富大経済論集
ゼ ︑ ネ ラ ル 歴史的検討
モータース社における管理体制改革の
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の所論を中心に
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てG・M経営の浴革
二︑スローンプランとその実施
一二︑一九二五年迄の管理革新定着化の過程と財務的コントロールの発達
四︑効果的コミュニケーションチャンネルの形成と一九二五年以後の経過
五 ︑
G・M管理体制改革の総括的検討
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自動車を中心とする世界的な巨大独占企業としてゼネラルモータース社の名はあまねく知られて.いる︒この企業が
一九二︒年代にアメリカ自動車産業におけるトップメーカーとしての覇権を確保するについては︑その管理機構の改
革と事業部制採用にもとずく管理方式の革新が決定的要因となったということも︑多くの論者によって指摘されたと
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る︒
G‑M 社(以下G・Mと略称)の分権的経営管理については︑
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ドラッカーがこれを紹介して以来クlンツ
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l戸等によって管理革新における成功的モデルとしてきかんに採り上げられて
いる︒我国においても伊藤教授によってドラッカーの文献の資料的紹介はなされて居り︑また経営史学の立場から中
川教授によってG・M社経営の沿革と発展について詳細にわたる研究が発表されている︒
われわれがここにとりあげんとするものは︑G・M杜における管理革新の完成された姿そのものではなく︑管理革
新が遂行されていくプロセスの歴史的動態的な分析である︒
しばしば云われる如く︑G・M社事業部制の如き管理方式の新しい確立というものは︑単に管理機構の形式的な変
更によってもたらされるものではない︒機構の変更を手がかりとしながら︑この機構をしてその時々G・M社の当面
する情勢に創造的に対処せしめんがための綜合的な統一方針と︑その実践を保証する諸制度の確立︑このことによっ
て始めてG・Mにおける管理機構の改革は意味あるものとなったことはいうまでもない︒
歴史的事実に照らしてみると︑自動車産業の勃興期にあって極めて無計画かつドラスナックに進展せしめられた企
業統合政策の結果︑G・M社に支配的だった管理的統一の欠除と無政府的な分権化の傾向は︑激化する市場競争と景
気変動の圧力の前に大きな矛盾を露呈するわけであるが︑この矛盾の解決策として管理機構の改革
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事業部制への指向がはかられたわけである︒しかもこのような方向ずけは︑単なる組織機構の技術的合理化の枠内に止まることな
く︑むしろ明確な市場戦略の裏付げをもっ統一的調整のもとにおかれた全般的管理の確立がはかられる中で実現され
‑129‑
たということは明らかである︒このような過程は︑もちろんいくつかのステッγをたどりつつ進行したことは論をま
たぬが︑このいくつかの段階が如何様に推移したか︑この組織体制確立の中で管理的統一と分権との矛盾的に統一さ
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富大経済論集
一 八 れた結合関係は如何に発展せしめられたか︑組織の動的展開の中で終極的には長期経営計画に結びつくところの財務 的︑統計的コントロールの確立過程がどのような内容と経過をたどって来ているか︑を明らかにし︑このような新管
理体制確立の歴史的評価を総括してみること︑これこそ小稿の課題とするところである口
チャンドラ1の所識に従ってG・
M
社の企業統合政策の時代の
G・
M
経営とくに管理上の問題
そこでわれわれは︑
点をまず明らかにし︑
ついでスローンによる管理機構改革プランの提示!←同プラン実施過程での主要な問題を追求
して︑最後に管理機構改革の歴史的検討を試みることとしたい︒
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ω伊藤淳己﹁ゼネラNモーターズ会社の分権管理﹂経営研究第三九号五七l六九頁︒この労作は︑ドラッカーのの
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の前半の
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M分権制の実態についての紹介を資料として要約されたものである︒
中川敬一郎﹁ゼネラルモーターズ会社経営史﹂企業経済分析(脇村義太郎教授還暦記念論文集二)ゴ一六l七五頁︒この労作
では
︑ G・M社の創業時代に始まる歴史的な治革を︑その発展段階毎の特色を描き出しつつ︑克明に紹介されている︒分権制
を中心とするG・M社の管理制度改革については︑その概要が紹介されてはいるが︑著者もことわって居られる通り︑分権制
の歴史的背景を経営史学の立場から明らかにすることに力点がおかれ︑管理制度そのものについての分析は行われていない︒
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・この著作ではG・Mの営業
報告書︑アンチトラスト委員会でのG・M幹部の証言と提出記録︑A・M‑Aその他専問誌に記載の関係論文︑自動車経営に
関す
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経営の沿革 G‑M
杜が一九O八年に持株会社として組織されて以来︑
一九
二O年に経営危機を招き経営管理の一新をはかる必
要に迫られるに至る迄︑G・
M
経営の特色は︑その対抗企業たるフォードが現有のプラント拡張により垂直的統合トラスト化を狙ったのに対し︑既存の一連の自動車会社の分散じた施設を単一持株会社として統合する政策に重点をお
いていたことに求められる︒この時期におけるG・M経営は三つの段階に分けて観察することができる︒それは::;
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デュ一フントハヨ・︒・ロ日目︒による創業期の第一支配の時期
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京都銀行シンジケートによって管理されたストロー
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統治の時期
同デュポンの金融的支援の下でデュラントのカムバックによる第二支配の時期
であるが︑企業統合政策が強く推進されたのは第一︑第三の時期である︒この時期の経営の詳細な経過については︑
既に中川教授の労作に明らかであるのでここでは余り触れないが︑この時期全体を貫く特色としては︑統合政策に熱
心な余り統合された企業の全般的管理には関心薄く組織構造にも注意が余り払われず︑部分的になされた努力も殆ど
実を結ばなかったことがあげられる︒
‑131ー
いちおう念のためこの時期の簡単な経過を一示せぼ︑馬車製造企業の製造能力と全国的な市場配給組織をバックに︑
その体験を十二分に生かして新興自動車産業にのり出したデュラントは︑ピュイック社の成功を足がかりに思い切っ
た自動車産業統合政策を推進した︒モ戸ガン資本の支援のもとに行われたフォード社買収の試みが不調に終るや︑デ
ゼネラ戸・モータース社における管理体制改革の歴史的検討(下川)
九
富大経済論集二
O
フォードの単一標準草に対して製品多様化を可能にする各種自動車
去社の合同にのり出し︑ピュイックとオルズの二社を中核に︑持株会社G・
M
社を一九O八年に創設した︒間もなくこ ュラントは独力で統合政策を進める決意を固め︑れにキャディラック︑オーグランドの二社が加わり︑これら組立会社の大量生産を可能ならしめるべく車体︑
ンその他一連の部品製造企業の合併が進められた︒しかしこれら一連の統合政策はその急速なる余り無計画で一貫性
かつ大量生産による供給のみを考慮して需要低下に備える体制がなかったといわれている︒この
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が欠除しており︑
当時のG・
M
では生産調整のための産出と需要の情報すら集められておらず︑このような情報をもたらして社長デュ一フントの活動をコントロールし︑統合と合併の潜在的な経済性の達成を助ける如き組織機構の設立には何らの関心も
払われなかった︒このような欠陥ば一九一O年の景気後退を迎えるに及んでいち早く表面化し︑売上が増加していた
に拘らず資金欠乏をきたし支払不能に陥るのである口ここに及んでデュラントは東部銀行シンジケートからの千五百
万ドルの借入れと引換えに銀行家団に会社経営を委ね五年間の議決権信託協約にサインするの余儀なきに至り︑G・M
は銀行家管理の時代を迎える︒
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・ナッシュを社長に任命した︒銀行家達は拡張よりも内部組織の整備により関心を寄せ︑傘下の子会社の整理統合を行って少数の大ユニットに生産を集中し
たのであ&︒またストロー等はある種の全般的管理機構を開発するべく︑一連のゼネラルオフィスの設置にのり出す
のである︒この場合ストローにおいては︑G・
M
のすべての活動を一つの集権的組織の中に位置ずける意図はなかっ 銀行シンジケート団はJ・J・ストロウを財務委員会議長に据え︑たが︑自立的な子会社聞のよりいっそうの協同と統制が必要であるとされた︒そこで主たる子会社の長からなる常務役
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さらに子会社聞のコミュニケl
ションと調整のためにフォーマルな相互連絡委員会の会合を月々定期化したのであ
る︒永続的オフィスのうちで︑技術生産部は技術的開発の組織化を図るべく︑各種技術のエクスパートを結集して各工
場スタッフに助言とサービスを行うゼネラ戸スタッフたることを狙いとしており︑会計部は全社的に財務的状況の正
確な情報をえんがため︑会計手続を標準化することを狙ったものであった︒しかしこれら永続的オフィスにしても常
務役員会等の組織体制にしてもそれぞれを個別的にみれば︑それはそれなりの成果をあげたとはいえ︑全般的管理上
のコントロールを準備するには極めて充分であった︒常務役員会は単なる情報交換の場にすぎず︑購買部も情報セン
タ1以上のものでなく︑集権化された会計を制度化することにも多くの困雑があり︑加えて各メーカーユニットが独
立性を侵されることに強い抵抗を示した︒当時G・Mの利潤の大部分を生み出していたピュイックやキャデラック部
門の社長として大きな成功をおさめていたクライスラーやリlランドその他の部門経営者はゼネラルオフィスの提案
は勿論命令でさえ受容れるタイプの人物ではなかったのである︒こうして五年間の銀行管理の時期が経過してからも
G・Mはその努力にも拘らず︑巨大な資源を管理するのに当時の一般の持株会社に比してすら︑よりよく整備されて
いるとはいえない状態にあったといわれている︒ゼ︑ネラルオフィスは資金配分と利益の分配をやったけれども︑この
ことですら組織的かっ合理的に行われなかったが統一的管理が真に確立しなかったことは銀行家的な財務的健全性の
重要視にのみ一方的に一揖した方針とあいまって︑ニの時期が全米自動車市場の急激な拡大期であったのに
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ーケットシェアlの低下を招くという結果に導いたのである︒
‑133‑
銀行管理の期間G・Mの第一線経営から引退したデュラントは︑シポレ1社の成功をバッグに捲返しをはかり︑デ
ュポン資本の援助のもとに︑無配を続けていたG・M株に対する巧妙な株式操作によって
G‑M
社の支配権を握り︑
↑九一六年八月社長に返り咲いれ円︒デュラントの第二支配の時期を迎えて︑
G‑M
は再び大規模な企業統合政策をと
ることになる︒この企業統合戦略のために組織構造は忘れ去られ︑ゼネラルオフィス設置には殆ど考慮が払われず︑常
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体制
改革
の歴
史的
検討
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富大経済論集
務役員会や購買部は廃止され︑トレジヤラーやコントローラーも会計と財務上の手続を標準化する努力をストローの
時代ほどには行わなかった︒デュ一フントにとっては巨大な市場のために生産量をふやすことこそ先決で︑時には利潤よ
りも重大な位であった︒デュラントの大拡張計画によって一九一六i
一九
二O年の聞に二十社が買収されたが︑この
うち車体組立は二社にすぎず残りは部品製作関係の会社であった︒第一次大戦によってこの拡張計画は一時的に遅延
したとはいえ︑戦後一九一八年デュポンが戦時超過利潤の一部(五千万ドル)を投資するや急テンポに推進された︒
多くの部品工場の支配とあいまって︑各地に組立工場が建設され︑各種資材の長期的な必要も調査されて︑ア戸ミの
継続的供給についてアルコア社と契約したり︑グッドイヤーへの五十万ドル投資にみる如き一連の資材関連企業への
投資
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G・M‑信用販売会社の設立等が一九一九年に次々と行われた︒このようにデュラントは第一次大戦後の時期
にその統合戦略構想を飛躍的に発展させたが︑この拡張期間を通じずっと組織問題には関心を示さなかった︒子会社
は一九一七年にディヴィジョンに編成され︑G・Mは単なる持株会社から事業会社に変ったとはいえ︑この変化はあ
くまで法律的な変更以上のものではなかった︒ディグィジョン相互間やゼネラ戸オフィスとディヴィジョンの関係は
出まかせの偶然的なもので調整もなく︑主要な決定事項(工場拡張︑投資︑生産高︑価格)は︑デュラントとディヴ
ィジョンの長の偶然的な会合と個別的な話し合いによってきまることが多く︑デュラントだけで独断的にきめられる
こともあった︒
一九
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G・Mに対するデュポンの直接投資が増強されるにつれて︑デュポンはG・Mにおける効果的な
全般的管理機構の欠除を憂慮し始めた︒その投資を守ることについてデュポンはかつてG・Mを管理した銀行家同様
に関心をもったが︑同時に組織機構を明確に定義する必要性を自覚していた︒デュポンはまずゼネラルスタッフの拡
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関心
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示し
第一
Jゼネラル役員を任命した︒さらにデュポンにおいて実施されたと同じ方法でトップ委員会の組織
構造と任務をきめた︒トップ委員会のうち経営委員会は︑主要ディヴィジョンの長よりなっていた旧常務役員会と異
り︑全般的なポリシーと業績については充分な責任と権限を特別に与えられる建前になっていた︒もう一つの財務委
員会は︑配当政策︑株式発行︑販売計画などの全般的財務政策をきめ︑トップ経営担当者の給与設定︑年度ごとの資本支
出見積の承認(一項目三十万ドル以上)定期予算の公認等を行うことになっていた︒やがてデュポンは︑ゼネラルオ
アイスに送り込む上級役員を増加させ︑ラスコプをトレジゲ一フl
に ︑ ハスケルを財務︑経営両委員会兼務として︑G
‑Mの管理体制へのテコ入れをはかる︒とはいえこの役員任命は︑会社の基本政策を変える程の効果を及ぼしはしな
一フスコプ自身︑体系的な組織よりも拡張の方に関心があり︑ハスケルに至っては
その任務自身があいまいで組織改善の推進には明らかに失敗していか︒
二つの委員会と役員任命に加えてデュポンは総司令部におけるスタッフ活動の拡大によりG・Mの全般的管理改善
をはかった︒一九一九年に至って全般的財務役員の増加が行われ︑プラットが新設の資本割当委員会議長に任命されて
財務及び会計手続改善の最初の試みが行われか︒ かったのである︒当時にあっては︑
このほかデュポンによるG・Mに対する組織上のテコ入れの一環として︑デュポンによるスタッフサービスの
G
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Mに対する提供があげられる︒一九一九年初めに購入プラントの調査︑資材入手可能性の情報を必要とした
G
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必要な研究のためデュポン杜と協定している︒その結果デュポンの開発部門に小モーター開発部が設置され︑人事部
との協定もなされたし︑資本支出手続についても協定によってデュポンと同様なものとなった︒とはいえ︑資本支出
手続については形式的同一性がはかられでも︑資金の割当と費消に関する統制は︑この手続の確立をめざすプラット
の委員会によっても確立されなかったのである︒以上要するにデュポンは︑ディヴィジョンを監督し評価するゼネ一フ
‑135‑
ルオフィスを中心に組織改善に関する援助を行って︑ある分野ではストローの時代よりも成功をおさめているけれど
ゼネラル・モータース社における管理体制改革の歴史的検討(下川)
富大経済論集
二四
も︑このことは限られた範囲のものに止まっており︑
G・
M
をいろいろな会社の拡大する結集体以上のものとして︑
機 能 的 な 全 般 的 管 理 を 確 立 す る こ と に は 失 敗 し て い る
︒ こ れ は 一 つ に は デ ュ ポ ン 経 営 者 自 身 が 第 一 次 大 戦 後 の 自 社 の 変化に没頭させられて︑
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に 必 要 な 問 題 を 分 析 す る 時 間 的 余 裕 と 直 接 的 利 益 を も た な か っ た か ら で あ ろ う と 考 え
られているのである︒
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2・中川敬一郎﹁ゼネラルモータース会社経営史︑四三l
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M輸出会社を設立している︒中川氏︑前掲書︑四七頁︒
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l部門の部長)のゼネラ戸マネジャー任命によるゼネラルオフィス拡大策を積
極的に支持し︑クライスラーを本社幹部との対立←辞任へ追いやったことがあげられる︒
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デュポンによる援助はあったに拘らず︑全般的管理機構の充分な確立と運営をみないままに︑G・
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は一九二O年の経営危機を迎えることになる︒一九二O年初頭には猶市況は繁栄して居り︑むしろ当面増大する需要に備えての棚
卸資産の購入が各ディグィジョンマネジャーによって促進され︑追加資本の必要性が増大した︒各ディグィジョンの
長期的考慮をぬきにした棚卸資産購入の増大は︑財務調達上の困難に当面することになり︑財務委員会議長ラスコプ
は警告を発し︑運転資金引締めと不況に備えた生産計画の手直しを指示するに至った︒しかしこのような生産割当減
少を含めた引締め措置にも拘らず︑ディグィジョンマネジャーはその限度を守らなかった︒そのため資金割当を超過し
た棚卸資産の増大が各所にみられた︒この年の後半に入ると自動車市場は急激な逼迫に見舞われ︑十一月には八月の
四分の一に需要が低下した︒しかもG・
M
は販売部マネジャーの支持もあって︑この頃フォードが行った値下げに追 随しなかったため売行不振はいっそう促進され︑遂に八︑四OO万ドルという記録的な在庫ロスを出すに至り︑G‑M
株は暴落するという決定的な危機を迎えた︒ここに至ってデュポンは株式の買支えとG・
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経営の建直しに本格的に乗出さざるを得ず︑デュラントを引退させ︑ピエールデュポンを社長とする新経営陣に問題解決を委ねたのであ札口
新経営陣が当面した最大の課題は︑G・
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経営内部の組織的混乱の整理であった︒当時のG・M
は無計画な統合による混合体にすぎず︑各部門が個有の問題をかかえ︑各部門が別個の販売会社によって推進する市場活動の聞には統
一も協調もなかった︒組織改革と管理体制一新のためA・スローンの改革案が検討されたが︑その実施に当ってはい
ろいろな障害が当然存在した︒新経営陣に対しては︑各地に散在する部門の幹部が抵抗を一示し︑在来中西部の資本を
‑137‑
バックとしていた投資家は︑新しい東部資本の支町に不安を表明していた︒そこでピエール社長は︑各地訪問による
ゼネラ山プモータース社における管理体制改革の歴史的検討(下川)
五
富大経済論集
一 一 六
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︑ スローンの改革案の内容はいかなる特色をもっていたか︑またこのプランはどのような経過の中から生まれ たのか︒このプランは
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杜を統一方針のもとに調整された会社に変化させるべくゼネラルオフィスを成功的につ くり出すことをさしあたっての狙いとしていた︒元来スロ
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ンは︑大顧客相手の大量生産のための集中的タイプの組 織機構をもっていたフィアットローラーベアリング社から持株会社ユナイテッドモーター社に転じた人である︒
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M・C社長として彼は︑フィアットでは必要のなかった詳細な管理に関心をもっ立場におかれ︑
ゼネラルオフィスを 作り︑統一的な会計手続を設け多種職能企業におけるセントラルオフィスの責任を確立した︒
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・M・CがG・Mに 吸収されるに及んでG・M経営陣に迎えられたスローンは︑G・M全体の組織に構造と体系がないことに関心を深め︑
一九一八年ハスケルに書簡を送って︑G・Mの機構合理化プランを成就する決心を述べている︒G・M
経営陣の中で
スロ
1ンだけが事業活動ユニットを管理する管理オフィスを設けた体験をもって居り︑G・Mの全般的情況について
スローンはこの改革プランのための組織研究に何ら他者の援助を受けていないことを強調し
完全な見方をしていた︒
ているが︑彼はプラン作成にあたって︑職能別オフィスを全般的管理部門に変化させたいくつかの持株会社の経験を 研究している︒このプランにおけるスロ
lンの狙いは︑
ストローやデュポンの考えた以上に大きくかっ積極的な意味 をもっゼネラルオフィスを設け︑この新オフィスとディヴィジョンの聞のコミュニケーションのラインを定義するこ とであり︑このラインに沿って流れる正確なデータを開発することであった︒そこで彼の基本的な革新は①より包括 的なスタッフ組織の形成︑①助言だけでライン権限をもたずにディヴィジョンのグ戸︑
lプを監督するゼネラ戸経営担
当者の任命が包含されていた︒
さてこのプランにおける組織問題の研究に当っては︑各ディずィジョンの独立性は保持したまま革新を進めること
が必要であり︑集中組織はストロー時代の体験に照らして・も問題とはなりえないとされた︒同時にディヴィジョンの
活動は無政府的な分権化のもとにおかれではならず︑全社的利益のもとに調整され統制されねばならない︒この二つの
原則の基礎の上に五つの研究の狙いが明らかにされている︒それは
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ディヴィジョン相互間だけでなく中央組織 とディずィジョンの関係を明確にきめる︒
ω中央組織の地位を決定し︑全社的目的に向って会社全体と中央組織そ れぞれの活動を調整する︒
ω会社のすべての経営担当職能の統制を主任経営担当役員としての社長に集中する︒ω
社長に直接報告する経営担当者の数を制限し︑社長をして重要でない問題に接触することなく会社の全般的政策のよ
りよい方針をうちだすことに専念することを可能とする︒間各ブランチの発展が全社的にみて建設的な線に︑沿ってい
くという目的のために︑それによってすべての他の経営担当者ブランチが助言的に説明されるように諸々の管理手 段を各ブランチに準備すること︑:::であった︒スローンはこの目標に達するために四つの戸1トで計画をたてた︒
第一は第一線経営ディグィジョンの再編であり︑第二はゼネラルオフィスにいろいろなグループのディグィジョンの 活動を管理する経営担当者を含めることであり︑第三にはゼネラルオフィスにおけるスタッフ機能の拡大とこの機能
を行うオフィスを単一の助言スタッフに結合すること︑第四に財務及び会計ユニットの活動の拡大である︒
‑139‑
このプログラムに沿ってスローンは財務及び経営の両委員会の役割と責任をきめることから始めることを提唱し た︒財務委員会は配当率やトップの給与︑資金調達その他財務政策をきめるべく継続せしめられたが︑とくに会社の 財務と会計の全般的な統制を行い︑経営委員会の勧告する主要な資本割当を審査することとされた︒経営委員会は
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第一線側の会社活動に関する全体的監督を確保し︑事実上全般的事業活動スタッフを構成した︒社長の役割はト ップの諸委員会の政策を解釈することであり︑このために彼は新設の資本割当委員会を始めとするパーソナルスタ
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二七
富大経済論集
二八
ッフの援助を得ることができる筈である︒スローンはまたそのマネジャーが充分な責任と権限をもっ第一線部門の継
続的な独立性を強調した︒そして各ディヴィジョンを︑自動車︑アクセサリー︑パーツ︑混成部門(冨
28 E2 85 )
の四つのグループに編成することとしているが︑このことによってとくにアクセサリー︑パーツ関係に従前見られた
錯雑な部門プラント編成が全面的に改善さるべきである︒ディグィジョンのグループ別再編に伴って︑新タイプの会
社役員としてグループ経営担当者の任務が明定化され︑彼は何ら特定の事業活動上の責任をもたず個別的に助言的能
力をもっていくつかのディヴィジョンの仕事を監督し︑綜合的に会社の全般的政策設定を助けることになる︒アクセ
サリーグループ及び自動車部門についてはグループ担当副社長がこれを統括することになっていた︒彼の職能は完全
に助言的であるべきで︑社長︑重役︑財務︑経営両委員会のポリシーにいろいろな事業活動を個別的に反映すべきで
あった︒これに対しパIツグループにあっては︑その単一職能ユニットがそれぞれゼネラ戸マネジャーの下にある三つ
の地域的にきめられたディグィジョンと結びつくことになっていた︒そしてこのグ戸1プのディヴィジョンは生産と
それぞれ他グループの大ディヴィジョンと結びつくよりもむしろ別々に組織されることが強
調された︒しかもこれらのプラントを三つの地理的なディヴィジョンに結合するに当って︑ 製作だけに当るもので︑
スロ
lンは︑責任権限を
出来るだけラインに下すように希望したのであった︒第一図はスロlンの最初の再組織プランを図示したものである
が︑四つのグループの配置統合関係がこれによって理解できる口
スローンはまた︑ゼネラルな経営担当者の外に中央組織はスタッフスペシャリストを必要とするとしている︒この
点に関しては︑統一的な会計制度を運用する財務︑会計スタッフの拡充強化︑専門家の助言スタッフの創設がとくに
強調されている︒これらスタッフ機構の採用と前述のグループ経営担当者の任命こそG・
M
を他の一連の持株会社とインテグレイト区別させ︑集中的職能部門別機構を創設することなしに会社を単なる連合体から統合された会社に変化さすことを可
CHARTl : Sloan's Initial Plan of Reorganization for General Motors, 1920
i1:
能にするものであった︒チャンド一フl
のかかる指摘にもみられる如く︑このスタッフに期待される役割は極めて大き いものがあった︒この全般的助言スタッフの目的とするところは︑第一線経営スタッフの主任担当者に助言すること であるが︑ディヴィジョンはその独立性の故にこの助言の諾否を決定し得たのである︒このスロIンのプランにおけ る全般的助言スタッフの組織配置については︑第一図左端に見られる通りである︒この外スローンは︑組織改善に当 る組織部とディグィジョン間の生産スケジュールの調整に関連した部課という二つのオフィスも設置したいと考えて
いたのである︒
以上要するにスローンの描いた全社的な組織機構では︑与えられた自立的部門を合理的に分類すること︑ならびに
全般的役員とλ
タップよりなり部門を管理する任務をもっ中央組織の提案がみられたわけである︒この中でゼネラル
オフィサl
は︑個々にはいろいろなグループのディヴィジョンを監督し調整し︑綜合的には全社のポリ
V
l作成を助
けるものであり︑スタッフ担当者はディヴィジョンマネジャーとゼネラルオフィス両方に助言し補佐し︑個々のユニ
ットの業績評価と全般的政策を公式化するに必要な経営上及び財務上の情報を準備するとされたわけであ司令
以上の如きスローンの組織プランは︑デュラントの時代には陽の目を見ることなく︑単なるプランとして放置され ていたが︑ピエールデュポンが社長に就任するとともに脚光をあびることになった︒ピエール社長は︑このスローン のプランを慎重に検討し︑若干の修正を加えてこれを採用した︒修正されたうち最も重要な事項は︑財務スタッフの 拡大と管理活動委員会
( O
H )
2 ・ 己 目
05
︒︒日日目立めるの設立である︒財務スタッフには︑税務︑保険︑給与︑統計の各部
課が含められ︑コントローラー部はゼネラル︑
コスト︑資本割当の三つのユニットに分けられた︒管理活動委員会は 主要ディヴィジョンのマネジャーや重要なスタッフユニットの指導者よりなる大きなグループであるが︑これは当時 四人で構成されていた経営委員会を補佐し助言するものであった︒経営委員会については︑会社の危機の聞をつうじ
ゼネラ戸・モータース社における管理体制改革の歴史的検討(下川)
富大経済論集
‑144‑
必然的に重要性を帯びる企業的なそしてまた戦略的な意志決定に注意を集中することによって会社を蘇生さすことが 期待されたのであるが︑管理活動委員会の存在によって経営委員会のメンバーは︑管理上の負担やラインやスタッ
ブそして財務ディグィジョンに対する指導の実施から雑れてゼネラルポリシーのみに専念できることになった︒
プL
一二年はこうしてG・Mの組織形成の年となったが︑この年G・Mはスローンプランを修正したディグィジョンの再
編に着手している︒アクセサリーとパlツの両グループは︑ゼネラルオフィサlに任命されたプラットに監督される
ことになったが︑混成部門は削除され︑あるものはアクセサリーグループに︑信用会社の如きは財務丹タップに編入
された︒財務ならびに助言スタッフの設立には︑なお多くのオフィスの開設と新しいゼネラルオフィスにおける経営
担当者をより多数任命することが必要であった︒財務担当副社長D・ブラウンや研究部責任者ケタリングその他有能
なスタッフが各所から集められて配置された︒同じ期間に経営委員会は︑四つの自動車ディグィジョンのマネジャー
を取替えることによって第一線経営ディグィジョンに変化をあたえた︒取替えられたうち二人の経営担当者の直接の
免職理由は︑会社からの資金請求についての論争であったが︑とにかくこのような強力な措置により︑独立的で頑固な
マネジャーが変更された結果︑ディグィジョンに対する統制の回復と統一的会計及び統計手法の制度化がともに非常
に容易になったとされている︒これと併行して︑ディグィジョンの整理統合も行われた︒
このようにしてスロlンプランの修正という形での準備期間を経て︑一九一二年の終りにスローンの提案は実施に
移された︒ゼネラルオフィスの成長によって︑このオフィスは社長の個人的司令部以上のものとなり︑各ディグィジ
ョンや全社のポリシーを立て︑調整し評価する時間を多くもつことになったのである︒しかしながらこの年の終りに
プランが実施に移されてからも︑このプランがスムースに運ぶ組織となるまでになされねばならぬ多くの仕事が残き
スローン(一九二三年社長就任)等の経営陣は︑一九二五年迄はG・
M
で効果的に統合された管理機構がれて
いた
︒
出来上ったという確信はもてなかったのであった︒
註
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同 ピ エ l デュポン︑ラスコプ︑J・A‑ハスケ戸︑スロNlンの四名であった︒このうちスロlンは助言スタッフに責任をも
ち︑ハスケルは事業活動に責任をもったが︑間もなくこれは逆に入れかわってスロIンが事業活動担当副社長となっている︒
倒 オ 戸 ズ
︑ オ lクランド︑キャデイラック︑シボレl
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一 一
、一九ニ五年迄の管理革新定着化の過程と財務的コントロールの発達
スロ
l
ンプランが若干の修正つきで実施に移され︑管理機構改革と結合して意図された管理体制の革新が定着化す 一九二一年i一九二五年の間にG・
M
の上級経営担当者がとくに考慮したのは次の三つの領域であった︒
る迄
十+ ︑
各ディグィジョンの活動が︑他のディヴィジョンのそれのより効果的な補完となるようにディグィジョンの活
動を定義すること︒
仁) 新機構を流れる正確で効果的な情報の発達︒
ゼネラル・モータース社における管理体制改革の歴史的検討(下川)
‑14(:)‑
富大経済論集
四 ω円
ゼネラルスタッフと管理活動委員会の努力によってより効果的にまとめられたコミュニケージョンのチャンネ
ルの
形成
︒
まず第一の各ディヴィジョンの境界をきめる問題は︑市場戦略に密接な関連をもつものである︒かつてデュ一フント
は合理的なプロダクトラインを発達させず︑その結果いろいろなディグィジョンが互に調整されざる競争を行ってい
た︒そこでまず第一段階として各ディヴィジョンの中で比較的好成績をあげていたピュィックとキャデラックなみに 他のディヴィジョンの製品の品質を引上げかつ各種ディヴィジョンの部品アクセサリーの供給を合理的な関係の中に
位置ずけることが行われた︒第二段階は市場を一括する政策すなわち各ディヴィジョンがそれぞれ特殊の価格市場に
向けて生産する政策を公式化することであった︒一九二三年のG
・
Mの年度報告書はこの点について大要次のように﹁一九二一年に確定的な製品政策が採用され︑量産を妥当とする最低価格から最高価格迄の完全な乗用述べている︒
車のラインが設定された
Dさらに一九二三年にはプロダクトラインは再糾合され調整されて︑これまでいくつかの自
﹂の結果各ディグィジョンの配置は︑価格動車製造のディヴィジョン相互の範囲内に存在した競争は排除された﹂︒
ポジションにもとずくものとなったのである︒これはとくに︑低価格大衆車で市場をリードしていたフォードに対抗 するため︑比較的低価格で品質のよりよい車の生産に力を入れることを考慮し︑従来の混然とした一貫性のない価格
系列を体系的なものに改める効果を狙ったものであった︒
このような市場戦略と関連して一九一二年初頭にG・M経営陣は︑デュラントのとっていた垂直的統合戦略︑すな
わち基本的な資材︑原料資源の支配と保有の政策を拡大すべきでないと信ずるに至っていた︒そこでG・Mは各種自
動車製造に直接関連するラインを固く守り︑フォードの如くすべてをT型の生産に集約するような形での統合戦略を 模倣しないときめたのであった︑つぎにディヴィジョン聞の振替入札の政策もきめられ︑ディヴィジョン聞の商議を
やめて経常的な市価で取引し︑外販の比較的少いディヴィジョンについては︑購入する側のディヴィジョンが競争的
な情況をきめた︒そしてまた社内で購入できた品目を社外購入した場合に︑その理由を記したレポートを各ディヴィ
ジョンに作るように求めたのであっ叫ん︒これらのことはディヴィジョンの利益責任を確立する上に大きな意味をもっ
たのである︒
さて一九二五年迄の聞にG・M上級経営担当者がとくに留意した三つの領域のうちの第二領域は︑統計的財務的コ
ントロールすなわちコスト︑生産︑収益等々に関する正確な統一されたデータの発達によって改善されるべきもので
ある︒そこでG・Mでは︑ドナルドソン・ブラウンを責任者としてこの改善に着手するが︑それは二つの段階を通じ
て行われたのであった︒
まず第一の段階として︑多くのディグィジョンに対するある種の管理的監視を得るためにゼネラ戸オフィスにとっ
て大切なデータ及び手続の発達に努力を集中した︒この第一段階にあっては︑④まず各ディヴィジョンの購買と生産
のスケジュール統制のための情報的手続を形成すること︑⑪資本及びその他の資源の組織的配分の方法と現存の供給
可能現金の効果的な利用法をそれぞれ工夫すること︑︒統一的な会計手続の制定︑が行われた︒続いて一九二二年以
降の第二段階では︑財務スタッフによる財務部データの精激化︑その情報と方法を完全化するための努力が集中的に
行われている︒この段階で財務スタッフは過去及び経常的な業績よりも将来期待される諸条件を扱ったデータとコン
トロールの発達に関心を払った︒その結果購入←販売に至る製品のフロウの調整と資源の配分その他のポリシーの公
式化︑ディグィジョン及び全社の業績評価などすべてのことが︑予測された諸条件に結びついた情報にますます依存
することになったのである︒
一九一二年の第一段階においてまず取上げられたのは棚卸在庫のコントロールの強化であった︒
一九
二O
年の困難
ゼネラ戸・モータース社における管理体制改革の歴史的検討(下川)
五
富大経済論集
ー‑L.ノ¥
‑148ー
は棚卸在庫の危機によって促進されたという認識のもとに︑購買と生産のスケジュールに関する統制を増進しかっこ
一九
二O年十月の危機に際してG・Mはプラッれらスケジュールを市場需要とより密接に調整する試みが行われた︒
トを責任者とするインベントリI委員会を発足せしめてディグィジョンの棚卸在庫の検証と必要以上の購買のチエッ
クに当らせたが︑のちにこの委員会は拡充され︑棚卸在庫の簿価切下げの計算と購買スケジュールの調整を行い︑さ
らに各ディヴィジョンから四カ月毎の販売見積りを受取り︑これらすべての見積りを各月毎に検討することになった口
やがてこれらの予測は棚却在庫統制が維持されうる情報を準備することになり︑このことがひいては一九一二年四月
にプラット委員会の解散を許すことにもなった︒このように体系的に発達した予測は︑G・Mにおける大部分の統計
的コントロールの基礎となり︑ディヴィジョンは四カ月毎の販売と生産量を見積り︑必要な支出をも見積った︒一九
二三年にはこれらの予測は︑棚卸在庫や産出高︑そして必要な購買と同様︑プラントと流動資産の各月の終りの投資
額をも含むようになり︑しかもこの予測に関するレポートを補うため︑まもなくディヴィジョンはその時々の財務業
績を網羅したレポートを別に提出するまうになったのである︒
この期間においてG・Mのトップ経営担当者は︑資本資金の配分のための効果的な体系的手続を取上げている口そ
こでは資金割当の要求は︑建物︑施設︑材料等の詳細なプランと必要な資本額︑必要に応じ達成さるべき見積り上の
貯蓄額
( r
i
口問るを含むべきものとされた︒資本支出の承認はその額に応じ︑ゼネラ戸マネジャー︑グループ経営担当者︑社長︑経営委員会︑財務委員会等の各レベルの署名ないし承認が必要であり︑大きなプロゼクトは割当委員
会の検討に従うことになっていた︒そこでは資本割当についての最終的な意志決定に到達するに当り︑
割 当 委 員 会
とゼネラルオフィスは︑全般的な財務及び経済的情況に関するたえず改善された予測に依拠していたのである︒現金
資源に関するコントロールについて言えば︑一九一二年を契機に各ディヴィジョンが自らの現金管理を処理していた
のを改め︑取引銀行を整理して全国各地約百の銀行にG・M単一名儀の収益受取口座
Q R O E
‑ D m Z 2 f ︒
この新しい預金勘定からの支払についてはゼネラ戸オフィスの財務スタッフに処理させるようになった︒このシステ
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き︑
ムがとられることによってディヴィジョン聞の資金の振替は自動的に行われ︑あるディヴィジョンの預金が一定の極
大値を越えるとその剰余金は本社指定銀行の剰余金受取勘定に払込まれ︑資金の必要なディヴィジョンに振替えられ
た︒このようなシステムによって現金の大きなプールのコンスタントな適合が可能になった︒同時に各ディグィジョ
ン聞の取引における勘定記入も非常に簡単化され︑現金交換なき決済が社内清算機構の中での社内決済手形の受授に
より可能になった︒
一九一二年の不況の進行は︑体系的な全般的監督のいっそうの進歩を可能ならしめた︒その結果統一的な会計制度
は会社の全部分で制度化され︑ディグィジョンのコントローラーはわ
yl
ティンな事項の報告を要せず標準や手続︑方
法についてのみゼネラルオフィスにある財務オフィサlの指導に従うことになった︒一九一二年後に新コストアカウ
ンティングセクションがすべてのディヴィジョンの会計手続を作成したことによって︑そこから得られるデータは︑コ
ストと利益の把握をゼネラルオフィスとディヴィジョン双方に可能ならしめた︒このことによってゼネラルオフィス
は︑コストが市場価格と調和しているかどうか︑各ユニットは満足な投資利益を生み出しているかどうか判定するに
必要な基本的情報を掌握することになっ九︒
しかし損益の現実的評価に関する正確な会計は︑統一的な手続と改善されたデータ以上のものを必要とする︒莫大
な生産量
1 1
プラントキャパシティー!と比較的高い単位価格で特徴ずけられる自動車産業では︑コスト従って価格1
と利益は︑生産量の変動ひいては極めて激しい需要の変動から大きな影響を一受けるわけである︒そこでブラウンは標
準生産量の概念ないし仮定されたノルマルなプラント操業の平均率の数値を長期間用いてコストを決定し︑ひいては
ゼネラ山ケモータース社における管理体制改革の歴史的検討(下川)
七
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一 八
‑150ー
利幅が所与の平均使用資本利益率を与えるに充分なように決定される基準としてこれを用いた︒この数値は原則とし
てプラントに関する情況よりもむしろ産業の経済的情況をあらわすべきものとされた︒
G
・Mの場合標準生産量はプラントキャパシティ1の八O%ときめられて居り︑製造原価や標準工場負担固定原価
( m ︐
R g q E E
ゆるはこれで見積られた︒もし標準以下の生産であったならば︑未吸収の工場負担固定原価は利益にチャージされ︑このことによって
生産量変化による固定的間接費増大から結果するコストと棚卸資産価値の背離は回避された︒ところでG・
M
では
︑
一九二四年迄は製造原価に主として注意が払われ︑マーケティング支出には余り注意は払われないで︑ただ単に過去
の体験にもとずく売上の七%の販売経費標準引当を行っているだけであったといわれる︒とにかくこのようにしてき
められた標準コストや標準引当によってブラウン等は︑コストが実際に行われている市価と平行しているかどうかを
見るため︑各製品につき標準ないし基準価格をきめることができた︒
さて可能な収益を数値であらわすに当って︑売上の正確な見積りがまさに重要となる︒ここに効果的情報を発達せ
しめるための財務的コントロール改善の第二段階︑すなわち財務データの精鍛化と情報と管理方法改善の問題が登場
する
財務的要求(運転的および資本的支出に対する資金の配分)についての計画は︑期待される収益に依存するから︑ ︒
その要素となる生産スケジュl戸設定︑労働需要︑原料部品買付け︑その他の資源配分等は正確な長期的見通しに依
存するようになった︒とはいえ一九二四年初めには︑長期的予測はなお充分な精密さで計算されていなかった︒この時
の予測の特徴といえば︑各ディヴィジョンが︑売上︑収益︑必要資本額見積りからなる次年度の活動についての観察
のアウトラインを︑最少限︑平常値︑最大限の三つの形式で年度別︑四カ月の予測として行っていたことであった︒
かかる予測はセントラルオフィスによって吟味され︑現在及び過去の業績と比較されるが︑このことは生産量に関連
した運転資本必要額や標準の設定に導くことになる︒このこととともに製造コスト及び販売ならびに管理費の傾向が 観察され︑利益も所与のディずィジョンの諸活動を支配するものとして設けられた価格政策に関連して分析されたの である︒とにかくこのようにして正確な見積りの重要性が強調されつつあったまさにその時︑
ざる自動車市場の停滞が発生し︑G・M
の予測方法の決定的な弱点が指摘されることになった︒この市場停滞の影響
をG・M
社は他社以上に蒙っており︑他方その前年士九二三年前半については未曽有の需要に対し適応能力を欠いた
一九二四年に予期され
ことが指摘されている︒これらのことは
G・M
のディーラー組織の側にある種の不満足な点があったことの反映だっ
たとされている︒
一九二四年以降の急激な需要低下の予測に失敗し︑かっこの需要低下に迅速に対処できなかったことは︑生産過程 だけでなく流通過程をも包括する新しいポリシーを要請した︒それまでディヴィジョンが行っていた予測は︑棚卸在
庫のコントロールに関連し四カ月毎に行われ︑
レポートとして中央管理部に提出されていたが︑ディーラーの手持在 庫を適確につかんでいなかったので推定による誤差とデータのタイミングのずれは避けられなかった︒新しいポリシ ーでは︑まずすべてのディーラーに十日毎の報告書が要求され︑引渡し数︑手持台数などの報告をうけ︑この報告さ れた数値が月々の予測と対比され︑さらにその結果が最初の見積りのチェックとなる形で需要予測の精密化と生産・ス ケジュールの調整が行われた︒他方で
G・M
は新車登録台数に関する定期的レポートを入手し︑これを実績と対照す ることによって各ディヴィジョンの市場占有度の推移を把握するようになった︒かくて新しいポリシーの下で
G・M
の生産スケジュール設定の根本原則は︑絶対的に配給業者やディーラーの能力に基礎をおくことになった
D小売需要を
つねに統制下に生産を維持し年々の小売需
要と正確に並行した形で生産を維持するポリシー︑生産スケジュールの柔軟性を許し︑ディーラーの手中に季節的な要 無視した固定的な生産プログラムを立ててそれを維持せんとする代りに︑
ゼネラル・モータース社における管理体制改革の歴史的検討(下川)
九
一
‑152一一富大経済論集
。
四求に応じて最小限の車の集約をはかるポリシーがここに確立した︒
一九二四年後半を境にして実施された新しいポリシーでは更に︑ディずィジョン及びゼネラルオフィスのスタッフ
︒フライススタディlにより︑すべての事業ユニットに対する包括的全般的な長期的予測にもとずくプランを価格調査を基礎に作成するこ
コスト︑利益︑資本所要額︑投資利益とが行われた︒この価格調査では︑各乗用車ディヴィジョンについて売上高︑
等の見積りを在来の標準製造量と新年度の予測操業率の両方であらわすことになっており︑出来上ったものは新年度
の始まる前に経営委員会宛提出された︒?このような価格調査は︑それによってゼネラルオフィスがディグィジョンの
責任権限の重大な侵害なしにその活動を監督し牽制できる最も効果的な方法の一つとなった︒またこの価格調査は年
々の予測として役立つだけでなく各製品についての標準価格の概念をも発達させることになった︒すなわちこの価格
概念は標準量でのプラント操業で達成可能な経済的収益とみられて来た正常平均資本利益率を各製品についてもたら
すものであった︒こうして価格調査にもとずき提案される価格は︑会社の基本的ポリシーをあらわす標準価格と直接
比較されえたのであった︒価格調査が依拠している年々の国内売上の見積りは︑まず産業の成長率︑需要の季節的変
動︑全般的なその事業の条件︑競争者の活動等の要因を考慮する︒そして次年度スクラップ化する車の数及び次年度
の全般的事業情況の評価に注意を払いつつ最近三年の現実的体験に主たる基礎をおいて見積り︑数字を算出するこ
とになっていた︒こうしてこの予測から価格調査におけるディヴィジョン指数が︑各ディヴィジョンの関連プライス
グループ及び業界の競争的情況の範囲内で達成しうべき総営業量を考慮に入れつつ︑各ディヴィジョンに対する期待
州叫に基礎ずけられて導き出されたのであった︒G・Mの財務担当役員の一人A・ブラッドレイはA・
M‑A
の会合で次
の如く述べている︒
﹁予測の問題はこつのまったく区別された全般的目的に役立つべきである︒まずこの予測は製品価格決定及び追加