◆ 左 京 一 条 二 坊 十 五 坪 の 調 査
一第2e 9 ‑ 1 次・第2 6 9 ‑ 1 3 次
◆ 左 京 一 条 二 坊 十 五 坪 の 調 査
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1 は じ め に
今 回 の 調 査 地 付 近 は 平 城 京 の 条 坊 復 原 に 問 題 の あ る 地 域である。すなわち、南北方向に通る東二坊大路が、一 条大路の位置で東に鍵の手に曲がった後そのまま北に延 び る の か 、 そ れ と も 海 龍 王 寺 の 北 で 再 び 西 に 鍵 の 手 に 曲 がって正規の位置に戻るのか、一方東西方向に通る一条 条 間 大 路 ( 外 京 で は 北 京 極 大 路 で も あ る ) が こ の 場 所 で そのまま西に延びるのか、それとも海龍王寺の北辺に沿 う形で南に鍵の手に曲がるのか、これらの点が未だ明確 に は な っ て い な か っ た 。
ところで、199 6年4月に今回の調査区の西隣で実施し た第26 9‑ 1 次調査では、鍵の手に曲がる溝を検出した。
ここは東二坊大路が海龍王寺の北で正規の位置に戻り、
また一条条間大路がまっすぐ、に平城宮に突き当たる場合 の 両 大 路 交 差 点 の 南 西 部 に あ た り 、 こ の 鍵 の 手 状 の 溝 は 一条条間大路南側溝・東二坊大路西側溝の可能性が考え ら れ た 。 今 回 の 調 査 地 は 同 じ 想 定 に 立 っ た 場 合 の 一 条 条 間大路と東二坊大路の交差点の南東部にあたる場所であ り、一条条間大路南側溝・東二坊大路東側溝を検出する 可 能 性 が あ り 、 こ の 地 域 の 平 城 京 の 条 坊 を 考 え る 上 で 重 要 な 成 果 の 期 待 さ れ る 地 点 で あ っ た 。
2 基 本 層 位
調 査 区 の 基 本 的 な 層 序 は 、 置 土 、 旧 水 田 耕 土 、 床 土 、 奈 良 時 代 の 地 山 で あ る 燈 褐 色 な い し 燈 白 色 粘 土 の 順 で 、 現地表面から調査区北端で約4 0 c m、南端で約7 0 c mで遺構 検出而である地山而に達する。遺構面の標高は北端で約 6 8 . 3 m、南端で約6 8 . 0 mである。
S 検 出 し た 遺 構
検 出 し た 主 な 遺 構 は 、 奈 良 時 代 の 柱 穴 5 基 、 中 近 世 の 井 戸 5 基 、 性 格 不 明 の 中 近 世 の 土 坑 1 2 基 ( 円 形 土 坑 5 基 、
42奈文研年報/1997‑ 111
方形土坑2基、南北溝状土坑1基、不整形または全形未
検出の土坑4基)などである。柱穴のうち調査区北東部の2基S X 6 8 6 0 は8尺の間隔 で南北に並び、建物を構成した可能性が高い。また調査
区中央北部の柱穴SX68 76には柱根が残存していた。 ただし、柱穴は深いものでも検出面から約4 0 c m、浅いもので
は約5c m程度残るのみである。井戸' はいずれも井戸枠は検出されず、素掘りの井戸と
考えられる。検出面からそれぞれ約2m以上掘り下げたが底を確認できず、崩壊の危険があるためいずれも掘り
下げを断念した。4 出 土 し た 遺 物
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奈良11 寺代の遺構面はかなり削平を受けており、床土の
図27第2 6 9 ‑1 . 1 3 次調査付;雷便
9
.
調査で検出した築地塀及び東西溝が、この地域の一条条 間大路の南限であろう。従って、左京一条二坊十五坪は 通常の坪よりかなり大きな而秋を占めることになり、今
回の調査地はその南東隅の一郭ということになる。(渡辺晃宏/史料)
■
5 ま と め
■
西隣の第2 6 9 ‑ 1 次調査で検出した鍵の手状の溝を一条 条間大路南側溝・東二坊大路西側溝と考えた場合、今凹
の調査区は南側溝・東側溝の想定位置にあたるが、その 痕跡は全く確認できず、逆に奈良時吻代の建物と考えられる柱穴を検出した。すなわち、海龍王寺の位置で東にず
れた東二坊大路は一条条間大路以北で元の位置に戻らず、従来の想定通りそのまま北に延びるとみてよい。一方、
一条条間大路も従来の想定通りまっすぐゃに平城宮に到達 せず、東二坊大路より西では海龍王寺の北限に沿う形で 南にずれると考えられる。すなわち、1975年の第95−2次
中 世 7
表6第269‑ 13次lLH +瓦集計表
Y −17.515
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Y −17.510
Y −17.日鵬
S K 6 8 6 6
‑7‐
§ I 卜
ロ訂
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画
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S K 6 8 7 E S X 6 8 6 1
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)X 6 8 7 6 G )X 6 8 7 6 G S E G 8
S X 6 8 6 0
S E 6 8 9 冗戸要
直 下 が 地 l l l 面 で 、 遺 物 包 含 屑 は ほ と ん ど な か っ た 。 従 っ て、奈良時代の遺物はさほど多くない。瓦は表の通りで、
特 に 調 査 区 北 端 の 井 戸 S E 6 8 6 9 か ら の 出 土 が 多 い 。 土 器 は 少量で2基の土器据え付け穴の中近枇の瓶がある程度で あ る 。 こ の 他 、 調 査 区 西 端 の 井 戸 S E 6 8 9 5 か ら は 内 面 に 漆 を塗った柄杓、 井戸S E 6 8 6 9 からは石製の浮き彫りの地蔵 尊、五輪塔の地輪(方形石)2個、また南北溝条土坑
S K6 8 7 5からは同じ五輪塔の一部と思われる水輪(球形石)2個が出土した。これらはいずれも中近世のものと
考えられるが、年代の特定は難しい。戯
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奈文研年報/l997‑ l l I43 S K 6 8 7 4
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S K 6 8 6 3
S K 6 8 5 3 S K 6 8 7 4
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図28第269‑13次調査遺構図1:10[
軒丸瓦
形 式 種 6291Aa 6648A 型 式 不 明 鎌倉時代 中
I l i f 丸虻計 点 数
1 1 2 1 9
14
軒平瓦
形 式 種 6721Db
軒 平 凡 計 点数
丸瓦
重 難 点 数
平瓦
重 並
点 数 6 6 0 噂 重 敗
点 数 11 道 具 瓦 ・ そ の 他 鬼瓦
面 戸 瓦 文字瓦「法」
道具瓦( 鬼?)
83.6kg 2 8 6
174. 4kg
12.6kg