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初心を想う

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Academic year: 2021

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!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! !!!!!!!!!!!!!! !!!!!!!!!!! !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! !!!!!!!!!!!!!!!!! !!!!!!!!!!!!!!!!!!!! !!!!!!!!!!!!!!!!!!!! !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 少年時代に見たある光景が今でも頭の片隅に残っている.それは陽当たりのよいコンクリートの上に無数 のキンバエが群がっているところで,よく見るとどのハエにも翅がなかった.近くのごみだめから生まれた ハエのうち翅のある正常のハエは飛び去って,翅のないハエだけが残って陽だまりに集まっていたのであ る.「ビーグル号航海記」などを読んでいた私には,これこそ進化の原型かと感じられた. その後大学へ進んで,教養課程の生物の時間に「一遺伝子一酵素」説の話を聞いた.「メンデルは因子(遺 伝子)が形質を支配するとしたが,遺伝子がどのようにして形質を決めるのかこれまで明らかでなかった. 最近になって遺伝子は酵素の形成を支配し,それによって形質が決まることが明らかになった」という話で あった.「この研究を行ったのは愛知県の片田舎の蚕糸試験場にいた吉川秀男博士で,アメリカの学術誌に 投稿された論文は戦争が終わるまでどうなったかわからなかった.戦争が終わってからこの論文がアメリカ で評判になっていることがわかり,日本でも評価されて吉川先生に学士院賞が授けられた.そして大阪大学 医学部では遺伝学教室をつくって,初代教授に吉川先生を迎えることになった」と話は続いた.当時工学部 へ進もうと思っていた私は,この話を聞いて吉川先生の許で研究したいと思った. 大学院へ入って吉川先生の研究室へ行くと,沢山のショウジョウバエが入ったびんが並んでいた.その中 に私がキンバエでみたような翅のないミュータントのびんもあった.こうして私は吉川先生の研究室に入 り,研究を始めることになった.その頃遺伝子の本体は DNA であることはわかりつつあったが,DNA が どのようにしてタンパク質の構造を決めるかは明らかでなかった.大それたことにこの問題を研究したいと 思ったが,周囲に核酸を研究している人はいなかった.その頃日本の大学で核酸を研究している研究室はほ とんどなかったと思う.たまたま武田製薬の研究所で核酸を研究している人がいると聞いて,吉川先生にお 願いして紹介していただいた.それが杉野幸夫さんであった.杉野さんは後に京大の教授になり,さらに武 田製薬の中央研究所長も勤められたが,当時は一研究員として会社の研究課題をこなしながら核酸の勉強を されていた.そこへ核酸にとりつかれた若者がとびこんで来たので,これはとばかりに一緒に仕事をするこ とになった. 杉野さんの許でしばらく修行して動物組織から核酸を分離する術を身につけたので,吉川研へ戻り自分自 身で研究を始めることになった.DNA からタンパク質がつくられる過程に RNA が介在するらしいという情 況証拠があったので,まずその問題を攻めることにした.材料としては吉川先生が長年とり組んでこられた カイコを用いることにした.カイコの絹糸腺では中部ではセリシン,後部ではフィブロインというアミノ酸 組成の異なるタンパク質がそれぞれ大量につくられるので,両者の RNA の塩基組成を調べれば違いが見つ かるかもしれない.そう考えて勇躍実験にとり組んだが,結果的に両者の塩基組成に違いはなかった.両方 の組織に大量に存在するリボゾーム RNA を分析していたわけである.私が用いた技術ではごく微量のメッ センジャー RNA の違いを見出すことができなかったのは当然のことであったが,その頃はメッセンジャー RNA の概念そのものがなかった.メッセンジャー RNA がみつかったのはそれから数年してからである.駆 け出しの研究者がヒットを打てるほど生易しい問題ではなかったのである. それから私は精緻な実験系を求めて大腸菌とファージの研究に入り,さらに哺乳動物細胞の分子生物学へ と進んでいった.その間いくつかの面白い現象に出くわし,何がしかの成果も挙げることができたが,振り 返ってみればその原点は少年時代の好奇心にあったかもしれない.これは何も私に限ったことではなく,多 くの研究者が経てきた道ではなかったかと思う.今も若い人たちの中にはそんな夢を抱いて羽ばたこうとし ている人がいるかと思う.今の私にできることは,時には議論をふっかけてそれを応援することかなと思っ たりする.

初心を想う

関 口 睦 夫

* 〔生化学 第81巻 第3号,p.139,2009〕

アトモスフィア

九州大学名誉教授,本会名誉会員,福岡歯科大学教授

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