『岡山大学法学会雑誌』第49巻第3・4号(2000年1月)
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我が国におけるアリストテレス ﹃政治学﹄ の翻訳書は︑原典からの翻訳としては︑山本光雄訳 ︵岩波書店︑一九
六八年︶︑部分訳ではあるが︑重要部分を翻訳している田中芙知太郎監訳︵中央公論﹃世界の名著﹄八︑一九七九年︶︑
そして︑古いものであるが︑翻訳として先駆的業績である青木巌訳﹃国家学﹄ ︵東京第一書房︑一九三七年︶が挙げ
られる︒
これらの翻訳書は︑どれもギリシャ語固有の含意を日本語に移し入れるという困難をそれぞれの仕方で乗り越え
ようとした一個の作品としての価値を有しているが︑そのような作業はまた訳語の不統一をもたらしたことも確か
一閃三
アリストテレス政治学の基本用語﹁ポリテウマ﹂ について
四 三 二 一
訳語をめぐる問題状況
テキストの解釈−諸注釈にもとづく
ポリテウマのラディカル・センス
E・パーカーの訳語の意義
−ポリテウマの統一的理解をめぎしてー
一訳語をめぐる問題状況
開 法(493・4〕680
一四川
である︒
アリストテレス﹃政治学﹄の最も基本的な用語﹁ポリティア﹂︻↓司qと記トQ︵pO−iteia︶﹀﹀の翻訳に﹁国制﹂︑﹁共和制﹂︑
﹁国憲﹂︑﹁国家体制﹂ の訳語が与えられていることがそうした事情の二端を﹂小しているといってもよいであろう︒
このような訳語の不統一という問題は︑我が国だけでな︿︑欧米のアリストテレス翻訳の上にも生じており︑そ
こからアリストテレス ﹃政治学﹄ の理解にも微妙なズレが生じているようにも思われる︒
本稿は︑﹁ポリティア﹂∧扉○ざ記トQ︵pO≡eia︶︶一と密接な関連をもつ︑もう一つの川語﹁ポリテウマ﹂=ヨ↑ト記室Q
︵pO−iteuma︶ごについての訳語のズレの検討を通じて︑この ﹁ポリテウマ﹂ の語としてりフテイカル・センスを統一
的に把握し︑アリストテレス ﹃政治学﹄ の理解の一つの試みにサろうとするものであるり
さて︑﹁ポリテウマ﹂の語がアリストテレスの ﹃政治学﹄ ︵以下︑坤に﹃政治学﹄と記す︒︶ の中に川いられている
箇所は︑筆者の確認したところ︑一九箇所である︒この一九箇所に対して︑山本訳は三貴して﹁国民団﹂ の訳語を
与えているが︑田中訳は﹁国務遂行機関︵政府︶﹂︑﹁国事に参ケする人﹂︑﹁政府﹂︑﹁政権﹂︑﹁国政に参与する資格を
有する人々﹂︑﹁公職有資格者階層﹂︑﹁国事拍当資格者﹂︑﹁公職につきうる有資格者﹂ の訳語がレえられている︒つ
まり︑ここでは︑ほほ一二つの語義が区別して便川されているといえる︒①国政の遂行機関としての政府︑ないしは
政権︑②公職に就く資格を有する人々ないし階層︑③国政に参加する資朽を有する人々ないし階僧︑り 青木訳では︑
﹁政府﹂︑﹁政治の参与者﹂︑﹁支配階級﹂︑﹁政治に携わる人々﹂︑﹁参政権のある者﹂︑﹁政府の成⁚貝﹂ の訳が与えられ
ており︑先の日中訳における三つの語義が︑日中訳とはちがった箇所でそれぞれ訳し分けられている︒
こうした事情は︑英訳︑独訳︑仏訳でも同様であり︑E・パーカーの英訳がほほ二貰して﹁シヴィク・ボディciまc
bOd︶こと訳出している他は︑ジョウェット・ロス訳 ︵オックスフォード倣︶︑ロェブ版のラッカム択はそれぞれ﹁政
府﹂︿灯○完rnヨeコt︒﹁支配階級に属する人々﹂=thOSeWhOareinthegOVerコiコgC−ass︒﹁支配階級﹂=ru−ingc−ass一
6引 アリストテレス政治学の基本用語「ポリテウマ」について
﹁国家に属するすべての人々﹂人一a≡hepeOp−eiコthestate︒﹁市民階級全体﹂︻さewhO︼ecitiNenClass︒﹁支配団体
全体﹂一卓2WhO−egO完rコiコgbOdy−⁚の言葉で訳し分けており︑一九九〇年代以降に出版されているベルリン・ア
カデミー版のドイツ語訳も︑それぞれ﹁市民︵階層︶﹂=B守gerschaft∴︶﹁最高権力﹂=h賢hsteMacht︒﹁統治︵行政︶
官職﹂=RegieruコgSa∃t︒﹁権力保持者﹂=Machthaber︒﹁統治団体﹂=regiereコde k箸perschaft︒﹁支配階層﹂=die
r2gi2r2ndeSchi︹ht︒の言葉で訳し分けられている︒またビュデー版のジャン・オポネのアリストテレス﹃政治学﹄
の仏訳も﹁政府﹂=︼egOu完rコemeコt一一﹁政治体﹂一一−ecOrpSpO≡iq亡e=﹁統治階級﹂二lac−assedirigeante︒﹁統治者﹂
t套rigeants二統治権力﹂一一lap亡SSaコCegO完rコemeコta−e㍉と訳し分けられてい脊それでは︑この﹁ポリテウマ﹂の
語がこのように訳し分けられている理由は︑どこにあるのであろうか︒またこのような分節化された語義を持つと
思われる﹁ポリテウマ﹂なる語のラディカル・センスは何であるのか︒以下︑アリストテレスのテキストに別して
検討することとしよう︒
丁︶ ここでいう﹁ラディカル・センス﹂とは︑ある特定の言葉が持っている中核的意味を指す︒いうまでもなく︑いかなる㌶葉
も︑それぞれ多義的意味を持っているが︑その多義的意味をその多義性を残しっつ︑∴疋の統一した意味連合に統︿‖Lている
中核的意味をも持っていると考えられる︒アリストテレスの ﹃形而上学﹄ △ ︵第五番︶ は︑筆者にはそうしたラディカル・セ
ンス把握の一つの典刑土を提ホLているように思われるじAristOteHs表意苫i訂recOg.W.Jae莞二〇已Ord﹂誤ごp.票⊥NP
アリストテレス﹃形而上学﹄ ︵岩波文庫︑一九五九年︶第五巻り なお︑このようなフィロロギカルな方法によるアリストテレス
﹃政治学﹄ へのアプローチとして︑拙稿﹁アリストテレスにおける﹃n然﹄と﹃作為﹄﹂ ︵名︷屋大学法政論集第一五川号︑一
九九四年三月︶ を参照のこと︒
︵2︶ この点はE・レヴィの確認しているところである︒アリストテレスの ﹃政治学﹄ の該当箇所を︑ベッカー版デリストテレ
ス全集﹄の表示する数字を用いて表示すると︑以下のようである︒第三巻第六章︵一二七八b一〇︑一一︶︑鱒二巻第七草︵一
丁一七九aT一六︑二回︶︑第三巻第二二章︵山二八二b二二︑三二︑第四巻第六帝︵可二圧三a二ハ︑二川︶︑第川巻第∵二章二
一円五
岡 法(49−3・4)682
﹃政治学﹄ の中で最初に ﹁ポリテウマ﹂ の語が登場する箇所は︑第三巻第六章の次の文章である︒
① ﹁国家体制とは︑国家の中で︑種々の統治職︑とりわけすべてのものに対して最高の権限を有する統治職を組
徹し秩序づけるものである︒というのはどこでもポリテウマこそ凶家の最高の権限を有するものであるが︑ポリ
l一 列引割こそ国家体制そのものであるかトト︒﹂
=晋べト款司○ざ記Nq乱訂eりぺかやりべむて講和↑トS三≧もァ責ご斡㌻ヨ:ふ?長計べ鼓弓ぎ:合喜ごを
︶︑ざ︺ヨこ・rトヘ︑べこ†r㌣ヨ︑︑ごr=ち︑r七=りご;−∵りこ︑l㌻=ちへ㍉㌻r・七りこ︑ごr㌻︑∵二.㍉二■.ン ≡
この箇所の﹁ポリテウマ﹂ に対して︑一方では山本氏やE・パーカー︑独訳のシュトルンプは﹁市民団﹂︑﹁市民 一閃六
二九七b一〇︶︑第五巻第日章 ︵一三〇一b一⁚四︶︑第五巻第三章・二∴二〇二b一七︶︑第五巻第四章 ︵一三〇三b∴六︶︑第九
巻第六章 ︵一三〇五b三四︑一三〇六a一国︶︑第五巷第八竜・︵∵二〇八a七︑a一三∵ 第六巻第七草 ︵一三二一a二七︑a
三二︶︑第七巻節一円章︵二三﹁b二一ノ︒E.Lmくy∴一PO≡eiaetpO≡e亡maCheNAristOte=in皐昇き訂ミ上皇昏.声︵FribO亡rg
﹇Suisse﹈﹂芸︻古yM.Pierart↑なお本稿でのアリストテレスのテキストの引用はW・ロス校訂のオックスフォード版に依る
ものとする︒
︵3︶ E.Barker一コ完き︑町許∽亀﹄︑泳旨芳﹂○已Ord−芝草BJOWett−詩きぎこヲ斎こざ昇:斗皐訪露寮 vO︼.㌍︵○已Ord−諾ご.
H.Rackhaヨ.﹄昇ミ︑nきミ5.iコtheト篭ひ C︑e乳c已卜叫ひ岩ゼ︵LOndOコ︻誤芦E.Sch琵r亡ヨpf⁚年忌旨ぎ訂﹂ざさ蒜 in
﹄︑泳︑ミ已顎†冒︑肴︼B.P=Berコ一芸−︶﹀−1︵Berlin−冨−︶一≡︵Beユin−若草J.AubOnnet−きを要こ宣言苫.ぎ︹丈ぎ注ミ:計
S註§乳罫よ訂勺萱宍竺Bud箪tl二⊥−こ⊥戸︵Paris一−芸00⊥若草
二 テキストの解釈
683 アリストテレス政治学の基本用語「ポリテウマ」について
体﹂︻ごまcbOdyミ ﹁市民階層﹂二B箸gerschicht︒の訳を与︑え︑他方で田中氏︑青木氏︑ジョウェット=ロス︑仏訳
のオボネは︑﹁国務遂行機関 ︵政府︶﹂︑﹁政府﹂︽一gO完rnヨeコt=▲;−egOu諾rneヨeコt︒の訳を与えている︒そこには︑
国家の最高の権力を有するものが︑市民体 ︵団︶ 全体であるのか︑それとも国家権力の遂行機関にあるのか︑につ ㌻ソニ いて解釈の相違があるようにも思われを
シュトルンプの注釈は︑﹁ポリテウマ﹂なる語に多義的な意味があることを指潤しっっ︑第三巻第六章の文脈を重
視して︑﹁市民階層﹂ の訳を与えている︒すなわちこの筒所は︑﹁自由人﹂︒m訂亡許苫へ︼の内部での二つの階層のあ
り方が議論されているのであり︑﹁自由人﹂の中で︑国政への参加の権利を有する老のみが固有の意味での﹁市民﹂
司○↑ざュpO−it旦こであるから︑﹁ポリテウマ﹂はここでは﹁市民階層﹂を指すというのであか︒
確かにアリストテレスは︑第三巻の第一章で﹁市民﹂なる者の定義を試みている︒それによれば︑
関与する権利を持つ者は︑すでにそれでその国家の市民なのであり︑端的に言えば︑国家とは︑このような市民
の︑生活上の独立自存を達せられる程に十分な規模の集団である︒﹂
そ︑h㌻こ㌻㌻コー・\︑ぎl丁字㌻コー㌻≒ナこ・ミこ:し︶︑㍗︑し与こ・q︑ハ:︑︑≒亡l・⁝・真ぺキ︑∑・︑l=ゴミりぎ︸ :
さし∋ミリ.ぎ.1ミ・ミ干lこ︑こ︑ミ㌻ミご㌧ざ︑↓ユ↓り∑⁝﹁.ヨご=:㌣r﹁∴亡l∴︑ミニ︑・さl・已ミーュぎー・﹁いl・
眉耳熊ぎじ莞トき巾e曹﹀むっQ已むっm詳巾可て.︒︵−N謡bJrN亡 ﹁市民とは︑無条件的には︑裁判と統治職に関与する者以外の何者でもないと規定しうる︒﹂ 司○↑いぶりち.度○−も下≡∴ユひてb↑↑⁝こで甘⊇ご訪と旨ミニかミョ拳≡:官語長∵§三重箪.︒︵−N謡a.NN︶
また第一章の終りの部分でも繰り返しこの点が言及されている︒
﹁従って︑以上のことから︑市民とは何であるかが明らかである︒すなわち︑評議に関わる統治職と裁判とに
一閃七
岡 法(49−3・4)684
件付きの巾民でしかないn すなわち︑彼らは市民ではあるが︑未完成の市民である︒﹂
この議論を踏えて︑手職人階級も︑いわば﹁未完成の市民﹂ の位置にあるものと位置づけているり そしてこの手
職人階層が端的な意味での市民の位置を得るか否かは︑国家体制の相違に基づくものとするのである︒
︒㌻什〜 い︑ぐ江什㌻て﹂⁝き・ミき︑l︑り=ミ.ぎ︸h︑ミ\きl㌻こ・ト㌻∴︑ざミニ・hご⁝ユ;.−.ぎ二こごミリこコニ・
︷ぐし守へ︑㌻三・ぎご∵こ二こqり∴:︑㌻ご・︸¥l≡︑こ ∵こ・︑㌻ミきl・≒ミ︑ぎ三∴㌻こぎ︑.1ざ⁚︑ち︑¥ごり■∴.
㌢二だ軋ら∴邑ぎ弓3F一︵−N謡a﹂㌣−∞︶
﹁国家体制の種類が多数ある以上︑市民の種類も︑またとりわけ被統治者の市民の種類も多数あるのは当然で
ある︒従ってある国家体制においては︑手職人階層も日雇い労務者も市民であるのは当然である︒しかし他の国 一閃八
しかしこの両箇所において注意すべきことは︑いずれも﹁端的にいえば﹂∧一§↑e︶へ︸なる限定が付されていること
であるり アリストテレスにおいては︑﹁市民﹂なる語もやはり多義的な意味を持っていたのであって︑第三巻第二草
以下は︑その点についての考察にあてられている︒そこで問題になっているのは︑﹁自由人﹂︵↓m訂亡許も○へ▼でありな
がら︑国政への参与権を有しない人々をどう位置づけるか︑であった︒とくに第三巻第五黄の手職人階層=曾毒ミOn
︵banausOS︶︒をめぐる議論はこの点に関するアリストテレスの比解を把握するのに重要な筒所である︒
アリストテレスは︑まず市民である人の子供についての議論を展開し︑それをいわば﹁未完成の市民﹂一.営↑トぷ∩
ミヘ音へuと規定し︑国家の中にも︑﹁端的な市民﹂一1ヨトトぷnh訂↑むへ︼と並んで︑﹁未完成な市艮﹂も存在しうるこ
とを指摘する︒
二 〇監﹀0ト司Q診∩むqRき∩営↑吋§べき○ト§皆mり︼恥↑↑ごご篤:㌻↑e︶n Oトち︸荒呂○記譜巳り営トト⊇ト七巾て
ヾ甘㌣βて︼ト↑↑よ歪訂耳.︒︵−N謡a\T空
﹁子供は大人と同じような資格において市民であるということはない︒人人は副佃に市民であるが︑子供は矧
685 アリストテレス政治学の恭本用語「ポリテウマ」について
家体制においてはそういうことはありえないのである︒﹂
それゆえ︑﹁完全な市民の身分を与えられていない者は︑国家の成員であっても︑居留民︵メトイコイ︶のような
地位にあったとされる︒
︵一缶q莞も息べ○ト喜りヾ甘訂ベトてかべeてベト七むて七廿忘べ㌻巳F︒︵−N詔a.︺∞︶
﹁栄誉の統治職に与らぬ者は︑居留民のようである︒﹂
国家の統治職や裁判に関与せぬ︑このような市民は︑アリストテレスにおいても他方で奴隷や居留民とちがって︑
国家成員としての私法上の権利や居住権を持つ者として︑あるいは︑民会や裁判へ部分的に関与することを許され
た老として︑﹁自由民﹂と位置づけられている︒
先に述べたシュトルンプの見解は︑以上に紹介したアリストテレスの市民規定の多義性に注目し︑その上でまた
アリストテレスの国家規定の二重性を指摘している︒すなわち一方でアリストテレスの規定︑﹁同家は︑市民の共同
的結合体である ︵㌢ざこ芸三言旨㌻二づ∵廿ヨ㌻ぶ−賢ベト諦喜トてeてい屯営とべむて曽と諾卜彗︶﹂を踏まえつつ︑他方で︑
﹁国家は自由人の共同的結合体である﹂廿款曽とり喜トてe≡Qべeて〜評亡款もeて訂べいェ一票∽a﹂望という規定に注
目し︑﹁ポリテウマ﹂ は︑﹁端的な意味での市民﹂ の同体を意味している︑とするのである︒そしてこの ﹁端的な意
味での市民﹂の団体こそ︑統治職と裁判に関与する権力を有する階層として国家の最高の権限を有するものであり︑
この完全市民階級の範囲・規模に応じて国家体制のあり方が定まる︑と解釈されるのである︒
他方︑﹁政府﹂﹁統治者﹂と訳すオボネにおいては︑﹁ポリテウマ﹂の語義を︑﹁統治する市民の団体︑統治者−政
府﹂﹂﹀eコSemb−edescitOyeコSquigO完rコe阜−egOu完rコemeコt︒としつつ︑それが同家の最高の権限の所在を示す
ことを重視して︑﹁統治者−政府﹂︵﹂egO完rコemeコt︒の訳語を与えている︒ズゼミールもまたここでは︑端的に﹁ポ
4
︵6一 リテウマ﹂ とは︑国家の主権者を指していると解釈している︒ジョウェットもまた︑﹁ポリテウマ﹂を︑﹁統治者︑
⁚四九
開 法(493・4)686
アリストテレスの ﹁ポリテウマ﹂ の語のこのような使用は︑次の筒所においてもほほ同様の文脈の巾で使われて
いる︒
② 上村乳︵㌶い宍↑昌ごご㌫て巨岩宍↑小謡美白q竜乳岩トq特許○亡﹀司○ヒ謡宅Qら↓mqベトqO≒甘ト○モ↓むモ臥訂巳ご
この箇所もやはり二系列の訳語が与えられているところであり︑一方では︑﹁市民団体﹂﹁市民体﹂が︑他方では
﹁国務遂行機関・政府﹂﹁統治体﹂が訳語として与えられている︒しかLこの筒所では︑明確に﹁ポリテウマ﹂ が国
家の最高の権限を持つもの︵イ○≒名ト○亡qe亡乱訂e㌔とされているから︑こ竺一系列の訳語を統一的に理解しょ
うとすれば︑﹁市民体 ︵団体︶﹂なるものが︑完全市民の団体であって︑それが国家の最高の権力に関与している構
と す す な る言わ
0 モミ
﹁ところで︑国家体制という言葉とポリテウマという言葉は同じものを意味しており︑またポリテウマは国家
において最高の権限を持つものであり︑売高の権限を持つものは︑一人か少数の者か多数の省である他ないので
あるから︑一人あるいは少数者あるいは多数者が公共全体の利益のために統治を行うならば︑その時はこれらの
国家体制は正しいものであるが︑しかしこれに対して一人であれ少数者であれ多数者であれ︑そのそれぞれの私
利私欲のために統治を行うならば︑それは逸脱した国家体制といわねばならない︒﹂ ㌢阜頁?聖巴書岩致ざ革ユニざこごト音○亡∩敬qO亡り営↑トまギLぎ岩七㌣ここ惹こご㌫巴吾さユニ㌫ヨ↑↑○ト眉耳 ㌢:言・㌻・旦ミテ主∴−︑弓主︑.2㌻−1忘:ぐ︑︑キ三三︑さこ三・㌻・lこ1キぎl︑1㌻−∵り㌣∵影号︑りり㍗︑︑ぎ; 3や ㌻耳概べむ亡㌻;eモ故qO畑 已琶On司竜mもかqmトり︒︵︻N遥a.N†N∞︶ 一五〇
統治を行わしめている人々﹂一JFegOくernヨent﹂.e.thepersOnSthrOughwhOヨthegOくerコヨentaCtS︸︼
687 アリストテレス政治学の基本用語「ポリテウマ」について
③ アリストテレスは︑第三巻第十三章の巾で︑統治職を要求する人々の根拠として︑人の卓越的力量や︑富や︑
生れの良さや︑数が生む力を挙げているが︑そのいずれもが︑必然的に単独者の支配を生む根拠となることを論じ
ている︒たとえば︑富を根拠として統治職を要求する場合には︑結局はただ一人の臼璽口何の富者が︑他のすべての人々
を統治する事態を生み出し︑人の卓越的力量に基いて統治職を要求する場合には︑その卓越的力旦里を持つ者が複数
存在している場合には貴族制を生じさせるが︑一人の人が他に際立って卓越した力量を持つ場合には︑その人が統
一五一 しかしながら︑以下に紹介する︑﹃政治学﹄の中で﹁ポリテウマ﹂が使われている第三の筒所においては︑以上の
ような解釈を許さない文章が存在している︒そしてこの箇所は︑W・L・ニューマン自身が﹃政治学﹄ の他の箇所
には見られない表現と述べている所である︒ 造を想定する他ないであろう︒一八九四年の出版であるスゼミール・ヒックスの注釈が︑この箇所に注して︑﹁今日 のイギリスでは︑ポリテウマは︑国王︑貴族︑平民の間の下院選挙団体を含むもの﹂とし︑﹁ポリテウマ﹂を︑最高
二8 権力を保持する統治体 ︵=gOくerコiコgbOdy︒︶ と解しているのも︑このような理解の上に立っていると思われる︒
しかしながらこの箇所で注目すべき点は︑﹁ポリテウマ﹂が国家の最高の権限の保持者であるとした上で︑この担
い手が︑一人か少数か多数かでありうる︑と規定していることである︒完全な市民権を保持する集団が﹁自由民﹂
のうちで︑多数を占めたり︑少数でしかなかったりする場合は容易に想定しうる事態である︒しかし︑一人の人間
が国家の最高の権限を保持した場合︑その時にも︑その担い手を﹁市民体﹂としての ﹁ポリテウマ﹂として理解す
ることは︑非常に国難であると思われるからである︒おそらくそのような問題が背景にあって︑ジョウェット=ロ
ス訳や田中訳は︑﹁ポリテウマ﹂ の訳語を﹁政府﹂﹁国務遂行機関﹂ と訳したのではなかろうか︒
同 法(493・4)688
この筒所についてもやはり二系列の訳語が与︑えられているが︑とりわけ注‖すべきは︑シュトルンプの訳である︒
下線部をシュトルンプは次のように訳している︒
﹁人としての卓越した特性を根拠として︑主権者として最高の権力を掌中にしたいという要求を掲げる人々に
対して﹂
gegeコdiejenigenゝieaufgruコdく○コhOherヨenSChHchenQua−it警deコAコSpruCherhebeコーa−sSO⊂くer賢die
hαchste P訂cht in H師nden zu habeコ.こ
おそらくシュトルンプは︑ここでの ﹁ポリテウマ﹂を﹁最高の権力﹂とした仁で︑この ﹁最高の権力﹂に対する 一正二
治の最高の権限を掌握するという事態を生み出す︒
このような文脈の中で︑アリストテレスは ﹁ポリテウマ﹂ に言及しっつ︑次のように︑人衆による統治の主張を
紹介している︒
司かて⊇﹁q廿⊇﹁訂1ぷ2︑荒もq罵富て曽トmて詳卜苫訂eてべむて富eて○監mトり甘苦り訂真ご米持恥㌫てトや○廿qトてR訂○〜
もて晋わmトてヨ耳ら一転↑↑○亡り訂かqもむてq匂ゎ告ぎ≡㌣岳うさ㌫首で厨ミ㌫首肯只見妄§■甘m晶て恥叫ト○ぎ⊇り
対しても︑大衆は︑一定の止純な論拠をもって抗弁することができるであろうか︑㌧﹂ ベトて財熟女慧○て﹂一こN∞︺b.N﹁︺望
﹁以上すべてのことは︑彼らがそれぞれに︑臼分速こそが統治し︑他の人々はすべて自分達によって統治され
るのが当然であると主張するそれらの基準のどれ一つとして正しくないことを明らかにしているように思われる︒
というのは︑事実たしかに卓越的力量を根拠に︑ポリテウマに対して最高の権限を布する二とを要求する人々に ﹀︵ き阜盲∵㌣室:ま︶ 宍↑昌古§眉∵富皐月よγ芸∵邑肯さ昌:ト㌢Sdさhわ○トmて矩て↑佃ヾmトて鼓司↑誉茸↑ひヾ○て
689 アリストテレス政治学の基本用語「ポリテウマ」について
﹁クリオス一一≒ぢト○へ這uriOS﹂では︑﹁クリオス﹂もまた﹁最高の権限を有する﹂の語義である以上︑意味をなさな
いと考えて︑﹁ポリテウマ﹂ の属格を受けるのは﹁クリオス﹂ という語であるという文構造の解釈を取らず︑﹁クリ
オス﹂を副詞的に解して﹁主権者として﹂=a−sSOuくer賢一一と訳し︑﹁ポリテウマ﹂ の属桁を所有の属格と解釈して︑
﹁最高の権力に属するものとなる﹂1﹁最高の権力を掌中に収める﹂ と解釈したように思われる︒
しかしながら︑このようなシュトルンプの解釈は︑文構造の⊥から見て無理であり︑やはり︑二の ﹁クリオス﹂
は﹁ポリテウマ﹂の属桁を支配して︑﹁ポリテウマ﹂に対して﹁最高の権限を有する省﹂と解釈すべきであろう︒事
実︑ジョウェットやパーカ1︑オボネの訳もこうした解釈を踏まえたものである︒
・ジョウェット訳
一一TOthOSeWhOC︼aim tObemastersOfthegOくerコmeコ︹○コthegrOuコdOftheire宍eニeコCe︒
・ラッカム訳
agaiコStthOSeWhOC−aimtObesOくereigコ○くerthegO<ernme−−tOコaCCOuコtOfくirtue㍉
パーカー訳
=thOSeWhOC−aimtObesOくere−gコ○くertheci︹iNeコbOdyOコthegrOuコd〇fg00dコeSS.︒
・オボネ訳
師ceu舛qui紆stimeコt﹀dufaitde−eur完rtu﹀eコdrOitdegOu完rコe二ecOrpSpO︼itique−
しかしながら︑このような解釈は︑先に述べた﹁ポリテウマ﹂ の解釈と組酷をきたすように思われる︒
②の筒所では︑﹁ポリテウマ﹂は﹁国家において最高の権限を持つもの﹂と規定されているから︑この﹁ポリテウ
マ﹂を支配する ﹁最高の権限ある者﹂ は存在しないはずである︒それゆえ︑とりわけパーカーのように﹁ポリテウ
一五三
同 法(493・4)690
⑤ 第四巻第十三章において︑アリストテレスは︑国家体制に参加する者の数について検討しているが︑そこでは ④ 第四巻第六章の二箇所の ﹁ポリテウマ﹂ にも今までに述べてきた二系列の訳が与︑えられているが︑シュトルン
︑ プはこの後者の箇所に﹁統治官職﹂一イegierungsaヨt=の訳を与えている︒︵−N器aJPNe
一一字て診息㌻ぎ3亡り 針qトて○ト↓耳○㌣詠美紆○ミmり概○トぺび召㌻mも○て︼已m㌻声↓ひ且っ紆罵甘美
こ︑ヾ主べ㌻.1さ・hヨ︑㌻㌢∵ミ︑三・︶︑ざしiペ㌻︻・記.1江:l⁝↓hご・︑責三q∴︑㌻︑︑ぎ︑︶七㌻ざし三・l・ヨ︑㌻
↓むて短↑↑eて3惹﹁mトり乱司○↑ぎ曇§昏邑曾昌美㌔烹営a.NTNe
‖
ポリテウマ れゆえに統治官職に入るものを︑他の人々のなかから自分の手で選び出す︒﹂
ここでは﹁ポリテウマ﹂は︑﹁最高の権限を有するもの﹂から﹁政府﹂︑そして﹁統治官職﹂一一Aヨt︒を指す語へと︑
よりいっそう具体化されている︒ 一五四
マ﹂を﹁市民体﹂=ci≦.CbOdy︒と訳した上で︑﹁この﹃市民体﹄を統治する最高の権限を要求する人々﹂と訳した場
合︑この﹁市民体﹂は︑﹁最高の権限﹂に与らない﹁市民体﹂ということにならぎるを得ないのである︒この点はジ
ョウェット訳やオポネ訳にも妥当する︒このような理解が可能だとすれば︑ここでの﹁ポリテウマ﹂は﹁完全市民﹂
の団体というよりは︑不完全市民を含む市民体︑いいかえれば︑潜在的に﹁完全市民﹂でありうる可能性をもった
﹁自由人﹂を含む市民体ということになるであろう︒少なくともこの③の箇所の使用法は︑こうした﹁ポリテウマ﹂
の二重の性格を想定しなければ合理的な解釈をすることができないのである︒
﹁しかし財産を持つ人々が︑先の人々 ︵寡頭制の第一の種類︶ よりもその数は少ないが︑財産の額は多いとい
う場合︑寡頭制の第二の種類が現われる︒実際彼らは他の人々より強力なので︑より多くの特権を要求する︒そ
691アリストテレス政治学の基本用語「ポリテウマ」について
⑥ アリストテレスは︑第五巻第三章の冒頭において︑内乱を引きおこす原因について分析している箇所で次のよ
うに述べている︒
﹁またある人 ︵それが一人であるにせよ︑複数であるにせよ︶ がその力において︑国家︑あるいはポリテウマ
に属する権力に釣り合わない程強大である場合は︑そうした優越が原因になって内乱が起こることがある︒実際︑
君主制や閥族削が生じるのは︑通常そうした状態からである︒﹂ ︵−︺ONb.だT−∞︶
−熟訂m℃︒乱て声欲さてヨり 卿 ふ きてか忘卜罵ぶeて苺mいっ敬已m小Oi職⁝べかふて臥とてさトふて
︑;≡︑≡・r三・ヨ︑ン︑rへぎミニ∴ ︶︑ご・へq︑︑き ︶︑ざし=こ︑︑=∴オ rこ﹁rこ;㌻こl・︑⁝≡ミご廿︑ぎ弓qr㌻ぺ⁚. この﹁ポリテウマ﹂に対しては︑﹁統治階級﹂ ︵ジョウェット︶ ﹁統治階級に属する人々﹂ ︵ラッカム︑オボネ︶ ﹁政
治的諸権利を有する人々﹂ ︵パーカー︶ ﹁政権﹂ ︵田中︶ の訳が与えられているが︑シュトルンプは﹁権力保持者﹂と
訳し︑前に述べた﹁統治官職﹂と同様に︑﹁ポリテウマ﹂を権力の担い手としてより狭く解釈していか︒ その数を垂装武具を有している者に限定すべきであると述べている︒そしてその資格となる財産の額を﹁最大限ど れ程までなら国政に参加する人の数が︑参加しない者の数より多くなるかを調べ︑それを基準にして定めるべき﹂ と述べた上で︑貧しい人々は︑統治職に与らなくとも侮辱されたり財産を奪われたりしなければ︑むしろ平穏無事 を望むものだとし︑しかし民衆がこのように平穏であることはそう容易でないと述べ︑次のように語っている︒
: ここ︑ざ:計︸9至諷㌻−h∴べさぎ・rトべ:㌻r三・:︑へr㌻三・r︷″リrこで ヨ︑ン・hぎーコ︑斗.二三一二三
﹁なぜなら︑ポリテウマに属している人が常に立派な人々であるとは限らないからである︒﹂
一五五
l司 法(493 ▲ 4)692
⑦ 第五巻第六章において︑アリストテレスは︑寡頭制の体制変革について分析しているが︑寡蝿制の休制が変化
する方式として︑寡頭制の政治に与っている人々が大衆を煽動する場合を挙げて︑次のように言う 一五六
この箇所における﹁ポリテウマ﹂に対して︑シュトルンプは﹁統治集団﹂二象eregiereロdek箸perschaft︒の訳語
を与えている︒シュトルンプは︑他の箇所では﹁市民階級﹂一.Burgerschaft︒﹁統治官職﹂よasregiereコdeAヨt﹂権
力保持者﹂一一Machthaber︒の訳を与えているから︑この箇所は︑一つの権力保持者︑一つの官職よりも広く︑Lか
し﹁市民階級﹂というよりも狭い︑権力を保持した﹁集団元号perschaft︶﹂の意味を持つ川語を訳語としてサえて
いるのであろう︒
ところでこの筒所は︑国家における︑いわば二束権力状況を指すものと解することもできるかもしれないn 確か
にこの箇所の文脈は内乱の原凶を探求するところであり︑単独の権力苦の権力と市民団体の統治権力とが相克し︑
前者が後者を圧倒する程の権力を持った場合︑内乱が生じ︑その結果︑む王制や閥族削がもた︑hされると解するこ
とは文脈にも適合的である︒
しかしながら︑こうした理解はまた︑今までに確認してきた﹁ポリテウマ﹂理解と若†のズレを生じさせること
になるり②の筒所では︑﹁ポリテウマ﹂は︑国家において鼓高の権限を持つものとされているから︑ここでは君︑‡や
閥族が﹁ポリテウマ﹂ の担い千ということになるであろう︒その場A‖には石工や閥族以外の﹁ポリテウマ﹂は解体
されるということにならぎるを得ない︒しかしその時には︑巾民の共同的結人‖体とLての国家の国家体制︵ポリテ
ィア︶ としての共同的性桁も解体されぎるを得なくなるのではなかろうか︒少なくともこのような問題が末解答の
まま残らぎるを得ないであろうり
693 アリストテレス政治学の恭本用語「ポリテウマ」について
この箇所については︑パーカーも先に述べたように︑﹁ポリテウマ﹂に対して﹁主権を有する市民体﹂一一sOu完reign
ciくicbOdy︒の訳語を与えているし︑シュトルンプも﹁統治階級﹂=dieregierendeSchich︷︒と訳し︑オボネも﹁統
﹁4 治者達﹂=−esgOuくernaコtSミジョウェットも﹁統治者﹂一ぎ完rnヨentこと訳していか︒従ってこの箇所の﹁ポリテ
︑︑
ウマ﹂ が寡頭制という国家体制の中で︑真に統治に関与している完全な市民の団体を指すものであることについて は︑ほぼ訳者達の見解は一致しているといってよいであろう︒﹁ポリテウマ﹂ が完全な市民の団体であることを指す箇所として︑やはり先の第五巻第六章の箇所に続く文章を
挙げることがてきる︒
ざコー︑二王・2:㌫ざ︑キミ∴−−ユ︑ご︑︶︑ミー︑ぺ㌻ ㌻ト︑ミ:ご︑壱︑−︑ぺ㌻芸︑ご︑亡︑ヨ一っ︑﹁りこ㍉ミヨー㍉ざこ−コ︑て
ヨエーコイき︑ごコざ︑−コ︑∵ごご︑ミニこ−コ︑=りトニーミ‡ヨしーー︷ざlこーー七㌣ミリ十ぺ亡︑≡・こ∵ごご︑ミヨいーーコ∵.二≒ニ.1﹂ご ミリミトご︑㌻ミ︑りざぎ︑l︑り什㌻−∴.二二・二∴こ−
﹁このことは︑法廷がポリテウマに属している人々だけからできているのではないところでも行われる︒実際︑
判決のために民衆を煽動し︑国家体制を変革する︒﹂
﹁しかし寡頭制は︑人々がその寡頭制の中に︑それとは別の寡頭制を作る場合にも解体する︒すなわちポリテ
ウマが全部として少数であるのに︑さらにその少数の老すべてが︑重要な統治職に与かるわけではない場合であ
る︒﹂ 責萱て 鼓⊥ぎ喜息亨R もW 昌一鼓Y ヨを衰琶§月 〜3−署Rヾeヾ○冒記り ヾきじ 召On ⊇り 竜N語ト∩
一五七
岡 法(49−3・4)694
以上に挙げた箇所の他にも︑第五巻第∴ハ章こぃO00a.↓﹂空︑第六巻第七草︵︼︺N−a.N↓一︺N.︶︑第七巻第十四章こ︺uN
b∴ご︶ に﹁ポリテウマ﹂ の語が使用されているが︑これまで述べてきた二系例の訳語が︑それぞれの訳者の理解に
従って与えられている︒ 一五八
シュトルンプは︑この箇所に関して︑さらに明確に︑﹁完全市民階級﹂二Aktiくb箸gershaft︒の訳を与えているが︑
パーカーもジョウェットもそれぞれ﹁全市民体﹂=whO−ecitiNenbOdy︒﹁全紙治体﹂︑一whO−egOくerningbOdy︒の訳
︑︻h二 を与えている︒
7一︶ 本稿では︑さしあたり﹁ポリティア﹂一■司Qざ記ト㌔︵pO−iteia︶ の訳語を﹁国家珠制﹂とする︒いうまでもなくこの﹁ポリティ
7﹂ の語も多義的内答を持つ語であって︑国家の制渡を意味するだけでなく︑別家を成り立たせている巾民権︑純朴︑倫理を
も含む語であり︑その意味で﹁同体﹂という訳語は極めて優れた訳語であると思われるが︑この ﹁回休﹂という訳語か持った
歴史的北口景を考慮して︑今は催川をひかえておくこととする︒さらに﹁ポリティア﹂がいかなる同家体制を含意しているのか︑
国家体制一般を指すのか︑いわゆる﹁コンステイテユーショナリズム﹂=cOコS︵itutiOna−ism︒の文脈で理解される国家体制を﹂小
す語なのか ︵寡頭制と民主制の混合体としての ﹁ポ=二丁イア﹂を別とLても︶ についても︑別稿で検討する予完である=
︵2︶ ここでは︑﹁シヴィク・ボデ1﹂=civicbOdy=を﹁市民団﹂ でなく︑﹁市民体﹂と訳すこととする∵﹁ボディ﹂=bOdy嶋▲は単な
る団体︑集団の意味でなく︑﹁コルブス﹂=cOrpS︒﹁体﹂の意味において理解されなければならない︒その点については︑〇.Gierke︼
きき訂二⊇墨計:ヽ夢こき墜㌣岩戸 ratlS−atedb︶1F.Mait−aコd⊥Cambridge−誤箪p.Nか.
︵3︶ E.Sch竺rumpf.hサミ早BJl\−Ⅰ一⊥Beユin−諾こ.p.怠ソ
︵4︶ AristOte−es㌦ご訂喜訂讃き︑叫訂計︵Bib−iまheca↓eubneriaコa−若草p一ソp.芦 ﹁女†相続人﹂一︒告卜已竜Qへ二両親とも市民か
ら生まれた者﹂.王蒜ざ匂Qべ㌻eモヾmヾ○てか詰り§針㌔にいうところの民法⊥の市民↓.ミヨりご﹁アストス﹂という規定︒ア
リストテレス﹃アテナイ人の国制﹄ ︵岩波文庫一九八〇年︶一九〇ページ︑一二一一二ぺ−ジの注を参照∪ なおこの点についての
国利史の側からの古典的研究としてく.Ehrel−berg−ゴ訂C完熟5︑已ュ﹁○已○コ一芸望も参照のこと︒
︵5︶ J.AubOコnetこ冒註蔓こざ資質声︹コ﹁ Partie一﹁i∃eSl〒軍︵Paris−彗ご.p.N山〇.
695 7リストテレス政治学の基本周語「ポリテウマ」について
㌧■
︵12︶
︵13︶
■‖︑
︵15︶ ︵6︶ F.S亡Seヨi享R.D.Hicks−ヨ屯き︑註ト・:斗ゝ昇ぎ旨︵LOコdOコー∞芝︶.p.u芦スゼミールは︑﹁ポリテウマ﹂を︑﹁ポリスの統
治階級︑あるいは政府﹂=Ther亡HコgC−assOrgOくerコヨeコtごとし︑アリストテレスを︑﹁主権﹂sOくere首ntyの止確な観念を採
用した最初の人であったとしている︒
︵7︶ BJOWett一ゴ訂こ㌔亘㌻・h旦∴eオ訂註.vO−﹂1.︵OxfOrd︼霊草pJNN∴/ヨウェットによれば︑ポリテウマ︑ポリティア︑ポ
10 9 8
リスには∵二つの意味上の階程がある.川ポリテウマ=統治者n 彼らによって統治がなされる.榔ポリティア=統治体︒統治
し︑統治されるもの︒㈱ポリス=統治体を含む国家全体︒しかしこれらの意味は相互に移行する︑とされる︒
Suseヨih−−Hicks.名.Cit.−p.心−N.
Sch已ruヨpf.〇p.Citこp.㌶一
スゼミールはこの箇所を︻.cOコtrOhegOくerコiコgbOdて﹁統治体をコントロールする﹂と訳している︒しかしこの訳は︑﹁ク
リオス﹂を﹁コントロール﹂と訳すことによって︑最高の権限を持つ主体の所在をあいまいにしている︒この﹁コントロール﹂
を主権的な権力によるコントロールと解せば︑このてゼミールの解釈は︑はじめはポリテウマが掠高の権限を有する統清体で
あったが︑一人ないLは複数の人物がその卓越的力量によって最高の権限を手に入れるという事態が生じた︑ということを意
味することになるであろう︒もしその人物が山人であるならば︑その場A‖には︑一人の坤独?王権者が存在することになって︑
ポリろ国家は市蛇のコイノーニアとしての性格を失うことにもなるであろう︒この点はまた︑君︑王制・土制とポリティアとの
関係をどのように把握すべきか︑という問題を提起する︒
Sch已ruヨpf.〇P.Cit.﹀T.㌢p.NA.
Schロtr亡ヨpf.〇p.Cit.−T∴㌣ロ.u∽.
Sch已ruヨpf.〇p.CF一T.u−p.ぃぃ.
Barkerもp.Cit.も.N−野Sch亡tr亡mpf.〇p.Cit二T.いも.u∽.AubOココet.〇p.Cit.﹀↓..LiくreSく声p.麗﹂︺OPl b︺サ
Sch已ruヨpf.〇p.CitJ T.u.p.浩.Barker二Up.Cit.−p.N−PJOWett.〇p.Cit二−u宗.a∵.
一五九
同 法(493・4)696
以上の紹介から明らかなように︑アリストテレスの ﹁ポリテウマ﹂ の語には多義的な訳語が与︑ろられてきたが︑
この点についてはすでに︑W・ルッペルRuppe−が一九二七年の論文﹁ポリテウマ﹂=PO︼iteuma︒において︑﹁ポ
リテウマ﹂の語の語義の変遷を文献学的方法によって明らかにしてい告また日額近では︑E・レヴィL晋yが︑一
九九一年の論文﹁アリストテレスにおけるポリティアとポリテウマ﹂;PO−iteiaetpO−iteuヨaChezAristOte︒の中
で︑﹁ポリティア﹂と﹁ポリテウマ﹂の語義の蚕なりと相違を検討することを通じて︑﹁ポリテウマ﹂の語義を確定
しょうとしている︒以下両氏の説を簡単に紹介しながら︑﹁ポリテウマ﹂ のラディカル・センスを整理してみること
とししヰつ︒
まず両氏とも︑﹁ポリテウマ﹂が文働上登場する時期を紀元前四世紀後半以降とL︑﹁ポリティア﹂の語に比べて︑
その登場の新しさを指摘している︒﹁ポリテウマ﹂の語が文献上確認される最も古い例は︑イソクラテスの﹃アレオ
バギタ﹄中の文章であるが︑そこでは︑﹁ポリテウマ﹂には︑﹁ポリテウェスタイ﹂︽︒営トト記亡昌⊇ト︒の名詞化された
ものとして︑﹁ポリスにおける政治的実践﹂という語義が与えられてい慰
しかし他方で︑﹁ポリテウマ﹂は︑ほぼ同時代のプラトンによって︑ただ一度だけ︑しかもイソクラテスの使用法
とは異なった意味において使われている︒プラトンは﹃法律﹄ の中で次のような文脈で﹁ポリテウマ﹂を用いてい
る︒
﹁というのは︑諸々の統治職の執務監査を行う人々が︑統治職にある者よりもすぐれた者であって︑彼らがそ
の仕事を非のうちどころのない正義によって︑非のうちどころのない仕かたで果たすなら︑国土と国家の全休は 三 ポリテウマのラディカル・センス
697 アリストテレス政治学の基本用語「ポリテウマ」について
﹂︵器d∴吾NOM〇N IB斡鼠算き蓑
べ獣遥 私署竜乳賢q臥q茸わ烏トn mq㌢R計︑巴とヨ⁝⁝
︵.■∵⁚\−・−こミ︑︑︑ミミ∵︑㌣:\ニー−こ\\−デ㌧・︑︑∵︑︑・ミ.′︑さ二﹂∴二■﹂丁
この筒所で用いられている﹁ポリテウマ﹂の複数形は︑国家の中の諸々の組織︑たとえば統治職や役所︑また諸々
の市民層︑が含意されている︒
他方︑﹁ポリテウマ﹂ はデモステネスの演説の中で多用されているが︑デモステネスにおいては︑﹁ポリテウマ﹂
は︑むしろイソクラテスにおける使用法とほぼ同一の意味で便周されている︒たとえば︑次の箇所がそれを示して
いる︒
﹁アテナイ人の方々よ︑私も三段槙船の儀装や合唱隊の費用の負担︑寄附金や捕虜の身代金や慈善行為につい
て語ることはできる︒しかし︑これらの行為については二言も語りたくはない︒ただ次のように述べておきたい︒
と﹂︒︵DemOSthenes﹀昌.〇nthe 私の行おうとする政策は︑これらの人々の政策とは全く異なるものである︑⁝⁝
〝﹁︺﹂ ChersOneSe⊇・コ︶.
〜章こ∵︑∵㌧こ卓ぺ 丁︑盲こミ.ざL盲¥さペ㌻:訂・ざ︸∴ペこ︑しヨ㌻=さじ萱雪ドニ∴㌻†︑しミさじ︑l†
qへ︑−∵声ペ\ぎl■∵ごー・ざエコミ︑㌻り㌢∵こ︑l写∵ゝこミ・︑†ミり㌻て∵こ㌣訂−∴こ∴こ㌣ニー・へ汀ミ\ミ.︑こ︑1.こコ コ≒りき㍗ニー・
一六一 統治職もばらばらになり⁝⁝﹂ ︵﹃法律﹄第十二巻九四五−D︶
人・賢官ヾ甘0⁚0号音駕喜⁚骨亡諷ミ05⁝〜言0亡1㌢トニ莞ト音て︼邑べ0草㌢賢ぺざ忘べ成語
さご去㌻り2・∵阜り■ごq㌻ 三Tこ︑︑へ﹁へ︑り〜ぎ︶へ‡ミミこ・h︑︑ペミ︑し■−︑ごごりこ︑l︑・∵㌻−⁚㌧チミ・=㌢∴ごLリぺ ﹀︶
㌻︑︑㌻・=Jコ⁚こ・=︑し︑ペ三・りニー∴︑こ︑−︑七りミ.コいりへ︑ごミごq︑︑・∵さ∴ト乳−べゴHゴ︑ごりhざ■;−ヨー・へ︑ペこ㌻ゴ∴十:−∵ぎゃ∵ 栄えて幸福になるからです︒だがもし︑統治職に対する執務監査に関する仕事がそれとはちがったやり方で行わ れるなら︑その時には︑すべての政治的諸組織を一つに統合している正義の絆は断ち切られて︑その結果︑どの
同 法(493・4)698
この箇所では﹁ポリテウマ﹂は︑まさし︿﹁ポリテウオー﹂︽一司○と諾かeミ その中間態・不定詞﹁ポリテウェスタ
イ﹂=司○と語呂q評ト︒という動詞の名詞化されたものとして使用されている︒﹁ポリテウオー﹂ の語義が︑﹁ポリス﹂
司○↑トヘ︑の政治に関わること︑あるいは﹁ポリテース﹂∧一司○ざぷへ二﹁市民﹂︶ として行動すること︑市民であるこ
と︑に置かれているとすれば︑﹁ポリテウマ﹂ はまさし︿︑﹁ポリス﹂ の政治に関わること︑すなわち政策︑政治的
実践を意味する言葉となるのである︒
ルッペルは以上の他にも︑アリストテレス以前のアソティカの演説家の使用法として︑﹁ポリテウマ﹂の語が﹁ポ
リティア﹂=政治組織︑政府の意味で使われている例を挙げているが︑いずれにしても﹁ポリテウマ﹂の語は︑﹁ポ
リテウェスタイ﹂ の動詞の名詞化されたものとしての語義を有するものであったといってよいであろう︒
しかしながら︑ルッペルの論文においては︑この ﹁ポリテウマ﹂ は︑まさにアリストテレスにおいては︑より多
義的な語義を有するものと解釈されている︒以下ルソペルの整理を紹介してみよう︒
ト ルソペルはまずアリストテレスの ﹁ポリテウマ﹂ の語義を三つに区別している︒
Ⅲ ﹁ポリテウマ﹂=貴族︑第一身分︑完全市民︒と︿に第五巻第六章の一三〇五b三〇の文章︑および一三〇
六a十四の箇所の ﹁ポリテウマ﹂ は︑権力を行使しうる市民層を意味していると解釈される︒さらに︑第五巻
第八章の一三〇八a三−七の文章および一三・八a一三−一五の文章では︑﹁ポリテウマ﹂は﹁上流の人々﹂﹁貴
族﹂ を意味していると解釈されている︒
榔 ﹁統治の頂点に立つ人々﹂または﹁日甲高の権力﹂を持つ者︒と︿に第七巻第一四章の一二三二b引の文章に
依拠し︑またさらに第六巻第七草の一三二一a二六−三三に注目して︑﹁ポリテウマ﹂に属する人々は︑﹁最も り︑・︑ごりこち∵⁝⁚︑㌣↓㌻りこ︑ごコ㌻ちニー⁝⁝:
699 アリストテレス政清学の基本用語「ポリテウマ」について
以上がルソペルのアリストテレスの﹁ポリテウマ﹂に関する整理であるが︑ルソペルはさらにこの﹁ポリテウマ﹂
の語義の変遷をアリストテレス以後の時代まで追跡している︒とくにアリストテレスよりも二〇〇年後のポリビウ
スの使用法︑およびそれ以後の種々の文書に残された﹁ポリテウマ﹂の語義をほぼ以下のように整理していを
川 ﹁都市﹂﹁都市住民の住む場所﹂︒
価 ﹁レスプブリカ﹂︑一定の統治形態としての国家︒とりわけ抽象的な国家概念を指す言葉として用いられ︑国
家の具体的なあり方︑制度︑法制︑組織についても﹁ポリテウマ﹂ の語が使用される︒
㈱ 新たな国家形態︑とくに ﹁連合国家﹂=Staatenbund㌔︑﹁同盟国家﹂一︻Bundesstaat︒さらに︑一国家︑一都
市内において︑あたかも別国の都市民であるかのように一つの共同社会に組織された民族集団︵一一integraegentes
SeunatiOコeSitaappeanturムuaeSOCietateiコterSeinitainunuヨq亡aSireipub許aecOrpuSCOa−ueruコt∴︺
たとえばアレクサンドリアにおけるユダヤ人の民族集団が︑﹁ポリテウマ﹂と呼ばれる︒
一六三 重要や統治職に就く人々﹂=已竜篭トS5もトe⊇ざ︶畏ぎさ美㌻ふヨき恩⁝昌琶㌔ と解釈さ れる︒
㈱ ﹁国家権力﹂あるいは﹁政府﹂﹁役所﹂︒とくに第三巻第二三幸の一二八三b二〇︑同三〇の文章︑また第四
巻第六章の一二九三aに︑同二一︑第四巻第一三幸の一二九七b一〇の箇所の解釈に﹁政府﹂と﹁役所﹂ の語
義を与えている︒ここで注目すべき事は︑ニューマンがとくに注記して︑アリストテレスの用語法として例外
的な文章とした第三巻笠二三章の文章人︽眉○り3亡へさヽ竜mぷてRや○冒⊇∩≒宅NO亡りm㌻き3亡司○ざ講ざ§○ヘー
応整合的な理解を可能とした︑という点である︒ の解釈を﹁その卓越的性向の故に政府の最高権力を要求する人々に対して﹂とすることによって︑文章上は一
開 法(49−3・4)700
従って︑アリストテレスにおいては︑この箇所では﹁ポリテウマ﹂ は︑ポリスの市民層であったとしても︑より
厳密には︑最高の権限の担い手でありうる市民層に限定されているように思われる︒事実︑この文章の直後に次の
ような主張が展開されている︒ 一六四
以上がルッペルによる文献学的方法による﹁ポリテウマ﹂ の語義の整理であるが︑そこから浮び上ってきた ﹁ポ
リテウマ﹂ のラディカル・センスは︑﹁ポリテウテスタイ﹂っ司○と記亡mq旨いごの名詞化としての語義︑すなわち﹁ポ
リスの政治に関わること︵もの︶﹂という意味である︒﹁ポリスに関わるもの﹂として︑それは︑政策︑政治的原則︑
政治的行為を意味する場合もあれば︑ポリスの政治の担い手=市民層を意味する場合もあり︑またポリスの政治に
関わる役職を意味する場合もあった︒またさらにヘレニズム期以降においては︑ポリス内における特定のエトニッ
シュな集団の︑一定の自立的な市民団体を意味する場合もあった︒
しかしながら︑このような﹁ポリテウマ﹂ の使用法の変遷の中でも︑アリストテレスのそれは︑政治学的な文脈
において︑とりわけ重要な意味を付加されたものであったといえよう︒と︿に﹁ポリテウマ﹂ の意義が﹁最高の政
治的権限﹂=kぢト○へ二﹁クリオス﹂︶ との関係において論じられていることが重要であるい アリストテレスの﹁ポリ
テウマ﹂ が多︿の場合︑﹁完全市民層﹂ の意味に用いられているのは︑﹁完全市民層﹂ のみがポリスにおける最高の
権限を有する主体であったからである︒そこからさらにより具体的に﹁政府﹂とか﹁統治職﹂﹁役所﹂の意味が加わ
っていったと考︑ろられる︒
実際︑アリストテレスは︑前に紹介したように︑﹃政治学﹄ において︑﹁ポリテウマ﹂を︑まずなによりも﹁ポリ
スの最高の権限を有するもの﹂=﹁クリオス﹂ と規定している︒
﹁実際︑どこにおいてもポリテウマは︑ポリスの︵ポリスを統治する−筆者︶最高の権限を有するものである︒﹂
:と︑⁝で言﹁\hご∴︑ざしりこ・rこ︑てl∴㌣ヨ︑︑ごr=ヾミ rキリごごし−∴ こ∵二二=l
701アリストテレス政治学の基本用語「ポリテウマ」について
﹁ポリテウマこそポリティアである︒私が言おうとしているのは︑まさに以下のようなことである︒たとえば︑ デーモス 民主制においては︑民衆こそが最高の権限を有する着であり︑寡頭制においては︑逆に少数の者が最高の権限を
有する者である︒﹂
リ︑︑lご=盲㍉恒q≡・キヨー︑l︑りへ㌻二こ︶︑ミ㍉=㌻︻∴﹁.亡㌻コこ∵ぎミ属官1㌻杢∵㌃・︑J:∵︑⁚ざ苧∵=∵﹁㌣lご︑ミ ︻
ぺ○㌻qヾぺい○亡㌢ぺ和トり㌻トヾきじ已Sり︒︵ibid.し
ここでは︑﹁最高の権限を有する﹂市民=完全市民の数は︑民主制では多数であり︑寡頭制では少数であるから︑
﹁ポリテウマ﹂ の規模もその国家制度=ポリティアによって伸縮変化するものと把︑ろられているように思われる︒
事実︑﹁ポリテウマ﹂を︑﹁最高の権限を有する者﹂▲▲六名ト○へ二=﹁クリオス﹂︶との関連で把えようとするこうし
た視点は︑﹃政治学﹄ の他の箇所においても多く見られるところである︒
第三巻第七章の一二七九a二六の文章を再確認することとしよう︒
﹁ポリティアとポリテウマとは同じことを意味しており︑ポリテウマはポリスを統治する最高の権限を持って
㌻い︶︑ミ㍉㌢ミ且悍いこ−廿ご・こ予.・三三・ユ:∴・∵ヲ亡こ†ぎこ∵亡㌻\こ丁子−㌻︑lこ︑ここて∵﹁こ︑こ︸手∴
芋二言・ン︻・ヨでミ︑盲︻・ざしモー︑ヨ∴こ㌻こ∵亡㌻㌧ミ︑ヤ﹂キミ︑ぎ三へ㌻エコ∵き︑ごヨこ∵リン∵㌫きこ1リンこ;こ・
鳶⊇即㌢㌣﹁杖↓eて㌻いヾe亡鳶⊇や 已昔○亡り司竜mもか語トり︒
一穴五 いのであるから︑この一人か少数者か多数者が︑社会共通の利益をめぎして統治するならば︑その時それらのポ リティアは正しいものであるにちがいないし しかし一人のあるいは少数者の︑あるいは多数者の私的利益をめぎ して統治するならば︑それらのポリティアは逸脱したものとなる他ない︒﹂
′/\ ︑︑㌻ ㍉〜ヨ・︑ご↓トニー.亡㌻ぎヘ リ・︑lニケ壱ミ9盲■∵l・ケヘ コ一丁■ご∴り=︑l〜り=⁚旨 ㍉;コ り∵Lヾし︑三∴ミー・ヨごヘミ﹁. いるもの ︵=﹁クリオス﹂︶ であり︑しかも最高の権限を有するものは︑一人か少数の者か多数の省かである他な
開 法(493・4)702
㌻・トニ尽ここ∴.
この文章は︑寡頭制の第一の刑エを論じている箇所であり︑そこでは︑市民権に関与できる者が比較的多数である
ため︑政治の安定のために法律がクリオスでなければならない︑と述べている所であるが︑しかしその法の制走者
は︑寡頭制の国家体制に関与しうる完全市民の総体であるから︑ある意味では︑その完全市民体としてのポリテウ
マがクリオスであるといってもよいであろう︒
こうして︑アリストテレスの ﹁ポリテウマ﹂ の語義のラディカル・センスは︑﹁ポリティエスタイ﹂ の名詞化され
たものに加えて︑﹁クリオス﹂の語義を包含したもの︑と措定してもよいと思われる︒従って︑日本語による訳語を
当てるとすれば﹁市民的統治体﹂ないしは︑単に﹁統治体﹂という言葉がさしあたり妥当な訳語として考︑ろられる
であろう︒そして主要にはアリストテレスにおいては︑この ﹁市民﹂ は﹁完全市民﹂を意味したが︑時には︑潜在
的な市民をも内包する文脈で使用されることもあった ︵第二章③の例︶ と思われる︒ こうした理解は︑第三巻第十三章の一二八三b・二二−三一の文章に対して︑最近のドイツ語訳者︑ンユトルンプに おいても採用されていることは︑本稿第二章ですでに指摘しておいたところである︒
さらに第四巻第六章の叫二九三a十人−二四の文章も︑﹁ポリテウマ﹂を﹁クリオス﹂との関連において群解すべ
き箇所である︒
﹁ポリテウマに関わる人々が多数であるために︑人間ではなくて法がクリオスにならねばならない︒﹂
:■㌣ぃり㌣じ︑︑︑︑︑ミ∵㌻エリ﹁こミリ什︑r︑ござ一三l・り︑こごりへ÷トーりこ∵∵ト︶︑ミ\hぐりこi・・∵ご・︑すいぎlバ■二︑lいりご・−・︑い\ミニ・ ︼ ハ六
この箇所の ﹁ポリテウマ﹂に対して︑田中訳も︑ジョウェット=ロス説もラッカム訳も仏訳オボネ訳も︑﹁政府﹂
﹁国務遂行機関﹂ という訳語を与えて︑﹁最高の権限を持つ場﹂ という意味を表面に押し出している︒
703 アリストテレス政治学の基本用語「ポリテウマ」につし、て
E・パーカーがその翻訳書﹃アリストテレスの政治学﹄3屯き︑叫ざh鼠ゝ昇芝︑屯の中で︑﹁ポリテウマ﹂に相当
する訳語として︑ほぼ一貫して﹁シヴィク・ボディ﹂︵﹁市民体﹂︶を探り︑文脈に応じてその語に若十の修飾語を付
けたことはすでに先に紹介したところである︒
それでは︑意識的ともいえる︑この訳語の一貫性にはいかなる意味が込められているのであろうか︒
二ハ七 ところで︑ルッペルを始めとするアリストテレスの文献学的研究や︑欧米の﹃政治学﹄の翻訳者達の﹁ポリテウ マ﹂理解はほぼこのような把握の上に︑さらに文脈に応じて種々に訳しわけているのであるが︑ただ一人E・パー カーのみは︑﹁ポリテウマ﹂の訳語を︑ほぼ﹁シヴィク・ボディ﹂二ciまcbOdy︒︵﹁市民体﹂︶一つに統一している︒ それはいかなる理由にもとづ︿のであろうか︒
︵1︶ W.Ruppel∴一PO≡euヨa︒in乃計叫ミ馬琴00Nこ浩ごp.N霊u−Nこ︺?最良.
︵2︶ E.Lぎy.〇P.Cit.−
︵3︶ Ruppe−.〇P.Cit.も.N芦lsOCr.AreOp.貞∴声
︵4︶ 現行㌘石披書店版﹃プラトン全集﹄一三巻の諾律﹄の訳は︑この:憲司き道営ざ記藁ミ㌔を﹁政浩組織全体﹂と訳し ている︒しかしここは複数形であることを看過してはならない︒
7 6 5
D2コJOSth2n2S.二LOeb.︶︐○コtheChersOコeSe∴干コ.Ruppe︼一〇p.Cit二P.N芦
Ruppe︼一〇p.Cit.もーN↓?N謡.
Ruppeq.〇p.Cit.−p一Nヨ・N笠.
四 E・パーカーの訳語の意義
同 法(493・4)704
一六八
この文脈において注目すべきはE・バ〜カ1の翻訳書の中に収められている彼独自のフィロロギカルなギリシャ
語解釈を含む序言的部分であるり そこでパーカーは︑﹁クリオス﹂︹ゞぢト○へ︼のラディカル・センスを﹁確認・承認﹂ 1 打○コfirヨatiOコ︒﹁承認・批准﹂︵イatificatiOコ︒﹁効力・正当性 ︵くaHdity︶ を与える一般的措置﹂と措定する︒その上
でパーカーは︑アリストテレスにおいては︑﹁クリオス﹂の核心は︑ポリスにおける﹁評議休﹂一一⊇曾亡訂亡か罵言㌔
の中に求められる︑というのである︒確かにアリストテレスは ﹃政治学﹄ 第四巻第十川章の終りで︑
﹁国家体制の評議的部分︑すなわちクリオスなるものについて﹂ ︵−N芸a﹂︶
りミご︑ご⁚︑㌻リ︑l・︑∑⊥≒︑︑ミ†三・ミニ・こ︼・恒−︑訂︸ リ\﹁り︑︑l︑ミl∴:
と言い︑また第十五章の冒頭で︑ポリスの政治に関する最重要な事務の最高の決定権を有するものは︑ポリスに
おける評議的部分である︒と言っている︒
﹁評議的部分は︑戦争︑平和︑軍事同盟の締結と破棄に関して︑また法に関して︑また死刑︑追放︑財産没収
に関して︑また統治職の選出︑お七びその執務報告審杏に関して︑最高の権限を持っている︒﹂ ︵︼N芸a.︺ご
︑ナヘミミ−︑∵こ†︸ユこ.ざェ=・︑いモー三∴ミ〜り︑︑lこ三−ぎ∵けぐキべ.ぎL9至言︑ペ㌻﹂ぎ∵訂こ・q㌻︑∵ミ︸りご︑
−−︑ざ.こ.ぎ︸り;︶︑︑≒︵㌻こ・ぎ∵号三∵ト㌻ぎざ・qご.︑・.ざこ り;:ざペ:1−ぐ;:︑・ミ︑ごーー㌻︑さこー㍉
さらにアリストテレスは︑この ﹁評議的部分に︑すべての市民が与かり︑最高の権限を有することに関与する国
家体制﹂を民主制的なものとし︑﹁ある特定の︑限られた人々がすべてのことについて評議する国家体制﹂を寡頭制
的としている︒
﹁市民のすべてが︑すべてのことについて評議し決定権を持つのが︑民主制的である︒﹂ ︵−N諾a﹂吏
′′ ′︵ 乱七シ:註:臥S虐∵⁝∵ぷ急か営喜ざてきちさ丈㌻
﹁ある特定の人々が凡てのことについて評議し決定するのが︑寡頭制的である︒﹂ ︵−N諾a∴芸︶
705 アリストテレス政治学の基本用語「ポリテウマ」について
: り㌣■㌫⁚±−ト.∵ぷミ ㌢−−コ≒−ごこ︑三︑︑ぺi︑いー∴.
いずれにしても︑市民が参加する評議的部分が︑﹁クリオス﹂なるものであるとすれば︑﹁市民体﹂こそが﹁クリ
オス﹂であるとする理解も十分に可能であろう︒もしそうであれば︑﹁ポリテウマ﹂は﹁クリオス﹂であるとするア
リストテレスの文章から︑﹁ポリテウマ﹂は﹁市民体﹂である︑とする理解を引き出すこともできるはずである︒パ
ーカーのアリストテレスはおよそ以上のようなアリストテレス理解の上に立っていると思われる︒
パーカーが﹁ポリテウマ﹂の訳語に﹁役所﹂﹁役人﹂﹁政府﹂﹁最高の権力保持者﹂の訳を採らず︑ほぼ一貫して﹁市
民休﹂︑ないし﹁主権的市民体﹂︵一り○くゎreignciまcbOdyミ﹁市民体総体﹂︻オhO−eciくicbOdy︒㍉geコera−bOdyOfcitiNenS︒
の訳語を与えた背景には︑このようなパーカーのアリストテレス理解が構わっているように思われる︒
さらに翻って︑パーカーのアリストテレス研究の基本視角に光をあててみるならば︑パーカーは︑アリストテレ
ス政治思想の普遍的意義をその﹁コンステイテユーショナリズム﹂一.COコStitutiOna−isヨ︒の巾に見い出しているり そ
の﹁コンステイテユーショナリズム﹂の核心は︑﹁市民体﹂によって形成された国家︑および︑市民休によって作成
された法の主権性に置かれているウニのような政治思想は︑パーカーによれば︑アリストテレスからトマス・アキ
ナスに流れ込み︑トマスからリチャード・フーカーへと流れ︑この7−カーからロックへと伝︑えられた︑いわばホ
てU イリグ的政治思想であった︒もしパーカーのアリストテレス研究の基本視角がこのようなものであるとすれば︑パ
ーカーが﹁ポリテウマ﹂ の訳語に﹁市民体﹂ の語を一貫して採用したことの中にパーカーのアリストテレス像の明
確な思想的位相を読み取ることもあながち不当ではなかろう︒
しかしながら︑問題は残されている︒アリストテレスにおける﹁クリオス﹂ のラディカル■センスを︑パーカー
の示した﹁評議における最高決定∴是認﹂と理解してよいのであろうか︒﹁クリオス﹂を単独支配者の中にも見てい
ることは︑今までに紹介してきたアリストテレスの文章︑およぴ︑シュトルンプをはじめとするこれまでのアリス
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