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柳田国男研究 : 神々の零落と都市への指向

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

柳田国男研究 : 神々の零落と都市への指向

赤坂, ー紘

日田高校

https://doi.org/10.15017/2231615

出版情報:九州人類学会報. 7, pp.19-23, 1980-03-31. 九州人類学研究会 バージョン:

権利関係:

(2)

柳田 国男 研 究

一一 神 々 の 零 落 と 都 市 へ の 指 向 一 一

赤 坂 ー 紘

じめに 一

「透野物語」の魅力は、私にとって今も尚一向に尽きょうとしない。特に初版序文「園内の山村にして 遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を諮りて平地人を戦傑せしめよ。」

には、湾設の度』ζ驚かざるを得なかった。

承知の如く、 「遠野物語

J

は 「異常諌

J

である。健に云う柳田民俗学には肝心な処で、乙の異常性回帰

現象とも云えるものがあって移住者たちの群(古代から中世にかけて)、漂泊者(~女 職人工人など)、

かたわもの、愚鈍、臼痴、幼児、女性などがその中心的役割として自覚されているのである。

「平地人を戦傑せしめよjとは、乙れら 異常人 に対する 平地人 の戦傑の精神史であり、調ぱ、

平地人とは何か? でもある。見方を変えるなら 「遠野物語

J

は 異常人 に対崎する・・平地人の精神 史 の物語であると云える。 ζの小論は 異常人 を認識しつつ、歴史の纏で変貌して止まない 平地人 陀対する柳田国男の史観を論ずるものである。

一般的に云うと、歴史観にはlつは歴史に対する連続性指向があり、他は非連続的史観であろうか。前 者が起源論や基層織造や、そして国有性、普通性指向なら、後者は変化の質性の重視である。結論を急ぐ

なら、柳田国男の歴史観は非連続的史観である。少くとも、彼の初期に於ける史観には変化の質的変貌を 重要視する態度が窺える。問題は 変化の質的変貌 とは伺か?であるが、柳田はその点について、山村 から平地村へと激変する社会変動を、自らが生きる明治と云う時代に目のあたりに見て、彼の史観を組み 立て発展させている。注目すべきは「遠野物語jと共に、同年(明治43年) 1 2月に著8れている「時 代卜農政jである。乙の中での柳田の驚きは、日本の農村の内部の自発性の貧困化であり、或いは食料も 燃料制酔判生産せず工面できぬ異~Jの農家¢境生であった。農民の負債と云う新たな災害を抱え旧来の農法

=自給農村を維持できない農村の出現であった。

「日本は稀なる山国で且つ島国である。僻遠の山村と云うのが国土の半分を占めて居る。 平地農ζ対す4 る農政ばかりだ。」

乙の僻速の山村と平地農が、柳回国男にとっていかなる意味を有していたかについては、名著と云われ ている「日本農民史」それに「都市と農村

J

による他はない。乱暴ではあるが、両奮の主要部分を合せて 夢IJ!己したい。

(1)  古代末期、土地制度の確立に自り、個人の経済の自自意識が昂まり、上代の歴史にウカレピトと云

(3)

った遊民浪人を排出したとと。従って荘園新立の時代を招き、いよいよ人々は盛んに動いて居た。

ζれが綴々な隠種を持つ漂泊者たちをうみ出す源と柳田は鍛て居る。

(2)  中世から近世にかけて、特に都市の発遂に伴なう食料需要の増加が、新たに群を為して主盟主主主 する農村を生じたζと。従って大地主制・大家族制と云った農村発生の起因となる。

(3)  兵農不可分の時代から兵農分厳の時代へ。基本的には近世農村に於ける長期の平和の到来。山村か ら平地へと人々の動きが激しくなり、同時に人口の培加を促す。近世には各地に、農村の近世交換市 場が次第に成長して、都市化現象を起ζす。その結果、次の3つの現象を見る乙とになる。

(4)純農村の出現。都市を目当てに皇盆星差の全然不可能なる盟旦、即ち団地ばかりで野も林も無い海 辺の埋立新問、草山も無く薪山も無い村の如き。従って都市に依存する出来た品を貿う農村の出現。

都市と農村の交流の相助の助長。

(的小百姓の起源と分家流行

中世から戦国の乱が始まって、一時的に感んになる労力の需要、所調、身売奉公、或いは譜代奉公 人の取立が、武力と絶縁した大農の家には、凹植苅入の時以外には不必要にはる。従って国人即ち臼 雇労働者を集めて、大規模な経営を試みる。或いは次男 ・三男の始末。本百姓の培力日、無制限の分家、

必要以上の小百姓の取立。都市への出稼・永住と云う農村と都市に於ける動き。

(6)  村に住む女性の役割

l

の極端な低下と山村の急激な零落。

婦人は深く日本の農業に干与して居た。鮮には大豆を播き、土手の根には菜を作り、事干には鶏を飼 い、竹の子を育て、若しくは隣村の茶山にも働きに行き、衣料の紡織、貯蔵食物の用意等。 生産とし ては複雑を極め、山野雑種地の利用など、凶年には村を挙げて、山の物を求めた如く、耕作は僅かに 衣食の最低限度を支えるに過ぎぬことは承知で、淋しい山地に入って住む気になったのは、他の色々 の添持の健かなる乙とが頼みであった。それが純農村の出現で、まず女性の繍突の事務省台ζとごとく 奪い去ってしまい、行政(近代化)は之に干渉して、整理と分割を断行して、人々を山に住めなくし

fこ。

「女性はもと寝太郎長者のような遊民で無かったが、単に趣味ばかりか、気質まで農村に向かなく なって、家}乙在って遠くの乙とを考え、出ると再び還って来るζとが、追々にむつかしくなって行く のは其結果である。 」 (「都市と農村」)

「大部分は村外の資本事業に取上げられ、所謂農業の純化は甚だしく生活を狭店長にしたのである。

J

(「都市と農村

J) 

「日本の如き山だらけの固に於て、村が山地の間に存続し得ないとすれば、仮令何人の来たって憂 苦を訴える者が無くとも、 是は繁鐙かれぬ大変な話である。 j (「都市と農村

J) 

以上の要約について考えてみると、柳田国男の学問或いは思想の原郷が、山村及びその空間にあったζ

とは今後特に注意する必要がある。そして、 ζの山村の衰退化現象の中に平地村へと移動、拓勉行動をお こす人々の群を鋸りおとしながら、柳田はζの社会変動史の中に、中世及び中世人を発見するのである。

‑ 20 ‑

(4)

彼によると、主主ムと

E

旦ムは変化の質的な変貌において隔絶した存在であった。維誌「郷土研究

J

IC発 表された r~女考J を始めとする数々の論文と、後の「山の人生」「妖怪談義」そして「笑の本願」「不 幸はる芸術jなどが、それを裏づけている。

或いは又、平地村=純農村から都市へと動く人々の質的変貌は、実に 固有信仰 の問題を取りあげた

「日本の祭

J

「先組の話

J

などに於いて考察されているのである。

柳田国努が錨いた中世及び中世人の具体的イメージとは伺であっただろうか。

f

鬼を怖れた社会には鬼が多く出てあばれ、天狗を笹戒しているとお

b

汗供を奪うのと同時に、牙あり角あ る赤ん坊の最も数多く生まれたのは、いわゆる魔物の膨

3

を十二分ζi意認して、樹嫁庭の平和と幸福まで松崎あ って彼らによって左右せられるかの如く気遣っていた人々の部落の中であった。」 (「山の人生)

神隠し、迷子についても、 「ζれによって、家の貸さ、血の清さぞ証明しえた

J

ばかりでなく、鬼子、 大男、パカ力、一つ目、なまけものはその並でない姿と云うだけで、家々の貧い組先として語り伝えんと

した。兵産量不可分を以て、山村より平地へと土着を始めた中世の社会変動の中で、大地主制・大家族制

l

と 去った農村発生の起因が祭たした精神的役割を柳田はζれら異形のものが荷なう 異常性 にみたのであ る。従って、中世と云う時代は漂泊者たちの霊妙の巌も跳梁とした時代K相違ない。託宣をする忍女は竹 令背負い、繕~手』乙持った狂女、所謂物狂いでなければならないのである。

それにしても、中世人は 異常性 に対して積極的な畏敬を以て、 ζれを迎え入れようとした。そして 又その力と効用を果敢に利用したのである。彼らの想像力と行動力は近世人、近代人を遥に凌いで、広く 且つ豊かであった。悪徳も虚辞も悉く彼らの空想を刺激して止まず、神々の笑いはζの風土

κ

於でさえも 乾き切って明朗であったに違いないのである。 「ウソは近世一つの悪徳と解せられるようになる以前、殆

と今日の文芸と閉じにあらゆる空想の興味ぞ句括して居た乙とがあった。

J

(「妖怪談義

J

)実の処、人 間の情熱の伺と異常性が結びつくのか、なぜ山村が異常性と結びつくのか?については私には不明である。

だが、人間は理性や秩序そして祭忌では到達し得ない伺ものかの在る乙とを知っている。 「狂気と狂人は、 威嚇と吻笑、位界のもっている、自がくらむほどの非理性、人聞のちっぽけな愚かさという多義的な;

H

した、中心人物となる。

J

(「狂気の歴史

J

)とフーコーは指協するが、それはエリアーデの云う 神話 的利那の回復 における、世界の閥、乱痴気騒ぎと同僚の人閣の或る半面の願望を物語っている。 異常 性 が人閣を魅了する。 「平地i乙住む者の想像を超脱した叙漠たる生存、乙れにともなう、強烈な山の情 絡が、人間の心を衝ってやまない。

J

と柳田は述べているが、中世人を綬底から揺り動かしている 巽常 性 への覇気を、彼は 強烈なる山の情緒 と美しい表現をもって暗示しようとするのである。

近世人について諮らねばならない。柳田国男は中世人と近世人について、明確な質的変貌の棺争指織す る。彼の社会変動論に拠ると中世様々な異常性守秘めた神も人も、兵

G l

分離の時代へ、 基本的には近世襲

(5)

村』乙於ける長期の平和を迎えて、質的に変化してゆこうとするのである。所調、神々の零洛の開始である。

「託宣を定職とする~女が多くの社を鉛持にして居るというのは注意すべき事実である。特に氏子が神託 を問う機会は天下太平が永く続けば滅多に起らない。社のミコたちは雑役に服して神主の補助員の如く、

化経をして宮の装飾の如くなり……・−。」 (「~女考」)と指鏑し、かつて託宣の験であった狂乱は疾病 の一種としか受け取られなくなったのである。由緒正しい家筋の証しであった霊界との繋りも、~きもの 神の家筋として、ヲサキ持、クダ狐持、 犬神猿神猫神蛇持、トウピャウ持などと言って嫌忌し、恥辱と考 えて隠し、異種婚姻を拒否しようとした。 天狗も狐も人聞から欺かれる笑いものにしか過ぎず、 「神が力 を試みるというせっかくの旧方式色、結局無意味な緩乱K過ぎぬζとになったのである。」 ( 「山の人 生

J) 

近世人或いは平地人は 異常性 を否定した。神々との結びつきのその最も重要なる精神性を失ったの である。丘型ムにとって 異常性 とは合理的解釈可能な対象でなければならない。ハレとケが絶対的に 対崎する世界は最早存在しない。エリアーデの云う 壁 と 俗 が明確な一線を画し、聖が象徴的事件 でしかなく、両者に緊密も対立もない、それぞれが別個の世界であると云う自覚。 「狂気はもはや償界の 関夜のなかに絶対的な実在舎もたない。それは理性との相対性Kよってのみ実在する。

J

(任問の歴史

J ) 

と云うフーコーの指嫡がまさに平地人の認識する世界観である。

「近世に入ってからも、稀』ζは歯が生えて産れるほどの異相の子を儲けると、たいていは動顛して即座 にζれを殺し、弁慶の如き、絶倫の勇武強力を発療する機会をも与えなかった。乙れ恐らくは天下太平の 世のー弱点であったろう。

J

(「山の人生」)

「後世の民家で、怖れて殺したほどの異常なる特徴は、岡崎に上古の英傑勇士名僧らの奇瑞として、尊

. . . .  

敬して永く語り伝えた。大男も片輸のうちに算えるのは、いわゆる鎖国時代の平和な民の哀れは速慮であ ろう。部曲が対立してやまなかった時代には、いわゆる鬼の子は神の子として諮り伝えて尊信しているの である。

J

〈「山の人生」)乙れが近世と中世の隔絶した違いである。正に平地人の戦傑は始まって居る。

ー お わ り に ー

近世は山村から平地村へとは別に、純農村から都市への問題が含まれている。柳田国男は「日本の祭」

や「先租の話

J

の中で、乙の問題に附れていて、 異常性 に対する近世人、 平地人、都市人の質的変貌、

つまり信仰締造の移動を解明している。だが一方では、彼は日本人の 固有性 や 普通性 について強 い関心を示していて、様々な質的変貌を明確にしながらも、精神史の持続の不思議を説いている。 「人に

. . . . . . .  

はなお、乙れという理由がなくて、ふらふらと山に入って行く癖のようなものがあった。説明する乙との できぬ人聞の消滅、 ζとにはζの世の執着の多そうな若い人たちが、突如として山野lζ紛れζんでしまっ て、何をしているかも知れなくなるζとがあった。」 (「山の人生」)いかなる場合でも、 ζれも文人間

2

主主の姿である。然し、生存の名に値いせずとも、人閣の生存の赤裸々は斯くも不明なる表現方法を以 てしか表明し得ないものであるかも知れない。空間も、時間も案外と狭いものであり且つ不自由なものだ と感じないわけにはゆかぬ。 「特に未聞社会、人間をいけにえにし、血を見ることによって群集は熱狂的

‑22 ‑

(6)

(「聖と俗の葛藤

J

ー姻一郎一)或いは

f

混沌の重量餓 な集合的興奮i乙入る。日常的な規範が図復する。」

伎を得ぴた闘。混沌を対象化して秩序の確認。」

の は

J

・忌・忌・祭・祭﹁

E

るまい。ひしろ、今後、混沌の豊鏡はその解明とともlζ、重要性をb脅してゆく乙とを疑わない。だが、柳

回国男が・・日本の祭 の飽で明らかにしようとした 文化の合理性 文化の理性 とは恐るべきもので ある。彼は 日本の祭 に於ける質的変貌を 物忌みの衰退 と説いた。厳重な 物忌み と 緩進 を

見失った 「日本の祭

J

. m

ぱ 風流 一点振りの、祭のはなやかさぞ否定した。

外側=混沌の豊鏡、 漂泊者群による内側への衝態。そして、それ以上に「物忌み

J

の厳絡、

異常性の主主過による、 内側の貧困化ζそ、今後、 特に問題としなければならないのではえよいか。

徒らK我々を絢束する述信では無かった。 本意は寧ろ未知の外界に対する一種の対抗策で、………一定段

(「文化と両議性

J

ζれらの考えぞ否定するζとはあ

小限の条件をさえ守って居るはらば、人は自在に行動して伺の怖るる所も無いものだと云うζとを、我々

(妹の力

J

)文化はケガレ

「禁忌

J

によって、 が確信し得たのも此御議で、言はば人間の勇気の線源を倍ふものであった。

J

を扱う事によって、サカイの場から外側へ放逐怠れるが、その内側の活力が 「物忌み

J

維持されているかぎり、外側の混沌とした関空間=神々の世界(破壕者としての魔的性絡と生成・鐙銚・ 生命力更新=堀一郎氏)は自然空聞に向かつて象徴的に拡大されてゆく。文化は内側で歴史的に質的変貌

争遂げながら、堆積してゆくのでははく、それは外側に向かつて、負性・魔性・善性であれ、等価的に、

笠呈 f ! : : 1 1

乙拡大していなければなら伝い。盟主主が我々に与える衝撃は、阜笠室島乙向かつて拡大する旦

. f i l l ! .

の活力の強弱』E本来は由来するのかも しれない。・・異常性 に対する「物忌み

J

と「禁忌jを見失った我

々の混乱iζは、はかり知れとよいものがある。私は「日本の祭

J

「先組の話」等Kよって、平地村から都市 日本人の精神史の問題を論ずる事になっていたが、後の機会

I C i i

りたい。柳田園男は「山の人 生」 の冒頭で、有名とよる二つの事実認令書き残した。岡山花袋はあまりの異常さKたじろぐばかりだった へと動く、

と云う。我々は未だにとの 異常性 を解明し切っていないのである。神々の零落と云う近世的解明を今

「乙れが近年厳も閑却せられたる部面である。」が「特に意外なる多く の暗示を供興する資源である。

J

とは柳田の指鏑である。

もなお持続しているに過ぎない。

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