阿闇世の悲劇 と エ ディ プス の悲劇
悲喜の涙 と葱愧
- 『教行信証』 の中の 「王舎城の悲劇」 をめ ぐって
張
偉
I
二 二 四 私が親鸞 と出会 っ て か ら十一年がたつ。 十一年来親鸞の著作 「教行信証」 を繰 り返 し読 んで きた。 その中で最 も心が引かれたのは、 「悲喜之涙」 (1) とい う 言葉で ある。 その言葉の 重さ ・ あ り がた さ は、 現代の難解な社会問題に直面す る とき 改めてつ よ く 感 じ られる。 最近、授業で学生た ち と共に仏教物語の中の深層心理 について考えて い る う ち に、 「悲喜 之涙」 と言 う言葉に こ め られた も のにつ いて 、 あ らた めて気づか された こ と がある。 その 一つ は 『教行信証』 に引用 された 「王舎城の悲劇」 (阿閣世の物語) の中の深層心理につい てで ある。 これ を 「エ デ ィ プス ・ コ ンプ レ ッ ク ス」 と絡 めて考え る と き、 西洋の罪意識に 対す る仏教の罪意識の特徴が見えて く る と い う点で あるバ ) エデ ィ プ ス ・ コ ンプ レ ッ ク ス と は、 深層心理学用語で あ り 、 精神分析のも っ と も基本的 な理論概念の一つで あ り、 ソ フ ォ ク レス に翻案 された 『エデ ィ プス王』 の悲劇か らフ ロイ ト によ っ て命名 された。 『エデ ィ プス王』 の劇の概要は次のよ う で ある。 (3) テーバイ の王 ライ ウス は、 「生まれて く る息子はお ま え を殺す」 とい う神託 を受 け、 妻の イ ヨ カ ス タ が男の子 を産んだ と き、王は乳児を 山麓に捨て て死ぬに任せ る よ う に命 じたが、 羊飼い が乳児を発見 し て ポ リパス王の と こ ろ に連れて行 き、 王はそ の子供 を養子 に し た。 そ の子供はエデ ィ プ ス で あ る。 青年に達 し たエ デ ィ プ ス はた また ま十字路で ラ イ ウス王 と 出会っ た。 道を譲 る譲 らぬで喧嘩にな り、 エ ディ プ ス は父で ある ライ オス王を父 と知 らず に殺害 した。 エ デ ィ プ スは、 次にス フ ィ ン ク ス と 出会 っ た。 ス フ ィ ンク ス は、 テ ーバイ の道 をふ さ い で旅人に謎をかけ、 解けない と殺 していた。 エディ プス麟その謎を解いた と こ ろ、 スフ ィ ンク ス は屈辱か ら 自殺 し た。 デバーイ の人 々は感謝 し て 、 エ デ ィ プス を王に し 、 彼 を、 そ う と知 らず実の母で あるイ ヨ カ ス タ と結婚 させた。そのあ と、テーバイ に悪疫が流行 し た。 神託 に よれ ば、 ライ ウス殺 し が悪疫 の原 因で あ る と い う 。 豆 デ ィ プ ス は犯罪者 を 明 らかに -1-して町を救お う と誓っ たが、 その結果、 彼 自身が父の殺人者で あ り、 母親 と近親相奸の罪 を犯 して いた こ と を知 る。 母親に してそ の妻イ ヨ カ ス タ は首を 吊っ て死に、 エ ディ プス は 自らの 目を え ぐ っ て盲 目にな る。 こ の物語は、 同性の親に と っ て かわ り、 亡き者 に し たい とい う願望 と、 異性 の親 と結合 し たい と い う願望が、 罪悪感 によ っ て 無意識の深層心理 に抑圧 さ れ る と い う 、 深層心理 に 潜んで い る コ ンプ レ ッ ク ス をイ メ ー ジす る と考え られ、そのコ ンプ レ ッ ク ス をエ ディ プス ・ コ ン プ レ ッ ク ス と い う 。 一方阿閣世の物語は、 王舎城の悲劇 と も いわれ。 仏典の中に散在 してい る。 それは次の よ う な ま と ま っ た物語 と して汲み上げ られ る。 「其王太子名 曰善見。 業因業縁故生悪逆心。 欲害其父而不得便。 〈中略〉 提婆達言。 汝未 生時一切相師皆作是言。 是児生已当殺其父。 是故外人皆悉号汝為未生怨。 一切内人護汝心 故。 謂為善見。 章提夫人聞是語已。 既生汝身於高楼上。 棄之於地壊汝一指。 以是因縁人復 号汝為婆羅留枝 (折指) 。 ( 中略) 善見聞已。 即呉大臣収其父王閉之城外。 以四種兵而守衛 之。 霖提夫人間是事已即至王所。 所守王人遮不聴入。 爾時夫人生瞑恚心便呵罵之。 時諸守 人即告太子。大王夫人欲見父王不審聴不。善見聞已。復生眼嫌。即往母所前牽母髪抜刀欲?。 而時者婆 白言。 大王。 有国已来罪雖極重不及女人。 況所生母。 善見聞是語已。 為者婆故即 便放捨。 遮断父王衣服臥具飲食湯薬。 過七 日已王便命終。 善見太子見父喪已方生悔心。」 (4) 「王舎大城有一太子名阿間世。 随順調達悪友之教。 収執父王頻婆娑羅。 幽閉置於七重室 内。 制諸群 臣一不得往。 國夫人名霖提希。 恭敬大王。 操浴清浄以醇蜜和麦用塗其身。 諸環 洛中盛葡萄漿密以上王。 爾時大王。 食麦飲漿。 求水漱 口。 漱 口畢已。 合掌恭敬。 向者間堀 山遥礼世尊。 ( 中略) 世尊亦遣尊者富楼那。 為王説法。 如是時間経三七 日。 王食麦蜜得開法 故。 顔色和悦。 時阿閣世間守門人。 父王今者猶存在耶。 時守門者 白言。 大王。 國大夫人身 塗麦蜜。 環堵盛漿。 持用上王。 ( 中略) 阿間世聞此語已。 怒其母曰。 我母是賊。 典賊為伴。 ( 中略) 即執利剣慾害其母。 ( 中略) 岩婆白言。 大王。 慎莫害母。 王聞此語懺悔求救。 即便 捨剣止不害母。 勅語内宮宣。 閉置深宮不令復出。 時章提希被幽閉已。 ( 中略) 悲泣雨涙遥向 仏礼。 ( 中略) 仏従者闇堀山没。 於王宮出。 時章提希礼已挙頭。 見世尊釈迦牟尼仏。 ( 中略) 時章提希 白仏言。 ( 中略) 我今楽生極楽世界阿弥陀仏所。 唯願世尊。 教我思惟教我正受。 ( 中 略) (仏) 教章提希及未来世一切衆生観於西方極楽世界。 以仏力故。 ( 中略) 見彼国土極妙 楽事。 心歓喜故。 応時則得無生法忍。」 (5) 「王舎大城阿闇世王其性弊悪喜行殺戮。 具 口四悪貪恚愚痴。 其心熾盛。 唯見現在不見未 来。 純以悪人而為春属。 貪著現世五欲楽故。 父王無事横加逆害。 因害父已生悔熱。 身脱環 路伎楽不御。 心悔熱故遍体生唐。 其盾臭獄不可附近。 尋 自念言。 我今身已受花報。 地獄果 報将近不遠。 爾時其母字霖提希。 以種種薬而為塗之。 其唐逐増無有降損。 ( 中略) 一 一 一 一 一 一
悲喜の涙 と懸愧 「時大医名日者婆。 往至王所。 白言大王。 ( 中略) 有仏世尊字釈迦牟尼。 今者在於王舎大 城。 若能往彼諮票未聞。 衰没之相必得除滅。 ( 中略) 大王如来以能除諸悪相。 是故称仏不可 思議。 王若能往者所有重罪必当得除。 ( 中略) 爾時大王答言者婆。 ( 中略) 吾今既是極悪之 人。 悪業纏裏其身臭椋繋云何当得至如来所。 吾設往者恐不顧念接叙言説。 卿雖勧吾令往仏 所。 然吾今 日深 自鄙悼都無去心。 爾時虚空尋出声言。 ( 中略) 大王我定知王之悪業必不可 免。 唯願大王速往仏所。 除仏世尊余無能救。 我慾汝故相勧導。 爾時大王聞是語已。 心懐怖 惺挙身戦慄。 五体棹動如芭蕉樹。 仰面答 日。 汝為是誰。 不現色像而但有声。 大王吾是汝父 頻婆娑羅。 汝今当随書婆所説。 ( 中略) 時王聞已悶絶壁地。 身撮増劇臭楠倍前。 雖以冷薬塗 而治之。 唐蒸毒熱但増無損。 爾時世尊在双樹間。 見阿闇世悶絶壁地。即告大衆。 我当為是王。 住世至無量劫不入涅槃。 ( 中略) 爾時世尊大悲導師。 為阿闇世王入月三昧。 入月三昧已放大光明。 其光明清涼往照王 身。 身唐即癒諺蒸除滅。」 「爾時仏告阿閣世王言。 今当為汝説正法要。 ( 中略) 頻婆娑羅往有悪心。 於毘富羅山遊行 猟鹿。 周遍礦野悉無所得。 唯見一仙五通具足。 見已即生瞑恚心。 我今遊猟所以不得正坐此 人。 駆逐令去。 即勅左右而令殺之。 其人臨終生賦悪心。 退神通而作誓言。 我実無事。 汝以 心口横加戮害。 我於来世亦当如是還以心 口而害於汝時王聞已即生悔心供養死屍。 ( 中略) 」 而時阿闇世王如仏所説観色乃至観識。 作是観已即白仏言。 ( 中略) 我若不遇如来世尊。 当於 無量阿僧祗劫在大地獄受無量苦我今見仏。 以是仏所得功徳。 破壊衆生所有一切煩悩悪心。」 (6) 「仏告諸比丘言。 是阿闇世王。 過罪損滅已抜重咎。」 (7) 物語の梗概をわか りやす く 整理す るな らば、 次のよ う である。 (8) 阿閣世、 未生怨 (生まれ る前の怨み) と訳す。 中イ ン ド摩掲陀国頻婆娑羅王の太子に し て母は章提希。 頻婆娑羅王は昔悪心あっ て 、 毘富羅 山に狩猟 に出掛 けて 、 鹿を射 よ う と、 礦野をかけまわっ たが、 何の獲物も な く 、 ただ五通を備 えた一人の仙人を見た。 それを見 て王は憎 しみの悪心をお こ され、 自分が今遊猟 し てい る のに獲物がな いのは、 こ の仙人が こ こ に坐 り、 鹿 を追いやっ たか らに違いない と、 左右 を命 じ て是を殺 させたので ある。 死 ぬ前 に仙人は怒 り を生 じ 、 神通 を失い、 誓 を立て て言 う に、 私は無事で あ る。 し かる に。 そち は心 と 口を持っ て無道にも私を殺 さ せた。私は、来世は亦是 と 同 じ よ う に心 と 口を も っ て、 そち を害す るで あろ う。 王はこ の言葉を聞いて後悔の心を生 じ仙人の屍を丁寧に供養 した。 そ の と き 已に章提希 は妊娠 し ていた。 相見の 「こ の子は生まれた ら父を殺すで あろ う」 とい う 話を聞いて 、 阿闇世 を生むにあた っ て 、 霖提希は高楼 よ り身を地に投げた が、 子供 が生まれ、 ただ一本の指を折っ ていただ けで あっ た。 こ う い う わけで 、 子供の名前は 阿闇世 と い う (生まれ る前にす でに怨み を結ぶ こ と を持 っ て未生怨 と も い う) 。 また を折指 とい う。 そ のこ と を知 っ た阿闇世は父王を獄中に幽閉 し 、 餓死 させた。 父王を助 けよ う とす る母 - 3-一 一 一 一 一 一
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二つの悲劇の異な り
球提希 を も殺そ う したが、 者婆 と大臣 (月光) の必死の懇願 によ っ て思い と どま り、 母を 王宮の奥に幽閉 し た。 章提希 はそ の後塹愧 を生 じ仏法に救われた。 阿闇世は、 父王の死に よっ て深 く 痛みを感 じ 、 激 し い後悔の念 を生 じた。 それは悔熱に な り体 中に唐 を生 じた。 母霖提希 は、 熱心に看病 し 、 種々の薬 を塗 っ て 治そ う と し たが、 そ の癒は逐 に増 し てい く 。 名 医で ある者婆は釈尊の と こ ろ に行 き救い を求める よ う勧 め、 また殺 さ れた父 も仏以外 に救 え る方はないか らその身元へ行 く よ う に と空か ら声を伝 えて きた。 しか し 、 阿閣世は 自己の罪深 さ に と らわれ、 深 く 懸愧の痛みに沈んで 出 られず、 と う と う絶望の極 に悶絶 し た。 そ のあ と 、 阿闇世 は釈尊によ っ て心身 と も に救われた。 ニ ニ ー 阿闇世の物語は、 父が殺害 され る まで は、 心理的なパ タ ーンはほ とん どエデ ィ プ ス王の 悲劇 と 一致 し て い る。 阿闇世の母に対す る殺意 はた しかにあるが、 それは、 母が 自分よ り 父を大事 にす る こ と に よ っ て 生 じ る も ので ある 。 即 ち 、 それ は母への愛 と 父へ の怨みに生 じ る嫉妬 に よ る も のだ と 考え られ る。 それ は、 阿閣世が出生の秘密を教え られ、 自己を害 し よ う と し た のは母だ と知っ て も殺意を母ではな く 、 父に向けて い く こ と に よ っ て も明 ら かだ と思われ る。 母に殺意を抱いた箇所 は二 ヶ所 ある。 一つは、 父王が幽閉され る こ と を聞いて、 王の所 に行 こ う と し た章提希が、 守人に遮 ぎ られ、 守人を罵 っ た と きで ある。 も う一つは、 章提 希は大王を恭敬 し 、 醇蜜和麦 を身に塗 り理堵の中に葡萄漿を入れ密かに幽閉さ れて いた王 にあげ、 王はそ のた めに死な な か っ た と き で あ る。 ま た 、 母が阿閣世 を殺そ う と し た理 由 は、 生まれ る子が王を害する こ とへの恐れ によ る も ので ある。 こ のよ う に見れば、 阿閣世 の母への怒 り の根源、 母への殺意は、 母が 自分 よ り父を大事にす る こ と によ っ て生 じ る も ので ある と い え る。 即ち、 それは母への愛 と父への怨みに生 じ る嫉妬 によ る も のだ と考え られ る。 それは 「我母是賊。 典賊為伴」 と い う 阿闇世の怒 りの声にも伺え る。 同性の親への怨み と、 異性の親への愛 と い う エデ ィ プス ・ コ ンプ レ ッ ク ス が物語の無意 識の深層心理 に潜んで い る こ と は、 「於母生愛於父生眼」 (9) と い う 釈尊の言葉に も伺 え る と 思 う 。 二つ の物語の一致す る と こ ろ は、 阿閣世の悲劇 とエ デ ィ プ スの悲劇 は共通 し て人間の普 遍的な無意識の深層心理の闇を見せ付 けて いる。 し か し、 そ の後の二つの悲劇 の展 開の仕 方は大 き く 異 な る。 エデ ィ プス 王はその後みんな に怖が られ、 見捨て られ、 ただ一人の娘を伴っ て、 長いあ いだ 悲惨な漂浪を続けた のち 、 人生の幕 を 閉じ た。 自己の過去を振 り返っ て、 エデ ィ プス悲喜の涙 と塹愧 は次の よ う な悲痛な 叫び を あげて い る。 「こ れ はお れが望ん でや っ た こ と で はな い」 「おれの方が被 害者 なのだ。ど う し ておれが生まれな が ら悪人で あ り え よ う」。( 『ギ リ シ ャ 神話物語』 加藤邦宏 小学館) それ は、 残酷な運命に翻弄 さ れな が ら為すすべも ない人間が運命の不公平に抗議ナ る声 で あろ う。 また 自らの意志に よ らず罪を犯 した 自分を悪人 と した世間の眼差 し と倫理観に 納得で きな い と い う訴えで あろ う 。 エ デ ィ プス は、 自分 は無事で あ り 、 正 と誤のはか り に おいて 、 自分を誤の方 に置いた のが運命で あ り、 世間で ある と思 う。 こ の悲劇 は、 理性 を超 えた心の深層的な 闇の恐ろ し さ を見せ付 けた が、 それ によっ て人 間に与 える ものはそ の闇に対す る ど う し よ う も ない 困惑 のほかにない で あ ろ う 。 エデ ィ プ スの心理はご く 普通の常識心理で ある。 運命 は彼 に対 して確かに残酷す ぎ る。 彼 を見 る世間の眼差 し と倫理観 は確かに非情で ある。 エ ディ プス は罪 を外か らかぶせ られ た も の と し て見、 それを拒否 し よ う とす る のも 当た り前のこ とで ある。 自らの 目をえ ぐっ て 盲 目にな る こ と には、 世間の眼差 し に耐 え られな い ので、 それ を受 け入れま い と し て窓 口と し ての 目を 自ら壊す とい う 無意識的な心の動 き も あ るで あろ う。 エデ ィ プ スに対 し て阿闇世の場合は次のよ う で ある。 阿闇世は、 父の死によ っ て、 痛みを感 じつい に懇愧 を生 じ た。 彼は次のよ う な悲痛な叫 び を繰 り返 して い る。 「我、 父無事横加逆害。」 (10) 「我已有無量無辺阿僧祇罪」 (11) 「唯願世尊受我悔過」 (12) エデ ィ プ ス と 叫びの悲痛 さ は異な らないが、 阿闇世の場合 は、 罪を全身心に 自己のもの と して感 じ 、 そ こか ら痛切な塹愧の情を生 じ る。 阿闇世 は罪の痛みに窮極まで に追い詰め られな がら、 我身か ら罪 を引き離す こ と はで き な かっ た。 体 中に唐を生 じ る こ と は、 その 罪はも はや彼の身そ のも のにな り、 決 して切 り離せ る よ う な も のではない こ と を意味 して い る と 思 う 。 二人 の叫びの異な りは罪悪感 が生 じ る元の異な りに よ る も ので ある 。 エ デ ィ プ ス の罪悪 感は他者を対立す る もの と し て みる と こ ろ か ら生 じ る も ので ある。 阿閔世の罪悪感は痛み か ら生 じ る ものであ る。 理性 を超 え る 肉体の深層か ら生 じ る痛切 な も ので ある。 罪悪感が生 じ る元の異 な り に よ っ て 罪悪感か ら生 じ る もの も 異な る。 エデ ィ プ スの場合では、 罪悪感によ っ て生 じ る のは他者への不平不満で ある。 その不平 不満は外に発散す る と怒 り と な り、 中に慰積す る と憎 し みにな る。 残酷の人生悲劇の中に 他者 と の隔た り が深 められ、 い っ そ う孤絶な 自我の中に閉じ こ も っ て し ま う。 阿闇世はなすすべ もな い痛烈な痛みの中で こ そ ど うす る こ と も で き ない 白身の存在 を実 感 さ せ られ た。 そのなす すべ も な さ はさ ら に宿業 のま な ざ し に よ っ て 深め られ る。 自己の - 5-二 二 〇
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葱愧 と 無葱無愧
罪を 見つ める のは世間や 自己な ど と い っ た人間のまな ざ し だ けで はな く 、 人間の計 らい を 超え る眼差 し 、 宿業のまな ざ しで も ある。 恐 ろ し い宿業のまな ざ し を前に して 、 罪から身 を抜 けだす こ と ので き ない 自身の存在を実感 させ られ、 自己の無力 さ ・ 罪深 さ は身 を も っ て思い知 ら された。 今まで よ り どこ ろ と な っ て き た存在の基盤が根底か ら崩れて し ま う。 痛み を伴 う想愧はおのずか ら生 じ て い るので ある。 そ のと き の懸愧はも はや誰か他者に見 せ る、 許 して も ら う と い う レベルのも ので はな く 、 宿業に操 られ る存在 と して の悲 しみか らの絶望の悲鳴で あ り 、 なすすべ も ない人間の存在の どん底か ら湧 き 出て きた惨烈な泣 き 声で あろ う。 そ こ にこ そ、 今まで 自己を支えて き た存在す る基盤、 自己の殼 と して真実の 光を覆 っ てい た 「疑網」 (13) は裂き破 られ、 如来の光が障 り な く その身を照 ら し て く る。 そ のと き こ そ、 宿業のまな ざ しに見 られる 自身存在を如来のまな ざ し に見 られる存在に転 じ さ せ られ る ので あ る。 最後に、 阿闇世 はと う と う 絶望の極 に 「悶絶」 す る。 『涅槃経』 には 「有二 白法能救衆 生、 一懸、 二愧。 ( 中略) 無想愧者不名為人、 名為畜生」 (14) と 、 懸愧が人間救済において の重要性、 欠かす こ と ので き ない こ と を語 りなが ら、 阿闇世は懸愧 によ っ て救われ るので はな い こ と を示 し てい る。 即 ち、 懸愧は、 確かに人間を救 う 白法で あるが。 人間の身に生 じ る懸愧 は救済そ のも のにな るので はな く 、 仏縁で あ る。 懸愧によ っ て心身 と もに絶境追 い詰 め られ る 自身存在、 今まで 自己心身を支えて い る力の限界、 自己を立て よ う とする 自 己意識の根底か らの崩壊 を思い知 ら され る。 そ こ 至っ て初 めて 、 救済の機縁が熟 し 、 心身 と も に障 りな く 大いな る慈悲の染み込まれ る器にな る。そ こ に如来の救済、 「煩悩の氷を功 徳の水に解かす」、 「悪 を徳に転 じ る」 救済の力が現われ る。 阿闇世が 「月愛三昧」 (諸善之 王) を与え られた。 そ こ に阿闇世の身に仏教の意味で の救済が実現 され る。 阿圀世が得 ら れた信は無根の信である と言 う意味 も こ こ にある と思 う。 こ こ で私は改めて (無懸無愧JO5) と言 う言葉にこ め られた親鸞の気持ち を思い知 るので あ る。 無懸無愧は、 懸愧 し よ う 、 懸愧 しない、 想愧で き る 、 懸愧で き な い と い う人間の計 らい が働いて い る限 り 、 そ う い う 自己意志が破 られな い限 り、 本 当の想愧にな らな いこ とを意 味ナ るので はないか。 阿闇世の想愧は罪悪煩悩を縁 と して生 じ る も ので あ る。 罪悪煩悩は 救済の機縁 と して転 じ させ られる のは如来の力で ある。 本 当の懸愧 は人間の意志に よる も ので はな く 、 大いな る慈悲か ら賜 っ た も のだ と も いえ よ う。 一 一 一 九学生た ちはこ の授業につ いて さ ま ざまな意見 を書いて く れた。 例 えば次のよ う で ある。 「今 日の授業は、 今 日の 日本の人び との考え方だ と思います。 小学生殺傷事件を起こ し た犯人の言っ ていた こ と は、 エデ ィ プ ス と まっ た く 一緒だ と思い ます 。 今 日、 日本は、 エ ディ プス の考えが増えてい ます。 人が人 と して過 ごせ る世界になれば よい と思い ます。 そ のた めに は、 宗教 と かは必要で はない か と思い は じ めま し た。」 「阿閣世の考え方には共感で き ま し た。 で も世 の中には、 自己中心的な人がす ご く 多い と 思 う け ど。」 「私た ち人はつい他者のせい に し て し まいがち だ と お も う。」 「エデ ィ プスの誤 り は多分、多く の人たち が経験 し て き た と思 う。世間や外に罪をなす り つけ、 罪 を犯 し た本人は他者のせいにす る と言 う こ と はやって い けな い。 や っ ぱ り仏教は 深い な と感 じ た。」 こ のほか、 現代人の心に欠 けて い る ものがあ る と も指摘 された。 学生た ち と こ う し た問 題について語 り合っ てい るう ち に、 親鸞の悲喜の涙は年齢を超 えて 、 また時代 と民族 を超 えて 、 人間に と っ て 欠かす こ と ので き な い も ので はない か と思 え て く る。 私は、 物語に阿閣世 を 「悪子」 と し て憎んだ母章提希が 「以種種薬而為塗之」 とい う息 子の痛み を取 り除こ う ろ う とい う 姿勢にな っ た と こ ろ 、 また、 阿闇世 に殺害 された父頻婆 娑羅が空か ら如来の身元に行 く よ う に とい う声 を阿闇世に伝 えて きた よ う に息子の救済を 願 う 姿勢にな った と こ ろ にも深い味わいがある と思 う。 悲喜の涙 と懸愧 仏教において の懸愧 と世間の懸愧の異な り も こ こ にある。 世間的な意味で の懸愧は人間 のま な ざ し を前に し て行 う 人間の計 らいの作業で ある。 そのよ う な塹愧 は如何 に誠意を込 めよ う と して も偽 りや ごま か しや功利的な打算が混 じ る こ と を免れない。 それ は と き に高 次の懸愧 に導かれ る機縁にな る こ と も ある が、 そ こ に と どま るな らば、 仏教の救済に届か ない と思 う。 宿業のまな ざ し に見 られ る阿闇世は、 体 中に唐を生 じ心身 と も に耐 え られな い苦痛に さいな まれて も、 なお さ ら許 されない 自己を実感 させ られ る。 そ う い う 阿闇世の レベルの塹愧は、 人間の意志によ っ て 実現す る こ と はで き ないので あ る。 『教行信証』 で は阿闇世のこ と を語 る前 に親鸞は 自分 自身に次のよ う な懸愧の声を発 し た。 「誠知、 悲哉。 愚禿鸞。 沈没於愛欲広海、 迷惑於名利太山、 不喜入定聚之数、 不快近真 証之証、 可恥可傷矣。」 (16) ■ ■ -
7-Ⅳ
親鸞の語 り と善導の語 り の異 な り
二 一 八そ の声 を聞いて いる う ち にわが身を持っ て阿闇世の痛みを共有 し、 悲喜の涙を こ ぽ して いる親鸞の姿勢が見えて きて 、 私 は 『教行信証』 において の 「阿闇世の物語」 の引用の特 徴に注 目す る よ う にな っ た。 同 じ仏教の救済につい て も 、 阿閔世の悲劇のス トー リ を語る と き親鸞の語 りは善導のそれ と は異な る と こ ろ があ る。 上記にま と めた物語のス トー リ は、 原典に基いた もので ある。 『教行信証』 に語 られたの もそ のま まで ある。 し か し善導の語っ た のはこ れ と 異な る と こ ろ がある。 注 目したい こ と が二個所 ある。 頻婆娑羅王が仙人を殺 した理由と摩提希が阿闇世の命を絶 と う とす る と き のや り方で あ る。 善導において語 られたのはつ ぎの よ う で ある。 (17) 王には息子 がお らず、 相師の占い に よれば、 一人 の仙人が死後、 王の太子 と して再生す るで あろ う と い う こ と で あっ た。 王はそ の最期 がく るま で待てず に人を命 じ て仙人を殺 し た。 仙人は死ぬ前に 「私の寿命がまだ尽 き ない う ち に王 は心 と 口 (言葉) を持 っ て私を殺 す 。 私 は王の息子 にな る と き 、 報復 し て 心 と 口を持 っ て 人 を し て 王 を殺す 」 と い っ た。 そ の 日の夜摩提希が身ご も る こ と にな っ た。 また相師は 「こ の子が生まれ る と王に危害を与 え る」 と も言 っ た。そ の話 を聞いた王は夫人に子を産む と き高楼の上の天井にあっ て生み、 下に人が受けない よ う に して 、 地面に落 と し、 死なせる よ う に と話 し た。 夫人はそ の とお りに実行 し た 。 『教行信証』 は善導の 『観経疏』 を縦糸に、 曇鸞の 『論註』 を横糸に して完成 された も の だ と 真宗 の先輩に教え られた よ う に、 『教行信証』 には善導の言葉 をそ のま ま引用 し て述べ る と こ ろ がた く さ んある。 す な わち、 親鸞はそ のと き善導の言葉に深 く う なず き、 それ を 持っ て 自己の見解 を十分表せ る と思 っ たのであ ろ う 。 な のに、 なぜ こ の阿闇世のス トー リ の部分は善導の話 をそ のま ま 引用せず にわざわ ざ原典に戻っ たので あろ う か。 -一 一 七 二つ の語 り の間のずれ は、 い っ た い何 な のか。 善導の語っ たス トー リ の中で の頻婆娑羅王 と 寡提希の罪は、 世間の倫理道徳か ら見れば とて も重い、 許 し がたい も ので ある。 また、 そ の行為も 、 常識的な人間の心情的な理解か らす れば、 考 え られな い例外的な こ と で 、 二人 と も 特殊 な人間のよ う に思 え る。 それに対 し て親鸞の引用は常識的な人間心理を納得 させ る上で よ り 自然で、普遍性 を も っ てい る。 それ を読む と 、 人間で あれば誰で あっ て も そ う い う罪を犯す可能性があ り 、 自分 にも また 同 じ 罪を犯す可能性があ る と も実感 さ せ られる。 世間の倫理道徳の正 と誤のはか りに立っ て 自己の身を正の場 に置 き 、 誤で ある他者 を許 さ な い と い う 立場はつ いに崩れて し ま う 。 他人のも のと し て罪 を見る眼差 し は自己の内側 に存在す る人間の闇へ向かわせ ら れ る。 個別的な人間の悪、 具体的な犯罪事実に定め られた まな ざ し を普遍的で 、 根源的な 人間存在 の真実に向かわせ る。 これ こ そ釈尊が阿闇世の物語 を語 る真意で はな いか。
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悲喜の涙 と 二種深信
悲喜の涙 と塹愧 私は長い年月、 「教行信証」 を繰 り返 し て読みなが らそ こ に引用 された原典 も ほ とん ど読 んで きた。 そう している う ち にます ます親鸞に伝え られている仏教は釈尊の本心 と重なる と こ ろ がも っ と も大 きい と言 う こ と を確信 し て い る。 そ の大き さ は、 三国七高僧 によ っ て伝 え られた仏教の伝承が親鸞の悲喜の涙に しみ広げ られ た こ と によ っ て 得 られた と思 う 。 二つ の語 り のずれ は、 親鸞が悲喜の涙に潤わさ れた 空間で あ り、 私た ち の涙 を促す空間で ある。 悲喜の涙に こ め られた内容は、 『教行信証』 に 親鸞 自身の言葉で次のよ う に表 さ れてい る。 一 一 一 I_ ノ ゝ 「悲喜の涙を抑へて 由来の縁 を註す。 慶ば し いかな、 心を弘誓の仏地に樹て 、 念 を難思の 法海 に流す。 深 く 如来の衿哀 を知 りて 、 良に師教の恩厚 を仰 ぐ。 慶喜い よい よ至 り、 至孝 いよい よ重 し。 これ に因っ て 、 真宗の詮を紗 し 、 浄土の要を撫 う 。 ただ仏恩深 き こ と を念 じて 。 人倫の嘲 を恥 じず。 も し こ の書を見聞せん者。 信順を因 と し疑誇 を縁 と し て、 信楽 を願力に彰 し、 妙果 を安養に顕 さ ん と。」 (18) 「悲喜之涙」 は、親鸞の深い宗教感覚 と暖かい血潮が凝結 さ れた一滴の涙 とい え るで あろ う。 親鸞の著作は、 「悲喜之涙」 に濡 ら されて いる よ う で ある。 こ の文にあ らわさ れた よ う に悲喜の涙は親鸞の深い懸愧 と感謝の痛みを伴 う一滴の涙で あ り な が ら、 如来の心 と と も に働 く 心、 難思の法海に満 ちてい る念願 で ある。 私は私の話を 聞い た 日本の方か ら 「念仏者 と は中国に も偉 いお坊 さ ん がた く さ んい るの ではな いか。 なぜ親鸞な のか」 と 聞かれた こ と がある。 自己の心 を探 っ てみれば、 親鸞に 心が引かれたのはこ の一滴の悲喜の涙で はないか と思 う 。 本願海か ら く み上げ られ、 島国 の自然に育まれ る 日本民族の感受性を凝結 し た生身の親鸞の痛み を と も な っ た一滴の涙。 人間の心の源か ら涌 き出て き た一滴の涙で ある。 悲 しみ と喜びは仏教の基本的な感覚であ り、 釈尊か らイ ン ド ・ 中国の仏教に も大事に教 え られて きたが、 涙を促 され る感動は親鸞 の書物だ けなので あ る。 私が 「教行信証」 がただ の書物ではな く 、 生き物だ と思 う理 由も こ こ にある と思われ る。 『教行信証』 を開 く たびに心が打たれ、痛みが感 じ られ、 涙が誘わ れ る の で あ る。 中国人で ある私は、 こ の 「悲喜之涙」 を通 し て真宗の二種深信 を理解 して い る。 善導の 言葉 に明示 された二種深信で ある。 「一つ には決定 して深 く 、 「自身は現に これ罪悪生死の凡夫、 礦劫 よ り 已来、 常 に没 し常 に流転 して 、 出離之縁あ る こ と な し」 -9-と信ず。 二つ には決定 して深 く 「かの阿弥陀仏の四十八願 は衆生を摂取 して 、 疑いな く 慮 りな く かの願力に乗 じ て 、 定んで往生を得」 (19) と信ず。 真宗 において は第一の深信は機 の深信 と言 う 。 宿業の中で の罪深い 自身存在を深 く 信 じ る と の こ と で ある。 第二の深信は法の深信 と言 う。 阿弥陀如来の救済を深 く 信 じ る こ と で あ る。 信 じ る と 言 っ て も 人間の計 らいの レベル の信で はな く 、 阿闇世が得 られ る よ う な無根の信 (人間のはか らいの レベルの信の根は徹底的に く ず された と こ ろ に生 じ る信) で あ る。 真宗 の意味で の信心 は衆生側の も ので はな く 如来 よ り賜 っ た も ので あ る。 衆生は それ をいただ く 器で あ る とい う こ と を真宗の先輩 に教 え られた。 器 と言っ て も物理的な も の と し て の器 で はな く 生 きて い る人間の感覚を持 っ て い る器、 苦 しみや悲 しみや痛みを感 じ られ る器、 悲喜の涙を生 じ られる器で あろ う。 こ こ に私 は機の深信 と法の深信 と 出会 う と き悲喜の涙が 自ずか ら流 され る と思 う。罪悪深い 自身存在 を懸愧す る痛烈 な痛みの中に、 自分を哀れんで い る本願 の大いな る慈悲の恵みを感 じ られてい る親鸞の涙。 こ の 「悲喜之 涙」 こ そ機の信心 と法の信心の中で欠かす事ので き な い も のだ と思 え る。 それがな ければ 人間の計 らい を超 えた宿業の罪深 さ を強調 し 、 そ う い う宿業の操 りか ら人間を救い出す本 願他力の力を主張す る他力の救済は、宿業 と阿弥陀如来のかかわ りだ けになる ので はな いか。 フ ラ ンス人オギュ ス ク ン ・ ペル ク が 『風土の 日本』 (20) と 言 う著作の中で親鸞の 「自然法 爾」 を 「自ずか ら しか り」 と解釈 し、 それを 日本人の宿命的な受動性、非合理的な消極性 のよ り どこ ろ とす る。 自然法爾への大き な誤解、 最 も代表的な誤解で ある と もい える。 「自 然法爾」 は 「自か ら し か り」 で はな く 「自ずか ら しか ら し む」 ので ある。 「自か ら し か り」 の解釈は言葉の意味次元で は間違い と はいえないが、 言葉 の意味を超 えて こ め られて いる も のは受け止 め られな かっ た よ う で ある。 しか しそ の意味 を超 え る も のこ そ言葉の命で は な いか。 それ を と らえな ければ、 「自然法爾」 の中に潤 って い る も のが抹消 され、 乾燥 した 意味 しか残 さ れず、 親鸞の生身の人間 と して の感覚、 悲 し みも 、 喜び も 、 痛み も、 言葉か ら消えて し ま う。 即ちベル ク は、 形 と っ てい る言葉の意味次元に と どま っ て し まい、 形の 中に しみ こ む命 と して の悲喜の涙を受け止め られなかっ た。 いつ も親鸞の他力の救済を他 の民族の人々に伝 える 困難 さ を嘆 く 声を聞 く 。 こ こ に私は 「悲喜之涙」 こ そ 、 親鸞の心を、 如来の心、 大いな る真実を民族の枠 を超 え、 時代を超 えて 人々に伝 え る力 を持っ てい るの で はな い か と 思 う 。 浄土の救済 と は、 空間的な場所の移動 を意味す るのではな く 、 心の働 き の転換です。 念 仏者のあるべ き人生感覚はそ の感覚は親鸞において川が海 に流れ込むイ メ ー ジによ っ て表 さ れ て い る。 「凡聖逆膀斉帰入、 如衆水入海一味」 (21) 川は海 の吸い寄せ る力 に よ っ て 自ず か ら低い と こ ろ に流れて い く と海にた ど りつ く こ と にな る。 海は最 も 低い と こ ろ に あ り、 す べて の川 を受 け入れ る。 海は本願海で あ り 、 大慈 -一 一 五
悲喜の涙 と懸愧 大悲で あ る。 海の世界は、 自然法爾の世界、 隔た りのない、 平等無差別 の世界で あ る。 川 が海に流れ込むイ メ ージはすなわち親鸞が身を も っ て 教えてい る念仏者の人生感覚だ と思 う。 その低姿勢は、 川が海に流れ込む、 文字通 り の低姿勢で ある。 低姿勢は阿弥陀如来の まな ざ し によっ て生 じ る も ので ある。 阿弥陀如来の 「圓融至徳」 とい う 圓満 な 「徳」 に常 に 白身の欠如を感 じ させ られ る。それに よっ て次の二種深信を生 じ さ せ られ る。 ( 白身は現 にこ れ罪悪生死の凡夫、 礦劫 よ り 巳束 に のかた) 、 常に没 し常に流転 し て 、 出離之縁ある こ と な し と信ず。」 と い う罪深い 自身存在を信 じ る こ と に よっ て生 じ る懸愧で ある。 と 「か の阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂取 して 、 疑いな く 慮 りな く かの願力 に乗 じ て、 定んで往 生を得」 とい う 自分 を常に見守っ て い る阿弥陀如来を信 じ る こ と によ っ て生 じ る感謝だ と 思 う 。 噺愧 と感謝はも と も と仏教的な感覚で ある が、 親鸞によっ て潤いやぬ く も り を加 え られ、 しみ じみ と感 じ られ る も のにな る。 懸愧の痛み とそれゆえ にこ そ深い感謝。 そ う言 う意味で の懸愧 も感謝 も世間的な も の と 次元が異 っ て い る。 世間の懸愧 と感謝は別 々のこ とで あ り、 一回性で完成で き る ものであるのに対 して 、 仏教の意味で の塹愧 と感謝は表裏 一体に常に同じに湧 き起 こ る動きで ある。 つ ま り、 懸愧に感謝を伴い、 感謝は塹愧に裏付 け られて い る。 た と えば阿闇世の引用の前に親鸞の 自分 自身への塹愧の声、 「誠 に知 りぬ。 悲 し き かな。 愚禿鸞、 愛欲広海に沈没 し 、 名利太 山に迷惑 し て、 定聚の数 に入 る こ と を喜ばず。 真証の証近づ く こ と を快 し ま ざ る こ と を恥べ し 、 傷べ し。」 と言 う文に対応 し て 阿閣世の語 りの引用が終わる と こ ろ に、 次のよ う な親鸞 自身の感謝の 気持 ちが表 され る。 「難化三機、 難治三病、 憑大悲弘誓願 。 帰利他信海、 衿哀斯治、 憐欄斯療。」 (22) これ らの言葉に感 じ られ る よ う に痛烈な懸愧の声はいただ いた ものへの深い感謝によっ て生 じ、 また感謝は罪深い 自身存在への哲愧を伴 ってい る。 塹愧 も、 感謝も 阿弥陀如来の ま る ざ し に よ っ て 生 じ る も ので ある。 また懸愧も感謝 も永遠に完成 し ない動 き と して 、 語 り の終止を伴っ てい る。 い く ら懸愧 して も懸愧 し きれな い 自分への終わる こ と のない塹愧 と 。 そ うい う 自分を (倦む) もの う いこ とな く 常に見守っ て く だ さ る阿弥陀如来慈悲への尽 き る こ と のな い感謝。 「生死即涅槃、 煩悩即菩提。」 「即」 と は 「不一不異」 を意味す る。 「生死流転」 「煩悩具足」 で ある私た ち の人生は 「涅 槃」、 「菩提」 と等 し い も ので はない が 「生死流転」 「煩悩具足」 と い う私た ち の人生を離れ る 「涅槃」、 「菩提」 も ない。 悲喜の涙に、 私は親鸞に よ っ て深め られてい る仏教の人間救 済の道、 教え られて く る よ う で ある。 罪悪煩悩に満ち た現実の大地に両足を し っ か り と踏 み し めて た ち、 歩 き続けて い く 。 歩 き な が ら絶えず勇気 をいただ いて い く 道で ある。 泥沼 のよ う な 生の現実 を も がいて 生 き て 行 く 、 闇を抱 え も がきな が ら 、 それ に耐 え う る力 をい - 11-一 一 一 四
注 「真宗聖教全書」 二 203 頁 ・ 400 深層心理心理学には、 「阿閣世コ ンプ レ ッ ク ス」 と い う 説があ るが、 そ こ に述べ られて い るの は原典を改造 し た物語で あ る。 物語は、 仙人を殺 し た張本人 を卑提希に し 、 ま た、 王に命令 され たので はな く 、 自ら主体的に二回ほど阿閔世の命を絶 と う とす る よ う に改造 さ れ、 原典 の根拠か ら大き く ずれて い る。 それ を も っ て、 阿闇世の父の殺害は母に対す る愛欲 にそ の源 を発 して い るのではな く 自己の生命の本源たる母が自己を裏切っ た と の阿闇世の怒 りに発 し てい る と い う推理を出 し、 「生命の本源たる母が自身の愛欲のゆえに裏切 られ、 母を殺害せん 問い受け意向を示す と 言 う 精神病者がある」 と 言 う 臨床事実の根拠に し、 「自己の生命の本源 たる母が 自己を裏切 っ た母への恨み」 とい うエ デ ィ プス ・ コ ンプ レ ッ ク ス と異な る精神分析 学の命題 をだ し てい る。 ( 『精神分析辞典』 岩崎学術出版社 2002 年) そ の改造によ っ て 、 人 間心理に深い配慮を こ めて 、 重層的な奥行 き を も っ て い る物語は、 浅薄化 され、 男女の愛欲 関係 に縮小 され る。 普遍的な人間救済のレベルの意味で の物語は、 個別な病的な心理の問題 に楼小化 さ れ る こ と にな る。 し か し 、 こ こ で は、 心理学用語 と し て のこ と を問題 にす る こ と はせず、 阿闇世物語の中のエデ ィ プ ス ・ コ ンプ レ ッ ク ス と仏教的な深層心理について追求 し て い き た い と思 う。 「フ ロイ ト 作品集」 巻 2 人文書院 1968) (「ギ リ シ ャ神話」 呉 茂一 新潮社 昭和 32 年、 『精神分析辞典』 編集代表小此木啓吾 岩崎学術出版社 2002 年 3 月、 『ギ リシ ャ神話物語』 加藤 邦宏 小学館 1997 年 11 月な ど参照 『涅槃経』 『大正蔵』 第十二巻 813 頁 『観無量寿経』 『大正蔵』 第十二巻 341頁 『涅槃経』 『大正蔵』 十二巻 716-728頁 『長阿含経』 巻第十七 「大正蔵」 109 頁 『大正蔵』 十二巻 240、 715、 720-728、 788、 812 頁 『大正蔵』 一巻 108 頁な ど参照) 「涅槃経」 「大正蔵」 第十二巻 780 頁) とい う釈尊言葉にも伺える と思 う。 「大正蔵」 十二巻 717 頁 ( 同前) 「大正蔵」 一巻 「阿含経」 107頁 「覆蔽疑網」 「真宗聖教全書」 二 1 頁 『真宗聖教全書』 85 頁 『真宗聖教全書』 二 527 『真宗聖教全書』 二 80 頁 『真宗聖教全書』 - 468-481頁参照 『真宗聖教全書』 二 203 頁 『真宗聖教全書』 二 52 頁 オギ ュ ス タ ン ・ ベル ク 『風土の 日本』 筑摩書房 1988 年 「真宗聖教全書」 44 頁 「真宗聖教全書」 97 頁 田 ○ ただ いて い く 道だ と思 う 。 (3) 二 一 三 j j j j j j 4 5 6 7 8 9 ぐ く ぐ ぐ ぐ く (10) (11) (12) (13) (14) (15) (16) (17) (18) (19) (20) (21) (22)