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保育計画の作成 と展開 Ⅰ
AThe or e t i c a lFr a me wo r ki nEa r l yChi l dho o dCur r i c ul um
(2005年3月31日受理 )
長贋真理子 加藤 春彦 尾崎 恭子
Na g a h i r oMa r i k o Ka t oYa s u h i k o Os a k i Ky o k o
Keywords:保育計画, ピアジ ェ,幼児教育,遊び,子 ども中心主義要 約
フ レーベルが述べた ように,幼児教育 は今,「遊 び」 とい う素朴 な原点 に帰 らなけれ ば な らない。保育計画がその莱 践 を通 して乳幼児の豊か な発達 を保証す るためには,遊 びによ って何が育つのか (目標),年齢 にあ った遊 び (内容), どのように指導す るか (指導法),実践 の成果 を どのように評価す るか (評価 ) とい った4つの枠組 に基づ く保育計画 を作成す ることが重要である。
そのような視点か ら,本研究 は ピアジ ェの発達理論 に基づ いて,「遊び」 を中心 に した保育計画の枠組 とその内容 を 明 らかに した ものである。理論的 な観点か らは,現行 の幼稚園教育要領 と保育所保育指針の問題点 を ピアジ ェの構成論 に照 らし合わせ て考察 した。そ して,乳幼児 におけ る遊 び と発達が,共 に教科的 な枠組で は と らえ ることので きない
「総合性
」
に基礎 をおかなければな らないことを指摘 した。指導法の観点か らは,幼稚園教育要領 と保育所保育指針が , その保育内容の 「教科性」か ら, ともすれば教師中心主義 の保育 にな りが ちになることを指摘 した。 また,保育計画編 成 の枠組においては,幼稚園教育要領 と保育所保育指針 の五領域 とは異 なる4つ の枠組 とその内容を示 し,末尾 に新 し い枠組 に基づ く5歳児の保育 内容を示 した。1
.伝統的教育 にお ける保育計画作成の 基本的立場平成10年 に改正,平成12年 に施行 された 『幼稚園教育 要 領』は, 第 1章 総則 1.幼 稚 園教 育 の基 本 に,(2)
「幼児の 自発的 な活動 と しての遊びは,心身 の調和 の と れた発達の基礎 を培 う重要 な学習であることを考慮 して , 遊 びを通 しての指導 を中心 と して第2章 に示すね らいが 総合的に達成 され るよ うにす ること」 (註1) と述べ, 更 に,第2章ね らい及 び内容 に,「この章 に示すね らい は幼稚園修了 までに育つ ことが期待 され る生 きる力の基 礎 となる心情,意欲,態度 などであ り, 内容はね らいを 達成す るために指導す る事項で あ る。これ らを幼児 の発
達 の側面 か ら,心身 の健康 に関す る領域 「健康」,人 と の関わ りに関す る領域 「人間関係 」,身近 な環境 との関 わ りに関す る領 域 「環境 」, 言葉 の獲 得 に関す る領 域
「言葉」及び感性 と表現 に関す る領域 「表現」 と してま とめ,示 した ものであ る。各領域 に示すね らいは幼稚園 におけ る生活 の全体 を通 じ,幼児が さまざまな体験 を積 み重ね る中で相互 に関連 を持 ちなが ら次第 に達成 に向か うものであること,内容は幼児が環境 にかかわ って展開 す る具体的 な活動 を通 して総合的に指導 され るものであ ることに留意 しなければ な らない。 なお,特 に必要 な場 合 には,各領域 に示すね らいの主 旨に基づいて適切 な, 具体的 な内容を工夫 し,それ を加えても差 し支えないが , その場合 には,それが幼稚園教育の基本 を逸脱 しないよ
う慎 重 に配慮す る必要 が あ る
。
」 (註2) と述 べ てい る。また,『保 育所保 育指針』 も,第 1章総則1.保 育 の原 理(2)保育 の方法 (エ)に,「子 どもが 自発的,意欲的 に関 われ るような環境 の構成 と,そ こにおけ る子 どもの主体 的 な活動 を大切 に し,乳幼児期 にふ さわ しい体験が得 ら れ るように遊 びを通 して総合的 に保育 を行 うこと」 と記 してい る。そ して,保 育 内容 につ いては,2.保育 の 内 容構成 の基本方針 の中で,「保 育 は,具体 的 には子 ども の活動 を通 して展開 され るものであ るので,その活動 は 一つ の領域 だけ に限 られ るものでは な く,領域 の間で相 互に関連 を持 ちなが ら総合的に展開 してい くものである。」
(註
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) と してい る。 ここには, 日本 の重要 な幼児教育 の基本的立場が 明 らか にされ てい る。しか し,五領域 の各項 目はね らいを達成す るため に指 導す る事項で あ って 「遊 びそれ 自体」 で ない ことは明 ら かであ る。従 って,五領域 の項 目をその まま月案や週 日 案 に配列 した り,実際 の保育 内容 と して取 り組 んだ りす ることがで きない こともまた明 らか なことであ る。つ ま り,具体的 な保育 内容 を作成,実践す るにあた って保育 者が しなけれ ば な らない作業 は,逆 にもう一度五領域 を それが分かれ る以前 の姿,す なわ ち, 「遊 び」その もの に戻す作業で なけれ ば な らない。
また,「内容 は乳幼児 が環境 にかかわ って展 開す る具 体的 な活動 を通 して総合的に指導 され るものであること」
とあ るが,「総合」 とは どういうものであろうか?
ピアジ ェ理論 の視点か らすれ ば,「お店や さん ごっこ」
も もちろん総 合 で あ るが, 一 見, 領 域 別活動 にみ え る
「ボール遊 び」 もまた,「総合」 なのであ る。 なぜ な ら, そ こには,単 なる運動機能だけで な く,知的,情緒的, 社会的機能等 のすべ ての側面が働 いてい るか らであ る。
事実, そ うで なけれ ば活 動そ の ものは成 り立た ない。乳 幼児 にと って,「遊 び」 は ま った く 「総合」 なのであ り, 総合 という言葉 は,それ以上で もそれ以下 で もな く,柿 粋 に 「遊 びの代名詞」 であ る。
ピアジ ェは,認知発達 のすべ ての側面 が現実 には分離 できず,知能があるまとまりを持 った全体 と して発達 し, 機能 す る ことを明 らか に して,抽 象 化 され た教科 的 な
「と りだ し指導」,「と りだ L的活動」 を拒否 した事実 を 私 た ちは改め て銘 記す る必要が あ る。
いずれ にせ よ, ここであ き らか なことは,五領域 に示
され た 内容 は,「遊 び」 で は ない とい う ことで あ る。幼 稚 園教育要 領,保 育所保 育指 針が共 に,「幼 児 の 自発的 な活動 と しての遊 びは,心身 の調和 の とれ た発達 の基礎 を培 う重要 な学習であ ることを考慮 して,遊 びを通 して の指導 を中心 と して第2章 に示すね らいが総合的に達成 され るよ うにす ること」 と詣 っているにも拘わ らず, な お保 育現場 で,「一斉保育 」 によ って,五 領域 が教科 的 に展開 され ている。 カ リキ ュラムの 日案 にあふれ る
「 ○
○遊 び」 も,遊 び とい うタイ トルはつ いていても,子 ど もの側か らすれば,「遊 び」 にはな ってい ない。
2. 指導法における 2 つのアプローチ
教科的 な保育では, 内容が教科的 なものにな って しま うの と同様 に,方法 もまた,必然的 に教師中心主義 の保 育 にな らざるを得 ない。多 くの 日案 のね らいや乳幼児の 活動の欄が,
「 ○
○ を知 らせ る」,「 ○
○ をさせ る」 とい ったニ ュア ンスで表現 され てい ることは,意識下 に,教師 が子 どもに知識や技能 を教 え るという教師主導型 の保育 が展開 され ていることを物 語 っている。そ こでは,教師 は,常 に まちがいのない答 え をも った 「権威 あ る人」 と して子供達 と対時 し,保育者 と子 どもとの関係 は,常 に,
「教 え る人」 と 「教 え られ る人」 とい う関係 に なる。 そ して,保育者 は, 自分 の頭 の中にあ る知識や技能 を, い かに上手 に子 どもに教 え るか,子 どもにや らせ るかに重 点をお くことになる。 こう した保育 においては,子 ども の考えや欲求 は無視 され,子 ども自身 の 自発性や好奇心 は二次的 なものにな って しまう。従 って,子 ども自らの 活動を通 してではな く,教 師の指示や教え込み によ って , 知識や道 徳 を教 え るとい う言語主義
( v e r b al i s m)
,訓 育主義 が子 どもを支配 して しまう。この よ うな教 師中心 主義 の学 習理論は,「経験主義」( e mp i r i c i s m)
と呼ばれ るが,経験主義者たちは,知識 の源は個人の外側 にあ り, 感覚器官 を通 して個人 に内面化 され るものであ ると考え ている。す なわ ち,事物や事象 は,外部 か ら個人 に作用 す る刺激 (S‑ 0) と考え られ ている。経験主義 的 な考えを極端 なまでに押 し進 めた行動主義 のスキナ一派 の人た ちの教 育 にみ られ るよ うに, このよ うな考え方 で い くと,子 どもは なにも書 き込 まれ ていな い 「白紙」 と見 なされ,外部 か ら知識や技能 を書 き込ん
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で (教 え込んで)い くことが教育だ ということになる。 このS‑0の考え方 を支持すれば,当然,子 ども自らの 内面か ら生 じる自発性や意欲 よ りも,教師の教授的役割 が強調 され る。つ まり,子 どもの外側か らの社会的伝達 (教 え ること)が強調 され,教師の役割や仕事 は,子 ど もに整然 と組織化 された学習 内容を,順次,単純 なもの か ら複雑 なものへ と教 え込むや り方 になる。
こうい った傾向は,保育界 においても歴然 と してお り, 近年,絵本に代わ る文字や算 数のワー クブ ックや ドリル の急激 な需要が,その事実を反映 している。 こう した教 師中心主義の学習は,子 どもの側か らすれば,極めて受 動的 な学習であ り, 自らの内面か ら起 こる興味や好奇心 ,
自発的活動や意欲 は重要視 され ない。従 って,教師か ら 要求 され るものは,受動的 な理解 と教師への従順 さであ り,それ によ って, 自ず と知的にも道徳的にも子 どもの
「他律性」(heteronomy)が強化 され る結果 とな って し まう。
教師中心主義 の人たちの考えに対 して, ピアジ ェは, 主体が刺激 に働 きかけて こそ,刺激 は刺激 とな りうるの であ り, したが って,両者の関係 は0 ← Sの関係 であ る と述べ ている。つ ま り,主体 (子 ども)が対象 に働 きか け ることによ って, は じめて刺激は学習 を誘発す る刺激 とな りうるのであ り,換言すれば,刺激 は子 どもの統制 下 にあ り,知識 は主体 と対象 の間の相互作用 を通 して, 子 どもの内部か ら獲得 され るのである。 したが って,千 ども中心主義 の学習理論では,子 どもの能動性, 自発性 こそが,学習 (知識 の構成)を成立 させ る最 も基本的, かつ,重要 な条件 となる。 もちろん, ここで言 う学習 と は,単 に知識 の断片 を集積す ることではな く,子 ども自 らが事物 に働 きかけて,その物理的性質 につ いて発見 し た り,時間 と空間の観念 を構造化 した り,因果律 の観念 を獲得 した りす る人間の認知能力の構成 と発達 を意味 し ている。
子 どもは生 まれつ き,能動的であ り, 自発性 に満 ちて いるが,子 どもが 自らの能動的 な活動 を通 して学習す る 例 と して, カ ミイは,歩 き始めたばか りの子 どもが,歩 行 の仕方や空間的推理や物理的知識 の教授は一回 も受け ずに,それ らを身 につける例 をあげている。 このことは , 学習理論 と しての ピアジ ェの見解 の正 しさを物語 ると共 に,教育にとって, なぜ 自発的活動が重要 なのか に対す
る明白な証拠であるように思われ る。 また,保育者 の役 割 においても,教師中心主義 とは異 なる原則が, ここか ら引 き出され る。す なわ ち,子 ども中心主義 の保育 にお いては,保育者は,教 え る人ではな く,子 どもの頭 の中 に起 こっている思考 内容や,今,子 どもが抱 き,願 って いることは何かを読み と りなが ら,子 どもの 「自律性」
(autonomy)を育 て る援助者 となる。こうい う意味で, 構 成主義 に基づ く保 育 は, また,真 の子 ども中心主義
(child‑centerededucation)とも呼ばれ る。
3. 新 しい保育計画の枠組 と内容
ピアジ ェは,学校式 の教科的 なや り方で教 え られた こ とのない知識 につ いて,子供達 の間 に著 しい発達上の差 があることを明 らか に したが, この ことは, 日常生活 の 無数の場面が子 どもの 自然 な学習を促 してい ることを物 語 っている。 こうい った 日常生活 におけ る学習の最 も印 象的 な成果 の一つが,言語 の発達である。就学前 に学校 式 の教 え方や言語教育の内容 を受けた ことは一度 もない にもかかわ らず,子供達 は入学前 に既 に十分 な言語 の基 盤 を形成 している。 このように,子 どもが 自分 をとりま く物理的,社会的世界 に適応 しようとす る動機 は, 自然 なものであ るとともに,極 めて強力 なものであ る。 筆者 たちが, 日常生活の中にカ リキ ュラム内容の宝庫を求め ,
しか も,子 どもの 日常生活 の核心をなす ものが 「遊 び」
で あるがゆえに,「遊 びの カ リキ ュラム」で なけれ ば な らないと主張す るのは このためであ る。 カ ミイのあげた 例で,更に この点 を具体的に説明 しよう。
「昼食 の とき,子 どもは,堅 さや,感触や, その他 の 点でいろいろちが った反応をす るものを味わ う。 そ して , それ によって物理的知識 (physicalknowledge)と論理 ・ 数学的知識 (logic0‑mathematicalknowledge)を発達
させ る。自分 のお皿 に食物 を と り分け る際 には,事物 を 数量化す る。 ミル クの入 った コップを倒 して しまった り,
ミル クをっ いだ りす る時 には,空間的推理や数量化 を行 な っている。食卓 の準備 を しなが ら,数 と空間におけ る 関係 について学習す る。 右手 を コー トの右袖 に,左手 を 左袖 に対応 させ ることを学習す る。湿 った手袋 をかわか す ことは,物理的知識 を含む。手の とどか ない壁 のとこ ろにかか っている鍵 をとるのに,イスの上 に立 ち,棒で
鍵 をたたき落 してとろうと試み る時には,子 どもは,高 さを比較 し.物 を関係づけているL,長い袖 口をぬ らさず に手を洗 うこと,影ふみを して遊ぶ こと,迷子にな らず に家 まで歩いて帰 ること,おもちゃの取 りあいに関 して 相手の子 と話 し会 うこと,電話で伝言を受けること,虫 を見つけてきて調べ ること.お風呂の中で遊ぶ こと‑‑・・
日常生活で.子 どもが知能 を使 うこのような活動は,無 限にある‑‑・・。叉,おやつや食事の時間は,教育的機会 の金鉱 ともなりうる。不幸 なことに,保育者は しば しば これ らの機会を見逃 して しまい,大人が 「教育的」 と考 えるものの視点で しか,教えるということを考えない。
事故を避けたいと望むあまり,子 どものためにすべてお ぜんだて してやろうと‑生けんめい励む ことも しば しば あるL,例えば,食卓を整え,それぞれのお皿 にもりつけ を し,各 々の コ ップに少量の ミルクをついでや る等 々を 保育者が行 なうのであるL,子 どもの代わ りにそう した こ とを してや ることは,実際には,子 どもか ら多 くの学習 の機会を奪 っていることになるL,」(註
4)
ところで, カミイも述べているように, これ らの生活 場面が カ リキ ュラムの内容 と してす ぐれているのは,そ こでは,子 どもが 自分 自身の必要感か ら,意味のある仕 方で知能を使 うか らである。 この点は,学校式の教育が , 教師の必要感か ら教科的 な知識を教えこむのと際立 って 対照的である。子 どもは 日常生活において発明的であ り, アイデ ィアに富み, 自分のや りとげたことに喜びを感 じ, 知的にも道徳的にも自律す るようになる。
このように,幼稚園,保育所をよ り豊か な生活実感 と 生活内容で満たされた場 と して組織 しようとす る時,遊 びは, まさに乳幼児の全面発達を促 し,乳幼児の核心 を なす生活形態である。筆者たちは,豊か な遊びは子 ども の自律性を育て,豊かな発達をもた らすという観点に立 っ て,乳幼児の生活 の中心をな し,子供達がよ りよ く生 き るための経験や活動の総称を 「遊び」 とよんでいる。 ま ず最初に,筆者及び 「あす なろ保育研究会」が作成 した 一連の カ リキ ュラムの中か ら,「遊 びの リス ト」 につ い て述ベ,続いて, カ リキ ュラム内容を構成す る四つの枠 級 (大項 目)について説明 しよう。
各保育内容の後 にの 「遊びの リス ト」は, まず保育内 容の中核 と しての 「遊び」を一覧表 に したものである。
五領域 ない し領域別 に組み立て られた一般のものとは,
ずいぶん異 なっているLl以前は,筆者たちも 「領域別 カ リキ ュラム」を編成 した ことがあ り,それが学校の 「教 科」のような内容と保育者中心の教え込む保育となって,
「遊び」 にな らず,結果的 に,子 どもの他律性 を強めて しまうことを経験 している。
以来,保育内容の枠組か ら五領域を取 り去 り, ピアジェ 理論か らくる新 しい枠組 と して,全面的 な子 どもの発達 を促す 「遊び」を大項 目,中項 目,小項 目及び 「小項 目 の内容」 に類型化 し,それ によって, カ リキ ュラム内容 全体を示す 「遊びの リス ト」を作成 している。
す なわ ち,「遊びの リス ト」は, まず,大項 目と して, 学校の教科を下おろ しに した五領域の枠組ではなく, ど アジ ェの発達理論 に基づいて引き出された 「物 との関わ りが基礎 となる遊び」,「人との関わ りが基礎となる遊び」,
「イメー ジが基礎 となる遊び」,「その他の遊び」の4つの 枠組によ って構成 され る。その理 由を説明 しよう。
(1) 「物 との関わ り」が基礎 となる遊び
子 どもは,赤 ちゃんを含めて,みんな物や人との関わ りの中で生 きている。人との関わ りは,子 どもの 日常生 活の中にあるさまざまな物や玩具であ り,遊具や教材な どである。そ して,子 どもはこういった物 との関わ りを, いわゆる "遊び" と呼ばれ る活動をとお して行 なう。 し かも,遊びの中でも,物 との関わ りが基礎 となる遊びは, 乳幼児の遊びの中心をなす ものである。子 どもは, こう いった物 との関わ りが基礎 となる遊びを,いわゆる "い たず ら" という形で始め るが, これは基本的には, "小 さな科学者"の ̀̀実験" とも呼ぶべ きものである。
1)領域 「環境」の問題点
子 どもは,人 (social‑world)と物 (physical‑world) との関わ り合いの中で生活 し成長 してい く。「環境」とい えば,山や海や
川
,そ して,そ こに生 きている動植物が まず思い浮かぶが,それ らだけを考えるのは範囲が狭す ぎる。自然科学の対象 となる自然はもっと広い。幼稚園教育要領や保育所指針の領域 「環境」 に関す る 項には, 自然に親 しみ,動植物を愛護 し,身近 な自然の 事物や現象 に興味や関心 をもち, 自分で見た り考えた り 扱 った りす ることをは じめ, 日常生活に適応す るために 必要 な技能を身につけ るなどのね らいが まとめ られてい
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る。いわゆる 「科学遊び」は,領域 「環境」 に属す るも のと考え られているが, 日本の領域 「環境」は,伝統的 に植物の採集や動植物の飼育栽培を通 して,"愛護する",
"親 しむ"という情緒面の育成をはか ることに重点がおか れている。その背景には,乳幼児には科学教育 (知的教 育)は無理で,情操教育の方が大切だという考えがある ように思われ る。情操豊かな子 どもを育てることには大 いに賛成だが, しか し,動植物の飼育栽培は,子 どもが いろいろに事物に働 きかけるという点で制約があ りす ぎ る。 あまりいろいろに働きかけると動物は死んで しまう し,植物の栽培では,子 どもが働きかけた (種をまく) 結果が生 じる (花が咲 く,実がなる)までに時間がかか りす ぎるという難点がある。発達的に見て (子 どもの時 間 と因果律の概念の発達),子 どもが原因 と結果を関係 づけるためには,物に働 きかけた時,物の反応が即時に おこらなければならない。
いっの時代でも,子供達は 日常生活においていろんな いたず ら (探索)をは じめと して,水遊び,砂遊び,描 土遊びなどで盛んに物に働きかけ,それ らの物理的現象 に驚きや関心を持っ。 このように,子 どもが能動的に直 接事物に働きかけてこそ,また,反応が即時的であ って こそ,事物の性質や機能が学習でき,思考力が育つので ある。 こういった点か ら,物 との関わ りが基礎 となる遊 びは,領域 「環境」の誤 まりを正 し,その内容をもっと 広げるものとなり,子 どもの実態に即 した 「子 ども自ら が科学す る遊び」 となる。
2)「物 との関わ り」が基礎 となる遊び とは
現に眼前にある物についての知識,例えば,物の色や 重 さなど,その物が実際にもっている,観察すればわか る物理的な特性に関す る知識が 「物理的知識」であるが , 筆者たちが 「物 との関わ りが基礎 となる遊び」 と呼ぶ と
き,それは,子 どもが 自分 自身で能動的に事物に働 きか け,物理的現象 (物の動きや変化)を作 りだ して,それ らの反応の結果を観察 したり,発見 した りすることによっ て遊ぶ ことを意味 している。子 どもは, この物理的知識 を大人か ら教えてもらうことによって獲得す るのではな く, 自分 自身の能動的な活動をとお して獲得す る。 なぜ ならば,外的世界に在 るその事物の物理的な性質や機能 をみいだす唯一の方法は,事物をにぎりつぶ した り,押
した り,引いた り, ころが した り,吹いてみた りなどと い った感覚運動的な働 きかけと事物の リアクシ ョンとの 相互作用 によるものだか らである。そ して,それによっ て,物理的知識のみ ならず,因果律,空間,時間が構造 化 され一般化されてい く。 したが って,そのためには当 然,多様 な素材を使 って遊ぶ ことが必要である。スプー ンを投げて音を出 した り, ク レヨンを折 った り,撫でて 色をつけた り,砂や粘土をにぎった り,押 しつけた りな どの 「いたず ら
」(
「い ったいお前は何物か ?」)も,物 の性質や機能を探索す る感覚運動期特有の子 どもの 「遊 び」 なのである。そこで, カミイ らの開発 した物 との関 わ りが基礎 となる遊びの理論によって, この遊びの二つ のタイプについて述べ よう。ィ.物の動 きが主 となる遊び
子 どもがいろいろな物に働きかけ,物を動か して,そ の反応を観察す る遊びで,力学 に通 じるものである。物 の動きをつ くる出す働 きかけには,つぎのようなものが ある。
・押す ・引 っ張 る ・転がす
・たた く ・すべ らせ る ・ける
・吹 く ・投げる ・吸う
・振 る ・落 とす ・傾ける
・飛ばす ・その他
口.物の変化が主 となる遊び
物を動かす遊びに比べて,子 どもの働 きかけは副次的 であるが,物それ 自体 に具体的な変化が起 こり,それを 観察す ることが主となる遊びである。 これは化学 に通 じ
るものである。物の変化を生み出す働きかけには,次の ようなものがある。
・混ぜ る ・つぶす ・水を加える
・熱を加える ・冷やす ・ちぎる
・乾かす ・その他
3)「物 との関わ り」が基礎 となる遊びの内容
私たちの5歳児の遊 びの リス トを例にとれば,「物 と の関わ りが基礎 となる遊び」は,中項 目のA.動き系, B.ク ッキ ング,C.水遊び,D.砂場遊び (イメージ が基礎 となる遊びを除 く),E.工作 (イメージが基礎
となる遊 びを除 く),F.絵画 (イメージが基礎 となる 遊 びを除 く),G.砂場遊 び (イメージが基礎 となる遊 びを除 く),♂.音楽遊 び (イメージが基礎 となる遊 び を除 く),K.飼育栽培 にまたが る極 めて広 い範囲に及 ぶ内容豊かなものである。さらに,中項 目のそれぞれに , 実際の保育の対象 となる小項 目の遊びが具体的にあげ ら れ ている。 (一部 の小項 目はそれでは広す ぎるので,別
に 「小項 目の内容 リス ト」が作成 されている。) しかも, こうい った が Jキ ュラム内容は,文字 どお り 「遊び」そ のものであ り,理論的にあいまいな五領域 と異 なって, ピアジ ェの科学的理論が明 らかに した 「感覚運動期」な い し 「感覚運動的知能」 と三種の知識 と しての 「物理的 知識」か ら引き出された ものであることに,特に革新的
な意義があるように思われ る。
中 項 目 小 項 目
・B.ク ッキ ング 1.ジ ュース 2.ゼ リー 3.ク ツキ‑ 4.アイスキ ャンデ ィー 5.パ ン 6.ピザ 7..お好み焼 き 8.お団子
D 粘土遊 び 1.小麦粉粘土 を作 ろう 2.土粘土 のぬた くり
E 工作 1.紙飛行機 2.空 き箱や空 き缶 で遊 ぼ う 3.空 き箱 自動車 F 絵画 1.は じき絵 2.デ コル コマニー.3..フ ィンガーペ イ ン ト
G 砂場遊 び 1.どろん こ遊 び 2.砂遊 び 3.土遊 び 4.型抜 き J 音楽遊 び 1.ピアニ カ 2.ドレミパ イプ 3.手作 り楽器
(2) 「イメージ」が基礎 となる遊び
ピアジ ェは遊びが子 どもの発達 にとって重要であ り, とりわけ,子 どもが小 さければ小 さいほ ど重要であると 述べている。一般的な見解によれば,遊びと学習 (勉強), 遊びと仕事は正反対の対立的 なものであるが, ピアジ ェ 理論か らすればそ うではな く, ピアジ ェは,「遊 びは伝 統的 な教育においては,常に知的 な浪費の一種 と考 られ
‑‑‑,子 どもに宿題 をさせ ないようにす るものと考え ら れ てきた」 (註5) と述べている。む しろ, ピアジ ェ理 論の視点か らすれば,広い意味での遊びは,子 どもの知 的発達にとっても,社会的,情緒的発達 にとっても,最 も豊かな学習 なのである。
一方, ピアジ ェが狭 い意味で遊び ということばを使 う 時,それは, まさに 「イメ‑ジが基礎 となる遊び」(象徴 遊 び)を指 してい る。 つ まり,「同化」(assimilation) の方が 「調節」(accomodation)よ り優位 になった活動 であるo ここで とりあげている 「イメージが基礎 となる 遊び」 とは, こうい った視点か らの遊びであるが, この 点 については,いわゆる 「ごっこ遊び」,「見たて遊び」,
「つ も り遊 び」等 々の ことばがあ るように,LB本の幼児 教育では, イメージが基礎 となる遊びは,理論的にあい
まいなままに取 り扱われ ている分野の遊びである。
1)「イメージ」が基礎 となる遊び とは
感覚運動的な模倣行動 においては,子 どもは,眼の前 にモデルがあ るところで しか模倣 (imitation)できな いが,ある生後16ケ月の女の子が,彼女の友だちが怒 り 叫んで足 を踏み ならすのを見た翌 日に,そのあ りさまを 笑いなが ら模倣 したという ピアジェの有名 な例は,眼前 にモデルが ないところでの模倣であ り, これは 「延滞模 倣」(delayedimitation)と呼ばれ る。 こうい った模倣 行動には,モデルを思い浮かべ ること,つ まり,モデル の心像 (mentalimage)が頭 の中にあ るということが 前提 とな っている。従 って,その身ぶ りは,所記 (sign ified意味 され るもの‑現実 のもの)か ら分化 した能記
(Signifier意味す るもの‑象徴) と しての象徴 ない し象 徴行動である。 と同時 に, 内面化 された模倣 (心像)に よって,現前 しないものの言語的想起が可能になり, こ とばが生 まれ るが,「見た て」や 「つ も り」 にみ られ る 個人的,有縁的な象徴 とは異 なって,言語 は,社会的な 象徴 (記号)としての意味あいや働 きを持 っている。小 石をあめ玉 の象徴 と して扱 っている子 どもは,頭の中で
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保育計画の作成 と展開 Ⅰ
実際のあめ玉 を思い浮かべている。つ まり,心像の形で あめ玉を頭の中で想起 している。だか ら,実際にはあめ 玉でない小石 を,あたか もそ うであるかのように扱 うこ とがで きるのである (見たて及び見たて行動)。言語 の 使用の場合にも,同 じような心像の働 きが前提 となって いる。「おかあさん」 ということばが,現実の母親 を意味 す ることがで きるため には,「おかあさん」 の心像 とこ とばが結びつけ られていな くてはな らない。
そ こで,イメージと言語をさまざまに操作 し,表 出, 表現す ることによって,乳幼児期特有のいろいろな 「ごっ
こ遊び」や 「ことば」が生 まれ る。例えば,デパー トで 買 ってもらったステキな汽車 を積み木で見たてて遊んだ り, (見たて遊び),テ レビで見た仮面 ライダ‑のイメー ジを自分 自身が仮面 ライダーになったっ もりで友だちと 戯れている (っ もり遊び)のがそれである。 また,子供 達が絵 を措いた り,粘土で作 った りす る遊びもまた,イ メージによって生 まれ る遊びであ り,言語や文字,記号 なども, これ らが事物の象徴, シンボルであるという点 で, ごっこ遊びや表現系の遊びと兄弟関係 にある。
イメージと言語の発達 を支えるのは, まず第一に,感 覚運動期 における具体的 な経験である。特 に,人 (母親 を中心 とす る)や物 との多様で内容のある感覚運動的な 体験 (スキ ンシ ップ,甘え,だ っこ,いたず ら, どろん こ等)の豊か さである (感覚運動期の豊かさが,前操作 期,表象期 の豊か さにつ なが ってい く)。例えば,感覚 運動期の直接的 な人体験 と しての母子の愛情 と信頼,物 体験 と しての どろん こ遊びやいたず ら (物 をい じる, こ ねす など)の豊富さが,豊かなごっこ遊びや ことばを生 み出す基盤 となる。「おかあさん」が, ことばの上で も イメージの上で も豊かな内容を持つのは,母子間の心の 通 った深いっ なが りがあるか らであるO また, イメージ や言語は,それ を仲間 と共有 した場合 (劇遊 び な ど), より確かで創造的なものになる。そ して, イメ‑ジや言 語の共有化は,それ に一般性 を与え,客観性 をもったも のにな って, よ り確 か な現実 (reality)の構築 に役立 つ。
象徴遊びは,おそ らく乳幼児の遊びの絶頂点を示す も のである。子 どもも大人 と同 じように社会的存在である 限り, 自分にはよくわか らない大人たちの社会的世界や , まだ,十分 に理解できていない物理的世界へ 自分をいや
おうな しに適応 させていかなければな らない。 したが っ て,子供達はこのようなもろもろの世界の中で, 自分の 情意的欲求はもとより,知的欲求す らも大人のようには 満足 させ ることができない。それ故に,子 どもの情意的 ならびに知的均衡のためには,現実への適応 という動機 ではな く,む しろ逆 に,現実の 自我への同化 という動機 に基づいた活動を気のすむ ようにやれ ることが必要不可 欠になって くる。 ピアジェの言う 「象徴遊び」(symbolic play)は,まさにこうした理 由か ら生 まれ るものであ り, ピアジ ェが,象徴遊 びは,「調節」 よ りも 「同化」優位 だ と したのはこのためである。
そ うい った意味か らすれ ば,「ごっこ遊 び」 を,乳幼 児に社会事象や社会的役割を学ばせ るための遊び (保育)
とす るや り方は, ピアジェの正反対をや っていることに なる。 いわ ゆる 「表現 の教育」 (劇遊び,音楽,絵画 な ど)もまた, これ までに述べてきた ことか らもわか るよ うに,感覚運動的 な レベルでの経験 を象徴化す ることに よって (イメージを言葉,見ぶ り,描画,工作などによっ て外 に表現す る),そのものの意味や 内容を豊かにす る ものでなければならない。劇遊びや しつけにみ られるオー ム返 しの形式的 な言語教育,線や形 を重視 した写生のよ うな絵,形を真似た模倣的 な造形活動は,およそ真の表 現教育 とは相容れ ないものである。絵画を例 にとれば, 子 どもは絵を上手になるために描 くのではな く,絵 を描
くことによって発達 しなけれが ならないのである。
2)「イメージ」が基礎 となる遊びの内容
筆者たちは, こうい った観点 にた って, イメージを媒 介とす るイメージが基礎 となる遊びの中項 目として,H.
ごっこ遊び,Ⅰ.劇遊び,E.工作 (物 との関わ りが基 礎 となる遊びを除 く),F.絵画 (物 との関わ りが基礎 となる遊 びを除 く),G.砂場遊 び (物 との関わ りが基 礎 となる遊びを除 く),J.音楽遊 び (物 との関わ りが 基礎 となる遊びを除 く)を設定 し,それぞれ に小項 目, および,小項 目の内容 となる遊びをあげている。
中 .項 目 p小 項 目 E 工 作 1.七夕飾 りを作 ろ う
F 絵 画 1.消防 自動車 2.ザ リガ羊 3.花火 4.ミカ ン狩 り
G 砂場遊 び 1.川や ダムを作 ろ う 2.山や トンネルを作 ろ う 3.町 を作 ろう
H ご っこ遊 び 1.まま ごと 2.お うち ごっこ 3.ジ ュースや さん ご っこ 4.お店屋 さん ご っこ 5.郵便 ご っこ
Ⅰ 劇遊 び 1.さるか に 2.白雪姫 3.シ ンデ レラ 4.太郎熊次郎熊 5,や また のお ろち
(3) 「人 との関わ り」が基礎 となる遊び
人の子が 「発生的に社会的 な存在」であることを明 ら かに したのは, ピアジ ェと同時代を生 きたフランスの心 理学者アンリ ・ワロンWallon,H.であるが,子 どもは,
自分以外 の人 との共生 において 自立 し社会化 してい く。
そ して,その最 も重要 なパー トナーが母親であることは 論 をまた ない。遊 び とはいえ ない まで も,だ っこ,あや し,いないいないばあなど,母子相互の感情的,身体的 交流が最初の 「人との関わ りが基礎 となる遊び」 となる。
そ して,母親の体は最 もす ぐれた遊具であ り,母親のお ひざは最高の遊び場である。
人との関わ りという観点か ら子 どもの遊びを捉えると, こうい った原初的な母子の遊びか ら, しだいに子 どもど う しの遊びへ と進む。そ して, これ ら子 どもどう しの関 わ りを必要 とす る遊び全体 を 「集団遊び」 と総称す るこ とができる。 したが って,人との関わ りが基礎 となる遊 び (集団遊び)は,物 との関わ りが基礎 となる遊びやイ メージが基礎 となる遊びと異 なって,物やイメージより も,人 と人 との関わ りが中心をな している。
1)「人 との関わ り」が基礎 となる遊び とは
ピアジ ェが明 らか に した ように,「自己中心性」 とそ の 「脱中心化」は,子 どもの発達の下位概念である。子 どもは, ごく初期の 自己中心的段階では, 自分 とは別の 視点があることに気づかず,他の人が 自分 とは異 なる考 えや,欲求,意図,感情 をもっていることを理解 しない が,後に段 々と他人が異 なる視点を持つ ことを理解でき る (脱中心化)ようになる。 こういった視点か らすれば , 人 と人との関わ りが基礎 となる集団遊びが,子 どもが脱 中心化 してい くために極めて重要 な遊びであることが確 信できる。
集団遊びは, また,「大人一子 ども」 という人間関係
ではな く,「子 ども一子 ども」 とい う非強制的で対等 な 人間関係 に立 っているが, これは脱中心化 と協調性を育 てるための根本的条件であ り,子 どもが 自律性を発達 さ せ ることができるのは, こうい った非強制的で平等 な人 間関係 の中でであ る。集団遊びによ って,子 どもは友だ ちに関心を向け, 自己中心的な遊びか ら協同的な遊びの 楽 しさを自律的に見つけ出す可能性が与え られ るのであ る。
しか しなが ら,現実の保育を見ていると,集団遊びは , きまりを守 って仲 よ くあそぶ子式の集 団的適応 (協調性 ではなく同調性)を重視 した,教師中心の他律的な保育 の典型 になっているように思われ る。す なわ ち,保育者 が一方的に遊び方やルールを決め,ゲームをスムースに すすめるための注意や約束をさせ,保育者の指示 した通 りの遊び方をさせ るや り方がそれである。 また,ルール に従わ ない子には保育者が叱責を与えた り,ゲームに参 加 しない子には, "集 団か らはみ 出す子"の焔印を押す こともあるように思われ る。 また,集団遊びは,一般 に 子供達のあ り余 ったエネルギーの発散や娯楽のために用 い られているが,集団遊びはそれ以上に子供達の知的発 達や情意的発達 を促す重要 な活動であ り,道徳的,社会 的にも,集団遊びを通 して,子供達 は楽 しく遊ぶために ルールを守 り,子供同士で 自律的に協力す るよう動機づ け られ る。
例えば,知的側面では,「家族あわせ」をす る時,チ 供達はまず配 られたカー ドを並べ,絵 のちがいによ って カー ドをまとめ (分類),そ して, どの 「家族」を集め てい くかを決めるために手持 ちのカー ドの枚数の多少に よ って, どれ を集め るか決め る (数)。又, どのカー ド を誰 に要求す るかを他の子が誰 に どのカー ドを要求す る かを考えあわせ ることによって決め る。 (論理的思考 と 記憶 )
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保育計画の作成 と展開Ⅰ
情意的側面 では,遊 びには必ず 「待つ」 とか 「順番」
とかがあるが, これ らのルールを守 るためには, 自分の 欲求や感情を コン トロール しなければな らない。例えば ,
「神経衰弱」 です で にあの カー ドが とれ るとわか ってい るときで も, 自分の順番が まわ って くるまで待た なけれ ばならない。 しかもこうした時, うま くい く時 もあるが , 相手 に先 にと られ て しまう場合 もあ り,勝つ こともあれ ば負けることもある。
また,社会 ・道徳的側面では,例 えば,「家族 あわせ」
には,1度 に1枚の カー ドしか要求で きない,人のカー ドを見てはいけ ない,相手 に要求 された カー ドを持 って いた ら正直に渡 さなければ な らない とい ったいろいろな ルールがあるが,子供達は遊びを通 して, 自分たちでルー ルを決め,守 り,問題が起 これば話 し合 って解決す ると いう義務や責任感,道徳的で民主的 な集団を作 り上げ る よう動機づけ られ る。以下 に,集団遊 びを構成す るい く つかの条件を示めせば,次のようになる。
ィ.ルール性
集団遊 びには,参加す る子供達 の全員が守 らなければ な らない一定 の遊び方 とルールがあ る。
口.役割性
集団遊びには,相互依存的,対立的,協 力的 な役割が あ る。 例 えば,「か くれんぼ」 は, 見つけ ること,か く れ ることか ら成 り立 っているが,遊び方やル‑ルは,み んなの合意 と約束で決め られ る。そ して,か くれ る者 と さがす者 との役割 は,相互依存的であ る。 なぜ な ら,お
互 いに相手が いなければゲームが成 り立たないか らであ る。又, さがす老 とか くれ る者 との意図はお互 いに対立 す るものである。そ して, ゲームの中で持つ役割 の違 い か ら,
・役割平行的ゲーム :役割が ないゲーム (例 :いす と り ゲーム)
・役割相補的ゲーム :役割が分化 し,役割関係が敵対的 であ るゲーム (例 :鬼 ごっこの鬼 (追いかけ る) と子
(逃げ る)のような2つの タイプがあ る。) ハ.競争性
集団遊 びには,勝 ち負け,順位 な どを判断で きる基準 があ り,競争や勝 ち負け という点か ら集団遊 びを
・非競争的な集団遊び (例 :背中 と背中や伝承遊びなど)
・競争的 なゲーム (例 :缶け り鬼な ど)に分類す ること もで きる。
2)「人 との関わ り」が基礎 となる遊びの内容
筆者たちは, こうい った観点 にた って,人 との関わ り が基礎 となる遊びの中項 目と して,N.集団遊 びに加 え て,M.カー ドゲームが含 まれ る. さ らに,筆者たちは , カ ミイによる集団遊 びのすべ てではな く,一部 を満た し ているのもこれ に加えている。 なぜ な ら,集 団遊 びは, 子供達が子 ども どう しの関わ りの中で,頭 と体 を一杯 に 使 って遊びなが ら,知的にも,情緒的にも,社会的にも, 運動的にも自律 してい く余 りにも重要 な保育内容だか ら である。
中 項 目 小 項 目
L 伝承遊び 1.手合わせ歌 2.花 い ちもんめ
M カー ドゲーム 1.パ ン夕 2.神経衰弱 3.ラミー 4.戦争 5.家族合わせ 6.子豚 の銀行 7.ス ピー ド 8.ク レイジーエイ ト
(4) その他 の遊び
その他 の遊 びは,以下の表 に示す ように中項 目の0.
プール遊び,P.運動遊び,
Q.
遊歩,R.絵本 ・童話 を含んでい る。筆者たちが,敢 えて, これ らをすでに述 べた遊びの枠組か ら切 り離 したのは, これ らの遊 びが, 今 までの3つ の遊び とはちが った特徴 を強 く持 ってい る か らである。 なお, ここで,一言ふれ てお きたいのは, 運動機能が主体 となる運動遊 び とプール遊 びにつ いてである。
既 に述べたように,音楽 リズム,劇遊 び,絵画 などは , 教 師中心 の教科的保育 の典型 と言 え るが,「体育遊 び」
も,実は遊びというタイ トルはついていても "遊びになっ ていない遊 び" の典型である。確か に,現代 のひ弱 な子 供達 の体力づ くりは保育者の深刻 な課題だが,やや もす ると鍛練主義 にお ちい った り,「鉄棒 の前 まわ りがで き るようになる」 とか,
「5
メー トル泳げ るようになる」式の技能主義になりがちである。本来,子 どもにとって , 運動す ることはそれ 自体楽 しい遊びであ り,子 どもは自 分にふ さわ しい運動を選択す る能力を持 っている。野原 や土手や山に行けば,子 どもは命ぜ られ な くても駆けだ し,走 った り, とんだ り, ころが った り,のぼ った りし て体をい っぱいに使 って遊ぶ。
そうい った時の子 どもの表情は実に生 き生 き している が,保育園ではということになると, とたんに小学校の 体育の授業のようになって しまう。 こうい った教師中心、
主義 と教科的な取 りだ し指導は,やは り 「経験主義」的 学習理論 と運動遊びを単 なる運動機能の問題 と して捉え , それが認知機能 と不可分にかかわ る 「総合」 と して捉え きれ ない考え方の産物である。運動遊びもまた,文字 ど
お り 「遊び」で なければな らない し,そのね らいも,早 なる体力づ くりを越えて,子供達が遊びを見つけ,遊び を作 りだ しなが ら,知的,社会的,情緒的に自律 してい くものでなければ ならない。真の体育遊びは,決 して, 充釆の領域 「健康」 という観点では捉えきれ ないもので ある。
なお,筆者たちは,遊びなが らの散歩を意味す る 「遊 歩」において, 自然 とその背後 にある 「生命の世界」を 子供達に感 じさせたいと願 っている。又,絵本,童話, について,詳 しくは,あす なろ保育研究会による 「私た ちの絵本研究
」
ⅠとⅠⅠの考え方 と年齢別 カ リキ ュラムを 参照 されたい。中 項 目 小 項 目
0 プール遊 び 1.浮 き身 2.泳 ぐ (ビー ト板 を使 ったバ 夕足けのび,組み手けのび,組み手バ 夕足けのび)
P 運動遊 び 1.足場板 2.は しご 3.マ ッ ト遊 び 4.フ‑ プ遊 び 5滴転び箱 6.鉄棒 7.雲梯 8.サ‑キ ッ ト 9.竹馬 Q 遊 歩 1.イチゴつみ 2.芋掘 り 3.虫 と り 4.川遊 び 5.ザ リガニとり 6.草花つみ 7∴ミカン狩 り 8.山登 り 9.つくしとり
お わ り に
筆者及び筆者たちの主催する 「構成論を学ぶ会」によっ て本稿で開発 された この保育計画は,すでに全面的には 福山市内の2カ所 の保育所,岡山市内の4カ所,部分的 には石川県,愛知県,兵庫県等のい くつかの保育所,幼 稚園によって取 り組 まれているが,その効果については, 今後の科学的 な評価法による結果をまたなければならな いことを付記 してお く。
文 献
1)改訂版 幼稚園教育要領 原本 文部省 チ ャイル ド本社 pp.3.5
2)改訂版 保育所保育指針 原本 厚生省児童家庭局 チ ャイル ド本社 pp.21
3)前掲書 pp.5
4) コンスタンス ・カミイ リタ ・デプリーズ 「ピア ジ ェ理 論 と幼 児教 育」 チ ャイル ド本社 1980 p.110
5)前掲書
6)加藤春彦 物理的知識 に基づ く遊び あす なろ保育 研究会 1984
加藤春彦 4,5才児の集団遊び あす なろ保育研 究会 1986