「学園の魂」。倫理学者西晋一郎(1873-1943)を語 る際、教え子たちは尊敬を込め、彼をそう称した。同 僚は、彼の思想を「証道の学」(1)と呼び、そこに「学 と人との一致」(2)をみた。広島高等師範学校で西に学 び、その後、京都帝国大学に進み西田幾多郎に師事 した森信三は、西について、「生をこの世に享けてよ りこの方…直接まのあたりに接しえた日本人のうち、 おそらく最高にして最深なる人格」(3)と最大の敬意を 表している。 しかし、そうした評価の一方で、戦前にわが国の国 体論を主導した西は、戦後教育学によって「国家主 義的イデオロギー」をもつ思想家に振り分けられ、意 識的・無意識的にその思想は〈封印〉されていく(4)。 本書では、第一部理論編でこうした西思想をめぐ るアンビバレントな評価にメスを入れ、彼の理論を戦 前における東西の思想的蓄積と発展の内に再構成し 平和論としての可能性を問い、第二部資料編で未整 理だった膨大な関連文献を整理した。 ここでは、近・現代を架橋する西思想の理論根拠 に限って略述してみたい。まず、西理解の要は、彼 が採る「特殊即普遍・具体的普遍のパラダイム」と 「虚の思想」の構造を知ることにある。ここにふみこ まない批判は批判たり得ない。西の思想は、特殊(個 人)世界と普遍世界とを分断する近代思想に対して、 両者を一元的につなぐ試みといえる。近代西洋思想 の多くが、〈認識主観の疑わしさ〉ゆえに両領域を分 断する中、西はそれらを〈意識変容〉という「垂直 軸」的高まりにおいて架橋できるものと考えた。なぜ なら、西は、不完全な個々人の内部に普遍が宿ると する「普遍内在論」に立ち、特殊が特殊なまま〈具 体的普遍〉に至りうるという見方を支持するからであ る。この理由について、西は、「もともと自らの中にな いことを識りようがない」(5)、私たちが自他を含む現 象の変化の中にあってその変化を捉えることができ るのは、自己意識の奥底に本質と即応する部分があ るからだという。そこでは、つねに認識がもつメタレ ベルの重層的認知構造が想定されており、普遍との 循環的感応体験を繰り返す中で、ある認識はさらに 内奥の認識によって破られあくなき更新をつづけ純 粋知へと高まっていく。 加えて、西によってその自知運動の究極動因に位 置づけられたのが、日本思想の内に成熟していった 東洋的概念「虚」(中江藤樹や老子に負う)であっ た。「虚」とは、彼によれば実在の根源としての「空 所」であり、「絶対自由性・無限定性」を本源的性質 にもつ「意識の本」と解された (6)。利己性を介しない 「虚」に私たちの心が即応して初めて、深い因果に基 づく新たな意識展開が可能になるという。 このような意識変容を通した個人と真実在との合 一という思想は、二元論が広く浸透する近代西洋思 想全体においては異端的な位置づけがなされるが、 近代日本思想においてはその異端性こそが理論の起 点とされ、近代西洋思想が危惧する〈認識主観の欺 瞞性〉そのものが「虚」への共振を経て自己超克さ れていく。そして、ここに実践と乖離しがちな近代西 洋的知に対して日本思想に顕著な「知行一・知在一」 としての実践知が構想されるのである。 「明治維新まで達せられた日本人の大いなる思想 に現代の研究を内面的に接続する」(7)という西理論 の成否については本書をたたき台としてさらに議論 が深まることを期待する。 注 (1) 白井成允「西先生の倫理学について」『哲学』第15集、1963年、 1頁。 (2) 隈元忠敬『西晋一郎の哲学』渓水社、1995年、129-131頁。 (3) 森信三『人倫の道』致知出版、2004年、1頁。 (4) 小笠原道雄・田中毎実・森田尚人・矢野智司「戦後教育哲学 の出発」『教育哲学研究』第97号、2008年を参照されたい。 (5) 西晋一郎『倫理学の根本問題』岩波書店、1923年、1頁。 (6) 西晋一郎『忠孝論』岩波書店、1931年、10頁。 (7) 西晋一郎、1923年、序。 〈自著紹介〉 衛藤吉則 『西晋一郎の思想―広 島から「平和・和解」を 問う―』 広島大学出版会、2018年
Forum on Modern Education No.28 2019
執筆者
衛藤吉則(えとう よしのり) 広島大学(Hiroshima University) [email protected]