきた︒元典のこうした超越性
は︑何も神秘的な要因によって生まれたのではなく︑元典
の基本特徴から導きだされるものにほかならない︒すなわ
ち︑その思考は宇宙・社会・人生の普遍的な問題を志向し︑
こうした問題は各時代の人類の究極の関心事であり︑いい
換えれば︑元典で議論されるのは不朽の主題なのだ︒同時
に元典が︑こうした人類を絶えず苦しめてきた普遍的な問
題に回答するさい提供するのは︑哲学式の準拠枠ではあっ
ても︑けっして実証的な結論ではなく︑開放的なアーキタ
イプではあっても︑閉鎖的な教条ではないのである︒その
ため元典はその内容と形式において︑時代とともに古びる
のではなく︑ある霊感にみちた源泉として不朽性を獲得し︑
巨大な啓蒙機能をいくども発揮するのである︒
﹁五経﹂などの典籍で構成される中華元典の内実は︑中
華文化の特徴を豊かにはっきりと示している︒たとえばそ
れは︑天人合一︑知行合一︑真善合致︑内外兼備といった
融合精神であり︑尭舜を祖述し先王にのっとるという歴史
あらたはじ重視の伝統︑変通自強︑古きを革め新しきを鼎める社会
進化観︑﹁文﹂を天下にひろめる世間主義︑華夷の弁別︑
中華により夷狭を改めるという民族観︑広大高明にして日
用を離れない実用理性︑徳化を中心とする教育中心主義︑あわおさ民を重んじ民を値れむ民本思想︑世を経める品格︑自強し
てやまないこと︑憂患意識などである︒元典精神は︑こう 78
した多方面にわたって何千年のあいだ中華民族に実践さ
れ︑絶えず新しい生命活力を賦与されて︑古いと同時に新
しい伝統をつくってきた︒とくにある歴史の転換点にあた
って︑元典精神︑もしくは元典精神のある側面は︑新しい
時代条件の試練によって︑より燦燗たる輝きを放ってきた
のである︒
文化史の角度からみれば︑近代文明とは︑中世紀文明の
継承と発展であると同時に︑社会進歩を束縛する中世紀の
制度と精神の否定である︒近代文明がこうした中世紀の否
定を実現するのは︑しばしば古代文明のある要素に﹁復帰﹂
することによってである︒当然︑こうした﹁復帰﹂はけっ
して復古ではなく︑ラセン式の上昇過程であって︑ヨーロ
ッパ近代早期(十四〜十六世紀)に発生した文芸復興運動
は︑古代ギリシャ・古代ローマの文化を復興するというス
タイルで登場し︑古典人文主義をもちいて中世紀の神中心
主義に反対し︑それによって文化史上の一代飛躍を完成し
たのである︒十六世紀に中欧と西欧で発生した宗教革新運
動も︑人間を搾取する中世紀の宗教教会の秩序への反逆で
あり︑その表現スタイルも︑ヨーロッパ人が信奉するキリ
スト教の元典﹃聖書﹄の原始平等精神への復帰であっ た︒マルティン・ルターやカルヴァンなどの宗教家は︑ロ
ーマ教皇を頂点とするカトリックをはげしく攻撃し︑かつ﹃聖書﹄を信仰の最高基準とすべきだと主張し︑教会が享
受している教義解釈の絶対権威を容認せず︑信徒個人が直
接に神と通じるべきことを主張して︑聖職者の仲介作用を
取り消したのである︒﹁文芸復興﹂の古代ギリシャ崇拝や﹁宗
教改革﹂の﹃聖書﹄信奉は︑いずれも﹁元典精神﹂の発揚
と再生ということができ︑ヨーロッパ文明は︑まさに元典
を発揚することで歴史の進歩を獲得したのである︒
こうした﹁元哲学﹂﹁文化原点﹂から霊感をくみ取り︑
前進の基礎を獲得する文化現象は︑ヨーロッパに出現した
ばかりではなく︑オリエントでも何度も出現した︒中国の
哲学者も︑この点に理解があった︒古代の哲学者には触れ
ないが︑中国の古代と近代の境界線に立つ思想家︑襲自珍
(一七八ニー一八四一)を例にとれば︑かれはかなり開か
れた見識をもっていた︒襲氏はいう︒
万物の運命は三文字に概括できよう︒つまり︑始めは
中間と異なり︑中間は終点と異なるが︑終点は始めと
バる 異ならない︒
やや後の経学者︑皮錫瑞(一八五〇1一九〇八)も清朝
の学問の変遷に言及して︑こう概括したことがある︒
学術は進歩すればするほど古くなり︑意義は究めれば
究めるほど高遭になり︑変遷しては原初に復帰し︑ひ
79一 中華元典 精神 と中国近代化 運動
うコ とたび変化しては道にいたる︒
襲︑皮の二氏がいう﹁終点は始めと異ならない﹂﹁変遷
Qして原初に復帰し﹂は︑中国古代にいわれた﹁往くとして
かえ 復らざるはなし﹂の思想を発展させたものであり︑その考
えは循環史観の痕跡をのこしているとはいえ︑かえって﹁否
定の否定﹂の思想要素を発現しており︑近代早期の中国学
者が︑すでにおぼろげながらつぎのことを意識していたの
を示している︒文化の変遷過程において︑現状にまつわる
束縛を脱しようとすれば︑﹁原点﹂の発揚に助けをもとめ
ねばならず︑こうした原点の発揚は︑民族文化の新生面を
切り開くといいうることを︒
中国近代思想文化史を考察するとき︑﹁原初に復帰し﹂︑
あるいは元典の発揚に回帰する現象は枚挙にいとまがな
い︒十九世紀半ば以後に中国思想界で活躍した新しいタイ
プの学者︑徐継余田︑魏源から鷹桂券︑郭嵩濤︑王鱈︑醇福
成︑馬建忠︑鄭観応︑何啓︑胡礼垣︑さらには康有為︑梁
啓超︑課嗣同︑そして孫中山︑章太炎︑郡容にいたるまで︑
その具体的見解には相違があるものの︑﹁古代後期﹂(秦漢
以来の専制社会)を軽視し︑﹁古代初期﹂(発舜の時代︑三
代の政治)を尊重して︑それによって新しきをもとめ︑変
化をもとめる点は︑かれらが共同に遵守する思想方向なの
である︒この方向は﹁本に帰り︑新を開く﹂と称すれば足
りるだろう︒ 林則徐︑魏源とならんで早くから﹁世界に視野を広げた﹂
徐継余田(一七九五ー一八七三)は︑中国人にイギリス︑ア
メリカ︑フランスの民主政治を最も早く紹介し︑十九世紀
四〇年代に編纂した﹃滅海志略﹄において︑ワシントンや︑
かれが実行した民主共和制度を称賛している︒注目すべき
なのは︑こうした称賛のことばが︑近代ヨーロッパを中国
三代に比較し︑ヨーロッパ近代民主政治を︑中華元典(た
とえば﹃礼記﹄)で早くからあきらかにされた﹁禅譲﹂﹁天
下を公となす﹂などの﹁古道﹂に比較していることである︒
徐氏によれば︑﹁ワシントンは外国人であるが︑陳勝・呉
広よりも事を起こすに勇敢で︑曹操・劉備よりも群雄割拠
の時代に生き︑三尺の剣によって万里の大地を切り開いて
も︑君主の位を信称せず︑子孫にも伝えず︑かえって推挙
の法を創設して︑天下を公となしたというべきで︑三代が
ムフ 残した志を速やかに広めた﹂︒
徐継余田はここで︑ヨーロッパ近代民主政治を中国の﹁三
代の治﹂に付会する先躍を開き︑﹁古代によってヨーロッ
パを検証﹂して︑長く国内の鎖国状態に慣れた中国人が︑
スムーズに外国知識を理解できる道をここに開いた︒そう
した思考は︑襲自珍の﹁終点は始めと異ならない﹂考えの
実際の運用である︒徐氏をうけて︑改良派の思想家は︑こ
れに類した思考方法を広く採用したのである︒
康有為(一八五八‑一九二一)の変法理論の基礎は﹁三 恥