• 検索結果がありません。

国語教育の基礎的研究 : 読みの本質論を中心に

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "国語教育の基礎的研究 : 読みの本質論を中心に"

Copied!
116
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)平成4年度 兵庫教育大学大学院学位論文. 国語教育の基礎的研究 一読みの本質論を中心に一. 教科・領域教育専攻. 言語系コース M91409G 木 村 勝 博.

(2) 〈目次〉 はじめに____..__...______.._____._..____.__...1. 1 対話としての「読み」._____.______.______.3 1)行為としての「読み」...................._..__.._t.._.................._..............._3. 2)相互作用としての「読み」____.____..._...__.___.__.4 3)作品とは何か_____.____.._.__.___._。______._.____.5. 4)テクストとの対話_.__.__.____.__.___.___.__._..6. 2 表現と立場___._.._...______...___.__._.____.8 1)〈二つの表現〉とく二つの立場〉..._.__._......._...._....._,._.__.,8. 3 「読み」における〈場面性〉について.____.__.._._.12 1)場面とは______.______..._.___._._.___._____._.9..13. 2)主客の融合した世界___..__..______.______..._____14 3) 「場」と「場面」..__...__......___...._.._._._......____.,_..__.14. 4) 「場」と「場面」の展開____.______.______,__..._16. 4 〈場面性〉が開く読み___.___..______.__.__18 1)〈場面性〉の果す役割______.__.___._____._._____18. 2)〈場面性〉を生成するもの… 〈題名読み〉______..__19. 5 〈場の読み〉とく場面の読み〉______.___._.__.25 1) 反転する「読み」__._...____.._____..____.__,._25 2)視点の移動__..____.__.____.______.._____.._____27. 3)接続する「場面」と成長する「場」_____,______.____28 4) 陽と場面」と「指示と発問」____.__..___.______.29 5) 「命題化」される「場面」…. 「読みの単位」の成立...一....31. 6 命題とテクスト______.._____._.___.___._.31 1)命題とは何か..........._..._....._._......_.…,._......._._......_t....__._.__31. 2) 〈命題からテクストへ・テクストから命題へ〉.._._._.__33 3)〈読みの階層構造〉_____.._____.______.______34.

(3) 7 命題の操作_____.______._____._。_____38 1>述語論理_....._.9,甲.._..._...。7『7.。_..。.,.。_.3_....馴.__._,一.....。._._。一.__。_38. 2)テクストの命題分析._..、.一_._...._._...__.;=._..、、....___.._._.....、40. 8 人間としての読者____.____..______.____45 1)無意識の「読み」の存在______.___..__..____._...___45 2) イメージと身体______.__一……・一……………・…・…一…’….…..45 3)暗黙知とは_.___._.______._._____._____._.._._.46. 4)暗黙知とイメージ化______.______.______._____.48. 5)成長するイメージの氷山(層の理論)____.______.__52 6) 「読み」の全体像...._.....__,...._..._._…....,...._.__.__..__.__....54. 9 読者の身体と感覚___..___.__.____...______.54 1)身体と結びついた感覚_____.______.______.____.54. 2)共通感覚(感覚を統合するもう一つの感覚)..__..__.____55 3)言葉と身体______..t_____._____,______...___56. 10 響き合う共感______.___..___._.._____..._.57 1)共鳴するテクストと身体___.__._____,______.__...57. 2)響き合うイメージ____.____._.._____.___………・一58. 3>イメージを身体で感じさせるく共感〉の存在.____。___58. 11 〈身体を通した読み〉とく心で考える読み〉_____._60 1)2と3の物語場面についての分析._._...._.._._....__....__.....60. 2) 「テクストへの共感」〈身体を通した読み〉_..__._..____61 3) 「場」から「場面」へ..__..._....._...__...._._...._._._.__.._.66. 4) 「響き合う共感」〈心で考える読み〉_..._.__.______。_.69. 12 テクストの「読み」の類型分析..._._....._......_.._._....76 1) 「読みの類型」について.__..___.。___.__.。______...___76 2) 「読み」の類型の分析_..._...._......_...............i._.__......_.._...._..77. 13 「もの」から「こと」へ_._.__..__.____._._.__82 おわりに______..._.._____.__.__.__.____..__84.

(4) はじめに. 遠い遥かな昔、我々に言葉はなかった。そのとき、すべての出来事は 我々とともにあった。しかし、何かを伝えたいという人々の願いが「叫 び」となり、それは「呼びかけ」に変わり、いつしか言葉が生まれ、我々 は「話し」 「聞く」ようになった。そのとき、相手と自分を言葉によっ てはっきりと意識するく現実世界〉が生まれた。やがて、物語が生まれ、. その物語は選ばれた者(語り部)によって、時代を越えて伝えられた。語. り部が物語を「語る」とき、それを「聴く」者たちはさらにもう一つの 世界く物語の世界〉を知ることになる。この時から、我々は二つの世界、 〈現実の世界〉とく物語の世界〉を生きることになった。. 「読み」とは、この時から生まれていたとも言える。それは、この気 が遠くなるような「話し、聞き」 「語り、聴く」という永い営みをもと. に、我々は「書き」「読む」ようになったのであり、物語世界を生み出 す「語り、聴く」という関係が、「読み」の原型だと考えられるからで ある。. 国語教育が「読みにはじまり、読みに終わる」と言われるほど「読み」 が大切だとされてきたのは、このような言葉の歴史によるのだろう。が、. 私はあることを経験するまでは、この「読み」をそれほど大切だとは思 わなかった。. それは、次のような養護学級での2年間でのことである。その養護学級 には15人の子どもたちがいて、どの一子もかなり重度なので、3人の担任が. 5人ずつ受け持っていた。私の受け持った子どもたちは、一日中おうむ返 しをする子、すぐに学校から出てどこかへ行方不明になる子、発作が起. きると壁に頭を打ち付けて血が出ても止めない子など、さまざまな障害 を持っていた。一つだけ彼らに共通するのは、言葉が不自由であるとい うことだった。. 私は何とか話せるように、文字が書けるようにと頑張った。毎日なぞ. 1.

(5) り書き、おはなしの練習に明け暮れた。しかし、そんなことはこの子ら. にとってあまり役には立たないように見えた。特に書くことを無理強い することは、かえって、情緒の不安定を招いた。そんな子どもたちが一 番喜んだのは、校外への散歩や、楽しく遊びながら身体を動かすことだっ. た。そして、ある日、ふと分かったことがあった。それは、思い切り楽 しく身体を動かしたり、公園で自然に親しんだりした後には、子どもた ちから自然な言葉が出てくることだった。そんな後は必ず情緒が安定し、. 言葉の学習をしている子は進んでやるようになった。心が解き放たれた 時身体から出てくる言葉(それは話し言葉よりも前の「叫び」や「呼びか. け」だったかもしれない)は、子どもたちに何かを与えているように思 えた。そんなとき、この子どもたちは最も自分に戻れるようだった。. 子どもたちをそんなふうにするのは、実際に身体を動かしたり、自然 に触れたりするような現実の場以外にもあるだろう。それは、文学の世 界である。文学は子どもたちの心情を育てると言われるが、もし、この 子どもたちが健常児が読んでいるように物語が読めたら、どんなに心が 安らぎ、そのことが彼らの成長に大きな影響を与えるだろうとよく考え た。だが、この子どもたちは読めなかった。読み聞かせて分かる子もい たが、その子らも自分から進んで読むことは出来なかった。私は、一番 文学を必要としているのはこのような子どもたちではないかと思った。 しかし、一番文学を必要としているこの子らには物語が読めないのだっ た。このことが、私に「読みとは何か」を考えさせるようになった。. 養護学級から普通学級に戻って一番感じたのは、国語科で「読み」 「書き」は教師も親もよく言うが、「話し」「聞く」ことは、あまり言. わないことだった。私は養護学級の体験から、身体を通した自然な言葉 が子どもを変えていくのでないかと感じていたので、子どもたちが自分 なりの表現力を話し言葉で培うことに重点を置いていた。そして、それ を国語科での「読み」の授業に活かすことに力を注いだが、依然「読み とは何か」ということは分からなかった。しかし、 「読み」の授業の中 で子どもたちが自分の言葉で話し、語り出すとき確かに何かが生まれる。. 2.

(6) そして、その何かには「読み」以外の「話し」「聞き」「書く」と言う 言葉の営みが含まれていると思えてならなかった。. 我々はどうかすると、国語教育の「読み」をそれだけで独立し完結し たものとして考えがちである。しかし、我々の言葉の文化は「『聞く文 化』から『読む文化』」(1)へと発展したのであり、このことから考えれ ば、 「読み」の中には、はじめに述べたような「話し、聞く」 「語り、. 聴く」そして「書く」という世界が内包されていると考えられる。つま り、 「読み」とは人間の言葉の営みすべてを含んでいるとも言えるので ある。. これから論ずる「読みの本質論」では、 「読み」をこのような言葉の 営みの流れの中で捉えることになる。. 1 対話としての「読み」 ここでは、 「読み」そのものについて考えていくことにする。先ほど 述べたように、 「読み」を閉ざされた世界だとは考えずに、人聞の言葉 の営みの流れの中でとらえるという立場から、 「読み」というものを考. えてみたい。そのために、読者である子どもたちの「読み」がどのよう なものであるかを考えながら論を進めたい。. 1)行為としての「読み」 画家は、画を描くことによって画家になり、詩人は、詩を作ることに よって詩人となると言われる。はじめに詩人があって詩を書くのでも、. 画家がいて絵を書くのでもない。同じように、はじめに読者があるので はない。読者も、画家や詩人と同様に「読み」という行為によって読者 になる。. 「読み」とは行為であると言われる。しかし、それは、人間の他の行 為に比べてはなはだ行為としては考えにくい面がある。それは、「読み」 が行為としては目に見えないからである。 (1)『西尾実国語教育全集第四巻』、教育出版、昭和57年5月、pp.257∼260 巻末資料(1)参照. 3.

(7) 我々が走ったり、歩いたりするのも行為であるが、それは目に見えて 分かりやすい。話したり書いたりすることも同様に、その行為が音声や 文字になって現れるので分かりやすい。ところが、 F読み」は聞こえな いし、目にも見えない。ここに、 「読み」に対する誤解が生まれてくる. 一因がある。しかし、優れた教師には子どもの「読み」が行為として 「見えていたjのだろう。だから、そのような教師は自分の教材の解釈. を無理に子どもに押しつけることはなく、子どもの「読み」と自分の 「読み」とを合作させながら優れた授業を生み出していくことができた。. しかし、はじめはなかなか見えにくい。見えないから、自分の解釈中 心に授業を進めようとする。だが、それはきわめて閉ざされた「読み」 になりがちである。 「読み」を行為としてとらえず、内容や主題を探り. 当てようとするからである。そのような「読み」は、きわめて「もの」. 的になっていく。そこでは、読み取るべき内容がまずあって、そこから さまざまな目標が生まれていく。この考え方は、国語科における「教材 優位」 「教材中心」の考えを生みだしがちであった。それは、 「深く読 むこと」という「読み」のための「読み」になり(2)、読者である子ども. から離れた教材の解釈の面に偏っていきがちであった。そこでは本来の 読者である子ども達の「読み」はあまり尊重されず、そのような授業か らは「読みの本質」を子どもたちが身につけることは難しい面があった。. そこで、ここではそのような立場に偏らず、 「読み」を行為としてと. らえ、読者と読まれるものがどのように関わっていくのかを中心に「読 み」の可能性を探っていくことにする。まず、 「読み」という行為の中 で、どのようなことが行われるのかを考えてみたい。. 2)相互作用としての「読み」 「読み」を「もの」的にとらえず、読者である子どもたちの自然な 「読み」を活かそうとした先人に滑川道夫がいる。滑川は「児童文学読 者論」において、次のように述べている。 (2)『西尾実全集第四巻』、pp.92 →巻末資料(2)参照. 4.

(8) 「どんなに内容のすぐれた本であっても、 (略〉読者の読むはたらきによってはじめて機能 的な存在になり得る。 (略)一さいの読み物は『読まれるもの』と『読むもの』との関係に おいて成立する。その関係の交渉中に読むはたらきが存在する。 (略)逆に『読者』という. 場合、「般の存在者という意味でなく、読もうとする志向や読み終えたいという過程を包含 一して、 『読まれるもの』との関連においていっていることも明かである。 (略)両者をむす. ぶものは、 『読むはたらき』である。『読むはたらき』は、本来作品自体がもっているので. はない。『読者』の側から発動するはたらきであるが、『読剤自体がもっているものとも いえない。『読者』と『作品』との間に関渉し成立する作用である。」6). 滑川は、 「読まれるもの」と「読むもの」を対立したものとはとらえ. ていない。彼は、この両者の関係において成立する「読むはたらき」を 「読み」として捉え、それを「機能的な存在」であるとしている。滑川 の「読み」についての考え方には、「もの的」にとらえる視点はない。. このような視点は、イーザーの「行為としての読書」にも見られる。 イーザーは、意味をイメージとしてとらえ(4)、それは、’「テクストの記. 号と読者の理解行為との相互作用の産物である(5)」とする。そして、読. 者はテクストによってイメージの形成を促され、テクストと読者が相互 に一つの状況を作り出し、そこから「読み」が生まれると考えている。 つまり、 「読み」とは、テクストと読者の相互作用として生成されると いうものなのである。 さて、 「読み」とは相互作用であると考えることによって、 「もの」. 的な「読み」から逃れる方向を見つけることが出来た。しかし、我々が 授業を行う場合、もう一つ考えなければならないことがある。それは、 作品という概念についてである。. 3)作品とは何か 授業をするとき、我々は、作品の主題とか、この作晶をどう読み取る かという考え方をしがちである。しかし、このような作品についての概 (3)滑川道夫著、 「児童文学読者論」 『実践国語』第2号3号、1950年6月1日、穂波出版、ただし、こ. こでは『文学教育基本論文集(1)』明治図書、1988年3月、pp.90∼103より抜粋した。 (4)W.イーザ一著/轡田収訳、『行為としての読書一美的作用の理論一』岩波書店、1986年11月、p.13 →巻末資料(3)参照 (5>『行為としての読書』pp.14∼!5→巻末資料(4)参照. 5.

(9) 念は、きわめて「読み」を「もの」的にしてしまいがちになる。そこで は、「読者は、作者の言いたかったこと、主張したかったことを享受す るだけの存在にすぎなく(6)」なり、読者である子どもたちが、新たな何. かを創造するような「読み」にはなりにくい。そのとき、我々は、子ど もたちを読み取るべきものを探し求める単なる「消費(二者にしてしま いがちである。. では、どう考えればいいのだろうか。それは、子どもがどう読むかを 考えれば分かりやすい。例えば、「ごんぎつね」を子どもが読む場合、 子どもにとってはじめから「ごんぎつね」という作品があるのではない だろう。それは、イーザーが言う ように「文学作品は、読書過程に おいてのみその独自の姿を示す」 テクスト. 読者. のであり、 「文学作品とは、読者. の意識においてテクストが構成さ れた状態を指す」(8)のである。. 作品. 1図. 読者である子どもたちとテクスト. との相互作用の中で、 「ごんぎつね」という「作品」が生まれていくの. である。それは、子どもたちとテクストによって生み出される自分なり の「作品」であり、「読み」の過程にだけ姿を現すきわめて個人的なも のである(1図)。作晶という概念をこのようにとらえることによって、. はじめて我々は「もの」的な「読み」から逃れることができるだろう。 つまり、読者である子どもたちが読むのはテクストであり、そこから生 み出されるのが「作品」なのである。. 4)テクストとの対話 さて、今度は読者が読むテクストについて考えてみよう。ここでもう 一度、 「ごんぎつね」を例にする。「ごんぎつね」を書いた新美南吉は、. 「ごんぎつね」を書くとき、自分が生きていた時代、あるいはそれ以前 に書かれたさまざまなものを読み、また、その時代のさまざまなことを (6)小森陽一他著、『読むための理論』世織書房、1992年3月、p.5→巻末資料(5)参照 (7)『行為としての読書』pp.4−10→巻末資料く6)参照 (8)『行為としての読書』pp.34 →巻末資料(7)参照. 6.

(10) に書かれたさまざまなものを読み、また、その時代のさまざまなことを 経験しているはずである。そして、 「ごんぎつね」を書くとき、それら を参照し、読み込みながら、自分のストラテジー(計略)(9)によって構成. していく。そのとき参照され、読み込まれたものの一つ一つがテクスト なのであり、 「ごんぎつね」とは、そのようなテクストの集積であると 言える(10)。. このようにテクストは、書き手に連なるさまざまなテクストによって 構成されている。また、読者もこのような意味では書き手と同様の立場 にいる。読者も、自分が生きている時代、あるいはそれ以前に書かれた さまざまなものを読み、また、その時代のさまざまなことを経験してい る。読者もまたテクストの集積であると言える。 「読み」が行われると. き、このテクストの集積である両者が相互に作用しあい、その結果、お 互いが変容する。つまり、 「読み」とは、テクストをテクストたらしめ. ているものと、読者を読者たらし めているものとの対話なのである。. 今述べたことは、 「相互テクスト. 》ご畷. 性(11)」という言葉で呼ばれている. が、 「読み」とは、その「相互テ. テクスト. クスト性」にもとづいた対話であ. 2図. 対 話. ると言える。それは、 2図のように表される。. そのような対話からは、 どちらの主体のものでもない、新たなテクス トが生み出され、 どちらの主体にも新たなテクストとして書き加えられ. る。それは、両者の相互作用であり、そこでは読者はテクストに働きか け、また、テクストに働きかけられる。そして、「読み」を終えるとき、 その相互作用の中から「読者の新たなテクスト」(L7)が生まれる。つまり、. 「読み」とはこのような意味での対話であり、それはまた、 「読者の新 (9)『行為としての読書』pp.87−101 →巻末資料(8)参照. (10)この段落の説明は、『読むための理論』、pp.5∼6によっている。 (11)ジュリア・クリステヴァ著/原田邦夫訳、『記号の解体学一セメイオチケ1』せりか書房、1983年、 →巻末資料(9)参照 (12)『読むための理論』、p.8→巻末資料(10)参照. 7.

(11) たなテクスト」を生み出す創造活動であるとも言える。 さて、このように「読み」を対話として捉えることができた。しかし、. 今度は対話とは何かということについて考えなければならなくなってく る。対話について考えやすいように、実際の対話を思い浮かべてみよう。. そこでは、相手と自分の立場にもとづいて、相手が表現したことをどの ようにとらえ、また、それに対して、自分がどのように表現するかとい うことを常に意識する。そのとき、表現と立場ということが重要になっ. てくる。この表現と立場と、今まで述べてきたテクストとはどのように 関連しているのだろうか。次章では、この表現と立場とテクストとの関 連を探っていくことにする。. 2 表現と立場 1) 〈二つの表現〉とく二つの立場〉 さて、表現とは、一見すると「読み」とはあまり関係をもたないもの と思われるかもしれない。それは、一搬に「読み」とは理解であると考 えられているからである。しかし、今まで述べてきたことをもとに考え ていくと、書き手がどのようにテクストを生み出していったかが「読み」. に大きな影響を与えていることが分かる。そこで、書き手とテクストと. の関連を考えないわけには行かなくなる。そのとき問題になるのが、先 ほど述べた表現と立場の問題である。. ここで取り上げる表現と立場とは、言語はそれが表される過程にのみ 存在するという言語過程説を唱えた時枝誠記のいうところのく主体的表 現と客体的表現〉およびく主体的立場と観察的立場〉である。まず、〈 主体的表現と客体的表現〉という二つの表現から考えてみたい。. a)二つの表現〈主体的表現と客体的表現〉 「主体的表現」と「客体的表現」という二つの表現について、テクス トの産出者と受容者の立場から考えてみることにする。ここでは「読み」. において考えやすくするため、それぞれ書き手、読み手(もしくは、読 者)として述べている。. 8.

(12) ア) テクスト産出(書き手)の側から 書き手は、次のような二通りの表現をとる。一つは、ある意図をもって 情報を積極的に相手に伝えようとする表現であり、もう一つの表現は、 テクストそのもの(表層テクストとも言われ、文字や発せられる言葉のこ と)である(13)。前者が「主体的表現」であり、後者が喀体的表現」で ある。. 時枝は、 「人間の具体的な思想表現は、客体的表現と、それに志向す る主体的表現との結合から成立する」(14)と、伝達が「客体的表現」と 「主体的表現」の結合によって成立することを述べている。 例えば、 「山が見える」という表現によって、 「山が視界に入って来 る」という現象と、そのように判断する話し手の判断作用が伝達される。. 前者は、表現における客体的なものであり、後者は、表現における主体 的なものである。この主体的なものと、客体的なものとは、さまざまな 対人的な人間行為に認められる。例えば、贈物をするとき、贈る品物は、. 客体的なものである。が、贈り物をする人は、ただそれを相手に渡すこ とだけを意図していたのではない。それによって、相手に対する感謝の 気持ちを表現しようとしたのである。ここであ げている贈り物が「客体的表現」にあたり、相. 客 体 的. 手に対する感謝の気持ちが「主体的表現」にあ. 表 現 ・. たる。(15). テ ク. つまり、 「主体的表現」と「客体的表現」が. ス ト. 一体となって、伝達が行われるという考えであ る。テクストは、この「主体的表現」と「客体 的表現」がないまぜになって成立している(16). と言える。ここで時枝が述べている「主体的表. そ の. 國. も. @の R図. 現」は伝達の過程で作用するものであり、実際 に表現された段階では、 「客体的表現」としてしか現れない(3図)。その (13)『読むための理論』、pp。9∼10→巻末資料(11)参照 (14}時枝誠記著、 『国語学原論続篇』、岩波書店、昭和30年6月、pp.44−45 (15)『続編』、pb.44∼50を要約。. (16)r続編』、pp.44∼50→巻末資料(13)参照. 9. →巻末資料(12)参照.

(13) 「客体的表現」とは、テクストそのもの〈表層テクスト〉である。. イ) テクスト受容(読み手)の側から さて、「読み」が行われると、今まで「客体的表現」とないまぜになっ. てテクストの中に隠れていた「主体的表現が読者の心の中に姿を現す。 そのとき、読者は「主体的表現」(テクスト産出の際には書き手の側にあっ たが、今はテクストと不可分となっている)の作用を受けることになる。 しかし、その作用は読者には意識されない。. 「読み」は次のような経過をたどると考えられる。まず、情報(テクス トそのもの)を受け取る。と同時に、その情報を主体的に、自分の思考、. 感情を交えながらとらえる。しかし、主体的に情報を受け取るのは、テ クストの持つ「主体的表現」に促されたためであって、読者だけの行為 ではない。それはテクストと読者の相互作用であると言える。つまり、. 読者はテクストがもたらす情報である「客体的表現」を客観的に受け取 りながら、同時にテクストが持つ「主体的表現」の作用を受けて、その. 情報を生き生きと活性化させるのである。この活性化に始まって、読者 の内部にさまざまな反応が起ってくる。その反応を読者の側の「主体的 表現」と捉えるならば、一そのとき、読者の側の「主体的表現」も働かざ るを得なくなる。つまり、 「読み」には両者の「主体的表現」が同時に. 作用することになる。言い換えれば、「読み」とは、情報そのものとそ れらと主体的に関わっていく人間の態度(そこには、読者と書き手の両方 がないまぜになっている)の入り交じったものである。. b) 「二つの立場」〈主体的立場と観察的立場〉 次に、「二つの立場」について考えてみたい。 時枝は、具体的経験の言語に対して、 「主体的立場」と「観察的立場」. という二つの立場を主張している。 「主体的立;場」とは、普段の生活の中で「文字を読み、音声を聴き、. 意味を理解する所の立場であ」り、「すべての言語はこの主体的立場の. 10.

(14) 所産であ」るとされる。l17). つまり、この「主体的立場」とは、占卜において生活そのものに関わ る最も基本的な立場であるとも言える。それは、私たちの生活のありの ままの現れである。ここでは、言語は私たちとともにあり、すべての感 覚、すべての感情が、この立場とともにある。「すべての言語がこの主 体的立場の所産であ」るとは、「読み」に置き換えれば、この「主体的 立場」がすべての「読み」を促すとも言える。 これに対して、「観察的立場」は「言語を専ら研究対象として把握し、. これを観察し、分析し、記述するところの立場」であり、「この立場に 於いては、言語的行為の主体とならず、第三者として、客観的に言語的 行為を眺めているところの観察者としての立場にいる」(18)としている。. つまり、この立場は、 「観察者」としての立場である。そこでは、感. 性よりも理性が働くことになる。この立場では、我々は言語とともには ない。そこでは、言語は観察される対象である。このく二つの立場〉を、 時枝は4図のように表している。. 主体的立場∼理解、表現、鑑賞、価値判断. 言語に対する立場 4図. 観察的立場∼観察、分析、記述. ここで、「主体的立場」の中の「鑑賞」 「価値判断」は、理解の一形 態(なぜなら、これらは対象をどのように捉えるかということであり、そ. れは「理解」につながるといえるから)であると考えられ、私はそれら の関係を、 「理解」〉「鑑賞」〉「価値判断」 という不等式(それは、. 「価値判断」が「鑑賞」に含まれ、「鑑賞」は「理解」に含まれるとい うことを意味する)で捉えたい。. また、 「表現」は広い意味で「理解」を含むと言われる。そのように (17)時枝誠記著、 『国語学原論』、岩波書店、1986年4月、P.22ページ(以下、 資料(14>参照 (18>『原論』、pp.22∼23 →巻末資料(15)参照. 11. 『原論』と略す) →巻末.

(15) 考えていくと、私はここで述べている「主体的立場」を、「理解」をも 含んだ「表現」だと考えたい(5図)。この広い意味での「表現」を考え ることは、「読み」がどのようなことかを解く鍵になる。. 時枝は、 「観察的立場は、常に主体的立場を前提とすることによって. 主体的立場. のみ可能とされる」(1g)と「主体的. 5図 表 ::理”. 現 a:. 立場」に重きを置いたが、上記のよ うに捉えた「主体的立場」にもとつ く「読み」では、 「表現」が中心に なってくる。一般には、 「読み」を. :・鑑 賞:. :価寄目e:. 「理解」のみとして考えがちである. が、「読み」とは本来「理解」を含 んだ「表現」としてとらえるべきで ある。また、テクストが持つ「呼び. かけ構造」(20>とは、「表現」に含まれた「理解」を促す作用であるとも 言える。. このように、 「主体的表現」と「主体的立場」は「読み」を考えてい. く上で非常に重要なものとなってくる。それは、この両者が「読み」を 生成させる土台となっているとも言えるからである。. さて、対話について考えることによって「読み」の土台が何であるか が分かってきた。今度は、その対話がどのような場を生成するのかを探 らねばならないだろう。それは、「読み」がどのように読者とテクスト との問で生きて働いているのかを考えることでもある。次章では、この 問題を採り上げることにする。. 3 「読みjにおけるく場面性〉について 場というと、まず思い浮かぶのはいわゆる場面である。この場面とい (19)『原論』、p.29 →巻末資料(/6)参照 (20)→巻末資料(17)参照. 12.

(16) 何かと問われると、それに答えることは難しい。このように、場面とは 不可欠なものであるが本来どのような定義を持つのかがはっきりしない。. 場面が何であるかは、明らかになっていないと言える。そこで、これか らその場面とは何かについて考えていきたい。. 1)場面とは さて、この場面について、時枝誠記は極めて注目すべき見解を述べて いる。時枝は「我々は、常に何らかの場面に於いて生きている」のであっ. て、場面は主体があって始めて成立し、主体を離れては考えることが出 来ないとする。また、 「場面が言語にとって、不可欠のものであること. は、言語が常に我々の何等かの意識状態の下に表現せられるものである ことによっても明かである」ともしている。. 時枝の言うように、私たちは常に場面とともに生き、私たちを包む場 面は私たちから離れることはなく、 「場面の存在といふことは、いはば 我々が生きているといふことに外ならない」(21)のであろう。. このように、場面は私達と密接に関連しているのであるが、それだけ ではなく、私たちの認知活動も常にこの場面と関わっている。. 認知科学では、 偲考の領域固有性」ということが言われている。佐 伯絆はこの「思考の領域固有性」について、 「人間の思考というのは、. どこまでもその人間の文化、生活空間、あるいは『場』というものへの 適応であり、それらへの『かかわり』なのだ(22)」と述べている。この 「人間の文化」 「生活空間」「場」というものへの適応そのものが、我々. の認知活動を行う際のいわゆる場面というものと深く関わっている。. 場面とは、それ自身で成立するものではない。私たちと情報との関わ りの中で生成され、変化するものである。従来言われている場面とは、 本来、このような性格をもっていると言える。. (21)『原論』pp.44∼45. (22)佐伯絆、『認知科学選書(10)認知科学の方法』、東京大学出版会、1991年6月、 p.123. 13.

(17) 2)主客の融合した世界 時枝は場面の意味を、 「場面が変わる」 「感. C. 激的場面」などのような空間的位置的な場所の 概念と相通ずるが、場所の概念が単にものであ. A. B. るのに対して、場面は場所を充すところの内容 をも含めるとし、同時にこれら事物情景に志向. 主. 体. する主体の態度、気分、感情をも含むものであ. 6図. D. るとした。(23). そして、この関係を6図のように表している。この図について説明する と、CDは事物情景(私たちが目にする景色や物事)であって、それは主. 体Aに対立した客体的世界である。Bは主体Aの客体的世界に対する志 向作用(何事かに向おうとする意識の働き)を表し、B及びCDの融合し たものが主体Aにとっての場面である。時枝は、このことを「場面は純 客体的世界でもなく、又純主体的な志向作用でもなく、いはば主客の融 合した世界である」(24)と言い切っている。. つまり、時枝にとって場面とは、事物情景を志向する主体の態度、気 分、溶溶をも含む「主客の融合した世界」なのである。. 3) 「場」と「場面」. 時枝の流れを汲む永 野賢は、場面を「客観. 時枝. 場面は、主客の融合した世界である. 的立場における場面」. と「主体的立場におけ る場面」(25)に分けてい る。(7図). 永野. . 一. 主体的立場における場. 客観的立場における場面. <話し手←→聞き手>. 〈自分←→相手〉 7図. 高橋太郎は、この永. (書き手〉 (読み手). 野の二つの場面を分かりやすく次のように説明している。 (23)この段落は、 『原論』 p.43 を要約し、引用した。 (24)この段落は、 『原論』 pp.43∼44を要約し、引用した。 (25)→巻末資料(18)参照. 14.

(18) 話し手・聞き手・素材は客観的に存在する。その存在が話し手(または聞き手)の意識の中に映し出 されると、もとの存在そのままの姿でない話し手・聞き手・素材となってあらわれる。これを「自分」 「相手」 「話材」(26)と呼ぶ。. 話し手と聞き手と素材の緊張関係が「客観的立場における場面」であり、話し手(または聞き手手). の意識における自分と相手と「一子」との緊張関係が話し手(または聞き手)の「主体的立場における 場面Jである。. この二つの「場面」の区別によってたとえば会話が通じるか通じないか、というようなことを説明 することができる。話し手と聞き手と素材があれば、そこに一つの「客観的立場における場面」ができ る。これを土台にして話し手と聞き手がそれぞれ「主体的立場における場面」を構成する。(27). この二つの「場面」におけるく話し手と聞き手〉の関係の変化の中で、. 特に場面を考えるとき重要であると思われるのは、 「客観的立場におけ る場面」のく話し手(書き手)←→聞き手(読み手)〉の関係が、 「主体 的立場における場面」では、〈自分←→相手〉の関係になることである。. 永野は、このく自分〉〈相手〉について、次のように述べている。 〈自分〉. 「自分」は固定していない。場合によっていろいろ変わる。それらは、私自身の主体的な感. 情や立場によるものである。そのような、個々の場合における特殊の私、私自身の意識に反 映して、私の言語行動を規制する私カミ 「自分」である。この「自分」は、客観的存在とし ての「話し手(または書き手)」と区別して考えなければならない。客観的存在としては、 同じ「表現者」 (話し手・読み手)カミ言語行動の主体としては、さまざまな「自分」に姿 を変えるのである。(28). 〈相手〉. 客観的には同じ「理解者(聞き手・読み手)」でも、言語行動の主体として、 「自分」にとっ. ては、ちがったものとして意識されることがある。 「自分」の意識が反映した聞き手が「相. 手」である。自分の話を聞いてくれると話し手が思っている人と、聞く行為を実際に営む人 とは、別ものなのである。前者が「相手」であり、後者が「聞き手」である。(29) (な職これからしばらくの問、 「客観的立場における場面」を「客観的場面」とし、. 「主体的立場にお. ける場面」を「主体的場面」と呼ぶことにする。). 永野が述べているように、「客観的場面」が話し手の意識に反映する と、言語行動の主体としてさまざまに姿を変える。これがく自分〉であ (26)高橋は、当時永野がこの「四八」についてまだ名付けていなかったので「X」と書いているが、永 野はこれを「話材」と名付けたので、ここでは、 「Xjを「話材」と置き換えている。 (27)高橋太郎著、『場面』と『場』、『国語・国文』昭和31年9月号所収、p.53 (28)永野賢著、 『文章論総説』、朝倉書店、1986年5月、p.39∼40 (29)上掲書、pp.40∼4ユ. !5.

(19) る。これは難しいことのように感じるかもしれないが、普段我々が経験 している会話の場面を思い浮かべれば納得できる。 「客観的場面」とは、. 我々が会話している場面そのものである。その場面には感情も立場もな い。それはただの出来事である。しかし、会話をしているく話し手〉と しての私にとって、会話をしている場面そのものが私の意識に影響を与 える。つまり、〈話し手〉は「客観的場面」を常に自分の意識に反映さ せ、その時々にく自分〉を変えていくのである。. 〈相手〉とは、この〈自分〉の話を聞いてくれると思っている人であ るカミ’. アれは言い換えればく自分の中にある聞き手〉ということになる。. このく自分・相手〉の意識が生まれるのが「主体的場面」である。 「読 み」においては、この‘i[相手〉は、物語の中の登場人物であり、語り手 であると考えられる。. 今まで述べたことをまとめると、我々は常に二重の場面を生きている ことになる。つまり、一つ 場面は、主客の融合した世界である. の「客観的場面」が感情や 立場に反映して、それに応 じて主体的にく相手〉を意. 主体的立場における場面. ↓. 客観的立場におげる場面. 識し、〈自分〉を変化させ. ていく。そこにもう一つの ↓. Dコ咽〔璽コ. 場面(「主体的場面」)が 生みだされるということで. ある。なお、高橋は「客観的場面」を「場面」、 「主体的場面」を 「場」としている(30)。高橋の考え方を入れると、今まで言われてきた場 面とは、 「場」と「場面」に分かれることになる。(8図). 4) 「場」と「場面」の展開 さて、 「場」からく相手〉に対して「主体的表現と客体的表現の入り. 混じったもの」として表された「表現」が、同時に「場面」を構成する (30)『場面』と『場』、pp.54∼55→巻末資料(19)参照. 16.

(20) 新たな素材となる。そして、その素材が新たな「場面」を生みだしてい く。つ享り、 「場面」がく自分〉を変えていくが、その変わったく自分. 〉の「表現」が、今度は「場面」を変えていくのである。そしてその変 化した「場面」はく自分〉を変えていく。この繰り返しが会話である。 <話し手・聞き手>. 9図. /匡]\. つまり会話の進行に連れて、 「場」も「場面」も連続的に変化 するのである。それらの関係は、. 〈自分へ〉. <新たな素材>. J,‘i N. 国」製国 く自分・相手〉. 〈主体的表現・客体的表現〉. 9図のようになる。. 会話においては、 「場面」をく 話し手〉とく聞き手〉が共有し、. それを自らに投影することによっ. て、 「場」において両者にく自分←→相手〉の意識が生成された。 これを「読み」の場合に変換してみると、どうなるだろうか。 「読み」. においては、読者とテクストが「場面」をはじめから共有しているわけ ではない。 「読み」は、 「主体的立場」において進められ、読者がく自. 分←→相手〉の意識を生成する「場」が生まれる。それはく自分〉がく 相手〉である物語の中の登場人物や語り手と同じ世界の人間として生き. ることである。それはやがて 「観察的立場」を生み出し、自. 分が生きた「場」を外から眺め ることになる。このとき、 「場. 面」がテクストと読者に共有さ. れることになる。つまり、会話 では、〈「場面」→「場」〉と. ⊂蚕] 10図 く主体的表現・客体的表現〉. /. 阪. く主体的立場〉. <テクストの加工>. 」eil( J.u. .. . .“. N. 匡〕〈:肇翠難 く自分・相手〉. 〈テクストと読者〉. いう関係が、 「読み」では、〈「場」→「場面」〉という関係になる。 そして、 「観察的立場」で捉えられた「場面」によって、テクストは加. 工され変化していく。 この繰り返しが「読み」である。つまり「読み」 の進行に伴って、 「場」も「場面」も「テクスト」も連続的に変化する. のである。それらの関係は、!0図のように表される。. 17.

(21) 場面とは、このような性格 テクスト. 幽. テクスト. 乙_,. を持つことが分かった。しか. 匪llii. し、これをそのまま場面と呼. ぶことは誤解を与える恐れが. ;ニフ. あるので、これからはく場面 性〉と呼ぶことにする。この. 11図. 対 話. 〈場面性〉を、第1章の1図. の「読み」と対話の関係図に書き加えると、11図のようになる。. さて、〈場面性〉とは、10図のような「読み」が持っている「機能」. そのものと言える。そこでは、「場」と「場面」が生成されていくので ある。それは図式化すると、12図のようになる。. このく場面性〉という言葉は、テクスト言. 〈場面性〉. 語学の「テクスト性」(31)の一つとしても上げ:. られている(32)が、その場面についての考え方. は、ここで述べるく場面性〉の概念に含まれ ると考えられる。(33). 12図. なお、井関義久も「話主が作中場面とどんなかかわり方をしているか という問題」として、 「場面性」を取り上げている(34)。この「語り手」. 儲主)の問題は、本論を発展させた文学の「読み」の細部に関わる問題 であると考えられる。. 4 〈場面性〉が開く読み. 1)〈場面性〉果す役割 さて、 「読み」が始まる前には、テクストに「場」と「場面」はなかっ. たのだろうか。そうではない。それは、テクスト産出の過程にさかのぼっ (31)テクスト言語学で使われる用語。テクスト性とはテクストの基準を満たすものであり、それが満たされ ない場合、テクストは、非テクストとして扱われる。 (32)R・D・ボウグランド/W・ドレスラー著/池上嘉彦他訳、ぎテクスト言語学入門』 紀伊国屋書店. 1984年8月 p.5. pp.213∼238 →巻末資料(20)参照. (33)→巻末資料(21)参照 (34}井関義久著、『国語教育の記号論』、明治図書、1985年4月、pp.99∼100 →巻末資料(22)参照. !8.

(22) て考えると分かりやすい。 「読み」 (テクスト受容)の場合と同じよう. に、テクスト産出の過程でも、「場」と「場面」は生成されていく。そ れを促すのは、 「主体的立場」である。 「表層テクスト(35)」とは、テク. スト産出の過程でく場面性〉の働きにより、この「場」と「場面」が結 束(36)されたものと考えることができる。. このように、〈場面性〉の働きによって結束された「表層テクスト」 は、 「読み」が行われることによってその 表層テクスト. 「テクスト世界」(37)を現す。それは、ま. ず「読み」によってく場面性〉が生じ、そ こから「場」と「場面」が生成されること を意味する。つまり、 「読み」によって 陽」と「場面」が解き放たれるのである。. 同時にく場面性〉は、それらが無秩序に拡 散するのを統合するように働くと考えられ る。. ㊥一(麺)一㊥ 〈結束〉. ,. 團. @一@一@ テクスト世界. ,. そのく場面性〉は、読者が「読み」を終. 読者の新たなテクスト. える時、その「読み」によって生まれた〈. ㊥一(麺り一(動. 読者の新たなテクスト〉を結束させるもの. 〈結束>. となる。これがく場面性〉の果す役割であ る(13図)。. 13図. このような「読み」は、まずく題名読み〉によって働くと. 考えられる。. 2)〈場面性〉を生成するもの…. <題名読み>. a)テクストの「情報性」を示す題名 題名は、テクストの持っている精報性」をその短い言葉に示して いる。いつも知らせたいことを丁寧に詳しく書くより、簡潔に書かれ たものの方が効果的な場合がある。そのような場合、読者は、その内 (35)『読むための理論』、pp.9−11→巻末資料(23)参照 σ6)『テクスト言語学入門』、pp.63−148→巻末資料(24)参照.. (37)『テクスト言語学入門』、pp.113∼114→巻末資料(25)参照. !9.

(23) 容を自分自身で補わなくてはならないと感じる。その結果、読者は自 分の「主体的表現」でそれを補うことになる。このようなテクストは、 情報性が高いと言われ(38)、テクストのストラテジーとして取り入れら れている。 「おや。」. と、兵十はびっくりして、ごんに目を落としました。 「ごん、お前だったのか、いつも、くりをくれたのは。」. ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。. 兵十は、火なわじゅうをバタリと取り落としました。 青いけむりが、まだっつ口から細く出ていました。一. 資料1. 大阪書籍 4年下. 例えば、 「ごんぎつね」の最:後で、兵事はこんを撃ってしまう。こ. の物語場面は、兵十にもこんにも悲劇である。このようなとき、テク ストは悲劇の人物を饒舌にはさせないはずである(資料1)。そのとき、 その人物は寡黙になり、悲しみを押さえたたたずまいをとる。だが、. 読者は逆にその人物についてその心情を推し量ろうと努める。そのた めにその描写の細部をくまなく読んで自分の「読み」を求める。. これはどのようなテクストにも見られることであるが、テクストの 構造としてそれを持っているものがある。それが題名である。題名は、 テクストの構造から「情報源」が高くならざるを得ないのである。. b)題名が合わせ持つ二つの文章の性格 さて、その題名は、次に述べる文章の二つの性質を兼ね備えている。. その二つの性質は「場」と「場面」につながっている。そこで、題名に ついて述べる前に、文章の持つ二つの性質について考えてみたい。. 時枝文法においては、文章は継時的性格を持った線条的なものとして 捉えられている。時枝は、これを音楽に例えている。その中で、文章は (38>『テクスト言語学入門』pp。12∼14より要約 →巻末資料(26)参照. 20.

(24) 「罷職的全体」であって、 「同時的全体」ではないとし、厳密な意味で. は、コンポジション(構図、組立て)という語は使えないとしている。. そこでは、音楽と同様に文章は時間的に展開され、その捉え方は極めて 動拘である。この文章の捉え方は、感性(感覚、イメージ)を重視した 「読み」と関わってくる。. また、時枝は、 「段落相互の論理的展開を問題にするのは、文章にお. いて絵画的構図を求めることであって、重要なことは、一つの段落が、. 前の段落をどのやうに展開させているかを明らかにすることでなければ ならない」(39)とし、文章表現の根元となる「冒頭文」に重要な意味を求 めている。それは、 「たどり読み」(40)という読み方の提唱となって現れ. ている。そこではく題名読み〉も重要な役割を担わされてくる。. これに対して、垣内松三に代表される文章観は極めて絵画的、静止的 である。そこでは文郵ま展開するものではなく、構造として捉えられる。. この文章の捉え方は、全文を重視し、文章の持つ論理性を重視した「読 み」と関わってくる。また、全文を読んだ直後の直観としての初発の感 想が重視され、伺回も文章全体を読むことによる解釈の徹底が行われる。. この二つの文章観は、国語の「読み」の形態にまで及び、現在まで両 者は伝統的に対立している(41)。しかし、〈場面性〉という観点からこの. 両者を捉えるとき、前者の動的で、連続性、展開性、感性を重視した捉 え方は「場」と関連し、後者の構造的、絵画的(静止的)、論理性を重視 した捉え方は、 「場面」と関連していると考えられる。文章には、もと. もとこの二つの特性が含まれているのであり、「読み」はこのどちらの. 影響も受けるはずである。あえて、それをどちらかに決めつけることは 「読み」の自然な姿を損なうことになる。〈場面性〉を考慮に入れれば、 この二つは共存可能になる。. 題名は、 「場」と「場面」につながる文章の両方の性質を合わせ持っ ている。それは、題名では「場」と「場面」が未分化であり、 「読み」 (39)時枝誠記著、 『文章研究序説』、19977年7月、明治書院、p.52 (40)→巻末資料(27)参照 (41)いわゆる、 「一読法」と「三読法」という二つの読みの指導過程の対立である。. 21.

(25) が行われるまではく場面性〉がそれらを結束しているからである。この 意味で、題名には、読者が出会う、はじめての、そして極めて重要な〈 場面性〉が潜在していると考えられる。. c) 「空白」としての題名 ここでは、〈題名読み〉によってどのようにく場面性〉が生じるの かを考えてみたい。教科書教材の題名を見ると、そのほとんどは時枝 の言う「詞」のみで、 「辞」がない。. この「詞」 「辞」とは、下のように表される。 1.概念過程を含む形式・… 2.概念過程を含まぬ形式…. 「詞」 ・ 「物事をさしあらわしたものj 「辞」 ・ 「心の声」. 時枝は、この「詞」 「辞」について、 「『詞』とは、概念過程を経. るところのもので、主体に対する客体界の事物及び、主観的な情意も これを客体化することによってすべて『詞』として表現することが出 来る。これに対して、『辞』によって表現されるところのものは、主 体的なものの直接的表現であり、話手の意識に関す ることしか表現しえない(42>」とした。この「詞」. 留花. と「辞」の関係は、 「風呂敷とその中身」との関係 にたとえられる。つまり、 「詞」は「辞」に包まれ. ることによって、新たな「詞」(「句」)となり、. が咲く. また「辞」に包まれていくという関係である。 「詞」と「辞」とは、常に結合して具体的な表現と. よ. 14図. なる。これを「句」と呼ぶ。ユ4図がその関係を表し ている。(43). さて、先に述べたように、教科書教材はこの「詞」の形のものが多 く、 「辞」で終わっているものは数少ない。それは、 「零記号の陳述」 (42)『原論』、p.234→巻末資料(28)参照 (43)これを時枝は、「風呂敷型の文法構造1とし、西欧の言語を「天秤型の文法構造」とし、その違いを説い ている。. 22.

(26) になっていると考えられる。. 「零記号の陳述」とは、例えば、 「降る。」 「白. 麹團 い。」という表現も、その表現の中に判断が含まれて ■ 臨. いると考えるよりは、15図のように「零記号の陳述」. 15図 としての「辞」(■)が、「降る」 「寒い」という語を 包んでいるという考えである(44)。分かりやすく言えば、「寒い(なあ)」 「寒い(ぞ)」 「寒い(のに)」など、その時の状況に応じて、さまざまな. 「辞」が■(零記号の陳述)という形で隠れているのである。. 教科書教材の題名も、物語文、説明文を問わず作者(あるいは筆者). が題名において「詞」のみを示し、「辞」を「零記号の陳述」とし、 その意図を隠している。 例えば、 「体を守る皮ふ」という説明文(光村図書4年上)の題名を考え. てみよう。これは、 体を守る皮ふ■ という「詞」と「零記号の陳 述」から成り立っていると考えられる。これをく題名読み〉で行えば、 資料2のように読者である子どもたちは、無意識に「零記号」を補って、. 体を守る皮ふ区]何だろう?. 資料2. 体を守る皮ふ[塑コこんなことだ・. 「主体的表現」としての自ら. の思考や感情を呼び込むはず. 体を守る皮ふ[ii亟ヨよくけがをするな・. である。そこには、「主体的. 体を守る皮ふ があるから 命が守られているんだな。. 表現」によって埋められるべ き「空所」(45)があることが. 分かる。題名はこのような意味から言えば、テクストにおけるストラテ ジーの一つであると考えられる。そこでは、題名の持つ「空所」を、読 者の「主体的表現」によって埋めていくことになる。この読者によって 補われた「空所」の中にはく場面性〉を生成する読者のテクストが含ま れている。. 次に、〈題名読み〉によってく場面性〉がどのように開かれるのかを、 授業記録から見ることにする。 (44)『原論』pp.242∼246 →巻末資料(29)参照 (45)R・C、ホルブ著/鈴木聰訳、『空白を読む』、勤草書房、pp.144 146’→巻末資料(30)参照. 23.

(27) d). 「題名読み」の授業例(「体を守る皮ふ」光村図書4年上) T:これで(板書した「題名」)で、思い. 画漏れども). ついたことを言っていって下さい。. C:t皮ふってね普通は弱い衝撃だったら 守ってくれんるんだけれども、強い交. ・あまり守っていない. 通事故やはねられたりした時には.あ まり守ってはくれない。 C:はねられたりしたら守りきれない。. ・守りきれない. T:守りきれないとは? C:皮ふは夏によく黒くなるな。. ・夏黒くなる。. 歴亟ヨ(鞭わるのは〉. C:日焼けや。 日焼け喚㌔ (複数). ・日焼けする。. C:皮ふはすぐ切れるな。. 体を守る皮ふ・. (なのに). T:どんな時やちょっと言うてくれる。 C:紙を触ってたら、よく切れる。.. ・よく切れる. C:あのね、後ろに貼ってる赤い紙でも、. ・紙で切れる. 油断したら、すぐ切れる。. C:皮ふは切れてもすぐ治る。. 体を守る皮ふ(だから) ・ て. ぐなおる。. C:守るって言えば、いろんな守るがある な。. 守る(とは). T:例えば? C:例えば、体を守るとか、. ・体を守る. C:田んぼを守る。. ・田んぼを守る. C:命を守る。. ・命を守る. C:決まりを守る。. ・決まりを守る. C:安全を守る。. ・安全を守る. C=体を守るというところでね、体はいっ ぱいあるでしょう?こんなに大きな体. 魎ヨ(って). を守りきれるのかな? C:服を着てても擦り頓・たりするから、. ・守りきれるのか. あんまり守っていない。. ・あんまり守っていない. T:体を守る皮ふてどういうことかな。例 えば、どういうことか言ってくれる? C:冬なんかにすごく寒くなったら、体を. ・寒さから体を守る. 守る。. T:寒くなると?もう少し詳しく言うと? C:寒くなったとき、皮ふがなかったら、. 匝i亟亙]ぐがないと♪ ・凍え死んでしまう. 凍え死んでしまう。. C:私もどうか分からないんだけれども、 冬になったら寒くなるでしょう?それ ・寒さに謳えきれない. で皮ふがなかったら、寒さに爵えられ ないと思う。. ・暑さからも守る。. C:寒さに耐えるということに反対という か、暑さからも体を守る。. 24.

(28) この授業記録に見るように、読者である子どもたちは、「体を守る皮 ふ」(体を守る皮ふ ■ )という題名に対して、16図のように、「だ けれど」 「が変わるのは」 「なのに」 「だから」 「って」 「がないと」. という■(零記号)を心の中で楡・ながら自らのテクストを思い起こして. いる。これは、題名に対して読者が「主体的表現」によって自らのテク ストでその「空所」を埋めていったことを意味している。そこに、この 題名の持つ「情報性」. 生成されたく場面性〉. が示されている。. 讐 薯. 題名を読むことは今. 葺. までも行われてきた。 $ 陰. A. ㊥茅 ら. §肇 2. 籍. 奢. 言. s. 書. 餐 壱. 頂. 語. い. 裟. か. 雍 空. 毒E. 圏. A. 斐. 善. 慧. 墾. 窪. ,. 至親毒言豊. 癌鯉葦i4 琶震 号裸ぞ 奮 馨 叢 さ な い #. 髪. 16図. ただ、従来のく題名読 み〉には、題名を〈場 面性〉の展開の出発点 として捉える観点はな かったと思われる。こ こでは、〈題名読み〉 を〈場面性〉の出発点 として捉えることに新. たな意義を見い出せるだろう。. 5 〈場の読み〉とく場面の読み> 1) 反転する「読み」 さて、〈題名読み〉によってく場面性〉が生成された。このく場面性 〉が「場」と「場面」を生成していく。しかし、この二つは別々に機能 するのではなく、お互いに関連し合っている。読み進むことによって、 まず、〈場面性〉が「場」を生成する。その「場」が「場面」を促す。 この両者は、常に相互に働き合っている。 「場」は「場面」を生み出し、. 25.

(29) 「場面」は「場」を引き寄せる(46)。しかし、一方が意識されると、他は. 読者には意識されない。この両者は、ゲシュタルト心理学でいう「図と. 地1の関係としても捉えられる。図とは、「読み」においては読者が関 わりをもち、想起するところのものである。しかし、その図はそれが現. 図. れる地に依存し、地は図を規定する枠組みとなっ ている(47)。そして、この図と地は常に反転して いく。. この図と地の関係を先ほど述べた〈題名読み 〉から見ていくと、初めは題名が図であり、読 者のテクストはそれを支える地である。このと き、題名は読者のテクストという枠組みの中に ある。それが、〈題名読み〉が行われることに よって「主体的表現」が生まれ、地である読者 のテクストが読者が意識する図となり、題名は 地となり、その背景となる(17図)。つまり、〈 題名読み〉によって図と地が反転する。. 〈題名読み〉によって生まれた〈場面性〉が読者を「主体的立場」に 立たせ、本文を読み進めることによって最初のく場の読み〉が生まれる。. そのく場の読み〉が進んでいくと、読者はふと自分の「読み」を振り返 るときがある。それがく場面の読み〉である。そのとき、〈場の読み〉. が地になり、〈場面の読み〉は図として生成される。そこで読者は立ち 止り、 「観察的立場」からく場の読み〉を捉え、見つめ直すことになる。. そして、今度はく場面の読み〉がしばらく続くが、読み進むうちに読者 はく場の読み〉に引き戻されていく。このように、〈場の読み〉とく場 面の読み〉は互いに図と地になり、反転しながら成長していく。(18図) (46)「場面の読み」が「場の読み」を引き寄せるとは、「場の読み」を観察的立場から分析、検討すると いうことである。 (47)コフカ著、『ゲシュタルト心理学の原理」福村出版、1990年4月、要所より抜粋. 26.

(30) 読者のテクスト. 題名 「題名読み」によって生まれた〈場面性〉. 18図. 2)視点の移動 イーザーは、 「読み」を進めることによって読者は好むと好まざると. に関わらず一定の視点を取らざるを得なくなり、そのとき、読者はテク スト世界に入り込んでいるとする。そして、 「読み」が進むにつれてそ. の視点は絶えず移動し、遠近法(パースペクティブ)として捉えられる と述べている。その視点の移動によって、主題と地平の交代が起こり、. 主題が地平となり地平が主題となって、それが繰り返されていく。主題 とは読者が「読み」の対象として意識しているもの(図)であり、地平と はそれを支える背景(地)である。主題と地平は交代することに、それま での「読み」を引き取り豊かになっていく(48)。これは、先ほど述べた. 「場」と「場面」の反転する「読み」に似ているが、イーザーはく場の. 読み〉を中心に語っているように思われ、〈場面の読み〉についての考 えは希薄なようである。しかし、直接述べてはいないが、彼の論にはく 場面の読み〉が含まれていると思われる。一例を上げてみる。 彼は、その「読み」における視点の移動を次のように述べている。 読者は、テクストを読む間、次々に現われては消えるさまざまな玄客乏z.h_∫二三≧...を渡り移ること. になろう。読者が目を向けるもの、あるいはまさにく浸っている〉ところが、その瞬間の遡となる。 だが、その」講.は必ず先ほどまで読者が向かい合っていた鯉∼業之∼三之.hを挫毘に控えている(4g) e. ここで彼が述べていることは、次のように読み替えることが可能である。 (48)『行為としての読書』、p.171及び174 →巻末資料(31>参照 (49>『行為としての読書』、pp.169∼170. 27.

(31) 読者は、テクストを読む間、次々に現われては消えるさまざまな「擾よ_と..[白面」...を渡り移ることに. なろう。読者が目を向けるもの≦擾酉≧、あるいはまさにく浸っている〉ところ≦擾≧カミその瞬間の _£諺麹...:日生ねう.」図画_となる。だが、その..5酸塗4_は必ず先ほどまで読者が向かい合っていた鯉⑫. _£董捌_を_煕法.として控えている。(点線は、読み替えたところ). このように読み換えれば、イーザーにもく場面の読み〉が含まれてい ると言えるだろう。そうすれば、彼の視点論は、次のようにも捉えられ る。. 一つ目は、大地にしっかり足をつけ、登場人物と同じ目の高さかある いは見上げるようにして物語の出来事に手探りでぶつかり、登場人物と 同じように苦しみ、嘆き、笑い、愛し、憎み、悩む視点である。これは、. 〈場の読み〉における視点であると言える。俗に「読み浸る」と言われ るのは、読者がこの視点で「読み」を進めているときだろう。. 二つ目は、出来事を遠く離れて振り返る視点である。それは人間の背 丈よりほんの少しだけ高い場合もあるし、物事すべてを鳥質的に見下ろ せるような高い視点で振り返る時もある。その高さの程度に応じて、読 者は冷静に観察的に出来事を判断する。それはく場面の読み〉における 視点であると言える。. 「読み」とは、この二つの視点、二つの「読み」を往塗しているので あり、そのことによって、義々は虚構を現実に反映し、また、現実を虚 構に反映し、その結果として、 「虚構の真実性(50)」に気づくことができ るのだろう。. 3)接続する「場面」と成長する「場」 さて、この「場」と「場面」の性格を今少し詳しく見ていこう。高橋 太郎が「言語体系に組み入れられるものは、『場』であって『場面』で はない」(51)と述べているように、「場」とは我々が言語と直接関わる所. であり、そこでは言葉と人間の直接交渉が行われ、生々しいイメージが (50)関口安義、 『国語教育と読者論』、1986年2月、明治図書、p.48 →巻末資料(32)参照 (51)「『「場面』と『場』」pp.54∼55→巻末資料(33)参照. 28.

(32) 生成される。これに対して、「場面」とは「場」によって生まれたイメー ジが生み出す象徴化された概念的な世界である。. 「場面」が持つ概念性は、線的思考として順序性を追求し解を求める 性質を持つが、 「場」が生み出すイメージ性は、面的、立体的であり、 全体像を直ちに直観的に作り上吠吟味することができる(52)。つまり、 「場面」は時間配列にそった線条的な「接続性」を、 「場」は面的な前. の「場」を包み込み成長していくという「成長性」を持っている。この 両者は、前者は「接続する場面」、後者は「成長する場」と名づけるこ ともできる。そして、この「場」と「場面」は、互いに補い合っている (53)。 (19図). 〈接続する場面〉. /. 国一国一團一国 :. 匡圃一(⑳ x <成長する場>. @. @. 19図. 時間的な面から言えば 「場」は常に「今」であり、期待(この先どう. なるのだろうか)を秘めている。これに対して、「場面」は過去を振り 返り「場」を秩序づけていく。. 4) 「場と場面」と「指示と発問」. ここで少し、授業での「読み」を想定しながら「場」と「場面」につ いて考えてみよう。. 「読み」にとって重要なのは「場」である。「場」では、私たち大人 が考えているようには子どもたちは読まないかも知れない。そこでは子 どもたちは、私たち大人が考えるよりももっと手探りで、物語の出来事 (52)水島恵一・上杉喬編、 『イメージ心理学1・イメージの基礎心理学』誠信書房、1988年10月、p,136 (53)前掲書『「場面「と「場」』、pp.ng∼130→巻末資料(34)参照. 29.

参照

関連したドキュメント

ハイデガーがそれによって自身の基礎存在論を補完しようとしていた、メタ存在論の意図

状態を指しているが、本来の意味を知り、それを重ね合わせる事に依って痛さの質が具体的に実感として理解できるのである。また、他動詞との使い方の区別を一応明確にした上で、その意味「悪事や欠点などを

状態を指しているが、本来の意味を知り、それを重ね合わせる事に依って痛さの質が具体的に実感として理解できるのである。また、他動詞との使い方の区別を一応明確にした上で、その意味「悪事や欠点などを

グローバル化をキーワードに,これまでの叙述のス

絡み目を平面に射影し,線が交差しているところに上下 の情報をつけたものを絡み目の 図式 という..

C. 

市民的その他のあらゆる分野において、他の 者との平等を基礎として全ての人権及び基本

○事業者 今回のアセスの図書の中で、現況並みに風環境を抑えるということを目標に、ま ずは、 この 80 番の青山の、国道 246 号沿いの風環境を