• 検索結果がありません。

Kamo Tomoki WTO No

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "Kamo Tomoki WTO No"

Copied!
12
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

はじめに 経済発展は権威主義体制の変容を導くだろうか。こう問われた多くの人は「導く」とう なずくだろう。経済発展が社会の多元化を促し、多元的な社会は政治の多元化を要求し、 この要求に強く突き動かされて一元的な政治体制の変化は不可避である、と歴史的経験は 示している。経済発展と政治体制の多元化(=民主化)との間には、ある程度の相関関係を 観察することができる。中国共産党による一党体制という権威主義体制の多元化(=民主化) は、いずれ実現する中国の政治体制としてイメージされてきた。 しかし、1989 年 6 月の天安門事件以降、20 年以上にわたって中国政治は、一貫して中国共 産党による一党体制を堅持してきた。2002 年 10 月に開催された中国共産党第 16 期全国代表 大会(16 回党大会)において、「胡錦濤同志を総書記とする中国共産党中央」(胡錦濤政権) は、1989 年 6 月から 13 年にわたって政治体制の指導的役割を果たしてきた「江沢民同志を 核心とする中国共産党中央」(江沢民政権)から政治権力を平和裡に継承した。こうした平 和的な権力の継承は、1949 年 10 月の中華人民共和国の建国以来、初めてのことであった。 そして、この継承から 10 年を経て、2012 年下半期に開催が予告されている中国共産党第 18 期全国代表大会(18 回党大会)でも、胡錦濤政権から次の政権への平和的な政治権力の移行 が実現するだろうと目されている。 もちろん、中国共産党にとってこの 20 年は平穏ではなかった。1980 年代末以降、フィリ ピンや台湾、韓国、ミャンマーなどの東アジア地域において、またポーランドやチェコス ロバキア、ハンガリーなどの東欧諸国、そしてソ連などの旧共産圏において、長期にわた って政権を担当してきた政党が指導的地位から退場していた。まさに中国共産党は、サミ ュエル・ハンチントンが言う民主化の「第三の波」の真っただ中にあった。そして 1990 年 代後半以降、本格的に市場経済体制の導入に向けた道を歩み始めた中国は、2001 年には世 界貿易機関(WTO)に加盟した。市場経済化、そしてグローバル化という荒波のなかに、中 国共産党は身を投じてきたのである。 にもかかわらず、中国の政治体制は長期の安定を実現した。なぜ中国の政治体制は長期 の安定を実現しているのか。この結果、現代中国政治をめぐる関心の中心は、政治体制の 多元化(=民主化)の可能性の探求から、体制安定の要因の究明に変化しつつある。先行研 究の多くは、市場経済化とグローバル化という共産党を取り巻く環境の変化に対する体制

(2)

の柔軟な姿勢と、その強靱性を描き出すことを通じて、この問いに答えようと努めてきた(1) 体制の柔軟性と強靱性は、中国共産党の「生き残り戦略(survival strategy)」、あるいは「適応 (adaptation)」といった概念を用いて説明されてきた。この戦略を描いた先行研究は、共産党 体制は影響力を増しつつある私営企業経営者などの社会的エリートとの間に緊密な利害関 係を結び、社会的エリートが体制の支持者として活動するよう体制のなかに取り込んでき た実態を論じてきた。 本稿の目的は、2002 年 10 月の 16 回党大会から 2012 年下半期に開催が予定されている 18 回党大会までの 10 年間にわたる胡錦濤政権の統治の実態を分析することにある。その際、 本稿は、この 10 年間の中国政治について、政治体制の安定を実現するために胡錦濤政権が 練り上げた戦略を中心軸にして論じる。胡錦濤政権は、江沢民前政権のスローガン(指導理 念)である「『三つの代表』重要思想(「三個代表」重要思想)」を継承し、そして自らのスロ ーガン(指導理念)である「科学的発展観(科学発展観)」へと発展させた。この継承と発展 が、政権の体制の安定を実現するための戦略なのである。 1 「三つの代表」重要思想 (1) 台頭する「新しい社会階層」 2001年 7 月、中国共産党の創立 80 周年を記念する大会において江沢民中国共産党総書記 (当時)は演説を行なった(2)。ここで江沢民は、中国共産党を取り巻く国内外の環境の変化 に応じて、中国共産党は「先進的な生産力」と「先進的な文化」、そして「広範な人民の利 益」を代表する政党へと変化する必要があると提起した。これが「『三つの代表』重要思想」 である。 この江沢民演説を契機として中国共産党は、民営科学技術企業の起業者や技術者、外資 企業に雇用されている管理技術者、個人経営者、私営企業経営者、仲介機構(弁護士や会計 士など)に就業している者、作家や編集者をはじめ専門知識をもって活動する自由業者など 「中国社会が改革開放路線を歩む過程で起きた社会階層の構造の新しい変化の産物」である 「新しい社会階層」を、「労働者、農民、知識人、幹部、解放軍の指導的幹部ら」とともに社 会主義事業を建設する者として定義した。そして彼らと団結する必要があることを提起し たのである。 中国共産党にとって、「新しい社会階層」にどのような政治的位置付けを与えるのかは、 重要な政策課題であった。国家統計局が明らかにした数値(2006 年末)によれば、同階層は、 およそ 5000 万人であり、関連する従業員数を加えると約 1.5 億人を超え、全人口の約 11.5% を占めていた(3)。また、同階層は「約 10 億元前後の資本を管理し、全国の約半数以上の技 術特許を所有し」、同階層が間接的あるいは直接的に納税する額は「全国の納税額の 3 分 1 以 上」であり、毎年新たに生まれる就業人口の「約半数を吸収する」と理解されていた。こ うした経済的、そして政治的な影響力を前にして、執政党である中国共産党は、彼らの存 在を無視することはできなかった。また「新しい社会階層」は、「労働者、農民、幹部そし て知識人からの転身者」によって構成され、「その大部分は非公有制の分野で活動」し、そ

(3)

して「高収入者の大部分が集中」する一方で職業や地位の安定性が低いこと、近年、政治 的な要求を次第に強めつつあること、その大部分が非共産党員であることが、この階層の 特徴として指摘されていた。江沢民演説は、彼らは「誠実な労働と活動を通じ、そして合 法的な経営を通じて、社会主義社会の生産力とその他の事業を発展させるよう貢献してい る」と論じたうえで、政治的に認知し、政治的に擁護し、そして政治的に包摂する必要性 があると確認したのである。 中国共産党が「『三つの代表』重要思想」を提起したねらいを、鈴木隆は次のように整理 している(4)。ひとつは「既存の政治集団が自らの既得権益を保護し、市場経済を基軸とする 現存の社会経済構造にその権力ネットワークの根をより深く浸透させること」であり、い まひとつは、将来、期待できる「富」と、現行の政治体制を「担うに足る有為な人材をプ ロアクティブに確保すること」である。江沢民政権は、体制の基盤の強化と体制の持久性 の強化を図ろうとしたのである。これが、江沢民政権が提起した「生き残り戦略」である。 江沢民演説の後、中国共産党は「『三つの代表』重要思想」を指導理念として公式に確認 した。2002 年の 16 回党大会は、同重要思想をマルクス・レーニン主義、毛沢東思想、 小 平理論とならぶ指導理念として党規約のなかに書き込んだ(5)。加えて、中国共産党は「18 歳 以上の労働者、農民、軍人、知識人、革命分子」の政党であるという党規約の規定を、「18 歳以上の労働者、農民、軍人、知識人と社会各階層の先進的な人々」の政党へと書き換え た(6)。プロレタリアートの前衛者としての政党から、私営企業経営者などブルジョアジー的 社会階層をともに社会主義事業の建設を担う同志として認める政党へ変身することを確認 したのである。 変身の終点が「『三つの代表』重要思想」の提起だとすれば、起点としてしばしば言及さ れるのは、天安門事件直後の 1989 年 8 月に中国共産党中央が発した私営企業経営者と中国共 産党との間の関係のあり方に関する通達である(7)。同通達は、「私営経済は社会主義公有制 経済を補充するものであり、私営企業経営者の経営と合法的利益は保証される。しかし中 国共産党は労働者階級の前衛であり、私営企業経営者と労働者階級との間には実際には階 級対立が存在しており、私営企業経営者の中国共産党への入党を認めることはできない」 と確認していた。 なお先行研究は、「『三つの代表』重要思想」を指導理念として公式に確認したことが中 国共産党の「変身」を意味するという理解は、必ずしも適切ではないと指摘している(8)。中 国共産党中央組織部が 2007 年末の時点で「新しい社会階層」と言われる共産党党員を 88 万 人(同時期の党員総数の約 1.2%)と報告していたが、このうち 2004 年から 2007 年までの 4 年 の間に中国共産党の党員となったのは多く見積もっても 8 万人にすぎず、「9 割以上の者は 2000年代以前に入党していたとみられる」からである。つまり「『三つの代表』重要思想」 が提起され、公式に確認されてから新たに中国共産党に入党した者はきわめて少なく、中 国共産党の党籍をもつ「新しい社会階層」の大多数は、2001 年以前から中国共産党の党員 であった。中国共産党が「『三つの代表』重要思想」を党規約に盛り込んだことによって 「マルクス主義政党としての自己規定を明示的に放棄した」ことは間違いないが、「『三つの

(4)

代表』論をきっかけとして、中国共産党がブルジョワ政党への変容を開始した」とみるの は必ずしも適切ではない。 (2)「新しい社会階層」の政治参加 16回党大会の後に江沢民政権を継いだ胡錦濤政権は、前政権が提起した「『三つの代表』 重要思想」という生き残り戦略を継承した。江沢民政権が「新しい社会階層」に政治的地 位を与えることを約束したとすれば、胡錦濤政権は彼らの政治参加の機会の制度化を積極 的に進めたと言ってよいだろう。「新しい社会階層」を中国共産党の外にいる政治アクター (民主諸党派)に対する統一戦線工作の対象として位置付け、積極的に彼らとの協力、連携 を模索した。 胡錦濤政権の具体的、かつ象徴的な取り組みが、2007 年 10 月の 17 回党大会を前にして、 国家行政機関の部長級幹部として中国共産党の党員ではない人物を任命したことである。 政権は、2007 年 4 月に万鋼を科学技術部長に、同年 6 月には陳竺を衛生部長に任命した。中 国致公党中央副主席であった万鋼氏が科学技術部長に就任したことは、1972 年に傳作義が 水利電力部長の職を辞して以来 35 年ぶりに民主諸党派幹部が「入閣」したことを意味した。 政党に所属しない「無党派人士」と政治的に定義される陳竺が衛生部長に就任したことは 29年ぶりの無党派人士の「入閣」であった。 また地方では、17 回党大会の直前に 16 の省の中国共産党委員会が常務委員会委員に統一 戦線の活動を担当する幹部を選出していた(北京、上海、重慶、広東、河南、河北、山西、湖 北、湖南、西蔵、雲南、内蒙古、貴州、甘粛、青海、寧夏)(9)。従来、省級の中国共産党委員会 常務委員が同幹部を兼職することはまれであった。この選出は地方政治における統一戦線 を担当する部門の役割の重視、その政治的地位の上昇を示唆しているものと評価された(10) 非中国共産党党員の「入閣」や中国共産党党内の統一戦線部門の政治的地位の向上は、 胡錦濤政権が時間を費やして周到に準備したものであった。胡錦濤政権は、統一戦線活動 に関する政策決定をいくつも積み上げてきた。 今日、中国共産党以外の政党(民主諸党派)との協力(多党合作)と政治協商制度の建設 に関する綱領的文献として位置付けられている 1989 年 12 月に発表された「中国共産党中央 の中国共産党が領導する多党合作と政治協商制度の堅持と改善に関する意見」は(11)、民主諸 党派に籍を置く者や無党派の人々が国家や政府の領導幹部の職務に就くことについて、「中 国共産党が領導する多党合作を実現するうえでの 1 つの重要な方法である」と評価し、「条 件が合うのであれば正職に就けてもよい」と確認していた。これを踏まえるかのように胡 錦濤政権は、2004 年 9 月に開催された第 16 期中国共産党中央委員会第 4 回全体会議(16 期 4 中全会)が採択した「中国共産党中央の中国共産党の政権担当能力の強化に関する決定」に おいて、民主諸党派や無党派人士との連携を強化し、中国共産党の党員ではない、優れた、 より多くの幹部を選抜して、指導的職務に推薦する方針を確認していた(12)。さらに政権は、 1989年 12 月に発表された前述の「意見」以来 16 年ぶりに、統一戦線活動に関する中国共産 党中央の意見を発表した。「中国共産党中央の中国共産党が領導する多党合作と政治協商制 度の建設をよりいっそう強化することに関する意見」(2005 年 2 月)である(13)。この意見は、

(5)

中国政治社会の主要なアクターが秩序をもって政治参加する範囲を拡大し、彼らが利益を 表出する手段を増やすために、政治協商の制度を整える必要があることを確認していた。 そして、その具体的な取り組みとして民主諸党派に籍を置く者や無党派人士の「入閣」の 必要性を再度確認していた。 この後に発表された「中国共産党中央の人民政治協商会議の活動を強化することに関す る意見」(14)(2006 年 2 月)と「新しい世紀における統一戦線活動を強固なものとし、かつ拡充 してゆくことに関する意見」(15)(2006 年 11 月)では、後に詳論する胡錦濤政権の主要な政策 目標である「調和のとれた社会の構築」(「構築和諧社会」)のために、「新しい社会階層」を 含む社会主義事業の共同建設者との団結の必要性を確認し、団結(政治参加)するための枠 組みとして人民政治協商会議制度と民主諸党派や無党派人士との統一戦線活動を重視して ゆく方針を確認していた。 2 「科学的発展観」に沿って「調和のとれた社会」を構築する (1) 戦略の発展 もちろん胡錦濤政権は、江沢民政権が提起した戦略を単に継承しただけではなかった。 それを発展させた。政権が 17 回党大会において、マルクス・レーニン主義、毛沢東思 想、 小平理論、「『三つの代表』重要思想」とともに、新しい指導理念としてこれを中国 共産党規約に書き込んだ「科学的発展観」が、その発展したかたちである(16)「人民を本位 (以人為本)とすることを堅持し、全面的で、協調に基づいた、持続可能な発展観」として 定義されているこの指導理念は、「調和のとれた社会の構築」(17)をするための手段として確 認された。また両者の関係は、「科学的発展観に沿って調和のとれた社会を構築する」、と整 理された(18)。16 回党大会が確認した 2020 年までに「全面的な小康社会」(19)を建設するという 目標は、「科学的発展観」に沿って調和のとれた社会を構築することによって達成されるこ とになる。 では、なぜ胡錦濤政権は、指導理念を「発展」させたのだろうか。この問いに答えるた めには、胡錦濤政権が発足した 2002 年冬まで時間をさかのぼる必要がある。 胡錦濤政権は、発足直後から「立党為公、執政為民(公のために党を建設して人民のために 執政する)」というスローガンを掲げてきた。胡錦濤総書記は、政権発足後の初の視察地と して 2002 年 12 月に河北省の西柏坡を訪問した(20)。西柏坡は、国共内戦の終盤に、中国共産 党中央が北京に入城する直前に本拠地として定め、1949 年 3 月に中国共産党大会を開催した 地である。北京への移動の直前に毛沢東が、北京入城後、政権が謙虚さを失わずに刻苦奮 闘の精神を保ち、腐敗することがないよう戒める発言を行なったことから、今日、革命の 聖地として位置付けられている。そうした場所で胡錦濤は、「われわれの手中にある権力は 党と人民が与えたものであり、広範な人民の利益を図るためにこそ権力を行使する」、「権力 を人民のために使い、人民のことを考え、人民のために利益を図り、最も広範な人民の根 本的利益を実現し、守り、発展させ、人民大衆が改革と発展の成果を享受するよう保障す る」と発言していた。また西柏坡訪問直後に開催された中国共産党の政治局常務委員会会

(6)

議は、改革開放の成果を享受する集団がある一方で、その成果を享受することができてい ない集団が存在していることに着目し、政権は、そうした困窮を極めている大衆(困難群衆) が直面している問題の解決に努力しなければならないと確認していた(21)。胡錦濤のこの発 言は、「科学的発展観」の原点とも言える。 「『三つの代表』重要思想」が、「先進的な生産力」としての「新しい社会階層」に注目し た指導理念であったとすれば、そうした胡錦濤の発言は、新しい政権が江沢民政権の指導 理念を無条件に継承するわけではないことを印象付けるものであった。すでに述べたよう に、政権は江沢民政権の戦略を継承して、「社会主義社会の生産力とその他の事業を発展さ せるよう貢献している」「新しい社会階層」が政治参加するための制度整備に着手していた。 胡錦濤政権は、これに加えて、改革開放路線の成果を享受できない社会階層である「困難 群衆」をも含む「広範な人民の利益」を視野に入れた政権運営を行なう姿勢を示したので ある。 (2)「矛盾が突出する時期」の利益の表出と調整メカニズム  曽慶紅国家副主席(当時)は、胡錦濤政権が「科学的発展観」を提起した背景を説明して いる。曽慶紅は、2004 年 9 月の 16 期 4 中全会が「中国共産党中央の政権担当能力の強化に関 する決定」を採択した経緯を解説した論説を『人民日報』に寄せていた(22) 同論説のなかで曽慶紅は、中国が改革と発展の正念場にさしかかっていること、「1 人当 たりの国内総生産〔GDP〕額が 1000 ドルから 3000 ドルを超えようとしている」中国にとっ て、いまは「『黄金発展期』であると同時に『矛盾が突出する時期』」でもあること、この時 期に着手される改革は中国社会の利益関係の構造にさまざまな影響を与えるものであるこ と、その結果「異なる人、異なる集団の間で改革・発展の成果を享受する程度が違ってく るのは避けられない」と、胡錦濤政権が情勢を分析していたと語っている。そうした分析 を踏まえて政権は、執政党である中国共産党の政権担当能力を強化するための取り組みと して「中国共産党中央の中国共産党の政権担当能力の強化に関する決定」を採択したとい う。また曽慶紅によれば、政権は、1980 年代末から 1990 年代初めのソ連および東欧諸国の 共産党政権が長期間の執政の後に人心を失い、結果として政権を喪失したことも深刻な教 訓として議論していたという。 そしてこの「決定」は、改革と発展の正念場にある中国の執政党である中国共産党が、 政権を担当するうえで第 1 に重視しなければいけない事柄を「科学的発展観」であると確認 し、この発展観に沿って「調和のとれた社会」の構築を進め、2020 年までに「全面的な小 康社会」を建設するという目標を実現する、という政権の方針を確認する意味をもってい た(23) 本論文がこの「決定」に注目するのは、「科学的発展観」を貫徹し、「調和のとれた社会」 を構築するために必要なこととして「決定」が確認した政治制度の改革が興味深いからで ある。「決定」は、「矛盾が突出する時期」の中国社会の利益関係の構造に生じるさまざまな 問題、つまり「改革・発展の成果を享受する程度」に対する認識の相違や利害の対立を解 決するための政治制度改革を提案していた。それはひとつには利益表出のメカニズムの健

(7)

全化であり、いまひとつは利益調整メカニズムの健全化である。それは「新しい社会階層」 だけに限定した政治参加の制度化ではなかった。 「決定」は、経済発展が進んでいる地域や優位な発展を実現している分野や人々の発展の 活力を擁護しつつも、発展が遅れている地域や比較的困難な状況に追い込まれている分野 や人々に対しても配慮する必要があると確認したうえで、社会全体が団結し協力する環境 (政治制度)を作り上げること、各分野の利益関係を適切に調整して「人民内部の利害対立」 を処理する必要性があることを確認していた。また「決定」は、幅広い人民の根本的な利 益の堅持を政権の政策立案と執行の立脚点とすること、人々にとり最も現実的で、人々が 最も関心をもつ、最も直接的な利益を尊重すること、また人々の利益を損なうさまざまな 活動を正し、そして個人の利益と集団の利益、局部的な利益と全体的な利益、短期的な利 益と長期的な利益の関係の調整を図ることが重要であると指摘したうえで、政権は社会利 益の調整メカニズムの健全化に努めること、そして人々の合法的な利益を表出したいとい う要求を重視して、利害対立の解決に努める必要性があることを確認していた。 中国共産党が、こうして利益表出と利益調整のメカニズムの健全化に関する取り組みの 必要性を公式に確認したのは、1987 年 10 月の 13 回党大会以来 16 年ぶりのことである。13 回 党大会で採択された中国共産党の活動報告「中国の特色をもった社会主義の道を歩もう」 は、「各種の異なる社会の利益と対立(矛盾)を適切に処理し調整することは、社会主義に おける重要な課題である」、「社会協商対話のメカニズムを作り上げる必要がある。迅速に、 滞ることなく、的確に下部の意見を上部に伝達し、上部の意見を下部に伝え、相互に意思 を疎通し、相互理解を進めてゆく必要がある」ことを確認していた(24) 胡錦濤政権は、「広範な人民の」利益の表出と利益の調整メカニズムの健全化を、「科学 的発展観」という政権の指導理念を実現するための政治制度に不可欠として、16 年ぶりに 確認したのである。 (3) 秩序ある政治参加 その後、胡錦濤政権は、利益の表出と利益の調整メカニズムの健全化を実現するための 政治制度改革の方針を発展させてゆく。2006 年 10 月の 16 期 6 中全会は、この方針に「人民 の知る権利、参加する権利、意見を表明する権利、監督する権利を法に基づいて保障する」、 「わが国の社会構造と利益の枠組みの発展と変化に応じて、利益調整のメカニズム、請願を 表出するメカニズム、利害対立(矛盾)を調整するメカニズム、権利を保障するメカニズム を科学的に作り上げてゆかなければならない」、「民意を表出するチャンネルを広げる」とい う表現を加えて、方針をいっそう充実させた。さらに政権は、2007 年 10 月の 17 回党大会で の活動報告「中国の特色のある社会主義の偉大な旗幟を高く掲げ小康社会の全面的建設の 新たな勝利をかちとるために奮闘しよう」において、16 期 6 中全会で確認した方針を再確認 するとともに、「人民の政治参加意欲の絶えざる増大に呼応しなければならない」ことを新 たに確認し、そして「秩序ある政治参加」という表現を提起した(25) 「秩序ある政治参加」の意味は、「中国共産党の指導の堅持」である。一方で、1 人当たり の GDP 額が 1000 ドルから 3000 ドルを超える「矛盾が突出する時期」にある政権の政権担当

(8)

能力を強化するために、利益の表出と利益の調整メカニズムの健全化を提起し、その具体 的取り組みの一つとして「秩序ある政治参加」という方針を示した胡錦濤政権の判断は、 ハンチントンの議論を想起させる(26)。政治体制の安定性は、政治参加のレベルと政治的制度 化のレベルの比率に依存するという議論である。政治の制度化が遅れている場合、人々の 政治に対する要求を正当なルートを通じて表明して政治がそれを調整することは容易では なく、政治参加の著しい増大が政治的不安定の要因になりうると論じていた。政権は政治 参加のレベルの急速な増大は政治体制の安定を揺るがす可能性があることを懸念し、政治 参加のチャンネルの拡大を自らが設定した段取り(中国共産党の指導)に沿って段階的に行 なうという方針を示したのだろうか。 17回党大会が確認するまでもなく、中国の人民の政治参加の意欲が絶えず増大している 実態はさまざまに報じられている(27)。これに対して政権は、中国における公式に制度化され た政治参加のチャンネルの改善を通じて応じてきた。政権は、人民代表大会制度(人民代表 大会代表の選挙)や人民政治協商会議制度(民主諸党派)、中華全国総工会(労働組合)をは じめとする公認の団体を通じた参加、あるいは陳情制度(「信訪制度」)の利用、行政訴訟と いった裁判制度の利用、加えて公聴会や民主懇談会など新たな制度を創出し、政治参加の チャンネルの拡大に努めてきた。 一方で、人々は、こうした公式の制度化された政治参加のチャンネルでは自らの意思を 十分に表出できないとの不満を背景にして、さまざまな非公式の政治参加のチャンネルに 訴え、またそれを拡大してきた。たとえば大衆による集団的抗議活動である(28)。また、今日、 最も注目を集めている政治参加のチャンネルは、利用者が 5 億人を超えたと言われるインタ ーネットである。「〇八憲章」と呼ばれる「中国共産党による一党体制を批判し、三権分立 や民主化の促進、人権状況の改善を要求する宣言文」が、2008 年 12 月に学者や弁護士、報 道関係者など 303 名の署名入りでインターネット上に掲載された。同宣言文は、インターネ ット上で署名活動が展開され、多数の支持を集めていた。このほか、2011 年 7 月の浙江省温 州市郊外で発生した鉄道事故に関する情報や鉄道部の事故対応に対する批判がマイクロブ ログ(「微博」、中国版ツイッター〔twitter〕)を通じて発信されていたこと、広東省の烏坎村で 発生した農民による抗議活動の記録映像が「ユーチューブ」(YouTube)を通じて発信された ことなどは、インターネットが政治参加のレベルを爆発的に拡大させる力を有しているこ とを示すものであった。 もちろん政権もその力を熟知している。江沢民政権、胡錦濤政権の主要な指導者はイン ターネットを通じて民意を理解しようと試みていることを積極的にアピールしている。た とえば胡錦濤総書記は、『人民日報』創刊 60 周年に際して人民日報社を訪問し(29)「ネット ユーザーのみなさんが提出する意見や提案にたいして、私たちはとても関心を寄せている。 われわれは『人民を本位とすること』や人民のための政治に努めることを常日頃から強調 しているように、ものを考え、決定を下し、事を行なうにあたっては幅広い人民大衆の意 見を聞き、人民大衆の英知を結集する必要がある。インターネットは、民情を広く知り、 英知を広く集める重要なチャンネルである」と発言していた。同時に政権は、インターネ

(9)

ット空間をコントロールしようと躍起になっている(30) 絶えず増大する大衆の政治参加の要求は、利益の表出のメカニズムの健全化、そして新 しい利益の調整のメカニズムの健全化を要求している。インターネットはそうした要求の 範囲を拡大し、速度を高める可能性を秘めている。胡錦濤政権は、そこに「秩序」を設定 しようとするのである。それは、政治体制の安定性が政治参加のレベルと政治的制度化の レベルの比率に依存するというセオリーを意識しているからなのだろうか。 おわりに 利益の表出と利益の調整のメカニズムの健全化は、今日の中国政治にとってきわめて重 要な意味をもっている。 胡錦濤政権を継承して新しい政権の中心的指導者となると目されている習近平と李克強 を含む政治局メンバーが 2007 年の 17 回党大会で選出された際、「民主推薦」と称される選挙 が実施されたことは記憶に新しい(31)。中国共産党の第 17 期の政治局委員は、正式に選出さ れる前に、第 16 期の中央委員会委員が選挙人となって、新しい中央政治局メンバーとして ふさわしい人物に投票をしたのである。彼らは選挙の洗礼を受けていた。「選挙」は利益の 表出と利益の調整のメカニズムそのものである。 『人民日報』はわざわざ「選挙」が行なわれたことを報じた。このことは、今日の中国政 治が、中国共産党の最高指導者たちを選出するプロセスにおいてすら、利益の表出と利益 の調整のメカニズムの導入を要求していることを示唆している。このメカニズムを重視し ていることを対外的に示すことによって、ようやく指導者は政治的正統性を獲得できるの である。 しかし政権にとって、利益の表出と利益の調整メカニズムの健全化は大きな困難を伴う。 健全化の対象となる既存の利益の表出と利益の調整メカニズムは、過去 20 年間の飛躍的な 経済発展と政治的安定を通じて形成されてきたからである。言い方を変えれば、このメカ ニズムによって中国共産党による一党体制という権威主義体制は経済的繁栄を享受し、政 治的安定を維持できたのである。この既存のメカニズムの主要なアクターは、「誠実な労働 と活動を通じ、そして合法的な経営を通じて、社会主義社会の生産力とその他の事業を発 展させるよう貢献している」と定義された「新しい社会階層」であった。政権は、「『三つの 代表』重要思想」を通じて彼らに政治的保障を与えたように、「新しい社会階層」と利益共 同体を形成し、「新しい社会階層」が新しいゲーム・ルールを作り上げようとするインセン ティブを抑え込んできた。 胡錦濤政権が提起した「科学的発展観」、そしてそれを徹底するための利益の表出と利益 の調整メカニズムの健全化というのは、権威主義体制に繁栄と安定をもたらしてきた既存 の利益の表出と利益の調整メカニズムに手を付けることを意味する。この健全化を通じて 構築される新しいメカニズムのアクターには、「新しい社会階層」とともに改革開放の成果 を享受できていなかった階層が加わる。アクターの拡大により、従来のアクターは、これ まで独占してきた改革開放の成果を新しいアクターとの間で分け合うことになる。分け合

(10)

うのは利益だけではない。新しいメカニズムは改革開放が成果とともにもたらしたリスク (環境汚染や食品の安全など)も配分する。従来のアクターはそれまで得ていた利益を失うだ けでなく、リスクも負わなければならない(32)。彼らは既得権益者として新しいメカニズム の導入に抵抗するはずだ。一方で、新しいアクターもまた期待していたほど十分な利益を 得られないだけでなく、リスクも背負わなければならないことに不満を抱くだろう。それ でも政権は、体制を維持するために 2 つのアクターとの間で利益を共有するメカニズムを作 り上げなければならない。その取り組みが政治参加の制度化である。政治的安定の維持を 提供してきたメカニズムを根本的に書き換えることになるはずだ。 これが、改革と発展の正念場にさしかかっているとの情勢認識を踏まえて胡錦濤政権が 提起した生き残り戦略なのである。政権の視点に立てば、この生き残り戦略の要が「秩序 ある政治参加」であり、この戦略の成功の鍵は社会が要求する「政治参加」を巧みに調整 し、政権が提供する「秩序ある政治参加」の範囲のなかに、それを誘導することにある。 政権は、これまでうまく誘導してきたのだろうか。 胡錦濤政権を継承する新しい政権もまた、政権を取り巻く環境の変化に応じて、新しい 生き残り戦略を創出するだろう。それが中国共産党による一党体制という権威主義体制を 維持するための新しい「適応」なのか、中国共産党による一党体制という権威主義体制の 変容を導くものであるのか。中国共産党の生き残り戦略は、権威主義体制研究に魅力的な 学問的な材料を提供し続けるのである。

( 1 ) 加茂具樹・小嶋華津子・星野昌裕・武内宏樹(2012)、菱田雅晴(2012)、Jie Chen, and Bruce J. Dickson, Allies of the State: China’s Private Entrepreneurs and Democratic Change, Cambridge, MA: Harvard

University Press, 2010; Bruce J. Dickson, “Dilemmas of party adaptation: the CCP’s strategies for survival,” Peter Hays Gries and Stanley Rosen(2010), pp. 22–40; Pierre F. Landry, Decentralized Authoritarianism in

China: The Communist Party’s Control of Local Elites in the Post-Mao Era, NY: Cambridge University Press,

2007; T. Wright(2010); David Shambaugh, China’s Communist party: Atrophy and adaptation, Washington DC: Woodrow Wilson Center Press, 2008; Bruce Gilley, China’s Democratic Future: How It Will Happen and

Where It Will Lead, NY: Columbia University Press, 2004.

( 2 ) 江沢民「在慶祝中国共産党成立八十周年大会上的講話」『人民日報』2001 年 7 月 2 日。 ( 3 )「特稿:新的社会階層成為統戦工作新“著力点”」『新華網』2006 年 12 月 21 日、「新社会階層 身 影日漸清晰」『人民日報』2007 年 6 月 11 日。 ( 4 ) 鈴木隆「中国共産党の組織的適応―党と新興の社会経済エリート」、加茂具樹・小嶋華津子・ 星野昌裕・武内宏樹(2012)、61―83ページ。 ( 5 ) 江沢民「全面建設小康社会、開創中国特色社会主義事業新局面―在中国共産党第一六次全国 代表大会上報告」『人民日報』2002 年 11 月 18 日。 ( 6 )「中国共産党章程」『人民日報』2002 年 11 月 19 日。 ( 7 ) 藤野彰「中国共産党の新指導思想に見る政治・経済・社会の変容―江沢民『三つの代表』と 胡錦濤『科学的発展観』」『立命館国際研究』20 巻 3 号(2008 年 3 月)、39―54ページ。 ( 8 ) 鈴木、前掲論文。 ( 9 )「16 省市統戦部長昇常委」『文匯報』2007 年 7 月 13 日。 (10)「不断鞏固和壮大統一戦線共同建設中国特色社会主義」『人民日報』2006 年 7 月 13 日、「党外人士 政治版図“拡張”」『南方周末』2007 年 5 月 31 日がある。なお、現在、広東省では汪洋党委員会書

(11)

記が人民政治協商会議の機能強化のための発言を繰り返している。 (11)「中共中央関於堅持和完善中国共産党領導的多党合作和政治協商制度的意見(一九八九年十二月 三十日)」『新華網』(http://news.xinhuanet.com/ziliao/2005-02/21/content_2600060.htm)。 (12)「中共中央関於加強党的執政能力建設的決定(2004 年 9 月 19 日中国共産党第十六届中央委員会第 四次全体会議通過)」『人民日報』2004 年 9 月 21 日。 (13)「中共中央関於進一歩加強中国共産党領導的多党合作和政治協商制度建設的意見(二〇〇五年二 月十八日)」『十六大以来重要文献選編(中)』、北京:中央文献出版社、2006 年、672―683ページ。 (14)「中共中央関於加強人民政協工作的意見(摘要)」『人民日報』2006 年 3 月 2 日。 (15)「中共中央頒布《関与鞏固和壮大新世紀新段階統一戦線的意見》」『人民日報』2006 年 11 月 29 日。 こうして胡錦濤政権は、人民政治協商会議制度を通じた「新しい社会階層」の政治参加の機会の 制度化に取り組んでいるほか、人民代表大会制度の改革を通じて「新しい社会階層」の政治参加 の制度化にも取り組んでいる。 (16)「科学的発展観」とは、「その第一義とするところは発展、核心は人民を本位とすること、基本的 要請は全面的で、協調に基づいた、持続可能なこと、根本的な方法は全局的立場に立った各方面 への適切な配慮である」と説明されている。 (17)「調和のとれた社会」とは、「活力の満ちあふれた社会、各方面の利益関係の協調性がとれた社会、 社会の管理体制が不断に改善される健全な社会、安定した秩序ある社会」と説明されている。 (18)「中共中央関於構建社会主義和諧社会若干重大問題的決定(2006 年 10 月 11 日中国共産党第十六届 中央委員会第六次全体会議通過)」『人民日報』2006 年 10 月 18 日。 (19)「小康社会」とは「ややゆとりのある社会」、「衣食の足りた次の段階、多少は豊かさを実感でき る社会水準」と説明されている。 (20)「胡錦濤 12 月在西柏坡説要艱苦奮闘奔全面小康」『新華網』(http://news.xinhuanet.com/newscenter/ 2003-01/02/content_677350.htm)。 (21)「中共中央政治局常委研究解決困難群集生産生活問題」『新華網』(http://news.xinhuanet.com/ zhengfu/2002-12/13/content_658673.htm)。 (22) 曽慶紅「加強党的執政能力建設的綱領性文献(学習貫徹十六届四中全会精神 加強党的執政能力 建設)」『人民日報』2004 年 10 月 8 日。 (23) なお、「科学的発展観」の理念が初めて提起されたのは、2003 年 7 月の重症急性呼吸器症候群 (SARS)対策に関する全国規模の会議での胡錦濤総書記の発言である。また中国共産党の公式文書 のなかで「科学的発展観」の理念が提起されたのは同年 10 月の 16 期 3 中全会である。中国共産党 中央委員会レベルの公式の文書のなかで「科学的発展観」という言葉が書き込まれたのは 16 期 4 中 全会の「中国共産党中央の中国共産党の政権担当能力の強化に関する決定」である。 (24) 趙紫陽「沿着有中国特色的社会主義道路前進」(一九八七年一〇月二五日)、『十三大以来 重要文 献選編(上)』、北京:人民出版社、1991 年、4―61ページ。 (25) 胡錦濤「高挙中国特色社会主義偉大旗幟 為奪取全面建設小康社会新勝利爾奮闘―在中国共 産党第十七次全国代表大会上報告」『人民日報』2007 年 10 月 15 日。 (26) サミュエル・ハンチントン(内山秀夫訳)『変革期社会の政治秩序(上)』、サイマル出版会、 1972年、51―53 ページ。 (27) 今日の中国における政治参加の実態についてはさまざまな先行研究の蓄積がある。本論文におい て参考文献として掲げたもののほか、以下の業績を参照されたい。佐々木智弘『中国「調和社会」 構築の現段階』、日本貿易振興機構(JETRO)アジア経済研究所、2011 年、房寧ほか『中国政治参 輿報告(2011)』、北京:社会科学文献出版社、2011 年、菱田雅晴『中国―基層からのガバナン ス』、法政大学出版局、2010 年、佐々木智弘『現代中国の政治的安定』、JETRO アジア経済研究所、 2009年、唐亮『変貌する中国政治―漸進路線と民主化』、東京大学出版会、2001 年。また Gries

(12)

and Rosen(2010)は下記の書籍のコンセプトを継承し、内容を最新の中国政治の動向にあわせて 修正したものである。比較をすると興味深い。Peter Hays Gries and Stanley Rosen eds., State and Society

in 21st-century China: Crisis, contention, and legitimation, London: Routledge, 2004.

(28) たとえばこうした情報についてアクセスできるウェブサイトに次のようなものがある。「中国茉 莉花革命」(http://www.molihua.org/2012/01/2011_25.html)。 (29)「唱響奮進凱歌 弘揚民族精神」、「在人民日報社考察工作時的講話」、ともに『人民日報』2008 年 6月 21 日。 (30) Yang(2009)のほか、最新の先行研究として、渡辺浩平『中国ネット最前線―「情報統制」と 「民主化」』(蒼蒼社、2011 年)がある。また、下記の報道は興味深い。安替「中国の言論統制にツ イッターが風穴」『FACTA』2011 年 1 月号(http://facta.co.jp/article/201101059.html)、胡舒立「中国報 道統制は過渡期 後戻りできぬ言論開放」『FACTA』2011 年 11 月号(http://facta.co.jp/article/201111023. html)。2012 年 3 月より、中国のマイクロブログ(微博)を使用するためには実名で登録しなけれ ばならないとの規定が設けられたことは、そうした取り組みの一貫であると指摘されている。「3 月 16 日成分界点 北京老微博不実名不能再発言」『人民網』(http://politics.people.com.cn/GB/14562/ 17045800.html)。 (31)「為了党和国家興旺発達長治久安―党的新一届中央領導機構産生紀実」『人民日報』2007 年 10 月 24 日、加茂具樹「『民主推薦』された新しい『中央の領導集団』」『東亜』第 486 号(2007 年 12 月)、 46―55 ページ。 (32)「リスク」の配分という概念は、梶谷懐『「壁と卵」の現代中国論―リスク社会化する超大国 とどう向き合うか』(人文書院、2011 年)より得た。 ■参考文献 加茂具樹・小嶋華津子・星野昌裕・武内宏樹(2012)『党国体制の現在―変容する社会と中国共産党 の適応』、慶應義塾大学出版会。 菱田雅晴(2012)『中国共産党のサバイバル戦略』、三和書籍。

Gries, Peter Hays, and Stanley Rosen eds.(2010)Chinese Politics—State, society and the market, London: Routledge.

Wright, Teresa(2010)Accepting Authoritarianism—State-Society Relations in China’s Reform Era, CA: Stanford University Press.

Yang, Guobin(2009)The Power of the Internet in China—Citizen Activism Online, NY: Columbia University Press.

かも・ともき 慶應義塾大学准教授 http://tomoki.sfc.keio.ac.jp [email protected]

参照

関連したドキュメント

他方, SPLM の側もまだ軍事組織から政党へと 脱皮する途上にあって苦闘しており,中央政府に 参画はしたものの, NCP

リカ民主主義の諸制度を転覆する﹂ために働く党員の除名を定めていた︒かかる共産党に対して︑最高裁判所も一九

 音楽は古くから親しまれ,私たちの生活に密着したも

 トルコ石がいつの頃から人々の装飾品とし て利用され始めたのかはよく分かっていない が、考古資料をみると、古代中国では

えて リア 会を設 したのです そして、 リア で 会を開 して、そこに 者を 込 ような仕 けをしました そして 会を必 開 して、オブザーバーにも必 の けをし ます

つまり、p 型の語が p 型の語を修飾するという関係になっている。しかし、p 型の語同士の Merge

自分ではおかしいと思って も、「自分の体は汚れてい るのではないか」「ひどい ことを周りの人にしたので

これも、行政にしかできないようなことではあるかと思うのですが、公共インフラに