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(1)

「権利」の古典的意味と近代的意味 : 土井本周易 抄「私−権利八爵ゾ」を手がかりに

その他のタイトル Transformation of the Meaning of

"Quanli/Kenri"?: Reviewing the Fifteenth Century Japanese Commentaries on

"Zhouyi/Shueki"

著者 市原 靖久

雑誌名 關西大學法學論集

巻 64

号 3‑4

ページ 1208‑1174

発行年 2014‑11‑20

URL http://hdl.handle.net/10112/8887

(2)

市 原

﹁権利﹂の古典的意味と近代的意味

ー土井本周易抄﹁私ー権利ハ爵ゾ﹂を手がかりに

I

"

L

(3)

柏舟宗趙

周易抄

における﹁権利﹂

周易﹄注疏における﹁権利﹂の用例 柏舟宗趙﹃周易抄

における﹁権利﹂

の用例の意味

(4)

﹁権

利﹂

の古

典的

意味

と近

代的

味意

る﹁権利﹂を区別したうえで︑ (1) 

室町後期の漠文原典講釈筆記録である抄物︑わけても︑片仮名交りゾ体で書かれた︑

シタン資料や狂言などとともに︑中世後期日本語の用法をそこから知ることができる貴重な国語史資料である

︒そし

(2

て︑この口語仮名抄のひとつである柏舟宗趙﹃周易抄

爵ゾ﹂が︑現在のところ︑漢語﹁権利﹂

dr oi

t , 

Re ch

なt

どの

訳語

とし

ての

﹁権

利﹂

とは異なる意味で用いられていることはいうまでもないが︑これを古典的意味 における﹁権利﹂︑すなわち︑漢籍における﹁権利﹂と同義の﹁権力と利益﹂

事を自由に行なったり︑他人に対して当然主張し要求することのできる資格﹂という︑古典的意味よりはむしろ近代 的意味に接近すると思われる語義解釈もおこなわれている

筆者は︑漢語﹁権利﹂について︑古典漢語と新漢語︑すなわち︑古典的意味における﹁権利﹂と近代的意味におけ

一九世紀後半︑清朝末期の中国で

ri gh

tの訳語として用いられた新漢語﹁権利﹂がど

のように幕末維新期の日本に伝来し︑

ニ ニ

ーニ

六ペ

ージ

︶︒しかし︑それは︑

ri gh

tなどの語で翻訳される前のラテン語

iu

s の概念史の叙述に重点をおいた論

考のなかでの言及だったので︑漢語﹁権利﹂

では︑その補足もかねて︑土井本周易抄にみえる﹁私ー権利ハ爵ゾ﹂を手がかりに︑

一五世紀後半に成立した柏舟宗趙﹃

周易抄

にお

いて

は じ め に

︵ 一

四七

七年

成立

︱ 二

︵ ︱

二0六︶ の現存写本

︵ 土

井本︶にみえる﹁私ー権利ハ

の日本での最も早い用例であると考えられている

﹁権利﹂という語は︑近代的意味における﹁権利﹂

(right ,

の意味であるとする理解のほかに︑﹁物 日本語として定着していったかについて︑

かつて言及したことがある

の概念史については︑その梗概を略述するにとどま

った︒そこで︑本稿

日本における漢語﹁権利﹂

の初 市原

いわゆる口語仮名抄は︑キリ

(5)

出 用 例 と そ の 意 味 と い う 問 題 を と り あ げ

︑ こ こ か ら

︑ 改 め て

︑ 古 典 的 意 味 に お け る

﹁ 権 利

﹂ と 近 代 的 意 味 に お け る いことを示し︑また︑

意味における﹁権利﹂

﹁権

利﹂

(‑︶柏舟宗趙﹃周易抄﹄

︵二

︶原漢籍﹃周易﹄

︵三︶それらをふまえて︑柏舟宗趙﹃周易抄﹄

に お け る

﹁ 権 利

﹂ に つ い て

︑ 土 井 本 を 含 む 主 要 な の注疏にあらわれる﹁権利﹂

に お け る

﹁ 権 利

﹂ が 古 典 的 意 味 の

( ︱ 二

0

五 ︶

の用例を確認した上で︑最後に︑

に も か か わ ら ず

﹁ 物 事 を 自 由 に 行 な っ た り

︑ 他 人 に 対 し て 当 然 主 張 し 要 求 す る こ と の で き る 資 格﹂との理解も生じた理由を︑

iu s

の 概 念 史 と の 比 較 に お い て 明 ら か に し て

︑ 古 典 的 意 味 に お け る

﹁ 権 利

﹂ と 近 代 的 の 関 係 に つ い て 考 察 を 加 え る こ と に し た い

( l )

﹁抄物﹂という語には二通りの読みがある︒平安時代からある︑抜き書き︑歌作の参考書︑さらには注釈書をも広く意味

する場合には﹁しょうもつ﹂または﹁しょうもち﹂と読まれるが︑その一部をなす︑室町後期以後の漠文原典講釈筆記録を 意味する場合には﹁しょうもの﹂と読まれる慣らいである︒本稿では︑後者の意味での抄物が検討対象となっているので︑

特に別の読みを指示しない限り︑﹁しょうもの﹂と読むものとする︒なお︑﹁抄物﹂という語の成立と定着については︑注

(3

)を参照せよ︒

( 2)

『周易抄(紗)

』 という書名をもつ日本の古典籍は多く存在する

「国書総目録』の継承•発展をめざして構築された

本古典籍総合目録データベース

﹄ ︵

国文学研究資料館︶

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as el .n ij l.

ac jp .

 

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tk ot en   ¥ a bo

ut .

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で︑著作データベースを

対象に︑書名﹁周易抄﹂︵完全一致︶または﹁周易紗﹂︵完全一致︶で検索すると︑別巻名が﹃周易抄﹄である﹃周易集註

紗﹄も含めて全部で

1 3 件が該当する︵二

0

一四年六月三

0

日現在︶︒したがって︑単に﹃周易抄﹄と表記するだけでは特定

不可能なので︑本稿では︑柏舟宗趙﹁周易抄﹄というように︑作者︵講抄者︶名を付して特定している︒なお︑後述するよ

うに︑抄物であるか否かは成立年代や内容によって判断されるから︑宇多天皇︷辰翰﹁周易抄

﹄ ︵

八九七年頃成立︑﹁しゅやく

しょう﹂と読まれることもある︶のように︑﹃周易抄﹄という書名ではあるが︑抄物としての﹃周易抄﹄には分類されない

現存写本の用例を確認し︑次に︑

こ の 目 的 の た め に

︑ 本 稿 で は

︑ ま ず

の関係について考えてみたいと思う︒ 関

法 第 六 四 巻 三

・ 四 号

﹁ 権 利

﹂ と し て 理 解 さ れ ね ば な ら な

︱ 二

(6)

紀抄

(

 

﹁権

利﹂

の古

典的

意味

と近

代的

意味

のがある︒このうち︑終助詞﹁ゾ﹂で文を終止する 柏舟宗趙﹁周易抄﹄の資料的性格と成立経緯 古

典籍が存在する

一方で︑桃源瑞仙

﹁百

訥襖

﹄(

四七

七年

成立

のよ

うに

﹃周

易抄

とい

書名ではないが︑抄物として

の﹁

周易

に分類される古典籍が存在することに注意すべきである

柏舟宗趙﹃周易抄﹄

の主要な現存写本における﹁権利﹂

れに先立って︑同抄の資料的性格と成立経緯についてみておくことにする

柏舟宗趙

﹃周易抄

﹄は︑国語史の上では︑ 柏舟宗趙﹃周易抄﹄

︱二七

一舟 ︵桃

源瑞

仙︶

﹃碧巌録紗

﹄ ︵

万安

英種

︶︑

﹃日

本書

の用例について確認することがここでの課題であるが︑こ 口語仮名抄と呼ばれる抄物資料のひとつに分類されている

﹁抄

物﹂

は︑室町後期︵

ほぽ文明︹

一四六九ー八七︺以後︶に︑京都五山の禅僧や博士家・神道家︑公家︑足利学校の痒主など

が講者となて漢籍•仏典・漢文体国書(日紀・大祓詞など

を後進に口述講釈したものの、受講者による筆記録

︵聞書︶をいう︒受

講者による籠記録が基本となるが︑講釈者自身による講釈草案の手控え

︵自筆講抄︶や︑筆記録に

増補ないし編集が加わったものもこれに含める︒

後代には講釈とは関係なく成立したものもあるが︑講釈や注釈の対

象となった典籍名に﹁抄︵

または紗

︶﹂を付して︑たとえば︑﹃史記抄﹄

︵清原宣賢

などという書名をもつものが多いので︑﹁抄物﹂と呼ばれる

︒文体の面からいえば︑抄物は︑

に︑片仮名と漠字を交えて表記されており︑文語体

︵ナ

リ体

︵係助詞﹁ゾ﹂の文末用法とする考え方もある

︶ことを特徴とする口

における﹁権利﹂

のも

の︑

の用例

口語体︵ゾ

︶のもの︑または両様混用体のも

︵ ︱

0

四︶

(7)

蘊突︑蓋余易小補之易也

第恐所聞︑寡晒不適小補意也

語仮名抄は︑室町期語法研究の重要な資料となっている

なお︑抄物の英訳としては︑

t h

e

C o

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e n

t a

r i

e s

  ( u s i n

g  

(3) 

k g a )

o

r i g i

n a

t e

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n   t

h e

  M u

r o

m a

c h

i   P

e r

i o

d )

が用いられる︒

抄物としての﹃周易抄﹄

は︑室町後期から江

戸初期まで多く出来するが︑室町後期に限っていえば︑本稿で取り上げ

(4) であり︑それらの諸る柏舟宗趙﹃

周易

抄﹄

本では︑清原宣賢﹃周易紗﹄がナリ体であることを除いて︑ゾ体が用いられている

景徐周麟らに対しておこなった周易講釈の筆記録であり︑同年

︱ 一

月二七日に成ったものである ︒こうした本書

の成

(5) 立事

情は︑柏舟自身が﹃周易抄

巻末に記した次のような

二つの奥書

︵ 自

践︶から知ることができる︒

文明丁酉十月廿一日始之︑十一月十七日終之︒

自始到終与景徐麟蔵主講罷︑校誰夜以継日

︒余過半聴螢閣筆

者多

到節角処︑令景徐連誦数遍︑或添或削

︒蓋余所筆乃景徐所

筆也︒而義理之異︑烏焉之同︑後之見者︑

正其誤可也︒

柏舟宗趙

﹃周易抄﹄

は ︑

(

0

三 ︶

﹃周

︵易

経 ︶ ﹄ についての講釈を受講者が筆録したものを基本とする︑

のほか︑桃源瑞仙﹃百柄襖

﹄︑清原宣賢﹃周易紗﹄が代表的な

﹃周易抄﹄

一四七七︵文

明九

︶年一

0

ニ ︱

日から同年︱一月一

七日にかけて柏舟宗趙が横川景

三・

昔於武州箕田県就希禅々師

易︑

時︱

‑ +︱歳也︒

今以余所学易井

ヶ秘訣︑尽以奉授小補翁与景徐老無余

文明丁酉十一月廿七日

柏舟斐宗趙 学

者や僧侶などの講者によってなされた

(8)

﹁権利﹂の古典的意味と近代的意味

定められ︑また︑易学の権威であった鎌倉円覚寺の快元和尚が痒主に招聘され︑さらに︑当時の貴重書であった宋版 の五経疏本が学校に寄進されることにより︑実質的な建学がなされたといえる︒足利学校は︑鎌倉・室町時代におけ

る唯一の学校施設であり︑

﹃イエズス会士日本通信﹄固で﹁甚だ遠き所に坂東

B a

n d

o u

と称する他の大学あり︑

して︑ここに入学する学生最も多し︒

﹂︵上巻︱︱ページ︶と伝え︑続くルイス・フロイス向も﹁日本全国にたった

一っ

の大学であり公開の学校がある︒そうして︑それは関東地方︿下野国﹀

﹁す

べて

一六世紀なかばには︑イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが︑鹿児島から発した

︹大学の︺中で最も主要な足利の大学﹂

︵ 第

四巻

0ページ︶と記すなど︑諸外国にも盛名をはせたことは

足利学校の創設は︱二

世紀末であるといわれるが︑

える小補は横川景 一

歳になる一四四六︵文安三︶年まで周易を修めた

一四九五 やまかみ

柏舟宗趙(‑四一五ー一四九五︶は︑もと近江山上永源寺傑岩和尚の法嗣で︑

利学校に入り︑第一世痒主快元に学んだが︑第

の跛文にあるように︑

︵一

四二

九ー

一四

三九

二 ︱ 九

︵明応四︶年に八

0

歳で没している

足利田

一四四

0 (

享︱二︶年

︑二五歳で足

さらに武蔵箕田で快元の師希禅にも就き︑

一四六九︵文明元︶年以降は近江山上に戻り︑曹源寺(‑四六九 年︶︑含空寺(‑四七九年︶を経て︑永源寺(‑四八三年︶に住し︑

六三四ページ︶︒第一および第二の跛文に名がみえる景徐麟蔵は景徐周麟(‑四四

0

︱五一八︶︑第二の祓文に名がみ であり︑景徐は横川の門下生︑ともに後期五山学芸を代表する禅僧である

第二の祓文によれば︑柏舟宗趙は︑自らが学んだ﹁易井三ヶ秘訣﹂を横川景︱︱‑.景徐周麟師弟に余すところなく伝 授したということであるが︑この間の事情をさらに詳しく知るためには︑足利学校と易学との関係︑柏舟宗趙と易学︑

さらには︑柏舟と横川・景徐との関係について確認しておく必要がある

一四三九︵

永享︱‑︶年に関東管領の上杉憲実によって校規が

日本の最大かつ主要なるものに

の足利という所にある︒

﹂︵ 第一 六巻

八ペ

ージ

︶︑

( ︱ 二

0

二 ︶

(9)

戦乱の世であった室町後期︑武将たちは戦争にあたり易筵によって進退を判断することが常であった

した

がっ

て︑

足利学校で学ぶ多くの学徒にとっての修学目的は︑理論的に深化された易学を学ぶというよりはむしろ︑直ちに武家 社会の要望に答えることができる実用の学である易筵を学ぶことであったといわれ︑足利学校の修学者たちは︑﹁業

成って郷国に帰るや︑武家のために易筵を行い︑軍配を見︑且つ又︑兵書を講じ︑兼オある者は医療をも施す等︑

わば軍事顧問的なる役目を果たした﹂︵川瀬闊一九

0

ページ︶ものと考えるべきであるといわれる ︒しかし︑足利学校の

そもそもの建学目的は易学を究極とする漢学の教授であったから︑兵法や医学が加わることはあっても︑易学は依然 最も重視された課目であり続けた

そして︑柏舟宗趙

﹃周易抄

かに本書以外になく︑また周易の邦人注釈としては現存最古である︒﹂︵阿

図四ニ

ペー

といわれる重要性をも

って

︵ 一

四六七ー

一四

七七

一 三

(

0

1 )

は︑﹁この足利学校の易学を最もよく見るのには僅

一四六九︵

文明

︶年以来︑近江山上に帰住していたが︑この地こそは応仁の乱

(6) 

の戦火を避けた五山禅宿の集合地であり︑横川景

一 ︱ ‑

︑桃源瑞仙

(‑ 四

0

ー一四八九︶︑景徐周麟

ら碩学はみなこの地で柏舟宗趙と交わりをもった︒こうして︑足利易学は五山禅林に伝えられたのであり︑﹁是れ學 校の易學が五山に入りたる始めにして︑其著周易抄は爾来易學徒の標準本となり︑秘重偉習せらる︑に至りたり︑此 黙に於て柏舟は極めて重要の地位を占むるものなり

︒﹂︵

足利

国六

三四ページ︶といわれる所以である︒

( 3 )

抄物については︑現在のところ︑柳田征司

﹃ 麟

f h I

9

凸 疇

抄物

の研

究﹄

園が最も総合的な研究であり︑本稿における抄物につい

ての概観もこれに負うところが大きい︒

なお

︑柳

向は︑﹁抄物﹂という語の成立と定着についても考察しており

︵序

章第

さきにみたように︑柏舟宗趙は︑ いるである︒ よく知られている︒

関法第六四巻

・ 四

(10)

﹁権

利﹂

の古典的意味と近代的意味 二

節︶︑結論として︑﹁一九

0

0

年代初頭に国語調査委員会の研究者たちによって抄物がはじめて日本語研究資料として注目

された時には種々の呼称が行われ一定しなかったが︑やがて︑新村出博士を中心に﹁抄物︵しょうもの︶﹂の語に一定して

来 ︑ 一九二

0

年代になると日本語研究の分野ではこれが一般に定着したということになる

︒﹂

︵ 二

八ーニ九ページ︶と述べて

いる

︒柳田岡は︑また︑柏舟宗趙﹁周易抄﹄についても︑特に一節をあてて論じている︵第二

章第

節四

(4

)

桃源瑞仙=百納襖﹄は︑注

( 6

) でもふれるように︑

﹃周易﹄を原典とする抄物である︒桃源瑞仙﹃百柄襖﹄の諸本に︑﹃易抄

﹄ ︵

京大

2 3 冊本︶や﹃周易抄

︵ ﹄ 蓬左文庫本︶という外題をもつ写本があるのはこのためである

(5)柏舟宗趙﹁周易抄﹄

では︑足利印による命名にしたがって︑原本系諸本が︑巻末の祓文数によって︑﹁

二跛

本﹂

︵巻首に周易要事記があり︑巻尾に文明丁酉︹九年︺

︱ 一

月二七日付で柏舟の跛文が二つあるもの︶︑

﹁ 一

跛本

︵巻末に柏舟の第二の

践文があるだけで︑巻首を欠くもの︶︑﹁無跛本﹂

︵巻首の要事記を節録するが二つの祓文は欠くもの︑巻首の要事記と二つの跛文をともに欠くもの︶

に分類され︑﹁中に就き︑

二跛本が︑慎の原本ならんと思ふ︒﹂︵足利印八五六ページ︶と推定されている︒

有跛諸本間で祓文本文にわずかな異同がみられるが︑ここでは︑

二祓本である建仁寺両足院蔵本の奥書を︑柳田⑮に依拠して引用しておく︵三一

七ペ

ージ

︒なお︑柳田向は︑原文における改行を﹁/﹂で示したうえで旬読点を付さずに

録しているが︑ここでは︑句読点を付したうえで﹁/﹂を除いた︒

(6)桃源瑞仙は︑竺雲等連

(‑ 三

八三ー一

四七

一 ︶

︑清原業忠

( ‑

0

九ー一四六

七︶

︑柏

宗趙︑天岩

牧中らから易学をうけ︑

足利・禅林易学の伝統を集大成して︑

一四七四︵文明六︶年九月から一四七七︵文明九︶年三月にいたる足掛四年の歳月を

かけて︑﹁中世易学研究の金字塔﹂である﹁百柄襖

﹄を完成させた︵芳賀⑳八

0

ペー

ジ︶

なお

﹃百訥襖﹄という書名の意味

につ

いて

︑は

﹁ 百 納襖とは︑多く補綴せる襖衣なれば︑多く前人の説を補綴して成せりとの意にて︑斯く名づけたるなるべ

し︒﹂︵足利田八五七ページ︶と推察されている︒

桃源瑞仙

百納襖』の現存写本には、i両足院本

現存23冊)ヽ~11慶應本(現存19冊)、出京大23冊本(外題『易抄

)、•IV京大17冊本、>京大2冊本、Vl蓬左文庫本

現存19冊、外題『周易抄

)の六種があるが

大塚固――ページ)、このうち京都大学附属図館所蔵

清家文庫)の

(

~111

: : :  

>;

)に

つい

ては

電子化され公開されているので︑各冊次へのリンクが表

示される(V

については書誌が表示される︶

URL

を示しておく

︵ 二

0

一四年六月三

0

日現

在︶

面 京 大

2 3 冊本

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ky ot o ,  u

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c.

jp

 ¥ 

ex hi bi t  ¥  1s 45   ¥ s 14 5c on t. ht ml  

~

( ︱

0

0 )

(11)

易 抄 で

﹁権

利﹂

の 語 が 用 い ら れ て い る こ と は

︑ 鈴 木 博 が

︑ 土 井 本 周 易 抄 全 冊 の 写 真 複 製 版 を 究﹄国の影印篇として公刊し︑かつ︑影印篇索引︵詞研究篇巻末︶

(7) 

・ 行 を 示 し た 時 点 で

︑ 土 井 本 周 易 抄 を 直 接 参 看 で き な い 者 に と っ て も 広 く 認 知 可 能 な 状 態 に な っ た と い え る

国 語 学 者

・ 土 井 忠 生

( ‑ 九

0 0│︱

九九

五︶

︵ 二 ︶

柏舟宗趙﹁周易抄﹄における﹁権利﹂

関 法 第 六 四 巻 三

・ 四 号

の 所 蔵 に か か る 柏 舟 宗 趙

の用例

に﹁権利﹂を立項して︑

﹃周

易抄

︵ 一

﹁ 六

0 1 8

﹂ と 影 印 篇 の ペ ー

~

﹃周易抄の国語学的研

の写

本︵

六冊

本︶

︑ いわゆる土井本周

︵︱

九九

. l V

京大

冊1 7

ht tp :\\ 

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>京大2

冊本

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m kulib• .

ky ot o  ,  u

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jp

 ¥ 

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¥ R

B0 00 08 58 7 

なお︑この三種の京都大学附属図書館所蔵︵清家文庫︶写本のうち︑﹃周易﹄中学卦に対する注釈が含まれているのは︑

面京大

2 3 冊本のみであり︑かつ︑本稿で検討の対象としている柏舟宗趙﹃周易抄﹄と同様に︑中学卦の九二の交辞後段の

﹁我有好爵︑吾輿爾靡之︒﹂に対するその注釈のなかに﹁権利﹂がみえるので︑冊次・丁・行を注記して該当部分を示し︑

その部分の画像をみることができるURLを示しておこう︵レ点︑ルビは原文のもの︶︒

是権利二不レ私シテ惟徳二是レ与スルソ︵京大

2 3 冊本︑第一八冊︑本文第

5 7 丁

ウ︑

第1

│2

行︶

ht tp : ¥¥ 

edb•

kulib•

ky ot o  ,  u

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jp  ¥  ex hi bi

t ¥ 

s1 45

  ¥ i

ma ge  ¥  18

 ¥ 

s1 45 s1 44

9 .

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ところで︑桃源瑞仙﹃百訥襖﹄全体の完成は︑柏舟宗趙﹁周易抄﹄と同じ一四七七︵文明九︶年であるが︑同年三月二

0

日頃に抄出が終わったと推定されている︵大塚団

︱ ニ

ペー

ジ︶

︒この推定を受け入れるなら︑桃源瑞仙﹃百納襖﹄の成立は︑

同年

︱ 一 月二七日に成立した柏舟宗趙﹁周易抄﹄より約八か月早い︒また︑周易下経の豊卦から未済卦までの部分︵現存写

本では京大

月2 3 冊本が唯一この部分を含んでいる︶については︑一四七六︵文明八︶年二二五日から三月二日の間に成立

0

していると推定されているので︵大塚固

︱ ニ

ページ︶︑﹁権利﹂の用例に限っていえば︑柏舟宗趙﹃周易抄﹄におけるそれよ

りも約一年八か月早く現れていることになる︒したがって︑桃源瑞仙﹃百柄襖﹄京大

2 3 冊本第一八冊にみえる﹁権利﹂が日

本での﹁権利﹂の初出である︑とさしあたり考えておいてよいであろう︒

(12)

る 易

抄﹄

七二

年 ︶ ︒

﹁権

利﹂

の古

典的

意味

と近

代的

味意

たとえば

﹃日 本国 語大 辞典

g

は︑第一版から精選版に至るすべての版において︑﹁けんーり︻権利・権理︼﹂

て語釈を加えているが︑第一版(

‑九

二年 ︶

では︑柏舟宗趙﹃周易抄﹄

されていない︒しかし︑後述するように︑第二

版︵

第五

巻︑

0

0

一年︶から︑︿土井本周易抄

(1 47 )7

六﹁私ー権利は

爵ぞ

﹀という用例が︑語義

m

︵物事を自由に行なったり︑他人に対して当然主張し要求することのできる資格︶

例として加えられ︑精選版︵第一巻︑二

0 0

︶ 年

でも同じく語義⑦︺の最初の用例として維持されている︒すぐ後でみ

るように︑柏舟宗趙﹃周易抄﹄には二

0

を超える写本が現存するが︑

に土井本を挙げて冊次まで示しているのは︑写本原本を実見できなくとも比較的容易に該当箇所を確認することがで

(8) 

きる写真複製版として︑鈴木国影印篇が存在しているからであろう︒

佐藤亨は、『幕末•明治初期語彙の研究』閂において、

﹃史

﹄に︑﹁跛池田園宗族賓客為

一 一 権利五横

二 於穎川

一﹂︵武安侯伝︶とあるような︑権力と利益の意ではない

と考えられること︑したがって︑

ri gh

tの意味での﹁権利﹂については︑中国において

訳の過程で

ri gh

﹄一ページ︶︑柏舟宗趙﹃周易抄tが﹁権利﹂と意訳されたとすべきであろう︑と述べたが︵一七

にお ける﹁権利﹂

﹃万 国公 法

への言及はわずかながらあるものの ︵二

0 0

年 ︶

︒なお︑佐藤国を包括するとされ

﹃ 周

﹃日本国語大辞典﹄園第

二版および精選版が︑特

の用例には特に言及しなかった(‑九八六年︶︒しかし︑佐藤は︑

典﹄

凹の

﹁権

利﹂

﹃ 現 代 に 生 き る 日 本 語 漢 語 の 成 立 と 展 開 共 有 と 創 生

﹄ 国 で は

﹁ 権 利

﹃万国公法﹄等の法学書の翻

﹃現代に生きる幕末・明治初期漢語辞

の項では︑上の説明に加え︑権力と利益の意味での﹁権利﹂については﹁わが国でも︑中世の

︵六︶に﹁私ー権カハ爵ゾ︒﹂と︑同義の例がある︒﹂と指摘した

>

にみえる﹁権利﹂は

ri gh

tの意味であって︑漢籍︑ の用例はいずれの語義の用例としても引証 の語義を三分し

︵ ︱

九 八

の最初の用

(13)

いうまでもない︒

︵ 一

七 一

ともあれ︑佐藤咽かいう﹃周易抄﹄が柏舟宗趙﹃周易抄﹄土井本を意味していることは︑

ただし︑佐藤叩は︑土井本周易抄における﹁権利﹂

という意味の用例であるとしているのであって︑

一 三

︵ ︱

九 ‑

七 ︶

︵二

0

一 三 年 ︶

れているところから明らかであり︑鈴木詞影印篇や﹃日本国語大辞典﹄閾第二版に依拠しての記述であると思われる︒

の用例があくまでも古典漢語﹁権利﹂と同義の︑﹁権力と利益﹂

﹃日

本国

語大

辞典

g

第二

版とはその語義理解を異にしていることは

こうした研究史に鑑みていえば︑現在のところ︑その語義については異なる理解がおこなわれているものの︑柏舟

宗趙﹃周易抄﹄土井本第六冊にみえる﹁私ー権利ハ爵ゾ﹂が︑日本における﹁権利﹂の初出用例であると考えられて

いるといってよいと思われる︒ただし︑厳密にいえば︑桃源瑞仙﹁百納襖﹄京大

2 3

冊本第一八冊にみえる﹁権利﹂の

用例の方が︑土井本周易抄の用例より︑講抄全体の成立では約八か月︑該当部分︵中学卦︶についてみれば約一年八

か月早く現れていると推定できることは︑すでに注

( 6

)

で指摘したとおりである︒

﹁権利﹂という語が土井本周易抄にみえることは明らかであるとして︑その他の柏舟宗趙﹃周易抄﹄写本でも同じ

ように確認できるのか︑確認できる場合︑諸本において当該部分の本文に異同はないか︑という問題がある︒この問

題について考えるためには︑まず︑柏舟宗趙﹃周易抄

所在をまとめた の現存写本について整理をしておく必要がある︒鈴木博閲研

究篇は︑足利田以来の先行研究を参考にしつつ︑柏舟宗趙﹃周易抄﹄について︑伝存する写本および古活字版一

七の

︵ ニ

ー三

ペー

︶ ︒

その後︑柳田征司園は︑鈴木国研究篇が挙げていなかった諸本も加えて︑ニ︱の写本 一七三ページ︶︑佐藤図でみられたような﹃周易抄﹄ 関法第六四巻•四号

︵六︶という冊次が表記さ

の用例についての指摘はなされていない

(14)

﹁権利﹂の古典的意味と近代的意味

⑨ 大 東 急 本

︻無 跛本

⑤ 国 会 二 祓 本

* 

⑥ 吉 澤 文 庫 本

④ 慶 応 本

③ 京 大 国 文 本

︻一 跛本

⑦ 成 簑 堂 本

⑧ 国 会 一 祓 本

② 天 理 本

︻二

跛本

① 両 足 院 本

六巻 六巻 六巻 六巻 六巻 と三の古活字版を改めて挙げている

(9   )

諸本を列挙しておこう︒

︹室町末期︺写 存 巻 一 ー 四

六巻

︵三一七ー三一九ページ︶︒ここでは︑柳田詞にしたがって︑柏舟宗趙﹃周易抄﹄

清原業賢筆宜賢書入

︹江戸初期︺写

︹室町末江戸初期︺写

承応二

年写

︹江戸初期︺写

h t t p : /   \ 

d l . n d l . g o j .   p ¥  i n f o : n d l j p   ¥  pi d  ¥ 

25 52 69 9 

︹室町末江戸初期︺写

六 巻 写

存 巻 五

・ 六

・巻

六冊

六冊合綴三冊

六冊 六冊 六

冊 慶 応 義 塾 図 書 館

︵ 慶 應 義 塾 大 学

三田

メデ

ィア

一 冊

清 原 宣 賢 筆 二 冊

六冊

建仁寺両足院蔵

天理大学附属天理図書館蔵

ンター︶蔵

国立国会図書館蔵

京都女子大学図書館蔵︵吉澤文庫︶

国立国会図書館蔵 五島美術館蔵︵大東急記念文庫︶

ニ ニ

京都大学文学部蔵

︵︱

‑九 六

石川武美記念図書館蔵︵成簑堂文庫︶ ③と僚巻

(15)

⑪ 足 利 本

⑳ 京 大 図 書 館 本

⑲ 土 井 本

⑱  ⑰  土*内*

井 閣 本 文 第 庫

⑪ 東 教 大 本

︻ 古

活 字

版 ︼

⑯ 元 亀 本

︻いわゆる増補本︼

⑬ 斯 道 文 庫 本

* 

⑭ 志 度 寺 本

* 

⑮ 穂 久 週 文 庫 本

* 

⑫ 成 簑 堂 本 第

関法

* 

⑩ 琴 堂 文 庫 本

六巻 存五巻

欠巻二︶︹室町末江戸初期︺写

六巻 存四巻 存五巻

巻 六

︹江戸初期︺写

六巻 六巻 六巻 六巻

写 写

四 年 写

叡山文庫・

立公文書館

閣 文

庫 ︶

・日光山輪

寺蔵

︵ 天

海 蔵

元亀四年写

h t t p / : \ 

d l . n d l . g

o .

jp   ¥  i n f o : n d l j p   ¥  pi d 

¥ 2

54 50 01  

︹江戸初期︺写

︹室町末期︺写

︹江戸初期︺写

写 ︹室町末期︺写 ︹江戸初期︺写

第六四巻•四

冊 足 利 学 校 遺 蹟 図 書 館 蔵

五冊 六冊 四冊 五冊

六冊合綴

冊 六冊

彦根城博物館蔵

堂 文

筑波大

附属図書館蔵

h t t p s : / \ 

w w w. t u l i p s

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su ku ba

.a

c .

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B l 3

 Bl341762 ¥ ¥ 

1 . p d f  

慶應義塾大学附属研究所斯道文庫蔵 穂久遅文庫蔵

国立国会図書館蔵 国立公文書館蔵

閣 文

庫 ︶

土井忠生蔵 土井忠生蔵

京都大学附属図書館蔵 志度寺蔵 石川武美記念図書館蔵

簑 堂

庫 ︶

︵ ︱

九 五

(16)

﹁ 権

利 ﹂

の 古

典 的

意 味

と 近

代 的

意 味

井本・⑳京大図書館本は増補本系であるといわれる 之 ︒ ﹂ 本稿

で詳しく見るように︑柏舟宗趙﹃周易抄﹄における﹁私ー権利ハ爵ゾ﹂︵土井本︶という文は︑原漢籍である

﹃ 周 易 ﹄

四 年

六 月

0 日

現 在

に ︶

つ い

て は

︑ 改

行 を

避 け

る た

め 表

欄 の

外 に

番 号

を 付

し て

示 し

ニ 七

の中学卦九

の交辞である﹁鳴鶴在陰︑其子和之︒我有好爵︑吾輿爾靡之︒﹂中の﹁我有好爵︑吾輿爾靡 への注釈として講じられたものである

本稿三でおこなう︑柏舟宗趙﹁周易抄﹄における用例の意味を明らか にする作業に先立ち︑ここでは︑公刊またはウェブ上での公開によって比較的容易にその本文が確認できる四本︑す な わ ち

⑧ 国 会 一 祓 本

⑪ 東 教 大 本

⑯ 元 亀 本

︑ そ し て

⑲ 土 井 本 に つ い て

︑ こ の 部 分 の 注 釈 を

一覧

表︵表

1 )

にまとめて確認しておこう︵各引用文の句読点は市原が付したものである︒⑧⑪⑯の引用文を見ることができるURL

︵ 二

〇 一

コ マ

番 号

を 注

記 し

た ︶

なお︑注

( 5

) でふれたように︑足利術述印は 跛本を真の原本ではないかと推定したが︑足利印によれば︑①両足 院 本

⑤ 国 会

跛 本

⑧ 国 会

践本・⑨大東急本・古活字版は原本系︑⑯元亀本は﹁第一増補本﹂︑⑪足利本は

(1 0

﹁ 第

増補本﹂と認定されている

八五五ー八五六ページ︶︒そして︑鈴木博国詞によれば︑足利の認定に加えて︑②天

理 本

③ 京 大 国 文 本

④ 慶 應 本

⑦ 成 簑 堂 本

⑪ 東 教 大 本

⑫ 成 簑 堂 本 第

・⑬斯道文庫本は原本系︑⑲土

︵国 一四 四ペ ージ

︑国 二

0

ページ︶︒さらに︑柳田国によって︑原本

系 に

⑥ 吉 澤 文 庫 本

⑩ 琴 堂 文 庫 本

⑭ 志 度 寺 本

⑮ 穂 久 週 文 庫 本 が

︑ 増 補 本 系 に

⑰ 内 閣 文 庫 本

⑱ 土 井 本 第

が加えられ︑右に

覧したように︑①から⑮までが原本系写本︑⑯から⑪までが﹁いわゆる増補本﹂系写本とされ

ているのである

したがって︑これまでの足利田・鈴木国国・柳田国の認定にしたがえば︑次の表ーに示すように︑⑧

(1 2 )

 

⑪⑯⑲の四本には︑原本系と増補本系の写本がそれぞれ

本づつ含まれていることになる

︵ ︱

四 ︶

(17)

( 7

)  

( 8

)  

⑧ 

ht tp :/  

\ d

l. nd l.

go jp .

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nf o: nd lj

p  ¥ 

pi

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25 52 70 1  [1 11

⑪    ¥ 140

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B13 

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59¥ 74⑯ 

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\ dl.ndl.go .jp

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p  ¥ 

pi

d  ¥ 

25 45 00 3

46

「 権 利

」 が 初 出 す る の は 第7 行 目 の

「 私 ー 権 利 ハ 爵 ゾ

」 に お い て で あ る。 土 井 本 周 易 抄 が 鈴 木 詞 の 影 印 篇 と し て 公 刊 さ れ て い る こ と か ら も わ か る よ う に

、 鈴 木

⑱ は

、土井本本文を基準テキストと し て柏舟宗趙『周易抄』、 に 関 す る 国 語 学 的研究を行なた。柏舟っ 宗 趙「周易抄』には土井本のほかにを超える写本が二

0

あ り

、 し か も 土 井 本 は 原 本 系 で は な く 増 補 本 系 に 属 す る 写 本 で あ る。 常 識 的 に は 原 本 系 本 文 を テ キ ス ト に 用 い る べ き と こ ろ

、 鈴 木 国 が 増 補 本 系 の 土 井 本 を テ キ ス ト に 用 い た の は

、 土 井 本 と の 機 縁 に 加 え て

、 諸 本 間 の 本 文の異同に着眼するという鈴木 の 方 法 か ら 来 る 必 然 で あ り

、 し か も、この方法は、抄物の特徴である「継承発展性」をうかがい知るのに有効であったとい

第 ソ リ 好 ソ 利 ア 音 不

0 托 爵 ゜チ タ チ 私

I

冨 ヨ ヲ 徳 ヤ ヘ ャ 権

5 =

イ ノ ソ ウ 程

⑧ 

g

而 者 弘 ァ ナ ニ 利

ナ セ― ル コ ン 先 ハ 会

本 ラ 者 レ ト 彼 爵 ~

文 ハ ヌ ニ ハ 、 人 ソ 跛

第 ァ ソ 与 サ 云 二 ゜ 本

1

0 6

タ 。ヘ ハ ハ 名 我

ゥ ヘ 敵 ン ナ 私 字 カ

、 ウ ナ ソ イ 権 ヲ 知

゜ 本

g

皿 ナ 私 徳 利 タ ヤ 贔私

ラ ニ ノ チ ヘ ホ 本 ノ 、 セ ア ヤ ウ ト

⑪ 

文 ァ ヌ ル ゜ナ ニ 利

第 ゜者 コ ン 先 ハ 東

5 6

ヘ夕 敵 ニ レ ト /彼 爵

丁 ナ 与 ハ 、 人 ソ 教

ウ 、 ウ リ ヘ サ 云 二 ゜ 大

第 又 托 ハ ハ 名 我 本

1 5  

ヨ 好 元 、 字 知

I

扇 イ 爵 ゾ 利 ヲ 音

1 7

三 者 ヲ °権 ア チ

I

冨 ヨ 爵 ゾ 権 字 チ 不

....L イ ヲ ゜利 ヲ ヤ 私

g

砿 者 私 徳 ヂ ア ホ 権

~ ⑯ 

ナ ニ ノ ヤ タ 卜

本 ラ セ ァ °ヘ ニ

第 ハ ヌ ル コ ウ 先 利

ァ ゜者 レ ナ レ ハ 亀

2 5

夕 敵 ニ ハ ン 彼 爵

] ヘ ナ 与 サ ト Iノ ソ 本

、 ウ リ ヘ ハ 、 人 ゜ 増

第 ゾ ト ン ナ 云 二 知

0 モ 好 イ ハ 名 音 補

木 文 ハ ヌ ル コ ヘ ホ 私 本

第 ァ ゜者 レ ウ ド 1

3 7

夕 敵 ニ ハ ナ ニ 権

⑲ 

篇 丁 ヘ ナ 与 サ ン 先 利

六 主 ゥ リ ヘ ハ ト 彼 ハ 土

。 第 ゾ ト ン ナ 、 人 爵

一 ° 

モ 好 イ 云 ニ ゾ 井

ペ 『 ヘ ヨ 爵 ゾ ハ 名 ゜

懇 ィ ヲ ゜権 字 知 本

¥ ̲ J

9

ハ 者 私 徳 利 ヲ 音

‑ 行 冊、 ナ ニ ノ ヂ ア ヂ

属 本 ラ セ ア ヤ タ ヤ

1柏舟宗趙﹁周易抄﹄一︳系統四本における﹁権利﹂の用例 関法第六四巻•四号

一 三

︵︱

三 ︶

(18)

﹁ 権

利 ﹂

の古典的意味と近代的意味 第

0

冊 ︑

本文第 9

丁 オ

2

3 行 ︶

われている

柳 田

岡 三

0

ペ ー

ジ ︶

( 9

) 鈴木⑮は諸本に通し番号を付しているが︑柳田園は付しておらず︑鈴木⑱は諸本の略称を記載しているが︑柳田園は特に記 載していない︵鈴木⑱の略称を受け入れていると思われる︶︒そこで︑ここでの列挙では︑柳田国が挙げている

ニ 一

の写本に

改めて通し番号を付し︑原則として鈴木⑱による略称を写本名とし︑柳田

が新たに挙げた

本については市原が略称を与 え︑*で示した

また︑所蔵機関に変遷がある場合︑現在の所蔵先を示した︵請求記号等は割愛した︶

なお︑デジタルコ

レクション等でデジタル画像が公開されている写本には︑その初巻初冊の画像を見ることができる

URL ︵

0 1 四年六月

0

日現 在︶

を付記した

( 1 0 )

足利田によれば︑﹁第一増補本﹂とは︑﹁原本の上に︑周易句解︑周易大全等︑朱子學派の注解を参考して増補せるものに て︑中に柏舟の易學上の弟子たる横川輝師の説︑所々に散見すれば︑横川か或は其徒の手に由りて増補されたるものなら

八五六ページ︶ということであり︑﹁第

増補本﹂は﹁足利本と橋本本

︵ 橋

本進吉所蔵本ー市原注︶と︑多少の異同

あれど︑橋本本の方完全に近し

︒第 一

増補本を更に増補したるものにて︑

柏上人の説多く散見せり

増補者は足利學校開

係者ならんと想はる︒﹂︵八五六ページ︶とされる

(

1 1 )

柳田密によれば︑いわゆる増補本原形は︑全巻︑

として

柏抄と横川抄を取り合わせて出来たものであって︑どちらが

どちらが従という関係になく︑また︑横川抄も一部省略されることもあるから︑足利印以来慣用されてきた﹁増補本﹂で はなく︑﹁編集本﹂と呼ぶのがふさわしいとされる

︵三 ニニ

ペ ー

ジ ︶

(

1 2

)

柏舟宗趙

周易抄﹄の諸本に関連して︑清原宣賢

( ‑

四七五ー一五五

0 )

の﹁周易紗

の写本についてもふれておくと︑

国立国会図書館が所蔵する

周易紗 6 巻

は︑そのデジタル画像が同館デジタルコレクションで公開されている

この清原

宣賢﹁周易紗﹄ー│文体はナリ体であるー│においても︑﹁権利﹂は︑柏舟宗趙﹃周易抄﹄と同様に︑﹃周易﹄中学卦九

交辞中の﹁我有好爵︑吾輿爾靡之︒﹂への注釈として講じられているので︑冊次・丁・行を注記して︑該当部分を示してお

こ う

引用文左最初の URL は初巻初冊の︑次の URL は該当部分の画像をみることができる URL

であり︑後者には︑

マ番号を注記した︵

0

一四年六月

0

日 現

在 ︶

故ー不私ー権利ハ官爵也

官位俸禄ヲ私物ニセス徳ー

周易紗 6

巻 ︑

h t t p :   ¥

¥  dl .n dl .g o . jp  ¥  in fo n : dl jp   ¥  pi d ¥ 

25

44

97

9 

三 一

( ‑ ︱

(19)

に用いられるようになった︒ さ

れ︑

ht tp :/  

\ dl.ndl.go .j

¥ i

nf o: nd lj

p  ¥ 

pi d 

¥ 2

54 49 88  

[11 ¥ 70

(1 3 )

 

一般に抄物は︑原漠籍の注疏を参考に講抄されるものであり︑柏舟宗趙﹃周易抄﹄も︑原漢籍である

疏を参考に講抄されたものである︒よってここでは︑﹃

周易

抄﹄

(1 4

) ついて確認しておくことにする︒

﹃ 易

経 ﹄

(1 5

)  

の別名である︒﹃易経﹄は元来卜筑の書であるが︑漠代の儒家によって次のような系譜が高調

五経の籠頭に置かれるようになった︒すなわち︑太古に伏義が︑陰交︵一︶と陽交︵一︶とを三本重ねること

によって__一乾•-__兌._―-離・―――震・__一巽•-_一吹._―一艮・―――坤の八卦を画し、神農がこれを重ねて六四卦としたが、卦

があるだけで辞がなかったので︑周の文王が各卦に﹁卦辞︵象辞︶﹂を作り︑文王の子である周公が各卦の六交につ

いて細説して﹁交辞︵象辞︶﹂を作ることによって上下経が完成したのち︑孔子がこれに深奥な原理を付して十翼︵象

伝上下・象伝上下・繋辞伝上下・文言伝・説卦伝・序卦伝・雑卦伝︶を作った︑という系譜である︒こうして儒家によって

形而上学的解釈が施された周易は︑陰陽の二元をもって森羅万象を基礎づけるがゆえに経書筆頭に位置づけられ︑哲

学上・倫理上・政治上の解釈も加えられながら︑自然現象から家族関係︑方位︑徳目など︑あらゆることがらの判断

ところで︑周易解釈の方法論としては伝統的に﹁象数易﹂と﹁義理易﹂

易の数理から天地自然の法則を読み解こうとする立場であり︑後者は聖人が人々に示そうとした義理︵倫理哲学︶を

﹃ 周

易 ﹄

﹁周易﹄注疏における﹁権利﹂

関法第六四巻三•四号

の用例

の原漢籍である

の区別が説かれてきた︒前者は卦の象形や ﹃周易﹄における﹁権利﹂の用例に

︵ ︱

‑ 九

一 ︶

﹃ 周

易 ﹄

の注

(20)

﹁ 権

利 ﹂

の 古

典 的

意 味

近 と

代 的

意 味

という意味であることを確認しておきたい 注︑孔穎達の疎にすでに﹁櫂利﹂がみえること︑ え

る と

‑︱ 三

八 ︶ の

経 正

義 ﹄

王弼の注を用い︑王弼の注しなかった繋辞伝・説卦伝・序卦伝・雑卦伝については晋の緯康伯の註で補い︑これらの

注をさらに孔穎達

五七四ー六四八︶が敷術して再解釈

疏︶したものである

こうして︑象数易たる﹁漠易﹂

01 三ニ

1

0 八

五 ︶

﹃ 易

︑さらには南宋の朱嘉

︵︱

‑三

0

︱ 二

0 0

)  

ようとする動きが出てくるのである

なお︑この周易注釈史との関係で︑柏舟宗趙﹃周易抄

が ︑

﹁ 王

注 孔

疏 の

外 ︑

宋の程朱

公の偲義︑董楷の偲義附録と︑元の胡

桂の周易啓蒙翼偲︑胡方平の易学啓蒙通繹とを参取す︑所謂折衷

學なり

足利印八五五ページ︶と指摘されていることに留意しておこう

柏舟宗趙

周易抄﹄にみえる﹁私ー権利ハ爵ゾ﹂は︑

周易

注釈として現れたものである

ここでは︑﹃周易正義﹄により︑中学卦九

の交辞およびその注疏を引用し︑王弼の

いうまでもなくその意味は︑古典的意味︑すなわち︑﹁権力と利益﹂

周易正義

経注疏)』国八五—八六ページ傍線は市原による

)。 そして︑宋代以降の新注では︑北宋の程頚

は途絶したといえるが︑唐の李鼎詐は︑漢易の諸注を集めて れ︑これを受けて唐代には 代で王弼︵

ニ ニ

六 ー

九 ︶

周易本義﹄が現れ︑義理易と象数易を統合し

易伝﹄が義理易に立つが︑朱震

1(

0

﹃ 周

易 集

を残し︑後代に漠易の

端を伝えている

っとして

経文から読み取り︑それを生活の指針としようとする立場である

周易正義﹄が絹纂された

︒ ﹃

周易正

義 ﹄

いま︑この区別を前提に周易注釈の歴史をふりか いわゆる古注︑すなわち︑漢代から唐代までの注釈についてみると︑漢代では象数易が主流であ

たが︑魏

易注﹄による義理易が興り︑これが次第に主流となって︑南朝では王弼の注が公認さ

の の

の =

二 ︳

︳ 中

澤 風

中 学

卦の九

の交辞に対する

︵ ︱

0 )

の系譜

(21)

みられるように︑﹁周易正義﹄ 得誠信而應之︐是中心願也︒ 輿爾靡之﹂︒象曰:﹁其子和之﹂︐中心願也︒

︻疏︼正義日:﹁中心願﹂者︐誠信之人︐願輿同類相應︐

九 二

: 鳴 鶴 在 陰

︐ 其 子 和 之

︒ 我 有 好 爵

︵︱

‑八

九︶

吾輿爾靡之︒虐内而居重陰之下︐而履不失中︐不拘於

外︐任其真者也︒立誠篤至︐雖在闇昧︐物亦應焉︐故日﹁鳴鶴在陰︐其子和之﹂也︒不私櫂利︐唯徳是輿︐

︻疏︼正義日:﹁鳴鶴在陰︐其子和之﹂者︐九二罷剛︐虞於卦内︐

又在三四重陰之下︐而履不失中︐是不狗於外︐自任其真者也︒虞於幽昧︐而行不失信︐則聾聞干外︐為同類

之所應焉︒如鶴之鳴於幽遠︐則為其子所和︐故日﹁鳴鶴在陰︐其子和之﹂也︒﹁我有好爵︐吾輿爾靡之﹂者︐

靡︐散也︐又元偏應︐是不私櫂利︐惟徳是輿︒若我有好爵︐吾願輿爾賢者分散而共之︐故曰﹁我有好爵︐吾

(1 6

) では︑九二の交辞の後段﹁我有好爵︑吾輿爾靡之︒﹂に対する王弼の注に﹁不私櫂利︑

唯徳是輿︑誠之至也︑故曰我有好爵︑輿物散之︒﹂とあり︑さらに孔穎達の疎に﹁﹁我有好爵︑吾典爾靡之﹂者︑靡︑

散也︑又元偏應︑是不私櫂利︑惟徳是典︒若我有好爵︑吾願輿爾賢者分散而共之︑故日﹁我有好爵︑吾輿爾靡之﹂︒﹂

とある︒すなわち︑﹁権利を私することなく︑

(1 7

) る注疏となっているのである︒ ひたすら徳だけに与する︒﹂が本文﹁我有好爵︑吾輿爾靡之︒﹂に対す

( 1 3 )

抄物とその講抄の対象になっている原典との関係について︑柳田園は︑﹁抄物は或る原典への注釈であるから︑その言語 は原典の言語と密接な関係にあり︑さらに中国側注釈書に依拠するところが大きいことである︒抄物の言語を扱う場合には︑

この

事実

に配

慮す

る必

要が

ある

と同

時に

︑こ

の点

に手

掛か

りを

得て

その

言語

を研

究す

るこ

とも

可能

であ

る︒

﹂ ( ‑

九ペ

ージ

と指

摘し

てい

る︒

誠之至也︐故曰我有好爵︐輿物散之︒ 関法第六四巻三•四号

一 四

(22)

﹁権利﹂の古典的意味と近代的意味

( 1 4 )

﹃漢籍電子文猷資料庫﹄︵台湾?中央研究院︶の﹁漢籍全文資料庫﹂

ht /tp\ :

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使用︺で﹁櫂利﹂を検索すると︑

2 2 書

8 1 二一四年六月三

0

箇所の用例がみつかる︵

0

日現

在︶

︒四部分類での内訳は︑経部

が1書︵十三経類

1)

︑史部が

2 0 書︵正史類

︑地理類︑政書類1 7

2

l)

︑子部が1書︵釈家類l

)

となり︑集部および叢書部

での用例はない︒なお︑経部十三経類における用例は︑﹁重刊宋本十三経注疏附校勘記﹄に含まれる経書の注疏にみえる例

であり︑本稿で取り上げている﹁周易正義﹄

﹁ 中

学﹂卦の注疏の用例の他に︑﹃孟子正義

﹄ ﹁

離婁章旬下﹂の疎における用例

が見出せる︒後者の用例は︑﹁離婁章旬下﹂の﹁自得之︑則居之安︒﹂に対する疎にみえる﹁

是使櫂利不能移︑

欧不

能傾

天下不能蕩是也︒﹂という用例であり︑﹃荀子﹄巻第一の勧学篇第一にみえる﹁是故権利不能傾︑群衆不能移也︒

﹂と

同様

に︑

﹁権利﹂は﹁権力と利益﹂の意味である︒

( 1 5 )

中国思想史における周易の位置づけについては︑小島祐馬﹃中国思想史

﹄ 園

前期第四章︵第二次の儒家思想︶第一節︵

易 ︶

が明解な見取り図を描いている︒

(

1 6 )

﹁我有好爵︑吾輿爾靡之︒﹂の解釈では︑﹁好爵﹂の﹁爵﹂が何を意味するかについての理解が大きく二つに分かれている︒

一は﹁爵﹂を酒杯とする説であり︑他は﹁爵﹂を爵位とする説である︒前者は︑交辞末尾の﹁靡之﹂を﹁之に靡わん﹂と読

むが︵

﹃易

﹄ 固

下一

八九

︑ 一九

0

ページ︶︑後者は︑﹁靡之﹂を﹁之を靡にせん﹂または﹁之に靡る﹂

︵心

にか

け︑

慕うこと︶

と読む︒前者は︑﹁或はこれが原義に近いかも知れない﹂︵本田5四九四ページ︒ただし︑本田は︑﹁靡は酒杯を共にする意

味に取っ

た方がよいであろう﹂と指摘する︒︶といわれるが︑交位をふまえて文意を考えると︑﹁旨酒を飲んで酔うことが︑

何故に同徳相応ずることになるというのか理解し難い﹂︵今井

固︱ 二

四一

ペー

︶ともいわれる︒前者も後者も︑しかし︑

一方において︑繋辞上伝における中学九二の交辞の解釈︑すなわち︑言行が君子の枢機であるとの理解を当然の前提とし︑

他方において︑九二が下体の﹁中﹂を得ていることも重視していると考えられるのであって︑そのうえで︑前者は︑﹁我有

好爵

吾典爾靡之︒﹂を︑君子の学誠︵至誠︶の徳を美酒を盛った爵︵さかずき︶にたとえ︑君子が﹁その徳をひとり占め

することなく他にもわかち与えてともに酔い楽しもう﹂という象であるとし

︵ ﹃ 易

﹄ 固

下一九

0

ページ︶︑後者は︑﹁我は天

から賜はった善美なる爵位を持つて居る︑吾は汝に官爵を分かち輿へて汝と共に之を楽しまうと言って居る﹂︵

公田皿第四

巻四四八ページ︶

︑ま

たは

﹁良き爵位はわたしのものである︒しかるに友達の彼もまた︑この爵位を心にかけ慕う⁝⁝︒良

き爵位を喜ぶという気持ちは︑吾もなんじも同じだからである︒﹂︵本田国下巻四二五ページ︶と解しているといえよう︒

一四三

︵︱

八八

(23)

困 コ レ ハ サ ハ ナ イ ソ

︒ 田徳ノアル者二与ヘンソ︒

い程度に定まった本文を得ることを目的としたい

柏舟宗趙 (17)朱喜~『周易本義』における中学卦九二の交辞後段に対する注釈には「権利」はみえない(『周易本義』(朱窯撰、麻勇校

注 ︶

詞 八

ページ︑中村障八・古藤友子﹃周易本義﹄

5二

五 0 ページ︶︒程朱以降の新注では︑﹃周易正義﹄とは異なり︑﹁不私

櫂利︑唯︵惟︶徳是輿︒﹂という注釈はおこなわれていないと考えられるが︑新注の系譜に属する注琉のすべてについて確

認しえたわけではないので︑ここでは推定にとどめておく

︑ 同 抄 に お い て

﹁ 権 利

﹂ と い う 語 が 用 い ら れ て い る 箇 所 の 本 文 を

︑ 表

l

で用いた

系 統 四 本 を 校 合 す る こ と に よって︑仮に確定する作業をしておきたい︒ここでは︑原本系の るが︑書誌学的に厳密な校訂を行なうことが目的ではなく︑文中における﹁権利﹂

工 不 私 ー 権 利 ハ 爵 ソ

① 我 力 知 音 チ ヤ 程 二

︑ 先 彼 人 二 名 字 ヲ ア タ へ

ウナントト云ハ私権利チャソ゜

関法第六四巻三•四号

﹃ 周 易 抄

における﹁権利﹂

︵ ︱

七 ︶

の意味を明らかにしたいが︑その前提として︑

﹁国会一祓本﹂を底本とし︑他の三本を対校本とす

の意味を考える際に混乱が生じな

︵文番号︑旬読点は市原が付したもの︒仮名は大書きで統

し︑合字は開

いて表記した︒なお︑濁点の有無︑漠字仮名宛てについては校合しない︶︒

以上の考察を踏まえて︑次に︑柏舟宗趙﹃周易抄﹄

における

不私ー私︵東教大本・土井本︶・不私権

元 亀

本 ︶

先彼人ー先レ彼ゾ人︵元亀本︶︑ハーハハ︵東教大本︶︑私ー利︵東教 大本︶・なし︵元亀本・土井本︶︑ソーなし︵東教大本・元亀本・土井

本 ︶

ンソーなし

権 利

︵ 東

教 大

本 ︶

・ ン

の意味

︵ 元

亀 本

・ 土

井 本

一 四

参照

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