聖者伝に拠らない初期ラーソー文献について
山 畑 倫 志
1.はじめに
現在のラージャスターン州やグジャラート州を中心とするインド西部地域では 12 世紀頃からラーソー(rāsa,rāsaka,rāso,rāsau)と名付けられた作品が作られ始 める.このラーソーは主に古グジャラート語や古ラージャスターン語で書かれ, 16 世紀頃までこの地域の文学の主要なジャンルの一つであった.特に 14–15 世紀 には『ビーサルデーヴ・ラーソー』(Bīsaldev-rāso)『ハンミール・ラーソー』 (Hammīr-rāso)『プリトヴィーラージ・ラーソー』(Pṛthvīrāj-rāso)といった実際に存在した王 を題材とした戦記物・恋愛物が多く書かれた.しかし,初期のラーソーはジャイ ナ教徒による作品がほぼすべてを占め,扱うテーマもかなり異なっている.それ らが著された 12 世紀は中期インド語の一つアパブランシャ語による文学の形式に ついて文法,修辞,韻律,語彙などの面で包括的な著作が,グジャラートのジャ イナ教徒ヘーマチャンドラ(Hemacandra)によって書かれた時期である.アパブラ ンシャ語は早ければ 6 世紀ごろからすでに文学のための言語として見なされてき た跡がみられ,9 世紀にはスヴァヤンブー(Svayambhū)やプシュパダンタ(Puṣpadanta) の各著作を代表とするジャイナ教の教義に基づく叙事詩や行伝説話が数多く作ら れている.ヘーマチャンドラがアパブランシャ語文法を著した 12 世紀にはアパブ ランシャ語の文学使用については相当程度の蓄積があったと考えられる. アパブランシャ語文学と初期ラーソー文学がかなり近い関係にあったことは, 最初期のラーソーの一つである BBR が,アパブランシャ語文学の大部分を占める ジャイナ教偉人伝と同様のテーマを扱っていることからも推測できる[山畑 2012]. だが,初期のラーソー文献は偉人伝にとどまらない様々なテーマを扱っている. 本稿ではアパブランシャ語文学から初期ラーソーを経て非ジャイナのラーソー文 学へ至る過程に,どのような関係が見られるかを,主に形式面から検討する. 〈略号〉BhG Bhagavadgītā with a Commentary Based on the Original Sources. Ed. R. C. Zaehner. London: Oxford University Press, 1973.
BhP Śrīmad Bhāgavata Mahāpurāṇa. Bombay: Venkaṭeśvara Press, n.d.
EBh Sārtha Śrīekanāthī Bhāgavata. Ed. D. A. Ghaisas. Mumbai: Dhārmika Prakāśana Saṃsthā, n.d.
J Śrījñāneśvarī. Mumbai: Goverment Central Press, 1963. 〈参考文献〉
Deleury, G. A. 1994. The Cult of Viṭḥobā. Pune: Deccan College Postgraduate and Research Institute.
Hacker, Paul. 1978. “Zur Entwicklung der Avatāralehre.” Wiener Zeitschrift für die Kunde Süd-und Ostasiens Süd-und Archiv für indische Philosophie 4: 47–70.
Ida, Katsuyuki. 2011. “The Concept of Bhakti in the Tantric Tradition.” In The Historical Development of the Bhakti Movement in India: Theory and Practice, ed. Shima Iwao, Sakata Teiji, and Ida Katsuyuki, 113–130. New Delhi: Manohar.
Matchett, Freda. 2001. Kṛṣṇa: Lord or Avatāra? The Relationship between Kṛṣṇa and Viṣṇu in the Context of the avatāra Myth as Presented by the Harivaṃśa, the Viṣṇupurāṇa and the Bhāgavatapurāṇa. Richmond: Curzon.
Ranade, R. D. 1983. Mysticism in India: The Poet-Saints of Maharashtra. Albany: State University of New York Press.
(平成 27–29 年度科学研究費補助金基盤研究 C(課題番号 15K20040)による研究成果の 一部)
〈キーワード〉 バクティ,ワールカリー派,エークナート,『エークナーティー・バーグ ヴァト』
3.ラーソー(ラーサー・バンダ)の登場
アパブランシャ語説話『パウマチャリウ』(Paumacariu)を著したスヴァヤンブー は韻律書 SCh においてラーサー・バンダという形式をサンディ・バンダに対置し ている.サンディ・バンダが比較的形式上の規定が多いのに対して,ラーサー・ バンダは韻律の規定のみであり,その規定にも揺れがある. ガッター律,チャッダニカー律,パッダディカー律および他の素晴らしい韻律からなる ラーサーバンダは美文詩のなかでも人々を喜ばせるものである1).21 マートラで終わり, 声を落とす.14 マートラでの休止が確実なガナの終わりである.素晴らしいラーサーバ ンダはこれで完成する.(各行を)3 つの短音節で終わらせればより美しい2). またヘーマチャンドラの韻律書 ChA には,次のような記述が見られる. 多くの舞踊と結びつき,さまざまなターラやテンポが添えられる.64 の 2 ターラを用い, 柔らかな動きから激しい動きへ変わるものをラーサカという3). 実際のラーソー作品では SCh で規定される 21 マートラの韻律が使われること が比較的多いが,規定外の韻律もしばしば現れる.4.多様なラーソーと隣接するジャンル
「1.はじめに」で言及したように,初期のラーソーにはさまざまなテーマの作 品が見られるが,その形式は多様である.以下,サンディ・バンダの影響という 観点からテーマごとの形式の特徴を示す. 4.1. ジャイナ教偉人伝 まず,サンディ・バンダの直接的な影響が見られる偉人伝である.12 世紀に著 されたシャーリバドラ(Śālibhadra)の BBR は最初期のグジャラート語文学として 重要である.本作はジャイナ教伝説上の偉人をとりあげた典型的なジャイナ教説 話であるが,アパブランシャ語行伝説話に多く見られるようなカダヴァカとサン ディで構成された長大なものではなく,全体で 203 詩節にとどまり,簡潔な構成 である.ただ形式面で特徴的なのは,タヴァニ(ṭhavaṇi)とヴァストゥ(vastu)で ある.図 2 にあるようなカダヴァカとガッターの関係に似たこの形式では,ヴァ ストゥがガッターと同様にタヴァニの内容をまとめる役割を負っている.この形 式は BBR では半分ほど,より時代が下って 15 世紀に書かれた PPCR では最後の タヴァニ以外全体に広がっている.このタヴァニとヴァストゥから構成される形2.サンディ・バンダの伝統
ラーソー文学に先行するアパブランシャ 語のジャイナ行伝説話には独特の形式があ る.一般にそれをサンディ・バンダ (saṃdhi-bandha)と称する.これは全体を内容上の区 切りからサンディ(saṃdhi)に分け,それぞ れのサンディをより細かなカダヴァカ (kaḍavaka)に分けるものである.各カダヴァ カはおおむね 10~20 詩節からなり,その構 造は基本的には内容部にあたる部分,その カダヴァカを簡潔にまとめたガッター (ghattā)から構成されるが,起部としてドゥ ヴァイー(duvaī)律などからなる 1 詩節が加えられることもある.内容部の韻律 は統一されており,それがカダヴァカを一つのまとまりとしている.起部と結部 はそれぞれ二行詩から四行詩であり,内容部は可変であるが,おおむね 10 から 20 行からなる.そのため一つのカダヴァカはそれほど長くなることはない.この ような性質をもつサンディ・バンダに対して,ラーサー・バンダと呼ばれる形式 が 12 世紀頃から登場する. 図 1. saṃdhi-bandha のモデル 図 2. kaḍavaka 内部3.ラーソー(ラーサー・バンダ)の登場
アパブランシャ語説話『パウマチャリウ』(Paumacariu)を著したスヴァヤンブー は韻律書 SCh においてラーサー・バンダという形式をサンディ・バンダに対置し ている.サンディ・バンダが比較的形式上の規定が多いのに対して,ラーサー・ バンダは韻律の規定のみであり,その規定にも揺れがある. ガッター律,チャッダニカー律,パッダディカー律および他の素晴らしい韻律からなる ラーサーバンダは美文詩のなかでも人々を喜ばせるものである1).21 マートラで終わり, 声を落とす.14 マートラでの休止が確実なガナの終わりである.素晴らしいラーサーバ ンダはこれで完成する.(各行を)3 つの短音節で終わらせればより美しい2). またヘーマチャンドラの韻律書 ChA には,次のような記述が見られる. 多くの舞踊と結びつき,さまざまなターラやテンポが添えられる.64 の 2 ターラを用い, 柔らかな動きから激しい動きへ変わるものをラーサカという3). 実際のラーソー作品では SCh で規定される 21 マートラの韻律が使われること が比較的多いが,規定外の韻律もしばしば現れる.4.多様なラーソーと隣接するジャンル
「1.はじめに」で言及したように,初期のラーソーにはさまざまなテーマの作 品が見られるが,その形式は多様である.以下,サンディ・バンダの影響という 観点からテーマごとの形式の特徴を示す. 4.1. ジャイナ教偉人伝 まず,サンディ・バンダの直接的な影響が見られる偉人伝である.12 世紀に著 されたシャーリバドラ(Śālibhadra)の BBR は最初期のグジャラート語文学として 重要である.本作はジャイナ教伝説上の偉人をとりあげた典型的なジャイナ教説 話であるが,アパブランシャ語行伝説話に多く見られるようなカダヴァカとサン ディで構成された長大なものではなく,全体で 203 詩節にとどまり,簡潔な構成 である.ただ形式面で特徴的なのは,タヴァニ(ṭhavaṇi)とヴァストゥ(vastu)で ある.図 2 にあるようなカダヴァカとガッターの関係に似たこの形式では,ヴァ ストゥがガッターと同様にタヴァニの内容をまとめる役割を負っている.この形 式は BBR では半分ほど,より時代が下って 15 世紀に書かれた PPCR では最後の タヴァニ以外全体に広がっている.このタヴァニとヴァストゥから構成される形2.サンディ・バンダの伝統
ラーソー文学に先行するアパブランシャ 語のジャイナ行伝説話には独特の形式があ る.一般にそれをサンディ・バンダ (saṃdhi-bandha)と称する.これは全体を内容上の区 切りからサンディ(saṃdhi)に分け,それぞ れのサンディをより細かなカダヴァカ (kaḍavaka)に分けるものである.各カダヴァ カはおおむね 10~20 詩節からなり,その構 造は基本的には内容部にあたる部分,その カダヴァカを簡潔にまとめたガッター (ghattā)から構成されるが,起部としてドゥ ヴァイー(duvaī)律などからなる 1 詩節が加えられることもある.内容部の韻律 は統一されており,それがカダヴァカを一つのまとまりとしている.起部と結部 はそれぞれ二行詩から四行詩であり,内容部は可変であるが,おおむね 10 から 20 行からなる.そのため一つのカダヴァカはそれほど長くなることはない.この ような性質をもつサンディ・バンダに対して,ラーサー・バンダと呼ばれる形式 が 12 世紀頃から登場する. 図 1. saṃdhi-bandha のモデル 図 2. kaḍavaka 内部たギルナール山を讃える RR は「カダヴァカ」という区分名を使用している.結 部にガッターを有しているわけではないが,カダヴァカを残すラーソーは珍しい.
5.結論
以上の記述から,ラーソーという用語は,元々歌や踊りに適した形式というお おまかな意味で使用されていたものと推測される.先述したジナダッタスーリは アパブランシャ語による『チャッチャリー』(Caccarī)という作品を残している. 後代ではラーソーとチャルチャリー(Carcarī)は別ジャンルとなるが,ジナダッタ スーリが使用している韻律は SCh の 21 マートラの韻律である.また 8–9 世紀に 書かれたと推測されている KK にはチャルチャリーと見なせる箇所が複数あり, その中のヴァストゥカ(vastuka)という部分にも 21 マートラの韻律が使われてい る[Bhayani 1972: 16]ため,8–12 世紀においてはラーソーとチャルチャリーの区 分は後代と比較して不分明であったと考えられる.ラーソーより少し後に「パー グ」(Phāgu)や「バーラーマーサー」(Bārahmāsā)といったジャンルの作品が,春 の祭りの歌,別離と季節の歌といったような明確な性格付けを持って現れてくる [Shah 1983: 128–131].これらはラーソーとしてまとめられていたものから分離し てきたものであろう. アパブランシャ語文学の影響を直接受けているのは,そのテーマと形式から見 て,偉人伝型のラーソーであることは明らかであるが,初期のラーソー文学には 後代では異なったジャンルとなる多様な作品も含まれていた.その背景には,長 大な作品中に種々の要素を含めていたサンディ・バンダの影響も考えられる. ただ,後代の非ジャイナ教徒による戦記物のラーソーはカダヴァカやタヴァニ のような区分を余り用いていないため,サンディ・バンダとの関係は他の観点か らも検討する必要がある.1 ) ghattāchaḍḍaṇiāhiṃ paddhaḍiāhiṃ suaṇṇarūehiṃ / rāsābaṃdho kavve jaṇamaṇaahirāmao hoi // 8.24 2) ekkavīsamattāṇihaṇau uddāmagiru caudasāi vissāma hobhai gaṇaviraithiru / rāsābaṃdhu samiddhu eu ahirāmaaru lahuatialaavasāṇavirai aimahuraaru // 8.25 3) anekanartakīyojyaṃ citratālalayānvitam / ā catuḥṣaṣṭiyugalād rāsakaṃ masṛṇoddhatam // ghattāchaḍḍaṇiāhiṃ paddhaḍiāhiṃ suaṇṇarūehiṃ rāsābaṃdho kavve jaṇamaṇaahirāmao hoi // 8.24 4) calīya gayavara calīya gayavara guḍīya gajjaṃta / huṃphataya rosabhari hiṇahiṇata hayathaḍḍa hallīya / rahabhayabhari ṭalaṭalīya bherū sesumaṇimauḍa khallīya / siuṃ marudevihiṃ saṃcarīya kuṃjari caḍiu nariṃda / samosaraṇi suravari sahiya vaṃdita paḍhama jiṇaṃda // 1– 19 5) rāu saṃtaṇu rāu saṃtaṇu vayaṇu cukkevi / āheḍai callīū pāvapasari mani mohi 式はサンディ・バンダのカダヴァカを引き 継いだものと推測することが可能であろう. BBR のヴァストゥは次のようなものである. 吠え震える象が進軍し,息荒く怒りに満ちて いななく馬が進み,戦車の恐怖にメール山も 震えだし,シェーシャ蛇の宝石でできた王冠 も進み出した.バラタ王はマルデーヴィーを 伴って象に乗って進んだ.インドラと共にリ シャバに挨拶して,集合場所に向かった4). PPCR のヴァストゥもガッターと同じくタ ヴァニ全体をまとめている. シャンタヌ王は言葉を失い,罪業を広げる狩 りに出かけ,気持ちが落ち着かないままさま よった.連れ去られた子どもを求めてガンガーに行くが,激しい蔑みの気持ちに苦しめ られる.声を聞いて再び戻るがガンガーは見えない.ラティを失ったカーマデーヴァの ように 24 年間留まった5). 4.2. 教義 ジャイナ教の教義についてラーソーとしてまとめた作品もいくつか見られる. 最初期のものとして 12 世紀のジナダッタスーリ(Jinadattasūri)による URR がある が,カダヴァカやタヴァニのような区分は持たない.冒頭部には以下の序言が添 えられている. チャルチャリーやラーサカの形をとったプラークリット語の作品に学識のある方々の多 くは注釈をつけたりはしない.しかし『ウパデーシャ・ラサーヤナ・ラーサ』の中では ところどころに理解しがたい部分を説明する労をとった6). さらにラーサがどのような場合に歌うべきかについても言及されている. 上記の stuti や stotra は聖典と一緒に歌うのならば歌ってもよい.ただターラー・ラーサ は夜に歌ってはいけない.ラウダー・ラーサは男たちと歌うのならば,昼でも歌っては いけない.教えに適った舞踊は踊ってもよいが,バラタやサガラの出陣や転輪聖王やバ ラデーヴァの伝記を語ってはならない.踊った後に出家者たちが(興奮して)出家の状 態でなくなってしまうから7). 4.3. 聖地 ラーソーには聖地を賛美するものもいくつかある.その中でも 13 世紀に書かれ 図 3. ṭhavaṇi-vastu 型ラーソー
たギルナール山を讃える RR は「カダヴァカ」という区分名を使用している.結 部にガッターを有しているわけではないが,カダヴァカを残すラーソーは珍しい.
5.結論
以上の記述から,ラーソーという用語は,元々歌や踊りに適した形式というお おまかな意味で使用されていたものと推測される.先述したジナダッタスーリは アパブランシャ語による『チャッチャリー』(Caccarī)という作品を残している. 後代ではラーソーとチャルチャリー(Carcarī)は別ジャンルとなるが,ジナダッタ スーリが使用している韻律は SCh の 21 マートラの韻律である.また 8–9 世紀に 書かれたと推測されている KK にはチャルチャリーと見なせる箇所が複数あり, その中のヴァストゥカ(vastuka)という部分にも 21 マートラの韻律が使われてい る[Bhayani 1972: 16]ため,8–12 世紀においてはラーソーとチャルチャリーの区 分は後代と比較して不分明であったと考えられる.ラーソーより少し後に「パー グ」(Phāgu)や「バーラーマーサー」(Bārahmāsā)といったジャンルの作品が,春 の祭りの歌,別離と季節の歌といったような明確な性格付けを持って現れてくる [Shah 1983: 128–131].これらはラーソーとしてまとめられていたものから分離し てきたものであろう. アパブランシャ語文学の影響を直接受けているのは,そのテーマと形式から見 て,偉人伝型のラーソーであることは明らかであるが,初期のラーソー文学には 後代では異なったジャンルとなる多様な作品も含まれていた.その背景には,長 大な作品中に種々の要素を含めていたサンディ・バンダの影響も考えられる. ただ,後代の非ジャイナ教徒による戦記物のラーソーはカダヴァカやタヴァニ のような区分を余り用いていないため,サンディ・バンダとの関係は他の観点か らも検討する必要がある.1 ) ghattāchaḍḍaṇiāhiṃ paddhaḍiāhiṃ suaṇṇarūehiṃ / rāsābaṃdho kavve jaṇamaṇaahirāmao hoi // 8.24 2) ekkavīsamattāṇihaṇau uddāmagiru caudasāi vissāma hobhai gaṇaviraithiru / rāsābaṃdhu samiddhu eu ahirāmaaru lahuatialaavasāṇavirai aimahuraaru // 8.25 3) anekanartakīyojyaṃ citratālalayānvitam / ā catuḥṣaṣṭiyugalād rāsakaṃ masṛṇoddhatam // ghattāchaḍḍaṇiāhiṃ paddhaḍiāhiṃ suaṇṇarūehiṃ rāsābaṃdho kavve jaṇamaṇaahirāmao hoi // 8.24 4) calīya gayavara calīya gayavara guḍīya gajjaṃta / huṃphataya rosabhari hiṇahiṇata hayathaḍḍa hallīya / rahabhayabhari ṭalaṭalīya bherū sesumaṇimauḍa khallīya / siuṃ marudevihiṃ saṃcarīya kuṃjari caḍiu nariṃda / samosaraṇi suravari sahiya vaṃdita paḍhama jiṇaṃda // 1– 19 5) rāu saṃtaṇu rāu saṃtaṇu vayaṇu cukkevi / āheḍai callīū pāvapasari mani mohi 式はサンディ・バンダのカダヴァカを引き 継いだものと推測することが可能であろう. BBR のヴァストゥは次のようなものである. 吠え震える象が進軍し,息荒く怒りに満ちて いななく馬が進み,戦車の恐怖にメール山も 震えだし,シェーシャ蛇の宝石でできた王冠 も進み出した.バラタ王はマルデーヴィーを 伴って象に乗って進んだ.インドラと共にリ シャバに挨拶して,集合場所に向かった4). PPCR のヴァストゥもガッターと同じくタ ヴァニ全体をまとめている. シャンタヌ王は言葉を失い,罪業を広げる狩 りに出かけ,気持ちが落ち着かないままさま よった.連れ去られた子どもを求めてガンガーに行くが,激しい蔑みの気持ちに苦しめ られる.声を聞いて再び戻るがガンガーは見えない.ラティを失ったカーマデーヴァの ように 24 年間留まった5). 4.2. 教義 ジャイナ教の教義についてラーソーとしてまとめた作品もいくつか見られる. 最初期のものとして 12 世紀のジナダッタスーリ(Jinadattasūri)による URR がある が,カダヴァカやタヴァニのような区分は持たない.冒頭部には以下の序言が添 えられている. チャルチャリーやラーサカの形をとったプラークリット語の作品に学識のある方々の多 くは注釈をつけたりはしない.しかし『ウパデーシャ・ラサーヤナ・ラーサ』の中では ところどころに理解しがたい部分を説明する労をとった6). さらにラーサがどのような場合に歌うべきかについても言及されている. 上記の stuti や stotra は聖典と一緒に歌うのならば歌ってもよい.ただターラー・ラーサ は夜に歌ってはいけない.ラウダー・ラーサは男たちと歌うのならば,昼でも歌っては いけない.教えに適った舞踊は踊ってもよいが,バラタやサガラの出陣や転輪聖王やバ ラデーヴァの伝記を語ってはならない.踊った後に出家者たちが(興奮して)出家の状 態でなくなってしまうから7). 4.3. 聖地 ラーソーには聖地を賛美するものもいくつかある.その中でも 13 世紀に書かれ 図 3. ṭhavaṇi-vastu 型ラーソー
古代インドにおける授与の諸儀礼と水
梶 原 三 恵 子
古代インドにおいて水が誓約・契約と深く関わっていたことはかねてから論じ られている1).水が関与する誓約・契約には,誓い・呪詛・贈与・縁組・裁判等 が含まれる(阪本(後藤)2008: 57).本稿では授与(贈与・縁組等)の諸儀礼と水の 関わりを論じる.有名なのは,仏教資料(文献・美術)に一度ならず現れる「水瓶 を持ち,手に水を灌いで与える」場面であろう.ブラフマニズム・ヒンドゥイズ ム文献においては,この描写に対応するものに,『マヌ法典』(Manu)の「娘の授 与」に関する偈(Manu 3.35;後掲)がある.ただし Manu は水を「手に灌ぐ」とは 述べていない.授与の諸儀礼で水はどう用いられたのか.以下にグリヒヤスート ラ(GS),ダルマ文献,仏教文献を縦覧し,この点を検討する.1.グリヒヤスートラにおける「授与」と「水」:(1)結婚式
ヴェーダ文献において,授与の諸儀礼に水が介在する場面が確認できるのは GS 以降である.GS で授与と水が関連する最大の儀礼は結婚式である.結婚に花嫁 を与える儀礼という面があることは R̥V 以来示唆される2).「娘の授与の儀 kanyādāna」は後のヒンドゥー社会で結婚式の中心的位置を占めるようになるが3), GS の段階ではまだ祭文も作法も一定していない4).以下の三様がみられる. (1)「与える」「受け取る」という語がスートラ本文ないし祭文に現れるという 形の言及(PGS 1.4.15: pitrā prattām ādāya gr̥hītvā niṣkrāmati「[娘の]父によって与えられた [娘]を取り,つかんで,[新郎は]歩み出る」等5)).水は言及されない. (2)KāṭhGS,MGS,VārGS は花嫁とその授与形式を,ブラフマンに属するもの (brahmadeyā,brāhma)と対価によるもの(śulkadeyā,śaulka)に分類する6).前者では 娘の父と求婚者7)が「私は与える」「私は受け取る」と会話し,後者では金きんを交 換する8).祭場には水と金を入れた壺を据える(KāṭhGS,MGS).授受が成立する と,水を娘に灌ぐ(MGS)9)か,水へのマントラを唱えて壺に触れる(KāṭhGS)10).ghūmīu / pūttu leu pīhariṃ gaī gaṃga tīṇa avamāni dūmīya / vāta suṇī pāchau valai jāṃ navi dekhai gaṃga / cauvīsaṃ vāsaṃ rahai jimu raihīṇu aṇaṃgu // 1–23 6) carcarīrāsakaprakhye prabandhe prākṛte kila / vṛttipravṛttiṃ nādhatte prāyaḥ ko ’pi vicakṣaṇaḥ // 1 kintu kvacit kvacit kiñcad upadeśarasāyane / padaṃ durbodham ity eṣa nyāyo vyākhyāpariśramaḥ // 2 atra paddhaṭikābandhe mātrāḥ ṣodaśa pādagāḥ / ayaṃ sarveṣu rāgeṣu gīyate gītikovidaiḥ // 3 7) uciya thutti thuyapāḍha paḍhijjahiṃ / je siddhaṃtihiṃ sahu saṃdhijjahiṃ tālārāsu vi diṃti na rayaṇahiṃ / divasi vi lauḍārasu sahuṃ parisihiṃ // 36 dhammiya nāḍaya para naccijjahiṃ / bharahasagaranikkhamaṇa kahijjahiṃ cakkavaṭṭibalarāyaha cariyaiṃ / naccivi aṃti huṃti pavvaiyaiṃ // 37
〈略号〉
BBR Bharateśvara Bāhubalirāsa. Ed. Satīś Ḍanāk. Ahmedabad: Adarsh Prakashan, 2009. ChA Chando’nuśāsana. Ed. Hari Damodar Velankar. Bombay: Bharatiya Vidya Bhavan, 1961. KK Kuvalayamālākahā. Ed. A. N. Upadhye. 2 vols. Bombay: Bharatiya Vidya Bhavan, 1959–
1970.
PPCR Paṃcapaṇdavacaritarāsu. In Gurjararāsāvalī, ed. B. K. Thakore, M. D. Desai, and M. C. Modi, 1–34. Baroda: Oriental Institute, 1956.
RR Revantagirirāsa. In Prāchīna Gurjara-Kāvyasangraha, ed. C. D. Dalal, 1–7. Baroda: Central Library, 1920.
SCh Svayambhūchanda. Ed. Hari Damodar Velankar. Jodhpur: Rajasthan Oriental Research Institute, 1962.
URR Upadeśarasāyanarāsa. In Three Apabhtraṁśa Works of Jinadattasūri, ed. Lalchandra Bhagwandas Gandhi, 28–65. Baroda: Oriental Institute, 1927.
〈参考文献〉
Bhayani, Harivallabh Chunilal. 1972. “On Some Specimens of Carcarī.” Sambodhi 1: 15–27. Shah, Parul. 1983. “The Rāsa-Dance of Gujarāta.” PhD diss., Maharaja Sayajirao Varoda
Universiy.
山畑倫志 2012「初期ラーソー文献の由来について」『印仏研』61 (1): 308–313.
(平成 28 年度科学研究費補助金若手 B[課題番号:16K16696]による研究成果の一部) 〈キーワード〉 ラーソー,ジャイナ教文学,アパブランシャ語,グジャラート語