⃝特集「住宅政策の新たな枠組みを探る」
1. はじめに
1980 年代後半以降、グローバル経済化が深化するな かで、アジア諸国は開放経済政策をとり、直接投資と国 際貿易を拡大させながら急速な経済発展を遂げてきた。 グローバル経済化以前からアジア新興工業経済と位置づ けられていた韓国、シンガポール、台湾、香港は今や先 進国・地域に含まれる。シンガポール、香港の 1 人当た りGDPは既に日本を上回り、韓国、台湾も日本に近づ きつつある。所得の上昇に伴い生活の質も急速に改善し てきた。一方、住宅価格は所得を上回るスピードで上昇 し、アジア主要都市ではアフォーダブルな住宅供給が重 要な政策課題になっている(福島 茂 , 2000)。 シンガポールは政府が一貫して公共住宅政策に強く関 わり、アフォーダブルな公共住宅を供給してきた。本稿 は、アジアのなかでも住宅政策先進国と評価されている シンガポールを取り上げ、その政策展開を概観するもの である。また、住生活改善、老朽化ニュータウンの再生、 高齢化対応、環境対応、スマートシティなど、日本と共 通する政策課題において、シンガポールがどのように対 処しつつあるか、その政策経験にも学びたいと思う。2. シンガポールの公共住宅政策とそのプレ
ゼンス
シンガポールは公共住宅政策が進展していることでよ く知られている。1965 年のマレーシアからの分離独立 以降、公共住宅政策に重点を置いてきた。そこには住宅 福祉という側面のみならず、独立国家シンガポール及び 政権与党(人民行動党)への国民の求心力の維持、社会 的安定、合理的な土地利用の達成という意図があった。 また、多民族国家シンガポールは公共住宅を民族統合の 装置としても位置付けてきた。ニュータウン開発が活発 に展開された 1980 年代には国家予算の 20%前後が公共 住宅に投入された(丸谷浩明 1995)。その後、住宅ストッ クが量的に充足したことで、その割合は 4%程度に縮小 してきたものの、公共住宅政策の重視は一貫して変わら ない。シンガポール公共住宅政策の展開:
新自由主義経済のもとでの公共住宅政策の果たす役割
An Evolution of the Public Housing Policy of Singapore:
Roles of Public Housing Policy in Neoliberal Economy
名城大学都市情報学部 教授
福島 茂
Income disparity is widening globally under neoliberalism. In most of major Asian cities, as housing and real estate prices have been rising faster than income, the housing gap between social classes and generations has been expanding. Under such circumstances, Singapore has maintained affordable public housing policy with strong government commitment, raised its quality level. This paper aims at reviewing characteristics of the public housing policy of Singapore and its evolution from viewpoints of (1) presence of public housing in Singapore, (2) affordable housing policies, (3) upgrading and renewal strategies of Housing & Development Board (HDB) towns and estates, (4) rapid ageing society and policy responses on public housing, and sustainable smart town development.
Singapore's public housing policy is a device for social stability in the neoliberal economic society. The sale of subsidized public housing with a variety of housing grants based on the ability to pay also functions as a system of redistribution of wealth. Taking advantage of the quantitative base that public housing accounts for nearly 70% of the housing stock and 80% of the citizens and permanent residents live in the public housing, the government effectively makes policies on sustainable urban management and creating elderly people friendly society. All these contribute enhance the quality of life of Singapore.
シンガポールの公共住宅政策は、住宅開発庁(Housing & Development Board: HDB)により展開されている。 住宅開発庁は国家開発省のもとに置かれ、住宅政策の企 画立案、ニュータウン開発と公共住宅の供給・管理を実 施している。HDB は 2018 年 3 月末時点で、国全体の住 宅ストックの 67.6%を占める 104 万 7350 戸の住宅を管 理している(表1)。2017 年の総人口は 561.2 万人であ るが、HDB 住宅はシンガポール国民 343.9 万人と永住 者 52.7 万人を受益対象とし、その 81%が HDB 住宅に 住む(HDB, 2018)。国際ビジネスセンターでもあるシ ンガポールには、この他、一時居住外国人 164.7 万人が 居住しているが、HDB 住宅の受益対象ではない。シン ガポールの住宅市場は、新規 HDB 住宅市場、再販(中古) HDB 住宅市場、民間住宅市場(政府が宅地供給し、民 間デベロッパーが開発した住宅を含む)に分かれ、民間 コンドミニアムには主に高所得者層や海外駐在員などが 住む。この他、外国人単純労働者向けの寮・住宅施設が ある。国民・永住者の HDB 住宅居住率は 1990 年に 87%のピークに達し、その後、高所得者層の増加や高質 な住宅へのニーズが高まるなかで、その比率は緩やかに 低下してきた(図1:HDB, 2018)。
3. シンガポール住宅政策の特徴
シンガポールの公共住宅政策の特徴は以下のように整 理される。 (1)アフォーダブルな持家政策 2016 年時点における国民・永住者の持家率は 90.9% に達している。HDB 住宅の居住比率が 81%であること から、この持家率の高さに HDB 住宅が大きく貢献して いることがわかる。政府は持家が愛国心や社会的安定に つながるとし、積極的にこれを推進してきた。HDB は 住宅分譲の世帯所得上限を月額 S$12,000(948,600 円 1S$=79.05 円)と緩やかなものとして受益対象を幅広く 設定するとともに、アフォーダブルな持家政策を堅持し てきた。その根幹になっているのが HDB による公共住 宅の直接供給と中央積立基金(Central Provident Fund: CPF)の住宅資金活用制度である。 公共住宅の供給は土地の国有化政策によっても支えら れている。シンガポールでは土地収用法(1966 年)を 施行後、土地の国有化を積極的に推進してきた。現在、 国土の約 8 割は国有地であると言われている。HDB は 政府から譲渡された 99 年間の長期借地権をもとに ニュータウンを開発し、住宅を供給してきた。長期借地 権の譲渡価格は市場価格に連動することになっている が、HDB は民間開発事業者と用地確保を巡って競合す ることはない。また、政府は土地住宅価格の監視・管理 にも注力しており、HDB への長期借地権の譲渡価格は ある程度抑制されている。この公共住宅事業においては、 HDB が保有する商業・産業施設等の賃貸収入が内部補 助されるとともに、アフォーダブルな住宅価格とするた めに政府からの補助金が投入されている(HDB 事業の 各年赤字分は政府が補填している)。政府は、夫婦が 5 年間積立をすれば、所得の 1/5 以下のローン返済によっ て無理なく HDB 住宅を取得できることを目標としてき た(丸谷浩明 1995)。このため、HDB の直接販売価格 は市場での再販 HDB 住宅価格に比べて 3 割前後割安で あり、初回 HDB 住宅購入者の9割は HDB から直接購 入すると言われている(HDBwebsite(1))。 一方、需要サイドの支援では、CPF 制度が大きな役 割を果たしている。CPF は定年退職後の生活資金確保 住戸タイプ 戸数 構成比(%) 分譲住宅 (94.2%) 1ルーム 255 0.03 2ルーム(1LDK) 19,345 2.0 3ルーム (2LDK) 239,092 24.2 4ルーム (3LDK) 413,641 41.9 5ルーム (4LDK) 239,972 24.3 エグゼクティブ・タイプ 65,091 6.6 ステュディオ・タイプ 8,980 0.9 小計 986,376 100.0 賃貸住宅 (5.8%) 1ルーム 29,842 48.9 2ルーム(1LDK) 29,737 48.7 3ルーム (2LDK) 1,280 2.1 4-5ルーム (3∼4LDK) 115 0.2 小計 60,974 100.0 合計(100.0%) 1,047,350 − 出所:HDB−Key Statistics より作成 表1 HDB 管理住宅ストック(2018 年 3 月末) 9 23 35 47 67 81 87 86 86 83 82 82 81 0 10 20 30 40 50 60 70 80 90 100 1960 '65 '70 '75 '80 '85 '90 '95 '00 '05 '10 '15 '18 年 % 図1 国民・永住者人口に占める HDB 住宅居住比率の推移 出所:HDB-Key Statisticsのための強制積立制度であり、賃金の一定割合を雇用者 と被雇用者がほぼ折半して積み立てる制度である。CPF の積立金は住宅購入資金として活用することができる。 HDB 住宅購入者は CPF 積立金を頭金とし、また毎月の CPF の積立金の一部をローン返済に充てることが多い。 CPF のローンの貸出金利は CPF の預金金利 2.5% に 0.1% を追加したものであり、市中金利と比べて低利での資金 調達を可能としてきた(HDBwebsite(2))。 1994 年、政府は住宅取得を支援するために CPF 住宅 助成金制度を導入し、それ以降、助成金制度の拡充を図っ てきた。2006 年に低所得者向けの「追加 CPF 住宅助成 金(AHG)」、2011 年に非成熟タウン(開発開始後概ね 20 年以内)における新規 HDB 住宅の取得を支援する「特 別 CPF 住宅助成金(SHG)」、2015 年に親子の近居・同 居を支援する「近居住宅助成金(PHG)」などを導入し、 現在の住宅助成金制度の枠組みが完成した。PHG を除 くこれらの助成金は世帯所得に応じて交付される。低・ 中所得の初回 HDB 住宅取得層が一般的に活用する助成 金は AHG と SHG であり、表2に世帯所得別の住宅助 成金額を示した。前者は世帯月額所得が S$5000 以下の 世帯を対象に、2 ルーム(フレキシブル)タイプ以上の 住戸の購入に際して、後者は S$8500 以下の世帯を対象 に 2 ルーム(フレキシブル)タイプ~4ルーム(3LDK) タイプの取得において交付される(HDB から直接購入 する場合は、助成金額分を販売価格から割り引いて分 譲)。表3は、住宅取得シナリオ別に住宅価格に対する 助成金の最大割合を示したものである。住宅価格が割安 な非成熟タウンで HDB から新規住戸を直接購入する場 合、最大助成金額は S$80,000 となる(AHG と SHG の 合計)。標準的な住宅価格に対する最大助成金比率は、3 ルームタイプで 40.0%、4 ルームタイプで 28.6%にもな り、これらの助成金が低所得者層の住宅取得に貢献しう ることがわかる。価格が割高な再販 HDB 住宅を市場か ら取得する場合でも最大助成額を上げることでアフォー ダブルな状況をある程度つくり出している。このことか ら、シンガポールの公共住宅政策は、「応能負担による アフォーダブルな持家政策」という特質を有しているこ とがわかる。 この持家政策は国民の資産蓄積にも貢献している。 HDB 住宅はシンガポールの経済成長とともに大きく値 上がりしてきた。例えば、1990 年から 2018 年にかけて 月額世帯所得(S$/月) (夫婦共稼ぎ) 追加 CPF 住宅 助成(AHG) 特別 CPF 住宅 助成(SHG)* 住宅助成金 合計 ∼1,500 40,000 40,000 80,000 1,501∼2,000 35,000 40,000 75,000 2,001∼2,500 30,000 40,000 70,000 2,501∼3,000 25,000 40,000 65,000 3,001∼3,500 20,000 40,000 60,000 3,501∼4,000 15,000 40,000 55,000 4,001∼4,500 10,000 40,000 50,000 4,501∼5,000 5,000 40,000 45,000 5,001∼5,500 0 35,000 35,000 5,501∼6,000 0 30,000 30,000 6,001∼6,500 0 25,000 25,000 6,501∼7,000 0 20,000 20,000 7,001∼7,500 0 15,000 15,000 7,501∼8,000 0 10,000 10,000 8,001∼8,500 0 5,000 5,000 8,501∼ 0 0 0 *: 非成熟タウン(開発後概ね 20 年以内)における予約販売住宅(2015.11∼)が対象 初回 HDB 住宅購入者の場合。 出所:HDB,2018 をもとに筆者作成 表 2 HDB 住宅の予約販売(BTO)における CPF 住宅助成金(S$) 住宅助成制度 住宅購入シナリオ A: 非成熟地の新規供 給 HDB 住戸を予約購入 B: HDB 再販住戸を購入 C: HDB 再販住戸を 親の住宅の近くで購入 住宅助成 (最大額:S$) 追加 CPF 住宅助成(AHG) 40,000 40,000 40,000 特別 CPF 住宅助成(SHG) 40,000 - - 強化 CPF 住宅助成(EHG) - 50,000 50,000 両親近居住宅助成(PHG) - - 20,000** 最大助成合計額 80,000 90,000 110,000 標準的住宅 価格(S$)* 3ルームタイプ 200,000 (予約販売価格) 293,000 (平均再販価格) 293,000 (平均再販価格) 4ルームタイプ 280,000 (予約販売価格) 446,000 (平均再販価格) 446,000 (平均再販価格) 対住宅価格 最大助成率 3ルームタイプ 40.0% 30.7% 37.5% 4ルームタイプ 28.6% 20.2% 24.7% 備 考 HDB が予約販売価格 から助成金分を減額販売 CPF が購入者に助成 金を交付 CPF が購入者に助成 金を交付 *: 予約販売価格は、HDB 資料から非成熟タウンにおける 2018-2019 年の平均予約販売価格を算定 平均再販価格は、HDB 資料から 2018 年の平均再販価格を算定 **: 近居とは 4km 以内に住むことを指す。また、親と同居する場合には HDB 再販住宅を購入するに当たり最大 S$30,000 の助成金を得る ことができる。 出所:HDBwebsite 情報をもとに筆者作成 表 3 住宅購入シナリオ別にみた住宅価格に対する最大助成比率(初回 HDB 住宅購入者)
の HDB 住宅の再販市場価格は 5.42 倍に上昇している (HDB Resale price index)。HDB 住宅は 2 回まで購入 することが認められており、住み替えによる住宅事情の 改善とさらなる資産蓄積の機会が提供されている。 (2) コンセプトプランに基づく計画的なニュータウン
開発
国土開発省は、HDB の他にも都市再開発庁(Urban Redevelopment Authority: URA) と 国 立 公 園 庁 (National Parks)という、国土・都市空間管理に関連 する組織を有している。土地資源に乏しいシンガポール では、土地利用の合理化・効率化が強く求められており、 URA が国土計画にあたるコンセプトプラン(Concept Plan: CP)とその下位計画にあたる都市計画マスタープ ランを策定してきた。これまで 4 次のコンセプトプラン が策定され、ニュータウン開発・整備計画も位置付けら れてきた。第 1 次コンセプトプラン(1971)は、中央集 水域の周囲に複数の環状道路を配置し、そこにニュータ ウンや工業団地をクラスター状に開発する計画を提示 し、都市国家シンガポールの空間構造の骨格を決定づけ た(URAwebsite)。HDB は 1970 年代から 1980 年代に かけてニュータウン開発を急拡大させ、これまでに 23 のニュータウンと 3 つの住宅団地を開発している。幹線 道路、MRT(地下鉄、郊外は地上化)や基幹バスなど の公共交通ネットワーク整備に連動した開発が行われて いる。国土の国有化政策がこうした計画的なまちづくり を可能としている。それぞれのニュータウンは階層性を 有したセンター構造と近隣住区からなり、センター地区 には商業・娯楽・レクリエーション・医療・文化・教育 施設等必要な生活サービス機能が HDB によって整備・ 運営されている。公共交通を軸とした高密度でコンパク トな都市が合理的な都市計画によって開発・整備されて きた。 (3)住環境の質的向上と住宅団地・ニュータウンの再生 ①住宅・住環境の質的向上 シンガポールでは 1980 年代前半には量的充足を達成 し、国の経済水準に応じた住宅の質的向上が政策課題と なってきた。1991 年の第 2 次コンセプト計画では、既 に基本ニーズは達成されたとし、居住・就業・レクリエー ション・文化・商業のバランスのとれた生活の質の向上 が目標とされた。2001 年の第 3 次コンセプト計画では 先進国レベルに達したシンガポールを背景にし、21 世 紀のシンガポールを世界クラスへの都市へと転換するこ とが模索された。現行の 2011 年コンセプトプランでは、 2030 年の計画人口を 650 万人から 690 万に設定し、国 際的な競争力を維持しつつ、持続可能で、全ての人々が 高 い 生 活 の 質 を 享 受 で き る こ と を 目 標 と し て い る (URAwebsite)。 HDB では、新規住宅開発の水準向上と既存住宅の改 善の両面から HDB 住宅の質的な向上を図っている。新 規住宅開発の水準向上は、シンガポールの経済発展に伴 い 1970 年代から始まり、今日まで継続されている。標 準的な住戸規模・構成をみても 1970 年代以前は 2 ~ 3 ルーム、1980 年代 3 ルーム、1990 年代 3 ~ 4 ルーム、 2000 年代以降 4 ~ 5 ルームと着実に質的な向上が図ら れてきた(福島 茂 , 1994; HDB, 2014)。2011 年には「よ り良い居住に向けた HDB 住宅ロードマップ」が発表さ れ、「より良いデザイン」「サステイナブル」「コミュニティ 中心」というキーワードによる住宅・住環境整備が進め られている。住宅・住環境デザインの向上、国際コンペ や民間開発の導入、環境に配慮した持続可能なデザイン、 各種都市サービス機能の向上などの政策がとられてき た。それは、後述する持続可能なスマートタウン開発に も表れている。新しい HDB 住宅開発のいくつかは国際 的な住宅・住環境デザイン賞などを受賞している。 ②既存住宅・住環境の改善・再生 既存住宅・住環境の改善・再生は 1990 年代から開始 された。1990 年に築 20 年以上経過したHDBフラット の 改 修 を 目 的 と し た 主 要 改 良 事 業(Main Upgrade 写真1 21 世紀型ニュータウン Punggol:ウォーターウェイと HDB フラット 出典:HDBwebsite
Programme: MUP)が導入され、2012 年の事業終了ま でに約 131,000 戸が恩恵をうけた。1995 年には、団地再 生戦略(Estate Renewal Strategy)が策定され、選択 的一括再開発事業(Selective En Bloc Redevelopment Scheme: SERS)が導入された。SERS は、HDB が再開 発のポテンシャルの高い老朽アパートを指定し、収容し て再開発を促すものである。対象住宅の所有者は市場評 価額での補償をうけ、近くに建設されるHDBフラット の優先購入権を得て、新しいフラットに入居することに なる。SERS は政府補助率が高く、従前権利者は追加的 な資金なしで近くの再開発住宅に入居することができる (長谷川洋・福井秀夫他 , 2014)。これまでに 82 事業(384 棟)が認可され、76 事業(321 棟)が完了している。こ の他にも、民間一括譲渡による再開発アプローチもある (HDBwebsite(3,4))。これは、築 10 年以上の区分所有 集合住宅を権利者の 80%以上の同意を得て(築 10 年未 満の場合は 90%以上の同意)、民間デベロッパー等に売 却し、再開発事業を実施するアプローチである。これま でに、現在の HDB 管理戸数の 10.1%に当たる 117,340 戸の HDB フラット住宅が除却され、再開発されてきた。 2007 年、HDB はニュータウンの再生や住宅・住環境 改善の強化を図る一連の政策を導入した。具体的は、① ニ ュ ー タ ウ ン 再 生 事 業(Remaking Our Heartland: ROH)、②近隣住区再生事業(Neighborhood Renewal: NR)、③老朽住宅改修事業(Home Improvement)を指 す。ROH は最も包括的なニュータウン再生アプローチ である。新旧ニュータウンを問わず、世界水準の都市に 相応しいニュータウンへと再生することが模索されてい る。これまでに 8 つのニュータウンが対象になっている。 ショッピングモールやランドマークとなる高層住宅の開 発、公共施設やオープンスペース・緑道・歩道の改修・ 整備を通じて、新しいコミュニティのニーズや地区の歴 史・魅力資源を活用して、活気ある持続可能なニュータ ウンへと再生を図っている。再生計画の立案にあたって は住民参加、団地固有の特徴やコミュニティの強化など が模索される。 現 在 進 行 中 の Toa Payoh ニ ュ ー タ ウ ン 再 生 事 業 (2015-)を事例に、その特徴をみてみたい。Toa Payoh ニュータウンは第 1 期事業の一つであり、1964 年に開 発着手された。その ROH 事業の特徴は、歩行者や自転 車利用者にとって楽しい多様なネットワーク整備と地下 鉄駅ターミナル、商業施設、市民の交流のための広場・ 公園の改修・整備を合わせて行うことで、快適で社会的 な交流を促進する公共空間を創出している。Toa Payoh では、総延長 4km の環状道路を地域のアイデンティティ とコミュニティ交流資源として捉え、歩行者・サイクリ ング道を整備し、近隣公園・広場・公共施設を結ぶネッ トワークと結節点を創ろうとしている。こうした公共空 間ではオープンカフェやアート・文化オブジェ、地域の 発展の歴史を示すサインの設置がなされる。さらに、新 しいシンボリックなデザインの高層住宅群を建設するこ とで、多様な階層・世代をニュータウンに呼び込む戦略 を有する。(HDBwebsite(5)) 近隣住区再生事業(NRP)はニュータウン内の二つ以 上の基本住区の住環境改善を行うものである。主に、住 棟内の共用スペースの改修や住区内の公園・広場や住区 内歩道などの改修整備などが実施されている。2018 年ま でに 131 の NRP が認可され、65 事業が完了している。 住宅自体の改善については、住宅改善事業(HIP)がある。 HIP は MUP の後継として位置づけられ、1986 年以前に 建築された HDB フラットを改修するものである。権利 者(かつ、シンガポール国民)の 75%以上の同意のもと で実施される。主な改修は外壁・構造改修、給排水管取 り換え、電気容量増加などであり、オプションでトイレ・ バスや飾り扉の取り換えなどもある。2018 年 8 月時点で、 対象フラット 32 万戸のうち 24.2 万戸が事業承認され、 12.2 万戸の改修が完了している。2018 年には 1987 ~ 1997 年築のフラット住宅 23 万戸が新たに HIP の対象と なった。(HDBwebsite(3,4),NLBwebsite) (4)急速な高齢化と住宅政策対応 シンガポールにおいても急速な高齢化が進みつつあ る。国民・永住者の 2018 年の高齢化率(65 歳以上人口 比率)は 19.2%に達しており、2000 年の 10.1%と比較 すると高齢化が急速に進みつつあることがわかる。高齢 化のスピードは日本以上と言われ、2050 年には 40%近 くに達することが予測されている。HDB の 2013 年世帯 調査(HDB, 2014)によれば、HDB 居住世帯の高齢化 率は 11.0%と同年の全国比率の 14.3%と比べると若干低 いものの、1960・1970 年代に開発されたニュータウン での高齢化率は平均 18.4%に達し、これにシニア層(55 歳~ 64 歳)を加えると 34.0%となる。 HDB は高齢居住者のニーズを把握するとともに、そ の政策対応を行ってきた。具体的には、隔階停止エレベー
ターを各階対応に改修、住宅・住棟・住区のバリアフリー 化、高齢者世帯向け住戸タイプの供給と優先配分などの ハード面の対応から、高齢の親と子の近居のための住み 替え支援(優先的な HDB 住宅の配分)などのソフト面 での対応まで幅広い。バリアフリー化など高齢者向け住 宅改修は 2012 年に HIP に加えられた。2018 年 3 月時点 で 56,000 世帯が受益し、107,100 世帯が申請中である。 親と子の近居支援は、1996 年に施行された両親扶養法 とも連動した政策である。この法律は、60 歳以上の自 活できない両親の扶養を子供に義務付けるものである。 政府は高齢者と子世帯が同居する場合に所得税控除など の優遇措置を導入している(三浦亮輔 2017)。HDB の 世帯調査 2013 によれば、近居の場合、高齢の両親と子 世帯との交流が高まることが確認されている1)。
その他にも、支援型居住開発(Assisted Living Dev.) による公共空間やシェア施設での社会的交流、相互扶助 の促進、国家開発省と厚生省との連携によるケア・サー ビス付きの団地のモデル開発なども実施されている。そ の一つが、Kampung Admiralty であり、高齢者向け住 宅と社会・健康(医療センター)・コミュニティ施設 (Active Ageing Hub、児童センター)・商業施設(ホー カ ー セ ン タ ー) の 複 合 開 発 が 行 わ れ て い る。 ま た、 HDB 住宅を老後の生活資金を獲得するために活用する アプローチもとられている。高齢者世帯が標準的な住戸 から小型住戸に住み替えることで差益を得ることや、空 き部屋の賃貸を認めて家賃収入を得る措置も用意されて いる。 (5)持続可能なスマートタウン開発 政府の「サステイナブル・シンガポール構想(Sustainable Singapore Blueprint 2009, 2015)」を受けて、HDB は持 続可能で、環境に優しいタウン構築に積極的に取り組む。 パイロット事業としてのエコタウンの開発や、それを包 括的に展開する「HDB グリーン・プリント」事業など がそれにあたる。グリーンな住区・住棟とコミュニティ づくりを目標に、太陽光発電システム、エネルギー回生 式エレベーター、屋外 LED 照明、雨水利用システム、 真空式廃棄物搬送システム、グリーン通勤(公共交通・ サイクリング道整備)、グリーンフラット(屋上・壁面 緑化)、エコハウスなどが HDB 住宅・タウンに実装さ れ 始 め た。2014 年、HDB と 経 済 開 発 庁(Economic Development Board: EDB)が連携して、HDB フラット や公共施設の屋根に太陽光発電パネルを大規模に設置す る政策「ソーラー・ノヴァ(SolarNova)」事業を開始 した。これはシンガポールの年間総エネルギー消費量の 5% に相当する年間 420GWh の太陽光エネルギーを生成 することを目指したものである。(HDBwebsite(6)) 政府のスマート・ネイション構想を受けて、2014 年、 HDB はスマートタウン・フレームワークを策定し、情 報通信・センサー技術とデータ解析などのスマート技術 を用いて、HDB タウンをより持続可能で、安全・安心、 住みやすいものとする試みがなされている(図 2)。環 境シュミレーションを用いて風力・風向、気温、太陽光 の発散などの観点から環境デザインを可能とし、団地内 に熱センサーを設置して快適度を計測している。また、 スマート・ホームでは、電気・水道使用量を可視化し、 エネルギーと水の節約につなげることや、ホーム・モニ タリングシステムにより、一人暮らしの高齢者の安否確 認などが行われている。(HDB 2018, HDBwebsite(6))
4. シンガポール公共住宅政策の評価と課題
(1)公共住宅政策の評価(総括) 土地の国有地化政策と基盤整備のもと、HDB は計画 的にニュータウン開発を行ってきた。CPF による住宅 資金の確保と各種の住宅助成金制度、公共住宅事業への 財政補填がアフォーダブルな持家政策の基盤となった。 HDB は新規住宅開発の質的改善を図り、既存ニュータ ウンの再生・改善にも努力を払ってきた。包括的なニュー タウン再生事業、住宅改善事業、老朽化住宅の再開発事 図2 HDB スマートタウン・フレームワーク 出典:HDBwebsite(6) 1) 1 週間に 1 回以上の頻度での訪問比率をみると、同じタウン内に住む場合、隣接するタウンに住む場合ではそれぞれ 90.5%(41.9%)、81.4%(25.7%) と高いが、それ以外の場合では 66.3%(15.1%)と相対的に低くなる(() は日常的な訪問率)。(HDB, 2014b)業、新コンセプトの住宅開発、商業施設のマネジメント によって、ニュータウンの持続性を担保してきた。また、 住生活に関する満足度にも関心を払い、住宅政策・事業 の立案にも反映してきた。HDB の住宅・住環境・施設 に対する居住者満足度はいずれも 90%を上回り、90.3% が「コストに見合う価値がある」と HDB 住宅を評価し ている。公共住宅が住宅ストックの 7 割弱を占め、国民・ 永住者の 8 割が公共住宅に住むという量的基盤を活か し、政府が政策課題である持続可能な都市づくりや高齢 者対策を効果的に行い、生活の質の向上を図っている。 新自由主義・グローバル経済のもとで世界的に所得格 差は拡大している。シンガポールも例外ではない(Tai, Po-Fen, 2006)。さらに、アジア主要都市では住宅・不 動産価格が所得を上回るスピードで上昇し、社会階層間・ 世代間での住宅格差が拡大している(福島 茂 , 2000)。 そうしたなかにあって、シンガポールは政府の強力なコ ミットメントにより、アフォーダブルな公共住宅政策を 維持し、質的水準を上げて、日本を含む他のアジア諸国 のなかでも突出した成果を収めてきた。シンガポールの 公共住宅政策は、新自由主義的な経済社会にあって社会 的な安定を図る装置となっている。応能負担による HDB 住宅の分譲は、いわば、富の再分配のシステムと しても機能している。シンガポールの公共住宅政策は、 土地の国有化や CPF などの国家の社会経済システムの なかで位置づけられており、その公共住宅政策を他国に 適応することは難しい。しかし、それは新自由主義経済 のもとでの公共住宅政策が果たすべきあり様、意義を指 し示している。また、オールドタウンの再生、スマート &サステイナブルタウンなど、個別プログラムの政策経 験には学ぶ点が多く、適用可能なものも少なくない。 (2)シンガポール公共住宅政策の長期的課題 シンガポールの公共住宅政策に隘路はないのだろう か。1960 年代に供給された HDB 住宅は、築 60 年に達 しようとしている。リース期限が少なくなってきた物件 の市場価格がどのように推移するのか、政府はどのよう に取り扱うかが、シンガポール社会のなかで課題として 意識され始めた(Ting, Wong Pei, 2018)。古い HDB 住 宅は立地がよく、これまでは選択型一括再開発事業への 期待もあり、資産価値は目減りすることはなかった。し かし、選択型一括再開発事業は 2008 年以降かなり限定 的に運用されている。100 万戸を上回る HDB 住宅すべ てに、財政負担の大きいアプローチはとりづらい。リー ス期間満了後、自動的にリース期間の更新を認めた場合 には、将来世代にアフォーダブルな HDB 住宅を供給す ることが難しいと指摘されている(Ting, Wong Pei, 2018)。民間型一括再開発は、立地が良い低密団地の再 開発には適用できても、立地に優れない高層住宅への適 用は簡単ではない。 こうした「リース期限切れ問題」を背景として、政府 は新しい再開発スキーム「自主的一括再開発」を検討し 始めた。築 70 年を超えた HDB 住宅について、所有者 が政府に一括売却するかどうかを協議し、それが成立す れば政府は査定価格で一括的に買い取り、再開発を行う というものである。選択型一括再開発と比べて、買い取 り価格・補償費が安価にすみ、財政的に選択しやすいと 言われている(Poh, Joanne, 2019)。まだ、事業制度の 詳細は不明であるが、将来の HDB 住宅の大量更新に向 けて、政府が準備を始めたと言える。こうしたリースホー ルドに基づく住宅市場形成は中国・香港でもみられ、 「リース権期限切れ」への政府の対応が注目される。 <引用・参考文献> 福島 茂(1994):「東アジアにおける現代都市居住」『すまい論』,1994 秋号 , p.26-36、住研究財団 福島 茂(2000):「アジアの都市住宅政策と国際比較にむけての視座」 『市政研究』No.128, p.102-115, 大阪市政調査会 丸谷浩明(1995):「都市整備先進国・シンガポール: 世界の注目を 集める住宅・社会資本整備」アジア経済研究所 三浦亮輔(2017)「シンガポール 高齢者市場に参入するためには」『ジェ トロセンサー』2017.4 号 , p.64-65, ジェトロ 長谷川洋・福井秀夫・戎正晴・大木祐悟(2014):「シンガポールのマ ンション解消・敷地一括売却制度とその運用実態」『都市住宅学』 84 号(2014 冬), 65-73
Housing & Development Board (HDB, 2014a): Public Housing in Singapore: Social Well-Being of HDB Communities
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Home is Where the Heart Is
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