朴枝香・金哲・金一榮・李榮?編『解放前後史の再 認識』
著者 洪 宗郁, 朴 枝香, 金 哲, 金 一榮, 李 榮?
雑誌名 言語文化
巻 11
号 3
ページ 439‑471
発行年 2009‑01‑20
権利 同志社大学言語文化学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011528
439 朴枝香・金哲・金一榮・李榮薰編『解放前後史の再認識』
朴枝香・金哲・金一榮・李榮薰編『解放前後史の再認識』
洪 宗 郁
一 『解放前後史の再認識』と韓国社会
︵一︶ 社会現象としての『再認識』
二〇〇六年二月、韓国では『解放前後史の再認識』︵以下『再認識』︶と名付けられた論文集が刊行された。民主化
の進展に伴って拡大した歴史認識を、左翼的・民族主義的と全面的に否定するその内容は、韓国社会における﹁保守﹂
と﹁進歩﹂との政治的・社会的対立と絡み合いつつ、大きな社会的波紋を引き起こした。『再認識』をめぐる論争は、
学界の垣根を越えて一種の社会現象として現れ、民主化後の韓国社会の一断面を示したという点で、注目に値する。
メディアの反応も熱かった。保守系の『東亜日報』は、早くも刊行から一年三个月前の二〇〇四年一一月一一日に、
﹁ソウル大学の朴枝香・李榮薰、延世大学の金哲、誠信女子大学の金暎浩などは『解放前後史の再認識』︵仮︶の刊行
﹁言語文化﹂
11―3.
439― 471ページ 二〇〇九年. .
同志社大学言語文化学会
© 洪 宗郁
洪 宗 郁 440
を準備中﹂と報道していた︵以下、各新聞からの引用はウェブ・ページを利用したため、実際の紙面とは一日ほどの
ズレが出ている可能性がある︶。刊行直前の二〇〇六年二月二日には、保守系の新聞が一斉に社説で論文集の刊行を
取り上げた。各新聞の社説の題目は、『朝鮮日報』が﹁解放前後史﹁再﹂認識の必要性﹂、『中央日報』が﹁解放前後
史の再照明を歓迎する﹂、『東亜日報』が﹁『解放前後史の認識』の再認識﹂であり、当時の盧武鉉政府に対する批判
と関連づけて論文集の刊行を歓迎する内容であった。一方、一九八八年に創刊されて以来、民主化運動を代弁してき
た『ハンギョレ新聞』は、二月一四日の社説﹁ニューライト、歴史の忘却を要求するのか﹂を通じて憂慮を表明し、
対照的な反応を示した。
『再認識』をめぐる論争を理解するためには、いわゆるニューライトという政治的傾向との関係をおさえておく必
要がある。二〇〇四年頃から本格化したニューライトは、民主化後の社会変化、とくに金大中・盧武鉉政府の宥和的
な対北朝鮮政策などに批判的な流れである。ニューライトの内部を覗いてみると、伝統的な保守勢力はもちろん、民
主化運動からの転向者︵逆説的にも北朝鮮に同情的だった分派からの転向が多い︶に至るまで、多様な系統の人々が
集まっており、内部的な葛藤が表出される場合も少なくないが、保守と進歩との対立が激しい状況もあって、進歩批
判という面で一つの戦線を形成している。『再認識』の刊行は、社会に向けて声を上げ始めていたニューライトに、
その実践を裏付ける歴史認識を提供するという意味を持っていた。
二〇〇六年の当時、代表的なニューライトの団体であった﹁自由主義連帯﹂は、三月二九日から﹁解放前後史の再
認識―著者との出会い―﹂という企画をもって、全国を巡回しながら講演会を開いた︵『朝鮮日報』三月二八日、
以下発行年の表示がない場合は二〇〇六年のもの︶。もう一つのニューライトの団体である﹁正しい社会のための市
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民会議﹂は、金大中・盧武鉉政府で本格化した一連の過去事真相究明の動き、とくに軍事独裁政権の下で行われた人
権弾圧などに対する調査を牽制するために、﹁過去事真相究明モニター団﹂を発足すると発表したが、その背景につ
いて、﹁『再認識』の問題認識を学問的次元のみに止まらず、過去事の再認識運動を政治的・社会的領域に拡大する次
元﹂であると説明していた︵『中央日報』二月一三日︶。また、民主化運動とともに成長してきた﹁全国教職員労働組
合﹂に対抗する形で、当時、創立準備中であった﹁自由教員組合﹂側も、﹁『再認識』などを積極的に教壇で活用する﹂
と明らかにした︵『中央日報』二月一四日︶。
二〇〇六年二月一日の『中央日報』は、『再認識』の刊行について、﹁ニューライト版『解放前後史の認識』刊行さ
れる﹂と紹介したが、その後、編者側の抗議を受け入れ、論文集をニューライトと直接関連づけて説明したことにつ
いて、訂正記事を掲載するハプニングもあった︵『中央日報』二月一五日︶。
︵二︶ 『認識』と『再認識』
『解放前後史の再認識』はその題名から分かるように、一九八〇年代に刊行された論文集『解放前後史の認識』︵以
下『認識』︶の克服を志向している。全六巻からなる『認識』の第一巻は、一九七九年一〇月一五日に刊行されたが、
出版直後に販売禁止措置に処された後、一九八〇年に原稿の一部が削除された形で検閲を通過し、合法的に販売され
ることになった。引き続き一九八五年に第二巻が、一九八七年に第三巻が、一九八九年に第四、五、六巻が刊行され、
全六巻であわせて五八編の論文が収録された。今日まで約五〇~六〇万部が販売されたが、そのなかでも第一巻が
四〇万部程度を占めている︵『韓国日報』二月八日︶。
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二〇〇五年八月に韓国の『教授新聞』とKBS︵NHKのような公営放送︶が学者を対象にして共同で行ったアン
ケートで、解放後六〇年間、最も大きな影響を及ぼした本として、雑誌『思想界』、『資本論』をはじめとするマルク
スの著述、李泳禧の『転換時代の論理』、雑誌『創作と批評』、朴玄埰の『民族経済論』に次ぎ、『解放前後史の認識』
があげられた︵『プレシアン』二〇〇五年八月二二日︶。冷戦と軍事独裁の時代に発刊された『認識』は、朝鮮半島の
統一と民主主義を志向する問題意識を明確にすることによって、成長していた民主化運動を歴史認識の面で支えてい
たのである。
さて『再認識』はその企画の段階から『認識』を明確に意識していた。『再認識』の編者の一人であり、論文集の
刊行をはじめて発議したと言われる朴枝香は︵『朝鮮日報』二月九日︶、﹁はしがき﹂を通じて、﹁一九八〇年代に刊行
された『解放前後史の認識』を読んで﹁血が逆流した﹂という盧武鉉大統領の発言を紙面を通じて接し、我が社会の
歴史認識をこのまま放っておくのは歴史学者の﹁職務放棄﹂だという気がした﹂︵第一巻、一一頁︶と述べて、『認識』
との対決意識を露骨に表明した。朴枝香は﹁民族至上主義﹂と﹁民衆革命必然論﹂を『認識』の二つの問題点として
指摘し︵第一巻、一三頁︶、『認識』について﹁学問的成果というより強烈な政治的なメッセージを含んだ宣言文﹂で
あると評価した︵『連合ニュース』四月六日︶。一方、朴枝香が引用した盧武鉉大統領の発言と関連しては、﹁大統領
はそんなことを言ったことがない﹂という青瓦台︵大統領府︶側からの抗議をうけて︵『オーマイニュース』二月
一三日︶、第三刷から﹁はしがき﹂の該当部分が一部修正されるハプニングもあった。
『再認識』の編者の一人である李榮薰も、『認識』について、﹁その本を学習した世代が現執権勢力の中心部となっ
ているという点で、特別に注目に値する﹂と述べ︵第一巻、四一頁︶、『認識』の歴史認識を盧武鉉政府の性格と関連
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づけて理解する視角を示した。また、李榮薰は﹁民族と革命の二重奏で、『認識』は忠実に要約される﹂︵第一巻、
四一頁︶と評価し、とくに『認識』の姜萬吉の論文を﹁民族至上主義﹂を代表するものとして、崔章集・丁海龜の論
文を、もう一つのキーワードである﹁革命﹂に基づいており、﹁歴史と政治が区分されていない﹂ことを示す典型と
して取り上げた。李榮薰は『認識』の全体的な傾向を﹁毛沢東主義、またはそれに基づいた新民主主義革命﹂︵第二巻、
六一六頁︶として把握した。
これに対する反批判も寄せられた。『認識』の共著者でもあった金明燮は、『認識』が一国史的観点に止まっている
という批判は一面妥当であるが、それが冷戦史観による﹁半国史﹂的な観点よりは進んでいたと主張した。また、当
時の大学では朝鮮戦争について北侵説あるいは南侵誘導説が猛威を振るい、欧米学界の一角ではスターリン主導説が
支配している状況で、『認識』は朝鮮戦争が、内部の権力闘争と抗日武装闘争経験の延長線の上で、金日成が選択し
た戦争路線の産物であることを明らかにした意義があると評価した。そしてこれは、戦争または敗戦の責任を国内共
産主義系列の朴憲永派になすりつけた北朝鮮支配体制が今まで清算していない過去でもあるという点を強調した︵『朝鮮日報』二月一五日︶。
約一〇年にかけて刊行され、それぞれ時代の変化を反映している『認識』全体を、一枚岩として評価してしまうこ
とに対する批判も提起された。文学研究者の崔元植は﹁厳しい時期に出た第一巻と相対的な解氷期に刊行された残り
の巻との間を見分けるべき﹂であると主張し、とくに『認識』第一巻については、﹁七〇年代の民主化闘争が書き直
した一種の韓国近現代史論﹂であると同時に、﹁民主主義の実現を遅延させる分断を意識しつつ、﹁維新体制﹂をのり
越え民主主義を夢見る、心と心で交信する象形文字、または韓国版『深夜叢書』﹂であったと評価した︵崔元植﹁再
洪 宗 郁 444 び訪れた討論の時代―『解放前後史の再認識』を読んで―﹂『創作と批評』一三二、二〇〇六年六月︶。
朴枝香・李榮薰など編者たちの『認識』批判に対しては、『再認識』の内部、すなわち『再認識』の共著者からの
反論もあった。李完範は﹁ヘジョンサ︹解前史:『解放前後史の認識』の韓国での略語―洪︺を左派偏向と罵倒した
り、歴史認識に問題があると主張したりする編集委員の指摘は納得できない﹂︵『韓国日報』二月八日︶と批判した。
とくに李完範は、辛炯基とともに、約二〇年の歳月をこえて『認識』と『再認識』の両方に参加している人物なので、
彼の評価は注目に値する。民主化運動と呼吸を共にしていた﹁学術運動﹂としての学問と、民主化後に新しい模索に
のり出した今日の学問との、連続と断絶の問題を考える上で、李完範の言及は多くの示唆を与えている。
『再認識』を『認識』と関連づけて受け入れたのは、読者の場合も同じであった。『再認識』の売れ行きは順調で、
刊行直後は大型書店の﹁教保文庫﹂において、専門書としては珍しく、人文分野の第一位、総合の第一〇位にランク
していたが︵『中央日報』二月一七日︶、インターネット書店のYES
24、『買購の』識認再とがるよに査調たっ行者
の七二%が『認識』を読んだかまたは接したことがあると応答したことが分かる︵『ブックデイリー』四月三日︶。一
方、朴枝香が『認識』について、出版された当時はある程度意味を持っていたとしても、二〇〇四年にそのまま再出
版されたのは問題であると指摘したことに対して︵『朝鮮日報』二月九日︶、『認識』を出版したハンギル社の金彦鎬
社長は﹁すでに一時代の歴史的存在になった本を、ある方向に作り直そうとする考えこそ、まさに危険な非学問的な
発想﹂であるとし、﹁ヘジョンサはすでにヘジョンサとして存在するのみ﹂︵『朝鮮日報』二月一九日︶と反批判した。
ハンギル社は『再認識』の出版によって『認識』に対する関心が高まっていると見て、絶版となっていた『認識』の
第二巻~第五巻を、二〇〇六年三月から再出版することにした︵『連合ニュース』三月三一日︶。
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二 本の構成
以下は、各論文の内容を簡単に紹介し、コメント︵▲︶をつけた。
︻朴枝香﹁はしがき﹂︼論文集の全体にかかわる性格を持っているので、内容については後述する。
▲崔元植は﹁はしがき﹂について、﹁見解が異なるからではなく、論理の分裂で論述が整っていないから﹂、﹁読み
取るのが難しい﹂と批判している︵崔元植、前掲論文︶。朴枝香は『認識』の問題点として﹁左派﹂と﹁民族主義﹂
をあげているが、まず、﹁民族主義﹂に対して批判してから、論理の展開上﹁左派﹂的性格に対して批判すべき地点
に来て﹁『認識』で現れた歴史解釈を憂慮する理由は、それが﹁左派的﹂であるからではない﹂︵第一巻、一四頁︶と
述べており、論述がやや乱れている部分が見受けられるが、崔元植の指摘はおそらくそこに向けられていると考えら
れる。
○第一部・植民地下における日常の生
︻李榮薰﹁なぜ再び解放前後史なのか﹂︼論文集の全体にかかわる性格を持っているので、内容については後述する。
︻韓壽永﹁ハバクンから黄金狂まで―蔡萬植の小説に現れた植民地社会の投機熱風―︼『濁流』・『金の情熱』な ど蔡萬植の小説を分析し、﹁米豆﹂︹空米相場―洪︺と﹁金鉱﹂に代表される一九二〇~三〇年代の朝鮮社会の投機
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熱を描いている。投機に盲進する人々の存在は、宗主国である日本の経済と社会に対して従属的位置に留まるしかな
い朝鮮経済の特殊性を物語るが、一方﹁資本主義﹂を学習する過程で経験しなければならなかった厳しい﹁通過儀礼﹂
として考えることもできる、と分析している。
︻朱益鍾﹁植民地時期の生活水準﹂︼一九一二~三九年の間、一人当たりの所得増加率が年二・三%、消費支出増加
率が年一・九%だったのは、朝鮮社会が持続的成長の局面、つまり近代経済の成長に突入していたことを物語ると主
張している。経済全体が成長する状況の中で、朝鮮人の所得や消費も共に増加したことを論証し、経済成長の利益が
すべて日本人の利益に帰したという従来の議論は成立しないと批判している。また、階層別には農業労働者および非
熟練労働者グループの生活水準は停滞していたが、近代工業部門の労働者、熟練建設労働者、農林魚業の自営業者な
どの生活水準は向上したと説明している。穀物の消費は減少したが、穀物以外の食品消費は増加し、全体の食料消費
は殆ど減少しなかったことを明らかにしている。身長の場合、一九二〇年代の出生者までは漸次的に伸びており、
一九三〇年代の出生者は明確な傾向は示していないが、たとえ停滞していたとしても、それは青少年期である
一九四〇年代の栄養失調に起因する可能性があると指摘している。結論的に植民地期の朝鮮人の生活水準は向上した
と主張している。
︻イ・チョル﹁日帝下の法治と権力﹂︼従来の法制研究の場合、抑圧と収奪の側面のみに注目し、それを目的論的か
つ当為論的に想定された近代像に照らしあわせて評価する傾向があると批判している。同化と抵抗を対立的に把握す
るよりは、同化の論理が支配の不整合性を露出し、抵抗が逆に支配を再生産するという﹁抵抗と協力の弁証法﹂を綿
密に分析しなければならないと主張している。植民地で行われた専制政治は、文明を一時保留したのではなく、文明
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化の一部であると、注目しなければならないのは、社会の隅々まで染み込み社会を総体的に管理し運営する国家の役
割とその権力の密集性であり、それこそ近代であると、説明している。一方、国体を万世不変の日本の精神や伝統と
して説明する以上、治安維持法は他の社会では類を見ない独特なものであり、精神主義による法と倫理との錯綜を示
していたと指摘している。また、低い水準の法律サービスと植民地司法に対する拒否感などの制約要因が存在したに
もかかわらず、裁判所の利用度は予想より低くなかったことを明らかにしている。国家が媒介組織を通じて市民社会
に介入する組合主義の戦略が所々で見受けられるなど、日本の植民地支配ほど全社会を組織化した例を見るのは難し
いと分析している。
︻金洛年﹁植民地時期の工業化再論﹂︼既存研究には、戦時期に本格化した軍需工業化や国家主導的要素などを無理
やりそれ以前の時期にまで拡大適用しようとする問題点があると指摘している。とくに開発国家論は、一九六〇~
七〇年代の朴正熙政権の高度成長を説明するための﹁強い国家﹂論を、植民地時期にそのまま投影する問題があると
指摘している。政策よりは市場の拡大が工業化を牽引した側面に注目し、工業資金がどのように調達されたかに焦点
を合わせている。植民地時期に農業︵米︶が輸出産業化することによって、工業製品の輸入が増大し、朝鮮内の工業
製品市場が速いテンポで拡大していったと分析している。最初は輸入に依存して工業製品消費が増えたが、次第に日
本からの直接投資あるいは朝鮮内の資本による朝鮮内の生産が増え、輸入代替が起きたと分析している。朴正熙政権
と植民地期との間に挟まれた時期についての議論が充分ではないことから、植民地の物的・人的遺産がなぜ一五年間
も表面化せず潜在し、朴正熙政権になって急に発現されたのかを疑問視し、経路依存性を認めながらも、抽象的な連
続論を警戒している。
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︻申明直﹁植民地近代都市の日常と漫文漫画﹂︼近代への強い誘惑と、その誘惑を決して満たせない植民地の現実と
の狭間で、京城の風景が揺らいでいたことに注目して、﹁植民地近代﹂の二重性格を告発している。
▲しかし、植民地朝鮮での近代化は、引き続き歪曲した近代の形だけを作り出したという説明は、植民地と近代を
対立的に把握しているという点で、﹁植民地近代﹂論の問題意識からやや離れているように思われる。植民地性を前
近代的あるいは反近代的なものと見なす伝統的な視角へ逆戻りしないためには、﹁植民地=近代﹂という立場を堅持
することが重要であろう。一方、編者の李榮薰がこの論文を、﹁近代文明それ自体の二重性を、植民地を口実に誇張し﹂
ていると批判しているように︵第二巻、六四一頁︶、植民地性そのものを無視する立場が存在する状況で、植民地が
持つ固有の問題性の解読も求められている。
○第二部・植民地下における女性の生
︻藤永壯﹁上海の日本軍慰安所と朝鮮人﹂︼上海の料理屋が海軍慰安所として指定された例などに対する分析を通し
て、日本型買売春のメカニズムの存在が、慰安所の設置をめぐる過程で、どのように関わっていたかを検討している。
一九三〇~四〇年代における朝鮮人﹁接客婦﹂の実態、朝鮮人による風俗営業・慰安所の経営状況、そして慰安所経
営者たちが戦後に朝鮮人女性の救済と帰還のために努力した事実などを紹介し、親日か抵抗かという構図をのり越え
る豊富な歴史像を提供している。上海における慰安所の具体的な実態を掘り下げて、朝鮮人による風俗営業と﹁接客
婦﹂=植民地型﹁からゆきさん﹂を出現させた日本型買売春のメカニズムを、慰安所制度を作り出し、また朝鮮人慰
安婦の強制連行を必然化した根本要因として指摘している。
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︻チェ・ギョンヒ﹁親日文学の異なる次元―ジェンダーと『野菊抄』―﹂︼崔貞熙の短編小説『野菊抄』︵『国民
文学』一九四二年一一月︶を分析し、親日協力の宣伝的物語の裏に、自己決定権への欲望をエトスとする新女性の姿
が、下位テキストとして取り込まれていることを明らかにしている。植民地の時空間で、片親の母である主人公が息
子を志願兵として送ることを決めたことについて、伝統の空間で私生児として粗末な待遇を受けるよりは、帝国の空
間で嫡子として暮らす方が良い、という論理であると分析している。『野菊抄』について、家父長的な伝統を原初的フェ
ミニズムの視角で批判するだけではなく、植民地朝鮮のエリート男性の無責任さと薄弱さに対する暗示的批判にまで
至っていると評価している。
▲これに対して崔元植は、親日の嫌疑に対する過剰保護だと指摘し、むしろジェンダーをてこにした絶妙な自己弁
明に閉じ込められていると見るのが、より実状に近いのではないかと指摘している︵崔元植、前掲論文︶。
︻ソ・ジョンヒ﹁教育を受けて自立した自我実現を熱望したが:朝鮮人﹁慰安婦﹂と挺身隊に関する﹁個人中心﹂
の批判人類学的考察﹂︼慰安婦出身者の証言を分析し、彼女たちの悲劇の背景には、伝統的家父長的社会における少
女と女性に対する基本的な人権︵教育を受ける権利のような︶の剥奪を容認する慣行が存在していた点を指摘してい
る。そして、慰安婦女性と挺身隊を専ら日本の植民地主義の犠牲者として描写する韓国の民族主義的修辞を超えなけ
ればならないと主張している。
▲類似した問題意識に基づきながらも、韓国の民族主義的修辞をあえて批判しない藤永論文と比較される。
○第三部・植民地下の知識人の生
洪 宗 郁 450 ︻金哲﹁没落する新生―﹁満洲﹂の夢と『農軍』の誤読―﹂︼『農軍』について、作家李泰俊が軽薄なモダニス
トから民族の現実を通観するリアリスト作家へと変身した証明として評価してきた既存の研究を批判し、﹁満洲経営﹂
という﹁国策﹂に積極的に応えた小説であり、小説の内容もまた、無誠意かつ不誠実な作品だと主張している。朝鮮
人の満洲移民が日本帝国主義の尖兵として機能した側面を取り上げて、『農軍』はその先行テキストである『移民部
落見聞記』とともに、﹁王道楽土﹂と﹁五族協和﹂に基づく﹁満洲イデオロギー﹂の文学的具現であったと分析して
いる。
▲これに対し崔元植は、﹁満洲ブーム﹂に意識的・無意識的に便乗しながらも植民地民衆の艱難を発信する、とい
う重層的な物語の苦境を表現した作品として評価すべきであると主張している︵崔元植、前掲論文︶。英文学者の李
昇烈は、金哲の脱植民地主義的な読み方は、結局、民族主体の解体を志向していると評価し、専ら帝国の観点で民族
の機能を理論的に観察する作業に没頭した結果、まさに強者の観点のために弱者を慎重に読み取れなくなっていると
批判した︵李昇烈﹁解放の文明史のために―『解放前後史の再認識』を読んで―﹂『緑色評論』八八、二〇〇六年
五月︶。李昇烈によると、かつて林和は『農軍』のなかに民族主体が形成される様相を見出そうとした。戦後の南北
朝鮮の社会に残した影響を考えると、朝鮮人の満洲経験は単純に親日か反日かで済む問題ではない。親日小説『野菊
抄』からジェンダーの視点を読み取るように、﹁親日小説﹂である『農軍』を他の方法で、たとえば﹁満洲経験﹂と
いう観点から読み直すことはできないだろうか。
︻趙寛子﹁﹁民族の力﹂を欲望した﹁親日ナショナリスト﹂李光洙﹂︼李光洙にとって服従すべき究極の原理は、朝
鮮民族の力を養い国民国家を完成することであったと把握している。しかし、国家の立法権力と民族が一致しない状
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況で、公権力は国民を構成する諸民族に対して﹁主体=臣民﹂になることを要請し、李光洙はこれを受け入れること
で皇国臣民の忠実な啓蒙家になったと分析している。すなわち、親日勢力の植民地ナショナリズムについて、朝鮮人
も帝国日本の主体=臣民になるというナショナリズムの一形態を定立したものと評価している。
▲この論文も収録されている趙寛子氏の最近の著書については、拙稿﹁書評:趙寛子『植民地朝鮮/帝国日本の文
化連環―ナショナリズムと反復する植民地主義―』︵有志舎、二〇〇七年︶﹂『社会科学』八一︵同志社大学人文
科学研究所、二〇〇八年七月︶を参照していただきたい。
︻李惠鈴﹁ハングル運動と近代メディア﹂︼朝鮮語学会のハングル運動が、総督府の第三次諺文綴字法改正を契機に
実践上の権威を得るようになったことに注目して、ハングル運動の担い手たちが、文字改革を始めとする言語政策の
最も強力な主体として国家権力を想定していたと分析している。朝鮮語学会が理念を超越した幅広い支持を得ること
ができたのは、﹁科学﹂・﹁専門性﹂の言説が作用したためであると主張している。学校・教会・新聞社のように中央
集権型の統制力を持つ組織自体が、一種のメディア的機能を果す近代的システムであり、その最高の形態が他ならぬ
国家だとすれば、朝鮮語学会のハングル運動が成し遂げた成果は、近代的な言語改革のメカニズムを見抜いたことに
あると分析している。
○第四部・断絶と連続
︻カーター・J・エッカート﹁植民地末期における朝鮮の総力戦・工業化・社会変化﹂︼戦争準備から日中戦争と太
平洋戦争に至る過程で、朝鮮の経済と社会が大きく再編されたと見ている。多くの工場が分断により喪失され、また
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朝鮮戦争の渦中で破壊されたが、基本的な産業関連の社会資本は残り、それが一九五〇年代の経済復興と一九六〇年
代の工業化の基盤となったと分析している。そして、植民地支配の最後の一五年間が残した社会的遺産も重要であり、
朴正熙と軍事政権を含めて、一九六〇年代と一九七〇年代初めの急速な発展をリードした社会勢力の大部分は、その
起源を植民地末期に求めることができると分析している。
▲近代史研究者の鄭炳昱は、エッカートの連続論について、植民地と独立国との差異が注意深く考慮されていない
と批判している。たとえば、朝鮮殖産銀行員の多くは個人的成就への意欲が強く、一種のエリート意識を持っていた
が、植民地期には個人的成就︵就職︶と社会的・民族的評判︵附日協力︶との不一致で困惑していたのに対して、解
放はこのような苦境から抜け出す機会を提供したと評価している︵『教授新聞』三月一〇日︶。これに対し朱益鍾は、
今日の韓国社会に朝鮮時代の跡が残っているように、同じく今日の韓国社会に植民地の跡が残っていると説明してい
るが︵『教授新聞』四月四日︶、これはエッカートの起源論に対する適切な弁論になっていない。
︻並木真人﹁植民地期における朝鮮人の政治参与―解放後史と関連して―﹂︼国民国家の存在を暗黙のうちに前
提する既存の政治史を、そのまま植民地に適用することは困難であると主張している。一九三〇年代半ば以降、少な
くとも国内では民族運動を通じて政治に参加する道が鎖された状況で、総督府の朝鮮人職員、教員の数が急速に増加
し、朝鮮人議員の数も太平洋戦争直前には約二万三千余名に達し、朝鮮人自ら対日協力を再生産し構造化する局面に
到達したと分析している。対日協力の類型を、明確な目的意識を持つ思想的イデオローグと近代的テクノクラートに
分類し、また、積極的・消極的に植民地支配に参加して、その中で抵抗の可能性を見出そうとしたと分析している。
そして、社会的上昇を試みる人々に同族抹殺政策の推進者になることを強要したという点で、日本の植民地支配の非
453 朴枝香・金哲・金一榮・李榮薰編『解放前後史の再認識』
人道的実態を確認することができると主張している。また、イデオローグ型の対日協力が親日行為として断罪された
のに対して、技術者・教育者などテクノクラート型の対日協力は免罪された事実は、近代国家建設に直面し、解放前
に創出された人的資源を活用しなければならないという社会的合意があったことを物語ると分析している。
︻辛炯基﹁﹁新人間﹂―解放直後の北朝鮮文学が描き出す動員の形状―﹂︼戦後の北朝鮮で﹁人間中心主義﹂によっ
て包まれた﹁革命的新人間﹂は、植民地期後半において総力戦体制が要求した﹁革新した国民﹂と連続性を持ってい
たと分析している。
▲労働規律を内面化し全面的に動員化・組織化される農民の像と関連して、李泰俊がソ連の社会から﹁新しい人間﹂
を発見して礼賛したという説明があるが、小説『農軍』に描かれていた新しい主体としての農民のイメージとの連続
性も考えられるべきではないか。
︻木村光彦﹁ファシズムから共産主義へ―北朝鮮の集散主義経済政策の連続性と発展―﹂︼ファシズムと共産主
義の類似性に関する議論を前提に、植民地期と北朝鮮の間で、とくに経済政策における農地に対する厳格な国家統制
および公正価格制の実施などの強い連続性が見えると主張している。自由経済を固守して戦時体制から大きく逸脱し
た韓国とは対照的だと評価している。
▲これに対して崔元植は、﹁共産主義ロシアと国家社会主義ドイツの二つの体制の間にある悪しき類似性﹂をもっ
て、﹁スターリン主義と日本の天皇制ファシズムという二つのイデオロギーの混合が北朝鮮の経済政策の主流を形成
した﹂という結論を導くのは、﹁スマートな解体論﹂に過ぎないと批判している︵崔元植、前掲論文︶。一方、
一九六〇~七〇年代の韓国で行われた国家主導の経済開発を﹁戦時体制から大きく逸脱した﹂ものと見ることができ
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るかは疑問である。
○第五部・解放空間
︻李庭植﹁冷戦の展開過程と韓半島分断の固着化―スターリンの韓半島政策、一九四五―﹂︼一九四五年九月か
ら一〇月にかけてロンドンで開かれた戦勝国の外相会議について、米ソ間の協調関係に終止符を打って冷戦時代を開
いた重大な契機と評価している。その後スターリンは、アメリカとの協力ないし妥協を諦め、中国にソ連に依存する
政治体制を立てることを志向すると同時に、北朝鮮にも﹁ブルジョア民主主義政権を樹立すること﹂を指示し、一〇
月に入って﹁以北五道行政委員会﹂と﹁朝鮮共産党北朝鮮分局﹂が設置されることになったと分析している。
▲朝鮮半島の分断が固定化する過程でソ連の影響を絶対的なものと見なすこのような視角は、ある意味、修正主義
以前の伝統主義への回帰であり、果たして﹁認識﹂を超えた﹁再認識﹂と言えるかは疑問である。
︻李完範﹁解放直後における国内政治勢力とアメリカとの関係、一九四五~一九四八﹂︼分断が形成・維持された原
因について、内因と外因のうち片方を排他的に強調するのではなく、両方を有機的に結合した複合論的認識を持つべ
きだと主張している。﹁建国準備委員会﹂については外部的な力の空白期に発現した民族内部の力として把握してい
る。そして、米軍政の場合、初期の韓民党など保守主義者に対する支援から、一九四六年の中間派に対する支援、再
び第二次米ソ共同委員会決裂後の右派に対する支援へと、政策変化があったと説明している。結局、外部勢力︵外因︶
と外部勢力を背負い込む国内政治指導者︵内因︶が能動的に結合した結果、民族分断の対内外的構造は国際的性格が
優勢した複合型に帰結し、その後六〇年間の歴史は、外的規定力に立ち向かって内的自発性を獲得していく過程で
455 朴枝香・金哲・金一榮・李榮薰編『解放前後史の再認識』
あったと評価している。
︻朴枝香﹁韓国の労働運動とアメリカ、一九四五~一九五〇﹂︼米軍政の労働政策について、初期の抑圧的な政策か
ら、一九四六年の夏以降の﹁朝鮮労働組合全国評議会︵以下全評︶﹂を体制内に引き込むための宥和政策へ、変化があっ
たと説明する。社会全体が政治と繋がっていた解放直後の韓国で、労働運動だけが政治と分離し経済主義的組合運動
として展開することはできなかったことから、アメリカの構想は無理があったし、韓国人が何故これほど政治的だっ
たのかに関する理解が欠けていたと評価している。再び弾圧が始まったのは、共産党の﹁新戦術﹂の影響で全評が強
硬路線へ転換したためであると分析している。
▲韓国において技術者の人的資源が﹁完全な真空状態﹂にあるという米軍政の診断を紹介しているが、これは、植
民地期に朝鮮人技術者の数や技術水準において相当な発展があった、という一部の主張とは正反対の内容であるので
印象的である。一方この論文に対してノルウェーのオスロ大学の朴露子は、米軍政の史料だけに依存して全評会議録、
左派新聞などを疎かにしていると指摘している。また、自由民主主義を標榜するこの本の共著者たちなら、手続き民
主主義の次元に着目して全評を批判的に解剖することを期待したが、実際は、マクロな国際政治、国家的レベルでの
改革、経済政策だけに焦点が合わせられていると批判した︵朴露子﹁解放前後史の再認識、あるいはわれわれはなぜ
歴史を語るのか﹂『人物と思想』九八、二〇〇六年六月︶。
︻全相仁﹁解放空間の社会史﹂︼日常史について、反復性と安定性を特徴とする私的な領域ではなく、﹁﹁小さな人々﹂
が経験する︵特定の︶﹁体制﹂の歴史﹂という点で、むしろ﹁高度に政治的なもの﹂として理解している。
▲証言、新聞資料などを豊富に駆使し、解放直後の社会風景を立体的に描写することに成功している。しかし、﹁結
洪 宗 郁 456
局、解放空間で近代的意味の市民社会と階級社会が充分に成長を成し遂げなかったのは、普通の人々の社会意識の中
に前近代的性格のアイデンティティが残っているため﹂という叙述は、論証できる性質のものではないと考えられる。
○第六部・朝鮮戦争と韓米同盟
︻金暎浩﹁朝鮮戦争の原因の国際政治的再解釈―スターリンの巻 ロールバックき返し理論―﹂︼カミングスの内戦論を批判し、
朝鮮戦争の原因をスターリンの巻き返し戦略に求めている。一九五〇年一月二二日に、スターリンが毛沢東に新しい
同盟条約の締結を通報した事実を、アメリカとの冷戦対決で決定的な勝利を収めるために、ヤルタ協定によって成立
したアジアの状況を改変させた重大な政策変化として評価している。そして一九五〇年一月三〇日にスターリンに
よって金日成の南侵が承認され、また一九五〇年の四月と五月の金日成のスターリンおよび毛沢東との会談によっ
て、共産圏の三国の間で共助体制が構築されたと説明している。数百万の死傷者が発生するほど朝鮮戦争が激しく
なったのは、冷戦対決で決定的な勝利を収めるために、両超強大国が相互に巻き返しを図りながら、一歩も譲らない
対決を繰り広げたためであると説明している。
▲現代史研究者のイ・ジェフンは、このような主張を、修正主義的な視角に疑問を持って、一層洗練された姿で伝
統主義的な見解を標榜したものと分析している。また、伝統主義と修正主義の拮抗関係に基盤を置いた国際政治史的
なアプローチや起源などに対する過度な強調などが克服され、国内政治に着目するアプローチ・社会学的アプローチ・
文化論的アプローチなど、より多様な主題に対する深層的な探求が行われている最近の研究傾向に照らしてみると、
スターリン主導説は、歴史の有機性と多層性という側面からもう一度再検討される必要があると批判している︵『教
457 朴枝香・金哲・金一榮・李榮薰編『解放前後史の再認識』
授新聞』三月九日︶。
︻金一榮﹁戦時政治の再照明―釜山政治波動の多次元性についての複合的な理解―﹂︼朝鮮戦争期の政治につい
て、改憲の方向をめぐって内閣制と大統領直選制が対立する一方、戦争政策をめぐる米韓間の葛藤という国際的な側
面も内包していたと評価している。そして釜山政治波動と抜粋改憲については、議会に追われる立場を反転させよう
とした李承晩の戦時政治学の真骨頂として把握している。李承晩が直選制改憲の貫徹を自分の北進統一論の実現と結
びつけて考えていたという点を指摘し、李承晩について、休戦協定に同意する代わりに米韓相互防衛条約の締結を引
き出した点で、政治を戦争政策の延長線上で理解していた唯一の政治家として評価している。
▲これに対して洪錫律は、アメリカが李承晩を追い出して張勉と野党勢力を擁立しようとしたということを前提に
して論旨を展開していると批判し、アメリカの意見は単一なものではなく、釜山政治波動はむしろ国連軍の戦争遂行
に否定的な影響を及ぼしたと指摘している。また、政治的葛藤を政争の次元を超える大統領制と内閣責任制をめぐる
政策対立として見ることは良いが、独裁と民主という物差し自体を分析から排除することは過ちであると批判してい
る︵『教授新聞』三月九日︶。これに対して金一榮は、道徳的な観点で李承晩を非難する既存の研究を克服しようとし
ただけであり、独裁と民主という次元を排除したことはないと反論している。そして、李承晩側の記録を見ると、李
承晩は終始一貫、戦争政策をめぐってアメリカと対立している自分と、アメリカの影響力の下にある野党および国会
との戦い、という構図を持っていたと反論している︵『教授新聞』四月四日︶。
︻車相哲﹁李承晩と一九五〇年代の韓米同盟﹂︼米韓相互防衛条約は、休戦をめぐる米韓間の葛藤を打開できる唯一
の方策だったと評価している。米韓相互防衛条約の締結で、アイゼンハワーは、休戦を成立させ李承晩の単独北進武
洪 宗 郁 458
力統一を牽制することに成功し、一方、李承晩は、共産主義勢力と日本の膨脹主義から脅威を受けている韓国の安全
保障をアメリカに負担させることに成功したと分析している。北進統一論は、実現されるためには現実的な制約も多
かったが、韓国の対米交渉とアメリカの対共産圏交渉に有利な条件を造成するための戦略であったと分析している。
また、米韓相互防衛条約の締結に成功したことから、李承晩を徹底的な知米・用米主義者として評価している。
○第七部・農地改革と農村社会
︻金一榮﹁農地改革をめぐる神話の解体﹂︼農地改革をめぐって、︵一︶朝鮮戦争の勃発の前には農地が分配されなかっ
た、︵二︶一九五〇年の五・三〇選挙で単独政府派全体が危機に陥って中間派が院内に多数進出した、︵三︶北朝鮮は、
占領した地域で土地改革を断行し、農民から相当の支持を得た、という三つの神話が存在すると批判している。これ
に対して、︵一︶李承晩は政府樹立の初期から農地改革と帰属財産の払下げに積極的だった、︵二︶一九五〇年三月か
ら五月の間に農地全体の七〇~八〇%の分配が断行された、︵三︶一九五〇年の五・三〇選挙における地主勢力を代弁
する民国党の敗北は農地分配の結果だった、︵四︶農地の分配を受けた農民たちは戦争前からすでに保守化しており、
この小農が一九五〇年代における李承晩の支持基盤となった、︵五︶地主の没落と政治に依存する資本家の登場、そ
して農民の保守化は、議会に対する行政府の優位と社会に対する国家の優位をもたらすきっかけになったと主張して
いる。
︻張矢遠﹁農地改革―地主制解体と自作農体制の成立―﹂︼農地改革について、農民の貧困と農業生産の停滞性
をそのまま温存させたという消極的イメージをこえて、地主制の解体=自作農体制の成立は、小農民経営を小作料負
459 朴枝香・金哲・金一榮・李榮薰編『解放前後史の再認識』
担と耕作権の不安定な状態から解放させることで、農業発展の新しい可能性を開いたと評価している。一方、戦後に
世界史的に展開された土地改革は、農業の資本主義化ないし社会主義的農業集団化を基準にして評価されてきたが、
現実的に戦後農民経営の世界史的成り行きはむしろ﹁近代的な機械制小経営﹂に収斂していることに鑑みると、韓国
の農地改革はその基本方向において﹁小経営的改革﹂を志向することで、小農民経営の連続的発展に寄与したと分析
している。そして﹁零細過小農﹂の問題も、実は農地改革自体の限界というよりは、むしろその後の農業政策との関
連で論議されなければならないと主張している。
︻李萬甲﹁一九五〇年代韓国農村の社会構造﹂︼一九五八年八月から一二月にわたって京畿道広州郡と竜仁郡に属す
る六個洞里の社会的実態を、住民との面談方式で詳しく調査した研究報告から、社会分野、特に洞里民の身分関係と
団体活動に焦点を合わせた部分を抜粋したものである。過去の社会制度を形成した血縁・身分・階層、すなわち同族
結合関係・身分関係・経済的階級関係が相変らず残っていることを明らかにしている。李榮薰は解説を通じて、人々
の精神を一つにする紐帯としての宗教が不在であり、社会の諸関係を規定して持続させる団体や結社も欠けている点
から、一九五〇年代の人々を孤独な群衆として説明している。そしてこれを、グレゴリー・ヘンダーソンが、韓国社
会を﹁大衆の非定型性と社会的諸関係における孤独を特色とする大衆社会﹂と規定し、中央権力によって容易に動員
される政治行動について﹁渦巻型の政治﹂と概念化したことと一致するものと評価している。
▲崔元植は、李萬甲の先駆的な業績に接することができたのが『再認識』を読んで得た収穫の一つであると述べた
後、一九五〇年代が相変らず﹁伝統社会﹂だったとすれば、植民地近代化論もまた机上で構成された過剰決定の言説
ではないかという感想を披瀝した︵崔元植、前掲論文︶。
洪 宗 郁 460
○第八部・失われた一〇年を探して
︻柳永益﹁巨視的に見た一九五〇年代の歴史―南韓の変化を中心に―﹂︼現代史に対する否定的な評価を批判し、
これを発展的に見なければならないと述べている。一九五〇年代について、アメリカと緊密な紐帯を結ぶことによっ
て﹁西欧中心の世界秩序﹂の中に本格的に進出した時期であり、議会・政党・選挙などデモクラシー政治の基本制度
を形式的でありながら﹁保存・実験﹂し、経済的な面においても農地改革・アメリカの経済援助・資本主義的な企業
家の成長が実現した時期として肯定的に評価している。何よりも私有財産の保護および自由競争を土台にする資本主
義の経済原則の確立を高く評価している。
▲ただし、﹁日帝﹂が三六年間韓国民を愚民政策をもって統治した結果、韓国民衆の教育は後退したが、大韓民国
の樹立後に教育の機会は遥かに拡がり、とくに﹁民主・民族・科学﹂教育を通じて新しい価値観を持つ世代を大量に
輩出することで、﹁民族の対外的な従属を克服することができる力量を備蓄した﹂という説明は、脱民族主義を強調
する編集意図とはややずれているように思われる。
︻禹貞恩﹁非合理性の裏面の合理性を探して―李承晩時代における輸入代替産業化の政治経済学―﹂︼冷戦体制
の中でアメリカとしては、自由主義的で従属的な国家の代わりに、﹁強い封鎖国家﹂が出現することを容認するしか
なかったが、それを利用したのが李承晩であると分析している。李承晩の推進した輸入代替産業化についても、東北
アジア地域において援助資源を循環させることで戦後の再建計画を調整しようとしたアメリカの意図に反して、日本
の影響力を遮断しようとする一種の自己防衛的産業化であったと評価している。しかし、一九五七年、ワシントンの
461 朴枝香・金哲・金一榮・李榮薰編『解放前後史の再認識』
対外援助の政策が、安全保障問題だけを念頭に置く方向から、経済開発と近代化の問題を全体的に見る方向へ変化す
るにつれて、李承晩式の政治経済学は成り立たなくなったと分析している。
︻李哲淳﹁一九五〇年代後半におけるアメリカの対韓政策﹂︼アメリカの対韓政策の本質は、健全な経済ではなく﹁安
全保障﹂であったが、一九五六年頃からアメリカの政策決定者たちは、共産圏の脅威を、軍事的脅威だけではなく、
アメリカの同盟国︵韓国など︶の内部的不安定を狙う政治・経済的脅威として把握するようになったと分析している。
すなわち、第三世界に対する経済中心的な思考は、安全保障的な考慮で導き出されたものであり、従って、安全保障
から経済へではなく、対外安全保障中心の政策から対内安全保障と対外安全保障との均衡をとる政策へ旋回したもの
と説明している。アメリカは、経済開発計画の樹立を助けるなど、韓国の対内安全保障を強化するために長期的な安
定を目指す一種の改革的介入政策を追い求めたが、一九五九年の国家保安法の改定・曺奉岩の死刑執行などを契機に、
李承晩政権との絶縁政策を取るようになったと分析している。
○第九部・対談
論文集全体にかかわる性格を持っているので内容については後述する。
三 いくつかの論点
洪 宗 郁 462
︵一︶ 民族主義か愛国心か
朴枝香は、民族主義と愛国心を区分しなければならないと言い、﹁愛国心は互に衝突する必要がないのに反して、
民族主義は排他的﹂であると﹁定義﹂し︵第二巻、六八二頁︶、﹁民族主義︵nationalism︶﹂ではなく﹁健全な愛国主 義︵patriotism︶﹂を志向しなければならないと主張している︵『朝鮮日報』二月九日︶。李榮薰も、国家を﹁文明の象徴﹂
と称揚する一方、民族については、その﹁深い隅には低い水準の統合として野蛮と言える氏族が居座っている﹂と否
定的に評価している︵第一巻、五六頁︶。
こうした﹁国家=文明﹂、﹁民族=野蛮﹂の構図からは、第三世界の民族主義と自国の愛国心を強烈に対比させるア
メリカの発想が思い浮かぶ。韓国の近現代史を振り返る時、このようにきれいに民族と国家を対比させる構図が有効
性を持つかは疑問である。すなわち、果たして李承晩と朴正熙の志向を国家主義のみで説明することができるか、あ
るいはその中で﹁野蛮﹂な民族主義の要素をなくして、﹁文明﹂的な国家主義の側面のみを継承することが可能なの
かは疑問である。
一方、論文集の中では異なる傾向の考えも散見される。もっとも目につくものは柳永益の論文である。﹁民族の対
外的従属を克服﹂などの表現は、編者としては戸惑いを覚えるだろうが、むしろ韓国社会の実態に近い叙述ではない
かと考えられる。李榮薰自身も﹁日帝の植民地支配による韓国人の消滅危機﹂のなかで﹁韓民族は日帝の対立物とし
て成立﹂したと述べている︵第一巻、三三頁︶。だとすれば、﹁はしがき﹂、総論にあたる李榮薰の論文、そして﹁対談﹂
で、編者たちが示している外部の視点から民族主義を見下す見解は、論文集に収録されている個々の論文の性格と必
ずしも一致しているとは言えないし、むしろ極論という印象さえ与えるものである。
463 朴枝香・金哲・金一榮・李榮薰編『解放前後史の再認識』
現代史研究者の朴泰均は『再認識』ついて、﹁植民地時期に関する論議はおおよそ﹁脱民族、脱国家﹂の論理を示
している反面、解放後に関する論議は、あまりにも民族主義的であり、国家主義的である﹂と批判している︵『教授
新聞』四月二二日︶。李榮薰は民族主義の弊害から脱そうとして国家主義を擁護していると思われるが、彼が言って
いる﹁国づくり﹂の過程は、同時に﹁民族づくり﹂の過程でもあったのである。
民族主義を最初から悪として決めておいて話を進めるよりは、なぜ民族主義がこれほど強烈に韓国人たちを虜にし
たのかについて歴史的分析を行うことが重要である。すなわち、民族主義に対する内在的批判が必要である。﹁普通
は民族主義と愛国主義を混同﹂︵朴枝香、第二巻、六八二頁︶していると残念に思うよりは、なぜそうした混同が起
こることになったかを分析することが歴史学の本領ではないかと思われる。
一方、季刊誌『歴史批評』の編集主幹である林大植は、『再認識』について、﹁ニューライトの流れが脱民族を強調
しているため、反日民族主義が強く残存している相当数の保守勢力の正典として受け入れられることは容易ではな
い﹂と展望した︵林大植﹁歴史問題研究所創立二〇周年を迎えて―『解放前後史の再認識』を開いてみた後の若干 の所懐―﹂『歴史批評』七四、二〇〇六年二月︶。『連合ニュース』の金台植記者も、﹁民族を至上の絶対善と見なす
民族主義から自由なメディアはない﹂という点で、﹁メディアはもちろん学界の知識人も、『再認識』が表明した﹁脱
民族主義﹂は脱却させたまま、相手に対する攻撃の口実として利用﹂しているだけだと分析した︵『連合ニュース』
二月一〇日︶。
そして、メディア批評の専門誌である『メディア・オヌル』は、『再認識』の歴史観について大々的な歓迎を表明
した『東亜日報』が、二〇〇六年三月三〇日の創刊八六周年の特集を通して、植民地期にハングルの普及運動に参加
洪 宗 郁 464
していた自社の歴史を大きく宣伝し、また、白頭山の天池の写真が掲載された自社の一九二一年八月二九日の紙面を
転載したのは、矛盾であると指摘した︵『メディア・オヌル』四月九日︶。﹁ハングル運動﹂と﹁白頭山﹂については、
『再認識』の李惠鈴論文と李榮薰論文において、それぞれ民族主義の象徴あるいは神話として厳しく批判されている。
︵二︶ 近代と脱近代
李榮薰は、﹁日帝が退いたとき、自律的な市民社会はほとんど成立しておらず﹂、﹁ある面では国家以前の﹁万人が
万人に対して狼﹂である野蛮状態が助長された﹂と見て、それを﹁伝統小農社会に潜在している野蛮性﹂と関連づけ
て理解している︵第一巻、六〇~六一頁︶。解放直後を﹁放縦と無秩序﹂と描いている朴枝香の分析とも一脈相通ず
る内容である︵第一巻、一九頁︶。こうした認識が﹁朝鮮戦争の前まで両側で行使された体制暴力は、文明史の広い
視角から見ると、ほぼ避けられない運命﹂︵李榮薰、第一巻、六二頁︶だったという論理へつながるが、文明対野蛮
の構図がこれほど露骨に表れているのは、驚くべきことである。
﹁二一世紀初めの現在でも韓国人の精神世界は、近代社会を先に成立させた西ヨーロッパで一般的に観察される合
理主義や経験主義、多元主義に基づく思考方式に慣れていない。韓国人の精神世界は、依然として中世的な善悪史観
や根本主義の罠に陥っている﹂︵第一巻、五三頁︶という李榮薰の分析は、李光洙の民族改造論を連想させる。そし
て李榮薰は、李光洙と同様、文明=国家への欲望を強く表している。
李榮薰の強力な文明=近代への志向の背後には、﹁分別力のある利己心を本性とするホモ・エコノミクス﹂︵第一巻、
五五頁︶に対する信念が存在している。しかし、﹁われらには本当に個人というものが存在できない雰囲気があります﹂
465 朴枝香・金哲・金一榮・李榮薰編『解放前後史の再認識』
︵朴枝香、第二巻、六三八頁︶、﹁市民社会をまともに形成してきた、個人が独立してきた、過程がないため﹂︵金一榮、
第二巻、六四〇頁︶などの言及を見ると、そうした﹁本性﹂を持っていない韓国人の歴史的現実を、編者たちがいか
に理解しているかは不明である。
編者たちの﹁近代﹂に対する憧れは、あまりにも露骨なものであって、﹁近代批判﹂が声高に主張される今日の状
況から見ると、むしろ奇異に感じられる側面さえある。ここでは、﹁李榮薰が列挙しているいわゆる文明の諸要素は、
ともすれば近代文明の世界では永遠に到来しない虚構的かつ観念的な価値に過ぎないかもしれない﹂、﹁今日、荒廃し
た都市の貧民街や農村を覗いてみると、近代の豊饒がどこに由来するかが推量できる﹂という李昇烈の批判を紹介す
ることに止めておきたい︵李昇烈、前掲論文︶。
林大植は、こうした近代への憧れをニューライト運動と関連づけて、﹁成長主義一辺倒に回帰しようとする保守の
反撃﹂︵『中央日報』三月一八日︶として批判した。また、ニューライトについても、独裁と成長主義に汚染したオー
ルドライトと変わらないと批判した︵林大植、前掲論文︶。朴泰均は﹁『再認識』のように我々の国家主義を不可避の
ものとして擁護し、近代化・産業化を最も重要な価値観として提示する時、日本の歪曲された一部の歴史教科書を、
果たして批判できるのか﹂︵『教授新聞』四月二二日︶と批判した。林大植もニューライトを﹁韓国版つくる会﹂と批
判している︵林大植、前掲論文︶。
林大植は、編者の四人をニューライトの傾向の二人︵李榮薰、金一榮︶と脱近代論の傾向の二人︵朴枝香、金哲︶
に区分し、﹁両極端の連帯により実現されたのは、反対と批判のための連帯であり、奇異な反対の連帯を可能にした
結節点は、脱民族と脱民衆﹂であると分析した。また、成長主義一辺倒の近代的趨勢を相対化することに一助すべき
洪 宗 郁 466
脱近代論者の一部が、極めて近代的な、既得権を握った勢力の反動キャンペーンに同調していると批判した︵林大植、
前掲論文︶。林大植の分析は一面妥当であるが、不正確な面もある。まず、朴枝香の主張にうかがえる近代への強い
憧れを考慮するとき、朴枝香を脱近代主義と分類することができるかは疑問である。また、朴枝香が論文集の企画を
最初に発議したという点からも﹁同調﹂などの表現は適切ではないと思われる。
より本質的には、﹁ニューライト﹂や﹁脱近代論﹂を﹁脱民族的﹂と批判するだけでは済まない問題があると考え
られる。植民地/周辺部の途を歩んできた韓国にとって、民族は両義性を持っている。一つは成長主義・近代化の主
体としての民族であり、もう一つは宗主国―植民地あるいは中心―周辺部という構図からなる近代のシステムに対す
る批判としての民族である。後者はよく﹁民族運動﹂という言葉で表現される。そして、植民地/周辺部の成長は、
近代というシステムによって制約を受けるという点で、前者と後者は不可分の関係になっているのが事実である。『再
認識』の編者たちの﹁脱民族﹂とは、後者の民族から脱すると同時に、前者の民族だけを国家の名で専有しようとす
る試みである。すなわち民族によって汚染されていない近代あるいは国家を見つけようとする危うい企図である。同
じく﹁脱近代論﹂も、民族によって汚染されている近代から脱そうとしている点で、近代至上主義とそれほど遠くな
いところにあるのである。
国家はもちろん近代というのは、最初から民族と不可分の関係にある。それゆえに、民族を悪、近代あるいは脱近
代を善と見る『再認識』の構想は成り立たず、逆に、民族を善と見る立場から行われる、『再認識』の近代主義ある
いは脱近代主義に対する批判も、同じく意味を持つことができない。すなわち、民族は近代の主体でありながら脱近
代の主体でもあり得るという両義性を直視するときこそ、『再認識』に対する内在的批判=理解もようやく可能にな
467 朴枝香・金哲・金一榮・李榮薰編『解放前後史の再認識』
るであろう。
︵三︶ 植民地と民族・民族運動
編者たちの﹁対談﹂のなかで、﹁そうした現象は資本主義社会の一般的な現象なのに、植民地ゆえのものと特殊化
しなければならないのは、いかなる理由でしょうか﹂という金哲の質問に、李榮薰は、﹁そのとおりです。それに対
する答えを探すのが、相当難しいのです﹂と答えている︵第二巻、六四四~五頁︶。そして、朴枝香は、﹁わが国で近
代化が起こったが、それが偶然日帝時代だったというふうに言うのが多分正しいでしょう﹂︵第二巻、六四九頁︶と
述べている。編者たちの植民地認識の薄弱さがあまりにも露骨に現れている。こうした態度なら、帝国・植民地・解
放などは分析概念として全く意味がなくなる。﹁植民地近代﹂の問題意識とも背馳する。
李榮薰は﹁文明史﹂的観点を強調しながら、﹁植民地期を、朝鮮の伝統文明と、日本を通して入った西ヨーロッパ
起源の近代文明が、相互融合する時代﹂︵第一巻、五七頁︶と把握している。しかし、﹁相互融合﹂という言葉には、
支配―被支配、とくに植民地があってこそ帝国が存在するという相互前提の関係が表現されていない。朴枝香は、﹁専
制王政から市民社会の発達と民主主義の成立に至る過程を数世紀にわたって経験した﹂︵第一巻、一五頁︶ヨーロッ
パと、そうではない韓国の歴史を対比しているが、まず、﹁﹁イギリス式の自由の観念﹂を代表するミル﹂が﹁植民地
では専制政治を唯一の選択として公認することに帰結﹂した︵第一巻、一六八頁︶、というイ・チョル論文の指摘を
一読することを勧めたい。イ・チョルは、﹁植民地で行われた専制政治は、文明を一時保留したことではなく文明化
の一部﹂︵第一巻、一六九頁︶であることを明確にしている。
洪 宗 郁 468
金哲は、﹁帝国の体制のなかで民族の領域を分節し明瞭にすることによって、究極的には帝国の体制を安定化させ
ること﹂が﹁民族運動の実態﹂だと説明している︵第二巻、六二六頁︶。民族・民族運動の神話を再考する必要性に
ついては共感するところがあるが、それが、帝国あるいは近代というシステムを完全無欠なものと見る認識へつなが
ることには、違和感を覚えざるを得ない。帝国を支える統合の原理を認めながらも、民族という主体に刻まれている
分裂の可能性にも正当な注意を払うべきである。近代とは、ヨーロッパ文明だけを意味するものではなく、ヨーロッ
パ文明と他の世界との出会い、そしてそこから生まれた帝国の中心―植民地の関係自体を意味しているとすれば、脱
近代は脱帝国=脱植民地でなければならない。すなわち、脱植民地を意識しない脱近代は虚像に過ぎない。民族・民
族運動に込められている脱/近代の両義性は、もう少し丁寧に吟味されるべきであろう。
おわりに
『再認識』の過度な政治性の問題を指摘しておきたい。崔元植は『再認識』を読み終えて抱いた最初の印象として﹁か
なり充実した選集であるという安堵﹂をあげた。しかし、﹁編者たちが論文を実際に選び出した際の眼識がすばらし
いのに比べて、それを総括する編者たちの視角はとても単線的﹂であると指摘し、この本の編者たちが﹁過度な代表
性﹂を行使していると批判した︵崔元植、前掲論文︶。李榮薰は、歴史家は﹁時代のアウトサイダー﹂︵第一巻、三五
頁︶でなければならないと主張しているが、﹁執権勢力﹂の歴史観を直そうとのり出した以上、自己矛盾に陥るしか
469 朴枝香・金哲・金一榮・李榮薰編『解放前後史の再認識』
ない。金哲は﹁左派や右派や進歩や保守などの用語は、現在の韓国社会で﹁誹謗﹂以上の意味を持っていない﹂︵第
二巻、六一五頁︶と述べているが、朴枝香と李榮薰は、﹁左派民族主義﹂に対抗するために『再認識』を企画したと
明らかにしている。編者たちは自分の政治的中立性を強弁しているが、実際には極めて政治的な態度を取っているの
である。
最後に『再認識』の周辺から行われている﹁国史学界﹂つまり韓国の韓国史学界に対する批判を見てみよう。朴枝
香は『再認識』に﹁国史学者を参加させようとしたが、国史学界の硬直した雰囲気のせいでできなかった﹂言い︵『朝
鮮日報』二月九日︶、﹁国史学界に一種の自己検閲﹂があると批判した︵『東亜日報』二月一〇日︶。朝鮮日報のイ・ハ
ヌ記者は﹁韓国史専攻者の間に左派民族主義に対する未練を捨てられない人がたくさんいる﹂と批判している︵『朝
鮮日報』二月九日︶。いわゆる﹁国史学界﹂の研究者たちの多くは、今回の論争で『再認識』に対して、批判的態度
を取っていたのが事実である。今度は﹁国史学界﹂だけではなく﹁左派民族主義に未練を捨てられない﹂と批判され
た側が答える順番であろう。崔元植は、﹁生活世界の急進的変化に対する鋭敏な観察に基づき史観と理念を再調整す
る重大な作業を怠っていたこと﹂を自己批判している︵崔元植、前掲論文︶。『再認識』に対する批判、そして自己批
判を越えて、韓国・朝鮮の近現代史における﹁左派﹂や﹁民族主義﹂が持つ意味に対する内在的批判=理解の深化が
求められている。
後記:本稿は二〇〇六年七月に朝鮮史研究会関東部会の例会で報告した内容を整理したものである。『再認識』の
刊行をめぐる韓国社会の動きを伝えることに重点を置いた当時の意図を活かすために、その後に出た資料は追加せ