ニュージーランドにおける教育改革の動向
荒井 文昭
1 論文の課題
本論の課題は,ニュージーランドにおいて現在進行しつっある教育改革を,
学校選択と教育参加,それぞれの側面から検討し,報告することにある(1)。
ニュージーランドでは,1988年からラディカルな教育改革がはじまり,現在 もその改革は続いている。その改革原理は,中央教育行政機構を縮小し,その 権限の多くを,新しく学校単位に設置する学校理事会(Board of Trustees)
に「分権化」する,というものである。
教育の機会をすべての国民に保障することを目標に拡張してきた中央集権的 な教育制度を「分権化」することをめぐっては,さまざまな議論がうずまいて いるが,論者が聞き取りをおこなったり,各種調査報告書を読んだ限りにおい ては,各学校が自治の権限を手にしたことに対して,積極的な評価が聞かれた。
しかし同時に,各地域間における社会経済的な階層格差が,学校によりストレー トに影響を与えてしまう問題や,教員の給与をどのように支払うのかといった 問題など,多くの課題も存在している。
なかでも,論者が注目してみたい問題は,この「分権化」の具体的な内容を めぐっては,当初から,相対立する二っの方向が混在していたことである。す なわち,一方では,父母・住民の教育参加を教育行政に取り入れていくことに 重点をおこうとする,いわば参加民主主義を志向する動きがあり,他方では,
政府の財政支出を縮小しながら,その効率的配分をさぐるために,父母や生徒 が学校を自由に選択できるようにしようとする,いわば,市場モデルを教育制 度に導入させようとする方向性があったのである。これらの二っの方向性のあ
いだには,肥大化し硬直化していた教育制度を改革するために,中央集権化さ れていた権限を各学校に「分権化」させる,という点で基本的な共通点があり ながらも,教育参加に重点をおく前者と,学校選択に重点をおく後者とで,対 立点が存在していた。
この間の,ニュージーランドにおける政治状況を反映して,教育改革法とし て議会で立法化され,教育省によって施行される政策では,現在,後者の方向 性が改革の主導権をとっているように見える(2)。
だが,っぎっぎと発表されてきた政策プランのなかには,具体化されないま ま消えていったにもかかわらず,教育参加の制度化として注目されるべき提言 が存在している。これらは独自に検討されるべきであろう(「地域教育フォー ラム」(Community Education Forums)や「親擁護審議会」(Parent Advo−
cacy Council)のプランなど)。また,学校選択による改革理念によって主導 された教育政策のもとにおいても,個々の学校運営の動態は,まさに各学校が おかれている地域の実情などを反映して多様に展開しており,そのなかには,
教育参加の側面から見て興味深い実践をみせている事例も存在している。
あるいはまた,中央集権化されていた権限を各学校に「分権化」する過程に おいて,逆により強固な再中央集権化が進められてきている面も存在している
ことが,研究者や教育関係者のあいだで指摘されてきている。こういった点に っいても報告してみたい。
いずれにしても,中央集権的な教育行政機構を,「分権化」させる方向でそ の改革を考えようとするとき,現在ニュージーランドで進められている取り組 みは,日本における教育制度研究にとっても貴重な経験であることは間違いな い。本論では,「分権化」を具体化させていく場合に問題となってくるであろ う学校選択と教育参加の問題,あるいはまた,再中央集権化の問題に注目しな がら,現在ニュージーランドにおいて進められている教育改革の動向にっいて
検討し報告してみたい(3)。
2 ニュージーランドにおける教育改革
2−1教育制度の拡大を支えてきた「教育機会の平等」理念
ニュージーランドでは現在,6歳から16歳までの児童・生徒に対して,義務
教育が実施されている(4)。
初等教育制度は,1877年教育法により,無償の義務教育制度が近代学校制度 として発足して以来,20世紀初頭にかけて急速に拡大した。中等教育制度は,
1903年の中等学校法により無償の中等学校が設立され,1936年に中等学校への 入学試験が廃止されて以来,特に1950年代において,急速に拡大してきた。
中等教育をすべての青年に保障していこうとする,この学校教育制度の拡張 政策を積極的に推進してきたのは,労働党政権であった。労働党政権は,「教 育機会の平等」理念を実現すべく,学校教育制度の拡張を進めてきた。1935年 に発足した第一次労働党内閣で文部大臣をつとめ,1936年に中等学校の入学試 験制度を廃止し,すべての青年に無償の中等教育を保障する道を開いたフレイ
ザー(Peter Fraser)は,1939年の年報の冒頭で,っぎのように述べていた。
「すべての人は,その学習能力にかかわらず,貧富の差にかかわらず,また,
都会であれ田舎であれその住む場所にかかわらず,一人の市民として,その人 に最適で,その能力を最大限に発達させられるような教育を,無償で享受する 権利を有する。」⑤
このフレイザー報告を準備し,その後1960年まで,教育政策の立案に指導的 な役割をはたした理論家ビービィ(C.E. Beeby)も,この理念を具体化させる
ことを念頭におきながら,政府に助言をおこなってきたことを,後に回顧して いる(6)。また,1962年に発表されたカーリー委員会報告(7)は,ビービィやフレ イザーの理念を引き継ぎながら,さらに明確に「教育機会の平等」を唱ってい
た。
2−2福祉国家政策の財政危機と経済的不平等の再生産問題の表面化
学校教育制度の拡大がつづけられた時代,すなわち,1940年代から1960年代
の期間とは,ニュージーランドにおいて経済成長と完全雇用とが達成されてい た時代でもあった。
この状況が変化する第一の契機iは,1960年代における欧州共同体結成に向か うイギリスの動きであった。
イギリスに対する農産物の輸出を伸ばし,安定した経済成長をとげてきたニュー ジーランドは,イギリスのEC加盟(1973年)以後,安定した農産物輸出国を 失う。こうした経済的混迷のなか,さらに1973年末のオイル・ショックにより,
経済的低迷がすすんでいく。
安定した経済成長と学校制度の拡張状況が変化する第二の契機は,1980年代 にはいってから顕著になる,若年労働者の失業率の急激な増大であった。しか もこの失業率の問題は,マイノリティの問で特に深刻化したために,人種によ る不平等が,社会問題として表面化した(8)。
こうした中,経済界からは,経済の構造変化に対応できる高い技術力をもっ た労働力が,学校教育制度にたいして求められるようになっていく。
「われわれは,高度に訓練され,勤労意欲の高い労働力こそが,もっとも重 要な資源であると見なすようになってきている。この見方は,日本やドイッの
ような,高所得,高成長を遂げている国々の経済界のリーダーたちと共通する ものである。/ニュージーランド人の多くは,西洋世界と同等の高度な教育を 受け,高い技術をもった労働力を,われわれがすでに持っていると信じている。
しかし現実は,われわれの労働力の半数近くが,まったくSC(School
Certificate)を持っていないし,60%が高等教育資格を持っていないのである。
この国民全体を訓練し,また再訓練する旺盛な取り組みが,根本的な改善をも たらすために求められる。経済界,政府,労働組合,そして,国民一人ひとり が,その役割をはたすべきである。」(9)
ニュージーランドに完全雇用をとりもどし,高所得の経済を実現することは,
今後,高い技術水準をもった労働力を,経済資源としてニュージーランドが持 てるかどうかにかかっている。このようにみる経済界からは,現在の学校教育 制度が,技術力をもった質の高い労働力を生み出すことに失敗している,改革
されるべき対象と映るようになっていたのである。このことはまた,福祉国家
として発展してきたニュージーランドが,財政再建を余儀なくされるなか,膨 大な財政支出をともなう教育部門に対する批判の声とも合流して,80年代後半 以降諸改革を推進していく力となっていく。
こうして,1970年代における財政危機・経済不安が深まるにっれて,学校教 育制度の拡大を支えてきたその正当性に,かげりがあらわれはじめる。「教育 機会の平等」理念を実現させる手だてとして,それまで拡大を続けてきた学校 教育制度に対する国民的合意が,しだいにゆらいでいくことになる。そしてま た,学校教育が政治的に中立であるという理念にっいての再検討もはじめられ
るのである⑩。
2−3 財務省の改革構想
1984年7月,第4次労働党政権が発足し,その年の11月,カリキュラム検討 委員会が設置された。この委員会は,既存の教育システムにおいて不利益をこ
うむっている女性,マオリ(Maori)などのマイノリティの生徒に対して,よ り公正なカリキュラムをっくることをめざしたものであった。教育委員会,教 員組合,マオリなどさまざまな団体からの要求が集められ,そして1987年4月 に,これらの声が『カリキュラム・レヴュー』(11)として発表された。この報告 書は,ニュージーランドにおける学校教育制度に対する不満を吸収し,この年 の10月におこなわれる総選挙を_労働党政権が乗り切るためのものでもあった
と思われる。
しかし,この報告書が発表された直後に財務省から発表された報告書は,
『カリキュラム・レヴュー』を,経営の観点を欠き,消費者の選択を教育に導 入していく観点をもっていないものとして,激しく批判するものとなっていた。
そして特に,財務省からその数ヵ月後に発表された2冊目の報告書は,教育問 題を独自に取り上げて発表された。財務省報告第2分冊は,っぎのように述べ
ていた。
(1)「ニュージーランドにおける公教育システムは,年間約30億ドルの支出 をともなう,国家で最も大規模な事業の一っである。財政の緊縮が,国家シス テムにおいて進められてきてはいるけれども,これまでのところ,その流れは,
教育の優先性とその政策に対する根本的な見直しまでには至っていない。」(12)
(2>「教育は,経済学者によって使われる,専門的な意味における『公共財』
(public good)ではない。それは決して無償なのではなく,っねに,機会の費 用がその供給者にかかっているのである。それゆえ,公式的な教育(formal education)も,市場経済の一部であることからまぬがれないのであり,政府
は,国家の目的に照らして,教育に対する経費の有効性と『収益性」にっいて,
民間の供給者たちが,かれらの目的と照らしてそうするのに劣らないくらい,
関心をもっことができるのである。」(13)
「ニュージーランドにはまだ,公式的な教育が,経済的成長と公平性とに貢 献できる可能性を持っていると信じる,根強い楽観主義が存在しているように みえる。しかし,他のOECD諸国では,社会経済的な目的を達成する手段と しての,教育の役割に対する不信感が高まり,教育に対する政治的優位性が低
ドし,そして,公教育予算がドラスティックに削減されるようになってきてい
る。」(14)
(3)「教育への特定の国家関与にかかる費用は削減されうるし,その利益は,
っぎの三っのレベルの行動によって増加されうる。まず第一に,国家関与の目 的は明確に定義され,その関与が,明らかに正当で費用の面で効果的なものと なるよう,最小限にされるべきである。第二のレベルでは,国家が関与する場 合には,その行動は,消費者と提供者とのあいだの契約を壊すことのないよう におこなわれるべきであるし,契約を再度っくりだすようにおこなわれるべき である。したがって政府は,消費者と供給者との間に干渉することを極力避け るようにすべきであり,障害を与えるような干渉を避けて適切な関与に注意を 集中すべきであり,教育サービスを提供するうえでの弾力性を増加させる(た
とえば,全国一律の給与基準などの硬直性を撤廃する)べきであり,そして,
大きい教育機関と結びっいた財政支出を削減し,それを,個人,家族,地方の グループ,そしてより規模の小さい機関に再配分すべきである。第三のレベル では,政府の関与が消費者と供給者のあいだに避けられない場合には,政府は,
政府の役割から生まれる諸問題を深刻化させるのではなくそれを弱めるような,
経営とアカウンタビリティの方法をさぐるべきである。」(15)
この財務省報告書こそが,以後,ニュージーランドにおける行財政改革と,
教育改革を主導していく政策文書となっていく。1987年の総選挙でも,労働党 がひきっづき政権をとったが,以後,労働党政権の教育政策は,平等性の強調 から効率性への強調へと転換していく。
2−4 1989年教育法の成立
1987年の総選挙以後,非常に早いテンポで,ニュージーランドにおける教育 改革がすすめられていく。
1988年4月,ピコット報告(教育改革案の提示)
1988年8月,文部省案の提示
1988年10月,文部省内にワーキンググループ設置 1989年2月一3月,文部省が教育憲章モデルを提示 1989年4月,各学校で学校理事会委員選挙の実施 1989年6月一10月,各学校で教育憲章の作成 1989年10月1日,教育省設立と学校理事会発足
なおこの教育改革は行財政改革と平行して行われ,この行財政改革により,
鉄道,郵便,電話などの公共部門が次々と民営化されていった。当時,この行 財政改革をリードしていた財務省長官,ロジャー・ダグラス(Roger
Douglas)は,「速さが肝心である」と主張していた(16)。
(1)ピコット報告
1988年4月に報告され,5月10日に公表されたのが,『卓越さを求2s6る管理:
効果的な教育行政』(17)である(この時の座長の名前をとってピコット報告と呼
ばれる)。
報告書では,現状分析がつぎのように述べられた。
「調査の結果われわれは,現在の行政構造が過度に中央集権化されており,
多くの決定機構を持ちすぎることによって複雑なものにされていることを,確 信した。効果的な経営実践が不足しており,人々から求められている,十分な 選択をおこなうたあの情報は,このシステムのあらゆる部分において,ほとん
ど入手が不可能となっている。その結果,ほとんどの人々が,改革が必要とみ ている事態を変えていくことに,無力感を感じている。前進するためには,ラ ディカルな改革が,今求められているのである。」(18)
ピコット報告は,(a)意志決定が過度に中央集権化されていること,(b)複 雑化していること,(c)情報と選択が不足していること,(d)効果的な経営がお
こなわれていないこと,そして,(e)無力感がひろがっていることを,問題点 として指摘したのである。
(2)1988年8月『明日の学校』
1988年8月7日,ロンギ首相は『明日の学校一ニュージーランドにおける教 育行政改革』(19)を発表する。これは,ピコット報告を受け,義務教育と中央機 関の改革にかんする提言部分を法文化させることを意図して発表されたもので あった(2°)。「明日の学校」のなかには,改革の要点が次のように9点にわたっ て示されていた。
「・各学校が,教育行政の基本的な『単位』となる。国が設定したガイドライ ン内において,各学校は,各学校が決めるようにその教育資源をコントロール
する。
・学校の運営は,専門家と,その学校が位置している地域とのあいだの,パー トナーシップとなる。このパートナーシップのための機構が,学校理事会とな
る。
・各学校は,国が設定したガイドライン内において,独自の目標を掲げる。こ れらの目標は,その学校が位置している地域の声を反映するようにする。そし てこの目標は,その学校によって作成された『教育憲章』のなかに提示される。
この教育憲章が,地域と学校,そして学校と国との問の契約として機能する。
・学校は,教育に支出された政府からの予算や,教育憲章で設定された目標達 成にっいて,全国に設置された,調査及び会計検査局に責任をおう。この局は,
すべての学校に対して定期的な調査を実施する。
・学校は,提供者からサービスを得るのに無償となる。
・地域教育フォーラム(21)は,考えていることを表明したいと思うすべての人々一
生徒,親教師,校長,あるいは教育行政官一の,討論の場,声をだすことの できる場として開かれる。
・教育省が,文部大臣に政策の助言をし,施設を管理し,そして財政支出と運 営を管轄する機関として設置される。
・独立した親擁護審議会が設置される。この審議会は,親の要求をひろく援助 することになる。特に,彼ら自身の学校をつくりたいと願っているような,既 存の学校に満足できない親たちを援助することになる。
・21人以上の子どもたちを代表する親グループは,もしも国の教育ガイドライ ンに適合していれば,既存の学校からひきあげ,彼ら自身の学校を開くことが できるようになる。」㈱
(3)1989年教育改革法
1989年9月29日,「教育行政を改革するための法律(An Act to reform the administration of education)」(以後,1989年教育法と呼ぶ)が成立し,10 月1日から施行された。
この改革法により,すべての公立学校に学校理事会(Board of Trustees)
が設置されることが規定された㈱。この理事会の一般的な構成は,親代表5名,
校長1名,校長以外の教職員代表1名,民族比と男女比を考慮した協力者住民 4名以下,中等学校の場合には生徒代表1名とされた。理事会は,教育憲章
(Charter)とよばれる学校運営の指針を作成し,この教育憲章のもとに,校 長をはじめとする教職員の人事,学校財政,カリキュラム編成にっいて運営を
おこなうと規定された。なお,この教育憲章には,学校運営の指針として,マ オリ文化を尊重することを盛り込むことが義務づけられている。
この学校理事会の設置により,従来あった教育委員会など(Education Boards, Secondary Schools Council)は廃止された。また文部省(Depart−
ment of Education)が一度廃止され,大幅に縮小改組された教育省(The Ministry of Education)が新しく設置された。教育省は,政策提案機能と予 算配分機能とにその役割を限定させられ,学校機関への指導助言機能をもたな
くなった。
他に,親の権利保障をうながし援助する機関として,親擁護審議会
(Parents Advocacy Council)の設置が盛り込まれた。この審議会は,初等学 校中等学校比,男女比,民族比を考慮しながら,文部大臣により任命される,
8名の委員で構成されると規定された。また,その役割としては,現在の教育 制度に不満を持つ親への援助・助言を実施し,学校制度内外に,そうした親た
ちの要求を実現することを助けること,および,文部大臣へ意見書を提出する ことができることが規定されていた。さらに,1989年12月修正教育法では,学 校設置の条項が追加され,このなかで,既存の学校では満足できない親たちが,
21人以上集まるなど,いくっかの要件を満たせば,文部大臣が新しい学校の設 立許可を出すことができることが明記された。しかもこうした学校の設置認可 にあっては,学校の統廃合などの際も含めて,文部大臣は,必ず事前に,地域 教育招集者(Community education convenor)を任命し,地域で討論会を組 織し,その地域での討論の結果を考慮しなければならない,という規定が加え
られている。これは,地域の教育討議の場として組織されることになっていた 地域教育フォーラム(Community Education Forums)を条文化したもので
あった(24)。
1990年7月修正教育法により,教育審査局(Education Review Office)が 設置された。この機関は,各学校と文部大臣とのあいだに契約としてかわされ た教育憲章の履行状況を定期的に点検し,目標の達成度をチェックする役割を 担うことになる。
なお,この時同時に,ニュージーランド資格認定機構(New Zealand Qualifications Authority一以後NzQAと略記一)が設置された。この機構
の役割は,中等教育以降の資格基準を設定し,認定することとされ,ニュージー ランドでおこなわれている国家資格試験をすべて統括する機関となった(25)。
2−5国民党政権の成立
1990年10月の総選挙で労働党は大敗し,新しく国民党が政権をにぎる。以後,
第4期労働党政権によってはじめられた教育改革は,国民党政権によって進め られることになる。
新政権は財政赤字削減のため,1990年12月,社会保障費を中心とした政府の 歳出削減などを含めた経済政策を発表,そして,医療費の一部個人負担制の導 入(1991年2月),労働市場の自由化を目指す雇用契約法(1991年5月),老齢 年金の受給資格審査の導入,同受給年限の引き上げ(1991年7月)と,これら
を次々と実施した。
国民党政権は,教育にっいても,次々と政策を打ち出していく。1990年12月 に,国民党政権は,教育予算,教員生徒比率などの見直しを指示。大幅な教育
予算の削減をおこなった(26)。
1991年6月修正教育法によって,地域教育フォーラムにかかわる規定が修正 され, 文部大臣は事前に地域討論集会を開きその討論結果を考慮しなければ ならない という規定が, 文部大臣が提案する点に関して公開の会議を招集
し,その報告を受ける という規定に修正された。
1991年8月の修正教育法では,教員給与費と学校運営費との区分を廃止する,
一括財政制度(bulk funding)の導入がはかられた。またこの時,親擁護審議 会は,この年の10月1日をもって廃止されることが明記された。
1991年12月修正教育法で,学校理事会のメンバー構成規定が,つぎのように 修正された。親代表は7人から3人のあいだと修正。協力者住民に法人組織か
らも参加を認め,委員の選出にあたっては,経営手腕にすぐれた人材にも配慮 するという規定が加わった。また,生徒代表委員が任意設置に修正された。
国民党政権による,これら一連の教育政策の指針とされたのは,ニュージー ランド企業家会議からセックストン(Stuart Sexton)によって1990年12月に 発表された『ニュージーランド学校教育一最近の改革についての評価と今後の 方向性』であると思われる。この報告書のなかでセックストンは,ピコット報 告以降1989年教育法までの改革を次のように批評していた。
「全体的にいって,教育行政の分権化を求めるピコットの意図はすぐれたも のである。教育行政の分権化は,より効果的な学校経営と,より効率的な教育 の配分を引き出すのである。この意図から引き戻そうとする動きが,過度に中 央集権的で,官僚的なシステムを残そうとする行政官や政治家たちのあいだに うまれた。しかし,ピコットによって十分に扱われなかった政策領域の一っは,
本物の消費者選択を生み出すことであった。この消費者選択の導入は,教育水 準をあげる市場圧力をひきだすことになる。学校への分権化は,政策の半面で しかない。すなわち,他面では,学校は,消費者選択に反応する手段と刺激を
もたなければならないのである。」(27)
セックストンはここで,(1)分権化政策は,完全な学校選択制度の導入とセッ トになった時にはじあて,効果的な学校経営を可能にするものであること,(2)
この意味で,消費者選択の観点を十分にもっていないピコット報告は,中途半 端なものにとどまっている,と述べていたのである。
このように考えるセックストンは,(1)学校理事会の,雇用者としての経営 力量を確保するたあに,学校理事会メンバーから,親代表の数を減らし,生徒 代表,教職員代表をなくすこと,(2)親擁護審議会を廃止すること,(3)各学校 理事会に,自由な財政運営を可能とするよう,配分予算は教員給与分と学校運 営費分とを分けないで一括とすること,などを提案していた。なお,彼は,こ れらの改革が実行されたっぎの段階として,バウチャー制度の導入がニュージー
ランドでおこなわれる必要があることを提言していた。
3 学校理事会制度の権限とその動態
1989年教育法からはじまった一連の教育改革の要ともいえる制度として設置 されたのが,学校理事会である。この学校理事会に,(1)教育計画の策定,(2)
教職員の人事,(3)財政運用の権限が与えられたのである。
しかし,この学校理事会制度に対しては,その計画当初から,不安の声も寄 せられていた。すなわち,「親は,理事会活動にかかわれる時間をもっていな い」,「豊かな地域の学校が,不公平な特典をもっことになる」,「理事会が,教 員に対する権力を持ちすぎている」,「カリキュラムの統一性を維持することが できなくなる」などが,それである㈱。
本章では,この学校理事会制度に焦点をあてて検討してみたい。ただし前章 で報告した通り,学校理事会制度には労働党から国民党に政権が移行して以降 修正が加えられている。さらにこの制度は,各学校毎の地域の実情によって多
様に展開されており,その動態は一様ではない。今回,学校理事会制度の検討 を試みるにあたっては,論者がニュージーランド滞在中に実施した限られた聞 き取り調査と,その間に入手できた調査報告書の一部を資料とするに止まらざ
るを得ない(29)。
3−1教員人事にかんする権限とその動態
1989年教育法には,その第65条に,「理事会は,教職員を任命,停職,免職
することができる」という条項がある(3°)。
教員に対するこの人事権を父母が行使することは,まず第一には,父母代表 を学校理事会に選出する過程において実現される。第二に,選出されたこの父 母代表を支える父母組織,たとえばPTAや地域活動組織のあり方,さらには,
校長・教職員と,父母代表を中心とする親住民組織との関係のあり方が,その 父母代表の権限行使に影響を与える。
3−1−1親理事の選出とその構成
父母代表を選出するたあの選挙は,これまで,1989年と1992年の2回おこな われている。選挙広報には,学校新聞が使われる場合が多い。学校によっては,
写真,略歴,所信が掲載された地域新聞が利用されている。また多くの学校が,
選挙前に,候補者による公開討論会を夕方に開いている。
ワイカト大学の調査によれば,一回目の投票率は,48%(ある中等学校)か ら85%(田舎の小学校)までとなっており,地域によって差がある。父母候補 者数の範囲も,9人から21人まではばがある(31)。
選出された理事の社会的構成については,男性の場合大半がヨーロッパ系住 民で,職業は,経営,公務員,自営などとなっている。女性の場合もヨーロッ パ系住民が大半で,職業は社会福祉や教育関係で働くか,会社員である。理事 会委員長は,男性が多い。調査したうちの3分の1の学校で,教職員代表に候 補者が1名,そして選出されたのはすべてベテランの教員。協力委員には,マ
オリの代表者を増やすなどして,民族や性別の調整をとっている。一人の協力 委員ではなにもできないという回答がある一方で,理事会にマオリの声がより
反映されるようになったという回答が寄せられている(32)。
3−1−2 学校理事会による校長の選任,および理事会と校長との関係 (1)校長,教職員の選任
理事会にとって重要な仕事は,校長を選任することである。この選任は,教 育省が定期的に発行している雑誌(Education Gazette)に,学校理事会から の公募が掲載され,公募に応じた候補者に対して学校理事会が書類選考・面接 などを実施することによっておこなわれる。そしてここで選任された校長が中 心となって,他の教職員人事の計画が立てられ,その計画が学校理事会で審議
され決定されるという形ですすめられる。
(2)公開の学校理事会会議
教職員と父母との関係には各地域毎の独自性があり,さまざまな取り組みが 続けられている。
各種会議は公開されている。また,議事内容も事前に知らされることになっ ている。たとえばある学校では,理事会が学校の図書室で開かれている。その 部屋は親たちや関心をもっ地域住民が集まりやすい場所にある。午後5時くら
いから非公式に集まって雑談をし,正式な会議は6時からはじまる。この雑談 が,理事同士が知り合う場,会議をリラックスさせる場として機能している。
ここには,親や教職員そして生徒も含めた住民のだれもが,学校理事会に意見 を述べるために参加することができる。あるいはまた,よりフォーマルな形で の意見陳情もできるようになっている。
またある学校では,学校新聞などが広報の手段として使われている。年に5 回,ブックレットを各家庭に送り,かっ,毎週学校新聞をすべての親に配布し ている学校理事会もある。
(3)PTAの活発化
学校理事会が発足したことにより,PTAや保護者会の活動がより活発になっ た事例も報告されている。理事がPTAの会議に参加し,また, PTAも理事 に代表をだす関係が生まれている。
(4)民族identityを基礎とした学校運営の取り組み事例
学校運営を,民族性を重視しながらおこなっている学校もうまれている。た とえば,ヒラリー中等学校(Hillary College)では,理事会が,それぞれの民 族グループ代表(マオリ,サモア,クック諸島,ニューギニア,トンガ,ヨー
ロッパ)によって構成されている。これらの各委員を通じて,異なった民族性 をもっ親たちは,それぞれの言葉で学校に発言できるようになっている。また,
毎月,民族毎の親会議が開かれている。
この学校の場合,理事長は女性であった。また,生徒代表を選出するための 選挙も,毎年2月におこなわれている。論者による校長への聞き取りによると,
ヒラリー中等学校の場合,以前いたヨーロッパ系校長の学校運営方針が,マイ ノリティが多数を占めるこの地域で支持されていなかったという。学校理事会 選挙によって親代表が変わり,前任校長が退出した。その後,学校理事会によっ て新しく選出された現校長のもとで,民族identityを重視した学校経営が展開
されているとのことであった。
3−1−3 父母参加の課題 (1)雇用一被雇用者の契約関係
以上のように,教職員の人事は,学校毎に設置された学校理事会に分権化さ
れた㈹。
しかし同時に注意する必要があるのは,こうした人事権の分権化は,政策意 図としては必ずしも父母の教育参加を重視したわけではないという点である。
教員人事の分権化は,父母の教育参加を実現させるということよりも,むしろ,
教育行政を効率的に運営させていくためには,政策決定はできるかぎり現場で おこなわれる必要があるという政策原理が働いている側面がある。この面から すれば,なによりも学校経営におけるアカウンタビリティの確立が求められる のである。学校経営における明確な目標設定が学校理事会には求められ,そし て効率的な学校経営の力が校長には求あられる。そして,この学校理事会の中 心メンバーである父母と学校経営の責任者としての校長との契約関係が,もっ
とも重要な問題とされるのである。財務省報告には,「政府は,消費者と供給 者との間に干渉することを極力避ける」という記述があったことをわれわれは,
忘れるべきではないだろう。
また実際学校理事会が校長の運営責任を法廷に訴えるという事態が急増し ている。中等学校長の90%以上をカバーしていたロイズ保険が,1994年2月に 失効し,新しく1年契約の保険に切り替わってしまった。学校理事会との法廷 争議にかかる費用が,教育改革以後の過去4年間に数十万ドルに達したためで
ある(鋤。
(2)短期間実施のひずみ
実際の学校理事会の運営にあたっては,その教育改革が,非常に短期間のう ちに行われたために,十分な広報活動がおこなわれずに進められてしまったと いう問題も指摘されている。たとえば,多くの学校で十分な討議がないままに,
校長が教育憲章を書き上げてしまっている問題などが指摘されている(35)。
(3)一般父母の参加
父母による参加が制度的に可能となったにもかかわらず,実際にはその参加 が必ずしも活発とはなっていないという問題も指摘されている。たとえば,父 母代表選出のための2回目の選挙では,投票率,候補者ともに減少した。選挙 がおこなわれずに,全員がメンバーに指名された学校もあった(36)。
また,校長,学校理事会委員,教師は,その半数以上が地域と学校との関係 が増加したと回答しているのとは対照的に,一般の親たちは,その60%以上が,
変わらないと回答している,というアンケート結果もでている(37)。
(4)マイノリティの疎外
さらに,マイノリティの代表が,学校理事会で疎外されてしまう問題も指摘 されている。たとえば,クライストチャーチを中心に調査を実施したゴルドン は,次のように述べていた。
「ある学校理事会では,マオリの協力委員が選ばれたが,1992年の12月,こ の委員は,パケハ[ヨーロッパ系住民]のなかで孤立感を抱き辞任する。マオ リの人口比が3%や4%の学校では,そんな小さなグループのために学校理事
会に代表者が入る必要はないと考える傾向がある。」(38)
3−2学校財政にかんする権限とその動態
学校理事会の財政収入内訳は,(1)生徒数に応じて政府から配分される学校運
営予算と教員給与予算(39),(2)学校費(school fees),寄付金などの自主財源(39),
(3)特別配分予算となっている。なお,学校理事会は,毎年財政報告書を提出し,
会計監査を受けることが義務づけられている。
「すべての学校にあう財政運用モデルはない」といわれるとおり,学校財政 の運用にあたっても,各学校理事会の裁量による部分が増えており,そのスタ イルは一様ではなくなっている。たとえば,各家庭から学校理事会が任意に徴 収する学校費は,学校によって大きな開きがある。1991年に実施されたアンケー
ト調査によれば,一人当たりの学校費は,年30ドル以下が45%,60ドルまで22
%,100ドルまで14%,100ドルを越える学校が10%,200ドルを越える学校が
5%(最高は420ドル)となっている(41)。
また,寄付金を集めることも,一定の制限内で借金をすることも,各学校理 事会に認められている。
3−2−1生徒数による学校予算配分と地域間格差の問題
学校理事会の財政収入の中心は,政府から配分される学校運営と教員給与予 算である。そして,この予算配分は,基本的には,集まった生徒の数に合わせ て配分する仕組みになっている。学区の枠を越えて通学することが,1988年か ら可能とされたなかで,この予算配分がおこなわれることは,学校によっては 生徒が減って教員人事に深刻な影響が出ることを意味している(42)。
また,クライストチャーチの学校を調査したゴルドンは,中間層白人の脱出
(White Flight)が,全市において起こっていることを,っぎのように報告し
ている。
「調査した一つの中間学校では,生徒数が増加している。付近の中間学校が 生徒を失っていると思われる。学区制があった頃は,5の学校からであったの が,学区制が廃止されてからは,生徒が11もの学校から集まってきている。そ れらの学校は全て富裕な小学校である。96%が白人であり,地域はヨーロッパ 核家族によって構成されており,高い就業率を示していた。」(43)
「分権化」はもともと,学校選択政策として進められている側面をもってき
た。学区制度を廃止させることは,学校選択を導入し,学校間に競争関係を導 入することによって,学校経営の活性化をはかろうとする教育政策の側面をもっ ている。そしてこれは,国民党政権が成立して以降さらに強められている。
ただし現在のところ,各学校には教育省によって最大定員が決められている。
これは,学校理事会からの申請を受けて検討され毎年修正されるが,学校配分 予算は,最大定員までしか配分されない。また,学区外からの生徒数の割合に 制限が設けられており,学区内の生徒にその学校への通学優先を与えている。
なお中等学校の場合,入学審査は書類選考と面接によっておこなわれるところ が多いようである。
3−2−2慢性的な財源不足
このことと並んで指摘されていることは,財源の不足である。政府からの配 分予算は,教育改革法が成立して以来,抑えられたままになっている。学校運 営費だけでなく,教員の給与も,論者による教員組合からの聞き取りでは,こ
こ数年まったく上がっていないとのことであった。
また,公平補助金の不足による,困難学校への影響も深刻である。公平補助 金は,格差是正を目的として,一定の条件に属する学校(生徒の50%以上が生 活困難であるか,またはマイノリティであり,英語を母語としない生徒,長欠 生徒,低学力の生徒などが一定数を越える学校)に,その申請が認められた特 別予算となっているが,この補助金の申請が急増しいる。新聞報道によれば,
去年213であった困難校が,今年は1077になり,かっ,公平補助金の財源その ものは,昨年のまま据え置きとなっているために,この財源を受け取ってきた 学校の多くが,貧困家庭の児童生徒を援助するために使ってきた資金を,数千
ドル失う結果になっているという。ある小学校では,2万8千ドルの補助金が 2万ドルに削減されたために,家庭で問題をかかえている子どもたちのための,
補助授業の実施が困難となっている㈹。
また,財源の運用を決められるようになったといっても,実際には,学校施 設の維持管理費の確保がむずかしくなっているのが現状となっているところが
多い。
3−2−3 教員の給与保障をめぐる紛争
さらに,論者のニュージーランド滞在中,新聞をにぎわしていたのは,教員 給与をめぐる問題であった。1991年7月,文部大臣スミスが一括予算(bulk funding)の導入を発表した。これは,学校理事会毎に,独自に教員の給与を 決定させようとするものであった。それ以来,国民党政権と教員組合との間で 紛争が続いている。教員組合は,ニュージーランドにおいて組織力のある公務 労働組合で,これまで政治力をもってきたが,1991年成立された雇用契約法の 影響もあり,1994年半ばで切れる雇用契約をめぐって,論者の滞在中も,文部 大臣と教員組合との間で折衝が続けられていた。
現在のところ,多くの学校理事会はこの国民党政権の提案に反対している。
多くの学校理事会が,政府が教育費支出を削減しようとしている,と見ている
からである。
3−3 カリキュラムにかんする権限とその動態
カリキュラムは,教育省によって設定されるナショナル・カリキュラムと,
そして中等学校では,このほかに,NZQAによる国家試験科目とによって基 本的には構成されている。たとえば,論者が訪問した中等学校では,次のよう なカリキュラムとなっている。
「Form 3では必修科目:芸術,英語,数学,音楽,体育,科学,社会と選 択科目4,Form 4では必修:英語,数学,体育,科学,社会と選択科目2,
Form 5では英語を含んだ5ないし6のSC(School Certificate)科目,およ び保険と体育。なお英語と数学,および科学または生化学を学習することが求 あられている,Form 6ではSFC(Sixth Form Certificate)科目から3科目 以上選択。ただしこの場合,履修しようとする教科のSCで50%以上の成績を とっていることが求められる。全ての生徒が6科目を学習する。他学年の科目 を履修することもできる。Form 7では, UEBS(University Entrance,
Bursaries and Scholarships)と高校卒業資格をとることができる。卒業資格 には,少なくとも3っの高校卒業資格科目と2のシニア科目を履修することが
求められる。」㈲
3−3−1少しつつはじまった多様なカリキュラムづくりの取り組み
アンケート調査では,教育行政レベルで改革が起こっても,日常的な学校で の授業に大きな変化が生まれているわけではないという結果が報告されてい
る(46)。
しかし,「分権化」によって各学校は,より自由にカリキュラムを編成でき るようになっていることもまた確かである。たとえば,さきにも紹介したヒラ
リー中等学校では,民族identity形成への要求を土台にしたカリキュラムづ くりを積極的におこなっている。マオリ,サモア,クック,トンガ,ニューギ ニア(Niuean),ヨーロッパそれぞれの民族別に,学年を統合したグループを っくる,独自のカリキュラムをこころみている。校長はもちろん,教員の多く も,マオリ語も話せるバイリンガルである。なお,この学校では,大学進学者 がこれまでのところゼロであるためもあって,地元企業との連携にも積極的で あった。美術などの教科に優れている特色をいかし,地元企業での縫製訓練を モデルとしながら,縫製をカリキュラムに取り入れていた。
3−3−2 NZQAの影響力
NZQAは,すべての学力認定・資格認定のための国家試験(47)を一元的に管 轄しており,中等学校カリキュラムへの影響力も大きくなっている。教育機関 と産業界とを接続する役割を担うことになるこのNZQAが,国民党政権のも とで,教育に影響力をもつようになっているのである。
すなわちまず第一に,国家試験をパスするためのカリキュラム要件を満たさ なければ,生徒や父母からの学校支持は得られなくなっているために,学校の カリキュラム編成は,常にNZQAの試験制度によって,実質的に影響を受け ている。国家試験の合格率が一覧表として新聞などで報道されることによって,
つねに学校は評価を受けており,カリキュラム編成は,この圧力のなかで実施
されている。
第二に,NZQAは政府部局ではなく,独立した機関となっている。文部大 臣によって任命された10名が雇用者,地域,教育それぞれの利益を代表して中
央委員会を構成しており,この中央委員会が現在5の小委員会を組織している。
そして,この委員会を通じて集められた声は,国家資格試験の科目とそのため の履修内容として提示される。しかも,NZQAはその資格認定をする権限を もっのである。国家試験を一手に統括するNZQAは,中等教育以降の教育内 容に対して,資格試験制度という,いわばその出口をコントロールすることに
よって,効果的にその影響力を発揮できる機関として注目されている。
4 青年期におけるidentity形成の問題と教育制度改革の課題
以上が,ニュージーランドで進行している教育改革に関する報告である。最 後に,この教育改革を評価する視点について,今後の課題としてふれておきた
い。
ニュージーランドで現在進行している教育改革に対する評価は,その評価者 のよって立っ視点の違いによって異なったものになる。すなわち一方で,国民 党政権などから見れば,現在の教育改革は,学校選択と経営の観点からして中 途半端なものにとどまっていると映っている。他方,たとえば,マオリの解放 を目指している実践者からは,現在の教育改革が,マオリの教育参加を実質的 に保障したものにはなっておらず,マイノリティの問題を解決するものとはなっ ていないとして批判されている。この評価の違いは,「分権化」をめぐるとら え方の対立から生じているようにみえる。セックストと・レポートに象徴され るような国民党政権による分権化政策は,まさに市場原理を導入するためのも のであるのに対して,労働党政権による分権化政策は,この市場原理の導入と,
参加民主主義の原理を導入しようとする動きとの折衷策として特徴づけられる だろう。これら対立する議論を,われわれはどのような視点にたって評価すべ
きなのであろうか。
わたしはその評価を,青年期にいる生徒の視点からおこなってみる必要性を 感じている。教育制度改革に対する評価は,今後,青年期におけるidentity 形式に対する影響を軸としておこなわれるべきであると,論者は考えている。
identity形成は,青年期における中心的課題である。中等学校とは,まさに
このidentity形成の時期に生徒が通うことになる場である。こうした青年期 におけるidentity形成は,将来の職業像を形成する過程として,労働市場の ありようから影響を受けるであろうし,またそこに影響を与えるであろう。そ
してまた,identity形成にとって不可欠である「なかま関係」=対話のできる 社会関係のあり方によっても,青年期の人間は影響を受けるだろう。このよう
に考える場合,はたして,一連の教育改革によって,生徒をとりまく父母たち,
教職員たち,そして生徒同士の関係は,どのような変化を受けたのだろうか,
受けなかったのだろうか。
4−1生徒のidentity形成意識
「生徒が勉強をしなくて困っている。卒業資格基準を厳しくしても,生徒が 勉強をするようになるわけではない。」
これは論者が,郊外に位置する中等学校の副校長から聞き取りした言葉であ る。また新聞によれば,1992年度4754人であった中等学校生徒の停学者数が,
1993年度には5807人に増加している㈹。学校理事会協会は,その対策会議を設 置したということである。
SC(School Certificate)という,最初の学力資格試験が15才のころにある ことはすでに述べてきた。80年代以降失業率が上昇していることを考えれば,
この試験をパスすることが,失業の不安をやわらげる上で必要であることは,
生徒にも強く意識されていることだろう。実際,訪問した中等学校のなかには,
個人名入りで,学力資格認定試験の得点を発表している学校があった。「SC
(School Certficate)で特別すばらしい結果がでた。学習に熱心な生徒(Form 4)が,すばらしい結果を出した。ヘス[仮名一引用者一]は,数学で96%,
科学で93%,英語で82%を獲得した。リー[仮名一引用者一]は,数学で93%,
科学で93%,会計で90%,英語で87%,経済で77%,そして地理で76%を獲得
し,これはForm 5の生徒でトップであった。」(49)
しかし,こうした試験は,どの程度主体的に生徒によって選択されているも のなのだろうか。
学力の経済格差や民族格差の問題が,80年代以降ニュージーランドにおいて
顕在化している。ニュージーランドでも,他の欧米諸国と同様,大学資格試験 の合格率が高い「評判の良い学校」は,経済的に豊かな地域に位置している学 校が多い。それと反対に,合格率の低い学校は,経済的に貧しい地域に位置し ている学校が多い。しかもニュージーランドでは現在,学区を越えて通学でき るようになり,父母や生徒は進学する学校を選択できるようになった。成績の 良い生徒が,「評判の良い学校」へ集中する現象が起こっていることを示す調 査結果も発表されてきている。
こうした学校間格差は,まず,民族間における成績達成の違いとして現れて いる。たとえば,ある中等学校では,SCで,40%の太平洋諸島出身者が一っ の科目も合格できなかったのに対して,ヨーロッパ系生徒ではその割合は8%
であった(5°)。
しかし,問題はそれだけではない。それぞれの地域の生徒・父母がいだいて いる学習観・学校観の違いによっても学校間格差は生まれてくることが,ジョー
ンズ(Alison Jones)の調査によって報告されている。
教室の中での教師と生徒の関係のあり方は,明らかにパケハ(ヨーロッパ 出身者)と太平洋諸島出身者とのあいだで異なっていた。太平洋諸島出身者の クラスでは,討論のスタイルはまれである。また,授業はノートに書き移すこ とが中心のスタイルとなっている。それに対して,パケハのクラスでは,一人 ひとりがそれぞれワークシートにもくもくと取り組んでいる。あるいはまた,
テーマを自分でたてて調べたり,討論する授業スタイルをとっていた。 両 者にとって,学校が勉強をするところであるという意識は共通している。しか
し,その勉強のパターンは,太平洋諸島出身の生徒とパケハの生徒との間で,
まったく異なったものとなっている。すなわち,南太平洋諸島出身の生徒たち にとって,勉強はノートをとることであった。これに対して,パケハのクラス の生徒たちにとっては,単にノートをとるだけでなく,その内容にっいて積極 的にかかわる(討論し,理解しようとし,それを実際に自分で生かそうとする)
こととして意識されている。パケハの生徒たちは,ノートをとるだけの授業は,
このクラスにはあわないと話している (51)。
生徒自身の描いている学習観・学校観の違いによって,学校の授業が異なっ
てきていることが,ここには描かれている。
これらの状況を考えれば,生活困難層やマイノリティの生徒たちの間に,
identity形成がおこなわれる青年期において,学力資格認定試験によってみず からの生活設計が「見えて」しまう問題が生じているのではないか,という危 惧が論者には生じる。自分の適性を自分で納得してっかめないうちに,労働市 場で不利な立場にあることを,identity形成がおこなわれる青年期の,まさに そのときに,感じなければならなくなっているのではないだろうか。生徒がお 互いに競い合い,そして,教師から与えられる学習を価値のあるものとして受
けとめることのできる,経済的な見通し・希望を持てる生徒と,それが持てな い生徒との間に,溝ができているのだとしたら,このことが,青年期における identity形成に影響を与えざるを得ないだろう。
しかもともに,「社会科の学習で,彼女たちは,学校の知識が彼女たちの実 際の世界とは関係のないことを学ぶ」(52)のだとすれば,学校での学習内容はいっ たい,青年たちのidentity形成にとってどれほどの価値をもったものになっ ているのかという問題が,起こらざるを得ないだろう。
いずれにしても,今回の調査では,生徒に対する聞き取りなどは実施できて いない。生徒のidentity形成意識にっいては,現在のところ推察するしかな い。今後の課題としたい。
4−2 今後の教育改革の動向
1988年からはじまる教育改革以前から,ニュージーランドでは,自分たちの 学校をもとめる親たちの運動が生まれている。そして,現在もその運動は続け られている。それは,マオリの文化的identity形成を基礎とした学校づくり の活動である,コーハンガ・レオとクラ・カウパパ・マオリの取り組みであ
る(53)。
(1)コーハンガ・レオ(Te Kohanga Reo)
コーハンガ・レオは,生きたマオリ語の環境を,就学前の子どもたちにっく りだすことを目的にした取り組みである。コーハンガ・レオは,1979年に発表 されたベントン(Richard Benton)のマオリ語調査に答える形で,1980年の
マオリ指導者会議で提案されてからはじまった。ベントンの調査は,マオリ語 が危機に瀕していることを明らかにするものであった。1988年までに520の施 設が開設された。
(2)クラ・カウパパ・マオリ(Kura Kaupapa Maori)
コーハンガ・レオに通う子どもたちも,6歳からは小学校に通わなければな らない。しかし,ほとんどの公立学校には,コーハンガ・レオに通ってきた子 どもたちに対する準備がなかった。そこで設立されてきているのがクラ・カウ パパ・マオリである。このクラ・カウパパ・マオリは,コーハンガ・レオのな かで確立されてきた教育観をもとにしてっくられた小学校である。この運動を 実践し,研究しているスミス(Graham Hingangaroa Smith)は,次のよう
に述べている。
「マオリの親たちは,彼らの子どもにかかわる意志決定に,力強く,かっ有 効な関わり方を実践してきている。『何が教えられるべきなのか」「どのように 教えられるべきなのか」『だれによって教えられるべきなのか』という鍵とな
る意志決定は,クラ・カウパパ・マオリとコーハンガ・レオの親たちによって,
これまでも決定されてきたことなのである。クラ・カウパパ・マオリに対する 親からのサポートは非常に高く,教育を運営するマオリの能力は,すでに,ク
ラ・カウパパ・マオリの運営を通じて証明済みのことなのであり,明日の学校 政策で地域に学校運営がゆだねられるようになるずっと前から,ひろがってい
たことなのである。」(M)
クラ・カウパパ・マオリの小学校として,90年に6校,91年に14校,93年に 23校が,政府から補助金を受けて設立されている。
学校運営の形態変化一それが学校選択によるものにせよ,教育参加によるも のにせよ一は,学校で伝達される知識や価値の形式に,どのような変化をもた
らすものなのであろうか。教育改革を,生徒のidentity形成に対する影響か ら評価しようとするばあい,この学校運営の形態変化が学校知識のあり方に与 える影響を調べることは必須であろう。その意味で,自分たちの学校をもとめ るマオリの学校設立運動は,重要な今後の調査課題である。
教育改革の影響が,学校での日常の教育実践,あるいは生徒のidentity形