【書評】
内藤理佳訳『マカエンセ文学への誘い
――ポルトガル人子孫によるマカオ二十世紀文学』
和仁
廉夫
はじめに
――近くて遠いマカオ
本書は、わが国で初めてマカエンセの作品を紹介した本である。 著者は上智大学でポルトガル語を学び、マカオで暮らすポルトガル人の末裔であるマカ エンセと交わるなかで、2014 年に『ポルトガルがマカオに残した記憶と遺産~「マカエン セ」という人々』(上智大学出版)を出版した。本書はさらに研究をすすめ、20 世紀に作 家・ジャーナリスト・歴史著述家・詩人として活躍した4人のマカエンセの作品に焦点を あてた。 マカエンセが使うパトゥア語はマキスタともいう。ポルトガル語を基礎に、大航海時代 のインド・アフリカ・マレーシアなどの現地語、これにマカオで中国系住民が話す広東語 を取り入れて発達した。 中国系住民との通婚が稀だったイギリスの香港統治とは異なり、ポルトガルは植民地で 非西欧系住民との通婚を奨励していたという。このため、多種多様な出自を持ち、中国人 の文化とも融合した個性的なマカエンセが育っていった。マカオは1999 年 12 月 20 日に 中国に施政権を返還し、中国の特別行政区になったが、マカエンセにもポルトガルに帰国 する者、ブラジルなど他のポルトガル語圏諸国や米国に移住する者があり、現在もマカオ で暮らすおよそ8千人のマカエンセは、彼らのなかではむしろ少数派であるという。 日本の読者にとって、マカエンセはもとより、マカオそのものが遠い存在かも知れない。 いわゆる中国《両岸四地》のなかで、中国・台湾・香港に比べ、マカオが私たちの話題に のぼることはきわめて少ない。中国料理、香港飲茶、台湾小皿料理のレストランはあまた あるが、マカオ料理を看板にしたレストランは、東京に1軒あるだけだという。マカオに 行ったことのある人でも、カジノや大三巴(セント・ジョンズ教会のファザード)が記憶 の片隅に残っているだけだというのは、まことにさびしい限りである。 そもそもマカオは、日本と深い関わりのあるところだった。織田信長がローマ教皇のも とに送った天正遣欧使節(1582-90 年)のひとり、原マルチノの流刑地であり、多くの日 本人キリシタンがこの地に送られてマカオの人となった。高校の日本史教科書に記載され た 1837 年のモリソン号事件で徳川幕府と薩摩藩の打ち払いのため帰国を果たせなかった山本音吉・原田庄蔵ら7人の日本人漂流民が帰国計画の前後に生活の拠りどころにしたの も、まぎれもなくマカオであった。帰国を果たせなかった7 人は、マカオ・香港・シンガ ポールでその後の人生を送った。現代日本人にマカオの印象が乏しいのは、これらの歴史 を忘れ去ってしまったからにほかならない。
Ⅰ マカエンセの戦争体験
本書に収録された4人のマカエンセ作家が活躍した時代は、概ね 20 世紀であった。こ のため、彼らの人生に共通する最大の歴史的事件は、第二次世界大戦の体験だったと思わ れる。 しかし大戦期のマカオについて、日本の歴史教科書にはまったく記載がない。宗主国ポ ルトガルのサラザール政権は、自存するために連合国にも枢軸国にも与しない中立政策を 採った。このためマカオは日本軍の侵略を免れ、最後まで直接の戦地にはならなかった。 しかしマカオには、1941~1945 年の時期だけ日本領事館が置かれたように、この戦争 で特殊な役割を果たしていた。マカオの周辺では、1938 年 4 月に近隣の三灶島が日本海 軍に占領され、同年 10 月に広東が陥落し南支派遣軍(波集団)の拠点となった。このよ うにマカオの周りは日本軍で充満していたのである。1941 年 12 月、クリスマスの日に隣 接する香港が陥落しアジア太平洋戦争最初の日本軍占領地となり、香港は3年8箇月にわ たる日本軍政時代に入った。ところがひとりマカオだけは、ポルトガルによる植民地統治 が続いていた。 もっとも、マカオの中立とは名ばかりだった。日本海軍は1938 年からマカオ沖で海上 封鎖を行い、日本軍の干渉なしにマカオの内港・外港に出入りすることは出来なくなって いた。この時期、マカオと広州湾(湛江)の間には広東内河海運、マカオと広州の間には 聯昌公司と、いずれも日本軍の息がかかった定期船が就航していた。 2020 年夏に逝去し、香港で盛大な葬儀が行われた「賭王」(カジノ王)こと何鴻燊(ス タンレー・ホー)も、この時代のマカオを生き抜いたひとりである。香港大学を卒業して 就職浪人中だった彼は、日本の軍需商社昭和通商が日本・香港・ポルトガルが合弁で設立 した聯昌公司の斎藤社長に見いだされ、マカオと広東を結ぶ海運業に従事していた。その 機縁で南支派遣軍がマカオ得勝街に設立した日本軍特務機関《澤機関》の澤栄作大佐の知 遇を得て、専属の英語家庭教師として、黒社会(暴力団)もひれ伏す威光を持っていた。 戦時下のマカオは、広東省各地や香港から逃れて来た戦争難民で通常に3倍する人口を かかえていた。仏教の同善堂やカトリック慈善団体が救援の手を差し伸べてはいたが、と ても間に合わない。路上には難民の死体が溢れ、井戸水も不足し、公衆衛生は最悪だった。 この時代のマカオを生き抜くには、影の支配者である日本軍との良好な関係が不可欠だっ たのである。 本書で紹介された4人のうち3人は、この困難な時代をマカオで生き抜いた。唯一の女 性作家デオリンダ・ダ・コンセイサォンだけはマカオを離れていた。彼女は満州事変が起 きた1931 年に 18 歳でポルトガル人ジャーナリスト、ルイス・アルヴァスと結婚して上海に渡り2人の男児を授かった。のちに離婚し、上海が日本軍の手に落ちた 1937 年に二児 を連れて香港に移った。その香港も 1941 年末に日本軍占領下に入り、彼女は香港に終戦 までとどまってポルトガル人学校の校長をつとめている。中立国のポルトガル国籍だった ため、敵性国民(連合国系住民)とは異なり、収容所に送られることはなかったのである。
Ⅱ 地元女性との恋愛と不条理
本書で最初に登場するのが「マカエンセ文学の父」と呼ばれた作家エンリケ・デ・セナ・ フォルナンデス(1900-2010 年)である。彼はマカエンセの父母のもとで次男として生ま れ、戦後ポルトガルのコインブラ大学に8年間留学して法律を学び、帰国後はマカオで弁 護士事務所を開く一方、作家活動を始めた。彼の作品の主題はマカエンセと出自の異なる 男女の恋愛であり、身分や価値観の違いから不条理な運命に翻弄され苦悩する姿を描く。 本書で紹介されるのは、マカエンセと関係を持った水上生活者(蛋民)の娘を描いた「ア・ チャン」(舟渡しの女)と、マカエンセと水売りの娘の祝福されざる結婚とその後の顛末を 描いた「魅惑的な三つ編みの娘」の2 作品である。 「ア・チャン」は人身売買でマカオに売られて来た少女である。最初は奴隷身分であっ たが、持ち主の老婆が亡くなり、独立した経営者になった。彼女の生業はマカオ内港でサ ンバン(蛋家)を操り、乗客を対岸のラパ島(位置関係から見ると現在の珠海市灣仔)に 運ぶ渡し舟の船頭であったが、客のポルトガル人水夫マヌエルに関係を迫られ、子供を産 んだ。やがて第二次世界大戦が終わり、マヌエルの乗る船にも帰国命令が出たため、ア・ チャンは苦悩の末、マヌエルに我が子の将来を託す。 「魅惑的な三つ編みの娘」は本書全体の339 頁中 167 頁を占め、半分近い紙数が割かれ ている。マカオの雀仔園で井戸水を桶売りする水売り娘ア・レンと、彼女に魅了されたマ カエンセ上流家庭の放蕩息子アドジンドの祝福されざる結婚と、家庭を持ってからの二人 の成長、生家の家族、とりわけ父親の苦悩が印象的な作品で、1930 年代末から 1940 年代 初頭のマカオが舞台だ。 1995 年に蔡安安監督によって映画「大辮子的誘惑」(珠江電影制作公司・蔡氏兄弟澳門 影業公司、聯合出品)として映画化され、現在も中国語動画サイト《龍酷》に 27 本の動 画が残っている(2020 年 8 月 29 日現在)。このうち「大辮髪的誘惑」という標題の(1) と(2)を視聴するだけで、作品全編を鑑賞することができる。CCTV(中国中央電視台) で放映された映像のダビングがベースらしく、古くて画質は良くないが、無料で鑑賞でき る。音声は中国語普通話で、中英文の字幕が付いている。 著者によれば、作者の長男も父親と同じく母国のコインブラ大学に学び、その後マカオ で弁護士事務所を開業しているという。父子ともにマカエンセ社会の重鎮である。Ⅲ 短命だった女性ジャーナリストの軌跡
二番目に紹介されるのが、本書では唯一の女性ジャーナリストのデオリンダ・ダ・コン セイサォン(1913-1957 年)である。 彼女が戦時下を上海と香港で過ごしたことは先述したが、戦後はマカオに戻り、「ノーテ ィシアス・デ・マカオ」(マカオ・ニュース)記者の傍ら、教壇にも立っていた。マカオの 外の世界を知り、報道にも携わって来ただけに、彼女の作品のテーマは、古い因習に縛ら れた保守的な社会でもがき苦しむ、自立しようとする若い男女の葛藤である。それはおそ らく、戦時下の時代を上海・香港で過ごし、外の世界のリアルを見た彼女の実体験に裏打 ちされた若者たちへの応援歌だったようにも思える。 本書では彼女の作品から、「チョン・サン(チャイナドレス)」・「クァイ・ムイの夢」・「リ ン・フォンの受難」・「施し」の4作品が紹介される。 「チョン・サン」は、両親によって決められた許嫁と結婚した女性が、海外で受けた高 等教育によって聡明な女性に成長したことで、伝統的な家父長制社会しか知らない夫とう まくいかなくなり、非業の死を迎えるという物語。作品中で「チョン・サン」(中国服)と は、中国人社会の伝統を象徴する意味があり、それを見事に着こなした彼女は伝統社会を 受け入れた聡明な女性であった。しかし彼女は同時に近代的な教養の持ち主でもあり、保 守的な夫との関係は破局に終わるのだから、人生はまったくわからない。 「クァイ・ムイの夢」は人身売買で売られて来た女性が、雇い主に身ごもらされた娘を 女手一つで育てて来たが、ついに病魔に倒れた。その人生最後の病床で、奇跡的に当たっ たという宝くじの報告に訪れた娘に、これまでの苦難の人生を語って聞かせるという物語。 つづく「リン・フォンの受難」は、工場で働く貧しいリン・フォンが、兵役でマカオに赴 任したポルトガル人兵士に弄ばれ身ごもったが、兵役が終わって帰国する兵士に母子共に 捨てられるのに、いつか兵士が迎えに来てポルトガルに連れて行ってくれると頑なに信じ て疑わないリン・フォンの物語。本書で頻繁に語られる人身売買や私生児は、決して架空 の話ではなく、近い過去のマカオでは、珍しいことではなかった。 「施し」はポルトガル人男性とマカオの中国人女性の間に生まれた青年が、自身をこの 上なく不幸な存在と思い詰め、運命の殻を打ち破るためにポルトガル本国への渡航を企て る物語。船出の日に青年の期待を裏切って見送りに現れた母親に、青年は僅かな「手切れ 金」をつかませるが、母親は息子が「施し」を与えたと叫んで取り乱す。西洋文明と中国 の伝統、西洋医と祈祷師、二極対立的に描かれる中で、青年は中国を否定し続けた。だが マカオを脱出して母親の手から逃れたとしても、自由で幸福な世界に迎えられるという保 証はどこにもないのだ。Ⅳ 中国文化への深い造詣
三番目に紹介されるのは歴史著述家のルイス・ゴンサガ・ゴメス(1907-1976 年)である。ゴメスはマカエンセの両親のもとマカオで生まれた。幼少の頃からマカオの中国文化 に関心を抱き、独自に探究を深めた。とくに 1950 年代には多くの著作を残し、マカオの る中国文化を紹介した著作は30 作を超えるという。また、中文葡訳・葡文中訳も手がけ、 現在のマカオ美術館の前身にあたるルイス・カモンイス美術館長、マカオ古文書館出版局 長、マカオ図書館長を歴任したほか、マカオ政庁の副代表もつとめた。このほか中学(高 校)の教壇にも立ち、彼の名を冠したルイス・ゴンサガ・ゴメス中葡文中学校(中学高校 に相当)がある。 本書には、ゴメスの作品から「マカオのさまざまな名称」・「バーラ廟(媽閣廟)の伝説」 「マカオの風水」・「コオロギ相撲」・「パイナップルの井戸」・「悲恋ものがたり」の6作品 が紹介された。いずれも膨大なゴメスの著作のなかから選び抜いた珠玉の小作品である。 「マカオのさまざまな名称」はマカオ地名物語ともいうべき作品で、マカオの漢字名で ある「澳門」をはじめ、マカオのさまざまな地名の由来を解説する。マカオの名称とゆか りの深い「馬角・馬蛟・媽港・亞媽港」のほか、マカオ特産の《牡蠣》に由来する「濠鏡・ 蠔鏡・濠江・壕江」などの地名も。評者はマカオの隣の横琴島特産の《横琴牡蠣》やさら に隣の三灶島で養殖される《三灶牡蠣》、そして牡蠣を使った海鮮料理を思い出させた。現 在も新馬路(サンマーロウ)と内港がぶつかるどん詰まりのT字路にオイスターソースで 有名な《李錦記》のでっかい看板広告があるが、李錦記も戦前はマカオに拠点を置いてい た。また、マカオを取り巻く鏡のような美しく穏やかな海に由来する「海鏡澳・海鏡・鏡 海・鏡湖」などの地名も紹介される。評者はSARS や新型肺炎コロナ 19 対策で活躍する 山頂医院と並ぶマカオ有数の総合病院《鏡湖医院》を思い出していた。また作者は、「蓮花 島・蓮洋」の地名を、《蓮》に価値を認める仏教との関係で説明していたが、評者は珠江の 両岸が狭くなる「番禺」の「蓮花山港」を連想していた。確かにここにも仏教寺院がある。 また「前山」という地名についても、内港の対岸、マカエンセにはラパと呼ばれた珠海市 の「灣仔」から北に向かった交通の要衝に「前山」の地名があり、ここには関所があった。 地名に関する物語は、マカオ周辺の珠海市や中山市も含めて、面的な地理感覚がどれだけ あるかで違ってくると思われる。国連ユネスコが 2005 年に世界歴史遺産に指定したマカ オ歴史風致地区だが、その範囲は観光地の大三巴や議事堂前亭周辺、南灣や西湾などポル トガル人居住地区に偏し、中国系住民の多い下町の多くは指定を免れている。ゴメスの関 心がこうした中国系住民の地域にも注がれているのには、まことに驚かされる。 「バーラ廟(媽閣廟)の伝説」はマカオの地名の由来にもなった媽閣廟(マーコックミ ゥ)の伝説から筆を起こし、この地域周辺に広がる媽祖信仰に関する著者の歴史的解説で ある。マカオ観光の定番でもある媽閣廟だが、ここに祀られている神々が一度に形成され たものではなく、歴史的に重ねられてきたことを、本書で初めて知った。 「マカオの風水」はマカオにもよく訪れるという風水師や陰陽五行説に関する説明。そ のいっぽうで、作者は風水師を「民衆の心をたくみに悪用して、多額の謝金をもらってい る」と感情露わにこき下ろしている。 「コオロギ相撲」は中国人社会で賭け事として行われてきたコオロギ相撲に関するエピ ソード。とくに 1911 年にマカオで行われた梅花點と金絲の名勝負を詳しく中継した。コ オロギ相撲は中国人の賭博文化だが、さすがに文化大革命(1966~76 年)の時期には排 斥されたこともあった。しかし賭博好きな中国人はコオロギ相撲をやめることが出来ず。
現在は復活しているとも聞く。 「パイナップルの井戸」は欲のない善良な者に幸運を、その運気を横取りしようとする 者に不幸がもたらされるという、西洋のイソップ物語を連想させるような作品。評者は日 中戦争の時期、マカオに逃れた神戸華僑難民王金鴻(日本名浅井計彌)本人を名古屋で取 材したことがあるが、1930 年代後半のマカオは井戸水が高騰し、日々生活するのが大変だ ったと聞いた。王金鴻一家が対岸ラパの灣仔(珠海市香山区灣仔)に移住したのもそのた めだ。上水道のなかった時代、命のつなぐ水を求めて井戸端に殺到した人々の運命に思い をはせると、身につまされるものがある。 「悲恋ものがたり」は、身分や欲得打算が邪魔して、かなえられぬ男女の恋物語。古来 中国の伝説には、赦されざる結婚、悲恋。この種の悲しい物語がなんと多いことか。
Ⅴ パトゥア語保存に尽力
最後に紹介されるのがジョセ・ドス・サントス・フォレイラ(1919-1993 年)。通称は アデーである。 アデーは 1919 年、ポルトガル人の父と中国系マカオ人の母親の間に生まれた。母親は 再婚で、前夫との間に7人の子供がいたといい、当然のことながら生活は苦しかった。中 学卒業後、兵役・公務員・学校職員を経て、本稿で先述した何鴻燊経営のカジノ産業、STDM (澳門旅遊娯楽公司)の幹部に登用され、カジノ資本の潤沢な資金を元手に貧しい子供た ちのために奨学金制度設立に尽力するなど、社会福祉事業で頭角を現した。パトゥア語の 保存につとめ、自らパトゥア語劇団を率いて定期公演を続けた。劇団はその後も後継者に 引き継がれ、現在も存続しているという。 アデーは敬虔なカトリックであり、マカオの風物に愛情を注ぎ、多くの抒情詩をうたい あげた。本書に収録されたのは「これぞマカオ」・「ああ、マカオよ」・「マカオ 花咲く春」 「マカオとの別れ」・「マカオの甘いことば」・「変わりゆくマカオ」の6編である。 1968 年の作品という「これぞマカオ」は、母国ポルトガルのミルーによる「これぞリス ボン」のカバー曲であるという。作品は明るく活力にあふれており、購買意欲をそそるテ レビ CM を見るかのように、「ギア灯台・マリア二世要塞・新馬路」などの地名がテンポ よく飛び出してくる。そして、「顔見知りの娘」(娼婦)に逢うため、こっそりポルタス・ ドル・セルコ(關閘)をくぐり通り抜ける男の話題が、たちまちマカオ中の噂になるとい う話で締めくくられる。小さなムラ社会のマカオは、男女の逢い引きも秘密にはできない ほど狭く、人々は物見高い。 成立年不詳の「ああ、マカオよ」は、祖国ポルトガルへの忠誠と強いカトリック信仰心 が感じられる作品だ。評者が惹かれたのは「絶望してやってくる者にパンと寝床を与えて くれる」という一節。祖国から見れば極東の「地の果て」にも見えるマカオだが、ワケあ りの食い詰めた人々を温かくもてなし、パンと寝床を与えてくれる。原マルチノら九州の キリシタンも、音吉ら漂流民もこうしてマカオに迎え入れられた。マカオの本質を見事に 言い当てた評者お気に入りの一節である。「マカオ 花咲く春」・「マカオとの別れ」・「マカオの甘いことば」の3篇は、ともに1989 年の作品だ。他のサントス作品にも共通することだが、発せられた言葉がポンポンと活動 写真のようにテンポよく動き、作者の世界に引きずり込まれていく。たとえば、「マカオの 甘いことば」では、マカエンセ家庭の先祖相伝のマカオ・スイーツの数々がこれでもかと 言わんばかりに次々と繰り出され、読者は読むだけでお腹がいっぱいになるはずだ。 菲國鶏(アフリカン・チキン)に代表されるマカオ料理は、大航海時代に寄港した数々 の寄港地のさまざまなスパイスが混淆して、濃厚な味に仕上がっている。いっぽうマカオ のスイーツは、とことん甘い。 本書の最後を締めくくる「変わりゆくマカオ」はマカオ返還が近づいた時期の作品であ る。マカオと香港を数時間かけて往復していた蒸気船の時代が終わり、ジェットフォイル という高速船が就航することや、タイパ島にマカオ国際空港が計画され、香港に行かずと もジェット機で世界中どこへでも行けるようになることを、夢物語のように謳いあげてい る。そして作者は、「ここには哀しみがあり、そこには混乱がある」と戸惑いも隠さない。 今やこれらの夢物語が実現し、マカオには三菱重工業が受注したライトレール(軽軌鉄 道)が市街地を縫うように走る時代が始まろうとしている。もし作者が現在を生きていた ら、この光景をどのような作品に謳いあげるだろうか?