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◊✲௦⾲⪅ ᐑᇛᘯᶞ 葬 墓 制 資 料 集 成 ( 2 ) — 銘 書 編 — ( 葬 墓 制 か ら み た 琉 球 史 に 関 す る 基 礎 的 研 究
研
究 成 果 報 告 書 ) 令 和 三 年 ( 二 〇 二 一 ) 三 月 宮 城 弘
1 本報告書は、日本学術振興会科学研究費補助金の交付を受けた研究の成果を示す報告 書である。研究課題、期間、交付額は以下のとおりである。
研究種目:基盤研究(C) (一般)
研究課題:葬墓制からみた琉球史に関する基礎的研究 事業期間:平成 30 年度(2018)~令和2年度(2020)
助成金額:平成 30 年度(直接経費) 1,200,000 円 (間接経費) 360,000 令 和 元 年 度(直接経費) 1,000,000 円 (間接経費) 300,000 令 和 2 年 度(直接経費) 1,000,000 円 (間接経費) 300,000 合 計(直接経費) 3,200,000 円 (間接経費) 960,000
2 本書は、標題の研究で行った銘書の基本資料を集成したものである。本書の編集は、宮 城弘樹、鈴木悠が行った。銘書の翻刻内容について、安和吉則、大城直也、山田浩世、麻生 伸一、比嘉吉志、渡辺美季の助言をいただいた。
3 データ入力、図表類の作成には、以下の学生(当時)の協力を得た。
(敬称略、五十音順)
島袋 芽衣 、 照屋 凛 、 屋比久大翔
4 本書作成にあたり、次の機関の協力を得た。 (敬称略、五十音順)
浦添市教育委員会、うるま市教育委員会、沖縄県立博物館・美術館、沖縄市教育委員会、
久米島博物館、名護市教育委員会、那覇市教育委員会、日本民藝館
(表紙図面:那覇市教育委員会2000『ナーチュー毛古墓群』那覇市文化財調査報告書第44集より)
例 言 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ⅰ
もくじ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ⅱ
1. 解説 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ⅳ
2. 銘書翻刻解説 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ⅴ
3. 凡例 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ⅵ
4. 銘書資料一覧表
1. 銘苅古墓群 ・・・・・・・ 1 ~ 26 8. 安謝西原古墓群 ・・・・・ 26 ~ 30 11. ガジャンビラ丘陵遺跡・・ 30 ~ 31 13. ナーチュー毛古墓群・・・ 31 ~ 39 14. 首里崎山古墓群・・・・・ 39 17. 松尾古墓群・・・・・・・ 39 ~ 41 18. 首里久場川ハタマチュウ古墓群・ 41 ~ 42 20. 玉陵・・・・・・・・・・ 42 ~ 43 22. 沢岻親方の墓・・・・・・ 104 27. 鏡水箕隅原古墓群・・・・ 43 28. 與那嶺家の墓・・・・・・ 43 ~ 44 29. フクヂ山古墓群・・・・・ 44 ~ 45 30. 前田・経塚近世墓群・・・ 45 ~ 68 43. 屋嘉比朝寄の墓・・・・・ 68 44. チヂフチャー古墓群・・・ 68 45. 城間古墓群・・・・・・・ 68~69 47. 玉城朝薫 ( 邊土名家 ) の墓・ 69 48. 内間西原古墓群・・・・・ 69 ~ 70 51. 伊祖の入め御拝領墓・・・ 71 53. 仲間稲マタ原近世墓群・・ 71 56. 比嘉門中の墓・・・・・・ 71 ~ 72 57. 当山世利原古墓群・・・・ 72 ~ 73 59. 仲間後原近世墓群・・・・ 73
60. 港川崎原古墓群・・・・・ 73
61. 沢岻端川原近世墓群・・・ 73
63. 勢理客城門原古墓群・・・ 73 ~ 74
66. 城間東空寿原古墓群・・・ 74 ~ 77
67. 前田高御墓・・・・・・・ 77
68. 御殿墓・・・・・・・・・ 77
69. 前平田腹門中四世按司墓・ 77
70. 渡嘉敷後原古墓群・・・・ 77
71. アジシー墓・・・・・・・ 77
73. 親泊門中墓ほか・・・・・ 77 ~ 78
75. 中山家・・・・・・・・・ 78 ~ 79
76. 池田上原古墓・・・・・・ 79
77. 中城村字津覇呉屋家の墓・ 79
78. 仲嶺の家の墓・ほか・・・ 79 ~ 80
79. 伊佐前原古墓群・・・・・ 80
80. 喜友名後原・ほか・・・・ 80
81. 大山上江家古墓・・・・・ 80 ~ 81
81. 神山島家古墓・・・・・・ 81
81. 野嵩桃原家古墓・・・・・ 81
82. 宇地泊西原丘陵古墓群・・ 81
84. 奥間ノロ墓・・・・・・・ 81 ~ 82
85. 赤道渡呂寒原洞穴遺跡・・ 82
86. 野嵩真境名家古墓・・・・ 82
87. 野嵩上後原古墓群・・・・ 82 ~ 83 88. 安仁屋新城イシジャー・・ 83 90. 上勢頭古墓群・・・・・・ 83 91. 北谷ノロ墓・・・・・・・ 83 ~ 85 92. 山川原古墓群・・・・・・ 83 ~ 85 93. 大作原古墓群・・・・・・ 85 94. 與久田門中墓・・・・・・ 85 ~ 88 95. 大松蒲墓・・・・・・・・ 88 96. 大嶺門中墓・・・・・・・ 88 ~ 89 99. 栄野比古墓群・・・・・・ 89 100. 鬼大城の墓 ・・・・・・ 89 101. 尚宣威王の墓 ・・・・・ 89 102. 下仲宗根門中の墓 ・・・ 89 ~ 90 104. 池原上田原仕明座原 ・・ 90 105. 京判墓 ・・・・・・・・ 90 106. 赤道大門森古墓群 ・・・ 90 ~ 91 108. 古我知原内古墓 ・・・・ 91 109. 焼墓 ・・・・・・・・・ 91 ~ 92 110. ジョーミーチャー墓 ・・ 92 ~ 93 111. 伊波公園内古墓 ・・・・ 93 113. イラフ道 ・・・・・・・ 93
117. 百按司墓 ・・・・・・・ 93 118. 崎山の古墓群 ・・・・・ 93 ~ 94 119. 今泊のアジケー墓 ・・・ 94 ~ 95 120. 諸志の宮城家の墓 ・・・ 95 121. アハンナ原古墓群 ・・・ 95 ~ 96 123. 億首川流域の古墓群 ・・ 96 124. ミーチェ墓 ・・・・・・ 96 126. 宜野座の古島遺跡 ・・・ 96 127. 後ヌ御嶽 ・・・・・・・ 96 128. 伊是名玉御殿 ・・・・・ 96 ~ 97 129. ヤッチのガマ ・・・・・ 97 130. ハナ崎墓・小港墓 ・・・ 97 139. 八重山博物館 ・・・・・ 97 140. 博物館・個人蔵 ・・・・ 98 142. 沖縄県立博物館 ・・・・ 98~ ~ 100 143. 壺屋焼物博物館 ・・・・ 100 ~ 103 144. 日本民藝館 ・・・・・・ 103 146. 名護博物館 ・・・・・・ 103 ~ 104 64. 浦添ようどれ・・・・・・ 104 147. 池城墓 ・・・・・・・・ 104 146. その他 ・・・・・・・・ 104 5. 付表・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 105 ~ 108 例 言 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ⅰ
もくじ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ⅱ
1. 解説 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ⅳ
2. 銘書翻刻解説 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ⅴ
3. 凡例 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ⅵ
4. 銘書資料一覧表
1. 銘苅古墓群 ・・・・・・・ 1 ~ 26 8. 安謝西原古墓群 ・・・・・ 26 ~ 30 11. ガジャンビラ丘陵遺跡・・ 30 ~ 31 13. ナーチュー毛古墓群・・・ 31 ~ 39 14. 首里崎山古墓群・・・・・ 39 17. 松尾古墓群・・・・・・・ 39 ~ 41 18. 首里久場川ハタマチュウ古墓群・ 41 ~ 42 20. 玉陵・・・・・・・・・・ 42 ~ 43 22. 沢岻親方の墓・・・・・・ 104 27. 鏡水箕隅原古墓群・・・・ 43 28. 與那嶺家の墓・・・・・・ 43 ~ 44 29. フクヂ山古墓群・・・・・ 44 ~ 45 30. 前田・経塚近世墓群・・・ 45 ~ 68 43. 屋嘉比朝寄の墓・・・・・ 68 44. チヂフチャー古墓群・・・ 68 45. 城間古墓群・・・・・・・ 68~69 47. 玉城朝薫 ( 邊土名家 ) の墓・ 69 48. 内間西原古墓群・・・・・ 69 ~ 70 51. 伊祖の入め御拝領墓・・・ 71 53. 仲間稲マタ原近世墓群・・ 71 56. 比嘉門中の墓・・・・・・ 71 ~ 72 57. 当山世利原古墓群・・・・ 72 ~ 73 59. 仲間後原近世墓群・・・・ 73
60. 港川崎原古墓群・・・・・ 73
61. 沢岻端川原近世墓群・・・ 73
63. 勢理客城門原古墓群・・・ 73 ~ 74
66. 城間東空寿原古墓群・・・ 74 ~ 77
67. 前田高御墓・・・・・・・ 77
68. 御殿墓・・・・・・・・・ 77
69. 前平田腹門中四世按司墓・ 77
70. 渡嘉敷後原古墓群・・・・ 77
71. アジシー墓・・・・・・・ 77
73. 親泊門中墓ほか・・・・・ 77 ~ 78
75. 中山家・・・・・・・・・ 78 ~ 79
76. 池田上原古墓・・・・・・ 79
77. 中城村字津覇呉屋家の墓・ 79
78. 仲嶺の家の墓・ほか・・・ 79 ~ 80
79. 伊佐前原古墓群・・・・・ 80
80. 喜友名後原・ほか・・・・ 80
81. 大山上江家古墓・・・・・ 80 ~ 81
81. 神山島家古墓・・・・・・ 81
81. 野嵩桃原家古墓・・・・・ 81
82. 宇地泊西原丘陵古墓群・・ 81
84. 奥間ノロ墓・・・・・・・ 81 ~ 82
85. 赤道渡呂寒原洞穴遺跡・・ 82
86. 野嵩真境名家古墓・・・・ 82
本集成は厨子(蔵骨器)等に記載された銘書の集成である。対象の厨子は、埋蔵文化財行 政による緊急発掘が実施された発掘調査報告書を主とし、移転等の立ち合い調査によるも ので調査報告が行われ公表されたものとした。本集成で用いる銘書は、蔵骨器等に記載され たものを中心とし、石碑等の墓誌は別に集成することを計画しこれを除いている。
本集成は、各自治体によって刊行された報告書に翻刻された文字データを基礎とし、図版 等が掲載されているものは、適宜確認を行っている。作業従事者は屋比久大翔、島袋芽衣、
照屋凛(本学学生)が主に作成し、宮城弘樹、鈴木悠が監修を行ったものである。
掲載文字データの出典元の発掘調査報告書等は付表に記載した。
一覧表に記す「文献 No」は、付表報告書「文献 No」と対応する。遺跡名は以下を省略し、
略記している。地区名は遺跡名に含めた。 「遺跡」 「墓」 「古墓」 「古墓群」 「之墓」 「の墓」 「御 拝領墓」 「近世墓群」 。墓の名称等詳細不明の博物館等収蔵品については、博物館名もしくは 個人蔵と記載している。
一覧表の掲載内容は、次の項目である。
No:本一覧表の掲載順に機械的に連番を付した。
報告書 No:巻末付表の報告書 No に一致する。
墓番号:報告書掲載の遺構番号を記載した。
蔵骨器 No:報告書掲載の遺物 No を記載した。
図、図版番号 :報告書掲載の図番号及び枝番号と図版番号及び枝番号を以下のように略記し て記載した。
第 123 図の枝番号1と図版 100 の枝番号 12⇒123 図1図版 100-12
第 1 図1と図版 10 の枝番号 1⇒1 図1図 1 版 10(枝番号が同一のものは枝番号を省略)
第 1 図1と2図版 10 の枝番号 1 と2⇒1 図1,2 図 1 版 10 (蓋と身がセットのものは「, 」 を付して銘書1件として掲載)
型式:厨子形式は、上江洲分類(1980)に従い、これを補足して別表のとおり略記する。
マンガンの新古は安里編年(1997)Ⅰ~Ⅳを古、Ⅴ~Ⅵを新とした。
記銘部位:蓋と身の別を「_」で記載し、蓋の中でも内外、身の左右、縁など記載箇所の異 なるものは【蓋縁】など【括弧】内に記載箇所を記した後に翻刻を掲載している。
銘書内容:次項で詳細を説明する。
紀年銘 :紀年銘は銘の最新と最古を記載する。最新と最古が同一あるいは記年銘が1つの場 合は、両方に同一年を記載した。
備考:厨子甕に関する所見、例えば「蓋身不揃」等。あるいは、銘書に対する所見、例えば
「光諸」に対して「光緒」カなどを記載している。
本書に収録した図の報告書等は、巻末付表に記載している。付表に記す番号は、沖縄考古
学会(編)2013 『琉球近世墓の考古学-発掘報告編-』資料集所有のNoを示した。また、
なお、フクヂ山古墓群の銘書は、鈴木悠の実見による。また、掲載にあたっては細心の注 意を払い作成したが、本翻刻を使用する際には、原典にあたり確認いただきたい。また、悉 皆的に文献より厨子を収集したが、なお遺漏も多いと思われる。関係者の情報提供を得て、
より完全なものを目指した増補を続ける予定である。お気づきの点は、下記までご一報いた だければ幸いである。
(文責:宮城弘樹)
2.銘書翻刻解説
本書で銘書の集成をするにあたり、あらためて既刊の発掘調査報告書等を確認したとこ ろ、それぞれの報告書で厨子に記された銘書を翻刻する際に、調査者の視座や調査対象とな る墓もしくは墓群の個別に持つ特質などに影響され、それぞれ翻刻のルールに微妙な差異 が存在することが明らかとなった。
例えば、那覇市教育委員会が調査・報告した銘苅古墓群の報告書では、銘書の翻刻は蔵骨 器観察一覧の中に収録されている。同墓群の大半が首里士族の墓であり、士族層が所持した 系図(家譜)と銘書と比較できる事例が多いことから関連項目として「氏」 「家名」 「名乗頭」
「西暦死去年」 「西暦洗骨年」の各項が設けられている。こうした編集によって、銘書と家 譜を相互に参照しやすい環境が整えられ、文献史料としての銘書の可能性が呈示された報 告書である。翻刻の大きな特徴としては、文意の通りやすさを重要視したことがうかがえ、
調査者による注釈が備考ではなく本文に記されていることである。一般的には、判読不能箇 所や欠損箇所にはその旨を表示するにとどまることが多い。注釈を本文に落とし込むこと は、資料の文意が通りやすくなる反面、実際には文字が視認できない箇所に想定される文字 を注釈に入れることや、原文の誤記について「本来であれば・・・」と記すなど、翻刻者の 解釈が多く入ることとなる。結果として文字資料として使用する際に慎重に写真図版ない し現資料との比較が必要となる。また、判読が困難な箇所を「・・・」としたり「○○○」
としたりするなど、表記のブレが目立つ。
次に浦添市教育委員会が調査・報告した前田・経塚古墓群の報告書では、銘書の分析から 各墓の様相について分析した章が設けられたものもあり、他の報告書に比して銘書から得 られた情報をより積極的に取り上げているといえる。翻刻の特徴としては、文字が確認でき るが判読な困難なものは「■」とし、判読が困難であり文字数も判然としないものは「 〈判 読不能>」とするなど、史料としての使用に耐えうる翻刻を心がけたことがうかがえる。し かしながら、 「 〈判読不能>」と表現していることによって、判読不能箇所が多い資料の表記 が冗長になり読みやすさに欠ける点がある。
そのほか、やや特殊な事例としては、読谷村教育委員会の「與久田門中墓調査報告」を始 本集成は厨子(蔵骨器)等に記載された銘書の集成である。対象の厨子は、埋蔵文化財行
政による緊急発掘が実施された発掘調査報告書を主とし、移転等の立ち合い調査によるも ので調査報告が行われ公表されたものとした。本集成で用いる銘書は、蔵骨器等に記載され たものを中心とし、石碑等の墓誌は別に集成することを計画しこれを除いている。
本集成は、各自治体によって刊行された報告書に翻刻された文字データを基礎とし、図版 等が掲載されているものは、適宜確認を行っている。作業従事者は屋比久大翔、島袋芽衣、
照屋凛(本学学生)が主に作成し、宮城弘樹、鈴木悠が監修を行ったものである。
掲載文字データの出典元の発掘調査報告書等は付表に記載した。
一覧表に記す「文献 No」は、付表報告書「文献 No」と対応する。遺跡名は以下を省略し、
略記している。地区名は遺跡名に含めた。 「遺跡」 「墓」 「古墓」 「古墓群」 「之墓」 「の墓」 「御 拝領墓」 「近世墓群」 。墓の名称等詳細不明の博物館等収蔵品については、博物館名もしくは 個人蔵と記載している。
一覧表の掲載内容は、次の項目である。
No:本一覧表の掲載順に機械的に連番を付した。
報告書 No:巻末付表の報告書 No に一致する。
墓番号:報告書掲載の遺構番号を記載した。
蔵骨器 No:報告書掲載の遺物 No を記載した。
図、図版番号 :報告書掲載の図番号及び枝番号と図版番号及び枝番号を以下のように略記し て記載した。
第 123 図の枝番号1と図版 100 の枝番号 12⇒123 図1図版 100-12
第 1 図1と図版 10 の枝番号 1⇒1 図1図 1 版 10(枝番号が同一のものは枝番号を省略)
第 1 図1と2図版 10 の枝番号 1 と2⇒1 図1,2 図 1 版 10 (蓋と身がセットのものは「, 」 を付して銘書1件として掲載)
型式:厨子形式は、上江洲分類(1980)に従い、これを補足して別表のとおり略記する。
マンガンの新古は安里編年(1997)Ⅰ~Ⅳを古、Ⅴ~Ⅵを新とした。
記銘部位:蓋と身の別を「_」で記載し、蓋の中でも内外、身の左右、縁など記載箇所の異 なるものは【蓋縁】など【括弧】内に記載箇所を記した後に翻刻を掲載している。
銘書内容:次項で詳細を説明する。
紀年銘 :紀年銘は銘の最新と最古を記載する。最新と最古が同一あるいは記年銘が1つの場 合は、両方に同一年を記載した。
備考:厨子甕に関する所見、例えば「蓋身不揃」等。あるいは、銘書に対する所見、例えば
「光諸」に対して「光緒」カなどを記載している。
本書に収録した図の報告書等は、巻末付表に記載している。付表に記す番号は、沖縄考古
学会(編)2013『琉球近世墓の考古学-発掘報告編-』資料集所有のNoを示した。また、
書を報告することは関心の埒外であったようである。
以上のように先行事例のそれぞれの特徴を把握したうえで、本書は次のような方針を設 定した。すなわち、翻刻にあたっては実際に確認ができる文字のみを載せ、注記によって文 字を補足することは避け、なるべく「生の情報」を掲載することに努める。そして、注記に ついてもなるべく簡略化した記号を使い、読みやすさを向上させることも意識した。例えば、
銘書が厨子の蓋と身に記されている場合、これまでの報告書では「 〈蓋〉 ・・・ 〈身〉 ・・・」
といった注記で処理することが多かったが、本書では銘書の記された箇所が複数にわたる のであれば「_」で表記すること、判読不能箇所についてはこれまでの報告書にある「 〈判読 不能〉 」とせずに「 〈−〉 」とすることなどが一例である。
今回設定した翻刻ルールが今後の調査・報告におけるひとつの基準となることを期待し ているが、このルールが十全なものであるとは編集者は考えてはいない。他の報告書にも共 通するが、原資料のとおり改行箇所で「/」を入れるため、データベース化した際に、ある 単語が途中で改行された場合に検索から漏れてしまうことなど、すでに課題は見えている。
本書を実際に活用いただき、更なる磨き上げに向けた議論ができれば幸いである。
(文責:鈴木悠)
3.凡例
1)銘書集成にあたり翻刻文字の表記について
①翻刻文データは可能な限り原文にあたるが基本的に報告書掲載の翻刻文に基づいた。
②横書き表示とする。
③機種依存文字・環境依存文字・外字等の使用はしないものとする。
2)旧漢字・異体字、明らかな誤字など
旧漢字はなるべくそのまま使用する。WEBで対応できない字であるばあいは新漢字と する。新漢字と旧漢字が併用されている場合も、原資料に即した字を使用する。
異体字は新漢字を使用する。合略仮名「ゟ」は「より」と表記する。
代替できる文字、記号、判読不明の文字に関する所見は、★で表記する。使用に当たって はなるべく統一する。
例: (★=◇+△)
翻刻者により一字アキ(全角スペース)があるものは、字間を詰めずに掲載している。
3)判読があいまいで推定を含むもの、改行、朱書き等の編集上の注記について
・ある程度の判読が可能で推定される場合。
の。欠損、判読不明文字、誤記の訂正を含む。 )※特に銘苅古墓群の報告書はこの方 法をとった。例)洗(骨)
・朱書 →斜体(イタリック)とする。備考に朱書きと表記する。
例)九月十四日/洗骨仕置申候事 浦添御殿御■■ /呉勢 備考:朱書き
・改行 →/、なお、改行かどうか判断できないものは翻刻者の記載に従い「/」※全 角で統一する。例)九月十四日/洗骨仕置申候事
・記載内容が複数となる場合 →_、翻刻者の記載がある場合 例) 【身正面】九月十四日/洗骨仕置申候事_【口縁内側】浦添御殿
・明らかな誤字は〔ママ〕を付す。備考に訂正語句を掲載する。
例)九月十四日/洗滑〔ママ〕仕置申候事
・蓋と身の記銘が同一のものは、以下のように記載することがある。例)_(銘同一)
4)判読不能、欠字、見せ消し等の編集上の注記について、判読不能文字等は、以下のように 注記、記号化する。
・判読が困難で字数が分かる場合。 →■(文字数が分かる分だけこれを標記する)
例)九月十四日/洗骨仕置申候事■■■
・判読が困難で字数が分からない場合。 →〈-〉
例)九月十四日/洗骨仕置申候事〈-〉
・欠損して判読不能の場合。 →-〉もしくは〈-、 〈欠損〉
例)-〉九月十四日/洗骨仕置申候事 例)九月十四日/洗骨仕置申〈-
・見せ消し(墨ベタ塗も同様) 。 →対象範囲を一重取り消し線 例)洗骨
・フリガナ、訂正後、文字の上や横に配された補足的な文言、 (括弧)書きの文字。
例)先滑[洗骨] 、羊[ヒツジ]
≪参考文献≫
安里進 1997 「伊祖の入め御拝領墓の厨子甕と被葬者―近世墓の考古学的調査による家族復元―」
『伊祖入め御拝領墓の厨子甕と被葬者』浦添市教育委員会
安里進・ほか 2006 「ボージャー厨子の分類と編年」 『比嘉門中の家族史・比嘉門中墓の調査概要』
浦添市教育委員会 pp.4-21
上江洲均 1980「沖縄の厨子甕」 『日本民族文化とその周辺 歴史・民族編』国分直一博士古希記
念論集 新日本教育図書
沖縄考古学会(編)2013『琉球近世墓の考古学-発掘報告編-』
書を報告することは関心の埒外であったようである。
以上のように先行事例のそれぞれの特徴を把握したうえで、本書は次のような方針を設 定した。すなわち、翻刻にあたっては実際に確認ができる文字のみを載せ、注記によって文 字を補足することは避け、なるべく「生の情報」を掲載することに努める。そして、注記に ついてもなるべく簡略化した記号を使い、読みやすさを向上させることも意識した。例えば、
銘書が厨子の蓋と身に記されている場合、これまでの報告書では「 〈蓋〉 ・・・ 〈身〉 ・・・」
といった注記で処理することが多かったが、本書では銘書の記された箇所が複数にわたる のであれば「_」で表記すること、判読不能箇所についてはこれまでの報告書にある「 〈判読 不能〉 」とせずに「 〈−〉 」とすることなどが一例である。
今回設定した翻刻ルールが今後の調査・報告におけるひとつの基準となることを期待し ているが、このルールが十全なものであるとは編集者は考えてはいない。他の報告書にも共 通するが、原資料のとおり改行箇所で「/」を入れるため、データベース化した際に、ある 単語が途中で改行された場合に検索から漏れてしまうことなど、すでに課題は見えている。
本書を実際に活用いただき、更なる磨き上げに向けた議論ができれば幸いである。
(文責:鈴木悠)
3.凡例
1)銘書集成にあたり翻刻文字の表記について
①翻刻文データは可能な限り原文にあたるが基本的に報告書掲載の翻刻文に基づいた。
②横書き表示とする。
③機種依存文字・環境依存文字・外字等の使用はしないものとする。
2)旧漢字・異体字、明らかな誤字など
旧漢字はなるべくそのまま使用する。WEBで対応できない字であるばあいは新漢字と する。新漢字と旧漢字が併用されている場合も、原資料に即した字を使用する。
異体字は新漢字を使用する。合略仮名「ゟ」は「より」と表記する。
代替できる文字、記号、判読不明の文字に関する所見は、★で表記する。使用に当たって はなるべく統一する。
例: (★=◇+△)
翻刻者により一字アキ(全角スペース)があるものは、字間を詰めずに掲載している。
3)判読があいまいで推定を含むもの、改行、朱書き等の編集上の注記について
・ある程度の判読が可能で推定される場合。
別表
那覇1998※1 材質形態釉薬・焼成 木製板厨子板厨子木製板厨子御殿板厨子 輝緑岩製石厨子青石輝緑岩製石厨子御殿輝緑岩 石灰岩製石厨子琉球石灰岩 サンゴ石石灰岩製石厨子御殿石灰岩 その他 (凝灰岩,ニービ)凝灰岩その他(凝灰岩, ニービ)御殿石厨子 陶製家形 蔵骨器 荒焼御殿形厨子マンガン釉御殿形 荒焼御殿形荒焼御殿形厨子御殿荒焼 上焼本御殿形厨子上焼本御殿形上焼本御殿形厨子御殿上焼 上焼ツノ付御殿形 厨子上焼ツノ形上焼ツノ付御殿形 厨子御殿ツノ 上焼コバルト掛け御 殿形厨子上焼コバルト釉御 殿形上焼コバルト掛け 御殿形厨子御殿コバルト 素焼塗料彩色御殿 形厨子素焼塗料彩色御殿 形厨子御殿塗料 ボージャー厨子陶製無頸甕 形蔵骨器ボージャー ジーシボージャー厨子甕ボージャ 陶製有頸甕 形蔵骨器甕マンガン古 陶製外反甕 形蔵骨器甕マンガン新 マンガン掛け庇付き焼 き締め陶製軒付甕 形蔵骨器庇付甕形マンガン釉甕形マンガン掛け庇付き 焼き締め甕マンガン庇 上焼甕形上焼甕形上焼甕上焼 骨壺骨壺骨壺 素焼塗料彩色甕形 厨子素焼塗料彩色甕形 厨子甕塗料 その他(土器)その他(土器)土器 その他 (土製箱形)その他(土製箱形)土製箱形 その他 (陶製獅子形)その他(陶製獅子 形)獅子形 その他(瓦質)甕赤焼 その他甕アカムヌ その他その他甕焼締陶 その他陶製円筒形 蔵骨器その他円筒形 転用(土器) 陶製 (甕,壺,鉢,ほか)転用(土器) 陶製 (甕,壺,鉢,ほか)転用 銅厨子
御 殿 型 厨 子
赤焼御殿形
上江洲均1980「沖縄の厨子甕」『日本 民族文化とその周辺 歴史・民族篇』 新日本教育図書pp.341-374
宮城弘樹2019「御殿形厨子の研究(1) -紀年銘資料の集成を中心として-」 『南島考古』No.38 沖縄考古学会pp.1- 20
本書略記 厨 子
家形板厨子・差物厨子・木龕 厨 子 ・ ジ ー シ
唐御厨子 黒石厨子 白石厨子
石厨子 石龕 イシジーシ 甕形無釉甕形
浦添市教育委員会2006『比嘉門中の墓ー家族の数だけ歴史がある-比嘉門中墓の調査概 要-』浦添市文化財調査研究報告書 石 製 厨 子 ( 専 用 蔵 骨 器 )
マンガン掛け焼き締め その他 転用転用
陶 製 ※1.那覇市教育委員会1998『銘苅古墓群(Ⅰ)-那覇新都心土地区画整理事業に伴う緊急発掘調査報告-』那覇市 文化財調査報告第39集
御 殿 形 厨 子ウドゥン ジーシ
石 製石製家形 蔵骨器石厨子家形 赤焼御殿形厨子 焼物厨子
御殿形 厨 子 ( 専 用 蔵 骨 器 )
その他
陶製御殿形 蔵骨器 甕 型 厨 子
陶 製
ボージャー 甕 形 厨 子
陶 製
ジーシ ガーミ
マンガン掛け焼き締 め
御殿赤焼赤焼御殿形厨子 焼物厨子
陶 製
紀年 西暦 紀年 西暦
1 1 銘苅(1) B16 - 67図1,2
PL.12-1,2 御殿石灰岩 身 康煕二十■年■月■■十二日死去/真妙静■■〔也ヵ〕
_■〈-〉■_(乾隆元年丙)辰四月十五日去/〈-〉
康煕20
~ 1681~
1690 乾隆01 1736
2 1 銘苅(1) B16 - 68図1,2
PL.13-1,2 御殿赤焼 蓋 ■■〔泉水ヵ〕■筑登之親雲上妻/(泉水)筑登之親雲上
嫡子〈-〉
3 1 銘苅(1) B11 - 68図3
PL.13-3 御殿荒焼 蓋
■門ノ御思■/嘉慶三年戊午十一月廿日ミヤク墓ヨリ移■
天久親方■■/位牌/■川安置/■二人先祖首里金城 糸■/道光三年癸未/■月七日洗骨/天久親方望む/
■■■■■/川■女子■■川/安置
嘉慶03 1798 道光03 1823
4 1 銘苅(1) B19,20 - 69図1,2
PL.14-1,2 御殿上焼 蓋 大清同治十二年壬酉十一月七日死去/光緒五年己卯九
月廿九日洗骨/同人男子合骨■■ 同治12 1873 光緒05 1879 ほんとは癸
5 1 銘苅(1) B10 - 70図1,2
PL.15-1,2 御殿ツノ 蓋身
光緒十六年庚寅十二月二十二日安康洗骨ス/明治四十 一年(戊)申旧五月三日安康妻/妻洗骨ス_【身】光緒(十 六年)庚寅十二月二十二日安康〈-〉_明治三十一年
(戊)戌正月三日安康妻ウト死ス
光緒16 1890 明治41 1908 明治31=1898
6 1 銘苅(1) B13,12 - 71図1,2
PL.16-1,2 御殿上焼 蓋
屋我良道(妻真鍋丗年)明治旧六月廿七日死/〈-〉/仝 丗五年十二月廿七日旧(十一月廿八日洗骨)_屋我里之 子親雲上良道咸豊〈-〉七日死/咸豊七年巳十一月五日 洗骨/同人妻真鍋明治丗年旧六月廿七日/死同丗五年 十二月廿七日丗旧十一月廿八日洗骨
咸豊07 1857 明治35 1902 明治30=1897
7 1 銘苅(1) B43 3 72図2,3
PL.17-2,3 甕ボージャー 蓋身 康煕五九年辛酉七月二十五日死去/■■ 康煕59 1720 康煕59 1720 ほんとは庚
子
8 1 銘苅(1) B37 1 72図4,5
PL.17-4,5 甕ボージャー 蓋身 小禄御■新垣尓也_大清康煕五十一年壬辰八月十八日
小禄御■■〔尓也ヵ〕新垣尓也〈-〉 康煕51 1712 康煕51 1712
9 1 銘苅(1) B43 511 72図6,7
PL.17-6,7 甕ボージャー 蓋身
康煕六十一年己亥■七月十一日死去新垣母親/雍正二 年甲辰八月■四日洗骨_康煕六十一年壬寅七月十一日 死去
康煕61 1722 康煕61 1722 ほんとは壬 寅
10 1 銘苅(1) B6 - 73図1
PL.18-1 甕ボージャー 身 ■/康煕五十一年癸辰八月廿七日用■尓也/母親■
〔骨ヵ〕■■■■〔室ヵ〕/■■■ 康煕51 1712 康煕51 1712 ほんとは壬 辰
11 1 銘苅(1) B14 - 73図4,5
PL.18-4,5 甕ボージャー 蓋身
乾隆■■年〈-〉/朝隆室思〈-〉_乾隆/室思戸/朝要
/娘■■〔真鶴ヵ〕_〇湧川〈-〉乾隆七年壬(戌)〈-〉/
〇泉水親雲上〈-〉/嘉慶十三年(戊辰)〈-〉/同年十月 十八日〈-〉
乾隆07 1742 嘉慶13 1808 〇=記号ヵ
12 1 銘苅(1) B14 - 73図6,7
PL.18-6,7 甕ボージャー 蓋身
湧川親雲上朝隆乾隆二十五年庚辰二月十日死_乾隆二 十五年庚辰二月十日朝隆死/湧川里之子親雲上朝隆/
乾隆二十六年辛巳■月十七日/洗骨
乾隆25 1760 乾隆26 1761
13 1 銘苅(1) B27 5 74図1,2
PL.19-1,2 甕ボージャー 蓋 嘉慶二十二年(丁丑)九月■亀嶋袋■母■■ 嘉慶22 1817 嘉慶22 1817
14 1 銘苅(1) B43 13 75図5
PL.20-5 甕ボージャー 蓋
乾隆十七年壬申二月十三日死/新垣■親雲上/同二十 年乙亥十二月洗骨/■■■〔年丁卯巳ヵ〕/七月■■日 洗骨/同人妻
乾隆17 1752 乾隆20 1755
15 1 銘苅(1) B1~25 - 76図6
PL.21-6 甕ボージャー 蓋
乾隆七年壬戌/八月七日銘苅墓■■■之■■/■■■
■/■■政長■■/廿■/二人■/(乾隆四十六年ヵ)
辛丑八月■〔日ヵ〕/洗骨/入人■■■/■■■〈-〉/
■■■■■/■■■也
乾隆07 1742 乾隆46 1781
16 1 銘苅(1) B37 - 76図7
PL.21-7 甕ボージャー 蓋
雍正五年丁未八月二十八日洗(骨)/是者斯/我謝親雲 上女子真牛金/平良筑登之親雲上女房母親也/慈■■
時_〈-〉真牛〈-〉
雍正05 1727 雍正05 1727
17 1 銘苅(1) B43 - 76図8
PL.21-8 甕ボージャー 蓋 乾隆十七年(壬申)四月廿三日死去新垣■親雲上嫡子苗
戸■■/同廿一乙未年十一月十二日/洗骨 乾隆17 1752 乾隆21 1756
18 1 銘苅(1) B10 - 77図1
PL.22-1 甕ボージャー 蓋 乾隆二十四年己卯七月七日〈-〉/〈-〉筑登之親雲上安
室次男/■■/■■筑登之親雲上■■ 乾隆24 1759 乾隆24 1759
19 1 銘苅(1) B43 - 77図2
PL.22-2 甕ボージャー 蓋 乾隆十九年甲戌十一月十日死/新垣嫡子■■/同廿七
日洗■/同人女子■ △ 乾隆19 1754 乾隆19 1754 墨書の△印
20 1 銘苅(1) B14 - 77図3
PL.22-3 甕ボージャー 蓋 〈-〉■〔朝ヵ〕安妻乾■■■■〔隆十五年ヵ〕庚午八月■
日洗骨 乾隆15 1750 乾隆15 1750
21 1 銘苅(1) B14 - 77図6
PL.22-6 甕ボージャー 蓋
嘉慶拾三年戊辰十月廿■日参代■乾■■■/湧川里之 子親■■母/湧川里之子朝膺母_道光二十二年壬寅八 月二■〈-〉死去/同二十七年丁未十一月七日洗骨/泉 水里之子朝登_湧川里之子親雲上朝庸母
嘉慶13 1808 道光27 1847 道光22=1842
22 1 銘苅(1) B43 13 77図7
PL.22-7 甕ボージャー 蓋 〈-〉/〈-〉■月十日死/妻
23 1 銘苅(1) B3 - 77図8
PL.22-8 甕ボージャー 蓋 乾隆四拾弐年丙酉十月廿日洗骨/童名■〔樽ヵ〕■■ 乾隆42 1777 乾隆42 1777 ほんとは丁
24 1 銘苅(1) B43 11 77図9
PL.22-9 甕ボージャー 蓋 乾隆五十六年辛亥八月四日洗骨/新垣仁屋 乾隆56 1791 乾隆56 1791
25 1 銘苅(1) B43 7 77図10
PL.22-10 甕ボージャー 蓋 乾隆三年〈-〉/■〈-〉 乾隆03 1738 乾隆03 1738
26 1 銘苅(1) B46 - 77図11
PL.22-11 甕ボージャー 蓋 嘉慶十四年己巳七月七日洗骨■〔宮ヵ〕平筑登之 嘉慶14 1809 嘉慶14 1809
27 1 銘苅(1) B20 - 78図1,2
PL.23-1,2 甕マンガン古 蓋身
四男大湾里之子親雲上朝利妻益氏真牛/號静閑乾隆三 十六年辛卯正月初八日/乾隆四十一年丙申九月二十一 日洗骨_四男大湾里之子親雲上朝利妻/益氏真牛號静 閑乾隆三/六年辛卯正月初八日死乾隆/四十一年丙申 九月二十一日洗骨
乾隆36 1771 乾隆41 1776
28 1 銘苅(1) B36 4 78図6
PL.23-6 甕マンガン古 身 嘉慶十年乙丑/八月十七日死去/■■■■■■■/次
男■ 嘉慶10 1805 嘉慶10 1805
29 1 銘苅(1) B27 4 79図1,2
PL.24-1,2 甕マンガン古 蓋 道光七年丁亥六月廿五日■亀嶋袋妻骨■〔洗ヵ〕/癸卯
十二月廿二日うし子 道光07 1827 道光07 1827
30 1 銘苅(1) B20 - 79図3
PL.24-3 甕マンガン古 身 真蒲戸/大湾里子親(雲上)朝■/嘉慶十四年七月七日 嘉慶14 1809 嘉慶14 1809
31 1 銘苅(1) B27 6 79図4,5
PL.24-4,5 甕マンガン古 蓋 道光七年丁亥六月六日嫡子嶋袋■也 道光07 1827 道光07 1827
32 1 銘苅(1) B27 2 80図1,2
PL.25-1,2 甕マンガン新 蓋 同治七年戊辰閏五月十一日うし島袋嫡子うめ_光緒三年 同治07 1868 同治07 1868
33 1 銘苅(1) B27 3 80図3
PL.25-3 甕マンガン新 身 咸豊九年■〔己ヵ〕未五月十■日/うし嶋袋■林了■■/
同治四年乙丑一二月四日/洗骨 咸豊09 1859 同治04 1865 備考
No 報告
書No 遺跡名 墓番号 蔵骨器
No.
図.図版
番号 形式 記銘
部位 銘書内容 最古年 最新年
紀年 西暦 紀年 西暦 備考
No 報告
書No 遺跡名 墓番号 蔵骨器
No.
図.図版
番号 形式 記銘
部位 銘書内容 最古年 最新年
34 1 銘苅(1) B27 8 80図4,5
PL.25-4,5 甕マンガン新 蓋 大清光緒/二拾年甲午/次男嶋袋/旧四月朔日_★ 光緒20 1894 光緒20 1894 ★=八+七記
号ヵ
35 1 銘苅(1) B32 1 80図6,7
PL.25-6,7 甕マンガン新 蓋 〈-〉■■■■■洗骨/平良親雲上女子■■■洗骨 蓋は転用ヵ
36 1 銘苅(1) B21 - 81図3
PL.26-3 甕マンガン新 身 祖慶良通〈-〉
37 1 銘苅(1) B37 - 81図5
PL.26-5 甕マンガン新 身 昭和十五年庚辰三月九日晨寛四男平良太郎洗骨ス 昭和15 1940 昭和15 1940
38 1 銘苅(1) B16 - 81図6
PL.26-6 甕マンガン 蓋 乾隆五十八年癸丑〈-〉洗■〔骨ヵ〕〈-〉■■■■妻亀 乾隆58 1793 乾隆58 1793
39 1 銘苅(1) B10 - 81図7
PL.26-7 甕マンガン 蓋
乾隆■■〔戊午ヵ〕三年八月■日西原間切内間境内■/
西原間切■〔内ヵ〕間里之子親■■〔雲上ヵ〕■隆居/内 間里之子親雲上〈-〉
乾隆 1736~
1795 乾隆 1736~
1795
40 1 銘苅(1) B29 - 81図8
PL.26-8 甕マンガン 蓋 乾隆五拾八年癸丑二十三日死名嘉■〔原ヵ〕安良童名松
金寿六十二/嘉慶二年■〔丁ヵ〕巳十月二十日洗骨 乾隆58 1793 嘉慶02 1797
41 1 銘苅(1) B13 - 81図9
PL.26-9 甕マンガン 蓋 嘉慶二十一年/丙子九月五日夭馬■親/良倫/同二十
五年/庚辰五月/十九日/洗骨 嘉慶21 1816 嘉慶25 1820
42 1 銘苅(1) B20 - 81図10
PL.26-10 甕マンガン 蓋 向有臨大湾里之子/親雲上朝平娘真/牛嘉慶十四年己
/巳七月七日洗骨 嘉慶14 1809 嘉慶14 1809
43 1 銘苅(1) B37 - 82図1
PL.27-1 甕マンガン 蓋 道光二十五年/未十二月二十/一日嫡子平/良親雲上
洗/骨同妻/咸豊二年/壬子六月十/三日洗骨 道光25 1845 咸豊02 1852 ほんとは乙 巳
44 1 銘苅(1) B12 - 82図2
PL.27-2 甕マンガン 蓋 道光十五年乙未正月/七日死去三男喜久元/里之子親
雲上洗/御同人御子■■■合洗 道光15 1835 道光15 1835
45 1 銘苅(1) B14 - 82図3
PL.27-3 甕マンガン 蓋
道光七年丁亥/十一月廿八日朝文/泉水里子親雲上/
洗骨■霊■/道光十五年乙未/十一月廿日同人妻洗骨
/右日
道光07 1827 道光15 1835
46 1 銘苅(1) B51 2 82図4
PL.27-4 甕マンガン 蓋 道光弐拾七年丁未九月十二日宮城筑登之女〔可ヵ〕那 道光27 1847 道光27 1847
47 1 銘苅(1) B37 - 82図5
PL.27-5 甕マンガン 蓋 道光弐拾五年乙巳七月三十日五男平良筑登之親雲上晨
嘉洗骨 道光25 1845 道光25 1845
48 1 銘苅(1) B14 - 82図6
PL.27-6 甕マンガン 蓋 咸豊五年甲卯九月廿一日洗骨嫡子泉水里之子親雲上妻
_嫡子泉水里之子親雲上朝雲妻 咸豊05 1855 咸豊05 1855 ほんとは乙 卯
49 1 銘苅(1) B12 1 82図7
PL.27-7 甕マンガン 蓋 咸豊五年乙卯八月廿七日喜久元里之子妻洗骨/同治六
年丁卯三月廿六日洗骨喜久元里之子親雲上 咸豊05 1855 咸豊05 1855 元=本ヵ
50 1 銘苅(1) B19,20 - 82図8
PL.27-8 甕マンガン 蓋
十一世向廸智大湾里之子親雲上娘賀(数築登之親雲上)
/(同治十一年)壬申八月十六日卒/同治十二年癸酉十 二月十五日洗骨
同治11 1872 同治12 1873
51 1 銘苅(1) B37 - 82図9
PL.27-9 甕マンガン 蓋 光緒三年正月十日卒平良筑登之親雲上女子同十八年壬
辰四月十一日洗骨 光緒03 1877 光緒18 1892
52 1 銘苅(1) B20 - 82図10
PL.27-10 甕マンガン 蓋
光緒五年己卯正月六日十五世朝規嫡子小樽金忌日/同 六年庚辰六月四日同長女真鶴忌日同十二年丙戌十月廿 五日同次男真三良忌日同十四年戊子十月十六日三人共 洗骨/同廿二日太■■二安葬
光緒05 1879 光緒14 1888
53 1 銘苅(1) B42 - 82図11
PL.27-11 甕マンガン 蓋
大正参年■■〔甲寅〕旧七月廿日吉川興仁洗骨_大正■
■年旧七月廿日洗■〔骨ヵ〕吉川興仁妻(マズル)(昭和十 六年辛巳洗骨ヵ)■昭和十■八年旧七月三日[仝月同日]
合葬
大正03 1914 昭和16 1941
54 1 銘苅(1) B13 - 82図12
PL.27-12 甕マンガン 蓋
〈-〉■■/屋我良■/■■才/■■■■/〈-〉/〈-〉
洗骨/昭和十六年/(享年四十五才)/(辛巳)旧十二月 二十八日死/屋我良勝/昭和十九年[十九年]六月十二 日[旧]洗■〔骨ヵ〕
昭和16 1941 昭和19 1944
55 1 銘苅(1) B25,26 - 82図13
PL.27-13 甕マンガン 蓋 城間太良妻城間カマド洗骨ノ年昭和九年■■〔甲戌ヵ〕旧
十二月十日 昭和09 1934 昭和09 1934
56 1 銘苅(1) B37 - 82図14
PL.27-14 甕マンガン 蓋 大正五年(丙)辰八月二十三日洗骨妻カマド織名女子 大正05 1916 大正05 1916
57 1 銘苅(1) B43 - 84図3
PL.29-3 転用(甕) 身
四男向■〔健or建ヵ〕智大湾里之子親雲上/朝利娘真嘉 戸/乾隆三拾三年戊子七月七日(死去ヵ)/同三拾五年 庚寅五月■日〈-〉/同三拾九年甲午七月七日洗骨
乾隆33 1768 乾隆39 1774
58 1 銘苅(1) B4 - 84図5
PL.29-5 転用(壺) 身 向汝弼大湾里之子/女子真鍋
59 1 銘苅(1) B37 - 84図7
PL.29-7 転用(壺) 蓋 真■〔香ヵ〕
60 1 銘苅(1) B7 - 84図9
PL.29-9 転用(鉢) 蓋 座波親方/〈-〉■月三十日洗骨
61 1 銘苅(1) B21 84図10
PL29-10 転用(油壺) 蓋
光緒十四年戊子/四月二十五日三男/祖慶子(里之子)
良通/男子加那洗骨/同二十年甲午六月十一日/同人 男子■〔思ヵ〕次■/洗骨_大清光緒十四年戊子四月二 十五日三男祖慶子良通男子加那■■〔洗骨ヵ〕
光緒14 1888 光緒20 1894
62 1 銘苅(1) E23,24 - 85図1,2
PL.30-1,2 御殿石灰岩 身 〈-〉/〈-〉/■■〔康煕ヵ〕二十年〈-〉 康煕20 1681 康煕20 1681
63 1 銘苅(1) E13,15 - 86図1,2
PL.31-1,2 御殿赤焼 蓋身
円岑妙白河真諸/武志羅礼棺椁供/焼骨治■〔久or スヵ〕/大清康煕十八年己未/十月二十六日_(円岑妙 白河真諸)武志(羅礼棺椁供)/〈-〉■〔焼ヵ〕骨■■〔治 スヵ〕/(大清康煕十八年己未十月二十六日)
康煕18 1679 康煕18 1679
64 1 銘苅(1) E13 - 86図3,4
PL.31-3,4 御殿上焼 蓋身 道光拾三年癸巳九月二十日御洗骨田崎親方朝昆/親方
朝昆室_(田)崎親方朝(昆)/〈-〉 道光13 1833 道光13 1833
65 1 銘苅(1) E13 -
87図1,2 PL.32-1,
2
甕ボージャー 蓋身
花岳良雪女子/思戸/康煕十九年/庚申十二月廿七日 死去前澤紙〔ママ〕親方妻/真壁親方■〔室ヵ〕也_(花岳)
良雪(女子)思戸金/■■■(康煕十)九年庚申十二月廿
〈-〉/澤紙〔ママ〕親方/〈-〉(真壁親方)室也
康煕19 1680 康煕19 1680 紙=岻ヵ
66 1 銘苅(1) E12 - 87図5
PL.32-5 甕ボージャー 蓋
康煕(四拾)九年庚寅八月■■日〈-〉(死去)/(仝五拾)
三年甲午八月廿四日洗骨/■■〈-〉/毛姓前安謝/親 雲上安■/嫡女■■〈-〉/遺骨〈-〉
康煕49 1710 康煕50 1711
67 1 銘苅(1) E20 - 87図6
PL.32-6 甕ボージャー 蓋 乾隆四十六年辛丑八月廿七(日)洗骨/三男崎山■■■
(筑登之)親雲上 乾隆46 1781 乾隆46 1781
紀年 西暦 紀年 西暦 備考
No 報告
書No 遺跡名 墓番号 蔵骨器
No.
図.図版
番号 形式 記銘
部位 銘書内容 最古年 最新年
68 1 銘苅(1) E13 8 88図2,3
PL.33-2,3 甕マンガン新 蓋身
柴安男子咸豊■■〔拾年ヵ〕十年庚申四月〔廿九日ヵ〕二 十九日夭亡同治二年癸亥七月七日洗骨_〈-〉■嫡子古 堅筑登之親雲上長女柴安思戸光緒元年乙亥七月十四日 夭/亡歳二光緒二年丙子十一月十七日洗骨_【身】■柴 安男子■■_咸豊十年庚申/〈-〉(洗)骨/〈-〉■■/
(光緒元年)乙亥■月■日夭亡/歳九■■■■
咸豊10 1860 光緒02 1876
69 1 銘苅(1) E13 1 88図4,5
PL.33-4,5 甕マンガン新 蓋身
柴安男子咸豐十年庚申四月廿九日夭亡同治二年癸亥七 月七日洗骨/九世秋廷寳古堅親雲上柴教大清同治三年 甲子十月廿七日死去号(同治九)年庚午三月廿日洗骨/
古堅親雲上柴教妻思戸金光緒十年(甲)申四月十六日死 去_【身】親雲上柴教大清同治三年甲子十月廿七日死去 号道一同九年洗骨
咸豊10 1860 光緒 1884 同治 02=1864,同 03=1865,同 09=1870
70 1 銘苅(1) E5 4 88図6
PL.33-6 甕マンガン新 身 明治十八年乙酉旧三月二十二日死久志助保洗骨娘ウシ
歳二 明治18 1885 明治18 1885
71 1 銘苅(1) E13 11 88図7
PL.33-7 甕マンガン新 身
大清光緒十八年壬辰六月■日/夭歳三ツ/■〔吉ヵ〕登
■〔榮ヵ〕親次女同■〔丗ヵ〕三年丙■■■■〔七月二三ヵ〕
〈-〉骨
光緒18 1892 光緒33 1907
72 1 銘苅(1) E15 - 89図2
PL.34-2 甕マンガン 蓋 嘉慶十六年■〔辛〕未八月九日洗骨柴慶嫡子亀歳三 嘉慶16 1811 嘉慶16 1811
73 1 銘苅(1) E20 - 89図3
PL.34-3 甕マンガン 蓋
■■同治二年甲子十一月廿日洗骨嫡子崎山筑登之親雲 上嗣恩/同治(十三年甲戌)九月十六日洗骨/嗣(恩)
〈-〉(筑登之)親雲上妻/同治〈-〉嗣政次男(亀)_【縁】
同治二年甲子〈-〉洗骨/嫡子崎山筑登之(親雲上)
同治02 1863 同治13 1874 ほんとは癸 亥
74 1 銘苅(1) E13 2 89図4
PL.34-4 甕マンガン 蓋 明治四十三年(庚)戌旧十二月廿二日(二十二日)柴安継
妻ウシ洗骨 明治13 1880 明治13 1880
75 1 銘苅(1) E15 - 89図5
PL.34-5 甕マンガン庇 蓋
道光(二十二)年壬寅六月二十五日洗骨真蒲戸/〈-〉辰 五月七日乗■〔住ヵ〕嫡子真山戸骨洗/咸豊七年丁巳正 月七日乗住娘真■■男思加那(洗骨)
道光22 1842 咸豊07 1857
76 1 銘苅(1) E5 - 89図6
PL.34-6 甕マンガン庇 蓋 大正四年五■月■■日死亡久志助保/大正拾四年〈-〉
参月拾壱日洗骨〈-〉 大正04 1915 大正14 1925
77 1 銘苅(1) E5 - 89図7
PL.34-7 甕マンガン庇 身 顧鳴柱久志子助保室真加戸光緒十五年己丑十二月十八
日洗骨 光緒15 1889 光緒15 1889 久志子=里
之子の略
78 1 銘苅(1) E5 2 90図1,2
PL.35-1,2 甕マンガン庇 蓋
顧鳴時久志子助宜光緒十五年己丑十一月十八日洗骨助 法五男助宜妻ウシ大正十四年三月三日乙丑旧三月七日 死亡享年五十九/昭和十一年■月■日洗骨_顧鳴時久 志子助宜光緒十五(年)己丑十一月十八日洗骨
光緒15 1889 昭和11 1936
久志子=里 之子の略,大 正14=1925
79 1 銘苅(1) E5 7 90図3,4
PL.35-3,4 甕マンガン庇 蓋
顧鳴文久志助法六男顧鳴文久志子助榮/光緒十五年己 丑十一月十八日洗骨_顧鳴久志子助栄光緒十五年己丑 十一月十八日洗骨
光緒15 1889 光緒15 1889 久志子=里 之子の略
80 1 銘苅(1) E13 13 90図5,6
PL.35-5,6 甕上焼 蓋
八世秋文煥渡慶次筑登之親雲上道光二年壬午十月六日 死去号安山_八世秋文煥渡慶次筑登之親雲上道光二年 壬午十月六日死去号安山_昭和(二八年癸巳)四月■日 三男(柴)健■■洗骨〈-〉
道光02 1822 昭和28 1953
81 1 銘苅(1) E27 - 91図10
PL.36-10 転用(壺) 蓋 外間カメ/年五才/一九四■年■〔六or二ヵ〕月■日 1940~ 1940~
49 1940~ 1940~
49
82 1 銘苅(1) E15 - 91図12
PL.36-12 転用(油壺) 蓋 光緒八年壬午九月四日自下之江移葬_銘書無之 光緒08 1882 光緒08 1882
83 1 銘苅(1) B1 - - 甕ボージャー 蓋 〈-〉洗骨■■■■■ 表5-1
84 1 銘苅(1) B2 - - 甕マンガン 蓋 (嘉慶十)四己巳七月七日洗骨新里筑登之親雲上妻同人
又■孫■同人又〈-〉 嘉慶14 1809 嘉慶14 1809 表5-2
85 1 銘苅(1) B1~4 - - 甕マンガン 蓋 光緒八年壬午〈-〉/(光緒二十八年)壬寅七月■六日洗
骨/〈-〉■妻 光緒08 1882 光緒08 1882 表5-3
86 1 銘苅(1) B1~4 - - 甕マンガン 蓋 光緒三十一年乙巳/■月九日明開候處/〈-〉ナリ/
〈-〉二付/〈-〉■葬〈-〉 光緒31 1905 光緒31 1905 表5-4
87 1 銘苅(1) B1~4 - - 甕マンガン 蓋 大清〈-〉 表5-5
88 1 銘苅(1) B1~4 - - 甕マンガン 蓋 三男大(城)里之子親雲上朝祥向世彦次女真鶴 表5-6
89 1 銘苅(1) B1~4 - - 甕ボージャー 蓋 乾隆三〈-〉/(乾隆)三十九年甲午七月〈-〉 乾隆39 1774 乾隆39 1774 表5-7
90 1 銘苅(1) B1~4 - - 甕ボージャー 蓋 〈-〉年丁巳〈-〉 表5-8
91 1 銘苅(1) B3 - - 甕マンガン 身 (三男)大城里之子親雲(上)朝祥(向世)彦次女真(鶴) 表5-9
92 1 銘苅(1) B3 - - 甕ボージャー 蓋 乾隆〈-〉九日■〈-〉/〈-〉洗骨 乾隆 1736~
1795 乾隆 1736~
1795 表5-10
93 1 銘苅(1) B3 - - 甕マンガン 蓋 咸豊二年壬子■■十五日十四世古堅里之子■■長女真
鶴洗骨 咸豊08 1858 咸豊08 1858 表5-11
94 1 銘苅(1) B3 - - 甕マンガン 蓋 (光緒六年)庚辰■月二十七日〈-〉(古)堅(里)之子安■
/〈-〉同年同(月)〈-〉■■/大正十五年〈-〉洗骨 光緒06 1880 大正15 1926 表5-12
95 1 銘苅(1) B3 - - 甕マンガン 蓋 光緒十三年丁亥四月〈-〉/■男真山戸/光緒(二十二
年)丙申〈-〉■月十六日(洗骨) 光緒13 1887 光緒22 1896 表5-13
96 1 銘苅(1) B3 - - 甕マンガン 蓋 ■■■年癸■■月九日洗骨宮城仁屋 表5-14
97 1 銘苅(1) B3 - - 甕マンガン庇 蓋 伊波加ま妻マシ巳之人明治四十一年戊申二月(廿)七日
洗骨ス/■伊波〈-〉■日洗骨ス 明治41 1908 明治41 1908 表5-15 巳之人(明 治十四年 か?
98 1 銘苅(1) B4 - - 甕ボージャー 蓋 乾隆四十五年庚子〈-〉 乾隆45 1780 乾隆45 1780 表5-16
99 1 銘苅(1) B5 - - 甕ボージャー 身 嗣常有銘〈-〉/渦 鶴 先■一〈-〉 表5-17
100 1 銘苅(1) B5 - - 甕ボージャー 蓋 ■■■年■巳八月〈-〉/二代嗣春洗骨〈-〉/〈-〉/
〈-〉同人〈-〉 表5-18
101 1 銘苅(1) B5 - - 甕マンガン 蓋 〈-〉 表5-19
102 1 銘苅(1) B5 - - 甕ボージャー 蓋 新垣親雲上(尓也)/乾(隆)〈-〉■八〈-〉 表5-20
103 1 銘苅(1) B6 - - 甕マンガン 身 (嫡)子■伊波〈-〉 表5-21
104 1 銘苅(1) B6 - - 甕マンガン 蓋 九■〈-〉七月八日洗骨 表5-22
105 1 銘苅(1) B7 - - 御殿陶製 蓋
■■■七年〈-〉/■■年戌十一月廿七日〈-〉/■■■
■■〈-〉/〈-〉十二月■日洗骨/伊波■〈-〉大正五年
(丙辰)■月廿七日洗骨/妻カナ
大正05 1916 大正05 1916 表5-23
106 1 銘苅(1) B7 - - 甕ボージャー 蓋 〈-〉 表5-24
107 1 銘苅(1) B8 - - 甕ボージャー 蓋 我如古母親 表5-25
108 1 銘苅(1) B8 - - 甕ボージャー 蓋 〈-〉 表5-26
109 1 銘苅(1) B8 - - 甕マンガン 蓋 道光六年(丙戌)八月廿三日洗骨/女子■■/女子真■
〈-〉/〈-〉〈-〉〈-〉 道光06 1826 道光06 1826 表5-27
紀年 西暦 紀年 西暦 備考
No 報告
書No 遺跡名 墓番号 蔵骨器
No.
図.図版
番号 形式 記銘
部位 銘書内容 最古年 最新年
110 1 銘苅(1) B8 - - 甕ボージャー 身 ■十(二か三)日卒/〈-〉〔親〕雲上良方/〈-〉■〔戊ヵ〕
戌八月二十二日/洗骨 表5-28
111 1 銘苅(1) B9 - - 甕ボージャー 蓋 ■■■■〔乾隆二十年or嘉慶二十年ヵ〕乙亥八月十七日
伊波〈-〉 乾隆20 1755 嘉慶20 1815 表5-29
112 1 銘苅(1) B9 - - 甕ボージャー 蓋 〈-〉 表5-30
113 1 銘苅(1) B9 - - 甕マンガン 蓋 光緒十三年丁亥〈-〉/〈-〉光緒〈-〉■■/〈-〉安〈-〉
/〈-〉ヨリ/御骨御与人■■■ 光緒13 1887 光緒13 1887 表5-31
114 1 銘苅(1) B10 - - 甕ボージャー 蓋 乾隆廿四年己卯七月七日洗骨/故作■〔久ヵ〕■也/■
妻思戸/次女思戸 乾隆24 1759 乾隆24 1759 表5-32
115 1 銘苅(1) B10 - - 甕ボージャー 蓋 光緒十三年(丁亥)八月十日■■内〈-〉/〈-〉境内後原
之墓ヨリ移骨/移来時ヨリ銘書■ /移来之時ヨリ銘書■ 光緒13 1887 光緒13 1887 表5-33
116 1 銘苅(1) B10 - - 甕ボージャー 身 蘓文明次男〈-〉/乾隆五十三年戊(申)〈-〉(死去)/
〈-〉■歳/同五十六年■■〔丁酉ヵ〕〈-〉洗骨 乾隆53 1788 乾隆56 1791 表5-34
117 1 銘苅(1) B10 - - 甕マンガン 蓋 (光)緒〈-〉/■月十七日死/光緒■■■年■月■■■
日/〈-〉/〈-〉日洗骨之 光緒 1875~
1908 光緒 1875~
1908 表5-35
118 1 銘苅(1) B10 - - 甕マンガン 蓋 咸豊〈-〉/十月〈-〉/〈-〉/〈-〉洗骨/〈-〉/〈-〉光
之■〈-〉 咸豊 1851~
1861 咸豊 1851~
1861 表5-36
119 1 銘苅(1) B10 - - 甕マンガン 蓋 〈-〉大里/〈-〉/移■/■/■■■■■■/■父母 同治 1862~
1874 同治 1862~
1874 表5-37
120 1 銘苅(1) B10 - - 甕マンガン 蓋 (同治)■拾年辛未/■月十四日當/〈-〉移/〈-〉里間
切〈-〉■亀 表5-38
121 1 銘苅(1) B10 - - 甕マンガン 蓋
光緒十(三年)丁亥八月■日■■〔名護ヵ〕間切大兼久境 内内間屋ヨリ移〈-〉■骨七世安蔵之/嫡孫童名蒲戸内間 里之子親雲上■(共ヵ)同人妻真牛■■同月〈-〉ヨリ/御 骨移来也
光緒13 1887 光緒13 1887 表5-39
122 1 銘苅(1) B10 - - 甕マンガン 蓋
同治五年(丙)寅十二月〈-〉死同■年〈-〉真〈-〉_【内 面】同治五年寅十二月七日嫡子■〔道ヵ〕〈-〉洗骨■〈-〉
/〈-〉嫡子■■〔死ヵ〕子〈-〉
同治05 1866 同治05 1866 表5-40
123 1 銘苅(1) B10 - - 甕マンガン 蓋 同治拾年辛未十一月十四日里間功ヌリ當列■移元祖/
〈-〉童子入加/〈-〉コ■■リ 同治10 1871 同治10 1871 表5-41
124 1 銘苅(1) B11 - - 御殿陶製 身 伊波蒲/妻カナ_伊波筑登之〈-〉/明治四十二年二月
朔日死去/蒲妻カナ 明治42 1909 明治42 1909 表5-42
125 1 銘苅(1) B11 - - 甕マンガン 蓋
■■■年〈-〉七日故渡名喜筑登之親雲上元良妻洗骨_
■■■年■亥七月七日故渡名喜筑登之親雲上(元良)妻 洗骨
表5-43
126 1 銘苅(1) B11 - - 甕マンガン 蓋 昭和拾九年(甲)申八月五日洗骨安扶長男山戸小 昭和19 1944 昭和19 1944 表5-44
127 1 銘苅(1) B11 - - 甕マンガン 身 〈-〉 表5-45
128 1 銘苅(1) B12 9 - 甕ボージャー 蓋 嘉慶七年壬戌■月十六日洗骨嫡子喜久元里之子朝祥妻
/■男朝裕松金同人三男真牛 嘉慶07 1802 嘉慶07 1802 表5-46 元=本ヵ
129 1 銘苅(1) B12 2 - 甕マンガン 蓋 道光十九年己亥十月二十六日喜久元里之子(親雲上)/
妻洗 道光19 1839 道光19 1839 表5-47
130 1 銘苅(1) B12 - - 甕マンガン 蓋 大正弐年子旧十二月十二日湧川三良二女マカト洗骨 大正02 1913 大正02 1913
表5-48 ほんとは癸 丑
131 1 銘苅(1) B13 - - 甕マンガン 蓋 昭和拾参年(戊寅)旧七月■■日/新新九月拾■〔五ヵ〕
日 昭和13 1938 昭和13 1938 表5-49
132 1 銘苅(1) B13 - - 甕マンガン 蓋 良起■次男樽(金)〈-〉 表5-50
133 1 銘苅(1) B13 - - 甕マンガン 蓋 咸〈-〉/屋我里之子親雲上良道三男〈-〉 咸豊 1851~
1861 咸豊 1851~
1861 表5-51
134 1 銘苅(1) B13 - - 甕マンガン 蓋
〈-〉馬姓■田親雲上■■■■馬■■娘思〔武ヵ〕■■
〔滑ヵ〕/乾隆三十五年〔庚寅〕九月■日死亡/同三十七 年(壬辰)■月十二日洗骨
乾隆35 1770 乾隆37 1772 表5-52
135 1 銘苅(1) B13 - - 甕マンガン 蓋 ■■■■丑十二月五日屋我里之子親雲上良道女真牛洗
骨
表5-53 同治-光緒ヵ
136 1 銘苅(1) B13 - - 甕マンガン 蓋 〈-〉■日死去 表5-54
137 1 銘苅(1) B13 - - 甕マンガン 蓋 〈-〉之/〈-〉■〈-〉屋■〔我ヵ〕〈-〉 表5-55
138 1 銘苅(1) B13 - - 甕マンガン 身
四代/■〔屋我ヵ〕良■〔芙ヵ〕/〈-〉夫人/屋我亀子/
■■四年旧十■■〔二月ヵ〕〈-〉/■〈-〉/旧甲〔戌ヵ〕
〈-〉/日■■子/十一日■/〔同ヵ〕恵/亀子/大姉/
表5-56
139 1 銘苅(1) B13 - - 甕マンガン 身 〈-〉 表5-57
140 1 銘苅(1) B13 - - 甕マンガン 身
昭和〈-〉/昭和十三年(戊寅)旧八月十七日死/昭和十 六年旧十二月廿七日/屋我良越/昭和十七年(壬午)
〈-〉/■■享年七十二才/昭和十八年旧三月三日死/
昭和十九年六月二十二日昭和十九年旧五月二日洗骨/
妻屋我ツル/享年七十二才
昭和13 1938 昭和19 1944
表5-58,昭和 17=1942,同 18=1943
141 1 銘苅(1) B13 - - 甕マンガン 蓋
昭和十三年旧八月(十七日死)屋我良越/享年七十二才
/昭和十六年旧十二月廿七日昭和十七年一月二十三日 洗骨/昭和十八年旧(三月三日死)/妻(屋我ツル)/享 年七〈-〉才/昭和十九年(六)月廿二日昭和十九年旧五 月二日洗骨
昭和13 1938 昭和19 1944
表5-59,昭和 17=1942,同 18=1943
142 1 銘苅(1) B13 - - 甕マンガン 蓋 〈-〉三才/(昭)和十■年■■■月■日死亡/〈-〉戸■
■/〈-〉和■月■日〈-〉■/葬
昭和10
~ 1935~
1944 昭和10
~ 1935~
1944 表5-60
143 1 銘苅(1) B13 - - 骨壺 身 昭和■三年五月五日没/■次越国招/享年十五歳 昭和 1926~
1989 昭和 1926~
1989 表5-61
144 1 銘苅(1) B14 - - 御殿石灰岩 蓋 乾隆十■年/湧(川里之)子洗骨/〈-〉/〈-〉 乾隆10
~ 1745~
1754 乾隆10
~ 1745~
1754 表5-62
145 1 銘苅(1) B14 - - 甕ボージャー 蓋 〈-〉 表5-63
146 1 銘苅(1) B14 - - 甕ボージャー 蓋 〈-〉■大清乾隆三十五年庚寅八月七日去/同(三十七
年)壬辰七月十二日〈-〉 乾隆35 1770 乾隆37 1772 表5-64
147 1 銘苅(1) B14 - - 甕ボージャー 身 (乾隆四十)八年癸(卯)八月十七日死朝隆室/■■戸/
〈-〉洗骨 乾隆48 1783 乾隆48 1783 表5-65
148 1 銘苅(1) B14 - - 甕ボージャー 身 ■■親方■〔隆ヵ〕■〈-〉 乾隆 1736~
1795 乾隆 1736~
1795 表5-66
149 1 銘苅(1) B14 - - 甕マンガン 蓋 光緒十一年乙酉七月五日■■泉水里之子朝登室死/同
十七年辛卯■月二十八日洗骨 光緒11 1885 光緒11 1885 表5-67
150 1 銘苅(1) B14 - - 甕マンガン 蓋 (光)緒十八年(壬)辰十一月廿一日洗骨ス■■/■■■
加/〈-〉■朝昌母也〈-〉 光緒08 1882 光緒08 1882 表5-68
151 1 銘苅(1) B14 - - 甕マンガン 蓋 大正(元)年旧子七月二十五日死去三■〈-〉泉水山戸/
大(正十三)年旧子十月■日洗(骨) 大正01 1912 大正13 1924 表5-69