旧仏領イ ン ドシナにおける高等教育の形成 と国際化の課題
―― ベ トナム の取 り組 み を例 に 一 )
松
田
紀 子
【要
旨】
近年、高等教育制度 および資格 (学位)告J度にはグローバル化 の要請 が突 きつ け られて お り、各国の高等教育行政 および高等教育機関 は国際化への積極的な対応が求 め られてい る。 このよ うな高等教育 の国際化への対応 は、発展途上国 において もたいへん大 きな関心 が寄せ られている。かつて仏領 イ ン ドシナとして フランスの植民地政策 の もとで高等教育・
職業教育が再編・ 構築 されたベ トナムにおいて も、今 日、教育環境 の整備 や教育 内容 の刷 新 の ほか、「質 の保証」 や「評価」 な どの課題 を視野 に入 れた高等教育 の国際化 への対応 戦略が構想 されている。現在 は、先進国の方式 を直接取 り込 んだモデル大学 を複数設置す
ることによ って、国際化 の課題 に取 り組 んでいる。
【キー ワー ド】高等教育、国際化、仏領 イ ン ドシナ、 ベ トナム
1。
は じめに近年、 グローバ ル化 と
IT/FT「
革命」 の中で モ ノ作 りの再編 を迫 られ る高度先進諸 国 で は、「理工系教育 の危機」「大学院教育 の拡充」 が叫ばれている。同時 に、高等教育制度 および資格 (学位)制度 にはグローバル化 の要請 が突 きつ け られてお り、各国の高等教育 行政 および高等教育機関 は国際化への積極 的な対応が求 め られている。近年 日本 の大学で相次 いで取 り組 まれている「 ダブル・ デ ィグ リー (国際連携複数学位
)
のプ ログラムは、 その代表的な例であ り、今年 8月 文部科学省 の中央教育審議会・ 大学分 科会 はグローバル化 の中での大学 の質保証 のあ り方 を示 した「 中期的な大学教育 の在 り方 に関す る第二次報告」で、 ダブル・ デ ィグ リーをは じめ とす る国際的な共 同教育 の推進 を、
質保証 の具体策 と して打 ち出 して いる②
。
また、 ヨー ロ ッパ において は、域 内の単一市場 における物・ 資本 0人の移動 の自由を労 働市場 にも貫徹 させ るべ く、域内の高等教育 による資格 (学位)告J度の共通化がボローニャ・
プ ロセスの中で各国 において進 め られ る一方、実際 に学生 や研究者 のモ ビリテ ィーを高 め るべ く合同教育 プ ログラムや奨学金 を軸 に した「 エ ラスムス」 プ ログラムが展開 されて き たが、新 たに欧州連合 の加盟国以外 の国の大学 も正式 に参加で きる「 エラスムス・ ム ン ドュ ス」 として発展的に拡大 された ことは、高等教育 の国際化への取 り組 みへの関心 を改 めて ひ きつ けている。
このよ うな高等教育 の国際化への対応 は、 さ らに発展途上国 において もたいへん大 きな 関心が寄せ られている。 それが具体的 に示 されたのが、2009年 9月 にベ トナム・ハ ノイで 開催 された 日越学長会議 にお けるベ トナム側 の姿勢 であ った。 で は、 どのよ うにとりくま
れているのか。
そ こで本稿 で はまず、 このベ トナムを含 む東南 ア ジア地域 について、 かつて仏領 イ ン ド シナと して フランスの植民地政策 の もとで教育制度 (と りわ け高等教育)が構築 された歴 史的経緯 を概観 し、次 いで今 日のベ トナムを事例 に、発展途上国 にお ける高等教育 の国際 化への取 り組 みにつ いて整理す る。
2。
旧仏領 イ ン ドシナにおける高等教育 の構築フランスあるいはイギ リスなど帝国の旧植民地 は、植民地化、独立戦争、社会主義化・
内紛、経済 自由化 など、幾多 の危機 に直面す る中で多元的 に再編 されて きた。 と くに旧イ ン ドシナ と北 アフ リカ地域 は、 フランス帝国か らの独立後、一国主義的な社会主義政策か ら転換 し、欧米 の資本 と技術 を取 り入 れ 自国の経済 自由化 を進 め、高度経済成長 に備 えた 新 たな秩序 を模索 し始 めている。 そ して、多 くの発展途上国の危機克服で は、多国籍企業 活動 や政府協力 を通 じた旧宗主国の大 きな役割が再 び注 目され る。
こうしたなか、18世紀以来世界的 に評価 され注 目されて きた高等技術教育制度 を もつ フ ランスは、植民地 の同制度 の構築 にどのよ うに関わ っているのか。
フランスの植民化・ 植民地政策 について は、帝国秩序・ 政策 の観点か ら既 に多 くの研究 成果が出 されてい る°
。特 に本稿 が注 目す る植民地教育政策 につ いて は、近年 で は古沢常 雄 が、 ベ トナムにお ける植民地教育政策 の概 略整理 を通 じて、「 文 明化使命」 を旗 印の下 進 め られて きた「 同化政策」 に潜む不平等性が、結果 と してベ トナムにおける民族独立運 動 の正 当性 の賦与、 フランスの完全撤退 を もた らした ことを指摘 してい る°。 ただ し、古 沢が 自 ら指摘 してい るよ うに、教育 の実態 につ いて探求す る資料 を 日本 で見 出す ことはほ
ぼ不可能 であることは自明であ る。
筆者 は、植民地政策 に比 して研究が進 んでい るとは言 い難 い、 旧仏領 イ ン ドシナにお け る個 々の高等教育機関の形成 につ いての資料 を、現地 の同時代文献 に求 め ると同時 に現地 の大学関係者への聞 き取 りを行 うなどの作業 を進 めている。 この時期 の史料 について は本 稿 で は詳細 に言及 しないが輛k旧仏領 イ ン ドシナ (現在 のベ トナム・ カ ンボ ジア・ ラオス
)
とフランスに散在 している同時代文献 の収集 を進 め るなかで、高等教育機関形成 につ いて の具体 的な状況 につ いて把握す るとともに、「職業教育」 の制度化が当時 の課題 と して認 識 されて いた点 も発掘す ることがで きた。(後者 は産業界への「 資格」 と しての価値 と深 く関わ るだ けに、教育 の「 出口」 に関す る今 日の論点 と重 な りあ うとい う点で、 たいへん 興味深 い。
)
旧仏領 イ ン ドシナにお ける高等技術教育 につ いて は、 フランス統治時代 にフランス型教 育 の最高峰 と して設立 された機関が、社会主義化時代 はロシア語 テキス トによるソ連型技 術教育 に改組 され、 その後、 フランス政府 の全面支援 によ リフランス語 による技術教育 に 再編 されている。 さ らに今 日で は、東南 ア ジアの高等教育 は、 日本 の諸大学 を含 め先進国 が「連携」 とい う形で 自国の教育 システムの影響力 の拡大 を図 って国際競争 を行 う場 と化 している。例 えば、今 日カ ンボ ジアにお ける技術教育 の最高峰であるカ ンボ ジアエ科大学 には、構内に「 フランス語圏大学 プノ ンペ ン事務所」があ り、 フランス語圏へのアイデ ン テ ィテ ィが確認 され るとともに、 カ ンボ ジアエ科大学生 の進学先・ 留学先 として、 フラン
ス語圏大学が視野 に入 っていることが想像 され る。他方、大学案内図や構 内図でカ ンボ ジ ア語 および フランス語が併記 されているが、新 しい垂 れ幕 には英語 で も標記がなされてい ることを、筆者 は現地 で確認 した (資料 1および2)。
資料
1
カ ンボ ジアエ科大学 (2007年11月筆者撮影)
資料2「フランス語圏大学プノンペン事務所」
(カ ンボ ジアエ科大学構 内
)
(2007年11月筆者撮影
)
イ ン ドシナにおけるフランスの教育政策 の歴史 につ いて整理 した トリン・ ヴ ァン・ タオ は、 フランスの教育政策 について3つの時期 (第一期 :1878〜 1907年、第二期 :1908〜19 18年、第二期 :1918〜 1945年)に区分 し、特 に、第二期 を、植民地 において フランス式教 育制度 の再生産が押 し進 め られた時期、 と して いる°
。実際、 これを裏付 けるよ うに、 イ ン ドシナに向 け られ る予算全体が1910年 か ら1930年 に3倍強の伸 びをみせ るなか (1910年 53,977$、 1930年172,078,336$)、 教育 に向 け られ る予算 の 占め る割合 が1910年 の
1。
92%か ら1930年 の6.13%へ と拡大 されている°。
本稿が注 目す る高等教育機関が形成・ 拡充 されたの も、 まさに この第二期であ り、
トリ ン・ ヴ ァン・ タオが第一・ 二期 と して整理す る1918年以前 は、高等教育 の内容 を持 った教 育機関 は設置 されていなか った。初等・ 中等教育 に比 して進展が遅 く、 また課題 も多か っ た とされている。第一次大戦前 には、土木、法学、医学 の領域 で、原住民か ら採用 され る 職員 の水準 を上 げるための専門学校 がハ ノイやサイ ゴンに設置 された ものの、第一次大戦
とともに進展 は頓挫 す る③。第一次大戦後 に大戦前 の流 れを引 き継 ぎ、 さ らに中等教育 向 けの教員養成、獣医学、農林業、商業 の専 門学校が設置 され、 これ らの諸専門学校 をまと めて1918年 に「 ハ ノイ大学」 とい う呼称が与 え られ ることとな った。本格的な高等教育 の 形成 である。
資料 3 1920年頃 のハ ノイ大 学 の大 講 義 室 (出典 :Lα D■ιεんθ θοιοん
jα Jθ jι
ιastrιQ̀Z'θ
んsθ
jgんθ7η
θんιSり
ριrjθ
じrθん ∬几αο―Cんjん
〆',Mars―Avril 1920)資料
4
現在 のハ ノイ自然科学大学 (2009年 9月 筆者撮影)
資料
5
現在 のハ ノイ 自然科学大学 の扉 (Universitё de l'Indochineの 頭文字UとI
の組 み合 わせが残 る
)
(2009年 9月 筆者撮影
)
そ して、1930年 におけるイ ン ドシナにお ける高等教育機関 は、 当時の フランス公教育局 の 分類 を もとに次 のよ うに示す ことがで きる°。
(1)一般教育機関 :
1。 1 医学・ 薬学学校
1.2
法・ 行政学校1。 3 高等師範学校 (教員養成)
(2)高等技術教育学校 (フ ランスの グランゼ コールGrandes Ecolesに相 当
):
2。 1 応用科学高等学校 (土木学校、獣 医学校、農林業高等学校) 2。 2 基礎技術高等学校 (商業高等学校、美術学校)
)
学生数 は全体 で551名を数 え (1926年には369名
)、
その分類 は資料3のとお りであ る。医学・ 薬 学
うち
医学 0薬 学課程 医療補助課程 助産婦課程
193 (359イ
)
67 100 26
法・ 行政 24 ( 49イ
)
教員養成 46 ( 89̀
土 木 101 (189イ
)
獣医学 32 ( 69イ
)
農林業 36 ( 79イ
)
商
業 うち 商業
郵便 0電信 無線電信
50(9%)
30
N.A.
N.A.
美 術 69 (139イ
)
︿口 計 551 (1009イ
)
資料 6 1930年のハ ノイ大学 の学 生数
(]Direction gё
nё
rale de lilnstruction publique, Lθsθ rυ jε
θ αθ ιτんsι
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θθんゴθθα HanOi, 1930,pp.105‑122よ り作が0ところで、 1920年 頃の仏領 イ ン ドシナにお ける高等教育 につ いて概観 したLα Dのごθんθ
Cο」οん
jα
ιθ ιιJttsι rご
θによれば、 ハ ノイ大学 には、 当初、 医学・ 薬学 (助産婦含 む
)、
獣 医学、法・ 行政学、教育 (教員養成)、
農林学、土木学、 が設置 されたが、 その後 の展望 と して、 さ らに商業、電気、応用科学、漁業、航海学 の設置が予定 されていた、 とい う。0。
すなわち、商業0電気・ 応用科学・ 漁業・ 航海学 とい った産業 に直結 した領域 の高等教育 が指 向 されていたのであ るが、1930年 時点 で は設置 に至 っていない領域 が複数 あ ることが わか る。
仏領 イ ン ドシナで は、 この高等教育 の形成 と併せて もうひ とつの課題 とな っていたのが、
先 に述べ たよ うに、現地 の産業界 と直結 した職業教育 の制度化 であ った。 これ は、同時代 文献・ 資料 のなかで Ecole professionnelle"と して散見 され る。 フランス本国で は、戦間 期すなわち第一次大戦後か ら1920年代 を通 じて、産業界 に輩 出す る技術 の担 い手 の養成 の 制度化 につ いて様 々な改革 の試 みが展 開 されて いた。例 えば、「技術教育 の憲章」 と称 さ れ た1919年 の アステ ィエ法 の制定、公教育省 に新 たに技術教育担 当の設 置、 1925年 には
「職業訓練税」 の制定 な どであ る。 その背景 には、 フラ ンス革命 によ って封建的生産関係 が解体 され「営業 と労働 の 自由」 が もた らされた ことによ り、熟練労働力 の供給 システム であ った「徒弟制度」 に代 わ る職業訓練制度が19世紀 を通 じて模索 されて きた ことが挙 げ られ る。 その担 い手 は、19世紀前半 は地方 自治体 あ るいは労働者・ 実業家 な どであ り、18 80年 代以降 にな って国家が技術教育 の制度化 に乗 り出 したが、 そ こには国内産業 の育成 に 不可欠 な課題が強 く認識 されていた。
これ に対 して仏領 イ ン ドシナで は、 こうした フランス本国で進展 した職業訓練 の制度化 の影響があ ったのか。職業訓練 の成果 は、現地産業界 の伝統や慣習、 また労働市場 の規模 に直結 している。高等教育 であるハ ノイ大学 の卒業生が、医学 や行政 な ど、 フランス総督 府 の行政機関の末端 を担 うもの と して養成 され る、すなわち現地 の独 自の事情 によ らず に 高等教育が展開 されえた、 と推察 で きるの とは大 きな違 いである。
イ ン ドシナにおいて は、1899年 に現地人 が開設 した職業訓練学校 な ど職業訓練 を意図 し た機関が設置 されていたが、 その再編 の試 みが1920年代 に進 め られ る。 1927年 には、 イ ン ドシナにお ける職業教育 の必要性 について、1928年 には既存 の職業教育機関 について調査 が進 め られ、 その結果 と して初等教育 の レベルに、職業への準備 とな る要素が漸進的 に導 入 され ることにな る。 さ らにイ ン ドシナの経済発展 に必要 な熟練 の労働者 を養成す る機関 と して、 フエの工業実践学校Ecole pratique d'industrie de HuOが 1925年 に開校 す る
m。
3学年 か らな る この工業実践学校 は、 当初100名の学生 を予定 して いたが、経済発展 に 対応す るには不十分 と して1928年 には120名に引 き上 げ られ、 1930年 には全校 (3学年
)
で149名を数 え る。入試 は選抜 によ って行 われ、200名 ほどの受験生 か ら45名が合格 してい るので、競争倍率 はかな り高 い といえよ う。3年間の教育 は1年間の実習 (領域 によ って は
2年
間)を含 んでお り、教育 内容 は「一般教育 (フ ランス語、数学、科学)」
と実習室 atelierで行 われ る「職業教育 (機械、工業電気、製図、工学、実践)」
とか らな っている。2。
1928 1929 1930
土木 (機械工 な ど
)
20 20鉄道 (機械工・ 電気工
)
5郵便・ 電信 (機械工・ 電気工
)
0 0職 業 教 育 0
電 機 工 場 6 4
その他工場 4
自動車関連 4 6 16
武器製造関連 0
計 28
/ 仕 9 0
54資料
7
フエエ業実践学校卒業生の就職状況(DirectiOn gёn6rale de l'instruction publique,Lθ Cθんι
rθ
ごθ/ormαιjο
んprO/aSSjοんんθιιθごθ∬
a Hanoi,1931,p.13よ
り作成)
この工業実践学校での教育が産業界の養成に対応 していたことは、資料 4に 示すように、
卒業生の就職状況が良好であることか ら見て取 ることができよう。
3。
今 日の国際化の課題一ベ トナムを例に一このように仏領イ ンドシナでは、 フランスの植民地政策の下で1918年にハ ノイ大学設置 で始 まった高等教育であるが、今 日この地域を含め発展途上国における高等教育には、 ど
のよ うな国際化 の課題があると考え られてお り、 どのよ うに取 り組 まれているのか。本稿 で は、 引 き続 きハ ノイ大学が設置 された地域であるベ トナムの事例 を紹介す る。
筆者 は2009年 9月 にベ トナ ム・ ハ ノイで開催 され た「 第一 回 日越学長会議The First Vietnam―Japan Presidents'Conference」 に参加す る機会 に恵 まれた (2009年 9月17‑19 日
)。
この会議 には、 日本側 は49大 学・ 文部科学省・ 日本学術振興会・ 国立大学協会か ら 100名近 く、 またベ トナム側 は45大学 および教育訓練省MOETか ら同程度 の数 の参加があ っ た。会期2日間 にわた って 日本 とベ トナムの大学問での様 々なプ ログ ラム (共同研究・ 教 育交流)が紹介 され、終盤 には 日・ 越双方 の文部科学省・ 教育訓練省関係者立会 いの もと で大学 問協定 の合 同調印式が執 り行 われ るなど、 日越間の高等教育 における交流の活発 さ を印象づ ける日程 であ った。当該会議 には副題 と して「高等教育 における提携 :グローバルな視野か ら得 られ る今後 の諸課題 と実践 (筆者訳
)」
が掲 げ られて いるよ うに、 この機会 を通 じて、 ベ トナムの高 等教育 レベル向上 に対す る日本 の諸大学 か らの支援 に、 ベ トナム側 の期待が大 いに表明 さ れていた。 レベル向上 を 目指す領域 と しては、教育・ 研究 にとどま らず、大学運営 にまで 言及 されてお り、 キーワー ドと して挙が っていたのが「質 の保証」 あるいは「評価」等 で あ った ことに見 られ るよ うに、 日本 の高等教育 において も近年議論 されている項 目である のはいた ことは大変興味深 い。以下 で は、会議 での資料及 び議論 に基づ いて、今 日のベ トナムにおける高等教育 の課題 を整理 す ることす る。
D。
資料 によれば、 ベ トナムで は、 1987年 には101の大学・ 短期大学 (68大学・38短期大学
)
に学生13.3万人、教員2万人 を数 えたが、2009年 には376機 関 (150大学・ 226短 期大学
)、
学生数170万、教員6.1万人 にまで飛躍 的 に伸 びてお り、大学進学率 は13%と な っている。
こうした量 的発展 は、 しか しなが ら国の工業化・ 近代化 や人 々の勉学・ 社会統合 といった ニーズに充分 に対応で きていない、 と分析 されている。 こうしたベ トナムの高等教育の弱 点 として挙が ってい るのが、以下 の5点であ る。す なわち、
1。
教育 プ ログラムや研修様式 の遅 れ2。
設備 (特に実験室)の古 さと不足3。
大学運営方法 の古 さ4。
職員 の質 および能力面 の弱 さ5。
大学 にお ける教育 と研究 の連携調整 の不足 である。ベ トナムで は国の発展 の要請 に高等教育が対応で きるようにすべ く、2020年 を目途 に し た高等教育 の発展 の方 向性 を定 めて い る。 具体 的 には、 2005年 7月 に政府 が「 2006年 〜 2020年 の高等教育 における基本的かつ包括的刷新 に関す る法令」 を発表 し、特 に以下 の
7
点 を課題 と して挙 げている。す なわち、
・ 教育構造 を刷新 し、機関のネ ッ トワークを拡充す る
・ 教育の内容・ 方法・ 過程 を改善す る
・ 職員の業務 内容 (企画・ 教育・ 研修・ 管理)を改善す る
・ 科学 0技術 にお ける活動 内容 を刷新 す る
・ 資源や資本 の動員 メカニズムを改革す る
・ 運営 のメカニズムを刷新す る
・ 国際社会 への統合 を拡大す る
これ らの課題 に対 して、 い くつかの大型 プ ロジェク トを長期 日程 で組 み、実現が 目指 さ れてい る。
例 えば、教育面 において は、 ベ トナム教育訓練省 は2006〜 2015年 にか けて、先進工業国 の世界有数 の大学 で採用 されている英語 での教育 プ ログラムを、「adanced program」 と 称 して選択 しベ トナムの大学で実施す るとい うプ ロジェク トが あ る。先進国での事例 を模 倣す ることで、教育内容 はもちろん英語 による教授・ 授業 を通 じて教育・ 試験・ 評価 といっ
た側面 を刷新 しよ うとす る、 とい う。 ベ トナムは このプ ロジェク トを通 じて教育環境 を国 際水準 に挙 げ、結果 と して2020年 まで に最高学府 を「region」 (筆者 :ア ジア地域 を指す か)の トップ500大 学 内 に ランクイ ンす るよ う働 きか ける、 とい う具体 的 な 目標 を掲 げて いる。
こうした「advanced program」 を修了 した学生 は、優れ た質・ 能力 0外国語力 を生 か して、 ベ トナムの社会経済 の発展 に寄与す る高度人材 の供給源 として労働市場 に適合す る、
と考 え られている。 このよ うに、先進国の著名 な大学 で実施 されてい る英語教育 プ ログラ ムをベ トナムに「 直接」取 り入れ るとい う、多少荒 っぽい「 シ ョック療法」 プ ロジェク ト ともいえ るが、 これがベ トナムの高等教育 の刷新 を促 し、 ベ トナムの社会経済 の発展 を促 す源泉 とな ると見 られてい るのである。
他方、研究面 において は、国際的な レベルの研究推進 の大学 をひ とつ構築す ることを 目 指 して いる。 ベ トナム政府 は他国の政府 および大学 の協力 を得 て、 中規模 だが国際水準 の 研究活動 を推進す る大学 をい くつか構築 し、2025年 まで に少 な くともひ とつ、世界 の トッ プ200大 学 に ランクイ ンさせ る、 とい う。 これまた非常 に具体 的な数値 目標 の設定 である。
こうした教育・ 研究 の両面での刷新 を可能 にす るための、大学教員 の人材養成 につ いて も考 え られている。す なわち、2020年 まで に少 な くとも2万人 の博士号取得者 (う ち半数 は海外 での学位取得)を創 出 しよ うとい うものである。 これ は、 ベ トナムの高等教育 を持 続的 に刷新 してい くためには、不可欠であろ う。
さ らに、高等教育 の刷新 に産学連携 の視点 も取 り入 れ られてい るとい う。すなわち、教 育訓練省 を中心 に高等教育機関 に、社会的需要 に合致 した人材 の輩 出 とい う視点 を意識 し た教育 に取 り組 む、 とい った意識 の変化が生 まれてお り、教育訓練省 自体 が産学連携 の重 要 な筋道 とな ってい る。
その他 に も、大学 を中心 とした高等教育 の改革 を中央集権的で はな く草 の根方式で進 め、
機関の 自主性 と責任 を明確 にす る、大学長 の運営能力 の向上 を図 るプ ログラム も実施す る、
大学 にお ける研究 を教育 および社会 ニーズに寄与 す る ものに活用す る方式 を刷新す る、 と い った ことが挙 げ られている。
このよ うに多 くの局面 での課題 に果敢 に取 り組 もうとす るベ トナムであ るが、 その戦略 は次 の とお りである。す なわち、
1。
世界水準 の研究大学 を設置す る。「研究大学」 は、教育・ 科学技術 0国の発展 に必 要 な新 しい知識 を創 出す る専門家 を育成す る上 で重要 なけん引役 であ るので、世界水準 の研究大学 を設置 し、 この大学 の国際的な認知度 を高 めれば世界 の大学 ランキ ング に入 ることが可能 にな る。
2.現在 あ る150の高等教育機 関の うち、15大学 が重点機 関 に位置づ け られて い るが、
ア ジアの上位500大 学 に数 え られ る もの はない。 けん引役 とな る先進的 な大学 が ひ と つ必要で、 そ こか ら教育・ 研究 を担 う高度人材 を継続的に輩 出す る仕組 みを作 る。
3.ベ トナムの現状 (資金・ 人材・ 運営)では、早急 かつ可能 な解決策 は、 ベ トナム政 府 の投資 とパ ー トナー各国およびその先進的な大学 か らの支援 で世界水準 の研究大学
を設置す ることであ る。
こうした戦略 の もと、海外諸国の協力および世界銀行・ ア ジア開発銀行 の融資を得 て こ れ らの課題への取 り組 みが「
4案
」構想 されているとい う。この うち、既 に結実 させ た最初 の事例が、2008年 9月 1日 に ドイ ツの支援 を受 けて ホー チ ミン市 に開設 され た「 ベ トナ ム・ ドイ ツ大学Vietaese―
German University(VGU)」
であ る⑭。 これ は、理工系 の研究大学 を 目指 して教育 および行政 につ いて ドイ ッ方式 を取 り入 れて運営 されている。教員 も開設 して しば らくは ドイ ツのパ ー トナー大学 の教員が担 当 してい るが、将来的 には卒業生が教壇 に立つ ことを視野 に入 れて いる。授業 は英語 で行 われ、初年度 は学士課程1コ ース (電気工学・ 通信技術
)、
2009‑10年度 につ いて は、修士 課程 3コ ース (コ ンピュー ターエ学、 ビジネス情報 システム、都市開発計画)を増設、 さ らに2010年 度か らはさ らに修士課程 1コ ース(メ
カ トロニクス・ セ ンター システムエ学)
を新設す る計画が進 んでい る。
一方、 ハ ノイ には、 フ ラ ンス政府 の協 力 を得 て同様 の大学「ハ ノイ理工科大学HanOi University of Science and Technology(HUST)」 の開設が予定 されている。 これ は、
ベ トナム側 の説明 によれば、生物学・ 薬学・ 航空工学・ エネルギー学・ 情報通信工学・ 環 境学 などを視野 に入 れてお り、教育・ 研究・ 運営 とい った面 で フラ ンスのおよそ40の大学 が教員 の人材 も含 めて協力す る計画で進 め られている、 との ことであ る。
そ して、第二 の構想 と して、 ベ トナム中部 の大都市 ダナ ンに、 ダナ ン大学 との緊密 な協 力関係 をベ ースに した「 ダナ ン国際大学Da Nang lnternational Univeroity(DIU)」
が計画 されているのであ るが、実 は この開設・ 運営 に日本 の大学 の支援 を期待 されている ことが、 9月 の 日越学長会議 でベ トナム側 か ら表明 されている。
(なお、第 四の事例 につ いて は、現在 の ところ筆者 は把握 していない。
)
4。
おわ りに以上、整理 して きたよ うに、今 日のベ トナムにお ける高等教育 の課題 と取 り組 みを見 る と、施設 の拡充 とい った教育環境 の整備 や教育 内容・ 方法 の刷新 とい った課題 は もちろん の こと、 日本 を含 め欧米 の先進諸 国 で も目下取 り組 まれて い る「 質」 の面 で の諸課題
(「
質 の保証」「評価」 な ど)もが戦略 の視野 に入 ってい る ことに、大 きな関心 が寄せ られ よ う。日本 の大学 での国際化への取 り組 みをみ るに、強 い リーダー シップの もと独 自の工夫 と 大胆 な組織改革 を行 って斬新 な教育 プ ログラムが実施 され る有力大学 があるとはいえ、や は り現場 の状況 に適合 された ものを選択 的 に実施 され るとい う状況が多 い と思 われ る。 こ
れ に対 して、先進地域 での高等教育 において数十年 の幅で取 り組 まれて きた課題が、 ベ ト ナムで は数年 に凝縮 されて取 り組 まれよ うと しているのであ り、高等教育 におけるグロー バ リゼー ションの波 のなかに置かれているベ トナムの状況がよ くわか るのではないだろう か。
だか らこそ、 ベ トナムで先進諸国の事例 をいわば「 直輸入」 して「移植」す る4つの事 例 が構築 されたのちは、次 の段階 と して「 直輸入」 の諸制度が 自国の状況 に適合す るよ う 変容 され るであろ う過程 に注 目 してい きたい。
【注】
(1)本稿 は、科学研究費補助金 (基盤研究 (C)20530303 研究代表者
松 田紀子)の支 援 を受 けた。
(幼 尚学新 聞2009年10月 1日、p◆ 1。
ただ、 国内の大学 が、様 々な教育制度・ 学位制度 を
もつ諸外 国 の大学 と個別 にプ ログラム構築 を工夫 しつつ設置 した結果、「 ダブル・ デ ィ
グ リー」 の定義 や仕組 みに混乱が生 じていることも否定 で きない。
(3)例
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ιe Albin NIichel, 1986、権 上 康 男 (1985)「フ ラ ンス帝 国主義 とア ジア:イ ン ドシナ銀行 史 研 究」(東京 大学 出版 会
)、
平 野 千 果 子 (2002)「フ ラ ンス植 民地主 義 の歴 史」(人文書 院)などの研 究 が あ る。(4)古沢常雄「 ベ トナムにお けるフランスの植民地教育政策一「文 明化使命」 をめ ぐって一」
日本植 民地教 育史研 究会「『 文 明化 』」 に よ る植 民地 支配」(皓星社 、2003年、 11‑26頁 。
(5)史料 はベ トナ ム (ホ ーチ ミンお よびハ ノイ)・ カ ンボ ジア (プノ ンペ ン)の国立 文書 館 、 フ ラ ンス国立 文 書 館 海外 文書 分館 (フ ラ ンス・ エ クサ ンプ ロ ヴ ァ ンス)他に所 在 す る。 仏 領期 の同時代 資料 は、対象領域 に よ って フ ラ ンスが イ ン ドシナか ら撤 退後 に フラ ンス に引 き揚 げた もの と、経済・ 金融 な ど現地 で の必要 性 か らベ トナ ムや カ ンボ ジアな ど現地 で保 管 されて い る ものが あ る。 また、 イ ン ドシナ と一 口 に言 って も、例 え ば ベ ト ナ ム とカ ンボ ジアで は、史料 へ の ア クセス制 限 に大 きな違 いが あ るな ど、現地 に実 際赴 いて直面 す る困難 が少 なか らず あ る。
(6)Trinh Van Thao,L u7θο
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θ9,配 布資料。⊂41 http://vgu.edu.vn/
Higher Education in former French Indo-Chine region,
its history and today'schallenges in Internationalization: a case of Vietnam
MATSUDA,NorikoToday, we are in the era of globalization, and the higher education and its
degree syste]η now are required to meet the needs of globalization/internation―
alizatiOn.This is in case not only for the developed countries but also fOr the de―
veloping ones.For example, ヽrietnam, one of the countries in former French lndo―
Chine, Ⅵrhose higher education as well as vocational education were founded and reorganized under the colonization policy of France in 1910s‑1920s, has set up a set of principles of strategy of renovation of its higher education in the light Of
internationalization": improve]mtent of the educational programs and studying conditions, evaluation system, rnanage]mtent of institutions, etc。 , through a direct application of the ways taken in some world― class universities in Germany, France, 」apan, as selected model.