刑事裁判覚書〔完〕<裁判官・陪審員・裁判員> : わが国の陪審裁判を素材として
著者 佐藤 嘉彦
雑誌名 同志社法學
巻 67
号 5
ページ 1847‑2061
発行年 2015‑09‑30
権利 同志社法學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015613
( )刑事裁判覚書︹完︺
判官・陪審員・裁判員< 裁
>
同志社法学 六七巻五号一一八四七
刑 事 裁 判 覚 書 〔 完 〕
判 官 ・ 陪 審 員 ・ 裁 判 員 < 裁
>
――わが国の陪審裁判を素材として――
佐 藤 嘉 彦
第一 はじめに
一 ポピュリズムと市民社会 二 価値の根源 三 トクヴィル 四 ニーチェ 五 神々は渇く 六 献辞第二 陪審裁判について
一 欧米の陪審裁判
1
ム︱ロフ・ヒッうリーエ︱ 3ル・悪夢を振り払のィ予ヴクト2源起の審言の言いバークの﹁最も悪裁ル判陪﹂ 4予トクヴィ官
二 わが国の陪審裁判
1 概要 2 陪審裁判の政治的意味
三 玄人と素人(裁判官と陪審員と裁判員)
1
はか格的要素から自由裁の3業裁判官性悪説人そ事官実認定の専門家か2は判職業裁判官の職断判
( )同志社法学 六七巻五号二刑事裁判覚書︹完︺
判官・陪審員・裁判員 < 裁
>
一八四八
4 元最高裁判事の述懐 5 陪審員の資質・能力 6 余論︹戦時下の裁判官︺第三 陪審裁判の実際について
一 陪審裁判経験者の感想・意見
1 林正宏﹁わが国陪審裁判実施後の反響 法曹らによる感想集から﹂の紹介 2 東京弁護士会﹁陪審裁判 旧陪審の証言の課題﹂の紹介 3 浦辺衛判事による﹁担当者の感想・意見の聴取結果﹂について
二 無罪判決の検討
1 担当検事の慨嘆 2 担当検事の意見 3 具体的事件の検討
三 有罪判決の検討第四 陪審裁判から見えてくるもの
一
て聴(別紙1)﹁東京弁護会の士取骨いつ調子にの﹂果結査 にりわお五第 て事審陪と四裁判員件件の上訴につい事 いの官判裁ポ二てにつ覚力能・質資の員審感陪かピていつにムズリュ三市るあがい違に覚感民と
(取いつに子骨の﹂果結聴別の事判衛辺浦)﹁2紙て
?とのもなんどは判裁審陪)3 (別紙
第一 はじめに
一 ポピュリズムによって増殖された魑 リバイアサン魅魍魎が、健全な市民社会を蝕んでいる )1
(。民主主義の担 トレガーい手である市民 00は、オルテガのいう﹁ただ欲求のみを持っており、自分には権利だけあると考え、義務があるとは考えもしない⋮⋮自らに義務を課する高貴さを欠いた﹂大 マ衆 スになり下がりつつある )2
(。﹁咎を引きて自らを責む﹂気風も失せた。到る処
( )刑事裁判覚書︹完︺
判官・陪審員・裁判員< 裁
>
同志社法学 六七巻五号三一八四九 に自己の利益のみを主張する"モンスター"が出没し、狼藉を働いているが、余りの理不尽さに息を呑み、咎める声も途絶えがちである。
司法の分野でも、﹁自らを責む﹂ことなくその伝統・矜恃を貶めることが、良心的で勇気のある言動であるかのごとき風潮が蔓延している )3
(。それが民主主義にとって不可欠な司法に対する信頼を損なっている )4
(。
かような民主主義の危機に遭遇し、市民の司法参加を図り、司法の信頼の回復を期するため、陪審制ではなく、裁判員裁判が導入された )5
(。健全な市民社会の復活を願ってのことである。筆者は、心からこの制度の将来に期待する。
二
人スでトヒのてしとンなエピサモホ、が間はくる間るあそこばれな人、のてしと姿似の神 6) 価で源根の値価、ぜなは。個るあに人個は源根の値が人値での価源とされ。いなもまにうい。かのるれらめ求根
(。
いならなばれけ 7) らるれ景当けを目の光よ合な由自うりけ助が々人、ために義なえ弁もとこるあが務きすべすた果、はにうたるな かしんんゆ し、お前はうつく!い﹂、そう呼びかまれ止のれ約、﹁あることを受け容れなけばもならぬ。ファウストとともに制 かあ突衝の値価、上以るでし在存避的会社が間人、はしけのに利権るなかい、は住会ら社民市な全健。いなれ人
(。
sttediezitrafende Handrt ながに)﹂るものでもある(つ 8) ラえば心の事判口山、はれそ。ぬらや手ーるるえ震ははの者すト罰処﹁のフルブなて求いなが)心の本日ためく 的義主欲い禁たれま込、舞仕く深底筐精はにめたのなそ神岡追が三鑑村内や心天倉や・造稲戸渡新(精の私無神
(。
そのためには、寛容性がなくては叶わぬ。祈らねばならぬ。"念ずる"ほかない )9
(。それは今、斯国の民 たみにいちばん欠けているものである。
( )同志社法学 六七巻五号四刑事裁判覚書︹完︺
判官・陪審員・裁判員 < 裁
>
一八五〇
裁判にかかわることは、これらの問題と向き合うことである。陪審裁判は、民主主義の学校であるとともに、個人主義の教室でもある )₁₀
(。
三 トクヴィルは、陪審制が人民主義を担う市民の育成に資するとし、それをアメリカにおける民主制の礎のひとつに挙げている )₁₁
(。
では、陪審制ではなく、裁判員裁判が導入されたことによって、﹁自らに義務を課する高貴さ﹂を備えた市民が生まれるだろうか )₁₂
(。そして、民主主義にとって不可欠な司法に対する信頼が回復されるだろうか )₁₃
(。
裁判員裁判は、いわば補助輪つきの陪審裁判である。裁判官の関与は、誤判防止には資しよう。セーフティネットにはなろう。
しかし、この補助輪は、民主主義の担い手である市民の独り立ちを阻害しないだろうか。
四 今まで長く関わり続けて深く知っていると思うものといったん別れ、離れた場所から振り返ってみよう。すると、何が見えてくるか。ずっと住んでいた町から離れ、遠く立ったとき、町の中心にある塔が家並みからどれほど高くそびているのかが初めてわかるものだ。それと同じことが起こるだろう(ニーチェ︹白取春彦訳︺﹃漂泊者とその影陰﹄)。
そうした思いから、本稿では、かつてわが国で行われていた陪審裁判を振り返ってみることにした。ようやく歩みはじめた裁判員裁判を少し﹁離れた場所から振り返って﹂みるためである。それは、従心を前にした筆者にとって、もう一つの裁判官論でもある )₁₄
(。﹁神の似姿としての人間は、天使でもなければ悪魔でもない﹂という筆者の人間観に聊 いささかも揺 ゆるるぎはない )₁₅
(。
五
﹁れは渇く﹂という呪縛に悩まさ、神本稿を物している者として、々あっ、神たが人。神てにしそ。だん死はな 0・ン000レ・デイウ・ゾフアソ
( )刑事裁判覚書︹完︺
判官・陪審員・裁判員< 裁
>
同志社法学 六七巻五号五一八五一 えて付け加えておこう。
。起意を喚注している いヤ想思大の界世﹃﹂(るなはでわパいてっ立に外スけー薙スと)一九二︺訳夫正頁草﹂︹存実と性理﹁の﹄収所 れは、もあたか全わてれわ。るいっ誤はをれ体神先でく、にうよのかるあの取ろことるす観概に的そら、ばらな恐 れ展らか観概的史界世の精発の神今間人、がれわわ、起日とるえ考とどなるきでがこ生す出き導をとこきべすもし 、ルてっよにェチーニとーらゴケルキ、はスーパス齎さらしかだけわういうこ、﹁関れに義意の況状的学哲たヤ
六 本稿は、同志社大学に奉職して以来、咫尺にあってご指導・ご助言を忝くしてきた岩野英夫先生に捧げるものである )₁₆
(。そして、血脈相承を受けられなかった不肖の先輩から後輩への最後のエールでもある。
(
頁う事刑﹁稿拙(るいてべ述によ判の次、はーオル。るいてし裁覚酷同三七号三巻四六第学法社志﹂書てしと心中を定認実事︱︱似 1オ非レテ、が)二の二第(人識知似をたっかかに牙毒のムズリュピポービ席そ顔は、ルとれの卷官判) く画のの裁売るしてそ。るいてっいをび媚。 イムマンハ
収ず所堂文成﹄︱︱くらひ花ばれ念んれか裁ばか裁︱書 刑覚判裁事< ﹃
以下﹁拙著﹃覚書﹄﹂という)。 > ・
私が裁判官たちにこのような悲痛な表情を与えるのは、他人を審判せねばならぬ人間を見るときに私の感ずる苦悩をおそらく自分で表現しているからだ。裁判官と被告の顔を混同するような間違いが起きるのは、それは私自身の混乱を示しているからにほかならない。⋮⋮いかなることにも動かされない彼らの姿はまた、欲望、自惚れ、愚かさ、無意識、残酷、自ら正しいとするパリサイ人的傲慢、社会的機能への人間の機械化等々、あらゆる悪が体現される偶像、奇怪な神々の姿ともなる。
もちろん、白首北面の教えを乞いたくなるような高潔な人も少なくない。ちなみに、ある良心的なジャーナリストは、﹁二度と当該番組に呼ばれなくなってもよいとの覚悟でテレビに出よ﹂と心ある先輩から諭されたという。﹁知っている以上のことは語るべきではない﹂(リヤ王)。(
美友本吉。たっあでげし悲、は目。明いない違にたっあで業所ぬせ許隆の﹃あ共が者訳の﹄起蜂の衆大。﹃たっ樺で九幻想論﹄(一同六年)の時代八 れり折を骨、肋引か裂きを顔に宿、下きに友、てっとに人た転手でん込りが袋革のえであった(拙著﹃書﹄の﹁ま覚がなき動、機は常日隊う﹂)よのそ。 2、ガテ送オ、てっとに者たっル七を争ー〇年安保闘の活渦中に大学生バ) クみ険冒な的知ばわい、はとこる漁読、らなし闘苦戦悪を々等クエイハが
( )同志社法学 六七巻五号六刑事裁判覚書︹完︺
判官・陪審員・裁判員 < 裁
>
一八五二
智子さんの父君であることを心にとめて読んだのを思い出す。(
( 3論を積み重ねてきた大切なもの襤し褸の如く押し流してしまう。てと者伝に他意がなくても、それが喧さ) れる痛手は計り知れない。営々
( 4ラく。いまるあもでまひー) 言箴のフルブトを
( 入明、でのもたれさ導上﹂みがんかにとこる文、﹁資は。いないてれわ謳ど事な﹂化正適の定認実す 5対れ事刑に共と官判裁が員判裁たさ訟任選らか中の民国、﹁は度制のこ訴手す頼る国民の理解の) 進とその信の続向上にに法司がとこるす与関に増
( 相ものこそが、の似姿に神応わし。いなり変にとこい も﹂(然であるタアインシュ死者陶は人いなきでがとこるす酔ンてしイ同)。て神たし体﹂値価な高崇く貴、﹁もをしもと信じくてな、んだ神を死が るる。あ源の学科、術芸でこゆらあそこれ。るあでの秘こに感念はと惚恍に異驚、れたうの情敬畏、人いなきで解理を神のでいし美もとっものもも 、貴をてっ崇くを高なものにつあ覚かなたっ陥にり感無、い失想理がくそだのる得し験経がれわれわ。るあでもするあの値価もとっもが大こ性個衆 6のおはのもるあの値価に真、ていに家活生いしだたわあのれわれわ﹁国で般で一、ちわなす。うよえ言とるあ性は個るあの性受感で的造創、くな)
( 社ことるす一合に会びのたたてし定否を己自ろふは理た。⋮⋮は関のと﹂係道けおに為行・きるら るばかりであ郎。和辻哲のぬいとさき尽の味興、どれさは。るあで間うこ柄をによって自己自こ覚し、同にをと時え﹁ている支法理社会を否定する をまったくた知らずに過ごなしどル判批るす対にズーロ、しかし。きていた学りなき遅にぶ根。小郷判事)、関か恋、かきな悔春青がわ﹁に真﹂( f Law optceonCたっあでりもつ少し大の読購書外が生先實谷、キていつにトーハ。い深強テはスた勉トは多、きを味興め抱たっ﹁﹂を使ておられに ななる。そん、思から、今たく正みとョなにか、義はてなにか、問うジいン。興が争論のとトーハA・L・Hる・いでん読を﹄論義正﹃ズルーロ味 7は事而形、とるいてっ合き向に者当学るす吟呻、りわかかに務実年長上的と) 法、かになはと家国、とるすにをな心従、たま。るなくし恋が界世前
( 。るあで﹂味い はった。それの、日本人で心情あ四)年〇奥和昭﹄(心の日﹃三順木唐の本にしあ深、い深、心いし美、のもい色美か、﹁るのづおら引かれるもの 震者の手のがえ﹂。あったるルす罰処﹁のフブトーラ、はなにち寄みせそ、はのたっなとけかっきるをにい思に﹂心の本日﹁が者筆、こ)。たれか 与検事正に賞カをめットされ、のた)﹂そ(たっかなし訴起で反違法た管とくゆてしを話昔、れら来に室事判よ食(たいもんさ事検たけ抜に天うい 8、口れさ職殉﹂ずきでがとこるす、判はりよういとずせに口を米闇﹁た事でたのぇねきではねまなんそに分自っははの地意い食。﹁たれらおもに他) epMRanap oenf Je ivatntsereやその派漫浪本日五神精的統伝の人の)れ史通主神精代近本日︱︱歌挽のへ義漫じ浪﹃志達田吉(がるあでのもると( 9字くらひ花ばれず念﹁言真の語十八で、は題表の集詩のんさ民真村坂﹂) ﹄こ人本日的表代﹃三鑑村内、はれ。る﹂)きがえま﹁の﹄書覚﹃著拙(あ