" E v e r y t h i 喝 Th a tRi s e sMu s tCo n v e r g e " の中で 「 上昇 」 したもの
井 上 一 郎
Ri s i ngl n " Ev er yt hi ngThatRi s e sMus tConver ge"
̲ I c hi r oI NOUE
(序)
"EverythingThatRisesMustConverge"は、 1961年 の10月に
Ne
wWo r l dWr i t i n g
誌 に発表 され、1962年 のオーヘ ン リー賞 の最優秀賞受賞作品で もあ った。Whittが言 うように、「オ.‑‑ ン リー流 の捻 り
」1
)が備 わ っているか どうか は別 に して、Orvellの言 うよ うに人種 関係 とい う極 めて 「南部的素材」 2
)を取 り扱 って いることは間違 いない。確か に、 この作 品 は 「南部 の公民権運動 を背景 に して いる」 3
)のであ る。 さらに、 その奥 に峠世代の違 う親 子 の関係 と対立が濃密 な姿で取 り上 げ られているこ.ともす ぐに判 明す る。.それぞれ の関係 を ダイナ ミックな ものに しているのは、時代 と社会 の著 しい変化 に他 な ら,な い。 時代 の変化 や親 申世代 と子 の世代 との間 に亀裂 を作 り、 白人 と黒人 との間 に今 まで にな い摩 擦 を生 み 出 したのであ る。作品が発表 された1961年 はアメ リカ南部黒人 の歴史 に と って重要 な時期 に差 しか か って いた.1960年 にノースカロライナ州、 グ リー ンズポ ロで始 まった 「座 り込 み運動」4)は南部 諸州 に広 ま り、1961年 にはFreedom Ride(自由のための乗車運動)が深南部 め ざ して敢行 された. すでキここれ以前 に も1955年 にはア ラバマ州 モ ン トゴメ リー にお いて、 バ スの後方 に席 を移動 しなか った ローザ ・パ ー クス嬢 の事 件 に端 を発 したバ ス ボイ コ ッ ト運 動、 アー カ ンソー州 の リ.トル ロ ック高校で は黒人学生 の入学 を巡 って 白人市 民 によ る暴 力事 件 な ど が発生 していた し、 この1960年代 を迎 えて、黒人 の公民権運動 は新 たな局面 に入 ろ うと し て いたのである。
従 って、 ジュ リア ンの母が こぼ した不平、「人種統合 されて しまったので、 夜 一人 で はバ スに乗 りた くない」(405)は、南部社会が こうむ った画期 的 な変 化 につ いて の保守 的 な 白 人 の側か らの意見であ る。 また母 とジュ リア ンが乗 り込 むバ スはその意 味 にお いて、 白人 と黒人、古 い世代 と新 しい世代 とが一緒 にその中 に放 り込 まれ る時代 の 「現実」 (411)で ある. そ して、 ち ょうど"A GoodManIs.HardtoFind" (1953年) の中 の祖母 が行 き た くない と言 いっつ出かけた ドライブの途中 に殺 されて しま った よ うに、 ジュ リア ンの母 も乗 りた くなか ったその バ スに乗 ったがゆえに命 を落 とす はめ にな ったので あ る。 二 人 と も時代錯誤 を絵 に描 いたよ うな典型的な古 い南部 の人間 で あ り、 彼女 た ち は新 しい南 部 の 現実 を知 ったその瞬間 に命 を落 と して しまったのである。
この小説 は時間 ̀空間的 に言 えば、夕方、 ジュ リア ンと母 が アパ ー トを出て、 バ スに乗 り、減量 クラスの開かれているYWCAの近 くのバ ス停で降 りるまで を描 いて い る。 事 件 が 起 きなければ、恐 らく、母 は 「10時」(413)まで クラスで減量 の ための レッス ンを受 け、
56 井 上 一 郎
一方、 ジュ リア ンは
YWCA
の近 くで時間 をっぶ した後、再 び、 母 をバ スに乗 せ て家 まで連 れて帰 うた ことであろ う。小説 はアパ ー トを出てバ ス停 まで歩 く部 分、 問題 のバ 女の 中で の シー ン、 そ して、YWCA
近 くのバ ス停 で降 りた後 の シー ンの三 つ に大 き く分 け られ る.最 も長 いのがバ スの中の シー ンであ るの は、既 に述べ た よ うに、 バ ス こそが この小 説 の人 物 たちが置かれた現実を表 わす シンボルであ ることを考 えれ ば当然 で あ る と言 え よ う。 今 の アパ ー ト暮 らしに嫌悪感 を抱 いた末、「両隣が300マイル も離 れた場所 に住 み た い」 (406)
と思 うの は ジュ リア ンであ り、「世 の中 どこを見 た って ごた混ぜ
( me s s )
だわ。 よ くも私 た ち こんなにな るまで放 っておいた ものだわ」(410)と咳 くの は ジュ リア ンの母 で あ る。 こ の世界 の 「ごた混ぜ」 の シ ンボル と も言 うべ きバ スに乗 り合 わせ た親子 の運 命 を分析 し、タイ トルに含 まれ る
" Ri s e s "(
「上昇」) が意味す る ものを考察 したい。(1)
「水曜 日の夜」、「50才以上
」
で体重 が 「165ポ ン ドか ら200ポ ン ドまで」 の 「職 業 婦 人 」 に対 して 「無料」(405)で開かれているとい う事実 を除 けば、 我 々 は減量 ク ラスの有 様 は 知 らされて いない。 しか し、 ジュ リア ンの母 の言葉 に よれ ば そ こに通 って来 る夫人 達 の な かで 「帽子 と手袋 を着 け、息子 を大学 に通 わせて いる」 (406)夫人 は数少 な い ら しい し、したが って、「大半が私 たちの階級 じゃない」(407)とい うことにな る。 で は、 なぜ、 母 は そんな所 に毎週 出か けるのだろ うか
。Godhi gh
の家 の出の者 と しての プ ライ ドはど うな るの か。 しか し、母 は言 う、「自分が誰 だか分か っている」 (407)か ら、 「.ど こにだ って 出か けられ る」(407)し、「誰 に対 して も親切 に してやれ るんだよ」(407)と。
母 が参加す る社会的 な場 は、彼女が勤 めて いる職場 (「職業夫人」 向 け とあ る) と この減 量 クラスであ る。減量 クラスがわずかなが ら状況 を推量 で き る程 度 で あ るが、 彼女 の職場 につ いては我 々 は何 も知 らない。 しか し、彼女 は毎 日、 恐 ら くバ スに乗 って通 勤 して い る はずであ る。彼女が通勤用 と して も使 って いるこのバ スに乗 り込 む時 と気 晴 ら しの減量 ク ラス、結局、 この二つの社交的な場 を通 して我 々は母 を知 る ことにな る。 母 に と って は、
バ ス も減量 クラスと同様、 自分 の存在が確認す るための場 に何 ら変 わ りはない。 だか ら、
Shee nt e r e dwi t hal i t t l es mi l e , asi fs hewe r egol ngi nt oadr awl ngr oom Whe r ee ve r y‑
onehadbe e nwai t i ngf orhe
r.(410)彼女 は ここで も家柄 と地位 のある女性 であるとみんなに認 め られているか の よ うで あ り、
それ に応 え るかのよ うにみんなに愛想 よ く振 る舞 うのであ る。
今晩、彼女が息子 と一緒 に乗 り込んだバ スは、意外 に も 「統 合 され て」 いなか った. つ ま り、 バ スには今 の ところ一人 の黒人 も乗 っていなか ったのであ る
。
「どうや ら我 々 白人 が このバ スを独 占 してい るみたいですね」(410)とい う言葉 で 「統 合」 が もた らす 「混 乱」に対 す る不安 と不満 を表明 した後、彼女 は世 の中一般 の 「混乱」へ攻撃 の矛先 を向 ける。
"Thewor l di si name s se ve r ywhe r e
,"hi smot he rs ai d."Idon' tknowhowwe ' vel e t
i tge ti nt hi sf i x."
(410)このよ うな婦人連の会話 は、̀
: ̀ A・ GoodMan. I sHa r dt oFi nd"
.(r善人 はなか なか いな い」)の中で祖母が昼食 に立 ち寄 った・レス トランの主人 と交わす会話 に通 じてい る。 「混乱」
のテーマを最初 に提供す るのは、 レス トランの主人、 レッ ド・サ ミーで あ るが、・祖母 が持 ち出 して も全然不 自然ではない。「今 日、誰 も信用で きませんね
」 ( 1 2 2 )
とい う言葉 に、 彼 女 はI
r昔 はど人間の質が良くないですか らね」 ( 1 4
1),と応 じて いる。 祖母、 ジュ リア ンの 母 ともに昔 は家柄 を誇 った家の出で、違 いほといえば、 ジュ リア ンの母 の ほ うが今 の 自分 の置かれた状態 に対す る不満を社会 に対す る不満 に重ねて い るところで あ る。 ジュ リア ン の母 にとって も、 どのように して も自分の存在を確かめ ることの出来 な い場 所 が あ る。 そ れは、彼女の力の及ばない激 しい変化で もって彼女 に深 い欲求不満 と挫折感 を与 え ず には おかない広 い 「世の中」・である。 バ スに乗 る前の母の息子 へ の言葉 は、 ほ とん どが、 この「世 の中」 の変化 に対す る不満 に源を発 していて、彼女 は自分 に言 い聞かせか の よ うに、 息 子 に対 して、 自分の家柄を ことさ ら強調 してみせ るのである。
" Imos tc e r t ai nr ydok nowwho , Iam, " s hes ai d, " andi fyoudon' t・ knowwhoyouar e
,Ⅰ ' m as hame dofyou. "
" Ohhe
ll,"Jul i ans ai d.
" Yo ugr e at 一 gr andf at he rwasaf or me rgove r no roft hi ss t at e ,
"s hes ai d."Your gr andf at he rwasapr os pe r ou岳l andowne
rこYo urgr andmot he rwasaGodhi g h . . " .( 4 0 7 )
だか ら、 ある意味 において、彼女が嫌が るバスは、 欲求不満 と挫折感 を幾 らかで も解 消 して くれ る救 いの場所か もしれない。息子 の ジュ リア ンが大学 を卒業 した こと、 そ して今 それをみんなの前で公表す るきっかけに恵 まれ るの もバ スの中であるか.らだ。
しか し、 これ らジュ リア ンの周囲で交わされた会話 およびその内容のすべてが、彼 にとっ ては、丁その中に加 わることに我慢 のな らない
」( 41 1 )
した ぐいの ものである. 途轍 もな く陳 腐な ク リシェ、「ローマは一 日に して成 らず」 を最後 に、恐 ら・く延 々と続 け られて い るで あ ろう母 の言葉 はジi リア ンには聞 こえない もの とな って しま った. あ るいは、 母 の言費 は ジュ リア ンの意識 を通 して読者 に伝 え られ る値打 ちのな い もの と して、 その まま意識 の下 部 に潜 り込んで しまうのである。彼女 の言葉が小説か ら▲姿 を消 して しま うの はそのためである。
母を困 らせ る意図で床か ら拾 い上 げた新聞を ジュ リア ンは体 の前 に広 げて 「自分 の心 の 中の小部屋 に引 きこもった
」( 41 1 )
とナ レーターは説明 して い るが、 新 聞 は単 に きっか け にす ぎず、彼 には新聞を広 げる必要 さえなか ったと思 われ る●。 彼 だけの世界 は精神 的 な空 間であ って、 いわゆる空間領域ではないか らだ。Thi swasaki r l dofme nt a l bubbl ei n
'whi c hhee s t abi s he dhi ms e l fwhe nhec ou l dnot
t obeapar tofwhatwas. gol ngOnar oundhi m.Fr pm i thec oul ds e eo utandj udge, but
i ni thewass af ef r om anyki ndofpe ne t r at i onf r om wi t hout .I twast heonr yO l ac e
whe r ehef e l tf r e eoft hege ne r ali di o c yofhi sf e l l ows .Hi smot he rne ve re nt e r e di tbut
f r om i thec oul ds e ehe rwi t habs ol ut ec l ar i t y.( 41 1 )
5 8
井 上 一 郎「そこか らは外部が眺め られ、外部で起 こっていることに判明を下す ことがで き」、 かつ
「外か らの一切の侵入か ら守 られている」のであるか ら、 ジュ リア ンには、 バ スの中での母 の会話がすべて聞 き取れ る一方で、母が 自分 に話 しか け る言葉 には一切耳 を貸 さなか った のだ。
これはち ょうど、ハルガと‑ルガの母、 ホープウエル夫人の関係 に等 しいので はな いか。
ホープウエル夫人のク リシェによって集約 される人生観 に辞易 した娘 のハ ルガは、 完全 に 母を視野の外 に追 い出 して しまうのである。
Joy‑Woul ds t ar eal i t t l et ot hes i deofhe r ,he re ye sI c ybl l l e ,Wi t ht hel ookofs ome one whohasac hi e ve dbl i ndne s sbyanac tofwi l landme a nst oke e pi t .( 2 7 3 )
以後、 ホープウエル夫人の存在 は、娘 にとっては影 の よ うな存在 と して しか捉 え られな いであろうし、 くだ らない彼女の言葉がハルガの意識 の検閲 を通 って読者 の前 に展示 され ることもない。実際、小説の中での夫人の言葉 は数えるほど しかない。 か とい って、 ハ ル ガが積極的に自らの意識の内容を表現す ることもないわ けで あ るか ら、 小説 はお互 いがお 互いを観察 はす るが、それが言語化 されることが非常 に少 ない、 妙 に緊迫 した状況 の連続 で成 り立 っているわけである。
同様の ことは、
"AGoodManl sHar dt oFi nd
''の 「祖母」 とその息子のベイ リーとの 関係 にも見 られる。 ベイ リーの言葉少なさは異常 としか言 いようがない。「祖母」のお喋 り はほとん どが孫の ジョン・ウエズ レー とジュー ン ・ス ターに対 して向 け られ た もので あ る (彼 らがまともに聞いたか どうかは疑 わ しいが)0ジュ リア ン、‑ルガ、ベイ リー、彼 らの自己閉塞性 は一体何 を意味す るのだろうか. ジュ リア ンの 「シャボ ン玉
」
に見 られるように、それぞれの母親 に対 してのみ に向 け られた 自 己防御の形態 というものだろうか。確かにその機能を持 って いる。 知性 の高 さと言 い切 れ るか どうかは不明 として も、彼 ら子供の独特の自意識の鋭 さは、 時代 の変化 を感 じ取 り、親の世代の時代錯誤 に対 して激 しい嫌悪感を覚える。彼 らは過去 の歴史 を否定 し、 親 の世 代 との勝帯を切 ろうとす る。 しか し、残念なが ら、
Wal t e r s
も言 うよ うに、 「息子 は母親 の 分身である」5)ことを免れえない。彼 らは共通 して、親か ら逃れたい し、親 と同様、 彼 らを 取 り巻 く現実か らも逃避 したいのである。 た しかにジュ リア ンの母 は時代錯誤 その もので あり、 自身について意識 はない。息子の ジュ リア ンは時代錯誤 と時代変化 の両方 につ いて 高度の意識を持 っている。 しか し、Fe e l e y
の言 うように、「擬貴族的な母親 と彼女 の息子 のジュ リア ン、彼 らは二人 とも彼 らが住む世界か ら疎外 されている
」6
)ことは間違 いない。(2)
バスは突然急停車 したためにジュ リア ンは自分だけの考えの中か ら現実 に引 き戻 された。
バスの後部 に座 っていた一人の白人女性が降 り、代わ りに一人 の黒人男性 が乗 り込 んで き たのだ。 ジ.ユ リア ンにとっては絶好の機会が訪れた ことにな る。 つ ま り、 母が支持 してい る 「不正」が 「日常の場 において実践 されるところを見 る
」( 4 1 2 )
の は確実 であ り、 すで に運動の結果確立 されつつある社会 「正義」か ら激 しい挑戦 を受 ける もの もまた十分期待 で きるのである。 ジュ リアンは自分 に代わ ってその黒人が 「正義」 の意 味 を母 に突 きつ けて くれ るのを待っ。
その黒人 は身な りが良 く、 ブ リーフケースを手 に持 って い る。 恐 らく、 黒人 には珍 しく 知的 レベルの高 い職業 についている可能性 は大である。 当然、 自分 と社会 の変化 につ いて 知悉 し、「正義」が 自分たちの ものであることを知 っているに違 いない。彼 は前 の方 の三人 掛 けの席 (そこには、すでに赤 と白のサ ンダルを履 いた白人 の女 が座 って いた) の端 に自 分が座 る席を決めたのだo彼 は921前の黒人が していたよ うに、 後 ろの方 に行 くことは もは や しない。む しろ後 ろの方 に行 くのは白人の方だ。サ ンダルの女 はその黒人 が座 るや否 や、
憤然 と席を立 って、バスの後 ろに移動す るか らだ。 その代 わ りにその女 は自分 が した こと に対 して ジュ リア ンの母親か ら 「同意
」( 4 1 2 )
を得 は したのだが。その女の座席の移動その ものが、 ジュ リアンが言 うところの 「不正 が 日常 の場 にお いて 実践 された」 ことを章味 している。では、その 「不正」 はどの よ うに して修正 されなけれ ばな らないか ?ジュ リア ンはバスに一人で乗 った場合 は、「母の罪 に対す るいわば償 いと し て黒人の側に座 ることを常 に していた」(409)が、今 はその母 と一緒 であ る。 被 さ.=は母 に 対 して彼女の丁罪」 を指摘す る絶好のチ ャンスに違 いない。 彼 はど うす るか と言 えば、 い つ もす るように、 その乗 り込んで きた黒人の側 に座 ったのであ る。 母 の 「罪」 の償 し?だろ うか ?た しかにそ うであろうO彼 も 「正義」を実践 して見せ たのであ る。 ジュ リア Yは、
自ら 「正義
」
になることの破壊的な意味に我なが ら驚 くのである。
「正義」 (息子) は 「不 正」 (母) に向か って、バスの通路越 しに、 まさしく 「戦争を宣告 した」( 4 1 2 )
のである。しか し、残念なことに 「不正」が加え られたその黒人 に対 して 「同情 を伝
ネ 」( 4 1 3 )
共 闘を組む方法がないのだ。黒人 は新聞の陰に隠れてなかなか ジュ リア ンの話相手 になろ う とは しないのである。万策尽 きたジュ リアンはここで とんで もない ミスを犯 す。 金銭 的 に 余裕がないために彼 は タバ コをやめて しま って いたに も関 わ らず、 その黒人 に向か って「火を貸 して くれないか
」( 4 1 3 )
と話 しかけて しまう。 ジュ リア ンが得た報酬 はといえば、その黒人か ら 「迷惑 そ うな顔
」( 4 1 3 )
で見 られただけであ る。 ジュ リア ンの暴挙 を母 は答 めは していたが、彼が犯 した ミスにつけ込むだけの余裕 は母 に も無 か ったので、 ジュ リア ンの 「正義」 はそのまま維持 されたのである。 それに して も、 ジュ リア ンの 「正義」
の視 点か ら見つめ られた母の 「罪」がなん と惨めで、倭小 に見えることか0Hes t u d i e dh e rc o l d l y.He rf e e tl i t t l ep u mp sd a n g l e dl i k eac h i l d' sa n dd i dn o tq u i t e r e a c ht h ef l o o r .( 4 1 4 )
ジュ リア ンの 「正義
」
は母親を罰す るサデ ィステ ィックな手段 を求 めて飽 くな き努力 を す る。黒人の医者 しか瀕死の母を救 う者がいない、黒人 の人権闘争 に自 ら参加 す る、 結婚 相手 に選んだ黒人女性を母 に紹介す る( 4 1 4 )
等がそ うである。(3)
再 び、 ジュ リア ンは空想か ら目を覚 まされた.バスの ドアが開 いて今度 は、 黒人 の女が 乗 り込んで きたか らだ。「大 きな体を して、派手な服装で、不機嫌そうな顔を して、 小 さな 男の子を連れて
」( 4 1 5 )
いた。すでに一人の黒人男性が乗 り込 んで いて、 その黒人 は新聞 の陰に隠れて自分を目立たないように しているとはいえ、 このバ スの 「白人専用」 (410)6 0
井 上 一 郎の状態 は壊 されて しまっていた。 こうなれば、 ジュ リア ンは母が最 も嫌 うこと、 すなわ ち、
その黒人が彼女の側 に座 って くれることを望んだ し、それ は当然 の ことであ る。■そ うい う ケース、つまり、 白人 と黒人が隣合わせに座 ることを母 は一番恐 れて い■たか らで あ る。 し か し、丁彼 にはこの座席の配置 はど好都合な ものは考え られなか った
。 」( 4 1 5 )
しか し、皮肉にも母の側の席 には黒人の男の子が座 り、 その女 が座 った席 は こと もあろ うに自分の飯の席で、その巨体を黒人の男性 と自分の間 に押 し込 んだので あ る。 これで向 かい合 った三人融 けの座席 は、 ジュ リア ンの向かい側が、端か らジュ リア ンめ母、 男 の子、
歯の出た白人の女性 とな り、一方、 ジュ リア ンの側 は、端 か らジュ リア ン、 黒人 の大女、
黒人の男性 とな った。問題 はジュ リア ンと黒人の女性が、 ジュ リア ンの母 と黒人 の坊 やが 向かい合 うという構図である。 ジュ リア ンは自分 も 「不快感
」( 4 1 5 )
を覚えつつ も、 「白人 と黒人の親がそれぞれの息子を交換 した」( 4 1 5 )
ことに母 が もっと不快感 を覚 えて い るは ず と考えて満足す ることに決めたのだ。 ジュ リア ンの思惑通 りに、「母 はなにか恐 ろ しい も のに突然直面 して気分が悪 くな った」( 4 1 5 )
ように見えた。 この 「何か恐 ろ しい もの」 と は、すでにジュ リア ンが母の側の席を離れて黒人男性の座席 に側 に移動 した時、 つ ま り、「公然 と母 に対 して宣戦を布告 した
」( 4 1 2 )
時 に、既 に予想 されていた究極の事態 で あ る。ジュ リア ンの母が黒人の坊やを自分の子供のよ うに隣に座 らせ たの と同 じよ うに、 ジュ リ ア ンは黒人の女を自分の母親 としたのである。 ジュ リア ンには、 母親 との精神的 な肺帯 を 切 ることに成功 した ことに意味がある。 直前 に夢想 した黒人 との関係 一黒人 の医者、 黒人 運動への参加、黒人のフィア ンセーが母 に もた らす シ ョックに一応 の満足 をお さめたので
ある。
しか し、彼が得た成果 はこれに留 まらなか った。彼 は ここで偉大 な発見 をす る。 その女 が乗 り込んで来 た時、彼 はその女 に 「それが何 なのかは分か らな いが、 ど こか見慣 れ た も の
」( 4 1 5 )
を感 じていたが、その正体を突 き止めたのだ。 その女 は母 と全 く同 じ帽子を被 っ ていたのである。すでに述べたように、 ジュ リア ンの母 は厳 しい経済状況 の中でか ろ う じ て今かぶ っている帽子を買 うことができた。 その帽子 と全 く同 じものをその黒人 の女 は平 然 と事 もなげに被 っているのである。ジュ リア ンの母 は彼がネクタイを締めないことを答めて、「文化的であるか ど うか は心 の 問題
」( 4 1 0 )
であると言 い、 さらに続 けて" a ndi nh o wyo ud ot hi n g sa n dh o wy o udot hi n gsi sb e c a u s eo fwh oyo u
are."( 41 0 )
とジュ リア ンに諭 したことがある。 つまり、彼女 にとって人前で帽子を被 るとい う 「行為
」
は、彼女が文化的であることの証明で もあるのだ。「文化的であるか どうか は頑 の問題 で あ る
」( 4 0 9 )
と宣言 しつつ、「行為」を成すあ らゆるチ ャンスを見過 ごす、 あ るいは故意 に成 さないジュ リア ン (「ジュ リア ンは恐 ろ しく受 け身な人物 であ る」7)) と違 って、 彼 の母 に とっては 「存在」 と 「行為」がス トレー トに彼女が 「文化 的」 で あ ることを示 して い る。とすれば、彼女 と同 じ帽子をかぶ って目の前 に座 っている黒人 の大女 も 「文化 的」 で あ る ということにある。
その女 は今 までの第二級のアメ リカ市民、つまり、黒人であ り、「文化的
」
で あ るとい う レッテルか らはほど遠 い 「存在」
であった。 しか し、今や、 彼女 は白人 と平等 の 「存在」
であ り(従 って、白人 と同 じような 「行為
」
をする権利 を獲得・・し̀て しま っている..・また彼 女 には、 ジュ リア ンの母 と違 って、∴その .「行為」 をす るだけの経済的 な力 も1持 って い る。・ そのような世界状況の中に‑個の帽子が存在 し、その帽子 の一方 の側 か らジュ リア ン申母 が、 そ して、 もう一方の側か,,らその黒人 の女が見っめて いたのだO そのン帽子 の意義 は店員 の言葉 を用 いて確かめれば1"・ I fyouas kme ,t hatdo e ss ome t hi n gf oryo uandyo udos ome t hi n gf ort hehat ,and be s i de s ,wi t ht hathat ,yo uwo n: tme e tyour s e l fc omi ngandgoi n g."( 4 0 7 )
と屯 る。帽子 は本来、「文化的」である階級の ジュ リアンの母の ものだ ったのであ る。 しか し、彼女 には今やそれを手 に入れるだけの経済力 はない。 その黒人 にはそれぞれが あ る。
結果的には、二人 ともその同 じ帽子を購入 したのである。 母 にとって 「文化的であ るか ど うか
」
は、「行為」によって実証 され、そ.の 「行為」 はその人間の 「存在」 その もの に等 し か った。彼女 は結果 として、その帽子をかぶ っているが 、 その帽子 を購入す るとい う 「行 為」 は、今の彼女の 「存在」 に等 しいだろうか。彼女の 「存在」握彼女の申告 どお りヾ ゴッドハイ家の人間 としての 「存在」 に時代が変わ って も変化 はない。 そ して、彼女 の 「存在」
は、彼女がそのいかにも文化的な帽子を選択 しえたということによって証明 されて もいる。
しか し、その帽子を購入す るという 「行為
」
を実現す ることはで きないはず なのだ。 経済 的理由で (実際は多大 な犠牲を払 って購入 した)。つまり、 これはどういうことか というと、「文化的であるかどうか」は 「心の問題」、「行為」 にあるという彼女の哲学 に嘘 をっ いてい ることになる.今の彼女 にとって 「文化的であるかどうか は頑 の問題 であ る」 のだ. なぜ な ら、彼女がその帽子を選択 しえた ということ、つまり、 それ によ って彼女 の 十存在」 を 証明す るだけでは、果た して ジュ リア ンq)言 う 「頑の問題」、と変 わ.るところが あ るだ ろう か ?
黒人女 についてはどうか。彼女 は帽子を購入す るという 「行為」 を保証す るだけの経済 力を所有 している。 よって、その帽子が文化を シンボライズす る もので あ るとすれば、 彼 女がそれを選択 し購入すれば、彼女 は 「文化的」であると言 う しかな い。 なぜな ら、 その 女が帽子を購入す るという 「行為」を保証す るだけの 「存在」 の質 において欠 けて い るな どと一体誰が言えようか ?また、実際、彼女 はジュ リア ンの母 と同 じ趣味の良 さを発揮 し えたではないか。 もちろん、 ジュ リ・アンの母が訪れたデパー トの同 じ店員がその女に向かっ て同 じお世辞を言 い、それだけを頼 りに購入 したか もしれないのだが0「文化的であ るか.と どうか は心の問題」 と言えるのはその黒人の女 に他な らない。・・
母 によれば、「行為
」
はすなわち‑
「存在」であ った。.本来の ゴッ ド‑イの人間 と しての彼 女 にはその帽子を選択 (購入ではない)す ることは、その意味で 自然 であ る。・別 の動機 が 介入す る余地 はない。 しか し、今の彼女 には自分が被 るその帽子 の意義 を世 の中に対 して 認知を迫 るという動機が潜んでいるb.動機が優先 されること、つ ま り、 今 の彼女 に とって は 「頭の問題」である。"AGood. Manl sHar dt oFi pd
"の祖母が 「私が道路上 で死 んで 横たわ っていて も、・世間が私の ことを レデ ィだと認めて くれ るよ うに」 ( 1 1 8 )
とい う動輝 が、̲単 なる ドライブにも関わ らずめか しこむ ことをさせているのと同 じである。では、黒人の女 には趣味 と溌 練 さの率直な表現以外 にいかな.るB,IJの動機 は介在 しない,と
62 井 上 一 郎
言えるだろうか。すでに述べた通 り、「公民権運動を背景 に している」 この小説 を考 え る場 合、 どうして も 「存在」の同等性、選択 と 「行為」の自由性 に対す る彼 らの過剰 な意識 が、
今 までの 「存在」 の差を一気 に埋めるべ く 「文化的
」
で あ るその帽子 を選 んだ とい う可能 性 もある。 この過剰 なる意識 は、結局、「文化的であることは頑の問題」 とい うジュ リア ンと同列の人間の タイプであることを示 している。 ジュ リア ンの母 は もちろん だが、 この女 の 「意識」 も 「公民権運動」の向か うべ き正 しい目標 にとっては、「逆行
」 8 )
であろう。事件後、 ジュ リア ンが 「あの女 はお母 さんが黒人だった らあんな恰好を して たよ
」 ( 41 9 )
と母 に語 って聞かせたように、母 にとってはまるで自分 の姿 を鏡 に映 して見 る思 いが した に違 いない。「啓示」 ("Re ve l at i on"
)の主人公、 ター ビン夫人 は、 病 院 の待合室 で一緒 にな った貧乏 白人たちに業を煮や して、 自分が貧乏 白人 に身 を落 とす くらいな ら、 自分 は 今の精神的なプライ ドをそのまま保持 したまま黒人にな った ほ うが ま しだな どと考 え る場 面がある。精神的な境位 は息子の ジュ リア ンが 「教訓」 の意 味で諭 した と して、 帽子 に対 して $7 . 5 0
を払えないチェス トニー夫人の社会 ・経済的な地位 は、黒人女の社会 ・経済的 な 地位 にまで落 ちて しまった。 これまた恐 ろ しい事実を突 きつけ られたのである。それに対 して、夫人 はその女が 「自分か ら帽子をひった くった猿でで もあ るかの よ うに」
( 41 6 )
笑顔で見た、 とある。He ndi n
によれば、S het r i e st oi nf ant i l z et hebl ac kwomanwi t hanamus e ds mi l ea ndanof f e rofabr i ght ne wpe nnyt ohe rs on
g)のような態度 となろう。今 までの時代 は、 この母のこの 「笑顔」 は有効 だ った。 この 「笑 顔
」
は彼女の階級が下の階級の者 に向か ってのみ使用す る ことが許 されて いたのであ る。彼女が現在の苦境か ら脱出するために取 り出 した武器、 これ は彼女 に認知 を迫 る厳 しい現 実を一蹴す る魔法の手 になるはずだった。 しか し、 これ も又、「正義」が実現 され、 人間 の 真の共存を不可能 にす るところの、その黒人の大女が帽子を選 び取 ったのと同 じ 「意識」、
あるいは、 ジュ リア ンが陥 っている 「頑」 の災いに他な らない。
(4)
タイ トルの
̀ ̀ Eve r yt hi ngThatRi s e sMus tConve r ge"
(「上昇す るものはみな一点 に集 中す る」) は、 フランスの古生物学者であ り哲学者で あ ったTe i l ha r ddeChar di n
独 自の人 間の歴史 についての考え方を借用 した ものである。ティヤールの考え方 は、「生物学的、 心 理学的な進化論 と歴史的な購 いについてのキ リス ト教的な概念を融合 した もの」 1
0)であ る。本来、進化 とは、 ダーウィ ンの進化論 にある通 り、地上 にお け る人頬 の出現 に至 るまでの プロセスを指す。原初の生命が複雑化、多様化 しなが ら生 のあ り方 の レベルを 「上昇」 さ せなが ら人類へ と到達 し、その人頬が地上を支配す ることを もって一応 の プ ロセ スを完成 させたとす るのである。 しか し、 ティヤールの言 う進化 とは人類 の出現 を もって完成 す る のではな く、人間の 「より高 い意識の レベルを目指す過程 を指す ものであ り、 その 目標 は 純粋な意識、それは存在その もの、 あるいは神 とも呼べ るものである
。
」11)ティヤールの理論 は、 キ リス ト教の視点か ら眺めた人間 の歴史 につ いて述 べて いる。 す なわち、人間の歴史の近 い所 にあるのは、「イエスの受肉
」 1
2)であ り、 イエスは神が人間に与えた 「恩寵」 と して歴史 に関 わ り、人間の罪 を 「頼 った」 で あ る。 一 貫 して い るの は、 人 間 に対 す る神 の愛 であ る。 イエスの地上 での生 は人間愛 で貫 か れ て い た の に対 して、 キ リ
ス ト教徒 は同胞愛 を通 じて イェスに近 づ くことを期待 され約 束 させ られ たの で あ る。 した が って、 ティヤールの説 く人 間 の意識 の 「上昇」 が、 あ たか も進 化 の プ ロセ スを そ の ま ま 延長 させ たよ うに、 いわば楽観 的 とも思 え るの は、 キ リス ト教 の歴 史 か ら見 る と過 去 にお いて予定 された もので あ ったか らだ。 シ ャル ダ ンの言 うオ メ ガ点 と は、 歴 史 の過 去 か ら未 来 に向 けて イエスによ って筋道 がつ け られ、示 された到達点 に他 な らない。 そ して、 逆 に、
この楽観的 な見方 を我 々に とって受 け入 れ難 い ものに して い るの は、 実 際 の二 千年 にわ た る見栄 えの しない人間 の歴史 のせ いであ ることは事実 であ る。 しか し、 「我 々人 間 の善 は 目 下建設 中」13)の状態 にあ ると考 えたオ コーナーが、 この シャル ダ ンの思 想 に親 近 感 を覚 え た
の も領 ける。
問題 は この小説 の タイ トル と内容 の関係 であ る。 この小 説 を読 ん で、 先 に述 べ た人 間 が
「存在 その もの、 あ るいは、神 と も呼べ る もの」 に近 づ くとい う楽観 的 な予 測 が裏 付 け られ た と思 う読者 は少 ないはずで あ る。 白人 は旧体制 を維持 しよ うと し、 黒 人 は旧体 制 の残 樺 を暴力 で もって破壊 しよ うとす る し、古 い世代 が新 しい時代 の変 化 を認 識 す る ことはな い し、新 しい世代が時代 の変化 の中で独立 した 自我 を形 成 で き る可 能 性 も未 知 数 の ま まで あ る。 つ ま り、「高 い レベルの意識」14)に向か って 「上昇」 す ることを可能性 と して持 ってい る 人物 はなか なか見っか らない し、 む しろ、 ティヤールの言 う 「進 化 」 に対 して抵 抗 を示 す 人間 とその行為 ばか りが 目立 って い る。小説 の中で は誰一人 と して人 種 的 な意 味 でconverge す ることに対 して意欲 を見 せ た り、責任 を負 う者 はいな い と言 って過 言 で はな い。 ま さ し
くMcFarlandの指摘す る通 り、 「オ コーナーは意図的 に タイ トルの意味 を収束す る こ との な い上昇 を表 す さまざまな比喉 と対立 させて い ることは確か」15)で あ り、 先 に説 明 した タイ ト ルの意味 を考 え合 わせ ると、「上昇」 した もの と言 えば、 ジュ リア ンの母 の血圧 くらいな も のであ るとい う皮 肉16)は的 を射 て いると言 えないだ ろ うか。
(註)
(1)MargaretEarleyWhitt,UnderstandingFlaTmeryO'Connor(UniversityofSouthCarolina Press,1995),p.115.
(2)SarahGordon,Flannery0'Connor(UniversityofGeorgiaPress,2000),p.57.
(3)MilesOrvell,ITWisibleParade(TempleUniversityPress,1972),p.6,
(4)FlanneryO'Connor,TheCompleteStories(Farrar,StrausandGiroux,1982),p.414.以下、
同書か らの引用はページ数のみを記す。
(5)DolothyWalters,FlanneryO'Connor(TwaynePublishers,1973),p.128.
(6)KathleenFeeley,FlanneryO'Connor(Fordham UniversityPress,1982),p.101.
(7)MarshallBruceGentry,FlanneryO'Connor'sReligL'onoftheGrotesque(UniversityPress ofMississippi,1986),p.98.
(8)JohnF.Desmond,RisenSon(UniversityofGeorgiaPress,1987),p.69.
(9)JosephineHendin,TheWorld ofFlanner)′0'CoTmOr(Indiana University Press,1970), p.106.
(10)Desnond,JohnF.,FlaTmeryO'ConnoT・Bulletin,'72.p.39.
ul)Dorothy Tuck McFarland,Flannery O'Connor(Frederick Ungar Publishing Co.,
6 4
井 上 一 郎1976),p
. 4 3 .
u診JohnF.Desmond,op.cil.,p.39.
u3)FlanneryO'Connor,Mystery.andManners(Farrar,Straus&Giroux,1969),p.226.
(14)DorothyTuckMcFarland,op.cit,p.44.
8
5)Loc.cit.u6)JosephineHendin,op.cil.,p.102.