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Vol.30 , No.2(1982)111百濟 康義「倶舎論註『金花抄』について」

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全文

(1)

倶 舎 論 註 『金花 抄 』 につ い て

は じめ に 『宋 高 僧 伝 』(TNo. 2061, Vol. 50)は, 崇 塵 な る 人 物 が 『金 華 砂 』 十 巻 を, 玄 約 な る 人 物 が 『倶 舎 論 金 華 紗 』 二 十 巻 を 著 わ し た こ と を 伝 え て い る(p. 734a, 746a)。 両 書 は 文 脈 よ りす れ ば, い ず れ も 『倶 舎 論 』 の 註 釈 書 で あ る と 考 え ら れ る が, 現 存 し て い な い。 筆 者 は ウ イ グ ル 語 資 料 を 整 理 中, た ま た ま 『金 花 抄 』 な る 書 名 と そ れ か ら の 引 用 文 を 見 出 し た。 本 稿 は, こ の 『金 花 抄 』 と上 記 二 書 と の 関 係 を 考 察 し よ う と す る も の で あ る。 資 料 ス エ ー デ ン民 族 学 博 物 館 に は, 『倶 舎 論 』 の ウ イ グ ル 語 訳 本 の 端 本 (完本 の約1/15に あ た る16枚 の貝 葉 形 写 本)が 蔵 され て い る1)。 当 本 が 玄 婁 訳 『倶 舎 論 』(T No. 1558)か ら の 重 訳 で あ る こ と は, ウ イ グ ル 本 文 中 に 引 用 さ れ た 漢 文 と 葉 番 号 か ら 明 ら か で あ る。 こ れ ら の 写 本 の う ち, otuzunc yiti '第30(巻)7(葉)' の 葉 番 号 を も つNo. 40は 当 本 の 最 終 葉 に あ た り, 巻 末 表 記(r. 17-20)2)と 奥 書 (r. 53-64)の 間 に こ れ か ら 問 題 と す る 文 が 書 か れ て い る。 す な わ ち, 本 葉 はr. 21-23で (21)浄 因 道 者 菩 提 名 浄 無 我 道 能(22)趣 浬 盤 故 故 名 因 道 浄 之 因 道(23)依 主釈 也 と 漢 字 で 記 し た の ち, 次 のr. 24で は 漢 字 と ウ イ グ ル 文 で (24) 金 花 抄 中云 kim qaa cav-ta sozlar

"金 花 抄"で 言 う。

と 述 べ, 以 下r. 25-52に わ た り, こ の 書 物 か ら の 引 用 と考 え られ る 文 を 掲 げ て い る。 こ の 引 用 文 は 前 文r. 25-39と 後 文r. 40-50と に 分 け る こ と が で き る。 前 文 は

(25) 大 師 世 眼 tiguci slok-nung yaling anatkak-ca-si bo arur; 「大 師 世 眼 」 とい う頒 の文 字 どお りの イ ン ド語 は これ で あ る。 で 始 ま り続 い て 三 偶 が, 後 文 は

(40) 已 善 説 tiguci slok. nung yaling anatkak-casi bo arur; 「已 善 説 」 とい う順 の 文 字 どお りの イ ン ド語 は これ で あ る。

で 始 ま り 同 じ く三 偶 が, 引 用 翻 訳 され て い る 。 こ こ に 引 用 さ れ た 偶 文 は 『倶 舎 論 』

(2)

-994-倶 舎 論 註 『金 花 抄 』 に つ い て(百 濟) (49) 第8・9章 中 に 見 出 さ れ る も の で あ っ て, 冒 頭 の 「大 師 世 眼 」「已 善 説 」 の 漢 字 は 玄 突 訳 の もの で あ る。 す な わ ち 前 三 偶 は 玄 婁 訳r倶 舎 論 』T Vol. 29, p. 152b17-22[VIII 41, 42, 43], 後 三 偶 はp. 159b9-14に あ た る。 こ こ で 注 意 す べ き はr. 25と40で 「……と い う頽 (sloka) の 文 字 ど お りの イ ン ド語 は こ れ で あ る 」 と い う表 現 で あ り, 後 続 の ウ イ グ ル 文 が サ ン ス ク リ ッ ト語 順 で 示 さ れ て い る 事 実 で あ る。 六 偶 す べ て を こ こ に 録 文 す る 紙 面 的 余 裕 は な い の で, 前 文 と 後 文 よ り三 偶 を 選 び 紹 介 し て み た い。 最 初 に サ ン ス ク リ ッ ト文 と 玄 婁 訳 を あ げ, 次 に ウ イ グ ル 文 の 転 写 ・直 訳 を 行 な い, 下 に サ ン ス ク リ ッ ト相 当 語 (root, stem) を 並 記 す れ ば, 次 の ご と くで あ る。 文 例A. (r32-36):

gate 'tha santim paramam svayambhuvi

自覚已帰勝寂静

svayambhuvah

sasana-dhurdharesu

ca/

持彼教者多随滅

jagaty anathe guna-ghatibhir

malaih

世無依沽裏衆徳

nirankusaih

svairam ihadya caryate//42//

無鉤制惑随意転

(a)

barmi sta

incip

yig tistiinki

nirvanqa

行 った もの に お い て, そ の と き, 勝 れ て最 上 な る, 浬 架 に,

gata

atha

parama

sAnti

kntUn tu(y)mista/

み ず か ら覚 った もの にお い て,

svayam-bhu

(b)

kntiin tuymisning

sazinin sargiirdacilarta

yma.../

み ず か ら覚 った もの の, 教 え を, 保 つ者 た ち にお い て, ま た

svayam-bhu

sasana-dhurdhara

ca

(c)

yirtincita

umursuzta

adgularig

goruldurtacilar

iiza

世 間 にお い て, 救 な き も の にお い て, 徳 を, 損 う者 た ち に よ っ て,

jagat

a-nartha

guna-

ghatin

nizvanilar iza/

煩 悩 に よ っ て,

mala

(d)

ingrar3) (sic!)sizlar i za

ozin

okdamin amtY yorilur//

鉤 の ない も の た ち に よ っ て, みず か ら意 の ま ま, 今, 行 じ られ る。 nir-ankusa svaira iha adya car

文 例B(r36-39):

iti kantha-gata-pranam

既知如来正法寿

(3)

-993-(50) 倶 舎 論 註 『金 花 抄 』 に つい で(百 濟)

viditva sasanam muneh/

漸 次論 亡如至喉

bala-kalam malanam ca

是 諸煩 悩力増時

na pramadyam

mumuksubhih

//43//

応求解脱勿放逸

(a)

muni munculayu

boruzta

barmis

isig ozlilgiig/

これ を この よ うに, 喉 に お い て 行 つた 寿 命 を,

iti

kantha-

gata-

prana

(b)

bilip

tngri

burxanning

nomin sazinin/

知 っ て, 天 な る 仏 の, 法 教 を,

vid

muni

sasana

(c)

kucadmaklig

Min

nizvanilarning

yma

強力 にす る 時 を, 煩悩 の,

また

bala-

kala

mala

ca

(d)

nang

simtalruluq

armaz

ozmaq qutrulmaq kiistisltiglar Uzaf

け っ し て, 放 逸 とな る べ き で な い。 解 脱 の 願 い あ る者 に よ って, na pramadya mumuksu 文 例C (r46-49): imam hi nirvana-puraikavartinim

此浬藥宮一広道

tathagataditya-vaco'msubhasvatim

千 聖所遊無我性

niratmatam arya-sahasra-vahitam

諸仏 日言光所照

na manda-caksur vivrtam apiksate//

錐 開殊眼不能観

(a)

muni

incip

nirvanlir

baligga

yalanguz avi[r]taci

これ を, そ の とき, 浬 契 あ る 町 へ 独 り 転 じ る者, idam hi nirvana- pura- eka- vartin

(b)

anculayu kalmislig kiln tngrining savlir

yruqY uza

yaltriglYyYr/

如 来 あ る 日 天 の 言 葉 あ る 光 に よ っ て 輝 きあ る もの を,

tathagata-

aditya-

vacas-

amsu-

bhasvant

(c)

mnsiz bolmagir

ugItdacIr

ming ming

aryapudgalil(ar)

uza

無 我 で あ る こと を 顕 わす 者 を, 千 千 の 聖 者 た ち、 に よ っ て nir-atmata

arya-sahasra-sozlatilmisig 語 られ た もの を,

vahita

(d)

biligsiz tirtilar

acilmisir

yma

kormazlarf

無知な 外道 たちは, 開 かれ たものを, また, 見 ない。

manda-caksus vivrta api na iks

(4)

-992-倶 舎論 註 『金 花 抄』 に つ い て(百 濟) (51) 註 記 <ウ イ グ ル 文 に つ い て>

(1) r. 24の ウ イ グ ル 文Kim qaa. cavが 漢 字 音 「金 花 抄 」 の 音 写 で あ る こ と は 疑 い な い。 中 古 音: 金 klom 花 xwa, 抄 tsau

(2) r. 25と40の yaling は も と も と 繰 の, naked'を 意 味 す る が, こ こ で は '文字 ど お りの, 字 義 ど お りの, lit

eral'の 意 味 で 使 用 さ れ て い る。

(3) r. 26-39, 41-52に お い て Uig. 語 で 表 記 され た く文 字 ど お りの イ ン ド語'の 六 偶 は, Skt. 原 文 の 文 法 変 化 に ほ ぼ 忠 実 に 従 っ て い る。(イ) Number。Skt. の Plural は+lar/lar で 示 さ れ て い る。 た だ しSkt. の 単 語 が singular で あ っ て も 意 味 的 に plural が 望 ま し い 場 合 は plural で 示 さ れ た 例 が 見 ら れ る(文 例C. d)。 (ロ) Case。Nominative は Indefinite case で, Accusative は+γ/g, Instrumental は uza, Dativeは +qa/ka, Ablative は +tin/tin, Genitive は+ning/ning, Lo-cative は+ta/taに よ っ て そ れ ぞ れ 表 記 さ れ て い る。 た だ し, gata (gam) と 共 に 用 い られ 目 的 地 を 示 すSkt. の Accusative は Dative の+qaで 示 さ れ て い る (文例A. a)。 因 み にSkt. の Locative Absolute は, Uig. で は 名 詞 ・分 詞 相 当 語 す べ て が Locative で 記 さ れ て お り(文 例A. a, b), Absolute 構 文 を も た な いUig. 語 と し て は, こ の 一 文 は 意 味 を 形 成 し な い。(ハ)Verb。Skt. の 動 詞 あ る い は 動 詞 的 機 能 を 強 くの こ し た そ の 派 生 語 に は, Uig. も動 詞 の 変 化 形 を 用 い て 表 現 し て い る。Skt. の 他 動 詞 の 過 去 分 詞 に は 受 動 詞 の 過 去 形-olmTs/0lmis が, 自 動 詞 の そ れ に は 他 動 詞 の 過 去 形 mis/mis が, Gerundive に は-γuluq/guluk 形 が (文 例B. d), Absolute-tva に はP形 が(文 例B. b)用 い られ て い る。 ま た, Desi-derative の Stem か ら作 られ た 形 容 詞 は, Uig. で は 動 詞 の Infinitive に kususlug '願望 の あ る'を 付 加 し て 表 現 さ れ て い る(文 例B. d)。(ニ) Compound。Skt. の 複 合 語 は, uig. で は 語 間 に 適 一当 に 格 語 尾 を 介 在 させ て 表 現 され て い る。 そ れ ら は 主 と し て Tatpurusa で あ る が, Bahuvrihi あ る い は そ の 相 当 語 は, Uig. で は 所 有 形 容 詞 ・名 詞 を 作 る+1iγ/lig-+lu/lugを 名 詞 に 付 加 し て 示 さ れ て い る。(ホ) そ の 他。 文 例A, a. とB, b. に 見 られ る 二 つ の 例 外 を 除 け ば, 語 順 はSkt. 原 文 に 従 っ て い る。 ま た, 文 例C, d. でmandacaksus を biligsiz tirtilar '無 知 な 外 道 た ち と 表 現 す る よ う な 若 干 の 意 訳 が 見 られ る が, 全 体 と し て は こ の 種 の 意 訳 は ま れ で あ る。 (4)上 記 の ご と く当 面 す る ウ イ グ ル 文 は, 漢 文 か ら の 翻 訳 で あ る と は い え, サ

ンス ク リッ ト文 体 の極 端 な転 写 で あ る。 そ の転 写 の度 合 い は, これ らの ウイ グル

文 が トル コ語 と して文 義 を形 成 しな い ほ どで あ る。文 例Cに

あ た る偶 文 は 『倶

(5)

-991-(52) 倶舎 論 註 『金 花 抄 』 に つ い て(百 濟)

舎 論 』 末 尾 に あ るた め, 当No. 40の 写 本 に は, 漢 文(玄 突訳)か らの逐 語 訳 で あ

る 『

倶 舎 論 』本 文 と して の 次 の よ うな ウ イ グル 文 を 見 出 す こ とが で き る。 サ ンス

ク リッ トか らの 直 訳 と も言 え る文 例Cと

漢 文 か らの逐 語 訳 で あ る(本 来 の ウイグ

ル語 に近い)次 の 文 例 を比 較 され た い。

文 例D(r. 8-12):

bo nirvanlir

orduqa yalnguz iltdaci king yolur/

ming ming tozunlar uza yoritilmis

mnsiz tozlugug/

kim burxanlir

kiin tngrining savlir yarugi uza yarutilmisir/

naca acilsar yatilsar yma kozlari umazlar korgali//

こ の浬 架 の宮 殿 へ独 り導 くと ころ の広 い道 を, 千 々 の聖 た ち に よ っ て行 じ られ た無 我 の性 を, お よ そ仏 な る 日天 の言 葉 の光 に よ っ て 照 ら され た もの を, い か に開 き広 げ られ て も, それ ら の眼 は, で き な い。 見 る こと が。 (2) (1)

説 当面 す る ウ イグ ル文 の 出典 で あ る 『

金 花 抄 』 な る書 物 は, 所 引 の六

偶 の 内 容 と Kim qaa cav とい う音 写 よ り考 えれ ば,『 倶 舎 論 』 の漢 文註 釈 書 で あ

った こ とは疑 い な い。 この 『

金 花 抄 』 が漢 文 に よ って どの よ うに サ ンス ク リッ ト

原 文 の 文 法事 項 を表 記 して い た か は 知 り得 な い け れ ど も, 上 記 文例 の ご と くウ イ

グ ル文 は, 膠 着 語 で あ るに もか か わ らず, 屈 折語 で あ るサ ンス ク リッ ト文 の文 法

変 化 を ほ ぼ正 確 に表 現 す る こ とに成 功 して い る と言 え る。

さて 「

金 花 抄 」 な る名 は, 「

金 華 紗 」 と も表 記 し得 る こ と は論 を また な い で あ

ろ う。す で に記 した とお り, 『

宋 高 僧 伝 』 に は 「

金 華 紗 」 な る名 を もつ 『倶 舎 論 』

の註 釈 書 が二 本 見 出 され る。 一本 は, 唐 代 の 円暉 の 伝 に 付 さ れ た 崇 塵 の 『

金 華

砂 』 十 巻 で あ り, 他 本 は 同 じ く唐 代 の 玄約 の 『

倶 舎 論 金 華 砂 』 二 十 巻 で あ る。 こ

れ ら二 本 は現 存 せ ず, そ の書 名 は きわ め て類 似 して い るた め, 同 一本 で あ った可

能 性 を残 して お か ね ば な らな い が, 今 は 一応 別 本 と考 えて お きた い。

筆 者 は, 『倶 舎 論 』 の ウ イグ ル 訳 本 が そ の尾 践 で 引用 す る 当面 の 『

金 花 抄 』 は,

上 記 前 者 の崇 塵 の 『

金 華紗 』 十 巻 で は な い か と考 えて い る。 この 比 定 は, 書 名 の

一致 す る こ との ほ か に, そ の註 釈 の あ り方 に 注 目 した か ら で あ る。崇 塵 の 伝 は

きわ め て 短 か くそ の 人 の詳 細 は 知 り得 な い が4), 彼 は 『

倶 舎 論 類 疏論 本 』 三十 巻

(T No. 1823) を著 わ した 円暉 の 系統 を ひ く人物 で あ って, 伝 の 文 脈 か らは, 彼 の

(6)

-990-倶 舎論 註 『金 花 抄』 に つ い て(百 濟) (53)

金 華砂 』 十 巻 は 円 暉 の そ れ と同 じ く 『

倶 舎 論 』 の偶 頗 の註 釈 書 で あ っ た ら し い

こ とが 読 み とれ る。 この こと は, 当 ウ イ グル 本 に あ らわ れ る 『

金 花 抄 』 か らの 引

用 文 が偶 頒 の み で あ る事 実 と符 合 す る か らで あ る。筆 者 は, ウイ グル 文 の記 述 に

も とづ き, 少 な く と も所 引 の六 偶 に関 す るか ぎ り, この 『

金 花 抄 』 な い し 『

金 華

砂 』 な る書 は, 『

倶 舎 論 』 の偶 頚 の サ ン ス ク リッ ト原 文 を逐 語 的 に 字 義 解釈 す る

註 釈 書 で は な か った か と推 定 して い る。

1)

Kogi Kudara, A provisional catalogue of Uigur manuscripts preserved at the

Ethnographical Museum of Sweden, (1980未 出 版). No. 25-40.

2) 説 一 切 有 部 alqu-ni bar tip, sozladaci sarva'astivat ni'kay-taqi 倶 舎 論 kosavarti sastir 巻 第 三 十 otuzunc tagzinc '説 一 切 有 部, す べ て を 「有 る」 と 説 く と こ ろ の Sarvastivada-Nikaya に お け る, 倶 舎 論, Kosavrti-sastra, 巻 第 三 十, 第30巻'. 3) irrar '鉤 hook' の 誤 写 か?. 4)『 新 編 諸 宗 教 蔵 総 録 』(T No. 2184, Vol. 55)巻 三 に,「(倶 舎 論)頚 疏 義 府 紗 二 十 巻 或 十 巻 乾 廣 述 或 云 崇 廣 待 勘 」 の 字 句 が 見 出 さ れ る(p. 1177a29)。 こ の 「崇 廣 」 と 当 面 の 「崇 塵 」 が 同 一 人 物 で あ る 可 能 性 は 残 っ て い る。 (龍 谷 大 学 講 師)

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