小 野 梓 の 経 済 思 想
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(2) 早法五七巻三号︵一九八二︶. 一五八. ところで︑近代国家体制の構築をめぐって明治政府に批判的であった小野の思想を総体的に把握する場合︑法思想. とともに他の思想的側面︑とくに近代日本の法体制の形成過程にたいする批判との関連で展開されている経済論・財. 政政策論について留意することが必要である︒しかし︑これまでの小野梓研究においては法思想・政治思想に比して. 財政経済論の面での決定的ともいえる立遅れがみられる︒それは︑他の人物とも共通する︑自由民権思想研究の政治. 主義的傾向︑および小野の場合での法思想・政治思想の視角よりする研究傾向の反映であるとともに︑何よりもこれ ︵3︶ までの利用可能な財政経済関係の著作の少なさによっている︒. 一八七一︵明治四︶年二月︑小野は米国遊学の途に上り︑ついで翌年初め大蔵省の官費留学生として英国に赴いた. が︑そこでの主要な目的は理財ならびに銀行に関する取調べであった︒また小野の﹁留客斎日記﹂を通観しても︑財. 政経済に関する旺盛な著作活動を窺わせるのである︒しかし︑財政経済関係の著作については﹃共存雑誌﹄﹃東海経. 済新報﹄︑高田早苗編﹃東洋遺稿﹄下巻︵冨山房書店︑一八八七年六月︶︑および西村真次編﹃小野梓全集﹄上下巻 ︵冨山房︑一九三六年五月︶などに所収の僅かな点数が知られるに過ぎなかった︒. ところが︑早稲田大学百周年記念事業の一つとして刊行の﹃小野梓全集﹄の編纂過程において︑従来未発見の論稿. が発掘され︑未確定の論文が小野の筆作と確定された︒ことに﹃読頁新聞﹄紙上の﹁読売雑諦﹂欄所載の筆号および ︵4︶ 無署名の論説が小野の筆作と確定されたことによって︑財政経済関係の著作に多数追加されることになった︒ ︵5︶ 本稿は︑小野の財政経済関係の著作の検討を通じて︑財政経済論の特質をさぐることを目的としている︒. ︵1︶ 現在︑早稲田大学では創立百周年記念として﹃小野梓全集﹄︵全五巻・別冊︶の編集・刊行がなされ︑第四巻まで刊行さ.
(3) れている︒小野梓の全集としては︑既に一九三六︵昭和一一︶年︑西村真次編﹃小野梓全集﹄全二巻が上梓されている︒し. かし︑この全集には主著﹃国憲汎論﹄が除かれており︑またその後四〇余年の問に多くの重要な論稿が発見・確認されるに. 至った︒新全集には︑これらの全著作は勿論のこと︑当時発行の新聞・雑誌を可能な限り渉猟し︑また各方面にわたって調. 自由民権派の経済論を扱ったものとして︑大石嘉一郎﹁松方財政と自由民権家の財政論﹂︵﹃商学論集﹄第三〇巻二号︶︑同. 巻︶がある︒. 小野の法思想のアウトライソを総体的に検討したものとして︑吉井蒼生夫﹁小野梓の法思想﹂︵﹃早稲田法学会誌﹄第二五. 査収集せる著作を断簡零墨に至るまで収録している︒ ︵2︶. ︵3︶. 済志林﹄第三九巻一・二号︶︑山田昭次﹁明治十年代前半期における日本資本主義体制の一構想﹂︵﹃日本歴史論究﹄︶︑同﹁立. ﹁﹃殖産興業﹄と﹃自由民権﹄の経済思想﹂︵長幸男他編﹃近代日本経済思想史﹄1︶︑江村栄一﹁自由民権派の経済論﹂︵﹃経. 憲改進党における対アジア意識と資本主義体制の構想﹂︵﹃史苑﹄第二五巻一号︶などがある︒. 小野梓経済関係著作. 23. 一五九. 阿部恒久﹁小野梓と﹃読売新聞﹄1﹁読売雑諄﹂欄所載の著作についてー﹂︵﹃早稲田大学史記要﹄第二一巻参照︒. 11. ︵4︶. ︵5︶. 7 511・ 8 93012 〜5 〜〜 ・・〜. 日本財政論 16. ︵財政論︶. 17 1931. 明. 17. 明明明. 14. 日本財政論第十五章︵断片︶ 会計年度論 読二十五年度歳計予算書一︵断片︶. 115. 1214. 与二会計検査院長一言ン事書. 貨幣の制度を論ず. 15. 明明. ︵紙幣制度改革・不況対策︶. 輸入減少之源因 小野梓の経済思想︵間宮︶. 1515.
(4) 早法五七巻三号︵一九八二︶. 不景気の歎. 商況論. 銀貨相場の乱高下と真面目の商売人 横浜の不景気. 政府は大に紙幣の制度を改革する積りなるべし. 不景気と府県会・区町村会との関係 紙幣 引 換 の 方 法 民間の惨状一に蚊に至る. 17 6. 不景気の原因を取調ぶるは容易ならず. 銀なる哉銀なる哉. 民間衰頽論. 水害と府県会・政府等の注意 銀貨交換の準備既に整ひたる乎 勧業三略. ︵殖産興業論︶. ・. 工芸の衰微. 26 2. ︵工 業︶. …. 28. 14111513. ︵外国貿易︶. 日本輸入税論. ・ 〜. 。. 4. ・. ・. 。. …. 。. …. 。. 106394 ・. 天冨之利用. 10765554433314 明 18. 6. 保護を請うの城声 経済新書巻之一︵断片︶ 論二外交一. 102391017816915101127 〜 〜. 3. 明明明明明明明明明明明明明 1818 18 18 18 18 1818 1818 18 1716 明 12 明明明明明 141412 8 15. 3. 一六〇.
(5) ︵商 業︶. 行︶. 商家の泣置︑商業の関係 商人の心得︑安値の解 掛買は決して外見に非らず 深川 の 騒 動 ︵銀. 富有の溜池︵銀行︶を壊敗すべき砂礫 銀行の株主と配当金. 才子事を敗り易し 代二鉄道会社発起人一請一一特許一書. ︵鉄道・道路・海軍・通信︶. 一 東山鉄道論. 一中山道鉄道公債の募集 鉄道 公 債 募 集 結 果 三島君と土工の興作. 論より証拠 日本海の海運をして再び外人の手に落ちしむこと勿れ. 郵便為替. 論二郵便一. 日本租税新論第一︵断片︶. ︵租 税︶. 絹布の税 所得税 小野梓の経済思想︵間宮︶. 5 5 8 29 29 25 7 5 8. 10 21. 1 20 15 6. 1011102117754. 18 18 24. 〜 〜. 23 11. 431. 1. 62125 732. 明明明明 18 18 17 17 明睨明明明明明明明 18 15 18 18 17 18 17 14 14. 明明明 17 18 11 明明明 18 16 18. 一六一.
(6) イ. 4. 1818. 6. 5. 早法五七巻三号︵一九八二︶. 制︶. 醤油税則・菓子税則の布告. 1230. 19922. 明明. 181818. 4. ︵法. 条例を読む. 専売特許条例. 論. 早く商業に係る裁判法を定むべし. 財政理念. 政. ことが窺われる︒そして︑そこに展開されている財政論は憲法論とも内容的に深くかかわっている︒. 六二. 旺機構の近代的整備・改革を想定したもので︑小野が明治国家体制の近代化によせる期待が並々ならぬものであった. に在り﹂と述べているように︑一八九〇︵明治二二︶年の国会開設後の国家財政の運営に対拠するために︑財政制度. ︵2︶. ところで︑﹁日本財政論﹂の執筆の意図は﹁抑も余の此書を著はす︑其意専らに国会開設後の用に供せんと欲する. によれば︑会計法のほか︑歳入出・租税・貨幣・国債・銀行の諸論よりなる体系的な財政論の構想が推知される︒. この著作においては︑予算・出納・決算に関する会計法のみが論述されるにとどまったが︑同書第二章冒頭の叙述. などがあるが︑ここでは主に﹁日本財政論﹂によって小野の財政思想の特質を検討する︒. ︵1︶. 小野梓の財政論の理論的分析を意図したものとしては﹁日本財政論﹂﹁日本財政論第十五章︹断片︺﹂﹁会計年度論﹂. 財. 5. 税. (二). 明明明. 菓子 電信.
(7) 小野は自己の憲法構想を集大成した﹃国憲汎論﹄において︑﹁政治の公開﹂について述べているが︑それは﹁諸般. の政事を公示して之を秘匿せざるを謂ひ︑夫の国会議事の公聴を允し法廷審理の傍聴を得せしむるより︑以て行政諸. 般の報告を公にし諸種の条約を示す等に至るまで︑皆な是れ政治を公開するの手にあらざる無く﹂﹁而してその公開. を要する所以のものは他なし︑政治は天下万衆の公事にして在官者数人の私事に非らざるを以てなり︒是を以て政府. 其為す所を公開し︑天下の公衆をして目これを見︑耳これを聞き︑心これを是非するを得せしむるは理の必然なるも ︵3︶ のにして勢の終に抗すべからざるものなり﹂として︑有司専制の政治支配に対する批判をこめて︑民主主義的政治理 念に基づくべきことを論じている︒. こうして政治の公開の原則を主張するとともに︑政治公開の一端として財政公開の至当性を論じ︑﹁邦国の会計は ︵4︶. 人民所納の租税を以て之を支弁するものにして︑人民は実に政府の銀主たれば︑政府勢ひ其会計の終結を示し以て収. 支の正額を示さざるを得ず﹂としている︒小野は人民の納税について﹁我々は妄りに租税の負担を厭ふものに非ら ︵5︶ ず︑筍にも国の為めとなれば斯身を粉に為すも猶ほ辞退せぬ覚悟なり﹂と述べているが︑他方政府に対しても財政. 決算の公開を義務づけている︒小野は財政公開に関する論議の展開において︑アメリカの政治思想家リーバー︵甲き・. o一ω=魯段︶の所説を引用しているごとく︑小野の財政理念は民主主義的政治思想に裏打ちされたものであった︒. ところで︑小野は﹁日本財政論﹂において欧米諸国の財政制度肪機構の比較検討を通じて︑わが国が準拠すべき財. 一六三. 政制度の原則を明確に提示し︑これに照準して維新以降﹁現行﹂に至る財政関係法規の批判的検討を試み︑来るべき 国会開設に向けて﹁将来の会計法﹂の在るべき姿を示した︒ 小野梓の経済思想︵間宮︶.
(8) 早法五七巻三号︵一九八二︶ ︸六四 ︵6︶ 小野は﹁会計法規の目的は︑適当に財賄を分配し厳重に之を監制するに存し﹂としているように︑財政運営におい. の所説を. てとくに重要視しているのは︑予算編成と会計検査に関してであった︒予算編成については︑﹁国会なきの国︑歳計 ︵7︶. の予算なし﹂という︑フランスの自由主義的財政学者ポール・ル・ワ鐸ボリュウ︵評良ピRミ由舞三一雲︶. 引用しつつ︑それを近代的財政制度の必須要件のひとつとしている︒そして︑予算編成にさいして︑その審議の前提. 条件として︑﹁立憲の国に在ては租税の徴収必らず先づ国民の肯諾を受くべきものにして︑所謂直接に間接に之を納 ︵8︶ るる者の肯諾を得るに非らざれば︑敢て其税を賦課すべからず﹂として人民の租税協議権を挙げ︑さらに﹁国土を治. 理するの権柄は挙げて之を行政の官職に帰すべからず︑叉徴租賦税の権力を以て之に帰すべからず︑若し之を以て之 ︵9︶ に帰するあらん乎︑公衆の自由是れより尽きなん﹂とし︑人民の租税協議権・予算審議権を自由論のうえから強調し ている︒. そして︑この予算の必行を督責するものとして会計検査院の権能を重視している︒小野によれば︑欧米各国におい. ては﹁予算を審査し及び之を決するの権は実に国会にあり︒我邦をして幸に国会のあるあらしめば︑其権は自から之. に帰し︑又た会計検査院の干預を要せざるべし︒然るに今や我邦未だ国会の設けあらず︒︵中略︶故に行政官以外に ︵10︶ 立て一種司法の資格を帯ぶる会計検査院をして其審査に従事せしめんと欲する耳﹂としている︒人民の予算審議権と. いう近代的財政制度の機能を具備する国会の開設以前の段階において︑とくに予算・決算の正当性の点検の権能を果 ︵11︶ たす会計検査院の存在が必要不可欠なものと認識されたのである︒. こうして︑小野は︑予算の調整者として﹁行政の官職﹂を︑予算の議定者として﹁議政の官職︵膳﹁民人の代議.
(9) 人﹂︶を︑そして予算の維持・必行の督責者として﹁一種の司法官﹂ ︵12︶ 政局の関渉﹂を経て始めて予算が正当性を獲得するとしている︒. 会計検査院をそれぞれ定置し︑これら﹁三大. こうして小野は欧米諸国の財政制度の検討を通じて形成され︑近代的政治理念に裏打ちされた自由主義的財政思想. を披澄するとともに︑これに基づいて明治政府の財政運営を批判し︑みづからの実践的提言を示したのである︒. 口 不況対策論−紙幣整理論. 明治一〇年代は西南戦争後のインフレーションと松方財政下の増税政策・緊縮政策によって︑激しい社会的・経済. 的変動にさらされた時期であった︒一八七六︵明治九︶年八月の国立銀行条例改正による国立銀行の増加は銀行紙幣. の発行高を急増させ︑一八七九︵明治二一︶年末の発行残高は総額三︑二〇〇万円余にのぼった︒政府紙幣も西南戦. 争によって二︑七〇〇万円が予備紙幣のうちから発行されたため︑一八七九︵明治一二︶年末の流通高は一億三︑九. 〇〇万円余となった︒この結果︑同年末の銀行紙幣を含めた紙幣の流通高は一億六︑五〇〇万円余にのぼった︒イン. フレーションは当初は地価の据置きと相侯って農民の租税負担を一時的に軽減したし︑また生糸︑綿糸︑織物などの. 製造工業にもそれなりの刺激を与えたのであるが︑それの深化は物価の暴騰︑通貨価値の不安定を激化し︑政府財政 の危機を深刻化した︒. しかし︑一八八一︵明治一四︶年以降︑松方財政によって本格化した紙幣整理は︑通貨の急激な収縮と国税・地方. 税の増徴によって︑物価の下落と国民の租税負担の増加によって社会的・経済的状況を一変させたのである︒. 一六五. このような明治一〇年代における経済的激動期のなかで︑とくに明治一四年政変にともなう退官以降︑小野は紙幣 小野梓の経 済 思 想 ︵ 間 宮 ︶.
(10) 早法五七巻三号︵一九八二︶ ︵13︶ 制度改革ならびに不況対策に関する論稿を精力的に執筆している︒. 一六六. これらのなかで︑小野は当面する社会的・経済的問題として︑外国貿易の衰退︑商人・農民・職人各階層の窮乏. 化︑地方産業の壊頽などを惹き起したデフレーション政策下の経済不況︑ならびにその原因と救治策を論述し︑紙幣. 制度の改革が経済不況を克服するための緊急な課題であることを強調した︒ ︵M︶ 小野の紙幣制度改革に関する最初の論稿は︑一八八二︵明治一五︶年五月の﹁貨幣の制度を論ず﹂である︒ここで︑. ﹁通用貨幣なるものは貿易を仲媒し価格を丈量するの器物にして︑天下の富財を生産し之を殖益し之を分配するの道. 途に於て甚だ切要なる動作を為す﹂ものとし︑商品流通において貨幣が交換手段・価値尺度として重要な意義をもつ. ことを述べるとともに︑﹁設ひ其国土理財の法規に依り紙幣を発行することあるも︑必らず金銀貨を基とせる制度に ︵15 ︶. 拠て準備金と発行紙幣額との間に就き必定不変の割合を立てざるを得ず﹂と﹁硬貨の主義﹂に基づく免換制度に依る ことを強調している︒. ところで︑この論稿での小野の貨幣認識は金属主義貨幣観に支えられているが︑﹁通貨の制は必らず硬貨の主義に. 拠らんことを翼ひ︑時勢と人情とを察し漸次不換紙幣を鎗却して威く之を金銀貨の通用と為す乎︑若くは不換紙幣に換 ︵16︶ ふるに準備金と確実堅固の割合を立て之を発行せる党換紙幣を以てせんことを翼望するなり﹂と述べているように︑. 全額免換制︵大隈重信の所謂﹁正金通用制﹂︶と適正規模の正貨準備のうえに立った免換制度との二者択一の考えを 有していた︒. しかし︑一八八五︵明治一八︶年四月の﹁紙幣引換の方法﹂においては︑﹁正貨を以て現在通用の紙幣を引換ふる.
(11) は決して得策に非ず﹂︑あるいは﹁成るべき丈け現実の引換を少くして準備の金額を減らさぬ工夫﹂として︑全額免. ︵17︶. 換制を拒否して︑﹁正貨と現在通用の紙幣との間に一つの仲媒を作り︑其仲媒に依て正貨と紙幣との接続を為さざる べからず﹂として︑党換紙幣の発行による免換制度の採用を主張するに至っている︒. ﹁紙幣引換の方法﹂のなかで展開している小野の党換制度の構想を要約してみると︑次のようである︒一八八四年. 六月現在の紙幣流通高を約九︑三〇〇万円とし︑これに対して当時政府の正貨保有高を三︑三〇〇万円と計算してい. る︒そして従前の欧米諸国の例をみると正貨準備率は五分の一であるが︑わが国の事情を顧慮した場合︑三分の一あ. るいは二分の一が必要である︒先の紙幣流通高と正貨保有高の比例は実に三分の一弱に当る勘定であるから紙幣制度. の改革は充分に可能である︒このようにして準備金の鋳造と免換券の製造が出来たならば︑紙幣引換の布告を発し︑. 同時に銀行紙幣を一定期間内に段階的に消却せしめる措置をとるべきである︑というものであった︒この引換方法の. 実施によって︑﹁紙の世界なる我邦﹂を﹁銀の世界なる大日本﹂とすることが出来ると小野は確信した︒. 松方正義の紙幣制度改革の場合︑紙幣整理と正貨の蓄積とを同時に進め︑銀貨と紙幣との比価が平価に近づいた段. 階で︑免換制度を実施し︑残余の紙幣を免換券に切り換えようとするもので︑しかも党換制度を中央銀行による近代 ︵18︶ 的信用制度に結びつけることを意図した点に特徴があった︒. 小野の場合︑党換制度の成立を中央銀行との関連でどのように考えていたのかということは︑中央銀行に関する論. 及が全くないので明らかにできないが︑党換制度そのものの構想に関する限りでは︑松方の紙幣整理の軌跡と考え併. 一六七. せてみると︑両者の間には大きな差異はみとめられない︒むしろ︑政府紙幣を公債と同じく政府の債務として把握 小野梓の経済思想︵問宮︶.
(12) 早法五七巻三号︵一九八二︶. ︵19︶. 全額免換制. 一六八. し︑外債または内外債の募集によって正貨を獲得し︑これによって一挙に紙幣を消却して︑正金通用制 を目指した大隈重信の紙幣整理方策との差のほうが極めて大きいのである︒. このように︑小野は紙幣制度が確固とした党換制度のうえにおかれていないことが︑経済不況の原因であると認識 した︒. ︵20︶. 小野は﹁人民の自主﹂を論じたなかで︑人類の能く独立して其生命を保ち其名誉を全ふするを得るは︑﹁一に我が資. 産あるありて我を幣助するに拠るもの﹂とし︑この立場から﹁財産所有の自由﹂を重視している︒従って︑激しい経. 済変動のなかで︑紙幣価値の動揺・商況の不安定という条件によって﹁財産の安固﹂が脅やかされることを憂えた︒. ︵21︶. 小野にとっては﹁財産の安固﹂のうえから﹁確乎不抜︑事変に遇て揺動せざる基﹂に立った党換制度の樹立が望まれ. 不況対策論ー地租軽減論. たのである︒. ハ. 明治一〇年代後半における経済不況のなかで︑その実状・原因および救治策を論じたものとして﹁民間衰頽論﹂が ある︒. 小野はこの論稿で民間衰頽の実状を検討した結果︑﹁紙幣の制度未だ改まらず︑土地の負担既に重く而も年々加は ︵22︶. る傾向﹂が経済不況の最大の原因であると認識した︒紙幣制度については︑さきに述べたので︑ここでは︑この論稿 を手がかりに小野の地租軽減論の性格を検討する︒. 松方財政下の経済不況の下で︑米価下落は農民の租税負担を加重化させるものであった︒このなかで自由民権運動.
(13) の政策課題として地租軽減論は提起されてきた︒しかも︑一八八五︵明治一八︶年は第二次の地租改正の行なわれる 年でもあった︒. 小野梓は︑一八八四︵明治一七︶年立憲改進党内に地租軽減を元老院に建白すべしという論議がなされた時︑大隈. に宛て﹁此際我党が減租の一問に就て望むべき目的は︑唯だ二あるに過ぎずと存候︑即ち真に減租を為さしめて︑我. ︵3 2︶. 人民を此塗炭に救ふ︑一なり︒叉真に減租を為さしむるに至らざるも︑減租の議を唱へ︑人心を我党に集む︑二な り﹂と述べている︒. ところで︑小野の地租軽減の主張は︑既に一八八二︵明治一四︶年段階の﹁論一外交こにおいてみられる︒﹁一国. の体面︑素より軽ぎにあらず︒其事甚だ重し︒然れども国民の実益を併せて共に之を全ふするを得ざるの際に当て. は︑余は寧ろ体面を忍んで其実益を収めんと欲するなり︒抑も地租の軽からずして我生産力を妨ぐるの憂あるは満天. 下の人共に知る所なり︒而して之を軽減して其宜きを得せしむは︑今日の一大急務なるが如し︒︵中略︶惟に︑此時. に当て関税賦課の全権を我政府の掌中に握り之を上下するを得ば︑必らず適宜の度に於て関税を賦課し︑為めに国費. ︵24︶. の一部を補ふを得︑以て地租を減じ紙幣を改革するの途を為すを得ん︒其実益に於ける︑関する所甚だ大なりと謂つ. べし﹂としている︒これは条約改正により︑税権を回復し︑関税収入を増加させ︑その増収分をもって地租軽減・幣. 制改革を行うべしというものであった︒この議論のなかには関税をもって相応の収入さえ見込むことができるなら. 一六九. ば︑政府は租税の新設・増徴を行う必要がないという考え方が伏在している︒地租軽減による歳入の不足分が直ちに. 営業税その他による租税負担を警戒する都市の中小ブルジョワジーの意向が示されている︒ 小野梓の経済思想︵間宮︶.
(14) 早法五七巻三号︵一九八二︶. 一七〇. この﹁論二外交一﹂の税権回復を前提とした議論は井上馨外相の条約改正交渉の最中に行われたものであり︑条約改. 正と地租軽減・幣制改革がワンセットになった政策論であった︒しかし﹁民間衰頽論﹂の段階においては︑税権回復. の見込のないなかで︑地租軽減は政費節減によって行うべしとしている︒すなわち︑今日政府は酒税の改正および新. 税の設定により︑歳入は三年前に比して一︑○○○万円の余剰がある筈であるから︑政府は当面中央政府レベルで﹁政. 費支出の検束﹂によって二〇〇万円︑﹁官吏の沙汰と徒費の検束﹂によって二〇〇万円︑合計四〇〇万円︑これに府県 ︵25︶ レベルでの政費節約によって地租軽減のための原資を撚出しようというものであった︒. 以上のごとく︑関税増収分もしくは政費節約に地租軽減の減税財源を求めていることは地租軽減の結果︑租税収入. の不足が却って商工業課税に転嫁されることを警戒しての布石と考えられる︒小野の主張は地租軽減によって農民の. 租税負担を減ずるとともに都市中小ブルジョワジーの営業をも擁護しなければならなかった︒ ︵26︶ ところで︑小野は﹁民間衰頽論﹂における地租軽減に関する部分においては︑尾崎行雄﹃地租改正私議﹄からの引. 用に終始している︒この著書において︑尾崎は﹁古来国事ヲ談スル者皆ナ謂フ本邦ハ農ヲ以テ国ヲ立テ農ヲ以テ国本. ︵27︶ ト為ス故二其最モ重ンスル所農二在リト余ハ初ハ以テ然リト為ス今ニシテ之ヲ思ヘハ徒ラニ妄言ナルノ︑・・﹂として︑ ︵28︶. 農業立国論の立場をとっていない︒尾崎は農業・商業・工業の三者の鼎立論をとり︑農業を商工業を誘導するものと ︵29︶. 位置づけ︑﹁農ハ工商業ノ基本農業進マサレハ工業決シテ盛ナル能ハサル﹂﹁本邦ノ最大富源タル農業決シテ進歩セ. ス︑︵中略︶地力開発セスンハ︑工商業モ亦興隆スル能ハス﹂としている︒尾崎が農業立国論をとらないとすれば︑. ここに示される農業重視の立論は明らかに商工業の国内市場としての農業の位置づけによったものと考えられる︒.
(15) このように︑小野の地租軽減論は農民サイドからの発想ではなくて︑商工業発達のための国内市場確保の立場か. ら︑農民を租税負担の重圧から解放し︑もって商品購買力を増大することを主眼としたものであり︑商工業ブルジョ ︵30︶ ワジーの利益に合致するものであった︒ ︵31︶. ところで︑﹁民間衰頽論﹂において︑小野が救治の対象として照準した階層は︑銀相場・公債証書の投機を通じて. ︵33︶. ﹁平. 巨利を博する﹁巨商﹂ではなくて︑それとは無関係の﹁真面目の商売人﹂︑不景気の衰運を蒙った﹁生糸の生産者﹂﹁茶 ︵32︶. ︵34︶. 商﹂︑﹁農夫﹂目耕作地主・自作農層であり︑総じて小野が新しい日本の担い手として期待した﹁農工商三民﹂ ︵35︶. 民﹂であった︒そして︑この﹁衰頽救治の方策﹂は︑﹁凡そ天下の政を為す︑某の特人を救済するを以て自から足れ. りとすべからず︑実に平等に此の最大衆民の最大幸福を是れ謀るべきなり﹂という功利主義的政治思想に裏付けられ たものであった︒. ﹁日本財政論﹂﹁日本財政論第十五章︹断片︺﹂﹁会計年度論﹂はいずれも︑早稲田大学編﹃小野梓全集﹄第四巻に収録され. ﹃国憲汎論﹄︵﹃全集﹄第一巻︶九九頁︒. ﹁日本財政論﹂︵﹃全集﹄第四巻︶二八六頁︒. ている︒以下本書は﹃全集﹄と略記する︒ ︵2︶. 前掲︑﹁日本財政論﹂︵﹃全集﹄第四巻︶. ︵−︶. ︵3︶. ﹁菓子税﹂︵﹃全集﹄第四巻︶三八九−三九〇頁︒. 一八三頁︒. ︵5︶. ︵4︶. なお︑小野の租税思想について付言すれぼ︑比較的詳細に論ぜられている﹁租税論﹂︵﹃函右日報﹄一八八二年一一月四日. 一七一. 付﹁社説﹂欄︑﹃全集﹄別冊・補遺に収録︶によると︑次のごとくである︒租税の根拠については︑それは﹁人民所有﹂の多. 小野梓の経済思想︵間宮︶.
(16) 早法五七巻三号︵一九八二︶. 一七二. 義務と規定している︒従って︑国. スミス﹃諸国民の富﹄のなかで指摘された租税四原則を基準としつつ︑自由主義的租税思想のうえに立って︑国家による恣. 寡に従い︑国家より享受する保護の程度に応じて課税さるべきとしている︒応益説とみるべきものである︒小野はアダム・. 意的・非合理的な課説に対しては反対しているが︑納税を国家に対する人民の﹁職分﹂. しながら︑小野は﹁人民たるものは妄りに政府の設ける租税賦課の法に抵抗して納税を免るを為すべからず﹂と実力行使に. 会開設前の︑しかも人民の租税協議権の欠如のなかで︑酒崖会議にみられる租税収取をめぐって白熱化した政治状況に直面. 小野の租税批判の在り方はその視点を︑たとえば絹布税の新設の動きについては︑不平等条約下での税権未回復のままで. よる減税闘争については暗に警めている︒. ︿﹃全集﹄第四巻﹀三六七頁︶︑あるいはアダム・スミスの租税四原則によって租税収額における徴税費の占める割合に置く. の課税は外国産絹布の跳梁を許し︑わが国絹業の衰滅を招くとするように︑外国に対する国益の擁護に置くか︵﹁絹布の税﹂ かして︵﹁所得税﹂︿﹃全集﹄第四巻﹀三八五頁︶論を進めている︒. 一五五ー一五七頁︒. ︵6×7︶ 前掲︑﹁日本財政論﹂︵﹃全集﹄第四巻︶ 一五五頁︒. ︵10︶ 同右︑二一一頁︒. ︵8×9︶ 同右︑. 一八八一︵明治一四︶年四月制定の会計法の立案に際しては︑小野は会計検査院にあって重要な役割を果たし︑﹁予算旧. 法の府県の経費に精にして官院省の予算に疎なるを痛排し︑之を称して蛇頭竜尾の制なりと為す等︑頗る其力を予算の改良. ︵11︶. 際に予算の編成・必行に機能を発揮する前に︑﹁明治一四年政変﹂で松方正義の大蔵卿就任となり︑翌年五月会計法の改正. に用ゐた﹂︵﹁日本財政論﹂︿﹃全集﹄第四巻V二一〇頁︶結果︑この会計法の意義を高く評価した︒しかし︑この会計法が実. によって︑会計検査院の権能は大幅な後退を余儀なくされるに至った︒. また︑当時の予算配分の実情についても︑小野は﹁従前歳計の事頗る統一する所なく︑各庁長官︑間に乗じて各自其翼望. め﹂ている現状に対して︑﹁唯だ一庁の利害を見て国家全体の得失を顧みず︑所謂る割拠主義を以て邦家政治の一部を担理. を増長し︑徒らに当該官庁の壮大なるを欲して未だ嘗て天下全体の大計を顧みず︑︵中略︶皆相競て其定額の増加するを求.
(17) 一五五頁︒. 魍の注︵ 4 ︶ 参 照 ︒. 同右︑. せんと欲する余弊﹂︵﹁与二会計検査院長一言レ事書﹂︿﹃全集﹄第四巻﹀二一八頁︶として鋭く批判している︒. ︵13︶. 小野はこの論稿の序言で︑この演説が﹁大隈君の財政を弁護す﹂るためのものと述べ︑大隈を﹁硬貨主義を重んずるの政. ︵12︶. ︵14︶. ーションヘの途を開ぎ︑加えて西南戦争時にも不換紙幣の増発によりそれを激化した事実︑そして大隈が生産力の向上︑国. 事家﹂としている︒しかし︑大隈財政が国立銀行条例改正により従来免換券であった国立銀行券を不換紙幣化してインフレ. ︵15︶. ﹁紙幣引換の方法﹂︵﹃全集﹄第四巻︶三七八頁︒. 同右︑. ﹁貨幣の制度を論ず﹂︵﹃全集﹄第四巻︶四ー五頁︒. 供給を重視するインフレーショニストとしての傾向を強めていった事実は否定しえない︒. 内産業の発展をもってインフレーション対策の基本としつつ︑紙幣増発をもってその原因とする批判を拒否し︑却って通貨. ︵16︶. ︵18︶. ﹁紙幣整理始末﹂︵﹃明治前期財政経済史料集成﹄第一一巻︶︒. 一三頁︒. ︵17︶. 大島清・加藤俊彦・大内力﹃人物・日本資本主義2﹄二五〇1二五七頁︒一八八O︵明治一三︶年五月には︑大隈は㎜−通. 貨ノ制度ヲ改メンコヲ請フノ議﹂︵早稲田大学社会科学研究所﹃大隈文書﹄第三巻︶で外債五︑OOO万円を通じて正金通. ︵19︶. 考えを持っていた︵﹁政府は大に紙幣の制度を改革する積なるべし﹂︿﹃全集﹄第四巻﹀三七三頁︶︒. 同右︑四一八頁︒. 一七三. 用制を樹立する案は政府部内の激しい反対で葬られたが︑小野は紙幣制度改革のためには多少の外債募集も差支えないとの. ﹃国憲汎論﹄︵﹃全集﹄第一巻︶九二頁︒. 西村真次編﹃小野梓全集﹄下巻︑一一九頁︒. 前掲︑﹁民間衰頽論﹂︵﹃全集﹄第四巻︶四四〇頁︒. ﹂有 u垂 周︑. ︵22︶. ﹁論二外 交 こ ︵ ﹃ 全 集 ﹄ 第 四 巻 ︶ 二 〇 頁 ︒. ︵21︶. ︵20︶. ︵塾︶. ︵23︶. 小野梓の経済思想︵間宮︶.
(18) ︵25︶. ︵26︶. ︵27︶. ︵28︶. ︵29︶. 早法五七 巻 三 号 ︵ 一 九 八 二 ︶ 前掲︑﹁民間衰頽論﹂︵﹃全集﹄第四巻︶四四七−四四八頁︒. 一七四. 一八八三年一二月出版のこの著書に小野は尾崎より依頼され︑同書への﹁序﹂を執筆し︑尾崎の所論に全面的に賛成して 尾崎行雄立案﹃地租改正私議﹄五三頁︒. いる︵﹁地租改正私議序﹂︵﹃全集﹄第四巻︶六三〇頁︶︒. 同右︑一〇九ー一一〇頁︑前掲︑﹁民間衰頽論﹂︵﹃全集﹄第四巻︶四三四頁︒. 同右︑六五頁︒. ﹁日本輸入税論﹂においても︑地租軽滅の主張が税権回復との関連で論じられているが︑そこでは︑税権回復︵税収増加︶. 前掲︑﹁民間衰頽論﹂︵﹃全集﹄第四巻︶四三四頁︒. ﹁商況論﹂︵﹃全集﹄第四巻︶ 一四〇1一四一頁︒. ﹁銀貨相場の乱高下と真面目の商人﹂︵﹃全集﹄第四巻︶三五七頁︒. である︵﹃全集﹄第四巻一〇五頁︶︒. ←地租軽減←米価低落←米穀輸出増進という脈絡のなかで把えられており︑輸出の興隆こそが第一義的な目標であったこと. ︵30︶. ︵31︶. ︵33︶. ︵2 3︶. 論. 前掲︑﹁民間衰頽論﹂︵﹃全集﹄第四巻︶四三九頁︒. 前掲︑吉井蒼生夫﹁小野梓の法思想﹂︵﹃早稲田法学会誌﹄第二五巻四〇八頁︶︒. 業. ︵誕︶ ︵35︶. 産. に︑貿易・商業・運輸通信ならびにこれらのための法制度の整備に関する論稿が圧倒的に多いことで︑主として流通. されつつあった目本資本主義の生成期という段階を反映して政策論として提起されたものが多いことである︒第二. 小野の産業に関する論稿で特徴的であるのは︑先ず小野が著作活動を行った時期が政府主導の殖産興業政策が追求. (三).
(19) 関係を主題とするものに限られている︒従って︑農業・工業に関しては独自の本格的論稿が存在していないことであ. る︒農業に関しては︑一八八五︵明治一八︶年経済不況の救治策を論じた﹁民間衰頽論﹂のなかで地租軽減について. 述べたにとどまり︑土地制度・農業制度を扱ったものではない︵地租軽減論についても尾崎行雄﹃地租改正私議﹄か. らの引用であることについては先に述べた︶︒また工業については︑僅か﹁工芸の衰微﹂において︑伝統工芸の衰微. を論じたものがあるのみである︒当時︑在来産業としての綿業の衰退のうえに移植された綿紡績業において︑一八八. 三︵明治一六︶年華族資本・商業資本を糾合して大阪紡績が設立されて後︑機械制紡績が陸続と設立された事実につ いては︑小野の論稿には全く論及の対象となっていない︒. イ 産業政策論の基調. 小野の産業政策に関する基本理念については︑﹁勧業三略﹂のなかで展開されている︒この論稿は当時政府主導の 上からの殖産興業政策を推進している政府の批判を念頭において執筆されたものである︒. ﹁勧業三略﹂は︑先づ一国の富有の基本は人民一人一人の富有にあるとして︑人民個々の富有を増殖することこそ. ﹁富国の要務﹂であると主張し︑これを勧業政策の基本に据えている︒そのうえで︑勧業の方策として︑①﹁逼て之. を勧む﹂直接的干渉政策︑②﹁私して之を勧む﹂財政金融的保護政策︑③﹁誘て之を勧む﹂自由な生産・流通の間接 的奨励政策︑の三つを挙げている︒. これら三策のなかで︑小野は政府の直接的干渉および財政金融的な助成による第一・第二の方策を斥けて︑﹁商工. 一七五. をして自由に其所産の貨物を流通せしめ︑安穏に其所獲の全利を享有せしめ︑他人をして之を撹乱せしめず︑以て其 小野梓の経済思想︵間宮︶.
(20) 早法五七巻三号︵一九八二︶ ︵1︶. 一七六. 業を励むの思念を発起せしむる﹂第三の方策を採用している︒これは﹁己れの利害を定断するに果敢にして而も誤り. ︵2︶. 少きは人間の妙機にして︑世間従来の経験に於て一人一己の利害を断ずる者は︑其当該の人を以て最も適任応当なり. と為す﹂という小野の功利主義的考え方によるものであった︒そして︑政府の役割は人民の経済的営為を保障する. ﹁安固﹂にあるとする︒﹁安固﹂としては︑法律による利益・所得の保護︑警察による経済活動撹乱の防止︑運輸交 通の整備︑通信の開発︑の四点を挙げている︒. ﹁勧業三略﹂にみられる基本理念は︑政治による干渉を廃して自由な経済活動を展開を志向した経済的自由主義の ︵3︶ 思想であった︒しかも︑それは財産所有の自由の保障と密接な関連をもつものであった︒. 国内における経済活動に対して政治の介入を峻拒した主張をもった小野は︑対外的側面においてはナショナリズム. n国益の擁護が前面に突出し︑政府の保護介入を暗黙裡に是認する矛盾した論調となっている︒例えば︑一八八五. メイル会社の低料金攻勢で脅やかされたとき︑小野は﹁世間の評判に拘泥せ. ︵明治一八︶年九月︑三菱会社と共同運輸会社の合同で新立された目本郵船会社の設立によって回復された日本海運. 業の沿岸航路の独占が︑パシフィック. ずして始終海運会社の保護を為し︑此度終に三菱・共同の両会社を解かしめて日本郵船会社を創立せしめ︑将来異常 ︵4︶. の保護を与へんとまで命令なしたるは︑皆な大日本帝国沿海の航海権を我が目本人の手に握らんと欲するの意に出づ. る事を信ず﹂としている︒海運業のごとく︑いわば個人の利害損得をこえた国家的事業に遭遇した時︑経済的自由主. 義よりはむしろ保護主義的な色彩が︑小野の思想のなかに見ることができるのは︑後進資本主義国としての日本の置 かれた国際的地位についての認識の然らしむるところであった︒.
(21) 口 産業論−貿易論を中心にi. 前節でみたように︑﹁民間衰頽論﹂は経済不況の克服をはかる具体策を提示したものであるが︑その場合︑産業政. 策としては農商工の三業の鼎立論が主張されている︒しかし︑そこには一定の方向が予定されており︑商工業が重視. され︑商工業を振興させることに政策的な重点がおかれていた︒とくに︑商業について﹁商業にして起り彼此交換・ ︵5︶. ︵6︶. 有無相通の便を為すに非らざれば︑此の人類は常に人生の初歩に固着して進化するをえず︑其禽獣と相択ばざる︑殆. んど毛髪を容れざるの間に在らん﹂とし︑その本質を﹁利他に依て自利する道理﹂を致すものと規定している︒さら. に﹁斯の日本国をして長足の進歩をなさしめたものは誰ぞ︑豊に外国通商の賜のに非ずや︒︵中略︶文明の利器は貿. 易の盛なるに随って我邦に流入し︑電信に汽船に汽車に又た自由自主に︑萄も泰西に在て其国を利し其国を富ました. るものは皆な相踵で我が国の用ふる所となり︑其功績の著大なる︑実に我邦をして長足の進歩を為さしめたるにあら ︵7︶ ずや︒唯夫れ外国貿易は能く社会の進捗を促すに足り︑其国の交明を進むるの功あり﹂として︑外国貿易が富国のた めの発条となっていることを述べている︒. 貿易立国論の具体的内容については明らかでないが︑外国貿易との関連で重要性を認識していたの. このようにして︑小野は農商工鼎立のなかで︑とくに商業H貿易に牽引的役割を与えるとともに︑わが国を﹁東洋 ︵8︶ の一商国﹂たらしめることは﹁政府の一大職任﹂としている︒. 小野の商業. は︑米・生糸・茶などの在来産業の農産物・農産加工品を輸出商品として育成発展させることであった︒. 一七七. 小野の経済関係の論稿のなかで︑最も初期のものに属する﹁天冨之利用﹂のなかで︑わが国の富裕の途として︑ 小野梓の経済思想︵間宮︶.
(22) 早法五七巻三号︵一九八二︶. 一七八. ﹁新来の製造﹂の移植と︑﹁固有の製作﹂の振興とを対照的に挙げて︑いづれが富国の捷径であるかを論じている︒前. 者が外国からの移植産業であり︑後者がわが国固有の在来産業である︒小野は結論として﹁吾憐不ソ得レ巳許多の歳月 モノポリヨヌ. と金銀とを費し彼の製作を移し以て物産の種を蒔き︑其結菓を数十年の後に望まざるを得ずと難ども︑本邦の如ぎは ︵9︶. 既に宇内に対し三箇の撹包を占め︑加うるに木綿・煙草等あって輸出品の一部を為し︑筍も労力を該辺に勧むれば本. 邦の冨有亦た難からざる也﹂と論じている︒小野が構想した︑わが国の富裕の途は迂遠な移植産業の導入によるので. なく︑在来産業とくに米・生糸・茶を輸出産業に位置づけ︑これから﹁天冨之利用﹂の成果を抽き出すことが﹁経済. の大旨﹂に沿う所以であることを明らかにしている︒この構想においては在来産業を貿易を媒介として正貨獲得の手 段としたのである︒. 最後に︑貿易学説︵自由貿易論・保護貿易論︶との関連で︑小野の貿易論の考え方を述べる︒. 小野は﹁日本輸入税論﹂において︑自由・保護両学説ならびに折衷説について要約的に述べた後に︑これらの﹁欧 ︵10︶ 米諸大家の唱和する﹂コニ箇の成説﹂に対して︑自己の﹁一ケの鄙説﹂を展開しようとしたが︑未完に終り内容を知. る由もない︒しかし︑注意すべきことは︑その﹁鄙説﹂展開の起点として﹁救民論﹂を引用していることである︒こ. の論稿は︑小野が一八七〇︵明治三︶年七月の中国旅行を通じて︑欧米列強の侵略下に坤吟する中国民衆の惨状を目. 撃し強い衝撃をうけ︑執筆したものであった︒小野によれば︑人間は天与の自主自由の権を保持し︑天命に従って相. 生じ相養って平和な生活を享受していたが︑時の推移と共に弱肉強食の弊風を生じ︑その防止のために設立された政. 府にも凌辱弱小の悪政府が出現して生民の困窮は救われることがない︒小野はこうした悪弊を絶ち自主自由の権を全.
(23) ︵11︶. 諸国家の分立・対抗という現実の国際関係を. うし︑世界平和を維持する方法として︑宇内を包括する﹁宇内一大合衆政府﹂の樹立を構想した︒. 先きの﹁鄙説﹂によれば︑﹁三箇の成説﹂がともに﹁国家の分建﹂. 前提としており︑国際貿易関係においても一国による他国の﹁侵掠屈辱﹂が必然である︒かかる関係を揚棄して各国. がそれぞれ自利肪利他を追求しうる﹁宇内一大合衆政府﹂の構想に照応する国際交易体制を目途とした貿易学説を構 築しようとしたと想像される︒. 小野はまた︑財産所有の自由の観点から﹁工作通商の事古来政府の妨碍干渉を受くるもの多く︵中略︶財産所有の自由を. ︵1×2︶ ﹁勧業三略﹂︵﹃全集﹄第四巻︶六四−六五頁︒. ︵3︶. 妨碍し其民人の自主に関する甚だ小少ならざるを知る﹂として﹁勧業三略﹂執筆の動機を述べている︵﹃国憲汎論﹄︿﹃全集﹄. 業費を含めたことを批判し︑﹁商業工作の如き一人一己の利益︵間接に国土を利するも直接に之を言へば︶を為す者は︑一. 第一巻V九二頁︶︒また執筆の前年一八七八年五月︑第二回地方官会議の議案に論及した小野は︑地方税支出の費目中に勧. 一七九. 集﹄第三巻﹀四九〇頁︶が︑﹁勧業三略﹂の論理はこの主張を発展させたものであてた︵大日方純夫﹁少壮官吏小野梓の理. に其人の意に任せて官府の干渉を要せず︑否官府の干渉すべからざる者なれば也﹂と主張している︵﹁議案批評三新法﹂︿﹃全. ﹁日本沿岸の海運をして再び外人の手に落ちしむこと勿れ﹂︵﹃全集﹄第四巻︶四六三−四六四頁︒. 念と活動−第二次太政官少書記官期を中心としてー﹂︑前掲﹃早稲田大学史記要﹄第一二巻︶︒ ︵4︶. ﹁商家の位置︑商業の関係﹂︵﹃全集﹄第四巻︶三一八−三二〇頁︒. 一〇九−一一三頁︒. ﹁早く商業に係る裁判法を定むべし﹂︵﹃全集﹄第四巻︶四五六頁︒. ︵5︶︵6︶︵7︶. 前掲︑﹁日本輸入税論﹂︵﹃全集﹄第四巻︶. ︵9︶ ﹁天冨之利用﹂︵﹃全集﹄第四巻︶五八ー五九︒. ︵8︶. ︵10︶︵11︶. 小野梓の経済思想︵間宮︶.
(24) 早法五七巻三号︵一九八二︶. 四 ︵. 一八○. 以上︑小野梓の財政論・産業論の特徴についてアウトラインを述べた︒小野の所論の基調をなしているのは︑日本. 資本主義の生成期において︑経済的自由に対する追求の姿勢である︒それは︑具体的には︑時代的制約のために変容. を余儀なくされた面はあったが︑政府の保護干渉政策の排除と租税負担の軽減要求を内容とし︑都市中小ブルジョワ. ジーを中心とした階層の立場を代弁するものであった︒そして︑その立論は単に理想主義的な側面のみでなく︑極め. て適確な現実的観点を併せ備えており︑その財政経済関係の所論は理論的実証的分析から具体的方策までを含み︑当 時において優れた見識を示したものといえる︒.
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