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密教研究 Vol. 1938 No. 67 006朝日 道雄「高野山に於ける伽藍建立の經緯 P133-160」

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大 師 の 御 手 印 縁 起 騰 壽 九 は 古 來 大 師 の 眞 蹟 な の と し て 傳 へ ら れ 、 高 野 山 史 の 根 本 資 料 と し て 殆 ん ど 決 定 的 な も の で あ る 。 今 そ の 内 容 を 設 明 す れ ば 、 巻 初 に 官 符 の 言 を 牒 し 、 次 に 四 方 四 至 を 定 め 、 次 に 檜 を 出 し 、 最 後 に 高 野 山 に 伽 藍 を 建 立 す べ き 経 緯 を 述 べ て ゐ る 。 官 符 の 文 は 、 官 符 を 國 司 の 方 へ 下 さ る か も の に し て 、 最 後 の 年 月 文 の 如 く 弘 仁 七 年 ( 紀 一 四 七 六 ) 七 月 合 に あ つ た も の で あ る 。 次 に 國 司 よ り 伊 都 、 那 贅 、 在 田 の 郡 司 へ 、 官 符 の 後 昔 を 経 て 四 至 四 方 を 定 め ら れ た 。 斯 く て 承 和 元 年 ( 紀 一 四 九 四 ) 九 月 十 五 日 、 ﹁ 此 勝 地 に 託 い て 柳 か 伽 藍 を 建 て か 金 剛 峯 寺 と 名く﹂と云ふのである。 高 野 山 の 伽 藍 興 慶 記 は こ れ か ら 始 ま る の で あ る か ら 、 已 下 暫 ら く 資 料 を 蒐 集 し て 、 伽 藍 の 興 慶 記 、 特 に 金 堂 、 大 塔 の 問 題 に 鰯 れ て 見 よ う 。 七 月 八 日 の 官 符 は 去 る 六 月 + 九 日 の 大 師 の 上 表 に 封 し て あ つ た も の で あ る が 、 今 問 題 と な る の は 承 和 元 年 九 月 十 五 日 の 條 の 伽 藍 建 立 の 経 緯 で あ る 。 高 野 山 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 経 緯 一 三 三

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高 野 山 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 経 緯 一 三 四 先 づ 伽 藍 と 云 ふ の は 果 し て 何 を 指 す も の で あ る か 、 前 期 奈 良 朝 時 代 迄 の 建 築 史 の 常 識 を 以 て す れ ば 、 南 大 門 、 中 門 、 金 堂 、 講 堂 乃 至 塔 、 食 堂 、 信 坊 等 で あ ら う が 、 此 の 場 合 果 し て 藪 の 上 に 於 て ど れ 程 を 指 し て ゐ る の で あ ら う か 、 此 を 読 明 す る も の と し て 、 康 保 五 年 戊 辰 ( 紀 元 一 六 二 八 ) 六 月 十 四 日 、 仁 海 記 と あ る 金 剛 峯 寺 建 立 修 行 縁 起 の 引 文 を 睾 け て 見 る と 、 今 記 云 、 多 賓 塔 一 基 、 高 十 六 丈 、 一 層 之 勢 寒 勝 数 重 塔 、 奉 安 置 一 丈 八 尺 六 寸 大 日 、 一 丈 四 尺 四 佛 齢 。 三 聞 四 面 講 堂 一 宇 、 柱 長 一 丈 六 尺 、 奉 安 置 U 丈 六 尺 阿 閾 如 來 、 八 尺 五 寸 四 菩 薩 、 七 尺 二 寸 不 動 降 三 世 併 七 膿 。 廿 一 間 借 坊 一 宇 。 已 上 大 師 御 在 世 と あ る 。 こ れ に よ つ て 伽 藍 を 建 て か の 句 は 多 寳 塔 一 基 、 講 堂 一 宇 、 世 一 間 信 坊 一 宇 の 三 ツ の 堂 塔 の 建 立 せ ら れ た こ と が 分 か る の で あ る が 、 義 二 年 丁 未 ( 紀 元 一 七 八 七

)七

或 ほ 著 作 鰍 ) に な る 金 剛 峯 寺 斐 は 霜 元 年 八 月 壮 三 日 に 於 け る 拗 進 金 剛 峯 寺 佛 塔 爾 界 曼 茶 羅 智 識 文 を 學 け て ゐ る 。 こ れ は 大 師 が 高 野 山 に 佛 塔 曼 茶 羅 を 造 り 奉 ら ん が 爲 に 、 諸 貴 賎 四 衆 に そ の 同 心 鋤 力 を 敬 勧 せ ら れ た も の で あ つ て 、 其 の 句 中 、 佛 塔 曼 茶 羅 に 就 い て は 、 於 金 剛 峯 寺 奉 建 毘 盧 舎 那 法 界 饅 性 塔 二 基 、 及 胎 藏 金 剛 爾 部 曼 茶 羅 と 云 つ て ゐ る 。 斯 う な る と 前 の 多 寳 塔 一 基 と 云 ふ の は 、 一 基 に は あ ら す し て 二 基 で は な い か と 云 ふ 問 題 が 起 る 。 果 せ る 哉 行 化 記 に は 、 長 者 補 任 ( 深 賢 ) ・ 大 塔 興 慶 日 記 ( 信 堅 ) を 引 用 し 、 又 吾 が 蓮 倣 師 も そ の 性 盤 集 便 蒙 中 に 於 て 二 基 と は 大 塔 、 西 塔 の 二 基 を 指 す も の で あ る と 述 べ て ゐ る 。 或 は 叉 西 塔 の 代 り に 喩 紙 塔 で あ る と の 読 も 古 來 諸 書 に 引 用 せ ら れ る と こ ろ で あ る 。 此 の 喩 紙 塔 説 は 本 來 、 大 塔 を 鍮 伽 、 金 堂 を 喩 紙 と す る 義 よ O 生 ぜ し 、 二 基 問 題 へ の 誤 謬 推 理 で あ つ て 講 堂 に 封 す る

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認 識 を 映 く 牽 強 附 會 の 詮 で あ る 。 斯 か る 謬 設 の 出 所 は 、 喩 伽 、 喩 紙 詮 は 堂 塔 内 安 置 の 諸 佛 浄 典 縁 と し て 立 て ら れ 、 こ れ が 中 院 喩 祇 塔 に 關 係 す る と 云 ふ と こ ろ に 在 る の で あ る が 、 此 場 合 は 、 問 題 が 大 師 に 關 係 す る 限 り 、 後 世 に 於 て 思 想 的 に 蓮 關 せ し め た も の で あ つ て 、 建 築 史 上 に は 全 く 關 係 が な い 。 西 塔 読 に 於 い て も 御 手 印 縁 起 の 圖 給 に は 西 塔 は 圖 給 さ れ す 、 加 ふ る に 修 行 縁 起 に 現 は れ た る 眞 然 、 實 慧 の 項 に も 見 え ざ れ ば 更 に 後 世 の 建 立 と 考 へ ら れ る 。 叉 大 塔 、 西 塔 、 中 院 鍮 紙 塔 の 三 基 を 並 べ て 比 較 研 究 を 試 み た と こ ろ で 、 到 底 大 塔 と は 相 封 す べ く も 考 へ ら れ な い 、 帥 ち 規 模 の 上 に も 殆 ん ど 無 關 係 で あ る 。 後 読 の 如 く 大 師 、 眞 然 、 實 慧 の 時 代 は 更 に 多 く の 取 り 残 さ れ た る 伽 藍 建 築 の 問 題 が あ る か ら で あ る 。 然 ら ば 一 基 、 二 基 の 問 題 を 知 何 に 解 決 す べ き か 、 要 は 至 極 簡 軍 で あ る 。 郎 ち 大 師 は 大 塔 を 雨 部 不 二 に 奉 納 せ ら れ 、 塔 内 安 置 の 諸 佛 は と り も な ほ さ す 金 胎 雨 部 の 曼 茶 羅 と 云 ふ こ と に 外 な ら な い 。 ( の 事 に 就 い て は 、 後 説 塔 内 安 置 の 諸 佛 の 項 で 詳 説 す る ) さ れ ば 金 剛 界 を 安 置 す る 西 塔 の 必 要 も な け れ ば 、 更 に 喩 祇 塔 に 迄 も 持 つ て 行 く 必 要 は な い こ と と な る 。 不 二 の 寳 塔 を 一 基 と し 、 講 堂 を 一 基 と す れ ば 容 易 に 二 基 と 云 ふ 藪 字 が 現 は れ 、 喩 伽 、 鍮 紙 二 ッ の 毘 盧 の 二 塔 と 云 ふ 事 が 出 來 る こ と に な る 。 然 し 乍 ら 講 堂 は 堂 で あ り 、 大 塔 は 塔 と し て 構 ば れ る も の な る に 、 右 の 大 師 の 願 文 は 何 故 に 二 基 堂 塔 と さ れ す し て 二 基 塔 と さ れ た か 。 こ の 事 に 就 て 眞 然 師 建 立 の 塔 堂 記 事 を 例 出 し て 読 明 し て 見 る と 、 高 野 春 秋 編 年 輯 録 、 仁 和 二 年 の 項 に -落 慶 於 二 基 塔 堂 -と 云 ふ 事 が あ る 。 此 の 場 合 二 基 塔 堂 は 九 丈 の 寳 塔 院中 と 眞 言 堂 を 指 し た も の で あ る 。 こ の 二 基 塔 堂 は 、 二 基 堂 塔 に 憂 り 、 次 に 二 基 寳 塔 と 誤 音 、 誤 爲 さ る か で あ ら う 事 は 、 必 す し も 想 像 に 難 く な い 。 斯 く て 二 基 寳 塔 は 二 基 塔 と 韓 爲 さ れ し も の で あ ら う と 云 ふ 蹄 結 も 亦 肯 定 さ れ て よ い 。 併 し 乍 ら 唯 こ れ 丈 で は 軍 な る 凋 高 野 山 に 於 け ろ 伽 藍 建 立 の 経 緯 一 三 五

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高 野 山 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 経 緯 一 三 六 リ 合 貼 に な ら ぬ と も 限 ら ぬ か ら 、 巳 下 大 塔 と 講 堂 を 中 心 と し て 、 大 師 の 當 時 の 伽 藍 に 封 す る 識 見 と 、 夫 等 堂 塔 諸 佛 の 造 立 せ ら る 、 に 至 る 経 緯 、 極 言 す れ ば 密 教 建 築 の 吾 が 國 建 築 史 に 及 ほ せ る 影 響 に 就 い て 考 察 し て 見 よ う 。 伽 藍 の 意 義 と 其 の 建 立 右 の 問 題 は 一 寸 簡 軍 に は 行 か な い の で あ る 。 何 ん と な れ ば 、 第 一 現 存 の 遺 跡 は 不 幸 に し て 皆 無 で あ る こ と 、 第 二 は 史 料 に も 殆 ん ど 完 全 な も の を 残 し て ゐ な い こ と 。 尤 も 部 分 的 に は 高 雄 紳 護 寺 の 講 堂 、 灌 頂 堂 、 東 寺 の 講 堂 、 五 重 塔 ( 此 塔 ほ 本 稿 に 云 ぱ ん と す る 伽 藍 建 築 史 上 の 問 題 に に 入 ら ぬ ) そ れ か ら 殆 ん ど 糖 て に 手 を 着 け ら れ た と 考 へ ら れ る 室 生 寺 の 伽 藍 等 あ る に は あ る が 、 三 者 何 れ も 大 師 の プ ラ ン に 依 つ て 創 成 さ れ た も の で は な い の で あ る か ら 、 襟 式 、 設 計 は 勿 論 の こ と 、 更 に そ の 思 想 的 背 景 の 分 明 す る 筈 が な い 。 斯 う 成 る と 勢 ひ 高 野 山 の 伽 藍 を 研 究 し て 見 な く て は な ら な い こ と と な る 、 が 高 野 山 の 伽 藍 も 大 師 當 時 の 面 影 を 偲 ぶ に 足 る 寳 塔 の ー ッ だ に 残 さ な い 、 所 謂 持 た ざ る 過 去 の 構 成 で あ る 。 斯 う し た 事 の 研 究 は 、 造 型 美 術 に 封 し て 或 は 從 屡 的 な も の と 成 る か も 知 れ ぬ が 、 建 築 史 の 上 に 或 る 一 ツ の 様 式 を 決 定 す る も の と し て ま た 研 究 さ る 可 き 一 問 題 で あ ら う 。 大 同 元 年 丙 戊 ( 元 一 四 六 六 ) 八 月 蹄 朝 せ ら れ た 大 師 は 直 ち に 眞 言 宗 の 開 立 に 努 め ら れ 、 大 師 の 根 本 道 場 と し て 弘 仁 十 四 年

(

元 一 四 八 三 ) 正 月 東 寺 を 賜 は り 、 翌 々 天 長 二 年 乙 巳 東 寺 に 講 堂 が 建 立 せ ら れ た 。 然 而 此 れ に 安 置 せ ら れ た る は 仁 王 経 曼 茶 羅 で あ り 、 國 家 の 安 全 が 所 ら れ 、 始 め て 教 王 護 國 寺 と 日 は れ た の で あ る 。 仁 王 経 曼 茶 羅 が 安 置 せ ら れ た る 根 本 道 場 と 云 ふ の は 、 郎 ち と り も な ほ 噛 す 鎭 護 國 家 の 根 本 道 場 と 云 ふ 意 味 で あ つ て 東 寺 は つ ま り 國 家 に 封 し て の 道 場 に 外 な ら な か つ た 。

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大 師 が 得 ら れ た 不 こ の 法 門 を 何 れ の 地 に 表 示 す べ き か 、 眞 言 宗 旨 の 修 行 登 揚 さ る べ き 根 本 道 場 は 何 虚 に 求 め ら る べ き か 、 こ れ が 爲 に 蹄 朝 後 の 大 師 の 御 修 行 は 殆 ん ど 消 費 せ ら れ た の で あ る 。 吾 々 が 七 堂 伽 藍 ( ほ 悉 堂 伽 藍 ) に 参 拝 す る 時 、 先 づ 最 初 に 注 意 を 彿 ふ の は 金 堂 と 塔 で あ ら う 、 こ れ は 伽 藍 を 構 成 す る 主 要 部 分 は 金 堂 と 塔 に 在 る か ら で あ る 。 從 つ て 金 堂 乃 至 塔 内 に 安 置 せ ら る か 諸 佛 に よ つ て 、 吾 々 は そ の 道 場 の 意 味 を 解 繹 す る こ と が 出 來 る 。 叉 此 の 金 堂 と 塔 の 位 置 に よ つ て 、 そ の 伽 藍 が 建 立 さ れ た る 時 代 を 決 定 す る 事 も 出 來 る 。 例 へ ば 中 門 、 塔 、 金 堂 、 講 堂 と 一 直 線 上 に 在 る も の 、 或 は 中 門 、 聡 堂 (併 列 ) 、 講 堂 と 在 る も の と に よ つ て 前 者 を 四 天 王 寺 式 、 後 者 を 法 隆 寺 式 と 構 び 共 に 百 濟 様 七 堂 伽 藍 と 構 せ ら れ 我 國 推 古 朝 の 配 置 法 と 云 ふ の で あ る 。 此 れ が 次 の 奈 良 朝 に 入 つ て 如 何 に 愛 化 せ ら れ た か 、 例 へ ば 藥 師 寺 の 塔 の 如 く 、 塔 は 塔 自 盟 と し て 狸 立 的 立 場 に 配 置 せ ら れ た 事 、 金 堂 が 講 堂 に 比 し て 小 規 模 と な り 、 む し ろ 講 堂 に 重 貼 が 置 か れ る 傾 向 を 見 る 等 、 何 れ も 唐 檬 の 影 響 と 構 ば れ て 白 鳳 時 代 か ら 奈 良 朝 時 代 に 至 る 特 徴 と 見 倣 す こ と が 出 來 る 。 こ れ 等 が 大 師 に 至 り て 青 龍 寺 の 風 が 模 さ れ て 極 端 に 迄 憂 遷 し た 、 而 も 此 形 式 が 弘 仁 時 代 の 伽 藍 配 置 を 代 表 す る 唯 一 の 資 料 で あ る と 云 ふ こ と が 高 野 山 の 伽 藍 に 於 て 見 ら れ る の で あ る 。 圖置 配 の 藍伽 山野高 る操 に起線 印手御 身 僧 敵嵐尋 競野寛 塔 力 堂願御 堂 講 堂 金 堂 食 門 中 旛 鐘 高 野 山 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 経 緯 一 三 七

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高 野 山 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 縷 緯 一 三 八 今 御 手 印 縁 起 に 嫁 る 當 時 の 伽 藍 圖 給 を 出 し て 読 明 し て 見 る と 、 右 圖 の 如 く 中 門 は 南 面 し て 伽 藍 四 至 の 正 面 入 ロ に 在 り 、 此 れ に 稻 正 面 し て 塔 が 建 立 せ ら れ て ゐ る 。 當 代 迄 は 中 門 を 入 る と 直 ち に 金 堂 が 在 つ た の で あ る か ら 、 金 堂 に 代 る に 塔 を 以 つ て し た と 云 ふ こ と は 正 し く 一 大 エ ポ ツ ク と 云 は な け れ ば な ら な い 。 そ し て 金 堂 と 講 堂 は 塔 の 左 右 に 置 か れ た 、 こ れ は 丁 度 前 の 推 古 朝 の 百 濟 様 七 堂 伽 藍 の 四 天 王 寺 式 の 配 置 に 法 隆 寺 式 の 配 置 を 持 つ て 行 つ て 塔 と 講 堂 を 入 れ 換 へ た 様 の も の で あ る 。 帥 ち 奈 良 朝 時 代 に 於 い て 窺 は れ た 塔 の 猫 立 的 立 場 が 強 化 さ れ た と 同 時 に 又 講 堂 と 金 堂 が 判 然 と 平 等 化 し た も の と 云 へ や り 。 ( し ろ 講 堂 の 方 が 色 彩 が 強 い の で あ る が 、 こ れ ぱ 後 観 す る ) 中 唐 期 以 降 に 於 け る 佛 教 建 築 の 様 式 ( 逡 告 、 東 要 記 等 に 依 つ て も 青 龍 寺 檬 の 移 さ れ た 事 た 知 る ) を 綴 承 せ る 我 が 弘 仁 期 の 密 教 建 築 は 、 在 來 の 都 市 佛 教 建 築 様 式 に て は 、 宗 旨 の 執 行 上 不 便 を 感 じ た が 爲 め に 、 森 嚴 幽 遽 の 山 岳 に 入 り 、 修 法 、 観 法 に 專 心 し た 。 そ の 山 上 に 四 至 を 決 す る に 充 分 な る 李 地 を 得 ざ る ど も 、 室 生 寺 伽 藍 に 見 ら る か 様 、 例 ひ 形 量 的 覗 豊 に 訴 へ よ う と も 、 塔 が 中 心 を な し た の で あ る 。 試 み に 塔 を 前 に し て 室 生 寺 の 伽 藍 を 裏 か ら 拝 す る き 、 金 堂 と 灌 頂 堂 ( 堂 、 鎌 倉 時 代 )は 如 何 に も 美 し く 塔 の 脇 士 と し て 配 置 さ れ て ゐ る こ と が 感 ぜ ら れ る 。 斯 う し た 伽 藍 の 配 置 法 は 當 代 ほ が 定 石 的 に 見 ら れ た 伽 藍 建 築 の 配 置 法 で あ つ た が 、 次 期 藤 原 時 代 に 至 り て は 、 浄 土 敬 の 興 起 と 共 に 、 そ の 連 糧 的 配 置 法 は 失 は れ 、 個 々 獲 自 の 伽 藍 建 築 物 と 、 そ れ を 園 ら す 自 然 と が 融 合 せ ら れ て 、 所 謂 静 動 副 如 の 氣 風 を 表 は す 様 に な つ た 。 こ れ を 純 日 本 風 建 築 と 云 ふ の で あ る 。 已 上 建 築 史 に 走 つ て し ま つ た が 、 翻 つ て 高 野 山 の 問 題 は 未 だ 充 分 の 解 決 を 見 な か つ た 。 卸 ち 御 手 印 縁 起 は 塔 の 右 、 部 ち 金 堂 と 思 は れ る 堂 を 御 願 堂 と な し 、 左 を 食 堂 と 名 付 け て ゐ る そ の こ と が 解 読 さ れ ね ば な ら な い 。

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御 願 堂 の こ と は 先 の 修 行 縁 起 に 云 ふ 所 の 講 堂 の こ と で あ つ て 、 唯 御 願 堂 の 名 は 後 進 官 し て 嵯 峨 天 皇 の 御 願 堂 と し た か ら 斯 く 名 付 け ら れ た 丈 で あ る 。 然 ら ば 講 堂 と 金 堂 の 問 題 、 最 初 大 師 が 建 立 せ ら れ た 時 に は 講 堂 で あ つ た も の が 、 後

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ら く 正 暦 五 年 の 頃 ) 金 堂 と 覆 る か に 至 り し 理 由 は ど こ に あ ザ。 か 、 換 言 す れ ば 大 師 椅 故 に 金 堂 蓬 立 さ れ す し て 講 堂 を 建 立 せ ら れ た か 。 此 れ が や が て 先 の 金 堂 よ り も 講 堂 に 意 義 を 持 た せ た と 云 ふ 問 題 の 解 決 と な る 。 金 堂 と は 俗 に 本 堂 の 意 に し て 、 本 佛 を 安 置 す る の が 目 的 で あ る 。 此 の 爲 に 本 佛 を 金 人 と 見 た こ と か ら 金 人 を 祠 る 堂 、 師 ち 金 堂 で あ る と か 。 又 紙 園 精 舎 布 金 の 地 に 建 て ら れ た の が 根 本 の 堂 で あ つ た の で あ る か ら 根 本 の 堂 を 金 堂 と す る と か 傅 へ ら れ て 、 終 に は 金 色 堂 乃 至 は 金 閣 寺 の 様 に 、 安 置 の 本 奪 丈 で は 物 足 り な く て 、 建 築 物 に 迄 金 色 々 彩 り 、 金 堂 郎 本 堂 の 意 義 を 強 調 す る こ と か な つ た 。 此 意 味 か ら し て 考 察 す れ ば 、 高 野 山 伽 藍 の 本 堂 は 前 期 奈 良 朝 迄 の 様 に 本 來 の 金 堂 を 持 た す と も 、 大 師 が 立 教 開 宗 の 根 本 思 想 を 表 示 せ る も の と せ ら れ た 大 塔 で あ つ て も 、 將 又 前 期 の 踏 襲 に 依 つ て 大 師 の 講 堂 を 金 堂 と し て も 差 し 支 へ な い 謬 で あ る 。 と こ ろ が 眞 然 の 食 堂 建 立 と 、 講 堂 を 後 世 に 至 り て 再 び 金 堂 と 改 稽 し た こ と か 合 せ 考 へ て 見 る と き 、 大 師 は 伽 藍 の 創 建 に 當 つ て 必 ら す や 大 塔 を 本 堂 、 師 ち 金 堂 と せ ら れ 、 從 つ て 金 堂 の 代 り に 講 堂 が 、 從 來 金 堂 の 建 立 さ る 可 き 慮 に 造 立 せ ら れ た の で あ る と 云 ふ 結 論 に 到 達 す る の で あ る 。 已 上 の こ と は 吾 々 に 何 を 教 へ て ゐ る か 、 私 は こ の こ と に 就 い て 、 塔 を 伽 藍 の 中 心 指 標 と し た と 云 ふ こ と が 密 敦 思 想 の 影 響 で あ る と す れ ば 、 金 堂 な る も の 、 本 質 を 解 し て 、 建 築 史 上 に 右 の 如 き 一 ツ の 檬 式 を 劃 し た の が 大 師 で あ つ た 、 つ ま り 建 築 史 上 に 及 ぽ せ る 大 師 の 影 響 が 窺 は れ る も の と 思 ふ の で あ る 。 こ れ は と り も な ほ さ す 伽 藍 建 築 に 非 常 に 明 る い 、 自 由 な 氣 分 を 與 へ て ゐ る の で あ つ て 、 次 期 藤 原 時 代 に 於 け る 静 動 一 如 の 萌 芽 を 見 る も の で あ る 。 高 野 山 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 縫 緯 一 三 九

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高 野 山 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 経 緯 一 四 〇 眞 然 師 は ま た よ く 師 の 意 を 汲 み 、 大 師 が 定 め 置 か れ た 伽 藍 配 置 の 規 矩 に よ つ て 、 大 塔 の 左 側 に 食 堂 を 建 立 し た 。 同 じ 丸 修 猿 鍵 罰 は 、 三 聞 四 面 置 ハ言 堂 一 宇 、 奉 安 置 爾 界 曼 茶 羅 上 下 合 四 鋪 、 井 壇 二 面 、 金 剛 薩 唾 龍 猛 御 影 各 一 鋪 。 一 聞 四 面 眞 言 堂 一 宇 、 奉 安 置 智 法 身 大 日 如 來 一 膿 、 四 天 王 豫 各 一 膿 。 九 丈 多 賓 塔 一 基 、 奉 安 置 八 尺 大 日 、 五 尺 四 佛 雑 。 已 上 三 眞 然 借 正 仁 和 三 年 丁 未 依 勅 建 立 之 、 小 松 天 皇 御 宇 云 々 鐘 堂 一 宇 。 経 藏 一 宇 。 食 堂 一 宇 。 己 上 眞 然 僧 正 帰 私 建 立 云 々 と 云 ふ 講 堂 が 邸 ち 夫 れ で あ る 。 此 の 円 後 の 眞 然 信 正 偏 私 建 立 の 鐘 堂 、 経 藏 、 食 堂 は 御 手 印 縁 起 に 示 す と こ ろ の も の で あ つ て 、 前 の 仁 和 三 年 の 眞 言 堂 、 多 寳 塔 は 中 院 御 坊 に 建 立 せ ら れ た も の で あ る 。 次 に 實 慧 信 都 に 至 り て 始 め て 山 内 が 完 備 し た 、 同 じ く 修 行 縫 起 に 、 御 影 堂 剛 宇 。 奥 院 塔 一 基 胴 、 申 門 } 宇 。 陀 羅 尼 瞳 二 基 。 已 上 翼 緯 僧 都 私 建 立 と 記 さ れ て ゐ る 。 ( 後 世 講 堂 が 再 び 金 堂 と 樗 せ ら れ た の も 、 そ れ は 唯 軍 な る 歴 史 的 循 壊 に 過 ぎ な い 。 郎 ち 浄 土 教 の 興 起 と 共 に 、 阿 彌 陀 堂 が 建 立 せ ら れ 、 こ の 阿 彌 陀 堂 を 金 堂 と 構 す る 檬 に 成 つ た こ と か ら し て 講 堂 を 金 堂 と 樗 び 代 へ る 様 に 成 つ た も の と 思 は れ る ) 。 き て 大 師 が 最 初 に 意 圖 せ ら れ た る 伽 藍 の プ ラ ン は 、 己 上 に よ つ て 、 根 本 大 塔 、 講 堂 、 食 堂 、 中 門 、 奥 院 塔 、 御 影 堂 、 信 坊 の 七 ツ の 堂 塔 で あ つ た 様 に 思 は れ る 。 此 内 で も 特 に 大 師 が 御 建 立 の 造 功 に 努 め ら れ た の は 大 塔 と 講 堂 、 食 堂 、 中 門 の 四 ツ で あ つ た ら う 。 然 し 乍 ら 大 師 の 御 在 世 中 に は わ つ か に 講 堂 の 一 宇 と 廿 一 間 の 億 坊 が 造 功 を 畢 ぺ た に 過 ぎ な か つ た 檬 で あ る 。

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弘 仁 七 年 初 め て 高 野 の 地 を 獲 見 し 、 爾 來 毎 年 必 ら す 京 の 地 よ り 一 往 復 し て 伽 藍 建 立 に 努 め ら れ た と は 云 へ 、 承 和 二 年 迄 は 僅 か に 十 九 年 の 歳 月 で あ る 。 然 も 此 間 に 起 れ る 問 題 は 萬 農 池 築 造 別 當 、 御 請 來 曼 茶 羅 、 五 大 盧 室 藏 、 龍 猛 龍 智 二 菩 薩 眞 影 等 二 十 六 鋪 の 圖 檜 、 神 泉 苑 の 請 雨 法 、 神 護 寺 灌 頂 堂 、 護 摩 堂 の 建 立 、 東 寺 講 堂 、 五 重 塔 の 造 立 等 殆 ん ど 枚 畢 に 逞 な き 御 繁 務 に 居 ら れ た の で あ る か ら 、 塔 婆 ( 大 塔 ) 造 立 の 勧 進 も や う や く 承 和 元 年 に 在 つ た 次 第 で あ る 。 果 し て 斯 か る 短 時 日 に 、 釧 剛 翻 翠 修 ,徐 縁 超 が 云 ふ 様 の 大 塔 が 完 成 せ ら れ た で あ ら う か 、 吾 々 は こ れ に 必 ら す し も 賛 蹉 を 迭 る こ と が 出 來 な い の で あ つ て 、 む し ろ 金 剛 峯 寺 雑 文 邊 り の 読 の 方 が 要 當 な も の と 認 め ら れ る の で あ る 。 前 述 せ る 如 く 、 弘 仁 七 年 に 高 野 山 の 官 符 が あ つ た の で あ る か ら 、 翌 八 年 に は 大 師 に 依 つ て 少 く と も 大 結 界 の 法 が な さ れ 、 伽 藍 配 置 に 封 す る 大 師 の 意 圖 が 決 定 し て ゐ た も の と 思 は れ る 。 金 剛 峯 寺 雑 文 に 縁 つ た と 思 は れ る 壇 上 奥 院 建 立 , 井 回 緑 記 、 南 山 秘 記 等 に は 弘 仁 十 年 に 、 前 者 は 講 堂 の 造 建 、 後 者 は 大 塔 心 柱 を 壇 上 に 曳 く 次 第 を 傳 へ て ゐ る 。 世 一 間 の 信 坊 と 云 ふ の は 、 高 野 山 の 地 理 的 状 勢 上 、 此 等 の 二 者 に 著 工 せ ら る か 以 前 既 に 功 畢 し て 居 た も の と 考 へ ね ば な ら な い 。 何 ん と な れ ば 地 理 的 状 勢 は 大 師 が 現 在 の 天 野 を 根 振 と せ ら れ た で あ ら う が 、 伽 藍 創 建 に は 、 其 地 に 支 度 會 所 が 必 要 で あ る 。 此 支 度 會 所 に 在 つ て 事 務 者 と 技 術 者 の 間 に 各 種 の 交 渉 が 行 は れ る の で あ る か ら 、 支 度 は 造 建 過 程 中 の 重 要 な る 地 位 を 占 む る も の で あ る 。 此 れ に は 必 ら す 世 一 間 の 信 坊 が 使 用 せ ら れ た で あ ら う 。 然 ら ば 世 一 間 の 信 坊 建 立 年 代 を 何 虜 に 持 つ て 行 く べ き か 。 太 政 官 符 に は 上 奉 爲 國 家 、 下 爲 諸 修 行 者 、 蔓 夷 荒 藪 建 立 修 輝 一 院 、 纏 中 有 誠 、 山 河 地 水 悉 是 國 主 有 也 、 若 比 丘 受 用 他 不 許 物 即 犯 盗 罪 者 と 云 つ て 、 土 地 に 封 す る 大 師 の 敬 慶 な る 態 度 を 表 明 し て ゐ る と こ ろ よ り し て 、 修 輝 の 一 院 を 建 立 せ ら れ た の は 官 符 高 野 山 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 経 緯 一 四 一

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高 野 山 に 於 け ろ 伽 藍 建 立 の 経 緯 一 四 二 坦 前 に 在 つ た と は 思 は れ な い 。 斯 う な ゐ と 弘 仁 七 年 よ り 十 年 に 至 る 間 と 見 な け れ ば な ら ぬ 、 師 ち 金 剛 峯 寺 修 行 縁 起 の 云 ふ 様 に 表 請 と 同 時 に 入 定 之 虎 を 鮎 し て 、 一 爾 の 草 苓 を 作 り 、 高 事 に 逞 無 し と 難 ど も 毎 年 必 ら す 一 度 は 登 山 し て 監 督 せ ら れ た で あ ら う か ら 、 十 年 に は 世 一 間 の 信 坊 が 功 畢 し て ゐ た も の と 考 へ ね ば な ら ぬ 。 支 度 會 所 と し て の 僧 坊 が 十 年 に 建 立 せ ら れ た と 云 ふ 事 が 決 定 す る と 、 其 年 直 ち に 大 塔 と 講 堂 が 起 工 さ れ た と 云 ふ 事 も 、 亦 雨 雨 相 侯 つ て 想 像 に 難 く な い 。 然 し 乍 ら 此 等 二 堂 塔 の 事 業 が 、 必 ら す し も 同 時 に 行 は れ た も の で は な い 。 金 剛 峯 寺 雑 文 に 睾 け ら れ た 、 先 づ 金 堂 (講 堂 ) を 造 り 、 後 に 寳 塔 を 構 ふ と 云 ふ の が 順 序 で あ ら う 。 郎 ち 十 年 に は 大 塔 の 方 は 立 柱 式 の み に 留 ま り 、 主 と し て 事 業 が 講 堂 に 向 け ら れ た の で あ る 。 然 も こ の 功 畢 侭 天 長 の 晩 年 と 想 定 さ れ な け れ ば な ら な い 。 と 云 ふ の は 、 講 堂 造 立 事 業 に 關 す る 史 料 が 無 い か ら 、 此 間 に 於 け る 大 師 の 御 動 静 に 依 つ て 推 定 し な け れ ば な ら な い 。 天 長 九 年 に 高 雄 の 蕎 居 を 彿 つ て 南 山 に 移 ら れ た と 云 ふ の は 、 大 師 に 肉 盟 上 の 澗 題 が あ つ た に せ よ 、 更 に 大 師 に と つ て 重 大 な る 問 題 は 、 南 山 の 伽 藍 建 立 に 就 い て の 御 執 心 で あ つ た に 相 違 な い 。 績 日 本 後 紀 巻 四 に は 、 承 和 二 年 春 正 月 壬 子 に 大 師 は 東 寺 の こ と を 奏 上 し て 、 今 堂 舎 巳 建 と 言 つ て ゐ る の で あ る か ら 、 高 雄 に 在 つ て 東 寺 の 造 立 を 督 せ ら れ て ゐ た も の が 、 承 和 二 年 に そ の 完 成 が 上 奏 さ る か 迄 に 進 功 し た の を 見 て 、 最 後 の 理 想 境 た る 南 山 の 工 事 を 督 せ ん が 爲 に 移 居 さ れ た も の で あ つ た 。 時 既 に 南 山 に 在 つ て は 、 弘 仁 十 年 着 工 以 來 の 講 堂 の 造 事 が 完 成 の 境 に 達 し て ゐ た 。 如 何 ん と な れ ば 、 大 師 終 生 最 極 の 事 業 は 大 塔 の 建 立 で あ つ た と 云 ふ こ と は 前 詮 し た 通 り で あ る 。 此 塔 が 十 年 に 立 柱 さ れ 、 越 え て 承 和 元 年 八 月 に 、 勤 進 智 識 文 が 獲 せ ら れ た と 云 ふ 事

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を 考 察 す れ ば 自 ら 判 然 し よ う 。 師 ち ほ が 講 堂 の 造 建 が 完 成 の 境 に 到 達 し た 頃 、 大 塔 は 立 柱 式 後 の 工 事 を 進 め た も の と 想 像 さ れ る か ら で あ る 。 此 の 勧 進 文 は 、 講 堂 の 造 功 費 と 、 或 は 前 述 の 東 寺 の 入 費 も 含 ま れ て か 、 何 れ に し て も 大 塔 に 着 工 後 間 も な く 工 費 上 の 問 題 よ り 登 せ ら れ た も の で あ る か ら 、 再 び 前 読 を 極 言 し て 、 講 堂 の 功 畢 を 見 て 大 師 が 高 雄 の 菖 居 を 携 は れ た と 解 し て 天 長 八 年 乃 至 九 年 に 講 堂 の 建 築 が 畢 つ た も の と 決 定 し 度 い の で あ る 。 天 長 九 年 八 月 二 十 二 日 の 萬 燈 會 も 明 ら か に 此 間 の 清 息 を 物 語 る も の で あ る 。 ( 参 考 の 爲 に 後 尾 へ 大 塔 造 立 の 年 代 表 々 出 し て 置 い た 此 れ に 依 つ て ほ 穿 輩 立 所 要 日 時 が 推 定 さ れ よ う ) 最 後 に 大 塔 造 立 の 年 代 で あ る 。 始 工 に 就 い て は 、 前 に も 一 寸 燭 れ た 弘 仁 十 年 で あ つ て 、 此 時 は 全 く 祭 式 に 留 め ら れ 斧 始 は 天 長 の 中 頃 よ 匂 晩 年 に 掛 け て 在 つ た と 云 ふ 事 も 、 前 述 に 依 つ て 容 易 に 想 定 さ れ る 。 然 る に 承 和 に 至 り て 大 塔 工 事 に 支 障 を 召 來 し た 。 敬 渤 、 癒 奉 浩 佛 塔 曼 茶 羅 等 書 ⋮ ⋮ 定 慧 以 開 正 法 修 輝 定 爲 旨 、 幅 徳 以 建 佛 塔 造 佛 像 爲 要 ⋮ ⋮ 然 今 工 夫 敷 多 根 食 難 給 、 今 思 與 諸 貴 競 四 衆 同 斯 功 業 、 所 以 一 塵 崇 大 嶽 、 一 滴 深 廣 海 、 同 心 鋤 力 之 所 致 也 、 伏 乞 諸 檀 越 等 、 各 こ 添 一 銭 一 粒 之 物 、 相 濟 斯 功 徳 、 然 則 所 誉 事 業 不 日 而 成 。 則 ち 大 塔 の 工 事 牛 ば に し て 、 多 歎 の 工 人 に 糎 食 が 給 さ れ 難 く な り 、 終 に 承 和 元 年 八 月 、 大 師 は 悲 肚 な 御 決 心 の 下 に 、 右 の 勧 進 文 を 出 さ れ た の で あ る 。 斯 か る 厭 態 で あ つ た の で あ る か ら 、 承 和 二 年 三 月 世 一 日 頃 に は 決 し て 工 事 が 進 ん で 居 な か つ た 。 螢 む 所 の 事 業 は 日 な ら す し て 成 る と 云 ふ 大 師 の 言 は 、 大 師 に と つ て も 工 事 の 見 當 が 付 か な か つ た こ と を 意 味 す る の で あ る 。 此 の 爲 に 大 師 は 御 入 定 に 臨 ま れ て の 御 逡 告 に も 、 高 野 山 に 於 け る 伽 藍 違 立 の 経 緯 一 四 三

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高 野 山 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 経 緯 一 四 四 東 寺 定 供 信 二 十 四 口 縁 起 第 十 三 に 但 有 工 巧 意 操 風 流 可 用 修 理 造 作 庄 嚴 佛 事 者 、 不 求 浮 不 浮 。 と 約 束 し て ゐ る の は 、 當 時 大 師 を 中 心 と せ る 造 寺 ・ 造 佛 の 技 術 者 は 、 東 寺 に そ の 居 を 定 め て ゐ た こ と を 察 知 す る と 伺 時 に 、 大 師 は 技 術 者 を 如 何 に 優 遇 せ し か の 問 題 に 封 す る 好 資 料 と 云 は れ な け れ ば な ら ぬ 。 大 師 晩 年 に 於 け る 造 寺 ・ 造 佛 は 、 量 的 に 見 て も 、 亦 質 的 に 見 て も 、 所 謂 修 業 の 片 手 間 に や る と 云 ふ 風 な 、 簡 軍 な 事 業 で は な か つ た と 云 ふ 事 は 、 既 に 前 述 し た 通 り で あ る 。 此 等 の 最 後 の 問 題 で あ る 大 塔 の 完 成 を 見 す し て 、 御 入 定 に 臨 ま れ た 大 師 の 御 心 境 は 如 何 ば か り で あ つ た ら う か 。 尤 も 金 剛 峯 寺 修 行 繰 起 は 天 長 九 年 に 大 師 が 、 高 雄 よ り 高 野 山 に 移 住 し て よ り 、 裏 院 上 寺 下 院 、 堂 塔 坊 舎 已 に 其 員 有 り 、 就 中 大 塔 の 内 に は 丈 六 の 五 佛 を 安 置 し て 、 御 願 を 勤 仕 し た と 傳 へ る が 、 此 は 五 佛 の 安 置 を 述 べ る も の に し て 、 大 塔 建 築 の 完 成 、 未 完 成 に 燭 れ る も の で は な い 。 此 記 事 は 、 塔 は や う や く 雨 滴 を 凌 ぐ 程 度 に 在 つ て 、 五 佛 の み 安 置 せ ら れ て ゐ た こ と を 傳 へ る も の と 解 し て よ い 。 ( 佛 の 逡 立 感 講 堂 諸 佛 の 造 立 と 共 に 後 親 す る ) 承 和 二 年 三 月 世 一 日 大 塔 の 功 畢 を 眞 然 僧 正 に 逡 囑 し て 御 入 定 な し 給 う た 。 と こ ろ が 修 筏 綾 笹 に 、 以 金 剛 峯 寺 付 眞 然 大 徳 、 件 寺 創 造 未 畢 、 但 件 大 徳 自 力 未 厚 、 實 調 大 徳 可 加 功 云 々 と 云 つ て ゐ る が 、 何 故 に 自 力 厚 か ら ざ る 眞 然 師 に 付 囑 し て 、 實 慧 師 に こ の 援 助 を 命 ぜ ら れ し か 。 時 に 眞 然 は 三 十 二 歳 、 實 慧 は 既 に 五 十 二 歳 と あ れ ば 、 斯 か る 大 師 の 後 事 は 實 慧 に 於 て こ そ 容 易 に 進 促 さ れ た で あ ら う と 推 察 さ れ る の に 。 然 し 乍 ら 大 塔 の 完 成 、 更 に 金 剛 峯 寺 の 完 備 を 見 る に 至 る 迄 の 過 程 は 、 大 師 の 御 見 當 に 依 つ て は 、 到 底 實 慧 師 の 生 涯 で は 困 難 な る こ と ガ 制 然 し て 居 た 。 批 意 味 に 於 て 年 少 の 眞 然 師 に 後 事 が 付 嘱 さ れ た の で あ つ た 。

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さ て 大 師 御 入 定 の 翌 承 和 三 年 七 月 實 慧 の 奏 講 に 依 つ て 、 大 塔 料 稻 税 五 百 鱗 を 賜 ひ 、 以 て そ の 工 を 進 め た が 、 果 し て 筒 前 途 遼 還 た る も の が あ つ た 。 實 慧 に は 前 述 の 御 影 堂 、 奥 院 塔 、 中 門 等 の 個 人 的 責 任 額 に も 沸 は る べ き 努 力 を 要 し た の で あ つ た か ら 、 大 塔 に 注 が れ た も の は 右 の 五 百 斜 程 度 に 過 ぎ な か つ た 。 そ こ で 最 後 の 眞 然 師 の 時 代 と な る の で あ る が 、 こ れ も 亦 、 中 院 御 坊 の 完 成 と 鐘 堂 、 経 藏 、 食 堂 が 大 師 に 遺 約 さ れ て 、 終 に 大 塔 の 完 成 を 見 な い の で あ つ た 。 即 ち 溝 和 、天 皇 の 貞 競 に 入 つ て 賜 ひ し 二 度 の 塔 料 は 、 過 去 三 十 撒 年 間 未 完 成 の ま か 置 か れ た 塔 の 、 早 く も 腐 朽 せ し を 、 修 覆 の 爲 に 清 費 さ れ ね ば な ら ぬ 状 態 で あ つ た 。 爾 後 寛 弔 法 皇 に 至 る 間 は 、 殆 ん ど 大 塔 工 事 が 着 手 さ れ ざ り し か と 考 へ ら る 。 金 剛 峯 寺 雑 文 の 寛 弘 三 年 に 於 け る 、 仁 海 借 正 の 大 塔 再 建 願 文 に は 、 大 塔 完 成 年 時 を 寛 李 法 皇 と し て ゐ る 。 待 彌 勒 出 世 之 間 、 吾 山 不 可 破 壌 、 故 號 金 剛 峯 、 感 如 此 事 、 寛 羅 太 上 溶 呈 昧 其 道 、 加 崇 錺 之 典 、 及 子 此 時 御 塔 廣 大 猶 以 牛 作 也 、 傍 唱 知 識 造 立 既 墨 事 意 在 別 こ れ に 依 て 寛 李 法 皇 の 時 に は 、 未 だ 牟 作 な り し を 知 る も の で あ る か ら 、 眞 然 も 貞 観 以 後 牟 作 の ま か 、 唯 々 安 置 さ れ た 五 佛 に 封 し て 修 法 し て 居 た の で あ ら う 。 然 し 乍 ら 斯 か る 長 期 間 に 亘 つ て 、 大 師 が 宿 願 と さ れ た 大 塔 は 、 何 故 に 而 も 撒 代 の 末 徒 に 依 つ て も 尚 結 構 さ れ ざ り し か 。 佛 教 美 術 史 の 上 に は 、 齊 衡 よ り 貞 観 起 至 り て 、 斯 の 東 大 寺 盧 遮 那 佛 頭 の 断 堕 あ り 、 眞 如 親 王 が そ の 修 理 大 佛 司 瞼 校 と な り 、 慧 蓮 叉 こ の 開 眼 導 首 と し て 、 此 間 宗 内 と し て も 相 當 の 援 助 が あ つ た も の と 推 定 さ れ る し 、 爾 叉 三 十 帖 策 子 問 題 に よ る 宗 内 の 動 揺 も 認 め ら れ る が 、 更 に む し ろ 政 治 的 、 個 入 的 問 題 が 介 在 し た に 起 因 さ れ よ う 。 此 の 事 は む し ろ 高 野 山 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 経 緯 一 四 五

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高 野 山 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 経 緯 一 四 六 同 一 轍 に 置 か れ た と 思 は る か 誘 號 問 題 と 共 に 他 日 密 教 史 に 依 つ て 解 決 せ ら る か こ と で あ ら う か ら 、 こ か で は 其 後 、 右 の 寛 李 法 皇 に 依 つ て 大 塔 が 功 畢 さ れ た 年 時 の 決 定 を 試 み る こ と に す る 。 塞 嚇璽 の 高 野 山 に 御 幸 し 給 ひ し は 、 綾 弘 法 大 師 年 譜 巻 二 ・ 肇 法 皇 幸 嶽 の 項 に 依 つ て 昌 泰 三 年 ( 元 一 五 六 〇 ) 十 月 で あ つ た こ と が 分 る 。 ( 高 野 鍛 挾 帳 に ぱ 異 設 と し て 冤 雫 九 年 々 學 げ て ゐ る ) こ れ は 日 本 紀 略 後 篇 一 、 昌 泰 三 年 十 月 の 條 に 云 ふ 、 某 ( 其 ) 日 、 太 上 法 皇 ( 多 、 参 詣 南 山 、 に 檬 つ た も の で あ ら う が 、 日 本 紀 略 も 績 年 譜 も 共 に 法 皇 の 御 幸 に 關 す る 理 由 に は 何 等 鰯 れ て ゐ な い 。 勿 論 大 師 の 御 遺 徳 を 御 追 慕 さ れ て の 御 饗 詣 で あ つ た 事 は 拝 察 さ る か も 、 其 庭 に は 何 等 か の 動 機 、 根 嫁 が な く て は な ら ぬ も の と 思 は れ る 。 今 こ れ を 大 塔 造 立 の 問 題 に 關 聯 さ せ て 考 察 す れ ば 、 如 何 な る 結 論 に 到 達 す る で あ ら う か 。 そ も そ も 寛 李 法 皇 の 御 出 家 は 昌 泰 二 年 に 在 り 、 盆 信 が 戒 師 で あ つ た 。 盆 信 越 え て 延 喜 元 年 十 二 月 に は 法 皇 に 灌 頂 を 授 け 奉 り 、 時 に 一 宗 の 光 華 そ の 極 盛 を 示 し た 。 匡 房 神 仙 傳 に 云 ふ が 如 く 、 佛 法 の 弘 流 は 、 種 姓 を 以 て 先 と す と 云 ふ こ と は 、 古 今 佛 教 史 の 常 に 示 す と こ ろ で あ る 。 南 山 は 山 高 く 、 京 よ り の 道 遙 か に し て 、 そ の 往 還 に 易 か ら す 、 然 も 常 住 の 輝 侶 に し て 誰 れ か よ く 飢 寒 を 防 が ん 哉 、 と 云 つ た 歌 態 に 置 か れ て 尚 、 伽 藍 完 備 の 功 畢 に ま で 進 み 得 ら れ た で あ ら う か 。 當 時 の 地 理 的 歌 況 が 南 山 に 比 し て 百 パ ー セ ン ト た る 東 寺 伽 藍 の 五 重 塔 で さ へ 、 天 長 二 年 に 着 工 さ れ た も の が 、 五 + 馨 後 の 元 慶 元 年 に や う や く 落 慶 し た の で あ る 。 ( 事 に 就 い て 呆 賓 師 に そ の 中 聞 に 於 け る 火 災 説 た 出 し て ゐ る ) 僻 地 に し て 然 も 主 要 人 師 を 失 ひ し 、 高 十 六 丈 、 一 暦 之 勢 定 勝 藪 重 塔 大 塔 の 功 畢 は 、 着 工 よ の 約 七 十 年 を 経 て 、 寛 李 法 皇 の 御 叡 旨 を 奉 じ て 、 始 め て 完 成 し た も の で あ ら う 事 は 如 上 に 依 つ て も 想 像 に 難 く な い 。

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寛 李 法 皇 の 南 山 御 幸 を 、 寛 李 九 年 説 と 昌 泰 二 年 説 の 爾 読 あ る こ と 並 び に 盆 信 信 正 と の 御 關 係 は 前 出 し た 。 今 盆 信 と 當 時 南 山 捻 校 た り し 無 室 と の 關 係 に 就 い て は 、 遺 憾 乍 ら 寡 聞 に し て 説 明 し 得 な い の で あ る 、 從 つ て 寛 李 法 皇 が 事 實 上 、 南 山 に 御 幸 遊 ば さ れ し 哉 否 哉 、 郎 断 に 苦 し む も の で あ る が 、 日 本 紀 略 以 下 宗 史 の 資 料 各 所 に 、 法 皇 の 御 幸 と そ の 年 時 を 傳 へ る 以 上 、 ( 仁 和 寺 御 傳 ﹂ ば 延 喜 五 年 入 月 七 日 の 金 剛 峯 寺 御 幸 々 傳 ふ 。 爲 に 得 仁 師 ほ 綾 年 譜 に 、 日 本 紀 略 の 同 年 金 峯 山 御 幸 と 關 聯 さ ぜ て 、 此 度 延 喜 五 年 の 金 峯 山 御 幸 に 二 度 目 の 高 野 山 御 幸 に し て 御 麟 京 の 御 途 次 金 峯 山 に 御 幸 魏 忙 さ れ し も の な ろ こ と た 註 し て ゐ ろ 、 ) 先 に 仁 海 師 が 云 へ る 様 に 、 尚 孚 作 た り し 大 塔 が 、 寛 牢 法 皇 の 御 叡 力 に 依 つ て 完 成 し た と 云 ふ 事 は 事 實 で あ つ て 、 此 事 を 裏 付 け る 爲 に 、 昌 泰 三 年 並 び に 延 喜 五 年 の 御 参 詣 、 御 幸 読 が 生 じ た も の で あ る と 云 ふ 解 繹 は 首 肯 さ れ て よ い 。 以 上 で ほ が 大 塔 建 立 功 畢 時 日 の 見 當 が 付 い た の で あ る 。 邸 ち 吾 々 は 仁 和 寺 御 傳 の 用 字 法 に 依 つ て 直 ち に こ れ を 決 定 す る 事 が 出 來 る 。 昌 泰 三 年 嫉 年 の 條 に は + 月 南 山 御 修 行 と あ る に 、 延 喜 五 年 の 條 に は 八 月 七 日 亥癸 、 禦 金 剛 峯 寺 と あ る 。 金 剛 峯 寺 な る 名 稽 の 建 前 が 大 塔 に 在 る と 云 ふ 事 は 、 吾 々 が 既 に 熟 知 す る と こ ろ で あ る 、 仁 和 寺 御 傳 は 愈 海 ( 後 柏 原 帝 頃 ) 師 の 撰 す る も の で あ る か ら 、 當 時 の 史 料 と し て は 充 分 な も の で は な い 。 然 し 乍 ら 又 そ の 反 面 に 特 に 、 数 果 ,を 塞 け る 場 合 が あ る 。 と 云 ふ の は 、 史 料 と 云 ふ も の は 後 代 に 下 る 程 、 藪 字 又 は 近 似 の 軍 語 が 誤 ま た れ る も の で あ つ て 、 例 へ ば 三 が 五 と な り 、 六 が 九 と な り 、 岡 本 宮 が 此 本 宮 と な り 、 爲 に が 將 に と 誤 爲 さ れ 韓 爲 す る 内 に 終 に は 三 韓 四 韓 の 高 野 山 に 於 け ろ 伽 藍 建 立 の 樫 緯 一 四 七

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高 野 山 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 絶 緯 一 四 八 結 果 と ん で も な い 材 料 と し て 使 用 さ れ る の で あ る 。 今 仁 和 寺 御 傳 の 、 南 山 御 修 行 の 五 字 と 、 御 幸 金 剛 峯 寺 の 六 字 に 果 し て 誤 爲 さ る か 檬 な 、 或 は 又 誤 音 、 音 通 に 依 つ て 誤 つ て 韓 爲 さ る か が 如 き 字 句 が 見 出 ざ れ る で あ ら う か 。 南 山 と 高 野 山 は 同 意 で あ り 、 全 山 の 総 構 で は あ る が 、 金 剛 峯 寺 と 云 ふ 名 稽 は 、 大 塔 を 封 象 と し て の 、 む し ろ 伽 藍 の 総 稻 語 で あ る 。 更 に 南 山 と 金 剛 峯 寺 の 音 韻 、 字 詰 に 近 似 を 見 出 す 蝕 地 が な い 。 以 下 御 修 行 と 御 幸 の 場 合 に し て も 亦 然 り 、 つ ま り 爾 者 の 間 に は 全 然 近 似 鮎 が 見 出 さ れ な い の で あ る 。 斯 う し た 場 合 、 後 世 に 於 い て も 尚 、 南 山 御 修 行 と 御 幸 金 剛 峯 寺 の 雨 句 が 使 ひ 分 け ら れ て ゐ る と 云 ふ 事 を 以 て 、 昌 泰 三 年 の 寛 李 法 皇 御 修 行 が 大 塔 完 成 の 御 検 分 の 爲 で あ り 、 延 喜 五 年 八 月 七 日 の 御 幸 が 大 塔 功 畢 の 供 養 の 爲 で あ つ た と 云 ふ 事 を 知 る も の で あ る 。 郎 ち 天 長 十 年 丑癸 ( 紀 元 一 四 九 三 )着 工 さ れ て 以 來 七 十 二 年 を 経 過 し た る 延 喜 五 年 丑乙 ( 元 一 五 六 五 ) 八 月 七 日 に 始 め て 、 繕 大 の 寳 婁 只が 寛 卒 法 皇 の 御 叡 慮 に 依 つ て 完 成 さ れ た の で あ つ た 。 堂 塔 安 置 の 諸 佛 金 堂 の 諸 卑 金 堂 は 大 正 十 五 年 十 二 月 世 六 日 に 嶢 失 し た の で あ る が 、 嶢 失 前 の 有 様 は . 堂 内 壇 上 の 中 央 に 本 尊 藥 師 如 來 金 色 坐 像 一 丈 六 尺 が 安 置 さ れ 、 脇 侍 と し て 普 賢 延 命 菩 薩 、 不 動 明 王 、 金 剛 薩 錘 、 虚 室 藏 菩 薩 、 降 三 世 明 王 、 金 剛 王 菩 薩 の 六 盟 が 安 置 さ れ 、 東 西 の 爾 壇 に は 爾 界 曼 茶 羅 が 懸 け ら れ て ゐ た 。 然 る に 本 尊 藥 師 如 來 に 就 て 異 説 が あ る 、 師 ち 仁 海 師 は 金 剛 峯 寺 修 行 縁 起 に 於 て

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三 間 四 面 講 堂 一 宇 、 柱 長 剛 丈 六 尺 、 奉 安 置 一 丈 六 尺 阿 悶 如 來 、 入 尺 五 寸 四 菩 薩 、 七 尺 二 寸 不 動 降 三 世 併 七 躯 。 と 云 つ て ゐ る の で あ る 、 此 設 は 二 度 目 の 炎 上 た る 久 安 の 頃 に も 爾 阿 閤 如 來 た る を 圭 張 し て ゐ る 。 と こ ろ が 高 野 秘 記 に は 、 中 奪 阿 閤 自 性 身 入 藥 師 三 摩 地 甚 深 秘 法 也 と あ る 。 つ ま り 金 堂 本 愈 に 就 て は 藥 師 ・ 阿 閤 の 爾 読 が 残 つ て ゐ る の で あ る が 、 今 大 師 の 建 前 は 阿 閤 如 來 で あ つ た と 考 察 さ れ る の で あ る 。 已 下 暫 ら く 教 詮 し て 見 よ う 。 先 づ 斯 か る 問 題 を 惹 起 す る と こ ろ の 根 本 問 題 は 、 奪 像 安 置 法 上 に 於 て は 六 躯 の 脇 侍 に 在 り 、 他 方 歴 史 的 に 観 れ ば 例 の 講 堂 か ら 金 堂 へ の 改 稽 問 題 で あ ら う 。 六 魑 脇 侍 の 配 置 は 、 南 面 せ る 金 堂 本 奪 の 左 方 郎 ち 東 方 に は 、 東 方 よ り 普 賢 延 命 菩 薩 、 不 動 明 王 、 金 剛 薩 錘 と 安 置 さ れ 。 本 卑 の 右 方 郎 ち 西 方 に は 、 本 奪 よ り 西 方 へ 金 剛 王 菩 薩 、 降 三 世 明 王 、 盧 室 藏 菩 薩 と 安 置 さ れ て ゐ た の で あ る 。 つ ま り 本 奪 の 直 ぐ 爾 脇 侍 怯 金 剛 薩 錘 、 金 剛 王 菩 薩 で あ り 、 そ の 隣 り が 不 動 明 王 、 降 三 世 明 王 で あ り 、 繭 最 端 が 普 賢 菩 薩 並 び に 盧 室 藏 菩 薩 と 云 ふ こ と に 成 る 。 此 等 六 躯 の 内 、 常 識 上 、 直 ぐ 隣 り の 二 菩 薩 を 本 象 直 馬 の 爾 脇 侍 と 見 な け れ ば な ら な い 。 し て 見 れ ば 金 剛 薩 錘 肉 色 左 手 鈴 、 右 手 持 五 股 杵 金 剛 王 菩 薩 肉 色 二 手 叉 拳 は 、 ど ん な も の に な る か 、 こ れ に 金 剛 愛 、 金 剛 喜 の 二 菩 薩 を 加 へ て 阿 閤 の 四 親 近 菩 薩 と 云 ふ こ と 晟 る 。 ( 藏 記 )

(

古 來 高 野 山 で 腫 金 堂 本 尊 々 秘 佛 と し て 絶 封 に 開 扉 さ れ な か つ た 。 此 れ が 爲 に 現 今 某 師 々 除 い て 誰 一 人 親 し く 拝 観 し た 老 が な い 。 從 つ て 爲 員 も 残 つ て 居 な い の で あ ろ 。 唯 脇 士 の 六 燈 が 明 治 .四 十 二 年 三 月 に 金 剛 峯 寺 と 國 華 杜 の 手 に 依 つ て 撮 影 さ れ て 居 ろ の と 、 國 寳 全 集 第 十 七 輯 に 金 剛 薩 唾 像 が 載 ぜ ら れ て 居 ろ 丈 で あ る ら 從 つ て 拙 稿 で に 明 治 四 十 二 年 の " 野 山 婁 寳 集 " に 依 る 。 ) は 秘 藏 記 に 云 ふ が 如 く 、 金 剛 薩 讐 在 つ て は 、 左 手 に 鈴 を 持 ち 、 右 手 に 五 股 杵 を 持 つ し 、 金 剛 王 菩 薩 も 同 じ べ 二 手 拳 を 叉 し て ゐ る こ と よ り し て 、 大 師 が 講 堂 に 奉 安 高 野 山 二 於 け る 臨 藍 塗 立 の 経 緯 一 四 九

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高 野 山 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 経 緯 一 五 〇 置 れ る 本 奪 並 び に 爾 脇 士 は 秘 藏 記 に 云 ふ と こ ろ の 、 阿 閤 如 來 並 び に 、 そ の 四 親 近 中 の 二 菩 薩 、 金 剛 薩 錘 、 金 剛 王 菩 薩 で あ つ た こ と が 判 明 す る 。 ( 間 流 布 の 藥 師 如 來 脇 侍 た る 日 光 、 月 光 或 感 薬 王 、 藥 上 と に 全 然 思 へ な い の で あ ろ 。 ) 然 ら ば 後 世 如 何 な ろ 理 由 に 依 つ て 阿 閤 が 藥 師 と さ れ た か 、 此 れ は 本 來 眞 言 宗 内 に 於 て 、 秘 密 思 想 が 奪 ば れ る 所 よ り 生 ぜ し 、 一 ツ の 罐 と も 云 ふ べ き も の か 表 示 で あ ら 。 師 ち 阿 閾 藥 師 の 同 異 問 題 が 、 既 に 傳 癸 師 ( 紀 一 四 二 七 同 一 四 八 二

)が

師 法 を 阿 閾 法 に 依 て 傳 へ し 時 に 始 ま る の で ( 什 阿 悶 梨 説 ) あ つ て 、 此 問 題 と 藤 原 時 代 に 再 流 行 せ る 金 堂 樗 呼 の 思 想 の 交 流 か ら し て 、 金 堂 と 樗 ぶ か ら に は 本 愈 が 藥 師 で あ ら う と 云 ふ 程 度 の 考 へ が 、 後 世 に 於 て 藥 師 如 來 と 決 定 し た も の で あ る 。 本 尊 が 藥 師 如 來 で あ れ ば 、 金 剛 王 菩 薩 が 愛 染 王 に 代 る の も 亦 喩 祇 経 思 想 上 考 へ ら れ ぬ こ と も な く 、 延 い て は 道 範 頃 に 至 つ て 愛 染 明 王 と 云 ふ 決 定 説 が 生 す る に 到 つ た も の と 考 へ ら れ る 。 然 し 乍 ら 吾 々 は 斯 か る 尊 像 形 式 の 愛 染 明 王 を 知 ら な い の で あ る が 、 此 財 題 は 圖 像 學 的 問 題 で な い 以 上 、 別 に 更 め て 解 決 せ ね ば な ら ぬ 程 の も の で も な か ら う 。 藥 師 が 本 奪 で あ り 脇 士 が 六 纒 あ る と こ ろ よ り 、 七 佛 藥 師 が 安 置 さ れ た の で あ る と 云 は れ る 奇 読 と ほ が 同 程 度 に 考 へ て 置 い て よ い 。 爾 叉 某 師 は 、 本 奪 が 念 怒 の 眼 を し て 居 ら れ た と 云 は れ る の で あ る が 、 秘 紗 口 決 第 三 、 藥 師 法 、 阿 閾 藥 師 同 異 事 の 條 に 、 報 恩 云 と し て 、 阿 閥 以 降 魔 爲 本 意 、 藥 師 以 除 病 爲 詮 と 云 ふ の で あ る か ら 、 こ か に も 亦 本 奪 阿 闘 読 な る 教 謹 が 見 ら れ る の で あ る 。 已 上 三 尊 を 爾 部 に 配 當 す れ ば 金 剛 界 と し て の 色 彩 が 濃 厚 で あ る 、 部 ち 金 剛 頂 経 の 系 統 を 辿 る 鍮 舐 経 系 本 奪 並 び に 脇 士 と 云 ふ 事 が 出 來 る の で あ る 。

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次 に 爾 脇 侍 の 中 奪 不 動 明 王 、 降 三 世 明 王 は ど う で あ る か 。 不 動 明 王 は 髪 上 に 八 葉 の 蓮 花 あ り 、 頂 髪 が 右 肩 に 垂 れ 、 左 定 手 に は 絹 索 を 握 り 、 右 慧 手 に は 寳 剣 を 把 る 、 芽 に は 金 剛 寳 理 路 を 着 け 、 威 怒 身 に は 猛 煽 を 浴 び て 盤 石 座 に 住 し て ゐ る 。 又 降 三 世 の 方 は 、 頭 に 火 髪 冠 を 頂 き 、 三 面 各 三 目 、 八 鷺 の 相 を 示 現 し て 、 左 第 一 手 執 戟 錆 、 第 二 手 抱 寳 弓 、 第 三 手 金 剛 索 、 右 第 一 手 金 剛 鐸 、 第 二 手 持 寳 箭 、 第 三 手 握 費 劒 、 第 四 手 左 右 叉 念 に し て 、 左 足 に 大 天 を 躍 み 、 右 足 に 天 后 を 躇 む 形 式 で あ る 。 斯 か る 以 上 二 愈 像 は 補 陀 落 海 會 軌 不 空 謬 ( 大 正 、 二 十 巻 一 〇 六 七 ) に 概 る 稜 形 式 に し て 、 何 れ も 胎 贅 持 明 院 に 配 當 さ れ る 、 安 鎭 法 の 諸 尊 で あ る こ と が 解 る 。 最 後 に 共 に 東 西 南 端 に 妥 置 さ れ た る 、 普 賢 延 命 善 薩 と 虚 室 藏 菩 薩 は 如 何 な る 意 味 合 ひ の 諸 奪 で あ つ た か 。 此 等 二 菩 薩 に 就 い て は 、 殆 ん ど 卸 決 に 苦 し ま さ れ る の で あ る 。 そ こ で 六 奪 を 技 術 的 に 観 れ ば 、 大 膿 に 於 て 弘 仁 初 期 、 即 ち 大 師 當 時 に 製 作 さ れ た 諸 奪 で あ つ た こ と が 肯 か れ る の で あ る が 、 個 別 的 に 観 察 す れ ば 本 寧 の 第 一 脇 侍 ( り に 本 奪 に 近 い 脇 侍 々 第 一 と し 、 離 れ う に 從 つ て 第 二 一、 第 三 と 稻 す ) た る 、 金 剛 薩 と 金 剛 王 菩 薩 の 二 麗 が 共 に 、 刀 法 む し ろ 素 朴 と 観 ら れ る が 、 非 常 に 愈 像 と し て の 調 子 の 高 い と こ ろ か ら し て 、 或 は 當 時 の 高 借 の 手 に 成 る も の で は な い か と さ へ 思 は れ る 味 が あ る 。 此 の 奪 像 に 近 い の が 第 三 脇 侍 、 西 方 の 左 手 に 蓮 華 を 持 し 、 華 上 に 寳 珠 あ り 、 右 手 與 願 印 を 成 す 盧 室 藏 菩 薩 で あ る 。 同 一 色 彩 を 帯 び た 六 躯 の 奪 像 が 同 一 場 所 に 安 置 さ れ て ゐ る の に 、 そ の 技 術 的 氣 風 に 二 様 風 が 見 ら れ 、 然 か も 、 志 奪 に 近 い 第 一 脇 侍 と 、 或 は 猛 奪 像 か と 思 は れ る 虚 察 藏 菩 薩 が 、 當 時 の 高 信 的 技 術 が 認 め ら れ る と す れ ば 、 奪 像 製 作 の 當 事 者 即 ち 技 術 者 は 大 師 と 迄 も 言 及 さ れ ざ る も の と は 云 へ 、 大 師 は 特 に 此 等 三 躯 こ ( 尊 ほ 當 然 の 事 乍 ら ) カ を 傾 注 さ れ た も の で は な い か と 想 定 さ れ る の で あ る 。 高 野 山 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 経 緯 一 五 一

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高 野 山 に 於 け る 倣 藍 建 立 の 経 緯 一 五 二 さ れ ば 、 前 二 者 を 喩 祇 経 へ の 奪 像 表 現 過 程 に 在 る も の と す れ ば 、 後 者 を 求 聞 持 法 軌 の 尊 像 か と 推 定 さ れ る の で あ る 。 塵 室 藏 菩 薩 能 満 諸 願 最 勝 心 陀 羅 尼 求 聞 持 法 善 無 畏 課 に は 身 作 金 色 、 智 蓮 華 上 牛 跡 而 坐 、 以 右 駆 左 、 容 顔 殊 妙 作 熈 恰 喜 挽 之 相 、 於 費 冠 上 有 五 佛 像 、 結 跡 朕 坐 、 菩 薩 左 手 執 白 蓮 華 、 微 作 紅 色 、 於 華 毫 上 有 如 意 寳 珠 、 映 琉 璃 色 黄 光 獲 紹 、 右 手 復 作 與 諸 願 印 、 五 指 垂 下 現 掌 向 外 、 是 與 願 印 相 と 云 ひ 、 蔓 輝 抄 第 四 求 聞 持 法 同 異 観 の 項 に は 此 奪 を 睾 げ て 、 大 師 同 以 此 愈 像 令 勤 修 御 、 世 人 謂 之 悉 地 成 就 本 尊 。 と 云 ふ の で あ る 。 斯 か る 理 由 の 下 に 、 大 師 が 脇 侍 六 躯 造 立 に 際 し て 、 右 三 尊 に は 特 に 力 を 注 が れ た と こ ろ よ り し て 、 他 の 三 尊 に 比 し て 、 そ の 作 柄 が 超 俗 的 と 成 つ た の で あ ら う 事 が 想 像 さ れ る 。 最 後 の 普 賢 延 命 菩 薩 に 就 て は 、 こ れ が 如 何 な る 意 圖 に あ つ た か 、 先 づ 尊 像 形 式 は 、 頭 に 五 佛 の 寳 冠 を 戴 き 、 二 十 腎 に し て 、 右 五 股 杵 、 三 股 杵 、 憧 、 索 、 珠 ( と 畳 し ) 、 青 寳 、 鈎 、 拳 、 箭 . 鈎 。 左 含 蓮 、 拳 、 ( 不 明 ) 、 鈴 、 牙 、 藪 珠 、 謁 磨 杵 、 青 寳 ( 寳 と 寛 し ) 、 無 物 拳 、 と 云 ふ 持 物 で あ り 、 皇 座 が 四 大 白 象 と 成 つ て 、 所 謂 騎 像 、 二 十 腎 、 戴 五 佛 冠 と 云 ふ 形 式 の 普 賢 延 命 で あ る 。 此 れ は 轟 抄 ( 四 、 一 四 七 三 ) に 云 ふ と こ ろ の 、 執 持 十 六 尊 井 四 囁 三 摩 耶 標 幟 右 方 薩 王 愛 喜 、 賓 光 瞳 険 、 鉤 索 。 左 方 法 利 因 語 、 業 護 牙 捧 、 鐘 鈴 ⋮ ⋮ ⋮ 象 頂 上 有 四 大 天 王 、 向 外 方 、 立 誓 。 で あ る 。 斯 う し た 像 様 は 、 京 都 醍 醐 寺 藏 本 、 建 久 七 年 書 爲 に 成 る 、 普 賢 延 命 菩 薩 に 於 て も 見 ら れ る 奪 像 で あ つ て 、 金 剛 智 三 藏 が 云 ふ 、 金 剛 壽 命 薩 唾 智 身 者 、 五 智 聚 集 而 爲 大 樂 金 剛 薩 垂 、 以 四 波 羅 蜜 十 六 大 菩 薩 而 爲 二 十 皆 、 以 五 分 法 身 而 爲 寳 冠 。

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に し て 、 別 尊 雑 記 第 二 十 七 に は 更 に 此 尊 に 封 す る ロ 決 を 出 し て 、 靴 尊 通 身 黄 金 色 、 薯 五 智 費 冠 、 具 足 二 十 瞥 ⋮⋮ 被 殊 妙 輕 衣 、 窒 維 緩 帯 、 坐 千 葉 寳 花 、 詑 下 有 四 大 白 象 、 其 像 各 向 外 方 立 、 象 頂 上 有 四 大 天 王 向 外 方 立 。 と 読 き 、 此 四 頭 象 に 就 て は 説 虜 無 き も 、 恵 果 阿 閣 梨 が 大 師 に 傳 へ ら れ 、 大 師 が 貞 観 寺 の 眞 雅 に 傳 へ し も の で あ つ て 、 二 十 胃 奪 が 四 象 に 坐 す と 云 ふ 事 は 宗 の 秘 法 で あ る か ら 、 別 に ロ 訣 を 習 ふ 可 し 、 と 説 明 し て ゐ ろ 。 大 師 が 金 堂 本 尊 脇 侍 と し て 、 右 の 普 賢 延 命 菩 薩 を 安 置 さ れ た の は 、 唐 帝 貴 妃 が 此 の 菩 薩 像 を 造 る 事 に 由 つ て 、 厄 を 韓 じ て 壽 算 を 延 ば せ し こ と 、 又 代 宗 皇 帝 ( 西 紀 七 六 三 同 士 七 九 ) が 此 の 法 威 力 に 漏 つ て 、 玉 盟 に 菩 薩 の 光 を 照 し た と 云 ふ 古 事 に 倣 つ て 、 皇 朝 の 玉 盟 安 穏 寳 壽 長 遠 の 爲 に 、 勤 修 せ ら れ し 御 願 に 外 な ら な か つ た と 考 察 さ れ る の で あ る 。 さ て 己 上 の 、 本 奪 阿 閾 如 來 並 び に 脇 侍 六 躯 に 依 つ て 、 大 師 が 講 堂 に 持 つ 意 圖 が 果 し て 如 何 な る も の で あ つ た か を 考 究 す れ ば 、 本 尊 並 び に 第 一 の 爾 脇 侍 が 金 剛 頂 経 に 影 響 さ れ た る 鍮 紙 経 の 建 前 で あ り 、 第 二 の 脇 侍 た る 爾 明 王 が 胎 藏 界 の 獲 で あ つ た 。 師 ち 雨 部 不 二 を 表 示 す る も 、 更 に 極 言 す れ ば 、 喩 紙 響 意 識 せ る 爾 部 不 二 の 御 堂 ( 剛 界 た 主 艘 ぜ と る 両 部 不 二 の 御 堂 ) と さ れ た こ と が 推 察 さ れ る 。 此 意 味 か ら し て 後 世 御 手 印 縁 起 聞 書 邊 り に 、 金 堂 を 喩 紙 と 稻 せ ら れ し 根 縁 も 想 像 さ れ る の で あ る 。 斯 か る 爾 部 不 二 の 御 堂 に 於 て 國 家 の 安 泰 を 所 ら れ ん と し て 東 方 に 普 賢 延 命 菩 薩 が 安 置 さ れ 、 然 も 大 師 の 指 標 を 決 定 し た 、 部 ち 念 持 佛 と も 云 は る 可 き 虚 室 藏 菩 薩 を 西 方 に 安 置 し て 、 こ か に 始 め て 大 師 生 涯 の 理 想 境 が 決 定 し た 鐸 で あ る 。 大 塔 の 諸 算 高 野 山 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 樫 緯 一 五 三

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高 野 山 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 経 緯 一 五 四 大 塔 も 現 在 の 建 物 が 、 天 保 十 四 年 ( 紀 三 四 九 三 ) 大 火 に 罹 り て 焼 失 し 、 明 治 + 四 年 七 月 よ り 蓬 の 斧 始 め を 睾 行 す る も 功 成 ら す 、 終 に 昭 和 九 年 の 御 遠 諌 千 百 年 祭 を 記 念 し て 、 鐵 筋 木 枢 の 功 を 進 め 、 昨 十 一 年 に 供 養 會 が 開 か れ た と こ ろ の も の で あ る 。 然 し 乍 ら 、 天 保 火 災 の 際 に は 、 塔 内 安 置 の 諸 佛 が 或 程 度 迄 取 出 さ れ た の で あ つ て 、 そ れ は 寛 永 二 十 年 癸 未 ( 皇 紀 二 三 〇 三 ) の 家 光 公 御 再 興 の 時 、 七 條 大 佛 師 法 印 肇 ( 又 ほ 康 音 ) 等 に 依 つ て 造 立 さ れ た も の で あ る 。 そ も く 金 剛 峯 寺 な る 名 構 は 、 此 の 大 塔 が 建 立 さ れ て 始 め て 付 せ ら る か も の で あ つ て 、 延 い て は 根 本 の 號 も 此 れ に 依 て 起 り 、 基 地 よ り 九 輪 に 至 る 総 高 十 六 丈 に は 十 六 大 菩 薩 、 四 十 九 の 柱 橡 に は 四 十 九 院 の 摩 尼 殿 、 大 塔 自 り 奥 院 に 至 る 三 十 七 町 に は 金 剛 界 の 三 十 七 尊 を 表 示 す る 等 、 つ ま り 大 塔 に 全 山 の 意 圖 を 持 た せ た も の で あ る 。 そ の 塔 に 曼 茶 羅 の 五 佛 が 安 置 さ れ た と 云 ふ こ と は 、 叉 當 然 の こ と と 考 へ ら れ る の で あ る が 、 こ の 五 佛 に 就 て も 亦 古 來 諸 説 を 出 し 論 箏 さ れ た の で あ つ た 。 己 下 其 れ 等 の 諸 説 を 出 せ ぱ 、

(

保 五 年 戊 辰 六 月 十 四 日 爲 、 仁 海 記 。 ) 今 記 云 、 多 賓 塔 一 基 、 高 十 六 丈 ⋮⋮ 奉 安 置 一 丈 入 尺 六 寸 大 周 、 一 丈 四 尺 四 佛 胎 藏 皆 台 藏 ﹁ 金 色 也 ﹂ (イ)

(

治 二 年 七 月 日 爲 、 大 師 建 立 の 條 。 ) 今 記 云 、 多 賓 塔 一 基 高 十 六 丈 、 ⋮ ⋮ 奉 安 置 一 丈 八 尺 六 寸 大 日 、 一 丈 四 尺 四 佛 胎 藏 皆 金 色 也 圖 塔 大

冨鍵

陣 中 陣 外 舌荻 一外 向 南

(23)

同 ( 弘 三 年 仁 海 再 建 の 大 願 々 嚢 し 、 康 術 表 示 の 箪 像 の 條 。 ) 一 寳 塔 高 十 六 丈 柱 十 六 本 圖 檜 爾 部 曼 茶 羅 佛 像 、 外 陣 柱 十 二 本 、 内 方 岡 糟 柱 糟 。 一 五 佛 中 奪 大 日 如 來 居 高 八 尺 八 寸 、 坐 高 五 尺 五 寸 、 光 噌 丈 五 尺 五 寸 。 四 佛 藥 師 寳 生 無 量 壽 繹 迦 四 佛 各 居 高 七 尺 、 坐 高 四 尺 五 寸 、 光 一 丈 二 尺 。 こ れ は 初 度 炎 上 に 際 し て 仁 海 師 が 登 願 し た の で あ つ た が 、 所 謂 、 其 の 構 造 は 人 力 に 在 り と 難 も 、 其 の 勢 大 な る こ と 、 け だ し 天 造 に 嫁 ら す ん ば あ ら す 、 と し て 勅 許 無 か り し も の で あ つ た 。 と こ ろ が 後 約 百 年 を 経 て 、 明 算 大 徳 ( 算 は 成 尊 よ り 法 流 葎 得 た れ ば 小 野 の 系 統 と し て 康 術 指 示 の 五 佛 た そ の ま も 造 立 ゼ リ 。 ) に 依 り 大 成 さ れ 、 康 尚 の 云 へ る 五 佛 が 圓 成 ( 或 圓 勢 た 正 と す ) の 手 に 依 つ て 造 立 さ れ た の で あ つ た 。 此 虜 に 諸 家 の 論 畢 が 始 ま る の で あ る 。 印 ち 佛 師 康 爾 が 四 佛 と し て 、 藥 師 、 寳 生 、 無 量 壽 、 繹 迦 を 出 せ る を 如 何 に 解 繹 す れ ば よ い か 。 此 れ は 全 く 仁 海 師 の 異 説 に 影 響 さ れ た か ら で あ つ た 、 仁 海 師 は 五 伽 を 金 剛 界 の 五 佛 に 主 張 さ れ た と 云 ふ こ と を 、 紀 伊 績 風 土 記 第 四 は ﹁ 仁 海 日 記 ﹂ を 引 い て 傳 へ て ゐ る 。 仁 海 は 七 歳 に し て 高 野 に 登 り 、 正 暦 二 年 小 野 に 、 曼 茶 羅 寺 を 建 立 し 、 後 世 小 野 流 の 始 組 と 成 つ た の で あ る か ら 、 曼 茶 羅 に 就 て 、 師 猫 自 の 解 繹 が あ つ た も の と 思 は れ る 。 さ て 上 述 の 如 く 創 造 當 時 の 像 様 は 知 る 由 も な い が 、 胎 藏 界 五 佛 が 安 置 さ れ た と 云 ふ 記 事 で は 、 中 奪 大 日 如 來 に 、 東 方 寳 橦 如 來 、 南 方 開 敷 華 王 如 來 、 北 方 天 鼓 雷 音 如 來 、 西 方 無 量 壽 如 來 の 四 佛 で あ つ た 事 が 分 る 。 其 れ に 封 し て 仁 海 師 高 野 山 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 経 緯 一 五 五

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高 野 山 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 経 緯 一 五 六 は 金 剛 界 五 佛 た る 、 中 尊 大 日 如 來 、 東 方 阿 閾 如 來 、 南 方 寳 生 如 來 、 西 方 無 量 壽 如 來 、 北 方 不 室 成 就 如 來 を 提 唱 し た の で あ る 。 さ れ ば 一 山 と 仁 海 師 の 間 に 五 佛 を 金 剛 界 に と る か 、 胎 藏 界 に と る か 爾 者 の 封 立 は 、 終 に 或 は さ き の 再 建 襲 願 の 中 止 に 迄 も 影 響 さ れ た か も 知 れ な か つ た o 依 而 以 、 此 慮 に 局 外 者 で あ り 、 當 事 造 佛 界 の 第 一 人 者 江 り し 康 街 が 、 雨 者 を 折 衷 せ る 切 札 を 提 出 し た の で あ つ た と 見 な け れ ば な ら な い 。 康 爾 の 中 尊 大 日 如 來 の 印 相 は 、 定 印 上 に 寳 塔 を 持 せ ら れ た と 推 察 さ れ る の で あ る 。 如 何 ん と な れ ば 、 諸 奪 法 念 諦 次 第 ロ 訣 に 、 琳 賢 ( 延 五 年 高 野 山 捻 狡 に 補 ゼ ら る ) は 右 像 檬 を 観 て 、 こ れ は 眞 言 の 最 極 深 秘 な れ ば 人 に 示 さ れ す と し て 徐 去 さ れ た と あ る 。 と こ ろ で 、 四 巻 妙 下 に は 塔 内 安 置 の 大 日 如 來 に 塔 婆 を 持 て る は 饅 相 二 大 に 通 す 可 し 、 と 云 つ て ゐ る と こ ろ よ り し て 、 二 大 和 合 、 不 二 李 等 を 意 味 し て 、 こ か で は 不 二 爾 部 の 大 日 如 來 を 表 示 し た も の で あ つ た 。 然 し 乍 ら こ れ は 相 盟 論 で あ つ て 、 更 に 極 言 す れ ば 、 日 本 に 創 す る 塔 の 研 究 か ら 着 手 さ れ な け れ ば な ら な い 。 寳 塔 と 五 輪 塔 の 思 想 並 び に 使 途 が 、 歴 史 的 に 如 何 な る 憂 化 を 辿 つ て ゐ る か 、 阿 闘 梨 の 間 に 寳 塔 を 金 剛 界 、 五 輪 塔 を 胎 藏 界 と 解 さ れ た も の が 、 総 括 的 に 塔 と し て 不 二 を 表 示 し た る は 如 何 な る 系 統 を 有 し て ゐ る か 、 そ こ に 多 く の 取 残 さ れ た る 問 題 が 残 る の で あ る が 、 此 際 暫 ら く 、 康 爾 の 心 境 が 仁 海 師 の 設 を 入 れ て 金 剛 界 と し て の 寳 塔 で あ つ た 、 即 ち 不 二 と は 云 へ 金 剛 界 を 意 識 し て の 不 二 と 云 ふ 程 度 で あ つ た と 解 し 度 い 。 四 佛 に 就 て は 、 阿 閾 が 薬 師 に 通 す る こ と は 、 既 に 金 堂 の 項 で 設 閉 し 牝 通 り で あ り 、 繹 迦 は 不 室 成 就 と も 樗 ば れ 、 異 名 同 盟 の も の で あ る 。 此 虎 に も 亦 仁 海 師 へ の 譲 歩 が 窺 は れ ろ の で あ る 。 師 ち 佛 師 康 爾 が 、 大 師 の 建 前 々 充 分 に 了 解 し

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て 居 つ た 丈 に 、 彼 の 脳 中 に は 胎 藏 界 五 佛 と 云 ふ 意 識 が 維 え す 往 來 し て 居 つ た の で あ つ た が 、 當 時 高 野 山 に と つ て の 仁 海 師 は 、 大 塔 の 襲 願 者 と し て 絶 天 な 存 在 で あ つ た こ と は 想 像 に 難 く な い 、 こ か に 康 筒 の 五 佛 指 示 は 又 誠 に 當 を 得 た も の で あ つ た と 云 は れ な け れ ば な ら な い 。 斯 う し た 事 に 端 を 登 し て 、 塔 内 安 置 の 五 佛 は 、 已 上 の 胎 藏 界 五 佛 読 、 金 剛 界 五 佛 設 、 こ れ を 折 衷 し た 康 爾 の 五 佛 詮 、 又 成 雄 ロ 訣 に 云 ふ 本 奪 胎 藏 、 四 佛 金 剛 界 読 と 韓 々 し て 終 に 現 在 の 五 佛 が 逡 立 さ れ た の で あ つ た 。 換 言 す れ ば 、 不 二 思 想 を 表 現 せ る 大 塔 が 、 吾 が 密 教 の 藝 術 の 上 に 如 何 な る 歴 史 を 残 し た か 。 大 師 が 塔 内 に 胎 藏 界 の 五 佛 を 安 置 し た の で あ つ た 事 は 前 出 の 史 料 に 依 つ て も 明 ら か で あ る が 、 不 二 の 思 想 を 何 れ に 表 現 し た か を 決 定 す る 事 帳 つ て 更 に 意 義 付 け ら れ よ う 。 そ れ は 大 塔 そ の も の が 金 剛 界 を 表 は す も の き れ た ( 〝 中 院 大 巻 物 " 裏 書 玄 海 記 之 に ば 、 大 塔 者 蓋 ﹁ 一 字 塔 是 表 金 剛 界 、 五 輪 塔 者 五 字 塔 、 多 寳 塔 者 壷 一 字 塔 也 ) の で あ る か ら 、 塔 内 安 置 の 五 佛 と 塔 畠 で 爾 部 不 二 裟 示 す る こ と 晟 る 。 勿 論 大 塔 の 方 に は 胎 藏 界 が 主 盟 と せ ら れ て の 雨 部 不 二 表 示 で あ る か ら 、 前 の 金 堂 諸 佛 の 金 剛 界 を 主 盟 と せ る 不 二 表 示 と 併 せ 考 察 す れ ば 、 金 堂 、 大 塔 何 れ も 夫 自 盟 で 不 二 思 想 を 表 示 し 乍 ら 尚 よ く 前 者 に は 金 剛 、 後 者 に は 胎 藏 的 色 彩 を 樽 び て ゐ る と 云 ふ こ と に 成 り 、 引 い て は 金 堂 、 大 塔 の 二 堂 塔 が 亦 不 二 と 成 る 。 こ か に 始 め て 大 師 が 承 和 二 年 に 襲 せ ら れ た 勧 進 文 の 不 二 寳 塔 二 基 の 意 味 が 了 解 さ れ る で あ ら う 。 然 る に 仁 海 師 の 時 代 に 至 り て 、 大 塔 に 封 し て 不 二 思 想 を 更 に 積 極 的 に 表 現 せ ん と す ろ 仁 海 師 の 曼 茶 羅 観 ガ 現 は れ た の で あ る 。 郎 ち 高 野 山 は 八 葉 峯 と し て 既 に 胎 藏 の 世 界 を 顯 現 し て ゐ る の で あ る 、 然 る に 多 寳 塔 が 金 剛 界 を 表 示 す る と 云 つ て も 、 侮 未 だ 普 遍 的 思 想 に は 至 ら な い 、 そ れ に 胎 藏 の 五 佛 を 安 置 す る の で は 不 二 思 想 に 卒 等 を 訣 く 嫌 ひ が あ り は 高 野 山 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 経 緯 一 五 七

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高 野 山 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 輕 緯 一 五 八 せ ん か と 云 ふ の で 金 剛 界 五 佛 を 主 張 し た の で あ つ た 。 康 和 五 年 大 佛 師 法 眼 圓 勢 に 依 て 造 立 さ れ た 大 塔 五 佛 が 、 久 安 五 年 ( 紀 一 八 〇 九 ) 五 月 の 雷 火 に 嶢 失 し 、 其 の 内 、 峯 の 御 首 と 脇 侍 三 饅 を 残 し た と 云 ふ の で あ る が 、 此 は 何 の 程 度 で あ つ た か 不 明 で あ る 。 中 尊 大 日 如 來 が 金 胎 何 れ に 屡 す る か を 判 別 す る に は 先 づ 最 初 は 印 相 に 依 ら ね ば な ら ぬ に も 拘 は ら す 、 残 せ る は 唯 御 首 丈 で あ つ た と す れ ば 、 夏 に 先 の 仁 海 師 に 於 て 波 気 を 起 せ る 定 印 上 の 寳 塔 に 至 つ て は 、 そ の 檬 式 の 知 る 由 も な い 。 何 ん と な れ ば 深 秘 と し て 絶 封 的 尊 崇 の 封 象 本 奪 た り し 爲 め 、 恐 ら く 算 容 の 粉 本 が 無 か つ た で あ ら う か ら 。 又 四 佛 に 至 つ て も 、 残 存 せ る 三 躯 が 恐 ら く 完 全 な も の で は な か つ た ら う 、 む し ろ 相 當 以 上 の 修 補 が 加 へ ら れ た で あ ら う こ と が 、 仁 卒 元 年 ( 紀 一 八 一 一 ) 十 月 に 大 佛 師 法 眼 園 信 に 依 つ て 作 事 さ れ た 造 佛 所 が 金 堂 、 孔 雀 堂 と 二 箇 所 も 選 定 さ れ て ゐ る 鮎 か ら し て も 容 易 に 想 像 さ れ 得 る で あ ら う 。 此 時 始 め て 現 在 の 如 き 五 佛 が 造 立 さ れ た の で あ る 。 印 ち 宥 快 御 口 、 成 雄 記 に な る 、 中 院 流 ロ 傳 に は 當 山 大 塔 移 南 天 鐵 塔 也 、 本 愈 五 佛 印 胎 大 日 金 四 佛 也 と 記 さ れ て ゐ る 。 然 も 此 時 、 例 の 清 盛 血 曼 茶 羅 と 傳 へ る 雨 界 曼 茶 羅 が 奉 納 さ れ て ゐ る の で あ る か ら 、 必 ら す や 爾 界 五 佛 の 奪 容 は 當 事 者 間 に も 判 然 と し て ゐ た で あ ら う と 思 は れ る 。 つ ま り 中 尊 を 胎 藏 界 大 日 如 來 と し 、 四 佛 を 金 剛 界 四 佛 と し て 、 尊 像 自 禮 に 依 つ て 不 二 を 表 示 し 、 行 者 が ロ 傳 を 待 た す し て 直 ち に 不 二 思 想 に 到 達 し 得 る と 云 ふ 積 極 的 行 動 の 表 は れ て ゐ る こ と を 窺 知 す る の で あ る 。 己 上 で 簡 軍 乍 ら 大 師 が 南 山 の 伽 藍 建 立 に 持 て る 思 想 的 背 景 を 不 二 の 思 想 と 観 、 此 の 不 二 思 想 の 密 教 藝 術 史 上 に 於 け

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る 由 自 な 明 る い 攣 遷 を 考 察 し た の で あ る が 、 繁 雑 に し て 不 備 、 加 ふ る に 教 學 上 に も 幾 多 検 討 さ る べ き も の も 残 つ て ゐ る が 、 大 方 の 御 叱 正 を 乞 ふ 次 第 で あ る 。 高 野 山 大 塔 並 塔 内 諸 佛 造 立 次 第 年 表 高 野 凶 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 経 緯 一 五 九

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高 野 山 に 於 津り る 伽 藍 建 立 の 経 緯 一 六 〇

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