教育をめぐる紛争の調停と「教育の自由」論
荒井 文昭
はじめに
小論の課題は、1950年代における「教育の中立性」をめぐる問題にさかの ぼることによって、「教育の自由」論1に、再検討を加えることにある。
日本の戦後教育史において、1950年代は、教育をめぐる政治的な対立が、
見えやすい形で激化した時代であり、「教育の中立性」が争点となった時代で あった。そしてこの時期、激化した対立の調停者として復権されてきたのが国 家である。すなわち、いかなる政治的な対立が国民の間に存在していようとも、
ひとたび国会で立法化されれば、この法を執行する中央行政政府=国家のみが、
教育をめぐる政治的な対立の調停役を担うことができると主張された。2 教育における対立の調停役を国家が独占しようとする、この動向に対して、
いちはやくこれを批判し、国家に対する「教育の自由」論を展開させたのは勝 田守一と堀尾輝久氏である。
しかし、論者のみるところ、「教育の中立性」で問われたはずの、教育をめ ぐる紛争をいかに扱うのかという問題が、「教育の自由」論では、未解決のま ま残されているようにみえる。すなわち、教育をめぐる紛争に対する対処を、
だれがどのようにおこなうことが、インドクトリネーションではない教育とし て正統化されるのかという問題は、「教育的価値の実現」をあざしたと思われ
る「教育の自由」論では、解決されないまま残されているのではないだろうか。
以下小論では、1950年代における「教育の中立性」をめぐる問題をふりか
えりながら、「教育の自由」論を読み直してみたい。
1.紛争の調停者としての国家批判
・教育をめぐる紛争の激化
「教育の中立性は,教育の自由の条件として,ないしは,前者は後者の一部 として,その中に含まれるものと考えられる。本稿においては,分析の重点は,
中立性よりも,教育の自由そのものに置かれた。従って,本稿の表題は必ずし も適当ではない。むしろ,『教育の自由』とすべきであったと思われる。」3 これは,1958年9月号と59年3月号の『思想』に,勝田守一と連名で発表
した「国民教育における『中立性』の問題」を,『現代教育の思想と構造』に 収録するに際して,堀尾輝久氏が付記した部分からの引用である。同書のあと がきには,この論文が,「偏向教育キャンペーンと教科書検定強化」が進行す る状況のなかで,『思想』編集部から,社会科教育をめぐる問題について執筆 を依頼されたことを契機としたものであったことが記されている。
このあとがきに記されているとおり,国家からの「教育の自由」論は,もと もと,教育をめぐる紛争が激化した1950年代における時代状況を背景として 提起されたものであった。
すなわち,1953年6月,いわゆる「山口日記事件」4を契機として起こった,
「教育の中立性」問題は,1954年1月の中央教育審議i会答申「教員の政治的中 立性維持に関する答申」をへて,1954年5月に,「義務教育諸学校における教 育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」,および,「教育公務員特例法」の 一部改正法を可決させた。さらに,翌1955年8月には,日本民主党が「うれ
うべき教科書の問題」第1集を刊行(これは同年11月,第3集まで発行され た)。これらを通じて,日本民主党は,社会科教科書のいくっかを具体的に取
りあげながら,これらを「偏向教科書」として批判した。そして同年12月に
は,中央教育審議会から「教科書制度の改善方策にっいて」が答申され,翌年
1956年の国会に教科書法案として提出された。この法案は結局,1956年6月
に廃案となったが,同年10月には,文部省設置規則の一部改正により,教科
書調査官が省令設置された。さらに同年12月には,教科書検定基準の改訂が
おこなわれ,教科書検定制は強化されている。
教育をめぐる紛争の調停と「教育自由」論 47
「教育の自由」論は,このように,社会科教育をめぐる紛争が激化し,「教 育の中立性」が問題とされるようになってきた状況のなかで提起されたもので
あった。
・教育をめぐる紛争調停者としての国家に対する批判
社会科教育をめぐる紛争が激化し,教育における中立性が問題となった1950 年代,その対立の調停者として復権してきたのが,中央行政政府=国家であっ
た。そして,こうした国家の姿の原型を,19世紀後半における必要悪として の国家から,道徳の主体としての国家への変質にとらえようとしたのが,堀尾 輝久氏らだった。すなわち,「古典的市民社会の価値である自由」が,労働者 階級の登場によって実質化する可能性をもった時,市民社会にとって必要悪で あった国家は,道徳的国家として自由の救済者の位置についた。こう説明した のが堀尾氏らであった。
この,紛争の調停者としての国家の復権は,1950年代,再中央集権化とし
て現れた。
国家が,教育をめぐる紛争調停者としての位置にっくことに対して,堀尾氏 らは,次のように批判した。すなわち,紛争をともなう教育の価値決定を,
「一党一派に偏すること」のないようにおこなうことが求められている教育の 場合,その紛争の調停役を,政府が担うことに対しては疑いがある。なぜなら
ば,政府は,国民の中にある対立した特定の利害を代表する一政党の影響下に 置かれているからである,と。5
教育における価値的論争を決定することは,中央行政政府=国家の権能を越 えているという主張にはリアリティがあるように,論者には思える。しかし,
この問題はただちに,国家に変わって,教育をめぐる紛争の調停をおこない,
教育の価値決定をできるのは誰なのかという問題に転化する。
「教育の自由」論では,紛争の調停をどのように進あて方向づけていこうと したのか,次にこの点にっいて検討してみたい。そのためにはまず,教育の私 事性原則から導き出される,教育専門性の自律論を検討する必要がある。
2.私事性原則と教育専門性の位置
・教育の私事性原則
「教育が私事であるという原則が,教育の中立性の真実の要求を成立させ
る。」6
この言葉には,次のような意味が込められている。すなわち,「人間の内面 性を含む形成の仕事に対して,外的権力が干渉することは許されない」という 教育の私事性原則を自覚することができれば,国家が対立の調停者としてふる まい中立性を装っていることが,近代公教育原則の変質にすぎないことを明ら かにすることができる。教育の中立性は,本来,国家が教育をめぐる対立の調 停者として君臨することを意味するものではなく,逆に,国家が教育に対して 統制を加えることを承認しない原則を意味するものである。教育をする権利は,
国家にではなく両親に存在する,と。
・「教育の自由」論の条件としての,専門家としての教師自律論
しかも,この教育の私事性原則を自覚することは,周知の通り,公教育とい うものを私事の組織化としてとらえなおす視点をっくりだした。すなわち,私 事としての教育を具体化させるためには,集団的に教育を組織する必然性が生
まれ,そして,学校施設とともに,教師という,専門的指導者の存在を生み出 してきたものが公教育である,と。堀尾氏らは次のように述べていた。
「現実では,知的・道徳的・感情的,そして身体的な子どもの発達という点 で,国民の多くの家庭生活は,経済的にも文化的にも,恵まれた条件を欠いて いる。幸福への希求は感情的には切実であっても,その権利を平等に保障する 条件は,それぞれの家庭の力だけではととのえられない。したがって,その条 件をととのえるために,集団的に教育を組織する必然性が生まれてきたのであ る。そこで重要なのは,施設はもとよりであるが,教師という,専門的指導者 の存在である。」7
そして,父母から子どもの教育を委託される教師は,子どもの権利としての 教育を,その名に値するものとすることが職務の内容とされ,専門的指導の自 律性が求められる。
「親の委託にこたえ,『国民全体に直接に奉仕する」教師の自由は,教育の
自律性を保障する条件であるとともに,同時に,教師の人間的欲求に根ざして
教育をあぐる紛争の調停と「教育自由」論 49
いる。ここに,教師が権力を通してでなく,子どもと親とに直接奉仕するとい う公教育の実質的方向がある。」8
ここには,教師の自由が国家からの教育の自由の条件であり,国家からの教 師の自由を条件とすることによって,教師は子ども・親に直接奉仕することが できると述べられている。すなわち,教育の自由が,この国家からの教師の自 由を条件として成立するものであることが述べられているのである。
3.国家による公共性の独占を支えた「民主化のよじれ」をめぐる問題
・教育専門家が,紛争の調停を担うことをめぐる問題
この教師の自律論には,しかしながら,教育をあぐる紛争の調停をいかにお こなうのかという問題を理論的にとらえようとした場合に,課題が残されてい るように思える。すなわち,本来,教育の自由を実現させる上で必要な条件と してその正統性が認められる,教員の専門性の国家からの自律性であったにも かかわらず,教育をめぐる紛争の調停役までをも,結果的には,専門的指導者
としての自律性をもっ教師の役割とされかねない記述がある。
「教育の自律性は,子どもたちや親たちの幸福の追求と本質的に結びあうの であるが,しかし,確信をもたない追従は,かえって,その本来の任務を遂行 するのを妨げる。むしろ,自律性は指導としての性格を放棄することはできな い。したがって教育は,権力に対して自律を要求すると同時に,子どもや親た ちに対してもまた,指導を有効にはたすために,自律的なのである。確信的・
自主的でありえない教師は,親の信託にこたえられないのである。」9
教育の自由論は,教育をめぐる紛争の調停者として国家を批判し,国民によ る教育を提起しながらも,専門的指導性を持っがゆえに保障されるべき,国家 からの自律性を持っとされる教師に,結果的には,教育をめぐる紛争を調停す
る役割をも担わせてしまっている。
・背景としての「民主化のよじれ」状況
もちろん,これには背景があったものと思われる。すなわち,専門家として
の教師が,教育をめぐる紛争の調停役も担うことになった背景には,「民主化
のよじれ」と呼ばれた当時の状況と,教育委員会制度の改変があったからであ
る。
宗像誠也の教育委員会論にみられた「民主化のよじれ」問題1°,すなわち,
民主化されなければならない国民が,民主化の主体にならなければならないと いう二律背反をこえるすじみちとなるはずであった教育委員会制度が,逆に国 民の意識の中に,民主化のよじれを生成しているということと同様の問題が,
教育の自由論にも存在していたのではないだろうか。教育の自由論においてそ れは,「政治的関心と教育的関心の非連続」あるいは,「親たちの意識における 表層と深層のギャップ」として,っぎのように述べられていた。
「現実政治の場で,教育が政治の一部(教育政策)として,政治に解消され るばあい,代議制にもとつく間接民主主義では,教育と国民のっながりは,間 接的でしかない。政治における世論は,幸福追求の深部の欲求よりも,それに 支えられながらも,その内容を変質させている『信条の体系』にもとつく反応 によって形成される。[一略一]この親たちの意識における表層と深層のギャッ プが,政治的関心と教育的関心を非連続にし,その教育への願望を政治の中に 解消して,それを間接化するのに役立てられる。反動教育政策はこのすえかえ をねらいのなかに含みながら,有効なてだてを組み立てている。政策のねらい が,教職を形式的に専門化(じっは)教師の末端官僚化し,教育行政制度を中 央集権化することによって,教育を政治の軌道にのせ(日経連のいわゆる「正 しい教育行政権』の貫徹),それによって,教師と親たちとの直接的結びっき を切り離し,父母の教育要求を,政治を媒介することによって,公的なものと
し,間接化しようとする点におかれていることが明らかなのである。/しかも,
その政策には,代議制民主主義が前提とされている。そこで教育政策は,「国 民の意思』にもとつくという正統化が形式的に可能になる。」11
ここには,親たちの意識に存在している,政治的関心と教育的関心の間のズ レが,国家による公共性の独占を支えるテコとして利用されていることが述べ られている。
・地域の支配的政治勢力による教育委員会制度の独占
堀尾氏らは,教育委員会制度に対しても厳しい評価をもっていた。すなわち,
教育委員会制度も,地域の支配的政治勢力が,中央の政治勢力と連携して,公
教育をめぐる紛争の調停と「教育自由」論 51
共性を独占しようとするため,最終的には住民の教育要求を組織することがで きないと,とらえていた。
「たとえば,地域の住民を教育的要求の組織者とする教育委員会制度がある
[一略一]しかし,前者によっても,現実の利害や要求の相違を最終的に調停 することはできないことは,日本でもアメリカでも明らかにされている。地域 の支配的勢力が,より大きな権力と結び,法の適用にさえかくれて,『公共性』
を独占し,枠づけようとするからである。」12
ここでその地域支配の実態として引用されていたのは,宗像誠也の『教育行 政学序説』の中の,G. S.カウンッによるアメリカにおける教育委員会委員
の社会的構成を調査した研究を紹介している部分であった。言うまでもなく,
このカウンッの研究とは,公選による教育委員会であっても,その委員の社会 階層上の構成は,著しく有産・有識階層に偏ったものになっていることを,調 査によって明かにしたものである。
さらに,地域の支配的政治勢力によって独占されているのは教育委員会だけ ではなく,中立性をよそおっているPTAも,地域の保守的政治勢力の温床と なっていること13,そして,勤務評定をめぐる問題に際して現れたように,こ の地域の保守的政治勢力が,中央権力と結びっいて,教師の自由を脅かしてい ること14,これらを,堀尾氏らは指摘していた。
・公選制から任命制への改変による紛争の激化
堀尾氏らは,教育委員会制度が公選制であった時には,これが一定の調停機 能をもちうる可能性を認めていたが,これも,政治的圧力によって任命制に変 容させられて以降,ますます困難なものとなったとも述べている。すなわち,
公選制から任命制への統制が,教育委員会制度の調整機能を喪失させることに なり,ますます政治的紛争を引き起こすようになっていったという分析が見ら
れる。15
国家が中立性を独占することに対して,教師の自律性を軸として,国家から の教育の自由論を対置させた背景には,このような,当時の民主化情勢に対す
る現実的な状況判断が,堀尾氏らの理念枠組みに影響を強く与えていることが
読みとれるだろう。また,民衆統制の制度としての公選制教育委員会制度が,
任命制に強圧的に変質させされたことによって,一定の調整機能をはたすこと が期待されている教育委員会制度も,その可能性を失ったことも影響していた
ことが考えられる。
4.紛争の調停役としての教師と「社会的合意の水準」論
・自由のための方向性づくりを,だれが担うことができるのかという問い 教育の自由のための方向性づくりを,だれが担うことができるのかという問
いは,「民主化のよじれ」問題を媒介して,結局,親の教育への私的関心がそ のままではエゴイズムに陥り,そのことがまた,国家による公共性の独占を支 えるテコとして利用されることになるという,支配の正統化サイクルをいかに して断ち切るのかという課題として引き取られていく。そしてそれは,支持の 組織化を担う主体をどのように見いだすのか,「自由のための抵抗」がもっべ
き方向性をだれがっくっていくのかという担い手の課題になっていく。16
・教師の良心に対する勝田守一の期待
そして,自由のたあの抵抗がもっべき方向性づくりは,教師の良心に対する 期待と,その父母との直接的な対話の中に見出されていく。その原型は,勝田 守一によってすでに示されていた。
「国民教育は保守と進歩の対立を反映しているが,苦しい経験の中で,分裂 を正当な権利をもって克服しようとする努力が大衆と接するところで続けられ ている。その努力には未来を期待することができる。しかし,このような対立 をすでに危険とみて,国家的価値の名のもとに,強圧的な統制によって,これ を解消しようとする試みやそれに追随する方向には未来はない。」17
これは,勝田が,1955年8月号の『思想』に発表した論文からの引用であ る。ここで述べられている,分裂を克服しようとする努力とは,「自由主義的 原則を実質的な国民教育のとりでとするための努力」18のことであり,別なと
ころでこれは,「多元的な価値を認め,その調整のもとに方向づけていく」取 り組みとも表現されていたものである。そして,この担い手として,「教師の 良心」に期待がかけられていた。
・教師の役割に対する期待
教育をめぐる紛争の調停と「教育自由」論 53
この期待は,1958年から59年にかけて発表された,堀尾氏らの論文におい ても踏襲されている。
「父母の教育的関心あるいは要求を組織するためには,その多様性から,次 第に基本的な願いを意識化する作業を経て,教師の専門的指導性と親たちの生 活体験との相互の交流の中で,子どもの成長の意識を中核にして,多様な要求 を統合しなければならない。/しかし,教師と父母との緊張関係は,最終的に 解消するというようなものではない。この緊張は,絶えず変化する教育的状況
に応じて現象的な要求が教師に向けられるばかりでなく,父母の階層差にもと つくインタレストのちがいや意識の重層性にもとつくからである。この緊張関 係を教師はその創造的活動への障害とするのでなく,公教育の組みかえのため の必然的な課題として受けとり,これを解決するためには,父母の教育の場に おける関心を,自分の子どものそれから,それを媒介としながら,自分の子ど
もの成長のための学級,あるいは学校集団のそれへと拡大する努力が必要にな る。それは,教師とともに父母に教育を自己のものとする意識が成長しそれが,
自分たちのものへと発展し変化する過程である。」19
ここには,父母の教育要求を組織することを,教師の努力によって追求する 過程が,やがて父母自身による教育要求の組織化にっながっていくという筋道 が提起されている。同様な議論は,PTAの民主化に関するところでも,次の
ように述べられている。
「いままでPTA活動からしめ出されていた父母たちが, PTA組織のなか で,教育的関心に影響を与えるようにならないかぎり,父母と教師との結びっ きを,『国民的』課題として実質的に発展させることは困難である。[一略一]
国民教育が,日本社会の最底辺に根をおろし,そこから教育への要求を組織し 直すたあに,未組織労働者や農民の父母たちの要求がPTA組織内に反映する
努力は,むしろ,教師の活動にまっほかはない。」2°
教育をめぐる,紛争をともなう多様な価値観を調整しながら教育的価値の実 現をめざしていくという方向性づくりの課題は,国家による間接的な統一では
なく,小さな集まりによる,より直接的な協議による話し合いを通じて,方向
性の一致点がさぐられるべきことを提起しているが,その担い手とされている
のは,教師となっている。
このように,紛争をともなう教育要求の組織化が,教師の役割を軸として議 論されたことの背景としては,当時の状況判断(「民主化のよじれ」現実の中 で、)があったことが予想できるだろう。そしてこれは,より直接的な民主主 義による教育統治の展望を,当時においてはリアルに提起したものでもあった
ことが予想できる。
しかし,紛争をともなう教育要求の組織化(=中立性の確保と新しい公共性 づくり)という課題を,教師が地域住民として担うべき課題として述べるので
はなく,これを教育専門家たる教師が担うべき課題としてしまうと,問題はまっ たく別なものとなる。なぜならば,教育専門家たる教師が,紛争をともなう親 の教育要求の組織を中心となって担うことは,専門家による親の教化の論理に なりかねなくなってしまうからである。このことは同時に,教育における統治 の問題をあいまい化させる議論にもなってしまう。
むろん,教育権論としては,子どもの学習権保障を担う限りにおいて,教師 の専門性はその自律性が認められることになるため,親に対する教師による教 化などは認められていない。また実際,今日において,知識人としての役割を 担おうとする教師は,1950年代と比べれば相対的に減っているであろう。問 題とされるべきなのは,学習権保障の議論のみでは,教育をめぐる紛争を調停
していくという課題が解決できないということである。そして,この教育をめ ぐる紛争を調停していくという課題があいまい化されたまま,かっ,学習権の 内実そのものの研究がすすめられなければ,教師の自由を条件とした,国家か
らの教育の自由論は,たちまち形骸化された議論になりかねないのではないだ
ろうか。
・地域教育懇談会の組織化による「合意の水準」論
教育の自由論では,紛争の調停をも担うことが期待された教育専門家として の教師像を軸にして,地域教育懇談会の組織化が提起された。
「この教師の自己確信を側面から支える,社会的同意の問題に触れておかな
ければならない。[一略一]『公正』には,不動な基準はない。この『公正』へ
の感覚は動的なものである。この『公正』への感覚を,歴史的に蓄積してきた
教育をめぐる紛争の調停と「教育自由」論 55
諸価値,人権,科学的知性,平和などの思想と現実的に結合することによって,
社会的同意の水準が高まるのである。[一略一]『この社会的同意の水準を,小 さな組織から高めていくことによって,『世論』が少しずっ傾斜しはじめる。
このばあいに,教育的価値を直接守るのは,世論ではなく,その高められた社 会的同意の水準なのである。」21
ここでいう「世論」とは,教師を囲い込んでいるもの,すなわち,国家「中 央権力」と結びついている地域の保守権力「反動的勢力」の声,あるいは住民 の「表層」意識をテコとして利用した,教育要求の政治による間接化による国 家の正統化を支える声,のことである。そして,これに対抗するために,教師 の自律論は,父母と教師の直接的な結びっきによって,教師の自律性を側面か
ら支える社会的同意の水準を高める戦略を提起した。それが「小さな組織から」
論である。すなわち,小さな組織から「社会的同意の水準」を高めていくこと によって「世論」を変化させていく取り組みを提起したのである。そこには,
教育的価値を守るのは,「世論」ではなく,「高められた社会的同意の水準」で あるという判断がはたらいていた。
以後,「小さな組織から」論は,「PTAの民主化」「地域教育懇談会の組織 化」として,教職員組合の運動方針にっながっていった。この議論は,教育専 門性を軸とした,地域からの教育合意づくり一地域教育懇談会活動の組織化一
として議論され,現在も,スローガンとして掲げ続けられ,実際に貴重な実践 事例が蓄積されてきている。22
しかし,教育をめぐる紛争問題は,専門性を「側面から支える」とされる,
「社会的同意の水準」問題として議論されてしまうことになり,教育における 正統性の問題が,地域教育懇談会の組織化事例からは,抜け落ちてしまうこと
になってこなかっただろうか。
親の役割が,国家に対する教師の専門性の自由を側面から支えるものとして 位置づけられていることは,教育専門性の自由が,国家からだけでなく,親に 対しても尊重されなければならない限り当然なものでもある。しかし,紛争を
ともなう教育的価値の決定は,専門家として守られるべき自由を保持している
教師の役割とは区別されるべき問題である。教育的価値の決定は,一般政治に
よって解決できるものではないが,それは,教師によって決定できるものでも ない。それは,教育現場の当事者たちによる,より直接的な協議によって決定 されるべきではないだろうか。教育における,より直接的な民主主義のあり方 が,教育政治の在り方として研究される必要があるだろう。
教育専門家の自律性を基盤とした,この地域教育懇談会の組織化論は,その 後,理論的な検討がなされないまま,スローガンとして掲げ続けられている。
理論的再構築(総括)なきスローガン化が進行してしまっている状況のなかで,
新自由主義政策とセットにされた情報公開政策が,90年代半ば以降に急速に 具体化し,教師の専門性を浸食してきているのが現在の状況であろう。こうし た状況の中で,教師の教育の自由を守っていくためにも,教育的価値の決定を めぐる,より直接的な民主主義のあり方が求められている。
今日,教育専門家の自律性を中核とした,教育をめぐる紛争の調停(父母の 教育要求の組織化)が困難になっているとしたら,それに代わる議論が求めら れなければならない。23問われているのは,教育をめぐる紛争への対処の仕 方一教育の正統性をめぐる問題一である。今後ますます,学校と父母・住民と の関係が問題とされる場面が生まれてくるであろう。その場合,「教育におけ
る民主主義」のあり方が問われてこざるをえないのである。
5.「教育政治の行政化」と教師の自律論
これまで検討してきたとおり,「教育の自由」論が展開されたのは,教育を あぐる紛争が激化した1950年代なかば以降である。1958年から59年にかけ て発表された勝田・堀尾論文,および,その源流と思われる勝田の論文は,
1955年に発表されている。こうして「教育の自由」論を検討してくると,1950 年代のなかばには,一っの分水嶺が存在しているように思われる。すなわち,
教育決定の主体としての国民像と教育の民衆統治論に向かっていた潮流が,国 家からの教育専門性の自律論にその流れを変えていく分水嶺が,1950年代の 半ばに存在しているように思われる。「教育の自由」論は,こうした時代的状 況の反映であったとも言えるのではないだろうか。
そして以後,「分権化」が具体的に論じられるようになるまでの30年以上に
教育をめぐる紛争の調停と「教育自由」論 57
わたって,専門家の自律論を軸とする教育の自由論は,実践の現場においては,
国家の中立性論(=行政二分論)24の拡大を止めることができないまま今日に いたっているのではないだろうか。
・教育政治の行政化
いくっかの先行研究25によってすでに指摘されてきたとおり,この1950年代 における国家の中立性論(=再中央集権化)は,国家が教育をコントロールす る体制を整えたとする,これまでの通説によっては説明しきれない数々の課題 を残している。
再中央集権化とは,紛争をともなう教育に関する集合的意志決定の過程であ るところの,教育政治の舞台が,自治体から国に吸い上げられる過程としてと
らえることができると思われるが,この過程は,自治体においては,教育政治 の行政化としてあらわれた。すなわち,教育政治の行政化とは,紛争をともな
うような決定事項に対して,それを最小必要な限り国会において立法化し,残 りの部分は,現行法解釈の修正,もしくは政令や省令といった行政立法,ある いは数々の通達などの行政裁量によって処理しようとする動向としてあらわれ た。この動向は,自治体においては,教育委員会の紛争処理を含む決定行為の 形骸化としてあらわれ,この時以降,自治体は,教育をめぐる紛争をともなう 意志決定行為を,行政として執行する役割を担わされることになった。
しかし,教育をめぐる紛争がすべて国家へ移されたわけではなく,その紛争 の調停をめぐる教育政治は,自治体においては,教育行政の裁量をめぐる領域 を舞台として存在してきているものと思われる。特に,教員昇任人事の領域は,
ほかのカリキュラムなどの領域に比べれば,再中央集権化の現象が生じている わけではなく,都道府県レベルの教育官僚組織とも呼ぶべきものが形成されて いくことによって,これが,国家と相互作用を何らかのかたちで取ることによっ て,教員昇任人事をコントロールする仕組みが構築されてきたことが予想され
る。
これらの過程は,区市町村を越えた都道府県レベルの教育行政をめぐる領域
となり,地域住民からはほとんど知ることのできない,あるいは,一般の教職
員からも見えにくいものとなり,これは,いわば,教育政治の不透明化が進行
する過程でもあったはずである。
・争点とされるべき教員昇任人事の問題
教育をめぐる紛争の調停舞台を,中央行政政府=国家に吸い上げ,紛争をと もなう意志決定行為を,法の執行という形で各自治体に遂行させようとするシ ステムは,一方では,個々の学校管理の場面においては,その執行権限と責任 を校長に担わせようとする形となって具体化する。それは,1950年代末以降,
学校管理の近代化を担うべき校長像となって具体化した。
しかし他方では,法の執行権限という形式をもって,紛争をともなう意志決 定行為の責任を担わせられることになる,この校長をふくむ教員昇任人事の決 定は,校長人事の科学化としての装いとはうらはらに,実際には,密室化した 教育行政裁量を舞台にして,教育官僚制とも言うべき組織によって実質的にお
こなわれていることが予想される。
そして,各種の権限と責任を担わされることになる校長人事を,だれがどの ように決定しているのかということがらは,教員適正配置を名目とした広域人 事異動などによって,自治体住民からは非常に見えにくいものとなっている。
また,校長人事に関する情報公開が遅れていることも,この状況を温存する要 因として働いている。
原理的にいえば,公立小中学校の校長には,教育専門家として,当該学校の 教職員から信頼を得ていることが求められるとともに,同時に,学校設置者と しての当該自治体住民からも,支持を得られていることが求められるであろう。
すなわち,校長には,専門代表性と地域代表性という,区別されるべき二っの 面が存在している。地域代表性は,教育専門性とは区別されるべき,公立小中 学校長がもっべき要素であろう。
しかし,もしも,教師の自律性の側面からのみ校長をとらえてしまうと,校 長のもっている地域代表性の側面が見落とされてしまうことになってしまう。
そしてこのことは,その校長が,当該自治体住民から支持されているかどうか という,すぐれて教育をめぐる統治にかかわる問題を,視野から落としてしま うことになるQ
教育の自由論が,「教育の国家からの自由」を「教育専門性の自律性」とし
教育をめぐる紛争の調停と「教育自由」論 59
て強調する限りにおいて,「教育政治の行政化」(校長人事の「科学化」)に対 して,有効な批判を加えることができない。
おわりに一残された統治(govern)の問題一
1950年代において,教育をめぐる政治的対立が激化するなかで,その対立 の調停者としての中央行政政府=国家が復権されようとする状況に対抗する議 論として,国家からの「教育の自由」論は展開された。すなわち,「教育の中 立性」は本来,個人内面への国家の介入を認めないという,近代自由原則を意 味するものであり,市民社会における対立を調停する役割を国家に担わせるた めのものではないというのが,堀尾氏らの「教育の中立性」問題を分析した論 文の一っの結論である。いいかえれば,教育をめぐる紛争の調停をだれがおこ
なうべきなのか(教育の統治をだれがおこなうべきか)という課題に対して,
「教育の自由」論がなしえたことは,中央行政政府=国家のみが唯一の調停者 ではないこと,および,この中央行政政府=国家が調停者になるべきではない
ことを提起したことにある。
しかし,「教育の自由」論においては,国家からの「教育の自由」を論じる ことが,教育専門性の自律論として展開されることによって,教育の統治をだ れがおこなうべきなのかという課題が未解決のまま残されてしまっている。論 者からすれば,国家による対立の調停を回避するには,教育におけるより直接 的な民主主義を対置させる必要があったのではないかと思われる。すなわち,
教育の中立性をめぐる争点であったはずの,教育の統治をだれがおこなうべき なのかという問題(=対立の調停役をだれがおこなうべきなのかという問題)
は,あくまでも,教育におけるより直接的な民主主義のあり方が,一般政治と は異なる,教育の領域における固有な政治のあり方として明らかにされる必要 があった。26そしてその上で,この教育の正統性をめぐる問題(=民衆統制
ともいうべき原理)と教育専門性の自律との関係が議論されるべきであった。
しかし,国家からの「教育の自由」論では,国民による教育が主張されながら
も,それは,国家からの教育専門性の自律論として展開され,教育の統治をめ
ぐる議論は,不十分なものにとどまっている。むしろ,「社会的合意の水準」
論にみられるように,教育の統治をめぐる問題が,教育専門性の自律論と混同 されて議論されてしまっている。
【註】
1 本論で使う「教育の自由」論という用語は,堀尾輝久氏らが次の論文で展開した議 論を指すものである。「国民教育における『中立性』の問題」(堀尾輝久「現代教育の 思想と構造」1971年,岩波書店,所収)。
2 拙論「『教育行政の政治的中立性」をめぐる課題」東京都立大学人文学部『人文学 報」279号,1997年3月参照。
3 堀尾輝久「現代教育の思想と構造』1971年,岩波書店,456頁。
4 大田尭編著「戦後日本教育史』1978年,岩波書店,211頁。
5 「教育基本法のことばをひくまでもなく,教育は,「国民全体に直接に奉仕する」
ことを本質とし,さらに,「一党一派に偏すること』のないことを求めている。とこ ろで,国会における多数は,多数であるにしても,それが多数勢力の一政党であるこ とにかわりはない。政府が政党内閣制のもとで,与党の影響下にあるとき,教育の価 値決定に対する調停者としての政府の資格は疑わしくなる。」堀尾,前掲書,384頁一3 85頁。
6 同上,411頁。
7 同上,413頁。
8 同上,413頁。
9 同上,414頁。
10黒崎勲「解説」宗像誠也『宗像誠也教育学著作集 第3巻』1975年,青木書店,
307頁。及び,拙論「『教育行政の社会学」に対する検討」『入文学報』250号(1994
年3月),参照。11堀尾,前掲書,447頁一448頁。
12 同上,414頁。
13 「「中立性」の迷彩をほどこされたPTAは,現在,地域の保守的・政治的勢力の 温床にさえなっているのは周知のことである。」同上,450頁。
14 「親たちと教師との結びっきという課題は,きわめて大きな困難にみちている。そ の困難は,勤評反対闘争においてもみられたように,中央権力と地域の反動的勢力と が,意識的に,教師を孤立させるようにはたらきかけているため,いっそう大きくなっ
ている。」同上,446頁一447頁。15 「国民の文化的内容や知識や技術の客観的価値というような教育の自律性と関係す
教育をめぐる紛争の調停と「教育自由」論 61
る領域がある。教育的価値の承認に対する社会的同意がある程度成立する領域がある。
このような条件を媒介として,同意を調整していくことを全面的に否定するのは現実 的な態度ではない。基本的対立は解消されなくても,変容し,相対的な安定が成立す る可能性がある。しかし,教育委員会さえもが,政府の統制によって変質したのちは,
その可能性も最小にならないわけにはいかない。『中正」の維持のための統制の強化 によって,教育問題が,社会的抗争の性格を強く帯びてきたのは,この調整のメカニ ズムが失われる前後からであったことに注意しなければならない。」同上,415頁。
16 「教育の私事性の自覚が,単にそこにとどまるかぎり,そして父母の教育への私的 関心が,本質的な意味での共通項の自覚を通じて連帯感を発展させえないかぎり,私 事性の意識は,親のエゴイズムに堕落し,子どもたちの排他的出世主義を助長するだ ろう。そして,そこから生まれる不当な競争意識は,試験地獄準備教育に拍車をか け,かえって反動的教育政策を支えるテコとして利用されている。だから,私事は組 織化されなければならないし,組織化されることによって,自由のための抵抗もまた 方向性を獲得するのである。」同上,448頁。
17勝田守一「国民教育の課題」『勝田守一著作集第2巻』1973年,国土社(『思想』
1955年8月号初出),209頁。
18 同上,207頁。