BulletinofFacultyofEducation,NagasakiUniversity:Curriculum andTeachingNo.32(1999)43‑57
旧ソ連の中等理科教育 における教科間結合 に関す る研究
‑1 9 3 0 年代の中等分科理科教育の成立と教科間の関連性一
山 路 裕 昭
(平成10年10月30日受理 )
I nt e r di s c i p l i nar yTi e si nt heSe c ondar ySc i e nc eEduc at i on i nt heFor me rSovi e tUni o n: Re l at i o ns hi ps
be t we e nSc hoo lSub j e c t si n 1 930' s
Hi r oakiYAh 4 AJI
(ReceivedOct.30,1998)
Ⅰ は じめに
前報 においては,1920年代 の旧 ソ連の学校教育 を概観 し,特 にコンプ レックス ・システ ム との関係 か ら教科 間の関連性 の取 り扱 い につ いて考察 した1)。 しか し旧 ソ連の学校では, 1930年代 に入 る と経験 主義的総合教 育 は否定 され,体系的分科理科教育が採用 された。そ
してその後 の旧 ソ連 の中等理科教育では,基本的 にその分科理科教育体制が維持 された。
教科 間結合が本格 的 に注 目されるの も, この分科理科教育体制 の下であ る。 そ こで本稿 に おいては,経験主義的総合教育 に代 わって教科制 に基づ く体系 的分科理科教育が導入 され た背景 とその経緯 ,並 びにその体系 的分科理科教育の特徴 を明 らか にす る とともに,教科 間の関連性 がそ こで どの ように扱 われたか につ いて考察す る。
Ⅱ 経験主義的総合教育の間是 と工業化 か らの要求 1 グース ・プログラムの改訂
1920年代 の コンプ レックス ・システムを採用 した グース ・プログラムは,新 しい社会主 義的人 間 を育成す るための道 を教育課程 の上で具体 的に示 し,学校 と生活 との結合や教育 と生産労働 との結合 な ど,社会主義 的人間形成 の諸原則 を実現 しようとした。 しか し, コ ンプ レックス ・システムに基づ く教授学習活動 は,必ず しも順調 に展 開 された訳ではない。
例 えば クループス カヤは,「コム プ レックス につ いて
」
(1925)の中で,次 の ように指摘 し てい る。「コムプ レックスお よび コムプ レックス ・システムについては,多 くの著作があるが, 結局 の ところ
,r
コムプ レックス」はなにか偶像 的な もの に変 え られ,当初明 らかであっ た ものが,なにか混乱 した もの,なにか教育学 的 トリックの ような もの に変 え られて し まった。
」2)44 長崎大学教育学部紀要 教科教育学 NQ32(1999年)
「リアルで基本的 な関係 を明 らか にす るコム プ レックスが子 どもの視野 を拡 げるの に たい し,人工 的な関係 をつ くりだす人工 的 なコム プ レックス は,子 どもの現実 について の理解 を困難 にす る。それだか らこそ,教授 に コムプ レックス一般が存在す ることが重 要 なのではな く,諸現象 の連関 を もっ ともす ぐれたかたちで表す一定の コムプ レックス の存在が重要 なのであ る
。
」 3)さらに,例 えば初等教育段 階 (第1‑4学年 )で は, コンプ レックス ・テーマ に基づ く 教授学習過程で子 どもたちに読 ・書 ・算 の能力 を十分 に獲得 させ ることが難 しく,多 くの 教 師はロシア語 と数学 をそれぞれ独立教科 で教 える道 を選 んだ。そのため,1926年 には,
ロシア語 と数学 をそれぞれ独 立教科 で教 えることを一部認 めた教授 要 目も発表 された4)。
また中等教育段 階 (第5‑ 9学年 )で も,科学 の体系 的で確 実 な知識 を生徒 に獲得 させ ることの困難 さが現実の問題 とな り5),モス クワの国民教育部 は1927年 に 「教 授 要 目‑ ミ ニマム (nporpaMMa‑MHHHMyM)」とい う文書 を出 して,学習 テーマ とそ れ に割 り 当てる時間数 を具体的 に指示 している。
同 じ1927年の夏 には, ロシア共和 国教 育人民委貞部 によって初等 ・中等教育段 階の新 し い教科課程 と教授 要 目が発表 された。新 しい教授要 目で もコンプ レックス ・システムは採 用 されていたが,子 どもたちが獲得 しなければな らない知識や能力 の ミニマムが規定 され, 教育 の レベル と質の向上が 目指 されていた6)。
前期 中等教育段 階 (第5‑ 7学年 )の場合,1927年 の教授要 目においては,従 来 と同 じ ようにコンプ レックス ・テーマ を中心 とした内容構成が見 られ,例 えば第 6学年 の博物 の 内容 の中心 となるコンプ レックス ・テーマは,次の ような ものであった7)0
1.農業年度の作業 の結果。
2.農業 の原材料 。 3.合理的 な農業。
しか し同時 に,1927年の教授要 目においては,各教科 の独立性 とよ り系統的 な学習が 目 指 された。例 えば,物理 の教授要 目では,生徒 に確実 な知識 を与 えなければな らない こ と が指示 されていた し8), また化学 は,第 5学年か ら独 立教科 で学習 され ることが指示 され, その教授要 目に示 された学習 テーマは次 の ような ものであった9)0
第5学年
空気 ,酸素 。水 。炭素 ,燃焼 。植物 と土壌 の組成 。 第6学年
硫黄。窒素 と燐 。金属鉱石,冶金。基本的 な化学法則 に関す る概念 。原子量 。
\第 7学年
酸,塩 ,塩基 。硫黄 とその重要 な化合物。塩素 と他 のハ ロゲ ン。炭素,炭酸塩 。窒 素 と燐 。
第8学年
アボガ ドロの法則 と分子理論。石油 ,石炭,炭化水素。発酵 とアル コール。炭水化 物 。木材 の乾留 による生成物 。
第9学年
平和 な生活 と戦争 にお け る化 学 (無機 化 学 の続 き)。 化 学 の課程 の ま とめ と結 論 (簡単 な化学 の発達史 ,メ ンデ レ‑ フの化学元素 の分類法 ,放射 能 と原子 の崩 壊 ,
山路 :旧 ソ連 の 中等理科教 育 にお け る教科 間結合 に関す る研 究 45
原子番号 と原子量 ,分光分析 に関す る概念 )0
こうして,科学 の体系 的で確実 な知識 を生徒 に獲得 させ るこ との困難 さが問題 とされた 中等理科教育で は,1927年 の教科課程や教授要 目の改訂等 を通 して,各教科 の独 立性や理 論 的な内容が強化 されてい った ようであ る。 ただ し,1927年の教授要 目における化学 の学 習 テーマ に見 られ るように,例 えばメ ンデ レ‑ フの周期律 は化学 の 「まとめ」 の一部 と し て取 り上 げ られてお り,化学 の基礎 的 ・一般的 な理論 を中心 と して化学の学習内容が構成
されていた訳で はなか った ようである。む しろ,化学 の学習内容 の中心 は,生活 や生産の 実践 的場面 に沿 った ものであった と思 われ る10)。 しか しいずれ に して も,1927年 の教科 課 程 や教授要 目の改訂 に よって,中等理科教 育 においては,一応 は コンプ レックス ・システ
ムが採用 されていた ものの体系的 な分科理科教育へ の転換 の動 きが見 られたのである。
2 ドル トン ・プランとプロゼ ク ト・メソッ ドの影響
1920年代の旧ソ連の学校教育では,アメリカの ドル トン ・プラン (AaJlbToロ‑ nJTaH) や プロゼ ク ト ・メソッ ド(Me'Ojl nPoeKTOB)が輸入 され,コンプレックス ・メソッ
ドとともに広 まっていった。 と りわけ1920年代後半 には,社会生活 の全環境が人間 を教育 す る とい う 「学校 死滅論 (TeOPH R O'MHPaHM Ll" OntJ)」の考 え方 と結 びつ く 形 で プロゼ ク ト ・メソッ ドが教育 活動の基本 にす え られ, ドル トン ・プランに基づ いて導 入 された 「実験 室分 団法 (na6opaTOPH0‑6PHraAHtJ 由 MeTOA)」 で は教 師 の 指導 的役割が低 下 し,学級 は解体 され,子 どもたちの一人一人の学習が無視 される ととも
に学習活動 の責任 は個 人で はな くグルー プ (班 )‑転嫁 された。
この当時の学校教育の様子 を,矢川徳光 は 「ソヴェ ト教育学の展 開
」
(1953)の 中で, 共産党 中央委貞会政治局員 ジダーノフの演説 (1948)の一節 を引用 して示 しているが,そ れ は次 の ような ものである。「一時,初等学校 お よび中等学校 で r実験室分 団法Jや rドル トン ・プラ ン」 に熱 中 した ことを諸君 はお ぼえているだろ う。 それ らの方法 による と,学校 における教 師の役 割 は最小 限に縮小 され,課業 の開始の まえに,生徒 の一人一人が組 の授業のテーマ を決 定す る権利 を もっていた。授 業 にあた る教 師は生徒 に 「今 日は何 を勉 強 しようか ?
」
ときいた。生徒 は r北極 の話 を して くだ さい1,
r
南極 の話 を して下 さいJ,r
チ ャパ ーエ フの話 を して くだ さい1
,r
ドネプロス トロイの話 を して くだ さい」 と答 えた。教 師はこれ らの要求の尻 についてゆか なければな らなか った。 これは r実験室分 団法j(ラボラ トー ル‑ブ リガ ドヌイ ・メー トド) とよばれていたが,実際 には,すべ ての教育組織 が アペ コベ にな り,生徒が指導者 とな り,教育者 が指導 され る もの となっていたのである。 一 時 は,ルース ・リー フ式の教科書が行 われていた し,五点満点の制度 もなか った。 これ らはすべ て革新 と言 われていた。 ところで,あえて問 うが, この革新 は進歩的であった か ?」 11)実際,中等学校 の一種 であ る工場7年制学校用 と して1930年 に公表 された教授要 目では, それ までの教授要 目を柔軟性が な くて古 くさ く,生徒 と教 師の創造的活動 を刺激 しない も のであった と して, コンプ レックス とプロゼ ク トとを結 びつけ,生徒 を工場 にお ける生産 労働 に直接参加 させ ることが求 め られた。そ して,総合技術教育の実現 のために,作莱場 や工場 における生徒 の労働 や,生徒 による社会 的に有用 なプロゼ ク ト課題 の実施 を,学習
46 長崎大学教育学部紀要 教科教育学 NQ32(1999年)
活動の基本 とす ることが提起 された12)。これ らの学習活動 を通 して生徒が獲得する知識は, 当然の ことなが ら,社会的な労働活動 と結 びついた ものが中心であ り,そ こでは体系的な 科学の学習 は軽視 される。1927年改訂 の教授要 目で見 られた体系的分科理科教育への動 き
は,1920年代末 には再 び否定 されていったのである。
3 第一次五 力年計画の実施 と人材兼成の要求
第一次世界大戦 (1914‑18)と社会主義革命 に伴 う混乱 によって壊滅的状況 に陥 ってい た産業 (1921年の大工業の生産高は,第一次大戦前の1913年の僅 か21%であった13))は, 表1に見 られるように順調 に復興 し,1925年 までにかな りの分野で戦前 (1913年 )の生産 水準近 くまで回復 した。 しか し, もともと革命前のロシアの産業構造 は農業 を中心 とす る ものであ り,工業化 は著 しく遅れていた。特 に重工業 は未発達であった。戦前の水準 にま で経済が復興 した と言 って も,その工業の水準 自体が きわめて低い ものであ り,社会主義 社会建設のための物質的基盤 を確保す るために, この産業の構造 を変革す ること,す なわ
ち早急 な工業化が求め られた。
1925年の共産党第14回大会 は国の工業化 を指示 し,1927年の共産党第15回大会 は工業化 政策の継続のために経済発展五 力年計画の作成 を指示 した14)。1928年 よ り開始 された第一 次五 力年計画 (1928‑1932)では,重工業の創設,確立 を目指 して15)鉄鋼工業,石炭 ・石 油工業,機械工業 な どの工場や発電所 ,鉄道網 などの建設が急 ピッチで進め られ16), また それ と同時並行的に農業の集団化 も推進 された。 しか し,当時の旧ソ連の状況では, 自前 の技術 のみで最新の科学技術 を取 り入れた建設 を進めることは困難であ り,外 国か らの技 術協力 と設備輸入 に頼 らざるを得 なかった。例 えばボルゴグラー ド ・トラクター工場 には
●370名のアメリカ人がいた し, マ グニ トゴルス ク鉄鋼 工場 の外 国人労働 者 と技 師の数 は 1932年 には230名であった17)。 さらに,1931年に据 え付 け られ た工作機械 の58.7%, 同 じ
く発電所 の ター ビンの88.8%は輸入品であった18)0
この ような状況 に対 して,1928年7月に開催 された共産党中央委員会総会 は,決議 「新 専 門家養成の改善について (06 yJty qL'leHHH nOArOTOBt" HOBtJX Cne‑
uHaJ… CTOD)」の中で,「専 門家養成制度 は,工業 と有機的に連携 されてお らず,その 発達の要求 と速度 に適応 していない ・・・・‑ ・・第二科学校の卒業生が大学‑の入学 のために準備 されているようにす ること」19)と指摘 し, さらに1929年11月 に開催 され た同 総会 も,決議 「国民経済の要月 について (o KaJtPaX HaPo.nHOrO X03文政cTBa)」
の中で,専 門家の量的 ・質的な問題の先鋭化 を指摘 し,「党 は,社会 主義建設 に とって最 も重要 な要員の問題の解決に対 して,全力 を集中 しなければな らない」 妙)とした。
こうして,十分 な科学的知識 と能力 を備 えた労働者 を求める声 は次第 に強 ま り,社会主 義建設の現実 に見合 った人材の養成が求め られるようになった。特 に,中等教育に対 して
表 1 大工業の生産高の増加状況21)
年 1921 1922 1923 1924 1925
* :前年度に対する増加パーセ ン ト
山路 :旧ソ連の中等理科教育における教科間結合に関する研究 47
は,その量 的 な拡大 とともに質的 な向上が求め られ,上級専 門家 を養成す る高等教育機 関 に十分 な人材 を供給す ることが期待 されて きた。
Ⅲ 体系的分科理科教育への転換
1 共産党中央委員会決定 「初等学校 と中等学校 について」
1931年8月25日,全 ソ連邦共産党 (ボ)中央委員会 は,「初等学校 と中等 学校 につ い て (o Ha¶aJTbHO 由 H CPeAHe内 ulKOne)
」
を決定 した。決定では,社会主義革命後の学校網 の拡大や学校 の教育水準 の上昇,特 に総合技術教育 を実施す るための基盤の整備等が学校教育 における成果 として挙 げ られる とともに, また その欠陥が次 の ように指摘 された。
「しか し, これ らすべ ての成果 に もかかわ らず,中央委員会 は, ソビエ ト学校 が社会 主義建設の現段 階 において学校 に提起 されている巨大 な要求 にまだ到底答 えていない こ とを確 認す る。現時点 における学校 の根本的欠陥は,学校 における教授学習が一般教育 的知識の十分 な範囲 を与 えてお らず, また,中等専 門学校 及 び上級学校 のため に完全 に 読み書 きの基礎 がで き,科学の基礎 (物理学,化学,数学 ,母国語,地理 など)をよ く 習得 した人間 を養成す るとい う課題 を満足 に解決 していない ことにある と,中央委貞会
は考 える。 そのため,学校 の総合技術教育化 は,多 くの場合,形式的な性質の もの となっ てお り,理論 と実践 とを一致 させ,技術 を習得 した,全面的に発達 した社会主義建設者
と して,子 どもたちを養成 していない。
科学, と りわけ物理学,化学,数学 の教授 は,厳格 に規定 され綿密 に作成 された教授 要 目と教科課程 とに基づ いて提示 され,厳密 に定め られた時間割 によって実施 されるべ きものであ って,そ う した科学 の系統 的かつ確 実 な習得か ら学校 の総合技術教育化 を引 き離 そ うとす るあ らゆる試みは,総合技術教育学校 とい う理念 を最 も乱暴 にね じ曲げる ものであ る
。r
人類が作 り出 したすべ ての豊富 な知識 で 自分の頭 を豊 か にす る と きには じめて,共産主義者 になることがで きる」 (レーニ ン)のであ る。」22)そ して決定では, これ らの欠陥 を克服す るために,学校 の基本的課題が次の ように指示 された。
「各連邦構成共和 国の教育人民委員部 は,明確 な範囲の系統的な知識 (母国語,数学, 物理学,化学,地理 ,歴 史)が正確 に盛 り込 まれるように,教授要 目の科学 的 ・マルク ス主義的検討 に直 ちに着手 し,1932年 1月1日か らは検討 を経 て改訂 された教授要 目に よる教育が始め られ るようにす ることを指令す る。
各教育人民委員部 は,教授要 目の改訂 と同時 に,新教授要 目に よる教育 を実際 に可能 にす るための一連の手段 を講 じなければな らない (教師に対す る指導,適切 な指導書 の 発行 な ど)。
ソビエ ト学校 において,社会主義建設へ の 自発的かつ積極 的 な参加者の育成 を促進で きるさまざまな新 しい方法 を適用す るにあたっては,いわゆる rプロゼク ト・メソッ ド」
の適用 において最近特 にはっ き りと露呈 された点であるが,軽率 な方法上の妄想や事前 に実践 において検証 されていない方法の広範囲 な普及 に対 して,断固 とした闘い を展 開 す る必要がある。 いわゆる 「プロゼ ク ト ・メソ ッ ドJを学校教育のすべ ての基礎 に しよ うとす る試みは
,r
学校死滅論」 とい う反 レーニ ン主義的理論か ら生 まれ て きた もので48 長崎大学教育学部紀要 教科教育学 rb32(1999年)
あって,事実上,学校 の破壊 を もた らした。
中央委貞会 は,連邦構成共和 国の人民委員部 に対 し,科学的研 究活動 に直 ちに着手 し てその水準 を必要 な高 さに引 き上 げ, この仕事 に党の最 も優 れた要員 をつ ぎ込み,その 活動 を厳格 なマル クス ・レーニ ン主義 的原則 に立 って再建す る ことを義務づ ける。
総合技術教育 は,共産主義教育の構成要素であ って,それは,生徒 に r科学 の基礎」
を与 え,
r
理論及 び実践面 で主要 な生産部 門のすべ て」 を教 え,r
教授学習 と生産労働 と を密接 に結合 」 させ る ものでなければな らない。 この ことか ら出発 して,1931年 の間に 学校付設の実習作業場及 び作業室の網 を広 く拡大 し, またその作業 を,契約 に基づいて 企業,国営農場 ,機械 トラクターステーシ ョン,集 団農場へ学校 を連結 させ ることと結びつ ける ことを,連邦構 成共和 国の教 育人民委員部 に指令す る
。
」 ㌶)す なわち決定 は,初等 ・中等学校 が よ り上級 の学校 へ進学す る人間 を十分 に養成 してい ない ことや,1920年代 に広 まったプロゼ ク ト ・メソ ッ ドや学校死滅論 を批判 し,児童 ・生 徒 による科学 の基礎 の系統 的で確 実 な習得 を保障す るために,系統 的な知識 を規定 した教 授 要 目とそれ に よる教育の実施 を指示 し,科学 の基礎 の系統 的で確 実 な習得が総合技術教 育 の実現 に とって必須 の条件 であるこ とを示 したのであ る。
2 共産党中央委 員会決定 「初等学校及 び中等学校 の教授要 目と生活規準 について」
さらに翌1932年8月25日,全 ソ連邦共産党 (ボ)中央委員会 は,「初 等 学 校 及 び中等 学 校 の教授要 目と生活規準 について (06 yqe6HtJX nPorPaMMaX H PeX HMe
a HaqaJ" HO 放 H CpeAHe由 LuKOJle)
」
を決定 した。この決定で は,1931年 の決定で指摘 された学校 の欠陥,す なわち 「学校 にお ける教授学 習が一般教育的知識 の十分 な範囲 を与 えてお らず, また,中等専 門学校及 び上級学校 のた めに完全 に読 み書 きの基礎 がで き,科学 の基礎 (物理学 ,化学 ,数学 ,母国語,地理など) をよ く習得 した人間 を養成す る とい う課題 を満足 に解決 してい ない こと」が, まだ十分 に 克服 されていない と指摘 され,教授要 目や教授学習活動の組織 な どの改善の具体的指針が 与 え られた。
教授要 目の欠陥 と改善の指針 に関 しては,次 の ように述べ られてい る。
「教授要 目の基本的 な欠陥は次の点である。
a)教授 要 目に教材 が過重 に詰 め込 まれてい ること。そのため,学校 においてはい く つかの教科 は大急 ぎで通過 され,知識や習熟 は子 どもたちに しっか りと習得 されず, 定着 していない とい う結果 になってい る。 (数学では第7学年の立体幾何学 の部分 , 文学 では生徒 に消化 で きない難 しい作 品が教授要 目に入 れ られている,な ど)。 6)個 々の教授要 目の間, と りわけ数学 と製 図の教授要 目の間, また数学 ,物理 ,化
学 の教授要 目と労働 の教授要 目との間な どの連携 (yB冗 3Ka Me)KJly 0TJte‑
J" I" MH nPorPaMMaMH)が,不十分 あ るいは皆無で さえあ ること (第5学 年の製図の教授要 目が要求す る幾何 の知識 は第6学年 になっては じめて与 えられる, 第5 ・6 ・7学年 の物理の学習 に必要 とされ る数学 的知識 は十分 に与 え られてい な い, な ど)。
・・・・・・・・・ (中略)・・・・・・ ・ ・
これ らの ことに対 して, 中央委員会 は次 の ように指令す る。
山路 :旧 ソ連 の 中等 理科教 育 にお け る教 科 間結 合 に関す る研 究 49
1. ロシア共和 国教育人民委員部 は,子 どもたちが科学の基礎 を実際的 ・確 実 ・系統 的 に習得 し,事実 を知 り,正確 な話 し言葉 ・書 き言葉 ・数学的計算 な どの習熟 を身 につ けることを保 障す るように,初等 ・中等学校 の教授要 目を1933年1月1日まで に改訂す るこ と。
2.教授 要 目の改訂 に際 しては,次の各項 に拠 ること。
a)第二段 階の各学年用 の数学 ,物理 ,化学 ,生物 の教授要 目の教材 について,そ れ らの範囲 と性 質が各学年 の子 どもたちの年齢 的特性 に完全 に合 うように,内部 的 な配置 をや り直す こと。 それ と同時 に,数学,物理,生物 ,化学の第二段 階の 教授要 目は,各科学の基礎 の堅実で確 実 な習得 と定着 を無条件 に保障で きるよう
に,部分的 に短縮 す ること。
6)数学,物理,化学の第二段 階の教授要 目の間, また歴 史,社会 ,文学及 び言語 の教授要 目の間の連携が不十分 である とい う点 をな くす こと。
B)(以下略)」 24)
さらに,教授学習活動 の組織 については,次の ように述べ られている。
「しか しなが ら, どれか一つの方法が学習の基本的方法や普遍的方法である とい う ことはあ り得 ない とい う,あの決定 の中での中央委員会 の指示 に もかか わ らず,学校 の作業 の実際 においては,学習作業 における個 人の責任 の無視 とい う形での偏向や, 教 師の役割の低下 と,多 くの場合 ,個 々の生徒 の個人的学習 の無視 とを もた らす,檀 常的 ・義務 的な班 の組織 を伴 ういわゆる r実験 室分 団法」が基本的 な もの として広 く 普及 して しまってい る (一連の学校 ではそれが普遍的 な もの となってい る)0
全 ソ連邦共産党 (ボ)中央委員会 は,連邦構成共和 国の教育人民委員部 に対 して, これ らの実験室分 団法 の偏 向 を根絶 し,学校 における学習過程 を次 の ような点 を基礎 として組織す ることを指令す る。
a)初等 ・中等学校 における学習活動の組織 の基本的 な形態 は,厳格 に規定 された 時 間割 と固定 した定員 とを持つ生徒集団 による授業で なければな らない。 この形 態 には,教 師の指導 の下で多様 な教授学習方法が適用 され る一斉作業 ,班作業 , そ して個 々の生徒 の個人作業が含 まれ なければな らない。その際,恒常 的 ・義務 的 な班 を実際 に組織す ることを しないで,集団的 な学習形態があ りとあ らゆる方 法で発達 させ られ なければな らない。
6)教 師は, 自分が教授す る教科 を系統的 に順序 よ く述べ る義務があ る。
・・・・・・・・ (中略 ) ・・・・・・・
中央委員会 は,各教育人民委貞部 とその諸機 関に対 して,学校 のすべ ての教授活 動 にお ける教 師の指導的役割 を無条件 に保障す ることを義務づ ける。
B)(以下略)」 25)
1931年の決定 における と同様 に,再 び科学 の基礎 を系統 的 ・確 実 に生徒 に習得 させ る こ とが求め られ, プロゼ ク ト ・メソッ ドや実験室分団法 の否定 とともに,教 師の指導の下で の学級 におけ る授業が教授学習活動 の基本 的な形態 として明確 に指示 された。
3 新 しい学校教育制度 と教科課程 ・教授要 目
決定 「初等学校及 び中等学校 の教授要 目と生活規準 について
」
(1932)にお い て は, ま50 長崎大学教育学部紀要 教科教育学 Nn32(1999年)
た中等教育制度 に関 して次 の ように述べ られていた。
「(男女 とも17歳未満 のすべ ての子 どもたちに,無償 かつ義務 的な普通教育 と総合技 術教 育 (すべ ての主要 な生産部 門について理論及 び実践 において知 らせ るこ と)を実施 す ること》 (全 ソ連邦共産党 (ボ)綱領 ) を実現す るため に, また,中等学校 生徒 の普 通教 育 と総合技術教育の水準 の最 も速やか な向上,大学 のため に準備 ので きた人員の増 加 ,そ して中等学校 と大学 との間の年齢 的不一致 を除去す るため に,7年制総合技術教 育学校 の10年制‑ の改組 に1932/ 33学年度か ら着手す ること。」26)
そ して1934年5月15日, ソ連邦 人民委員会議 と共産党 中央委貞会 の決定 「ソ連邦 におけ る初等 ・中等学校 の構造 について (0 c T P y K T y P e H a q an b H O由 H C P e A H e白 U KOJH J B CCCP)」 27)において,全 ソ連邦 に共通 な次の よ うな3形 態 の普 通教 育 学校 が定 め られた。
初等学校 (H a q a Jlh H aR U K O L" ) ・・・‑・・‑ ‑‑・・ ・・・・・‑第1‑ 4学年 (4年制 ) 不完全 中等学校 (Tle rTO n H a只 C P e A H M u K O 刀 a)
‑ ‑‑・‑ ‑‑第1‑7学年 (7年制 ) 中等学校 (cpeA t" 只 Lu K O刀a) 第1‑10学年 (10年制 ) 一方,決定 「初等学校 と中等学校 につ いて
」
(1931)に基づ く新 しい教 科 課 程 は, 初 等 教育段 階用 は同年10月に, また中等教育段 階用 は翌1932年2月に作成 されたが,いずれ も その後改訂 され,1934年7月 には表2の ような10年制学校 の教科課程が作成 された28)。この1934年の教科課程 で は,第 1学年か ら 「ロシア語 と文学
」
「数学」
「博物」 な どの一 連 の教科がそれ らに配 当 され る週 間授業 時間数 とともに定め られてお り,基本 的 に第 1学表2 1934/ 35学年度 中等学枚 (都市 )教科課程 29) (1934年7月31日ロシア共和国教育人民委員部承認)
教 科 週 間 授 業 時 間 数
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
ロ シ ア 語 と 文 学 9 8 7 7 7 5 4 4 2 4
数 ‑学 5 5 5 6 6/5 5 4/5 4/5 5 1/2524
博地地 質 学 と 鉱 物 学物理 131 321 22311 333311 2/32 22 22 22 3/22
歴 史
共 産 党 史
外 国 語 324111 23 23 43 44
物天 理文
化 学
社 会
労 働 .塑 像 .図 画
労図穀 働画図 .33111 323111 4/3231 2/3231 3/22331
体 育
早 手 教 練
唱 歌 1 1 1 1 11 11 1/01 1 11 11
注 :「/」で示される部分は,前部が前半年,後部が後半年の授業時間数である。
山路 :旧ソ連の中等理科教育における教科間結合に関する研究 51
年か ら教科 制 による教授学習活動 を行 うことが示 されている。 また,決定 「初等学校 と中 等学校 の教授 要 目と生活規準 について」(1932)において指示 された学 習 の過重 負 担 の解 消 に関 して は,それ までの教科課程 と比べ る と前期 中等教育段 階で各学年の週 間総授業時 間数が数時 間減 らされてお り,理科教育関係教科 のみ について見て も,化学 を除いてはは 同様 の授業時間数の減少が見 られた。 さらに中等理科教育 に関 しては新 た に地質学 と鉱物 学,天文 とい う新教科が設置 され, さらに物理,化学 の学習時期が変更 されていた。
他方,教科課程の作成 と並行 して新 しい教授要 目も作成 された。す なわち決定 「初等学 校 と中等学校 について
」
(1931)に基づ いて,同年 末 までに新 しい教授 要 目が作 成 され, さらにこの教授要 目は決定 「初等学校 と中等学校 の教授要 目と生活規準 につ いて」
(1932) に基づ いて直 ちに改訂 された。 こうして作成 された教授要 目では,各教科 ごとに,生徒 に 習得 させ なければな らない体系 的知識 の範囲 とそれに割 り当て られる授業時 間数が明記 さ れ,中等理科教育関係 の各教科 においてはその内容構成が大 きく変化 した30)。例 えば, 中等教育段 階の新 しい博物 の内容 は,次 の ように構 成 された31)。 第5学年
第6学年前半 第6学年後半 第7学年 第8学年 第9学年
植物学 (6o TaH H ・Ka)の基礎
動物学 ( 3 0 0 J.0 r… )の基礎 (初歩的な進化学説 を含 む)
人間 と動物 の生理学 (中 日 3 H O L汀 O r 日 月 ),有機世界の発達理論
この ような 「植物学‑動物学‑生理学」 とい う内容構成 は,既成の生物学 をその各分野 に沿 って系統 的に学習 させ ようとす る ものであ り, コンプ レックス ・システムによるグー ス ・プログラムが3つの柱 (自然 一労働 一社会 )を中心 とす る内容構 成 を採用 していた こ
とと比べ れば, きわめて大 きな変化 である。
また,第
6‑8
学年 の化学 の新 しい学習 テーマ と配 当時間数は,次 の ような ものであ っ た32)。(なお,化学 の学習開始 は,1934/35学年度か ら1年繰 り下 げ られ , 第 7学 年 か らとなった。) 第6学年
は じめの話 物 質 とその変化 水
水を構成す る もの一酸素 と水素 元素 に関す る最初 の概念
物 質の保存則 空気
化学反応 にお ける量 的関係 原子 一分子学説
酸素,酸化 ,還元 酸化物,酸,塩
(1時間) (6時間) (5時間) (6時間) (1時間)
(6時間) (3時間) (6時間) (12時間) (12時間) (10時間)
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第7学年
酸化物 ,酸,塩基 ,塩 塩素 とアルカ リ金属 ハ ロゲ ン
溶液 硫黄 窒素 と燐 第8学年
炭素 と珪素
分散系 に関す る概念
元素の周期系 と物質構 造 に関す る概念
若干の金属 の概観 。金属 に関す る一般的知識 :
(12時間) (14時間)
(4時間) (6時間) (16時間) (20時間)
(20時間) (6時間) (18時間)
物理 ・化学的性質,合金 ,腐食, 自然界 にお け る金属の発見,冶金の一般 的方法 。 アルカ リ金 属 とアルカ リ土類金属 。 アル ミニ ウム。 クロム とマ ンガ ン。鉄 。鉄 と似 た元素 ‑ニ ッケル とコ
バ ル ト。 (28時間)
これ ら第6‑ 8学年の化学の学習 テーマ を,体系 的分科理科教育 の兆 しが見 られた1927 年 の もの と比べ る と,化学 の実践 的 ・応用 的 なテーマが減少 してい る。 この こ とは,逆 に 化学 の理論的 な内容が相対 的 に強化 された ことを意味 してい る。 実際 の ところ, ツベ トコ フ (Jl.A.uBeTKOB)は, この第6‑ 8学年の化学 の内容 は次 の よ うな4段 階 か ら構 成 されていた と指摘 している33)。
第1段 階
化学 の基本 的な概念 :重要 な物 質 と化合物 の タイプについて知 ること。
1 第2段 階
その類似性 か ら見 た化学元素の学習。
J 第3段 階
化学元素の周期律 と周期系 の学習 (物 質構造 に関する知識 に基づ く解釈 をともなう)。 J
第4段 階
周期系 に基づ く化学元素 の検討。
す なわち第6‑ 8学年 の化学 の内容 は, メ ンデ レ‑ フの化学元素 の周期律 を中心 として 構成 されてお り,それは生活や生産の実践 的場面 に沿 った ものではな く,化学 自身の系統 性 を重視 した もの と言 えよう。
さらに同様 に系続性 を重視す る姿勢 は,物理 の新 しい教授要 目において も見 られた。物 理 の教授要 目の中の解説 においては,次 の ように述べ られていた。
「物理の課程 の系統 的構成 のため には,物 質が次第 に複雑化す る順序 において,並 び に生徒 の年齢 や準備状況 に応 じて,運動 の諸形態や一つの運動形態 か ら他 の形態へ の変
山路 :旧ソ連の中等理科教育における教科間結合に関する研究 53
化 を学習す る とい う順次性 を,教授要 目の基礎 に置 くことが必要である
。
」 34)そ して, ここに至 って コンプ レックス ・システム による生活経験学習 は全面 的に廃止 さ れ,代 わって厳格 なる教科制 に基づ く科学 の基礎 の分科的 ・系統 的 な教授学習体制が確 立
されることになった。
4 科学 の基礎 の重視 と社会主義的人間形成
1932年の決定 では,子 どもたちに科学 の基礎 を確実 に習得 させ ていないことが批判 され, 科学 の基礎 の系統的で確実 な習得が総合技術教育の実現 に とって必須 の条件である とされ た。 また,1932年 の決定で も,科学の基礎 を系統 的 ・確 実 に子 どもたちに習得 させ るため に,教授要 目の改訂が指示 された。
す なわち,1931・1932年 の決定 においては,繰 り返 し科学 の基礎 の習得が求 め られてお り, これ らの決定 に基づ いて作 成 された教科課程や教授要 目に見 られた体系的分科理科教 育‑ の転換 は, まさに科学 の基礎 の重視 によって特徴づ け られ るであろ う。
勿論,経験 主義的総合教育か ら体系 的分科理科教育‑のこの転換 は,工業化の進展 に伴 っ て十分 な科学的知識 と能力 を備 えた労働者が求め られた ことを重要 な背景の一つ としてい る。 それは,工業 の建設 と発展 に とって最新 の 自然科学 の成果 を取 り入れ るこ とがで きる か否 かが死活の問題であ り,学校教育 に対 して,特 に理科教育 に対 して,その ような最新 の 自然科学 の基礎 を確 実 に習得 した人間 を養成す ることが求め られた結果 と言 えよう。 そ の ような意味で は,科学の基礎 の重視 に基づ くこの転換 は,理科教 育 を自然科学 に積極 的 に対応 させ ようとす る,旧 ソ連 における最初 の試みで もあ った。
同時 に注 目され ることは,1931年 の決定 に見 られる ように, この転換 が総合技術教育の 実現 のため とされた ことであ る。 す なわ ち,決定では レーニ ンの言葉 を根拠 と しなが ら, 科学 の基礎 の系統 的 ・確 実 な習得 は,人間の全面的発達 に とって必要 な もの,総合技術教 育の原則 に沿 った もの とされてお り,そ こでは,科学 の基礎 を重視 した教育 と社会主義的 人間形成 とが一致す る もの として提起 されているのであ る。
ただ し実際 には, この転換 によって,革命以来の生産労働 との結合 に基づ く社会主義的 人間形成のための教育,す なわち総合技術教 育の原則が,一層徹底 して実践 されてい った とい う訳ではない。む しろ,1931年 と1932年 の決定後,総合技術教育 に直接 かかわる教科
「労働」 の時間数 は漸減 し,つ いに1937年 には廃止 された。総合技術 教 育 の原則 が放 棄 さ れた訳 ではないが,その実際的解釈 は大 き く変 わ り,労働 の重視 か ら科学の基礎 (物理学, 化学 ,生物学,数学 な ど)の系統 的で確実 な習得の重視‑ と,総合技術教育 は大 き くその 様相 を変 えた と言 えよう。
Ⅳ 教科間の関連性 の取 り扱 い
1 教科課程 と教授要 目にお ける教科間の関連性
既 に明 らか に した ように,1932年の決定 「初等学校 と中等学校 の教授 要 目と生活規準 に ついて」 においては,「科学の基礎 をよ く習得 した人間 を養成す る とい う課題」 を実 現 す るため に,それ までの各教科 の教授要 目間 に連携が欠けていた と して,例 えば第5‑ 7学 年 の物理 の学習 に必要 とされ る数学的知識が十分 に与 え られていない ことが挙 げ られる と
ともに,各教科 の教授要 目間の連携 の改善が指示 された。そ して,決定 に基づいて作成 さ
54 長崎大学教育学部紀要 教科教育学 Nn32(1999年 )
れた1934年 の教科課程 では,1927年 の教科課程 と比較 して,物理の学習 開始が第5学年か ら第6学年‑ ,化学 の学習開始が第5学年か ら第7学年‑繰 り下 げ られていた。
この物理 と化学 の学習 開始学年の繰 り下 げは,従 来 と比べ て物理の学習 に とっては数学 的基礎 を,化学の学習 に とっては数学 ・物理学的 な基礎 を確保す るための もの とされ 35),
1932年 の決定で指示 された各教授要 目間の連携 の改善 に対応 した もの と考 え られ る。 実際 には,数学 における一元一次方程式 ・平面幾何 ・立体幾何 の学習 を基礎 として,第6学年 の物理 における力学 と熱学 の学習,並 びにその後 の化学 にお ける元素や化学 の基本的 な法 則 の学習が行 われ る ように教授要 目が構成 された ようである36)。
す なわち,1931・1932年の決定 に基づ く教科課程や教授要 目の作成では,部分的であ っ たにせ よ,物理や化学 と数学 との間で,教科 間の関連性が考慮 されていた。それ と同時に, この教科 間の関連性 の考慮 は,科学 の基礎 の確実 な習得 を 目指す教科課程 と教授要 目の作 成の中での ことであ り, したが って,それは生徒 による科学 の基礎 の確 実 な習得 を保障す るための ものであった と言 えるであろ う。
2 クル ープスカヤの指摘
他方,かつて コンプ レックス ・システムにお ける教科 間の関連性 の重要性 を指摘 してい た クルー プス カヤは,1932年の 「教授 方法学覚書
」
の中で,学校 の教授要 目を構成す る際 には弁証法的方法 に沿 って行 わなければな らない と指摘 し,その弁証法的方法 については レーニ ンの次の ような言葉 を引用 している。「対象 をほん とうに知 るため には,それのすべての側面 ,すべ ての連 関 く媒介) を把 握 し,研 究 しなければな らない。われわれは,けっ して,それ を完全 に達成す る ことは ないであろ うが,全面性 とい う要求 は,われわれに誤 りや感覚喪失 にお ちい らない よう 用心 させ て くれ る。 これが第‑。第二 に,弁証法的論理学 は,対象 をそれの発展, (自 己運動) (ヘ ーゲルが しば しば言 っている ように),変化 において と らえ る こ とを要 求 す る。 ‑‑‑‑‑第三 に,人間の実践全体が,真 理 の基 準 と して も, 対 象 と人 間が 必 要 とす る もの との連 関の実践 的規定者 と して も, 対象 の完全 な ''規 定 ''に はい らなけ ればな らない。第四 に,弁証法 的論理学 は,故 プ レハ ‑ ノフがヘ ーゲルにな らって この んで言 った ように, 〈抽象的真理 はない,真理 はつね に具体的であ る≫ こ とを教 えて い る
。
」 37)したが って, クループス カヤ によれば,いず れの教科 を学ぶ場合 で も, まず第一 に,そ のすべ ての側面,すべ ての連関 と媒介 を学 ばなければな らない。例 えば,数学 の場合 につ いて, クループス カヤは次の ように述べ てい る。
「子 どもたちには,幾何 ・算数 ・代数 な どの諸部 門のあいだの連関が はっ き りわか る ように, しな くて はな らない。
技術 の研究のばあいや,技術 を高い段 階 にひ きあげるばあいにお ける数学の役割 , 自 然 の諸力 (た とえば天文学 ) を研 究す る うえでの数学研 究の役割,社会生活の組織化 の なかでの数学 の役割 (統計 ,調査 ,計画化 の役割 )が,子 どもたちにはっ き りわか る よ うに しなければな らない。本来的にいえば, 自然 と社会生活 とをます ます深 く研 究 しそ れ らを造 りかえることが,数学 のおかげで どの ように可能 になってい くか を,示 してい るであろ うような きわめて一般 向 きのや さ しい小冊子 をた くさん創 りだ さねばな らない
山路 :旧ソ連の中等理科教育における教科間結合に関する研究 55
であろ う。」38)
そ して さらに, クループスカヤは次の ように述べている。
「ある人び とは
,r
あなたはまた コンプ レックスの道 を進みたい とい うわけです ね」
と,い うか もしれない。 コンプ レックスに もいろいろある。 われわれの学校 の実践のな かで絶 えず見て きた ことであるが,実際の連関 と媒介 をあい まいに しておいて,相互の あいだにす こ しも共通の もの を もっていない事実 を一つ にむす びつけているような rコ ンプレックス」がある。 だが また,諸現象の さまざまな分野のあいだにある本質的な実 際の連関 を理解す ることを助 け,その ことによって,全‑的な唯物論 的世界観 をつ くり あげることを助 けるようなコンプ レックス もあ るのである。
われわれは現象の さまざまな分野 を系統的に学習す ることを容易 な らしめる教科 目制 に移 った。だが,この ことはわれわれが個 々の教科のあいだに隔壁 を建 てたい と思 って いる, とい うことを意味す る ものであろ うか ?われわれが われわれの学校のなかで追求 している 目標 は,社会主義的原則 に立 って生活 を建てかえるために必要 な知識 を提供す ることである。
科学のすべての分野が社会主義建設への奉仕 に向け られねばな らない。教授者 もまた, まさにこの観点か ら,科学 の教授 にあた らねばな らない。かれは,子 どもたちのまえで, 理論 と社会建設の利益 のための理論の実際的適用 とのあいだの連関を,明 らかに してや
らねばな らない。
この ような接近方法 は,一つの共通 な 目的によってすべての科学 を一つ に結 びつ け, それ らの もののあいだに巨大 な力の内的結合 を創 りだす。そ して,その ような内的結合 が意識化 されることが必要 なのである。」39)
これ らの指摘 か ら, クループス カヤ 自身は,コンプ レックス ・システムによる教育が否 定 され,体系 的分科理科教育‑の転換が なされた として も,子 どもたちに共産主義的な見 方 を獲得 させ ,彼 らを新 しい社会主義社会の建設者 とす るために,す なわち社会主義的人 間形成の観点か ら,教科 間の関連性 を実現すべ きと考 えていた ことが理解 される。 クルー プスカヤにおいては, コンプ レックス ・システムの下で もまた教科制 に基づ く体系的分科 理科教育の下で も教科 間の関連性 は重視すべ きものであ り, したが って教科別 に基づ く体 系 的分科理科教育 と教科 間の関連性 の重視 とは決 して矛盾 あるいは対立す る もの として と
らえられてはいなかった と言 えよう。
しか し同時 にクループス カヤは,「ある人び とは,
r
あなたはまた コンプ レックスの道 を 進みたい とい うわけですね」 と,い うか もしれない。」 あるいは 「われ われ は現象 の さま ざまな分野 を系統的に学習す ることを容易 な らしめる教科 目制 に移 った。だが, この こと はわれわれが個 々の教科 のあいだに隔壁 を建てたい と思 っている, とい うことを意味す る ものであろうか?」
と指摘 している。 この ような指摘 は, コンプレックス ・システムが否 定 され体系的分科理科教育が確 立 される中で, クループス カヤの主張す る ような社会主義 的人間形成の観点か ら教科 間の関連性 を重視す ることはコンプ レックス ・システム と結 び つ け られ, さらに教科制 に基づ く体系的分科理科教育 とは対立す る もの として とらえる状 況が存在 していた ことを予想 させ る。フェ ドローワ (B. H. ¢ eA O P O B a ) とキ リュシュキ ン (A.M. KH PtOu K H H) に よ れば, コンプ レックス ・システムが採用 された1920年代以降,旧 ソ連の学校教育 において
56 長崎大学教育学部紀要 教科教育学 Nct32(1999年 )
教科 間結合 の問題 (す なわち教科 間の関連性 の問題 )が再 び取 り上 げ られたのは1950年代 か らである40)。す なわち1930年代 か ら1940年代 にか けて,旧 ソ連 の学校教育 にお い て教科 間の関連性 は実際 にあ ま り関心 を持 たれ ることが なか ったのである。
勿論 ,先 に指摘 した ように,科学 の基礎 を重視 した体系 的分科理科教 育へ の転換 は,本 来 は社会主義的人間形成 と一致す る もの と して提起 された。 しか し,前報 で明 らか に した ようにコンプ レックス ・システムによる教育 と教科 間の関連性 の実現 とは ともに社会 主義 的人 間形成 を 目指 して表裏一体 の ものであった とい う点か ら言 えば,体系的分科理科教育 へ の転換 の中で, コンプ レックス ・システムの否定 は,同時 に,社会主義的人間形成 の観 点か ら教科 間の関連性 を重視す ることの否定 を も意味 していた と言 え よう。
Ⅴ あわ りに
1930年代 の体系 的分科理科教育体制の導入 とともに,社会主義的人間形成 の観点か ら教 科 間の関連性 を重視 す ることが否定 された。同時 に,部分 的ではあったが,生徒 に科学 の 基礎 を確 実 に習得 させ るための教科課程や教授要 目の作成 において,教科 間の関連性 (逮 樵 )が考慮 された ことも事実であ る。言い換 えれば,社会主義的人間形成 の観点か ら教科 間の関連性 を重視す ることは否定 され,代 わって科学 の基礎 の確実 な習得 の保障 とい う観 点か ら教科 間の関連性 を考慮す る兆 しが見 られたのである。 この後,旧 ソ連の学校教 育 に おいて教科 間の関連性 に対す る関心 は薄れ,再 び関心 を持 たれ るようになるのは1950年代 に入 ってか らであ る。 この1950年代 以降 におけ る教科 間の関連性 の取 り扱 い等 については 次 回に明 らか に したい。
引用 ・参考文献
1)山路裕昭著 「旧 ソ連の中等理科教育 における教科 間結合 に関す る研 究‑1920年代 の教科 間の関連 性
一 」
『長崎大学教育学部教科教育研究報告」第30号,1998,pp.39‑5102)クループス カヤ著,笹 島勇次郎,村 山士郎訳 「コムプ レックスについて
」
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rH K a, Mo cK a a, 1981, cTP.110.
5)T a川 )Ke, CT P.119.
6)0 日 . P elt. K y 3HH t4 LLp.,前掲書, cT p. Ilo.
7)T a川 )Ke, C'P.120‑121.
8)T a川 X e, CT P.121.
9)第5‑ 6学年 :Jl. A. u 8 e' KO B. n RT bA e = ' J7eT ytle6 HO rO np eA M e T a xHM llH 8 C0B eT Clく0免 LuZ{OJle, X HM H fI B LIJKOJle,Nell. 1967. c TP. 16‑27.
第8‑9学年 :ド. 刀. n apM eH O B.前掲書, C'p.37.
10)c M. K.fl.n apM eH OB. X HM H R B eO B eT CK O由 LuKOJ]e B n eP H OLt 1923‑193l rr., X H M Il月 B ll)KOJIe,N12, 1957, cTp.33‑40.
ll)矢川徳光著 rソヴェ ト教育学 の展 開」春秋社,1953,p.1980
12)c M. u B e' KO B,前掲書, C TP.25, K.51.n apM eH O B,前掲書, cTp.39‑40.
山路 :旧 ソ連の中等理科教育 における教科 間結合 に関す る研 究 57
13)エ ・ハ‑ ビン薯 ,刀江書 院編集部訳 『ソ連工業発達 史』刀江書 院, 1968, p.23。
14)同上書, pp.28‑29, pp38‑39。
15)平館利雄著 『ソヴェ ト計画経済の展 開」新評論, 1968, p.110。
16)ハ ‑ ビン薯,前掲書, pp.57‑62。
17)同上書, p.82。
18)平館著,前掲書,p.119の注。
19) I(IICC B Pe30JIfOu H只Ⅹ H PeLlleHHRX Cbe3nOB,KOH中epeHuH白 H r]JteHyMOB uK (189811986), T. 4,1926‑1929, 9‑ e H3月., A0n. H uer]p‥ n0LIHTH3n aT.JWocKBa,
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20) KnCC B Pe30JIK)UHRX H PellJeHHRX eもe3且08,KOH中 epeHuH的 H M eHyMOB uT((1898‑1986). T. 5,1929‑1932, 9‑ e H3′1., ,loll. H HCnp‥ IloJTnT113.ユaT,NLoctくB a,
1984. cTP.20.
21)ハ ‑ ビン薯 ,前掲書, PP .25‑26。
22) coeT.:A. A. A6aKyMOB, Il. n.I(y3HH,¢. H. ny3tJPeB.Jl. 0.JIHTB"HOB,
H apoAH0e O6pa30BaHHe l∃ CCCP, 0 6uleO6pa30BaTeJlらHaR LuT(OJla, C6opHHt' JIOKyMeHTOB,1917‑1973rr‥n en arorHKa,M ocKBa,1974, CTP.157.(参 考 :柴 田義松 ,川野辺敏編 『資料 ソビエ ト教育学 理論 と制度』新読書社, 1976, pp.5100) 23) T aM X e, CTP・158・(参考 :同上書, pp.512‑513。矢川著 ,前掲書,付録p.5。)
24) T aM 〉Ke, C,P・161‑162・(参考 :柴 田,川野辺編 ,前掲書, pp.520‑5220) 25) T aM X e, C,P・162‑163・(参考 :同上書, pp.524‑525。)
26) TaM X e. CTP・164・(参考 :同上書, pp.5280) 27) T aM 'Ke, CTP.167.
28) O TB. Pelt.Ky3HH H Ap..前掲書, CTP.282‑283.
29) T aM 〉Ke, CTP.284.
30) cM. u BeTl'OB,前掲書, eTP.26‑27, O TB. Peュ. I(y3HH H IP.,前掲書, C'p.285‑286.
31) O TB. Pe 且 .I(y3HH H AP.,前掲書, CTP.286.
32) Jl.A.u BeTKOB,nRTbAeeRT JleT ylZe6HOrO nPe月M e T a XH M HH B COB e‑
TelくO ii u l(OJle, X HMH冗 B u K0A e,hh2,1967. cTP.16‑27.
33) T aM )Ke.
34) Jl. H. Pe3HHKOB,Pa3BHTHe MeTOAHtleCKO由 Mu CnH nO 中 日3日Ke B C C C P,
¢ ‖3HKa B u f{OJle,トbl,1967, cTP. 6‑25.
35) O TB. Pe且 . I(y3HH H AP.,前掲書, CTP.284.
36) cM. T aM 〉Ke. CTP.286.
37)クループス カヤ著 ,矢川徳光訳 「教授 方法学覚書
」
『クループス カヤ選集5社 会主義 と教育学j 明治図書, 1977, p.106。38)同上書, pp.107‑1080
39)同上書, p.109。
40) B. H. ¢ eAOPoBa,A.NL KMPtOLUKHH.Nte)KnPeユMeTHue eBR3日. neAarOrHド a,
M ocKBa,1972. cTP.17‑18.