3 体の動き 環境を変えてみる 慣れている人は 心が静まっていない時に ものの考え方を変えることだけで 心を静めることができます しかし こうした精神的な方法ではなかなかできない場合は 体の動き 環境を変える方法があります というのは 人の心 思考と 体と環境は連動しているからです これが仏教 密教

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第5章 心を静める

1 心を静めた上で考える:堂々巡りの悩みの突破口

仏教では、「心が静まっていてこそ、物事を正しく見ることができる」と説きます。わ かりやすく言えば、何かの物事を正しく見るには、いったん心を静めた後に、それについ て考える方がいいということです。 これは、言われてみれば当然のことですが、実際に、そうしているかというと、現代生 活のあわただしい流れの中で、なかなかできていないと思います。 しかし、無数の情報・刺激に流される形で生きているだけでは、本当に重要なこと、本 当にしたいことがわからないまま、時間だけが経過していく人生になりかねません。時々 は、心を静める一時を持って、ものを考えることは、より正しく生きるために、非常に有 益だと思います。 また、何か悩み事がある場合は、いろいろ考えているようで、単に思考が堂々巡りして いる場合もあります。そうした時こそ、いったん心を静めてリセットした上で、その後で 考えた方が、物事をより正しく見ることができたり、インスピレーションが湧いたりと、 うまくいく場合が多いと思います。 こうして、心を静めることは、多くの利益があります。

2 どうすればリセットできるか

仏教で「心を静める」と言えば、基本的に、煩悩・とらわれを捨てて、心を静めること を言います。それは、通常、瞑想を含めた各種の仏道修行を含みますが、ここでは、普通 の人でもできる簡単なことで、心が静まる方法を解説します。 なお、ある程度、気分転換のうまい人は、悩んだり考えたりしてもしょうがないときに、 それをやめて気分を変える、リセットするということがあるかもしれません。これからお 話しすることは、意識的にかつ最も効果的・効率的に、それを行うことと言ってもいいか もしれません。 逆に、気分転換をせず、常に、堂々巡りの否定的な思考をずっと続けている人は、不安 や鬱症状も強くなると思います。それが高じて不安神経症や強迫観念症になると、投薬に よって否定的な思考を和らげることになりますが、ぼーっとして、健全な思考も同時に弱 めてしまうことになります。 そして、リセットする技法は、簡単なものから高度なものまであり、こうでなければな らないというものはないと思いますが、いくつか例を挙げたいと思います。

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3 体の動き・環境を変えてみる

慣れている人は、心が静まっていない時に、ものの考え方を変えることだけで、心を静 めることができます。しかし、こうした精神的な方法ではなかなかできない場合は、体の 動き・環境を変える方法があります。 というのは、人の心・思考と、体と環境は連動しているからです。これが仏教・密教・ ヨーガ・仙道などに共通した東洋思想の哲学の中心にあります。また、最近は、心身医学・ 心療内科など、西洋発祥の現代医学の中でも、心と体の関係が認められてきました。 実際に、体に関する言葉で、心を意味する言葉があります。例えば、「姿勢を正す」、「息 が合う」などです。ヨーガでも、体の姿勢や呼吸が、心と深く連動していると考えます。 その結果、ヨーガの体操や呼吸法があります。 ヨーガの体操はアーサナと呼ばれ、実は、きちんとした姿勢で座法を組んで瞑想できる ようにすることがその目的の一つで、体位法と訳されます。ヨーガの呼吸法は、プラーナ ーヤーマと呼ばれ、これは、呼吸によって目に見えないエネルギー(プラーナ・気)をコ ントロールするためのもので、調気法と訳されます。

4 気という思想に関して

この目に見えないエネルギーである「気」は、東洋思想に広がる概念で、心と体の双方 に関係があります。よって、心=気持ちと同じ気という文字を使い、また、気の状態が悪 くなると、体が病気になると考えるので、病気にも同じ気という文字を使ったと私は考え ています。 「気」なんか本当にあるのだろうか、と思われる方もいるかもしれません。たしかに、 現代の西洋の科学では証明されていません。しかし、仙道・気功・中国医学で「気」と呼 ばれるものは、チベット仏教での「風(ルン)」、ヨーガでのプラーナ(その親玉がクンダ リーニ)に相当し、名前・言葉は異なっても、東洋思想全体に広がっている概念です。 そして、気の流れが停滞せず、スムーズでしっかりしていると、気持ちも落ち着いて、 心が安定します。そして同時に、病気にもなりにくいとされています。 逆に、気の流れが悪いと、心の執着・とらわれや、その裏側の不安・嫌悪が増大します。 そして、同時に、病気につながるとされています。「病気」という漢字は、「病は気から」 という意味ではなく、気の流れが悪いことを、病んだ気の状態と見なしていることに由来 していると私は解釈しています。 こうして、「気」のエネルギーは、心の「気持ち」と、体の「病気」に関係するとされ ているのです。すなわち、心と気と体という三者の概念があって、気は、心と体の双方と 連動し、両者を結び付けているとも解釈できます。気という漢字の使われ方がそれを示し

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7 ていますね。 そして、中国医学では、気の流れる道筋として経絡け い ら く、その交差点としての経け い穴け つ(いわゆ るツボ)などが説かれており、この辺は、皆さんにもなじみがあるかもしれません。鍼灸 師・指圧師は、この概念に基づいて、治療行為を行っています。この鍼灸・指圧は、ツボ への加温や物理的な刺激が、気の流れを改善するという思想ですね。 これらの仕組みは、現代の科学では証明されていません。しかし、実際に、経験的に多 くの人が効果を感じるので(例えば痛みが和らぐなど)、単なる伝統文化ではなく、正式 な治療行為として、国家資格や保健医療の対象として認められています。いわゆる、経験 科学的なものです。 しかし、現在の医療行為の中には、鍼灸指圧に限らず、西洋発祥の治療行為の中にも、 なぜ効果があるのかという科学的な因果関係が証明できないものが、非常に多くあります。 例えば、鬱病の薬なども、多くの試験によって統計的に効果が確認されていても、因果関 係は十分に説明できないものです。 なお、最近は、トランスパーソナル心理学会などで、大学の研究者が、気の科学的な説 明を試みてもいるようですが(気が磁気ポテンシャルに関係するのではないかという仮説 など)、まだ仮説の段階で、確立はされていません。 なお、鍼灸に限らず、一定の熱が気の流れをよくするという考え方は、仏教(密教)・ ヨーガ・仙道にも通じる考え方です。よって、瞑想等の修行によって特殊な内熱を生じさ せ、気道を浄化する修行もあります。また、保息を伴う呼吸法なども、心拍数・血流を増 大させ、体を温めます。日本仏教の伝統の中には温泉の入浴がありますが、これも気の流 れを改善する効果があると思います。 また、気は、内気と外気があるとされます。体の中の気が内気。外界の気が外気です。 当然、この二つは別のものではなく、内気が外界に出て、外気が体内に入り、流出入があ ります。外気に関する中国の学問として風水があるのはご存じかと思います。

5 環境を変える

前置きが長くなりましたが、混乱した心を静める、リセットするステップとして、環境 を変えることがあります。例えば、部屋の換気をする。整理整頓をする。心が落ち着く音 楽をかけるなどです。 換気して酸素不足を解消する効果は、説明するまでもないと思います。取り入れた空気 は、体を巡って、頭の脳細胞に流出入しますから、精神にも影響を与えます。整理整頓も 気分をすっきりさせるには有効だと思いますが、加えて、中国の風水の理論では、外気を 整える基本かつ最良の方法だともいわれます。 さらに、専門的になると、心が落ち着く瞑想に良いものとして、チベットやブータンで 作られる瞑想香や、仏教の儀礼に用いられる聖音を奏でる法具があり、ひかりの輪では、

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8 これを活用しています。加えて、見ると気分が落ち着く自然の写真や仏画なども活用して います。 こうして、自宅・自室を清浄な状態に保つことは非常に利益があります。仏教の宗派の 中には、掃除を重視するものも少なくありません。その中には、瞑想する自室を道場と見 なして聖なる空間とすることが、第一の修行だと考える宗派もあります。

6 適度な運動をする

環境とともに、適度な運動は、気の流れを変えることを含め、心を整える準備となりま す。例えば、近くの公園など、自然の良い場所に出かけ、軽く汗をかくほどの散歩をする。 自然とそうなるかもしれませんが、大きく深い呼吸をするように意識し、良い空気を吸う。 適度な運動は、筋肉をほぐすとともに、うっ血を取り除き、血流を増大させ、体を温め ます。加温とともに血流の増大は、気の流れを改善するとされています。さらに深く大き な呼吸は、ヨーガの呼吸法と同様に、気の流れを改善するといわれています。同時に、新 鮮な空気を脳に送り込み、すっきりさせます。 偉人の話でも、歩きながら思索する人がいますね。頭の働きが良くなるからでしょう。 また仏教では、歩行禅といって、歩きながら行う瞑想があります(ひかりの輪では、歩行 瞑想と呼ぶ場合もあります)。大きく深い呼吸をしながら、おしゃべりをせず、雑念を抑 えて、集中して歩くものです。 近くの公園・自然でもいいのですが、特段に心が静まる場所が、昔から、いわゆる「聖 地」といわれてきました。なお、私がいう聖地は、昨今のスピリチュアルブームでいわれ る「パワースポット」とはちょっと概念が違うかもしれません。 パワーをもらえるのがパワースポットならば、心の浄められる場所は、「ホーリースポ ット」と呼べばいいでしょうか。気のエネルギーが強いところがパワースポットならば、 それに加え、清らかで心が静まるところがホーリースポットです。 この観点から、ひかりの輪では、定期的に、純粋な自然や聖地を巡るプログラムを実行 しています。その中には、伝統的に保護された聖山への登拝と う は いや、温泉の入浴などが含まれ ています。 登山は自然と良い運動になり、呼吸も深くなります。自然と登ることに集中するので、 不必要な思考・雑念も自ずと静まる傾向にあります。聖山とされる所は、環境も清浄にな るよう保護されている場合が多く、さらに良いと思います。

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7 温泉、入浴の効果

日本仏教の一部において、昔は、温泉は聖地と見なされました。草津温泉など、仏教の 高僧が発見した温泉が数多くあります。入ると不思議と体の調子が良くなるからでしょう か。温泉入浴が本格的に大衆化したのは江戸時代からだとされます。 温泉でなくとも、適度な入浴は、血流を増大させ、体を温め、気の流れを改善します。 気分転換にもなると思います。シャワーも良いですが、湯船につかる方が、効果は高いと 思います。一時は首まで十分につかるのもよいと思います。 また、入浴で体が柔らかくなりますから、同時に体の各部をいろいろとほぐすとよいで しょう。関節が硬くなっていると、そこで気の流れが滞りやすくなります。また、筋肉で 硬くなっている所、違和感を覚える所をマッサージするのもよいと思います。また、胸が 何やらモヤモヤしているならば、そこをマッサージするのもよいと思います。 なお、これらの体の各部のほぐしやマッサージは、入浴と関係なく、体の状態を変える ことを通して、心を整えることに役立ちます。これはヨーガの体操や気功にも共通する要 素です。

8 ヨーガの体操・気功:単なる体操ではなく

ヨーガの体操や気功は、単に体の各部をほぐす体操ではなく、深い呼吸と組み合わされ ているのが特徴です。 さらに、ヨーガの体操は、体のねじり、前屈、そらしの三つの要素を組み合わせており、 体のゆがみを正す効果があります。これは、瞑想のために座法を組んだときの姿勢を整え ることにつながります。 体操に加えて呼吸法があります。外気を取り入れ、さらに体内の気の流れをスムーズに する効果があります。各種の呼吸法があり、簡単な瞑想をともに行う場合もあります。保 息(息を止める)を伴う呼吸法もあり、集中力を高め、外気を取り入れ、体を温める効果 もあります。 気功は、体の動きとともに、気の流れをイメージして行われます。よって、これは、体 操、呼吸法、瞑想が組み合わされたものです。そこで、ひかりの輪は、定期的に、ヨーガ や気功の指導をしています。

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9 気分転換、別のものに集中する

心を静める・リセットするために、気の流れを整えることを含めて、環境や体からのア プローチについてお話ししてきましたが、これは、気分転換の要素を含んでいるとも解釈 できます。 何かに悩んでいるときは、思考が堂々巡りになっているので、いったんそのことについ て考えることをやめ、別の事柄に意識を向けるのです。ストレスの解消がうまい人は、気 分転換がうまいのではないかと思います。 逆に不安神経症や鬱病になる人は、気分転換が苦手で、堂々巡りであるにもかかわらず、 ずっと同じことを悩み、考えていること(=非建設的な思考)が多いのではないでしょう か。そのため、内面でエネルギーを消耗し、疲労してしまうようです。 気分転換の基本は、人は同時に二つのことに集中することはできないという特性を活用 することだと思います。よって、部屋の環境を変える、外出して運動をする、入浴をする、 体操をするといったことに集中できれば、同時に気分転換になります。 しかし、あまり慣れておらず、悩みのために、そうしたこともしにくいときは、何か自 分が好きなことに集中することで、悩んでいることをいったん忘れるようにすることが考 えられます。そして、それに疲れてきたら、その後は眠ることもよいかもしれません。こ うして、心身のエネルギーの消耗を防いで、それが回復したところで、また考えるという ことです。 なお、好きなことに集中する時に、その好きなものが、心を安らがせる、開放するよう なものだと、最善です。逆に、自分の欲求・執着を刺激・増大させるものだと、その瞬間 は悩みごとから離れられるものの、長期的には心を不安定にする面もありますので、リセ ットのために集中するものは、できれば選んだ方がよいと思います。

10 心の好循環と悪循環

また、いったん心を静めてから、その上で考える方がよい、ということが体験的にわか ってくると、心を静めるために、いろいろなことをする必要はなくなります。 過去の体験から、意思の力、精神力によって、非常にわずかな時間で、心を静めること ができます。すなわち、このプロセスの体験を繰り返し、確信を持ち、ほとんど自動化で きる状態です。 仏教では、心が静まると、物事をありのままに見ることができると説きます。これは、 有名な「止観」という教義です。「止」と「観」とは、「心が止まると、物事を正確に観る ことができる」という意味です。そして、この止観のプロセスは、好循環を呼びます。 心を静めて、正しく物事を見ることができると、さらに心が静まります。なぜならば、

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11 正しく物事を見ることは、心を不安定にさせる過剰な貪り、執着、不安、恐怖、怒り、憎 しみ、妬み、卑屈、慢心、怠惰といった、様々な否定的な感情を和らげる効果を持つから です。 これは、先の執着・貪り・欲望が多いほど不安が大きくなるというお話と同じことです。 これは、仏教の悟りの修行の最も基本的な思想です。悟りとは、究極の心の安定であり、 様々な欲望・煩悩が静まった、静寂で平安な境地(涅槃)のことです。 そして、釈尊の初めての説法である「八正道」という教えは、悟りに至るための八つの 正しい修行課題を説いたものですが、その一つ目が、「正見」(正しく見る、正しい見解) であり、最後の八つ目が「正定」(正しい禅定=深い心の安定状態)なのです。 こうして、心が静まらないと正しく物事を見ることができず、そのために、さらに心が 静まらないという悪循環に至り、心が静まれば正しく物事を見ることができ、そのために、 さらに心が静まるという好循環に至るということになります。 よって、悪循環に陥っている人は、何らかの方法で、この循環を断ち切る必要があると いうことになります。

11 心理学と仏教の共通点:正しいものの見方が心の安定につながる

さて、物事を正しく見ることで、心が安定するというお話をしました。これは、不安・ 恐怖に限らず、鬱的な症状の場合にも、有効な考え方です。 例えば、鬱病の治療やストレスの解消のために有効とされているのが、認知療法です。 これは、鬱症状の原因として、その人のものの見方・考え方(=認知のあり方)が、極端 (に否定的)で、バランスが取れていないことであるとします。 これは、その人の否定的な感情は、その人の(習慣的になった)否定的な認知のあり方 (ものの見方・考え方)によると考えているのです。 もしかすると、皆さんの中には、「感情は、ものの見方・考え方・思考とは無関係に生 じるもので、コントロールしようがない」と考えている人がいらっしゃるかもしれません。 しかし、心理学・心理療法の分野で、緻密に人の感情と思考の関係を観察すれば、その 感情を導き出しているものの見方・考え方があり、それを変えることで、感情を変えるこ とができるという見解があるのです。よって、認知を改善することで、鬱症状も軽減・解 消すると考えているのです。 これは、釈尊が説いた最も基本的な悟りの思想と合致します。釈尊は、悟り=心の安定 のための第一歩は、物事を正しく見て、正しく考えることだとしました。 専門用語を使って説明すると、釈尊が初めて行った説法で説かれた悟りの道を「八正道」 と言います。これは、悟りのための八つの修行実践のことであり、その第一が「正見」(正 しく見る、正しい見解を持つ)、第二が「正思惟」(正しく考える)です。そして、その結 果、八つ目の「正定」(正しい禅定=サマディ=深い集中・心の安定した状態)なのです。

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12 そして、不安を取り除くために、その原因を論理的に考え、例えば、その不安に根拠が ないことを認識したり、なすべきことを後回しにしてきた結果の不安であるなどと認識し たりすることで、不安が解消するというお話をしました。これらも、ポイントは、(不安 の原因を)正しく見ることです。これに加えて、正しく見る(観る)前には、心を静める とよいというお話をしました。 こうして、認知療法と、仏教思想の双方が、心の安定のエッセンスとして、ものの見方・ 考え方と、感情・心の状態が連動しており、前者を改善することで後者が改善されると考 えていることがわかります。

12 もう一つの共通点:思考は自分の本質ではない

次に、もう一つ、この両者が共有する心の安定のエッセンスがあります。これは、さら に重要で、仏教の心の安定=悟りの思想の究極の奥義ともいうべきものです。 認知療法による治療から生まれた見解として、認知療法で鬱症状が緩和する原因が、患 者が自分のものの見方を修正するからというよりも、より本質的には、患者が、 「自分の思考というものは、本当の自分のものではない」 と気づくからだ、というものがあるのです。 認知療法では、それまでは、正真正銘自分自身だと思い込んでいた自分の否定的な習慣 的思考と、それと連動する否定的な感情について考察して、それを修正していきます。そ れが、そのうちに、「自分の思考というもの自体が、本当の自分のものではない」と認識 することになるということです。 そして、これは、釈尊が説いた無我という教えと非常によく似ています。釈尊は、本当 の自分ではないものを「本当の自分のものだ」と思い込んで執着することによって、人は 苦しんでいると考えました。これは、釈尊の哲学の中心を占めるものです。 これを無我(アナートマン)の思想といいます(「アートマン」が「我」で、その否定 形が「アナートマン」)。そして、普通の人には、自分そのものになっている自分の思考や 感情などについて、「私ではない」、「私のものではない」、「私の本質ではない」と繰り返 し考える瞑想を説きました。 たとえて言えば、思考とは、空に立ち現れては、時とともに消え去っていく雲のような ものであり、空が本当の自分とでも言えばよいでしょうか。

13 無我と真我の思想

では、仏教では、何が本当の私(我)というのでしょうか。実は、仏教の一般教義では、

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13 本当の私などは、どこにも存在しないと規定します。 一方、仏教と兄弟のようなヒンドゥー教・ヨーガでは、本当の私=「真我」と呼んで、 存在するとします。真我は、死んでも続く、永久不変のもので、厳密に言えば、霊魂と違 いますが、似ています。この真我は、いわば解脱して体得する境地であり、通常の思考・ 感情は含みません。 なお、認知療法の中で、マインドフルネス認知療法といわれるものは、自分の思考を客 観的に観察する「超自分」ともいうべき「メタ認知」を養う訓練をします。このメタ認知 は、ヨーガの真我の概念と似ているかもしれません。というのは、自分の心に対して一定 の距離を置いて観察している意識が、真我という考えをする人もいるからです(これはヨ ーガ理論の定説ではありませんので、その点はご注意ください)。 また、仏教では、本当の私・真我は説きませんが、煩悩を滅した悟りの境地「涅槃」を 説き、これも、否定的な思考や感情が滅した、静かで平安な心の状態です。よって、これ が、ヨーガが説く真我と同じことだと解釈する人もいます。私もだいたいそうです。 こうして、普通は、自分自身だと思い込んで執着している「自分の思考や感情」に対し て、本当の自分とは思わない心境になって、一歩距離を置いて冷静に見ることが、認知療 法と仏教思想に共通する、心の安定の方法になっているのです。 さて、ここまでの話をまとめると、以下のようになります。 ( 1 ) 正しいバランスの取れたものの見方と、心の安定は関係がある。 逆に、偏った否定的なものの見方は、不安定をもたらす。 ( 2 ) 普段の我々は、自分のものの見方・考え方・思考と、感情の関係に あまり気づいていない。よって、まずこの関係に注意すること。 ( 3 ) 否定的なものの見方と感情が、習慣になっている場合がある。 よって、それを修正することが、心の安定につながる。 その中で、本当の自分と、思考や感情が別のものだと気づく。 ( 4 ) ただし、心が混乱していると、正しい見方に修正できないので、 いったん心を静める必要がある。心を静めると、正しく物事を 見やすくなる。そのために、いろいろな方法がある。

14 マインドフルネス瞑想:思考や感情は雲のように実体がない

さて、先ほども少し触れましたが、マインドフルネス瞑想についてお話ししたいと思い ます。これは、ストレスの解消や鬱病の治療のために、最近広まっているものです。

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14 そのエッセンスは、物事を(善悪の)価値判断をせずに意識する(気づいている)瞑想 をすることで、心を静め、物事を正しく観察することです。これを応用した認知療法を「マ インドフルネス認知療法」と呼びます。そして、これは、実は、初期仏教の経典にヒント を得たものなのです。 では、まず、言葉の定義を二つ。 一つ目は、「マインドフルネス瞑想」。マインドフルネスは、仏教の「念」(原語では「サ ティ」)という概念に由来しています。これは、何かの対象に対して、良し悪しの価値判 断をせずに意識する(気づいている)状態をいいます。その対象は、自分の体・動作・呼 吸・思考など様々です。 英語のマインドフルは、気を付ける、注意するという意味ですが、その名詞形のマイン ドフルネスが、「念」の訳に用いられるようになりました。 二つ目に、「メタ認知」。これは、自分の物事の見方・認知のあり方を観察しているもの であり、認知を認知するものなので、メタ認知といわれるのです(メタとは、より上位の、 という意味がある)。このメタ認知が、ヨーガが説く真我と近い概念だという解釈をする 人もいます。自分を冷静に見ている超自分とでもいうべきでしょうか。 次に、マインドフルネス瞑想を活用した心の安定に関して、その概略を解説します。 第一は、心を静めることです。止と観のところでお話ししたように、心を安定させるた めには、物事を正しく見る必要がありますが、物事を正しく見るためには、心を静める必 要があります。 そして、心を静めるために、自分の呼吸の出し入れや歩行の動作などに、マインドフル ネス瞑想を行います。すなわち、例えば、吸う息、出す息に対して、良し悪しの価値判断 をせずに、意識します。 このやり方の詳細は、ひかりの輪のマインドフルネス瞑想(認知療法)のテキストに譲 りますが、この訓練を繰り返していると、だんだん不必要な思考・雑念が減少して、心が 静まってきます。 要するに、あれこれと、あることもないことも含め、いろいろと思いを巡らし、不安な どの感情が生じる私たちの通常の思考を離れて、呼吸の出し入れなどの単純な事実・現実 に、意識を集中させるのです。その結果、思考が減少し、心が静まります。 第二は、心が静まった段階で、自分の思考や感情といった心の働きに対して、マインド フルネス瞑想を行います。 具体的にはどういうことかというと、湧いては消えていく思考や感情に対して、それに 善悪の価値判断をせずに、単に意識するだけにします。ここでのポイントは、思考や感情 に巻き込まれずに、それから一歩距離を置いて、それを意識するだけに努めるのです。 すると、思考や感情が、絶えず湧いては消えていくもの、絶えず変化し、実体がないも のだと考えられるようになります。空に湧いては消えていく雲のように。 実際に、どんな苦しみの感情も、喜びの感情も、時間とともに、和らいだり、消えたり します。ずっと同じ状態で続くことはありません。こうして、思考や感情の無常性を理解 していきます。

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15 そうすると、前に述べたように、自分の思考と感情が、「本当の自分ではない」と感じ るようになります。思考や感情が「雲」であれば、自分は「空」とたとえてもいいでしょ うか。その結果として、思考や感情の直接的な影響を受けにくくなります。 そして、この状態になると、当然のことですが、鬱症状や被害妄想的な不安や恐怖の原 因となっている、極端に否定的なものの見方などの影響からも、より自由になることがで きます。

15 仏教哲学に基づいた心を静める瞑想

マインドフルネス瞑想に加え、もう一つ、仏教思想などが説く普遍的な道理に基づいた、 物事に対する正しく深い見方・ものの考え方を瞑想することがあります。これは無思考で はなく、思索する瞑想です。 これは抽象的な瞑想ではなく、普遍的な道理を自分の問題に当てはめて瞑想し、自分の ものの見方・心の状態を変えていくものです。 ひかりの輪では、仏教思想にも通じる普遍的な道理を「輪の思想」と表現しなおして、 現代の人たちにわかりやすくしています。そして、それに基づく簡単な瞑想法を提唱して います。 これは、様々な精神不安定を構造的にもたらしている現代社会の思考の歪みを総合的に 緩和・解消しようとする新しい思想の創造の試みです。 以上の二つの瞑想法は、結果としては、同じ効果をもたらしますが、それぞれに長所と 短所があります。また個々人の向き不向きもあると思います。この点については、また機 会を改めたいと思います。

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