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Vol.66 , No.2(2018)061日野 慧運「『金光明経』にみえる王権観――護国思想との関連において――」

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Academic year: 2021

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(1)

『金光明経』にみえる王権観

―護国思想との関連において―

日 野 慧 運

1.

 本稿の目的

金岡[1957][1980: 95–117]は『金光明経』の王権観について論じ,「正論品」1) が「本経政治思想の中核」であり「国家としての奉持」を説く諸品(「四天王品」 「善集品」等)の「理論的中心」であるとした.そして,「正論品」には「帝王神権 説というバラモン的国王観」と,王位を前世善業の果とする仏教的国王観がとも に見え,後者から,王たるものの義務として正法に基づく治国という行動規範が 生ずる.「正法」の内容は詳述されないが,全経の趣旨に鑑みれば「空思想に基 づいた菩薩行の精神であることは疑いない」とした. 護国思想の起源と発展を論じた松長[1966a][1966b]も,護国経典のうちで は梵語原典が現存する数少ない例として『金光明経』を重視したが,その王権観 については金岡説の引用に留まっている. 金岡説に従えば,『金光明経』中で諸天による国家・国王の守護を説き,いわ ゆる「護国思想」の中核をなす「四天王品」もまた,「正論品」を「理論的背景」 として持つことになる.本稿はこれに対して,「正論品」「四天王品」の各々の王 権観・護国思想が,別個の性質を持つことを論明する. 2.

 「正論品」の内容確認

「正論品」は,「正論」(曇無讖訳,Skt. devendrasamaya nāma rājaśāstra, Tib. lha i dbang po i dam tshig rgyal po i bstan bcos, 義浄訳「王法正論」)を本体とする.「正論」は「四天 王品」でも一箇所言及されており,両品の関連性は確認できる.

「正論品」の構成を確認する(梵蔵本に従う)と,はじめに父王が新王に語ると いう導入の散文があって,以下韻文で語られる梵天と四天王との問答の中に, 「正論」が叙述される.四天王が「なぜ王は天子devaputraと呼ばれるのか」と問

(2)

神々の加護を受けるという.それゆえ国民に善業をなさしめ,生天に導かねばな らぬという(8–16偈).続けて梵天は,王は悪に対して厳罰をもって臨み,非法を 見逃してはならないという.見逃す場合は三十三天の怒りをかい,敵の侵入・窃 盗凶事・日月星辰の不調・天候不順・飢饉があるという(17–24偈).さらに神々 の口を借りて,上の災禍に疫病,王家眷属や家臣・軍畜の死,地味の涸渇,国民 の無気力・不健康,悪霊の跋扈等々を加えて詳述する(25–46偈).そして,王が 神々の加護を受けうるのは,善行を奨励し悪行を止める限りにおいてであるか ら,王位と生命を投げうっても不法を阻止し,また身内であっても公平厳正に裁 かねばならない,という(47–64偈).民の不法を罰し善行に導く王には,国土の 豊穣と王家の繁栄があるという(65–73偈). このように「正論品」が強調するのは,非法adharmaと悪事duṣkṛtaを見逃し てはならぬという厳罰主義であり,これに反する場合に国王・国土が被る災禍厄 難である.正法dharmaに適う王へのポジティヴな果報は末尾に簡短に触れられ るに留まる. 上述の金岡説は,梵本第5–6偈の問いと第10–16偈の答えの箇所に「帝王神権 説」を指摘し,同所の梵天の応答第一声になる第9偈に,王者となる因を前生の 善業とする仏教的帝王観を指摘したものである2).そして正法をすなわち菩 行 の精神と見て,王としてこれに則った治国をなすことが善業であるという主張 を,全経を貫く王権観・政治思想としたのである.なお,金岡は加えて,王の非 法による災禍と自然現象を結びつける記述を,天人相与説として特徴づけた. 3.

 「四天王品」の内容確認

「正論品」の王権観は上記の通りに認められるとしても,これを「四天王品」 の理論的基礎となしうるであろうか.次に「四天王品」の王権観および護国思想 を確認する.「四天王品」の大略は次のようである. (①)「四天王品」冒頭で,四天王がヤクシャの軍勢と八部神衆ともども,『金 光明経』が講説されるところでは法悦を得るから,見返りにその土地の経の受持 者を守護する旨を申し出る. 釈尊による承認のあと,(②)四天王は続けて,国王には「天律devendrasamaya」に 則った統治をなすこと,国王自身が『金光明経』受持者を尊重し,これを聴聞す ることが求められ,その見返りに護国―侵攻する敵国に第三国との戦争,疫病な どの障碍を起こし,侵攻すれば四天王が阻む―をなすと述べる.

(3)

(③)これを承けて,釈尊はその国土に平和,刑罰や争いのないこと,天候・ 日月星辰の順調,五穀豊穣等が実現し,国民の生天,また国王および王室の安穏 平和があることを述べる. (④)四天王はこれを承けて,とくに国王が王室を平和と国土の守護を願う場 合は,法師を請じて『金光明経』を講説させこれを聴聞すべきである,と述べ, 以下四天王と釈尊の二往復のやりとりのうちに,法師供養の行法とその果報が説 明される.この中で釈尊自身もいくどか国王・国土守護や王権拡大に言及する. (⑤)四天王は,国王が『金光明経』受持者を尊重し講説させなければ,その 土地は四天王はじめ神祇に見捨てられ,ために内乱,疫病,悪星や日月の不順, 地震・大水・旱天,他国の侵攻等々が発生し,荒廃するという.そして国王に 『金光明経』聴聞と受持者の庇護を勧めて,『金光明経』が他の論より勝れること を強調しつつ,概ね①②と同等の内容を再説する.このあとに仏讃 偈が続くが いまは略す. 以上のごとく「四天王品」は,①のような経典受持者への諸天の加護を基調と し,④のような経典を読誦する法師への供養法を中核に据えている.②⑤にある ように,国王・国土の守護は,国王が経典受持者への庇護,法師への供養,およ び自ら聴聞を行うことによって,諸天によりその果報としてもたらされ,国土の 災禍はこれを行わぬ王を諸天が見捨てることでもたらされる.なお,これらはい ずれも四天王の言によるもので,釈尊は③のごとく,基本的にそれを国土の平和 と豊穣,民衆および王家の人々の安穏として説き直す.④中わずかに見える国 王・国土守護の言も,四天王の説を承けていうにすぎない. 4.

 「四天王品」と「堅牢地神品」との連続性

「四天王品」の基調となる,経典受持者への諸天の加護は,本経「堅牢地神品」 にもよりシンプルな形で説かれている. この章では地神「堅牢」が,『金光明経』が講説される所では法悦を得るため に,地味を富ませ五穀百果を豊穣にし,土地の人は健康長寿と富貴を得るとい う.したがって人は法師を請じて経を聴聞すべきである.また自ら片言隻句でも 覚え,読誦し,伝えるべきである,という. このような,経典の受持と伝布の勧奨,法師の功徳,そして受持者や法師に対し て神々が加護を申し出るという説相は,『八千頌般若経』『法華経』等の初期大乗経 典いらい見られる大乗経典に一般的なものである.「四天王品」の基調も同趣旨

(4)

であって,ただ国王には伝布でなく,庇護が期待されている点が異なるのである. したがって「四天王品」と「堅牢地神品」は,初期大乗から引き継がれた,経 典受持・伝布の勧奨を主旨としつつ,「神々は『金光明経』の講説で法悦を得, 見返りに…」という論法を共有して,神々からの具体的・現世的な利益を説いて いる,と見ることができよう.そして,「四天王品」は受益の対象者を国王とし て変奏し,ために護国の果報―国土の除災,王宮への招福,諸天による外敵の退 治―を説くに至った,と見ることができる. 5.

 「正論品」と「四天王品」との比較

「正論品」は,経典の聴聞や受持者の庇護,法師供養という,「四天王品」の基 調となる主題にはまったく触れていない.「正論品」と「四天王品」を関連づけ るのは,「四天王品」に出る devendrasamaya の語のみである.「正論品」を「四 天王品」の基礎理論と考えるには,「正論品」の「正法」が,「四天王品」では応 用実践的に経典受持者の庇護や法師供養として表れている,との解釈を加えねば ならないが,こうした操作を行わず,現行テキストによって見る限り,「四天王 品」と「正論品」はいずれも王権に言及しながら,重ならない別個の主題を説い ているとみるほかない. なお,現行最古形の曇無讖訳以前の成立段階を推察するならば,「正論品」は 「四天王品」より後に付加された可能性も考えられる(荒木[1982: 82],津田[1949: 290]).そうであれば,「四天王品」②の「正論」への言及も,同段階で両品の連 関を強調するために挿入されたと見ることになろう. 以上から,「四天王品」と「正論品」にみえる王権観・護国思想は,異なる ルーツをもつ別種のものと考えるのが妥当である.すなわち,「四天王品」のそ れは経典受持,法師供養の勧奨の説相から発展したもので,王者は受持者の, 「護国」は受持者への諸天の加護の,延長線上にあるものである.これは,金岡 説のいう「正論品」の「バラモン的/仏教的国王観」と天人相関的な護国思想と は別種のものであり,『金光明経』中には二種の王権観・護国思想が併存すると 見るべきであろう. 1)『金光明経』の品名について,金岡は義浄訳のものを用いているが,本稿中では曇無讖 訳のものに統一する.またロケーションは紙幅の制約上省略する. 2)第9偈に「善業」の語を出すのは義浄訳のみである.ただし同品第47–55偈を勘案すれ ば金岡説は妥当であろう.

(5)

〈略号〉

『金光明経』梵本:Nobel, Johannes, ed. Suvarṇabhāsottamasūtra, Das Goldglanz sūtra, Ein San-skrittext des Mahāyāna Buddhismus: Nach den Handschriften und mit Hilfe der tibetischen und chi-nesischen Übertragungen. Leipzig: Otto Harrassowitz, 1937.

『金光明経』蔵本:Nobel, Johannes, ed. Suvarṇabhāsottamasūtra, Das Goldglanz sūtra, Ein San-skrittext des Mahāyāna Buddhismus: Die tibetischen Übersetzungen mit einem Wörterbuch. Leiden: E. J. Brill; Stuttgart: W. Kohlhammer, 1944.

曇無讖訳『金光明経』大正蔵vol. 16, T no. 663. 義浄訳『金光明最勝王経』大正蔵vol. 16, T no. 665. 〈参考文献〉 荒木良道 1982「金光明経の諸問題について」『法然学会論叢』4: 71–83. 金岡秀友 1957「金光明経の帝王観とそのシナ・日本的受容」『佛教史学』6(4): 267–278. ― 1980『金光明経の研究』大東出版社. 津田左右吉1949「金光明経および法華経について」『東洋思想研究』4: 285–312. 松長有慶 1966a「護国思想の起源」『印度学仏教学研究』15(1): 69–78. ― 1966b「シナ訳密教経典にみる国王観」『密教文化』77/78: 79–99. 〈キーワード〉 金光明経,王権,護国思想 (武蔵野大学助教) 新刊紹介 間宮啓壬 著

日蓮における宗教的自覚と救済

「心み」の宗教

A5版・536頁・本体価格7,000円 東北大学出版会・2017年11月

参照

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